上
議会中、一日くらいは傍聴席へはいってみるのも国民のつとめであろう。と考えるのだが、物臭ものにはなかなか思った通りにはゆかない。三年に一度か、五年に一度くらいしか、その機会をもたないできた。
でも、昨年の一月の議会返り初日には、二十年前の満鉄事件のとき、顧みて恥なき徒、という名文句を吐いた平沼騏一郎が、総理大臣として施政演説をやるちうことであったから、貴族院の傍聴席を覗いて見た。ところが、平沼がひどく老けているのに驚いたのである。更に悲しく思ったのは、演説が美辞麗句に満ちていて、さっぱり内容のなかったことだ。失礼であるが、そのとき、これでは長持ちはしないという印象を受けたのである。
今年は、二月の五日に、小山議長が不信任決議案をつきつけられるという新聞をみたから、これは面白いと思って行ってみる気になった。先年、小山松寿が議長になったとき、人はああいう処世術でやってきた方がいいのかな、と思ったのだ。
というのは、大正七、八年ごろ、私が毎日議会へ遊びに行っていた時分、まだ小山は初老の議員で人柄がおだやかで、憲政会総裁加藤高明の顔さえ見れば議員控室であろうと、廊下であろうと、三太夫が殿様に接するような物腰で、ペコペコと頭をさげていた。ほかの議員達は国士めいた顔つきで、肩いからしているのが普通であるのに、この議員はなにか目ざしているのか、まことにはや、にやにやとホテルの番頭さんのようだ、と感じたのであった。
そんな人柄の小山議長が、いじめられるというのであるから、きょうはどんな風に頭をさげるであろうか、と昔のことを思い出して衆議院へ行ってみた。ところで、開会
人間は、偉くなってしまえばなあ、と思った。昔のペコペコの俤はない。
それからやがて、大口喜六が壇上に
明治四十五年の初夏のことであるから、もう三十年近くの昔になる。当時、私は三州豊橋に遊んでいたので一日彼を、豊川の流れの近くの家へ訪ねて行った。折りから彼は、選挙最中で犬養木堂の家来として国民党の候補に立ち、大分忙しそうであったが、私を応接間へ通し黄色い声で、なにかひどく威張ったのを記憶している。
そのとき、眼鏡をかけた細面の奥さんも応接間へ現われたと思う。きょう、ちょいと婦人傍聴席を見ると、あのときの記憶の奥さんに似た細面の眼鏡の婦人が一番前側にいた。だが、あれからもう三十年もたつのに、あのときの若さと同じ婦人だ。もし、大口の奥さんであったとしたら、女というものは随分お歳を召さぬなあ、と思った。大口が演説をはじめると、熱心に聞き入っていた。
大口の奇声は議会の名物であったが、きょうの演説をきくと、頭のてんじょく玉から飛びだすような黄色い声でない。これは、甚だ寂しかった。やはり、老年になると声にもさびがつくのかと考えて、そのもの足らなさを隣に腰かけている人に話しかけると、隣の人は、いえあれはいまでも奇声なんですよ。だが、拡声機が上等だから、もう奇声を出す必要がないのでしょう、と答えるのだ。
ところで昔、大口が
中
大口喜六の質問に答えるので、米内首相が登壇した。米内光政の写真を見ると、
あんなぐあいでも、国民の期待に添えるのかと思えるのであるけど、重臣共の眼から見れば、米内は内懐に何か持っているのかも知れないのだ。しかし、男振りはいい。重臣はああいう見目よい男がお好きなのかも知れないと考えた。
その次に登壇したのは、藤原銀次郎である。藤原の、からだのこなしにはどこか
二、三年前藤原は鐘紡の津田の向こう脛をかっ払っておいて、支那の草を買ったことがある。まことに、抜け目のない商工大臣でもあろう。
貴田耘平が『産業問題』を提げて演壇へのぼって行った。あごの
そんなことはどうでもいいが、高田は身のほどを知っている。百姓議員だという自覚をもって百姓議員で押し通し、農村問題一点張りでやってきて、とうとう偉くなった。へたに当世向きのことを喋りたがらぬところに、見どころがある。産業問題の質問などというのは、甚だ派手でない。しかし、聞いていると高田の言説にはなかなか滋味がある。無機肥料には価格統制をやったが、有機に価格統制をやらぬのはどういうわけであるかとか、家鶏や豚の飼料まで心配するのは高田でなければやれないところだ。
最後に農業資材確保のことで藤原銀次郎をでかい声でおどかした。おどかされると藤原はひょこひょこと演壇へ出てきて、ぺこりとお辞儀をした。これが、きょうの第一等の余興であった。高田は、一種の風格を持っていて面白い。
高田に答えたのが、島田俊雄だ。この人間の態度と答弁が、最も要領を得ていると思った。百戦錬磨の功がある。米価は今後決して引き上げないと、きっぱりいってのけた。ほかの大臣は、何事も口の先でごにゃごにゃと国民に分からせないようにいっているけれど、島田は国民の気持ちのあるところを、しっかり掴んでいる。日本人は曖昧なことがきらいなのだ。右とか左とか、はっきりいって貰えば、それであきらめる民族だ。
下
勝正憲は、まだ官僚臭が抜けきらない。電力問題で誰かの質問に答えて、軽々に諸君が考えているような簡単な問題じゃない、などと口を滑らして、尻っ尾をつかまえられた。
勝の眼から見れば、議員どもが人民どもに見えるのは当たり前だ。傍聴席から見ても、議員どもは人民に見えるから。
それから木暮武太夫が経済問題をしゃべりだした。前橋中学で、木暮は私の後輩であった。後輩だから、子供扱いするわけではないが、このごろ
なかなか演説がうまくなった。
先代木暮武太夫は、自由党時代の代議士で、からだのどこかに国士の風があった。しかし、伜の武太夫にはその風は譲られてない。清濁合わせのむなどという概は、よそ国のことと考えているらしいのだ。政友会型じゃない、民政党型だ。生まれ性ならいたし方がないと考える。
だけれども、前橋中学からも一人の大臣を出したいと熱望する。そう思って前中出身者の顔触れを眼に描いてみると、やはり木暮武太夫の顔ひとりが大きく映ってくる。木暮は、将来必ず大臣になれると思う。まあ、永井柳太郎級の大臣にはなれると思う。それよりも大きな人柄の大臣になりたいと思ったら、も少し人生勉強をしてくれ。
木暮の話でひどく長くなったが、あれは私の後輩なのであるから堪忍してください。私は釣りが好きであるから、議場が釣り堀のように見えるのだ。釣り堀の底に、妙な魚がうようよ泳いでいる。町田忠治は、政権という餌を捜しているめごちみたいだ。永井柳太郎はのっぺらとして舌平目の感じがある。桜内幸雄は、
秋田清は、ごんずいだ。中島知久平は、
議会の魚類はどれもこれも、物足りなさそうな顔をしている。でも、武士は食わねど
私も、腹がへってきた。時計を見るともう六時近い。まだ、木暮がデフレーションがどうかしたとかいっている。傍聴席を出た。政党の控室を覗いて見た。ところが、どの控室にも活気がない。控室に活気のない方が、時世に誂え向きなのかも知れない。議員どもは、思う存分のことをいえない自分を憐み悲しんでいるのならば結構だが。
議院の食堂で、豚鍋で一杯やろうかと考えたが議会には酒がないときいて、外へ出た。
議院のそとは、夜の冷たい風が吹いていた。おお、寒い。
(一五・二・六)