職業漁師でも遊釣人でも、鯛といえば、
真鯛の当歳子、つまり出来鯛の四、五十匁くらいまでのものをベン鯛と呼び、六、七十匁から二百匁くらいの二歳、三歳のをカスゴ鯛と称しているが、三百匁から四、五百匁のものを中鯛、五、六百匁から二貫五百匁くらいのものを大鯛と言っている。鯛は、二貫五百匁より大きいものは甚だまれであると言っていい。寒鯛釣りには、この五、六百匁から、二貫目前後の大物が掛かって、強引に引っ張るのだ。
この魚の分布は、随分広い。
だが、真鯛の産地といえば、昔から瀬戸内海を随一とされ、近年は東京湾の内外が釣り人から認められるに至った。
春になると、瀬戸内海は鳴門と音戸の瀬戸の東西両方から乗っ込んでくる。これを桜鯛と言っているが、鯛は土佐沖の深い海底に一冬を送り、春が訪れると産卵のために内海さしてのぼり込んでくるのである。
いまも昔も、この桜鯛をいちばんおいしい季節であると関西の人は言っているが、これには異論があるようだ。
桜鯛といって人気があるのは、四、五月頃の産卵の季節に最も数多く
東京湾内へも、四、五月頃になると遠く太平洋の方から乗っ込んでくる。産卵の季節は大体、瀬戸内海と変わりがないようだ。
そこで、我々釣り人が疑問とするところは、外洋から乗っ込んできた鯛と、内海に居付いていた鯛と、味品の区別に関西と関東とが反対である点である。羽倉簡堂の饌書に『従二讃豫一過二鳴門一而東者額上作レ瘤是曰二峡鯛一』と書いてあって、内海地方ではこの鯛を最も上等としている。そしてこの鯛は頭が大きくいかめしく尻の方に至って細くこけ、色は頭の上側から背にかけ、また胸鰭が薄い黒紫色に
ところが、東京湾ではこれと反対である。四、五月頃太平洋の沖合から、房州の岬をへて東京湾内へ乗っ込んでくる鯛を、渡り鯛と唱え、二等品として取り扱っている。その理由は、外洋からくる鯛は荒波と闘いつつあったから脂肪が去って肉が薄く、その上肉の組織が粗いために舌ざわりが甚だよろしくない。味が劣っている。かつ、頭が大きいばかりでなく、鱗の色が一体に薄紫に黒ずんでいて冴えた艶がないから、見た眼に気品を感じない。これと反対に、内海の波静かなところの海草の間を巣にして育った鯛は真紅の色鱗の肌を彩り、肌の底から金光が輝き出し、珠玉のような斑点がいかにも美しい。そして、肉のきめが細かで、舌ざわりがまことに淡白であるというのである、これは、外洋と異なって内海は餌が極めて豊富であるため、肉が肥り細かい味を持つのであるというのだ。
瀬戸内海方面では、外から荒波と闘ってきた至味であるとしているのであるが、我々が見た感じでは、内海に育った色鮮やかな鯛の方に魅力を感ずるのである。ところで、簡堂は同じ饌書のうちに、正月以後の鯛はその味幼くして食うべらかず、と言っているが、それは産卵期の春鯛を指したものではあるまいか。
漁師によると、色の黒い頭といい、からだの全体がどことなくいかついのは雄であって必ずしも外洋からきたものではない。四季内海にも数多くいる。また色の
真鯛は普通二、三十
底の岩礁にばかり絡まっているとは限っていない。季節や日並み、また常食としているところの餌の浮沈によって、海の中層からさらに上層まで浮いて出てくることがある。これは伊豆網代の味噌鯛や、伊豆南端神子元島の
広島文理科大学梶山英二理学士の調査によると、鯛は三十年くらい生きているという話である。そして、
鯛は、随分硬いものを食う。鯛の頬肉のうまさというが、頬肉は口の開閉を司る筋肉であって、一度鯛が口を開いてぐっと噛み締めれば、あの硬い
釣り餌に用いるのは普通赤蝦、車蝦、芝蝦、白蝦、藻蝦、赤蛸、飯蛸、大蛸の足、
餌は、釣りの役割のうち最も重要な位置を占めているのである。鯛は以上あげたような種類のものを食っているのであるから、釣り人各自が研究工夫して新規な眼新しい餌を発見して用いたならば、必ず興味ある会心の釣りがやれることと思う。
鯛釣りを志す人のために、その一般について、簡単ながら心得ともいうべきことを述べてみよう。
四季いずれの時も、鯛を釣るにはその
大鯛を狙うには、大体テンヤ釣りの仕掛けを用いる。この釣りは普通三十尋前後から以上深い海で行なわれ、深くなるほどタチが分からないで初心者は困難するが、指導者の言葉をよく噛み研究心を積んでいけば次第にタチをとることを心得るものである。タチが自由にとれるようになれば、これほど面白い釣りは他に珍しい。大鯛釣りは錘が海底につくと、まず最初に二尋乃至三尋たぐりあげる。そしてさらに静かに一尋くらい、ついで一尋、二尋と、次第々々に海タチの二割くらいと思うだけ道糸をたぐりあげて鯛の棚を探ってみるのが、賢明の方法である。
鯛の当たりには、随分複雑な変化がある。いきなり、餌をくわえて駆けだすのがあるかと思えば、ゴリゴリと餌を噛んでいる響きが指先へ感じてくる場合もある。しかし、一体に当たりは微妙である。だから、少しでも、道糸あるいは餌の当たりに変化があると感じたならば、二尋か二尋半もたぐりあげて鈎合わせを利かしてみることだ。
道糸は潮の中にあると、垂直に立っているものではない。潮の流れの速さ、方向によってフケがきている。即ち、大きな弧を描いてたるんでいるのである。殊に、上潮と底潮と流れの方向が違うときは、道糸は複雑なフケの状態にあると思わねばならない。だから、一尋くらいたぐったのでは、人の力が魚の口まで及ばないのである。二、三尋くらいは、はげしくたぐらないと鈎合わせが利かないことになるものだ。しかし、流れが一方へ速く流れている時は、魚の当たりも力強く分かり、少したぐっても合わせが利くのである。
中鯛、小鯛を狙うのにシャクリ釣りというのがある。これをフカセ釣りとも言っている。二十尋から十尋くらいまでの比較的浅い海底を探るのであるが、シャクリ釣りは五尺くらいの竿を使って、道糸の先についた餌を海底からシャクっては上げ、上げては海底へ静かに沈めてゆくのである。
魚は大抵、シャクった餌が海底へ静かに沈んでゆくときに、くわえるのであってグイグイと竿に当たりがあってから鈎合わせをしたのでは遅い。
シャックった道糸が再び海底へ沈んでいく途中、まだ海面に出ている部分の糸が僅かに異状を示したとき合わせれば、百発百中である。しかし、この糸のフケを眼に認め得るようになるまでには余程の経験を積まなければならないのであって、初心者に難しい問題である。だから、シャクルことが即ち
大きくシャクって、竿先が重くなったら、シャクリ竿を舟板の上に置くと同時に、直ぐ左手で道糸をつかまえ、ついで右の手を伸ばし、二尋、三尋たぐるのである。それで、ガッチリと鈎が合う。もし、シャクった時ちょっと竿先が重くなったまま、直ぐ軽くなったら、そのまま餌を沈めてやると、食い損なった鯛は、もんどり打って返ってきて再び食いつく。合わせる。掛かる。と、いう順序になることを忘れまい。
シャクリ釣りは、まことに妙味があるものである。それだけに、奥行が深い。商売人の船頭にはよく釣れて、
シャクリ釣りは、軽い錘を使う。一匁から、三匁くらいまでであって、五匁くらいを使う場合はまれだ。そして、瀬の流れの緩急にもよるが、十尋の深さのところでは道糸の長さが十三尋、十五尋のところで十八尋、二十尋のところで二十三尋といった工合になるのを普通とする。瀬が急であれば、五尋くらい馬鹿糸を出す場合もある。軽い錘をつけ、細くして長い道糸を使うほど成績があがるもので、それだけに魚の当たりが微妙になるのである。その細かいことは、各項について述べることにしたい。
次に舟に乗り込む人数のことであるが、東京湾内のように割合が小さい舟であっては客一人、船頭一人、助手一人といった数にしたいのである。釣友と一緒であって止むを得ない場合は客が二人までは結構であるけれど、三人乗り込むというと、ときどき互いの糸が絡み合って、能率を妨げるばかりでなく、不快な思いをすることさえある。しかし外洋の大きな釣り船は別段である。
以上述べたように、鯛の釣り方と道具の形とは不可分のものであって、釣り方を大体五種に分けることができる。テンヤ釣り、フカセ釣り、枝鈎釣り、擬餌釣り、延え縄などであるが、これは地方によりまた季節によりいろいろ使いわけている。であるから、各地の鯛釣り場へ旅行してみると、そこには独特の釣法と餌があって、深い興味を惹くものだ。
春の鯛は、数多く釣れるので面白い。しかし、秋から冬にかけての鯛釣りも趣がある。殊に寒の鯛は、相当鯛釣りを修業したものが志すもので、多くは職業人の独擅場となっているのである。
元来鯛釣りは、一般の釣りのうちでも高級に属する方であって、いろいろの条件が複雑にできているから、
季節は、寒中の海であるため、随分特志家でないと、寒鯛釣りを志す人は少ない。
だが、釣った鯛は緋牡丹色の鱗に、金色
全国至るところ春、夏、秋にかけてその鯛釣り場は随分多いけれど、寒鯛釣り場は数が少ない。関東では東京湾口の鴨居、房総半島の船形、外房州勝浦沖、相模国真鶴港外の三ツ石付近、伊豆半島下田町沖合神子元島、横根島、石取島の地先、常陸国久慈と大津沖など。関西では土佐沖、鳴門海峡、紀淡海峡など七、八ヵ所を数えるに過ぎない。
そして、この釣りは出漁すれば必ず釣れるというわけではなく、また季節の関係で海は荒れがちであるから、専門漁師でもこれに熱中する者は甚だ少ないのである。
こんなわけであるから、もし出漁を希望するとすれば、志した土地の漁師と密接な連絡を取って置き、よく条件の備わったときに出かけるのがよろしかろう。