蛙を食う岩魚

佐藤垢石




 大きな山蜘蛛が、激しい溪流を、斜めに渡る姿を見た瞬間、水面にガバと音を立てて白泡の渦巻を残し、忽として蜘蛛が消え去る事がある。
 水底に蟠踞ばんきょする岩蔭から、岩魚が跳り出して喰ったのである。岩魚は、餌に対して驚く程勇敢である。そして何でも食う。
 黄金虫、蜂、蜻蛉、蝉、蜘蛛、蝗、芋虫、ミミズ、蝶、何でも選り嫌いはない。
 北アルプスの上高地梓川の上流は、近年岩魚の数が少くなったといわれているが、それ程でもない。心得のある者には相当釣れる。
 乗鞍岳の西側の溪谷から出る、飛騨国高原川の上流は、魚が非常に濃い。飛騨の高山の近くを流れる宮川の支流には何処にも居る。中部日本の表と裏を繋ぐ飛越線、即ち越中富山を起点として、飛騨高山を過ぎ、美濃岐阜へ出る省線は、今年十一月には全部開通する事になっている。開通すればこの方面の釣は大そう盛んになるであろう。岩魚や山女魚ばかりではない、飛騨と美濃と越中は鮎の友釣で有名な国である。
 長野市外で信濃川へ合流する裾花川も、水源地戸隠山の溪谷へ入れば、岩魚の形のいいのが居る。さらに、黒姫山の谷の奥から出て来る関川の上流は、岩魚の棲む川として近頃漸く知られて来た。今でも二尺近いのが居るそうである。普通八、九寸のものが、二時間も釣れば、魚籠に一杯になるそうである。
 ここの岩魚は、鈎を使わないそうである。殿様蛙のあまり大きくない奴の片足を道綸で括り、これを滝壺の中へ泳がし込むと、大きな岩魚が出て来て、パクッと蛙をくわえる。そして蛇が蛙を呑む時のように、アノ細い鋭い歯で、僅かずつ口腔へ送りながら、遂に胃袋へ落し込んでしまう。頃合を見はからって汀へ引き寄せ、一気に岡へ跳ね上げると、六尺も遠くへ飛出し、叢の中でバタバタしているという。これは、水之趣味社竹内氏の令兄が黒姫から妙高の奥へ測量に行って実見した話である。それ程、岩魚は貪食である。
 奥利根の支流に、片品川というのがある。国立公園になった奥日光の金精峠の西側丸沼や菅沼の落尻、尾瀬ヶ原の東南の大森林から出て来る溪流を合せた川である。さらにその支流である砂沢は赤城の裏山の谷から出て来る。これにも大きな奴が居る。赤城の東北と足尾の山々との間に、源を持つ根利沢の奥にも数多く居る。片品本流の追貝から上流には山女魚交りで、清洌な水に泳いで居る。
 越後国と上州の国境に三国峠がある。その下に法師温泉があるが、傍を流れる溪流は赤谷川の上流となっている。この川の水は冷徹そのもののようで、岩魚が沢山居る。そのほか、利根の最奥の部落、大芦から上流へ入って行けば、岩魚は本場である。
 北海道にも沢山いる。ここで大ものを釣るには山椒魚を餌にするのだという。
 ほんとうの岩魚釣の季節は、七、八両月である。それは、他の月では雪があるか気候が寒いか、気象の変化が激しいのであまり深く山へ入って行けないからである。つまり岩魚の数多く棲んで居る深い溪谷を、探り得ないからであるといっていい。
 岩魚釣は、涼しい釣である。
 餌の流し釣よりも、毛鈎の叩き釣が面白い。家鶏の襟毛――心赤の先黒、心黒の先赤――を狐形の八分の鈎に巻いて試みる。時間は、日中よりも朝夕がいい。秋になれば、日中でも構わないが、真夏では、午前九時頃まで、午後は五時頃から食いがいいのである。斜に上流へ向いてチョンチョンと下流へ叩きながら引き寄せると、岩蔭からガバと出て来る。素早く合せると、掛っているのである。合せが遅いとかからない。
 釣って直ぐ食べた岩魚の味は、実にいい。雑木の枝を串にして、塩をまぶし、枯木を焚いて焙って食べた時の気持は、渓谷の釣人でなければ味わい得られない境地である。





底本:「垢石釣游記」二見書房
   1977(昭和52)年7月20日初版発行
入力:門田裕志
校正:塚本由紀
2015年5月25日作成
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