釣場の研究

佐藤垢石




 釣人の気質にはいろいろある。けれど大別すると、大量に魚を釣りたい、その目的のためには他人の迷惑も顧みない、という人と、釣れぬでもよし、若し釣れれば運がいいのだ、一日水に親しんだだけで何の不足も感じない、という気持の人との二種になるようである。いずれもその人の性から来るものであるからどうということはないが、私は後者の気分を尊び度いと思う。とはいうものの、沢山魚が釣れた時は、ほんとうにうれしい。心が賑やかになる。先年の秋に鴨居へ行ったところ、大そう釣れた。大部分船頭が釣ったようなものではあったが、釣れないよりよかったのである。ボーッと頭に何もない心境になれるところに、釣の徳があるのではないかと考える。ここに、釣り趣味が人の心に食い入って行ったゆえんがある。鴨居というのは、三浦半島浦賀から半里ばかりの、東へ向って上総へ対している小さな漁村である。この漁村に英太郎という漁師がいる。年は四十二、三、実直な顔をしている。名人の域に達している男で、この男の知っている根(釣場)は三十カ所近い。その中には、誰も知らない根があって、英太郎はこれを図面に書いて秘蔵している。であるから、他のいずれの漁師も不漁でこぼしている時でも、英太郎には不漁がない。いつも魚槽が一杯になる、これは不断の努力の賜である、常に根の研究をしている。漫然と綸を垂れているのではない。精根をかたむけて釣場の開拓に努めているのである。
 この舟に乗った釣人は誰でも英太郎の態度の真面目さに感心する。私も、この舟に乗ったのであるが、果して彼が名人であるのを知ることが出来た。奥利根川の岩本に茂市という釣聖がいる。鮎の友釣をやらせれば、あの長い利根川の沿岸に、茂市だけの腕を持っている人がないのである。これも偶然に釣が上手になったのではない、釣場に対する研究心が、人にまさっているからである。朝竿をかついで家を出てから、夕方川から上って来るまで彼の行動は一つのムダもない。岩本駅を中心とした上下一里位の利根川なら、底石一つが動いても茂市はそれを知っている。子供のときから川に育ち、親譲りの釣人であるから、川に明るいのは当然であるが、他の釣人の真似することのできない眼識と腕前を持っているのは、何か特別の理由がなければならないのである。それは、彼が釣を理論で行かねばならないとしているからだ。親譲りの伝統で、季節により時間により、茂市の身体が無意識的にその時の最もよき条件に適合した場所へ運ばれるのであろうと見られるが、ひそかに彼の行動を注意してみると、彼は何の瀬にどういう底石があるか、その石に何月の何日頃から新鮮な水垢がつくかということに常に眼をつけている。そして鮎の好む石々を陸上にあるもののように知悉ちしつしていて、いつも他に先んじていい釣場を占める。釣人の心境は、ぼんやりしているところに妙味があるのであるが、釣場に対する神経は常に働かしておきたいと思う。自分で研究した釣場を持って居れば、他人に迷惑など掛けないで、充分に魚を釣ることができる。人生もそんなものであろう、と考える。自分の職場に忠実であれば、安心して生活を楽しむことができる。釣の名人になろうと思えば、水を深く、狭く研究するに限る。そして、このぼんやりとした心境ほど、味のあるものはない。
 釣というものは、何を釣っても興趣が深い。目高やタナゴのような小物を釣れば独特な繊細な味があり、マグロやオオハタのような大物を釣れば男性的な豪快な味がある。だから川でも海でも、小物でも大物でもおのおのの好みにより、釣場や魚を選ぶものであるが、魚の価値に魅力を感ずるのはどの釣人も同じであるらしい。たとえばダボハゼを釣るよりも本ハゼを釣る方に、またハヤを釣るよりも鮎を釣る方に自ら高貴な感じを持つものである。既に晩秋の風が寒く、一両日のうちに冬立つ日が来るとなると、川でも海でも、魚は餌の食い盛りである。
 そこでいまいろいろの魚が釣人を待っているが、同好者のために川と海の代表的な釣味を持つ魚二、三について語って見たい。川では木の葉ヤマメが代表的な釣ものであろう。ヤマメは腹に卵を持った三年子以上の大きなものは秋になると肉がやせ色衰え味が劣って来るが、二年子までのまだ若いヤマメは、実においしいのである。奥山の溪流に紅葉が散る頃になると腹に子を持った親ヤマメは、産卵のために溪間の砂礫の間に止まっているが、小さなヤマメは里川近い下流へと流れる木の葉にからまりながら下って来る。これを木の葉ヤマメという。青銀色の鱗をいろどる十三個の小判形の斑点、肌の底から浮き出す紫色の光沢、それに透き通った円い眼、何とスマートな姿だろう。釣場の環境がいい、白い泥の流れる釣場から、上流を眺めると遠い奥山はもう薄雪を頂いているが里は小春日和だ。釣方も大してむずかしいことはない。ハヤ釣に心得のある人なら誰でも釣れる。竿も仕掛も餌も釣方もハヤ釣とほとんど変るところがないのである。山釣のみやげとしてこれ程高貴な姿を持ち、珍味に値する魚は少いと思う。
 海では大鯛釣に指を屈せねばなるまい。大鯛釣は贅沢な上に、大層むずかしい釣のように思われているのであるが、そうではない。海はいずれの釣でも同じように、万事船頭の指図によるのでこの大鯛釣も、舟に乗ってさえいれば、船頭が釣らせてくれるのである。目の下一尺五寸、二貫目もある淡紅の肌に瑤路の珠玉をちりばめた大鯛が鈎の先について来るのを見ては誰でも豪華な感じを禁じ得ないであろう。それが一日に三枚も五枚も釣れたならば、身は海上にあっても家族の者の喜び迎える賑やかな玄関の状況が自然に眼に浮んで来るに違いない。費用も安いのである、友人二人で行くとすれば交通費共に一日五、六円あれば充分である。競馬や、ダンスのような不純の感じの伴いやすい遊びにくらべれば、どんなに快くどんなに経済的であるか分らないのである。道具も、餌もすべて船頭の方に用意してある。体さえ持って行けばいい。東に房総半島、西に三浦半島を望んだ波静かな東京湾口で大鯛と闘う興味は、金銭にはかえられない思いがする。しかも極めて僅かな費用で、その豪華豊饒に接し得るのである。
 東京湾口の落ちスズキも十月の末になればまさに釣季に入る。これも大物だけに釣興が深いが、真鯛にくらべれば魚の価値に格段の差がある。黒鯛も旧の九月から十月は肥りきって味の季節である。富津、鴨居、下浦にかけてはいくらでも釣れる。また晩秋の川では落ちブナから次第に寒ブナに変ろうとする季節だ。水郷神崎町を中心とした利根本流のフナは、ほんとうに見事である。鱗のつやといい、形の大きさといい。タナゴもそろそろ季節に入る。小さなタナゴも馬鹿には出来ないのである。素焼にして生醤油で食べる軽い味、思わず晩酌を過ごす。釣人はいつも上品な気持を持っていたいと思う。





底本:「垢石釣游記」二見書房
   1977(昭和52)年7月20日初版発行
入力:門田裕志
校正:塚本由紀
2015年5月25日作成
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