弟子自慢

佐藤垢石




 私に、どこかうまい釣場へ連れて行ってくれと申し込んでくる人があると、私はその人を自分の弟子の数のうちへ勘定する。だから私に師匠顔されるのを嫌だと思う人は、私のところへ同行を申し込んでこない方がいい。
 しかし、そうであるからと言って、無闇に私は先生顔をする訳ではないのである。君、僕は人に釣方を教えたり、うまい釣場へ案内したりする程釣は上手じゃないのだよ、誤解しちゃ困る。釣は一生の研究だ。これから、一緒に研究しようじゃないかと謙遜するのが常である。だが、うまく教え込んでやろうと思うのだ。そして、また一人弟子が殖えたかと思って、内心ほくほくする。
 一昨年九月のはじめに一人弟子がふえた。その新弟子は、小説家の井伏鱒二君である。私が、明日の夜汽車で甲州の富士川へ鮎の友釣に行こうと考えて、竿や背負袋などの整理をしていると久し振りで井伏君から手紙がきた。
 文面に、自分はこの夏から鮎釣をはじめたけれど、それは要するに自己流であるから、まだその妙味を会得できない。ところで、これから正式に鮎釣の法を習いたいから、機会があったら、どこかうまい釣場へ連れて行って貰い度いと書いてある。
 一体、釣の弟子には人の想像以上に、手がかかるものがある。道綸を、鈎から錘ぐるみ引っ切られたから、仕掛を新らしくこしらえて呉れ。鈎が、底石に引っ掛ったから、取ってくれ。餌の蚯蚓を指でさわるのは気持が悪いから、鈎先へつけてくれ、のと随分と煩わしいものだ。だから、自分一人で静かに釣を楽しもうと言う人は、同伴の申し込みがあると、体よくことわるのを常とするものだ。
 殊に、鮎の友釣の手ほどきなどは、余程手数がかかる。教える方に根気がないと、折角の新弟子に興を催させるまで導くことができないものであるから、私も友釣入門の申し込みがあると、いつも慎重にしてきた。けれど、井伏君の人柄は釣人風にできている。あの人の小説や随筆を読むと、どことなく超脱的なところがある。あの人ならば、教え甲斐があると思った。
 そこで私は、井伏君の手紙を読み終ると直ぐ、自分は明夜のおそい汽車で富士川へ行くことになっている。いい機会だから、若し都合がよかったら、東京駅へやってこないか、と速達で書き送ったのである。
 もっとも、井伏君と私と二人で釣に行くのはこれがはじめてではない。八、九年前の真夏に、甲州北巨摩郡増富村のラジューム温泉へ二人で旅したことがある。そのとき私は、山女魚釣の竿や道具を持って行ったから、金峰山の中腹から流れ落ちる塩川を漁ってみた。そこで私は、井伏君に餌とりをやって貰ったのだ。井伏君は上背が低い上に、小肥りに肥って色白であるから、豚の子のようにからだの恰好がころころとしている。それが大きなお尻を宙へ向けて川瀬のなかで四ツン這いとなり、餌の川虫をとるために底石を剥がし這いまわるのであったから、その気の毒なほどおかしな眺めに思わず噴き出したのであった。
 だが、ラジューム温泉の食いものがあまりに粗末なのに辟易して、碌に山女魚も釣らないで二人はそこを逃げ出したのだが、帰り途に相模川の与瀬で私は鮎釣をやり、井伏君には鮠釣を教えたのだ。ところで井伏君は運よくも、そこで十二、三尾の鮠を釣ったのであるけれども、どう言うものか井伏君は釣に興を感ぜぬらしい。
 その後屡々しばしば井伏君とは会うのだが、井伏君は釣の話を口にしたことがないのである。却って私はそれを、世話儲けが減ったと思って喜んでいた。ところが図らずも、井伏君から今回のような手紙である。鮎釣に志したとあらば、棄てては置けない。一番、大いに指導してみよう、と言う師匠心が湧いて速達郵便となった次第である。
 翌晩、約束の通り東京駅のホームで落ち合った。井伏君の持ってきた道具は、鮒竿に投網に水眼鏡だけである。まことに意外の訳だ。汽車のなかで、鮎釣をはじめたと言うならば何かも少し鮎釣らしい整った道具を持っていそうなものではないか、ときいて見ると、いや釣道具屋の親爺が、あなたの鮎釣にはこの鮒竿で結構であると言うから、その言葉に従ってこれにしている。投網の方は、釣の方がうまく行かなかったときに、一かぶせにかぶせるつもりでいる。だが、何れにしてもいままで、伊豆の河津川や仁科川、それから相模川などでやって見たけれど、なかなかうまく行かない。そこで、君に入門の申し込みをした訳だと言う。
 よし、やむを得ない。持ち合せのないものを汽車に乗ってから兎や角言ったところではじまらない。釣場へ行ってから、友釣に必要な一切の道具を工面しよう。
 明け方、身延線の十島駅へついた。十島駅の地先は、富士川の中流である。中流であると言うが、激流だ。甲州の山奥駒ヶ岳の方から出てくるのが釜無川、甲武信ヶ岳の方から出てくるのが笛吹川、この二川が、鰍沢の地先で合流すると流れは俄然大河の姿を現して、巌を噛む激湍に妖魅さえも感ずる。そしてこの奔流はそのまま、白竜のような相貌で東海道の岩淵から太平洋へ投ずるのだ。
 富士川の鮎は大きい。いつの年でも真夏の頃には上流の大島河原、身延、波高島、天神、鰍沢など、秋の落ち鮎の頃には下流の稲子、芝川、岩淵などで一尺に近い力強い鮎が釣れるのである。その中間に在るのが、この十島だ。毎年、九月初めには竿を折るほどの大物が鈎にかかる。殊に、この年は鮎の育ちがいい。もう七月の頃から、上流の方で五、六十匁のものが釣れたのであるから、いまでは七、八十匁から百匁以上の大物が我々を驚かすかも知れないと言って、私がこまごまと川の模様を話すと、井伏君は眼鏡の底から円い小さな眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)るのだ。
 駅前の釣宿で主人から井伏君の使う手箱、囮箱、通い筒など友釣になくてはならぬ道具を借りた。竿は持ってきた長さ三間半の鮒竿を使うことにしたのである。
 先ず、私からはじめた。下手が白い飛沫をあげて荒瀬になる肩の少し緩やかなところへ囮鮎を引き込むと、直ぐむずむずときた。しなやかに、汀へ引き寄せて手網で掬えばこれは三十匁ほどのものであった。
 そこで私は、井伏君に囮鮎の鼻の穴へ、鼻環を通す次第から、竿の持ち方、足の運び方、鮎が掛ったときの気の持ちようまで仔細に説いた。そのときの私の気持は、大いに師匠気取であったことだろう。井伏君は小学校の子供のようにつつましやかに小さくなって聴いている。
 囮鮎を、仕掛の先端につけると、井伏君は例のへなへなの鮒竿を持って、汀の石の上へ立った。はじめての友釣姿としては、なかなか身のこなしがいい。師匠の教えをよく守っているためだろう。すると、間もなくである。竿の先が風の日の枯桑の枝のように二、三度動いたかとみると、竿全体が円く曲った。引く、引く。井伏君は、ずんぐりしたからだをよちよちと下流の方へ引かれて行く足もとが危い。
 でも、とうとう岸近くへ引き寄せた。及び腰の、屁っぴり腰で危なかしい手つきで手網を操って、掬った鮎をみると井伏君も私も驚いたのである。まず、六十匁はあろうと言う大物だ。掛鈎が背鰭の付根に刺さって、手網のなかで狂っている。井伏君の、手先の顫えはなかなかやまないのだ。
 騒ぐ鼓動を漸く鎮めて井伏君が言うに、僕はこのまま竿を持って荒瀬のなかへ、引っ張り込まれるのじゃないかと思った。いままで、鮎の毛鈎釣や投網を何十回となくやったが、こんな調子の興趣ははじめてだ、と笑うと、円い顔が一層円くなる。
 それからまた、同じ場所で井伏君の竿へきた。これは、四十匁のものだ。鮒竿でも、馬鹿にできませんなア、と言う訳で、次第に自信が出て深い流れのなかへ立ち込んで行った。ところで、とうとう井伏君は錘を石の間に挾まれてしまった。竿先へ、力を入れてもなかなかとれない。無理をすれば囮鮎ぐるみ道綸がきれてしまう。
 そこへ、私が駈けつけ最後の手段を教えた。僕が竿を持っていてやるから、水のなかへ潜って行って錘をとってき給え。けれど、錘の引っ掛っているところの深さは七尺もあるだろう。それでは、君の背がたたない。富士川の流れは、緩やかに見えても水に力がある。潜った途中で、必ずからだが流される。だから、からだに重みをつける必要がある。それには、二貫目ばかりの石を抱くことだ。右手に石を抱いて、目的のところへ頭を下にして潜るんだ。やれるかな。
 決行すると答える。その勇気には感心した。真っ裸になって、大きな土石を抱いた。尻が大きく、腹が出ている。錘が引っ掛っている傍まで歩いて行くと、いきなり頭を下にして潜った。石の重みで、沈んで行くのが澄んだ水に透いて見える。河馬の潜水に彷彿としている。
 遂に、錘を石からはずして、囮鮎も無事であった。水底で膝頭を石に突いたものとみえて、皮膚から血がにじんでいる。それよりひどいのは腕時計だ。潜るとき、腕からはずして行くのを忘れたから、めちゃめちゃにこわれた。
 石を抱いて、囮鮎をはずしに水を潜れば友釣も一人前だ。大いに、前途有望だ、と声をあげて嘆賞すると、これから大いにやると言って、頭から滴る水を拭きながら切ない顔をするのである。
 何にしても私は、将来甚だ見込のある弟子を得たものだ。命知らずと言うほどの勇猛心はいらないが、水を怖れるようであっては、友釣は上達しない。入門第一日から、石を抱いて水を潜るような釣友達は、私も多年鮎釣をやっているが甚だ珍らしい。
 この日井伏君は、大鮎を七尾かけて五尾鮎箱のなかへ収めた。二尾は逃げられたのである。この分ならば、来年の井伏君はすさまじい腕を揮うことであろう。





底本:「垢石釣游記」二見書房
   1977(昭和52)年7月20日初版発行
入力:門田裕志
校正:塚本由紀
2015年5月24日作成
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