船旅

ワシントン・アーヴィング Washington Irving

吉田甲子太郎訳




船よ、船よ。大海原の真只中まっただなかでも
わたしはお前を見つけ出す。
わたしは行ってお前にたずねよう、
何をまもっているのか、
何をもくろんでいるのか、
お前のめざす目的は何なのだ。
ある船は外国へ行って商業取引をする。
ある船は母国にとどまり、外敵を防ぐ。
またある船は高価な荷物を山と積んで家路をいそぐ。
おーい、空想よ、お前はどこへ行くのだ。
――古謡

 ヨーロッパを訪れようとするアメリカ人は長い航海をしなければならないが、それがまたとないよい準備になる。浮世のわずらいや雑用がしばらくは全くなくなってしまうので、新しい鮮かな印象を受けいれるのには最適な精神状態ができあがるのである。地球の両半球をわかつ広茫こうぼうたる海原は、人生行路に横たわる一ページの白紙のようなものだ。ヨーロッパではほとんど気がつかないうちに一つの国の地勢や人種が別の国のものと混りあってゆくのだが、この場合はそういうふうにだんだんと移りかわってゆくのではない。あとにした陸地が見えなくなった瞬間から、すべてが空虚になり、それがかなたの岸を踏むまでつづき、そこで突然、新奇な騒々しい別の世界に上陸するのだ。
 陸の旅ならば、風景は次々とつながっており、人物や事件もそれからそれへ連結している。そのために、人間の生活の物語は切れずにつづけられ、別離の情はさほど感じられない。じっさい、われわれは旅路のさきへ進むにつれて「のびる鎖」をひきずってゆくのだ。この鎖はきれない。一環ずつたぐってゆけばわれわれはもとのところへもどることができる。そして、最後の環はやはりまだわれわれを故郷にむすびつけているのだと感じる。ところが、広い広い海の旅はたちどころにわれわれを故郷からきりはなしてしまう。安全にいかりをおろした静かな生活から解きはなされ、不安な世界にただよい出たのだとわれわれはしみじみ感ずる。想像のなかだけでなく、現実に、われわれ自身と故郷とのあいだには深淵しんえんがひろがる。その深淵はあらしや恐怖や不安にさらされていて、われわれに故郷を遠くはなれてしまって帰りはどうなることやらわからない、という感じを抱かせる。
 少くともわたしにとっては、そういうふうだった。故郷の陸地がついにひとすじの藍色あいいろの線になり、一点の雲のように水平線にかすかに消え去ってゆくのを見た時に、わたしは、わずらわしい世間のことについて書き記した一巻の書物をとじて、しばし瞑想めいそうに時をすごし、それから次の書物をひらこうとしているような気がした。わたしにとってなつかしいものをすべて残してきた国が、今や視界から消えようとしている。わたしがふたたび訪れるまでに、そこにはさまざまな変転がおこるだろう。わたしの身の上にもどんな変化がおこるかもしれない。だれにもせよ、放浪の旅に出るときに、行方もさだめぬこの世の潮に流されて、自分がどこにゆきつくか、わかっているものはあるまい。いつまた帰ってこられるか、少年時代をすごした国に果して運よく帰ってこられるかどうか、だれにもわかりはしないのだ。
 洋上ではすべてが空虚なのだ、と前に述べたが、いい改めなければならない。白昼夢に我を忘れ、恍惚こうこつとして幻想にひたるのを好むものにとっては、海の旅はいろいろと瞑想するにもってこいのものごとで充満している。だが、それは、あるいは深海の驚異であったり、あるいは大空の不思議であったりして、人の心を世間的な俗事からきりはなそうとするものだ。いだ日にはわたしは好んで船尾の手摺てすりにもたれかかったり、メインマストによじのぼったりして、静寂な夏の海の胸にだかれて数時間もずっともの思いに沈んだものだ。またはるか水平線にうかぶ金色のむら雲を眺めては、気ままに空想してそれをなにかの妖精ようせいの国に仕立て、自分でつくりだした生きものをそこに住まわせたり、そしてまた、しずかにうねる大波が銀色のからだをころばせてゆくのを見て、この波はこの妖精の国の岸辺でたのしく消えてゆくつもりなのかと思ったりしたものである。
 安心とも恐怖ともつかぬなにか甘美な気もちに胸をおどらせながら、わたしは眼のまわるような高いところから、深海の怪物どもがおどりまわる異様なありさまを見おろした。いるかの群は船のへさきにはねまわり、さかまたは悠然とその大きなからだを水上にあらわす。貪欲どんよくなふかは紺碧こんぺきの水のなかをもののようにさっと突っぱしる。眼下に横たわる水の世界について、今までに読んだり聞いたりしたことを、わたしは想像力たくましくすっかり思いおこす。底知れぬ谷間をさまよう魚の群。大地のいしずえにひそまりかえる異形な怪物。漁夫や船乗りたちの話をいやがうえにも物凄ものすごくする奇怪なまぼろし。
 はるかに遠く海原の果てをすべってゆく帆が、また別のそこはかとないおもいの種になることもある。世界のひとかけにすぎない、この船が、厖大ぼうだいな人間社会にもどろうとして船路をいそいでいるすがたはなんとおもしろいではないか。船はまさに人間の発明力のえある記念塔ではないか。それは、このように、風と波とを征服し、世界の果てと果てとをつないだのだ。南の国の豪華な産物を荒涼たる北の国に運び、天のめぐみを交換するみちをひらいたのだ。学問の光と、文化の恩恵とをひろめ、かくして散りぢりになっていた人類をむすびあわせたのだ。その人類のあいだに、かつては自然が乗りこすことのできない障碍しょうがいを投げかけていたかと思われたのだが。
 ある日われわれはかなたに、なにかよく形のわからないものが漂っているのを見つけた。海上では、どんなものでも、周囲の茫洋たるひろがりの単調をやぶるものは、人の注意をひく。それは船のマストだということがわかったが、船のほうは完全に難破してしまったに違いない。乗組員のなかにはこの帆柱にハンカチでわが身をしばりつけ、波にさらわれまいとしたものがあったのだが、今はただそのハンカチの破れたきれが残っているだけだった。船名をたしかめるべき跡はなにもなかった。この難破船はあきらかに数カ月も漂流していたのだ。貝殻がいくつも群がってこびりついていたし、長い海藻が両側についてゆらゆらしていた。だが乗組員はどこにいるのだろう、とわたしは考えた。かれらの苦しいたたかいはすでにずっと以前に終わっていた。かれらは嵐が叫び狂う中でおぼれてしまい、今は白骨となって、海底のほら穴のあたりに横たわっている。沈黙、忘却が、波のように、かれらの上を閉じこめてしまい、だれもその最後を物語ることはできない。その船のあとを追って、どんなに嘆きの声が漂っていったことか。故郷の家のさびれ果てた炉ばたでどんなに祈りがささげられたことか。恋人が、妻が、母が、毎日の新聞を、何べん読み返して、この大海原の放浪者の消息を探し求めたことか。期待が暗くかげって憂慮となり、憂慮が恐怖となり、そして恐怖が絶望となった。ああ、愛する人の胸に帰るかたみはひとつもないのだ。ただ知りうるのは、この船が港を出帆して、「その後は風の便りもなかった」ということだけである。
 この難破船の残骸ざんがいが見えたために、例によって、陰気な話がいろいろともちあがった。特にその日の暮れがたにはそうだった。今まで凪いでいた天候が、あやしく荒れ模様になってきて、静かな夏の航海にも、ときとして突然おそいかかることのある嵐のきざしが見えてきたときだ。船室では暗がりがランプのぼんやりした光でなおのこと不気味になっていたが、われわれはそのランプをとりかこんで、めいめい難破や遭難の話をした。船長の話は短かかったが、わたしの心を強くうった。
「わっしが航海しておったときのことですがな」と彼は言った。「上出来のがっちりした船でしたが、ニューファウンドランドのにさしかかったとき、あのあたりによくおこるひどいガスがかかって、遠くのほうはまるで見えなくなったんです。昼のうちでさえ駄目でしたが、夜になると、いよいよ濃くなって、船の長さの二倍もはなれたら、なにがなにやら全く見わけがつかんのです。わっしはマストのてっぺんにあかりをつけ、船首にはやすみなく見張りをおいて、小さい漁船に注意しておりました。いつも洲に錨をおろしてとまっているもんですからな。風は強くて、わっしたちの船は猛烈な早さで水をきって進んでいたんです。突然、見張りが大声で叫びました。『前方に船が見えるぞう』叫ぶか、叫ばないうちに、もうこっちの船は、相手にのりあげていたんです。小型のスクーナーで、錨をおろして、わきばらをこっちに向けていたんですな。乗組員はみんな眠っていて、あかりをあげておくのを忘れておったのです。こっちは、それのちょうどまんなかに突き当ったわけです。わっしたちの船は力は強いし、なりは大きいし、目方は重いときてますから、むこうは波の下に沈んでしまい、わっしたちは、その上を通りこして、どんどん進んでいってしまいました。めちゃめちゃになった船がわっしたちの下に沈んでゆくとき、わっしにちらっと見えたのは、二、三人の半裸体の男があわれにも船室から飛びだしてくるところでした。寝台からはねだしてきても、叫び声をあげながら波にのまれてしまうだけのことでした。彼らが溺れかかって叫ぶ声が風のまにまに聞えてきました。その声を運んできた疾風で、こちらの船はさっとすすみ、声はそれっきり聞えなくなってしまいました。あの叫び声はどうしても忘れられません。しばらくたってからやっとわっしたちは船の向きを変えることができました。それほど早く突っぱしっていたんです。わっしたちは見当のつくかぎり、その漁船が碇泊ていはくしていた場所に近いところへもどってきました。濃霧のなかを、数時間もぐるぐる廻ってみました。号砲もうちましたし、生き残ったものの呼び声が聞えはしまいかと思って耳をすましてもみました。だが、なに一つ聞えません。わっしらは、その後その人たちのことを見たことも聞いたこともないんです」
 じつのところ、こういう物語のために、しばらくは、わたしの快適な空想もどこかにいってしまった。嵐は夜とともに激しくなった。海は怒り、狂いに狂った。恐ろしい陰惨な音を立てて、波濤はとうが突進し、砕け散った。ふちは淵に呼びこたえた。ときたま、飛沫しぶきをちらす大波のなかをいなびかりのひらめきがわななきながら通りぬけると、頭上にむらがる黒雲は、ちりぢりにひき裂かれたように見え、そのあとの暗闇くらやみはいっそうすさまじくなるのだった。雷は狂乱する大海原にとどろきわたり、山なす波にこだまして、殷々いんいんと鳴りつづけた。この轟々ごうごうひびいているほら穴のような波のなかを、よろめき、水に突っこむ船を見ていると、それが平衡をとりもどし、浮力を保っているのが奇跡のように思われた。帆桁ほげたは水にもぐっては出、出てはもぐり、へさきは波に埋まっているといってよいほどだった。ときどき、大波がのしかかってきて、船をうちまかしてしまうかとも見えた。巧妙自在にかじをあやつって、どうにかその衝撃をまぬがれたのだ。
 わたしが船室にひきさがっても、恐ろしい光景はなおあとを追ってきた。ひゅうひゅうと帆綱になりわたる風は、弔いのときの人の泣き声のようだった。船がさかまく海を難航してゆくとき、マストはきしみ、船室の板壁は張りつめてうめき、身の毛のよだつような恐ろしさだった。波浪が舷側げんそくをどうっとばかり流れてゆき、まさに耳もとで咆哮ほうこうするのを聞くと、あたかも死神がこの水に浮んでいる牢獄ろうごくのまわりで怒り狂い、獲物をもとめているような気がした。ほんの一本くぎがゆるみ、板の継ぎ目がひとつ口をあけようものなら、死神は侵入してくるかもしれないのだ。
 しかし、海が凪ぎ、順風が吹く晴れた日には、こんな陰鬱いんうつな思いはたちまちにして、すっかり消え去ってしまう。海の上で好天と順風とに恵まれると、心はおのずと楽しくなってしまう。帆を張りつめ、どの帆も風にふくらみ、さざ波の上を心地よくまっしぐらに進んでゆくとき、船はなんと気高く、勇壮にみえることだろう。大洋に君臨しているようではないか。わたしは、海の旅についての夢想で一巻の書物を満たしたいほどだ。わたしにとって、海の旅は、絶えることのない夢想なのだ。だが、もう上陸の時刻だ。
 太陽がきらきら輝くある朝、「陸だ」というあの胸がわくわくする叫びがマストの上から聞えてきた。アメリカ人がはじめてヨーロッパをのぞみ見たとき、その胸にどんな甘美な感情がおしよせるか、身をもって体験したものでなければ思いもおよばないものである。ヨーロッパという名をきいただけで、次から次へと連想がいっぱいになるのだ。そこは希望の国であり、幼年時代にきいたことや、勉学の年を重ねているあいだに熟考したことが、すべて満ちているのである。
 このときから入港の瞬間までは、一切がはげしい興奮のうずにまきこまれてしまう。護衛の巨人さながらに海岸を遊弋ゆうよくしている軍艦。アイルランド海峡に差し出ているアイルランドの岬。峨々ががとして雲に頂きをかくしているウェールズの山々。すべてが強い感興をそそるのだ。マージー河をさかのぼるとき、わたしは望遠鏡で海岸地帯を偵察した。きれいにかりこんだ灌木林かんぼくりんや緑色の芝生のなかに点在する清楚せいそな百姓家を、あきもせず眺め、楽しんだ。寺院の崩れかかった廃墟はいきょにはつたがはいまわり、村の教会の尖塔せんとうは、近くの丘の上にぬきでている。どれもこれも、いかにもイギリスらしい。
 潮流も風も全く工合ぐあいよく、船はただちに桟橋につくことができた。ひとびとがつめかけてきていた。用のない見物人もいれば、熱心に友だちや親戚しんせきを待っている人たちもいる。わたしは、船荷の受取人である商人を見わけることができた。算盤そろばんをはじいているような額やそわそわと落着かぬ物腰でそれとわかったのだ。彼は両手をポケットにつっこみ、考えごとにふけりながら口笛をふき、行ったり来たりしていた。群衆は彼にわずかだが空き場所をつくっていた。この時ばかりはこの男が重要な人間であり、みんなは敬意をはらったのである。友だち同士が互いに相手を見つけると、そのたびに海岸と船とのあいだには万歳の声や挨拶あいさつが、くりかえし取りかわされた。わたしは、なかでも一人の若い女性に目をとめた。粗末な洋服を着ていたが、そのふるまいに心をひかれたのだ。人ごみのなかから、前にのりだし、その眼は近づく船をいそがしげに見やり、だれか待ちこがれた人の顔をさがしていた。彼女は落胆して、いたたまれないようだったが、そのとき、わたしには、かすかな声が彼女の名前を呼んでいるのがきこえた。声の主は航海中ずっと病気をしていた水夫で、船の人々の同情の的になっていたのである。天気がよいときには、同僚がデッキの日かげにマットを敷いてやったものだが、このごろでは、いよいよ病勢がつのって、ハンモックに寝たきりになってしまい、ただわずかに、死ぬ前にひとめ女房に会いたいとあえぎあえぎ言っていた。われわれが河をさかのぼっているあいだに、彼はひとに助けられてデッキにあがり、今は帆綱によりかかっていた。顔はひどくやつれ、血の気はせてすさまじかったから、愛する人の眼にさえも、彼がわからなかったのは、まったく無理からぬことだった。しかし、彼の声をきくと、女の眼はそのすがたをとらえ、すぐに悲しい物語のすべてを読みとった。彼女は両手をにぎりしめ、かすかに叫び、それから、ものもいえずに苦しみもだえ、指を組みあわせて、立ちつくしていた。
 今や、だれもかれもいそがしく、ざわめいていた。親しい人たちが再会し、友人同士が挨拶をかわし、商人たちは事務の相談だ。わたしだけが、ひとりぼっちでぼんやりしていた。会う友人もなければ、歓呼の声にむかえられるのでもない。わたしは祖先の国に足をおろした。――だが、わたしが感じたのは、自分は異国の人間だということだった。





底本:「スケッチ・ブック」新潮文庫、新潮社
   1957(昭和32)年5月20日発行
   2000(平成12)年2月20日33刷改版
入力:砂場清隆
校正:noriko saito
2022年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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