美しき元旦

吉田甲子太郎





「そういうわけで、来年のお正月の拝賀式はいがしきは、この再建さいけん日本のかくごをかためるためにも、べつしておごそかにとりおこなわなければなりません。」
 先生のわかわかしい顔が赤くもえたってきたのは、教室のすみでまっ赤にやけているストーブのせいばかりではなかった。
 六十二人の少年のしんけんな目が、先生の熱情ねつじょうにいっせいにこたえて、教壇きょうだんの上の顔を見つめている。
 うす日のさすまどの外を、十二月のからっ風がヒューッとふいていっても、それに気をとられる者もなかった。教室の中はしんとして、みんな先生のつぎのことばを待ちかまえている。
「さて、本校では例年れいねんのとおり、六年級の男女から、それぞれ一名の代表者だいひょうしゃをえらんで、全校の男子、女子にかわって、式場しきじょうで新年のあいさつをのべさせることにきまりました。この級からは、みなさんに男子の代表だいひょうをえらびだしてもらわなければなりません。これはみなさんが在学中ざいがくちゅうただいちどしか出会であうことのできない重いやくめです。みなさんの希望きぼう、みなさんのかくごを、この新時代しんじだい新年拝賀式しんねんはいがしきにりっぱにいいあらわしてもらうには、どの友人を立たせたらよいか。まじめに投票とうひょうしてほしいと思う。今、投票とうひょう用紙をくばるから、あの人ならと思う名まえを一つだけ書いてください。」
 六十二人の少年たちのむねが、どれもこれも、急にドキドキしてきた。
「五分間考えて、それから書く。なお、いちばん投票数とうひょうすうの多い人が代表者だいひょうしゃ、そのつぎの人が代表候補者だいひょうこうほしゃ――つまり代表だいひょうに急にさしつかえがおこったとき、その人にかわってあいさつをする、いわば補欠選挙ほけつせんきょになるのだからそのつもりで――では、高木たかぎ中条ちゅうじょう、この紙をみんなにくばって。」
 先生はうで時計を見ながら、級長きゅうちょう高木光吉たかぎこうきち副級長ふくきゅうちょう中条奈良夫ちゅうじょうならおとに、小さく切った投票とうひょう用紙をくばらせた。
 二十分とたたないうちに、選挙せんきょはすらすらと終わった。そして、高木たかぎ代表だいひょう中条ちゅうじょう代表候補者だいひょうこうほしゃということにきまった。
「新年拝賀式はいがしきの全校男子代表だいひょう高木たかぎ代表候補者だいひょうこうほしゃ中条ちゅうじょう。こうきまったうえは、高木たかぎ投票とうひょうしなかった者も、高木たかぎを自分たちの代表だいひょうにえらんだことになる。これが選挙せんきょのだいじなところだ。しょくんのクラスが高木たかぎをえらびだした。そして、しょくんは、みんなこのクラスの一いんなのだから、とうぜんきみたちみんなで高木たかぎをえらびだしたことになるんだ。わかったね。」
 そちこちで、いくつかの顔がうなずいた。
「では、まだ少し時間は早いが、これで終わりにする。みんな帰ってよろしい。」
 わっと、うれしそうなざわめきをあげて、みんな帰りじたくをした。


 高木光吉たかぎこうきちは、寒い風の中を大またにあるきだしていた。かれの心ははずんでいた。全校の代表だいひょうとしてのべようとすることばが、もうさっきから頭の中へ、いくつもいくつもうかんできているのだった。
 おかをこえて、林ぞいの道へ出た。草は白くかれて、落ち葉が風にふかれて追っかけっこをしている。
「おーい。ノッポーォ、もっとゆっくりあるけえ!」
 ふりかえると、なかよしの内藤ないとうが、せなかのランドセルをバタンバタンいわせながら走ってくる。高木たかぎはわらいながら立ちどまって、
「よーし、早くこい。」というように手をあげた。
 ノッポは光吉こうきちのあだ名だった。かれは成績せいせきも級一番だが、体格たいかくもだんぜんずばぬけていた。ちびの内藤ないとうなぞは、かれのかたくらいしかない。
「ぼく、お正月の洋服ようふくをちゅうもんしにいったんだよ。そしたら、洋服屋ようふくやのおじさんめ、『四年生かね。』ときくのさ、いやになっちゃった。」
と、そばへくるなりそういって、光吉こうきちとうでをくみながらあるきだした。
「うふふふ……そりゃ、だけど……。」
といいかけて、光吉こうきちはふと口をつぐんだ。
「お正月の洋服ようふく」ということばが、つめたい風のように心をかすめたのだ。かれはつぎだらけの自分の洋服ようふくを見た。ズックのくつは、ちんぼつしかけたボートのようにへしつぶれて、先のほうから指がのぞいている。これがあとにもさきにもまずしいかれのただ一まいの着物、ただ一そくのくつだった。拝賀式はいがしきのはれの壇上だんじょうにあがるにも、これよりほかに着るものも、はくものもないのだ。
 かれの足は急にのろくなった。内藤ないとうはかまわずしゃべりつづける。
「ねえ、こんどのしきには、これまでにないみたいな演説えんぜつをやってくれよ、うんとがんばって――。」
「うん、やるよ。」
 だが、光吉こうきちの声はさびしくしずんでいた。
 内藤ないとうとわかれて家のほうへあるきながら、光吉こうきちはいろいろと考えた。自分がもし代表だいひょうをことわれば、中条ちゅうじょうが出る。自分のずばぬけて大きいからだが、このやぶれ洋服ようふくだんの上に立つすがたと、あのキチンとしたりっぱな中条ちゅうじょうだんの上へあがったすがたとが見える。
 今までだって、こんなうすぎたないなりをした代表だいひょうが出たことはなかった。なにしろ、だいじなしきなのだからと思うと、光吉こうきちはこんどの代表だいひょう中条ちゅうじょうにゆずるほうが学校のためであり、クラスのためではあるまいかとうたがうようになっていた。


 路地ろじのおくの、またそのおくの、あぶなっかしい三げん長屋ながやの一けんが光吉こうきちの家だった。
 光吉こうきちは、学校にいたときのままのやぶれズボンのひざをだいて、くったくそうにかべによりかかっていた。母は、ばんめしのときに使ったばかりのちゃぶだいをすえて、内職ないしょくのハンケチのへりかがりに余念よねんもなかった。
 家じゅうにたったひとつの十六しょく電燈でんとうが、親子のすがたをぼんやりらしていた。
 かれらは、一家の心棒しんぼうになる主人を持たない、気のどくな人たちだった。
「いいのかい、勉強は?」
 母が仕事の手をとめずにきいた。
「うん、ぜんぶ、考査こうさすんだんだ。あさって通信簿つうしんぼですよ。」
「ああ、そうなのかい。」
 母は顔をあげて光吉こうきちのほうをちょっと見たが、またそのまませっせと仕事をつづけた。
 まるでじかにしもかたの上におりてくるような寒いばんだった。
 母はときどき手のひらにいきをはきかけては仕事をすすめていった。しずかだ。遠く線路せんろを走ってゆく貨物列車かもつれっしゃのとどろきが、かべをゆすぶるようにはっきり聞こえてくる。
 光吉こうきちがふうっと長いためいきをついた。
「おまえ、なにか心配なことでもあるのかい。へんに元気がないね。」
 母は、わざと子どもの顔を見ないで、きいた。
 そういわれると、今までいっしょうけんめいにおさえていたことばが、光吉こうきちのくちびるからいちどにとびだした。
「ぼく、どうしても決心がつかないんだ。」
 かれはとうとう、きょう学校で選挙せんきょのあったことから、いっそ拝賀式はいがしきの当日は欠席けっせきして中条ちゅうじょうにかわってもらおうかと思っていることまで、のこらず母に話してしまった。
「ぼく、自分だけで考えて、代表だいひょうをやめるかやめないか決心するつもりだったけれど、わからなくなっちゃったんです。」
 かれはさいごにそういって口をつぐんだ。
 母は仕事の手をとめて、じっと光吉こうきちの顔を見つめた。
「つまり、おまえは、やぶれた洋服ようふくを着た生徒せいとがいては学校の面目めんもくにかかわるというのだね。」
「――。」
「だけど、洋服ようふくが口をきいたり、新年のあいさつをしたりするわけではないでしょう。」
「そりゃそうだけど――。」
「それなら、代表だいひょうでごあいさつをするおまえの心さえよごれていなければ、さしつかえないようにおかあさんには思えるのだがね。」
「――。」
「さもなければ、お金がなくてやぶれた着物を着ている人は、みんないけない人だということになりはしないかい。」
「そんなこと――。」
「おまえのおかあさんも、着物ではんだんすると、あんまりいいおかあさんではないことになりそうだね。」
 そうだ! 着物がなんだ。
「わかりました。おかあさん!」
「ほんとにわかったのかえ。いい着物が着られないから学校の名誉めいよがあげられないなんて、かりにも考えるようではだめですよ、光吉こうきち。」
「わかりました。ぼく、学校やクラスの名誉めいよきずつけないような、りっぱなあいさつをきっとしてみせます。」
 光吉こうきちは大きな声で返事をしてニッコリわらった。
 母もわらって、かがりかけたハンケチをとりあげた。
 十六しょく電燈でんとうが急にぱっと明るくなったように思われた。


 光吉こうきちの父親は鉄道の駅員えきいんだったが、五年まえに事故じこのために殉職じゅんしょくした。その後、母は、女手おんなでひとつで光吉こうきちをいままでそだててきたのだった。
 母は、午前中はある病院びょういんのそうじおんなとしてはたらき、帰ってからは輸出向ゆしゅつむきのハンケチのへりかがりを内職ないしょくにしていた。どちらも大した金にはならなかったので、光吉こうきちにやぶれない、さっぱりした洋服ようふくを着せておくことはむずかしかった。
 ゆうべ光吉こうきちにああはいったものの、母もあのつぎだらけの洋服ようふくで、わが子をはれがましい式場しきじょうだんの上に立たせたくなかった。なんとかして、お正月までには新しい洋服ようふくを買ってやりたいものだ――心の中ではそう思っていた。だが、その金をどうやってつくったらよかろうか。
 二十四日の午後であった。
 今にも雪が落ちてきはすまいかと思われる空の下を、五、六人の小学生がガヤガヤ話しながらやってくる。光吉こうきち内藤ないとうもその中にいた。午前は終業式しゅうぎょうしき通信簿つうしんぼをいただき、午後あらためて、新年拝賀式はいがしき式場しきじょう準備じゅんびのお手つだいにいった帰りなのだ。かれらの学校は、まだ出来てがないために、講堂こうどう設備せつびがなかった。だいじなしき学芸会がくげいかいのときには、二階の教室を三つぶちぬいて、臨時りんじに会場をつくることになっていた。かれらはワイワイさわぎながら、つくえをかたづけたり、演壇えんだんをきずいたりしてきたあとなので、まだなんとなく気持ちがはしゃいでいた。
 林のはずれを右へまがって、大通りへつづく横町よこちょうまできたとき、陽気ようき楽隊がくたいきょくが流れてきた。
「わァい、楽隊がくたいだ。」
 いちばんに内藤ないとうがかけだした。みんな負けずにドッと走った。
 大通りへ出てみると、もうすぐそこまで、赤いのぼりを先頭に立てたひろめ屋の一たいが進んできている。長いささだけ門松かどまつを立てならべ、しめをはりわたした通りのまん中を、いつも見かけるマーケットの楽隊がくたいがねり歩いているのだった。
「なあんだ。マーケットの売り出しか。」
 だれかがばかにしたようにいった。
 それでも、みんなは動かずに見ていた。
「おや?」
 光吉こうきちは自分の目をうたぐった。先頭に立って、二メートルちかくもあるはたざおをかついでくる女の人が、見たことのある人のように思えたのだ。

 もういちど見なおすと、いきなりぐいと何かがかれのむねをつきあげてきた。
「おかあさんだ!」
 頭に手ぬぐいをかぶり、えりに「丸市まるいちマーケット」と白くそめぬいた赤いはんてんを着て、地下じかたびで足ごしらえをしたすがたは、いつもとまるでようすはちがっていたが、自分の母親を見あやまるはずはなかった。
 手ぬぐいのはしから、そそけたかみがのぞいて、風にゆれている。つめたいはたざおをおさえた両手の指は、かじかんでふくらんでいるように見える。まい朝おべんとうをつめてくださる手、まいばん「おやすみ。」とやさしくふとんのえりをおさえてくださるその手の指が――。
「おかあさん!」
 だんがんのようにとびだしていって、母の首ったまにかじりつきたかった。のぼりを母の手からひったくって自分のかたにかつぎたかった。
 だが、母はそしらぬ顔で、楽隊がくたいに足なみをあわせて進んでいく。
 まわりには友だちが、自分をとりまいて立っている。
 とびだすことはできない。
 光吉こうきちは、ボーッと目のまえがかすんでくるような気がした。
「つまんないや。いこう。」
 だれかがいった。しかし、その声は光吉こうきちの耳にははいらなかった。
 きょう、お昼に、かれが、れいによって全甲ぜんこう通信簿つうしんぼを見てもらおうと意気ごんで帰った家には、昼めしのしたくをしたちゃぶだいが、白いふきんをかぶって、さびしくかれを待っているばかりで、母のすがたは見えなかった。そのわけもはじめてわかった。母は、病院びょういんから帰ったあと、ハンケチのへりかがりをしていただけでは、この年のれがせないので、新しいしごとをはじめたのだ。


 その夜、かれは、思いこんだようすで、楽隊がくたいはたもちのしごとはぜひ自分にさせてもらいたいと熱心ねっしんにたのんだ。しかし「学校を卒業そつぎょうするまでは、家のくらしのことなど気にするものではありません。」という母のひとことで、ぴたりととめられてしまった。
 だが、よく日から学校の休みになった光吉こうきちは、母が病院びょういんからまわってくる時刻じこくをはかって、丸市まるいちマーケットへ出かけていった。どうしても母にかわってはたもちがやりたかったのだ。いや、母にはたもちをさせておくにしのびなかったのだ。
 光吉こうきちのかたい決心に動かされて、母はかれをつれて、二かいのマーケットの事務所じむしょへあがっていった。
「十三にしては、ずいぶんでかい子だな。これならだいじょうぶだろう。」
 事務所じむしょの人は、測量そくりょうするような目で光吉こうきちをながめてから、そばに立っている母にいった。
 こうして光吉こうきちはついにその希望きぼうをたっすることができた。
 ひざの下までとどく、おとなの赤いはんてんを着た光吉こうきちのかっこうは、わかいサンタクロースのようであった。かれは、そのすがたでからだの三ばいもありそうなのぼりをになって、楽隊がくたいのまっ先をいせいよく進んだ。
 思いもかけない光吉こうきちのすがたを見つけて、からかったり、ひやかしたりする友だちもあった。しかし、今の光吉こうきちはそんなことはまるで気にもかけなかった。
 おりよく、母のところへは、きんじょの人が何まいかの着物の仕立したてをたのんできた。これはハンケチのへりかがりよりは、ずっとわりのよいしごとであった。
 光吉こうきちは午前中は拝賀式はいがしきのあいさつの下書きをつくったり、それをあんしょうして、うまく話をする練習れんしゅうにむちゅうだった。そして母が病院びょういんのそうじをすまして帰ってくると、のぼりをかつぎにでかけた。
 光吉こうきちが、父のイハイをおさめた仏壇ぶつだんに向かってお話のけいこをしていると、母が帰ってきてニコニコしながらそれを聞いていることなどもあった。
 母と子は、れの一週間を、こうして力をあわせてはたらいた。
 おおみそかの日、夕食のすぐあとで、母は光吉こうきちに手ぬぐいとシャボンと金とをわたした。
床屋とこやへいってらっしゃい。帰りにおふろへよってくるんですよ。」
床屋とこやなんか――。」
「いいからいっていらっしゃい。あしたはおまえにはだいじな日ではありませんか。」
 光吉こうきちは、だいどころでお正月のごちそうがにえているにおいをかぎながら出かけていった。


「さァ、もうお正月ですよ。光吉こうきち。」
 母の声に光吉こうきちは、ムックリおきあがってどこの上にすわった。キラリとかれの目にとびこんできたものがあった。とこのわきにキチンとたたんでおいてある新しい洋服ようふくの金ボタンの光りだった。
 見あげると、母がかっぽう着のすがたで、にこやかにかれを見おろしている。
 かれは洋服ようふくと母の顔を見くらべた。
「着てごらん。」
 だが光吉こうきちはすぐには手がだせなかった。
「おぞうにがこげてしまうよ。早くしないと――。」
「はい。」と返事をして立ちあがると、光吉こうきちは手早くその新しい洋服ようふくを着た。着てしまうとへんにからだを動かしてはわるいような気がした。
「むこうを向いてごらん。――ちょうどいいようだね。とてもりっぱだよ。」
 しかし、光吉こうきちは、母にを向けたまま返事ができなかった。何か、あついものがむねをいっぱいにした。大きなのぼりをかついで寒い風の中を進んでいく母のすがたが、目のまえのやぶれたしょうじの上をとおっていくのだ。
 おぞうにがこげるといって光吉こうきちをせきたてた母親は、いつまでも光吉こうきちを立たせてながめていた。

 光吉こうきちの学校で拝賀式はいがしきがおこなわれている時刻じこくに、母は校舎こうしゃのすぐうらにあるみどりおか朝霜あさしもをふんで、そこにたたずんでいた。まどガラスごしに、式場しきじょうのありさまを見まもっているのだ。すがすがしい初日はつひの光りがうしろからさして、ひっつめたかみらすのが、まるで頭のまわりに光りのをかけたように見えた。くちびるには、さも満足まんぞくげなほおえみがうかび、柔和にゅうわな目には、深いよろこびの色があった。
 けれども、新しい洋服ようふくにからだをつつんで、全校の視線しせんをあびながら、はれの壇上だんじょうに立った光吉こうきちは、まどのそとの冬がれのおかから、母の慈愛じあいのまなこが自分を見まもっていてくれることを、まったく知らなかった。





底本:「新版・星野くんの二塁打」大日本図書
   1988(昭和63)年1月31日第1刷発行
底本の親本:「秋空晴れて」大日本図書
   1967(昭和42)年12月
初出:「少年倶楽部」大日本雄辯會講談社
   1939(昭和14)年1月号
※表題は底本では、「美しき元旦がんたん」となっています。
※初出時の署名は「朝日壮吉」です。
入力:kompass
校正:noriko saito
2023年12月20日作成
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