[#ページの左右中央]
[#改丁]
一羅子撰水滸。而三世生唖児。二紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。三蓋為業所耳。然而観其文。各奮奇態。四哢逼真。五低昂宛転。令読者心気六洞越也。可見鑑事実于千古焉。余適有七鼓腹之閑話。衝口吐出。八雉※[#「句+隹」、U+96CA、187-5]竜戦。九自以為杜撰。則一〇摘読之者。一一固当不謂信也。一二豈可求醜脣平鼻之報哉。一三明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。一四以梓氏。題曰雨月物語。云。一五剪枝畸人書
一六 一七
[#改ページ]※[#丸印、U+329E、188-11] ※[#四角印、188-11]
一 羅貫中。中国一三、四世紀の人。水滸伝を著わしたために子孫三代唖児が生まれたという俗説がある(西湖遊覧志余。続文献通考等)「羅氏が三代まで唖子をうみしなども云ふ」(秋山記・秋成)。
二 紫式部。源氏物語を著わしたために地獄におちたという俗説がある(今物語、宝物集等)。秋成も秋山記でそのことを書いている。
三 思うに悪業の為にこんな報いにせまられたというべきであろう。
四 鳥の黙したりさえずったりする声の形容。ここでは文章の調子、勢い。
五 文章の調子が或は低く或は高く、あたかもころがるようになめらかで流暢である。
六 つよく感銘する。
七 泰平の世を謳歌するようなのんきな無駄ばなし。鼓腹は、飽食して腹鼓をうち、泰平を楽しむ。
八 雉が鳴き竜が戦うような奇怪千万な怪奇談。
九 自分でもこれは杜撰であると思う。杜撰はよりどころなく疎漏なこと。
一〇 ひろい読む。
一一 もとよりこれが信ずるに足るものだというはずがない。
一二 どうして子孫に口唇裂や平たい鼻の変わり者が生まれるという業の報いをうけるはずがあろうか。
一三 明和五年(一七六八)三月。秋成三五歳。
一四 出版業者に与えた。版行にふした。
一五 上田秋成の戯号。秋成は五歳の折、重い痘を病み、その結果、右手の中指と左手の人さし指が短くなり、不自由になった。そのことから一時的につけた号である。枝は肢と同じで、指に通ず。剪枝は木をきるはさみの意味もある。畸人は変人、変わり者。
一六 「子虚後人」とあって、秋成の一時的な戯号。いたずらに妄言を吐く人物の子孫という意味。
一七 「遊戯三昧」とある。遊びたわむれることにむちゅうになること。五雑組、巻十五に「凡為二小説及雑劇戯文一、須二是虚実相半一、方為二游戯三昧之筆一」とある。
[#改ページ]二 紫式部。源氏物語を著わしたために地獄におちたという俗説がある(今物語、宝物集等)。秋成も秋山記でそのことを書いている。
三 思うに悪業の為にこんな報いにせまられたというべきであろう。
四 鳥の黙したりさえずったりする声の形容。ここでは文章の調子、勢い。
五 文章の調子が或は低く或は高く、あたかもころがるようになめらかで流暢である。
六 つよく感銘する。
七 泰平の世を謳歌するようなのんきな無駄ばなし。鼓腹は、飽食して腹鼓をうち、泰平を楽しむ。
八 雉が鳴き竜が戦うような奇怪千万な怪奇談。
九 自分でもこれは杜撰であると思う。杜撰はよりどころなく疎漏なこと。
一〇 ひろい読む。
一一 もとよりこれが信ずるに足るものだというはずがない。
一二 どうして子孫に口唇裂や平たい鼻の変わり者が生まれるという業の報いをうけるはずがあろうか。
一三 明和五年(一七六八)三月。秋成三五歳。
一四 出版業者に与えた。版行にふした。
一五 上田秋成の戯号。秋成は五歳の折、重い痘を病み、その結果、右手の中指と左手の人さし指が短くなり、不自由になった。そのことから一時的につけた号である。枝は肢と同じで、指に通ず。剪枝は木をきるはさみの意味もある。畸人は変人、変わり者。
一六 「子虚後人」とあって、秋成の一時的な戯号。いたずらに妄言を吐く人物の子孫という意味。
一七 「遊戯三昧」とある。遊びたわむれることにむちゅうになること。五雑組、巻十五に「凡為二小説及雑劇戯文一、須二是虚実相半一、方為二游戯三昧之筆一」とある。
二あふ坂の
この里ちかき白峯といふ所にこそ、二〇新院の
三一松山の浪のけしきはかはらじを
かたなく君はなりまさりけり
かたなく君はなりまさりけり
三八松山の浪にながれてこし船の
やがてむなしくなりにけるかな
やがてむなしくなりにけるかな
新院
西行いよよ恐るる色もなく座をすすみて、君が
院、
九八浜千鳥跡はみやこにかよへども
身は松山に音 をのみぞ鳴 く
身は松山に
しかるに九九
時に
一三四よしや君昔の玉の床 とても
かからんのちは何にかはせん
かからんのちは何にかはせん
一三五
此のことばを
其の後十三年を経て、一三八
一 香川県坂出市青海町にあり、崇徳院の御陵がある。
二 京都と滋賀の境にあった関。関の番人に通行を許されて東国の方へ向ってから。
三 秋がきた山の紅葉の美景を見捨てがたく。この辺の文章は撰集抄による。
四 愛知県名古屋市緑区鳴海町付近の干潟。
五 静岡県富士市浮島沼付近の沼沢地。歌枕。
六 静岡県静岡市清水区興津清見寺町にあった関所。歌枕。
七 大磯・小磯ともに神奈川県大磯町にある。歌枕。
八 紫草の美しく咲く武蔵野。
九 宮城県塩釜市の海。
一〇 秋田県にかほ市象潟町。当時は入江であった。歌枕。
一一 群馬県高崎市の南部、佐野の烏川に架せられた、舟を並べて板を渡した橋。歌枕。
一二 木曾川上流地方のけわしい崖や山道にかけられた橋。
一三 一一六八年。高倉天皇の代。西行五一歳。
一四 「難波」の枕詞でもある。
一五 兵庫県の神戸・明石の海岸。源氏物語以後の名勝地。
一六 しみじみと感じながら。
一七 坂出市王越町にある。
一八 逗留する。
一九 悟りの道を念じて仏道修行するための庵。
二〇 七五代崇徳天皇が上皇となって新院とよばれた。
二一 樹木鬱蒼としたさま。万葉集一六「弥彦(いやひこ)のおのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そぼふる」。
二二 白峰の北方にある。
二三 野ばらと蔓草。
二四 宮中の儀式を行なう正殿と、陛下の常の御所であった中殿。
二五 七六代近衛天皇。崇徳天皇の異母弟。
二六 上皇・法皇の御所。
二七 鹿。麋は大鹿。
二八 雑草木やいばらの乱れ茂った藪。
二九 天皇。
三〇 前世でした悪い因縁。
三一 松山は香川県坂出市にある。かたなくはむなしく。形は潟の掛詞。山家集下に第五句「なりましにけり」として出ている。
三二 不気味で何か異常なことが起りそうである。
三三 何とはなしに。
三四 繁茂した木立は月光をもらさないので。
三五 物の見わけもつかぬ闇に心憂く疲れて。
三六 西行が出家直後の法名。西行は俗名佐藤義清、北面の武士であったが、二三歳で出家、諸国行脚の末、河内弘川寺で没した。行年七三歳。
三七 仏道をふかく信仰、帰依して正道をえた僧侶。
三八 山家集下に出ている。
三九 濁りけがれた現世をいとい離れる。死去することをいう。
四〇 仏縁にあずかりたいと思って法要申しあげているのに。法施は三施(財施・法施・無畏施)の一、法を聞かせて善根を増すことで、法要。随縁は仏縁につながる。
四一 生前の姿を現わす。
四二 死によってただちに妄執を忘れる。
四三 仏道修行の果報をえて完全無欠の仏の位につく。
四四 平治元年(一一五九)藤原信頼と源義朝が、藤原信西と平清盛を討伐しようとして起した乱。義朝方が敗れた。平治物語に詳しい。
四五 皇室。
四六 御心のおもむく所。
四七 賢明だとの評判。
四八 帝王道の道理は十分御存じでいらっしゃる。
四九 保元元年(一一五六)七月、崇徳上皇が皇位継承をめぐって同母弟後白河天皇と争って挙兵した乱。上皇方が敗れた。保元物語に詳しい。
五〇 天照大神をさす。
五一 永治元年(一一四一)。
五二 七四代鳥羽天皇。
五三 七六代近衛天皇。「なりひと」が正しい。
五四 崇徳上皇の第一皇子。
五五 鳥羽法皇の妃、近衛天皇の生母、藤原長実の女、得子。
五六 さまたげられて。
五七 鳥羽天皇の第四皇子で、七七代後白河天皇。
五八 天子として国を治める才。
五九 后妃のすむ御殿。ここでは美福門院をさす。
六〇 ちっとも。決して。
六一 周の武王が臣の身をもって殷の紂王を討った故事。
六二 周は武王にはじまり、三〇余代八百数十年つづいて、紀元前二五六年頃滅びた。
六三 天子として国を治める資格のある身。
六四 雌鶏が雄鶏をつついてときをつくらせるように、妻の権力が夫の上位にあるたとえ。
六五 出家して仏道に溺れ惑い。
六六 現世の煩悩から解放されて、未来で救いを得たいと願う利欲の心。
六七 儒教の説く現世の人間道を仏教の因果思想にひきつけ。
六八 中国古代の聖天子。仁徳をもって民を治めた。
六九 色声香味触(又は色名食財睡眠)の五欲が眼耳鼻舌身意の六根を通して心を穢す事。
七〇 一五代応神天皇。
七一 応神天皇の第四皇子。一六代仁徳天皇。
七二 仁徳天皇の末弟。
七三 皇太子。
七四 御自害あそばされたので。
七五 天皇の位。
七六 朝鮮百済の学者。応神天皇一六年に来朝し帰化した。
七七 周の祖。殷の紂王の暴虐を怒ってこれを誅し、天下に仁政をしいた。「孟子」梁恵王下の「武王亦一怒而安二天下之民一」「臣弑二其君一可乎」「賊レ仁者謂二之賊一、賊レ義者謂二之残一、残賊之人、謂二之一夫一、聞レ誅二一夫紂一矣、未レ聞レ弑レ君也」による。
七八 中国戦国時代の哲学者孟軻の言説を記した書。このことは孟子、梁恵王章句下に記されている。
七九 歴史書と記録・文書の類。
八〇 このこと「五雑組」地部巻四に見えている。
八一 必ず、と同意。
八二 皇孫(天子の位)。
八三 詩経。
八四 兄弟は内輪で喧嘩しても、外部からのはずかしめに対しては協力一致して防げ(詩経・小雅)。
八五 そのうえに。
八六 鳥羽法皇。
八七 貴人の遺体を本葬するまでの間、柩に入れて安置しておく仮の御殿。
八八 天子は神の定めた器、天子の位は神意による。老子二九「天下神器、不レ可レ為也」。
八九 上皇が流罪にあうという前例のない刑罰。
九〇 昔のうらみ心。
九一 綾高遠。香川県坂出市松山にいた名家。
九二 天子の食事。
九三 普通には絶対ありえないことのたとえ。
九四 海辺で命を終ることであろう。鬼は死者の霊。
九五 大乗に属する経典で各宗派で違う。天台宗では華厳・大集・大品般若・法華・涅槃の五部をいう。
九六 法螺貝と梵鐘。寺院らしい寺院もない荒磯。
九七 鳥羽天皇の第五皇子、崇徳上皇の弟、覚性法親王。京都市右京区御室にある真言宗仁和寺の上首であった。
九八 鳥の跡は文字筆跡。松山は待つの掛詞。保元物語巻三にある。
九九 藤原通憲。保元の乱後権勢をふるい、平治の乱で斬首された。
一〇〇 議親法。天皇の五等親、太皇太后・皇太后の四等親、皇后の三等親までの親族が減刑されるという特別法。
一〇一 正法の妨げをなす邪道(天狗道)に自分が写経で修得した功徳をさしむけ。
一〇二 坂出市の北の海にある大椎・小椎島の間の椎途の海であろうか。
一〇三 果して。
一〇四 藤原信頼。近衛大将を望んで信西と争い、平治の乱を起して殺された。
一〇五 源義朝。為義の長子。保元の乱で父を討ち、平治の乱で清盛に敗れた。
一〇六 源為義。保元の乱で上皇方につき、敗れて斬首された。
一〇七 源為朝。為義の第八子。鎮西八郎。伊豆大島に流罪。
一〇八 平忠正。清盛の叔父。保元の乱で斬首された。
一〇九 勝利の気配。
一一〇 京都市中京区丸太町にあった、もと白河法皇の御所。
一一一 京都東山の主峰。
一一二 きこり・猟師など。
一一三 暴虐残忍な心にかえて。
一一四 国土を守る神。天皇。
一一五 家来に謀殺されたのは。
一一六 京都府宇治市宇治一帯の山。平治物語では木幡山。
一一七 ついに。果して。
一一八 京都六条付近の賀茂河原で、刑場に使われた。
一一九 一一六一―六三。実際にはその前年、永暦元年(一一六〇)一一月に死去。
一二〇 藤原忠通。後白河天皇を擁立し、保元の乱には天皇方についた。長寛二年(一一六四)二月没。
一二一 憤怒怨恨のはげしさを火にたとえた。
一二二 眷属。配下の悪魔たち。
一二三 人間としての果報。
一二四 平重盛。清盛の長子。
一二五 我につらく当った分だけは。
一二六 仏のすむ極楽浄土。ここは、とうてい極楽へなど行けない状態を指摘した。
一二七 ひとかたまりの鬼火。
一二八 乱れた髪。
一二九 白峰に住む天狗の名。謡曲「松山天狗」、「四国遍礼霊場記」、浄瑠璃「崇徳院讃岐伝記」に見える。
一三〇 鳥の姿をした化物。
一三一 後白河上皇。
一三二 ここでは一二年後。治承三年(一一七九)になる。
一三三 白峰北方の瀬戸内海。平家はここで源氏のために致命的な敗戦を喫した。
一三四 君は崇徳上皇。玉の床は金殿玉楼。山家集下に出ている。
一三五 王族も隷属民も。インド古代における四階級の第二位と第四位。
一三六 「明け」にかかる枕詞。
一三七 大般若経の内の一巻。悪魔退散、煩悩克服の功徳がある。
一三八 一一七九年。八〇代高倉天皇の代。
一三九 平清盛。相国は太政大臣の唐名。入道は剃髪して仏門に入ったもの。
一四〇 後白河法皇。
一四一 京都市伏見区鳥羽にあった鳥羽離宮。城南の離宮。
一四二 神戸市兵庫区福原町にあった。茅の宮は、茅ぶきの粗末な宮殿。
一四三 源頼朝が東国から機運に乗じて挙兵し。治承四年(一一八〇)のこと。
一四四 源義仲が北国から雪をけたてて上京し。寿永二年(一一八三)のこと。
一四五 屋島。香川県高松市の東北部にある半島。
一四六 魚介の餌食になって。鼇は海中にすむ大すっぽん。
一四七 山口県下関市の旧称。
一四八 下関海峡東口の北岸付近の海上。
一四九 安徳天皇。ときに八歳。
一五〇 御霊所。崇徳上皇没後二七年、建久二年(一一九一)後白河法皇が建立した頓証寺。
一五一 玉をちりばめ。
一五二 いろどり飾って。
一五三 自分のけがれをはらいきよめて神をまつる。
[#改ページ]二 京都と滋賀の境にあった関。関の番人に通行を許されて東国の方へ向ってから。
三 秋がきた山の紅葉の美景を見捨てがたく。この辺の文章は撰集抄による。
四 愛知県名古屋市緑区鳴海町付近の干潟。
五 静岡県富士市浮島沼付近の沼沢地。歌枕。
六 静岡県静岡市清水区興津清見寺町にあった関所。歌枕。
七 大磯・小磯ともに神奈川県大磯町にある。歌枕。
八 紫草の美しく咲く武蔵野。
九 宮城県塩釜市の海。
一〇 秋田県にかほ市象潟町。当時は入江であった。歌枕。
一一 群馬県高崎市の南部、佐野の烏川に架せられた、舟を並べて板を渡した橋。歌枕。
一二 木曾川上流地方のけわしい崖や山道にかけられた橋。
一三 一一六八年。高倉天皇の代。西行五一歳。
一四 「難波」の枕詞でもある。
一五 兵庫県の神戸・明石の海岸。源氏物語以後の名勝地。
一六 しみじみと感じながら。
一七 坂出市王越町にある。
一八 逗留する。
一九 悟りの道を念じて仏道修行するための庵。
二〇 七五代崇徳天皇が上皇となって新院とよばれた。
二一 樹木鬱蒼としたさま。万葉集一六「弥彦(いやひこ)のおのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そぼふる」。
二二 白峰の北方にある。
二三 野ばらと蔓草。
二四 宮中の儀式を行なう正殿と、陛下の常の御所であった中殿。
二五 七六代近衛天皇。崇徳天皇の異母弟。
二六 上皇・法皇の御所。
二七 鹿。麋は大鹿。
二八 雑草木やいばらの乱れ茂った藪。
二九 天皇。
三〇 前世でした悪い因縁。
三一 松山は香川県坂出市にある。かたなくはむなしく。形は潟の掛詞。山家集下に第五句「なりましにけり」として出ている。
三二 不気味で何か異常なことが起りそうである。
三三 何とはなしに。
三四 繁茂した木立は月光をもらさないので。
三五 物の見わけもつかぬ闇に心憂く疲れて。
三六 西行が出家直後の法名。西行は俗名佐藤義清、北面の武士であったが、二三歳で出家、諸国行脚の末、河内弘川寺で没した。行年七三歳。
三七 仏道をふかく信仰、帰依して正道をえた僧侶。
三八 山家集下に出ている。
三九 濁りけがれた現世をいとい離れる。死去することをいう。
四〇 仏縁にあずかりたいと思って法要申しあげているのに。法施は三施(財施・法施・無畏施)の一、法を聞かせて善根を増すことで、法要。随縁は仏縁につながる。
四一 生前の姿を現わす。
四二 死によってただちに妄執を忘れる。
四三 仏道修行の果報をえて完全無欠の仏の位につく。
四四 平治元年(一一五九)藤原信頼と源義朝が、藤原信西と平清盛を討伐しようとして起した乱。義朝方が敗れた。平治物語に詳しい。
四五 皇室。
四六 御心のおもむく所。
四七 賢明だとの評判。
四八 帝王道の道理は十分御存じでいらっしゃる。
四九 保元元年(一一五六)七月、崇徳上皇が皇位継承をめぐって同母弟後白河天皇と争って挙兵した乱。上皇方が敗れた。保元物語に詳しい。
五〇 天照大神をさす。
五一 永治元年(一一四一)。
五二 七四代鳥羽天皇。
五三 七六代近衛天皇。「なりひと」が正しい。
五四 崇徳上皇の第一皇子。
五五 鳥羽法皇の妃、近衛天皇の生母、藤原長実の女、得子。
五六 さまたげられて。
五七 鳥羽天皇の第四皇子で、七七代後白河天皇。
五八 天子として国を治める才。
五九 后妃のすむ御殿。ここでは美福門院をさす。
六〇 ちっとも。決して。
六一 周の武王が臣の身をもって殷の紂王を討った故事。
六二 周は武王にはじまり、三〇余代八百数十年つづいて、紀元前二五六年頃滅びた。
六三 天子として国を治める資格のある身。
六四 雌鶏が雄鶏をつついてときをつくらせるように、妻の権力が夫の上位にあるたとえ。
六五 出家して仏道に溺れ惑い。
六六 現世の煩悩から解放されて、未来で救いを得たいと願う利欲の心。
六七 儒教の説く現世の人間道を仏教の因果思想にひきつけ。
六八 中国古代の聖天子。仁徳をもって民を治めた。
六九 色声香味触(又は色名食財睡眠)の五欲が眼耳鼻舌身意の六根を通して心を穢す事。
七〇 一五代応神天皇。
七一 応神天皇の第四皇子。一六代仁徳天皇。
七二 仁徳天皇の末弟。
七三 皇太子。
七四 御自害あそばされたので。
七五 天皇の位。
七六 朝鮮百済の学者。応神天皇一六年に来朝し帰化した。
七七 周の祖。殷の紂王の暴虐を怒ってこれを誅し、天下に仁政をしいた。「孟子」梁恵王下の「武王亦一怒而安二天下之民一」「臣弑二其君一可乎」「賊レ仁者謂二之賊一、賊レ義者謂二之残一、残賊之人、謂二之一夫一、聞レ誅二一夫紂一矣、未レ聞レ弑レ君也」による。
七八 中国戦国時代の哲学者孟軻の言説を記した書。このことは孟子、梁恵王章句下に記されている。
七九 歴史書と記録・文書の類。
八〇 このこと「五雑組」地部巻四に見えている。
八一 必ず、と同意。
八二 皇孫(天子の位)。
八三 詩経。
八四 兄弟は内輪で喧嘩しても、外部からのはずかしめに対しては協力一致して防げ(詩経・小雅)。
八五 そのうえに。
八六 鳥羽法皇。
八七 貴人の遺体を本葬するまでの間、柩に入れて安置しておく仮の御殿。
八八 天子は神の定めた器、天子の位は神意による。老子二九「天下神器、不レ可レ為也」。
八九 上皇が流罪にあうという前例のない刑罰。
九〇 昔のうらみ心。
九一 綾高遠。香川県坂出市松山にいた名家。
九二 天子の食事。
九三 普通には絶対ありえないことのたとえ。
九四 海辺で命を終ることであろう。鬼は死者の霊。
九五 大乗に属する経典で各宗派で違う。天台宗では華厳・大集・大品般若・法華・涅槃の五部をいう。
九六 法螺貝と梵鐘。寺院らしい寺院もない荒磯。
九七 鳥羽天皇の第五皇子、崇徳上皇の弟、覚性法親王。京都市右京区御室にある真言宗仁和寺の上首であった。
九八 鳥の跡は文字筆跡。松山は待つの掛詞。保元物語巻三にある。
九九 藤原通憲。保元の乱後権勢をふるい、平治の乱で斬首された。
一〇〇 議親法。天皇の五等親、太皇太后・皇太后の四等親、皇后の三等親までの親族が減刑されるという特別法。
一〇一 正法の妨げをなす邪道(天狗道)に自分が写経で修得した功徳をさしむけ。
一〇二 坂出市の北の海にある大椎・小椎島の間の椎途の海であろうか。
一〇三 果して。
一〇四 藤原信頼。近衛大将を望んで信西と争い、平治の乱を起して殺された。
一〇五 源義朝。為義の長子。保元の乱で父を討ち、平治の乱で清盛に敗れた。
一〇六 源為義。保元の乱で上皇方につき、敗れて斬首された。
一〇七 源為朝。為義の第八子。鎮西八郎。伊豆大島に流罪。
一〇八 平忠正。清盛の叔父。保元の乱で斬首された。
一〇九 勝利の気配。
一一〇 京都市中京区丸太町にあった、もと白河法皇の御所。
一一一 京都東山の主峰。
一一二 きこり・猟師など。
一一三 暴虐残忍な心にかえて。
一一四 国土を守る神。天皇。
一一五 家来に謀殺されたのは。
一一六 京都府宇治市宇治一帯の山。平治物語では木幡山。
一一七 ついに。果して。
一一八 京都六条付近の賀茂河原で、刑場に使われた。
一一九 一一六一―六三。実際にはその前年、永暦元年(一一六〇)一一月に死去。
一二〇 藤原忠通。後白河天皇を擁立し、保元の乱には天皇方についた。長寛二年(一一六四)二月没。
一二一 憤怒怨恨のはげしさを火にたとえた。
一二二 眷属。配下の悪魔たち。
一二三 人間としての果報。
一二四 平重盛。清盛の長子。
一二五 我につらく当った分だけは。
一二六 仏のすむ極楽浄土。ここは、とうてい極楽へなど行けない状態を指摘した。
一二七 ひとかたまりの鬼火。
一二八 乱れた髪。
一二九 白峰に住む天狗の名。謡曲「松山天狗」、「四国遍礼霊場記」、浄瑠璃「崇徳院讃岐伝記」に見える。
一三〇 鳥の姿をした化物。
一三一 後白河上皇。
一三二 ここでは一二年後。治承三年(一一七九)になる。
一三三 白峰北方の瀬戸内海。平家はここで源氏のために致命的な敗戦を喫した。
一三四 君は崇徳上皇。玉の床は金殿玉楼。山家集下に出ている。
一三五 王族も隷属民も。インド古代における四階級の第二位と第四位。
一三六 「明け」にかかる枕詞。
一三七 大般若経の内の一巻。悪魔退散、煩悩克服の功徳がある。
一三八 一一七九年。八〇代高倉天皇の代。
一三九 平清盛。相国は太政大臣の唐名。入道は剃髪して仏門に入ったもの。
一四〇 後白河法皇。
一四一 京都市伏見区鳥羽にあった鳥羽離宮。城南の離宮。
一四二 神戸市兵庫区福原町にあった。茅の宮は、茅ぶきの粗末な宮殿。
一四三 源頼朝が東国から機運に乗じて挙兵し。治承四年(一一八〇)のこと。
一四四 源義仲が北国から雪をけたてて上京し。寿永二年(一一八三)のこと。
一四五 屋島。香川県高松市の東北部にある半島。
一四六 魚介の餌食になって。鼇は海中にすむ大すっぽん。
一四七 山口県下関市の旧称。
一四八 下関海峡東口の北岸付近の海上。
一四九 安徳天皇。ときに八歳。
一五〇 御霊所。崇徳上皇没後二七年、建久二年(一一九一)後白河法皇が建立した頓証寺。
一五一 玉をちりばめ。
一五二 いろどり飾って。
一五三 自分のけがれをはらいきよめて神をまつる。
二
四
かの武士、左門が
此の日比、左門はよき友もとめたりとて、
きのふけふ咲きぬると見し四九
五五あら玉の月日はやく
此の日や
老母、左門をよびて、八〇人の心の秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。帰りくる
左門大いに驚きて、
左門
明くる日、左門母を一一四拝していふ。吾
先づ赤穴丹治が
尼子経久此のよしを伝へ聞きて、兄弟信義の
一 菊の節句。九月九日重陽の佳節に再会を約束し、魂魄となってそれを果すという主題にもとづく。
二 中国白話小説、范巨卿鶏黍死生交の書出し「種レ樹莫レ種二垂楊枝一、結レ交莫レ結二軽薄児一、楊枝不レ耐二秋風吹一、軽薄易レ結還易レ離、云々」の翻訳。
三 川柳としだれ柳。
四 兵庫県加古川市。駅は宿場。古来交通の要衝。
五 学者。儒者。
六 甘んじて。
七 家財道具があれこれあるのをうるさく思う。
八 中国戦国時代の人。孟子の母で、孟母三遷、断機の教えで名高い賢母。
九 生活のために人に厄介をかけることができようか。
一〇 連れ。同伴者。
一一 武士らしい風采。
一二 悪性の病熱。
一三 もっともなことであるが。
一四 流行病は人に伝染してその人を害する。范巨卿鶏黍死生交に「瘟病過レ人」とある。
一五 人間の生死は天命の定めるところである。論語、顔淵篇「死生有レ命、富貴在レ天」。
一六 素姓のない人とは思えないが。氏素姓・人品ともにすぐれている。
一七 自分で処方を考えて。
一八 内服の漢方薬は煎薬が多い。
一九 見ず知らずの行きずりの旅人。
二〇 流行病には一定の罹病期間がある。その期間をすぎてしまうと生命をまっとうする。
二一 人に知られぬ隠れた善行。
二二 島根県松江市。
二三 軍学の道をきわめたので。
二四 島根県安来市の東部。今「トダ」という。
二五 一五世紀に出雲にいた武将。代官として富田城にいたが、のち尼子経久に攻めほろぼされた。
二六 一五世紀末、滋賀県を本拠とした武将。塩冶氏の主筋。
二七 一五、六世紀の武将。佐々木氏の配下として出雲の守護代をつとめたが、放逐され、のち再起して中国地方一一国を領した。
二八 山中鹿之介一味を味方として。出雲の豪族で有名な武将。
二九 文明一七年(一四八五)一二月の大晦日。
三〇 不意討ちをして。
三一 守護職の代理として現地にあって実際の政務をとるもの。代官。
三二 三沢も三刀屋も出雲地方の豪族。
三三 いる理由のない所。
三四 単身ひそかにぬけ出して。
三五 後半生。
三六 人の不幸を見殺しにできないのは人間の本性であるから。
三七 鄭重なお礼の言葉をうける理由がない。
三八 養生する。
三九 健康状態がほとんど平生の状態に回復した。
四〇 中国の春秋戦国時代にそれぞれ一派の学説をとなえた思想家・哲学者の総称。またその著述。
四一 ぽつりぽつり。少々。
四二 戦術理論。
四三 確信をもって卓越した話をしたので。
四四 私の幼稚で愚かな心。
四五 才能がなくて。
四六 立身出世する機会。
四七 大丈夫は義を第一とし、義をつらぬきとおすものである。
四八 賢弟から兄としての尊敬をうける。
四九 加古川市尾上町の桜。有名な桜で、諸書・諸歌にひかれている。
五〇 人に問うまでもなくあきらかに知られる初夏。
五一 豆粥をすすり水をのむような貧しい暮らしのなかで親に孝養をつくすこと。菽は豆。豆粥。奴はしもべ。奉仕する。
五二 しばしのお暇。
五三 陰暦九月九日の節句。五節句の一。グミの節句、菊の節句ともいう。
五四 粗酒。謙遜していう。
五五 「月日」の枕詞。
五六 木の下方の枝になっているグミが熟し色づいて。
五七 野菊が色美しく咲いて。
五八 掃除をして。
五九 財布の底をはたいて。
六〇 出雲の国。古事記上「八雲たつ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」。
六一 山陰地方。陰は、山の場合は北、河の場合は南。
六二 饗応の支度をする。代動詞。
六三 その人がどう思うか、そのおもわくが恥かしい。
六四 見渡すかぎり一片の雲もなく。
六五 「旅」の枕詞。
六六 儲け。利益。
六七 前兆。
六八 海面。平穏な海原。
六九 朝早く船出すること。
七〇 岡山県瀬戸内市牛窓町の港。
七一 牛窓の港にむけて船を走らせていたはず。
七二 かえって。
七三 香川県小豆郡の小豆島で、瀬戸内海中の大きな島。いまは「しょうどしま」という。
七四 兵庫県たつの市御津町の港。瀬戸内海航路の要港であった。
七五 こっぴどい目。さんざんな目。
七六 お怒りなさいますな。
七七 兵庫県高砂市阿弥陀町。
七八 くたばり馬めは、眼もあかないのか。馬が物につまずいたのを居眠りでもしていたのだろうとして罵った言葉。
七九 「のみ、まもられて」と訓む。まもるは見まもる。
八〇 人の心のかわりやすいのを秋空にたとえる。「飽き」の掛詞。交り厚く、饗応のこまやかなのを菊の色の濃いことにたとえる。
八一 時節は遅れてしぐれふる秋冬の候になっても。
八二 天の川の星の光がいまにも消えそうに弱って。
八三 月の異名。
八四 夜の静寂に、浪音が高く近く聞こえて、すぐ足もとまでうちよせてくるようである。
八五 ふとみると。中国白話小説によく用いられる語。
八六 黒い影。
八七 風にしたがって。
八八 私。義兄弟の弟としての謙辞。
八九 南面した客間の窓の下。窓の下は客の正座。
九〇 夜を日についで。昼夜兼行で。
九一 すでにこの世の人でない赤穴が、なまぐさいものをきらう様子。
九二 貧しい手料理であるからとてもおもてなしするには不足であるが。井臼の力は、自分で水を汲み米を搗くこと。款すは饗応する。
九三 現世の人。
九四 死霊。亡魂。
九五 どうしてこんな奇怪なことをおっしゃるのですか。
九六 万人に匹敵するほどの雄略があって。
九七 智者を用いるのに疑いぶかい性質がひどく。
九八 主君のために手足となって働く忠実な家臣。
九九 本城。富田城。
一〇〇 義をまもらぬうそつきで信ずるに足りないやつと思われるであろう。
一〇一 范巨卿鶏黍死生交に「古人有レ云、人不レ能レ行二千里一、魂能日行二千里一」とある。
一〇二 妖怪や亡霊がのって来る冥途から吹く風。
一〇三 この気持を憐憫をもって汲みとって下さい。
一〇四 客席のあたりに。
一〇五 魚を「な」とよましているから、肴、料理の意。
一〇六 声をたてずに忍び泣きに泣きながら。
一〇七 何ともいうべき言葉がないだろう。
一〇八 子供のように物の道理がわからないのか。
一〇九 酒と肴。
一一〇 范巨卿鶏黍死生交に「古人有レ云、囚人夢レ赦、渇人夢レ漿」とある。牢裏は監獄の中。漿水は飲料水。
一一一 けっして夢のようなそらごとではない。
一一二 このところに。
一一三 互いに声をあげて。
一一四 礼を正して願い出る。
一一五 学問文事に専念してきたとはいいながら。
一一六 無意味にこの世に生きているだけである。
一一七 遺骨を葬って。
一一八 母上には御身をお大切になさって。
一一九 今日の別れを永久の別れの日としないで下さい。
一二〇 人生は水に浮いている泡の如きもので、朝に夕にいつ消えるとも定めがたいものではあるが。范巨卿鶏黍死生交の「生如二浮一、死生之事、旦夕難レ保」による。
一二一 頼んで。
一二二 ただ赤穴のことのみ思いつづけて、飢えても食をとろうとせず。范巨卿鶏黍死生交の「沿路上饑不レ択レ食、寒不レ思レ衣」による。
一二三 姓名を名のって面会をもとめると。
一二四 雁の便りにでも託して宗右衛門の死を知らせなければ。
一二五 盛衰。
一二六 その信義に対して、信義をもってむくいようとして。
一二七 夜に日をついで。
一二八 魏は中国古代の一国。公叔座は魏の宰相。この話は史記、商君列伝にある。
一二九 万が一のこと。死ぬこと。
一三〇 宰相としようか。
一三一 のちに秦の宰相となった有名な刑名家。
一三二 世にもまれなすぐれた才能。
一三三 国境から出す。
一三四 推挙したが。
一三五 あなた。貴殿。
一三六 血縁の人。
一三七 非業の死。変死。
一三八 栄達利益にばかりとらわれて。
一三九 真に武士らしい風儀。
一四〇 それだから。
一四一 赤穴丹治の家臣たち。
一四二 行方をくらました。
一四三 ああ、軽薄の人と交わりを結んではならないというが、まさにその通りである。起筆の部分と呼応している。
[#改ページ]二 中国白話小説、范巨卿鶏黍死生交の書出し「種レ樹莫レ種二垂楊枝一、結レ交莫レ結二軽薄児一、楊枝不レ耐二秋風吹一、軽薄易レ結還易レ離、云々」の翻訳。
三 川柳としだれ柳。
四 兵庫県加古川市。駅は宿場。古来交通の要衝。
五 学者。儒者。
六 甘んじて。
七 家財道具があれこれあるのをうるさく思う。
八 中国戦国時代の人。孟子の母で、孟母三遷、断機の教えで名高い賢母。
九 生活のために人に厄介をかけることができようか。
一〇 連れ。同伴者。
一一 武士らしい風采。
一二 悪性の病熱。
一三 もっともなことであるが。
一四 流行病は人に伝染してその人を害する。范巨卿鶏黍死生交に「瘟病過レ人」とある。
一五 人間の生死は天命の定めるところである。論語、顔淵篇「死生有レ命、富貴在レ天」。
一六 素姓のない人とは思えないが。氏素姓・人品ともにすぐれている。
一七 自分で処方を考えて。
一八 内服の漢方薬は煎薬が多い。
一九 見ず知らずの行きずりの旅人。
二〇 流行病には一定の罹病期間がある。その期間をすぎてしまうと生命をまっとうする。
二一 人に知られぬ隠れた善行。
二二 島根県松江市。
二三 軍学の道をきわめたので。
二四 島根県安来市の東部。今「トダ」という。
二五 一五世紀に出雲にいた武将。代官として富田城にいたが、のち尼子経久に攻めほろぼされた。
二六 一五世紀末、滋賀県を本拠とした武将。塩冶氏の主筋。
二七 一五、六世紀の武将。佐々木氏の配下として出雲の守護代をつとめたが、放逐され、のち再起して中国地方一一国を領した。
二八 山中鹿之介一味を味方として。出雲の豪族で有名な武将。
二九 文明一七年(一四八五)一二月の大晦日。
三〇 不意討ちをして。
三一 守護職の代理として現地にあって実際の政務をとるもの。代官。
三二 三沢も三刀屋も出雲地方の豪族。
三三 いる理由のない所。
三四 単身ひそかにぬけ出して。
三五 後半生。
三六 人の不幸を見殺しにできないのは人間の本性であるから。
三七 鄭重なお礼の言葉をうける理由がない。
三八 養生する。
三九 健康状態がほとんど平生の状態に回復した。
四〇 中国の春秋戦国時代にそれぞれ一派の学説をとなえた思想家・哲学者の総称。またその著述。
四一 ぽつりぽつり。少々。
四二 戦術理論。
四三 確信をもって卓越した話をしたので。
四四 私の幼稚で愚かな心。
四五 才能がなくて。
四六 立身出世する機会。
四七 大丈夫は義を第一とし、義をつらぬきとおすものである。
四八 賢弟から兄としての尊敬をうける。
四九 加古川市尾上町の桜。有名な桜で、諸書・諸歌にひかれている。
五〇 人に問うまでもなくあきらかに知られる初夏。
五一 豆粥をすすり水をのむような貧しい暮らしのなかで親に孝養をつくすこと。菽は豆。豆粥。奴はしもべ。奉仕する。
五二 しばしのお暇。
五三 陰暦九月九日の節句。五節句の一。グミの節句、菊の節句ともいう。
五四 粗酒。謙遜していう。
五五 「月日」の枕詞。
五六 木の下方の枝になっているグミが熟し色づいて。
五七 野菊が色美しく咲いて。
五八 掃除をして。
五九 財布の底をはたいて。
六〇 出雲の国。古事記上「八雲たつ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」。
六一 山陰地方。陰は、山の場合は北、河の場合は南。
六二 饗応の支度をする。代動詞。
六三 その人がどう思うか、そのおもわくが恥かしい。
六四 見渡すかぎり一片の雲もなく。
六五 「旅」の枕詞。
六六 儲け。利益。
六七 前兆。
六八 海面。平穏な海原。
六九 朝早く船出すること。
七〇 岡山県瀬戸内市牛窓町の港。
七一 牛窓の港にむけて船を走らせていたはず。
七二 かえって。
七三 香川県小豆郡の小豆島で、瀬戸内海中の大きな島。いまは「しょうどしま」という。
七四 兵庫県たつの市御津町の港。瀬戸内海航路の要港であった。
七五 こっぴどい目。さんざんな目。
七六 お怒りなさいますな。
七七 兵庫県高砂市阿弥陀町。
七八 くたばり馬めは、眼もあかないのか。馬が物につまずいたのを居眠りでもしていたのだろうとして罵った言葉。
七九 「のみ、まもられて」と訓む。まもるは見まもる。
八〇 人の心のかわりやすいのを秋空にたとえる。「飽き」の掛詞。交り厚く、饗応のこまやかなのを菊の色の濃いことにたとえる。
八一 時節は遅れてしぐれふる秋冬の候になっても。
八二 天の川の星の光がいまにも消えそうに弱って。
八三 月の異名。
八四 夜の静寂に、浪音が高く近く聞こえて、すぐ足もとまでうちよせてくるようである。
八五 ふとみると。中国白話小説によく用いられる語。
八六 黒い影。
八七 風にしたがって。
八八 私。義兄弟の弟としての謙辞。
八九 南面した客間の窓の下。窓の下は客の正座。
九〇 夜を日についで。昼夜兼行で。
九一 すでにこの世の人でない赤穴が、なまぐさいものをきらう様子。
九二 貧しい手料理であるからとてもおもてなしするには不足であるが。井臼の力は、自分で水を汲み米を搗くこと。款すは饗応する。
九三 現世の人。
九四 死霊。亡魂。
九五 どうしてこんな奇怪なことをおっしゃるのですか。
九六 万人に匹敵するほどの雄略があって。
九七 智者を用いるのに疑いぶかい性質がひどく。
九八 主君のために手足となって働く忠実な家臣。
九九 本城。富田城。
一〇〇 義をまもらぬうそつきで信ずるに足りないやつと思われるであろう。
一〇一 范巨卿鶏黍死生交に「古人有レ云、人不レ能レ行二千里一、魂能日行二千里一」とある。
一〇二 妖怪や亡霊がのって来る冥途から吹く風。
一〇三 この気持を憐憫をもって汲みとって下さい。
一〇四 客席のあたりに。
一〇五 魚を「な」とよましているから、肴、料理の意。
一〇六 声をたてずに忍び泣きに泣きながら。
一〇七 何ともいうべき言葉がないだろう。
一〇八 子供のように物の道理がわからないのか。
一〇九 酒と肴。
一一〇 范巨卿鶏黍死生交に「古人有レ云、囚人夢レ赦、渇人夢レ漿」とある。牢裏は監獄の中。漿水は飲料水。
一一一 けっして夢のようなそらごとではない。
一一二 このところに。
一一三 互いに声をあげて。
一一四 礼を正して願い出る。
一一五 学問文事に専念してきたとはいいながら。
一一六 無意味にこの世に生きているだけである。
一一七 遺骨を葬って。
一一八 母上には御身をお大切になさって。
一一九 今日の別れを永久の別れの日としないで下さい。
一二〇 人生は水に浮いている泡の如きもので、朝に夕にいつ消えるとも定めがたいものではあるが。范巨卿鶏黍死生交の「生如二浮一、死生之事、旦夕難レ保」による。
一二一 頼んで。
一二二 ただ赤穴のことのみ思いつづけて、飢えても食をとろうとせず。范巨卿鶏黍死生交の「沿路上饑不レ択レ食、寒不レ思レ衣」による。
一二三 姓名を名のって面会をもとめると。
一二四 雁の便りにでも託して宗右衛門の死を知らせなければ。
一二五 盛衰。
一二六 その信義に対して、信義をもってむくいようとして。
一二七 夜に日をついで。
一二八 魏は中国古代の一国。公叔座は魏の宰相。この話は史記、商君列伝にある。
一二九 万が一のこと。死ぬこと。
一三〇 宰相としようか。
一三一 のちに秦の宰相となった有名な刑名家。
一三二 世にもまれなすぐれた才能。
一三三 国境から出す。
一三四 推挙したが。
一三五 あなた。貴殿。
一三六 血縁の人。
一三七 非業の死。変死。
一三八 栄達利益にばかりとらわれて。
一三九 真に武士らしい風儀。
一四〇 それだから。
一四一 赤穴丹治の家臣たち。
一四二 行方をくらました。
一四三 ああ、軽薄の人と交わりを結んではならないというが、まさにその通りである。起筆の部分と呼応している。
二
勝四郎が妻
三一身のうさは人しも告げじあふ坂の
夕づけ鳥よ秋も暮れぬと
夕づけ鳥よ秋も暮れぬと
かくよめれども、国あまた隔てぬれば、いひおくるべき
勝四郎は
六三寛正二年、六四畿内河内の国に六五
此の時、日ははや西に沈みて、雨雲はおちかかるばかりに
勝四郎も九一心くらみて、しばし物をも聞えざりしが、ややしていふは、今までかくおはすと思ひなば、など年月を過すべき。
一〇八
さてしも臥したる妻はいづち行きけん見えず。狐などのしわざにやと思へば、かく荒れ果てぬれど
一二六さりともと思ふ心にはかられて
世にもけふまでいける命か
世にもけふまでいける命か
ここにはじめて妻の死したるを
勝四郎、翁が一四〇
寝られぬままに翁かたりていふ。翁が
いにしへの真間の手児奈 をかくばかり
恋ひてしあらん真間のてごなを
恋ひてしあらん真間のてごなを
思ふ心の一六八はしばかりをもえいはぬぞ、一六九よくいふ人の心にもまさりてあはれなりとやいはん。かの国にしばしばかよふ
一 茅がまばらに生え、草ぶかく荒れはてた家。
二 千葉県市川市真間。万葉集以来名高く、歌枕。
三 所有して。
四 生れつき物事に無頓着な性質。
五 いやなことだと。
六 ついに。とうとう。
七 口惜しいことだと深く思いこみ。
八 あれこれと思案をめぐらした。
九 栃木県足利市付近から産出した染絹。
一〇 まいり上る、の音便。
一一 染めてない白絹。
一二 準備した。
一三 人目をひくほどの美しい容貌で。
一四 平生思いたったらきかぬ気のうえに、今度は更に思いつめているので、仕方なく。
一五 「末」の枕詞。今後の生活が心細く思われたにもかかわらず。万葉集一二「梓弓末のたづきは知らねども心は君によりにしものを」。
一六 旅支度をととのえて。
一七 離れがたい別れ。
一八 まったく途方にくれるばかりで。古今集一八「いづこにか世をばいとはむ心こそ野にも山にも惑ふべらなれ」。
一九 命さえあればまた逢えると思うが。古今集八「命だに心にかなふものならばなにか別れの悲しからまし」。
二〇 不安な気持と生活。
二一 「かへる」の序詞。秋の七草の一。帰宅するのは。
二二 「東」の枕詞。東は関東。
二三 享徳四年(一四五五)。
二四 鎌倉公方足利成氏。明応六年(一四九七)没。古河公方。御所はもと将軍をいったが、鎌倉管領が僭称した。
二五 執事が管領を僭称した。成氏が上杉憲忠を謀殺し、憲忠の弟房顕が成氏と戦った。
二六 茨城県古河へ逃げた。
二七 ばらばらで統一のない。
二八 若者は兵卒にかり出され。
二九 悪化する世相とともに。
三〇 がっくりと気落ちして。
三一 あふ坂は京都と滋賀の境の逢坂山。夕づけ鳥は木綿付鳥で鶏の異称、夕と「云う」の懸詞。
三二 義婦・節婦・烈婦(剪灯新話句解の注)。
三三 あまつさえ。そのうえ。
三四 京都室町将軍(義政)。
三五 岐阜県郡上市。
三六 千葉介常胤の後裔。武将で歌人。宗祇の師。生年未詳、文明一六年(一四八四)頃没。
三七 征伐の指揮官に任命して。
三八 下総の誤。千葉県香取郡東庄町。
三九 千葉県市川城主。
四〇 攻める。
四一 野武士。山賊夜盗の類。
四二 関八州。関東地方一帯。
四三 義政将軍の東山時代で、文化風俗は華美であった。
四四 いい儲けを得て。
四五 成氏を追撃して。
四六 たてとほこ。武器。どこもかしこも戦争さわぎで。
四七 戦場。中国河北省東南部の地で、太古、黄帝と蚩尤(シュウ)の[#「蚩尤(シュウ)の」はママ]戦った所。
四八 世間で評判をする。
四九 世間のうわさ。
五〇 遠く隔たった形容。
五一 長野県木曾郡南木曾町と岐阜県中津川市との境をなす馬籠峠。木曾路の難所。
五二 便りをする方法。
五三 鬼のような人ばかりすんでいるところ。
五四 熱病。
五五 滋賀県近江八幡市武佐。中仙道の宿駅。
五六 実家。
五七 ていねいに。
五八 気分がさっぱりした。
五九 感謝する。
六〇 しっかりしないので。
六一 生れつきの素直で正直な性質を愛されて。
六二 訪ね。
六三 一四六一年。
六四 京都・奈良・大阪と兵庫の一部。山城・大和・河内・和泉・摂津の五国。河内は大阪府。
六五 同根は兄弟。畠山政長と義就の家督相続争いが終りそうもないので。
六六 悪性の流行病。
六七 この世の終りであろうか。劫は、仏教で非常に長い時間をいい、宇宙の生命変遷を四劫にわけている。
六八 親戚関係のない、あかの他人。
六九 妻の宮木。
七〇 故郷を忘れ妻を忘れて、萱草の生えているようなこの土地で。古今集一七「すみよしとあまはつぐとも長居すな人忘れ草おふといふなり」。
七一 実意のない私の心からであったのだ。
七二 あの世の人。
七三 以前のようにこの世に生きていないにしても。
七四 墓。
七五 別れをつげて。
七六 万葉の昔から有名な真間の継橋。真間川にかかっていた。板の橋を長く継いだ橋。
七七 万葉集一四「足(あ)の音せずゆかむ駒もが葛飾の真間の継橋やまずかよはむ」。
七八 荒れ放題に荒れて。
七九 以前あった人家。
八〇 一歩は曲尺の約六尺。二〇歩は約三六メートル。
八一 わが家のめじるし。古来、家の門口に松を植える風習があった。
八二 べつの人。
八三 妻の宮木。
八四 来訪・帰宅をしらせる合図のせきばらい。
八五 ふけているが。
八六 達者で。
八七 夫の声であると聞き知ったので。
八八 すぐに。
八九 結いあげた髪も乱れおちて背にかかり。
九〇 以前の妻の面影はない。
九一 気も動転して。
九二 成氏方が敗れたので。
九三 中仙道の一部。
九四 東海道・東山道。京から関東へ通ずる二大街道。
九五 節度使。天皇から派遣された征討軍の将軍。
九六 軍馬の蹄がみちみちて、すっかりふみにじった。
九七 戦禍をうけて焼け死んだか、溺れ死んだか。
九八 人の許に寄食して。
九九 しきりに。
一〇〇 男女が夢の中で逢って契りを結ぶこと。巫山は中国西南区四川省にある山。文選巻四の高唐賦に、楚の襄王が夢に巫山の女と契ったがこれが実は雲であったという故事。
一〇一 男女が幽明さかいを異にしながらあうこと。漢書の外戚伝に、漢の武帝が方士に命じて李夫人の霊を幻の如く見たという故事。
一〇二 夫の帰宅を頼みにしていた秋。八月一日を「たのむの日」とよぶのにかけた。
一〇三 恐ろしく貪婪な心。
一〇四 操を守って死すとも不義をして命ながらえる道はふむまい。剪燈新話句解の註「寧為二玉砕一、不レ為二瓦全一」。
一〇五 天の河が冴えて秋のきたのを知らせる。
一〇六 松に「待つ」をかける。
一〇七 逢うのを待つ間にこがれ死にしたら、相手からも私の心中を知られずにほんとに口惜しく情けないことであろう。後拾遺集一一「人しれずあふを待つ間に恋ひ死なば何に代へたる命とかいはむ」。
一〇八 窓の障子の破れ目から松風がひたひたと音をたてて吹きこんで。
一〇九 長い道中。
一一〇 午前四時―六時。
一一一 まださめやらぬ夢心地にも何となく寒かったので。
一一二 夜着をかけようと。
一一三 夜があけてもまだ空に残っている月。陰暦一六日以後の月。
一一四 簀掻のあて字。簀子で作ったゆか。
一一五 びっしょり濡れて。
一一六 秋でもないのに秋の野のように草ぶかく荒れはてた家の模様であった。古今集四「里は荒れて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる」。
一一七 かつて自分の好みで造ったままの様子。
一一八 茫然自失のさま。
一一九 妻の生前の姿。
一二〇 帰国する前に想像していたこと。
一二一 「月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今集一五・伊勢物語四にある業平の歌)。
一二二 霊前に供える水を入れる器。
一二三 供える。設ける。代動詞。
一二四 栃木県那須野、烏山付近で産する和紙。
一二五 ところどころ消えて。
一二六 権中納言敦忠卿集にある歌。
一二七 以前の知人。
一二八 ていねいに挨拶して。
一二九 生業。渡世。
一三〇 いつの年死んだとも墓に記してないので。
一三一 いっそう。
一三二 お気の毒なおはなしでございますね。
一三三 生きていた当時。
一三四 この土地に古くからいた人。
一三五 亡き人の冥福を祈っていらっしゃいます。
一三六 ひどく。
一三七 土間に造ったかまど。
一三八 わら・い・すげ等の葉を丸くひらたく渦にして編んだ敷物。
一三九 そなた。お前さん。
一四〇 長寿を祝福して。
一四一 桑畑も耕す者がなくてたちまち狐や兎のすむくさむらとなる。かわり方のはげしいことをいう。
一四二 宮木をさす。
一四三 足がきかなく、歩行不自由になって。
一四四 樹木にやどる霊で、妖怪。人にたたると信じられていた。
一四五 気丈。
一四六 この老人(自分)が見聞したことの中で。
一四七 勝四郎が帰宅を約束した翌年の秋。康正二年(一四五六)。
一四八 前出の和歌をさす。
一四九 死者の霊前に水を供えてまつること。蘋はうき草、はしろよもぎ、行潦は路上の水たまりの水で、粗末なものだが誰でもとれるものであり、心ばかりの供えものの意からきた。
一五〇 記す、とおなじ。
一五一 戒名。法名。
一五二 真間にすんでいた美少女で、その伝説は万葉集の巻三・九・一四などに見え、のちには藤原清輔「奥儀抄」にも見える。ここは万葉集九、高橋連虫麻呂の「詠二勝鹿真間娘子一歌一首并短歌」と題する歌によっている。
一五三 麻衣も青衿も古代の質素な服装。青衿は野草で染めた衿。
一五四 満月の如く美しく輝き。
一五五 咲きかがやく。
一五六 身にまとった。
一五七 都の貴婦人。
一五八 都から派遣された国庁の武士。防人はもと九州防衛警備兵をいったが、ここはたんに警備の武士。
一五九 いい寄って。
一六〇 多くの人の心にはこたえられず、こたえられなければ多くの人の恨みをうけて罪をかさねることになるから、いっそ死ぬことによって、多くの人の心にむくいよう(秋成の金砂にある説)。
一六一 入江。真間の浦。
一六二 宮木をさす。
一六三 うぶな心。
一六四 どれほどまさって。
一六五 年寄りというものは涙もろくてこらえ性のないもの。
一六六 思いあまった胸の中を。
一六七 口べた。不器用。
一六八 一端。
一六九 うまく歌をよむ人。
[#改ページ]二 千葉県市川市真間。万葉集以来名高く、歌枕。
三 所有して。
四 生れつき物事に無頓着な性質。
五 いやなことだと。
六 ついに。とうとう。
七 口惜しいことだと深く思いこみ。
八 あれこれと思案をめぐらした。
九 栃木県足利市付近から産出した染絹。
一〇 まいり上る、の音便。
一一 染めてない白絹。
一二 準備した。
一三 人目をひくほどの美しい容貌で。
一四 平生思いたったらきかぬ気のうえに、今度は更に思いつめているので、仕方なく。
一五 「末」の枕詞。今後の生活が心細く思われたにもかかわらず。万葉集一二「梓弓末のたづきは知らねども心は君によりにしものを」。
一六 旅支度をととのえて。
一七 離れがたい別れ。
一八 まったく途方にくれるばかりで。古今集一八「いづこにか世をばいとはむ心こそ野にも山にも惑ふべらなれ」。
一九 命さえあればまた逢えると思うが。古今集八「命だに心にかなふものならばなにか別れの悲しからまし」。
二〇 不安な気持と生活。
二一 「かへる」の序詞。秋の七草の一。帰宅するのは。
二二 「東」の枕詞。東は関東。
二三 享徳四年(一四五五)。
二四 鎌倉公方足利成氏。明応六年(一四九七)没。古河公方。御所はもと将軍をいったが、鎌倉管領が僭称した。
二五 執事が管領を僭称した。成氏が上杉憲忠を謀殺し、憲忠の弟房顕が成氏と戦った。
二六 茨城県古河へ逃げた。
二七 ばらばらで統一のない。
二八 若者は兵卒にかり出され。
二九 悪化する世相とともに。
三〇 がっくりと気落ちして。
三一 あふ坂は京都と滋賀の境の逢坂山。夕づけ鳥は木綿付鳥で鶏の異称、夕と「云う」の懸詞。
三二 義婦・節婦・烈婦(剪灯新話句解の注)。
三三 あまつさえ。そのうえ。
三四 京都室町将軍(義政)。
三五 岐阜県郡上市。
三六 千葉介常胤の後裔。武将で歌人。宗祇の師。生年未詳、文明一六年(一四八四)頃没。
三七 征伐の指揮官に任命して。
三八 下総の誤。千葉県香取郡東庄町。
三九 千葉県市川城主。
四〇 攻める。
四一 野武士。山賊夜盗の類。
四二 関八州。関東地方一帯。
四三 義政将軍の東山時代で、文化風俗は華美であった。
四四 いい儲けを得て。
四五 成氏を追撃して。
四六 たてとほこ。武器。どこもかしこも戦争さわぎで。
四七 戦場。中国河北省東南部の地で、太古、黄帝と蚩尤(シュウ)の[#「蚩尤(シュウ)の」はママ]戦った所。
四八 世間で評判をする。
四九 世間のうわさ。
五〇 遠く隔たった形容。
五一 長野県木曾郡南木曾町と岐阜県中津川市との境をなす馬籠峠。木曾路の難所。
五二 便りをする方法。
五三 鬼のような人ばかりすんでいるところ。
五四 熱病。
五五 滋賀県近江八幡市武佐。中仙道の宿駅。
五六 実家。
五七 ていねいに。
五八 気分がさっぱりした。
五九 感謝する。
六〇 しっかりしないので。
六一 生れつきの素直で正直な性質を愛されて。
六二 訪ね。
六三 一四六一年。
六四 京都・奈良・大阪と兵庫の一部。山城・大和・河内・和泉・摂津の五国。河内は大阪府。
六五 同根は兄弟。畠山政長と義就の家督相続争いが終りそうもないので。
六六 悪性の流行病。
六七 この世の終りであろうか。劫は、仏教で非常に長い時間をいい、宇宙の生命変遷を四劫にわけている。
六八 親戚関係のない、あかの他人。
六九 妻の宮木。
七〇 故郷を忘れ妻を忘れて、萱草の生えているようなこの土地で。古今集一七「すみよしとあまはつぐとも長居すな人忘れ草おふといふなり」。
七一 実意のない私の心からであったのだ。
七二 あの世の人。
七三 以前のようにこの世に生きていないにしても。
七四 墓。
七五 別れをつげて。
七六 万葉の昔から有名な真間の継橋。真間川にかかっていた。板の橋を長く継いだ橋。
七七 万葉集一四「足(あ)の音せずゆかむ駒もが葛飾の真間の継橋やまずかよはむ」。
七八 荒れ放題に荒れて。
七九 以前あった人家。
八〇 一歩は曲尺の約六尺。二〇歩は約三六メートル。
八一 わが家のめじるし。古来、家の門口に松を植える風習があった。
八二 べつの人。
八三 妻の宮木。
八四 来訪・帰宅をしらせる合図のせきばらい。
八五 ふけているが。
八六 達者で。
八七 夫の声であると聞き知ったので。
八八 すぐに。
八九 結いあげた髪も乱れおちて背にかかり。
九〇 以前の妻の面影はない。
九一 気も動転して。
九二 成氏方が敗れたので。
九三 中仙道の一部。
九四 東海道・東山道。京から関東へ通ずる二大街道。
九五 節度使。天皇から派遣された征討軍の将軍。
九六 軍馬の蹄がみちみちて、すっかりふみにじった。
九七 戦禍をうけて焼け死んだか、溺れ死んだか。
九八 人の許に寄食して。
九九 しきりに。
一〇〇 男女が夢の中で逢って契りを結ぶこと。巫山は中国西南区四川省にある山。文選巻四の高唐賦に、楚の襄王が夢に巫山の女と契ったがこれが実は雲であったという故事。
一〇一 男女が幽明さかいを異にしながらあうこと。漢書の外戚伝に、漢の武帝が方士に命じて李夫人の霊を幻の如く見たという故事。
一〇二 夫の帰宅を頼みにしていた秋。八月一日を「たのむの日」とよぶのにかけた。
一〇三 恐ろしく貪婪な心。
一〇四 操を守って死すとも不義をして命ながらえる道はふむまい。剪燈新話句解の註「寧為二玉砕一、不レ為二瓦全一」。
一〇五 天の河が冴えて秋のきたのを知らせる。
一〇六 松に「待つ」をかける。
一〇七 逢うのを待つ間にこがれ死にしたら、相手からも私の心中を知られずにほんとに口惜しく情けないことであろう。後拾遺集一一「人しれずあふを待つ間に恋ひ死なば何に代へたる命とかいはむ」。
一〇八 窓の障子の破れ目から松風がひたひたと音をたてて吹きこんで。
一〇九 長い道中。
一一〇 午前四時―六時。
一一一 まださめやらぬ夢心地にも何となく寒かったので。
一一二 夜着をかけようと。
一一三 夜があけてもまだ空に残っている月。陰暦一六日以後の月。
一一四 簀掻のあて字。簀子で作ったゆか。
一一五 びっしょり濡れて。
一一六 秋でもないのに秋の野のように草ぶかく荒れはてた家の模様であった。古今集四「里は荒れて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる」。
一一七 かつて自分の好みで造ったままの様子。
一一八 茫然自失のさま。
一一九 妻の生前の姿。
一二〇 帰国する前に想像していたこと。
一二一 「月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今集一五・伊勢物語四にある業平の歌)。
一二二 霊前に供える水を入れる器。
一二三 供える。設ける。代動詞。
一二四 栃木県那須野、烏山付近で産する和紙。
一二五 ところどころ消えて。
一二六 権中納言敦忠卿集にある歌。
一二七 以前の知人。
一二八 ていねいに挨拶して。
一二九 生業。渡世。
一三〇 いつの年死んだとも墓に記してないので。
一三一 いっそう。
一三二 お気の毒なおはなしでございますね。
一三三 生きていた当時。
一三四 この土地に古くからいた人。
一三五 亡き人の冥福を祈っていらっしゃいます。
一三六 ひどく。
一三七 土間に造ったかまど。
一三八 わら・い・すげ等の葉を丸くひらたく渦にして編んだ敷物。
一三九 そなた。お前さん。
一四〇 長寿を祝福して。
一四一 桑畑も耕す者がなくてたちまち狐や兎のすむくさむらとなる。かわり方のはげしいことをいう。
一四二 宮木をさす。
一四三 足がきかなく、歩行不自由になって。
一四四 樹木にやどる霊で、妖怪。人にたたると信じられていた。
一四五 気丈。
一四六 この老人(自分)が見聞したことの中で。
一四七 勝四郎が帰宅を約束した翌年の秋。康正二年(一四五六)。
一四八 前出の和歌をさす。
一四九 死者の霊前に水を供えてまつること。蘋はうき草、はしろよもぎ、行潦は路上の水たまりの水で、粗末なものだが誰でもとれるものであり、心ばかりの供えものの意からきた。
一五〇 記す、とおなじ。
一五一 戒名。法名。
一五二 真間にすんでいた美少女で、その伝説は万葉集の巻三・九・一四などに見え、のちには藤原清輔「奥儀抄」にも見える。ここは万葉集九、高橋連虫麻呂の「詠二勝鹿真間娘子一歌一首并短歌」と題する歌によっている。
一五三 麻衣も青衿も古代の質素な服装。青衿は野草で染めた衿。
一五四 満月の如く美しく輝き。
一五五 咲きかがやく。
一五六 身にまとった。
一五七 都の貴婦人。
一五八 都から派遣された国庁の武士。防人はもと九州防衛警備兵をいったが、ここはたんに警備の武士。
一五九 いい寄って。
一六〇 多くの人の心にはこたえられず、こたえられなければ多くの人の恨みをうけて罪をかさねることになるから、いっそ死ぬことによって、多くの人の心にむくいよう(秋成の金砂にある説)。
一六一 入江。真間の浦。
一六二 宮木をさす。
一六三 うぶな心。
一六四 どれほどまさって。
一六五 年寄りというものは涙もろくてこらえ性のないもの。
一六六 思いあまった胸の中を。
一六七 口べた。不器用。
一六八 一端。
一六九 うまく歌をよむ人。
むかし二
一とせ
興義枕をあげて、二九
我此の頃病にくるしみて
あやしとも思はで、尾を振り
興義これより病
一 夢の中で感応してえがいた鯉。
二 九二三―九三一。
三 滋賀県大津市にある天台宗寺門派総本山、長等山園城寺の別称。由緒ふかい寺で、眼下に琵琶湖をのぞむ。
四 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
五 世間から名人という評判をたてられていた。
六 専らとしない。仕事としない。
七 琵琶湖。
八 網をひいたり釣をしたりする漁師。
九 精細巧妙の域に達した。
一〇 絵に心を集中して。
一一 大小種々の魚。
一二 われ先にとあらそいもとめた。
一三 どこまでも惜しんで。
一四 生物を殺したり、鮮魚を食ったりする世間一般の人。
一五 けっして、きっと。
一六 冗談。戯言。「生を殺し鮮を喰ふ云々」の言葉をさす。
一七 弟子の僧と友人たち。
一八 本篇の典拠、魚服記に「心頭微暖」とある。
一九 もしかしたら蘇生するかもしれない。
二〇 まわりをとりまいてみまもりながら。
二一 人事不省になって。失神して。
二二 殿方。かたがた。
二三 葬らなくてよかったことだ。
二四 寺に属する信徒。
二五 生の魚肉を細く切ったもの。魚服記「為レ我二群官方食レ鱠否一」。
二六 世にもまれなめずらしいはなしをおはなししましょう。
二七 どんな様子をしているか。
二八 家臣。
二九 わざわざきてくれた足労の礼をのべると。
三〇 表座敷。
三一 囲碁の勝負。
三二 食物を盛る足高の器。
三三 酒を杯に三ばい。十分に飲ませたこと。
三四 調理人。
三五 得意顔に。誇り顔に。
三六 ちがわないでしょう。
三七 こんなにくわしくはっきりと事実を指摘できた理由。
三八 ねつっぽい苦しい心地。魚服記「悪熱求レ涼」。
三九 杖をたよりに。魚服記「策レ杖而行」。
四〇 大空。
四一 夢心地に。原文「うつ」
四二 飛びこんで。
四三 人間が水に浮いて泳ぐのは、それがどんなにうまくても、魚が自由自在に泳ぎまわるのにはおよばない。魚服記「人浮不レ如二魚快一也」。
四四 魚族。魚類。
四五 海神。湖の神。原文「わたづみ」
四六 ひとの捕えた鳥や魚を放してやること。
四七 水中のたのしみ。水府はもと海底にある水神の居処、竜宮をいった。
四八 三井寺の背後にある長等山から吹きおろす風。
四九 琵琶湖の南西岸、昔の志賀の都付近の海岸。
五〇 徒歩で行く人が着物の裾を濡らすほど水際近くを往来するのにおどろかされ。続古今集六「かち人の汀の氷ふみならしわたれどぬれぬ志賀の大わた」。
五一 琵琶湖の西にある比良山。
五二 もぐろうとするが。
五三 琵琶湖西岸にある。「かくれ難し」の懸詞。
五四 「夜」と「寄る」の懸詞。
五五 「夜」の枕詞。
五六 滋賀県蒲生郡竜王町にある山。歌枕。
五七 多くの港のあらゆるすみずみまで照らし出している情景はおもしろい。
五八 琵琶湖の南岸近く東寄りの沖の島。
五九 琵琶湖の北岸近くにある島。弁財天で名高い。
六〇 うつる。
六一 竹生島弁財天の朱塗りの玉垣。
六二 滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山。さしもは、そうとはの意とさしも草(艾草)の掛詞。後拾遺集一一「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじなもゆるおもひを」。
六三 琵琶湖東岸、米原市朝妻筑摩の入江にあった渡船。朝が来ての意を懸ける。
六四 琵琶湖南東岸、草津市矢橋から大津へ渡る舟の船頭の、さばきもあざやかな棹。
六五 琵琶湖南部、瀬田川にかかる唐橋。
六六 もとめたが手に入れることができないで。
六七 河神。湖の神。
六八 おめおめと。うかつに。
六九 文四をさす。
七〇 素早く釣糸をひきあげて。
七一 いっこう。ちっとも。
七二 魚のえら。あご。
七三 平の助をさす。
七四 くだもの。前出の桃。
七五 皆様。あなた方。
七六 「みぎり」と訓ませている。
七七 庖丁。
七八 すんでのことに切ろうとしたとき。
七九 仏に仕える僧を殺すということがあるか。
八〇 興義が魚になって口をきくたびに。
八一 ちっとも。いっこうに。
八二 めしつかい。下僕。
八三 天寿をまっとうして。
八四 画料の紙や絹からぬけ出して。「紙繭」の左右に振り仮名がある。
八五 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
八六 入神の妙技をうけついで。
八七 その時代に名声をあげた。
八八 京都市上京区二条の南、西洞院の西にあった閑院内裏。もと藤原冬嗣の邸で、名園の誇高かったが、一二五九年焼失した。
八九 唐紙。ふすま。
九〇 古今著聞集をさす。同書巻一一、画図一六に「成光閑院の障子に鶏を書きたりけるを、実の鶏見て蹴けるとなん。この成光は三井寺の僧興義が弟子になん侍りける」とある。
[#改ページ]二 九二三―九三一。
三 滋賀県大津市にある天台宗寺門派総本山、長等山園城寺の別称。由緒ふかい寺で、眼下に琵琶湖をのぞむ。
四 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
五 世間から名人という評判をたてられていた。
六 専らとしない。仕事としない。
七 琵琶湖。
八 網をひいたり釣をしたりする漁師。
九 精細巧妙の域に達した。
一〇 絵に心を集中して。
一一 大小種々の魚。
一二 われ先にとあらそいもとめた。
一三 どこまでも惜しんで。
一四 生物を殺したり、鮮魚を食ったりする世間一般の人。
一五 けっして、きっと。
一六 冗談。戯言。「生を殺し鮮を喰ふ云々」の言葉をさす。
一七 弟子の僧と友人たち。
一八 本篇の典拠、魚服記に「心頭微暖」とある。
一九 もしかしたら蘇生するかもしれない。
二〇 まわりをとりまいてみまもりながら。
二一 人事不省になって。失神して。
二二 殿方。かたがた。
二三 葬らなくてよかったことだ。
二四 寺に属する信徒。
二五 生の魚肉を細く切ったもの。魚服記「為レ我二群官方食レ鱠否一」。
二六 世にもまれなめずらしいはなしをおはなししましょう。
二七 どんな様子をしているか。
二八 家臣。
二九 わざわざきてくれた足労の礼をのべると。
三〇 表座敷。
三一 囲碁の勝負。
三二 食物を盛る足高の器。
三三 酒を杯に三ばい。十分に飲ませたこと。
三四 調理人。
三五 得意顔に。誇り顔に。
三六 ちがわないでしょう。
三七 こんなにくわしくはっきりと事実を指摘できた理由。
三八 ねつっぽい苦しい心地。魚服記「悪熱求レ涼」。
三九 杖をたよりに。魚服記「策レ杖而行」。
四〇 大空。
四一 夢心地に。原文「うつ」
四二 飛びこんで。
四三 人間が水に浮いて泳ぐのは、それがどんなにうまくても、魚が自由自在に泳ぎまわるのにはおよばない。魚服記「人浮不レ如二魚快一也」。
四四 魚族。魚類。
四五 海神。湖の神。原文「わたづみ」
四六 ひとの捕えた鳥や魚を放してやること。
四七 水中のたのしみ。水府はもと海底にある水神の居処、竜宮をいった。
四八 三井寺の背後にある長等山から吹きおろす風。
四九 琵琶湖の南西岸、昔の志賀の都付近の海岸。
五〇 徒歩で行く人が着物の裾を濡らすほど水際近くを往来するのにおどろかされ。続古今集六「かち人の汀の氷ふみならしわたれどぬれぬ志賀の大わた」。
五一 琵琶湖の西にある比良山。
五二 もぐろうとするが。
五三 琵琶湖西岸にある。「かくれ難し」の懸詞。
五四 「夜」と「寄る」の懸詞。
五五 「夜」の枕詞。
五六 滋賀県蒲生郡竜王町にある山。歌枕。
五七 多くの港のあらゆるすみずみまで照らし出している情景はおもしろい。
五八 琵琶湖の南岸近く東寄りの沖の島。
五九 琵琶湖の北岸近くにある島。弁財天で名高い。
六〇 うつる。
六一 竹生島弁財天の朱塗りの玉垣。
六二 滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山。さしもは、そうとはの意とさしも草(艾草)の掛詞。後拾遺集一一「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじなもゆるおもひを」。
六三 琵琶湖東岸、米原市朝妻筑摩の入江にあった渡船。朝が来ての意を懸ける。
六四 琵琶湖南東岸、草津市矢橋から大津へ渡る舟の船頭の、さばきもあざやかな棹。
六五 琵琶湖南部、瀬田川にかかる唐橋。
六六 もとめたが手に入れることができないで。
六七 河神。湖の神。
六八 おめおめと。うかつに。
六九 文四をさす。
七〇 素早く釣糸をひきあげて。
七一 いっこう。ちっとも。
七二 魚のえら。あご。
七三 平の助をさす。
七四 くだもの。前出の桃。
七五 皆様。あなた方。
七六 「みぎり」と訓ませている。
七七 庖丁。
七八 すんでのことに切ろうとしたとき。
七九 仏に仕える僧を殺すということがあるか。
八〇 興義が魚になって口をきくたびに。
八一 ちっとも。いっこうに。
八二 めしつかい。下僕。
八三 天寿をまっとうして。
八四 画料の紙や絹からぬけ出して。「紙繭」の左右に振り仮名がある。
八五 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
八六 入神の妙技をうけついで。
八七 その時代に名声をあげた。
八八 京都市上京区二条の南、西洞院の西にあった閑院内裏。もと藤原冬嗣の邸で、名園の誇高かったが、一二五九年焼失した。
八九 唐紙。ふすま。
九〇 古今著聞集をさす。同書巻一一、画図一六に「成光閑院の障子に鶏を書きたりけるを、実の鶏見て蹴けるとなん。この成光は三井寺の僧興義が弟子になん侍りける」とある。
二うらやすの国ひさしく、
伊勢の八
一七
三三方五十町に開きて、三四あやしげなる林も見えず。小石だも
六三寒林独坐草堂暁 三宝之声聞二一鳥一
一鳥有レ声人有レ心 性心雲水倶了々
又ふるき歌に、
六四松の尾の峯静 なる曙 に
あふぎて聞けば仏法僧啼く
むかし六五
七二鳥の音 も秘密 の山の茂 みかな
おどろきて堂の右に
貴人又
一人の武士かの法師に問ひていふ。此の山は九四
九七わすれても汲みやしつらん旅 人の
高野 の奥の玉川の水
といふことを聞き伝へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、九八など
法師
鳥の音も秘密の山の茂みかな
貴人聞かせ給ひて、一三四口がしこくもつかまつりしな。
一三六芥子 たき明 すみじか夜の牀
一三七いかがあるべきと、紹巴に見する。よろしくまうされたりと、
一四〇淡路と聞えし人、にはかに色を
親子は
一 啼声がブッポーソー、ブッパンニなどと聞こえるフクロウ科のコノハズクで、深山にすむ。
二 心安らかに平穏に治まれる国。日本の美称。
三 錦のようにうつくしい紅葉の林。春は花云々の対。
四 筑紫の枕詞。「知らぬ」に懸ける。
五 ここでは九州の国々。
六 船旅をする人。械は楫。
七 茨城県にあり、古来富士山と並んで関東の名山。
八 三重県多気町相可。
九 不幸があったわけでもないのに薙髪して。
一〇 生来無骨で融通のきかないのを案じて。
一一 一月・二条・三月と数を重ねる修辞法。別業は別邸。ここでは支店ととってよい。
一二 吉野山は桜の名所。下の千本・中の千本・上の千本・奥の千本とある。
一三 和歌山県伊都郡高野町にあり、古義真言宗総本山金剛峯寺がある。
一四 奈良県吉野郡天川町。
一五 高野山の美称。
一六 ゆきなやんで。
一七 東塔より西塔にいたる二町の間をいい、金堂・大塔・灌頂堂・御影堂・愛染堂等の重要な堂塔伽藍がある。
一八 奥の院にある大師廟。
一九 まったく。ちっとも。
二〇 この土地の規約・戒律。
二一 つてのない人。
二二 がっかりして。
二三 長いみちのり。
二四 作之治が自分をさす。
二五 父上が御病気になられはしまいかと。
二六 脚を痛め。
二七 日本の異称。
二八 この山を開基した弘法大師の広大な徳はとても語りつくせない。
二九 わざわざにでも。
三〇 来世の安楽往生をお願いしなければならないが。
三一 霊前で読経念仏すること。
三二 大師廟の前にあり、古くは拝殿・礼堂とよばれ、中に多くの灯籠が奉納されている。
三三 五〇町四方。実際は東西五〇町(五四五〇メートル)南北一〇町余り。
三四 見苦しい林。
三五 仏法僧三宝の徳を敬田・恩田・悲田といい、ここでは、その仏法僧の諸徳がそなわったありがたい霊地の意。
三六 経文の名。翻訳せずに梵語のままで誦する。
三七 鈴と錫の仏具。
三八 雲をおしわけるくらい高くそびえて茂りあい。
三九 道ばたを流れる水。
四〇 神の如き徳化力。
四一 霊魂を宿して。
四二 大師が高野山をひらいたのが弘仁七年(八一六)であり、八百余年後は一七世紀初頭にあたる。
四三 ますます顕著に。
四四 後世につたえられるすぐれた業績。
四五 諸国を遍歴してのこした旧跡。
四六 仏道を修行する場。
四七 御在世中の当時。
四八 大師が唐に渡ったのは延暦二三年(八〇四)。
四九 ふかく感じられたこと。
五〇 仏具で、金剛杵の一種。
五一 その結果。果して。
五二 御影堂の前にある。
五三 思いがけずも。不思議な縁で。
五四 この世だけでなく前世からの善因縁である。
五五 小声で。
五六 秋成の胆大小心録四五に「仏法僧は高野山で聞いたが、ブツパンブツパンとないた。形は見へなんだ」。
五七 この世でおかした罪を消滅して、来世の善因をつくるよい前兆。
五八 群馬県沼田市の北部にある。弥勒寺がある。
五九 栃木県日光市北方にある。
六〇 京都市伏見区にある。
六一 大阪府南河内郡太子町にある山か。
六二 仏徳を讃えるためにつくった詩で、多く四句から成る。
六三 三宝は仏法僧。性心雲水は有情の鳥の性と人心、無情の行雲と流水。了々は悟りの境地に入っている。大師の詩文集、遍照発揮性霊集、巻一〇にある。現代語訳を見よ。[#現代語訳「さびしい林の中の草の庵にひとり坐して暁をむかえると、折から仏・法・僧の三宝を唱える一羽の鳥の声を聞いた。一羽の鳥ですらすでに三宝を唱える声があるのだから、これを聞く自分にも、これに応じて仏心を発揮する心がある。有情の鳥声・人心、非情の行雲・流水、すべてこの山にあるものは法身如来の仏徳を開顕して悟りの境地に入っている」]
六四 松の尾は、京都市右京区にある山。新撰六帖や夫木集にある藤原光俊の歌。
六五 松の尾にある天台宗の寺。
六六 一二、三世紀の天台宗の高僧。最福寺の住職。
六七 法華経の信奉者。
六八 京都市右京区嵐山宮前町にある松尾神社。
六九 今夜めずらしくも仏法僧の一声を聞くことができた。
七〇 興趣を解し感動せずにおられようか。
七一 首を傾け思案して。
七二 秘密の山は高野山。真言秘密の法を行なう高野山では仏法僧の声も神秘の響をもつ。
七三 先ばらい。前駆。
七四 御廟橋の橋板を荒々しくふんで。
七五 摂政・関白・将軍などをいう。
七六 「うずくまる」意の古語。
七七 ノーシといい、貴人の平服。
七八 礼をして。
七九 木村常陸介重茲。秀次補佐の重臣。
八〇 白江備後守と熊谷大膳亮。ともに秀次の臣。
八一 神や天皇・貴人にたてまつり、賜わる酒。
八二 まめまめしく働いているので。
八三 鮮魚。転じて酒の肴。
八四 不破万作。秀次の近侍。美少年。
八五 酒徳利。
八六 里村紹巴。連歌の名人。信長・秀吉・秀次の恩をうけた。慶長七年(一六〇二)没。
八七 おっしゃる。
八八 夢然を一人称とした。
八九 松永貞徳の戴恩記に「顔おほきにして眉なく、明らかなるひとかは目にて、鼻大きにあざやかに」とある。
九〇 ひらたくて。
九一 目鼻だちのはっきりした人。
九二 故事古語古歌などについてあれこれと問いただす。
九三 紹巴に褒美を与えよ。
九四 徳高き高僧。ここでは弘法大師をさす。
九五 仏徳をうけて霊魂なきものはない。
九六 摩尼・楊柳・転軸の三山に発して、御廟橋の下を流れる小川。
九七 この歌の解には古来異説があるが、忘れても旅人は高野山の奥の玉川の水を汲んで飲んではいけない、毒があるからだ、の意に解すのが普通のようであり、秋成の解は本文に詳述している。風雅集一六に弘法大師作としてある。
九八 どうして水を涸らしてしまわれないのか。
九九 貴殿。対称代名詞。
一〇〇 花園上皇自撰の歌集。貞和二年(一三四六)成立。
一〇一 和歌などの前につける詞書。
一〇二 まちがったこと。
一〇三 目に見えない神を使役して。
一〇四 封じこめ。
一〇五 帰順せしめ。
一〇六 本当とは思えない。
一〇七 六玉川として有名。井出玉川、京都府綴喜郡井手町。野路玉川、滋賀県草津市。擣衣玉川、大阪府高槻市。高野玉川、和歌山県高野山。調布玉川、東京都西多摩郡。野田玉川、宮城県塩釜市付近。歌枕。
一〇八 これほど有名な。
一〇九 すっかり忘れていても。
一一〇 道理にはずれた妄説。
一一一 平安朝初期の歌風ではない。すなわち、弘法大師の作ではないの意を暗示する。
一一二 多くの玉を緒でつらぬいたもので、頭の飾り。
一一三 玉などを飾ったすだれ。またすだれの美称。
一一四 玉をつけた着物。また着物の美称。
一一五 玉という語。
一一六 むやみに仏をありがたがって尊ぶ人で。
一一七 たしなみのふかいことである。
一一八 ひとしお興を加えたことである。
一一九 一句どうだ。
一二〇 連歌の一句。
一二一 お聞きふるしでいらっしゃいましょう。
一二二 その者を召し出せ。
一二三 無我夢中で。
一二四 どなたでいらっしゃって。
一二五 いよいよ不審なことでございます。
一二六 秀吉の甥で、秀吉の猶子となり、内大臣から関白になったが、秀吉に実子の秀頼が誕生するにおよんで威勢を失い、官位を奪われて高野山に逐われ、文禄四年(一五九五)七月、青巖寺で自刃。二八歳。
一二七 以下の人々はいずれも秀次腹心の臣で、大半は秀次に殉じて死んだ。
一二八 僧の位で、法印・法眼につぐ。後には文人・画家・医師にも授かった。
一二九 不思議の御縁で拝顔の栄をえたのであるぞ。
一三〇 一瞬にして毛髪がふとくなるほどの恐ろしさ。
一三一 肝も魂も身をはなれて宙にうくような心地。
一三二 首から胸にかける袋で、近世には多く旅行用に用いられた。
一三三 とり乱すさま。
一三四 うまく、小ざかしくも詠んだな。
一三五 付句。五七五にたいしてつける七七。
一三六 芥子は真言宗で焚いて加持祈祷に用いる。みじか夜は夏の夜。牀は護摩壇。芥子を焚きながら短い夏の夜を、護摩壇のそばで護摩の秘法を行なってあかす。
一三七 どうでしょうか。
一三八 片端。不十分。不完全。下手でもない。
一三九 杯に酒をみたして。
一四〇 雀部淡路とよばれた人。
一四一 闘争を事とする鬼神阿修羅の略。もはや争闘のはじまる時刻になった。
一四二 石田三成と増田長盛。ともに秀吉の重臣で、秀次を讒言して死にいたらしめた。
一四三 ひどいめにあわせてやろう。
一四四 つまらぬやつ。
一四五 その間にわって入って。両者をへだてて。
一四六 殺生残虐を好むいつもの悪い所行。
一四七 失神したが。
一四八 「明け」の枕詞。
一四九 南無大師遍照金剛ととなえた。
一五〇 ようやく。やっと。
一五一 薬をのんだり鍼をうったりして治療養生した。
一五二 京都三条小橋の東南岸、瑞泉寺内にある悪逆塚。畜生塚ともいう。秀次の首、および妻子侍妾三十余人の首を埋め、僧慶順が、文禄四年(一五九五)に建立した。その後、角倉了意があらたに碑を建てて現存する。
[#改ページ]二 心安らかに平穏に治まれる国。日本の美称。
三 錦のようにうつくしい紅葉の林。春は花云々の対。
四 筑紫の枕詞。「知らぬ」に懸ける。
五 ここでは九州の国々。
六 船旅をする人。械は楫。
七 茨城県にあり、古来富士山と並んで関東の名山。
八 三重県多気町相可。
九 不幸があったわけでもないのに薙髪して。
一〇 生来無骨で融通のきかないのを案じて。
一一 一月・二条・三月と数を重ねる修辞法。別業は別邸。ここでは支店ととってよい。
一二 吉野山は桜の名所。下の千本・中の千本・上の千本・奥の千本とある。
一三 和歌山県伊都郡高野町にあり、古義真言宗総本山金剛峯寺がある。
一四 奈良県吉野郡天川町。
一五 高野山の美称。
一六 ゆきなやんで。
一七 東塔より西塔にいたる二町の間をいい、金堂・大塔・灌頂堂・御影堂・愛染堂等の重要な堂塔伽藍がある。
一八 奥の院にある大師廟。
一九 まったく。ちっとも。
二〇 この土地の規約・戒律。
二一 つてのない人。
二二 がっかりして。
二三 長いみちのり。
二四 作之治が自分をさす。
二五 父上が御病気になられはしまいかと。
二六 脚を痛め。
二七 日本の異称。
二八 この山を開基した弘法大師の広大な徳はとても語りつくせない。
二九 わざわざにでも。
三〇 来世の安楽往生をお願いしなければならないが。
三一 霊前で読経念仏すること。
三二 大師廟の前にあり、古くは拝殿・礼堂とよばれ、中に多くの灯籠が奉納されている。
三三 五〇町四方。実際は東西五〇町(五四五〇メートル)南北一〇町余り。
三四 見苦しい林。
三五 仏法僧三宝の徳を敬田・恩田・悲田といい、ここでは、その仏法僧の諸徳がそなわったありがたい霊地の意。
三六 経文の名。翻訳せずに梵語のままで誦する。
三七 鈴と錫の仏具。
三八 雲をおしわけるくらい高くそびえて茂りあい。
三九 道ばたを流れる水。
四〇 神の如き徳化力。
四一 霊魂を宿して。
四二 大師が高野山をひらいたのが弘仁七年(八一六)であり、八百余年後は一七世紀初頭にあたる。
四三 ますます顕著に。
四四 後世につたえられるすぐれた業績。
四五 諸国を遍歴してのこした旧跡。
四六 仏道を修行する場。
四七 御在世中の当時。
四八 大師が唐に渡ったのは延暦二三年(八〇四)。
四九 ふかく感じられたこと。
五〇 仏具で、金剛杵の一種。
五一 その結果。果して。
五二 御影堂の前にある。
五三 思いがけずも。不思議な縁で。
五四 この世だけでなく前世からの善因縁である。
五五 小声で。
五六 秋成の胆大小心録四五に「仏法僧は高野山で聞いたが、ブツパンブツパンとないた。形は見へなんだ」。
五七 この世でおかした罪を消滅して、来世の善因をつくるよい前兆。
五八 群馬県沼田市の北部にある。弥勒寺がある。
五九 栃木県日光市北方にある。
六〇 京都市伏見区にある。
六一 大阪府南河内郡太子町にある山か。
六二 仏徳を讃えるためにつくった詩で、多く四句から成る。
六三 三宝は仏法僧。性心雲水は有情の鳥の性と人心、無情の行雲と流水。了々は悟りの境地に入っている。大師の詩文集、遍照発揮性霊集、巻一〇にある。現代語訳を見よ。[#現代語訳「さびしい林の中の草の庵にひとり坐して暁をむかえると、折から仏・法・僧の三宝を唱える一羽の鳥の声を聞いた。一羽の鳥ですらすでに三宝を唱える声があるのだから、これを聞く自分にも、これに応じて仏心を発揮する心がある。有情の鳥声・人心、非情の行雲・流水、すべてこの山にあるものは法身如来の仏徳を開顕して悟りの境地に入っている」]
六四 松の尾は、京都市右京区にある山。新撰六帖や夫木集にある藤原光俊の歌。
六五 松の尾にある天台宗の寺。
六六 一二、三世紀の天台宗の高僧。最福寺の住職。
六七 法華経の信奉者。
六八 京都市右京区嵐山宮前町にある松尾神社。
六九 今夜めずらしくも仏法僧の一声を聞くことができた。
七〇 興趣を解し感動せずにおられようか。
七一 首を傾け思案して。
七二 秘密の山は高野山。真言秘密の法を行なう高野山では仏法僧の声も神秘の響をもつ。
七三 先ばらい。前駆。
七四 御廟橋の橋板を荒々しくふんで。
七五 摂政・関白・将軍などをいう。
七六 「うずくまる」意の古語。
七七 ノーシといい、貴人の平服。
七八 礼をして。
七九 木村常陸介重茲。秀次補佐の重臣。
八〇 白江備後守と熊谷大膳亮。ともに秀次の臣。
八一 神や天皇・貴人にたてまつり、賜わる酒。
八二 まめまめしく働いているので。
八三 鮮魚。転じて酒の肴。
八四 不破万作。秀次の近侍。美少年。
八五 酒徳利。
八六 里村紹巴。連歌の名人。信長・秀吉・秀次の恩をうけた。慶長七年(一六〇二)没。
八七 おっしゃる。
八八 夢然を一人称とした。
八九 松永貞徳の戴恩記に「顔おほきにして眉なく、明らかなるひとかは目にて、鼻大きにあざやかに」とある。
九〇 ひらたくて。
九一 目鼻だちのはっきりした人。
九二 故事古語古歌などについてあれこれと問いただす。
九三 紹巴に褒美を与えよ。
九四 徳高き高僧。ここでは弘法大師をさす。
九五 仏徳をうけて霊魂なきものはない。
九六 摩尼・楊柳・転軸の三山に発して、御廟橋の下を流れる小川。
九七 この歌の解には古来異説があるが、忘れても旅人は高野山の奥の玉川の水を汲んで飲んではいけない、毒があるからだ、の意に解すのが普通のようであり、秋成の解は本文に詳述している。風雅集一六に弘法大師作としてある。
九八 どうして水を涸らしてしまわれないのか。
九九 貴殿。対称代名詞。
一〇〇 花園上皇自撰の歌集。貞和二年(一三四六)成立。
一〇一 和歌などの前につける詞書。
一〇二 まちがったこと。
一〇三 目に見えない神を使役して。
一〇四 封じこめ。
一〇五 帰順せしめ。
一〇六 本当とは思えない。
一〇七 六玉川として有名。井出玉川、京都府綴喜郡井手町。野路玉川、滋賀県草津市。擣衣玉川、大阪府高槻市。高野玉川、和歌山県高野山。調布玉川、東京都西多摩郡。野田玉川、宮城県塩釜市付近。歌枕。
一〇八 これほど有名な。
一〇九 すっかり忘れていても。
一一〇 道理にはずれた妄説。
一一一 平安朝初期の歌風ではない。すなわち、弘法大師の作ではないの意を暗示する。
一一二 多くの玉を緒でつらぬいたもので、頭の飾り。
一一三 玉などを飾ったすだれ。またすだれの美称。
一一四 玉をつけた着物。また着物の美称。
一一五 玉という語。
一一六 むやみに仏をありがたがって尊ぶ人で。
一一七 たしなみのふかいことである。
一一八 ひとしお興を加えたことである。
一一九 一句どうだ。
一二〇 連歌の一句。
一二一 お聞きふるしでいらっしゃいましょう。
一二二 その者を召し出せ。
一二三 無我夢中で。
一二四 どなたでいらっしゃって。
一二五 いよいよ不審なことでございます。
一二六 秀吉の甥で、秀吉の猶子となり、内大臣から関白になったが、秀吉に実子の秀頼が誕生するにおよんで威勢を失い、官位を奪われて高野山に逐われ、文禄四年(一五九五)七月、青巖寺で自刃。二八歳。
一二七 以下の人々はいずれも秀次腹心の臣で、大半は秀次に殉じて死んだ。
一二八 僧の位で、法印・法眼につぐ。後には文人・画家・医師にも授かった。
一二九 不思議の御縁で拝顔の栄をえたのであるぞ。
一三〇 一瞬にして毛髪がふとくなるほどの恐ろしさ。
一三一 肝も魂も身をはなれて宙にうくような心地。
一三二 首から胸にかける袋で、近世には多く旅行用に用いられた。
一三三 とり乱すさま。
一三四 うまく、小ざかしくも詠んだな。
一三五 付句。五七五にたいしてつける七七。
一三六 芥子は真言宗で焚いて加持祈祷に用いる。みじか夜は夏の夜。牀は護摩壇。芥子を焚きながら短い夏の夜を、護摩壇のそばで護摩の秘法を行なってあかす。
一三七 どうでしょうか。
一三八 片端。不十分。不完全。下手でもない。
一三九 杯に酒をみたして。
一四〇 雀部淡路とよばれた人。
一四一 闘争を事とする鬼神阿修羅の略。もはや争闘のはじまる時刻になった。
一四二 石田三成と増田長盛。ともに秀吉の重臣で、秀次を讒言して死にいたらしめた。
一四三 ひどいめにあわせてやろう。
一四四 つまらぬやつ。
一四五 その間にわって入って。両者をへだてて。
一四六 殺生残虐を好むいつもの悪い所行。
一四七 失神したが。
一四八 「明け」の枕詞。
一四九 南無大師遍照金剛ととなえた。
一五〇 ようやく。やっと。
一五一 薬をのんだり鍼をうったりして治療養生した。
一五二 京都三条小橋の東南岸、瑞泉寺内にある悪逆塚。畜生塚ともいう。秀次の首、および妻子侍妾三十余人の首を埋め、僧慶順が、文禄四年(一五九五)に建立した。その後、角倉了意があらたに碑を建てて現存する。
二
一三
ここに播磨の国
正太郎今は
一二六二丁あまりを来てほそき
時うつりて
其の夜一六二三
かくして四十二日といふ其の夜にいたりぬ。今は一七三一夜にみたしぬれば、
此の事井沢が家へもいひおくりぬれば、涙ながらに香央にも告げしらせぬ。されば陰陽師が一八九
一 岡山県岡山市の吉備津神社に伝わる御釜祓いの神事。
二 嫉妬ぶかい女はとかく手におえないものだが。五雑組、巻八「人有下為二妬婦一解レ嘲者上……故諺有レ曰、到レ老方知二妬婦功一」。
三 家業を妨げ。
四 隣近所からのそしり。
五 嫉妬の害毒。
六 蛇に似た想像上の動物。ここはおろちをいう。
七 すごい雷をならして。
八 肉の塩辛。肉醤。
九 妻を教導したならば。
一〇 ちょっとした浮気。
一一 嫉妬ぶかい性質。
一二 鳥類を制して動けないようにするのは気合による。五雑組、巻八「禽之制在レ気、然則婦之制夫固有下出二於勇力之外一者上矣」。
一三 岡山県岡山市庭瀬。
一四 白旗城に拠った赤松氏。兵庫県上郡町にあった。
一五 一四四一年。赤松満祐が将軍足利義教を殺害した事件。
一六 赤松氏の居城白旗城。
一七 農業を生業として。「荀子」王制「春耕、夏耘、秋収、冬蔵、四者不レ失レ時、故五穀不レ絶而百姓有二余食一也」。
一八 いいつけ。命令。
一九 ああどうか。
二〇 結婚させたならば。
二一 備中の一の宮、吉備津神社の神主。
二二 十三絃の「こと」。
二三 「日本書記[#「日本書記」はママ]」応神二二年に見える吉備臣の一族、笠臣の祖。
二四 縁組をなさることは。
二五 きっと。
二六 媒酌人の自称。
二七 相手に対する尊称。
二八 いいことをきかせて下さったものです。
二九 家運長久のもとい。
三〇 身分卑しい農民。
三一 家柄がつりあわないから。翠々伝「門戸甚不レ敵」。
三二 うまくまとめて結婚という運びに致しましょう。
三三 いい相手があったら嫁入りさせたいものだ。
三四 心のやすまるひまもない。
三五 結納をとりかわす。
三六 吉日をえらんで。
三七 とり行なうことになった。
三八 ともに神職で、巫子はおもに女のみこ、祝部は禰宜の下の位。
三九 神前に御湯を供えて御釜祓の神事を行なう。
四〇 数多くのお供物。
四一 御嘉納にならないのであろうか。
四二 いっこう。ちっとも。
四三 夫婦の縁を結んだうえは。幽怪録「問二嚢中赤縄一、云、繋二夫婦之足一、雖二仇家異域一、此縄一繋終不レ可レ易」。
四四 ほまれある武門の後裔で。
四五 厳格な家風の家。
四六 婿になるべき人。
四七 とんでもないこと。
四八 母親の立場からした心持であろう。
四九 新夫婦の契りの末長からんことを祝った。淮南子「鶴千歳極二其遊一、亀経二万歳齢一」。
五〇 夫の性質をのみこんでそれに順応するように。
五一 舅姑に仕えて孝行であり、夫にかしずいて貞節であるのを感心だとして。
五二 生来のわがままで放蕩な性質。
五三 広島県福山市の港で、古来瀬戸内海の要港。庭瀬の西南六〇余キロ。
五四 遊女。
五五 身請けして。
五六 かこつけて。
五七 まったくうわのそらにききながして。
五八 ひと月以上も。
五九 真心こめた誠実なふるまい。
六〇 朝夕の仕え。奴は忠実に仕えること。
六一 説いて味方にひきいれる。手なずけて。
六二 いかりをなだめやわらげよう。
六三 袖をさす。
六四 兵庫県の加古川と明石川の間の平野で、稲美町付近が中心。歌枕。
六五 身分卑しく不幸な境遇。
六六 かわいそうに思って。
六七 港町の遊女。
六八 卑しい勤めの身。
六九 ちゃんとした身分のある人。
七〇 旅費と衣類。
七一 工面して。都合して。
七二 そなた。
七三 注文して頼む。
七四 正太郎をにくみ、磯良をあわれんで。
七五 医者にかけてその効験をねがいもとめたが。
七六 粥さえだんだんのどをとおらなくなって。
七七 兵庫県高砂市の一部。庭瀬からは東八〇余キロ。
七八 みんながみんな。
七九 一つ釜の飯をわけあって、協力して暮しの工夫をしようではないか。
八〇 風邪の気味。
八一 何ということなくわずらい出して。
八二 もののけでもついたように。
八三 正太郎をさす。
八四 介抱する。看病する。
八五 声をあげて泣くばかりで。
八六 胸がさしこんできて、たえられない様子で。
八七 熱がひき、発作がやむと。
八八 生霊・怨霊というもののたたりであろうか。
八九 磯良がもしかしたら怨霊となってたたりをしているのではなかろうか。
九〇 正太郎はひとりで胸をいためる。
九一 流行病。ここではおこりなどをさす。
九二 熱気がすこしさめたらば。
九三 自分もともに死にたいと狂気のようになっているのを。
九四 野辺に送って火葬にしてしまった。
九五 卒塔婆をたて。
九六 亡き袖のいる冥途を慕ったが。
九七 中国古代にはじまる俗信で、死者の霊魂をこの世によびもどす法。
九八 前に進もうとすれば渡し舟がなく、後に退こうとすれば道がわからなく、進退きわまって途方にくれる状態。
九九 ひねもす。終日。
一〇〇 古今集四「月みれば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」。
一〇一 「よそ」の枕詞。
一〇二 人気のないさびしい荒野。
一〇三 男子に対する敬称。
一〇四 はなれがたい方。肉親。愛する方。
一〇五 御推量申しあげて。
一〇六 さようでございます。
一〇七 いとしい妻。
一〇八 私ひとり生きのこって頼りなく心細い。
一〇九 せめてもの心の慰めとしているのです。
一一〇 同じような事情がおありなのでございましょうね。
一一一 御主人様のお墓で。
一一二 奥方。死んだ人の未亡人。
一一三 重い病気におかかりになられたので。
一一四 一家の主婦。奥方。
一一五 なくなった方。
一一六 由緒ある家柄の御方。
一一七 隣国にまで評判の高い。
一一八 この奥方のことが原因で。
一一九 生来の浮気心がきざしたというわけではないが、何となくひかれて。
一二〇 「さて」を強めた語。
一二一 はなしあってお互いに心の憂さをなぐさめよう。
一二二 一緒につれていって下さい。
一二三 少し横に入った方。
一二四 奥方は頼る方を失って心細くいらっしゃいますから。
一二五 きっとお待ちかねでいらっしゃいましょうよ。
一二六 約二一八メートル。
一二七 薄暗い。
一二八 茅ぶき屋根の家。
一二九 広くもない。狭い。
一三〇 ともしびの光が風に吹きあおられて。
一三一 黒塗りの違い棚。立派な調度である。
一三二 古くは身分ある女性が男子とあう時には、几帳や簾、屏風などを隔ててあうのが礼儀であり、習慣であった。
一三三 植えこみのある前庭。
一三四 柱と柱の間を一間という。
一三五 御主人に先だたれて頼りなくなられたうえに。
一三六 愛妻。
一三七 たずねたりたずねられたりして心を慰めあおうと思って。
一三八 たって参上いたしました。
一三九 ひどい仕打ちにたいする返報がどんなものか思いしらせてあげよう。
一四〇 力なくどろんとした眼。
一四一 キャーッとか、あれえとかいう悲鳴。
一四二 ここは墓地にある慰霊堂。
一四三 遠い人里で吠える犬の声。
一四四 なあに多分狐にだまされたのだろう。
一四五 人を迷わす神がとりつくものだ。
一四六 心をしずめおちつけたがよい。
一四七 兵庫県加古川市北在家付近。刀田山鶴林寺がある。荒井からは東約四キロ。
一四八 ここは占師、加持祈祷師。
一四九 身心をきよめて。
一五〇 魔よけのお守札。
一五一 身辺近く切迫していて容易なことではない。
一五二 袖をさす。
一五三 磯良の怨霊をさす。
一五四 死後四九日の間は霊魂が彼岸へ行かずに中有をさまよっているという仏教の説。
一五五 厳重な謹慎。
一五六 九死に一生を得ることができるかもしれない。
一五七 たとえ一時たりともこの戒めを破ったならば、死を免れないであろう。
一五八 籀文と篆書で、中国古代の書体。
一五九 朱で書いたお守札。
一六〇 まじない札。
一六一 一方では恐れ、また一方ではよろこんで。
一六二 午前零時―二時。
一六三 お守札。
一六四 なげく。
一六五 蘇生した思いで。
一六六 的中したことをいかにも不思議だと思って。
一六七 何か異常なことがおこりそうな不気味な夜の気配。
一六八 午前二時―四時。
一六九 身分低い者などが住む家。ここは破屋。正太郎の家。
一七〇 身の毛もよだって。
一七一 この数十日間というものは、まるで千年をすごすよりも長く思われた。
一七二 一晩ますごとに。
一七三 今夜一夜で物忌みの期間も終るところまできたので。
一七四 しばらくするうちに。
一七五 壁に身を寄せて。
一七六 思慮分別の浅い男。軽はずみなうかつ者。
一七七 尻もちをつく。
一七八 正太郎の身の上に異変が起ったに違いない。
一七九 さっき正太郎が夜が明けたと思ったのは、怨霊にだまされたのである。
一八〇 月は中空にありながら、その光りはぼんやりとおぼろで。
一八一 どこにもかくれることのできるような広い住居でもないので。
一八二 灯火を振って明るくして。
一八三 鮮血。
一八四 高くさしあげて。
一八五 髪を頭の頂で束ねた部分。たぶさ。
一八六 なにひとつない。
一八七 とても書きつくせないほどである。
一八八 形跡さえ見つからなくて、そのままに終った。
一八九 占いがよく的中したこと。
一九〇 御釜祓の凶兆のお告げもはたしてそのまま事実となってあらわれたことは。
[#改ページ]二 嫉妬ぶかい女はとかく手におえないものだが。五雑組、巻八「人有下為二妬婦一解レ嘲者上……故諺有レ曰、到レ老方知二妬婦功一」。
三 家業を妨げ。
四 隣近所からのそしり。
五 嫉妬の害毒。
六 蛇に似た想像上の動物。ここはおろちをいう。
七 すごい雷をならして。
八 肉の塩辛。肉醤。
九 妻を教導したならば。
一〇 ちょっとした浮気。
一一 嫉妬ぶかい性質。
一二 鳥類を制して動けないようにするのは気合による。五雑組、巻八「禽之制在レ気、然則婦之制夫固有下出二於勇力之外一者上矣」。
一三 岡山県岡山市庭瀬。
一四 白旗城に拠った赤松氏。兵庫県上郡町にあった。
一五 一四四一年。赤松満祐が将軍足利義教を殺害した事件。
一六 赤松氏の居城白旗城。
一七 農業を生業として。「荀子」王制「春耕、夏耘、秋収、冬蔵、四者不レ失レ時、故五穀不レ絶而百姓有二余食一也」。
一八 いいつけ。命令。
一九 ああどうか。
二〇 結婚させたならば。
二一 備中の一の宮、吉備津神社の神主。
二二 十三絃の「こと」。
二三 「日本書記[#「日本書記」はママ]」応神二二年に見える吉備臣の一族、笠臣の祖。
二四 縁組をなさることは。
二五 きっと。
二六 媒酌人の自称。
二七 相手に対する尊称。
二八 いいことをきかせて下さったものです。
二九 家運長久のもとい。
三〇 身分卑しい農民。
三一 家柄がつりあわないから。翠々伝「門戸甚不レ敵」。
三二 うまくまとめて結婚という運びに致しましょう。
三三 いい相手があったら嫁入りさせたいものだ。
三四 心のやすまるひまもない。
三五 結納をとりかわす。
三六 吉日をえらんで。
三七 とり行なうことになった。
三八 ともに神職で、巫子はおもに女のみこ、祝部は禰宜の下の位。
三九 神前に御湯を供えて御釜祓の神事を行なう。
四〇 数多くのお供物。
四一 御嘉納にならないのであろうか。
四二 いっこう。ちっとも。
四三 夫婦の縁を結んだうえは。幽怪録「問二嚢中赤縄一、云、繋二夫婦之足一、雖二仇家異域一、此縄一繋終不レ可レ易」。
四四 ほまれある武門の後裔で。
四五 厳格な家風の家。
四六 婿になるべき人。
四七 とんでもないこと。
四八 母親の立場からした心持であろう。
四九 新夫婦の契りの末長からんことを祝った。淮南子「鶴千歳極二其遊一、亀経二万歳齢一」。
五〇 夫の性質をのみこんでそれに順応するように。
五一 舅姑に仕えて孝行であり、夫にかしずいて貞節であるのを感心だとして。
五二 生来のわがままで放蕩な性質。
五三 広島県福山市の港で、古来瀬戸内海の要港。庭瀬の西南六〇余キロ。
五四 遊女。
五五 身請けして。
五六 かこつけて。
五七 まったくうわのそらにききながして。
五八 ひと月以上も。
五九 真心こめた誠実なふるまい。
六〇 朝夕の仕え。奴は忠実に仕えること。
六一 説いて味方にひきいれる。手なずけて。
六二 いかりをなだめやわらげよう。
六三 袖をさす。
六四 兵庫県の加古川と明石川の間の平野で、稲美町付近が中心。歌枕。
六五 身分卑しく不幸な境遇。
六六 かわいそうに思って。
六七 港町の遊女。
六八 卑しい勤めの身。
六九 ちゃんとした身分のある人。
七〇 旅費と衣類。
七一 工面して。都合して。
七二 そなた。
七三 注文して頼む。
七四 正太郎をにくみ、磯良をあわれんで。
七五 医者にかけてその効験をねがいもとめたが。
七六 粥さえだんだんのどをとおらなくなって。
七七 兵庫県高砂市の一部。庭瀬からは東八〇余キロ。
七八 みんながみんな。
七九 一つ釜の飯をわけあって、協力して暮しの工夫をしようではないか。
八〇 風邪の気味。
八一 何ということなくわずらい出して。
八二 もののけでもついたように。
八三 正太郎をさす。
八四 介抱する。看病する。
八五 声をあげて泣くばかりで。
八六 胸がさしこんできて、たえられない様子で。
八七 熱がひき、発作がやむと。
八八 生霊・怨霊というもののたたりであろうか。
八九 磯良がもしかしたら怨霊となってたたりをしているのではなかろうか。
九〇 正太郎はひとりで胸をいためる。
九一 流行病。ここではおこりなどをさす。
九二 熱気がすこしさめたらば。
九三 自分もともに死にたいと狂気のようになっているのを。
九四 野辺に送って火葬にしてしまった。
九五 卒塔婆をたて。
九六 亡き袖のいる冥途を慕ったが。
九七 中国古代にはじまる俗信で、死者の霊魂をこの世によびもどす法。
九八 前に進もうとすれば渡し舟がなく、後に退こうとすれば道がわからなく、進退きわまって途方にくれる状態。
九九 ひねもす。終日。
一〇〇 古今集四「月みれば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」。
一〇一 「よそ」の枕詞。
一〇二 人気のないさびしい荒野。
一〇三 男子に対する敬称。
一〇四 はなれがたい方。肉親。愛する方。
一〇五 御推量申しあげて。
一〇六 さようでございます。
一〇七 いとしい妻。
一〇八 私ひとり生きのこって頼りなく心細い。
一〇九 せめてもの心の慰めとしているのです。
一一〇 同じような事情がおありなのでございましょうね。
一一一 御主人様のお墓で。
一一二 奥方。死んだ人の未亡人。
一一三 重い病気におかかりになられたので。
一一四 一家の主婦。奥方。
一一五 なくなった方。
一一六 由緒ある家柄の御方。
一一七 隣国にまで評判の高い。
一一八 この奥方のことが原因で。
一一九 生来の浮気心がきざしたというわけではないが、何となくひかれて。
一二〇 「さて」を強めた語。
一二一 はなしあってお互いに心の憂さをなぐさめよう。
一二二 一緒につれていって下さい。
一二三 少し横に入った方。
一二四 奥方は頼る方を失って心細くいらっしゃいますから。
一二五 きっとお待ちかねでいらっしゃいましょうよ。
一二六 約二一八メートル。
一二七 薄暗い。
一二八 茅ぶき屋根の家。
一二九 広くもない。狭い。
一三〇 ともしびの光が風に吹きあおられて。
一三一 黒塗りの違い棚。立派な調度である。
一三二 古くは身分ある女性が男子とあう時には、几帳や簾、屏風などを隔ててあうのが礼儀であり、習慣であった。
一三三 植えこみのある前庭。
一三四 柱と柱の間を一間という。
一三五 御主人に先だたれて頼りなくなられたうえに。
一三六 愛妻。
一三七 たずねたりたずねられたりして心を慰めあおうと思って。
一三八 たって参上いたしました。
一三九 ひどい仕打ちにたいする返報がどんなものか思いしらせてあげよう。
一四〇 力なくどろんとした眼。
一四一 キャーッとか、あれえとかいう悲鳴。
一四二 ここは墓地にある慰霊堂。
一四三 遠い人里で吠える犬の声。
一四四 なあに多分狐にだまされたのだろう。
一四五 人を迷わす神がとりつくものだ。
一四六 心をしずめおちつけたがよい。
一四七 兵庫県加古川市北在家付近。刀田山鶴林寺がある。荒井からは東約四キロ。
一四八 ここは占師、加持祈祷師。
一四九 身心をきよめて。
一五〇 魔よけのお守札。
一五一 身辺近く切迫していて容易なことではない。
一五二 袖をさす。
一五三 磯良の怨霊をさす。
一五四 死後四九日の間は霊魂が彼岸へ行かずに中有をさまよっているという仏教の説。
一五五 厳重な謹慎。
一五六 九死に一生を得ることができるかもしれない。
一五七 たとえ一時たりともこの戒めを破ったならば、死を免れないであろう。
一五八 籀文と篆書で、中国古代の書体。
一五九 朱で書いたお守札。
一六〇 まじない札。
一六一 一方では恐れ、また一方ではよろこんで。
一六二 午前零時―二時。
一六三 お守札。
一六四 なげく。
一六五 蘇生した思いで。
一六六 的中したことをいかにも不思議だと思って。
一六七 何か異常なことがおこりそうな不気味な夜の気配。
一六八 午前二時―四時。
一六九 身分低い者などが住む家。ここは破屋。正太郎の家。
一七〇 身の毛もよだって。
一七一 この数十日間というものは、まるで千年をすごすよりも長く思われた。
一七二 一晩ますごとに。
一七三 今夜一夜で物忌みの期間も終るところまできたので。
一七四 しばらくするうちに。
一七五 壁に身を寄せて。
一七六 思慮分別の浅い男。軽はずみなうかつ者。
一七七 尻もちをつく。
一七八 正太郎の身の上に異変が起ったに違いない。
一七九 さっき正太郎が夜が明けたと思ったのは、怨霊にだまされたのである。
一八〇 月は中空にありながら、その光りはぼんやりとおぼろで。
一八一 どこにもかくれることのできるような広い住居でもないので。
一八二 灯火を振って明るくして。
一八三 鮮血。
一八四 高くさしあげて。
一八五 髪を頭の頂で束ねた部分。たぶさ。
一八六 なにひとつない。
一八七 とても書きつくせないほどである。
一八八 形跡さえ見つからなくて、そのままに終った。
一八九 占いがよく的中したこと。
一九〇 御釜祓の凶兆のお告げもはたしてそのまま事実となってあらわれたことは。
いつの
四八くるしくもふりくる雨か三輪が崎
佐野のわたりに家もあらなくに
佐野のわたりに家もあらなくに
とよめるは、まこと四九けふのあはれなりける。此の家
新宮の
六八
豊雄、はじめより都人の
太郎は一二九
母、豊雄を召して、さる物一四二何の
豊雄、
太郎、夜の明くるを待ちて、大宮司の
武士らかしこまりて、又豊雄を押したてて
家は
此の
二郎の姉が家は、二一三
田辺が家は
豊雄
豊雄
岩がねづたひに来る人あり。髪は二七三
二七八
父母、太郎夫婦、此の恐ろしかりつる事を聞きて、いよよ豊雄が
二日の夜、よきほどの
かくて
豊雄すこし三四七心を収めて、かく
又立ち出でて庄司にむかひ、かう三六四浅ましきものの添ひてあれば、ここにありて人々を苦しめ奉らんはいと三六五心なきことなり。只今
豊雄を
一 蛇の化身が一青年につきまとう愛欲の執念を主題としたところからこの題がでた。
二 和歌山県新宮市三輪崎。海辺で、歌枕。
三 漁場で大いに儲けて。
四 大魚も小魚もすべて漁獲して。古事記・祝詞などに見える語。
五 太郎は名前とも長男の意ともとれるが、ここは太郎という名の長男ととっていい。
六 二番目の子。
七 風流なこと。
八 実直に生業を営む気持。
九 他人にとられてしまうだろう。
一〇 養子にやって他家をつがせるのも。
一一 いやなこと。
一二 心苦しい。
一三 したいことをさせながら。
一四 ここは、学者。
一五 ここは、僧侶。
一六 豊雄の一生は。
一七 厄介者。
一八 しつけ。
一九 新宮市にある熊野権現速玉神社。熊野三山(本宮・新宮・那智)の一。
二〇 ここは、神官。
二一 余波。
二二 この地方は東南から天気がくずれる。雷峯怪蹟「霧鎖二東南一、早落下微々的細雨来了」。
二三 雨傘。
二四 新宮市にある阿須賀神社。
二五 宝物殿であるが、ここは本殿とみてよい。
二六 旦那様の所の末の御子息。
二七 むさくるしいあばら家。
二八 円く渦に編んだ敷物。
二九 塵をはらって。
三〇 ほんのしばらく雨宿りする間だから何でもかまわない。
三一 髪の形が大層あでやかで。
三二 遠山の様を色うつくしく摺り出して模様とした着物。
三三 年若い侍女。中国白話小説の用字。
三四 ぐっしょりと濡れて。
三五 いかにも困った様子。
三六 思わずも。
三七 本宮・新宮・那智の熊野三山へ参詣すること。
三八 下僕らしい者。
三九 中途半端な。不用意な。
四〇 せまい住居。
四一 そろって並ぶ。
四二 近くでみると一層うつくしく見えること。
四三 心がぽーっとして。
四四 高貴の家の御方。
四五 和歌山県田辺市の西、四村にある湯の峰温泉。
四六 殺風景な。
四七 見物して一日をくらす。
四八 佐野は三輪崎の西南。万葉集三、長忌寸奥麻呂の歌。秋成は「金砂」でこの歌に注している。
四九 今日のこの風情とおなじである。
五〇 世話をしている男。
五一 心おきなく。くつろいで。
五二 おっしゃって下さる。
五三 御親切なあたたかい御情で濡れた着物をほしてまいりましょう。思ひの「ひ」を「火」にかけ、乾すは縁語。
五四 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある那智権現と青岸渡寺。熊野三山の一。
五五 見境もなく。分別もなく。
五六 しいて。無理に。
五七 何かのついでにいただきにまいりましょう。
五八 雨はいっこうに小やみになったとも思えないのに。
五九 使を出しましょう。
六〇 さし戴くに、傘の縁語「さす」をかけた。
六一 見送って。
六二 どうしても忘れられず。
六三 日光をよけ風雨を防ぐための横戸。ふつう上下二つになっていて、上はあげさげができ、下はとりはずせる。寝殿造りなどの高貴な邸宅に多い。
六四 簾をふかくおろして。簾は蔀の内側にかける。
六五 この夢が現実であったならば、どんなにうれしかろう。
六六 そわそわとしておちつかないので。
六七 心もそぞろにうきたって家を出た。
六八 昼すぎまで。
六九 お嬢さま。
七〇 思いながら。
七一 雨傘を貸して下さった方がいらしたのを御案内してまいりました。
七二 新宮に、の意にとっておく。
七三 学問の先生。
七四 ぶしつけながら、こちらから推参しました。
七五 鬟の名。
七六 けっして。必ず。
七七 表座敷。
七八 客があると板敷に敷く畳。
七九 台に柱を二本たて横木を渡してそこに帳をかけた家具。隔てのために座側にたてた。
八〇 調度品などをおさめる両びらきの置戸棚。
八一 壁のかわりに長押からおろし、また母屋の廂の間をさえぎった絹。御簾と併用した。
八二 身分のない人。
八三 主人のいない家とも、人手のない家とも解せる。
八四 行き届いたおもてなし。
八五 粗酒。謙辞。
八六 食物を盛る器。足のあるのが高坏、足のないのが平坏。
八七 酒器と素焼きの杯。
八八 「桜」の枕詞。
八九 映る。
九〇 巧みにあしらう。
九一 立ちくぐる。とびまわる。
九二 鶯の如く美しく妙なる声。
九三 恥かしいことだと打ちあけずに心悩み、焦れ死にでもしてしまったら。
九四 神のたたりだと、何もしらない神にまで無実の罪をきせることになるであろう。伊勢物語、八九「人知れずわれ恋ひ死なばあぢきなくいづれの神になき名おふせむ」。
九五 けっして浮気心でいうあだごととお聞き下さいますな。
九六 国守の下役人。
九七 四年の任期がまだ終らないこの春に。
九八 生まれ故郷の都も。
九九 思いますので。
一〇〇 今後の生涯をもって。
一〇一 妻としてあなたのそばにお仕えしたい。
一〇二 けがらわしい女だと。
一〇三 末長い夫婦の契り。
一〇四 心乱れるまでに思い慕っていた女であるから。
一〇五 「飛び立つ」の序詞。
一〇六 親がかりの身。
一〇七 つらく思って。
一〇八 おろかなこと。
一〇九 ひっこみのつかないのが恥かしい。
一一〇 冗談。たわむれごと。
一一一 自分の推測が当っていた。
一一二 熊野灘は鯨の寄る浜として名高い。
一一三 いつ聞く事ができようか。
一一四 即答。
一一五 結納。結婚費用。
一一六 財産。
一一七 孔子のような聖人でさえよろめく恋のためには。
一一八 お通い下さい。夫が妻の許に通う古代の結婚形態。
一一九 この上ない宝として。
一二〇 帯びるもの、太刀。
一二一 ものすごいまでに。
一二二 めでたいことのはじめに。
一二三 縁起がわるい。
一二四 しきりに。
一二五 親の許可をえていない外泊。
一二六 叱るでしょう。
一二七 口実をもうけてまいりましょう。
一二八 目がさえて安眠できずに。
一二九 網をひく漁師を召集してそれぞれの部署に配置するために。
一三〇 早朝。
一三一 どこから手に入れてきたのであろう。
一三二 不審に思って。
一三三 金をはらって。
一三四 人がくれたのを。
一三五 こむずかしい漢字の書籍を買い集めるのさえ。
一三六 ひどい無駄づかい
一三七 新宮速玉神社の祭礼の行列に加わってねり歩くつもりだろう。るは、ようすをつくって歩く。
一三八 何という狂気じみたことをするのか。
一三九 厄介者。豊雄をさす。
一四〇 問いただして下さい。
一四一 なまけるとこまるから、浜の方へ行ってくる。
一四二 何にしようと思って。
一四三 おまえ。対称代名詞。
一四四 するままにさせておいたが。
一四五 わきまえないのか。
一四六 しかるべき理由。
一四七 手柄。功績。
一四八 さっぱり腑におちないことだ。
一四九 恥かしいこと。面目ないこと。
一五〇 主婦。
一五一 私はふつつか者ですが。
一五二 一緒にたって。
一五三 相談して力になってもらおうと。
一五四 はやくも見つかって叱られてしまったことだ。
一五五 これこれこうした素姓の人の妻で、夫を失って頼りのない人が。
一五六 まだ独立せずに、部屋ずみの分際で。
一五七 勘当という重い処罰。勘当は父から絶縁放逐されること。
一五八 気の毒。あわれ。
一五九 うまくはなして承諾を得るようにしてみましょう。
一六〇 ここは村長、庄屋。
一六一 御祈願が成就なさってそのお礼として。
一六二 新宮(熊野権現)。
一六三 新宮はふるくは宝蔵なく、宝物は本殿に納めてあり、享保前後に宝蔵ができた。
一六四 「ダイグジ」と訓ませている。大社の神官の長。
一六五 国司の次官。
一六六 詮議する。
一六七 どうみても。
一六八 父の前に。
一六九 あるのは。
一七〇 とんでもないこと。たいへんなこと。
一七一 他人のものはたとえ毛一本なりともとらないのに。白娘子永鎮雷峰塔・孟子等にこの語がある。
一七二 自首しないで、他人の口から露顕したら。
一七三 情けないことだ。
一七四 国司の庁。役所。
一七五 真中にとりかこんで。
一七六 もとの意は、天津罪に対して、国土で行なわれた罪。ここでは国の掟をやぶった罪。祝詞に見える語。
一七七 どこに。
一七八 ようやく捕縛された理由がわかり。
一七九 けっして。
一八〇 どうか。なにとぞ。
一八一 この男(豊雄)を先におしたてていって。
一八二 忍草の一種。軒しのぶ。
一八三 まったく茫然自失とした状態。
一八四 近所の者たちをよびあつめた。
一八五 きこりの老人。
一八六 米搗(つ)き男。
一八七 うずくまる。古語。
一八八 ちっとも。ついぞ。
一八九 家豊かに人も大勢使って。
一九〇 ここは、九州。
一九一 漆細工をする職人。
一九二 ともかくも。
一九三 雑草が生え放題に生え茂っている藪。
一九四 高く茂っているので先が傾いている状態。
一九五 さっと。
一九六 驚愕のために声も出ずに。
一九七 度胸のすわった男。
一九八 板張りのゆか。
一九九 体外へ排出する意。
二〇〇 トバリとよめば垂れ絹、チョウとよめば几帳。どちらにもとれるが、几帳ととった方がよい。
二〇一 急にはげしくなる雷。
二〇二 高麗国より渡来した錦で、高価な舶来品。
二〇三 中国から渡来した綾織物で、高価な舶来品。
二〇四 穀や麻などで織った布で、青や赤の糸を用いて乱文を織りだし、帯などに用いた。
二〇五 固織。目のつんだ絹織物。
二〇六 突きさすのに用いる武器。
二〇七 矢を入れて背中に負う具。やなぐい、えびらの類で、木製・銅製がある。
二〇八 新宮から紛失した宝物。
二〇九 当面の罪。理由のいかんにかかわらず盗品をもっていたという罪。
二一〇 金品を贈って刑罰を軽くしてもらうこと。
二一一 世間と交際することも。故郷の人に顔むけすることも。豊雄のことば。
二一二 むこうへいって、何か月か暮してこい。
二一三 奈良県桜井市金屋から東方にあり、初瀬観音への参道で、門前市。椿市、海柘榴市とも書く。
二一四 この数か月来の災難に同情して。
二一五 親切に。手厚く。
二一六 奈良県桜井市初瀬にある、新義真言宗豊山派総本山、豊山神楽院長谷寺。名刹として平安朝以来、皇室・貴族の信仰がさかんであった。
二一七 諸仏の中では初瀬の観音こそとりわけ霊験あらたかであるということは、遠く中国にまでその評判が伝わっている。源氏物語、玉鬘「仏の御中には、はつせなん、日の本のうちには、あらたなるしるしあらはし給ふと、もろこしにだにきこえあんなる」。
二一八 店内も狭いほど客がたてこんでいる中に。
二一九 上品でうつくしい女。
二二〇 数種の香をねりあわせてつくった煉香。
二二一 旦那様。
二二二 妖怪、魔性をいう。
二二三 うろたえながらしきりに隠れようとするのを。
二二四 私のいたらない心から夫を罪におとしいれたこと。
二二五 御安心させようと思って。
二二六 人出の多いところ。
二二七 そのうえこんなのどかな昼日中に、どうしてあらわれることができようか。
二二八 妖怪変化が人間に化けたものは、その着物に縫目なく、太陽に照らされて影がないといわれる。白娘子永鎮雷峰塔に「我怎的是鬼怪、衣裳有レ縫、対レ日有レ影」とある。
二二九 正しい道理をよく御判断になって。
二三〇 あきれるばかり。
二三一 青空の上天気に急にはげしく雷がなって。
二三二 主語は真女児。
二三三 私。女子の自称。
二三四 荒れ果てた野原のような家の様子。
二三五 はかりだましたこと。計略。
二三六 初瀬の観世音。
二三七 初瀬古川の川辺に向いあっている二本杉のように、祈りのかいあって二人は再会できた。古今集一九「初瀬川ふる川の辺に二本ある杉、年をへてまたもあひ見むふた本ある杉」。源氏物語、玉鬘・手習などにも記されている。
二三八 うれしくもまためぐりあうことができたのは。瀬は、機会、折。「瀬」「ながれあふ」は、川の縁語。源氏物語、玉鬘に見えている。
二三九 観世音菩薩の広大無辺なおめぐみ。
二四〇 あなたを慕う私の気持のほんのすこしでもおくみとり下さい。
二四一 女らしい可憐な。
二四二 妖怪変化などが人間に化けてあらわれるはずのないいまの時世。
二四三 あちこちと苦労してたずねる。
二四四 気にいるようにその機嫌をとって。
二四五 葛城の高間山に夜ごと立つ雲は、雨をふらせるが。奈良県と大阪府・和歌山県との境にある葛城山脈の主峰。葛城山・金剛山。夜と暁、雲と雨は対。雲雨で男女の契りをあらわす。新拾遺集、「葛城や高間の山にゐる雲のよそにもしるき夕立の空」。
二四六 初瀬寺の暁鐘とともに夜来の雨もやむ。文選、高唐賦「旦為二朝雲一、暮為二行雨一、朝々暮々、陽台之下」、唐詩選、劉廷芝の公子行「為レ雲為レ雨楚襄王」。
二四七 いまでは再会の日の遅かったことを恨んだ。白娘子永鎮雷峰塔「只恨相見之晩」。
二四八 なんといっても紀州路とくらべると景色がすぐれているであろう。
二四九 名も美しい。吉野の枕詞。
二五〇 奈良県吉野郡吉野町にある船形の山。歌枕。
二五一 吉野川の上流。歌枕。
二五二 万葉集九、「山高み白木綿花に落ち激つ夏身の川門見れど飽かぬかも」。秋成「名くはし吉野の国は……いきかひて見れども飽かずあそびせし」(岩橋の記)。
二五三 さあまいりましょう。
二五四 高貴の方がいいとおっしゃった。万葉集一、天武天皇「よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よくみよよき人よく見つ」。
二五五 のぼせて。
二五六 おともをして。
二五七 山のおみやげ。
二五八 牛車こそもっていないが。
二五九 気がかりに思う事だろう。
二六〇 親切に。
二六一 途中で倒れてもどうして行かないですまされようか。
二六二 不本意ながら。
二六三 花やかに装って。
二六四 親しく交際していた。
二六五 晩春の流鶯。枝から枝へうつって乱れ啼く。
二六六 ご案内しましょう。
二六七 源氏、若紫「明け行く空はいといとう霞みて」。
二六八 源氏、若紫「少し立ち出でつつ見渡し給へば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる」。
二六九 どこということなく。
二七〇 吉野離宮。吉野郡吉野町宮滝にあった。
二七一 「滝」の枕詞。
二七二 檜板で作った弁当箱。
二七三 長くつないでよった麻糸。
二七四 丸くたばねた。
二七五 背を向けて。
二七六 雨足のはげしい形容。
二七七 おししずめて。
二七八 みすぼらしい家の軒下に身をかがめて。
二七九 そなた。対称代名詞。
二八〇 ここは、正体をくらまして人をたぶらかす邪神、妖神。
二八一 命をお助け下さい。
二八二 牛と交尾しては麟を生み、馬と交わっては竜馬を生む。「五雑組」巻九「与レ牛交則生レ麟、……与レ馬交則生二竜馬一」。
二八三 この妖神がそなたに憑いてまどわせたのも。
二八四 みだらな、不義なまじわりをする。
二八五 ここは、凡人をはるかに超えた尊い神。
二八六 天理市新泉にある大和(オオヤマト)神社。
二八七 道中見送ってあげよう。
二八八 大和神社の付近。
二八九 恩をうけた礼をいい。
二九〇 岐阜県から産出した上等の絹。疋は、布帛・巻物を数える単位。二反を一疋とする。
二九一 九州産の真綿。古くより有名。屯は綿の量目の単位。二斤を一屯とする。
二九二 ここは、お祓い。
二九三 ここは、配下の神官たち。
二九四 真女児をさす。
二九五 そなたにまつわりつく。
二九六 男らしいしっかりした心。
二九七 雄雄しい勇気をふるいおこして。
二九八 お礼の言葉もいいつくせないほど感謝して。
二九九 厄介者。
三〇〇 理由のないことである。
三〇一 妻のない独身男。
三〇二 和歌山県田辺市栗栖川。旧熊野路、中辺路にある。道成寺説話の清姫の生誕地真砂の荘のそば。
三〇三 内裏、宮中。
三〇四 地方官の子女で天皇の陪膳に奉仕する女官。
三〇五 婚約を結んだ。
三〇六 万事に満足したにつけても。
三〇七 少しばかり。おぼろげに。
三〇八 きっと。やっぱり。
三〇九 かの御所などでは。
三一〇 近衛府の次官と参議。共に青年貴族が多く任じられた。
三一一 男女が契る。同衾。
三一二 すぐに。
三一三 すでに富子が真女児になっている。前からのふかい仲を忘れて。
三一四 特別に取柄もない女。富子をさす。
三一五 寵愛なさる。源氏、夕顔「かくことなる事なき人を率ておはして時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」。
三一六 あなたの方こそ憎らしく思われる。
三一七 あなた、そんなびっくりなさいますな。
三一八 海よりふかく山より高く、永くかわるまいとかたく誓った二人の契り。翠翠伝「誓レ海盟レ山心已許」。
三一九 前世からこうなると定まった因縁。
三二〇 あかの他人のいうことをまにうけて。
三二一 むだに大切な御命をすてておしまいなさいますな。
三二二 ただふるえおののくばかりで。
三二三 とりころされてしまいそうな心持がして。
三二四 気を失った。
三二五 腹立ってじれるさま。
三二六 なだめたりおどしたり。
三二七 いいながらも。
三二八 京都市左京区鞍馬山にある名刹鞍馬寺。修験者の登山修行がさかんであった。
三二九 向いの山。万葉集によく見る語。
三三〇 寺院。梵語。
三三一 効験あらたかな。
三三二 流行病、妖怪、稲につく害虫。
三三三 お迎えしよう。
三三四 よびにやったところ。
三三五 ここは、人にとり憑いた妖怪、蛇性をいう。
三三六 安心しておいでなさい。
三三七 砒素の硫化物で、橙黄色の塊状または粒状をなし、石黄、鶏冠石ともよばれ、悪鬼毒虫などの邪毒をはらい殺すと信じられていた。白娘子永鎮雷峰塔「那先生装二了一瓶雄黄薬水一」。
三三八 どのくらいあるだろうか、とにかくすごいものである。
三三九 手にのせた。
三四〇 ころげまわり這い倒れて。
三四一 たんなる憑物やもののけではなく、祟りをなさる御神でいらっしゃる。
三四二 きっと。
三四三 気絶した。
三四四 手をかざす。
三四五 目を動かすだけで。
三四六 生きた心地もなく。
三四七 心をしずめて。
三四八 私がこの世に生きているかぎりは。
三四九 探し出されてつかまるであろう。
三五〇 誠実なことではない。
三五一 他人の力を頼むまい。
三五二 御安心下さい。
三五三 何のうらみで。
三五四 私があなたにつくす貞節をうれしいとおもって。
三五五 うわついた浮気心。
三五六 なまめかしい様子をつくって。しなをつくって。
三五七 いやらしかった。
三五八 白娘子永鎮雷峰塔「人無二害レ虎心一、虎有二傷レ人意一」。
三五九 人間とちがった魔性の執念ぶかい心から。
三六〇 ほんのちょっとしたたわむれごとをさえ。
三六一 恐ろしい気がする。
三六二 私がこの家にいて。
三六三 そのうえで。
三六四 情ない魔性のもの。
三六五 不本意。無思慮。
三六六 富子をさす。
三六七 武道の心得もある武士の身でありながら。
三六八 不甲斐ない。いくじない。
三六九 和歌山県御坊市湯川町小松原。厳密な意味では、道成寺は小松原にあるわけではないが、古来小松原の道成寺といわれてきた。
三七〇 和歌山県日高郡日高川町鐘巻にある名刹で、安珍清姫説話で名高く、熊野詣での順路にあたっていた。
三七一 白娘子永鎮雷峰塔も雷峯怪蹟も「金山寺法海禅師」としているが、それに拠ったのであろう。
三七二 年老いて僧坊の外にも出ない。源氏、若紫「老いかがまりて、室の外にもまかでずと」。
三七三 どんなにしてでもお見捨てなさいますまい。
三七四 仏家の寝室。
三七五 法力の効験。
三七六 先にお帰りなさい。
三七七 密教では芥子を焚いて加持祈祷をおこなう。
三七八 うまくだましよせて。
三七九 心に仏を祈念して。
三八〇 よろこびながら。
三八一 たまわった。
三八二 さあ、いらっしゃい。
三八三 力いっぱい。
三八四 つれないのか。
三八五 豊雄たちのいる部屋。
三八六 小声で呪文をとなえながら。
三八七 気を失って正体なく。
三八八 鉄製の鉢で、僧侶が食物をいれる器。
三八九 祈念をこらされると。
三九〇 一尺ほどの。
三九一 白娘子永鎮雷峰塔「禅師将二二物一置二於鉢盂之内一」。
三九二 白娘子、雷峯怪蹟ともに、鉢を地下に埋めたと記してある。
三九三 永久。永遠。
三九四 蛇塚は道成寺外西方百メートル余りの所にあるが、ここの文章は、本堂前の安珍塚(蛇榁)と混同しているようである。
[#改ページ]二 和歌山県新宮市三輪崎。海辺で、歌枕。
三 漁場で大いに儲けて。
四 大魚も小魚もすべて漁獲して。古事記・祝詞などに見える語。
五 太郎は名前とも長男の意ともとれるが、ここは太郎という名の長男ととっていい。
六 二番目の子。
七 風流なこと。
八 実直に生業を営む気持。
九 他人にとられてしまうだろう。
一〇 養子にやって他家をつがせるのも。
一一 いやなこと。
一二 心苦しい。
一三 したいことをさせながら。
一四 ここは、学者。
一五 ここは、僧侶。
一六 豊雄の一生は。
一七 厄介者。
一八 しつけ。
一九 新宮市にある熊野権現速玉神社。熊野三山(本宮・新宮・那智)の一。
二〇 ここは、神官。
二一 余波。
二二 この地方は東南から天気がくずれる。雷峯怪蹟「霧鎖二東南一、早落下微々的細雨来了」。
二三 雨傘。
二四 新宮市にある阿須賀神社。
二五 宝物殿であるが、ここは本殿とみてよい。
二六 旦那様の所の末の御子息。
二七 むさくるしいあばら家。
二八 円く渦に編んだ敷物。
二九 塵をはらって。
三〇 ほんのしばらく雨宿りする間だから何でもかまわない。
三一 髪の形が大層あでやかで。
三二 遠山の様を色うつくしく摺り出して模様とした着物。
三三 年若い侍女。中国白話小説の用字。
三四 ぐっしょりと濡れて。
三五 いかにも困った様子。
三六 思わずも。
三七 本宮・新宮・那智の熊野三山へ参詣すること。
三八 下僕らしい者。
三九 中途半端な。不用意な。
四〇 せまい住居。
四一 そろって並ぶ。
四二 近くでみると一層うつくしく見えること。
四三 心がぽーっとして。
四四 高貴の家の御方。
四五 和歌山県田辺市の西、四村にある湯の峰温泉。
四六 殺風景な。
四七 見物して一日をくらす。
四八 佐野は三輪崎の西南。万葉集三、長忌寸奥麻呂の歌。秋成は「金砂」でこの歌に注している。
四九 今日のこの風情とおなじである。
五〇 世話をしている男。
五一 心おきなく。くつろいで。
五二 おっしゃって下さる。
五三 御親切なあたたかい御情で濡れた着物をほしてまいりましょう。思ひの「ひ」を「火」にかけ、乾すは縁語。
五四 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある那智権現と青岸渡寺。熊野三山の一。
五五 見境もなく。分別もなく。
五六 しいて。無理に。
五七 何かのついでにいただきにまいりましょう。
五八 雨はいっこうに小やみになったとも思えないのに。
五九 使を出しましょう。
六〇 さし戴くに、傘の縁語「さす」をかけた。
六一 見送って。
六二 どうしても忘れられず。
六三 日光をよけ風雨を防ぐための横戸。ふつう上下二つになっていて、上はあげさげができ、下はとりはずせる。寝殿造りなどの高貴な邸宅に多い。
六四 簾をふかくおろして。簾は蔀の内側にかける。
六五 この夢が現実であったならば、どんなにうれしかろう。
六六 そわそわとしておちつかないので。
六七 心もそぞろにうきたって家を出た。
六八 昼すぎまで。
六九 お嬢さま。
七〇 思いながら。
七一 雨傘を貸して下さった方がいらしたのを御案内してまいりました。
七二 新宮に、の意にとっておく。
七三 学問の先生。
七四 ぶしつけながら、こちらから推参しました。
七五 鬟の名。
七六 けっして。必ず。
七七 表座敷。
七八 客があると板敷に敷く畳。
七九 台に柱を二本たて横木を渡してそこに帳をかけた家具。隔てのために座側にたてた。
八〇 調度品などをおさめる両びらきの置戸棚。
八一 壁のかわりに長押からおろし、また母屋の廂の間をさえぎった絹。御簾と併用した。
八二 身分のない人。
八三 主人のいない家とも、人手のない家とも解せる。
八四 行き届いたおもてなし。
八五 粗酒。謙辞。
八六 食物を盛る器。足のあるのが高坏、足のないのが平坏。
八七 酒器と素焼きの杯。
八八 「桜」の枕詞。
八九 映る。
九〇 巧みにあしらう。
九一 立ちくぐる。とびまわる。
九二 鶯の如く美しく妙なる声。
九三 恥かしいことだと打ちあけずに心悩み、焦れ死にでもしてしまったら。
九四 神のたたりだと、何もしらない神にまで無実の罪をきせることになるであろう。伊勢物語、八九「人知れずわれ恋ひ死なばあぢきなくいづれの神になき名おふせむ」。
九五 けっして浮気心でいうあだごととお聞き下さいますな。
九六 国守の下役人。
九七 四年の任期がまだ終らないこの春に。
九八 生まれ故郷の都も。
九九 思いますので。
一〇〇 今後の生涯をもって。
一〇一 妻としてあなたのそばにお仕えしたい。
一〇二 けがらわしい女だと。
一〇三 末長い夫婦の契り。
一〇四 心乱れるまでに思い慕っていた女であるから。
一〇五 「飛び立つ」の序詞。
一〇六 親がかりの身。
一〇七 つらく思って。
一〇八 おろかなこと。
一〇九 ひっこみのつかないのが恥かしい。
一一〇 冗談。たわむれごと。
一一一 自分の推測が当っていた。
一一二 熊野灘は鯨の寄る浜として名高い。
一一三 いつ聞く事ができようか。
一一四 即答。
一一五 結納。結婚費用。
一一六 財産。
一一七 孔子のような聖人でさえよろめく恋のためには。
一一八 お通い下さい。夫が妻の許に通う古代の結婚形態。
一一九 この上ない宝として。
一二〇 帯びるもの、太刀。
一二一 ものすごいまでに。
一二二 めでたいことのはじめに。
一二三 縁起がわるい。
一二四 しきりに。
一二五 親の許可をえていない外泊。
一二六 叱るでしょう。
一二七 口実をもうけてまいりましょう。
一二八 目がさえて安眠できずに。
一二九 網をひく漁師を召集してそれぞれの部署に配置するために。
一三〇 早朝。
一三一 どこから手に入れてきたのであろう。
一三二 不審に思って。
一三三 金をはらって。
一三四 人がくれたのを。
一三五 こむずかしい漢字の書籍を買い集めるのさえ。
一三六 ひどい無駄づかい
一三七 新宮速玉神社の祭礼の行列に加わってねり歩くつもりだろう。るは、ようすをつくって歩く。
一三八 何という狂気じみたことをするのか。
一三九 厄介者。豊雄をさす。
一四〇 問いただして下さい。
一四一 なまけるとこまるから、浜の方へ行ってくる。
一四二 何にしようと思って。
一四三 おまえ。対称代名詞。
一四四 するままにさせておいたが。
一四五 わきまえないのか。
一四六 しかるべき理由。
一四七 手柄。功績。
一四八 さっぱり腑におちないことだ。
一四九 恥かしいこと。面目ないこと。
一五〇 主婦。
一五一 私はふつつか者ですが。
一五二 一緒にたって。
一五三 相談して力になってもらおうと。
一五四 はやくも見つかって叱られてしまったことだ。
一五五 これこれこうした素姓の人の妻で、夫を失って頼りのない人が。
一五六 まだ独立せずに、部屋ずみの分際で。
一五七 勘当という重い処罰。勘当は父から絶縁放逐されること。
一五八 気の毒。あわれ。
一五九 うまくはなして承諾を得るようにしてみましょう。
一六〇 ここは村長、庄屋。
一六一 御祈願が成就なさってそのお礼として。
一六二 新宮(熊野権現)。
一六三 新宮はふるくは宝蔵なく、宝物は本殿に納めてあり、享保前後に宝蔵ができた。
一六四 「ダイグジ」と訓ませている。大社の神官の長。
一六五 国司の次官。
一六六 詮議する。
一六七 どうみても。
一六八 父の前に。
一六九 あるのは。
一七〇 とんでもないこと。たいへんなこと。
一七一 他人のものはたとえ毛一本なりともとらないのに。白娘子永鎮雷峰塔・孟子等にこの語がある。
一七二 自首しないで、他人の口から露顕したら。
一七三 情けないことだ。
一七四 国司の庁。役所。
一七五 真中にとりかこんで。
一七六 もとの意は、天津罪に対して、国土で行なわれた罪。ここでは国の掟をやぶった罪。祝詞に見える語。
一七七 どこに。
一七八 ようやく捕縛された理由がわかり。
一七九 けっして。
一八〇 どうか。なにとぞ。
一八一 この男(豊雄)を先におしたてていって。
一八二 忍草の一種。軒しのぶ。
一八三 まったく茫然自失とした状態。
一八四 近所の者たちをよびあつめた。
一八五 きこりの老人。
一八六 米搗(つ)き男。
一八七 うずくまる。古語。
一八八 ちっとも。ついぞ。
一八九 家豊かに人も大勢使って。
一九〇 ここは、九州。
一九一 漆細工をする職人。
一九二 ともかくも。
一九三 雑草が生え放題に生え茂っている藪。
一九四 高く茂っているので先が傾いている状態。
一九五 さっと。
一九六 驚愕のために声も出ずに。
一九七 度胸のすわった男。
一九八 板張りのゆか。
一九九 体外へ排出する意。
二〇〇 トバリとよめば垂れ絹、チョウとよめば几帳。どちらにもとれるが、几帳ととった方がよい。
二〇一 急にはげしくなる雷。
二〇二 高麗国より渡来した錦で、高価な舶来品。
二〇三 中国から渡来した綾織物で、高価な舶来品。
二〇四 穀や麻などで織った布で、青や赤の糸を用いて乱文を織りだし、帯などに用いた。
二〇五 固織。目のつんだ絹織物。
二〇六 突きさすのに用いる武器。
二〇七 矢を入れて背中に負う具。やなぐい、えびらの類で、木製・銅製がある。
二〇八 新宮から紛失した宝物。
二〇九 当面の罪。理由のいかんにかかわらず盗品をもっていたという罪。
二一〇 金品を贈って刑罰を軽くしてもらうこと。
二一一 世間と交際することも。故郷の人に顔むけすることも。豊雄のことば。
二一二 むこうへいって、何か月か暮してこい。
二一三 奈良県桜井市金屋から東方にあり、初瀬観音への参道で、門前市。椿市、海柘榴市とも書く。
二一四 この数か月来の災難に同情して。
二一五 親切に。手厚く。
二一六 奈良県桜井市初瀬にある、新義真言宗豊山派総本山、豊山神楽院長谷寺。名刹として平安朝以来、皇室・貴族の信仰がさかんであった。
二一七 諸仏の中では初瀬の観音こそとりわけ霊験あらたかであるということは、遠く中国にまでその評判が伝わっている。源氏物語、玉鬘「仏の御中には、はつせなん、日の本のうちには、あらたなるしるしあらはし給ふと、もろこしにだにきこえあんなる」。
二一八 店内も狭いほど客がたてこんでいる中に。
二一九 上品でうつくしい女。
二二〇 数種の香をねりあわせてつくった煉香。
二二一 旦那様。
二二二 妖怪、魔性をいう。
二二三 うろたえながらしきりに隠れようとするのを。
二二四 私のいたらない心から夫を罪におとしいれたこと。
二二五 御安心させようと思って。
二二六 人出の多いところ。
二二七 そのうえこんなのどかな昼日中に、どうしてあらわれることができようか。
二二八 妖怪変化が人間に化けたものは、その着物に縫目なく、太陽に照らされて影がないといわれる。白娘子永鎮雷峰塔に「我怎的是鬼怪、衣裳有レ縫、対レ日有レ影」とある。
二二九 正しい道理をよく御判断になって。
二三〇 あきれるばかり。
二三一 青空の上天気に急にはげしく雷がなって。
二三二 主語は真女児。
二三三 私。女子の自称。
二三四 荒れ果てた野原のような家の様子。
二三五 はかりだましたこと。計略。
二三六 初瀬の観世音。
二三七 初瀬古川の川辺に向いあっている二本杉のように、祈りのかいあって二人は再会できた。古今集一九「初瀬川ふる川の辺に二本ある杉、年をへてまたもあひ見むふた本ある杉」。源氏物語、玉鬘・手習などにも記されている。
二三八 うれしくもまためぐりあうことができたのは。瀬は、機会、折。「瀬」「ながれあふ」は、川の縁語。源氏物語、玉鬘に見えている。
二三九 観世音菩薩の広大無辺なおめぐみ。
二四〇 あなたを慕う私の気持のほんのすこしでもおくみとり下さい。
二四一 女らしい可憐な。
二四二 妖怪変化などが人間に化けてあらわれるはずのないいまの時世。
二四三 あちこちと苦労してたずねる。
二四四 気にいるようにその機嫌をとって。
二四五 葛城の高間山に夜ごと立つ雲は、雨をふらせるが。奈良県と大阪府・和歌山県との境にある葛城山脈の主峰。葛城山・金剛山。夜と暁、雲と雨は対。雲雨で男女の契りをあらわす。新拾遺集、「葛城や高間の山にゐる雲のよそにもしるき夕立の空」。
二四六 初瀬寺の暁鐘とともに夜来の雨もやむ。文選、高唐賦「旦為二朝雲一、暮為二行雨一、朝々暮々、陽台之下」、唐詩選、劉廷芝の公子行「為レ雲為レ雨楚襄王」。
二四七 いまでは再会の日の遅かったことを恨んだ。白娘子永鎮雷峰塔「只恨相見之晩」。
二四八 なんといっても紀州路とくらべると景色がすぐれているであろう。
二四九 名も美しい。吉野の枕詞。
二五〇 奈良県吉野郡吉野町にある船形の山。歌枕。
二五一 吉野川の上流。歌枕。
二五二 万葉集九、「山高み白木綿花に落ち激つ夏身の川門見れど飽かぬかも」。秋成「名くはし吉野の国は……いきかひて見れども飽かずあそびせし」(岩橋の記)。
二五三 さあまいりましょう。
二五四 高貴の方がいいとおっしゃった。万葉集一、天武天皇「よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よくみよよき人よく見つ」。
二五五 のぼせて。
二五六 おともをして。
二五七 山のおみやげ。
二五八 牛車こそもっていないが。
二五九 気がかりに思う事だろう。
二六〇 親切に。
二六一 途中で倒れてもどうして行かないですまされようか。
二六二 不本意ながら。
二六三 花やかに装って。
二六四 親しく交際していた。
二六五 晩春の流鶯。枝から枝へうつって乱れ啼く。
二六六 ご案内しましょう。
二六七 源氏、若紫「明け行く空はいといとう霞みて」。
二六八 源氏、若紫「少し立ち出でつつ見渡し給へば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる」。
二六九 どこということなく。
二七〇 吉野離宮。吉野郡吉野町宮滝にあった。
二七一 「滝」の枕詞。
二七二 檜板で作った弁当箱。
二七三 長くつないでよった麻糸。
二七四 丸くたばねた。
二七五 背を向けて。
二七六 雨足のはげしい形容。
二七七 おししずめて。
二七八 みすぼらしい家の軒下に身をかがめて。
二七九 そなた。対称代名詞。
二八〇 ここは、正体をくらまして人をたぶらかす邪神、妖神。
二八一 命をお助け下さい。
二八二 牛と交尾しては麟を生み、馬と交わっては竜馬を生む。「五雑組」巻九「与レ牛交則生レ麟、……与レ馬交則生二竜馬一」。
二八三 この妖神がそなたに憑いてまどわせたのも。
二八四 みだらな、不義なまじわりをする。
二八五 ここは、凡人をはるかに超えた尊い神。
二八六 天理市新泉にある大和(オオヤマト)神社。
二八七 道中見送ってあげよう。
二八八 大和神社の付近。
二八九 恩をうけた礼をいい。
二九〇 岐阜県から産出した上等の絹。疋は、布帛・巻物を数える単位。二反を一疋とする。
二九一 九州産の真綿。古くより有名。屯は綿の量目の単位。二斤を一屯とする。
二九二 ここは、お祓い。
二九三 ここは、配下の神官たち。
二九四 真女児をさす。
二九五 そなたにまつわりつく。
二九六 男らしいしっかりした心。
二九七 雄雄しい勇気をふるいおこして。
二九八 お礼の言葉もいいつくせないほど感謝して。
二九九 厄介者。
三〇〇 理由のないことである。
三〇一 妻のない独身男。
三〇二 和歌山県田辺市栗栖川。旧熊野路、中辺路にある。道成寺説話の清姫の生誕地真砂の荘のそば。
三〇三 内裏、宮中。
三〇四 地方官の子女で天皇の陪膳に奉仕する女官。
三〇五 婚約を結んだ。
三〇六 万事に満足したにつけても。
三〇七 少しばかり。おぼろげに。
三〇八 きっと。やっぱり。
三〇九 かの御所などでは。
三一〇 近衛府の次官と参議。共に青年貴族が多く任じられた。
三一一 男女が契る。同衾。
三一二 すぐに。
三一三 すでに富子が真女児になっている。前からのふかい仲を忘れて。
三一四 特別に取柄もない女。富子をさす。
三一五 寵愛なさる。源氏、夕顔「かくことなる事なき人を率ておはして時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」。
三一六 あなたの方こそ憎らしく思われる。
三一七 あなた、そんなびっくりなさいますな。
三一八 海よりふかく山より高く、永くかわるまいとかたく誓った二人の契り。翠翠伝「誓レ海盟レ山心已許」。
三一九 前世からこうなると定まった因縁。
三二〇 あかの他人のいうことをまにうけて。
三二一 むだに大切な御命をすてておしまいなさいますな。
三二二 ただふるえおののくばかりで。
三二三 とりころされてしまいそうな心持がして。
三二四 気を失った。
三二五 腹立ってじれるさま。
三二六 なだめたりおどしたり。
三二七 いいながらも。
三二八 京都市左京区鞍馬山にある名刹鞍馬寺。修験者の登山修行がさかんであった。
三二九 向いの山。万葉集によく見る語。
三三〇 寺院。梵語。
三三一 効験あらたかな。
三三二 流行病、妖怪、稲につく害虫。
三三三 お迎えしよう。
三三四 よびにやったところ。
三三五 ここは、人にとり憑いた妖怪、蛇性をいう。
三三六 安心しておいでなさい。
三三七 砒素の硫化物で、橙黄色の塊状または粒状をなし、石黄、鶏冠石ともよばれ、悪鬼毒虫などの邪毒をはらい殺すと信じられていた。白娘子永鎮雷峰塔「那先生装二了一瓶雄黄薬水一」。
三三八 どのくらいあるだろうか、とにかくすごいものである。
三三九 手にのせた。
三四〇 ころげまわり這い倒れて。
三四一 たんなる憑物やもののけではなく、祟りをなさる御神でいらっしゃる。
三四二 きっと。
三四三 気絶した。
三四四 手をかざす。
三四五 目を動かすだけで。
三四六 生きた心地もなく。
三四七 心をしずめて。
三四八 私がこの世に生きているかぎりは。
三四九 探し出されてつかまるであろう。
三五〇 誠実なことではない。
三五一 他人の力を頼むまい。
三五二 御安心下さい。
三五三 何のうらみで。
三五四 私があなたにつくす貞節をうれしいとおもって。
三五五 うわついた浮気心。
三五六 なまめかしい様子をつくって。しなをつくって。
三五七 いやらしかった。
三五八 白娘子永鎮雷峰塔「人無二害レ虎心一、虎有二傷レ人意一」。
三五九 人間とちがった魔性の執念ぶかい心から。
三六〇 ほんのちょっとしたたわむれごとをさえ。
三六一 恐ろしい気がする。
三六二 私がこの家にいて。
三六三 そのうえで。
三六四 情ない魔性のもの。
三六五 不本意。無思慮。
三六六 富子をさす。
三六七 武道の心得もある武士の身でありながら。
三六八 不甲斐ない。いくじない。
三六九 和歌山県御坊市湯川町小松原。厳密な意味では、道成寺は小松原にあるわけではないが、古来小松原の道成寺といわれてきた。
三七〇 和歌山県日高郡日高川町鐘巻にある名刹で、安珍清姫説話で名高く、熊野詣での順路にあたっていた。
三七一 白娘子永鎮雷峰塔も雷峯怪蹟も「金山寺法海禅師」としているが、それに拠ったのであろう。
三七二 年老いて僧坊の外にも出ない。源氏、若紫「老いかがまりて、室の外にもまかでずと」。
三七三 どんなにしてでもお見捨てなさいますまい。
三七四 仏家の寝室。
三七五 法力の効験。
三七六 先にお帰りなさい。
三七七 密教では芥子を焚いて加持祈祷をおこなう。
三七八 うまくだましよせて。
三七九 心に仏を祈念して。
三八〇 よろこびながら。
三八一 たまわった。
三八二 さあ、いらっしゃい。
三八三 力いっぱい。
三八四 つれないのか。
三八五 豊雄たちのいる部屋。
三八六 小声で呪文をとなえながら。
三八七 気を失って正体なく。
三八八 鉄製の鉢で、僧侶が食物をいれる器。
三八九 祈念をこらされると。
三九〇 一尺ほどの。
三九一 白娘子永鎮雷峰塔「禅師将二二物一置二於鉢盂之内一」。
三九二 白娘子、雷峯怪蹟ともに、鉢を地下に埋めたと記してある。
三九三 永久。永遠。
三九四 蛇塚は道成寺外西方百メートル余りの所にあるが、ここの文章は、本堂前の安珍塚(蛇榁)と混同しているようである。
むかし二
八富田といふ里にて日入りはてぬれば、大きなる家の九
快庵この物がたりを聞かせ給うて、世には不
八七山院人とどまらねば、八八
夜更けて月の夜にあらたまりぬ。影一一四
禅師いふ。里人のかたるを聞けば、汝
一三一江月照 松風吹 永夜清宵 何所為
汝ここを去らずして一三二
一とせ
禅師見給ひて、やがて禅杖を
されば禅師の大徳、一五七雲の
一 僧侶のかぶる紺色の頭巾で、本篇の主人公快庵禅師がこれを鬼の僧にかぶらせた。
二 明応二年(一四九三)一二月没。七二歳。曹洞宗の高僧、名は妙慶、越後の顕聖寺、下野の大中寺等をひらく。禅師は、知徳高い禅僧で、官賜。
三 幼少より。髪を左右にわけて角のように揚げて結う小児の髪形による。
四 特に経典をもたず、不立文字・教外別伝・以心伝心を旨とする禅宗の本旨。
五 諸国を行脚すること。
六 岐阜県関市下有知にある曹洞宗の名刹。
七 夏行(四月一六日―七月一五日まで、室に籠って仏道修行すること。夏安居とも)をすまして。
八 栃木県下都賀郡大平町富田の宿。
九 使用人なども大勢いて裕福そうな家。
一〇 天秤棒の一種。
一一 年ごろ五〇歳にちかい。
一二 僧侶のかぶる頭巾。
一三 包み。旅行用の油単。
一四 檀家。信徒。ここは相手をよびかけた語。御主人。
一五 用心する。警戒する。
一六 諸国を遍歴参詣して修行する僧。
一七 私のような痩法師が。
一八 百姓たちをさす。
一九 旅の僧。
二〇 一夜の宿を提供して。
二一 おかした罪のつぐないをいたしましょう。
二二 礼を厚くして。
二三 小作人や下男。下僕たち。
二四 しかるべき理由。
二五 世にもまれな不思議な話。
二六 人をまどわすようなあやしいはなし。
二七 富田の西北にある大平山。
二八 寺院。のちの曹洞宗大平山大中寺をいう。
二九 藤原秀卿の[#「藤原秀卿の」はママ]後裔で栃木県小山市を本拠とした豪族。
三〇 家代々帰依して、財物を寄与する旦那寺。
三一 梵語。密教で秘法を伝授する僧職。
三二 甥。または養子。
三三 学問修行のふかいという評判が高く。
三四 香や蝋燭等の布施をあげ。
三五 わけへだてなく、うちとけてつきあっていたが。
三六 越後佐渡(新潟県)、越中(富山県)、加賀能登(石川県)、越前若狭(福井県)の総称。
三七 真言宗ではじめて受戒するとき、その頂に香水をそそぐ結縁灌頂、修道上進のときの伝法灌頂等の儀式。
三八 戒を授ける法師。阿闍梨がおこなう。
三九 身の回りの世話をする者。
四〇 長年勤めてきた修行の事。
四一 御心痛になり。
四二 ここは、国府所属の官医。
四三 立派な。名声の高い。
四四 大切なもの。
四五 嵐に吹き散らされる。
四六 顔をすりよせて。
四七 とうとう。
四八 寺院の主。住持。
四九 ひどく驚かし。
五〇 まのあたり。
五一 とりおさえる。
五二 日暮れとともに。
五三 仏と菩薩。
五四 心のまがった。
五五 肉欲・色欲にとらわれる。
五六 成仏正道のさまたげになる悪業にひきずられて。
五七 生前の姿。
五八 五雑組、巻五「化為レ狼者、太原王含母也。化為二夜叉一者、呉生妾劉氏也。化為レ蛾者、楚荘王宮人也。化為レ蛇者、李勢宮人也」の読み違え。楚の荘王は中国紀元前六〇〇年頃の人。宮人は女官。
五九 太原にいた武将。
六〇 暴悪勇猛な鬼類の一。
六一 いつの人か不明。
六二 以下、五雑組、巻五に伝えられる話。
六三 寝るに寝られない。
六四 枕許においた警策。
六五 主人である老婆。
六六 そのままにしておいて。
六七 ついでがあったので。
六八 中国隋(五八一―六一八)の第二代皇帝。大運河などを作った。
六九 このはなしは五雑組、巻五に見える。
七〇 「あるなれど」の約。
七一 理非分別をわきまえない野蛮な心。
七二 仏道修行の結果身につけた徳。修行と学徳。
七三 側近く召して世話をしなかったならば。
七四 あっぱれ。ほんとに。
七五 煩悩のために一切の真理を知ることができなくなった暗さをいう。
七六 悪事悪業のために身を苦しめることを地獄の猛火にたとえた。
七七 一本気で、思いこんだらつらぬきとおす性質。
七八 心をゆるめて放任すれば妖しい魔物となり。
七九 心をひきしめれば。
八〇 成仏できる。
八一 そのよい実例である。
八二 老僧。快庵の自称。
八三 教え導いて善道に転化する。
八四 貝と鐘。ともに仏具。近くに寺院がないこと。
八五 二〇日すぎの、出のおそい下弦の月。
八六 この家の主人をさす。
八七 山寺は誰も住みついていないとみえて。
八八 二階造りの門。山門。
八九 いばら。雑草。
九〇 経典をおさめる建物。
九一 見捨てられたまま。
九二 たちならんだ仏像。
九三 護摩壇。本尊の前に設けられている。
九四 住持の居室。
九五 長廊下と僧侶の室。
九六 方角ととれば西南西、時刻ととれば午後四時より六時頃をいう。
九七 錫杖。
九八 今夜一夜だけの。
九九 いっこうに。
一〇〇 仏家でいう寝室。
一〇一 痩せこけた。
一〇二 力なくしずかに。
一〇三 食糧。斎は、僧侶の正食。
一〇四 用意、支度。
一〇五 私は。謡曲などでつねに用いる自称の代名詞。
一〇六 行く。
一〇七 遠いみちのりである。
一〇八 切に。ぜひに。
一〇九 よくないこともあるものです。
一一〇 さりとて、たって出て行けというわけでもない。
一一一 たちまち。秋の日はおちるのが早い。
一一二 月の出が遅くて、宵にまだ月のなく暗い状態。
一一三 つけないので。
一一四 月光が清くうつくしく輝くさま。
一一五 午前零時より零時半ごろまで。
一一六 何かさがしもとめる。
一一七 右によみ、左に意味を記している。白話小説などの注解に用いる方法。頭に毛のない坊主をののしることば。
一一八 もし飢えておいでだというならば。
一一九 僧が自分を卑下していう語。愚僧、拙僧。
一二〇 生き仏の肉の味をしらない。
一二一 鬼畜のような理非分別のつかない眼。
一二二 生き仏。
一二三 仏が衆生臨終の際に迎えにくることで、ここは、おいでになった、の意。
一二四 見ることができないのも当然のことである。
一二五 罪におちる。鬼畜になりさがる。
一二六 前例がないほどの悪因縁。
一二七 見捨てておくことができない。
一二八 聞くというならば。
一二九 堂の前の縁側。
一三〇 禅の本義を七言長詩の形で説いたもの。唐の玄覚の作。
一三一 現代語訳(一六四ページ)を見よ。[#現代語訳「月は入江をてらしてあかるく、岸辺の松を吹く風は松籟 を聞かせる。この秋の夜長、清らかな宵の景色はいったい何のためであろうか。自然のままのすがたである。しかし、大自然のすがたは結果において自他をきよめている。これ自然の摂理である。その真意を理解すれば、人はおのずから真理を会得できる。これが禅定である」]
一三二 おもむろに。じっくりと。
一三三 本来そなわっている仏心にあうのである。
一三四 親切に。
一三五 翌年。
一三六 奥州よりの帰途。
一三七 その後の様子。
一三八 それゆえに。
一三九 かの山寺の僧が成仏するように、冥福をお祈り下さい。
一四〇 私どももみんな一緒に回向いたしましょう。
一四一 彼が善行のむくいで往生したというのならば。遷化は、仏法念者の死去をいう。
一四二 仏道においては私より先に悟りに入った先輩ともいうべき人。
一四三 私にとっては、一人の弟子。
一四四 どちらにしてもその様子を見なければなるまい。
一四五 主人の言葉通り、なるほど人の往来が絶えているとみえて。
一四六 すすき。
一四七 庭の草生えた小径。門への道、井戸への道、厠への道の三径。漢の蒋が邸内の三径に遊んで仕えなかった故事がある。また陶淵明、帰去来辞に「三径就レ荒、松菊猶存」とある。源氏、蓬生「このさびしき宿にも必ずわけたる跡あなる三つの径とたどる」。
一四八 寺院で雑事をつかさどる所。台所など。
一四九 朽ちたもくめ。
一五〇 雑草がからみあい。
一五一 倒れ伏しなびいている様。
一五二 何をいっているのかはっきりと聞えない状態。
一五三 禅家の用語。いかに。どうじゃ。
一五四 どうするのだ。
一五五 まことに。じつに。
一五六 長い間の執念がここにいたって全く消えつくしたのであろう。
一五七 遠い国々から海外にまで。
一五八 禅宗の開祖達磨大師は死んだが、その教法・精神はいまなお生き続けている。快庵はその教法を具現化した。
一五九 それまでの真言宗を改宗して。
一六〇 曹洞宗。禅宗の一派。道元の開創。
一六一 栃木県下都賀郡大平町西山田にある大平山大中寺。曹洞宗関東惣禄三か寺の一。現在も広大な境内に老杉繁茂し、快庵を祀った開山堂、根無しの藤等が残っている。
[#改ページ]二 明応二年(一四九三)一二月没。七二歳。曹洞宗の高僧、名は妙慶、越後の顕聖寺、下野の大中寺等をひらく。禅師は、知徳高い禅僧で、官賜。
三 幼少より。髪を左右にわけて角のように揚げて結う小児の髪形による。
四 特に経典をもたず、不立文字・教外別伝・以心伝心を旨とする禅宗の本旨。
五 諸国を行脚すること。
六 岐阜県関市下有知にある曹洞宗の名刹。
七 夏行(四月一六日―七月一五日まで、室に籠って仏道修行すること。夏安居とも)をすまして。
八 栃木県下都賀郡大平町富田の宿。
九 使用人なども大勢いて裕福そうな家。
一〇 天秤棒の一種。
一一 年ごろ五〇歳にちかい。
一二 僧侶のかぶる頭巾。
一三 包み。旅行用の油単。
一四 檀家。信徒。ここは相手をよびかけた語。御主人。
一五 用心する。警戒する。
一六 諸国を遍歴参詣して修行する僧。
一七 私のような痩法師が。
一八 百姓たちをさす。
一九 旅の僧。
二〇 一夜の宿を提供して。
二一 おかした罪のつぐないをいたしましょう。
二二 礼を厚くして。
二三 小作人や下男。下僕たち。
二四 しかるべき理由。
二五 世にもまれな不思議な話。
二六 人をまどわすようなあやしいはなし。
二七 富田の西北にある大平山。
二八 寺院。のちの曹洞宗大平山大中寺をいう。
二九 藤原秀卿の[#「藤原秀卿の」はママ]後裔で栃木県小山市を本拠とした豪族。
三〇 家代々帰依して、財物を寄与する旦那寺。
三一 梵語。密教で秘法を伝授する僧職。
三二 甥。または養子。
三三 学問修行のふかいという評判が高く。
三四 香や蝋燭等の布施をあげ。
三五 わけへだてなく、うちとけてつきあっていたが。
三六 越後佐渡(新潟県)、越中(富山県)、加賀能登(石川県)、越前若狭(福井県)の総称。
三七 真言宗ではじめて受戒するとき、その頂に香水をそそぐ結縁灌頂、修道上進のときの伝法灌頂等の儀式。
三八 戒を授ける法師。阿闍梨がおこなう。
三九 身の回りの世話をする者。
四〇 長年勤めてきた修行の事。
四一 御心痛になり。
四二 ここは、国府所属の官医。
四三 立派な。名声の高い。
四四 大切なもの。
四五 嵐に吹き散らされる。
四六 顔をすりよせて。
四七 とうとう。
四八 寺院の主。住持。
四九 ひどく驚かし。
五〇 まのあたり。
五一 とりおさえる。
五二 日暮れとともに。
五三 仏と菩薩。
五四 心のまがった。
五五 肉欲・色欲にとらわれる。
五六 成仏正道のさまたげになる悪業にひきずられて。
五七 生前の姿。
五八 五雑組、巻五「化為レ狼者、太原王含母也。化為二夜叉一者、呉生妾劉氏也。化為レ蛾者、楚荘王宮人也。化為レ蛇者、李勢宮人也」の読み違え。楚の荘王は中国紀元前六〇〇年頃の人。宮人は女官。
五九 太原にいた武将。
六〇 暴悪勇猛な鬼類の一。
六一 いつの人か不明。
六二 以下、五雑組、巻五に伝えられる話。
六三 寝るに寝られない。
六四 枕許においた警策。
六五 主人である老婆。
六六 そのままにしておいて。
六七 ついでがあったので。
六八 中国隋(五八一―六一八)の第二代皇帝。大運河などを作った。
六九 このはなしは五雑組、巻五に見える。
七〇 「あるなれど」の約。
七一 理非分別をわきまえない野蛮な心。
七二 仏道修行の結果身につけた徳。修行と学徳。
七三 側近く召して世話をしなかったならば。
七四 あっぱれ。ほんとに。
七五 煩悩のために一切の真理を知ることができなくなった暗さをいう。
七六 悪事悪業のために身を苦しめることを地獄の猛火にたとえた。
七七 一本気で、思いこんだらつらぬきとおす性質。
七八 心をゆるめて放任すれば妖しい魔物となり。
七九 心をひきしめれば。
八〇 成仏できる。
八一 そのよい実例である。
八二 老僧。快庵の自称。
八三 教え導いて善道に転化する。
八四 貝と鐘。ともに仏具。近くに寺院がないこと。
八五 二〇日すぎの、出のおそい下弦の月。
八六 この家の主人をさす。
八七 山寺は誰も住みついていないとみえて。
八八 二階造りの門。山門。
八九 いばら。雑草。
九〇 経典をおさめる建物。
九一 見捨てられたまま。
九二 たちならんだ仏像。
九三 護摩壇。本尊の前に設けられている。
九四 住持の居室。
九五 長廊下と僧侶の室。
九六 方角ととれば西南西、時刻ととれば午後四時より六時頃をいう。
九七 錫杖。
九八 今夜一夜だけの。
九九 いっこうに。
一〇〇 仏家でいう寝室。
一〇一 痩せこけた。
一〇二 力なくしずかに。
一〇三 食糧。斎は、僧侶の正食。
一〇四 用意、支度。
一〇五 私は。謡曲などでつねに用いる自称の代名詞。
一〇六 行く。
一〇七 遠いみちのりである。
一〇八 切に。ぜひに。
一〇九 よくないこともあるものです。
一一〇 さりとて、たって出て行けというわけでもない。
一一一 たちまち。秋の日はおちるのが早い。
一一二 月の出が遅くて、宵にまだ月のなく暗い状態。
一一三 つけないので。
一一四 月光が清くうつくしく輝くさま。
一一五 午前零時より零時半ごろまで。
一一六 何かさがしもとめる。
一一七 右によみ、左に意味を記している。白話小説などの注解に用いる方法。頭に毛のない坊主をののしることば。
一一八 もし飢えておいでだというならば。
一一九 僧が自分を卑下していう語。愚僧、拙僧。
一二〇 生き仏の肉の味をしらない。
一二一 鬼畜のような理非分別のつかない眼。
一二二 生き仏。
一二三 仏が衆生臨終の際に迎えにくることで、ここは、おいでになった、の意。
一二四 見ることができないのも当然のことである。
一二五 罪におちる。鬼畜になりさがる。
一二六 前例がないほどの悪因縁。
一二七 見捨てておくことができない。
一二八 聞くというならば。
一二九 堂の前の縁側。
一三〇 禅の本義を七言長詩の形で説いたもの。唐の玄覚の作。
一三一 現代語訳(一六四ページ)を見よ。[#現代語訳「月は入江をてらしてあかるく、岸辺の松を吹く風は
一三二 おもむろに。じっくりと。
一三三 本来そなわっている仏心にあうのである。
一三四 親切に。
一三五 翌年。
一三六 奥州よりの帰途。
一三七 その後の様子。
一三八 それゆえに。
一三九 かの山寺の僧が成仏するように、冥福をお祈り下さい。
一四〇 私どももみんな一緒に回向いたしましょう。
一四一 彼が善行のむくいで往生したというのならば。遷化は、仏法念者の死去をいう。
一四二 仏道においては私より先に悟りに入った先輩ともいうべき人。
一四三 私にとっては、一人の弟子。
一四四 どちらにしてもその様子を見なければなるまい。
一四五 主人の言葉通り、なるほど人の往来が絶えているとみえて。
一四六 すすき。
一四七 庭の草生えた小径。門への道、井戸への道、厠への道の三径。漢の蒋が邸内の三径に遊んで仕えなかった故事がある。また陶淵明、帰去来辞に「三径就レ荒、松菊猶存」とある。源氏、蓬生「このさびしき宿にも必ずわけたる跡あなる三つの径とたどる」。
一四八 寺院で雑事をつかさどる所。台所など。
一四九 朽ちたもくめ。
一五〇 雑草がからみあい。
一五一 倒れ伏しなびいている様。
一五二 何をいっているのかはっきりと聞えない状態。
一五三 禅家の用語。いかに。どうじゃ。
一五四 どうするのだ。
一五五 まことに。じつに。
一五六 長い間の執念がここにいたって全く消えつくしたのであろう。
一五七 遠い国々から海外にまで。
一五八 禅宗の開祖達磨大師は死んだが、その教法・精神はいまなお生き続けている。快庵はその教法を具現化した。
一五九 それまでの真言宗を改宗して。
一六〇 曹洞宗。禅宗の一派。道元の開創。
一六一 栃木県下都賀郡大平町西山田にある大平山大中寺。曹洞宗関東惣禄三か寺の一。現在も広大な境内に老杉繁茂し、快庵を祀った開山堂、根無しの藤等が残っている。
二
一五家に久しき
其の夜、左内が
さても富みて
左内
翁いふ。君が問ひ給ふは、九三
左内いよいよ興に乗じて、
一五五堯 日杲 百姓 帰レ家
左内つらつら一五七夜もすがらの事をおもひて、かの句を案ずるに、
雨月物語五之巻大尾
[#改ページ]
一六一安永五歳丙申一六二孟夏吉旦
寺町通五条上ル町
京都 梅村判兵衛
書肆
高麗橋筋壱町目
大坂 一六三野村長兵衛
一 一人の武士と黄金の精の貧富に関する議論。
二 広く東北地方をさし、ここは会津地方。
三 戦国時代の武将。文禄四年(一五九五)没、四〇歳。会津四二万石に封ぜられ、のち九二万石に加増された。
四 実在の人物。岡野左内。諸家高名記、常山紀談、翁草等に詳しい。
五 高禄で。左内は氏郷に仕えて八千石であった。
六 武士としての勇名。
七 東国(関東・東北)。
八 人と違って偏った性質。
九 世間一般の武家。
一〇 家内を取締ったので。
一一 軍兵を訓練するひま。
一二 茶の湯や聞香などの趣味。
一三 一室に。
一四 ここは、卑しい根性の人。
一五 家に長く使っている下男。
一六 ここは、大判。
一七 天下の名宝崑山の璧も乱世ではその価値は瓦や小石に等しい。中国の伝説神話に出る崑崙山は名玉の産地。
一八 ともに中国の名剣の産地。
一九 その上更にほしいものは。
二〇 軽々しく。粗末に。
二一 殊勝なこと。
二二 帯刀をもゆるして。士分にとりたてて。
二三 長喙(チョウカイ)が正しい。長いくちばし。貪婪。
二四 ほめそやした。
二五 ここは、行灯。
二六 食糧がほしいのなら。
二七 腕っぷしの強い男。
二八 おいぼれた様子。
二九 何か習い覚えた術でもあるだろう。
三〇 ちょっと。
三一 様子。そぶり。
三二 山林の異気より生じて人に害を与える怪物。
三三 大切に取扱って下さる。
三四 心持。
三五 大鏡「思しき事いはぬはげにぞ腹ふくるる心地しける」。徒然草に同様な文がある。
三六 五雑組巻五「富者多慳、非レ慳不レ能レ富也、富者多愚、非レ愚不レ能レ富也」。
三七 晋の富豪で、豪奢な生活をして殺された。五雑組巻五「如二石崇王元宝之流一、迺豺狼蛇蝎」。
三八 唐の富豪で、金銀を積んで屋壁とした。
三九 やまいぬ・狼・蛇・さそり。猛悪、残忍、貪欲な輩。「だかつ」が正しい。
四〇 五雑組巻五「但古之致レ富者、皆観二天時一、逐二地利一」。
四一 周代の太公望呂尚。ここは史記貨殖列伝の文章に拠る。
四二 斉の国にやってきた。
四三 斉の宰相。
四四 貨殖列伝「九二合諸侯一」。九合は糾合で、連合の意。秋成は九度あわせと誤読した。
四五 陪臣。諸侯の臣。
四六 越王勾践をたすけて呉を討ち、のち斉に入って鴟夷子皮と変名、巨万の富豪となり、さらに陶に入って陶朱公となり大富豪となる。
四七 衛の人。孔子の門人で貨殖に長じていた。
四八 周の人。商機の才あって、蓄財術の祖と称された。
四九 産物を売買して。
五〇 漢の太史司馬遷著「史記」の巻一二九が「貨殖列伝」。
五一 一定の生業財産のないものは定まった善心がない。孟子、梁恵王上「若レ民則無二恒産一因無二恒心一」。
五二 貨殖列伝「故待レ農而食レ之、虞而出レ之、工而成レ之、商而通レ之」。
五三 生業をはげみ。
五四 富豪の子弟は刑死して市中にさらされることはない。貨殖列伝「諺曰、千金之子不レ死二於市一」。
五五 貨殖列伝「巨万者、乃与二王者一同レ楽」。
五六 貨殖列伝「淵深而魚生レ之、山深而獣往レ之」。
五七 天然自然の道理。
五八 論語、学而篇「未レ若二貧而楽、富而好レ礼者一也」。
五九 学者や文人たちのまどいをひきおこすいとぐち。
六〇 つまらぬ軍略ばかり。
六一 学問・知識にとらわれて。
六二 俗世間を棄てて田畑に鋤をふるう人。
六三 七宝の筆頭。
六四 正しくは「どんこく」。欲深く残忍無慈悲なこと。
六五 ことの道理をはっきりさせてはなされたことは。
六六 書籍・衣類等を食う虫。ここは学者を罵った。
六七 先代よりながく家に仕えている者。
六八 零落した者。
六九 無理やりに。強引に。
七〇 下僕。
七一 孝行清廉との評判。
七二 冬期の三か月間。
七三 一枚のかわごろも。剪灯新話、富貴発跡司志「寒一裘暑一葛、朝粥飯一盂」。
七四 夏の土用。極暑の間。
七五 一枚の帷子を洗濯するひまもなく。着たきりで。
七六 朝夕一杯の粥で。
七七 出入りをさしとめられ。
七八 あくせくと働いて。
七九 不熱心。怠惰。
八〇 精神精力を集中し。
八一 従来は※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-16]※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-16]・※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-16]とよむ。ここは※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-17]蹊とよんで、むずかしそうな有様に解しておく。
八二 的中することはまれで、大ていはずれる。
八三 孔子の高弟顔子が一つの瓢をいだいて清貧を楽しんだ心境もしらない。論語、雍也篇「賢哉回也、一箪食一瓢飲、在二陋巷一、人不レ堪二其憂一、回也不レ改二其楽一、賢哉回也」。
八四 仏教では前世の因縁をもって説明し。
八五 儒教では天の定めた運命であると教える。
八六 かくれた徳とよいおこない。
八七 来世でむくいられるであろうとそれを頼みに。
八八 腹立ちを我慢する。
八九 右側によみ、左側に意訳を示す白話小説注解書の用いた表現法。とりとめのないでたらめ。
九〇 黄金の精霊をさす。
九一 依る。信奉する。
九二 もしそうでないと否定されるならば。
九三 昔からいろいろ論じられて、しかもまだ結論の出ていない道理。
九四 五雑組、巻一五「使三今世之富貴貧賤皆由二前生之脩否一乎」。
九五 おおざっぱでいいかげんな教え。
九六 他人にたいして権勢をふるい。
九七 道理にはずれた妄言をいいつのり。
九八 粗暴で情理にくらい野蛮な心。
九九 名誉とかわが身の利欲とかを。
一〇〇 関係する。とらわれる。こだわる。
一〇一 無知愚昧な女どもをたぶらかす。
一〇二 いいかげんな。未熟な。
一〇三 中庸、一七「宗廟饗レ之、子孫保レ之」。祖先の霊もこの徳をうけて天子の礼をもって祀られ、子孫もこの徳をうけて名と位、禄と寿を保った。
一〇四 私なりの異った意見。
一〇五 感情のないもの。
一〇六 産業をいとなんで。
一〇七 品性卑しくけちんぼ。
一〇八 「着るべきをも」の意。
一〇九 眼前に見るようなわかりきった道理。
一一〇 いつくしんでほめ。
一一一 天・神・仏は、人間の道をただし、教えるもの。
一一二 金銀を大切にする人々をさす。
一一三 黄金の霊に仕え奉仕する。
一一四 善果となるべき善行をしても。
一一五 恵む理由もないのに。
一一六 「貸」に同じ。
一一七 苦境においやられて。
一一八 造化の神のお恵み。
一一九 一生のうちに。
一二〇 どれほどすがすがしいことだろう。公任卿集「ささなみや滋賀の浦波いかばかり心のうちのすずしかりけむ」。
一二一 術に巧みなものはよく富をあつめ。貨殖列伝「能者輻湊、不肖者瓦解」。
一二二 貨殖列伝「富無二軽業一、則貨無二常主一」。
一二三 昼夜往来して。貨殖列伝「若二水趨一レ下、日夜無二休時一」。
一二四 遊んで暮すひま人が定職なく徒食すれば。
一二五 中国の名山。諺「坐してくらえば泰山も空し」。山の如く蓄積された食物。
一二六 河海の如く多量の飲料。
一二七 文意明確を欠く。かりに「不徳の人が財宝を積むのはその人の徳不徳とは無関係で、道徳とは相容れないことゆえ、君子の富貴は同日に論ずべきではない」としておく。
一二八 時運をえた人が。
一二九 別天地に生きている。
一三〇 すばらしい。
一三一 豊臣秀吉の威光が天下をあまねく靡かせ。
一三二 京都を中心とした五国、七つの行政区画。日本全国、津々浦々。
一三三 ようやく。どうやら。
一三四 国を亡ぼされた主君に忠義をつくす武士。
一三五 まえまえからの素志。
一三六 耒は鋤。矛は槍に似た兵器。
一三七 天職の農耕にいそしもうとしない。
一三八 誰に味方なさるのですか。
一三九 一生涯、その威勢を、甲斐・信濃・越後にふるったのみ。
一四〇 いまや。
一四一 非常に好運にめぐまれた。市井雑談集「とにもかくにも信長は果報いみじき者也……恐くは我子孫彼が為に滅亡せんか」。
一四二 いまこの病気にかかった。
一四三 肩をならべる好敵手。
一四四 信玄没後五年にして死去。
一四五 まかされた。天下統一の覇業をいう。
一四六 家臣。明智日向守光秀。
一四七 はじめから天下を征服してその志が天下に満ちるようなものではなかった。秋成は胆大小心録一二に「豊臣公の大器も、始より志の大なるにはあらざりし也、云云」という。
一四八 柴田勝家と丹羽長秀。
一四九 あたかも竜と化して大空に昇ったように位は人臣を極めているが、昔の境遇身分を忘れているのではなかろうか。
一五〇 蛟はみずちで、蛇に似た竜の一種。蜃は蛟の属。まだ竜になっていないもの。
一五一 五雑組、巻九「竜由二蛟蜃一化者寿不レ過二三歳一」。
一五二 倹約が行きすぎると。
一五三 富み栄え豊かで。
一五四 雅楽の曲名。ここは御代泰平と家運繁栄をことほぐこと。
一五五 堯は中国古代の天子。は聖代に生えた莢という瑞草。杲はすでに日が高く。百姓は万民。帰家は、「帰二家康一」を暗示する。
一五六 午前四―六時。
一五七 この一夜中のこと。
一五八 どうやら精霊の言の真意が会得されて。
一五九 信ずるにいたった。
一六〇 瑞草の生ずるような聖代にめぐりあうべきめでたいしるしであり、めでたいはなしである。
二 広く東北地方をさし、ここは会津地方。
三 戦国時代の武将。文禄四年(一五九五)没、四〇歳。会津四二万石に封ぜられ、のち九二万石に加増された。
四 実在の人物。岡野左内。諸家高名記、常山紀談、翁草等に詳しい。
五 高禄で。左内は氏郷に仕えて八千石であった。
六 武士としての勇名。
七 東国(関東・東北)。
八 人と違って偏った性質。
九 世間一般の武家。
一〇 家内を取締ったので。
一一 軍兵を訓練するひま。
一二 茶の湯や聞香などの趣味。
一三 一室に。
一四 ここは、卑しい根性の人。
一五 家に長く使っている下男。
一六 ここは、大判。
一七 天下の名宝崑山の璧も乱世ではその価値は瓦や小石に等しい。中国の伝説神話に出る崑崙山は名玉の産地。
一八 ともに中国の名剣の産地。
一九 その上更にほしいものは。
二〇 軽々しく。粗末に。
二一 殊勝なこと。
二二 帯刀をもゆるして。士分にとりたてて。
二三 長喙(チョウカイ)が正しい。長いくちばし。貪婪。
二四 ほめそやした。
二五 ここは、行灯。
二六 食糧がほしいのなら。
二七 腕っぷしの強い男。
二八 おいぼれた様子。
二九 何か習い覚えた術でもあるだろう。
三〇 ちょっと。
三一 様子。そぶり。
三二 山林の異気より生じて人に害を与える怪物。
三三 大切に取扱って下さる。
三四 心持。
三五 大鏡「思しき事いはぬはげにぞ腹ふくるる心地しける」。徒然草に同様な文がある。
三六 五雑組巻五「富者多慳、非レ慳不レ能レ富也、富者多愚、非レ愚不レ能レ富也」。
三七 晋の富豪で、豪奢な生活をして殺された。五雑組巻五「如二石崇王元宝之流一、迺豺狼蛇蝎」。
三八 唐の富豪で、金銀を積んで屋壁とした。
三九 やまいぬ・狼・蛇・さそり。猛悪、残忍、貪欲な輩。「だかつ」が正しい。
四〇 五雑組巻五「但古之致レ富者、皆観二天時一、逐二地利一」。
四一 周代の太公望呂尚。ここは史記貨殖列伝の文章に拠る。
四二 斉の国にやってきた。
四三 斉の宰相。
四四 貨殖列伝「九二合諸侯一」。九合は糾合で、連合の意。秋成は九度あわせと誤読した。
四五 陪臣。諸侯の臣。
四六 越王勾践をたすけて呉を討ち、のち斉に入って鴟夷子皮と変名、巨万の富豪となり、さらに陶に入って陶朱公となり大富豪となる。
四七 衛の人。孔子の門人で貨殖に長じていた。
四八 周の人。商機の才あって、蓄財術の祖と称された。
四九 産物を売買して。
五〇 漢の太史司馬遷著「史記」の巻一二九が「貨殖列伝」。
五一 一定の生業財産のないものは定まった善心がない。孟子、梁恵王上「若レ民則無二恒産一因無二恒心一」。
五二 貨殖列伝「故待レ農而食レ之、虞而出レ之、工而成レ之、商而通レ之」。
五三 生業をはげみ。
五四 富豪の子弟は刑死して市中にさらされることはない。貨殖列伝「諺曰、千金之子不レ死二於市一」。
五五 貨殖列伝「巨万者、乃与二王者一同レ楽」。
五六 貨殖列伝「淵深而魚生レ之、山深而獣往レ之」。
五七 天然自然の道理。
五八 論語、学而篇「未レ若二貧而楽、富而好レ礼者一也」。
五九 学者や文人たちのまどいをひきおこすいとぐち。
六〇 つまらぬ軍略ばかり。
六一 学問・知識にとらわれて。
六二 俗世間を棄てて田畑に鋤をふるう人。
六三 七宝の筆頭。
六四 正しくは「どんこく」。欲深く残忍無慈悲なこと。
六五 ことの道理をはっきりさせてはなされたことは。
六六 書籍・衣類等を食う虫。ここは学者を罵った。
六七 先代よりながく家に仕えている者。
六八 零落した者。
六九 無理やりに。強引に。
七〇 下僕。
七一 孝行清廉との評判。
七二 冬期の三か月間。
七三 一枚のかわごろも。剪灯新話、富貴発跡司志「寒一裘暑一葛、朝粥飯一盂」。
七四 夏の土用。極暑の間。
七五 一枚の帷子を洗濯するひまもなく。着たきりで。
七六 朝夕一杯の粥で。
七七 出入りをさしとめられ。
七八 あくせくと働いて。
七九 不熱心。怠惰。
八〇 精神精力を集中し。
八一 従来は※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-16]※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-16]・※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-16]とよむ。ここは※[#「足へん+堯」、U+8E7A、319-下-17]蹊とよんで、むずかしそうな有様に解しておく。
八二 的中することはまれで、大ていはずれる。
八三 孔子の高弟顔子が一つの瓢をいだいて清貧を楽しんだ心境もしらない。論語、雍也篇「賢哉回也、一箪食一瓢飲、在二陋巷一、人不レ堪二其憂一、回也不レ改二其楽一、賢哉回也」。
八四 仏教では前世の因縁をもって説明し。
八五 儒教では天の定めた運命であると教える。
八六 かくれた徳とよいおこない。
八七 来世でむくいられるであろうとそれを頼みに。
八八 腹立ちを我慢する。
八九 右側によみ、左側に意訳を示す白話小説注解書の用いた表現法。とりとめのないでたらめ。
九〇 黄金の精霊をさす。
九一 依る。信奉する。
九二 もしそうでないと否定されるならば。
九三 昔からいろいろ論じられて、しかもまだ結論の出ていない道理。
九四 五雑組、巻一五「使三今世之富貴貧賤皆由二前生之脩否一乎」。
九五 おおざっぱでいいかげんな教え。
九六 他人にたいして権勢をふるい。
九七 道理にはずれた妄言をいいつのり。
九八 粗暴で情理にくらい野蛮な心。
九九 名誉とかわが身の利欲とかを。
一〇〇 関係する。とらわれる。こだわる。
一〇一 無知愚昧な女どもをたぶらかす。
一〇二 いいかげんな。未熟な。
一〇三 中庸、一七「宗廟饗レ之、子孫保レ之」。祖先の霊もこの徳をうけて天子の礼をもって祀られ、子孫もこの徳をうけて名と位、禄と寿を保った。
一〇四 私なりの異った意見。
一〇五 感情のないもの。
一〇六 産業をいとなんで。
一〇七 品性卑しくけちんぼ。
一〇八 「着るべきをも」の意。
一〇九 眼前に見るようなわかりきった道理。
一一〇 いつくしんでほめ。
一一一 天・神・仏は、人間の道をただし、教えるもの。
一一二 金銀を大切にする人々をさす。
一一三 黄金の霊に仕え奉仕する。
一一四 善果となるべき善行をしても。
一一五 恵む理由もないのに。
一一六 「貸」に同じ。
一一七 苦境においやられて。
一一八 造化の神のお恵み。
一一九 一生のうちに。
一二〇 どれほどすがすがしいことだろう。公任卿集「ささなみや滋賀の浦波いかばかり心のうちのすずしかりけむ」。
一二一 術に巧みなものはよく富をあつめ。貨殖列伝「能者輻湊、不肖者瓦解」。
一二二 貨殖列伝「富無二軽業一、則貨無二常主一」。
一二三 昼夜往来して。貨殖列伝「若二水趨一レ下、日夜無二休時一」。
一二四 遊んで暮すひま人が定職なく徒食すれば。
一二五 中国の名山。諺「坐してくらえば泰山も空し」。山の如く蓄積された食物。
一二六 河海の如く多量の飲料。
一二七 文意明確を欠く。かりに「不徳の人が財宝を積むのはその人の徳不徳とは無関係で、道徳とは相容れないことゆえ、君子の富貴は同日に論ずべきではない」としておく。
一二八 時運をえた人が。
一二九 別天地に生きている。
一三〇 すばらしい。
一三一 豊臣秀吉の威光が天下をあまねく靡かせ。
一三二 京都を中心とした五国、七つの行政区画。日本全国、津々浦々。
一三三 ようやく。どうやら。
一三四 国を亡ぼされた主君に忠義をつくす武士。
一三五 まえまえからの素志。
一三六 耒は鋤。矛は槍に似た兵器。
一三七 天職の農耕にいそしもうとしない。
一三八 誰に味方なさるのですか。
一三九 一生涯、その威勢を、甲斐・信濃・越後にふるったのみ。
一四〇 いまや。
一四一 非常に好運にめぐまれた。市井雑談集「とにもかくにも信長は果報いみじき者也……恐くは我子孫彼が為に滅亡せんか」。
一四二 いまこの病気にかかった。
一四三 肩をならべる好敵手。
一四四 信玄没後五年にして死去。
一四五 まかされた。天下統一の覇業をいう。
一四六 家臣。明智日向守光秀。
一四七 はじめから天下を征服してその志が天下に満ちるようなものではなかった。秋成は胆大小心録一二に「豊臣公の大器も、始より志の大なるにはあらざりし也、云云」という。
一四八 柴田勝家と丹羽長秀。
一四九 あたかも竜と化して大空に昇ったように位は人臣を極めているが、昔の境遇身分を忘れているのではなかろうか。
一五〇 蛟はみずちで、蛇に似た竜の一種。蜃は蛟の属。まだ竜になっていないもの。
一五一 五雑組、巻九「竜由二蛟蜃一化者寿不レ過二三歳一」。
一五二 倹約が行きすぎると。
一五三 富み栄え豊かで。
一五四 雅楽の曲名。ここは御代泰平と家運繁栄をことほぐこと。
一五五 堯は中国古代の天子。は聖代に生えた莢という瑞草。杲はすでに日が高く。百姓は万民。帰家は、「帰二家康一」を暗示する。
一五六 午前四―六時。
一五七 この一夜中のこと。
一五八 どうやら精霊の言の真意が会得されて。
一五九 信ずるにいたった。
一六〇 瑞草の生ずるような聖代にめぐりあうべきめでたいしるしであり、めでたいはなしである。
一六一 一七七六年。後桃園天皇の代。将軍一〇代家治。秋成四三歳、大坂にて医を業としていた。
一六二 四月。
一六三 天明三年ごろから天明七年に、大坂心斎橋筋博労町の書肆名倉又兵衛と合板の形で、「雨月」を再版している。
一六二 四月。
一六三 天明三年ごろから天明七年に、大坂心斎橋筋博労町の書肆名倉又兵衛と合板の形で、「雨月」を再版している。