汽車

平山千代子




 小学校を卒業した春休み、おばあ様とお母様と節ちやんと洋ちやんと、湯ヶ原の門川温泉へ行つたことがある。三、四日を面白く暮して、いよいよ帰る日だつた。
 随分混んでるので、――夕方六時ごろかしら、――もう、うす暗いころ、熱海発の汽車で帰ることにして、いつもの様に早めに驛へ行つた。蜜柑やら、キビ餅やらのおみやげがあつて荷物は小さいのが大分あつた様に思ふ。番頭さんが驛まで荷物をもつて来てくれた。しばらくして、遠くの方にポツチリと赤く光がみえたと思つたら、その光がみる/\大きくなつてとんで来る。
「先の方がすいてゐます」といふ番頭さんの言葉と、「二等車は先の方です」といふ助役さんの言葉でホームも、ずつと出外れの方まで行つて待つた。
 誰はこれとこれ、と荷物の分担をきめて待ちかまへる中に、汽車が這入つて来た。先の二輛は二等車だ。先頭のにあかりが入つてゐないのを変だと思つたが、中を通つて次の車に行けるだらうと早呑込して、それ! とばかり六つになる洋ちやんと二人で、馳け出して、一番先の入口からのつた。番頭さんが荷物を入れてくれる。お母様やおばあ様や節ちやんは如何したかと思つたら、次の車にお乗りになつたやうだ。それで次の車に行かうとドアをあけようとしたら、これは又何としたことぞ、ドアがあかない。
「番頭さん! ドアがあかない!」と助けを求めたが、時すでにおそし、汽車は動き出してしまつた。「こゝへ荷物をおきますよツ」と叫ぶ番頭さんの声を残して……。

 先の一輛は廻送車だつたのだ。入口が開いてるので乗り込んだのだが、中に這入らうとしたらドアがあかない。私達はデツキに立つた儘、皆と分れてしまつた。困つて大声で向ふ側のお母様や車掌さんを呼んでみた。……きこえる様子もない。ぢやあ、機関車の運転手さんに聞こえるかもしれないと二人で一しよに、
「う、ん、て、ん、しゆ、さ――ん!」と呼んだが、汽車のひびきにかき消されて、これも駄目。機関車と廻送車の間にはさまれて、私たちは呆然としてデツキに立ちすくんだ。
 叫んでもわめいてもきこへないと知つたときは、私さへ泣き出したくなつてしまつた。だけど私はお姉さんだ、私まで泣いたりしたらどんなに洋ちやんが心細いだらう、さう思つて
「大丈夫よ、だいぢよぶよ」とひきつる顔で無理に笑顔をしてみせた。
 しかし、その大丈夫といふのは、洋ちやんに対してといふよりは、むしろ自分自身へ言つてゐる様な声だつた。
「仕様がないから汽車がとまつたら降りませうね」と荷物をしらべて小さい軽いのを一つ洋ちやんにもつてもらひ、後の三つか四つを一まとめにして私がもつことにした。汽車はゴウ/\とすごい音をたてゝ走つてゐる。
 あかりがついてゐないから、真暗やみ、わづかに機関車がつけてゐるあかりが洩れて来るのと、後は沿線の電燈がパアーツ、パアーツと行きすぎにてらす位のものだ。
 洋ちやんは案外おちついてゐた。泣き出されでもしたらどうしようと内心ビク/\しながら、御機嫌をとつてゐたのだが、思ひの外落着いて黙つてゐる。二人は片手に荷物をおさへ、片手にお互ひの手をしつかり握つた。とまつたら、と全神経を一つにして待機してゐた。もう、そろ/\着きさうな時分だが、と思つてゐたら、あかりのあか/\とついた停車場を汽車は矢のやうにふつとばして、みる/\うちに後にしてしまつた。
 さうだ! これは急行だつたんだ。私はがつかりして荷物から手を放す。
「これ急行だから中々とまらないわ、少し、しやがんでませう」と手をつないだまゝしやがみこんだ。外はもう、まつくら……遠くに海が光つてみえる。海岸に点々と赤い燈がつゞいてる。
「あら! きれいね」
 と云つてみたりするが、心はそれどこぢやない。ボーツと汽笛がすごく大きくきこゑて思はずつないだ手に力がはいる。汽車はトンネルへ這入つた。ゴウ/\とひゞきが壁にこだましてうるさい。中頃まで行つたらパラ/\と水玉がおちて来て、のぼせた顔にふりかかつた。後で考へたのだけれど、トンネル内の湧き水が汽車の進行でおちて来るものらしい。それにしても雨みたいだ。
 こりやたまらない、と車内に逃げ込まうと思つたが、戸は始めから開かなかつたのだ。つい二人とも口が重くなる、黙りこくつてゐると又こわい。ムリに云ひかけてみる。
「さむくない?」
「うん、大丈夫……」
「こわい?」
「うゝうん」
 これでおしまひだ。つぎ穂がなくて又もとの沈黙へ返つてしまふ。
「お母様たち心配してらつしやるわよ。ちつとも、こわくなんかないのにね」
 うすあかりの中でかすかに洋ちやんの顔が笑つた。私もそれでほつとしてにつこりする。今度こそ! 今度こそ! と思ふ驛を汽車はおかまひなくすつとばしてしまふ。どの位たつたらうか。十分も一時間に思へる。今の私たちにはあまり長すぎる様な気がした。
 今か! 今か! と待つてゐるのに、あんまりすつとばすので心配になつて来た。
 が、それを云へば洋ちやんが可哀想だし、
「ねえ、もうじきねえ、きつと、もうすぐよ」
 と念を押す様な、たのむ様な声で云つてみる。
「うん……」
 しかし、洋ちやんは何を云つても、うん[#底本では「云つても、うん」は「云つても、うん」]ばかりしか応へてくれない。長い/\時間がたつて汽車はやつと小田原へとまつた。町の燈で両側が明るくなつたときの私たちの嬉しさ。
「今度こそはきつと停つてよ。きつと……」と声をはづませて待つた。
 ホームへすべり込んだ時は、うれしくて胸がワク/\した。やつと汽車はとまつたが、機関車はホームを出外れてしまつたので、デツキから地面迄少したかい。しかし、もう、うれしくてたまらない私たちは、そんなことに気がつかなかつた。
 まづ洋ちやんが飛び下りる。私が洋ちやんの荷物をわたす。そして私も荷物をもつたまゝ夢中で飛び下りた。ホームの方へかけ出しながらみたら、向ふからお母様も走つていらつしやつた。
 お母様をみたら急に体中の力が抜けてしまひ、はりつめた気持がゆるんで泣きさうになつてしまつた。
「まあよかつた/\! おばあさんも、お母さんもとても心配したのよ」
 とおばあ様は繰り返し/\おつしやつた。
「洋ちやんが泣いてるだらう。おまへが困つてるだらう、と、とつても気をもんでたのよ。よかつたね」と頭をなでんばかりにおつしやる。
 私は一部始終をかたり、
「それどころぢやないの。洋ちやんとつても落着いてゝね、何を云つても、ウン/\しか云つてくれないもんで、私の方が泣きたくなつちやつたんですよ」
「ねー洋ちやん、トンネルん中、雨がふつて面白かつたわね」と私が笑ひかけたら、洋ちやんはみかんを食べながら、又、「うん」と云つた。





底本:「みの 美しいものになら」四季社
   1954(昭和29)年3月30日初版発行
   1954(昭和29)年4月15日再版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2008年2月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について