恐妻家庭円満術

小野佐世男




 女房と旦那という関係は何千万人の中から選ばれた二人なんで、これは仇やおろそかにするわけにいかないとボクは思っている。
 ボクは結婚して三日目に女房になぐられた。いきなり横っ面をポカッとなぐられた。これには理由がありまして、新聞社の学芸部の仲間が宴会をやってくれたんですが、酒を飲んでるうちに夜遅くなった。友達は、
「お前酒が好きなんだから泊ってけ。女房が恐いんだろう」
 という。男の虚栄心というものがありまして、
「恐いものかい! よし泊ってやろう」
 ということになった。その時も友達が、
「あしたの朝おれたちがいってあやまってやるよ」
 と、いったんですが、夜が明けて一しょに来てくれと頼むと、その連中、
「バカだな。とんでもねえ奴だよ。何だってキミはまあ結婚したばっかりでこんなことやったんだ。送ってなんか行けない」
 ボクは一人にされちゃって、こわごわ玄関に入った時に、ヒラヒラと白い足袋が出た。シーンとした中で白い足袋が目についたと思ったら、ポカッとなぐられた。そのうしろにボクの母親がいた。その母親が、
「このバカ息子!」
 と、どなって、女房に、
「もっとぶんなぐれ、癖になる」
 そしたら、女房がまた元気を出してボクをなぐった。
 ボクはそのまま逃げてしまった。しようがなくて義理の兄貴のところに行って頼んで帰ったような始末でしたが、その母親がボクにつかないで、バカ息子といって私をなぐらしたということが非常によかった。それだからうちの母と家内がうまくいった。嫁と姑という関係が非常によくいきまして、女房はうちの母を立てた。家庭はなごやかにできたんで、いま考えるとなぐられたということが私はよかった。そんな気がする。
 しかし亭主がなぐられたということは、これはいけないことなんで、夫婦というものは最初にやられた方が負けなんで、それがボクにはいまだにつきまとっていて恐いんです。
 それからボクはこのごろ世間でいう「恐妻」という言葉がありますが、妻を恐れるということはやはり一つの愛情なんで、妻を愛するからとか、[#「からとか、」は底本では「からとか 」]夫を非常にいたわっているような時にそういう姿になるような気がする。ボクなんかの考えとしては、母の胎内にいる時ということが頭にあるんじゃないか。先入意識にあるんじゃないか。女性の腹の中でボクは育ったのですから。そんな気がして、何か厳かなような気がして、自分の生まれ落ちたその女性というものを非常に恐れる。尊敬と、その中に自然に恐れているような気がするのです。これが何か男が姙娠するような、つまり赤ちゃんを産めるのなら対等的な恐怖なんかないような気がするのでそんな気がするのです。
 男というものは女性と違って社会に活動するのには非常な敵を持っている。七人の敵があるということは事実なんで、現在ではそれ以上のものがある。乱暴な自動車、乗物、汽車などは不完全な乗物で、日々の新聞を賑わすような物騒なできごとが多い。いつそういうできごとが自分の上に起るか分らない。そういう危険に、男はしょちゅうさらされている。会社に行けば何となく上の方の人に神経も使わなければならない。非常に外に出ると消耗するのです。それですから、われわれのような絵を描く者さえも家を出る時は家内がどんなことがあっても気持よく出さなければいけない。一日の出発ですから、どんな暗いことがあってもそれを顔に出さずに女房が送ってくれるというのが非常によくなる。元気が出る。それをうちの女房はやるんで私は感謝している。
 ボクは酒飲みなんで、遅く帰る。それで女房をだます法なんですがいろいろ手があるのです。このごろはいきなり女房をおどかしてしまう。帰ると玄関を入るなり、
「危なかった!」
 女房はおころうとするんだが、
「どうかしたんですか」
 と、思わずいうと、
「いま自動車にひかれそこなった」
 しかしいくども使ったんで失敗に終った。結局ウソをつくということはいけないんで、女房と家庭の間にはウソがあっては悪い。私の経験上、女房というものは絶対にだまされないものだ。これはどこの家庭でも絶対なもので、もしか自分の妻を生涯だましおわせるという人があったらこれは大悪人、絶対に最悪の奴に違いないとボクは思うんです。
 それからいたわりがカンジンです。[#「カンジンです。」は底本では「カンジンです 」]家庭が冷たい家には亭主がなかなか帰らない。滋味のある生活です。私は結婚するのに酒は飲んでもいいが、フグを食べることだけはやめてもらいたいという条件が入りました。一年経ちまして、ある雪の降る日に女房が私と歩いていた。フグの提燈が下っている。ボクはフグが大好きで、雪が降ると毎日食べていた。思わずフグ提燈を見ていたら、女房に、
「いかがです。今夜はフグを食べましょうか」
 と、いわれた。ホントにボクは心が温まる心持がした。家内というものはそういういたわり心というものが旦那としてはすばらしい魅力になってくる。子供に対する気持も、女房が子供のことを一所懸命やってくれる時がいちばんうれしい。





底本:「猿々合戦」要書房
   1953(昭和28)年9月15日発行
入力:鈴木厚司
校正:伊藤時也
2010年1月26日作成
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