ニュー・ヨーク 『青春の自画像』より

前田河広一郎




 考えると、ずいぶん馬鹿げた服装をしていたものだ。頭には、山高帽という奴をかぶっていたし、口にはチョビ髯、手に贋革の鞄、厚ぼったい灰色の外套を着こんで、片手に例のステッキ。そのころは、まだ流行にならなかった活動のチャップリンにどうやら似通よった姿であった。このほとんどは、シカゴ製のもので、日本から身につけて来たものと云っては何一つない。いわば七ヶ年で、完全に日本から脱皮した自分であった。
 外形はそうであったが、内容の方はどうかとなると、これはいささか覚束ない、和製アメリカの混合体である。私の見た日本、私の感じた日本、これを私の英語で書く、という以外には、私の差しあたっての野心はなかった。そのためには、タイプライタアもどうやら片方の手である程度たたけるようになったし、同じ語彙を字引でみつけるにも、シノニュウムと、アントニュウムを気をつけるほどになったし、ものの考え方も英語でするようになったのであるが、自分でほんとに考えてみると、はたしてこれだけで、身内に潜む希望を除けば、何が出来ようと、押えても押えても疑いが湧いて来る。
『赤手空拳ただ一片の希望あるのみだ。』
 こう云って、ニュー・ヨークの鋪道に立った私だった。前からの打合せで、グランド・セントラルには、辰野が迎えてくれる筈であったが、都合で木元という男がその代理にやって来た。
『やア、辰野はどうしたかね?』
『その辰野は、どうしてもぬけられぬパーテーがあるとかで、僕に代理をしてくれと云うのでね。』
 平和楼で、一度会っただけの木元であったが、先方は狎れ狎れしくあいさつして、さっさと人混みを分けて、どこかへ歩いて行く。
『どこへ行くんだね?』
『うむ、いったん僕の宿へ行ってめしにしようと思うのだが――待てよ、先に三沢に会うかな、その方がよかろう。これから五十七丁目だ、三沢っていってね、君にぜひ一度紹介して置きたい人間がいるんだ、ちょっと会ってくれたまえ。』
 木元というのは、大柄で、手と足と別々に成長した人間のように、からだ中バラバラの感じのする男で、それで額がぬけあがっていて、三角形になっているところが、ちょうど巨大な蟷螂かまきりのようだった。北海道の産というが、ちょっと日本ばなれのした日本人である。
 ごみごみした通りや、広い誰もいないような街をぬけて、頭上にたたきこわしをやっているような高架線の通りへ出て、すこし歩くと、またがらんとした大通りへまぎれこむ。そうやっていく通りも街を引きまわされた上、栗の果横丁そっくりの借間のある二階の一室へ案内された。がらんとした部屋に、一人の日本人が小卓にむかって食事をしている。
『三沢君、これシカゴから今ついたばっかりの僕の友人、前田河だよ。』
 何年来の旧友みたいに、木元は紹介する。三沢と呼ばれる男は、糠パンにバターを塗っていた手をとめて、こちらへむきなおった。
『How do you do? ミサワです。』
 扁平ったい声であった。冬もまぢかなのに、テニス用の運動靴をはいている。
 木元は木元で、別行動をとっていた。彼はズボンのポケットから、やにわにウイスキーの罎をぬき出すと大きい掌で飲み口をぐいと拭くと、私の方にさしむけた。
『ともかく、大兄のニュー・ヨーク入りを祝おう。』
『君は数学の先生だって?』
 私は、ちょっと口をあてる真似をして、罎をかえしながら、皮肉のつもりでこう云つた。
『うむ、札幌でよ。餓鬼どもをあいてに、サイン、コサインだなんて、馬鹿々々しくてね、それでも二年ほどやっていたかな、しまいに面倒くさくなって、満洲からアメリカへやって来たのさ。』
 そのあいだ、彼は大口をあいて、煙草色の液体をゴボゴボとからだの中へ注ぎ入れた。
 三沢は、糠パンを歯で食いちぎりながら、恐ろしそうにウィスキーの行方を見まもっていた。
『幾何代数の先生にしちゃア、なかなか活溌だね、木元君は。』
『活溌、すなわち乱暴か。そうさ。俺の叔父が満鉄の理事をやっているんで、学校をやめてから使ってくれっと云って、満洲まで行ったんだが、本社へ出勤して三日とたたぬのに、課長の何とかいう奴に、鉄拳を喰らわせて飛び出した俺だからな。』
 木元は、しきりにウィスキー臭い息を吐き散らした。一コワーツの罎が、あらかたなくなっていた。ニュー・ヨークというところは、私にとっては、全く意外な都会である。面白い。が、すこし迷惑でもある。こうやって、いつまでも、のんべんだらりと、酔払いのあいてをさせられてはたまらない。木元は、まだ、そのつづきがあるぞとばかり、満洲の話をする。
『――それで叔父きの奴は、貴様はとても内地や支那にはむかない、よし、俺が手続をしてやるからアメリカへ行けと云うんだ。はじめは、南米と云ったな。でも、南米じゃあまりひどかろうと云うのでね、とうとう北米合衆国へやって御出なすったのサ。』
『木元君の云うことは、法螺が九〇パーセントとしても、現に実物の君がここにいるんだからな。』
『僕は宿を探さねばならんでな、木元。どこか、この辺に君の心あたりの家があるかね?』
 私は、むきになって木元を小突いた。
『おっ、宿、宿。すっかり三沢君と話しこんで、忘れるところだった。ともかく、一応出よう。』
 木元は、すっかり正気にかえって、ウィスキーの空き罎を紙屑籠の中へ投りこむと、立ちあがった。
『この辺はべたに借間があるんで、心配はいらんさ。こーッと、五十七丁目だから、次の通りへ出てみるかね。』
 大股に歩いて行く彼には、もはや三沢のところでとぐろを巻いた姿はなかった。十月末というのに、外套なしの姿は、いくらか淋しかったが、あれだけ飲んだウィスキーの気配もなく、しゃっきりしたものだった。それから、低声でこうつけ足した。
『――三沢の奴、あれだけ噛ましておけば、当分大丈夫だ。あれはね、これから重要な役割をはたす男なんだ。あれで、君、みかけによらぬ大金を持ってるんだよ――』
 なんのことかわからないが、この数学の教師はあんがい長いメートルで、人を計ってみているのかも知れない。私が『Furnished Room』のサインをみつけて、部屋を交渉しているあいだ、彼は黙ってそれを聞いていたが、終ると、うなずいて、さっさと歩き出した。ともかくも、私は東五十六丁目の――番地エリック方へ陣取って、鞄をあずけ、一週間分の間代を前金で払い、鍵を受取って、木元の跡を追いかけた。
 彼は、軒なみ同じような作りの、石段と鉄柵の家を探すように頭をかがめて歩いていたが、その一軒の、石段の横腹に『鶴亀』とサインの出ているところへ出ると、にわかに元気づいたふうに、横の地下室へはいる鉄格子を靴の尖で蹴ってはいった。プーンという醤油の匂いが鼻をつく。奥からは皿小鉢の日本的な物音がする。
『はいりたまえ、こっちへ。』
 木元は横手の食堂から、手をひろげて招じ入れた。この男の手は、きわめて特長的なものだった。それは、かたく握りしめて拳になっていることもあったがたいがいは大きく開いてあった。たとえば、シガレットを吸うときの如きは、五本の指を開いて、そのあいだに煙草を挟むという調子だったから、シガレットではなくて、自分の掌を吸っているように見えた。
『ここは、君の宿か?』
『ふむ、鶴は千年亀は万年の僕の宿さ。はははは――君は、何がいい、日本酒か、それともウイスケか?』
 そうやって、例の掌を大きくふりながら、酒の燗瓶を三四本ならべたあいだから、異容な顔を突出して、誰憚らず大声で身の上話をするところは、スティヴンスンの『宝島』に出て来る海賊そっくりだった。
 今まで、どんな男であるかも知らない当人が、膝つき合わして、こう親しげに語るというのもふしぎだし、その話の内容というのも、ちょっと私などの水平線をかけはなれているのも妙だった。無人島で宝のありかをでも聞いている気持だった。ニュー・ヨークとは、ずいぶんへんなところだ。
『俺はな、こう見えても、こんなメリケンなどには向かない男なんだよ。叔父の一人は満鉄にいるし、もう一人の叔父は東京の帝国物産の社長をやってる。それに、親父が、親父の話となると親父はいないんでな、今は靖国に祭られてある。日露戦争でぶったおれた、陸軍中佐だったんだからな。それで、俺の狙っているのは、南洋方面の支店長どころサ。メリケンは向かん。だから、今ギッブスっていう奴と一談判してるとこなんだよ。アール・ティ・ギッブスと云ってね、英国人で、貿易商をやっている男で、ウオール街に事務所を持っている。この男なら、ちょっと話せる奴だ。鎌倉に別荘を持っていたりして、日本詰のときは、まあ相当にやっていた奴さ。君のはいって来る場所は、そこなんだ。つまり、足下に一役買って貰いたいんだ。ギッブスに、シャムの支店長か何かの口がありそうなんだ。一つ是非そこのところを交渉して貰いたいのサ。』
『はハア、するとなんだね、僕という男を、君がやとおうとすることを、君は僕と相談なしに定めているということなんだね?』
『ふむ、まあ、そういうことになるかな。』
『だとすると、その話はおことわりだ。』
『辰野とも話したんだが、君は恐らく最適任者だ、英語が達者だからね。』
『辰野は何と云ったか知らないが――第一、君は、失敬だよ。いいかね、今まで、殆ど面識もない間柄でさ、たまたまステーションへ辰野に代って迎えに来てくれたというだけの縁故で、方々を引張りまわしたり、満鉄の叔父さんとやらの話をしたりして、僕の大事な時間をこんなに浪費して、それで一向に恥じないところは、まア相当な利己主義者だと申上げる外はないね。僕は、これで失敬する。』
 私は席を蹴って立ち上がった。
 実際、私は用事が多いからだだった。下宿へ戻る前に、その辺で空腹も満さねばならぬし、明日はグリニッチヴィレーヂへフロイド・デルを訪問せねばならぬし、どこかのタイプライタア屋へ機械の賃借りの申込みもせねばならぬし、第一に、ニュー・ヨークとはどんなところかも知っておかねばならぬ。それで、その夜はエリック方に寝て、翌日からの活動になった。
 ニュー・ヨークという都市は、グリニッチヴィレーヂから眺めるにはちょうどいいところだった。ヴィレーヂの家という家は、いずれも古めかしく、三階立が主で、定まって赤煉瓦の煤けたもので、庭というものがなく、表には鉄柵の手摺りが出ていて、何のことはない、シカゴの栗の果横丁をちょっと伊達にしたような造りだった。ここから見ると、第五街は素晴らしくきれいに見えたし、ブロードウェイは宮殿のようだった。つまり、ほかの街を羨やむためのヴィレーヂだった。フロイドも、御多聞に洩れず、そのまん中へんのマグドウガル・ストリートの二十七番地の、第一階に住んでいた。ノックして、はいると、細長い部屋に、細長いテーブルがあって、その上には手擦れのしたタイプライタアがのっていて、主人公は、その奥からむっとするほど部屋に溜った、ファテマの煙を呑吐しておった。
『Hallo Mr. Dell, I am glad to see you again. I just came to New York yesterday.』
『Oh Maidako, so you are here at last. Come in and sit down.』
 二人は握手して、互いに微笑み交わした。
 瘠せ型のフロイドは、一層と瘠せ細ってみえた。
『Well, how is everything? Are you working hard?』
『Oh, just so and so.――How about you?』
『I am to see the city first, and then I will drop in the editor of every magazine I know of Vanity Fair, the Smart Sets, Everybody, and many others.』
『Good for you. Have you tried the New Republic? If not, I will write a letter to Frank Harris.』
『I thank you. Please do so. Is it very far from here?』
『No, just a few blocks. By the way, Frank Harris will be interested with an article about the Japanese literature, something like the one you once gave to me.』
 フロイドは、人柄に似合わず太い文字で、ぎぐしゃく紹介状を書いて私に手渡した。西二十一丁目であって、さほど遠くはない。ヴィレージで昼食をとって、ほどよい時刻を見はからって、ニュー・レパブリック社へ行った。編集者のフランク・ハリス君は在社であった。ここでは、Joint editorship というのであろう、フランク・ハリスのような人が幾人もいて、各自に受持の分担をやっているらしかった。会うと、温厚な、いかにも口数のすくない人で、一応フロイドと私との交際のことなど訊ねたのち、日本の文壇の近状など――と云って、私には雑誌で知っただけのものだが、それを書けるかときいた。私は、社会党の週刊誌やプログレッシヴ・ウイメンやゼ・インターナショナルのことをかいつまんで話をし、ともかく最善を試みてみることにして、タイプライタア用紙に十二枚程度という約束をして、ニュー・レパブリック社を辞した。
 それから三日たって、私はタイプで書いた十二枚の原稿を社へ持って行くと、ハリス君は読んで
『Can I do anything else?』
『Well, why not see the city, and sketch around the scenes and other matters, such as the Fifth avenue and the status of Liberty? There will be an interesting article if you see it from an original and unique point.』
『I will try.』
 そのときは、嬉しさでこおどりする気持で、エリック方へ取ってかえした。ちょうど五十六丁目の日蔭の街を歩いていると、向う側からさむざむとした恰好をした、木元のやって来るのに出遇わした。
『やあ、こないだはどうも。すこし酔っていたもんでね。』
『こっちも言葉が荒かったが――今日は、これみてくれよ、ニュー・レパブリック社からもらって来たのだが、』
 私は、さっそく八十五ドルの小切手を、彼の眼の前に閃めかしてみせた。
『うへえ――すばらしいもんだね、そりゃ銀行の小切手じゃないか……』
『このうち、君へ二十ドルだけ進呈するよ。それにこの俺の着ている外套な、これも君にあげるよ、こうさむくちゃ外出もできないだろう。』
『うへッ、何とまがいいんだろう。ともかく、僕の宿で一杯やろう。』
 二人の脚は、小もどりして、いつのまにか鶴亀まで歩いていた。行きずりに会った男といっても、多少なりと辰野の息のかかっていた木元である。まんざらみごろしにもできない気持がしたのであった。二人は、この前と同じテーブルにむかって掛けた。





底本:「日本の名随筆 別巻31 留学」作品社
   1993(平成5)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「青春の自画像」理論社
   1958(昭和33)年5月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年12月12日作成
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●表記について