長歯の鬼婆

　むかしむかしのおおむかし、よい身分（みぶん）のだんな方（がた）がダブリンからロッホ・グリンに狩（か）りや釣（つ）りをしにやってきた。ちいさな村（むら）には宿（やど）もなかったので、一行（いっこう）は司祭（しさい）さまの家（いえ）に泊（と）まった。
　一日（いちにち）め、狩（か）りに出（で）かけて、ドゥリミナッハの森（もり）に入（はい）り、しばらくすると野（の）ウサギを追（お）いたてはじめた。鉄砲玉（てっぽうだま）をたくさんうちかけたが、なかなかしとめられなかった。追（お）いかけていくうちに、森（もり）の中（なか）のちいさな家（いえ）に野（の）ウサギが入（はい）ったのが見（み）えた。
　戸口（とぐち）まで行（い）くと、おおきな黒犬（くろいぬ）がいて、中（なか）に入（い）れようとしなかった。
「そいつに玉（たま）をうちこんでやれ」とひとりが言（い）った。そうして玉（たま）をうつと、犬（いぬ）は口（くち）でうけとめ、くちゃくちゃかんで、ぺっと地面（じめん）に吐（は）きだした。もういっぺん、もういっぺんとうってみたが、おなじことだった。それから犬（いぬ）はありったけの声（こえ）でほえだして、まもなく家（いえ）の中（なか）から老婆（ろうば）が出（で）てきたが、その歯（は）はどれもトングのように長（なが）かった。「うちのちびになにをするんだい」と老婆（ろうば）は言（い）った。
「あんたのうちに野（の）ウサギが入（はい）っていったんだが、この犬（いぬ）が中（なか）へ入（い）れようとしないんでね」
「ちびや、伏（ふ）せ」と命令（めいれい）して、老婆（ろうば）は言（い）った。「来（き）たけりゃ入（はい）るがいいよ」みなおじけづいたが、ひとりがたずねた。「家（いえ）には、ほかにだれかいるのかい？」
「妹（いもうと）が六人（ろくにん）いるよ」「それは、ぜひとも会（あ）ってみたいものだね」狩人（かりゅうど）たちが言（い）うが早（はや）いか、六人（ろくにん）の老婆（ろうば）が出（で）てきたが、どのひとりをとっても、残（のこ）りに負（ま）けずおとらず長（なが）い歯（は）をしていた。狩人（かりゅうど）たちも、こんな見（み）ものははじめてだった。
　森（もり）を先（さき）へゆくと、一本（いっぽん）の木（き）に七羽（ななわ）のハゲワシがとまって金切（かなき）り声（ごえ）で鳴（な）いていた。みなで鉄砲玉（てっぽうだま）をうちかけたが、いくらやっても一羽（いちわ）もうち落（お）とせそうになかった。
　そこへ白髪（しらが）のおじいさんがとおりかかって、こう言（い）った。「あれは、あっちの小屋（こや）に住（す）んでいる長歯（ながは）の鬼婆（おにばば）ですよ。魔法（まほう）がかけられているのがわかりませんか。もうなん百年（びゃくねん）もあそこに住（す）んでいて、犬（いぬ）がいるのでだれも小屋（こや）には入（はい）れません。湖（みずうみ）の底（そこ）にお城（しろ）を持（も）っていて、よく七羽（ななわ）の白鳥（はくちょう）に姿（すがた）を変（か）えて湖（みずうみ）に行（い）きます」
　夕方（ゆうがた）になって戻（もど）った狩人（かりゅうど）たちは、見聞（みき）きしたことを司祭（しさい）さまに話（はな）したが、司祭（しさい）さまは本気（ほんき）にしなかった。
　つぎの日（ひ）は司祭（しさい）さまも狩人（かりゅうど）たちといっしょに行（い）き、小屋（こや）に近（ちか）づいてみると、おおきな黒犬（くろいぬ）が戸口（とぐち）にいた。司祭（しさい）さまはお祈（いの）りの道具（どうぐ）を首（くび）に下（さ）げていた中（なか）から、本（ほん）を取（と）り出（だ）してお祈（いの）りを唱（とな）えはじめた。犬（いぬ）がうるさくほえだした。鬼婆（おにばば）たちが出（で）てきて、司祭（しさい）さまを見（み）ると、アイルランドじゅうに聞（き）こえるほどの金切（かなき）り声（ごえ）をあげた。司祭（しさい）さまがお祈（いの）りを唱（とな）えるうちに、鬼婆（おにばば）たちはハゲワシに姿（すがた）を変（か）えて、家（いえ）の上（うえ）まで伸（の）びた高（たか）い木（き）に舞（ま）い上（あ）がった。
　司祭（しさい）さまはあとすこしというところまで犬（いぬ）に詰（つ）め寄（よ）った。
　犬（いぬ）は司祭（しさい）さまにとびかかり、四本足（よんほんあし）でどうと押（お）し倒（たお）した。
　助（たす）け起（お）こされた司祭（しさい）さまは耳（みみ）も聞（き）こえず口（くち）もきけず、犬（いぬ）は戸口（とぐち）からどかなかった。
　みなは司祭（しさい）さまを連（つれ）れ帰（かえ）り、司教（しきょう）さまにおいでを願（ねが）った。やってきた司教（しきょう）さまは、話（はなし）を聞（き）いておおいに嘆（なげ）かれた。
　村人（むらびと）が集（あつ）まってきて、鬼婆（おにばば）たちを森（もり）から追（お）いはらってほしいと司教（しきょう）さまにうったえた。司教（しきょう）さまはこわくなったが、そうとも言（い）えず、どうしてよいかわからなくて、こう言（い）った。「いちど戻（もど）らねば追（お）いはらうてだてがないが、月（つき）の終（お）わりにまた来（き）てそやつらを追（お）いはらおう」
　司祭（しさい）さまはひどく体（からだ）を痛（いた）めていたので、なにも言（い）えなかった。おおきな黒犬（くろいぬ）は鬼婆（おにばば）たちの父親（ちちおや）で、ダーモッド・オムルーニーといった。実（じつ）の息子（むすこ）に殺（ころ）されたのだが、それは息子（むすこ）の結婚式（けっこんしき）のつぎの日（ひ）に、嫁（よめ）といっしょにいるところを見（み）つかったせいで、さらに息子（むすこ）は、自分（じぶん）のしわざを告（つ）げ口（ぐち）されるのをおそれて、姉妹（しまい）たちも殺（ころ）したのだった。
　ある夜（よる）、司教（しきょう）さまが寝（ね）ていると、長歯（ながは）の鬼婆（おにばば）たちのひとりが部屋（へや）の扉（とびら）を開（あ）けて入（はい）ってきた。司教（しきょう）さまは目（め）を覚（さ）まして、ベッドのわきに鬼婆（おにばば）が立（た）っているのを見（み）た。あんまりおそろしくてなにも言（い）えずにいると、鬼婆（おにばば）が口（くち）をひらいた。「こわがらなくていいよ、悪（わる）さをしに来（き）たわけじゃない、ただ忠告（ちゅうこく）があるのさ。あんたは、ロッホ・グリンの村人（むらびと）に、長歯（ながは）の鬼婆（おにばば）をドゥリミナッハの森（もり）から追（お）いはらいに行（い）くと約束（やくそく）したね。もし来（き）たら、生（い）きては帰（かえ）れないよ」
　司教（しきょう）さまはようやく口（くち）がきけるようになって言（い）った。「約束（やくそく）を破（やぶ）るわけにはいかん」
「わたしらはあと一年（いちねん）と一日（いちにち）しか森（もり）にいない。それまで村人（むらびと）を遠（とお）ざけておけばいい」
「おまえたちは、なぜそのように森（もり）にいるのだ」
「兄（あに）がわたしらを殺（ころ）したのさ。それで天（てん）の裁判官（さいばんかん）さまのところへ行（い）ったら、二百年（にひゃくねん）のあいだ、こんなふうでいるようにとのお裁（さば）きだった。湖（みずうみ）の底（そこ）に城（しろ）があって、夜（よる）はいつもそこへ行（い）く。わたしらは、父（とう）さんが犯（おか）した罪（つみ）のせいで苦（くる）しんでいるんだ」そして老婆（ろうば）は、父親（ちちおや）が犯（おか）した罪（つみ）について話（はな）した。
「つらい定（さだ）めだな。だが、天（てん）の裁判官（さいばんかん）のお考（かんが）えには従（したが）わなければならぬ。わしはおまえたちをじゃまするまい」
「わたしらが森（もり）からいなくなったら、話（はなし）がゆくだろう」そう言（い）って、鬼婆（おにばば）は出（で）て行（い）った。
　つぎの日（ひ）の朝（あさ）、司教（しきょう）さまはロッホ・グリンへ行（い）った。知（し）らせを出（だ）して人（ひと）を呼（よ）び集（あつ）めた。そうして村人（むらびと）たちに話（はなし）をした。「天（てん）の王（おう）のお考（かんが）えにより、あと一年（いちねん）と一日（いちにち）のあいだ、魔法（まほう）の力（ちから）は追（お）いはらわれないから、おまえたちは森（もり）に入（はい）ってはいけない。ダブリンから狩人（かりゅうど）たちが来（く）るまで、おまえたちが鬼婆（おにばば）どもに会（あ）わなかったのはふしぎだ。――狩人（かりゅうど）たちも来（こ）なければよかったものを」
　一週間（いっしゅうかん）ほどたったある日（ひ）のこと、司祭（しさい）さまはひとりきりで部屋（へや）にいた。よく晴（は）れた日（ひ）で、窓（まど）は開（あ）いていた。赤（あか）い胸（むね）のコマドリが、ちいさな薬草（やくそう）をくわえて飛（と）んできた。司祭（しさい）さまが手（て）を伸（の）ばすと、鳥（とり）は手（て）に薬草（やくそう）を置（お）いた。
「もしかすると、神（かみ）がこの薬草（やくそう）をくださったのかもしれない」司祭（しさい）さまは心（こころ）の中（なか）で言（い）い、薬草（やくそう）を食（た）べた。するとたちまちのうちに、すっかり具合（ぐあい）がよくなった。「その力（ちから）は魔法（まほう）の力（ちから）よりも強（つよ）い神（かみ）に、千回（せんかい）も感謝（かんしゃ）いたします」
　するとコマドリが言（い）った。「二年前（にねんまえ）の冬（ふゆ）に世話（せわ）をした、足（あし）を痛（いた）めたコマドリをおぼえていますか」
「もちろん、おぼえているとも。夏（なつ）が来（き）たら行（い）ってしまったが」
「わたしがそのコマドリです。あなたの親切（しんせつ）がなければ、わたしはいま生（い）きていなかったでしょうし、あなたは一生（いっしょう）、耳（みみ）が聞（き）こえず、口（くち）もきけないままだったでしょう。わたしの言（い）うことをお聞（き）きなさい、もう長歯（ながは）の鬼婆（おにばば）に近（ちか）づいてはいけないし、わたしが薬草（やくそう）をあげたことは、だれにも言（い）ってはいけませんよ」そう言（い）うと、コマドリは飛（と）んで行（い）った。
　お手伝（てつだ）いさんが来（き）て、司祭（しさい）さまがしゃべり、耳（みみ）も聞（き）こえるようになったのを知（し）っておどろいた。司祭（しさい）さまは司教（しきょう）さまに知（し）らせを出（だ）し、司教（しきょう）さまがロッホ・グリンにやってきた。司教（しきょう）さまは、どうしてそんなに急（きゅう）によくなったのかとたずねた。「それは秘密（ひみつ）です。ある友（とも）だちがちいさな薬草（やくそう）をくれて、そのおかげで治（なお）ったのです」と司祭（しさい）さまは答（こた）えた。
　それからは、たいしたこともなく、その年（とし）が過（す）ぎた。そしてある晩（ばん）、司教（しきょう）さまが部屋（へや）にいると、扉（とびら）が開（ひら）いて、長歯（ながは）の鬼婆（おにばば）が入（はい）ってきた。「わたしらは一週間後（いっしゅうかんご）に森（もり）を出（で）ていくって知（し）らせにきたよ。ひとつ頼（たの）みがあるんだが、やってくれるかね」
「わしにできることなら、それに神（かみ）の教（おし）えにそむかぬことなら」
「一週間（いっしゅうかん）たったら、森（もり）のわたしらの家（いえ）の戸口（とぐち）に七羽（ななわ）のハゲワシが死（し）んでいるだろう。森（もり）とバリグラスのあいだにある石切（いしき）り場（ば）をお墓（はか）にするように言（い）いつけておくれ。頼（たの）みっていうのはそれだけだよ」
「わしが生（い）きていたら、そうしよう」それを聞（き）くと鬼婆（おにばば）は出（で）て行（い）ったが、司教（しきょう）さまもなごり惜（お）しいとは思（おも）わなかった。
　一週間後（いっしゅうかんご）、司教（しきょう）さまはロッホ・グリンに行（い）き、つぎの日（ひ）、村人（むらびと）を連（つ）れてドゥリミナッハの鬼婆（おにばば）の家（いえ）まで行（い）った。
　戸口（とぐち）におおきな黒犬（くろいぬ）がおり、司教（しきょう）さまを見（み）ると一目散（いちもくさん）に駆（か）けだして湖（みずうみ）に入（はい）っていった。
　戸口（とぐち）に七羽（ななわ）のハゲワシが死（し）んでいたので、司教（しきょう）さまは村人（むらびと）に言（い）った。「それを持（も）ってついてまいれ」
　村人（むらびと）たちはハゲワシの死（し）がいを持（も）って、司教（しきょう）さまについて石切（いしき）り場（ば）のふちまで行（い）った。「石切（いしき）り場（ば）に死（し）がいを投（な）げ入（い）れよ。これで鬼婆（おにばば）たちも終（お）わりだ」
　村人（むらびと）たちが死（し）がいを石切（いしき）り場（ば）の底（そこ）に投（な）げ入（い）れると、雪（ゆき）のように白（しろ）い七羽（ななわ）の白鳥（はくちょう）が舞（ま）い上（あ）がり、飛（と）んでいって見（み）えなくなった。司教（しきょう）さまも、この話（はなし）を聞（き）いた人（ひと）もみんな、白鳥（はくちょう）は天（てん）まで飛（と）んでいったのだと、そしておおきな黒犬（くろいぬ）は湖（みずうみ）の底（そこ）の城（しろ）に行（い）ったのだと考（かんが）えた。
　ともかく、それからというもの、長歯（ながは）の鬼婆（おにばば）も、おおきな黒犬（くろいぬ）も、二度（にど）と姿（すがた）をあらわさなかった。