『ホトトギス』五百号の記念に出版するのであって、従って五百句に限った。
この
範囲は俳句を作り始めた明治二十四、五年頃から昭和十年まで、
昭和十二年五月二十七日
『ホトトギス』発行所
高浜虚子
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明治二十七年
夕立やぬれて戻りて欄に
明治二十八年 子規を神戸病院より、須磨保養院に送りて数日滞在。
風が吹く仏
明治二十八年八月 下戸塚、古白旧廬 に移る。一日、鳴雪 、五城、碧梧桐 、森々招集、運座を開く。
しぐれつつ留守
明治二十八年
もとよりも恋は
明治二十九年
明治二十九年
海に入りて生れかはらう朧月
明治二十九年
大根の花
明治二十九年
山門も
明治二十九年
明治二十九年
明治二十九年
先生が
明治二十九年
明治二十九年
蚊帳越しに薬煮る母をかなしみつ
明治二十九年
人
明治二十九年
明治二十九年
明治二十九年
松虫に恋しき人の書斎かな
明治二十九年
盗んだる
明治二十九年
明治三十一年
石をきつて火食を知りぬ蛇穴を出る
蛇穴を出て見れば周の天下なり
穴を出る蛇を見て
明治三十一年
明治三十一年
明治三十一年
橋涼み笛ふく人をとりまきぬ
明治三十一年七月二十二日 五月以来母病気のため松山にあり。八月に至る。
星落つる
明治三十一年
明治三十一年
明治三十一年
耳とほき浮世の事や
明治三十一年
明治三十二年
亀鳴くや皆
明治三十二年
明治三十二年
明治三十二年
明治三十二年九月十日 根岸庵例会。
明治三十二年九月二十五日 虚子庵例会。会者、鳴雪、碧梧桐、五城、墨水、麦人、潮音、紫人、三子、孤雁 、燕洋 、森堂、青嵐 、三允 、竹子 、井村、芋村 、坦々 、耕雨。後 れて肋骨 、黄塔、把栗来る。
十月一日、松瀬 青々 上京、発行所に入る。
十月一日、
春の
明治三十三年
雨に
明治三十三年
明治三十三年七月二十五日 虚子庵例会。
明治三十三年十一月二十五日 虚子庵例会。
美しき人や
明治三十四年
明治三十四年
山寺の
明治三十五年
明治三十五年
明治三十五年? 或 は三十二年又は三十四年か。
明治三十五年七月二十七日 虚子庵例会。
長き根に秋風を待つ
明治三十五年 横浜俳句会。
此 年九月十九日。子規歿 。
明治三十六年
明治三十六年五月二十五日 虚子庵例会。会者、碧梧桐、癖三酔、碧童、左衛門 、酔仏、一転等。
明治三十六年
摂待の寺
明治三十六年
秋風や眼中のもの皆俳句
明治三十六年
友は大官
明治三十六年
明治三十六年
書中古人に会す妻が炭ひく音すなり
明治三十六年
茶の花に暖き日のしまひかな
明治三十六年
坂の茶屋前ほとばしる春の水
明治三十七年
裏山に藤波かかるお寺かな
明治三十七年四月二十五日 徳上院例会。
ほろ/\と泣き合ふ尼や
明治三十七年
明治三十七年五月二十五日 徳上院例会。
大海のうしほはあれど
明治三十七年六月二十五日 徳上院例会。
むづかしき禅門出れば
明治三十七年
明治三十七年
秋風にふえてはへるや
明治三十七年八月二十七日 芝田町海水浴場例会。会者、鳴雪、牛歩、碧童、井泉水 、癖三酔、つゝじ等。
うき巣見て事足りぬれば
鎌とげば
明治三十八年七月二十三日 浅草白泉寺例会。会者、鳴雪、碧童、癖三酔、不喚楼、雉子郎 、碧梧桐、水巴 、松浜 、一転等。
明治三十八年七月二十八日 癖三酔、松浜と共に。
明治三十八年
客人に下れる
明治三十八年
明治三十八年
相慕ふ村の
明治三十八年
もの知りの長き
明治三十八年八月十七日 王城、松浜と共に。
花
明治三十八年八月二十一日 鴨涯 、松浜と共に。
村の名も法隆寺なり麦を
冬の山低きところや法隆寺
明治三十八年十一月二十六日 浅草白泉寺例会。
座を
明治三十九年一月六日 新年会。三河島 喜楽園。会者、癖三酔、松浜、一声、三允、鳴雪、碧梧桐、乙字等。
明治三十九年三月十九日 俳諧散心。第一回。小庵。会者、蝶衣 、東洋城、癖三酔、松浜、浅茅 。
尚 この俳諧散心の会は翌明治四十年一月二十八日に至り四十一回に及ぶ。
草に置いて
明治三十九年四月二日 俳諧散心。第三回。麻布 竹谷 町闇玉庵 (癖三酔宅)。
明治三十九年
藤の茶屋
明治三十九年四月二十三日 俳諧散心。第六回。牛込 赤城神社脇、清風亭。
明治三十九年五月七日 俳諧散心。第八回。小石川 高田あかなすのや(浅茅庵)。
明治三十九年五月二十一日 俳諧散心。第十回。小庵。
門額の大字に
主客閑話ででむし竹を上るなり
明治三十九年五月三十日 大谷 句仏 北海道巡錫 の途次来訪を機とし、碧梧桐庵小集。会者、鳴雪、句仏、六花 、碧梧桐、乙字、碧童、松浜。
麻の中月の白さに送りけり
麻の上稲妻赤くかかりけり
明治三十九年五月三十一日 星ヶ岡茶寮小集。
明治三十九年六月十九日 碧梧桐送別句会。星ヶ岡茶寮。
明治三十九年六月二十五日 俳諧散心。第十四回。芝浦海水浴。
すたれ行く町や
明治三十九年七月二日 俳諧散心。第十五回。芝浦海水浴。
明治三十九年七月十六日 俳諧散心。第十七回。芝浦海水浴。
六十になりて母無き
明治三十九年
明治三十九年
僧遠く一葉しにけり
明治三十九年八月二十七日 俳諧散心。第二十二回。小庵。
明治三十九年
君と我うそにほればや秋の暮
明治三十九年九月十七日 俳諧散心。第二十五回。十二社、梅林亭。
明治三十九年九月二十四日 俳諧散心。第二十六回。小庵。
明治三十九年十月八日 俳諧散心。第二十八回。山王社内、楠本亭。
秋空を二つに断てり
明治三十九年十月十五日 俳諧散心。第二十九回。山王社内、楠本亭。
煮ゆる時
明治三十九年
老僧の骨刺しに来る
明治四十年
明治四十年 巣鴨 、詩痩会。真宗大学内。
明治四十一年
明治四十一年五月二十八日 蕪 むし会。第四回。寒菊堂。会者、耕村、水巴、知白、東洋城、松浜、蝶衣 。
明治四十一年
明治四十一年六月十二日 蕪むし会。第五回。寒菊堂。
岸に釣る人の
明治四十一年七月三十日 蕪むし会。第六回。
明治四十一年八月五日 日盛会。第五回。小庵。
尚この会は八月一日第一回を開き殆 毎日会して八月三十一日に至る。此時の会者、東洋城、癖三酔、松浜、水巴、蛇笏 、三允、香村、眉月 、蝶衣等。
尚この会は八月一日第一回を開き
ぢぢと鳴く
明治四十一年八月九日 日盛会。第九回。小庵。
明治四十一年八月十日 日盛会。第十回。
明治四十一年八月十一日 日盛会。第十一回。
草市ややがて行くべき道の露
明治四十一年八月十四日 蕪むし会。第七回。寒菊堂。
明治四十一年八月十七日 日盛会。第十六回。
仲秋の
仲秋や
仲秋をつつむ一句の
明治四十一年八月二十二日 日盛会。第二十回。
明治四十一年八月二十三日 日盛会。第二十一回。
明治四十一年八月二十五日 日盛会。第二十三回。
芋を掘る手をそのままに上京す
明治四十一年八月二十七日 日盛会。第二十五回。
明治四十一年 秋。村上霽月 来小会。
明治四十一年 秋。蕪むし会。第九回。
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死神を
その日/\死ぬる
大正二年一月十九日 鎌倉虚子庵句会。病臥 の儘 。
先人も
大正二年二月十日 大平山句会。栃木郊外大平山茶亭。
春風や闘志いだきて丘に立つ
大正二年二月十一日 三田俳句会。東京芝浦。
大寺を包みてわめく木の芽かな
大正二年二月二十六日 半美庵偶会。戸塚。
この
一つ根に離れ浮く葉や春の水
大正二年 春。虚子庵句会。
草
大正二年
大正二年三月九日 ホトトギス発行所例会再興第一回。芝田町汐湯に於 て。
大正二年 春。鎌倉、雨村庵にて。庵主、宗演老師等と共に。
田植すみて東海道雨の人馬かな
大正二年六月一日 虚子庵例会。
今日の日も衰へあほつ
古庭を魔になかへしそ
師僧
大正二年七月 第一日曜。虚子庵例会。
灯ともせば早そことべり灯取虫
大正二年七月 奉天の佐藤肋骨、京城の吉野左衛門、千葉の渡部非砂、東京の仙田木同の諸君、鎌倉に来遊せし時、小町園にて。
大正二年九月 第三日曜。子規忌句会。
此秋風のもて来る雪を思ひけり
大正二年十月五日 雨村、水巴と共に。信州柏原 俳諧寺の縁に立ちて。
年を
大正二年十二月 第三日曜。発行所例会。
我を迎ふ旧山河雪を装へり
大正三年一月 松山に帰省。同月十二日夜、松山公会堂に於て。
うき草のそぞろに
大正三年一月十四日 京都に至る。祇園 左阿弥 の晩句会に臨む。
時ものを解決するや春を待つ
大正三年一月十六日 大阪瓦斯倶楽部 の俳句大会に列席。会者八、九十名。青々、墨水、一転、躑躅 、巨口、月村、露石、素石、月斗 、鬼史、王城等。
鎌倉を驚かしたる
大正三年二月一日 虚子庵例会。
春雨やすこしもえたる手提灯
大正三年三月 第三日曜。発行所例会。
我心
大正三年五月三日 虚子庵例会。
コレラ
コレラ船いつまで沖に
コレラの家を出し人こちへ
大正三年七月五日 虚子庵例会。
大正三年七月十九日 発行所例会。
秋風や最善の力
大正三年九月六日 虚子庵例会。
大正三年
大正三年十月十八日 発行所例会。
雲静かに影落し過ぎし
造化
大正四年四月十八日 発行所例会。
大正四年六月二十日 発行所例会。
大正四年十月九日 京都三条小橋の万屋にあり。大和の浜人 来る。王城、鱸江、秋蒼 と共に句作。
これよりは恋や事業や水
大正五年二月十一日 高商俳句会。山王境内楠本亭。高商卒業生諸君を送る。
麦笛や四十の恋の合図吹く
恋はものの男
大正五年六月十一日 発行所例会。
露の幹
大正五年九月十日 子規忌句会。
大空に
木曾川の今こそ光れ渡り鳥
大正五年十一月六日 恵那 中津川に小鳥狩を見る。四時庵にて。島村久、富岡俊次郎、田中小太郎、清堂、零余子 、はじめ、泊雲、楽堂 同行。
大正五年十二月三日 帝大俳句会。九日、夏目漱石逝 く。
大正五年十二月二十八日 高商俳句会闇汁会。芙蓉 居。
大正六年二月十日 帰省の途次堺に寄る。白鳥吟社主催堺俳句会に出席。泊雲、泊月、躑躅、浜人、はじめ、九品太 、月斗、一転、梅史、桜坡子 等と共に。
山吹の雨や
大正六年四月十五日 国民俳句会。江戸川畔清風亭。
大正六年四月二十二日 春季吟行。太田妻沼に至る車中。
大正六年五月三日 帝大俳句会。根津権現 境内娯楽園。
大正六年五月八日 婦人俳句会。
嘲吏青嵐
人間吏となるも風流
大正六年五月十二日 虚吼 、吏青嵐、煙村、楚人冠 等と小集。鶴見花月園みどり。
蛇逃げて我を見し眼の草に残る
大正六年五月十三日 発行所例会。十六日、阪本四方太 、中川四明、日を同じうして逝く。
大正六年 某料亭にて。
大正六年六月十日 発行所例会。
此松の下に
大正六年十月十五日 帰省中風早 柳原西の下 に遊ぶ。風早西の下は、余が一歳より八歳迄 郷居せし地なり。家空 しく大川の堤の大師堂のみ存す。其堂の傍に老松あり。
天の川のもとに
大正六年十月十八日 筑前 太宰府 に至る。同夜都府楼址 に佇む。懐古。
秋の
大正六年十月十八日 観世音寺に詣 づ。
何の木のもとともあらず栗拾ふ
大正六年十月十九日 福岡第二公会堂に於て。
大正七年? 或 は大正六年か。
雨の中に立春大吉の光あり
大正七年二月十日 発行所例会。会者、京都の王城、所沢の俳小星、青峰、宵曲 、一水、雨葉、しげる、湘海、岫雲 、みづほ、霜山、今更、たけし、鉄鈴、としを、子瓢 、夜牛、石鼎 。
大正七年四月十六日 婦人俳句会。柏木かな女居。
野を焼いて帰れば燈下母やさし
大正七年? 或は七年以前なるべし。
梅を探りて病める老尼に二三言
大正七年? 或は七年以前なるべし。
山吹に
大正七年? 或は七年以前なるべし。
船にのせて
大正七年? 或は七年以前なるべし。
夏草を踏み行けば雨意人にあり
夏草に
大正七年? 或は七年以前なるべし。
夏の月皿の
大正七年七月八日 虚子庵小集。芥川 我鬼 、久米 三汀 等来り共に句作。
船に乗れば
能すみし面の衰へ暮の秋
大正七年
秋天の
大正七年十月二十一日 神戸毎日俳句会。
大正七年十月二十二日 堺俳句会。この日一転庵泊。
見失ひし秋の昼蚊のあとほのか
大正七年
大正八年 婦人俳句会の連中、鎌倉に来る。はじめ邸にて。
大正八年
大正八年
大正八年
扇鳴らす
我を
大正八年
傾きて太し梅雨の
大正八年
大正八年
大正八年
やう/\に残る暑さも
大正八年
山のかひに
大正八年
大正九年一月 小樽にあるとしを、丹毒のため小樽病院に入院せるを見舞ひ、三十一日帰路につく。青函連絡船にて。
藤の根に
大正九年五月十日 京大三高俳句会。京都円山公園、あけぼの楼。
どかと解く夏帯に句を書けとこそ
大正九年五月十六日 婦人俳句会。
人形まだ生きて動かず
大正十年一月十一日 新年婦人俳句会。かな女庵。昨年十月、軽微なる脳溢血 にかゝり、病後はじめて出席したる句会。
大正十年
新しき帽子かけたり黴の宿
大正十年
大正十一年八月三十一日 川崎俳句会主催新涼句会。大師内渉成園。会するもの、鳴雪、楽天、温亭、普羅、野鳥、風生 、橙黄子 等。
大正十二年六月二十八日 風生渡欧送別東大俳句会。発行所。上京中の泊雲出席。
門前に蛍追ふ子や旅の宿
大正十二年六月末
早苗
早苗籠負うて走りぬ雨の中
大正十二年 戸塚俳句会。
月の友三人を追ふ一人かな
大正十二年十月二十二日 丹波竹田の泊雲居を訪 ふ。旧暦九月十三夜、晴れて霧深し。泊月、野風呂 と共に出でゝ田圃 道を歩く。白川遅れて来る。
大正十三年
さしくれし春雨傘を受取りし
大正十三年
大正十三年五月十三日 発行所例会。
大正十三年五月十九日 発行所例会。
大正十三年
蚊の入りし声一筋や
大正十三年六月
大正十三年七月二十七日 島村元 一周忌(昨年八月二十六日歿)追悼句会。妙本寺の墓に詣 で島村邸に至る。
暑に
大正十三年七月二十八日 発行所例会。
月浴びて玉
大正十三年八月
秋の蚊の居りてけはしき寺法かな
大正十三年 鮮満旅行の途次、十月十四日平壌にあり。華頂女学院に於ける俳句会に臨む。正蟀、帆影郎、沼蘋 女等来る。韮城 、橙黄子、雨意等同行。
ひらひらと深きが上の落葉かな
大正十三年十月三十一日 鮮満旅行の帰路、旅順に至る。新市街千歳倶楽部に於て。
水鳥の
大正十三年十一月 清原枴童 上京偶会。発行所。
北風や石を敷きたるロシア町
大正十三年十一月三十日 鮮満旅行より帰京歓迎句会。上野花山亭。集るもの温亭、石鼎、雉子郎、花蓑 、秋桜子 、青邨 、たけし等。
酒井野梅其児の手にかゝりて横死するを悼 む
大正十三年
大正十三年十二月二十九日 同人、選者と共に。発行所に於て。会するもの、肋骨、楽堂、鼠骨 、石鼎、温亭、宵曲、菫雨 、野鳥、青峰、為山、たけし、花蓑、秋桜子、一水。
ばばばかと書かれし壁の
灯のともる干菜の窓やつむぐらん
大正十四年一月十六日 発行所例会。大阪の木国 、新潟の今夜、みづほ、他に鳴雪、温亭等。
麦踏んで若き我あり人や知る
大正十四年一月二十七日 中田みづほ渡欧送別句会。発行所。偶々 より江来会。
大正十四年二月
草を摘む子の野を渡る巨人かな
大正十四年三月
大正十四年三月
大正十四年五月十七日 大阪にあり。毎日俳句大会。会衆八百。
大正十四年五月二十二日 道後 に宿泊。松山三番町横丁の某クラブに於て。
墓生きて我を迎へぬ久しぶり
大正十四年五月二十六日 松山滞在。老兄と共に墓参。
老僧の蛇を叱りて追ひにけり
大正十四年六(七?)月
大正十四年六(七?)月
美人絵の
大正十四年六(七?)月
我声の吹き飛び聞ゆ
大正十四年十月
父母の夜長くおはし給ふらん
大正十四年十月
大正十四年十一月
かりに
大正十五年一月
大正十五年二月 元 未亡人蕗の薹を齎 す。
古椿ここだく落ちて
大正十五年二月十三日 田村木国 上京歓迎小集。発行所。二十日[#「二十日」はママ]、内藤鳴雪逝く。
大正十五年二(三?)月
芽ぐむなる大樹の幹に耳を寄せ
大正十五年三月十六日 発行所例会。
大正十五年六月二十三日 発行所例会。
大正十五年六月
今一つ奥なる滝に
大正十五年七月十二日 発行所例会。
橋裏を皆打仰ぐ
大正十五年七月
古書の文字生きて
威儀の僧扇で払ふ灯取虫
大正十五年七月
草がくれ麗玉秘めし清水かな
大正十五年八月五日 発行所例会。
庭の石ほと動き
大正十五年八月
大正十五年九月七日 東大俳句会。発行所。
雨風や最も萩をいたましむ
大正十五年九月
自らの
大正十五年十(十一?)月
たまるに任せ落つるに任す屋根落葉
徐々と掃く落葉
大正十五年十一月
大正十五年十二月
大空に伸び傾ける冬木かな
大正十五年十二月二十一日 東大俳句会。発行所。
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昭和二年一月
藪の池
昭和二年一月二十日 発行所例会。三十一日、次男池内友次郎 、横浜出帆の筥崎丸 にて仏蘭西 遊学の途に就く。
うち
昭和二年二月二十八日 発行所例会。
木々の芽のわれに迫るや
昭和二年三月
巣の中に
うなり落つ蜂や大地を
昭和二年三月十七日 肋骨、為王、楽堂と雑談句作。発行所。
ものの芽のあらはれ出でし大事かな
昭和二年三月
春山の名もをかしさや
一片の落花見送る

昭和二年四月 京都滞在。光悦寺にて。
濃き日影ひいて遊べる
昭和二年五月十五日 みづほ帰朝歓迎句会。発行所。
百官の衣
昭和二年五月
セルを
昭和二年五月
昭和二年六月 大阪毎日、東京日日新聞社募集の日本八景の選抜委員を委嘱され、その候補地を視察する為岐阜に至り、長良川の鵜飼を見る。
くづをれて
昭和二年 老人会。
松風に騒ぎとぶなり
昭和二年七月
なつかしきあやめの水の
よりそひて
昭和二年七月
昭和二年七月 大毎、東日委嘱により別府に至る、日本八景の一に当選したる別府の記事を書く為。
わだつみに物の命のくらげかな
昭和二年八月四日 清三郎福岡転任送別東大俳句会。丸の内、竹葉亭。
俳諧の旅に日焼し
昭和二年八月八日 枴童 上京の為、発行所小集。
昭和二年八月十一日 改造社主催講演会に出席のため高野山 に赴 く。
昭和二年八月十六日 夕。京都に至り、加茂堤に大文字を見る。
清閑にあれば月出づおのづから
昭和二年九月 退官せし前の横田大審院長招宴。
鎌倉
秋天の下に浪あり墳墓あり
昭和二年九月十九日 子規忌句会。田端 大龍寺。
仲秋や月
昭和二年九月
はじまらん踊の
昭和二年十月
昭和二年十月二十三日 発行所例会。泊雲来会。会者百名。
やり
東山静に羽子の舞ひ落ちぬ
昭和二年十二月
昭和三年二月
昭和三年四月七日 婦人俳句会。
両の
昭和三年四月 七宝会。植物園。
昭和三年四月十五日 発行所例会。
遅桜なほもたづねて奥の宮
おもひ川渡れば又も花の雨
昭和三年四月二十三日 泊雲、泊月、王城、比古、三千女と共に鞍馬 貴船 に遊ぶ。
川船のぎいとまがるやよし
昭和三年六月
昭和三年七月十四日 婦人俳句会。
新涼や仏にともし奉る
昭和三年九月十六日 子規忌句会。大龍寺。十八日、石井露月逝く。
ふるさとの月の港をよぎるのみ
はなやぎて月の
われが
昭和三年十月七日 福岡市公会堂に於ける、第二回関西俳句大会に出席。会衆四百。清三郎、禅寺洞、より江、久女、しづの女、泊月、王城、野風呂、橙黄子等。
昭和三年十月十日 薩摩 に赴き、桜島に遊ぶ。
昭和三年十月 赤間宮参拝。
手をかざし
昭和三年十月十六日 泊月と知恩院境内漫歩。吉田町楽友会館に於ける京大三高俳句会に臨む。
枝豆を
昭和三年十月十九日 木槿 会。大阪倶楽部。
旅笠に落ちつづきたる
昭和三年十月二十日 泊月、王城と八幡 の男山に遊びまた大阪に至る。住友倶楽部に於ける無名会に出席。
昭和三年十月二十三日 洛西 、岡康之の岳父石井氏邸にて。
ふみはづす
昭和三年十月
秋風に草の一葉のうちふるふ
流れ行く大根の葉の早さかな
昭和三年十一月十日 九品仏 吟行。
寒き風人持ち来る
昭和三年十二月
ゆるやかに水鳥すすむ岸の松
昭和四年一月
此村を出でばやと思ふ
昭和四年二月
昭和四年三月十八日 発行所例会。
昭和四年四月一日 立子同伴、京都にあり、泊月、王城、桐一、播水 、桂樹楼、波川、ながしと共に光悦寺に遊ぶ。秋桜子も亦来る。
眼つむれば若き我あり春の宵
昭和四年四月
昭和四年四月八日 渡月橋 の上手より舟を傭 ひて遡上 。
旧城市
昭和四年 五月十四日発、満州旅行の途につく。江川三昧 東道。五月二十七日、遼陽 に至る。
夕立や森を出て来る馬車一つ
昭和四年六月三日 一日ハルビンに至る。八日迄滞在。
止りたる
昭和四年六月十一日 平壌、お牧の茶屋。
昭和四年六月二十七日 老人会。肋骨、峰青嵐、楽天、落魄居 、楽堂、為王等来会。
病身をもてあつかひつ
昭和四年七月十六日 安田句会。
石ころも露けきものの一つかな
昭和四年八月十九日 風生電気局長就任、京童帰朝、祝賀会。折柄ツエツペリン伯号来る。
昭和四年十月十日 七宝会。鎌倉浄明寺、たかし庵に於て。
子供等に
昭和五年一月五日 鎌倉俳句会。極楽寺、寿水庵。
ほつかりと
昭和五年一月十九日 発行所例会。
昭和五年三月十三日 七宝会。発行所。
昭和五年三月
ふるひ
昭和五年六月二十七日 鎌倉俳句会。鴻乙居。夜、正福寺谷戸蛍狩。
昭和五年六月二十九日 玉藻 句会。真下邸。
炎天の空美しや
昭和五年七月十三日 旭川 、鍋平朝臣等と高野山に遊ぶ。
昭和五年七月二十四日 東大俳句会。
蜘蛛打つて
昭和五年八月一日 家庭俳句会。
もの言ひて露けき夜と覚えたり
昭和五年八月二十六日 鎌倉俳句会。たかし庵。
秋山や

昭和五年九月三十日 第二回武蔵野探勝会。多摩の横山。
鉛筆で
昭和五年十二月八日 笹鳴 会。
東より春は
昭和六年一月十七日 椎花 庵招宴。
昭和六年一月十八日 武蔵野探勝会。江戸川。
せはしげに
昭和六年二月十二日 七宝会。鎌倉、たかし庵。
大試験山の如くに控へたり
昭和六年二月十三日 東大俳句会。丸ビル集会室。
昭和六年二月二十日 家庭俳句会。発行所。
紅梅の紅の通へる幹ならん
昭和六年三月十二日 七宝会。葉山、水竹居別邸。
昭和六年三月十三日 東大俳句会。
土佐日記
昭和六年四月二日 土佐国高知に著船。国分村に紀貫之 の邸址を訪ふ。
植木屋の掘りかけてある梅一樹
昭和六年四月十七日 家庭俳句会。矢口村、新田 神社。
川波に山吹映り澄まんとす
昭和六年四月二十二日 丸之内会館。金春惣右衛門 にはじめて句を教ふ。
昭和六年五月十六日 丸之内倶楽部俳句会。第一回。
つくばひのよく
昭和六年六月十六日 水無月 会大会。安田銀行。
草抜けばよるべなき蚊のさしにけり
昭和六年六月十八日 丸之内倶楽部俳句会。
昭和六年六月二十四日 上高地温泉ホテルにあり。少婢 の名を聞けばとうといふ。
火の山の
昭和六年六月二十四日 下山。とう等焼岳の麓 まで送り来る。
夕影は流るる
昭和六年七月十九日 武蔵野探勝会。古利根。
昭和六年八月十四日 東大俳句会。
蜘蛛の糸がんぴの花をしぼりたる
昭和六年九月六日 武蔵野探勝会。忍 、川島奇北 邸に赴き、大利根に遊ぶ。
われの星燃えてをるなり星月夜
昭和六年九月十七日 丸之内倶楽部俳句会。
秋風のだん/\荒し蘆の原
昭和六年九月十八日 家庭俳句会。羽田穴守 海岸吟行。
仲秋や大陸に又遊ぶべく
昭和六年十月九日 東大俳句会。丸ビル集会室。
初潮に沈みて深き四ツ手かな
昭和六年十月二十二日 丸之内倶楽部俳句会。
秋風や生徒の中の島女
昭和六年十月二十三日 鎌倉俳句会。江の島金亀楼。
昭和六年十一月一日 武蔵野探勝会。浦安吟行。
たてかけてあたりものなき
昭和六年十一月六日 『週刊朝日』新年号のために。
酒うすしせめては
昭和六年十一月十三日 東大俳句会。丸ビル集会室。
昭和六年十一月十四日 新聞聯合 特信部の依頼。
たら/\と藤の落葉の続くなり
昭和六年十一月十五日 二子 多摩川吟行。柳家休憩。
寺の
昭和六年十一月十九日 丸之内倶楽部俳句会。
昭和六年十二月二日
昭和六年十二月十一日 東大俳句会。丸ビル集会室。
昭和六年十二月十四日 笹鳴会。丸ビル集会室。
水仙や表紙とれたる古
昭和七年一月二十八日 丸之内倶楽部俳句会。
春の水流れ/\て又ここに
昭和七年二月七日 武蔵野探勝会。砧 村大字 岡本字下山、岩崎別邸。
昭和七年二月八日 笹鳴会。丸ビル集会室。
風の日の麦踏
昭和七年二月十三日 荻窪 、女子大学句会。
学僧に梅の月あり猫の恋
昭和七年二月二十二日 薺 会句会。
ぱつと火になりたる蜘蛛や草を焼く
我心
昭和七年三月二十四日 丸之内倶楽部俳句会。
花の雨降りこめられて
昭和七年四月十二日 京都石田旅館にあり。安倍 、和辻 両君来り、謡二番。
山寺の
昭和七年四月十六日 蜻蛉会。西山十輪寺吟行。
昭和七年四月十九日 木槿会。大阪倶楽部。
昭和七年五月七日 水竹居祝賀会。四ツ木吉野園。
春の浜大いなる輪が
昭和七年五月九日 笹鳴会。片瀬西浜、保岡別邸。
夏草に黄色き魚を釣り上げし
昭和七年六月五日 武蔵野探勝会。石神井 、三宝寺池。
昭和七年六月二十一日 水無月会。丸ノ内、安田銀行。
昭和七年七月三十一日 伊香保 に遊び、榛名湖にいたる。
落花のむ
昭和七年九月四日 武蔵野探勝会。南拝島、日吉 神社社前。
夜学すすむ教師の声の低きまま
昭和七年九月十日 『山茶花 』十週年記念大会兼題。
くはれもす
昭和七年十月八日 出雲 松江。八雲旧居を訪ふ。
秋風の急に寒しや
昭和七年十月九日 松江を発 ち大山 に向ふ。大山登山。
昭和七年十月十九日 嵯峨野 吟行。二条、巨陶居。
顔よせて人話し居る夜霧かな
昭和七年十月二十日 木槿会。大阪倶楽部。
大小の木の実を人にたとへたり
昭和七年十一月十四日 笹鳴会。丸ビル集会室。
昭和八年一月一日 鎌倉宅病臥 。皿井 旭川 来、枕頭 に壺の図を描く。
つく
昭和八年一月九日 笹鳴会。丸ビル集会室。
昭和八年一月十二日 七宝会。松韻社にて。日比谷 公園。
つづけさまに
昭和八年一月二十一日 家庭俳句会。
昭和八年一月二十六日 丸之内倶楽部俳句会。
雪解くるささやき
昭和八年一月二十七日 鎌倉俳句会。
紅梅の
昭和八年二月二十二日 臨時句会。発行所。
昭和八年三月三日 家庭俳句会。横浜、三渓園。
立ちならぶ
昭和八年三月三十日 七宝会。あふひ邸。
神にませばまこと
昭和八年四月十日 南紀に遊ぶ。橙黄子東道。那智の滝。青岸渡寺 。
鶯や
昭和八年四月十二日 中辺路 を経て田辺に至る。中辺路懐古。
昭和八年四月十九日 大磯一本松、中村吉右衛門 別邸に行く。安田靫彦 の意匠になるといふ庭に昔絵を見るが如き稚松多し。
昭和八年五月二十五日 丸之内倶楽部俳句会。
昭和八年六月十三日 北海道旭川俳句大会兼題。
昭和八年七月十二日 おほさき会。発行所。
風鈴の
昭和八年七月二十四日 玉藻句会。丸ビル集会室。
船涼し己が煙に包まれて
昭和八年 八月十六日発、北海道行。あふひ、立子、友次郎、草田男 、夢香、桜坡子、木国同行。八月十七日、青函連絡船松前丸船中。
皆降りて北見富士見る旅の秋
昭和八年八月二十一日 るべしべ駅。此夜、阿寒湖、山浦旅館泊。
バス来るや虹の立ちたる湖畔村
火の山の
昭和八年八月二十二日 阿寒湖。此夜、弟子屈 、青木旅館泊。
燈台は低く霧笛は
昭和八年八月二十三日 釧路 港。此夜、釧路港、近江屋泊。
一筋の
昭和八年九月二十九日 草樹会。学士会館。
昭和八年十月一日 武蔵野探勝会。常陸 鹿島 神社行。
昭和八年十月八日 田園調布、橙黄子新居句会。
秋の蝶黄色が白にさめけらし
昭和八年十月二十三日 玉藻句会。丸ビル集会室。
顔抱いて犬が寝てをり菊の宿
昭和八年十一月三日 家庭俳句会。鎌倉、虚子庵。
来るとはや帰り
昭和八年十一月十九日 発行所例会。丸ビル集会室。
来る人に我は行く人
昭和八年十一月二十七日 丸之内倶楽部俳句会。
昭和八年十二月八日 草樹会。丸ビル集会室。
焼芋がこぼれて
昭和八年十二月十日 笹鳴会。丸ビル集会室。
昭和八年十二月十五日 家庭俳句会。渋谷 、あふひ邸。
かくれ家をかいま見すれば
昭和九年二月二十六日 玉藻句会。丸ビル集会室。
白雲のほとおこり消ゆ花の雨
昭和九年四月十三日 大阪に在りしが野風呂の招きにて昨夜遅く嵐山、花の家に著。大堰舟遊。此夜石田旅館泊。
四畳半三間の幽居や
昭和九年四月十四日 蜻蛉会。岩倉実相寺に至る。岩倉公遺跡。
事務多忙頭を上げて春
昭和九年四月二十九日 発行所例会。丸ビル集会室。
つくり雨降らせふきあげ噴き上げぬ
昭和九年六月九日 水竹居招宴。田中家。
酌婦来る灯取虫より
昭和九年六月十一日 おほさき会。丸ビル集会室。
一々の
昭和九年六月十五日 家庭俳句会。小石川植物園。
玉虫の光残して飛びにけり
昭和九年七月二十三日 玉藻句会。丸ビル集会室。
昭和九年七月二十六日 丸之内倶楽部俳句会。
昭和九年七月二十七日 鎌倉俳句会。稲村ヶ崎、稲村居。
何となく人に親しや
昭和九年八月二十三日 丸之内倶楽部俳句会。
よべの
昭和九年九月十一日 箱根、見南山荘。
大いなるものが過ぎ行く
昭和九年九月二十一日 家庭俳句会。鎌倉、鶴ヶ岡八幡楼門。野分吹く。号外に颱風 京阪地方を襲ひ大阪天王寺の塔倒ると。
並べある木の実に
昭和九年十月二十二日 玉藻句会。丸ビル集会室。
秋風や何の煙か
昭和九年十月二十七日 鎌倉俳句会。たかし庵。
川を見るバナナの皮は手より落ち
昭和九年十一月四日 武蔵野探勝会。浜町 、日本橋倶楽部。
昭和九年十一月十二日 おほさき会。丸ビル集会室。
神近き
昭和十年一月一日 未明。明治神宮初詣。
神慮今
昭和十年一月一日 午後。鶴ヶ岡八幡宮初詣。
昭和十年一月十日 第二回同人会。赤羽橋 、春岱寮。
昭和十年三月三日 武蔵野探勝会。麻布 広尾、近藤男爵邸雛祭。
一を知つて二を知らぬなり卒業す
昭和十年三月十二日 笹鳴会。丸ビル集会室。
園丁の指に従ふ春の土
昭和十年四月四日 みづほ歓迎会。百花園。
昭和十年四月二十日 あふひ還暦祝。百花園。
船の出るまで
昭和十年四月二十四日 播水招宴。神戸花隈、吟松亭。
道のべに
昭和十年四月二十五日 風早西の下 の句碑を見、鹿島に遊ぶ。松山、黙禅邸。松山ホトトギス会。
藤
昭和十年四月二十六日 石手寺 、湧ヶ淵吟行。豊阪町亀の井。此夜神戸舟行。
旅荷物しまひ終りて花にひま
昭和十年四月二十九日 舞子、万亀楼。
昭和十年五月一日 立子と共に大阪玉藻句会出席。奈良東大寺裏、宝厳院。
昭和十年五月二日 京都嵐山、花の家。立子と共に。
緑蔭を出れば明るし
昭和十年六月十三日 七宝会。小石川植物園。

昭和十年六月二十四日 玉藻句会。丸ビル集会室。
吹きつけて
昭和十年六月二十八日 鎌倉俳句会。鎌倉山。
昭和十年七月十一日 七宝会。井 ノ頭 公園茶店。
山の蝶飛んで
昭和十年八月五日 箱根、松坂屋。一行十三人。
かわ/\と大きくゆるく
昭和十年十二月十二日 七宝会。松本長 氏追善。不忍池 畔雨月荘。
大空に
昭和十年十二月十三日 草樹会。丸ビル集会室。
観音は近づきやすし
昭和十年十二月三十一日 浅草観音。