殺意(ストリップショウ)

三好十郎




打楽器だけのダンス曲。

曲が終ると共に幕開く。

舞台は、同時に、高級なナイトクラブのホール正面の、階段のあるステージ。
したがって観客は同時にナイト・クラブの会員や客である。
音楽にのって踊っていたソロ・ダンサアがステージにグッタリと倒れてフィナーレのポーズになる。上半身裸体に、黒い紗の、前を割ったオダリスク風のスカート。紗の黒と、伸びの良いからだの白と、胸当ての銀。

あちこちで拍手。

ダンサア立つ。
その立ちかたが、およそ、そういう場合のダンサアらしいポーズを捨てた、ちょうど走っていてころんだ小学生がヒョックリ起きあがったように。こっちを向いてニッコリして、相手へ向って頭をさげる。

ありがとうございます。
今晩はこのわたくし、緑川美沙が
このステージに立つ最後の夜でございまして
ただ今の踊りが、最後の踊りでございました。
ずいぶん永い間、ここで私は踊った
汗を流したり、涙を流したり
――いろいろの事がございました
それを思うと今踊りながらも
悲しいような、うれしいような
胸がいっぱいになったのでございます。

それにつけても、私のように貧しい者が
とにもかくにも、こうしてつとめて来られましたのは、
会員やお客さま――あなたがたの、
ごひいきのたまものでございまして、
このステージにお別れするにあたりまして、あらためて、
心からのお礼を申しあげます
ありがとうございました。

世の中は広うございます
ひとたび、ここから立ち去ってしまえば
私の姿など世の中と人々の間に呑まれてしまって、
二度と再び、あなたがたの眼には
ふれないかも知れません。
しかし、時には思い出してくださいまし、
このような姿をした(言いながら、白い脚をスッスッと出してタンゴの二三節のステップを踏む)
このような声をした(唄う身ぶり)
緑川美沙という、こんな女がいた事を。

その思い出していただくためと、
なによりも、永い間のごひいきのお礼の印に、
三十分ばかり時間をいただいて、
私一人のショウをつとめさせていただきます。
どうせ、おなぐさみでございます
失礼は前もっておわび申して置きます
あなたの前にはおいしいお酒があります、
あなたの横には美しい友だちがおいでです、
音楽もはじめていただきましょう(右手へ向って手をあげて合図すると、バンドがユックリした曲を奏しはじめる)
わたくしも、失礼いたしまして、
すこしお酒をいただきます。(階段をおりて来て、そこに一組だけ置いてある大理石の小卓に向って椅子にかけ、卓上のリキュールのビンからコップにつぐ)
(そのコップを持ち、コップ越しに、ウインク。花が開くように笑って)
どうぞ、ゆっくりと、お気軽に、
チェリオ!(飲む)

ホントに酒は良いものです
そうではございませんか
雨が降って風が吹いて
自然と人は入れまじり音を立て匂いをはなち、
乱れ、集り、こりにこって、酒になる!
スピリットとは、よくいった!
ほほ、それ位のカタカナは私だっても存じていますよ。
だから人の思いが、こりにこって
恋しいにつけ、憎いにつけ
人の手は酒に行きます。
そうではございません?
ほほ、私の手も酒に行きます。(と、もう一つ酒をついで)
チェリオ!(飲む)

とかなんとか、上品めかして言いますけど、
ありようは、ただ、なんでもいいから飲みたいのよ
緑川美沙、実は、女しょうじょうだあ!
は、は、は、は! まあ、お聞きなさい
カタカナも知っていますが、こんなものも知っています

(朗詠)
さかしらを言うと
酒飲まぬ人の顔
よくよく見れば
猿にかも似る

猿になっちゃ大変だ。(ふくみ笑いをしながら、又つぐ)
チェリオ!(飲む)

さて、その次ぎに良いものは、
恋愛でございます。
恋愛。こい。ゲスは色ごととも申します
せつなくて、やりきれなくて、駆け出したくなり、
じれてじれてじれぬいて、しんからシミジミうっとりして、
しまいには裸かになってふるえます
それが恋。
恋は人を裸かにいたします、
私も裸かになりました。
その話をいたしましょう。
と申しても、たかの知れたこれだけの女一人
ただもう身体と心の裏表から隅々までを
キレイきたないのお構いなしに
着ているものをぬいでぬいで脱ぎ切って
御存じのストリップ――皆さま見飽きていらっしゃいましょうが
まあ、しばらくごしんぼう下さいまし。

(音楽が変る)

(美沙、ユラリと椅子から立って、不意に自分だけの想いに、つかれ、遠い所を見ながら、階段の下を一方の方へユックリと歩いて行く。……立ちどまって、こちらを見て、サッとはにかんで、持っていた金色の羽根扇をパラリと開いて、顔をかくして、手元の骨の間から客席を見る。その片頬にさざなみが寄せるような嬌羞のほほえみ。……やがて扇を胸にさげる)

どう言えば、よろしいのでしょう?
イライラ、イライラとここの所を
ゴムひもでくくられて、つるしあげられて
グルグルと振りまわされているような、
足が地につかないで、あがいてもあがいても
雲ばかり踏んで、胸がドキドキするばかり、
はがゆいようにウットリして、
恋とも愛とも自分では気が附くものでございますか
それに戦争でございます、空襲です、
一人々々の心の奥の出来ごとに、
人も自分も気が附く暇もありません。
煮えくりかえる釜の中で
ただもうボーッとしていたのです。

皆さま、とくに御存じの、こんな女の私が
持ってまわった恋物語でもありません
ズケズケとかんじんの所だけを申します。
その人は徹男と言いました
苗字は――まだその人の一族が、たくさん東京に居りますし、
さしさわりがあるといけませんので申し上げません。
昔の私の先生で、名前をいえば
多分みなさまもいくぶんは御存じの
進歩的な社会学者の、弟でした。
仮に山田としておきます。
山田先生――山田教授――の弟の
山田徹男。

口数のすくない静かな人で
それでいて、いつでも怒っているように激しいものを持っていて
顔色の青いのも、内から燃えて来るものを、
押えているせいです
ただ眼だけが時々やさしい眼になって
濡れたようになるのです……
いいえ、あの人の顔や姿を語るのはやめましょう
たまりません、耐えきれません私は。
イヤです、痛いのです。どうしよう?
今でも、夢の中までも
われとわが身をかきむしるのは
それほど好きでも死んでもいいと思っていたあの人に
私が私をあげなかった事だ。
世の中もあの人も私も忙しかった
息せき切って駈けるような日暮しで
ユックリ逢っている暇はなかった、
しかしその気がありさえすれば
駅のほとりの立ち話しのコンクリートの壁の片かげで
空襲でかけこんだ防空壕の奥の闇で
面会に行った兵営の隅の草のかげで
私をあの人にあげられなかった筈はない。
からだの奥でカッとなって燃えていて、
取ってちょうだい取ってちょうだいと
心が叫んでおりながら、
私自身がそれをそうだと気が附かなかった、
あの人もまた私に求めておりながら
それをそうだと気がつかず
それを取るスベを知らなかった、
そしては、やさしい深い良い眼をして
私のからだを包みこみ、
包みこまれて、私はブルブルふるえていたっきり。

そうだ! あげなければならない人にはあげないで
この通り、与えたくもない人に与えてる!
自分の真珠を王子さまにはあげなかった小娘が
あとになって、そこらの豚に手当りしだいに投げてやってる。
おわかりになりますか? なりますね?
こうして此処に立っている私はなんでしょう?
やめろ!
(同時に音楽パタリと中断。美沙、再び椅子に行き、自分をおさえるように腰をかけ、片手をあげて、熱した額と両眼をしばらくおさえている。盛りあがった白い胸が大きく息づき、額にあげた片腕の、わきの下のくぼみの黒さ。……間。……白い塑像は動かない。やがて、フッと片手を眼からおろす。泣いているかと思えたが、あげた顔はえんぜんと笑っている)
私としたことが、ツイのぼせあがってしまいました
泣いたり笑ったりの合いの手を入れていたのでは
話のヒる時はございません
バタバタと、形容ぬきの電報式に申しましょう
(酒をつぎ、カプッと一口に飲みほして)
ほっ! ごめんあそばせ。

私は、南の国の小さな城下町の生れです。
裁判所につとめていた父を早く失い
旧藩士の家から出た母のもとで一人の兄といっしょに育ちました。
兄は、たいへんまじめな、きつい性質で
学生時代に左翼の運動に熱中し、
ケイサツにつかまって二年の刑を受けて、
出て来た時はスッカリ胸を悪くしていて
それから三年寝て暮した末に
戦争がはじまって間もなく死にました。
兄は私を、しんから、かわいがってくれました
それも普通のかわいがり方ではありません
病気にたおれて、もう命の長くないことを知っているために
自分が生かし得なかった意志を生かしてくれる者に
妹の私をなそうとして
大いそぎに、あわてて、いっしょうけんめいに
何もかもいっしょくたに、つぎこみにかかります
兄の身と私の行く末を心配して
ハラハラとただ眺めるだけの母をよそに
病床で熱と火のために目を輝かし、顔を赤くしながら
セキを切って流れる水のように
女学生の私を教え叱り言いふくめます。
すべてが何の事やら私にはわかりませんが、
兄のいう通りにしたのです
なぜなら私は兄が好きでした。
兄のいう通りに勉強することが
兄を喜こばせ、兄を元気づけ
兄の命を半年でも一年でも引き伸ばすことができるならば
どんな事でも私はしたでしょう
それに、兄の思想は悪いものには思えませんでした
それは何よりも先ず、自分一人の利益のためでなく、
働らいている貧しい、たくさんの人々を
幸福にするための思想でした
思想の組み立ては私によくは、わからなかった
しかし思想の土台になっている考えは、わかるような気がしたのです
それに、そのような思想家として
兄はホンモノでした、それを身をもって生き抜いた
ホンモノでした、今でもそう思います
それだけは小さい私にもわかりました
それが私を動かしました
それは母さえも動かしたのです。

母はただ物がたい家に生れ育って
厳格な父のもとにとつぎつかえて、
まだ若くして夫を失い、その遺児の兄と私を
僅かばかりの遺産を細々と引き伸ばしながら育てて来た
気の弱い、情のこまやかなだけの女で、かくべつの取りえもない
ただ一つ人間に大事なものはミサオ――節操というもので
それさえあれば人は人としてどのような場合でも
恥じることはないと思っており、おこなって来た女です
それだけに、兄の思想を遂にわからず
牢屋に入ったり病気になった兄の身の上を
ただ動物の母のように身を細らせて心配するだけでしたが、
次第々々に、兄の思想に対する一徹さに
自分の息子は、すくなくともハレンチな無節操な
腰抜けではない。
私はこんなセガレを育てた事で、死んだお父さんに申しわけがない事はないと思うようになったようで
おしまいの頃は、自分だけの胸の中では
母親としての誇りのようなものを感じながら
兄をみとっておりました。

そのようにして、眠ったような南の国の城下町に、
三人が、からだを寄せてあたため合いながらの暮しが流れ、
私の十七歳の春のくれに
「東京に行け」と兄が言い出したのです。
それには、先ず私自身が、しばらく前から
母と兄とのそのような暮しに不足は感じないながら
なんとなく自分にはもっと見るべき世界が
もっと、どこかにひろがっているような
踏みこんで味わうべき生活の流れが、
もっともっと有るような気がしていた
それは幼い少女の、あてもないあこがれ心と、
兄が私のうちにかき立てた
人と生れたからには、自分のためにも人のためにも何かの事をしなければならないという気持との
いっしょになったものでした。
兄は兄で、前にいった自分の後つぎを私にさせる気があります、
その上に、熱意と愛情のあまり
兄があやまって私のうちに認めていた
芸術的な素質を伸ばしてやりたいと思ったようです
それには、東京だ。
そのころ既に満洲事変が中国との戦争状態に突き進んで行っていた頃で
もしかすると、もっと大がかりな状態にひろがるかもわからない
それを取巻く世界のありさまも暗い無気味な嵐の前ぶれの中にあって
若い娘の私一人が、どうしたところで
左翼的な政治や労働や思想の世界で
何かをしようとしても、どうアガキが附くわけはない
兄もそれは知っていて、ハッキリそういったこともあります
おさえつけて来る黒い雲は厚い
一人や二人や千人の力でどうにもなりはしない
それだけに又、このまま此処にいるならば
せっかく萠え出ようとしている若い命の芽は
おしつぶされ、踏みにじられて、泥に埋まる
一日も早く今のうちに
風が烈しくなってもその中に立って
吹きたおされないで居られる程のものにはなしておかねば!
それには東京だ。兄は、そう思ったのです
幸い東京には、兄の高校時代の先輩で
思想的にも兄を導いてくだすった
山田先生がいて、いっさいを引き受けてくれると言います。

母は、最初は反対していましたが
しまいに寂しそうに、承知しました
かわいそうな気もしましたが
一方へ飛び立とうとしている幼い心には
そんな事もシミジミとはわかりません。
母は私が東京へ立つ前の晩に
裏の座敷で膝と膝とを突き合せるように坐らせて
「男であれ女であれ人間は、
いつでも、どこででも初一念を忘れてはなりません、
なんでもよいから、あなたがホントにしたいと思うことをおやりなさい
戦争は、ひどくなります
こんな中で東京で勉強するのだから、
その覚悟でシッカリやらねばなりませんよ
兄さんとあたしの事は心配いりません
一番大事なことはミサオです
いったんこうと思いきめてはじめた事は
どんな事があっても、やりとげる
それが真人間のすることです。忘れないよう、
お母さんがあなたに、これをあげます」
そういって、母は懐剣をひとふりくれました
母が父のもとに嫁入りする時に
母の母からもらった物で
母は母らしい、ふるめかしい事をするものだと
少しコッケイなように思っただけです
その時の母の悲しそうな
涙のかれた眼を思い出したのは
ズッとあとになってからです。
そうして、東京に出ました
国を立つ時には母も私も泣きました
私の方がよけいに泣きました
甘い涙がおかしい位に出たのです。
兄だけは、寝ながらニコニコと嬉しそうに笑いました

東京!
長くつづいた日華事変が
次第に更に大きな戦争にひろがりそうな気配で
何もかも不気味に一方に傾きかけて
二・二六の事件でそれが爆発した頃で
東京のありさまも荒れすさんで来てはいても
九州の田舎から出て来たばかりの女学生に
それは、ただギラギラと光りくるめき
音を立てて、ひしめき、はなやぐ渦の町です、
しばらくは、ただノボセたように
何を見ても何を聞いてもカーッとして、
町を歩くと、よく鼻血を出しました。

山田先生一家は快く私を受け入れて
もとの女中部屋の三畳の部屋をあてがってくださり
お子さんのめんどうを見たり家事の手伝い、使い走りに
しばらく過した後で
その頃先生が講師をなすっていた夜間の私立大学の
文科の聴講生に編入してもらって
勉強できるようになりました、
後から思うと、当時人手の不足した頃で
それまで使っていた女中が居なくなり
ちょうど私がそこへ来て、女中代りに使われたわけですけど
若い田舎者の私は
朝から晩までコキ使われても、苦になりません
何よりも、夜だけでも勉強が出来るのです
時々は先生の助手としてカバンを持って
教室や講演会へお伴をしたり
先生の書斉で原稿の清書をさせられたりするのも
おそれ多いような、誇らしいような、気がします
ただ幸福で、ワクワクと
夢中になって働らき、本を読み、
飢えたように、物を見つめ
先生の言葉に聞き入りました、
どんな物を見ても、言葉を聞いても
私には、すべて光りが強過ぎて
理解することはできませんでした、
理解しないままに、のみこんだのです、
とにかく私はガツガツと
ただガツガツと、それがなんだか自分では知らないで
尊敬する先生の言葉をのみこみました。

先生はホントにえらい人でした
奥さんも立派なインテリで
明るい、積極的な、世話好きな方でした
二人のお子さんも身体がすこし弱くて、わがままだけど
陽気なお子たちです
先生の弟の徹男という方は
大学から帰ると、直ぐに自分の書斉に入って、
めったに出て来ず、出て来ても、ほとんど口をきかず
いつも、何かをジッと見つめているような人でした。
それが家族の全部で
みんな私によくしてくださいます、
食費だけは九州から送ってくれるのを差し出します
実際は女中の仕事をさされていても
「緑川さん、緑川さん」と言って、
みんな、女中あつかいにはなさいません。
いえ、たといただの女中であっても
この家では普通の家でするように
呼び捨てにして見くだしてコキ使うことはしないでしょう
自由主義といいますか進歩的といいますか
家の中が自然にそうなっていました
明るい理智的な誠実な空気でした

私は先生一家を心から尊敬し愛しました
一家の空気の中で、私はホントに幸福でした
私は有頂天になって、兄にその事を書いてやりました
兄も非常によろこんで「進歩的で、理智的な人間は、
どんな時代に、どんな所に置かれても、
そこで許される最高の意味で、最大の形で
明るく前進するものだ。
山田さんは僕が信じていた通り、
真実の進歩的思想家です。
今、時代は悪い。
すべての事は一方へ一方へ歪められるばかりで
良いものは追いやられ、おさえふせられ
自由はほとんど残っていない。
今後ますますひどくなろう。
しかし絶望というものは、われわれの行く手には存在しない
仕事は、牢獄の中にだって有る。
それを忘れないように!
希望を持ちなさい、美沙子!
山田さんは今でも
皆、学生の先頭に立って、
われわれを導いてくれた山田さんだ。
お前は山田さんの所に居られて、幸福だ。
山田さんに教えてもらい、それを守り、見ならいなさい
そして懸命に学び、正直に考えなさい」

かわいそうに! かわいそうに!
死にかけながら、兄はそう思っていたのです。

私は兄の手紙を山田先生に見せました
先生はそれを読みおわって、しばらくだまっていてから、
メガネの奥の誠実な眼をすこし涙にうるませて、
しっかりしたバスの声で言われました
「そうだ、君の兄さんの言われる通りだ
われわれには絶望は存在しない
君の兄さんと同じ頃私も検挙されて
関係が違うので私は一年ばかりで保釈になり、
いまだに保護監察所や内務省から
頭を撫でられながら尻を蹴とばされたりしているが
許される最高の意味で最大の形で
諦らめないでこうしてやっている。
君の兄さんはすぐれた人間です。
しかし、時代はあれから進んで来ている
世界も日本も、急速に新しい決定的な段階に突入しつつある
田舎で寝ている兄さんには
その辺の認識が充分でないかも知れない
われわれは時代をその現実に於て掴み
その中で自分の位置と力を客観的に置き据え
どうすれば与えられた現実の中で
真に進歩的であるかを考えなければならぬ
それがわれわれの任務だ!」
真剣に熱しながら、しかし学者らしく
その熱情をおさえつけて静かに
尚も先生はいうのです。
それは、田舎で兄に聞かされた事と同じ思想で、
言葉使いまでソックリ似ています
つまりマルクシズムでした。
先生はマルクシズムとはいわれません。
しかし、マルクシズムでした。
私には、それがわかりました
いいえ、わかったような気がしたのです
そういう事が度々あって、そのたびに
私は燃えるような気持で聞きました
兄が荒っぽく耕して置いてくれた私の頭に
先生の言葉が滋養分のある水のように
しみこみ、行き渡り、全身をひたして
ひとことずつに心の眼がパッチリと開いて行くような気がします
急に自分の背たけが伸びたような気がします
急に自分が強くなったような気がします

そのうちに気が附くと、
はじめのうちは兄と同じ事をおっしゃっていた先生が
兄が言った事のない事をおっしゃりはじめた
いつ頃からだか、わかりません
どのへんからだったか、気がつきません
すこしずつ、すこしずつ、兄のいわなかったような事が出て来ます
たとえば、それは日本民族の
世界史的必然だとか大東亜共栄圏だとか
天皇中心のアジア社会主義聯邦だとか
昭和維新の必然とか必要だとか。
はじめ私には、そんな事はよくわかりませんでしたし、
マルクシズムと、そう言う理想のつながり方ものみこめなかったのですが、
先生の話を聞くと、それがチャンと[#「チャンと」は底本では「チャンスと」]つながって、わかったような気がします。
「左翼的な進歩的思想は、既にここまで生成発展して来たし、来ざるを得ない、
君の兄さんなどもズッと元気でやっていたら必らずここへ来ていただろう」
そうおっしゃるのです
文章にも書いて発表なさいました
そんなような論文などがいっぱい現われた中でも、
先生の論文は明確で、力強く、信念に満ちて、光っていたのです

先生の文章や講演は非常に影響力を持っていて[#「持っていて」は底本では「持っいて」]
中にも若い人々の間に崇拝する人が多く
先生を中心にして研究会が出来ていて
弟の徹男さんもその会員の一人だし
私もその一人のように扱われていました
兄がそんな事を私に教えてくれなかったのは
田舎で寝ている間に兄がおくれてしまったのだ
それを先生たちが育て上げ前進させている
その道を私が進むことは
つまり兄の考えを受けつぎ、兄の分までいっしょに
生かして行くことになるのだ
兄さん、今に見てちょうだい!
そう思い燃え立ちながら
むさぼるように勉強したのです
時代の波の激しさも私たちを打ち叩きして
それは唯の勉強というには余りにひたむきな
身体ごとのぶっつかり方でした
国の内では二・二六の後波があちこちにゆれ動き
高まったり低まったり激したり沈んだりして
国全体は軍国主義一方の道をズンズン歩いていながら
革命の気分もたしかに有りました
国の外からは、聯合国が経済封鎖のアミを
次第次第にちぢめて来る
ヒットラアのドイツとソビエト・ロシアが同盟をむすぶ
「複雑怪奇」と言われた時代で
あれとこれとが、こんぐらかり
それとあれとが入れまじって
めまぐるしく移り変っていた。
内も外も、なんとかしなければ
もうどうにもやって行けない所まで来ていながら
さて、なんとも出来ない壁の前で
もがき苦しみ、狂い騒いで
左翼の理論の地盤から右翼の結論が生れたり
右翼国体の指導者が左翼出身者だったり
世界が狂えば人も狂う

愚かといえば愚かです
しかし、誰が愚かでなかったでしょう?
田舎出の二十にならぬ娘でした
理解はせずに、ただ飲みこんだのです
私が悪い
私に責任があります
しかし、私の何が悪いのでしょうか?
私にどんな責任がありますか?
では山田先生が悪いのか?
しかし先生に悪意はありません
先生は誠実に、本気になって
自分の信じている所を私につぎこんだだけです

そうです、山田先生は転向者でした
兄と同じ頃につかまって、おどかされて
あやまって出て来てから
はじめの間は、又つかまるのが怖いために
自分の主義をだんだんにくずして行った
それがいつの間にか、世界の状勢や国内の状勢を見たり
中にも同胞が戦争に駆り出されて戦い死んでいるのを
日本人の一人として見ているうちに、
それまでの左翼の理論だけでは割り切れないものをヒシヒシと感じ出して
この民族の生ける一人として自分の血は
あらゆる理論に優先すると知った
あの時から、先生はそれまでの受身の態度を投げ捨てて
大東亜共和国聯邦論者として
積極的に動き出した
恐怖は既になくなっていた
正直に腹の底から闘った
――それを私は信じます
先生はその時、ホンモノだったのです
先生が信念をもって立っている姿は美しかった
私たちは打ち仰ぎ引かれて行った
ただ先生の全体主義の思想は
左翼の理論の上に咲いた狂い花だった
木に竹をついだものだった
そして先生と私たちとの違いは
先生には、それがそうだと、わかっていた
私たちには、わかっていなかった
だから、飲みに飲んだ私たちは
若い者のドンヨクと純粋さで信じ切った私たちは。

私たちといいますのは
先ず私と徹男さんのことです
それから先生の周囲にいた、たくさんの若い人たちです
純粋な、正直な気持で国を愛し
国を愛することが世界を愛するユエンだと
それには「聖戦」を「完遂」することが
自分たちの任務だと信じこまされ、命がけで努めていた若い人たち。
静かに思い返して見ようではありませんか、
今そのことを話す時に人々は、
あの頃の若者たちが、軍閥からだまされていたと言う
しょうことなしにイヤイヤながら戦争に引っぱり出されていたのだと言う
「戦歿学生の手記」は立派な本です
読んで見て今更ながら戦争が
如何に貴とい美しい人たちを奪って行ったかと
胸がしめつけられる思いがします
ここに手記をのせられている人々はほとんど皆、
いやいやながらか、やむを得ずか、追いつめられてか
あきらめてか、疑いながらか、ヤケになってか
戦争に行った人です。
たしかに、そういう人も、たくさん居りました
しかし、そうでない人も、たくさん居たのです
国民が国家が民族が、そして世界が
それを望み必要とするならばと
思い決していさぎよく
笑いながら行った人も居たのです。
愚かの故だと、かしこい人は言うでしょう。
たしかに愚かの故ですから
罪有りと、罪なき人はとがめましょう
たしかに罪が有るのですから。
ただそんな人が、たくさん居た事は事実です
私はただ事実を曲げることが出来ないだけです
そして、私も戦争にこそ行きませんけど
そんな人間の一人でした。
徹男さんもそんな人間の一人でした
他の人たちもそうでした。
山田先生の影響の中で。
山田先生の思想を、私どもの身体で実践し生かすことで。
私どもを罰してください。

徹男さんは学生でしたが
兄さんの山田先生とちがって
沈うつな位に控え目な人がらでありながら
国の運命を深く心配していて
口には言いませんが、その頃から
国民が命ずるままに自分一身を
良かれ悪しかれ日本の運命の最前線に
投じたいと思っていたようです。
研究会に出席していても隅の方に坐って
山田先生や、ほかの人の烈しい言葉を
黙々として聞いているだけで
ふだんもそれらしい事は何一つ言いません。
いわないけれど、私にはわかりました
なぜわかったのだろう?
そうなんです!
ただ私にはそれがわかっただけで
なぜ、わかったのか、気が附かなかった。

また、どうして気附くことが出来たでしょう?
いっしょの家に住んだのは半年ばかりの間で
半年後には山田家を出て
新劇団の女優になって働いていた
その半年の間も、家事の手伝いやお子さんの世話と勉強で私は忙しい
徹男さんも学校があり、それに兄さんの紹介で親しくなった青年将校や
革新団体の若い人々との集会などにも出ていたようで、暇はない
私とあの人が顔を合わすのは毎週二回の研究会の席上か
偶然に廊下ですれちがう時ぐらいです
話といえば堅苦しい思想の事や社会の事や時世のこと
ただの雑談を交したことは数えるほどしか[#「数えるほどしか」は底本では「教えるほどしか」]ありません
それよりも、この私の若さです
若さは強く一方の方へばかり傾けば傾いて行くほど
蕾は固くきびしく引きしまり、
外に開くのを忘れたようになっていた
いえいえ、外に開きたい無意識の本能が強ければ強いほど
内へ内へと烈しく引きしまって[#「引きしまって」は底本では「打きしまって」]行く。

たった一度、こんな事がありました。
研究会であの人が珍らしく物を言いはじめ
それが先生の意見と対立して
激しい論争になったことがあります
「僕は兄さんを尊敬しています
僕は兄さんから育てられた人間です
しかし兄さんは口舌の徒です
僕は理論を真実と思ったら実行する人間です
兄さんの理論は正しいと思います
だから僕はそれを実行します
兄さんはなぜ実行しないのですか?
兄さんの理論と兄さんの人間が別々になっているからではありませんか?
そして、僕の理論は文字づらからいえば
兄さんから授かったもので、兄さんの理論と同じものですけど
しかし、僕の一身を賭しての実践の基準になるものです
ですから、ホントはそれは全く別なものです」
そのほかいろいろ言って、山田先生も怒り出して
激しい議論がつづきました
その終りごろ、奥さんから命じられていた用を思い出して、私がチョット中坐して
大急ぎで用をすまして、又先生の書斉に戻りかけると、
議論は終ったと見えて徹男さんが
自分の室に戻りかけたのに
私あんまり急いでいたために
廊下の曲り角で、はち合せに身体ごとぶつかった
徹男さんの肩口にこちらの額がドシンと当ったが
先程の議論の続きが頭の中で煮え返っているために
もっとセツない、激しい、深い、気持から、
失礼とも言えず、徹男さんの顔をジッと見上げた
あの人も、昂奮のために、ふだんから青白い顔を真青にして燃えるような眼で
私を睨みつけたまま立っている
そのうちに、不意にチラリとあの人の眼に
それまで、あの人の眼にも、ほかの人の眼にも
ついぞ私の見たことのない不思議な
おそろしいような、それでいて、やさしい、やさしい色が差して
涙がうっすりとにじんで来て
「美沙子さん、僕は――」と低い声で言いかけ
しかし、それだけを言っただけで
あと、しばらく、その眼で私を見ていてから、
私のわきをすり抜けて、向うへ行ってしまった。

今までの私には、まるでナジミのないものが
私の中にグイと押し込んで来た
そして、それっきりでした
私が山田家に居る間に
徹男さんとの間に何かが起きたのは、それ一度きり。
間もなく私はほかへ出てしまい、
後は、たまに山田先生を訪ねて行った時に
あの人に会うだけでした

その前から私は夜の学校の勉強のかたわら
山田先生のお弟子さんの一人が
Gという新劇団の指導者であった関係で
そこのシバイを見ているうちに
シバイが好きになり、それをやりたくなると共に、
あるいは自分の才能を生かすためにも
自分の考えを実現して人のためになる仕事をして行くにも
良い芝居をするのが一番ではないかと思うようになり
先生にも相談すると賛成してくださる
田舎の兄に言ってやると、これも激励してくれるし、
その劇団の人たちもよろこび迎えてくれますので
そこへ入って勉強をはじめました
そのため山田家を出て
劇団の先輩の女優のかたの部屋に住むことになったのです
もうその頃は戦時状態はますます焼けひろがって
もうどうしても東洋だけの問題としては片づかない事がハッキリして来た頃です
軍部や政府の手で
文化方面のすべての事から自由がうばわれ
演劇の世界でも、それまで有った
左翼的な新劇団などが
おさえつけられたり解散さされたりした後で、
私の入ったG新劇団も、本式の公演をやめてしまって
工場や農村や軍の施設への慰問のための
移動公演などを主としていました
後で私にわかった事は
劇団の中には、かつての左翼くずれの人たちも、たくさん居て、
未だにそれらしい事を言ったりしたりしていながら
戦力増強のシバイも真剣に腹からやっています
その関係が私にはよくのみこめませんでしたけれど、
とにかく指導者の人は山田先生のお弟子さんであり
ケイコのはじめには宮城をよう拝し
公演開幕の前には「国民の誓い」を唱和する式で
それも腹からまじめにやっている人が多いのです
私はそれを信じ
よろこび勇んで先頭に立って働いた
それに劇団の中だけには自由で進歩的な空気があった
そして何よりもそこには
まだ芸術らしいものが有ったのです。
戦力増強のためと言うことと
自由と進歩的であるとことと[#「あるとことと」はママ]芸術と言うものとが
どんなふうに組み合わされているか
ぜんたい、組み合わせる事の出来るものかどうか
考えて見ようとする人も居なければ
考えている暇もありません
山田先生から吹き込まれた理窟を
実際に実践するのは此処だとばかり
夢中になってシバイをしたのです

シバイというのは妙なものです
役者というのはおかしなものです
というよりも、この人間のカラダというのが
もともと、おかしな、変なものかも知れません
シバイはからだでするものです
はじめは頭がそう思ってカラダを持って行くのですけど
いったんカラダが動き出すと
カラダの法則と言うものが有るかしら?
カラダは一人で動き出す
頭のいうことを聞かなくなる時がある
逆に頭を引きずって行ってしまう時がある
だからカラダは楽しく、恐ろしく、やめられない
だからシバイは楽しく、恐ろしく、やめられない
役者はみんな少しずつ[#「少しずつ」は底本では「少しづつ」]、バカです、バカでなければやれません
私もバカです、バカでした
それまでにたくわえられた若い命の
ありたけの力を一度にドッとたぎり立たせてシバイをしたのです
幸か不幸かその劇団では女優が不足していて
間もなく私に大きな役が附くようになり、
僅かの間にひとかどの女優として認められた
わきめもふらぬ一本気の熱演が
人の目をくらまして、そう思わせただけでしょう
ただ、やっと私の蕾は舞台の上で開きました。
シバイではじめて私のカラダと心に火がついて燃え出した
蕾が開く姿が美しいものならば
私は美しかったのかもしれません
心とカラダの燃えるのが幸福だというのならば
私は幸福だったのです

兄にもそれを言ってやりました
兄は喜こんで寝床の上で泣いたそうです
その頃、兄の容態は絶望状態になっていて
私にあてて出すハガキを書くのがヤットだったが
私に知らせると心配すると兄が言ってとめるので
母は私にかくしていたのです
かわいそうに! 兄は
昔、新劇の大部分が赤一色に塗りつぶされていた頃
新劇をいくつか見たことがあって
未だに新劇団というものが、そういうものだと思っていたのです、
まさか兄にしても、こんな、状勢になって来たのに
新劇が赤いシバイをすることが許されていようとは思ってなかったでしょうけれど、
まさか戦力増強のシバイをしていようとは
夢にも思っていなかった
それに、山田先生の影響力の下にある劇団です
まちがったシバイをする筈がない
そう思ったようです、泣いたそうです喜こんで
妹の私のために死にかけた寝床の上で
なんと言うミジメな食いちがい!
それを私は、その時は知りませんでした
私は花開き、燃えあがり、幸福だったのです
シバイのたびに徹男さんは見に来てくれます
見に来ても、ただ見るだけで
ガクヤに一度も来ようとはせず
言葉もかけず、ただ遠くから私を見て
軽く頭を下げただけで帰るのです
あの人が私のシバイを見に来るのが、なんのためだか
私にはわかりませんけれど、わかるような気もします
それでも、つまりがわからない
わからないなりに、うれしいのです
自分でも知らぬ間に、私は時々
徹男さん一人のためにシバイをした事に後で気づいて
ガクヤの鏡の中で真っ赤になったことがある
そうしては、山田先生の所の研究会の日が来ると
かえって、コツコツにまじめにこわばった心で
そのくせ、どこか心の隅ではイソイソとしながら出かけて行っては
山田先生の話や
右翼の革新団体からやって来た講師などの
噛みつくような議論に聞き入りながら、
徹男さんと眼が逢うと
両方で怒ったように、しばらくジッと見合っていて
やがて話し手の方を向いてしまう。

まったくイキモノはホントに愛し合うと
お互いに、なんとオカシな事をし合うのでしょう!
相手を抱こうとして、一番遠くへはね飛んだり、
相手にキスをしようとして、相手を喰い殺してしまったり、
これが證拠に、恋の最中の男と女の姿は
互いに憎み合って闘っている姿に一番似るのです
こうします、こんなふうにします(しかた)
又、こうやって、こうして、こうなって(しかた)
又、こんな眼で見たり、こんな眼で見たり(しかた)
ふふ!
そして、あの人と私は(しかた)
こんな眼つきをして互いに見合ったのです
……(暗い眼でこちらをジッと見ている)

(間……)

さて!(ズッと椅子にかけて語っていたが、この時、フッと眼がさめたように椅子を立つ。コトリと音がして、肱で押された羽根扇が卓から床に落ちる)
  ……(それに気附き、ユックリした動作で下を向き、白い頭と左腕をしなやかに伸ばして扇を拾いあげる……白鳥が何かをついばんでいる)
(ユックリと身を立てたかと思うと、声は立てずに笑って、調子がクラリと変って、軽快に)
ごたいくつ、こんな話?
長々と語られる他人の身の上話です
ごたいくつに違いありません
なんなら、このへんで、思いきったオシバイをして見ましょうか?
それには、そうです(片方の乳当てをパラリとはずして、その中に入れてあった小ビンを取り出して光りにすかして見る)こんな物も持っていないわけではございません(小ビンをカチリと卓上に置く)
白いのもございます
こういうものも有りますの(ベルトにはさんで持っていた六寸ぐらいの刃物を取り出し、右手に持って、乳当てを取った左の乳房に向って擬する真似をしてから、それをカラリと卓上に置く)
ほほ! ごめんあそばせ、じょうだんですの
さて急ぎます
音楽を、どうぞ! アレグロ・ヴィヴァーチェ!

(音楽。――それに乗って、ステージのはじまで踊って行く。柱の所まで行って、不意にバッタリと踊りをやめて、言葉を出す。音楽だけ、やり過ごされて、前へ鳴り進む)

そして、真珠湾が来た! 大戦が始まった!
国中わき立った!
今、あの時のことを振りかえって日本人の誰もかれもが
くやんでも、くやみたりない悔恨と否定と、
国民に知らせずにそれをした軍部への怨みを言う
たしかに、それはそうだろう
しかし事実そのものを振りかえって見よう
今こうなった気持から事実までをも曲げて
自分で自分にウソをつくほど。恥知らずにはなるまい。

そうだったのだ!
大きな恐ろしい決定の前で
国民の大部分が「ヤルゾ」と思った
こうなったら、しかたがない
負けるわけには行かないと思った
これに負けたら日本は亡びる
亡びたくなければ勝つ以外にないと思った
誰にしろ、心から、残りなく喜こび勇んで
開戦万歳を叫んだ人は居なかったが
それぞれの心々に憂い恐れためらいながら
しかしそれらすべてを引っくるめて投げ捨てて
前へ踏み出すほかに途はないと思った
悲しい、いじらしいそのような思いが
そっくりそのままで、気ちがいじみた戦争屋たちの
作り上げたワナにはまる事とは知らないで
国中は、歯をかみしめて、総立ちになったのだ!
ごく僅かの人たちが「しまった」と思った
もっと少数の人たちが「いけない」と思った
だがそんな人たちは何も言わなかった
言えもしなかった、言っても聞はしなかった[#「しなかった」は底本では「しかった」]
だから居ないと同じだった。
すべての人が総立ちになって
大空に血の色を見てふるい立った。
真珠湾に突入した九人の青年が
軍神としてたたえられた
たたえたのは、私たちだった、国民だった
あの頃の新聞や雑誌を出して見なさい
電車が九段を通る時には、
すべての人が頭を下げたことを思い出して見なさい
宮城前を過ぎる時には
すべての人が頭を垂れて戦勝を祈ったことを思い出して見るがいい
私たちもそうだった
私もそうだった

――罰せよ、罰せよ、残りなく、私たちを。
だけど事実はそうだったのだ
いくら罰されても事実を事実と言うだけの
勇気だけはなくならないように!

真珠湾の報道が発表されると
山田先生は研究会一同をひきつれ
右翼革新団体のD塾主催の
二重橋前の早朝戦勝祈祷式に参加した
徹男さんも参加した
まだ朝露にぬれた砂利の上に
全員ハチマキをし、素足で立って
ミソギのぎょうに声を合わせてイヤサカを叫び、
最後に、地に伏し、土を抱いて、泣いた
あの時、山田先生の頬に
拭いても拭ききれぬほど流れた涙が
ウソの涙であったろうか?
それは知らない、しかし私の頬に流れた涙と
徹男さんの頬に流れた涙とが
ウソの涙でなかった事は私が知っている。
私たちの劇団でも、日の丸の旗をそろい持って、
宮城前に集って、これからはただ一筋に
戦いに勝つために、軍や国民への慰問と激励のシバイだけに
命がけになることを誓った。
山田先生は間もなく軍報道部の嘱託で
南方占領地の文化工作の任務を与えられ
勇躍して出て行き、そこから半年後に戻って来ると
軍や情報局の依頼を受けて
国内各地の講演、指導、宣伝などに活動した
もうその頃になると
大東亜共栄圏論者としての
ひところの控え目な消極的な態度は全くなくなって
堂々と積極的で確信的で
論文を書いても講演をしても私たちに教えるにも
熱烈で叱咤するようであった
そのくせに、いろいろの方面から、赤ではないかと睨まれていて、
いやがらせや妨害を受けた
それさえも私たちには先生の思想が正しいことの證拠のように思われて
仰ぎ見るように先生を眺めた
長身の先生のからだは、ハガネのように真すぐに立ち
顔は以前よりも痩せて鋭どくなって
内からの火で輝いた
「腐れ果てた役人どもめ!
気がつかないのか、今となっては最右翼の考えでさえも
真に国を愛し憂える真剣なものならば
言い方はいろいろに違っても、実質に於て
上御一人を中心にした、それに直属する一国社会主義でなければならぬという所まで
来ているという事を!」
と怒りをこめて言い言いされた

私にとっては先生は文字通り
導きの光であった
私の兄は大戦が始まると間もなく九州で死んだ
母は薄暗い家に一人で残された
あわただしい時代の波風は
私が兄の死に逢いに行くことも許さなかった、
シミジミとその悲しみを味わっている暇もなかった、
私の胸の中の兄の席は空虚になったが、
それだけに、そのぶんまでも先生に向けて
私は先生を崇拝し愛した、
世の中も男も知らぬ、一本気の
熱情だけは人一倍に激しい十九歳の女が
心から人を尊敬するのに
その人を愛さないでいられようか?
尊敬と愛とを別々に切り離して
それぞれハッキリ見きわめることが出来ようか?
研究会の会員や劇団の人たちが
私のことを「山田先生の親衛隊」とからかっても
私はまじめに心の中で
山田先生にマサカの事がある時は
身をタテにして先生を守る気になっていた
その事で一度、先生の奥さんが私に嫉妬されたことがある
そして徹男さんまでが、兄さんを嫉妬した事があったと言うのを後で知った
かわいそうな、かわいそうな徹男さん。

徹男さんは既に数カ月後には
学徒出陣として戦線に立つことが決まった
その後も、徹男さんと私との関係は
一分一厘も進みはしなかった。
それに、もう、戦況が進むにつれて
国内のありさまは車輪のようにあわただしく
私の劇団の活動もやれなくなって来ていたし、
「もう、こうなったら、君たちは
文化活動などやっているべきでない」との先生の意見に従って、
産業報国会へ話をしてもらい
Mにある飛行機工場の計器部へ
特別女子挺身隊員として通勤するようになり、
一週二回、研究会で顔を合せるだけで
そのたびに徹男さんの私を見つめる眼つきは
益々突き刺すようになるだけで、
それが私には、こわいような、憎らしいような
そして、どこかで幸せなような気持がしながらも
ただビシビシと日が過ぎた。
ああ、なんと言う日が過ぎたことだろう、なんと言う!

間もなく、空襲がはじまった!
爆音とサクレツと火と死!
人々は明日の事を考えることができなくなり
命も暮しも今の二十四時間だけのことになり、
やがてそれは一時間だけのことになって、
人は次ぎの一時間のことを考える必要がなくなった

私のM工場は、開戦後に新設されたもので
ほとんど完全にカモフラージュされた工場なのに、
どんな方法でわかるのか
まるでねらいうちをされるように
頻々として爆弾を落されて
吹き飛び、たたきつぶれ、燃えあがり
そのたびに工員や挺身隊の者が
五人、十人、三十人とケガをしたり、死んで行く
それでも工場は閉鎖されない
歯を食いしばって私たちは
昨日死んだ仲間の肉片のこびりついた
工具のハンドルにしがみ附いた。
私の通う計器部は
その工場の広い敷地の隅に
こじんまりと独立して建てられた小さい建物で
各種計器の金属部品を
種目ごとに精密検査して包装する仕事が当てられており
私は成績優秀として検査部の組長格の席が与えられ
拡大鏡の下でミクロメエタアつきのゲージに
部品を当てがっては最後の合格不合格をきめて行く役目だった
拡大鏡をのぞいている眼が
過労のために時々かすむ
すると額の眼の上の所が
ギリギリギリと痛んで、吐きたくなる
すると、兵士たちの事を思う
母のことを思う、兄の事を思う
山田先生の言葉が耳の中で鳴る
「われわれが、東洋を確保し、世界を平和に導くためには、今となってはもう、前へ前へと戦い抜く以外に途はない!」
そうだ、途はない!
私の眼は充血したまま、ハッキリする
レンズの中のゲージの鉄がギラリと光る!
夢中で私の手は部品を取り上げる
又取り上げる! 又取り上げる!
ダダダ、ダダ、グヮーンと音がして
ミクロメエタアの目もりがグラリと揺れて
次ぎの瞬間には私ごと、グンと跳ね上り、
近くで爆弾が落ちた事を知った時には、
窓のガラスは全部吹きとび
近くで負傷者が呻いていた。
そういう毎日の中で
私たちは日附けを忘れた

その頃の、ちょうど午の休けい時間に
徹男さんが私を訪ねて来た
そんな事は初めての事なので
変に思って門衛の所へ行くと
あの人はいつもの学生服で
珍らしく明るい微笑で立っていた
二人は構内を塀に添ってユックリと歩く
「何か御用?」と私は言ったが
徹男さんが用事で来たのだとは思っていない
あの人も何も答えず
晴れた空の下をユックリと歩く
そのうち、あの人がポケットから
小さい写真を出して見せた
G劇団の人からでも手に入れたのか
舞台写真から私の姿だけを切り抜いたものだ
「……どうなさるの、そんなもの?」
と私がいうと、フンと言ってそれと私の顔を見くらべてから
写真をポケットにしまいこんだ
それから又しばらく歩いているうちに、不意に私はわかった
「ああ、いよいよ、入隊なさるのね?」
「うん、明日」
そうか、そうだったのか。
明るい明るい、すき通るようなあの人の顔。

そこへ、出しぬけにサイレンが鳴り渡り
警戒警報なしのいきなり空襲
アッと思った時には、空一面が爆音で鳴りはためき
キャーンと――迫る小型機の機銃の弾が砂煙をあげる
広場の果ての防空壕へ
途中で二度ばかり倒れた私を
あの人は抱えるようにしてかばいながら
斜めになって走って行き
防空壕の中に飛びこむと同時に
ドドドドと至近弾の
音とも振動とも言えない落下
二人は階段の下の暗い所に
折りかさなってころげ落ちて
そのまま死んだようになっていた

どれ位の間、そうしていたのか
時間はピタリと停ってしまっていた
気が附くと、あの人は倒れたままで
私のからだをこんなふうに、シッカリと抱きかかえ
私の耳のうしろの、この、えりすじに
ピタリとくちびるを附けている
爆撃はまだ続き、
空にはためく爆音と高射砲の響きと
揺れ動く地上の唸りは、遠くなり又近くなる
その中で、あの人の声が
はじめて聞く、こまやかな思いをこめてささやく
「……美沙子さん、
ぼくは明日、行く、
国民のために戦う
あなたのために戦う
それは僕の望むところだ
そのために僕の身がどうなろうと僕は悔いない
僕は、うれしいんだ。
…………
しかし、美沙子さん、
今、恥かしい事を、たった一言だけ言います
今迄こんな気持になったことはありません
たった今、急に起きた気持なんだ
こんな事を聞けば
兄さんは僕を軽蔑するにちがいない
あなたも軽蔑するにちがいない
軽蔑されてもよい、言わないでは居られないのだ
美沙子さん!
僕は死にたくない」
それだけでした
二人の間に、それ以上の事は何も起きず
空襲は終り、二人は別れ
次ぎの日に、あの人は入隊した。
私は見送りにも行かなかった
ちょうど私の課の受持ちの部品の発注が
むやみと輻輳していた頃で
それを処理するために、挺身隊の中に
突撃隊というのが出来ていて私は責任者の一人だった
私が一日でも半日でも部署を離れれば
それだけ能率が落ちる
能率が落ちれば、出撃を待っている味方の戦闘機の装備が、それだけ遅れる
自分一人の理由で[#「理由で」は底本では「現由で」]部署を離れてはならない!
かわいそうな、かわいそうな、美沙子!
バカな、バカな、あわれな美沙子!

そして死んだ、あの人は
アッケないといっても、アッケない
それから二タ月とたたぬ間に
南方の基地へ運ばれて行く船が
向うの飛行機にしつこく追尾され
機銃の掃射を喰った時に
うたれて死んだ。
その公報をにぎって、山田先生がじきじきに来てくだすった
忘れもしない、その時の空襲警報発令中の
人気のない応接室の片隅で
いつもどおりの静かな顔で
しかし、どこかしら、いつもとちがった冷たく固い
眼をなすって
「美沙子さん、徹男は戦死した」
と言って、そして、長いこと何も言われない。
私の頭のどこかがブウンと鳴った
涙も出ず、悲しい気持もおきず
先生の顔をバカのように見守っていた
しばらくして、「僕の思いすごしでなければ
あなたの方は、とにかくとして、すくなくとも徹男のがわに、
あなたに対する何か細かい気持が動いているような気がした事が一二度ある。
それで、特にあなたには、この事を
僕自身でおしらせしたいと思って、今日は来ました。
差し出た、よけいな事だったら、おわびをする。
あれの戦死については、今さら
かくべつの感慨はない
かねて覚悟していた事で、むしろ本望だったろう。
ただ、戦場に立って兵士として一弾もはなたぬうちに、たおれた事は本人も無念だったろうと思う
僕らとしても、それだけが、残念だ」
先生の言葉は私にはわからなかった
私の[#「私の」は底本では「私に」]耳にはその時、徹男さんの声がきこえていた
「……美沙子さん、僕は死にたくない」
ツト寄って先生が私を抱いた
気が遠くなり、私はたおれかけたようだ
そうでなくても仕事の過労と栄養不良のために
弱りきっていた私は、立っておれなかった。
折からとどろきはじめた高射砲の音に
ジッと耳をすましながら
先生は私のからだをグッと抱きしめて
「ねえ、美沙子君、忘れまい
いつになっても忘れないようにしよう
何が徹男を殺したかを
何が、われわれから、あれを奪ったかを……」
徹男さんのような気がした
徹男さんの匂いがした
なまぐさい匂いの中で
私の乳と腹と腰が
先生の胸と腹と腰にピッタリと押しつけられて
ジットリと冷たい汗のようなものを流し
最初の男を感じていた
見も聞きもせぬ無感覚の中で
はじめて、男に全部をまかせていた
――女のからだの悲しさと恐ろしさ
開かねばならぬ時には開かないで
開いてはならぬ、開いてもしかたのない
自分で知らぬうちに開く花か
徹男さん戦死の報を受けたばかりの
あの空襲のさなかに、あさましい!
いや、いや、あさましいと思ったのはズッとあとだ
その時はただ先生の腕の中で
徹男さんに抱かれていた
ほかに言いようはない、そうだ、
先生の腕の中で、徹男さんに抱かれていた
おかしな、おかしな、おかしなこと!

さあ、それからの四月あまり、私は
気がちがったように働いた
いつ起き出して、いつ眠って、いつ食べたか
なにも感ぜず、なにも考えず
ミクロメエタアと取り組んだ
そのために、全工場の模範突撃隊員として、
なんども表彰されたが
そんな事はどうでもよかった
空襲はますます激しくなって
工場は吹き飛び、人々は死ぬ
私の血走って、すわってしまった眼の前には
いつでも徹男さんが来て坐って
「待っていろ、待っていろ」とばかり
あの人の仇を打つような気で働らいた
そうだ、ホントに私は気がちがっていた。
死も生も爆弾も血も
すべてが私を既におびやかさなかった
私は白熱しきって凍りついてしまった炎であった。
そこへ終戦が来る
終戦。――世間では終戦と言う
日本語のおかしさと、そんな日本語を使って
自分の神経をごまかしている日本人
恥じるがよい、
それは敗戦であり、降伏だ。
私どもの工場の火は消え、物音は止む。
しばらく前から工場では降伏の噂がひろまっていたから
八月十五日は、かくべつ意外な気はしなかったが
それでいて、いよいよそうなった瞬間に
思いもかけない深い影と静けさをともなって
それは私たちの上に落ちて来た
人々は抱き合って泣いていた
また、人々は茫然として空を仰いでケラケラと笑っていた
もっと深く傷ついた人たちは泣きも笑いもせず
自分の眼の前をジッと見ていた

次ぎの日から私は寝こんでしまった
いっしょに住んでいた先輩の女優はズッと以前に
はげしくなった空襲に耐えきれず
遠い田舎に疎開していて、
一人きりのガランと何もないアパートの部屋に
泥のようにコンコンと私は眠った
病気ではない、ただの疲れでもない
だけど、どんな病気よりも、どんな疲れよりも重くのしかかって来る
ものに押しつぶされ
半月ばかりして起き出してからも
私の頭はなんにも考えられなかった
しばらくすると貯金がなくなる
持ち物を次ぎ次ぎと売っては食って、
今はもう着ている物以外に何一つ残らぬ
食う物がなくなれば水だけで三日位は動かずにいる
それでも、どうしようと言う気は起きない
国の母には既に金はなく
しばらく前から私の方から暮しの金を送ってやっていた
今は病気で寝ていると言う
これを考えても、どうにかしなければならぬとも思わない
部屋代を払わないので、アパートからは矢のように追い立てを食っている。
それでも私の日々はウツラウツラと
ただ白い紙のように過ぎた。

だから、戦争が終って三月たった秋の末に
私が山田先生の内を訪ねて行ったのにも
かくべつの目的が有るわけではなかった
ヌケガラのようになった自分のからだを
なんとなく、そこへ運んで行って見たと言うだけ。
山田家の空気は以前とチットも変らない
「ずいぶん痩せたわねえ。でも、まあお元気でよかった」と
出て来た奥さんも子供さんも
前と同じに明るく人なつこい
先生の書斉に通されると、先生は笑って振り向いて
「美沙子君か、どうしていた?
なんだか顔色が悪いが、どうかしたの?」
「はあ、いいえ別に――」と私が答えると
先生は深くも問いかけず
そこに前から来ていた四五人の客の話の中へ戻られた
ソッと坐って見まわすと書斉も以前と同じだし
来客たちの様子も以前の研究会に似ている
ただそこには徹男さんが居なくなっただけだ
妙な気がした、私は何か夢を見ていたのだろうか?
気が遠くなるような気持で私は
先生と来客たちの話に耳をなぶらせていた
そのうちに、私にだんだんわかって来たことは
すべてが以前と全く同じでありながら
すっかり変ってしまったと言うことだ。
はじめそれがわからなかった、わかる筈がない
先生と来客たちが盛んに論じているのが
地区委員会の組織というような事らしい
山田先生の話しかたが一番ハッキリとして元気がよい
客の中の一人の四十過ぎの、あまり口は出さないで
ただニコニコとしているのは
刑務所から出て来たばかりの人らしい
「しかし、地区の組織を確立する前に
党員としての資格の線をどのへんに引くかという問題だなあ
それが決定しない限り、戦争中の個々人の戦争協力という点で
非常にデリケイトな問題が出て来ますよ
本部ではそのへんをどんなふうに考えているんですかね?」
三十過ぎの頬骨のとがった人が言うと
山田先生が、あの美しい微笑を浮べながら
「そりゃ、まったく、そうだ
たいがいの人が戦争中それぞれの形で
最低の抵抗線をどこに引いて、
どんな方法でそれを守るかという事では
みんな苦しんで来ているんだからね。
さしあたり僕なんぞも厳密にいえば
戦争協力の責任をまぬがれない。
しかし又それだけに、考えようによっては
そのような責任を強く感じている人こそ
今後の自分の活動に対して、他よりもより忠実になり得るだろうし、
その反対の人もいるだろう」と言っている
ハッとした私は!
死んだ兄を思い出した、死んだ兄の言っていた事を思い出した。
全部いっぺんにわかって来た
この人たちは左翼の人たちだ
すると先生は? 山田先生は?
いや、先生はもともと左翼だったのだ
え? すると? しかし――?
だから戦争中は右翼に行って――?
それが、しかし、左翼なのだから――?
けど、今度はこうして左翼になって――?
でも、あんなに真剣な大東亜共栄圏論者だったのだから――?
だから「僕なんぞも厳密に言えば戦争協力の責任をまぬがれない」と言っているじゃないか
しかし、それを、どうしてこんな人たちの前でわざわざ言っているのだろう?
そして又、その言い方が率直で誠実であればあるほど
なぜこんなに卑屈な、オベッカじみた、弁解のように響くのだろう?
責任はまぬがれないとの言葉が良心的であればあるほど
もう既に許されて、責任をまぬがれている者が言っているように聞えるのか?

次第に私のからだの中で渦のようなものがめぐりはじめて
静かに静かに目まいが襲って来て
自分がどこに居るか、わからなくなった
バラバラバラと私のうちで飛び散って
こわれ、流れ、ぬけ落ちて行くものがある
とどめを刺されて、
キャフン! と息の絶えたものがある
それを見ていた
私はそれを見ていた

ヒョイと気がついて我れに返ると
向うの部屋で奥さんと子供さんの三人が
声をそろえて歌うインタアナショナルが
幼なく、ういういしく、明るく流れて来た
それがインタアナショナルである事を私は知っていた
小さい時に兄から習って、おぼえている。
こちらの客たちと先生は話をやめて
ほほえみながらその歌声に耳を貸していた。
私は目まいをこらえながら、だまって先生たちにお辞儀をして玄関に出て
ヨレヨレの運動ぐつをはいて外に出た
歌声はまだ私を追いかけて来た
歩きながら私はなんにも考えていたのではない
また、何かを感じていたのでもない
遠い、遠い所を歩いているような
寂しいような、スーッと、おだやかなような
どこにも何のサワリもないような気持がした。
私の前を横切ろうとした犬が一匹
私の顔を見上げて、
けげんそうな、おびえたような顔をして
コソコソと小走りに向うへ行った

川のふちに出た。
電車のことは思い出しもしなかった
思い出しても、それには乗らなかったろう
電車賃がなかっただけではない
たとえ有っても、乗らなかっただろう
川のふちの小道を
水の流れの方向にスタスタと歩いた
その川は、これまでに、たくさんの人の命を呑んだ川
そうだ、あの時私も飛びこんでもよかった
しかし不思議なことにその時はそんな事は考えつきもしなかった
生きるとか死ぬとかの、もっとズッと向うの方へ歩いていた
川は、畑や林や森かげを縫い
ポツリポツリと家々の影をうつし
秋の終りの人声と物音をひびかせて
まだ暮れきらぬ夕空を映して
たそがれの東京の町なかへ流れ入る。
流れと共に私も町なかへ入る
川も私も何も考えない、何も感じない
水がだんだん暗くなって来る
私の姿もだんだん黒くなって来る。
どのへんだったか、おぼえがない
しばらく前から聞こえていた足音が近づいて
「おい君、どうしたんだ?」
声に振り向くと、ヨレヨレの復員服と
アカづいて青黒い顔色で明らかに
復員したばかりの男だ
「病気かね?」と言う
答える気にもならず又歩き出すと
うしろからユックリとついて来ながら
「そんなにヒョロヒョロして歩いていると
たおれて川へおっこちるぜ」
それに私は答えなかった、よけいなお世話だと思っている
男は別に怒ったふうでもなく、また、それ以上馴れ馴れしく近づいて来る様子もない、野良犬のうしろから野良犬が歩くように
無関心に、ただなんとなく同じ方向へ歩いて行く
長いこと、どちらからも口はきかない
しばらくして、ゴソゴソと音がするので目をやると
男は雑嚢から何か出してそれを噛みながら歩いている
やがて「よかったら、これ食わないか」といって
コッペパンを一つ鼻の先に突出した
ムカッと嘔吐を感じて私がそれを睨んでいると
男はフフフと笑って
「遠慮しないでいいよ
これ食ったからって代をくれとは言わん
ひもじい時あ誰だって同じこったもんなあ
へへ、第一、こいつは俺にしたって、かっぱらって来たもんだ
恩に着なくたっていいよ
お互いに、敗戦国のルンペンじゃねえか。
しかし無理に食ってくれと言うんじゃない、いやかね?」と言って、
パンを引っこめそうにした
その時、どうしたわけか私は手を出して
さらうようにしてコッペパンをつかみ取ると
黙って、いきなり、それにかぶりついて食べはじめた
味もなんにもないゴリゴリのパンを。
男はべつに笑いもしないで
自分も自分のパンを噛み噛み歩き
そうして二人は暗くなった町中に入った

その夜は私はドロドロに疲れはて
ある盛り場のガードのそばの掘立小屋に泊った
男が無理にさそったからではない
彼はただ淡々と、しまいまで自分の名も言わず
私の名を聞こうともせず
引きとめようともしなかった
ただ、「行く所がなければ泊んなよ」と言うだけ
そして私はアパートへはもう帰りたくなかった。
そして男といっしょに寝て
なんの喜びも、なんの悲しみもなく
からだを彼に与えた。
彼がそれを要求したのでもなく、私が求めたのでもない
綿のようにくたびれ切った二匹の犬が
からだを寄せて寝たというだけ。
なにかがすこし痛んだだけで、快感は微塵もなかった
男もそうではなかったか
彼は五分の後にはスースーと眠ってしまい
そして翌朝私が目をさまして見ると
残りのコッペパンを一つと、金を六十円、私の枕もとに置いて、居なくなっていた
それきりあの男は私から消えてしまった
あれは、まるで風のような男だった
風は私の頬を吹きすぎて
なにもかも執着しないおだやかな冷たさで
どこかを今でも歩いている……

その次ぎの夜から私は、そのガードの下に立った
男が寄って来る時もあれば来ない時もある
男たちは私を妙な所へつれて行く
焼跡の草むらに導いて
いきなり、ねじたおす男もいる
金をくれる男もあれば、くれない男もある
中には前の男のくれた金をソックリ奪って行く男もあった
すべては私にとってどうでもよかった
頭が完全にしびれたようになっている
山田先生の書斉で話を聞いているうちに
電気がショートでもしたように頭の中を紫色の光が走って
ヒューズが切れて飛んだ!
それ以来、頭の中が、こわれてしまって
なんにも考えられなかった。
おかしなことに、そうして二カ月ばかり
いろんな男たちを相手にしている間に
どの男にもまるで興味は持っていないくせに
ホンのすこしずつだけれど、私のからだが喜こびを知って来たことだ
女のからだというものの下劣さ!
いえ、人間の肉体というもののキタナサ!
しかし、それもどうでもよい事だ

だから、それから間もなく私が
ハダカレヴュの踊り子になったのも、すべてが偶然で
なろうと思ってなったのではない
ガードの下で会った男たちの一人に
アルコール中毒のレヴュの男ダンサアくずれが居て
私のからだをつくづくと見て、ダンサアになることをすすめて
いきなりレヴュ小屋のマネエジァの所へつれて行った。
舞踊の基礎と、発声法は
G劇団にいる頃に本式に習ってある
だけどレヴュ小屋の踊りや唄は、それとは違う
ただ音楽だけはわかるので、ただそれに合せてデタラメに
踊ったり唄ったりしただけ
ところが私のその頃の、何がどうなっても同じ事と言った気持が
唄にも踊りにも投げやりな変った味をつけるのか
舞台に立ったその日から人気が立って
小屋では私をスタアあつかいにする
ダンサアくずれのアルコール男は私のことを天才だと言って
目の色を変えて世話を焼き
手を取るようにして踊りを教える
その教えかたといったら!
どんな舞踊の教科書にも書いてない
どんな教師も教えない――
第一に、人間の前で踊ると思うな
男の下腹部の前で踊れ
いや踊ってはいけない
自分のはだかを、ただ男のペニスをねらって動かせ
それだけが古往今来ダンスというものの本質だ
それに役立つことならばどんな身ぶりでも、どんな動作でもやって見ろ。
そう言って狂ったようになって教えてくれる。
この男こそ、もしかするとホントの天才かもわからないと思ったことがある。
私は踊った
三月の後には、それでけっこう一人前のソロ・ダンサアになっていた
私の暮しは楽になり、母にも金が送れるようになる
レヴュ小屋でもらう給料は僅かだが
いろいろの所からお座敷がかかる
パーテイやキャバレのアトラクションの仕事がある
あちらこちらパトロンが附いて
気が向けば、あのパトロンや、この客と
ホテルに泊り、温泉に遠出する――
間もなくレヴュ小屋のつとめはやめて
ここのクラブのソロ・ダンサアに契約し
きまった仕事はそれだけで、あとは好き勝手に飛び歩く
気が附いた時は私という者は
表はダンサアの、実は高級ピイになっていた

いいえ、それを後悔する気など、こっから先も起きなかった
かくべつの喜びも感じはせぬが
歯を食いしばって、意地になったり
深刻ぶって無理をする気は微塵もない
ただズルズルと何も思わず
ズルズルとドブドロの一番底に沈んで行き
沈んだ自分を、自分でふみにじりたかっただけ。

(フッと我れに返ってニッコリ笑う)
とうとう言ってしまいました
あなた方の前で趣味の悪い、
言うまいと思っていたのに、ツイ言ってしまいました。
だけど、ここまで申し上げてしまった上は身もふたもありません
クダクダと手数のかかる話はいたしますまい
そうなんです
そのままで行けば、すべてがそれで過ぎたでしょう
新興成金か何かを選んで結婚でもするか二号になるか
案外に、普通に幸福に身のおさまりをつけていたかも知れません
なぜなら、そうしていても、徹男さんのことも兄のことも
先生のことも、めったに思い出しもしなかった
ですから、それから半年あまり過ぎて
なんの気もなく通りかかった或る講堂の表に出ていた
左翼関係の講演会の立看板に
山田先生の名を見つけ出して、それを聞いて見る気にヒョイとなりさえしなければ
こういう事にはならなかった
くやんでよいか、喜こんでよいか、悲しんでよいか
いまだに私にはわからない。

切符を買って中に入ると
共産党の人がしゃべっていて
それがすむと山田先生が出る。
久しぶりの先生の顔はツヤツヤと輝いていて
なつかしいような、うらめしいような
前の人の背中のかげにかくれるように身をちぢめ
私はドキドキと先生を仰ぎ眺めてばかりいて
初めの間は先生の話がわからなかった
そのうちにだんだんわかって来た
それは終戦後、憲法の上では基本的人権が認められるようにはなったが
実際の事実の上では人権は確立されていない事を
失業者の実態や、独占外国資本の支配力などに関係させて話されていて
先生らしく、一方で学者としての冷静な数字をあげながら
それでいて美しい詩の朗読でも聞くように
人をマヒさせて一方の方へ引きずって行くところがあった
論證のしかたも言葉使いも完全に左翼のもので
鋭どく熱があった。
先生の書斉に最後に行った時に
来客たちと話していた先生は
終戦後、間がなかったせいか
言われることも、どこかしらオズオズした所が有ったが
今日の先生は既に疑いようのない左翼の理論家で
テキパキと確信に満ちていた。
私にはそれがわかった
思えば久しくこんなような言葉を聞かなかった
聞きながら私は死んだ兄の顔をマザマザと思い出していた
兄さん、兄さん、なつかしい、かわいそうな兄さん!
あなたが昔、私に教えてくれたので
今私は山田先生の話を理解することができるのです

そしてそれは私の幸福ですか、不幸ですか?
兄さん、私は泣きたくなります。
そのうちに、徹男さんの眼が私に近づいた
山田先生の声の中に徹男さんの声を聞いた
かわいそうな、恋しい徹男さん
私は今、こういう心と、こういうからだになって
あなたの兄さんの講演を聞いています
あなたの兄さんは、戦争中に、
右翼の国内革新論の講演をなすっていたのと同じような熱と火と美しい言葉で
左翼の論説をなすっています
あなたは戦争中の兄さんの理論に引きずられ、信じ切り、悔いを知らずに出征し
そして今あなたの骨は、どこかの海の底の岩かげに横たわっているの?
そうして私は、こうしてからだも心もくずれこわれて
腐れかけて坐っています
何かいうことがあった徹男さん
カタカタカタと骨と骨とを打ち合せて
私たちの前におどり出ていらっしゃい!
こうなった私と、しゃべり立てているあなたの兄さんの前に!
ちきしょうッ!
憎しみが、ギリギリと憎しみが
腹の底から突き上げて来る!
人も自分もまっくろになり
ドクンドクンと胸いっぱいに脈を打ち
耳が聞こえず、目が見えなくなったまま
どれくらいの間、私は坐っていたのだろう
気がつくと、そこらいちめん息苦しく
私は息がつけなくなり、チッソクしかけていた!
山田先生の声はまだつづいている
人民民主戦線――?
人民戦線だって?
それは、なんだ! なんのことだ?
とにかく、私は息がつけない、苦しい
助けてください、空気が欠乏して来る
兄さん、徹男さん、助けてください
いいえ、先生――なんだって?
山田先生?
そうか、山田先生、お前さんか?
だしぬけに、私の頭がシーンと静かになり、
ああ! と思った
そうだ、お前さんといっしょの空気を吸っているわけには行かないんだ私は
お前さんといっしょに呼吸してはおれないのだ私は
お前さんが生きている世の中で私は生きておれない
私は死ぬのは、まだイヤだ
お前が死ね。
…………
そして、私はあの男を殺す気になっていたのです。

それから一週間、クラブもお座敷もパトロンも、みんなことわって
アパートのベッドで毛布を頭からひっかぶり
考えに考えぬいた
先ず、人を殺すのは悪いぞと思った
しかし、悪い? 何が悪いの?
牛を殺して食って、悪いかしら?
いいや、人間は牛ではない、悪いとも!
だけど、悪くたって、それがどうしたの?
――善い悪いが私にとって――人ではない、この私にとって、善い悪いがなにかしら?
悪いことは知っている、知っていても
山田先生、お前さんは生かしておけないのだ。
しかし待てよ
こんなふうにあの男を憎んでいる私の憎しみそのものが
まちがった所から生れたものではないだろうか?
山田先生が私に対して何か悪い事でもしたのか?
あの人は誠実だ、正直だ、善良だ
転向したのも転々向したのも
ギリギリいっぱいに追いつめられて、やむを得ずした事で
人をだまそうと思ったり、自分一身の利益を得ようと思ったためではない
それに世間には転向者はいくらでもいる
戦争中に右翼に行って戦争に協力し
私や徹男さんや、たくさんの国民を
戦争に向って煽り立てたことにしても
あの人だけに罪が有ろうか?
煽り立てられた私たちにも半分は責任がある
いいえ、むしろ私たちのダラシのなさが
あんな指導者を生みだしたのだ
敗戦後、あの人の再転向の姿を見て
信ずべきものの一切を失い、錯乱し、虚脱して
こうしてダラクの淵に沈んだのも
すべては私がダメだったからだ、すべては私一人の問題だ
あの人をとがめる資格は私にない
とがめるならば私は私自らをとがめなければならぬ
そうだ、それはそうだ、わかっている、知っている
知っていても、どんなにそれはしっていても
私はお前さんを生かしておけないのだ。
だけど待て
そんな事をしても何になるのだ?
そうすれば徹男さんが生き返って来るのか?
又、世の中のタメにでもなるのか?
ヘ! バカな事はやめるがいい!
転向といえばおかしげに響くけれど
考え方や生き方の、時々変らぬ人がどこに居るのだ?
転向は、実は成長かもわからないのだ
そうだ、しかし、そうだとも
人間は変る、弱い、まちがいやすい
転向はしかたがない、許されてよい
ムッソリーニがいったという
青年時代に社会主義者にならぬ者は腰ぬけだ
同時に、大人になってから国家主義者にならぬ者は阿呆である
しかし、そのムッソリーニが、もう一度口のはたを拭いて
左翼になってノコノコ出て来たら、どうなるの?
転向者はそれでよいが、転々向者は許せない!
しかし美沙子
お前はあの男の思想の内容を知っているのか?
左翼の思想のどこがどんな具合になって右翼につながって行き
それが又、どこがどんなに発展して左翼に流れこんで来たのか?
して又、あの男の昔と今の思想そのものが
どんなふうに、まちがったものを含んでいるのか?
問題はホントはそこに在るのではないのか?
そうだ、しかし私はあの男の昔の思想と今の思想を知っている
すくなくとも或る所までは知っている
しかし私にはそんな思想のなかみはどうでもよい
また、ほかに転々々々々向者が何百万人いようとも知った事ではない
ただこの私、この私――緑川美沙という一人の腐れ女が
ただあの男――山田教授という一人の男といっしょには生きておれない
あの男を、かつて尊敬し、信じ、愛した気持の高さと
同じだけの深さで今あの男をケイベツし、憎み、咒っているという事だ
どんなリクツを持って来ても、どんな理由を持って来ても
これはドカンと私のうちに根をおろしてしまって動かない
もう、しかたがない。

ムックリと一週間のベッドから起き出すと
母からもらった短剣を出して見た
戦争中にトギ屋に出して研いである
突けば心臓を貫いて余りがあろう
青く澄んだ刃の奥に私の顔がうつっている
そこから覗いている眼は冷たく
静かに私の方を見ている
たしかに私は昂奮はしていない
自分でも物たりないほど落ちついていた。
お母さん、あなたのくれた懐剣で
私は人を刺すのです許してください
あなたは一番大事なものはミサオだといってこれを私にくれました

その翌日からお前さんを私はつけはじめた
お前さんのしている仕事と、毎日の動静の全部を
キレイに調べあげた。
お前さんは、たくさんの文化団体に関係したり
政治的な運動にもつながっていて
やれ学校だ講演会だで
ほとんど毎日外出する
三日に一度は夜になる
私がねらうのは、その夜だ
踊りの仕事や男たち相手の稼ぎを半分にへらしてしまい
まっ黒なスーツに紺のコートで闇にまぎれて見えぬよう
上等のラバソールの軽い靴を買って、近く寄っても足音のしないよう
お前の家の近くの駅の横の電柱のかげに立っていると
これから出かけて行く時は右の方から
家へ帰って行く時は左手の駅の出口から
駅前の果物屋の電燈の光の中に
お前さんの端正な横顔と青い背広がスッと浮ぶ
四五軒やりすごして私はつける
闇の中をツツツと追うて
一二歩のうしろに迫ってもお前は気がつかぬ
学者らしい、思想家らしい重々しさで、すこし右に傾けられたお前の頭の中には
これから出かけて行った先での講演や討論で
人々を教え説き伏せ言い負かすための方法や、
帰る時には今日一日の自分の指導や講義や交渉が
どんなふうに成功し、効果をあげたかの満足と
妻と子供がどんなに温かい御馳走と、ほほえみを用意しているかの期待などをつめこんで
スッキリと長い脚を気取らぬふうにユックリと気取って運ぶ。
暗い町の四つ角のあたりで
夜におびえて帰りを急ぐ女学生か女事務員のように
お前のわきをスレスレに小走りに通り過ぎた女が幾人もいたことに気がついたの?
雑誌の座談会や、新聞社の文化講座の帰り途の焼けビルの横ろじからツイと出て来て省線駅のガード下まで
お前のうしろに寄り添うて行った女がチョイチョイ居たのを
お前は、ただのパンパンだと思ったようね?
ほの暗い電燈の光のとどかぬ駅のプラットフォームの隅で
連れの男と熱心に何か話しているお前の背後に
紫色のカーチフを眼深かにかむって、ションボリと立っていた、くたびれたダンサアか女給が眼につかなかったの?
お前は夢にも知らないのだ
その時、私の右手がポケットの中で短剣のツカを握りしめていることを
お前の背中の左がわのどのへんが、ちょうど心臓のまんなかにあたることを
くりかえしくりかえし研究し練習して、私が知りぬいていることを
その気になりさえすれば好きな時に
ただ一突きでお前をたおす事ができることを

逃げて見ろ、あがいて見ろ!
どこへ逃げてもどんなにあがいても
そこは私の手の平の中だよ。
自由に、好きかってに、どんな事でも考えて見るがよい
どんな事でもして見るがよい
ピストルを用意してもよいし、神に祈ってもよい
みんなみんな、この私の手の平の中だよ。
三月になっても私がお前に手をおろさないのは、
猫の鼻の先にいつでも食える鼠を遊ばしておくように
すこしは楽しみたかったせいもあるが
それよりも、お前を殺そうと思った自分の気持が
ホンの一時のものかどうかを、ためしたかった
殺してしまってから、どんな意味ででも、どんなカスカにでも自分が後悔しないか?
そんな事を、短剣をお前の背中に擬しながら
自分で自分に考えさせて見たかったからだ。
それはない。たよりないほど、それはなかった
それが證拠に、お前を殺すことにきめた時から
私は食べる物がうまくなった
酒の味もおいしくなった
踊るのも唱うのも上手になったし、
男たちの腕の中でも、燃えかたが強くなった
フフ! 女のからだが、生れてはじめて、うずき走って、ふるえ出して思わず低く叫んだために
その夜の男はよろこんで私にルビーの指環をくれたのが
私がはじめてお前をつけて、短剣をお前の背中にかまえて見た晩だ。
虫ケラをひねりつぶすように私はお前をやれるだろう
今となって完全にお前の命は
私の手の平の中のオモチャだよ。

そうして三月の間お前の後をつけて歩いているうちに
私はおかしな事に気がついた
お前が外出する十度に一度ぐらいの割合で
月に一度か二度、その日の用事をたした後で
妙にお前がソワソワと落ちつきを失って
歩きながらもキョロキョロとあちらを見たり、こちらを見たりしているかと思うと
不意に自動車などに飛び乗って
それきり、どこへ行ったかわからなくなる事がある。
はじめ私は急に何かの用を思い出して、そこへ行くのだろうと思った
それにしては、なぜあんなにソワソワするのだろうとも思ったが
一度偶然にそういう時のお前をつけて見る気になって
その夜はお前が輪タクに乗ったのを幸い
私も直ぐに輪タクに飛び乗ってつけさせた
行きついた所は京橋裏の築地寄り
いや、あれはもう築地に入っている所かもしれない
川に添った裏通りの
表から見れば古いビルディングだが内部は空襲でこわれたままに
応急にガタガタと仕切って作ったアパートだった
そう、今となってはあれでも高級の部のアパートか
お前は車をおりるとキョロキョロと前後を見まわしてから
コソコソと、その建物に入って行き
一階の廊下の突き当りの左側の室のドアをノックしてから中に消えた
それを見すまして私はすぐに入って行き
ドアの前に立って耳をすますと中で女の声がして
それにお前が何か言っている
ドアのわきを見ると五号室とあって小さな名刺に田川と出ている
私はしばらくそこに立っていてからユックリ歩んで帰りかけたが
その時表から此処に住む人らしい人が入ってきた
トッサにどうしようと私は迷ったが、
見ると、直ぐわきに二階にあがる階段がある
腹をきめて、わざとユックリと落ちついた歩きかたで階段を昇った
人が見れば、二階に住んでいる誰かを訪ねて来た客に見えよう
昇りつめるとカギの手のおどり場になっていて
下の廊下からは見えないので、そこにしばらく立っていてから帰るつもりでフッと見ると
おどり場のわきの壁が焼夷弾でも受けた跡かポッカリと口を開けて
申しわけに二三枚の板が打ちつけてあるだけ
すかして見ると、その奥はまっくらで、天井裏になってるらしい
位置の関係から、それが今見た下の五号室の天井になってるようだ
頭にキラリと来るものがあって、よっぽど、その穴にもぐり込んで、天井のスキ間から
のぞいて見ようと思ったが、いくらなんでも出来なかった
そしてその晩はそのまま戻ったが
ハナから知らねばなんでもなかったのが
なまじすこしばかり知ったために、よそうと思っても思いきれぬ
しばらく経ってアパートの管理人に会って遠まわしに聞いて見ると
「五号の田川さんというのは、そうですねえ
何をなさる方だか、よくは知らないが、まあ顔役といったような方ですかな
今、刑務所に入っています
なにチョッとしたサギかなんかやったと言いますがね
奥さんはもと新橋へんの小料理屋に出ていた人で
現在は一人で暮して田川さんの帰りを待っていると言うわけだが
男の客がよく来ますよ
きまって来る人が三人ばかり居る様子で、
とにかく、まあ、うまくやっているんじゃないですかね
へへへ、そのへんの事は、よく知りません」
ゲスな中老人の口のはたのせせら笑いで
女の暮しの正体はいっぺんにわかった。
しかし、そんな女の所へ山田教授ともある人がなぜに来るのだろう?
妙に知りたい。嫉妬のようなものが私の内に起きた
完全に自分の手に握っていて
どこの隅まで知りつくしていると思っていたお前さんが
私の知らない所で、私の知らない事をしている
よし! と思った。その次ぎにお前が外に出て急にソワソワしはじめた時に、私は大急ぎでタクシイに飛び乗るや
そのアパートに先まわりして
今度は迷わぬ、まっすぐ階段を昇って行き、
そこらに人影のないのを見すまして
おどり場の穴の闇にスッともぐりこみ
ミシリとも音のせぬように用心に用心しながら天井裏の横木をさぐって
息を殺して、こうやって、しゃがみこみ、下からの光でポッと明るい
天井のスキまから下を見る
思った通りに五号室らしいが
いきなり、ギョッとする真近かさで
いぎたなく、着物のスソをチラホラと股のへんまでのぞかせたまま
こうやって、若い女が眠っている姿
これがその女か?
顔はあまり美しくはないが、太りじしの伸び伸びとした良いからだ。
女一人の部屋の隅に脱ぎちらした着物があったり
枕元には食い捨てた皿小鉢やタバコの灰皿がそのままになっている

間もなくドアにノックの音がして
女がやっと眼をさまして返事をすると
お前が入って来た。
吸いつくように息を殺してのぞいている私の眼の下で
お前が最初に何をしたか?
なんと、靴をぬいで上にあがるや、ものも言わず
眼をこすりながら、まだ横になった女の
ここからも見える、うすよごれた足の裏の土ふまずの所へ
いきなり顔を持って行き
鼻をふくらませてキッスをした。
すると女が、その足をバタンとわきにやって
「あんた、金、持って来てくれた?」
「う? うん……」とお前は言って又、その足にキッスした
びっくりして私は声を立てそうになった
お前は不意に気が狂ったのか?
それとも、それは実はお前ではないのか?
そう言えばこの室に入って来た時からお前の顔はいつもの重々しく理智的な高貴な表情をなくしていて
いやいや、それらの顔つきはそのままソックリとありながら
又となく愚かしい、デロリとゆるんだ顔になっている
あの鋭どい、深い思想家のお前が、こんなふうになる時が有ろうと誰が思ったろう?
しかし、それから起った事のすべては
さらに意外な事ばかりだった。
とは言っても、かくべつ、多くの事が起きたわけではないし、珍らしい事が起きたのでもない
世の中の男と女の間に、いつもある事があっただけというほかにスベのない事で
私のような暮しの女には今更めずらしくもなんともない
言って見れば大昔からタイクツなタイクツなバカの仕事、
それでいて、しかしなぜだろう? 私は下の部屋をのぞきながら
次から次と、びっくりして、何が何やらわからなくなり、カタズをのんでいた。

お前と女との事は、一年ばかり前からのもので、
女が小料理屋に出ていた頃に、何かの会のくずれでその店にお前が寄って
最初は女の方から持ちかけた関係だが
今では女は飽きて冷たくなったのを
お前の方で泣くように頼んで金をドッサリくれるので
女はシブシブ相手になっているだけ
そんな事が、すぐにわかって来た。
女の亭主が刑務所に入ったのが、いつ頃かわからないが
その留守で女一人の暮しが立たないから男を作ったというのでもない
他にも二三人きまった顔ぶれの男が通って来るようで
亭主というのも、実はヒモで
すべてを承知の仲かもしれぬ
ただ動物のように淫とうな女らしい
そのくせ、足の裏やエリあしなどにアカを溜めても気にもとめない無神経さで
男の下で、白いからだをムチのようにそらせながらも
実はなんの喜こびも感じていない事は
目をつぶってダラリとした口のはたを見れば、私には、わかる
不感症だ。まるで不感の淫乱女。
ただ腰だけは、よく動く、波のうねりだ。
私にわかるのと同じように男にも、女が喜こびを感じていない事がわかる
わかればわかるほど、拷問のような波のうねりに乗せられて
お前はそそり立てられ、追いかけて行き
目を血走らせ歯をむいて
ねえ! 待ってくれ! たのむから!
胸を、もっと、開けて! つかんでくれ! ねえ!
哀訴し嘆願し、そこらじゅうをペロペロとなめまわし
しまいにはヒュンヒュン、ヒュンと小犬のように泣き出して、終りになっても女はドタリと横ざまに寝返っただけで
白い脂ぼうに、テラリと薄光りした小山のような腰の前で
いっぺんに空っぽになり、ダラリと小さくしぼんだ腰をそのままに、
開かなかった女の花がうらめしく、腹を立てて
バラバラの白痴のような眼でポカンと壁の方を見ているお前の口のはたに
白いアブクになってヨダレが垂れていたのだよ
それにお前は気が附かなかった
山田先生!
いや、ホントにそれは山田先生なの?
あの高邁な思想家が、いつ、どうして、こうなったの?
こんな女を、こんな意味で、こんなふうに好きになったの?
こんな女よりズッと美しい奥さんがあるのに
お前はどうしてここに通って来て、ヨダレを垂らして寝ているの?
それとも、お前はズッと前から、こうなのか?
クラクラと目まいがするようで
私はとても気分が悪くなり
そのままソッと穴を抜け出して自分の部屋に帰ってしまい
次ぎの日はクラブを休んでしまって
一日ベッドで寝てすごした。

あれは何だろう?
あの男をあんなになしているのは、何だろう?
あの男は奥さんと寝て、そしてあの女と寝る
すると、どっちがホントで、どっちがウソだ?
どっちのお前が、私のねらっている奴だ?
お前はだしぬけに気が変になったのか?
それとも、もともと、キチガイか、バケモノなのか?
きたならしいよ!
フ! この私が人のことを、きたならしいだって?
そう、やっぱり、きたならしいよ!
そうだ、私はきたならしい、心もからだもインバイだわ
私の所に来る男たちも、犬のように吠えたり舐めたり這いずったり
スケベエの変態の、きたならしい動物だ
しかし、あの男にくらべれば、きたなくない
きたないという中身がちがう
あの女の所による時のあの男だけならば世間の男と同じだ
しかしその男が家に帰って又奥さんと寝た時のことを
あれとこれとをいっしょに考え合せていると
胃をつかみ出して塩水で洗っても
吐気がとれない位に、きたならしい!
ペッ! ペッ! ペッ!

ビックリしたのは、そのお前が
その翌日から多少は変るかと思っていたのが
いったんそのアパートを離れると相変らずの山田教授で
誠実な顔をして進歩と人民民主主義を説き
清い家庭の良き夫、良き父として
人格高邁、微動だもせず以前と寸分違わぬ姿でいることだ
これは何だ? わからない。
わからないままに、私はますますお前の後をつけまわした
家から教室へ、教室から講堂へ、講堂から川岸のアパートへ、アパートから家へ、
グルグルと眼がまわり出したのは私の方だ
(既にしばらく前から、言葉の調子はたたみこむように急速になって来ていたのが、このあたりから、益々速くなる。同時に、それにともなう表情とシカタも、あらわに大きく激しくなる。しかも言われている言葉と動作がズレて、随所でシンコペーションを起して、それが異様な感じになる)
ねえ、頼むから、そんな薄情な事はいわないでくれ
この次ぎは五千円ぐらい持って来るから
いやいや、今度二冊ばかり本を出版するから
それが出れば四五万円はいるから
なんだったら、もっとたくさん持って来られる
ねえ! だから! 僕は君がホントに好きなんだ!
僕はこの胸を割って見せたい! 疑うならば、しめ殺してくれてもよい
愛している! 蹴られたっていい! 踏んづけられたってかまわない
いいや、踏んづけてくれ! ホントに踏んづけてくれ!
ね! ね! ねえ君! ヒー、ヒー!
シラリシラリと冷たく笑いながら白い眼をして睨んでいる女の足元で
お前はチギレチギレに、うわごとのように、身をふるわして言いながら
こうやって、こんなふうに(身をよじらして、キッスの雨のゼスチュア)こうして
よごれた女の足の先からだんだんにクルブシ、フクラハギ、ヒザ、フトモモとくちびるが
昇って行って山の傾斜を這いあがる
くすぐったいよう! バカあ!(身をもんでキッスされている女のゼスチュア)バカあ!
バカだねえ、くすぐったいたらさあ!(ベリリと腰のオダリスクの片方をやぶき捨て、片方のモモの円柱を斜めにグイとあげ、最下等の媚びと軽蔑とを混ぜて、自分のからだを男に投げ与えるゼスチュア。ゆかに倒れて鼻声を出す)
夜ふけの雨が窓を叩いて
天井で思わずミシリと言わしてもお前たちには聞こえない
私がのぞく節穴にいっぱいに、クローズアップにひろがって
組み合わされた四本の脚がギチギチギチと音なく動き
その間から、ダラリと舌を出したまま、ハッハッハッと熱い息を吐くお前の顔と
すべての男を小馬鹿にした冷たい女の
男を小馬鹿にしてジラすことで、かろうじて
喜こびにしめって来るネンマクの薄桃色のさけ目とさけ目

そうだねえ、いいえ私は必らずしも自分がマルクス・レーニン主義の
世界的な到達点に立ち得ているとは、まさか思っていません(言いながら、姿勢とゼスチュアは、シンコペーションで残って、しばらくエロティックきわまるものである)
しかし、どんなに低く見つもってもだな
われわれの主体性が、現在、三十代の
インテリゲンチャの間で扱われているように、
他の、もっと広い社会との関係、世界とのつながり、
それからタテの事をいえば階級関係
つまり経済的な下部構造の分析などから切り離されて
主とした人生論的な、哲学的な、別の言葉で言えばいわゆる実存的なものとして追求されている限り
やっぱり、実は堂々めぐりで、確立から、はるかに遠いばかりでなく
ヘタをすると反動の役割を果すことになる
それ位はお互いに知っていなければならんねえ。
――フ! 講演会からの帰りに、送って来た崇拝者の学生に
美しいバスの声で説いているお前の調子は
真剣で忠実で疑いをはさむ余地がない。
主体性? 社会との関係? 下部構造? 反動?
なんなの、それは?
いいえ私はそれらの意味を知っている
そして私にはそれらの意味がまるでわからぬ
フフ! 私はもう、股で考えるんだ、こんなふうに(シカタ)
ただれた膣で考えるんだ、こんなふうに(シカタ)
あの女がそうであるように
だから私にはスッカリわかって、なんにもわからない
お前も股をひろげたのだ、あそこでは[#「あそこでは」は底本では「あれこでは」]
股をひろげてヨダレを垂らして泣いたのだ、あそこでは
だのにお前は別に頭を持っている、オッケエ、こんなふうに?(厳粛な表情のゼスチュア)

家に帰ると、あの奥さんに清潔な微笑をして見せ
リプトンの茶わんを持つ時には
小指だけをほかの指から離して、そらして持ち
二人の子供を食後のエンガワにかけさせて頭をなでながら
P・T・Aのありかたについて、学級内でのデモクラシイの本質について
やさしい言葉でジュンジュンと説いている
そこにP・T・Aの会長夫人が訪ねて来て同席すると
奥さんは、夫人にサンドイッチをすすめながら
にこやかに説き進む夫のお前の言葉を
コウコツと、天上的な表情で聞く
ワイセツだ! ワイセツだよ! それこそワイセツだ!

あれとこれと、又、それと、なんと自然にスラスラと使いわけて行くだろう
二重生活といいたいが、私の知らない所では三重四重になっているかもわからない
そういえば、大学の講師と文筆と講演などの稼ぎだけにしては
お前の生活は豊かすぎる
どこかに金をつかむツルを持っているかも知れないし、
闇取引のブローカアでもしているかも知れない
名義を変えた財産を持っているかもわからない。
はてしなく、私の目まいは、更にはげしくなる
私は立っていられない!(残っている方のオダリスクをも取り去り、ヨロヨロと、酔ったあげくのジルバのようなステップで、ステージの一番前へ乗り出して来る)
なんでもよいから、早くやってしまえ! 早くやってしまえ!
お母さんの短剣がうずいているんだ!

ホントに私の頭が狂ったかと思ったのは
それから間もなくだった
川岸のアパートにお前をつけて行って、天井に入ってのぞくと
その晩は女が気が向かないか、金が少いか、もしかするとホントにメンスだったか
お前が犬のように哀願しても、身体を開こうとはしないので
お前は遂にメソメソ泣き出して
果ては横づらを突きこくられている時に
女の所に通って来る、ほかの二三人の中の一人で
ゴロツキのような闇屋の男が入って来た
お前はたちまちペコペコとおじぎをして
脱いであったズボンを拾って着ると
コソコソと部屋を出て帰った。
その次ぎの夜だ
神田の方で催される文化講座に、お前の講演もあることを知って
私は聞きに出かけて行った
お前は、そこで、いつもの通りに学者らしい素朴さでズカズカと出て来て、確信ある者の落着きと、シュン烈さで
「平和と文化」について話した
戦争というものは、資本主義的商品生産の必然の結果として起きるもので
人々が平和を真に望むならば
資本主義と闘って、これを打ち倒す以外にない
そして、資本主義と闘ってこれを打ち倒すための拠点になるものは労働組合だ
それも急進的な左翼的組合でなければならん
――そういう議論をお前は理路整然と
いろいろの論拠を並べて説いている
私には議論が正しかろうとまちがっていようと、どっちでもよかった
私はお前の、紺のダブルに包まれた端麗な姿と
良心と熱意のために心もち上気した顔ばかり眺めていた
そのうちに前夜の川岸のアパートでベソベソ泣きながらズボンを拾っている
お前の姿を思い出した
すると急にムカッと来た、
がまんが出来ず、口をおさえて会場を飛び出して
しばらく小走りに行ってから、
とうとうゲラゲラ、ゲラゲラと笑い出した
すこしもおかしくないのに、笑いが止らない
ハハ、ハハ、ヒッヒ、ヒヒヒヒ、ハハ、ヒヒヒ!
夜の神田の大通りを、とめどなく高笑いしながら走る女を人は気ちがいだと見ただろう。
そうだ、いつの間にか、お前を軽蔑しちゃってる
軽蔑しちゃったものを憎むことができるものじゃない
すると私は、お前をこのままに見のがして置けるのか?
いいや、ダメだ、今となっては、徹男さんと兄とが
私がよすのを許してはくれない。
兄と徹男さんの二人は毎夜のように私の枕もとに現われて、私を眠らさない。
よし、虫ケラは臭い匂いを出しすぎる
なんでもいいから、よいかげんに、ひねりつぶせ!

それで、待った
もはや何も考えないで私は待った
その時は直ぐに来た
お前はこの前、女のところでの不首尾を取り返そうと思い
それと言うのも持って行った金がすくなかったためだと考えて
あの時の二倍の金を持って女の所へ行った
いよいよ今夜だ。
今夜の帰り途で決着をつける。
私はもう一度短剣のサヤを払って
澄み切った刃の鏡で自分の顔に最後に別れを告げてから築地へ急ぐ
梅雨どきのアパートの天井裏にナマぐさくカビが匂う
いよいよ今夜が最後だと思うと
そこにしゃがんでいながら、どういうわけか私は物悲しいような気持でいた
この前の事があったためか、お前はほかの男が又来はしないかと、最初のうちはビクビクと
一度なぐられた犬が飼主に近づくように、女のきげんをうかがっていたが
その晩はどうしたのか、女の方がションボリしていて、
お前の出したサツたばにも手をふれようとせず、
片手を胸にさしこんでふさいでいる
どうしたの? どうしたんだよ? ねえ君
なめまわすようにお前が問いかけるのにも
女はしばらく答えなかったが
やがてボロボロ泣き出して「ジが出た」と言う
「ジ?」お前は何の事だかわからなかった
私にもわからなかった
それが、やっと痔だとわかっても、おかしい気持はちっとも起きないで
この女の白痴のような子供らしさに
胸のどこかをキリリと突かれたような気が私はした、
お前もチットも笑わないで、心配そうな、むしろ急に元気になった顔をして
どれ、僕が見てあげる、手当はしているの?
ううん、薬は買って来たけれど、気持が悪いから、そのままにしてあんの
どれどれ、それはいけない、痛いの?
そんなに痛みはしないけど、気持が悪い……
そしてお前はイソイソと、薬と綿を取って手当てをしはじめた
女をあおむけに寝せ、ひろげた脚の間をのぞくお前の顔が
なんと熱心でキマジメだろう!
それは、世界平和についての労働組合の任務を説き立てていた時の熱心さと同じで、
そして、あの時よりも、もっと真剣だった
シロウト淫売の尻の穴をのぞいている山田教授よ!
あざけり笑おうと私はしたが
頬がベソをかいたようになる
なんだか知らぬが、この男は、なんだか知らぬが、この女に惚れている
おかしな、変てこな、きたならしいふうにだけど
たしかに、この女に惚れている
そしたら、どうしてそれが、おかしな変てこなきたならしい事だろう?
バカのように、悪魔のようにのぞいている私の目の下で
お前は痔の手当てをすませると
手当てをしているうちから、既に釣りあがっていた眼つきで、
もうオスになったこんな手つきで
べつの所をまさぐりだしている
痔の痛みがおさまったせいか
又は痔の痛みがまだすこしあるためかも知れないが
不感の女が今夜は自分から腰を持ちあげて
珍らしく、とろけかけた薄眼を開いている。
(言いながら、タイツと残っていた片方の乳当をベリッとむしり取って、前に当てた木の葉だけになり、ゼスチュア)
あたしは、はじめて知った
男でも女でも、男が男であるものと女が女であるものと
ハイセツ物を出す所とが、すぐわきに隣り合っている
それまでだってその事を知らぬわけではなかったのに
だのに、はじめて私はそれをその時に知った。
それには、何かがある
キタナイとかキレイとか、とだけではない
その事の中には、何か大事なことがある
何だかわからないが、何かがある。
節穴の中では、女の上にたおれたお前が
全く自分を忘れて、ふるえている。

これが人間じゃないかしら?
ヒョッと思った
人間はみな、こうじゃないかしら。
それぞれ自分だけの暗い穴の中で
人はみんな、おかしな事をしているのだ。
すると、明るい外で、人の目をかねてしている事だって
やっぱり、あれで、おかしな事ではないのか。
両方ともが、両方をひっくるめて人間というものがそんなものじゃないのかしら。
お前の人格や暮しの事を二重三重四重と私は思ったけれど
そのどちらもが、お前に取ってホントなのじゃないのか。
ここでそうしているお前も、ほかでああしているお前も、どちらもホントで、
そういう人間がお前なんだ。
転向前のお前も、転向後のお前も、それから転々向した今のお前も、
どれもこれもお前にとってホントだったのだろう
そういう人間でお前はあったのだ。
弱い、もろい、そして何かの手で気まぐれに作られた人間が
生きて行くことに耐えて行くためには、
誰しも実は、たいがい、そうではないのかしら?
お前は、ただの人間だ。
たくさんの、ほかの人間と同じように、ただの人間だ。
それを、特別の人間みたいに思っていた
そのために私は腹を立てて、憎んだ、こんなに。
そうだっけ!
いいえ、あたしは、それでもお前を許しはしない
許しはしないが、憎むことは、もう出来ない
憎んではいるけれど、前のようには憎めない。
殺してもよい、しかし、殺しても、つまらない

満足し、ダラリとなったお前と女を、節穴の中に残して
私はションボリ、うちに戻って来た。
私のうちで、妙なことが起きてしまった
何かがポキンと折れた
お前を憎み殺してやる気がなくなったら
それといっしょに、何か別のものまで折れてしまった
つっかい棒が[#「つっかい棒が」は底本では「つつかい棒が」]なくなった
自分がフラフラと宙に浮いているような気がする
べつに悲しいのでも苦しいのでもない
ただポカンとして、死んでもいいなと思ってる
だけど、なんだか、それもメンドくさい
(ダラリと、全裸のからだを、椅子をまたいで投げかける。……全く空虚になった眼が、なにも見ていない。……間。……ゆるやかな音楽が、潮ざいのように遠くから近づく……)
(うっすらと視線を寄せ、すこしかすれた低い声で)
……そうなんですの
ごらんの通り、キレイに裸かになってお目にかけましたよ
いいえ、そんな深刻そうな眼でごらんくださる必要はありません
ホントに、ホントに、私の気持はそんなに深刻なものでも、暗いものでもありません
ここまで洗いざらい申し上げた末にウソを言ったり、誇張してもしかたがない
私は明るく自由で、自分自身からさえも解き放たれています
私を引きとめたり、しばったり、けしかけたり、がんばらせたりするものは
今はもう何一つとしてありません
私をおびやかしたり、こわがらせたり、追いつめたりするものは、この世の中にはないのです
私の夜ごとの夢に現われていた兄さんも徹男さんも、もうサッパリと出てこなくなりました
私は泥のように、よく眠れるようになりました
私はこれまでのように頭痛がしなくなりました
私は空に浮いたひとかたまりの雲のように自由です
なぜならば、私はヤット人間を見つけたのですから。
人間は虫ケラにソックリ似たもので
そして虫ケラにソックリ似ていても悪いことはすこしもないと思うようになったのですから。
人間は、ケダモノが信用ならないように信用できないものですけど
しかし人間は、もともとケダモノなんだから、それでよいのだと気がついたのですから。
なまいきな「英語」で言って見ますならば
人間を否定しよう否定しようと気張って来た私が
妙な事から人間を肯定するようになったらしいのです
そうなんですの
ところが、否定していた間は、とにもかくにも生きて来られた私が
肯定したら、その時から、セッセと生きては行けなくなった
人間を憎い憎いと、まっ黒こげになっていた間は
生々と人間らしく暮して来られたが
憎しみや悪意が私から消えた時から
ガッカリしちゃって、チャンとした人間でなくなったのです
人間は、なにか、とんでもないものに支えられて生きてるものじゃないでしょうか?
いいえ、人さまの事は知りません、この私という人間は
はじめから、何かまちがっていて
人さまとはアベコベなのかも知れません
こんな女も居るのだとでも思って下さいまし。

こうなれば、こんな所で踊っていてもつまりません
永々と皆さまのお世話になって少しは名残りも惜しいのですけど
このへんが潮どきでございましょう。
芸人づらの、高級ぶってダンサアしてるのは客引きの張店で
人をも自分をもゴマカシているイヤらしさにも飽きました
眉毛をもうすこし長く引き、口紅をもっと濃く塗って
チュインガムをクチャクチャかみながら鼻唄うたい
気楽にただの普通のPさんで
世間の波に沈みます。
いろんな男を相手にして来たカラダです
いずれ行く先きは知れています
これまでは、私を選んで下さるあなた方の中から
私が選んでお相手をして来ましたが
これからは、たくさんの女の一人として
そこらの闇に立っていて、あなたがたに選んでいただくだけですよ。
値だんも、ただの普通の相場です。
あなたが、これから相手になさる女の中に
耳のうしろの此処だけには、どうしてもキスさせない人がいたら
それが私かも知れません
ここは、あの人がたった一度だけキスをしてくれた所なの
ほかの場所ならどんな事でもおさせしてよ
此処だけは死ぬまで誰にもさわらせません
そうですセンチメンタルですよ、お笑いなさい
お聞きの通りナニワブシのように私はセンチです。

(ギラリと立ちあがって、ユックリと舞台鼻へ)

そんな次第で
お前さんは安心するがいい
だけど、あんまり安心しすぎて、いい気になるのはよしなさい
なぜならば、殺せないから殺さないのじゃない
いつでも殺せるから、殺さないのだ
それに、私みたいな人間は私だけじゃない
そこらの闇にウヨウヨといくらでも居る
人から物から世の中から裏切られた末に
自分で自分をやぶき捨てて
闇の中で歯をむいている者はウヨウヨ居る。
山田教授は一人ではない
似たような人間は、いくらでも居る
あちらにも、こちらにも、(こちらを指す)そこに! そこにも!
そらそこにも居る!
あなたがたの中に坐っている!
そこに居る! そこに居る! そこに居る!
いいや、あなたがたは、みんな、みんな、そうかもしれない。
(短剣を右手に逆手に持って、静かに力を入れながら)
いい気になるのはよした方がいい
私はいつでも音もなくお前さんがたの後ろにピッタリくっついて歩いてる
お前さんがたの背中には、いつでも、これが突きつけられている
人間は、薄い袋に入れた三升ばかりの血液に過ぎない。
これでチョイと突っつけばタラタラとなんの苦も無く流れ出して、ドブ水になる。
気をつけなさいよ!

(音楽)

(くずれるように美しい媚笑)

…………といったようなお話ですの
ホントだと思ってくださっても、
ウソだと思ってくださっても
どうぞ御自由に!
長々と、ごたいくつさまでした。
それより、チットはおもしろございまして?
私の話はこれでおしまいでございます
ありがとう存じました(辞儀)
ありがとう存じました(他の方へ辞儀)

(そして、激しくなったダンス音楽に乗って、全裸をユラリと動かす。手に持った短剣が邪魔になるので、そこらに捨てようとするが、思い返して、その抜身のミネを、口べにの濃い唇にツイとくわえて、盛りあがって来た音楽に、腰の方からウネるように全身を持って行く。
その、白い蛇のようなからだが、急速にキリキリと炎のように、よじれて、まわりはじめる――音楽)
――幕――
(一九五〇年五月)





底本:「三好十郎の仕事 別巻」學藝書林
   1968(昭和43)年11月28日第1刷発行
初出:「群像」
   1950(昭和25)年7月号
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2008年12月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について