斬られの仙太

三好十郎




1 下妻街道追分土手上

 右手遠くに見える筑波山。土手の向う側(舞台奥)は小貝川の[#「小貝川の」は底本では「小見川の」]河原添いの低地になっていて、その左手寄りに仕置場が設けてあるらしく荒組みの青竹矢来の上部の一部がみられる。街道からその方へダラダラ下りの小道の角に、ギョッとする程大きい高札。
 高札のすぐ傍の路上にペタリと土下座してしきりに額を砂利にすりつけてお辞儀をしている若い百姓真壁の仙太郎。その前の地面にはタトウ紙の上に白い奉書紙と筆硯がのせてある。側に同様土下座をして一緒に辞儀をしたりハラハラしつつ仙太郎の様子を見ている百姓段六。
 高札、と二人を遠巻きにして黙って円陣を作って立っている五六人の百姓。他の通りがかりの行商人、馬方、鳥追の女など。中の二、三人の百姓は仙太郎の方を見ておれないで、うなだれ切っている。オドオドと仕置場の方を振り向いて見下す者、何か言おうとして言えず手足をブルブルふるわせている者。百姓の一人は仙太郎に向ってしゃがんでしまい、あやまるように辞儀をしている。行商人がよく読めぬ高札を読もうとして口の中で唸っている。

仙太 お願えでごぜます。皆様、どうぞ、お願えでごぜます。へい、お願えで……(辞儀をしつづける)
段六 皆さん、この俺からもおたの申すで。あんでもねえことで。所とお名前と爪判つめばんをいただきせえすれば、そいでこの男の兄きが助かりますので……(一同は顔を見合わせて答えぬ)
仙太 たんだそれだけでごぜます。へい。皆様にご迷惑をおかけするようなことは金輪際、きゅうり切ってありませんでええす。へい……。
段六 ……(群集と仙太を見較べて頭を振り)……仙太公、どうもはあ、しょうあんめ。もうこうなれば手遅れだべよ。あきらめな仙太公。よ、おい仙太公。
仙太 (段六の言葉は耳に入らぬ)お願え申します。
行商人 ……ええと、右之者共、かみを恐れず、ええと、貢租こうその件につき……へえ、貢租てえと年貢のことじゃろが……強訴ごうそにおよばんといたし相謀り……強訴と言うのは何の事だえ?
百姓一 ごうそかね、はあて? とんかく、あんでもはあ差し越し願えばしようとなさったてえがな。
行商人 ははん、この平七とか徳兵衛とか仙右衛門やらがね?
仙太 (すがりつくように)さようでごぜます。仙右衛門と申すが、おらの兄きでごぜます。兄きと申せば若いようでがんすけど、九人の兄弟で一番上の兄の、おらが末っ子でえすで、もうはあ四十七になります。つい、かわいそうと思われて……。
段六 へい、それも、いよいよ差し越し願えばしたからと申すのではありましねえで、たんだこの飢饉でどうにもこうにもハア上納ば増されたんでは百姓一統死なにゃなんねで、せんめて、新田の竿入れだけでも[#「竿入れだけでも」は底本では「芋入れだけでも」]今年は用捨して貰いてえと願い出て見ようでねえかと、村で寄り寄り相談ばったでがす。それだけのことでえすて。村は加々見でえす。
(間)
行商人 ……ふーん、でもさ、今日はお仕置きだちうのに、今日の連判では役に立つめえて。ええと、ええ兼ねて右之者共人柄よろしからず、ええ、その次の字がわからねえてや……。
仙太 いいえ、あんた様、人柄よろしからずなんど、それは私の兄きにそんなこと言いがかりをつけるのは、それはぼうと言うもんでがんす。もう下の段に連れて来られていますによってどうぞご覧下せまし。人柄が悪いなんどと、そんな、あなた様! どうか、お願いでごぜます! 助けてやってくだせまし! へい! この通りでごぜます。決して決して大それたことばいたすのではごぜましねえで。兄きは叩き放し村方おかまいの御仕置おしおきでえすけんど、叩きは二百が三百だろうと兄きも覚悟しております。おかみに御手数かけたからには、それ位のことは当り前で、それのお取止めお願え申そうとは私等思っていましねえで。ただ村方お構いだけを、どうぞいたしましてご容赦いただけるように、皆様の御合力御願い申しまする。へい! 真壁の仙太郎兄弟一生涯恩に着まするでごぜます! 犬の真似をしろとおっしゃれば犬の真似いたしまするでごぜます! どうぞ皆様のお名前と爪判つめばんだけいただかして下せませ。足をなめろとおっしゃればなめますでごぜます!
段六 ……仙太よ、まあさ……。
百姓二 ……かわいそうになあ。しかし後が怖えからなあ。
百姓三 ……そうさ。後のタタリがなあ。
仙太 後のことは私一身に引受けてご迷惑は決して掛けねえ積りでえす。お願えで!
(百姓達、仙太の血相に気押されてジリジリ後に退る)。
百姓一 ……積りはその積りでもなあ。
仙太 (涙と汗と砂ぼこりによごれた顔を初めて上げて皆を見渡して)……皆様もやっぱりお百姓衆とお見受け申しまする。御支配こそ違え、私も百姓でごぜます。兄仙右衛門も百姓でごぜます。百姓の心持ちを知っていただけまするのは百姓御一統ごいっとうばかりでごぜます。兄がお上様に向い不都合の事いたしましたのは、自分一人のためを思うていたしたことでありましねえで。せまくは加々見様御支配領内百姓一統、引いては近隣御領地内百姓衆皆様のうえを思うて、少しでも善かれと思うていたしましたことでええす。皆様お百姓衆とお見受けいたします。ここのところをお考え下せえまして、どうぞ御助けを! へい! この通りでごぜまする! お願え……。
(迫って来る仙太の気持と言葉の鋭さに、殆ど縛られたようになって、進んで筆を取ろうと言う者もなければ、立去りもかねている見物の百姓達)
鳥追 ……まあねえ、お気の毒な……。
仙太 へい、いいえ、気の毒なのは私だけではありましねえで。百姓一統でええす。百姓一統、誰彼なしに気の毒でええす。今日人のこと、明日わがこと、同じでえす。そこん所ご勘考下すって、どうぞお願い申しまする!
段六 お願いでごぜます!
(それでも動こうとする百姓はいない……)
声 (土手向うの仕置場の方から響く)ええい、出ませい! 御検分! 控え方! よろしうござり申すか? 出ませい! (その鋭い声につれて、物音が起り、同時にすでに以前から河原矢来外に見物に集って、それまで鳴りをひそめていた群衆がざわめき立つ。思わずヒーッと叫声をあげる者もいる)……かみにお手数かけ申すまいぞ! 出ませい! 出ろ!
百姓四 ああ、また始まった! (仕置場の見えるところへ走り寄り、下を見てから振返り)あっ、始まった、今度あ、その仙衛ムどんだで! (と言われて一同がホッと救われたようになり、ゾロゾロバタバタと仕置場の方へ降りて行く。鳥追と馬方だけが道の端に残って下を覗いて見ている)
仙太 (追いすがって)ああ、お願いでええす! お願いでごぜまする! お願い……(いくらすがりついても振り切って行かれてしまう。膝を突いて見送って暫くボンヤリする……間)……あああ。
段六 仙太公 もう諦めな。しょせん無駄だて……。
声 本日の御処置、本人百姓仙右衛門初め、控えおる村方名主及び五人組近隣の者共、お上御慈悲これある御取計いの次第、および向後のため、忘れまいぞっ! それ、始められい! (声と同時に、土手下のざわめきが一時に静まって、声が終るや否やビシーッ! と音がする。下人がにぎぶとの青竹を割ったもので仙右衛門の背中を叩き下ろした音)
他の声 ひとおーつ! (同時に仙右衛門の呻き声。これを聞くや仙太思わず立上る。次にヘタヘタしゃがむ)
段六 仙太、もう戻ろうてや。おい仙太!
(言っている間に、再びビシッ! と音がして他の声が「ふたあーつ」と算える声、呻声。この二ツ目の声で仙太自分が打たれたようにウーンと唸って路上に突んのめってうつ伏してしまう。以下鞭打の響きごとに彼は自分の背に痛みを感じるようにうつ伏したまま身もだえをする)
鳥追 あっ! あっ! 見ちゃおれやしない。あれっ! 丈夫でもなさそうな人だのに。どうにかならないのかねえ! いくつだろう?
馬方 百叩きだて。しまいまで身体あ持つめえの。また、今度の叩きに廻っている手先の奴あ力がありそうだもんなあ。馬だ、まるで。なあ、全体がよくよく運の悪い人だぞ、仙衛ムてえ人は。いまどきこのせち辛えのに上納減らしの不服や相談たねえお百姓なんど一人もいるもんじゃねえさ、そのうえに新田に竿入れやらかそうてんだものを。選りに選って御見廻おみまわりなんどに見っかるちうのが、よくよくのことじゃあ。始めから終えまで、運の悪いというもんはしようのねえこんだ。(その間も叩きは続いている)
鳥追 (時々たまらなくなって、三味線を抱えた手で眼を蔽うたりしながらも、恐い物見たさで見下ろしながら)あっ! あれっ! おや、どうしたんだろ?
馬方 気い取失うたのよ。ああして水ぶっかけて正気に戻してからまたやるんだて。
鳥追 まあね、ああまでしなくたって!
段六 さ、行くべ、仙太!
仙太 段六、見てくれろ、……兄貴あにきはまだ生きてるか?
段六 そりば言うな! おらだとて見れるもんでねえ。むげえこんだ。……おらもう百姓いやんなった。
仙太 ううっ! ……だとて、だとてよ、百姓やめて何が出来っけ……おら今日と言う今日は、今日と言う今日……そりゃな段六、通りがかりの他所の衆や、町の商人や、ええ衆がこの願書さ名前書いてくれねえのは、まだ仕方ねえ……。見ろい、同じ土地の近くの同じ百姓同士が、これほど頼んでも書いてくれようというもの一人もいねえのは何だ? え、段六公、同じ百姓でいながら、その百姓仲間のためにしたことで兄貴がこんな目にあっているの、目の前に見ていながら、みすみすにえ湯ば呑まして知らん顔をしているのだぞ! (段六が何か言おうとするのに押しかぶせて)うう、百姓は弱え、受身だ、弱えとまたお前言う気だろが? 知ってら! それがどうしたてや※(感嘆符疑問符、1-8-78) おら達今朝っからここへ坐って膝もすりむけたし、通る百姓の一人づつに拝み続けだぞ! (再び下から叩きの響き)ううっ! あっ! (両手で顔を押える)……ああ段六公、おら帰ろうてや、連れてってくれ。……済まねえのう。
段六 済むも済まねえもねえて。まわり合せだとあきらめるだよ。さあ帰るべ。
仙太 いや、もう少し……、諦らめられねえて。もう少し、もう少し待ってくれ。おら、おら……。
(鳥追と馬方が土手の向うへ下って行き、姿を消す。叩きの物音。そこへ左手から中年過ぎの百姓の女房がフロシキに包んだヘギを抱えてヨロヨロするくらいにあわてて小走りに出て来る)
女房 お! まだ間に合うた。あああ、何てまあ仙衛ムどんなあ! むげえこんだ! むげえこんだてよ! (土手の端まで走って行って仕置場を見下して左右へウロウロ走り廻った末に仙太を認めて)あ、仙さんけ! 兄さんは、まあ何てえ気の毒なことよなあ。
段六 滝さんとこのお神さんですけ。へい、こうなればもうしようありましね。
女房 私あな、もっと早く来ようと思うて急いだなれど、なんしろはあ、秋の不作では、どっこの内でもろくに飯米も残っていねしさ、お取立てが二度も三度もあるんじゃもの、あっちでもこちらでもヒエやアワ食ってんのはまだええ方だち、芋ばかし食っている家が多いざまだであちこち捜し廻ってな、元村の作衛ムどんべに白げた米がやっと五ン合ばかしあったで、お借りもうしてな、大急ぎであて握りままに拵えて来たわな。
段六 どうなさりまっす、そりば?
女房 いいえさ、私等仙衛ムどんにいろいろ厄介になっていても、こうなっと金も力もなあし、何んにもしてあげることもできねで、せんめて、村方お構いならしゃるのに白い米の飯でも腹一杯食べて貰おうと思うてな。
仙太 ありがとうごぜます! ありがとうごぜます! この通りでごぜます、お神さま。兄きが、兄きがそんお志、どんねえにありがたく思いますべ。……それにつけても、村方の百姓衆一統があんた様の半分づつのお心持でも持っていてくだされば、……これご覧なせえまし。せっかく書きあて参りました御願書に、今朝から散々お願えしても、他所村よそむらの百姓衆は愚か同じ真壁の同じ元村、同じ新田の衆、近所隣りから名主様五人組の組内の人まで誰一人としてお名前をくださる方はねえですて! お神さま、百姓同士というもんは、そんねえにむげえ薄情なもんでがすかえ? そんねえに。
女房 そりあな、皆さん、仙衛ムどん初め、今日のお仕置きにあう人達のこと何ぼうにも考えにゃ訳ではなかろうけんど、誰じゃとて飯も食えねえ有様では、そんだけの気の張りもなかろうよ。諦めなんせ。な。わが身が可愛いいで精一杯でえすて。
仙太 同じでがんす! 内の兄きじゃとてわが身が可愛くねえことはありましねえ! わが身が可愛いけりゃこそ、同じ百姓の人の身のうえも可愛いいで、あんなことしたんでえす!
女房 もっともじゃ! もっともじゃ!
仙太 (泣いている)でがしょう? 真壁新田の百姓仙右衛門は真壁全村やご領内百姓衆みんなの身の内の者ではねえでがすか? 百姓全体のわが身の内ではねえでがすか?
(その間も向い側の叩きの物音は続いている。それにつれて断続する群衆のざわめき)
(そこへ街道の左手――花道から急ぎ足に出て来る旅装の三人。二人は士――水戸浪士加多源次郎と長州藩士兵藤治之。他の一人は、一本刀素足草鞋、年配の博徒だが、身なりにも態度にも普通の博徒でなく名字帯刀御免の郷士あがりの者らしい点が一見してわかる甚伍左)
仙太 お願えでごぜます! お願いいたします。
加多 控えろ! (三人は急用のために行手に気をとられて通行していたところを仙太に不意に飛び出されて、少しギョッとして立止る)……何だ?
兵藤 (土手下の物音で、下を眺めて悟り)ああ。(と見廻して高札に目を止め、読みかけ、他の二人にも指して見せる。三人黙って読み終る)……。
加多 ……さようか。が、お願いとは何事だ? 詰らぬことをいたして通行の邪魔すな。全体お前は何だ。
段六 へい、それにありまする三人の内の一人、百姓仙右衛門の弟仙太郎と申しまする。百叩き御所払いの御仕置につきまして、御所払いだけを御赦免お願いいたそうと存じます。御願書をこうして持参いたしましたが、私どもばかりの名だけではお取上げになりましねえのは解りきっていますので、ご通行の皆様にお名前と爪判を頂戴いたしておりますんで。どうぞ、お慈悲をもちまして……。
兵藤 しかしながら、これに書いてある強訴におよばんとしたと申すはじょうか?
仙太 と、とんでもねえ! へい、当地村方一同、一昨年以来重ね重ねの不作でござります。米、麦を作りまする百姓とは名ばかり、昨年夏ごろよりどっこの家でも食う物に事欠くありさまでごぜます。んだのにお上様よりは追い上納二度も三度も申しつけられまして、そんでなくもウヌが口の乾上るこの際、どうしても未進が続きまする。そこへ持ってきて村方一同が命の綱と頼みまする荒地沼地開墾の新田に竿入れ仰せつけられる段おふれでごぜましたので、そうなればこのあたり百姓何千何万と申す者が、かつえて死なねばならぬ始末、それで私ども兄きなんど、この由御願い出て見ようでねえかと寄り寄り相談していたばっかりでごぜます。
加多 たしか旗本領であったな、このあたりは?
段六 へい。
加多 誰だ? 何と申す?
仙太 二千五百石、加々見様でごぜまする。
加多 フーム。……出役しゅつやくは八州および支配所役人か。(唸って高札をにらんでいる)
兵藤 加多氏、何を唸っているのだ。ハハハ、おい、かねて人柄よろしからず云々と申すが、これは何だ、バクチでも打つか?
甚伍 兵藤さん、あてこすりを言っちゃいけません。
仙太 いいえ、そんな、そんなこと、それは言いがかりでごぜます。兄貴はふだん村でも田の虫と言われておりまする。タンボ這いずり廻っていさえすりゃ文句のねえ男でごぜます。人柄が悪いなんどと。それは叩かれる分には、仕方ありましねえ、兄きもおらも諦めています。それを、とやかく申すのではごぜませんで。んだが、村方お構い田地お召上げのことでごぜます。あのタンボ気違いの兄きがなめるようにして可愛がっていました田地召上げられましてどの空で生きて行けますべ? それが困れば未進みしん上納共地代二十両、持って来いと申されます。いまごろの食うや食わずの水呑みずのみ百姓に二十両が二分でも、どうなり申しがしょう! これは死ねと言うことでがんす! 百姓から田地召上げるのあ、死ねということでがんす! 私、お士様さむらいさまには武士道と申すもの両刀と申すのがあるということを聞いております。両刀召上げられ武士道がすたれば生きてはおいでにならねえと聞いておりまする! 失礼でごぜまするか知りましねえけど、田を作るは百姓の道で、田地は両刀でごぜまする。この、このところばお憐み下さいまして……。
加多 よし! (ズカズカ向側へ下りて行きかける)
甚伍 加多さん、どうなさるだ?
加多 斬る! 一旗本の分際ぶんざいで慮外の処置だ。
兵藤 役人や手先をか? 斬ってどうするのだ!
加多 どうするもない。見ていられい! (走り下りて行きかける)
甚伍 加多さん、まあまあ!
兵藤 加多! 尊公は藤田氏以下諸先輩の至嘱を忘れたのか? まった、こうして三人、京表から先生及び拙藩の藩論を一身に帯してハルバル下ってきた使命をここで打捨てられる積りか? ……どうだ! (言われて加多ウムと言って言句に詰る)ハハハ、若いなあ。しかし無理もない。無理もないがいまそんな時ではないでしょう。どうだ甚伍左。
甚伍 へい。私なんぞによくは解らねえが、やっぱり大の虫小の虫とでも言いますかな。これで盆の上の仕事でも巧者になれば、初手しょてはあらかた投げてかかる。
兵藤 アハハハ、甚伍左とくると何の話でも袁彦道えんげんどう[#「袁彦道に」は底本では「袁玄道に」]もってくるからかなわん。さ、行こう加多氏、ハハハ、こんなところここだけではない、これだけでないぞ。黙々として耐えて耐えて、殆ど耐え得べからざるを耐えている五千万蒼生を忘らるるな、欝勃として神州に満つ。倒れるものは斬らずとも倒れる。八万騎と申したのは昔のこと、即ちいま、少しでも骨のある旗本や徳川の役人は多分一万を出でまい。アハハ、無用だ。正に小義憤を断じ去って、病弊の根本処に向って太刀を振うの時だ。そう唸られるな。さ、急ごう!
加多 兵藤氏、私が早まったようだ。行こう! (と立去りかけて、この三人のやりとりを半ば解らないなりに固唾を呑んで見ていた仙太、段六、女房などをチョイと眼に入れ)暫く! よし、書いてとらすぞ。(筆をとり上げて奉書に筆太に何か書く)
仙太 ありがとう存じまする。ありがとう存じ……。
加多 (筆をカラリと置き、ペタリと土に額をつけている仙太の肩を叩いて)一身の重きを悟れよ。義公御遺訓にもこれあり、百姓は国のもといだ。時機を待て。いいか、時機を待て! さらばだ。(二人足早やに左手奥へ去り行く。一番後れた甚伍左が懐中に手を入れながら仕置場の方を見下していたが、何を見出したのかホーといってジッと眼をこらして見ていた後、振向いて)
甚伍 ……お百姓、ええと確か真壁の仙太さんといいましたね。仙太さん、いま見ると、今日のお仕置きの手の者は北条の喜平一家の者だ。たしか上林の弥造とか言った角力上りの奴もいるようだが、何ですかい、あの連中、出役しゅつやくは今日だけのことかそれとも……?
仙太 いえ、そうではごぜましねえ。兄きなんどが、お召捕になりましたのも喜平親方の方の子分の衆がなされましたんで。
段六 あんでもはあ、喜平さんと当地の御手代様とは奥様の方の縁続きとかで、北条の一家と申せば詰らねえバクチ打ちでも御役人同様、えれえご威勢でごぜえます。百姓一統どれ位え難儀をかけられているかわかりましねえで。
甚伍 フーム。そいつは了見違えな話だ。二足の草鞋を穿くさえある。荒身かすりの渡世とは言いながら、チットばかりアコギが過ぎるようだ。それでなくとも北条の喜平についちゃ、私も前々から同じ無職のゆくたての上で、少しばかりしなきゃならねえ挨拶があるんだ。ま、いいや、おい、お百姓、いや仙太さんとやら、少し先を急ぐ旅だからこれで失礼しますがな、これはホンの志だけ、兄さんに何か甘味い物でも食べさせてやるたしにでもして下さいましよ。
仙太 へ? いえ、こんな、一両金なんどという大金を頂くこたあ、見ず知らずのあんた様から。
甚伍 なにさ、私も元はといえば百姓だ。いやいまも家にいる時あ、盆ゴザに坐る時よりゃ野良へ出る時の方が多いくらいのもんです。アハハ、いや、また、何かよくよく困って、村にいられなくなりでもした時には、道のついでに私んとこへもたずねておいでなせえ。そうよ、あの筑波を左の肩越しにうしろを見て南の方へドンドン下ってスッカリ山のテッペンが見えなくなった辺まで行ったら、人をつかまえて利根の甚伍左という大道楽もんの家はどっちだと尋ねなせえ。
仙太 え! じゃあんた様が甚伍左の親方様で!
段六 利根川べりの甚伍左様でがんすか! あの名高え!
甚伍 知っていなさるか? こいつは恥ずかしいな。じゃ、ま、急ぐから、ごめんなさいよ。(歩み去り、ジロリと土手下を横目で睨んでおいてスタスタ二人のあとを追って姿を消す)
(仙太と段六は礼をいうのも忘れてしまって茫然としてその後姿を見送っている――ウロウロしていた女房はもうズット先程から仕置場矢来の方へでも降りて行ったのか姿を見せない。向う側では既に百叩きは終ったらしく、時々人声がザワザワするばかりである)
仙太 (ヒョイとわれに帰り、ハラハラ涙を流し)ありがとう存じまする! 一生、死んでもこのご恩は忘れましねえでごぜます! ありがとう存じまする!
段六 御支配や、北条の親分みてえな人があるかと思えば、あんなりっぱな仁もあるなあ。……(いいながらタトウの上の奉書を見ていたがビックリして立上って)あっ! こりゃっ!
仙太 あんだよ、段六?
段六 見ろえ、これ! これ! 水戸、天狗組一同としてあらあ! こりゃあ! (ガタガタ顫え出す)
仙太 水戸、天狗組一同! ほだて! するてえと、いまの士の人達、天狗党の人たちだ!
段六 どうしべえ、俺、おっかなくなって来た! どうしべえ、仙太よ?
仙太 どうしべえって……(黙って三人の立去った方を見送り、仕置場の方を見やり、奉書を眺め、顔色を青くして考え込んでいる)
(間)
(向う側から沢山の人数が土手にのぼってくるらしいざわめき、まっ先に鳥追と馬方と女房が走りのぼって現われる)
鳥追 むごいねえ、まあ! あの上にまた叩き払いなんだねえ!
馬方 んでも見ちゃいられないといっていて、しめえまで見たぜ、お前さん! こうなると女はキツいてのう、後生楽なもんだて! はあ、血だらけだ!
女房 ナマイダ、ナマイダ、私はもう……
声 歩けい! 立ちませうっ!
(仙太と段六が、オッ! といって飛上って走りよる。同時に青竹を持った小者にそれぞれ襟首を掴まれた百姓平七と徳兵衛、および上林の弥造に同様首筋を掴まれた仙右衛門が、ズルズル引きずり上げられて来る。三人の百姓は殆ど意識を失い、身体中はれあがり、背中の着物はズタズタに破れ、食いしばった歯の間から泡の混った血を吐き、半殺しにされた犬のような姿である。立って歩く力は全くない。特に仙右衛門は叩きに手加減をされなかったと見えて、顎の辺まで紫色にはれ上り、後頭部の辺から流れ出して顎の方までへばりついている血。地べたに叩きつけられ踏みつぶされた蛙の姿である。――後から土手にのぼってくる検分の刑吏、代官所役人、手先、北条の喜平、喜平の子分二人。その他の役人は刑場に居残っているらしい)
仙太 (走り寄って)あ! 兄さん! 兄さん!
代役 控えませいっ! (仙太の腰を蹴る)
喜平 (つづいて土手へ上って来そうにゾロゾロ顔を出した見物、村役人、五人組の者、身寄りの者などに向って)お前さん方、ついて来ちゃいけねえ!
代役 お構いの者に付き従い、無用の手当等の事をなすにおいては、厳しきおとがめがあろう。(お願いでごぜえます! と叫んで追いすがり這い出して来そうな身寄りの者あり)ならぬ、帰れ!
仙太 (奉書を掴んで差出しながら)お願えでごぜまする! お所払いご赦免のお願い書の儀お取上げ下さいますよう、お願いでござります!
段六 お願いでごぜます!
刑吏 再三再四、ならぬと申すに、またいうか! たってとあらばもう少し早く係りへ行け!
喜平 おい、くどい事はしねえがええ、無駄だ。それともお前たち、お上のなされ方に対して不服があるのか? あればあるように……。
仙太 いえ、そ、そ、そんな大それたことは何で……。ただ、ただ、私兄き共、百姓ばする外にどげえして生きて行くすべを知りましょう。田地お召上げお所払いになりませば、明日が日からのたれ死にでごぜます。ここの所おあわれみ下せえまして、どうぞ御願書お取上げ……。
代役 ええくどいと申すに! さがれ!
刑吏 お取りきめに妨げすると、その方も縛るぞ!
(その間に、小者二人、上林の弥造は三人の百姓を突転ばすようにして歩かせる。他の二人は転んだりしながらもフラフラ行くが、仙右衛門は無力になっていて起てないで呻く。そこへ殆ど這うようにして近づいた女房が、ヘギの包みを仙右衛門の懐中にねじ込む)
女房 仙衛ムどん、先々で食べて下せえよ。これ白え米の飯だよう! 米の飯だぞよう!
弥造 よけいなことをするねえっ! (と女房の腕を青竹で叩き離す。女房ヒーッと叫んで転ぶように土手下へ去る――少しシーンとする)
仙右 (ガタガタする手で懐中を捜ってみて)……こ、米の飯……米の飯でがんすか……こ、米の……(見開いているが見えはしないらしい両眼で遠くを見て嬉しそうにニッコリする)おあ、り、がとうごぜえ……(気味が悪くなったのか弥造がチョイと手を離す)
仙太 兄さん、気をしっかりして下せえよ!
代役 慮外であろう! 起たせろ! 歩きませい! 向後、貴様達、このあたり立廻り相ならぬ。犯すにおいては重きとがめこれあると思いませい。それっ!
刑吏 叩き! (手先達と弥造が青竹を取直す)
仙太 兄さん! 兄さん! お願いでごぜます! お願いで……。
弥造 どけっ! (仙右衛門を叩くために振上げた竹で仙太の顔をガッと撲る。仙太がヒョロヒョロとなるところを刑吏と喜平が散々蹴倒し踏みにじる。はずみを食って仙太土手の傾斜をゴロゴロ転り落ちて来る――舞台前端へ)
仙太 ウーッ! 兄さあんっ!
(役人、喜平、手先、子分等が罵りながら三人の百姓を突転ばし、青竹で叩きつけながら歩ませて左手奥へ去る。途中、仙右衛門が何と思ったか高札の棒にしがみついて離れようとしないのを、手取り足取り、散々に青竹で叩き離して追い立てて去る。土手の向うからは群集がそろそろ首をもたげて、おびえた顔で見送る)
段六 (土手を駆け降りて来て)仙太、仙太! 痛えか? ああ、こりゃ、こんな血だ! 仙太よっ!
仙太 (歯をバリバリ音させて)段六、おら、おら、く、く、くやしくっ……! (また思い返して)ウーン、いいや、お願いでごぜます! お願えでごぜます!
(斜面を這い上り、血を吹き出している顔を草にこすり付けて辞儀をしながら、またいざるようにして役人等の後を追う)
(幕)
[#改段]

2 陸前浜街道、取手宿はずれ

 四年後。
 宿はずれも利根川寄りの方とは反対側。江戸千住を出た街道が我孫子を経て利根川を渡り取手町に入って二つにわかれ、一方は土浦へ。一方は守谷へ通ずる。その三叉に立った茶店の前。したがって取手の本宿は右手奥になり、利根川は花道揚幕の奥からグッと半円を描いて舞台左手奥を流れいる気持。開幕前に幕内遠く本宿の町の方に当って多数の団扇太鼓の急速な囃、調子をつけて鳴り、それに合わせて多数老若男女の群集が走りながら叫び立つ。「エジャナイカ! エジャナイカ! エジャナイカ! ……」の声。遠い潮の音のように起り高まり、つぎに低くなり、やがてフッと消える。開幕。
 揚幕の奥はるかに「おーい、船が出えるうーだあーよううーい」と船頭の声がしてカンカンカンと木板を叩く音。揚幕を出て来る真壁の仙太郎とくらやみの長五郎。旅装束。二人とも廻し合羽、道中笠、一本刀。素足に草鞋。――仙太郎は四年の間にスッカリ人態が変ってしまい、以前から百姓には不似合いな程に綺麗だった顔が、引きしまり、横鬚に少しのぞいている刀の疵跡。しかしその鉄拵えの刀や身なり一体が歳にしてはひどくジミで、とりなしなども手堅く、普通の旅歩きの博徒とは少し違う。長五郎はそれこそ、生え抜きの博徒の様子。

長五 おい真壁の、そうまあ急ぐなってことよ。向う両国から右に切れようたあ[#「切れようたあ」は底本では「切れたようたあ」]訳が違わあ。いずれを見ても野っ原ばかりだ。足もにぶらあ。お蔦さんが今度こそあ仙さんを連れて来てといってたっけが、――おっと、禁句か。いやさ話がよ、チチチンと、あれ寝たという寝ぬという、とまあいった訳で、あーっ、俺は恋しいや、深川はやぐら下。へん、兄きあまるでこれから色にでも逢いに行くようだ。
仙太 のほうずな声を出すな。ハハ、色ならいいがな。くらやみ、利根を渡るのはこれで三度目だが、渡船の歩み板を一足ポンと此方へ降りりゃ、おいらのためにゃ仇ばかりよ。
長五 仇といやあ、よんべの姐やがのう、もう一日いてくれとホロリとしたときにゃ、俺も碇を降ろそうかと、へへへ……考えたもんだ。
仙太 とかなんとか、不景気故の空世辞をまに受けて、枕だこのできた飯盛りなんぞに鼻毛読ませの、ヨダレをくっているなんざあ、見られた図じゃねえ。まずおいて置け。
長五 しかし女は買わず酒は飲まずの渡世人というのも珍しかろうぜ。兄きあよっぽどの唐変木だ。こんな男にお蔦ともあろう女が首ったけとは、わからねえ話だ。男ひでりがしやあしめえし[#「しやあしめえし」は底本では「しゃあしめえし」]。へん、おうべらぼうな。下手をしていりゃ、お蔦さん追いかけて来そうだった。
仙太 お蔦のことあ口にしねえ約束だったぜ、長五。先は芸者だ。惚れたふりをするのが商売だ。いいや、もういってくれるな。俺あ唐変木だが、そしてお前が二本棒か。ハハハ。(二人歩く。遠くを望んで)ああ筑波が見える。(七三に)
長五 それじゃ兄き、お前どうあっても真壁に帰る気か?
仙太 くでえ。四年が間今日の日のことばかり待ち暮した俺だ。久しくあわねえ兄を捜した上で田畑を買い戻し、俺あ百姓になるのだ。
長五 一旦渡世に入った者が足を洗って商人や職人になるためしはあるが、百姓になろうとは酔興が過ぎらあ。幾度もいうようだがお笑い草だろうぜ。第一出来ねえ相談だ。
仙太 お笑い草になる積りだ。出来るか出来ねえか見ているがよい。俺あもともと百姓だ。
長五 その百姓になろうという奴が全体、三年も四年も何のためにヤットウを習って目録以上なんてぇとんでもねえ腕になった? 百姓に剣術が要るのか、兄きの前だが?
仙太 俺あ、その時々に自分のやることあ、トコトンまでやらねえと承知出来ねえ性分だ。それだけの話よ。
長五 アハハ、じゃまあやって見な。権兵衛が種蒔いて烏がほじくるってね。こんなテンヤワンヤのご時世が見えねえ訳でもあるめえに。ウンウン田畑を作る者がある。出来た物あソックリ取上げる者がある。二本差して懐手、ソックリ返った烏がな。(仙太返事をせずに下を向いている)まず権兵衛殿、阿呆面にクソでもひっかけられねえ用心でもしなよ、へへへ。
仙太 くらやみの、てめえ……。
長五 と、と! 凄え眼をするなよ。あやまった。物騒な男だ。口が過ぎた。
仙太 (寂しそうに)ハハハ、まあいい。ところで俺あ真壁に行く前にお礼に寄るところがある。利根の甚伍左親方。そして、翌日からスッパリとドスを捨てる。じゃあ此処でお別れだ。てめえ何方へ行くんだ?
長五 待ってくれ。(懐中からサイを出してひねり)半と出りゃ鹿島、丁と出りゃ筑波の賭場だ。一遍こっきり。よっ! (サイを投上げ受けて掌を開き)筑波と出たよ。
仙太 相変らずだなあ。だが長五、先刻もいう通り、どこへ行くにしても、北条の喜平の息のかかっている親方衆の所で草鞋を脱ぐのだけはよしにしてくんなよ。こいつはいままでの兄弟分のよしみに免じて俺の頼みを聞いてくれ。
長五 合点だ。筑波にゃ仏の滝次郎、いい顔の貸元で、つき合いの日は浅えが妙な縁で江戸で呑み分けの兄き分がいるから、どうせそこに転げ込むんだ。だが、このままあっけなく別れるというのも何だから、その辺で一杯どうだろう。
仙太 そうよなあ、一度別れりゃまたいつといってあえねえ。お前を相手じゃ意地も張れめえ。(二人連立って本舞台へ。――茶店の前へ出て)おお丁度おあつらえ向きだ。ごめんよ。
長五 おい、休まして貰うぜ。なんだ、誰もいねえのか。おい! (いっているところへ、本宿の方の騒音急に激しくなり、エジャナイカの声々が潮のように起る)何だありゃ?
仙太 フフン、こんな所にも流行って来たのか。江戸を出る時も千住あたりでエジャナイカ、エジャナイカであちこち叩きこわしが始まっていたが。
長五 何でも米屋と質屋が一番先きに叩きこわされるというのだから、米も金もなくなって食うに困った連中のやることだ。ウンとやるがいいや。ついでに知行取りの士屋敷や奉行所、公方様の米倉あたりまで押せば[#「押せば」は底本では「伸せば」]いいに。
仙太 こらえ切れなくなった町人百姓の尾も頭もねえ八つ当りだ、どう転んだとてそこまでは行きはしねえ。情けねえ話だ。御大老が斬られるわ、あっちでもこっちでも強盗火つけ、押しがりゆすり、人殺し辻斬りと、全体末はどうなるのかなあ?
長五 そいつは八卦見にでも聞くがいいや。世間の抜道をはすに歩く俺のような渡世人にゃ、この世の中がどうなろうと知ったことかい。ホイ、酒だ。おい、ごめんねえよ! いねえのか、誰も? おい!
爺の声 はいはい(出てくる)はい、何ぞ御用で?
長五 茶店の者が人が来たのに何の用もないもんだぜ。ハハ、早いとこ、一本つけてくんなせえ。
爺 それはもう何でがすけど、今日はもうご勘弁なせまし、へい。
長五 何か、もう売切れたのかい?
爺 いえ、もうこれぎりで店をしまおうと火を落してしめえましたので。なんしろ、お聞きの通りのエジャナイカ騒ぎで本宿辺は散々にぶちこわしが始まっていると申しますし、それに何でも噂では百姓一揆が此処を通るんだとかで、あれやこれや、ボンヤリ店を開いていて傍杖でも喰うた日にはたまりましねしね……[#「たまりましねしね……」は底本では「たまりましてね……」]
仙太 百姓一揆がね、フーム……。
長五 詰らねえトバッチリを喰うもんだ。じゃ冷やでいいから持って来てくんな。
爺 それも、どうか勘弁して貰いてえで。わしあ、はあ、此処をたたんで、内へじき帰りますで。
長五 馬鹿を言うねえ。街道に向いて店を張っての渡世をしていりゃ半分は通行人の店だ。持って来な。只飲もうというんじゃ無え。来いといったら持って来ねえか!
仙太 長五、てめえまた、素人衆に喧嘩売る気か? 爺さん、こんな男だ、悪気はねえ。これで(と小粒を爺に渡して)冷やでいい、一升だけ徳利のままと、茶椀を一つ、それだけソックリ譲って貰おう。そして俺らはこの縁台の端を貸して貰って勝手に休まして貰うから、お前さんは帰るなりと何なりとしておくんなせえ。
爺 へい、へえ、こんなに沢山いただいちゃ……。じゃまあ。おっしゃる通りに……(内に入る)
長五 現金な野郎だ。珍しいなあ、お前飲むのか、兄き?
仙太 お別れだ。
爺 (徳利と茶椀を持って来て縁台の上におき)これにおきますよ。盛りはタップリで。わしはこれで行きやすから。(奥へ引込む)
長五 糞でも喰え。オット、ありがてえ、さ、上げな。(仙太郎に酌をする。仙太黙ってグッと飲み長五に差す)すまねえ。
仙太 (酌をしてやって)いつもいう通り商人百姓、素人衆をもっと大事にしろ。それから、……身体を大切にしろ。
長五 ……俺あどうせ上州無宿くらやみの長五、あちこちの賭場の塵の中に、命を投出した男だ。兄きこそ、達者で暮してくれ。オット(グイグイ飲む)……しかしお前程の男を、惜しいなあ……。
(二人シンミリしてしまって、永い間然って飲む。仙太はいい加減に茶椀を長五に渡してしまい、また急にはげしく聞えて来はじめたエジャナイカのどよめきに耳を傾けるようにして黙っている――間)
(六尺棒をかい込んだ番太、左より走り出て来て、奥の町の方へバタバタと駆け抜けようとし二人をヒョイと見てギックリ立止る……)
番太 ……な、な、何だ、お前達は?
長五 ……(ジロジロ見て暫く黙っていた後で)……何だって? ハハ、だいぶ騒々しいね、町の方は? 叩きこわしが始まるんですかい?
番太 き、貴様は何だと聞いているのだ!
長五 ご覧の通り、旅をかけている人間だがね。ま、一杯どうだい? こうなると町方衆も楽じゃねえね、エジャナイカの上に何でも此処を一揆が通るんだって?
番太 そうだ! 植木村のほか三ヵ村の百姓共三、四百人、まるで腹の減った狼同然の奴等、竹槍、ムシロ旗で押通るのよ。まるで餓鬼の行列じゃからどんなことをするか。貴様達もこの辺でウロウロしていない方が身のためだぞ。早く行け! (いい放ったまま奥へ駆け込む)
長五 ペッ、何を言ってやがる!(飲む)
仙太 植木村ほか三ヵ村。甚伍左親方のお住いがたしか……。(間)
長五 くどいようだが、兄き、どうあっても村へ帰らにゃならねえのか?
仙太 お前から見れば馬鹿々々しくも思えよう。が、いつかもいった通り、そもそもの俺が無職に入ったのが、兄が叩き放しにあってからのことだ。第一がこんな世の中が癪にさわってならねえムシャクシャ腹だ。士や旗本商人はいうもさらなり、あのときあ同じ百姓共が兄の難儀を見て見ぬ振りをしているのだ。俺あガッカリもしたし、同じ百姓を一番憎がったものだ。しかし俺あやっぱり百姓の子だ、足を洗って何になるかといやあ、百姓になるのだ。ウム。……第二には、お恥ずかしい話だが、兄の田地を取戻すための二十両の金を拵えるためだ。あのとき利根の親方から恵んで貰つた一両の金で何か商売でもと色々にしたっけが、いまどき二年や三年が間に十両の金でも儲けられようという商売なんぞありはしねえ。ヌスットをしなきゃ、ピンコロで稼ぐ外に途あなかった。でやっとのことで二十両、どうにか拵えて、こうしてそれを持って帰る俺だが、くらやみ、こんなことをいえばお前ふき出すかも知れねえが、俺あもともとバクチは身顫いの出る程嫌いなのだ。
長五 本所から深川、方々のお邸の部屋々々へかけて壷を握らせりゃまず並ぶ者のねえというお前がバクチが嫌いだという。だが一度無職の飯を食った者がまた田の中へ這いずり廻ろうとしてもできる相談じゃなかろうぜ。それよりも、兄きも言ったムシャクシャ腹、世の中をハスッカイにシャシャリ歩いて、癪に障る奴等にツバぁ吐きかけながら渡るのが、分別だろうぜ。ご時世が変るだの何だのと方々でワイワイ騒いでこそいるが、どうせどっちに転んだとて所詮が、二本差した奴か物持ちの奴等の話だ。壷を取るのが狼になるか虎になるか、それだけのことよ。糞面白くもありはしねえ、勝手にしろさ。
仙太 まだいうのか、長五?
長五 何度でもいうぞ。お前は阿呆だ。夢を見ている阿呆だ。先程はお前に睨まれてギックリしたが、今度あ怖くはねえ。
仙太 (立上りかけるがフと自ら顧みて)ウム……くらやみ、もうお前、行ってくれ。(下を向く)
長五 (いいつのる)そうだろうが! 世の中が立直しがあるとか何とかで変にゴタゴタとグレハマに[#「グレハマに」は底本では「グチハマに」]騒ぎ出したなあ今日や昨日のことじゃ無え。方々で飢饉凶作、打ちつづいて、食えねえ人間がウヨウヨしているのも、五年や十年のことじゃねえぜ。下々の民百姓によく響いて来るものならば、もうトックの昔に響いて来ている筈だ。それがどうだ! おおそれ、遠いところを捜すことあねえ。今聞えて来るエジャナイカの叩きこわしは何のための騒ぎだい? 此処を通るという一揆だ! みんな虫のせいやかんのせいで冗談半分にやっていることなのか? 大違えのコンコンチキだろうて! みんな民百姓下々の食えねえ苦しまぎれのなすわざだ。真壁の、それを……。
仙太 (急に立って[#「急に立って」は底本では「束に立って」])ええい、まだいうのか! こ、こ、この(思わず左の手が腰に行っている。一足パッと飛下って仙太を睨んで立つ長五郎。……間……ヒョイと自分が何をしようとしていたかに気づく仙太、気を変えて傍を見るが、胸中の欝屈のはけ口を見出し得ない焦立たしさに、黙って茶店の前を彼方へ歩き此方へ歩きはじめる)
(花道より袋をかつぎ、手拭で頬被り、すそをはし折ったお妙出る。その前後を取巻き、すがりついて互いに手を引き合った八人の男女の子供達――餓え疲れて眼ばかりキョトキョトさせ、はだしだ。中に割に身体の大きい男の子二人は竹槍を杖に突いている。その後に幼児を負った女房二人――これは餓えと疲れの上に極度の不安のために気も遠くなったらしい様子で、ボンヤリ無言で、フラフラついて来る)
子供一 やあ、町が見えら!
子供二 取手の町だんで! 父ちゃん兄ちゃんが待っとるぞ!
子供三 父うにあったら、おら、おまんまば食わしてもらうのじゃ! そいから、江戸へ行くんじゃ! な、嬢様!
(お妙、そういう子供三の顔を見ていたが、フイと横を向いて黙ってスタスタ行く。子供等、女房達もそれを追って、一同七三に立つ)
子供一 嬢様、おら達はなぜん、川を向うへ渡らねえのだえ?
お妙 それはね、どうせ利根を渡らねばお江戸へは行けないけれど、新ちゃんのいったようにこの取手で父ちゃんや兄ちゃん、村を出て向うを廻って皆さんと一緒になってから渡ります。さ、早く行こうね! (女房を顧みて)お滝さん、しつかりなすってくんなんせよ。
女房一(喘いでいる)……嬢様、わしあ、はあ、もうおいねえ……はあ腹あ空いて……。
子供二 おらも腹あ空いて、おいねえなあ!
子供四 足がガタクリ、ガタクリすっで俺あ!
子供五 おらの目、どうかしたて。田んぼや木なんどが見えたり見えなんだりするのだぞ。
お妙 困ったねえ。(袋をおろして中を手さぐる)お芋も、もうねえものを。ホントに……。
子供六 ワーン(手離しで泣き出す。それにつれて八人の子供の中六人までが泣き出してしまう)ひだりいてや! ワーン。
お妙 かにして、よ! 泣くのは、かにして、どうしたらいいのだろう? 私だっても、私だっても……(羞ずかしいやつれた顔がベソをかきかけている。途方にくれて一同を見渡していた末、自分までが引入れられてはいけないとキッと気を取直して)……いいえ、泣く子は此処に置いて行きます! お江戸までも行って、お願いをせねばならぬ者が、お腹が空いたくらいで泣くほどなれば、置いてきぼりになって死んだがよい! さ、早く行きましょう! 行くべ、さ! (構わず歩き出して、本舞台の方へ。一同も仕方なくシャックリ上げたりしながらも泣声だけは止めて、ゾロゾロそれについて行く。茶店の横を折れて町の方へ行きかける。――先程から一行の様子を無言で見ていた長五郎と仙太)
長五 (ツカツカ前へ出て)チョイと待った。お前さん方どこへ行きなさるんだ?
(ギックリして立止るお妙等。マジマジ二人を見詰めていた後、ジリッと身を引いて無言で再び行きかける)
長五 聞こえないのか、待ちなといっているのに。
仙太 長五、てめえ……!
長五 そうじゃねえてば、怪我でもあっちゃと案じるからだ。姐さん方、町へ入っちゃいけねえ。
お妙 ……お役人様でござりますか?
長五 なによっ? 俺達がけえ? 冗談いっちゃいけませんよ、大概なりを見てもわかりそうなもんだ。
お妙 それなればここを通して下せまし。町に用事があります。
長五 わかっていまさ、先刻から見ていりゃ、一揆の連れの衆らしいが、あの町の騒ぎが聞こえねえ訳じゃあるめえ、丁度ワイワイ連中のぶちこわしの最中にぶっつかって、お前等の連れの百姓衆まで一緒に巻き込まれた様子だ。それに町方あたりでも手を出したらしいて。あの騒ぎの中に割って入りゃ、見りゃ子供衆で、ひどい怪我をするのは知れたこと、悪くすれば踏殺される。
お妙 色々ご存じのようですから、おかくしはしませぬ。何処のお方か存じませぬが、私共は南の方植木村ほか三村の者、この町で他の村の衆と一緒になって江戸へお願いにあがるのでござります。私達が早く行かなければ皆様が此処から立てぬようなしめし合わせになっておりまする。どんな苦しみ怪我を受けるくらい、たとえ踏殺されても、それは村を出る時からの覚悟、三百人の中、百人二百人と殺されても、江戸までは行きまする。
長五 (呆れてしまい暫く無言で相手を見ていた後で急に笑い出す)アハハハ、いや、まだ十八か十九、取ってはたちとはなんなさるまいが、綺麗な顔をしている癖に恐しい事をいいなさる。しかしそいつは短気というものだ。江戸へ願いに行くというのも、どうせ百姓衆のことだから石代貢租のことだろうが、それにしてからが、ウヌが命が惜しいからだ。
お妙 ……村にいても食べて行けませぬ。一寸刻みに殺されているのでございます。覚悟はチャンとしておりますること故、黙って通してくだせまし。
長五 ……ウーム。そうか。じゃ、ま、何もいわねえ、お行きなせえ。(お妙等一同ゾロゾロ町の方へ去り行く。見送っている長五。見ると仙太郎は縁台の横の地面へ膝を突いて、片手を突き、下を向いている)……驚いたなあ、百姓の娘でも、ああなるのか。顔も恐しい別嬪だが、ゾッとするようなキップだ、のう兄き……。どうしたんだ、坐りこんじまって? どうした、気合いでも悪いのか?
仙太 ……ウム。……長五、見ろ。
長五 何だえ?
仙太 俺あ、うれしくって、ありがたくって、ならねぇんだ。あれが百姓だぞ! あれが百姓だ! 俺あ久しぶりに、ホントに久しぶりに涙が出て来た。
長五 なあんだ、ビックリさせちゃいけねえ。だとて何も後姿を拝むことあ、ありはしねえ。
仙太 女子供でもあの通りだ。百姓だとていつまでも下ばかり向いてはいねえ。
長五 実は今の娘に一目惚れというのだろう。悪くねえ、うん。アハハハ。
仙太 まだいうか!
長五 ウヌがシッポに火がつけば、犬にしたって狂い廻って駆け出さあ。何も感ずっちまうことあねえ。オット、いいや、百姓衆の事を犬だといったんじゃねえ、物のたとえがさ。
仙太 ならば下らねえアゴタを叩いていねえで、筑波へなりと鹿島へなりと早く消えてなくなれ。(と自分は草鞋を締直し、刀の下緒をはずし、たすきにしかける)
長五 それで、兄きは、また……?
仙太 知れた事だ。蔭ながら一揆の後立をしてやるのだ。(と茶店の内外を出入りして棒切れでもないかと捜す)
長五 そいつは面白え! (とこれも捜しまわる)
(その間に花道より急ぎ足に出てくる佐貫の半助及び子分三人。半助は十手を腰に差し、四人とも結束した出入り仕度で向う鉢巻。……七三)
子分一 親方、昨日植木を出た別手の奴等が利根を渡らねえでこの道をとって宿に入ったというが。
子分二 これまであわねえというのは変な話だ。
子分三 それじゃ向うで道を変えたかな。
半助 じゃあるめえよ、俺達の方が先手せんてになったのだ。どうせこの宿に入って来るのだ。まあいいや。
子分一 早く出っくわしてえものだ。
半助 それがいけねえ。今日の出場でばはただの出入りじゃねえ。元来なれば利根を渡って縄張り違えなこの辺の百姓一揆なんどに引張出されるのは少し筋の違った話だが、水戸の天狗があばれ出すのなんのと噂のあるご時世だ、八州様お声がかりとあって、代官お手代役浜野様のいいつけで弥造の方から話がありゃ、まさかに懐手して佐貫の方から眺めてもおれねえ。これも渡世のわずらいだ。その辺に網を張っていて一揆の奴等がやって来たら、たかが百姓、チョイチョイと叩きなぐつて足腰を折っぺしょってもと来た方へポイ返してやるまでよ。その積りでいろ。
子分二 へい、合点だ。行きやしょう。ホー、えらい騒ぎだ。(四人本舞台へ。子分二が道の三方を見込んだ末)この辺で?
半助 よかろう(四人が立ちはだかる。それをジロジロ見ている長五と仙太。四人の方でも気づいて睨んでいる。半助が子分一に無言で二人に顎をしゃくる)
子分一 (二人に)おい、お前達あ何だ?
(仙太と長五返事をせぬ)
子分二 おい、何だといっているんだ? (二人返事をせぬ)……この辺に見かけねえ面だが、今日出張でばりの外手ほかでの者じゃ無さそうだ。何だ?
子分三 旅人らしいや。なあおい?
仙太 へい。今日のところ、お見こぼしなすって。
半助 ウロウロしていねえで怪我のねえうちに行きな。
長五 へへへ。
半助 それとも、まさか上林の弥造どんのかかりうど衆じゃあるめえ?
仙太 へえ? 上林の弥造?
半助 今日は弥造どんが捕親とりおやだ。そいでお前さん方もけに出たというのででも……?
仙太 え! そいじゃ、お前さんは?
子分二 手前達、モグリだな。北条の喜平身内、上林の弥造貸元の飲分けの弟分で佐貫の半助親方を知らねえような奴あ、この辺じゃモグリだぞ。
長五 さてはお前が半助か。どうりで、ニョロニョロした面あしていやがる。ご冗談、モグリはそっちだろう、アハハハ。(この罵言に四人呆れかえり、次に子分達怒声を発して長五に襲いかかろうとする)
仙太 おう、待ちな! (とピタリと縁台の端に片手をかけて小腰をかがめ)ごめんねえ。佐貫の半助親方とわかりゃ、往来中で失礼さんだがご挨拶がしてえ。
半助 挨拶だ? フン、いくら利根を此方へ越したからって、佐貫の半助、てめえちみてえなどこの馬の骨とも知れねえ旅烏の冷飯食いの口上を受ける義理はねえ。生意気なことを並べていねえで、足元の明るいうちにサッと消えろ。
長五 なにをっ! この石垣ヅラめ!
仙太 待て。いや、そっちに義理があろうとなかろうと、弥造の兄弟分と聞いちゃ素通りならねえのだ。ま、控えて下せえ。あっしゃ仰せの通り渡世に入って日の浅え冷飯食いで、はばかりながら生まれは御当地、当時……。
半助 やい、やい、やい! いい加減にしろい、佐貫の半助を前に置いて、名も戒名もねえ三ン下奴の手前等が、相対あいたい仁義もすさまじいや。たってとありゃ川を渡って佐貫の方へ這いつくばってやって来い、草鞋銭の百もくれてやらあ。
仙太 その佐貫の半助に少しばかりいいてえことがあるんだ!
半助 何を! 何だと?
(そこへバタバタと町の方から走ってくる町方手先。走り過ぎようとして半助等を認める)
手先 おお、佐貫の親方衆じゃありませんか!
子分一 町方の衆だね。どうしなすった?
手先 丁度いいところであった。いや、どうもこうも、本宿筋から通りへかけて、まるでゴッタ返しているのだ。叩きこわしの奴等と植木村の百姓が丁度一緒くたになりやがって、米屋から質屋、目ぼしい商売店を片っぱしから、ぶちこわして、段々此方へ押して来ているのだ。町方からお手代配下御出役、その上に火消しまで出張って、せきにかかっているが止ることじゃない。お前さん方も早く加勢に来てくれろ。実あ本宿手前の土橋をさ……たしか此処からも見える筈……(右奥へ行き遠くを指して)ほら、あれだ。あの橋を落して、夢中になって後から後からと押して来る奴等を、いやおうなしに川へはめちまおうというので、火消しの連中と弥造さんの手の人とが引落しにかかっているが、まだ落ちねえ。早く加勢に来てくれ!
半助 よし! それ行け!
仙太 (前に立ちふさがる)待った! いいてえことがあるというのは此処のことだ。弥造の兄弟分で一揆を川へ落そうとするからにゃ、ことあ念が入ってらあ。そこを動くと踊りをおどらせるぞ!
半助 退けっ!
(トタンに右奥遠くでドドドと土橋が水へ落ちる音。それに混って多勢の叫声、悲鳴。エエジャナイカの騒音。長五と子分三と手先が「オッ落ちた」といってその方を見る)
半助 それ、此奴等を眠らしちまって駆けつけろ!
(半助はじめ四人ドスを引っこ抜いて二人に突いてかかる)
長五 (殆ど冗談半分に)そら、突け、やれ突け! (子分二と三のドスを三、四合引っぱずして置いて持っている棒で相手の頸の辺をなぐりつける)そっちじゃ無えぞ! (その間に仙太は半助と子分一の刀をかわし、身を引くトタンに持っている棒を二人の足元目がけてバッと投げると、それがきまって半助が前へ突んのめってしまい、子分一はよろめいてストストと前へよろけ、茶店の屋台に頭をぶっつけて目をまわす。手先はドンドン逃げ出して行く)
仙太 口程にもねえ奴等だ。
長五 水でも喰らえ! (と子分二を締上げながら右の方へ押して行き、突飛ばすと茶店の斜裏が川になっているらしく、ドブーンの水音と子分二の悲鳴。仙太も黙って子分一の首を掴んで引きずって行き、川へ叩き込む。その隙を見て半助と子分三は刀を拾って町の方へ逃げ出して行く。長五戻って来て、それを見送る)喧嘩となりゃ江戸で鍛えたあんさんでえ、この辺の泥っ臭え奴等に負けてたま……お、居ねえ、弱いのも弱えが、逃足も早い。アハハハ、いい気持だ。見ろ、あにき、半助親方ドスを担いで逃げて行かあ。
仙太 (右奥を眺めやりつつ)ウーム。
長五 どうした? 何だ? よく唸る男だぜ。(自分もそっちへ行き眺める)ほう、あれ、あれ! 後から後からと川へ落ちてら。(水音。人々の騒音)何てまあ馬鹿な百姓共だ。後から押されて押されるままにゾロゾロ川へ落ちる奴があるか! お! あれ! しかし無理もねえ、両側はビッシリ家並で、後から押す奴は橋が落ちたことあ知らねえのだ。
仙太 (思わず大声で叫ぶ)おーい、いけねえ。橋が落ちているんだ。押しちゃいけねえ!
長五 すぐ鼻の先で怒鳴っても聞こえねえのが此処から聞こえるもんけえ! (いわれて気づき仙太黙る。呆然として眺めている。……間。奥の騒ぎ声。水音。……間)
長五 ……兄き、見ろ。兄きは先刻、これが百姓だ! といった。ところが、あれも百姓だ! 馬鹿な! 阿呆でフヌケで、先に立っている自分達の仲間が川へドンドン落ちているのもご存じねえで、ただ押しゃいいと思っている。手も無く豚だ! あれが百姓さ! フン、俺も百姓になるんだなんぞと無駄な力こぶを入れるのは止しな。
仙太 うぬっ! (いいざま刀に手をかけ腰をひねる)
長五 (飛びのき)オット、またけえ? アハハハ、のぼせるなよ、兄き。じゃ、あばよ。俺あこの辺で消えた方がよさそうだ。達者でいねえ。そうと気がついたら当分俺は筑波の賭場だ、待っているからやって来ねえ。(ドンドン左手へ行ってしまう)
(仙太それをボンヤリ見送っていた末、近づいて来る騒ぎの音に、再び橋の方向を振返って見て、やにわに町の方へ駆け出して行きかける。その鼻先へ殆どブツカリそうに町の方から四五人の手先に追われて悲鳴を上げて逃げて来る前出の女房達と子供等、前にいなかった女や子供も四、五人いる。お妙は頬被りをむしり取られ髪を乱しながら子供達をかばいつつ)
手先 待たんかっ!
仙太 お! 先刻の衆だな、よし! (と女子供をかばって手先等に向って大手をひろげる)何をしやがる! 女子供、足弱に対して変な真似をすりゃ、俺が相手だっ!
手先一 狼藉者お召取りだっ! 退けっ!
手先二 (これは先刻此処から逃げて行った手先である)いけない、こりゃ先程の乱暴者だ。強いぞ!
仙太 橋を切落して罪とがもねえ民百姓を川へ追落して置きながら、人の事を狼藉呼ばわりをして、よくまあ口がタテに裂けねえことだ! 手を引かねえかっ! (ワッと叫んで手先達の手元へ飛込んで行きそうにする。手先等ギョッとして一、二歩退る)……だが俺だとて無駄な殺生したくはねえ。手を引きな。たってとあれば相手になる。これを見てからにしろ! (いいざま刀をスッと抜いて、ムッ! と叫んで、傍に立っている茶店の表の角柱の荒削り三寸角ばかりの奴をズバッと切る。グラグラグラと茶店の屋根が傾く。たまらなくなってワーッといって元来た方へ逃げ去って行く手先等)チェッ!(お妙等に)さ、早く逃げなせえ。
お妙 どなた様だか存じませんが、危いところをお助けくだすって!
仙太 そのお礼にゃ及ばねえ。こうなれば一揆もまず望みはねえ、此処まで出て来たあんた方も口惜しかろうが、はたで見ていた俺も口惜しい。が仕方がねえ、村へ帰ってまた時節を待つのだ。
お妙 はい、ありがとうござります。私どもは植木村の者でございますが、このご恩は死んでも忘れることじゃございません。
仙太 それは先程も聞きましたが、植木村というのは、私にも縁のねえところじゃねえので尚のことだ。お話では村でも食うに困るとのことだが、これから帰ってどうしなさるんだ?
お妙 はい、……(自分のすそにすがりついている子供等を見廻して途方にくれる)これだけの子達は、親兄弟が死んだり欠所けっしょになったり所払いの仕置きを受けたりしたために、私の家へ自然に引取って養っていて、いまでは私一人を頼りに生きて来た者ですけんど、私のうちにも食べる物としてはなし、どうしようかと存じます……。
仙太 そいつは飛んだ話だが、待ちなせえ……(懐中を探って、汚ない胴巻を出しかけて、暫くジット考えていたあげく)ええい、うん。さ、こりゃ少ねえが取って置いて、皆の食ブチにして、暫くのつなぎでもつけてくんなせえ。(お妙に渡す。お妙は面喰ってモジモジしている)たんとはねえ、二十両ばかりだ。さ!
お妙 いえ、そんな大金を見ず知らずの……
仙太 何をいうのだ早くなせえ、また奴等が追って来ると面倒だ。さあ、名をいわなきゃ受取らねえとあれば、私は仙太郎というナラズもんだ。そしてもし植木の辺に仙右衛門という五十ぐらいになる百姓のなれの果てが迷い込んでひもじがっていたら、握飯の一つも食わしてやって下さりゃ満足だ。そいつが私の兄でね、実は兄きを助けてやりたいばっかりに……いや、これは此方の話だ。お前さん方を見ていたら、兄き一人を助けるのなんのとヤッキとなっていた自分の了見が馬鹿らしくなった。さ、グズグズせずに、早く行ったり!
お妙 ……はい、それでは、仙太郎様とやら、これは黙って頂戴いたします。この子達が大きくなったら、あなた様のことを忘れないでございましょう。ありがとう存じます。そして私の名前はお妙と申しまして、植木村の……。
仙太 おっと、それは聞かねえでも沢山だ。また通りかかったら寄りましょう。早くしなせえ。
お妙 ありがとう存じます。では(子供等も女房等も仙太に礼をして、中には手を合わせて拝んだりする女房もいて、ゾロゾロと花道の方へ行きかける)
仙太 おお、チョイと。聞くのを忘れていたっけが、植木にはたしか甚伍左様という親方がおいでだが、お達者ですかい? ご存じありませんかね?
お妙 え! それでは私の父親のことをご存じでござりますか? いいえ、私はその甚伍左の一人娘の妙と申します。
仙太 何だと、お前さんが! そ、そ、そうか。甚伍左様の娘さんでお妙さんだと。ウーム。
お妙 父が無事で村にいてくれたら、こんな苦労はいたしませぬ。
仙太 えっ! それじゃ、親方はどうにか?
お妙 父はふだんから村の小前の者達の暮しの苦しいのを何とかしなければならないとかで、大方内を外にして、あっちこっちと出歩いていましたが、丁度二年前、いつもの通り父は留守、私一人が留守居していますところへ、江戸の何とか奉行様支配与力とかの衆が出向かれまして、父が何でも水戸様の御浪人方と通じてムホンを起しそうにしているところをお召捕りになったとか、八州様から追込みにあっているとか、……それで少しばかりありました田地田畑すっかり、家屋敷だけを残して御欠所になったといい渡されました。それ以来、父は生きたか死んだか未だに行方知れず、私一人で家財道具を売食いして今日までこの子達を相手にして……(こらえ切れず泣く。女房達と子供等の中にも泣きはじめた者がいる)
仙太 ウーム、そうですかい……。
(間)
仙太 (バリバリと歯を食いしばって)よし! じゃ、とにかく早く植木に帰って待っていてくだせえ。そうとわかればご遠慮はいらねえ。真壁の仙太郎、ご覧の通りヤクザだが、甚伍左様のためにゃ忘れ切れねえご恩になったことがあります。それもあり、これもある! 自分一人が百姓になっていい気になるなんどのケチな了見はフッツリとやめた。じゃ、お嬢さん大急ぎで村へ帰って、そして落ついて三日と経たず俺が行くのを待っていてくだせえ。さ、早く!
お妙 それでは、仙太郎様、これで……。
仙太 じゃまた、へい(と近くの男の子の頭をなでて)おいみんな、大きくなって、立派な百姓になれよ。あばよ。(お妙等一同、ゾロゾロ花道へ。途中で何度も振返り、小腰をかがめて礼しながら揚幕の中へ消える)
(花道の袖にジッと立って見送り、考え込む仙太)
(先程、長五郎と仙太に川へ叩き込まれた子分二と三が、ズブ濡れ泥だらけになって顫えながら茶店の裏から上がって来て、その辺をグルグル駆け廻ってわめく、子分二が眼に泥が入って向うが見えないので、切落された柱にぶつかる。そこへ三もまたぶつかる)
子分二 やい! やい! ウーン、俺を誰だと思う……(しり餅を突いてアブアブやっている)
仙太 (鞘を納めるのをいままで忘れてさげていた刀にヒョイと気づき、ズット刀身を見ていた後、ビューと一振り振って、パチリ鞘に納め、揚幕の方を見込み)さ、筑波の賭場だ。ム。(振返って遠くを望み)山へかかって丁度六つか。おーい、長五郎! 待ってくれーい! 長五! おーい!(と叫びながら、長五の去った左手の道へ小走りに去る)
(道具廻る)
[#改段]

3 十三塚峠近くの台地

 夜更けの山中の静けさ。
 木立や岩などで取囲まれた台地の奥は深い谷と暗い空に開いている。花道に筑波女体から十三塚峠に達する尾根伝いの山道。正面やや左手に[#「正面やや左手に」は底本では「正面や左手に」]打捨てられた炭焼竈の跡。
 揚幕の奥遠くはるかに筑波神社の刻の太鼓の音ドー・ドー・ドーと遠波のように響く。夜鳥の声。梢を渡る風の音。猿の鳴声。
 間――。
 右手隅に立っている木立の幹や梢に斜め下の方からボーッと丸い明りが差し、次第に強くなる。(峠の方から登って来る人の手に持たれた龕燈がんどうの光)ガサガサと人の足音。

声 ……(中音に吟じながら)君不見漢家山東二百州、千村万落生刑杞、縦健婦耕犂クワ滝畝ロウボウ東西……。まっと、のしなはい、今井君。提灯持ちが後から来たんじゃ、問題にならん。地図どころか第一、羅針盤の針が見えんですぞ! (といいながら出て来て、下からの光の輪の中に立ち、手に持った地図を覗いている士は、身装こそ少し変っているが、第一場に出て来た加多源次郎である)
声 ひどいですなあこの道、加多さん! これで五斤砲が通りますかなあ!
加多 砲といえばいつまでも五斤がとこの物だと思うていられるのか? 青銅元込めで二十斤五台ぐらいは引つぱり上げる予定ですぞ。出来ているのです。ハハハ、野戦の法に、道は尺を以て足れりとしてある。通りかねるのはあんたの足だろう。弱過ぎるのだ。
今井 (フーフーいいながら龕燈を提げて出て来る。旅装の士)いやあどうも。これでも馴れれば楽になるでしょうが。
加多 (光の中で地図を覗いている)ええと、これだとすれば、この見当として北西北。……ウム。(仰いで)星は? 見えぬか。いや見える。天頂より未申ひつじさる、稍々とりに寄るフン……と? よし、これだな。今井君、そこの岩に登って下さい。たしかこの辺から真壁の町の燈が見える筈だ。
今井 (岩に登って)こうですか? この方角ですか? おお、見える! 殆ど真下です。
加多 それではその真壁のあかりを正面に見ながら両肩を向けて左腕を正しく横に上げて下さい。そう。それでいいかな? 正しい? よし、(と今井の左腕の方向と地図と盤とを見較べている)……。
今井 (そのままの姿勢で)玉造文武館の諸兄は昨日のうまの刻頃進発したのですから、既にいまごろは岩瀬から真壁近在に来ている訳ですなあ? (加多が返事をしないので)……行われずんばだんあるのみと言っていたが、別に火も見えないし。……此処から見下せば平和に眠った町だ。
加多 (地図の研究を終り、今井の言葉尻を小耳に入れて)なに、平和?
今井 いいえ、此処から見れば、そう見えるというのです。もうよろしいか?
加多 ご苦労、もうよい。(今井岩を降りる)そうだ。実は動いている。それを動いていると見るのも動いていないと見るのも距離一つです。幕府の醜吏には醜吏としての距離がある。薩賊会奸には薩賊会奸としての距離がある。
今井 そうです! ところで路はわかりましたか?
加多 わかった。この線がこの路だ。正確なので驚いている。
今井 地図を引いたというその老人はいまどこにいられるんですか?
加多 ああ君はまだだったか。目下、兵藤氏と共に長州の真木和泉のところへ使いに行っている。自ら称して一介の遊侠の徒に過ぎずとしているが胆略ともに実に底の知れない、えらい男です。この地図の様子では洋学の智識などもかなり深いらしい。おっつけ戻る頃だ。
今井 (眼を輝かして)戻って来られれば、いよいよ……?
加多 そんなところだろう。昨年幕府発表の攘夷期五月十日も明らかに空手形に終るはじょうだし。薩賊会奸何んするものぞ、田丸先生もそういっていられた。待てば待つだけ奴等は小策を弄するだけの話。それに中川ノ宮以下の長袖と組んでいる。蔵田氏などの考えも最後の目的は公武合体ではあろうが、当面尊攘を目標とする限り、一日待てば一日の後手ごてになるのは明白。拙者は自重派には不賛成だな。これでは長州、因州の起つのを待っているのではないか! 筒井順慶が轍じゃ! すでに長州には福原越後が兵を率いて動くと約しているし、久坂義助、桂、佐久間克三郎等あり、因州に八木良蔵、沖剛介、千葉重太郎等が共に立つといえば――。
今井 東西呼応して立つ! 痛快だなあ、ムム! 諸先輩は余り慎重過ぎるなあ! (昂奮してジレジレする)
加多 アハハハ、閑話休題、筑波へ論じに来たのではない。地の理を、踏査に来たのだ。行こう。したが此処まで来ればそれも済んだも同然。少し休んで行くか。いや寒い! 焚火をしよう。(落ちている枯葉枯木を集め、懐中から油紙に巻いたマッチを取出し、火をつける)もう少し集めてください。
今井 (集めにかかりつつ)でも大丈夫ですか?
加多 何が? なあに、構わんコッソリ歩いてもオオッピラに歩いても隠密などというものはどうせ犬のようについて来るのだ。もうすでにそんな時期でない。(焚火が燃え上る)ハハハ唸っているじゃないか。幸いにして未だ存す腰間父祖の剣。
今井 (先程から身内の血が湧き立ってジリジリしていたのだが、加多の今の言葉に煽られて耐えられなくなり、龕燈を投げるように下に置いて、いきなり大刀をスラリと抜いて舞いはじめる。怒鳴るように吟じつつ。加多は一度ニッコリしてから、黙ってそれを見ている)……ウムッ! 天地正大気。粋然鍾神州、エイッ! 秀為富士嶽。巍々聳千秋。注為大瀛水。洋々環八州。発為万朶桜。衆芳難与儔。凝為百錬鉄。鋭利可断※(「鶩」の「鳥」に代えて「金」、第3水準1-93-30)。蓋臣皆熊罷。武夫尽好仇。神州誰君臨。万古仰天皇。皇風洽六合。オオッ! 明徳……(遠くの山中で人の叫び声らしきもの別々に二ヵ所で起り消える。今井はそれに気づかず尚舞う)
加多 (立ち上って耳を澄して)……今井君、止めたまえ。
今井 は? (加多が何故にとどめるかわからず、余勢でまた刀を振っている)何ですか?
(チョットした間。――再び以前よりは近いところ――といってもまだそれが人の声であることがヤットわかる位に[#「ヤットわかる位に」は底本では「ヤットかわる位に」]離れているが――で、叫び交す人声二、三カ所で。ギクッとする今井。更に遥かにドウドウドウと急調の太鼓の響。もっと遠くで法螺貝の響きらしい音もしている。……加多、今井と眼と眼を見合わせながらジーッと立っていた後、黙って地図を懐中に入れ、刀の下緒を取り口に咬え、たすきをしはじめる)
今井 ……(加多を見詰めてこれも身仕度をしながら)では?
加多 ……ウム。
今井 (焚火を踏消しにかかりながら)斬りますか?
加多 仕方があるまいなあ。別れ別れになったら十三塚、小幡へ抜けて柿岡へ出なさい。……いや火は消さんでよい、この闇だ、他からもすでに見えている。……おお静かになったが……此処はもう筑波の社領内だが、狂犬やまいぬめ、そんなことも考えておれなくなったと見える。
今井 しかし、それならば太鼓は?
加多 それさ……わからない。あるいは寺社奉行の方へ渡りをつけての上の話かとも思われるがそれ程の手廻しが利くかどうか。斬るにしても慎重に! (ツッと炭焼竈の釜口の凹みに身を寄せて尾根――花道――の方を見詰める)
今井 承知しました! (先刻自分の乗った岩の蔭に身を添えて峠道――自分達の出て来た右袖奥――を睨んで息をひそめる。三度間近に起る人の叫声「逃すなっ!」「ぶった斬ってしまえ!」「やい! やい! やい!」「おーい、そっちだあ!」等。ガサガサガサと木や草を掻き分けて近づく足音。遠くの太鼓の響、法螺の音。それらの騒ぎに引きかえて舞台の二人は静まり返っている)
(揚幕の奥で「待て野郎、待ちやあがれ!」と叫ぶ声がして、転ぶようにして誰かを追って走りくる博徒喜造。着ながし片肌脱ぎ裾取り、左手に松明、右手に抜身を持っている。その抜身も鞘も腰に差していない程に、賭場からアワを食って飛出して来た様子、バタバタと走って花道で立止り舞台をすかして今井の姿だけをボンヤリ認め)
喜造 (左手奥と揚幕奥へ向って)おーい、居た居た、此方だ! 此方だ! 此方だ! (とバタバタ走って舞台にかかり今井の方へ襲うて行きかける)
加多 (抜刀、身を乗り出して)こらっ!
喜造 (刀に鼻をぶっつけそうになり、ビックリして、ワッ! と叫んで五、六歩飛びさがる)だだ、誰でえ!
加多 その方こそ何奴だ?
喜造 な、な、何奴もヘッタクレもあるけえ、俺あ彼奴を(と持った抜身で今井の姿を指す)ふんづかめえに来たんだ!
加多 フーン、おい今井君、此処へ来たまえ。貴様捕方では無いようだな?
喜造 捕方? 知れたことよ、俺あ渡世人だ、邪魔あして貰いたくねえ。(言いながら、オウといって近づいて来た今井の方をすかして見て、自分の見誤りに気がつく)いけねえ! 間違った、いけねえ!
今井 拙者をつかまえる……。
喜造 ま、まっぴらご免なすって! へい、旦那方とは気がつかずに、とんだ失礼なことを。ごかんべんなすってくだせえ。何しろ暗さは暗し、あわ喰っていますんで、へい。
加多 どうしたのだ?
喜造 いえ、何でもね、チョイとしたことで。いまごろ旦那方がこんなところにおいでになるなんぞ思ってもいなかったのでツイ見ちがえちまって。どうかお見のがしなすって。急ぎますんで、これで……(行きかける)
加多 待て!
喜造 へい?
加多 見ちがえたというのは、拙者等を誰と見まちがえたのか? いえ! それをいわねば見のがす訳に行かぬ。
喜造 弱ったなあ。あなた方にお引合いのねえ奴で。
加多 引合いがなければ尚更のこといってもよかろう。いわぬかっ!
喜造 いや、申します。そいつは、私ども一同でこの山中に追い込んで来ました、やっぱりヤクザらしい男で、たしかにこの尾根に逃げ込んだんでごぜえます。私らの賭場に今夜ヒョックリやって来た名も知れねえ野郎でさ。
今井 人でも斬ったのか?
喜造 へえ、人も二、三人斬りました、が、それよりも、こともあろうに賭場を荒しましてね、場銭あらかた、その上に寺箱まで、といってもご存じはねえでしょうが、とにかくゴッソリ引っかついで逃げ出したんで、あんまりやり方が憎いんで、皆でとっつかめいて、眠らそうてんで。
加多 フーン、では賊だな?
喜造 へ? へえ、まあそうで。
今井 何という奴だ?
喜造 それが知れてりゃ、こんなガタビシするがものはねえんですがね。どこの馬の骨ともわからねえんで。ご存じかも知れませんが、この山の賑やかしは元来北条の大親分の手で、節季々々その時々に廻状が出て諸方の貸元衆や旦那衆お出向きの上、寄合い盆割でやらかすんですが、今度も常州一帯下野辺からまで諸方の代貸元達や旦那衆がズラリと顔を揃えて今夜も市は栄えていたんで。御存じありますめえが、盆ゴザに坐りゃ渡世人は、自刃の上に坐った覚悟で、へい、昨日今日ポッと出のバクチ打ちなんぞ途中から割り込んで来ることさえもようできることじゃねえ、それぐらいに凄い意気合いの物でがんす。貸元衆がドスを引きつけて睨んでおります。用心棒も三人からおります。シーンとしております。そこへ控えの焚火の方からご免ともいわねえでスッと入って来たのが其奴ですよ。裾は下していましたが旅装束のままらしい、末の方にピタッと坐って盆の方を黙って見ています。小作りだがいい男で、向う額にキズ跡がありました。ついぞ見かけねえ奴ですし、あっしもジッと見ていたし、外にも貸元衆でその男を凄い目で見詰めている人が三、四人いました。囲い一つあるじゃなし野天の盆割りだから初手から気が荒いや、そいつが変な身じろぎ一つでもしようもんなら、目の前でナマスにしてやろうという腹でさ。見てると、その男、駒札を買う金でも出すのか右手を懐に突込んで、そいから左手をゴザにこう突いて、「ご繁盛中だが、ごめんなせえ」というんだ。変に沈んだ声でしたよ。「何だっ!」と怒鳴ってドスを掴んで片膝立てた貸元もありました。その男がスーッと立って「今夜の所、場銭、寺銭、この盆は俺が貰った!」と言ってパッと躍り込んだのと一緒でした。それっきりさ。一座がデングリかえる騒ぎになって、さて気がついて見ると場銭、寺箱、見えなくなっている。どう逃げたか野郎も消えている。いや恐ろしく手も足も早い奴でさ。それからこの騒ぎなんですがね。どうも逃げたのが此方臭いというんで、まだ後からも人が来るでがしょうが、まあ見ねえふりをしていておくんなせえ。
今井 小気味のいい奴だなあ。
喜造 冗談おっしゃちゃいけねえ。ま、ごめんねえ。
加多 おい、門前町から社へかけて奉行所、八州、又は代官所の役人らしい者は立廻っていないのだろうな?
喜造 へえ? いいえ、さあ、どうですか。
加多 そうか、よろしい、行け。(いわれて喜造、ブツブツ言いながら元来た方へ引返し歩きはじめる)
加多 ……(今井と顔を見合せ、刀を鞘に納め)アハハハ、ハハハ(今井も哄笑。七三の辺で二人の笑声でビックリして立止って振返る喜造。呆れて見詰めている。とまた出しぬけに付近の山を捜して走り廻っている人々の叫声が奥でおこる。喜造われに返って、揚幕の方へ振向こうとするトタンに、何の前ぶれもなしに揚幕から走り出して来る男。足拵え厳重、裸、手拭、頬被り、切り立ての白木綿の下帯腹巻、その上に三尺をグイと締めてそれにゴボー差しにした鉄拵え一本刀。脱いだ素袷で持ち重りのする寺箱と大胴巻をグルグル巻きに包んでこれを左わきに抱えこんでいる。この異様な風態の上に裸の右肩先に、返り血だろう、紅いものをつけている。
 ダダダと走って来て、丁度ヒョイと振向いた喜造の胸に、頭突づつきをくれんばかりに迫る。おッ! と叫んで、とっさにバッバッと五、六歩、舞台袖のところまで飛退る喜造、突出した抜身越しにすかして見る)
喜造 おう、やっこ、待てっ!
男 (見すましてチョッと立止った後)ガッ! (と叫んでドッと体当り。持った刀を揮う暇もなくワァッ! と叫んでデングリ返った喜造、はずみで足を踏みすべらしドドと音がして悲鳴を上げながら奥の谷へ転げ落ちる。男はそれをよくも見ないで、小走りに右手の方へ舞台を横切りかける。既に今井は岩蔭に、加多は竈の凹みに身をかくしてこの様子を見ている。男、下火になっている焚火をヒョイと認め、足を止め、前後を見廻している。やがて何と思ったのか、ウムといって火の傍に包みを下し、それに腰をかけ、眼は油断なく尾根の方と峠路の方をかわるがわるすかして見込みながら、頬被りを取り、肩先を拭う。真壁の仙太郎である。
 間――。
 右奥からザザッと音を立てて走り出て来る博徒甲。これはまた思いきりよく素裸、全身に刺青をしたやつに腹帯下帯だけで散らし髪、ドスは下緒で斜めに背中にくくりつけている。誰もいないと思って出て来たらしく、音に驚いて振向いた仙太の姿を一目見るや、ギョッと立止る)
甲 おおっ! やっこ、此処にいやがったな! さ、出せ、寺と場銭をスッカリ出せっ! お、俺あ、このほり物で見知っているだろう、場で中盆を預かっていた葛西の新次だ。そいつを持って逃げられた日にゃ渡世の顔が立たねえのだ! さ、出せといったら黙って出せ! (仙太返事をせず)……出さねえな? バクチ打ちの作法も冥利みょうりも忘れた野郎だ、よしっ! 命あ貰ったから覚悟しろっ! (と右肩越しにドスを抜くやバッと仙太の方へ斬り込みそうにするが、及び腰になって首を下げてすかして睨んでいる仙太の沈黙に気押されて、却って一、二歩後すざりして、刀を上段に構え直す)……ウッ! (今度は再び中段に構え直す。直すや思い切って切先を少し下してセキレイの尾のようにヒタヒタと上下に揺りながらツツツと二、三歩でて来る。両眼が血走って釣上ってしまっている。と同時、気合いも掛けないで仙太郎、刀を抜いたのと踏込んだのと殆ど一緒、右真向に斬りつける。それがタタッと下りながら、あわてて刀を上にあげて防ごうとした甲の刀と右小手と右肩口に同時に打下ろされてガバッ! とひどく大きな音がするが、どうしたのか斬れはしなかったらしい。矢継早やに仙太郎、流れた刀のはずみに乗って、甲の腰へ斬りつける。斬れない。甲がフラフラッとする所へ、ダッと体当り。甲、ワッと叫んで谷へ。転げ落ちながら「此方だ! 此処だっ! おーい、此処だ!」と叫ぶ声。それを見すました仙太郎、抜身をすかして見るが、暗くてよく見えないので焚火の方へ戻って火の光で見る。ササラのように刃こぼれがしているのだ。思わず感心して刃に指を持って行こうとしたトタンに、同じ右手から風のように飛出して来た抜刀の博徒乙、――これは着物を着ている――何とも言わずに斬りつける。オウといって身をかわした仙太、剣法も何も無い棒撲りに撲る。乙倒れる。仙太襲いかかって棒で犬でも叩く様に刀で二つ三つ撲ると、乙がウーンと唸って眼をまわしてしまう。再び焚火の方へ戻って来て右手の刀をヒョイと見ると、鍔元の辺からグニャリと曲ってしまっている。仙太は呆れてしまってそれをマジマジと見ている。――やがてそれをポイと捨てて失神した乙の方へ行きその刀を拾って見ると、これ又仙太に撲ぐられたはずみで切先五、六寸折れてない。それでもまだ自分のよりはましなので、それを握り突立ったまま、シーンとした四辺の気配に気をくばり、見廻している。静かな中に、右手、谷の傾斜、左手奥などから此処を取囲んで迫って来る七、八人の気配。かすかな足音など。……間)
仙太 (荷物の側にピタッと坐って、折れ刀をカラリと土に置き、まだ姿は見せぬ追手に向ってかなり大きな声で)……まっぴらごめんねえ。一天四海、盆業渡世にねえ作法だ、ねえのを承知でお騒がせしましたこのおいら、逃げも隠れもするこっちゃござんせんといいてえが、今夜のところあ逃がして貰いてえのだ。逃げてえのだ、へい、貸元衆! お前さんちの前で口はばってえいい草だが、おいらあ人を斬るのは嫌えだ。斬れもしねえ。……聞いて下すっているかね、貸元衆、俺あご覧の通りの名も戒名もねえ渡り鳥、ホンの昨日今日かけ出しの三ン下でえす、へい。しかし筑波を荒したのが三ン下にしろ渡世人のはしくれだったと、後で世間に聞こえて皆さんのお顔にかかる心配が有りゃ、ぬすっとにして下すっても結構でがんす。ぬすっとに金を盗まれて顔がどうのということもねえ。俺あぬすっとです。へい、ぬすっとだ。そのぬすっとも、これだけの金、うぬが栄耀えいよう栄華に使おうと言うんじゃねえ、何十という人の命が助かるのだ。お前さん方にすれば今晩一晩の賑やかし、これっぱっちの寺や場がなくても、市あ栄えよう。お願えだ、貸元衆、今夜のところは、お見逃しおたのん申してえ。仕事を済ませりゃ、えり垢洗って出直して参りやす。おたのん申します。同じ無職の人間が口をきいていると思やあ腹も立とうが、そうじゃねえ。百姓の子が火のつくように泣いているのだ。皆さん衆の荒みあがり、それもホン一晩のところ、あっしに下すったと思わねえで、其奴等に恵んでやったと思って、今日のところあお見逃し下せえ、貸元衆、真壁村の仙太郎、恩に着ますでござんす。へい……(返事無し。その間、今井がこらえ切れずなって岩蔭から出て行きかける。加多も凹味から首を出して四辺を見る。と、既に無言で谷間の方、右手左手の三方から仙太を目がけて迫って来かかっている七八人の人の姿と、木立の間でギラリと光るドスが見られるので、加多片手をあげて今井に出るなと制する。物凄い空気だ。仙太、坐ったままジリジリと後すざりする)……おいらあ、斬りたくねえ、殺生はしたくねえのだ。人を殺したくねえ、きこえねえのか! おいら……。
(みなまでいわせず左手奥の木の下の闇の中から抜身、袷、すそ取り、たすき掛け、三十七、八の代貸元、下妻の滝次郎、バッと飛出して来る)
滝次 やかましいやい! 口がたてに裂けやがったか! 殺したくねえと※(感嘆符疑問符、1-8-78) なけりゃ此方で殺してやらあ。それ、ぶった斬ってしまえ! (同時に博徒等七人抜きつれてザザッと飛出して来る。皆歯を喰いしばっていて無言である)
仙太 (後すざりながら、右手を突出して)待った。仕方が無え、相手になる。相手になるがそういうお前さんの戒名承知して置きてえ。
滝次 聞かしてやらあ。下妻の滝、当時北条の喜兵の名代人みょうだいにんだ。
仙太 北条の喜兵の? そして上村の弥造親分とは?
滝次 弥造は俺の兄貴分だ。
仙太 ……それ聞いて少しは気が楽だ。もう一度いうが、俺あ人は斬りたくねえんだぞ!
滝次 をあげるのは早えや! やれっ! (と八人がザッと抜刀で半円を作って踏込んで来る。仙太折れた刀を取り、スウッと下り、左膝が地に着く位にグッと腰を下げて殆ど豹のような姿勢で構える。以下斬合いが終ってしまうまで双方全然無言である。博徒の半円が次第に右に廻り込んで来る。それにつれて仙太もジリジリと左に廻り込んで行き、炭焼竃をこだてにとる体勢になる。間。凹味にいる加多、黙って大刀を鞘ごと抜き地において手で仙太の足元へ押してやる。仙太気づいて大刀と加多をパッパッと見て、驚き、これも敵だと思い、とっさに一二歩右へ寄ろうとする。油断なく八人に身構えしながらである)
加多 大事ない、使え!
仙太 ……(加太が敵でなく、自分に刀を貸してくれたことがわかり)へい! (といって、足元の太刀を取ろうとするが、その隙がない。隙を造ろうと、円陣に向って四、五歩バッと踏み込む。博徒等四、五歩下る。が元の所に返った仙太が大刀を拾わない間に円陣は再びズズッと迫っている。かん。仙太、いきなりオウー! と吠えて持った折れ刀を円陣の中央めがけて投げつける。虚を突かれて博徒達がタタラを踏んで五、六歩も後すざりするのと、仙太が大刀を拾って抜いて構えたのが一緒。そのまま、仙太、ウンともスンともいわずにツツと進んで、円陣を乱されて立直ろうと混乱している博徒の群に斬って入る。誰がどう打込んでどうかわしてどう受けた等まるでわからぬ。バシッ、カチッカチッなど烈しい音がしてムラムラとしたと思うと、ゴブッ! と一つ音がして同時にワーッ! と悲鳴。混乱の中からツツツと後退りして来て、再び構えた仙太の左二の腕に、返り血か斬られたのか鮮血。立直って再び襲いかかって来る博徒等が、七人になっている。見ると、うしろの方に一人斬られて倒れている。――かん。無言の対峙。ジリジリと左へ廻り込む仙太。この時、博徒の円陣の右から二番目に構えている男の裸の肩の辺から腹帯へかけて一筋血がプツプツとにじみ出して来て、見るまに腹帯を赤く染めるのと同時、トットットッ三、四歩前にのめってウムと低く唸って前に倒れてしまう。乱陣の中で仙太に斬られていたのを自分でも気がつかずにいたのである。かん。ウッ! と叫んで滝次郎、飛込んで斬り下すのをはずして仙太横に払う、滝次刀身でバシッと受ける。二、三合、とど仙太の刀が一太刀滝次の腰に入る。滝次こらえて気が狂ったように真向から打下して来かかるのをかわしもしないでバッと足を払う間髪の差で滝次斬られてダッと横に倒れる。仙太も肩の辺を少しかすられている。滝次の斬られたのを見るや、にわかにおじけついた五人は、叫声を上げて、三人は右手奥へ、二人は竈を廻って花道へ風のように逃げ出して行く。仙太は追おうとはしないで、チョッとの間そのままで構えていた後、刀を下げて、あたりを見廻わす。肩で息をしている。今井、抜刀を手に下げたまま岩蔭から出て来る)
今井 (真剣の斬合いを初めて見たために気が立ってブルブル武者顫いをし、歯をカチカチ鳴らしながら)おい、こら!
仙太 おお! (とびっくりして身構え。変な顔をして竈の方を振向き加多を見る)
加多 今井、危ない! (仙太に)とうを引け、それは拙者の連れだ。
仙太 へい※(感嘆符疑問符、1-8-78) (ボーッとしている)
加多 だいぶ出来るなあ。お前。
仙太 ……へい。
加多 とどめは刺さないのか?
仙太 へい……いえ、へい。(自分に返って)あ、とうと言やあ、どうも何でえす、先程はありがとう存じました。お礼の申しようも……。いえ、そいつは、斬っといてとどめを刺すなあ無職出入りの定法でえすけど、今日はいたしません。仕かけられたのでよぎなく買ったこの場、とどめまで刺しちゃ冥利が尽きます。私が立去りゃ今の連中が来て引取り、助かるもんなら助かって貰いてえ。
今井 加多先輩、これは賊です。斬ったら?
加多 まあ、よい! 刀を納めたまえ。
仙太 どうぞ、まあ、お見逃しなすって……。
加多 殺したくはないのだ、はよかった。ハハハ。今井、君もやれたらこの男にかかって見るか? 斬りたくないと言って君も斬られるぞ。何しろ、出来る。
仙太 ご冗談を。じゃ、ええと、ご大切のお腰の物よごしまして相済みません。お返し申します。へい、何ともはやありがとうごぜえました。(刀を手拭でザッと拭き柄をも拭いて鞘に納めようとするが、右手の指がこわばってしまい、柄にねばりついて離れぬので驚いて振ったり、ひねったりする)おお、こいつあ!
加多 アハハハ、拙者のは少し重い。手に合わぬ刀を使うと、よくある奴だ。どれ。(と仙太の右傍へ行き、ウムと言って肱の辺をタッと一つ叩く。刀が仙太の手から離れる)
仙太 (落ちそうになった刀を受けて鞘に納め)では。恐ろしく結構な代物で。お蔭で助かりました。お礼を申し上げます。(と加多を初めてよく見詰めて、少しびっくりしたようである)
加多 切れるか?
仙太 切れるにも何にも、こんな立派なドスを掴んだのあ初めてで。あっしのなざあ、何しろ、ひん曲ったのにはびっくらしました。(身体を拭いたり寺箱を包んでいた着物を着たりしながら)
加多 どうだ、面白かったろう、今井君。
今井 え? ええ。初めてです。実に……(まだ昂奮が納まらず、ジロジロ仙太を見詰めている)
加多 あれだけの気合は士にもチョットない。腕も確かに切り紙以上だろうが、それだけではない。実戦の効だ。免許の士が向ってもまず敵し難いなあ。(と口ではひどくノン気な事をいっていても眼は鋭く、黙って身仕度をしている仙太の横顔を見詰めている)
仙太 (仕度を終わり、地に手を突いて)じゃ、まあ、ご免なせえ。色々のご心配、生涯忘れることじゃござんせぬ。厚く御礼申しやす。ごめんなせえ。(辞儀をして立ち、箱を持って右手へ行きかける)
加多 (黙って見ていたが、やがて)待て。
仙太 ……? (立止り振り向くが加多が何とも言いつがないので、小腰を屈めてから再び立去りかける)
加多 待たぬか、この大馬鹿者め!
仙太 へい? へへへ、ご冗談を。
加多 阿呆! 馬鹿と言ったが聞こえぬか?
仙太 そこで言って俺が聞こえねえ法はありやせん、しかし馬鹿は承知だ。からかいなすっちゃいけねえ。私あ先を急ぐんで。
加多 物取り強盗、世が真直ぐに歩けると思うか?
仙太 なんだ、そのことか。へへ、真直ぐも曲ったもねえ、どうせこのご時世でさあ。百姓町人に利ける口の持合せはねえときまった。旦那、どうせ初手から横に這おうと腹あすえています。
加多 百姓町人に? うむ。その百姓町人に口が利けたらどうするのだ? 百姓町人が飛出してやれる仕事があったら、貴様はどうするのだ?
仙太 ご冗談を。アハハハハ。お士の天下だ。
加多 ……よし! では、その寺箱から胴巻ぐるみソックリここに置いて行けと言ったら何とする?
仙太 何だと※(感嘆符疑問符、1-8-78)
加多 見ろ、何とするのだ?
仙太 ブッタ斬るまでよ! と言いてえが、恩を着たお前さん方だ、もう、あやまるからいい加減にご冗談はおいて下せえ。
加多 真壁の仙太郎!
仙太 何っ!
加多 とか言ったな、お前の眼は五寸先は見えても一尺先は見えないのだ。その金を持って飢えて泣いている百姓の子を何十人、助けに行くとも言った。金打きんちょう、嘘だとは思わぬ。したが、飢えて泣いているのは、天下、その何十人だけだと思っているのか? 馬鹿っ!
仙太 アハハ、何を言うかと思やあ、大ザッパな話をしなさる。あたぼうよ、いまどきに朝夕泣いていねえ百姓なんどザラにゃいねえ、百も承知だ。しかし見ても知れよう、こんな業態ぎょうていだ、ならずもんだ、俺あ、ならずもんの腕で出来るだけのことをするだけだ。さむらいは士らしい駄ボラを吹いてそっくり返っていりゃいいんだ。俺あ士は大嫌えだ。五寸先が一寸先だろうと余計なお世話だ。
加多 アハハハ、怒ったな。それがさ、同じキンタマをぶら下げていて、その腕にその度胸、俺とお前がどう違うと言うのだ?
仙太 面白え! (と寺箱を地に下して、加多の方へ寄って来る)おい加多さん。
今井 おお、知っている!
仙太 知っているも何も四年この方、忘れたことあねえのだ。そっちじゃもう忘れていなさるだろうが、四年前の冬、下妻街道を江戸の方から水戸へ向いてお通りなすったことがあるだろう?
加多 ウム……あったかも知れぬ。
仙太 その折、小貝川の河原近くで叩き放しのお仕置きを受けた百姓が三人ありゃしませんでしたかい、その一人の舎弟で仕置場側の街道で願書に名前をいただきてえと泥っぽこりに額をこすりつけていた男、現にお前さんのすそにすがってお情け深いことをいって貰った……。
加多 そうそう、思い出した。たしか兵藤や甚伍左が一緒であった。そのときの……?
仙太 そうでえす。そのときの百姓仙太郎のなれの果てだ。そのときのこともあれば、今夜の恩もある。俺あご恩は腹にしみているんだ。そしてあのときも、私の出した奉書にあんたは天狗党一同と書いて下すった。去年あたりから小耳に挟んだ噂もある。いざといやあ筑波だそうだって、村の子供だって知っていらあ。そこんところへ持ってきて今夜ここで出会ったあんた方だ。一目見て、こいつは! と思わねえ奴が阿呆だ。大概何をしにきていなさる位察しがつきやす。面と面と突き合わして、何だかだと話がからんでながくなりゃ、これはこう、あれはああと、加多さんじゃござんせんか、仙太郎か、てなことでお互いに山ん中ですれ違った仲では済まされなくならあ。そうなりゃ俺あいいが、あんた方の折角のことに邪魔になるだろうと考えてソソクサ行こうとしたのが有りようだ。ハハハ、どこが違うと言われたって、仕方あ、ありはしねえ、桝一升にゃ一升しきゃ入らねえ、俺あ俺だけの了見で俺のしたいことをするまでだし、あんた方あ、あんた方で天下を取るなり千万人を助けてくれるなりしてくだせえ。まあ、見物していやしょう。俺あ自分の手に合うことがあれば駆け出して行くまでの話だ。へい左様なら。
加多 ……そうか! うむ。仙太郎!
仙太 なんだ……?
加多 長い短いをクダクダとはいわぬ。手に合うことがあれば駆け出して行くというのは、定だな。
仙太 あたりめえだ。
加多 それならば、五月にこの筑波にもう一度登って来い!
仙太 おっと、そこまではいいっこなし。恐れながらと俺が江戸の奉行所へ突走ればどうしなさるのだ?
加多 ハハ、いうな。貴様がイコジになって嫌がらせをいくらいったとて、拙者は聞かぬぞ。考えて見ろ。即今の時勢は士であれ町人であれ百姓であれ、天下に志と意気ある者の合力を命じて居る。一人づつの力と策を一つづつ燃え上らせてその場限りの欝を散じる事ならば、中世の遊侠の徒でさえもやった。また、それが果して何のたしになった? どうだ? (仙太郎、黙って返事をせぬ)……個人の力をため、控え、引きしめ、結束すべきだとは思わぬか? 而して時あって起つ! 時あって起つのだ! 一人二人の人間のその場限りの暴挙が何になるのだ? 大ザッパの事をいうとお前はいったが、では、その金で何十人の百姓を助けに行って見ろ、十両あるか百両あるか知らんが、その百両の中九十両までが、やれ借財だ運上だ貢租未納だ、何だかだで、右から左に役人や領主、地主の手に入ってしまうのだぞ。それでも今日はそれでよい、明日が日はまたどうなるのだ? 聞いているか? お前の百両は、それらの百姓の苦しみを明日まで一寸伸ばしにしただけだ。
仙太 ……。
今井 (ヒョイと奥の夜空に目をやって)おお、明るい! (なるほど奥、遠くの夜空がボーッと焼けてきている。夜明けの明りとも違う。もっと赤い)
加多 ……他の国の士のことは知らず、水戸は義公烈公以来、東湖先生以下、農を以て国本とす、志有る士は百姓を忘れて存在しなかった。知っているらしいからいうが、今回のことも、われわれの志が上、上天と下百姓の思うことと血がつながっていなければ、ことは成らぬ。成る筈がないのだ! また、つながっていればこそ、玉造、小川、潮来一円、何百という百姓がわれわれに来り投じたのだ。
仙太 え、百姓が※(感嘆符疑問符、1-8-78)
加多 そうだ。その上に常・野・総三国にわたって動こうという博徒無頼、バクチ打ちだな、これが二十人近くはある。これは何の故だ? また、何のためだ? 現にあの甚伍な、あれがその雄なるものだ。
仙太 そ、そ、その、実あ、私がこの金を持って行こうというのは、その甚伍左の旦那の留守宅だ。
加多 見ろ、甚伍左は、他の一切の事を忘れているのだ。家や村を顧みる暇がないのだ。
仙太 旦那あいまどこにいらっしゃるんで?
加多 それは拙者も知らぬ。あるいはどこかの野末か軒下で斬られて死んでいるかも知れぬ。
今井 加多さん、玉造の諸兄は予定通り敢行したらしいですなあ、ご覧なさい!(空の火明りは急速に赤くなり、その反映が三人の顔に赤く映るぐらいになる)
仙太 おお! ありゃ真壁の町だ!
加多 われらと同憂の士が、玉造の百姓とともに打って出て、永らくわれらに耳を貸そうとしない横道の物持ち、米商人あきんど、質屋、支配所、陣屋などを焼くのだ。……綺麗だなあ!
今井 天狗組最初の狼火だ! 日本国を焼き浄めるための、あれは、第一の火の手だっ!
(三人は谷に向い、益々赤く焦げる空に対して、ジーッと無言で真壁の方を見詰めて立つ。事実音が聞こえる程に物凄く赤黒く焦げて行く空。
三人無言で立ったまま非常に永い間。――驚いてけたたましく鳴く遠くの猿の声。夜鳥の叫び。
やがて、前の時とは較べものにならぬ程急調にドウドウドウと山一杯に鳴り出す社の太鼓の音)
仙太 (その音で目が醒めたようになり)おう、こうしちゃいられねえ! (と箱を抱え込んで)じゃ、お二人さん、まっぴらごめんねえ。
加多 仙太、逃げるか?
仙太 冗談だろう。約束したんだ、とにかく植木まで突走るんだ。ご縁がありゃまた。(右手へ)
加多 五月には来るか?
仙太 先の約束あわからねえ、ま、ごめんねえ。(風のように右手へ消える)
今井 あの者、放してやっていいのですか?
加多 悪いとしてもしようがあるかな? ハハハ、いや五月には来ます。拙者が太鼓判を押す。
今井 (赤い空を見て)ウワッ! 爽快だなあ! 真壁に居合わさなかったのは残念だ!
加多 また、剣舞か? まず御免だ。気を立ててはいかん。さあ、行こう。(懐中から地図を出す)
今井 え、まだ行くのですか?
加多 (地図を調べつつ)君は、ではここで引返す気でいたのか?
今井 いえ、そういう……。
加多 まあ、気を立てたまうな。頭が熱すると物が見えなくなる。ええと、布切れで、そこの木立に目印を結んで貰いたい。(今井しぶしぶいわれた通りにする)そう、それでよい。ええと、ザット、いま、とらの一点かな。いや、おかげで北斗が見えなくなって困りもんだ。まあ、いい、西南稍ひつじ寄りか、さあ行こう。これから女体だ。(二人尾根道の方へ歩き出す。けたたましい太鼓の音の中に幕)
[#改段]

4 植木村お妙の家

 今は荒廃しているが、以前はさぞ立派だったろうと思われる大庄屋の家の母屋の内部。現在では人の出入は勝手口ばかりからなされているらしい。
 舞台右手半分は広土間、左手半分は大炉を切った勝手の板の間。
 広土間の奥――舞台正面やや右手寄りに、くぐり戸付きの勝手出入戸。右隅に釜場。板の間の左手は戸棚になっていて昔はそこに台所道具が入れてあったらしいが、いまは下の段は戸が立ててあり上の段には沢山の位牌が並べてあって仏壇に当ててある。戸棚に続いて右手奥に、板の間から納戸部屋、奥の間などに通ずる口が見える。全体ガランと広いばかりで、家財道具はまるでない。
 春の日暮れ。子供の泣声。

 お妙が、病気の孤児でお咲と云う小さい女の子のむずかって泣くのを背に負うてあやしながら板の間を彼方に行き此方に行きして歩いている。もう余程以前からこれを続けているらしく、お妙自身まで疲れ果て泣き出しそうな顔である。誰がいつ結ってくれたのか田舎島田の根がくずれてガックリしたのを藁シベで少し横っちょにしばってある。からだつきや顔立ちが、やつれたとはいうもののまだ初々しくフックラとしているだけに、あたりの様子や身なりなどから認められる労苦――多数の孤児を抱えての日々の労苦の跡が尚更痛々しく見える。(お咲以外の他の子供達は全部奥の納戸で寝ついてしまっている)お咲の泣声が高くなる度に、自身に子供を持ったこともないお妙にはどうしてよいかわからず術ないままに歌っている子守歌も涙声になりかかる。

お妙 ……ああよ、ああよ、咲ちゃはええ子だな、ええ子だな。ああよ……。兄ちゃんや姉ちゃんは、もうみんな寝てしまったのよ。おまんまを食べて、それから、おとなに寝てしまうた。寝ないのは咲ちゃだけよ。咲ちゃはキイキが悪いねえ。おまんまは食べられない。食べる? 食べるの、咲ちゃ? (と肩越しに振向くお妙の顔を、ヤーンとまた激しく泣き出したお咲が小さい平手で撲る)……おおよしよし、食べたくない、咲ちゃは食べたくないの。そうじゃねんねしようね、咲ちゃは善い子だねえ……あああ、ねえ……(と意味のない声を出して子を揺さぶり歩きながら、うるんできた眼尻を指先でこすっている。突然、奥遠くで三、四人の男の声が走りながら何かけたたましく叫び交す。それが消えたと思うと、遥かに遠くの方でドーンと、微かな地響を伴った大砲の音。ギクッとして歩みを止めて立つお妙。音でチョッと泣声を止めたお咲が、前よりも更に激しく泣き出す。お妙再びあやしながら歩き出す。ギクッとはしたものの大砲の音を聞くのはこれが初めてではないらしく、不安になっただけで大して驚いてはいない。また大砲の響。……)おおよし、怖くはない、怖くはないのよ。ドーンって。ドーンって鳴るねえ。ドーン、ウルルルル。ねんねするのよ、咲ちゃは善い子だ。さ、ねんねよう、おころりよ、筑波のお山に火がついたあ、火がついた、烏が三匹焼け死んで、その子の烏がいうことに、いうことに……(しかし長く尾を引っぱったお咲の泣声は止もうとはせぬ。あぐね果てたお妙はクスンクスンと涙をすすり上げる。しかしそれをこらえて)あんまり泣いていると、お山から天狗が飛んで来て咲ちゃを取るのよ、天狗はこおんな顔をしているのよ、怖い怖い! わしのお嫁になれえっ! ていうのよ。ホホホ、よくって咲ちゃ? (自分で自分をはげまして、せつなげに笑いながら)大きくなったら咲ちゃは、何処へお嫁に行くえ? 天狗さまのところへかえ? おお、いやだ。お百姓のところかえ? 町へかえ? ホホホホ、刀を差した人のところかえ? (そして不意に何を思い出したのか、急に真赤な顔をして、思わず頭髪に片手をやる。……ちょいと泣き止んでいたお咲がまた泣きはじめる。びっくりして歩き出すお妙。無理に笑ったりしたために却って一層悲しくなってしまい、流れ出る涙を袖で拭きながら、何をいう元気もなくなって無言で……間。……三度大砲の音)……え? なあに? ウマウマ、そう、……困ったねえ、ウマウマ? オッパイ? ……お乳が欲しいのね。……いいわ、じゃ(とお咲をソッと背から胸の方へ抱え直して襟を開ける)さあ……(四辺を見廻して)恥ずかしいねえ。いいわ、さ。おお、くすぐったい。(乳房にかぶり付いたお咲、チョッと泣止むが直ぐに乳が出ないのでジレて、それを離してけたたましい泣声をあげる)出ない? そう、困ったねえ。あああ、……ね咲ちゃ、私が頼むから泣かないで、お前が泣くと私も泣きたくなるのだものを。後生だからね、咲ちゃ……(弱り切った彼女の眼に仏壇が見える)それではマンマさんに頼んで見よう。それ(仏壇の前へ行き、沢山立っている位牌の中を捜して一つを前に取出す)それ、これが咲ちゃの母ちゃんだ、お寺様にお頼みもしなかったので戒名もついていない。母ちゃんよ、ようく拝むのよ咲ちゃ、私は一人ボッチでここにいます、ハシカが悪い、食べるものもない、嬢さんのお乳は出ない、母ちゃんが死んでも私のことをどこかで見ておいでならば、早くキイキを治して下さるように嬢様のお乳からオッパイを出して、そして、私に飲ましてくださるように……(自分も位牌を拝む)さあ母ちゃんに頼んだから……(と再び乳房を吸わせるが出ないものは出ないので、再びお咲が火のついたように泣き出す)出ない……どうしようねえ、咲ちゃ……(もう何をいう元気もなくなり、ボンヤリ位牌を見ていた後、こらえ切れなくなって段々シャクリ上げてお咲と一緒になって声を出して泣き出してしまう)……(間)
(奥、塀外を四、五人の人が二声ばかり叫声を上げてバタバタと走り過ぎる音。――あとシーンとなる)
男の子の声 ……ア、ア、ア、父ちゃん(といいながら着のみ着のままで納戸に寝かされていた子供達の中の一人、小さい男の子が、眼こそボンヤリ開けているが眠った顔をして、帯をうしろにダラリと垂れたままヒョコヒョコ出てくる。泣きくずおれているお妙を見ないでフラフラ上りばたの方へ)……あによ、すっだい、馬鹿! (と大きな、調子はずれな声)お役人の馬鹿め! うちの父ちゃん、ぶっ叩くの、やだようっ! ぶっ叩くの、やだようっ!
お妙 (びっくりして振返り、立って、追って、男の子の肩を掴む)まあ、吉坊、また、寝ぼけてどけえ行くの[#「どけえ行くの」は底本では「どこえ行くの」]、これ!
吉坊 (お妙をポカンと見上げるが、まだ眼はさめず)父ちゃんけ? ……うん? おら、芋ば食いてえや。芋ば食わしてけれよ。芋……(半分われに帰りかけて、ベソをかいて泣きそうにするが、またボンヤリしてしまう)
お妙 芋? そう、明日になれば芋、食べさせてよ。だから、いまごろ寝呆けては駄目よ、吉坊。さ、早く寝て、明日はまた小父さんの畑の加勢すっだよ。(と吉坊の手を引いて納戸へ連れて行く。声)まあ、みんな何て格好をして寝るのだろう。さ……(やがて出てくる)ホホホ、おかしいねえ咲ちゃ、吉坊が又寝呆けてさ、ホホホ、ねえ、……(と一人ごとをいっている間に、今度はどうにもこうにも辛く悲しくなってしまい、手離しでしゃくり上げる……)
(戸を叩く音)
声 嬢様! 嬢様! おらだ、開けて下せえ。嬢様!
お妙 (それがやっと耳に入り、チョッと立って聞いていたのち、誰だということがわかり、イソイソして土間に降りて、くぐり戸の閂をはずす)……段六さん?
段六 へい、馬鹿におそくなってしもうて、これは済みましねえ。(と百姓段六入ってくる。野良姿で、長柄の鍬とオウコを肩にかついでいて、オウコの先には片モッコを釣って、その中にフロシキ包みが二つばかり入っている)ああにね、麦畑の方は小僧どもと一緒に早くおいたですけっど、おら、あれからお咲坊にやる飴ば買いに宿しゅくまで一走り行ったで、そんでおそくなった。(言いながらかついでいる物を土間の隅にチャンと置き、モッコから包を取出す)アハハハ、これだ嬢様。
お妙 まあ、それはご苦労でがんした。お疲れさまだ。あの、ここにチャンと湯はわかして置きましたから……。
段六 ああによ、お前様、疲れはしねえ。人はどうだか知んねけえど、私あタンボさえやってれば大してくたびれはしねえし、真壁にいても、世間は戦争だ天狗だとワアワアいって田畑あ作ってもどうなることだなんどと騒いでいる中で、おらだけがタンボやっているで、人あ馬鹿にします。ハハハハ。今日も吉坊や辰公なんどに畑仕事教えながらいうて聞かせてやったでえす、百姓がタンボしねえで誰がすっだ、ってね。ハハハ。いや、ここの子供衆はみんなよくやるて。辰公はじめ四、五人は麦の中すきなども、もうチャンと出来る。おらあ見ていて哀れなやら、嬉しいやら、毎日畑じゃ泣いたり笑ったり、埒もねえ話だあ。
お妙 そう! まあねえ! みんなあなたのお蔭で。
段六 ああによ、皆が身寄りもハヨリもねえ身の上で、そいで、嬢様にひでえ苦労ばかけていることを知っていやがるです。そいで一所懸命になる。はあ、来年あたりからは、麦畑の二段や三段、皆の飯米ぐれえのことはチャンと小僧達がやらかしましょうぜ。みんな、もう寝たかね?
お妙 へえ、寝ました。咲ちゃだけが――。
段六 おおそうだ、喋っていて、つい忘れていた。どれどれ、はあまだ悪そうだなあ、ハシカてえもんは子供の厄だてえが、よしよし、そうれ、今日はお前に飴ば買うて来てやったかんな、あんでも名代の子育て飴だていう、これ食って早く元気になれよ、嬢様に苦労ばかけるな、……ああ、まだ、えれえ額が熱いわ。よしよし。……ああれ、嬢様あんた泣いてるな?
お妙 ううん そうじゃないの……。
段六 涙そんねえにこぼしていて、そうじゃねえていう法あんめえ。……無理もねえ、あんたまだ、そんねえに若えし、そんねえにやさしいお人だ。そこんとこへ持ってきて苦労が苦労だ、無理ねえて。
お妙 いえ、咲ちゃが泣くのでつい悲しくなったまで、何でもないの。さあ段六さん、あがって休んで――。
段六 へい、へい。……仙太公からことづかって来た金も、借りの払いやなにかであらかたなくなったし、……大の男でせえ途方にも暮れようて。まして、あんたはいままでこねえに立派な大家の嬢様、先はどうなるかと思えばお泣きんなるも道理だ。しかし安心なせえ、俺もせっかくこうして仙エムどんの位牌まで抱いてやって来て見れば、嬢様や子供衆の行く先のメドがつくまでは動かねえ積りだから――。
(不意に奥でワーッと人々の騒声がして塀外の道あたりを、何かに襲われて逃げて行くらしい百姓達の足音。騒音の中に「天狗だ! 天狗っ!」「いや城下の役人だでっ!」「お見廻りだっ!」「天狗が来たっ!」等の叫声だけがハッキリ聞取れる。……それに押しかぶせるように大砲の音)
(口をきくのを止め、それらの音に耳を澄まして顔を見合せて立ち尽す段六とお妙。――間。外の群集は次第に遠くへ逃げ去り、音は消える……)
段六 ……あああ、恐ろしい世の中だて。おららにゃ、あんのことだか訳もわからねえて。……馬鹿なことよ。殺したり殺されたり大砲を射ったり、ワアワアと、ああんの事だ。
お妙 ……段六さん。
段六 あんです?
お妙 ……あのねえ……あのう……仙太郎さん、……あの人の行方はまだ……?
段六 ……それでがすて。噂も色々あるし……おらも方々捜しちゃいるが(と、どうしたのか余り話したがらず)……ああ閂を差すのが未だだった(と戸の方へ行く)
声 (それと同時に戸の外――奥――で)今晩。ごめんねえ! チョックラここを開けて貰いとうござんす。急ぎの用があるんだ。ごめんなせえ! (戸を外から叩きにかかる。少しビックリした段六がくぐり戸を押えたまま不安そうな眼でお妙を見る。二人、眼で相談をする。戸をドンドン叩きはじめる外の男)
声 お留守ではねえ筈だ。開けて下せえ。おい!
段六 ……お前さん、どなただね?
声 入れてくれりゃわかるんだ。早く開けてくれ![#「開けてくれ!」は底本では「開けれてくれ!」]
段六 オット、乱暴ぶっちゃ、いけねえ、何のご用か知らねえが、もう夜分だで、また明朝にして貰いてえ。
声 な、な、何をいっているんだ。そんな、お前……(いいながらくぐり戸を無理に押開け、段六を押退けて入って来た男、頬被り、素袷、道中差し、すそ取り、足拵え身軽にして、背中に兵児帯でグッタリ死んだように眠っている小さい男の子を十文字に負っている。入って来るなリブッツリ默つてしまって、ズカズカと四、五歩、土間から上りがまちに土足のままの片足をかけて、お妙を見、段六を見、それから家の中をジロジロ見廻している)
段六 (男の背中の子供を認めて)ああ、いけねえ、お前さま、子供さんを預かるのは俺がおことわり申します。いいえ嬢さま、あんた口をきいてはならねえ。一言でも口をきいたが最後、かわいそうになってしもうて、またぞろその子ば引取ってしまうのは、あんたの気性では、わかり切ってるで。口きいちゃなりませんぞ。これ、何という方か知らねえが、ここへくるのはよくよくのことだろうけんど、どうぞまあお断り申します。現在十一人の子供衆だけでも嬢様あ朝夕泣きの涙の絶えたことがねえ、この上に子供衆がふえたらば、嬢様あ、死んでしまいなさるて。それでは、あんまりムゴイというもんだ。ここんところは推量して、つらいこんだらうが、そのお子はそちらで育てて下せえ。さあさ、頼むから何もいわずに引取って貰いてえ。(と男を押戻しにかかる)さあさ、頼みだ。
男 (段六から胸を押されても動かず)おい、真壁の仙太郎を出してくれ!
段六 ふえい! な、な、なんだって! (お妙もエッと言って、二人、驚いて男を見詰めている)
男 驚くことあねえ。真壁の仙太を出せというのだ。
段六 (急には返事もできず、お妙と顔を見合せたり、男をマジマジ見詰めたりした後)……へえ。……お前様、どなたかねえ?
男 どなたもこなたもあるものか。(と頬被りをバラリと取る。くらやみの長五郎である)おい、お妙さん、もう見忘れなすったかね?
お妙 あっ、取手で仙太郎さんと一緒にいなさった、お前様は……。
長五 そうだ、その時の長五郎だ。兄弟分の長五がやっとたずねてきたんだと仙太にそういってくれ。早くしろい!
段六 仙太公はここには居ねえ。が、お前さん、仙太公に会って何の用があるだ?
長五 斬るのだ。
お妙 え、斬る……?
長五 おおよ、ぶった斬るんだ。出せと云ったら早く出せ!
段六 き、斬るの突くのと、お前、そ、そんな、どういう訳で、そんな乱暴――?
長五 訳? フン、訳もヘチマもあるものか。仙太はこの子の親の仇だ。及ばずながら長五郎助太刀で仙太の首を貰いに来た。
段六 お、親の仇だと? そ、そ、それはまたどんな訳合いか知らねえけえど……?
長五 知らねえなら引っこんでおれ。土用の鮒じゃあるめえし、いちいち口をパクパク開いてびっくりしていて、いつまでも仙太を出さねえ了見なら、くらやみの長五気が早えんだ、手初めにうぬらから斬るぞ。(刀をズット抜く)
お妙 ま、待って下さんせ。一体どういう訳なのか、それを聞かせて下さりませ。
長五 筑波の山中でこの滝三の父親、日は浅えが俺のためにゃ義理のある下妻の滝次郎を仙太が斬殺したのだ。いってもわかるめえが去年の暮。筑波に開帳の賭場、それを仙太が荒しに来て有金ソックリさらって逃げ出したのを取戻そうと追うたのを仙太が斬った。俺あ、善悪をいってるんじゃねえ。そりゃ仙太にもそうしなければならねえ訳があったのだろうが、丁度、俺あその時、筑波の滝次郎どんの控所に転がり込んでゴロゴロ厄介になっていた。もっともあの晩は他所へ行って居合わさなかったがな。ウフフフ。門前町で次の日まで居続けて、その翌日帰って見るとコレコレだ。ふだん仏と異名のあるくらいおとなしい貸元だ。部屋の者もみんなおとなしいや、親分が殺されて唯もう泣いている。ダラシのねえ話。俺も初手は黙って見ていた。が、このまま仙太を追放しといて仇も打たなけりゃ、他の親分衆に挨拶も出来なくなるし、折角の仏滝一家の名跡も絶え、渡世の看板もこれですたれる、どうしたもんでしょう、くらやみの。と泣きつかれて見りゃ、ははんそうかね、で見過していられるかい? その上一宿一飯、俺あ渡世に親分も子分もねえ風来坊だが、ならずもんの義理あ知っているんだ。……話に聞きぁ、お妙さん、お前も甚伍左てえ、えらもんの娘だ、此処のユクタテ多少はわからねえことあ、あるめえ。何も云わずに出しねえ、真壁の仙太郎!
お妙 (サッと青くなり段六を見て)……そ、それでは、あのお金は?
段六 へ、へい、……(思い当ることがあって恐ろしくなりガタガタ顛える)
長五 (二人の様子をギラリと見て取って)見ろ、いねえなんどと白を切っても駄目だ。出せ!
段六 そりゃいいがかりと言うもんだ。この家には嬢様と子供衆の外には男気と言っては俺がたった一人ぎり。その俺もホンの一月ばかり前に頼まれた用事があってここさ来て、嬢様の苦労を見るに見かねて、こうしているのでがす。
長五 くでえ! じゃ踏込むぜ、いいなあ?
段六 聞きわけのねえ! 何もかも言ってしまいますべえ。お前さん仙太公の兄弟分か何か知らねえが、俺あ真壁で仙太公とは餓鬼のときからの友達だ。去年の暮の晩方、仙太公がヒョックリ俺のところへ来て、こちらの嬢様のところまで、自分は追われていてどうしても行けねえからお前代りに使いを頼まれてくれというて用事を頼んだ。そして自分はその夜のうちに行く先もいわずに何処かに行ってしまうた。それっきり俺あ仙太公にゃ合わねえのでえす。俺あそいですぐにも来ようとしたなれど、丁度その一日おいて次の日だ、お前さん知るめえが、仙太公も俺も一所懸命で捜していた仙太の実の兄きの仙ヱムどんが見つかったのだ。見つかりは見つかっても死んで見つかった。殺されていたのだ。それまで何処にウロウロしていたのか、仙ヱムどんは結城様の藩兵につかまって、いやおうなしに縛られてさ、あんでも、天狗退治のいくさの仕度の軍夫に使われていたて。それをあんでも後で聞けば天狗党がやって来て佐分利の縄手で、兵糧米の俵かついだまま軍夫を三十人からブチ斬って米持って逃げたて。その斬られた軍夫の中に仙ヱムどんがいたのでええす。それを引取りに行くわ、後始末をする。それから自分田地の段取りもつけとかなきゃならず、あれやこれやここへ来るのが延び延びになって俺あヤット一月前にやって来たて。仙太公のありかがわかれば、俺達こそ会いてえ、人に訊ねたりして捜しているぐらいだ。全体……仙太公という男は因果な男だて。そうして仇だなんどつけねらわれるかと思えば、あれ程恋いこがれていた実の兄が殺されたのも知らねえで、何処をホッツキ歩いているのか。つまらねえバクチ打ちなどに……。
長五 恐ろしくベラベラ喋る野郎だ、もういい。おいお妙さん。この男のいうことあ定かね?
お妙 それに違いございませぬ。私もおっしゃるように甚伍左の娘、嘘は申しません。また、あなたがそうして仙太郎さんを追いかけて、その子のために仇をと思っているお心持もわかる積りです。嘘を言って何になりましょう。
長五 ……よし、信用しよう。じゃ俺あこれで出て行くから、もし今後、仙太がここにきたならば、くらやみの長五郎がこうこうだと、男なれば逃げかくれはするな、長五郎いくらふだんはズボラでも、性根までは腐っていねえ、お前にゃドスを掴んじゃかなわねえことあわかり切っていても、するだけのことあしてえからと、忘れねえでいってくだせえ。大きにおやかましう。(刀を納めて、戸の方へ出て行きかける)
お妙 あ、チョィト、長五郎さんとやら。
長五 なんですい……?
お妙 その背中のお子はどうなさいますの?
長五 どうだと? そりゃかわいそうだが、母親も身寄りも別にねえ奴だ、無職の子に生まれ合せた因果だ、こうして連れて歩くまででござんすよ。
お妙 かわいそうに、気絶でもしたように眠りこけて……。仙太郎さんが見つかるまで、この子は私がお預りしましょう。いえ、他にも親のない子達が沢山おります。十一人の世話を焼くのも十二人の世話を焼くのも同じこと。
長五 え! それじゃこの子を……?
段六 (あわてて)と、と、嬢さま、そ、そ、そんな、また、だから俺がいわねえことじゃねえ。この上にまた子供ができれば、あんた様の命がねえのにさ。しかも仙太公を仇にするっていう子だあ。
長五 黙っていろい、土百姓! するてえと、お妙さん、そりゃ本気かね?
お妙 はい。いまさらいってもあなたにはおわかりになりますまいけれど、ヒョッとすれば、この子のお父さんは私ども一同のために命を落されたのかも知れぬと存じます。あなたさえ苦しくなくば、立派にお預りしたいと思います。
長五 ……さうか、よし面白え。ただの泥っ臭え田舎娘の言草たあ少し違うようだ。あらためて、じゃ、お預けしやしょう。その代り……。
お妙 仙太郎さんが見つかっても、必ずこの子をあなたのカセにはいたしません。
長五 恐れ入った。長五郎、一本、かぶとを脱ぎやした。じゃ、ま……(と帯をほどいて眠りこけている子供をお妙に渡しにかかる)
段六 大丈夫でがすか、嬢さま……?
(お妙黙って子供を受け取る。それまで抱いていたお咲と滝三の二人を抱いたことになる。不意に、奥、間近の辺で――この屋敷内にある納屋とその周囲辺とも思われるところで――大勢の人々の悲鳴を混えた叫声。ワーッワーッ、ヒーッという声の中から「天狗だ!」「天狗党だ!」「天狗党が来たぞおっ!」「助けてえ!」「いいやお捕方だっ!」「人足狩りだ!」「天狗だ! 天狗だ! 天狗だっ」等の声々がハッキリ聞き取れる。人々の逃げまどっているらしい足音が右往左往する。
 三人ギックリして戸を見詰めて立つ。長五郎ツカツカと戸のところへ行き、細目に開けて外を覗く)
長五 (ピッシャリ戸を締めて)いけねえ! 来やあがった! お妙さん、その子のことあ命にかけてお頼ん申したぜ。おっと! (と戸を開けて飛出して行こうと構えるが、既に人々の声と足音は奥から直ぐ戸口の辺に迫っているので出られぬ。逃げ道は無いかとパッパッと四方を見るが出るにも入るにも裏口以外にない。トッサに土足のまま板の間に走りあがって仏壇になっている二重戸棚の下段の戸袋にパッと飛込んで内から戸を立てる。それと間髪を入れず裏戸口を突開けてなだれを打って飛込んで来る人々。天狗党の士達か、捕方ででもあるかと思っていると、そうではなくて附近の住民の百姓達と、この屋敷内の納屋に騒ぎを恐れて避難してきていた老人、女、子供達の十人ばかりである。「アーッ、天狗だあ!」「助けてえ!」「嬢さまっ!」「アレ、アレ、来たっ!」「お助けなすってえ! 嬢さまっ!」等短い叫声をあげながら、土間の右手竈の辺へダダッと転んだりして一かたまりになって殺倒し、おびえた眼で戸口を見る者、お妙を見る者。お妙がツカツカと上りばなに進んできて、これら見知りの人達に「どうしたのでえす?」とか何とかを言おうとしかけるが、口をきく間も無く、人々の踵を踏まんばかりに無言でドヤドヤと戸口から入ってくる暴徒六人。士らしい服装の者あり、浪人らしき者、士とも町人ともつかぬ様子の者、博徒らしい者、中の一人は坊主頭で、ころもを着ている。六人の中、四人までがドキドキするような抜刀。他の一人は槍を、もう一人は竹槍を突いている。入って来るなり何もいわずに家の中をギロギロ見廻し、ガタガタ顫えている段六、恐怖の極、叫声も立てなくなっている避難民達、上りがりまちに二人の子を抱いて立っているお妙を暫く睨みまわす。……間。やがて、六人の中の頭株らしい、士姿の者が、ズカズカと進み出て、上りがまちの板、お妙から遠くない場所に、持った抜身をガッと突立てるなり)
徒一 金を出せ! 軍用金だっ!
(間。――静かな中で奥納戸でこの騒ぎに眼をさましたらしい子供の中の一人が、ヒーッと一声泣く。一声ぎりでパタリと止む)
お妙 ……どなたでござります、あなた方は……?
徒一 何もいうな! 金を出せ。この家にあるだけの金を出せ! 軍用金に借りる。早くしろ、いいや、何もいうなといったら!
お妙 ……ございませぬ。
徒一 なに※(感嘆符疑問符、1-8-78)
お妙 お金はチットもありませぬ。
徒一 (噛みつくように)言うかっ女!
お妙 たとえありましても、どなたかわかりません方にお貸しはできません。まして、この家に金といっては一分もありません。嘘だとお思いならば家捜しでも何でもなされませ。ただ子供達に手荒らなことは……。
徒二 弁口無用っ! 敢行っ!
(六人が結束して、板の間に上りかかる。避難民の中から「アッ! アッ! 危ねえ嬢さま、危のがす、嬢さま! アッ!」と思わず叫声。――丁度そこへ、開いたままの戸口から無言で音も立てずに入って来た旅装の士一人。前場に出た今井である)
今井 待て。
徒一 何を! おお、……尊公は何だっ! 邪魔をすると手は見せぬぞっ!
今井 ハハ、見らるる通り、拙者は通りがかりの者、悪いことはいわぬ、乱暴は止められい。
徒二 控えろ! 正義を行なうに何が乱暴だ!
今井 正義? これが正義か? では尊公等は全体どこの何という方だ? それが聞きたい。
徒一 ええい、われわれは筑波党天狗隊々士!
今井 ほう、天狗隊? アハハハ、左様か。ハハハハハハ。
徒二 笑うかっ! 何がおかしい!
今井 それならばおたずねしよう。尊公等は藤田先生組か? 田丸先生組かそれとも加多先輩つきか? (相手は何とも返事をしない)……何隊、何番組の諸君だ? 聞きたい。それとも本田先生の遊隊か? 聞かして欲しい。……(暴徒等返事ができずに少したじろいでいる)……できまい、返事は。当時、処々方々で天狗隊と称する者が民家を荒しているというが、尊公等もその一つ。悪いことはいわぬ、このまま引取って以後かかることをせぬよう。
徒一 いわして置けば熱を吹くか! そういう貴様こそ、誰だ、それ聞こう?
今井 (大喝)黙れっ! ……(再び前の普通の調子に戻り)ハハ、いや、貴公等がかかることをするのも、その日に窮したからのことであるのはわかる。悪いのは貴公等ではなくて時世だろう。しかしそれならば、党の名をかたって賊同然のことを働かずに、なぜに筑波へ行かぬ? 志を以って馳せ参ずれば、士、浪士、町人、百姓、無頼窮民に至るまでそれぞれに義軍に加盟させる点で天狗党は断じて吝ではあるまい。どうだ? 今夜のところはここをこのまま引取られよ。第一この家に金はあるまい。それから、貴公等は知らんだろうが、この家は天狗党でズッと働いていた郷士利根甚伍左の住居だ。ハハハ、場所が悪い。(暴徒等は殆ど毒気を抜かれてしまっている)……それともどうあってもといわれるならば、仕方なし、拙者がお相手になる。(暴徒等默して動かず。今井、ユックリと道中半合羽を脱ぎ仕度をする。半合羽を脱いだのを見ると、捕手を斬り抜けてでもきたのか、白っぽい着物のわきから袴へかけて、多少の返り血、左二の腕にかすり傷でも負うたらしく、着物の上から手拭でキュッとしばっている。その手拭にも少し赤いものがにじんでいる。今井の態度が静かに落着いているだけにこの姿はギョッとする程の印象を与える。今井、大刀のつかに左手だけを掛けて、無言で暴徒等を見渡す。……間。すでに気を呑まれてしまっていた暴徒達、何もいわずスゴスゴ歩んで戸口から出て行く。)
今井 (それを見送りおわり、息を呑んで静まり返っている避難民、お妙、段六などをつぎつぎに見た後)……前申した通り、甚伍左氏のご住居だな? (お妙に)御令嬢ですなあ。
お妙 ……ど、どうもありがとう存じ……はい、さようでございますが、そして、あなたさまは?
今井 利根さんにまだご面識は得ておりませんが、玉造文武の今井という者です。利根さんのお在りかを承りたい。
お妙 では父は筑波には居ないのでございますか?
今井 フーム、すると?
お妙 もう随分永らく戻っては参りません。
今井 しかし大体の見当はおありでしょう? 京とか、江戸とか、水戸あるいは中国九州筋か。
お妙 父のいるところならば、私の方からおたずねしたいのでござります。
今井 それは信じられぬ。……ともあれ、此処へ戻ってこられるまで、いや、せめて大凡の見当のわかるまでここで待たせていただきます。
お妙 どうぞご随意に……。しかしなぜまたそのように?
今井 いや拙者はよく知らぬ。利根氏を迎えて来いと命じられたまでです。ご免。(と上りがまちに腰をおろす。土間の隅の避難民達「ありがとうごぜました、どうもはあ」「ありがとうごぜました」「嬢さま、まあだ納屋をお借りいたしやす」等いって、怖々戸口から外を覗いてからゾロゾロ出て行く。万事こんなことはチョイチョイあるらしい取りなし。お妙無言でそれに会釈する――間)
お妙 父の身に変った事でも……?
今井 さあ……。
お妙 どうぞお願いです。聞かせて下さいませ。
今井 さあ……。とにかく拙者の知っていることは利根氏が何か面白くないことをなすっているとか、何でもそんなことです。会津の者、または水戸諸生組奸党の者がここへ来たことはありませんか?
お妙 いいえ。……(何かをハッと悟って、急に青くなり、ガタガタ顫え出す)す、す、すると、あなた、父を、父を、き、斬る……?
今井 ちがう。それ程のことではない。しかしことは迫っているらしい。京都で薩摩の者達ともしきりに往来していられたという情報もあります。雄藩連合等の遠大なお考えがあるのかも知れません。われわれ若輩にはその辺よくわからない。筑波には筑波の見解があるのでしょう。よく知らんのです。……勝手に待たせて貰いますから、拙者におかまいなく、どうぞ。
お妙 はい。……しますと、父が見つかればどう……?
今井 党に取っては功労者です、無下にどうこうということもありますまい。それにどんなことなさったかもご本人からも聞かねばわからぬ、しかし場合に依っては功労は功労として、どんなものですか……これ以上知りません。(段六を見て)この仁は?
段六 へ、へい。
お妙 あの、それは、段六さんと申しまして、お百姓をなさる、私どもの世話をなさつて下すっています。……あの真壁の仙太郎さんの小さい時からの兄弟のような方です。
今井 おお、真壁の仙太郎君の?
段六 へい。……仙太公、あんた様ご存じでえすか?
今井 あんな小気味のよい男は無い。大丈夫だ。ハハ。忙しくて暫く会わぬが、加多先輩の手で、たしか門前町下辺を固めている筈。
段六 へ! すると筑波におるんですか※(感嘆符疑問符、1-8-78) 筑波の下で見かけたなんどという人がいたが、んじゃ噂は本当だったのじゃ。何てまあ、いくさなんど、よせばいいに!
今井 会いたいのか? だが山はいま危いぞ。
お妙 私も仙太郎さんには色々お世話になっております。
段六 (長五郎のことをヒョイと思い出し、戸棚の方をキョロキョロ見ていたが、やにわに)嬢さま、おら、んじゃチョックラ行って来ますぞ。早くあのこといって……。軍なんど止めてここへ引戻してきますよ、嬢さま。それに(とむやみに慌てて上にあがって、戸棚の方へビクビクしながら近づいて、仙右衛門の位牌をさらって、持っていたフロシキに包んで懐中に入れ、その間もソソクサ歩いて土間に降りる)……一刻も……。(といきなり頬被りをして急いで外に行きかける)んじゃ、じき戻ってくるで、嬢さま!
今井 待て。ならぬ! 外へやることはならぬ! (という間に、段六は走って外へ出て行ってしまう)こら、止れ、ムッ! (小束を抜いて開いたままの戸口へ向ってパッと右手をひらめかす)
お妙 (同時に)あっ、危いっ! (この声のために少し手元が狂ったのか、小束がカチンといって、引戸の上のサンに立つ。それと見て今井サッと立って行きかける、お妙早口に)いいえ、今井様、あれは仙太郎さんと私どもや子供達のことを心配するだけで、決して他意のない者でござります。父などの行方はおろか、まだ一度もあったことさえない……。
(いい終らないうちに、戸棚の中にいながらこの場の様子を聞き澄していた長五郎、筑波に仙太郎がいると聞き、そこへ段六が駆け出して行ったのを知って、もうたまらなくなり、ガラリと戸を内から引開けてパッと飛出して、土間に飛下り、戸口へ。気配を知って振向いた今井、ギョッとする)
今井 (戸口に立ちはだかり)おお、誰だ! 貴様?
長五 おっ、通してくれ! 畜生、あの土百姓め! さむれえ、退けっ!
今井 ならぬ!
長五 野郎、唐変木! (道中差しを抜いている)くたばれ! お嬢さん、餓鬼あ頼んだぜ!
お妙 あ! あれ、危い!
今井 行かせることはならぬ! たってとあらば……(いう間も無く長五郎が襲いかかって来るので、これも刀を抜いて一、二合あしらう。長五郎、相手が抜いたのを見て、一つ二つ斬込んだ後、パッと四、五歩飛退って気合いを計っている。今井、眼は長五郎の方を睨んで身構えしながら)……お妙さん、この男は?
お妙 長五郎さんとやら、仙太郎さんを斬りにきた人……。あれ、危い! ああ……。
今井 出してやること、ならぬ! 刀を引け! 引かねば……(グッと上段に構えなおす)
長五 (ツツと後へ退りながら)斬って見ろ! 二本棒め! 畜生! ち、ちッ! (腰を引き、突きの構え。そのままで間。今井がオウ! と気合いをかけて一二歩出る。長五郎が右へジリッと廻り込み、突き出した刀がスッスッスッと揺れはじめる。今井の斬込みと、長五郎の必死の突きの一瞬前)
(道具廻る)
[#改段]

5 筑波山麓道

 カット明るい晩春の日の真昼。
 沼田宿より筑波山上に通ずる一本道。舞台正面に道をふさいで、急拵えに生木の棒杭で組上げられた物々しい柵と中央の門。左袖に花をつけたおそ桜二、三本。柵の前、門の両側にズラリと突立てられて並んだ抜身の長槍がキラキラ輝いている。右側に急造の石の竈にかけられて湯気を立てている大釜。――ここは、天狗党本隊が筑波を出て宇都宮、日光へ押寄せて行ってから数日を経た留守隊の守備線で山上の本拠に通ずる道の第一の番所にあたっている。山麓沼田宿の方、即ち揚幕を出た道は花道から本舞台にかかり、柵の門より奥へ通じ、爪先登りに右へ曲り込み、右手奥に見える崖の上へ消える。右袖にあたって二、三十人の留守軍遊隊と一番隊の一部がたむろしている心持。
 開幕前に男のドラ声で歌――ハイヨ節。初め一人の声で、後、他の一人がこれに和して。

声 シタコタ、ナイショナイショと[#「ナイショナイショと」は底本では「ナィショナイショと」]。おまえ何をする荷物をまとめ、ハイヨ、逃げて入町のう皆さん、気がもめる、シタコタ、ナイショナイショ。ハハハハハ、シタコタ、ナイショナイショと。
(歌声の中に幕開く。柵前、左手、桜の下あたりに腰を下して槊杖で小銃の銃身を掃除している遊隊々士一。稽古着に剣道用の胴、草ずりをつけ、大刀を差し、うしろ鉢巻、もも引きにすね当て草鞋ばきで、万事小具足仕立てだが、もともと士ではないらしい。鉢巻からのぞいている髪が町人まげである。桜の幹に四、五丁の小銃立てかけあり。他に柵前右手の大釜の傍で火加減を見たり、釜の中を棒でかきまわしたりしている遊隊々士二、これも同じような小具足いでたち。これまた、思いきりよく向う鉢巻。
 一方は銃の手入れをしながら、一方は釜をかきまわしながら調子をとって歌う)
二人 ……おまえ何処へ行く、日光を差して、ハイヨ、固め人数の、のう水戸さん、眼をさます、シタコタ、ナイショナイショ。
遊一 テケレッツのアッパッパと。いけねえ、油が切れたわえ。
遊二 油が切れたら、油をつぎやれ、女が抱きたきゃ女を抱きやれと。ハハハ、どっこいしょっ!
二人 (歌)おまえ何をする鉄砲を並べ、ハイヨ、杉の木の間で、のう火のばん、一と寝入りシタコタ、ナイショナイショ。
遊一 日光へ行ったご本隊はいまごろは何をしているだろうな。斉昭公お木像の揚輿を真中にひっぱさんでさ、つつ、槍、長刀、馬轎、長棹ギッシリ取詰めてエイエイ声で押出して行った時あ、俺も行きたくってウズウズしたあ。何でも街道かいどう一円切取り勝手だちいうし、途中取押えに出張っていた諸藩の兵にロクスッポ手に立つ奴あいなかったっていうじゃねえか。こてえられねえなあ。
遊二 手に立つ奴がいないと聞いて、行きたいのだろう? ハハハハ。
遊一 阿呆いうなて! 俺あいくさがしたいのだ。どうしているのだろうなあ、本隊では?
遊二 二、三日前に来た使いの人の話では、あんでも、歌の文句通りだそうだ。(歌)……鉄砲を並べハイヨ、杉の木の間で、のう火の番、一と寝入り、シタコタ、ナイショナイショ。日光にいつまでいても仕方がないから下野を廻って此方に戻ってくるらしいとも言っていたぞ。
遊一 なんにしても、いくさが出来ねえのはつまらねえ話だ。ここじゃ攻めてくる奴もないし、ノンビリし過ぎらあ。(掃除をした銃を振って桜の垂枝を叩き落す)こんなものまで咲いているしよ、まるで物見遊山だあ。クソッ! (と銃の台尻を肩につけて観客席をねらって見て)昨日からの結城の合戦にも居残らされるし、腕が唸るぞ。鉄砲にかけちゃ、紫尾しいおの兼八敵に物は言わせねえんだがのう!
遊二 それはどうだか知らないが、下の鉄砲だけは、たしかに敵に物はいわせねえとな。ハハハハ、門前町の下の段あたりで、専らの噂だ。
遊一 何をいやがる、打つぞ!
遊二 おっと、危ねっ!
遊一 ハハハハ、丸は入ってねえ、オコオコするなて。
遊二 打たれてたまるか。的が違いやしょう、俺あ大八楼のあまじゃねえ。ハハハハ。時に先刻まで砲音つつおとが聞こえていたが、てっきり味方が引いて来てその辺まで追込まれたなと思っていたが、また聞こえなくなったのを見りゃ、盛返して押し寄せたんだ。当分はまだ俺達にゃ軍運いくさうんは向いて来まいぜ。
遊一 全体がわからねえ話よ。ガンガン押出して行ってさ。結城だろうと下館だろうと叩き破り、江戸へ出て公方様なんぞ追払ってよ、その勢いで京都へのして天長様へ外敵打払いをお願えすればよい話だ。グズグズしているがものはねえ。
遊二 隣の内から猫の子ば貰うんじゃあるまいし、置いとけ。紫尾しいおの山で穴熊や猪を追うていた奴に何がわかるものか。
遊一 んでは、文武館に一、二年水汲みか何かでいただけで元が潮来の百姓の貴様にだって同じだろうが! 加多先生がいつかいうたぞ! 天下のことをわかるのは、お前達だ! お前達がホントウにわからないで、他に誰がわかるか! 自重してよく考え、考えが決った上は断行しろとな。それでよ、考えが決ったから断行しているんじゃねえか! 天長さまが上にござってよ、民百姓一統が仕合せに家業に精出して暮せるようになればいいのだ。俺達にゃそれで沢山だ。そのほかの理屈は、みんな屁理屈だわ! 天狗党は正義の軍だ!
遊二 猪ばかり打っていたので、猪なみの脳味噌をしていやがる。まあ聞け。江戸方が如何にダラシがなくなったといい条、まだ千二千の兵位でビクリとでもすると思っているのは大きな了見違い。井戸の中の蛙が大海を何とやらだ。だから、これをやるには東西呼応して立たなきゃなんねえというので、俺達がこうしてやり出せば長州と因州が起つことになっているそうだ。関東で俺達が江戸のお尻を突っつけば、それ後顧の憂いという奴だろう、西の方には隙が出来る、そこを四方からワッと来て、盛りつぶす手立だそうな。何でも長州から此方に軍資金が渡るという約束になっているげな。何事にも見た目があれば裏があらあ。ウン……三月にいくさを起したと同時に、田丸先生、藤田様、藩正義党の方達の名で御老中の板倉様に上書なさって、此方の心持を申上げ、更に因州の池田侯、備前の池田侯にもお願いして、筑波党を攘夷の一番槍にさせてくださるように天長さまから御勅命が下るようにと申されたのだ。宍戸の松平の殿様も幕府に同じ事を頼んで下すったげな。今井さんから聞かされたことだから間違いないて。ところが、どれもこれも、通らねえ。何でも上の人の話を聞くと、通る筈がねえそうだ。うん。みすみす通らぬとわかっていることを何故するか、というのが、攘夷々々で江戸をギューギューいわしておいて、江戸が手を焼いている暇に世の中の立て直しをやらかしちまおうというのだそうな。その辺の具合は俺達にゃよくわからねえが、とにかくお前のいうように、俺達下々の者が安心して家業をはげめるご時世が来さえすればよいには違いないけれど、だからというて、そう一がいには行かぬものよ。
遊一 馬鹿をぬかせ。どうせが家業投げ出してここに駆けつけたからには命を投げ出しているんじゃぞ、俺だけじゃねえ、山にいる何百何千というご浪士達、百姓町人猟師がみんなそうだ。
遊二 あたぼうよ、わかりきっていら。ただ物事には裏があり、そのまた、裏まであるということよ。
遊一 フン、貴様命が惜しくなったのだろう。
遊二 ぶんなぐるぞっ! おっと、汁がこぼれる!
遊一 それでは、田丸様、藤田様、水木様、本田様なんどの大将達が信用ならねえとでもいうのか?
遊二 まだ貴様、からんでくるのか! 信用しねえぐれえなら、俺あすぐ山を下っていらあ。
遊一 それなら、默って上の人達のいうことを聞いていさえすればいいのだ。俺が猪の脳味噌なら、お前のもドン百姓の脳味噌だ。
遊二 アハハハハ、それよ。だからよ、上の人の命令通りに命を投げ出しているんだから、早く戦争をやらして貰いてえというているのだ。味噌汁なんどばかり掻き廻してはいたくねえというのよ。
遊一 俺だとて、二三日前からこのつつの奴等を、もうこれで五度位ずつも掃除をしたて。たいがいいやにもなろうわえ!
遊二 そこへ行くと同じ遊隊でも抜刀隊はうらやましい。斬られた者も何十人かいるが、刀あ抜いて斬って廻れらあ。副隊長つき添い、真壁の仙太郎なんどは、いくさが始まってから、あっちこっちでもう十四人斬ったてよ。腕も立つし、度胸も太えし、俺達とは競べものにはならねえが、それにしても運のええお人よ。
遊一 そうだってのう。俺達も早く飛出して、腕かぎり根かぎり斬ったり射ったりしてえもんだ。
(隊士一が小走りに崖の方の路を降って来て門から出てくる)
遊二 敵がいさえすれば門前町は大八楼で射ちてえところだろうて? ご愁傷さまみてえだ。
遊一 何を、野郎、またいうか!
隊一 おいおい、またやっとるな。ハハハ。門前町の女どもは少し戻ってきたらしいぞ。あんまりいくさが暇でノンビリしているんで、安心しやがったらしい。何しろ寝起きのまま逃げ出した奴が裏山伝いに長襦袢のままのご帰還だ。女体からご本尊の神さんがご出御だと、見張の者がビックラしたとよ、ハハハハ。
遊一 ああ、三木さん。お使いですかね?
隊一 門前町に敵を打ちに行くなら今のうちだぞ。間もなく忙しくなるかも知れんからな。
遊二 そいじゃ、いよいよ、大きないくさが……。
隊一 うん、始まるかも知れん。相手は常野十二藩の連合軍だぞ。幕府が命令をくだしおった。ワッハハ、ふんどしを、シッカリしめておけよ。染川氏は屯所の方だね? (遊二のうなずくのを見て右手へ急いで去る)
(間。……遊一と遊二が互いにマジマジ顔を見合っている)
(今去って行った隊士が、屯所へ行って、いきなり何か煽動的なことを言ったらしく、右手少し離れたところで多人数がワーッと喊声をあげる)
遊一 ……ムッ! いよいよ始まるぞっ!
遊二 ああに、見ろ、十二藩の連合軍が何だっ! 今にぶっくじいてくれら! 絞れば絞るほど出るだなんて俺達百姓のこと、油カスみてえに人間扱えにしなかったさむれいめら、今度こさ、眼に物ば見せてやっから、待って居れっ!(と昂奮して猛烈に大釜の中を掻廻しはじめる)
遊一 (これも無意識に銃身掃除をひどい速力でやり始めながら)おい、そいでも足の辺がガタガタ顫えているぞっ! 汁ば、こぼすな!
遊二 お前だってよ! こりゃ武者顫いだっ!
(遙か遠くの方でドーンと砲声。続いてパンパンパンと銃声。再び砲声。その銃砲声を聞いてチョッと静かになった屯所が再び騒がしくなりワーッワーッと喊声)
遊一 オッ! また、味方が追込まれて来たぞっ!
遊二 くそっ! やれっ! 勝手にしろ、汁なんか拵えて居れるかっ! (と棒を投出して右手へ走りかける。そこへ右手屯所からバラバラと走り出してくる三人の遊隊士。前二人と同じような甲斐々々しい身形をしている。遊二それに突き当りそうになりながら)どうしたですっ! 始まるのか?
遊三 ウム、俺は本陣へ使いだ!(と柵の門をくぐって奥山上への路を駆け去って行く)
遊四 進発らしいぞっ! 出来たか、手入れはっ? (と遊一の方へ駆け寄って、銃を取り上げ覗いて見る)
遊一 おお出来た! (花道の方へ小走りに走りかけた遊五に)おい佐分利さん、どけえ行く?
遊五 僕は、命令で麓へ様子を見に行くんだ! (と走り出す。その間に銃を二三丁抱えこんだ遊四が「早く来い!」といって右手屯所へ去る。いわれて遊一は残りの銃を抱え、遊二は、「やれやれっ! キタコタ、ナイショナイショ」と叫びつつ同様右手へ消える。本舞台空虚。遊五は[#「遊五は」は底本では「遊二は」]黙って走りかけようとするが、草鞋のひものゆるんだのに気づいて七三に膝をついて締めなおしている。遠くの銃声。小銃の流れ弾が飛んで来て桜の花をバラバラと散らして、柵の青竹にでもあたったのかカチカチッ! と冴えた音を立てる。遊五はオウと言って振返って桜の散っているのを見、草鞋のひもを締め終って、揚幕の方へ駈け出しかける。そこへ揚幕からタタッと走り出してくる男。行商人と飛脚の合の子みたいな装いをして息せき切っている)
遊五 だ、誰だっ! (認めて)おお、あんたは水戸へ行った早田さんじゃありませんかっ! 藩の方はどうでした?
早田 佐分利君か! いやあっちも面白くなって来たぞ、奸党諸生組の朝比奈、佐藤、市川以下が正義党のことをおかみに讒訴するために江戸本邸に去って以来、水戸は正義党の天下だ。気勢が挙っているぞ。然し、おかみは例の通り煮え切らないでいるし、奸党には幕府がついている。所詮は幕府の尻押しで正義党を押えにかかるは必条、焦眉に迫っている。すでに時日の問題だ。武田先生、岡田先生以下の諸氏も共に起たれるぞっ! 僕は岡田先生の使いで来たのだっ! 水木、加多、その他の先輩は山上か? 屯所は? 本隊は?
遊五 そうです。それは痛快だ! 三木さんが第一屯所にきていられるが、寄らないでドンドン行ってくれ。本隊のことはよく知らんが、何でも玄勇隊はすでに日光を進出したらしい。じゃ後刻!
早田 そうか。君は、これから?
遊五 結城の方角へ一っ走り、本拠よりの伝令です。いや、抜刀隊と遊隊の一部で焼打ち、軍資狩りに行ったんですが、藩兵が多少出てきて抵抗、相当苦戦らしい。戻りに四五人叩っ斬って来るつもりです!
早田 よし、しっかりやろう、お互いに! ウム! (と二人手を取合いシッカリ握り合って、そのまま遊五は揚幕の方へ、早田は本舞台へ、走り別れる。早田、柵門内へいきなり走り込んで行きかけるが、チョイと立ち停って右奥屯所の方へ向って)水戸、岡田先生よりの使い早田隼人通るぞっ! (それに応じて屯所の方でのガヤガヤ言っている声の中に誰かが「おお早田、ご苦労! 早く通られえ!」と怒鳴る声が聞える。早田は柵門を通って奥への道を一散に走って消える。舞台空虚。……屯所の方では酒でも出されているらしく、笑声、叫声、拍手などの騒がしい音。中に、「剣舞だっ!」「よせよせっ!」「俺が、あやめ踊りをやるぞっ!」「よせ、ドン百姓っ!」「ドン百姓たあ何だっ! 百姓も士もねえぞっ! クソッ、同じように天狗隊の隊士だぞっ!」「ヒヤヒヤ! そこが百姓だっ!」「チェストオウッ!」等の声が聞きとれる。少し酔った声で隊士一が怒鳴る声……「剣舞なんど無粋なもの止せっ! 軍の門出に俺が踊って見せる! 見ろ、あやめ踊り今様っ!」……で踊り出したらしい。
歌声。他に三四人がそれに和す。沢山の手拍子の響。
――高麗のあたりの瓜作り、(ヨイショッと多数の掛け声)
瓜をば人に取られじと
もる夜あまたになりぬれば(ヨイショッ!)
瓜を枕に眠りけり――
歌声とともに興にのって、屯所の方より舞台へ踊り出してくる隊士一――前出――と隊士二。隊士二は小具足の上に白革の陣羽織を着て、刀を抜いてひらめかしながら。隊士一は『尊王』と書いた陣旗を持って、打振りかざしつつ。心地よく昂奮して歌いつつでたらめな乱舞を舞台一杯に。屯所の方より掛け声と手拍子と笑声。
――大和島根の民草の(ヨイショッ!)
ここに男児と生れなば
花の吹雪の下蔭に(ヨイショッ!)
大君の為われ死なん――
(その歌と踊りが、まだ終らぬのに、揚幕の方で怒声)
声 こらっ! 早く歩べえっ! 歩ばんかっ!
隊一 (惰性で踊りながら)おお、何だ? (二人花道の方を見る。揚幕より、うしろから突き転ばされるようにして来る二人の男。後より天狗党の歩哨、これは抜刀している。二人の男は恐怖のために真青になってガタガタ顫え一言も口が利けず、足腰もガクガクしている男。男一は四十年配の豪農の大庄屋らしく、男二は五十過ぎの、平常ならば如何にも剛腹そうな、町方の質・両替・金貸しを業としている男。二人とも天狗党から呼び出しを食って余儀なくやってきた者で、男一は紋付に袴のももだちを取り、白足袋はだし。男二も紋附の羽織袴でこの方はももだちこそ取っていないが、羽織のえもんが乱れ、袴のすそが地に垂れて、そのすそを、時々自分で踏みつけて前に突んのめりそうになる。袴の下から覗いている腿引のつけ紐がほどけてしまって引きずっているのが見える。男二はフロシキに包んだかなり重そうな物を抱えている。勿論二人とも無腰である)
歩哨 ええい、早く歩べというたら! (右手に持った白刃を二人の頬の辺にチラチラさせながら、左手で二人の肩の辺をこづく。二人のめり歩く)
男一 ……お、お、お願い、で、ご、ざりまする!
歩哨 だから早く歩べというのだ。いま頃になってノコノコ来るからにゃ、どんなことになるか覚悟の上だろう。行けっ!
男二 ど、ど、どうぞ、いのちをお召しになることだけ……。
歩哨 それは係りの方の前でお願いして見ろ。もう近い。それ、これが第一屯所だ!
(いわれて初めて男二人は前を見て、物々しい柵と二人の士を認めて、へへえっ、といったなり、ヨタヨタ、七三の所に坐り込んでしまい柵門の方へ向って土下座)
歩哨 また、坐り込んでしまう! 手数のかかる奴等だ、立て。こらっ!
隊一 おい、あまり手荒なことはするな。何だ?
歩哨 おお、いえ、四月初めにお呼出しを受けた物持分限者ぶげんしゃの中で、これまで出頭しなかった者で。沼田まできてウロウロしていたので連れて参りました。さ、歩べ! (と二人を押しやるようにして本舞台へ連れて行く)
隊一 フン、そうか。怪しからん奴等だ。どこの者で何と申す?
男一 ど、どうぞ、お助けなすって。お願い……。
隊二 じゃから、何という者か? どこだ?
男一 か、か、川尻で中山忠蔵と申しまする。
隊一 おお、貴様が川尻の郷士忠蔵か。百姓どもをはたいて大分、ため込んだというなあ。米倉だけで十何戸前だとか。たしか、本隊から玄米百俵だけ徴収、借受けるよう達してあった筈だが、持って来たのか?
男一 はい、百俵なんど、私などのところに、一度に、それ程はございませんで、こ、こんど三十俵だけ馬につけて参じまして麓まで、へい。あとあとは、また、あとあとで、たしかに……。
隊一 よかろう。
男一 へい? そ、それではここで戻りましても……?
隊二 馬鹿、山上へ行くのだ。あまく見るなよ、忠蔵とやら。貴様からはたき抜かれた百姓の子供やなんぞが、この山には大分いるぞ。しかも、いまごろまで呼出しを延引したこともあり、かたがた、そのチョンマゲが、その胴についているものやらいないものやら、保証は出来ぬ。此処ではわからぬ、山へ行けっ!
男一 へええっ!
隊一 (歩哨に)この者は?
歩哨 下妻の物持で戸山それがし――。
隊一 おお、長兵衛という奴だ。そうか貴様が戸山長兵衛か黄金二百両、そうだったな? 帳面を見るまでもない、佐藤先生のいっておられたのを憶えている。持参したのか?
男二 へ、へ、へい、持って参りました。しかし、そ、それが、ああた、二百両と一口に仰せられても、当今、……そんな訳で、五十金だけ、やっと、それもかき集めて参りましたため小判小つぶ取りまぜての……へい。
隊一 言うかっ! (スラリと抜剣。ビックリした男二が訳のわからない叫声をあげて飛下って転げる)当所より呼出されたこの辺一帯の物持分限者は三月以来何十人となく出頭した上にすでに御用をつとめている。それをいままで出頭に及ばず、しかも焼打ちを恐れていまごろになってノコノコ出向いてくるさえあるのに、下妻の戸山ともあろうものが、二百金のものを小粒こつぶを混ぜて五十両とは何事だ! それへ直れっ!
隊二 おい待て。此処でやるといかん。われわれの手落ちになって後で叱られるぞ。まあ待て。
隊一 天狗党の挙兵を何だと思うているかッ! 貴様達如き民百姓の膏血を絞って生きている大小の鬼畜を亡ぼすための挙じゃぞ。第一その因業そうなガン首が肩の上にチャンとしてくっついているのからして気に喰わん! 貴様何でも結城藩水野家の勘定方へも大分用立てているそうではないか! 返事をしろ!
男二 は、は、はい……(歯の根も合わず顫えている)
隊一 ふん、水野の勝任なぞという、ヒョロヒョロ大名なんどは、いまに叩きつぶしてやるからな、何千両貸してあるか知らないが、とれはしないと思え。貸すといえば、たしか百姓や商人に田地や家屋敷抵当で貸してある貸金の証文も持参しろといってあった筈だが持ってきたか?
男二 へ、へい。何で、何でござります。急なことで手が廻りませんで、あり合せのものだけをとり敢えず持参いたしましたが……(懐中より幾束もの書類を取出す)
隊一 出せ! (それを取って、見もしないでべりべり破って竈の火にくべてしまう)ざまを見ろ! (男二それらの書類の燃えて行くのを見てハラハラして思わず走り去ろうとするが隊士を恐れて走り去れず、アッ、アッ、アッと悲鳴をあげる)
隊二 (それを見て思わずふき出しながら)おい、ここで焼いてもよいのか?
隊一 構わん、金だけ持たせてやれば沢山だ。
(この時、揚幕より走り出してくる仲間姿の男。天狗組より江戸へ牒者として入り込ませてあった士である。無言で走って本舞台へ)
隊二 (これを認めて)おお井上でないか! また、変った姿で、何処へ行っていた?
仲間 おお、江戸だ。諸先輩山上か?
隊一 どうだ、江戸の形勢は?
仲間 面白くない。(早口に)市川・朝比奈などの走狗、書院番士にいた例の吉村の軍之進なあ、小策士め、彼奴などが中心になって策謀の結果、いよいよ武田先生下野げや、尚、吉村は江戸薩摩屋敷などにも出入している。何を始めるかわからぬ。天下の兵を向うに廻すことになるやも知れぬ。緊褌一番のときだぞ! 悪いことに、利根の甚伍左なあ、あれがどんな考えからか知らんが、吉村などの手を経て薩摩の奴等と往来している事実がある。どうしてあれを生かしておくのか、うん、勿論俺が斬ってやろうと一再ならず思ったが、独断専行を禁じられている、一応復命にきたのだ。詳しくはまた後で。通るぞ! (走り抜けようとして男一二を認めて)此奴等は?
歩哨 呼出しで出頭した物持で。
仲間 いまごろにか? (隊士一に)なぜ斬らん? 斬れ斬れ、こんなもの! 後刻! (といい放って門をくぐり奥へ走り去る)
隊一 フーム。武田先生下野げやか。吉村と甚伍左……。
隊二 それじゃ江戸に居たんだなあ……。
男一 ど、どうぞ命だけはお助けを!
隊一 ああ、まだいたのか! 早く行けっ!
男二 あの、それでは※(疑問符感嘆符、1-8-77) ど、どうも、ありがとうござ……(とペコペコしながら二人は花道の方へ行きかける)
隊二 馬鹿っ! 違うわ、そっちへ誰が行けといった! 山上へ行けというのだ。(男二人のそっ首を掴んで引戻し、門の方へ突きやる。歩哨に)早く! (歩哨心得て、二人を引立てて門をくぐり、こづき廻しながら山上への路へ消える)
隊一 元々あれは、田丸先生の内命を受けて使いに出た者ではないのかなあ? それが吉村や薩賊と往来するなどとは怪しからん。全体田丸先生などいまでも甚伍左を信頼していられるのか?
隊二 さあ、俺はよく知らぬ。……一寸待て。(と右手屯所の方へ去る)
(遠くで微かに銃声。揚幕の方より仙太郎小走りに出る。身なりは前といくらも変っていないが、素袷すそ取りの胸に黒漆の胴をつけ、草鞋ばきの素足に一個所繃帯し、他にも一二ヵ所血のにじんでいる薄手を負うている。すでに所々に転戦して生き延びて来た男の面魂である。明るいノンキな表情をしている。分捕ってでもきたらしい五六本の大刀――中の二三本は鞘がなくて抜身のまま――を無造作に荒縄で束にくくった奴を肩にかつぎ、自分の刀は腰にかんぬきに差し、それだけはよいが、どういうものか木綿のしごきで真中をキュッとしばった砥石を、肩から背中の方へ下げている)
仙太 (柵を見て)おお来た。いやにどうも持ち勝手のよくねえ代物だ。(七三に止り、刀の束を肩からおろして、左手で横なぐりに額の汗を拭きながら見渡し桜を目にとめて)やれやれ盛りだ。ここらあたりは山家ゆえ、紅葉のあるのに雪が降る、か。(冗談に声色じみて)はて、うららかな……。
隊一 おお仙太郎ではないか!
仙太 おっと、どっこいしょ。(と刀の束を再びかつぎ上げて本舞台へ)どうなさいました?
隊一 君の方こそどうした? 戦況はどうだ?
仙太 よくねえ。私あそれで使いによこされたんだ。相手はいくらヘロヘロ藩兵や軍夫の、命だけが惜しい奴等だとはいっても、先方にゃ大砲から小砲こづつチャンとそろっていて、ゴー薬は使え放題ときているんですからね。十発に一発づつ当ったとしても、ドスよりゃ割がいいや、あんたの前だけど、これからの戦は一式大砲や小砲になるねえ、俺が保証しといていいや。
隊一 また、ノンキなこといっている。それで?
仙太 一度は城下へ入りかけたけど、いまいった通りバタバタ打ちやがるもんだから、また、小貝川の此方、ホンのそこいらまで味方あ引いて来ましたよ。なあに此方にゃ死んだ者あ、あんまりねえ。こないだあたりから見りゃ戦争ゴッコみてえなもんさ。しかし、本隊が留守だと見て取って、もしかすると追い討ちと来るかも知れねえから、やっぱり皆に出かけて貰わねえじゃなるめえ。その使いで来たんだ。皆さん、屯所ですね? (右手へ行きかける)
隊一 そうだ。それは愉快、腕が鳴っていたところだ。その担いでいる刀はどうした、仙太郎?
仙太 これかね? こりゃ分捕って来た。まだロクな刀を持たねえ連中に分けてやろう。
隊一 何処から持って来たのだ?
仙太 まさかドスが畑から生えてはいねえ。斬って取って来ました。
隊一 フーム、それだけ全部か! いつものことだが、やるなあ、貴様!
仙太 向うが弱過ぎるんだ。それを殺そうてんじゃねえ、チョイチョイとやったばかりで、ドス投出して逃げて行くんでね。
隊一 ハハハハ、ときに、一ときばかり前に貴公を訪ねて来た上郷村人足寄場の者だといった変な男にはあったか? いないといったら結城の方へ追掛けて行ったが?
仙太 あわねえ。どうしたんで? 寄場だと?
隊一 うむ。真壁の仙太郎さんのお名前をお慕い申してやって来たといっていた。貴公えらい人気だぞ。何でも寄場あたりでも、今度のわれわれの挙に加わりたい志を持った者が何十人かいるそうだ。あばれ者並びだからイザとなりゃ役に立とう。真壁の仙太郎親方に口添えをしていただいて軍夫でも雑役でもよいから加えていただきたいといったからな、拙者がいってやった、それなれば仙太郎に頼むまでもない、天狗党は天下無辜の者の味方だ、ドシドシやって来い、それで……。
仙太 待った、あんたも余計なことをいったものだ。……天下無辜の者の味方だなんぞと、いつも相変らずの大ざっぱをきめ込みなさるが、段々見ているてえと俺にあ、そうとばかりは見えねえがねえ。こいつは真面目な話だけれど、どうだろう? 天下の事天下の事と口ではいっても近頃の皆さんのなされ方あ、水戸城内がどうしたの、江戸の藩邸がこうしたのと、まるきり藩の内々の内輪喧嘩ばかりに身を入れていなさるように思えるが? 第一、勘定に入れていた長州も因州も別に軍を始めはしねえというじゃありませんか? 天下の事とばかりで好い気持になっているときじゃあるめえと思うんだが。……怒っちゃいけねえ、俺達げすの考えることなんだから。
隊一 そうか、ふん。……気に喰わなければ脱走して行け。貴公、命が惜しくなったのだ。
仙太 俺が? 冗談いっちゃいけねえ。それくらいなら初めっから来やしねえ。どう間違ったってこんなヤクザの体一匹投げ出しあ、それで済まあね。俺のいっているのは、沢山の人様のことだ。フラフラッと人気にくっついて此方へ来る連中は、またフラフラッと向うへ行っちまう連中だ。あんた方あ、天下何とかで民百姓貧乏人のことばかりに肩を入れて考えて下すっているのあ、ありがてえ。がだ、俺達の頼りにするのは貧乏人だけど、また、これで、何が頼りにならねえといっても貧乏人ほど頼りにならねえことも考えとかなきゃならねえというまでさ。
隊一 だが寄場人足がわれわれの味方で無くて、他にどんな味方があるか?
仙太 だからさ……。(いい続けようとするが止めて)とにかく俺にあいに来た者に、俺が会わねえ先に余計な油を掛けるのは止していただきてえ。
隊一 ふん。……挙兵以来、戦功抜群というのを鼻にかけて増長するなよ。百姓上りの無頼の徒が、士に向って何という口を利くか!
仙太 何だって? それをまた……。ま、いいや。チョイと急ぐから、まあごめんねえ。(右手へ去る)
隊二 百姓め、推参な! (ブリブリして歩き廻る)
声 (揚幕より)おーい! (叫びながら一目散に走り出してくる使者。小具足で身を固め、左手に手槍を持ちっている。ドンドン走って本舞台へ)
隊一 待てっ! 誰だ※(感嘆符疑問符、1-8-78) (怒りの余憤でよくも見ないで抜打ちにしそうな姿勢をとる)
使者 本隊よりの使いの者だ、邪魔すなっ!
隊一 おお尊公か! どうだ本隊は!
使者 おお! いや話にならん、手に立つものが無さ過ぎるぞ! 日光より宇都宮へ出て、あれより下って、目下、下野太平山おおひらやまだ! 田丸先生以下大元気だ! 通るぞっ! (いい放って門をくぐり山上への道を駆け去って行く)
隊一 そうか、下野太平山か! やれやれっ! (使者とすぐそこですれ違ったらしい前出の早田が門内の道をトットと走って出て来る)おお早田! また水戸へか! 本隊は太平山だぞ!
早田 ウム、忙しくなって来た。知っている。進発かな、いよいよ。真壁の仙太郎いるか?
隊一 うむ、屯所だ。どうして?
早田 山上ですぐ来るようにと呼んでいられる。僕は急ぐから、君、そう言ってくれ!
隊一 承知した! しかし早田、その君、僕というのは止さんか、耳ざわりでならん。仙太に何の用事だ、あれはどうも……。
早田 おいおい、旧弊なことをいうのは止めろ。僕は急ぐから、では頼んだぞ! (小走りに花道へ。隊一はそれをチョッと睨んでいた後で、舌打ちをしてクルリと振返り、右手屯所の方へ去る。花道の揚幕から尻の方から先に後向きになって出て来る段六。此処へくるまでに何度もおびやかされたらしく麓の方を見込んでは顫えながら。本舞台から走って来た早田、それに突当りそうになって踏止り、相手の後向きの姿にビックリして見上げ見下ろす。段六あっちこっちをおびえた顔で見廻しながら、後退りに歩いて七三。早田呆れて見ながら、これも後退り。遠くで大砲の音。ギックリして、やにわに前へ向き返り駆け出しそうにして段六、早田を認め、二度ビックリして、ガタガタとへいつくばってしまう)
早田 何だ、貴様?
段六 あ、あ、怪しい者ではござりません。真壁の、真壁の百姓でござりまする。どうぞお助けを! へい!
早田 フフフ、誰が斬ると申した? ここへなにしに来たか? 天狗隊へ入るために来たのではないようだが? 顫えていないで早くいえ、忙しいのだ!
段六 へい、て、て、天狗隊へ入るのなんぞと、そんねえな、あんた様! こちらにいる筈の真壁村の仙太郎と申す男の少し身寄りの者でごぜます。どうか、あわせてやって下せえまし。へ!
早田 なんだ、それならそれと早く言え、尻の方からなんぞ登って来て! 仙太郎ならば、それ、あそこの矢来のズッと右の方に屯所がある、そこにいる。行け! (言い放ち、走って揚幕へ消える)
段六 あれでごぜえますか、さようで。ありがとう存じまする。いいえ、麓の方からここまで出会う人ごとに四度も五度も刀を抜いたりしておどかされまして、そいで、あんた……。ああ行んでしもうた。やれやれ、ありがてえ。やっと仙太公にあえる! (本舞台へ、ビクビクしながら歩いて行き、柵門の辺まで行きウロウロしていたが思い切って右奥の方へ向けてビクビクもので小腰を屈めながら)へい、お願え申しまするお願えいたします。あのう、真壁村の仙(……そんなところから屯所まで聞こえる道理がない。返事の代りに屯所の方で十四五人の声で「オウ」と叫声がして、後、シーンとする。誰か二、三人の人間が何か命令している声。中に隊二の声で「遊隊の残りおよび一番隊は、三十八名は裏山より別手として太平山へ直行! 遊隊十五名は麓において味方に合し、結城へ。よいかっ! 進発!」という声がハッキリと聞き取れる。同時に隊士二を先頭にして遊隊の十四、五名が一列に並んで右手より急ぎ足に出て来る。中に三、四の軽輩らしい士が混っているだけで殆ど全部が百姓と町人出の者ばかり。前出の遊隊一も二もその中にいる。全部、不揃いではあるが甲斐々々しい戦仕度。緊張して皆無言である。段六など無視して花道へ)
段六 あれまあ! フェー! (めんくらって、飛退り呆然と見ている。大部分が通り過ぎてしまってから、その中に、仙太郎がおりはしないかと思い出して、隊士等の顔を覗き込むようにする)あのう、もし! もし! 真壁村の……。
隊二 駆け足! (十五名は小走りに走って順々に揚幕へ消える。十五名の一番最後に少し離れてついて出てくる仙太郎。左手に抜身、右手に砥石を下げて)
仙太 真壁村……?
段六 おっ! ここにいた、仙太公! お前ここにいたのか仙太公!
仙太 おお段六公ではねえか! お前まあ、どうした? いつここに来た。
段六 仙太公! 俺あ、俺あ、あの……(と何から先にいってよいかわからず、泣き出してしまう)
仙太 まあ落着きなよ段六公。ハハハハよく来た。
段六 俺あ、此処までくるんで、おとろしくって、おとろしくって!
仙太 お前がこんなところにノコノコくるのからして酔興だぞ。どうだ、お妙さん達者かえ?
段六 お前、戦に出かけるのではねえのか? あれについて行かなくてもええか?
仙太 うん、いや、俺あこれから、呼ばれているんでお山へ行くんだ。
段六 そんでも、その刀……。ひっこめてくんな、仙太公。
仙太 これか、そうか。よしよし、(抜身を鞘に納める)
段六 そっちの奴は、それはあんだい?
仙太 これか、これは砥石よ。
段六 砥石だと? 砥石を何にすっだい?
仙太 刀を磨ぐのよ。刀あすぐに斬れなくなっからな、磨いじゃ斬り磨いじゃ斬りするのよ。
投六 人をかえ? ……ウーン。
仙太 お妙さん、子供達、丈夫でいるのか?
段六 (初めてわれに返ったように)……ウム。何がむごいというたとて、仙太公、お前ほどむごい男はいねえぞよ。こうしてやって来た俺を掴まえて、しょっぱなにいうことが。お妙さま丈夫か? いくら、お前、嬢さまに惚れているからというても、そいつは、むげえというもんだぞ! 俺だとて、お妙さんのこと、優しい綺麗ないじらしい嬢さまだとは思うている、思うていればこそ、お前のことづけた金を持ってってやって以来、ズーッと植木にいて面倒見て来たがそんでも、俺あ惚れているのとは違うぞ! 見損っては貰うめえ。いくら何でも――。
仙太 アハハ、俺が悪かった。じゃ、どういえばいいのだ、段六公?
段六 どうもこうもねえ、お前こんねえに物騒なところにいるのは止めて、真壁へでも植木へでも帰るべえ。戦争なんぞ、してえ人に任せておけばよいのだ。
仙太 そいつはできねえ相談だ。
段六 できねえと? フン。……おお、いいや、帰るも帰ることだが、早く逃げろ、逃げてくれろ。いまに長五郎とやらのバクチ打ちが、命を取りにやってくるぞ。
仙太 長五郎が? くらやみがかえ?
段六 シラを切ろうとしても駄目の皮だ。俺にことづけたあの時の金は、バクチ場を荒して取った金だろうが? さ、どうだ! いいや、いいや、俺あもう知っているのだ。そのときに、お前、滝次郎てえ親分ば斬ったろう? その滝次郎の息子を負うて、仇討ちをするんじゃと言うて、その長五郎という恐ろしい奴がお妙さんの内へ来よったのだ。
仙太 フーム。……そうか。
段六 お前という男は、何とまあ因果な男だ。いいや、俺が腹を立てたのは、そんなことではねえ。お妙さんのことだけを聞いて、その前に兄きのことはなぜ問わねえのだ? 仙エムどんのこと、お前忘れたのか?
仙太 おお、それじゃ兄きの行方がわかったのか※(感嘆符疑問符、1-8-78)
段六 それ見ろ、馬鹿にしくさって※(感嘆符疑問符、1-8-78) 行方がわかったわ。仙エムどんはな……。いや、ま、これを見ろえ! (懐中から位牌を出して地におく)野郎、眼のくり玉ば、ようく据えて見ろよ。
仙太 こいつは白木の位牌だが文久三年十二月廿五日、去年の暮か。すると……まさか……?
段六 そりゃ表だ。まだ戒名もつけてねえ。裏を見ろえ、裏を!
仙太 (位牌を裏返して見て)お! それじゃ……!
段六 (鼻をクスンクスン言わせて)お前が、こんなロクでもねえ戦なんどに夢中になっている間に、仙エムどんは、そんねえにならした。(その間仙太郎は位牌を見詰めて立ったまま目まいでもするらしいようすで呆然と黙っている)……仙エムどんのように腹の中の綺麗であった人もねえが、また仙エムどんのように仕合せの悪かった仁も珍しい。あれは本当のお百姓であったて。俺あ太鼓判を押していうが、あれが本当のお百姓であったて。俺あ泣いても泣ききれねえぞ。
仙太 (やっとわれに返って泣く)……兄きよ。どこで? 段六公、どこで、どうして? お前のところでか?
段六 俺とこの畳の上で病気で死なしゃったのならば、こんねえにいいはせぬ。人に斬られて死なしゃったのだ。
仙太 お、人に斬られて※(感嘆符疑問符、1-8-78) だ、誰だ、斬ったのは?
段六 それがわかるものか。しかし人の噂では何でも(四辺をキョロキョロ見廻して)ここの天狗の者が斬ったというぞ。
仙太 う、嘘をつけ! 証拠があるか?
段六 証拠はねえ。去年の暮、そうだて、あれはお前が金を持って俺とこへやって来て、お妙さまに持ってってやるように頼んで行った次の次の日だ、結城様の軍夫が沢山斬られて死んでると聞いて、もしやと思って行って見たら、その中に仙エムどんがいた。ここからこう、たったの一太刀で割りつけてあったあ。うん……。あんでも、仙エムどんは方々をウロウロして暮している間に、結城の藩士につかまってしまい、無理やりに雑役に使われていたらしい。その時の兵糧米の俵ば担がされていたのを、ブチ斬られて米は天狗に取られてしもうたそうな。
仙太 ……どこだ、そ、それは?
段六 佐分利の方の縄手だ。
仙太 あんだとっ! 佐分利の繩手! さ、さ、佐分……!
段六 あによ、そ、そんな恐ろしい顔すったい? ああに、下手人はわかりっこねえ。あんでも生残った人の話に、その晩はひでえ闇夜で、また、其奴等というのがひでえ切り手で、その仁なんども、直ぐ後を歩いていた者がバッサリやられるまで知らなかったそうな。後の方から一人々々追い打ちに斬られていても、どういうもんか、声もあげはせなんだということじゃ。……どうしたえ仙太公? おい?
仙太 (いきなり段六の胸倉を取って)去年の師走二十五日、闇の晩、佐分利の繩手で追い打ち! 嘘うこけ、段六!
段六 こ、こ、こ、苦しい、あによすっだい、これ! 嘘でねえ、嘘をついても何になるだ?
仙太 ……(段六から手を離して、ユラユラしながら暫く自分の前を見詰めて立っていたが、足が身体を支えきれなくなって、アムと低い唸声を出したまま前にのめり、うつ伏せに地に転がる)
段六 こ、これ! どうしたのじゃ、仙太公! これっ! 出しぬけに、まあ……仙太よっ!
(丁度そこへ門内奥、山上より急ぎ足に話しながら出てくる前出の仲間姿の井上と加多源次郎、それに隊士の水木の三人)
水木 こない所を見ると、一緒に進発したのか、仙太は?
加多 そんな筈はない、山上にくるように早田にいっといたのですから。
水木 (段六と仙太郎を認めて)おお、何だ? こらっ、貴様、何だ?
段六 (仙太を助け起しかけながら)ひえっ! へい!
加多 ああここにいるか、仙太郎。
水木 何だと言っているのだ! 言わんか! (刀の束に手をかける)
段六 (這うようにしてわきへ飛び退いて)あんでもねえ、へ、へい! ひゃ、百姓で仙太の朋輩で。これっ、しつかりせえよ、仙太公。これっ!
加多 仙太郎は、よろしい。早く帰れ!
水木 怪しい奴だ。帰らんかっ!
段六 (相手がいまにも斬りつけそうなので、転げるようにして左手へ走りながら、すでに身を起しているが茫然としている仙太郎の方へ首だけ振向けて)な、仙太よ、その長五とやらが来ぬうちに早く逃げてくれよ! 殺される! 罪ば作るなっ! いいや、早く真壁なりと植木へなりと百姓をしに帰って来い! こんな、こんな……。
水木 まだいるかっ! (抜刀)
段六 (びっくりして、走り出して花道へ。七三で振返って)こんなところにいねえで、早く帰って来いよ、仙太! (言い放って井上が追って来そうな気配を見せるので一散に揚幕へ消える)
井上 いいのですか、逃がして? やって来ましょうか?
水木 ウム。怪しい男だ。
加多 いや、待たれ。大事ない。それよりも……おい仙太郎。何をボンヤリしているのだ?
水木 こら、しつかりせえ! 呼んだのに何故来ない?
仙太 ……兄きを斬ったのはこの俺だ。
水木 どうしたと? 何をいうか、馬鹿。
加多 仙太。(仙太の肩を掴む)
仙太 (眼が醒めたようになり)へい、こりゃ加多さんに、水木先生。
水木 いまの男は、確かにお前の友人か?
仙太 段六……。(見廻して)ああ、もう行ったのか。さようで、へい。(また、二つ三つ泣き声がこみ上げて来る)
井上 大丈夫ですか、この男で? 何だか少し……。
加多 いや、それは拙者が保証する。こんなふうになるよ。京都で土州の士で飯田という、これがその方にかけては名人といえる奴で、十日に一度は斬って居らぬと眠られぬと称していたが、よく知っていたが、その男が時々おかしくなるのだ。それが無いと斬れぬ。いって見れば、それで初めて本式な凄味がついてくるとでもいうか。……仙太郎、これからすぐ江戸へ行くのだ!
水木 重大な使命であるによって、その積りで! 万事、井上君に聞けばわかる。少し荷が勝つかも知れぬが、遊隊第一人のお前だ。どうかしっかりやってくれよ。
仙太 また、やるのか? ……へい。
加多 為終せれば殊勲だぞ。その当の吉村軍之進といったな、井上? たしか、小野派一刀流切り紙以上、なお、甲源流に少しいた、それに小太刀をよくするそうだ。朝比奈などの蔭にかくれて懐刀などといわれている小策士らしい、如何にもな、小太刀とは。どっちにしろ、そこら辺の藩兵づれとは違う。あなどるとおくれを取るぞ! よいか仙太。
水木 事は迫っている。早いところを頼む。それに、利根の甚伍左、吉村と一緒におるか、おらなくとも、場合により斬ってよい。いや、あんな奴は斬ってしまったがよい! なお、長州の兵藤もともにおるかも知れんが、これもやれればやって大事ない。万事、井上と相談してやれ。半分でも成功すれば、その日より、お前も士分以上の扱いは、約束して置く。なお、当座のかかりに、これを。(金包みを出す)
井上 打合せは途中でよい。急ごう!
仙太 加多さん……俺あおことわりしてえ。
加多 なに! 何んと申す?
仙太 誰かほかの人をやっていただきてえ。
水木 こら! 命令に背くか、貴様! なんでだ? 理由を言え! 理由をいわんか!
仙太 ……へい。
(短い間、三人が仙太郎を見詰めている)
井上 チェッ、急ぐのだ! グズグズしている間に、奴等が、また京都にでも行ってしまって見ろ。よろしい、拙者一人で何とか……。
加多 待たれ。失敬なことをいうようだが、君一人では歯が立つまい。まして相手は二人三人になるかも知れぬ。仙太、いま更になってどうしたのだ?
仙太 ……お願えだ、ほかの人を。
加多 思い違いをしてはいけないぞ、これはわれわれが独断で命ずるのではない、田丸先生以下諸先生の最初からの計画にあったことだ。いま本隊不在中に知らせがあったため、実行に移るまでの話。思い違いをすな。
水木 貴様、臆病風に吹かれたな。軍律を忘れたか! 斬って捨てるぞ!
仙太 そうじゃござんせん、そうじゃねえ。……が、臆病風に吹かれたとして置いて下すってもいい。加多さん、俺、少し考えてえことがあるから。
加多 いって見ろというのだ、それを。聞こう、筋の通った話ならば、われわれも考えて見よう、無駄にはすまい。
仙太 いいえ、筋の通ったなんぞと、そんな訳のもんじゃねえ。ただねえ、ここの挙兵以来、ズーッとやって来たこと、こんなことばかりしていてよいと、お前さん方、思っていなさるかねえ? こないだからたずねようたずねようと思っていたが折が無かった。……俺あもともとこんな百姓上りのバクチ打ちで、皆さん方の理屈はロクスッポわかりゃしねえ、けど、五分の魂があればその五分だけのもので考えるんだ。ま、待ってくだせえ水木先生、いえね、俺だとてこんなふうなことてえもんが、将棋を差すんじゃあるめえし、これがこうなればこうなると、そう思った通り右から左に運べるもんだとは、まさか思ってやしねえ。しかし、ありよういってしまえば、こねえだからお前さん方のしていることは何から何まで、書生派がどうの江戸藩邸の実権を誰が握ったのと、水戸の藩内の内輪喧嘩だけじゃありませんかねえ? 待った、ま、待って! 口が過ぎたらあやまる! 早い話が、あんた方あ、あをのいてばかりいなさる。百姓やなんぞを見てやろうとはしなさらねえ。俺あ方々でこうして随分人も斬ったし、……どんなことでもやった。どんなことでもねえ。へい。……いまの話だっても、無理に行かねえとはいっていねえ。しかし、それというのも、少しでもいいから民百姓によく響けと思えばこそのことだ。
加多 そのことを我々が忘れていると申すのか?
仙太 いえ、そうはいわねえ。いわねえが、この調子で内輪喧嘩ばかりで日を暮しておれば、先に行ってどうか知らねえが、あんた方のおつもりが下々に響く頃が来れば、かんじんの百姓は一人残らず消えて無くなっていやしねえかと思うんです。
加多 (ひどく静かに)よろしい、お前のいうことはよく解った。では聞くが、仙太、お前は最初ここに来た際に、本隊の志の存するところ、われわれの大義の根本に充分理解がいって参加したのだな? それを承知の上で生命を投げ出すという誓約の上で参加したな?
仙太 へい。
加多 それから、一旦加盟した上からは、上長の命令に背いた場合、隊士としての面目を汚した場合、斬られて死んでも不都合無いと……?
仙太 (加多の静かなのは、いまにもズバッと抜刀して斬りつける前ぶれであることを知っているので、ジリジリ後へ退りながら)斬って下すっても、ようござんす。
加多 フフフ、斬ってもよいが、俺は斬らぬ……。もう一つ訊ねるが、ここに命を投げ出して投じたのなら、俺達のすることを黙って信じて、今日の使命に出かけるわけには行かぬかな?
仙太 ……へい……。
加多 どうだ? ……本組の隊士は何びとと雖も、本組の大義について、また本組の行動について、勝手な臆測、論判、上下するを許さぬ。これは承知か?
仙太 へい……。
加多 要は尊攘の大はいの下に、世情一新のための急先鋒となれば足りる。……(突然裂くようにはげしい声をあげて)事の成る、成らぬをソロバンで、はじいた上で、かかることが行われると思うかっ! たわけっ!
仙太 (殆ど威圧されて)……へいっ!
加多 (短い間。……再び静かな句調)……どうだ、仙太? それでも行けぬとあれば、仕方が無い、お前、山を下って脱走しろ。とめはせぬ。
水木 いや、それはいかん。軍律に依って、こんな……。
加多 今日限り山を下れ。
仙太 ……加多さん、行きやしょう。
加多 江戸へか?
仙太 へい。
水木 そうか! よし、行ってくれ。しかし、手加減をすると承知せんぞ!
仙太 斬ると言ったら斬ります。しかし加多さん、俺あその、甚伍左の親方あ、ご免ですぜ。
加多 それはならぬ! 恩は恩、義は義だ。
仙太 恩のことじゃねえ、親方がそんなことをなさる筈はねえ、何か行き違いができているんだ。
加多 どちらにしろ、井上君の命令通りにやれ。おため派の策士等と薩州あたりの牒者をスッカリ斬ってしまわぬうちは、ここへは帰ってくるな!
井上 じゃ、急いで行こう。仕度は?
仙太 これでいい。じゃこれはいただいときます。
水木 無くなれば、そう言ってよこせよ。しかし、なるだけ、それの無くならぬ間に、手早くやれ。
仙太 では、加多さん……。(すでに先に立って歩き始めている井上の後に従って、花道へ。立止って懐から位牌を出してチョッと見ていた後、それをポイと後に捨てて歩き出す。が直ぐ何と思ったのか、スタスタ引返して位牌を拾って再び懐中にして……)
井上 どうしたんだ?
仙太 いえ何でもねえ。急ぎやしょう。(二人揚幕へ消える。それを見送っている加多と水木)
(間)
水木 あれにやれるかな?
加多 え? ああ、それなら大丈夫。拙者はよく知っていますが、剣を取ってあれだけの押しがきくのはチョッとない。
水木 私にもそれはわかるが、だが、気に障りがある場合、十のものが五つも働けないもんだからなあ。要は、山を負うて戦うか、水を前にして戦うかにある。妙なことを言っていたが、危っかしい。直ぐ後からかい添え併せて目付けのため、シッカリした者をもう一人やろう。
加多 そう。やられるのは結構ですが、目付けとは、彼のために可哀そうですな。妙な男で本当に殺気立って来る前には、いつでも、あんな風なことをいいます。果して来ると言った言葉を信じてやって下さってもよろしい男です。しかし……。
水木 しかし?
加多 いや…… あれの抱いている疑いにも一応の理がありはしないかと考えているのです。
水木 何を馬鹿な! いま更、薩賊会奸づれの……。
加多 いや、それだけの話なんですが。……(遠くで起る砲銃声。銃丸が飛んで来てバチバチと物に当った音)……万々が一、あれが仕損じて幕吏または書生組に捕えられでもした場合は、水木さん?
水木 なあに、たかが博徒だ。隊士に非ずということで押し切れる。まさか違っても、手を廻して斬捨ててしまえば口は利けぬ、かい添え兼目付に後を追わせようというのもそれもあるからだ。ハハハ、無頼一匹、うまく斬っても、斬られてもだ、よしんば捕えられても後腐れはないからなあ。特にあれを頼んだのも、それがあるからだ。さ、行こう! (ドンドン山上への道へ去る)
加多 だがそれは。……(遠くの喊声と身近く音を立てる銃丸の中に腕組みをしたまま考えながら井上と仙太の去った方を見送って立ちつくしている)
(幕)
[#改段]

6 江戸薩摩ッ原の別寮

 元治元年六月。夜。
 薩摩屋敷からあまり遠くない別寮。薩藩士鷲尾八郎が多少の縁辺をたよって持主の大質屋から借りて、控えのため秘密な会合等に当てている座敷である。
 十畳ばかりのガランとした室。濡縁。庭がそれを取囲んでいる。寮の左側の部分は植込み。その前を廻って左手へ行き少し奥まって見える板塀。それに厳重なくぐり戸。板塀は二重になっていてやや高い奥(外側)の塀には竹の忍び返しがついている。その外が通りになっているらしい。室内に立てられた明るい蝋燭の光の中に対座している井上(前出)、長州の兵藤(前出)、水戸浪士吉村軍之進、それに少し下って縁側近く利根の甚伍左。
 井上と兵藤がかなり前から激論していて、もういうべきことはいい尽した末、なおもいいつのろうとして口調も態度も殺気立っている。吉村はニヤニヤしながらそれを横から見ている。甚伍左は無言で時々腰を浮かしたりしてハラハラしている。

井上 ……いま更、いま更、子供をだますようなことを言われなっ! 水戸が如何に時世に不敏なりとは申せ、まった、拙者不学といえども、それくらいのことはとくに存じおる。去年貴藩において外国軍艦を砲撃されたことも、薩州の英艦撃退のことも知っておる! それは振りかかった火の粉を払ったまでの話。
兵藤 なにっ! 振りかかった火の粉を払ったまでの話だ? とそれを正気でいうのか、貴公?
井上 よしんば、それだけの志あってのこととしても、今日においては薩長会津三藩のみでなく拙藩を初め州、因州その他大義に志を抱く藩は多数これあり! これらが小異を捨てて大同につき連合してことに当れば、とはすでに五年も六年もの前から小児でさえ考えなかった者は無いのだ! それをいま更尊公の口から、さかしら立てて聞かして貰うのは、余りと言えば白々し過ぎると言うのだ! それは、命旦夕に迫った病人、それも薬という薬を試みても甲斐のなかった重病人に、いま更になって飴をなめさせて治せと申すのと同様! 人を馬鹿に扱うのはよい加減にされっ!
兵藤 馬鹿に扱ったと? 拙者が尊公をか?
井上 そうではないか! 拙者をとは限らぬ、水戸全藩を……。
兵藤 (おっかぶせて)救えぬ! うん、これでは救えぬ。ひねくれよったのだ。以前からそうであった。それが、庚申桜田のこと以来特に甚だしくなった。薩藩から見捨てられるのも道理だ。
井上 ひねくれたとっ?
兵藤 そうだ! 他に何といいようがある?
井上 (ジリジリして)ウー。よし、それはよい、ひねくれたとして置いてもよい。然しながら、庚申のことは拙者等、父祖先輩諸氏の義慨に発したことだ! ことの是非善悪に非ず、それをとやかく批議されるにおいては拙者としては黙許出来がたいことはご承知であろう。どうだ立たれるか! (畳の上に置いた大刀を掴んでいる)
甚伍 井上さん、まあ、ま……。
兵藤 それだ、すぐそれだ。庚申のこと以来と申しただけで、批議するといっても他に拙者が何を申した? ひねくれでなくて何だ? むしろ拙者一個としては、あれについては関先生以下の諸氏に感謝している。それとこれとは別だ。なるほど水戸の人間は鋭い。しかし鋭過ぎる。いつも行き過ぎるのだ。よろしい、立てといわれれば立たぬでもない。だがお互い命を捨てるのはいつでも捨てられる。ま、聞かれえ! なるほど諸藩連合のことについては、いまとなっては、いつどこでいってもいま更めくことは拙者も知らぬではない。全国諸藩の事情がかくの如く複雑に入り組んで来ては、連合の望みも殆どないというのも、一応の見方だ。しかしだ、よいか! そのようなときだからこそ、いまこのことを声を高くしていわねばならぬのだ! わかるか? 大道は複雑高遠のところにあるのではなく、却って単純な見易いところにあるのだ! 事柄の中に巻き込まれている者には、その事柄の繁忙の中に取りまぎれて、それが見えなくなってしまう。最初の大義を忘れがちだ。これが子供だましのように思える。殊に即今諸藩のやり口を見ていれば、漸く天下のことを没却して、各々自藩の利益々々と立廻るか、何事をするにもまず「が藩が」「おれの藩が」というところがありはしないか? 失敬かも知れんが、敢えて申せば、貴藩の去年から今年来のやり口、引いては単独での数回の打払い願い上書の如き、それだ! 如何!
井上 なにっ! そ、それでは貴藩はどうだ?
兵藤 拙藩にもそれがないとはいわぬ。いくらかあろう。しかしながら大局より見て、長州は貴藩ほど功をあせってはおらぬ。ま、下におられい。聞くだけは聞いてからでもおそくはない。なぜ、拙者がかかることが言えるかと申せば、出身が長州とは申しながら、拙者のいたしていること、いっていることは一国一藩の休戚のことでないと自ら信じているからだ。
井上 フン、フフ……。
兵藤 な、何をあざ笑われるのだ!
井上 おかしければ笑う!
兵藤 おかしいとは何がおかしい? 無礼……。
吉村 兵藤氏、君までか? ハハ、まあよいて。
甚伍 全く。もう、論の方はそれくらいになすって……。
兵藤 いや、ハッキリさせておかねばならぬこともある! 貴公、何がおかしいのだ?
井上 調法なものよ、口というものは! 何とでもいえる。フフ。
兵藤 それでは、拙者が腹にもないことをいっているというのか? それを聞こう。何がどうなのか聞きたい。いわぬか?
井上 そうか、それが聞きたいか。それなればいおう。いい抜けは無用だぞ、よいか貴藩のやり口が正々堂々の道を踏んでいるものなれば、第一に拙藩有志において常野じょうやの間に事を挙ぐれば貴藩においても相呼応して事を挙げ幕軍をして前後両難に陥らせようとの約、および第二にいよいよとなれば軍資武器その他のことは貴藩において考慮手配しようとの口約、これはどうなったのだ?
兵藤 そ、そ、それをまたいうか! 先程も……。(いいつづけるが、無駄と知り呆れたような顔をしてフームと唸っている)
井上 何度でも申すぞ! これについて明瞭な返答をしてから、いくらでも小綺麗なことを申されよ。大義とやらの話もその後で聞く。
(間。――井上と兵藤、マジマジと睨み合っている)
吉村 (甚伍左に)おい、酒はもうないか?
甚伍 へえ、何しろ無人ぶじんで。
吉村 表の児玉を呼んで買いにやるか?
甚伍 それでは外廻りの警固が手薄になります。
吉村 そうビクビクせずともよいということよ。
甚伍 しかし、何しろ……。
兵藤 (不意に青い顔になり)貴公は天狗組の隊士か?
井上 ……そうだと申したら、何とするのだ?
兵藤 それならたずねたい。いま、貴公のいったことは、水戸全藩とは敢えていわぬが、筑波の藤田氏田丸氏以下全隊士の意見か? つまり筑波党を代表されてのお考えか? それとも貴公一個の?
井上 代表だといつ申した? ……しかしながらわれわれは誰やらと違って邦家百年の計のためにともに身命をなげ打って結束した者だ。一人々々てんでの考えでは動いておらぬことは申しておこう。
兵藤 フーム、そうか。……よし、それではそれに答える前にもう一つ聞きたいことがあるが、……貴公、本月五日京都池田屋における変の事はご承知か?
井上 知っている。それが何としたのだ?
兵藤 それでは、よろしい! いってしまおう。長州表より次第に進発した軍が、いよいよ事容れられずんば、おそくとも本月末、京都を包囲して天下の軍を敵に廻す計画のあることを知っていられるか?
井上 知らぬ。……それが?
兵藤 それが如何なる考えで行なわれることか察しられぬか?
井上 フン。拙藩との口約を果すためと言いたいのだろう。が、それよ。それこそ、貴公先刻いわれた「おれの藩が」の雄なるものでなければ幸いというもの。そんなことよりも、それなれば貴公、薩州あたりの者と度々どど往復されるのは、何のためだ? ハハ、これも大義のためか。大義が泣くぞ。第一このように、ここら辺で薩州屋敷の者の隠し座敷などにウロウロ出入してシッポを出さぬようにされたがよかろう。
兵藤 何をいうかっ! 今日のことは甚伍左の口添えもあり、吉村氏もその気があるところへ第一貴公から申入れがあったから、不肖兵藤大きくは邦家のために取り計ったことだ! 鷲尾もそれを望んでいる。誰も彼もが水戸者のように尻の穴が小さいと思うと当てがはずれるぞ!
井上 よし! 問答無益だ! 立てっ!
兵藤 よろしい。馬鹿め!
甚伍 ま、お二方とも、鎮まりなすって。ここで変なことが起れば、せっかくの鷲尾さんの顔をつぶし、引いてはようやくまとまりかけた薩摩の具合を損ねましよう。戸外そとはすぐ通りだし、どんなことになっても損をするなあ、お国だ。まあまあ。
井上 甚伍、えらいことをいうなあ? まとまりかけた薩州だと? フン。立廻るのもよい加減にしておけよ……。何を馬鹿な、拙者ここへ出向いてくるからは初手から覚悟はしているのだ。
吉村 おい、井上氏。
井上 何です?
吉村 まあ、そうシャチコ張るな。酒を飲みながら話してもわかる。ハハハ、なあ兵藤さん。ハハ、固くなっちゃいかんて。(遠くで犬が吠えている)そうだろうじゃないか。全国各藩がそれぞれの利害に依って動いているのがいかんといったような意見らしいが、私などの考えでは、それが当り前。「どうせ人のする事だ」そして人間というもの、どこまで行っても腹の中まで綺麗にはなれぬものだ、それが人間さ。要はその利害打算に依る動きが大局にどんな具合にひびいて行くかという点。どうせ、天下をかけてのバクチじゃ、初めからバクチと承知していれば、丁の目が出ても半の目が出ても、取っても取られても、何もツノメ立つことはない道理。なあ甚伍、どうだ?
甚伍 ……へい。……
吉村 早い話が、只今の筑波と長州との口約云々のことにしてからが、私などの考えでは初めから長州にはその約を果すだけの誠意があってのことかどうか。薩州土州あたりを牽制するため、併せて何かとジタバタする水戸有志を自然自滅に導くための方策とも、まあ、取れば取れぬことはない。ハハハ、長州には智恵者が多いて。ハハ。
兵藤 何といわれるか?
吉村 いや、まあ話がさ。そうだといっているのではないのです。ハハハ、そうそう一本調子に綺麗ごとにばかり眺めると往々にして事の真相は見えぬと申すまで。チョイとした立場の違いで事は色々に見えてくるものよ。井上君、君にはもう隠す必要はあるまいと思うが、台閣よりの命令に依り常野の兵追討の任を田沼様が受けられ、本日諸軍先手さきてはすでに繰出したことは知っていられようなあ?
井上 知っています。……先刻覚悟のことです。
吉村 これなども、どんなふうに見える? どのように見られるか? 慶篤公が幕府に追討を願われたのは主として小石川におるおため派の朝比奈様佐藤様等の策謀ということになるか? まずそれだけのカイナデな観測がせいぜいだろう? するとこの私なども罪の一半を負う者としてもくされているかな。ハハハ、それもよし。これもよし。
井上 ……ち、ちがいますか?
吉村 ちがうとは言っていない。世間一般の目というものは、その辺までしか届きはせぬというまでよ。第一、筑波の諸氏も事の成否を問わず志のために身命を賭してとの話だったが、それは表看板、まさか十が十成らぬと思って取りかかる馬鹿もいまい。すると、どのようなソロバンをはじいたれば幾分でも事が成ると思われたのか? どうです? 聞きたいのは、それだ。
井上 ……。
兵藤 フン。……(不愉快そうに立上って、縁側へ出て、刀を杖にして、黙って夜空を見上げる。吉村がハハハと笑う。兵藤と吉村を等分に睨んでいる井上。――間)……甚伍左、尊公にはたしか娘ごがいた筈、どうしているか?
甚伍 (兵藤がとてつもないことをいい出したので、井上と吉村に気がねをして)へい、まあ無事に……と申したいが、どうしていますか、ハハハ(と無意味に笑いながら目では吉村と井上の方を警戒している)
兵藤 ……ああ暗い。暗い空だ。……(チョイと間を置いて、立ったまま振り返りもしないで不意に鋭い声で)井上、先程からの貴公のいうこと、筑波の加多源次郎なども同じ意見か?
井上 (何か別のことに気をとられて殆ど上の空で)さよう! それが何としたのだ!
兵藤 乳臭児、救えぬ!
井上 なにっ!
(間――変なふうに緊迫した空気。井上がジリッと片膝を立てる)
(左手のくぐり戸が開いて、外廻りを警固していた士の甲が入ってくる。後に同じ乙が続いて。一座の様子が変なので甲乙ともにギョッとしたようなふうだが、すぐ平常に戻る)
甚伍 (少しホッとして)ご両士とも、ご苦労様で。どうでござんす?
士甲 何ともござらぬ。三、四の通行者があっただけです。(乙に)長田さん先程の若い女は?
士乙 大事なかろう。坂の方から一度と原の方に一度見かけたが、此方がその気で見るからこの辺ばかりウロウロしているようにも思えるが、何しろ薩州屋敷が近い。誰かにあいに来たものか、茶屋小屋の掛け取りか、ことに依ればつけ馬かな。ハハ、そういえば、夜目でよくわからんが、まず仲居といった風俗。(兵藤に)先生、もうお済みですか?
兵藤 もう暫く外にいて貰いたい。
甚伍 ええ、私がお引合せをしておいてこんなことを申すのもいかがなものですが、これが今夜かぎりの話ではねえ、明日という日もあります。また、近日皆さんお話合い下さるとして、今夜のところは、これぐらいで……。
兵藤 うむ……。(ジロリと井上を見る。井上はどうしたのか黙って何かに気を取られている様子)
吉村 さよう。……少し気長に話し合えばよいのだ。(士甲に)しかし、とにかく、もう少し外を。
士甲 は。しかし万々心配はありませんが?
吉村 わしはよいが、兵藤氏が居られる。無駄となればこの上なし。頼む。
士乙 承知いたしました。(甲に)行こう。(乙は皆に一礼して再びくぐり戸の方へ行き消える。――間。一座が緊張したまま白け渡る。士甲は不安そうに座敷の四人を見ている……)
(出て行った乙が二重になった塀の外のくぐり戸を開けて出たと思われる頃、その方で突然抜打ちに斬りつけたらしいガブッという音と同時に誰が斬られたのかワッと叫ぶ声。あとチョイとシーンとしてから、内側のくぐり戸に外からドシンと物が当ってパッと開き、左肩の辺を斬りつけられているらしい士乙が四、五歩ヒョロヒョロ飛込んで来るなり、真青な顔を引きつらせるようにして皆に向って何か警告をいおうとするが、口が開くだけで声は言葉にならぬ。オッ! と叫ぶ士甲。乙は抜いて持っている刀で塀外の方を指し示すような身振りをして、身体を支え切れず前へしゃがみ込むような具合に植込みの方へ倒れてしまう。瞬間五人は開いたままのくぐり戸から誰か躍り出して来るかと、息を止めて見詰めるが、外はシーンと静まり返っている。甲が目が醒めたようになり刀を抜いて小走りにくぐり戸の方へ行き、チョッと外を覗いて気をくばって出て行く)
兵藤 長田、注意して! 相手は塀の右手!
(甚伍左が縁側を飛下りて倒れた乙を介抱に行く)
甚伍 しっかりなすって! ウム、こりゃ。……
(と同時に再び外で前同様の響きと叫び。今度は一、二合刀を合せたらしいが、斬られたのは士甲らしい)
甲の声 ツ、ツ、皆さん、早く逃れてください。逃げて! (といいざま第一の塀と第二の塀の間で倒れたらしい音)
甚伍 よしっ! (叫んでくぐり戸を外へ出て行く)
兵藤 こら甚伍左! 待て、危ない! 待てっ! (瞬間いまにも塀外で甚伍左か刺客かの悲鳴があがることを予期した緊張。しかし塀外は静かで、何者かを追うてでも行くらしい甚伍左の足音だけが聞える。三人とも、いつの間にか刀をシッカリと握っている)
吉村 (兵藤を睨んで)これは?
兵藤 いや左様なことはない! 長州の人間ではない! これは……。(井上をグッと睨んでいる)
井上 フン。……兵藤氏、貴公、乳臭児といわれたな?
兵藤 いったが、如何した?
井上 こうだっ! (叫ぶのと一緒、片膝立ての居合いの体勢でパッと大刀を抜き、抜き打ちに兵藤に斬りつけると見せて、腰をひねったと思うと、一間ばかり離れて中腰でいる吉村へ斬り込む。吉村不意を打たれて、トッサに刀のツカでガッと受けは受けても、どこかを少しかすられたらしい)
吉村 (パッパッパッと六、七歩右奥へ畳を飛びさがって抜刀)卑怯っ!
井上 卑怯は貴様だ! 侫漢め、覚悟っ!
兵藤 (井上は自分に向って斬ってかかったもので、それを吉村が防いでくれたのだと思い)頼んだ! 危ない、甚伍左! (と縁側を飛降りてくぐり戸から外へ走り出て行く)
吉村 (ジリッと平正眼に構えながら)それでは、初めからその積りで……? 筑波の命を受けてか……?
井上 言うなっ! 勿論だ! おため派奸党のふところ刀などと、ことごとにわが筑波正義党へ向って小策を弄し、あまつさえ、薩長にまで手を伸す犬め、許す訳には行かんのだ。おおっ! (と、おめいて踏込んで行こうとする)
吉村 ようし、それなれば……(と、刀をスーッと上げて八相上段に構えなおす。が、其の天井が少し低いのを見て取って、片八相、斜上段になる。人物技量ともに井上とは少し段違いらしく、井上は押され気味である。双方無言、呼吸をはかっている。――間。タタッとくぐり戸から走り戻って来る甚伍左)
甚伍 誰もいねえ、変な奴を見たように思ったが……(言いながらヒョイと座敷の方を見てびっくりする)あ、何をなさるんだ、お二人! ま、待ってくだせえ! 引いたっ! (縁側へ飛上る)引いたっ! 話せばわかるんだ。短気なことを!
吉村 此奴、初めからその気でいたのだ。危い、退って見ておれっ!
井上 ウッ!(ツツと進む)甚伍、貴様の命も貰ったぞ!
甚伍 チッ、チッ、チッ! 人の気も知らねえ! しかし私を斬るというなら斬られようから吉村先生はいけねえっ! 水戸の藩論をまとめるクサビになっている人を、殺そうてえのかっ! 後で、後で、悔んでも追っつけめいぜ、引いたっ! いけねえ、こ、こ、こ、兵藤さん、兵藤さん! (いっている間も吉村と井上の気息は烈しくなっている。吉村一、二歩出る、井上それだけ退る。吉村、刀を頭上に構えたまま、少しユラユラ揺りつつ、右へ少し廻り込む。井上の方は壁に背をつけるくらいにして、少し呼吸が乱れ、眼が血走って来る。甚伍左は隙があれば二人の刀の間に割って入ろうとしているが、そのスキがないらしい。間。くぐり戸から兵藤が戻って来る)
兵藤 甚伍、戻っていたのか。怪しい者は見えぬ。何をしているのだ、甚伍? (くぐり戸の辺からは、植込に隔てられて甚伍左の姿だけしか見えないので、変に思いながら、歩いて来て、座敷の斬合いを見て)おお!
甚伍 早く止めて下せえ、兵藤さん、危ねえ!
兵藤 吉村氏、手を引かれ、拙者が相手になる、慮外なっ! 背後より斬りつけるとは……。
吉村 そうでない! 初めより目あては私だ。ウッ!
井上 オウー(こうなれば敵しないと見て取って、構えながら塀外へ向って叫ぶ)仙太、仙太郎! 出てくれっ! 何をしているのだっ! 仙太郎!
兵藤 なにっ! (とまだ座敷にあがっていなかった足を翻して、振返ってくぐり戸の方を睨んでいたが、バッと走って行き、チョイと外の気配に耳を澄ましてから、左手で刀の鯉口を切って、身構えながら、くぐり戸をパッと開ける。トタンに、それまで外からくぐり戸に寄りかかってでもいたのか、ハズミを食ってアレッ! と叫んで、転げ込んでくる深川芸者のお蔦。兵藤は事の意外さに呆れて一瞬見下ろしていたが、やがて猛然とお蔦の髷を左手で鷲掴みにする)
兵藤 貴様、なに奴だ※(感嘆符疑問符、1-8-78)
お蔦 痛っ! 何をなさるんだよっ! つ、つ、つ、痛っ!
兵藤 さては、宵の口から、その辺ウロウロしていたというのは貴様だったな? よし、バイタ!
井上 お蔦! 仙太はっ? 仙太郎は如何した?
吉村 謀られた! 甚伍、手出し無用! この場を引けっ! えいっ! (井上に向って斬り込んで行く。井上かろうじてガッと受けは受けても、耐えきれず殆ど肩口を斬られそうになってタタッと壁の側を逃れて縁側の方へ下ってくる)
井上 仙太っ! 何をしているんだ、仙太っ!
兵藤 畜生! (と、ばかりお蔦を蹴倒しておいて、吉村に代って井上の方へ向って行きそうにする)
お蔦 ひいーっ! (言いざま、兵藤のフクラハギにガッとかぶりつく)
兵藤 つ、つ! 離せっ、この……。
甚伍 吉村先生、この場あ私が引受けた、逃げて下せえ!
吉村 よろしい、頼んだぞ! (言いざま横に払った刀が殆ど井上の胴に入りそうにして袖を切る。井上あぶなくそれをかわす拍子に縁側から片足を踏みはずしてドウと地面に落ちる。その体勢のくずれたところを真向から兵藤がサッと斬りつけようとする)
お蔦 あ、危いっ!
(その声と一緒、開いたままになっているくぐり戸から真一文字に飛込んでくる仙太郎。黙って兵藤の斜め横から飛込んでダッと体当りをくれる。同時に大刀のつか頭で兵藤のひばらの辺に当て身を入れたらしい。兵藤タタタと右手の方へ倒れる。それと仙太が縁側に飛上って奥の吉村と睨み合って立ったのとが殆ど同時)
吉村 慮外! 誰だっ? 名乗れ!
仙太 井上さん、これが……?
井上 うむ、吉村だ、吉村軍之進!
吉村 名を名乗れっ!
仙太 真壁の百姓仙太郎。行くぜ! (いきなり大刀を引つこ抜いてジジジと吉村の方へ迫る。兵藤、吉村を斬らせじと縁側に躍り上って斜め後から仙太に迫る。仙太ザッと横に払って兵藤を一、二歩飛びさがらせておいて、返す刀を構えもせず、ツツと吉村の方へつけ入るなり、くさび形にバッバッバッと斬り込んで行く。吉村はすでに上段を正眼に構えなおしていて、三、四合かわすが、相手の殆ど乱暴に近い博徒流の攻撃に押されて手が出ず受身。その間、井上は甚伍左と闘っている。仙太刀を引いて構える。ジリッと進む。吉村少しづつ退る。仙太、オウ! と叫んで再び斬込み、ガチッと音がして、吉村の刀が仙太の刀にからみついたようになって、そのまま間。――えいっ! と叫んで兵藤が仙太へつけ入る。仙太がムッ! といって身引いて兵藤の大刀を払ったのと、吉村がタタッと退って右端の縁端に出て半ば開けてある障子を小立てに取ったのと一緒。間髪を入れず、仙太兵藤を横になぐ。兵藤左小手をかすられて一歩退る。仙太、ないでおいてそのまま、右障子の方へ迫る。吉村、エイと叫んで障子ごと真向から仙太の肩へ斬りつける。仙太、身を沈めてムッと口の中で叫んで、これも障子ごと斜め下から突きを入れる。僅かの差で仙太の突き、決ってウオッと吉村叫んで縁側から向側へ落ちる。唸声)
甚伍 あっ! 吉村先生、吉村先生!
井上 仙太、この甚伍を! 甚伍を斬れっ!
兵藤 甚伍! 逃げろよいか、拙者も……。(いいながらも仙太に対して構えたまま、ジリジリ退る)
甚伍 逃げます! 私も逃げるから、あんた先に!
井上 くそっ! 逃げるとは卑怯っ!
甚伍 逃げる前に、そっちの奴に聞きてえ! 手前が斬った吉村先生が、どんな人だか貴様知って斬ったのか? 水戸の天狗が、どんなことを、云ったのか知らねえ。が、吉村さんは公方様並びに一ツ橋様お声がかりの、大事な、大事な人だぞっ! どめくらめ! 時世も何も見えねえ、ワアワア連の言うままに、踊って、調子に乗って、人を斬る! 野郎、デク人形めっ! 諸藩連合、公武合体、ひいては御一新、吉村さんを無くしたために、どれ程遅れるか知らねのかっ! こ、こ、公武合体は筑波でも立てまえにしていることでは、ないかっ! 斬るなら斬るで、理否を明らかにした上、話の筋道を知った上に、なぜ斬らぬっ! デク人形めっ、馬鹿、馬鹿、馬鹿っ!
井上 何を、いま更! 仙太、斬れっ!
仙太 (甚伍左の言葉が耳に入るや、刀を下げて)なに、一つ橋様だと?
甚伍 そうだっ! 人のため、世のため、国のためを思ってすることならば、ためになるようには、なぜしねえんだっ! 一党一派を立てるための、差し当りの邪魔になる者は皆斬るのかっ! それのダシに使われて、それが、それが。デク人形め! (井上をそのままにして仙太の方へ迫って行く)
兵藤 甚伍、逃げろ!
井上 弁口無用っ! 仙太、聞くな、斬れ! そいつを斬れ! なぜ斬らぬ! 斬らんか! 利根の甚伍左獅子身中の虫だ。奸賊、斬らんか、仙太っ!
仙太 オウッ! (と叫んで本当に斬る気はあまりなく、ザッと甚伍左目がけて片手なぎに斬りつけた刀が甚伍左の腰をないだついでに柱にガッと音を立てたのと、兵藤がその隙に座敷の燭台を刀でパッパッとなぎ倒して四辺を真暗にしたのと殆ど同時。何もかも見えなくなった中を甚伍左と兵藤がタタタと、くぐり戸の方へ逃げ走る。足音)
井上 逃げるなっ!(それを迫って走りながら)仙太郎っ! 追うんだっ!
(足音が入り乱れて、塀外へ。走って遠くへさる。舞台は真暗でシーンとなってしまう。
永い間。
やがてカチッカチッと小さな音がして、火の光が見える――お蔦が火打石でホクチに火を移しているのである。その、かすかな光の中に、座敷の真中に呆然と棒立ちになっている仙太郎の姿が見える。抜身は右手の柱に斬りつけて喰込んだままになっているので素手だ。――間)
お蔦 ……せ、仙さん! こ、こわかった! 何てまあ……。(立って座敷に上り、燭台を捜す)お前さん、追っかけて行かなくともいいのかえ? ……(いいながらやっと燭をともして右手へ行き、吉村が斬られて落ちた辺をすかして見る)あたしゃ、どうなることかと思った……。どっちせ、ここは早く立退かなきゃ……屋敷から人でもくるとまた面倒だよ。
仙太 (まだ棒のように立ったまま)ウム……。
お蔦 どうかしたのかえ、ボンヤリしてさ? ……こんなこと、もう、まっぴら。……どうしたのさ、仙さん?
仙太 (頭をブルブルと振って)その辺に水でもねえか? のどが乾いてならねえ。
お蔦 困ったねえ、水といったって……。(見廻して吉村の飲んでいた酒の入っている徳利を見て、拾う)妙だねえ、あの騒ぎに、ひっくり返りもしないでいる。……ああ、まだ少しあるようだ。あいよ。
仙太 (徳利の口からじかにゴクゴク音を立てて飲む)ム、ム。
お蔦 ……さ、行きましょうよ。
仙太 ……親方あ、うまく逃げおうせてくれたかな。……少し斬ったか。
お蔦 甚伍左とかの爺さん? だってお前、お前斬る積りじゃなかったのかえ?
仙太 ふん……。(徳利をポンと捨てる)
お蔦 第一あの爺さん、お前、前々から知っている人かえ?
仙太 知っている段じゃねえや。
お蔦 それをまた何だって斬るの殺すのと……?
仙太 それをいうな。(坐る)
お蔦 どうしたんだよう! いうまい、聞いて見ても私なんぞには解りゃしない。どっちせ、私の役目はこれで済んだ。……仙さん。
(間)
仙太 ……親方が何とかいったなあ、俺に……。
お蔦 デク人形がどうとかして、とか何とか、何のことだか。
仙太 フン……。(ゴロリと畳の上に仰向けに寝てしまって、マジマジ天井を見る)
お蔦 寝てしまっちゃ、しようがありはしないよ、仙さん! 早くフケないじゃ、こいだけのことをしといてさ。……いまに鷲尾の何とやらがやって来たらどうするんだえ? ねえお前さん。……(仙太返事をせぬ)……もう一月の余も、お前さん達のために、手引をしたり駆け歩いたり、私もよっぽど酔狂な、今夜なぞも、この外あっちへ行ったりこっちへ廻ったりして見張っている間、あたしゃきもが縮んだわな。……何が何だか女なんぞにゃ理屈もヘチマも解りゃしないけど、お前のためだと思えばこそ、こんな真似もするが、これっきりでふるふるご免。……寝込んでしまっちゃ、いけないよ。……そんなに人を殺せばとて、世間がどうこうとなるじゃなしさ。第一、お前さんだとて、井上さんからヤイヤイいわれながら、そんなに気は進んじゃいなかったもの……。
仙太 いうか!
お蔦 ……いうなといえばいやあしない。したが話がさ、あたしが、何故にこんなことをいうのか、お前さん百も承知だものを。ちっとは察しておくれよ。
仙太 (矢張仰向いたままで)お前も度胸がよくなった。
お蔦 あいさ、もとはこんな女じゃなかった。……御朱印外も常陸の方の生まれは生まれだけど、小さい時からの深川育ち、もともとこんなにシダラがなくはない。意気も張りも無くなったのは何のためだ? ……去年の暮の、お前さんが百姓になるんだと云って江戸を打立ったときにだって、百姓暮しで結構だと言ってさ、少しばかりあった稼業のかかりの肩を抜いてまで、一緒に連れて行って貰うのを楽しみに待っていたのを振切って、お前は一人で行ってしまった。……ヒョックリ戻っておくれだと思えば、今度は斬ったの斬られたのの沙汰ばかり……。
  (短い間)
仙太 ……それかも知れねえ。
お蔦 え? なにが?
仙太 デク人形がだ。……親方は何とか言ったっけ?
お蔦 しっかりしておくれよ。……いまだって私あ、いまだって私あ……。
仙太 ……お前にゃ済まねえ。
お蔦 すぐに、済まないとお言いだ。私あ、そんな、そんな、詫びてなんぞ貰いたくはない……。
(永い間)
(仙太郎、ムックリ起きる。少し顔が青い。そのまま立上って、少しキョトキョトするような気味でその辺を見ていた末、何と思ったのか畳を歩いて縁を庭へ降りスタスタくぐり戸の方へ)
お蔦 仙さん、どこへ行くんだよ?
仙太 ウ? (といってチョイと振返るが、お蔦の姿が目に入らないような表情で再びスタスタくぐり戸をくぐつて外へ)
お蔦 ま、待って、仙さん! 待っておくれよ、まあ、邪慳な(と、自分も行こうとして、柱に打込んだままになっている仙太郎の刀を認めて、それをこじ上げるようにして抜いて)これを置きっ放しにしてさ。……ま、待っておくれってば! 仙さん、どこへ行くんだよ、私も一緒に連れてってくれ、仙さん! 仙さん! (と、抜身を袖で蔽うように抱えて、すそをキッとはしょって小走りに仙太郎の後を追って消える。――舞台空虚のまま暫く間……)
(幕)
[#改段]

7 花道だけで

 前場の幕が降りるとすぐ起る夏祭の囃子鳴物、それに混って遠くで多人数のワッショイ、ワッショイの掛声。それらが賑かさを通り越してヤケクソ気味の急調子である。
 やがて揚幕の奥でワッワッと罵り叫ぶ七、八人の人声がして、その中からひときわ高くわめきながら一人で花道へ飛出して来る呼売りの男。気早やに白地大型ゆかた、片肌脱ぎ、尻はしょり、向う鉢巻。腰に結びつけた数個の大型馬鈴が動くにつれてジャジャジャンとやかましく鳴る。瓦版の束を小わきに抱えている。手を振り腰を振り、和法を踏みでもするように、足は走っている足であるが同じところを何度も踏むので、前へは少しづつしか進まぬ。

呼売 アラ、ラ、リャリャリャリャ。買った、買った、買った、そら買った! (観客を市民に見立て、叫ぶ)いま出たばかりの三州屋早刷り瓦版! (チョッと足のあがきを小さくして立停ったふうになり)版でおこした墨がまだ乾き上っていねえというしろものだ! 一枚三文、二枚で五文! ところは常陸の国、空っ風でお馴染みの筑波の山は天狗党の一揆が大変じゃ大変じゃ! これぞ、早耳早学問、いまできたてのホヤホヤという瓦版が一枚三文とは安過ぎる! さ、買った、残りは僅か五十枚、売り切れてから買うんだったと出ベソを噛んでも追付かねえぜ! 三州屋の瓦版、これを知らなきゃ江戸っ児末代までの恥だっ! (また走り出す)リャリャリャ、さあ買った、買った、買った! 天狗だ、天狗だ、天狗だっ! 水戸の天狗があばれ出したっ! いよいよ御若年寄田沼玄蕃様の殿様が天狗征伐にお乗り出しだ! (手ぶり身振り)そうもそも、水戸の天狗と言ッぱ、天狗なり! 眼はランランとして鼻高く、色あくまで赤く、八面六、声破れ鐘の如くウォーッと、アハハ、いや全くだ。これを打つ手の総大将田沼様のご手勢かれこれ三万余人、そのあらましを申さんに、まず先手さきてには切先手組、御徒組さては大砲組、小筒組、御持組、大御番には両御番と来た。小十人組、別手、御目付。御使番、御小人目付、御作事奉行、御勘定方、御顔役、御右筆、その他諸勢、甲冑に身をしめて小手臑当すねあて、陣羽織、野山を埋め、えいえいどっと押出せば、勇ましかりける次第なり。頃はいつなんめり元治元年は夏の頃、まずこの辺で張り扇が欲しいとこだ。相手の逆徒、天狗もさるもの、敵の陣立て見てあれば、総大将は水戸町奉行田丸稲之右門直諒をはじめとして文武諸館、神勢館の水戸藩土、浪人、あぶれ者、野士、百姓、町人、ならず者、都合その勢四千人、……オッと喋っちまっちゃ商売にゃならねえ。さ、買った買った、一枚三文! (いつの間にか止めていた足でまた駆け出す)天狗一揆がスッカリわかって三文たあ、安いもんだ! さあ買った。ケチケチするねえ江戸っ児だ。買ったっ! よし、じゃこれだけはご愛嬌に薩摩の守だ。それ! (と瓦版の二、三十枚を掴んで、観客席へ向ってパッと雲のように投げる)それつらつら古今の治乱を考うに、だ、治まる時は乱に入り、乱極まれば治に入るとかや、一乱一静は寒暑の去来するが如く、天のなすところにして人力のおよぶべきに非ず、チャンと本文に書いてあらあ。家衰えて孝子現われ、国乱れて忠臣現わるたあ、広小路の古今堂の先生のいい草だ。昇平打続くこと二百六十有余年四民鼓腹して太平を唱う折、馬関と浦賀に黒船が来てさ、さあ事だ。てんであわて出した、開港通商、尊王攘夷、ケンケンゴーゴー、へん尊王攘夷が笑わせやがらあ! とはいうもののこう世間がせちがらくなって民百姓が食えなくなりゃ、何とか世直しせざあなるめい、てんで、それ、表看板が尊王攘夷、と来りゃ、天狗もまんざらでもねえという訳。只の天狗と天狗が違うと筑波でけつをまくったのが、今年の三月は二十七日だ! 上を恐れず、暴威を振い、民家に放火し、宝蔵を奪う。とチャンとこれに書いてある。四月四日筑波を出て日光に飛んだ、天狗にゃ翼がある。早えや、次が下野太平山、あんまり太平でもねえ。そこで公方様が腹を立てなすって宇都宮以下常野十二藩に出兵を命ずと来たが、何しろ相手は命がけだ、埒が明かねえ。そのうちに水戸様不取締りとあって五月二十八日、幕命を以て天狗方の御家老武田伊賀守隠居謹慎、六月一日、同じく岡田国老をも隠居させ、諸生組の頭棟朝比奈、市川、佐藤を執権に据えは据えたが、天狗は筑波でやっぱりあばれる。追討軍が常陸国は高道祖たかさえで天狗を破ったのが先月は七日、ところが天狗もさるもの、忽ち盛り返して掛けた夜討が丁の目と出て追討軍散々の目で逃げて帰るが江戸表、田沼様お乗出しと相成ったり。その間に水戸様では内輪もめだ。諸生組の御家老連またぞうろう首を斬られて水戸へ下って、お世つぎをトッコに取って水戸城籠城と来た、これを抑えにお乗り出しが宍戸の殿様松平頼徳侯、水戸様お目代もくだいとして進発あり。田沼様の公方がた本月三日には古河にご着陣、足利学校にご在陣、高の知れたる天狗党、シャニムニ踏み破り、蹴散らさんと思うても、そうは問屋がおろさねえ。(花道七三で興に乗って唄って踊り出す。三味線、鳴物よろしく)
田沼の達磨(棚の達磨さんの節で)
あまり戦争したさに、
田沼玄蕃さんをチョイと出し、
腹巻させたり、また、こわがらしたり。
アッハハハ、ま、そいった次第さ。おっと、調子に乗つてこんなところを岡っ引にでも見つかろうもんなら打首もんだ。さても、いくさの有様見てあれば、だ。利あらずと見て逃げるは天狗、追うは田沼勢、府中は小川のあたり、ドンドンパチパチ大砲おおづつ小筒、鳴るは蜂の頭、引くは天狗の鼻、さあてこの次第如何相成りまするか、ただいま、ホコダ塚において合戦真最中! 天狗が水戸へ逃げるか、田沼が江戸へ逃げるか。さあ、評判じゃ評判じゃ! いま出来たての三州屋は早耳瓦版、事の次第はみんなでている! 一枚が三文、二枚で五文だ、おまけに長州勢に取りつめられた京都のことまでみんなわかる! さあ、買ったり買ったり! オヤオヤ、誰も買わねえのかい? 呆れた貧的ぞろいだなあ。ふん、(幕のフチに手をかけ、眼をむいて声色)いずれを見ても貧乏育ち、菅秀才の……ハッ、ハックショイ、あったら口に風を引かしたわえ。アリャ、リャ、リャ、リャ、買った買った……。(叫びつつ、馬鈴を鳴らしながら幕尻に走って入る)
(その音が消えると、すぐに内と下座で鳴りだす常盤津の三味線。シンミリと。それが暫く続いて幕開く)
(幕)
[#改段]

8 植木村お妙の家の中

 第四場に同じく植木村お妙の家の中。
 夏の夕方の、差し込んでくる夕焼の光の中に黙っている四人――お蔦と仙太と今井(前出)と子供の滝三。
 お蔦は板敷のフットライト寄りの敷居近く、つまり観客席に一番近く、観客の方を向いて片膝立てに坐って三味線の爪弾きしている。仙太郎はイロリの右側に坐って、ガツクリ首を垂れている。今井は右側の上り端に腰をかけ、いかにも敗走して行く兵らしく泥や汗や血に汚れきった小具足姿のまま、時々仙太郎の背中やお蔦の方をジロリジロリ睨むように見ながら、前に据えられた釜から椀に粥をよそっては菜も添えずにガツガツ食っている。子供の滝三はイロリの左側、仙太と向い合ったところにチョコナンとして坐らされてマジマジしているが、この異様な空気に泣きべそをかきそうにしている。――永い無言。

常盤津節、巽八景(お蔦、爪弾きで唄う。場合により唄は下座にしてもよし)
※(歌記号、1-3-28)大江戸とならぬ昔の武蔵野の、尾花や招き寄せたりし、張りと意きじの深川や、(この辺までは幕の開くまでに済んで)えにしも永き永代の、帰帆はいきな送り舟その爪弾きの糸による、情に身さえ入相の、後朝きぬぎぬならぬ山鐘も、ごんとつくだの辻占に、燃ゆるほむらの篝火や……」

今井 (粥を呑み込みながら)それでは、どうあっても、行かぬというのだな、仙太?
仙太 ……。(聞こえたか聞こえぬのか返事も、身じろぎもせぬ)

※(歌記号、1-3-28)せめて恨みて玉章たまづさと、薄墨に書く雁の文字、女子の念も通し矢の、届いていまは張り弱く、いつか二人が仲の町に、しつぽりぬるる夜の雨……」

仙太 (ひとり言のように)……とうどう、それじゃ、長五郎も抜刀隊にやられたか。……長五郎が。
今井 真壁の仙太郎の命を貰いに来た、俺あ上州無宿のくらやみの長五郎と、チャンと名乗って突っかかって来たのだから相違はない。いつもなら、そうはいっても、無宿者の一人や二人、いくら気は立っていても斬りはすまい。が、何しろ小川以来の難戦苦戦だ、大砲おおづつ小筒で追い打ちをかけられている最中だ、そこへからんで来たので、うるさくなって、やったらしい。死んだか生きたか、見とどけた者はいないのよ。……いやこんなこと幾度いっても、何になるか? それよりも湊へ行くかどうか、仙太郎?
仙太 くでえ、俺あ行かぬ。
今井 どうせ負け戦だと見切りをつけたのか? ……裏切者だ!
仙太 何とでもいうがいい。

※(歌記号、1-3-28)堅い石場の約束に、話は積る雪の肌、とけて嬉しき胸の雲、吹払うたる晴嵐は、しん新地じゃないかいな……」

今井 同志の誓いよりは女の方が大事か。お前がこんなところに来てもう半月の余もブラブラしているのが何のためか誰のためか、しかも、そんな女まで引張って来ている、――大概わかっている。ふん、しょせんは糞土のしょうだろう。無頼は無頼だ。(……何といわれても仙太返事をせぬ。今井は呆れ果てたといった様子で仙太の背を睨んでいたが、あきらめて、粥も食い終つたし、椀をカラリと放り出して、出かける身仕度をする。手早く腹帯を締直し、血の脂で少しギチギチする大刀を抜いてあらため、土間に片膝ついて草鞋の紐を結び直しながら)……そんな女、僕がやってもよい。が、しかし、まことは、女がいるからではなくして、貴様の心に隙ができたから女ができたのだ。斬るべきものは、女ではなくして、貴様の根性だ。……これでよし、さあ、行くかな。

※(歌記号、1-3-28)洲崎の浦の波越さじと、誓いしことも有明の……」

仙太 滝三。……滝三。
滝三 ……あい。
仙太 刀を持ったことがあるか? ……刀を抜いたことがあるか? うん、どうだ? ほれ、こりゃ小父さんの刀だよ。切れるぞ。(自分の刀を滝三に握らせる)
滝三 ……。(オドオドしていまにもワッとしぐれそうである)
仙太 ハハハ、斬ろうと思うな、斬ろうと思えば狂う、突き刺すんだと思え。それ、(スラリと刀を抜かせて持たせる)……いいか、人を斬るにゃ、……ちゃんの仇を斬るならば、こうして斬るのだ。……さ、小父さんの方を向いて突いて来い。突いて来い。
滝三 ……ワァーン。(こらえきれずに泣き出す)
今井 ……馬鹿! だが仙太、まだおそくはない。加多先輩などは殿軍にまわって、まだ筑波だ。湊へ来い。笠間へは廻るな。道は山を突っ切れ。……そうだ、利あらずして逃げる。しかしながら湊への道は、天下へ通ずる道だぞ。忘れるな。必ず後から来いよ。いいな? 造作ぞうさにあつかって腹ごしらえもできた。田沼の兵を斬りながら行くのだ。来いよ、仙太郎! さらばだ。……(戸口の方へ)一剣、天下を行く……(ドシドシ歩いて戸外へ消える)
(まだクスンクスン泣いている滝三。知らぬ顔をして三味を弾くお蔦。下を向いてそれを聞いている仙太郎……)

※(歌記号、1-3-28)誓いしことも有明の、月の桂の男気は、定めかねたる秋の空
だまされたさの真実に、見下ろされたる櫓下」

お蔦 (三味線と唄をフッツリ止める)……天下を俺一人で背負っているといった顔だ。ふん、あたしあキツイきらいさ。……おやおや糸も切れたそうな。(三味線を放り出す)滝ちゃん、泣くんじゃないよ。その小父さんは気がふれているんだから。(滝三の傍に行って顔を覗き込んだりして、あやす)……お士なんていうものの気は知れない。……と言いたいが、それは昔のこと、あの手合いにゃ自分自分の功名や手柄だけしかありはしない。そうじゃないか、仙さん。……あたしも江戸にいる間は、訳もわからないくせにいい気になって、勤王芸者だなんていわれちゃ江戸っ子から憎がられて得意になったもんだ。フン、芸者だって? そうかと思うと講武所芸者がいるわな。みんな身過ぎ世過ぎの方便でなきゃあ見さ。一皮ぬげばみんなオレガだ。中でも士がオレガの骨頂。だからすぐに内輪喧嘩。他人のエサを横取りしたいのだ。お前さんは、吉村さんをなにし、この家の親父さんをやったけれど、それだとてやっぱり……。
仙太 お蔦、それをまた……。(続けて言おうとするが止してしまって、ゴロリと仰向けて寝転んでしまう)
(間)
お蔦 ここでいわれては困るというのかえ。お嬢さんは段六さんと子供衆と一緒に田の草取りだ、聞いちゃいないから安心おし。……ふん、面白くもありゃしない。
仙太 ……面白くなけりゃ江戸へ帰りな。
お蔦 すぐ、そうだ。そりゃ、あたしゃお前から、ついて来いともいわれないのに、デレリとしてこんな常陸くんだりまでついて来た。うるさいことだろうよ。……お前さんはお妙さんてえ人に惚れているのだ。
仙太 ……。(寝ている手がビクリとして、何か言うかと思うと黙っている)
お蔦 ……お妙さんもお前に惚れている。……昨日今日のことじゃない。……段六っあんがそういったよ。いわれなくたって私にゃ初手からチャンとわかっていらあ。……こういうと私がお妙さんを怨んで妬いているように取れるかも知れないが、そうじゃない。お嬢さんは生娘でオボコのあんな可愛い人だ、大方ご自分がお前さんにしんから惚れているということに自分でも気がつかずにいるだろうよ。あの人を見ていると、もったいないような、いじらしいような気がして、私まで惚れちまいそうだ。……因果だねえ。
(仙太返事なし。……間)
お蔦 ……お前が江戸で人を斬るなり、ドンドンここへやって来た心持も、私にゃよくわかるような気がするもの。……お前はそうしてもう半月、石ころみたいに黙っている。私あ……(フッと口をつぐんでしまって、間。……お蔦は泣いている)
(永い間)
(ムックリ起きなおった仙太郎、立って板の間を歩き草履で土間に降りて、出て行きかける)
お蔦 どこへ行くんだえ、仙さん?
仙太 ……ウム、人足寄場の人が後を追うて五、六人で来て、そこで待っているそうだ。あってくる。
お蔦 ことわるのかえ、天狗へ連れて行くのはご免だと……? それとも……?
仙太 さあ……。
お蔦 これは? (と、仙太の刀を炉の側から押し出す)
仙太 いらねえ。……(戸の外へ消える)
(短い間)
お蔦 ……へん、ひとの腹の中がわからないといえるもんか。どうしてあの人にこんなところへノコノコついてきたのやら、私あ自分で自分の気が知れない。……(気を換えて)滝坊、こわかったかえ?
滝三 うん。
お蔦 お前も仕合せの悪い子なそうな。母ちゃんは、滝坊の?
滝三 あっちだて。
お蔦 仙さんはお前のお父っあんの仇だと。お父っあん、どうしたえ?
滝三 父ちゃん、あっちだ。
お蔦 なにもわからない。……田んぼの方へ行って見ようか。皆が草を取っているよ。(立上って土間の方へ行きかける。そこへ外――奥――から戻って来る二、三人の足音。段六の声で「さ、しつかりなせえよ、嬢様、家に着いたで、しっかり」と聞こえて、お蔦がびっくりして見ていると、どうしたのか真青な顔をして目をつぶってグッタリしているお妙を段六が肩に負わんばかりにして、それをまた、養われている子の中で年かさな男の子が一人、お妙の右手の杖になって助けながら戸口から入ってくる。三人ともいままで、水田の中で働いていた身なりで手や足は濡れている。甲斐々々しく出で立ったお妙は着物が腰の辺まで濡れている。田の中で倒れでもしたらしい)
段六 (お妙の身体を上り端にソッとおろして)さ、しっかりすっだよ、嬢さん、うちだ。こうれ!
お蔦 どうしたの、段さん?
段六 ああによ、タンボでつんのめってね。いわねえことじゃねえ、このウン気に朝からだ。早くあがんなせというても剛情張ったから。水だ。
お蔦 あいよ(土間に降りて竈の側のカメから茶椀に水を汲んできてお妙に呑ませる)お妙さんどう、しっかりしなさいよ。
お妙 ……ありがとう。ああ。
段六 (お妙の襟をくつろげてやったりして介抱しながら)ジッとしていりゃ、じきよくなっだ。身体のキツクねえ仁が夏場無理ばすっと、よく起すだよ。源坊、脚絆ば脱がして、さすってあげろえ。(男の子はいわれた通りにする)ああ、やっと口のはたに血の色が出て来たわ。やれやれ、大概ていげいびっくらさせましたぞ、嬢さん。
お妙 ……すみません、段さん。もういいの、源ちゃん。ありがとうよ。
投六 あがって一時いっとき寝るがええ。これに懲りるがええですぞ、少しは。全体が無法すぎるて。
お妙 ……へえ。ザッとでいいのすて、ありがとう。(これはタライに水をうつして来て足を洗ってくれているお蔦に)……いいえ、あの一枚だけは、あんたがあんなに苦労して手に入れた苗代だし、……第一、あれがうまく出来てくれないと、秋には、子供達がまた痩せてしまう。……だもんだで……。
段六 それがいけねえ。お前さま一人の手があってもなくても、どいだけ違いますや? 俺とそれに、あいだけ小僧どもがいるに。
お妙 それだとて、子供達はまだ草もいくらも取れはしないものを。
段六 ああに、あれで結構取れてがすて。たとえ満足に行かなくとも、そこい行きゃお稲なんどというものあ正直なもんだて。小僧どもが大事にして可愛がってやっただけはチャンと出来てくれる。性の知れねえのは人間の心だけだ。……仙太公はどうしたね、お蔦さん?
お蔦 さっき、どっかへ出て行ったっけ。……さあ、お妙さん、あたしにつかまって。
段六 少しハキハキするがいいだ。前はあんな男ではなかったて。何がどう……。(いいつづけようとしているところへ、遠方で響く二、三発の銃声と、遥かに遠く三、四人の人が叫んで走る声)おお、また、天狗が水戸へ逃げて行かあ! 今朝っから逃げる、追いかける、ワラワラ/\と、全体あにがどうしたというだい。
お妙 段さん、早く田んぼへ行って! 子供達が危い! 子供達が危いで!
段六 そいじゃ行きやすからな、寝るですぞ。
お蔦 嬢さんは私が引受けたから。
段六 頼んますぞ。ほんに、きちげどもめ! 滝坊も一緒に行くか、よし。(二人の男の子を連れて急ぎ足に戸口から出て行く)
お蔦 さ、お妙さん、奥へ行って休みましょうね。
お妙 あい。いいえ、それ程のことではありません。クラクラとして田の中に手を突いただけなのです。
お蔦 それでも、寝ていないと段さんが怒りますよ。
お妙 ありがとう。……ホンに、段さんは、よくしてくれます。
お蔦 あんな人もいるし。……仙さんのような人もいる。……あなたのお父っあんのような気の強い人もいる。……あれ、髪がそれじゃ、休む前にチョイとまとめてあげましょう。(お妙の髪に手をかける)どれ、いい髪だねえ。
お妙 すみません。……お蔦さん、あのう、天狗の話何か聞きませんかえ? 何でもこれから皆で横浜の方へ攻め込んで異人打払いの一番がけをやるとか……?
お蔦 さあねえ。……仙さんは何もそんな話はしないし。そりゃ噂だけでしょう、だって四、五日前から天狗は水戸の方へ走って行くばかりだというじゃありませんか。
お妙 宍戸の松平の殿様が水戸様の御目代もくだいで湊の方へお乗出しだといいます。それに加勢に行くのかしら。……あのう、仙太郎さんは、どこへ?
お蔦 上郷村とかの寄場の人達があの人を慕ってすぐそこへ来ているそうで、それに会いに。何でも是非天狗に入れてくれというんでしょう。あ、そう首を曲げると髪がつれます。……いいえ、心配しなくとも、いいんですよ、仙さんはそれをことわりに、たしか、行ったのです。
お妙 仙太郎さんは、なぜ天狗と一緒に行かないのでしょう?
お蔦 なぜ? ……そりゃあ。……ああお妙さんの肌はいくら陽に焼けても白い。……天狗がどうの諸生がどうのってこと、うっちゃっとけばいい。あんな、士同士の内輪喧嘩、私達しもじもに何のかかわりがある訳じゃなし。
お妙 ……いいえ、それは違います。
お蔦 違う? ……ええ、それはどうでもいい。あたしのいいたいのは、嬢さん、あなたまさか仙太郎さんを死なせにやりたいと思ってはいないでしょうね? ……こんな、身上を持ちくずした芸者づれの私風情が、あなたにこんなこといえば変だけど。失礼だけど、あなたのことが実の妹のような気がするものだからね。……男に惚れたということは、男に惚れたということです。惚れたなんぞとゲスなこというようですが、女はこうと思った男を取逃がせば、その先はどうなるかわかりません。自分が初手にこうと思った正直な心持を大切にしなくてはなりません。女には生涯は一度しかありませんよ。ああの、こうのとそれをひねくったり、こじらせたりすれば、後で罰があたります。仙さんにしたって……(言いよどんで黙ってしまう)さあ出来ました。
お妙 ……(泣けてくる)……すみません。
(間)
お蔦 ……(つとめて笑おうとしながら)さあ、奥へ行きましょう。蒲団を敷いて来ますからね。……私は、明日あたり江戸へ立とうと思っています。
お妙 ……まあ、どうして?
お蔦 どうして? フフッ、(お妙の顎を掴んで頬ずりのようなことをしてからツイと奥の方へ歩き出しながら)ホ、ホ、御朱引き外も外すぎる、こんな田舎で芸者もできないじゃありませんか。
お妙 あのう、お蔦さん、よっぽど前からおたずねしようと思っていました、……芸者になればお金がたんと取れますかえ?
お蔦 お金? どうしてまたそんな?
お妙 ……私になれたら、なろうと存じます。いえ、……もう内にはお金がまるでないのです。拵えるあてもありません。あれだけの子供達がもうじき食べ物も着る物もなくなります。そのうちにお江戸にたずねて行くかも知れませんから、どうぞお世話して下さいな。
お蔦 まあ、それで! いけません。第一、何か芸が出来ますかえ?
お妙 あい、お琴を少し習いました。それから仕舞いを少しばかり。
お蔦 琴と仕舞ですって! ホホホ、駄目々々。全体、芸者になろうなどと、悪い了見。金がなければ仙さんに相談なさい。仙さんにいつまでもここにいてお貰いなさい。仙さんは……。(フィと奥の間に去る)
(取残されたお妙は炉端に坐ったまま、ジッと前を見詰めたまま考えている。――永い間――遥か遠くにかすかな銃声と、さらに遠雷のように響く砲声一、二。……)
(戸口からフラリと入ってくる仙太郎)
仙太 ……おお戻っていたのか、お妙さん。……どうしなすった? 顔色が悪い。
お妙 仙太郎さん、その寄場の人達というのはどうなさったのすえ?
仙太 あんたも知っているのか。……ことわった。しかし、……帰ろうとは、どうしてもしねえ。
お妙 ……では、あなたは筑波勢の方へ行くのは、すっかりやめてしまったのかえ?
仙太 ……。(あがりもしないで土間に突立っている)
お妙 ……もともと、仙太さんが、どんな気で江戸から筑波へは行かずにここへノコノコおいでだか、それが私にはわからないのす。……。
仙太 ……(何度もいいよどんだ末)それをいうのか。……それは、段六や、あんたに会いたかったから。
お妙 それは、私だとて……。
仙太 え?
お妙 しかし、しかし、いまはそんな時でないのす。
(短い間)
仙太 (依然としてお妙からはズッと離れた土間に立ったまま極く無表情な姿のまま)……お妙さん、お前俺の女房になってくれるか?
お妙 ……(のどが詰る)……あい、それは……。
仙太 待った、返事を聞く前に耳に入れとくことがある。……俺あこの手でだいぶ人を斬った。実の兄き、滝坊の父親、そのほか一々言うと……。
お妙 知っております。段六さんに聞きました。
仙太 それから、江戸で、お前さんのお父さんまでも、……斬ってるかも知れねえ。殺したかも……。
お妙 知っております。
仙太 知っているんだと?
お妙 お蔦さんの話で。ハッキリと話してはくださりませなんだけど。……仕方がありませぬ。
仙太 仕方がない?
お妙 ……世間のためになることならば。
(間)
お蔦 さ、嬢さん(言いながら奥から出て来る)仕度が出来ましたよ。いっとき寝た方がいい。
仙太 寝る? どうしたんだ、お蔦さん?
お蔦 戻っていたんだね。いえね、稲田の中でお妙さんぶっ倒れたのさ。そら、まだ血色がよくない。さあ(とお妙を立たせて奥の間の方へ連れて行きながら)……仙さん、あたしゃ明日あたり江戸へ立つ積り。
仙太 うん、江戸へ? ウム。……(お蔦とお妙奥へ消える。仙太郎それをチョッと見送って立っていてから、今度は戸口を見、遠くの銃声に耳を澄まし、それから腕組みをして何か考え込んだまま土間を歩む……)
(間)
(誰か走って来る足音。足音が戸の外にとまり、内部の様子をうかがっているらしい間を置いて「仙太郎!」と声がして、パッと戸口から入って来る加多源次郎。小具足姿。乱髪)
仙太 お! お前は、 加多さん!
加多 何をグズグズしているかっ! 一直線に湊、館山だ。早く来い、さ!
仙太 ちょ、ちょっと待ってくれ。俺あ――。
加多 文句をいうなっ! 知っている、井上とも今井にも会って聞いた。内輪喧嘩がどうしたと? 内輪喧嘩のない仕事があるか! 馬鹿、さあ来い! キリキリしろ! (いきなり仙太郎の襟がみを掴んでいる。放っておけばそのまま表に引きずり出して行きそうである)幕軍がツイそこまで押して来た!
仙太 (襟を振りもぎって)何をう、しやがるんだ!
加多 命が急に惜しくなったのか?
仙太 もうその手は食わねえよ、加多さん。第一、行かねえとはいっていねえ。命が惜しくなったかといって怒らせさえすりゃいうなりになると思っているのか? おっしゃる通り命が惜しくなったと言やあどうする気だ? よし、まず、これを見ろい! (と懐中から位牌を出して土間にガンとおく)
加多 何だ、これは?
仙太 読んで見な。百姓仙右衛門。……俺の実の兄きだ。……俺が手にかけた。……抜刀隊で働き出した去年の暮、それと知らずに俺がやった。親とも思い、おふくろと思ってたずね捜していた、かけがえのねえ兄きだ。……加多さん、俺あこれだけのことをしているんだ。命が惜しくなったのかといわれても、もうツンとも応えはしねえのよ。通り越しているのだ。
加多 フーム。(位牌を睨んでいる)
仙太 ……そのほかにも斬っちゃならねえ人を何人手にかけたかわかりゃしねえ。何のためだ?
加多 (大喝)馬鹿っ! 死ぬ者は死ぬ! 文句を並べるな! こんな物が何だと言うのだ。どうにかすれば、これが生き返ってでも来るか? 見ていろ! (いきなりバリバリバリと位牌を踏みつぶして、砕いてしまう)
仙太 加多っ!
加多 天狗党隊士真壁仙太郎として湊で死なしてやる! わかっている! いいから来い!
(再び仙太郎の肩を掴み、仙太郎もあえてそれを拒まず、戸口へ歩みかけるそこへ丁度外からヒョイと飛込んで来た人影とぶっつかりそうになる。入って来たのは旅拵えで、左肩から腰へかけてまだ繃帯をした甚伍左である。三人同時におお! と低く叫ぶ。加多と仙太郎は飛下っている)
加多 ……甚伍左!
甚伍 加多さん! ……仙太郎!
(そのまま三人が土間の三方に突立ったまま、互いに眼と眼を見交したままジッとして動かなくなる。……永い間。
少し離れたところをかなりの人数が走って行く叫び。遠くの砲声、銃声)
甚伍 加多さん、事あ、しくじりましたねえ。
加多 ムッ、……無用だっ!
甚伍 あんたあ、抜く気か? それもよかろう、斬られてもよい。だが、あんた方あ水戸の方へ行っちゃいけねえ。……行っちゃいけねえ。穽に落ちるようなもんだ。宍戸様の手と合して水戸城を落して立籠る積りだろうが、それが穽だ。まだ考えが青いや。
加多 何をっ!
甚伍 ま、ま、しまいまで聞いてからでも遅くねえ。目先の見えねえにも程がある。江戸じゃこの騒動を口実にして、水戸藩の持っている幕府での勢力と、それから、勤王派とを、両方とも一気に叩きつぶして邪魔を除こうとしているのが、わからねえのか? 落し穴だ。小石川のおかみを動かし、佐藤、朝比奈などという人を幕府がけしかけたのも、お前さん方は知らねえのか? 毒で毒を制しようというのだ。江戸が衰えたとはいいながら、まだそれだけの役者はいますぜ。水戸藩あたりの田舎千両役者たあ、打つ狂言のケタが違う。そんなことを少しも考えねえで、水戸へ駆け出して行って、あとはどうなるんだ? 田沼の手が、やれば手易くできるのを、一気にこの近まわりで天狗党を蹴散らそうとしねえのも、ジワジワとお前さん方を水戸へ押し詰めて、そこで根こそぎぶっつぶそうというコンタンからだ。
加多 ……甚伍、拙者が抜こうとしたのは悪かった。
甚伍 よし。それで加多さん、お前さん知っているかね、幕府では湊の方へ軍艦を廻しましたぜ。もっとも出発のときの理由は、水戸城に籠城したおため派鎮圧のためということになっている。が、実は――。
加多 フーム、そうか。
甚伍 戦争は戦争で。みすみす勝ち目のねえ駒を差すてえ法はねえ。行っちゃいけねえよ、加多さん!
加多 いや、行く! 行かねばならん!
甚伍 意地か? つまらねえ。そんな小さな意地で、元も子もなくなれば、あとはどうなるんだ? 生かしておけば国の礎ずえにもなろうという立派な人物や若者を何千何百と殺して、それでよいのか?
加多 あとのことを考えるから、われわれは死なねばならんのだ。生きていて、ことを果す者もいる、死んで生きていた以上のことを果す者もいるのだ! 肥料になる者は、死んで腐らねば、その上に生える草木の肥料にはならん。考えてみろ。われわれは、その肥料だ。死んでよいのだ。肥料で悪ければたねだ。種は種としては死んでしまわねば、それから新しい芽は生えて来ぬ。新しい芽のために死ぬのだ。時世御一新のための鬼になって、以て瞑そうというのだ。田丸、藤田その他の諸先輩はどう考えていられるか拙者知らぬ。知る必要も無い。ただ拙者はそう思っているのだ。
甚伍 ……どうあっても行くのか?
加多 拙者一人が行くだけでない。本隊はすでに宍戸あたりまで行ったろう。拙者は、一緒にそういうお前も、この仙太郎も連れて行こうと思っているのだ。来い!
甚伍 それじゃ……。
加多 もういうな! 甚伍、キザをいうと笑おうてくれるなよ。蒼空皇天のもと、九尺の腸を擲って一個の烽火となろうというのだ。
甚伍 ……………。
(いきなり、幕軍の砲弾が、この家の奥の間あたりの屋根に命中して、それを打抜いたらしく、物凄い轟音とともに家全体がグラグラッと揺れる。バリバリッと屋根のこわれる響き。奥の間へ通じる口から、バッと吹き出してくる黒煙と、砂煙。この音と煙は幕切れのときまでつづく。
三人同時にオウ! と叫ぶが、誰も動こうとせぬ)
(奥から煙と共に転げ出てくるお妙)
お妙 アッ! 仙さん! 仙太郎さん! お蔦さんが! お蔦さん、梁に打たれて! 仙太さん、早く、早く!
(仙太郎それを聞くや、返事もせずにパッと飛上って、奥へ走り入る)
甚伍 おお、妙!
お妙 ああ、お父さん! お父さん!
加多 来たな! 奥に誰か居るか?
お妙 お蔦さんが背中を梁に打たれて――。
(戸外から四人の男が入って来る。これは寄場の人足で、中の一人は第四場に出た者。四人とも刀を背に斜めに負うている)
加多 誰かっ!
人足一 真壁の仙太郎さんにお会いしてえんで。
加多 何用だ?
人足二 私等、天狗党に入れて貰いてえ、水戸へ行きてえのです。
加多 そうか、よし! 来い!
(その間も壁がくずれ落ちたり、物が焼けたりする音が続く。家はまだ揺れている)
(抜刀を下げたまま奥から出てくる仙太郎)
お妙 仙さん、お蔦さんは?
仙太 死んだ。梁に打たれて胸から下はザクザクになって、早く息を止めてくれ、どうせ助からない、早くあなたの手で……。そういうから、かわいそうだが……。(わっと泣き出すお妙)
お妙 すみません! すみません!
人足一 仙太郎さん!
仙太 じゃ、あんた方どうあっても行くのか?
甚伍 妙、それでは、身体を大事にしろ。ここにこれだけある。(懐中に持っていた金をスッかり出して娘に渡す)どうしても困ったら、筑波門前町、町の口利きで、たしか女郎屋もやっている亀八という男をたよって行け。お前は生きておれ。まさかとなれば女郎にでも何にでもなって生きておれ。
お妙 お父さんは?
甚伍 水戸へ行く。生きて会えると思うな。
加多 それでは、甚伍左?
甚伍 行きやしょう、一緒に。
仙太 すまねえが、皆さんの有金ソックリ出していただきてえ。(自分のをまず一番に出して次々に皆の出す金を集めて、お妙に)これは私達にゃもう要らねえ物だ。お妙さん、子供達を育ててやって下せえ。私あ、あんたのことを女房だと思って死にます。
お妙 あい。
加多 よし! それで、よし! さ、打出よう。宍戸を抜けるまで、これだけ七人、必ず別れ別れになってはいかんぞ、よいかっ! (奥の間が燃えはじめたらしい。パチパチバリバリッと音がして、黒煙と、焔の反映で、ここまで赤い)仙太郎、お前が先に立て! 拙者がしんがりをつとめる。離れるな、斬らないで駆け抜けろ!
仙太 水田に踏み込まぬよう用心するんだ!
甚伍 よし! 妙、さらばだ。さ、一緒にトキを!
加多 よし、おおおっ! (抜刀を差上げる。それにつれて七人が一緒に抜刀、おおおっ! と喚声をあげる。家のこわれる響と火事の音とに混って、その辺に鳴りひびく)
仙太 お妙さん! (パッと駆け抜けて戸外へ飛び出して行く。つづいて五人、最後に加多がそれを追って走り出て行く)
お妙 仙太郎さあん! (戸外へ)
(幕)
[#改段]

9 越前、木芽峠

 十二月。深い積雲の山間の曇った昼さがり。幕軍の包囲を衝いて湊を逃れ出でた末、京都に上り慶喜について陳情せんと、途々諸藩の兵と戦いながら中仙道を一旦美濃に出で、ついで北陸に道を転じてここまで来た天狗党の残党約八百人が、すでに十日ほども屯集している山中。
 その本営から少し離れた台地。ここは山の風蔭になっていると見えて積雪はさまで深くない。左奥は暗い断崖に終っている。右手に谷より登って来る小道。正面奥は谷に開け、その空を一杯に鉢伏山の姿がふさいでいる。
 誰も見えず、静かだ。離れた本営の方からドードードーと響いて来る陣太鼓の音。
 暫くして、右手から出てくる加多源次郎。敗走軍の惨苦が一目で見られる姿――硝煙によごれ、所々破れたり血痕のある小具足に足だけに雪ぐつ。身内にどこか傷を負っているらしく青ざめて足どりもシッカリしていない。中央近くまで来て立止り、足元の雪を一掴みしゃくってガブリと口に含み、ウムと唸声みたような声を一つ出してから、手に持っていた陣刀を雪中に突いて、それに両手でよりかかるようにして黙って前の方を見ている。
 奥のはるかな、谷の辺から弱く尾を引いてオーイと何かを呼んでいる声。
 加多の出て来たところから、つづいて水木(前出)が抜刀を下げたなり、背後を振返りながら出て来る。これも加多に似たような身なりだが、傷は負っていないらしく比較的元気である。左手に鷲掴みにした二三個のサツマ芋を生のままがりがりかじりながら、しきりにうしろ――右手奥を気にしつつ加多に近づく。

水木 ……加多、これを食え。
加多 食いたくない。
水木 嘘をつけ、そんな筈が。(ムシャムシャ噛む)ああ、うまい。……フフフフ、残念ながら、うまい。さあ……。
加多 ……拙者の隊では、士分以下の者などもう二日間、雪以外の物を咽喉に通していない。たとえ生芋でも一人では食えません。そちらで食べて下さい。
水木 またいう。それでは身体がもたんぞ。
加多 全身が妙にカッカと熱を持って食気しょくきがないのです。
水木 そうか。……いや、明日あたり新保しんぽ辺から医者が来よう。だが……(ムシャムシャやりながら、右手奥の方をすかして見る)どうしたのか、馬鹿におそい。たしかに伝えたのか?
加多 それは。伝えた筈。
水木 弾きずを負っているそうなが、腕は立つそうだな?
加多 ……さよう。
水木 おお、あれがそうらしい。(と右奥下方を眺める。やがて、抜刀に素振りをくれる。その間もガツガツと芋はかんでいる)
(間)
加多 ……どうしても、斬らねばいけませんか?
水木 また、それをいうのか?
加多 いまさらになって余りにムゴイ気がするからです。……余人は知らず拙者などは士分以外の者もズッと同等の同志として来た。……また、あれらも、それだけのことはして来たのです。三、四日来、方々で斬ったのが二十数人あるそうなが、拙者はたまらない。特にあれなどはこれまで抜群の……。
水木 くどいぞ、加多! 拙者だとてそれは知っている。しかし事ここに至っている。自分が助かろうというのではない。少くとも武田先生、藤田氏以下将来有為の先輩だけは生き延びさせなければならん! でなければ永戸の勤王派の根が絶えるのだ。士分以外の者が加担していたとあっては、その望みも十が十なくなる。まだ何かいうか! もういうな、加多! 第一、あれらを斬ることについては、武田先生、藤田先生、その他も絶対に反対して、ともこうも死生を一緒にしようという説だ。捨ておけば全部が全部フイになるだけの話。(間)
加多 ……宍戸侯は水戸城において御自害、榊原先生以下数十人は斬に処せられる。死罪、禁錮百余人。……途中聞きました。一橋公からの御沙汰はまだ来ませんか?
水木 来ない。……だろうと思う。すでに征討総督の勅を得られて、水戸、会津、桑名、筑前、小田原、大溝等諸藩の京詰の兵をひきい、大津まで来ていられるということだ。迫っている。
加多 で、……当方よりの陳情書の一部でも聴きとどけられると思いますか? ならびに、いまの諸先輩の助命のこと?
水木 わからぬ。駄目かも知れぬ。慶喜公ご自身の立場が昨年長州その他離反以来、相当困難をきわめているということもある。当方の志の存するところはわかられても……。
加多 それならば尚更でありませんか?
水木 あれらを斬ることか?
加多 さよう!
水木 だからいっているのではないか! まさかとなって当方のために口を利いて下さろうという段になっても、士分以外までも多数参加した、つまり暴徒暴動ということになれば、弁疏の余地はなくなるのだ?
加多 事実、そのような暴動であれば、それも仕方がないではありませんか? 事実を曲げてまで三、四の命を……。
水木 もう言うなっ。(下の方を見て)おお、来た! いやならば止せと、初めからいっている。尊公には永いなじみの者だから、と初手からいってあるのではないか!
加多 そうだ。わかっている。永いなじみの者だから、どうせ誰かにやられるものならば、いっそ拙者の手でと思った。……いまでもそう思っている。ここへも拙者一人でよいと言ったではありませんか!
水木 フン、逃がすつもりであろう?
加多 逃がす? ……(間)さよう……。
水木 ならば、一人でやってみるか? どうだ? 来た! シッ! (二人黙る――)
(間。……右手から仙太郎出てくる。戦い疲れ、着物なども破れたりしているし、それに弾傷を負っている左の腕を、血でよごれた手拭いで頸から釣っている。空腹と疲労のために青ざめた顔をして、右手で刀を杖に突いている)
仙太 (黙って自分を睨んでいる水木に)ああ水木先生、何かご用で、なに、今井さんが先生が此方で呼んでいらっしやるからっていってね……。加多さんもいなすったのか。久しぶりだねえ、加多さん。ズーッとかけ違っていて、考えて見ると、部田野村から館山へかけて行くときにチラッとお目にかかった時以来だ。
加多 ウム……。
仙太 傷をなすったっていうが、どうだね?
加多 ウム……。
仙太 (加多が顔をそむけるので、取付場がなくて、水木を見る。そして、水木の抜刀を見、妙に緊張している顔を認めて変に思いながら)……どうなすったんだね? (ジロジロ見る)
(間)
水木 (抜刀を鞘に納めるためのように袴で拭きながら)ひどいものだな鞘に入らぬ、ハハ。
仙太 一ツ橋様が大津から海津へお向いになったというのは本当ですかねえ?
水木 知らぬ。……誰から聞いた?
仙太 なあに、人足の釜次郎が昨日味噌を買いに峠を越えて加瀬ヵ越し近くまで行った戻りに大垣からやって来た馬子から聞いたっていいますがね。また聞きのまた聞きだからどうかと思って。
水木 そうだ、お前の手の、寄場の者等十人余りは何処にいるのか? 何をしている?
仙太 何か用かね?
水木 ウム、急ぐ用がある。
仙太 なんだ、そんなことか。それならば、わざわざこんなところへ呼ばなくともいいに。いえそれがね、あの連中何処へ行ったんだか、この二、三日まるきり見えねえ。実は私も少し気になることがあるんで捜しているんだが……人に聞いてもわからねえし。東浦寄りの溜りにもいねえそうだ。
水木 気になる? 気になるとは何だ?
仙太 なに、それは此方のこと。
(間。――水木は矢張刀身を拭うような手つきをしながら、気づかれぬように横身のままジリジリ仙太郎の方へ寄って行っている)
水木 ……つかぬことをいうようだが、仙太郎、これからどうなると思う? 全軍はどうしたらよいと思う?
仙太 私等なんぞに、そんな、わかりゃしねえ。無理だ。しかし同じない命ならば、このままここで雪ん中でのたれ死にするよりは、前へ出て――。
水木 同じ無い命? しかとさようか?
仙太 ご冗談でしょう、へへ、いまさらそれを――。
水木 よし、では! (ツツツと仙太郎の方へ寄って行く)
仙太 な、なんですい? (と訳のわからないままに、左手の方へ身をよける。トタンにヒョイと振返ってすぐうしろが崖縁なのに気づいて)おっと、危ねえ! 先生、何をなさるんだ! (水木を見詰める)
水木 (気勢をくじかれて、苦笑しながら四、五歩退いて)なに、フン!
加多 水木さん! ……(間)……あなたは暫くはずして下さい。拙者に任かせて貰いたい。いや断じて! 加多源次郎、男児です。知っています! わかっています! しばらく……。
水木 そうか、然らば……(怒ったようなふうに右手に去る)
仙太 おかしな人だ。(見送っている……間)ありゃどうした人ですかねえ?
加多 神勢館で砲学をやっていた人で、あれでも小筒にかけてはまず名人。そんなことよりも、(句調がスッカリ変って親しい)仙太、こっちを向け、どうも傷がんで大儀だ。全く久しぶりだなあ。
仙太 傷が病むのは、よくねえ。あんたあ、ズッと御殿山の方に居たんだって? 俺あ初め館山で、後になって反射炉の方へ廻されてね。
加多 そうだとなあ。反射炉は初手から最後まで先鋒だったからなあ、骨が折れたろう?
仙太 それはいいが、相手が柳沢村から部田野、関戸と廻りこんで峰の山一帯を占領しちまってからは、閉口でしたぜ。なんしろ、反射炉から峰の山かけて、あのボヤボヤと草木の繁った谷間たにあいだ。それに因果と、夕陽で味方がギラギラとまぶしい最中に、その夕陽を背負った敵の方から、バンバン大砲を打ち込むんだ。あの辺一帯バタバタと、面白いといっちゃ何だが、味方あ散々だったて。
加多 甚伍左がたおれたのは?
仙太 あれは、反射炉の方から町の方へ入るダラダラ坂で、こんだ御殿山の北側へかかるというとっつきに、御社がある。たしか、八幡さんかだ、あの後に水溜りみてえな池がありやしょう、あすこだ。いよいよ反射炉の方が持ちきれねえとあって、引上げだってんで、池のはたまで来かかると、水を飲もうとしたままでしょう、水っぷちでうつ伏せになってガックリしている血みどろの男をヒョイと見ると、それが親方だ。斬られているし、それに弾傷が身体中にまるで蜂の巣だ。もう口も利けねえ。「仙太郎か、お妙を頼む」って、それだけいうと、ゴットリ。俺あ!
加多 そうか……。(永い間)……それで、綺麗な人だったように憶えている。……お妙さんは、どうしている? 知れぬか?
仙太 筑波門前町下で女郎になった。……まだ館山にいる時分、段六が人に頼んで知らせて来た。
加多 女郎に? なぜにまた、そのような……?
仙太 ……養ってやらねば行方ゆきかたのねえ子が十人からいる。……俺も実あ、女郎と聞いて、いくら何でも程があると怒って見たが……、考えて見ると、あの人は、それ位やりかねねえ。それにいまどき、若い女の身そらで、二十と三十とまとまった金を掴むにゃ、ほかに手はねえ……。
加多 そうか。……それにしても……。ウーム。(気を変えて、無理に少し笑って)仙太郎、お前あの娘に惚れていたろう?
仙太 なんだって、加多さん? ……馬鹿にするのか? (といっても、怒ったのとは違い、手の平で鼻の辺をこすり上げている)
(間)
加多 ……(急にマジメになって)仙太、お前、ここから帰らぬか、国へ?
仙太 (暫く相手の意味がわからず見詰めていてから)……な、なんだって、加多さん?
加多 ここを引払って常陸へ帰れといっている。
仙太 しかし、これだけの人数をオイソレと……。
加多 いや、お前一人のことだよ。
仙太 俺一人で帰れと※(感嘆符疑問符、1-8-78) そ、それは何のことだ?
加多 ……最早全軍の運命も大概知れている。あと十日か半月――。
仙太 ハハハ、それなら俺もたいてい察していますよ。死なば諸共だ。一蓮托生、うらみっこなし――。
加多 それを助けたいのだ。――それに都合も悪い。
仙太 都合が悪いと?
加多 武田先生、藤田氏以下先輩諸氏を少くとも十人余は――生き延ばしておかねばならぬ。たとえ、その余の人間は全部死んでも。――いやこのままで行けば全部が全部一人残らず死罪あるいは斬罪をまぬがれまい。つまり、――士分以下の者までもかたらった挙兵だと見られては一揆または単なる暴徒と見られても仕方がなくなる訳。そのために――。(言いにくくていいよどんでしまう)――(間)
仙太 だから帰れと――?
加多 つまりが、そうだ。……仙太、加多源次郎、今こそ恥じ入る。……何とでも思ってくれ。だが拙者とても十日後には死ぬ人間だ。
仙太 (青くなり、何かをハッと悟り)そ、そ、それじゃ加多さん! (詰め寄って加多の襟を掴む)何か、あの、四、五日前から町人百姓から出た者達で三人四人と見えなくなるのも……? すると、俺と一緒に来た寄場の者達十一人も、もしかすると、き、き、斬ったのか?
加多 (仙太に首を持って揺り動かされても、反抗せずに、静かに)そうかも知れん。……多分そうであろう。……許してくれ、仙太郎。
仙太 許す、許さぬ、そ、そんなことじゃねえ! ケッ! お前さん、泣いているが、そ、そんなこれまで同志々々といっておきながら、そ、そんなアコギな法があるか! (極度に昂奮し、頭も混乱して、加多を突き離して、睨む)そ、そ、そんな自分勝手な法が――。それじゃ、俺をここへ呼んだのも、――読めた!
加多 ……(首うなだれて静かに)……だから国へ帰ってくれ。
(丁度その時、突然右手より、ターンと烈しい小筒の音が響いて、弾が仙太郎の腰の辺に命中したらしい。アッと倒れかかって、その辺をキリキリ舞いをする)
仙太 た! ちっ! うぬ、畜生! 誰だっ!
加多 (びっくりして)どうしたっ? いかん! 水木さん、それはいかん、水木! (その言葉のまだ終らないのに、再び銃声。今度のも仙太郎に命中したらしい。こらえ切れず、ウムといったきり、加多の方をボンヤリしたような顔つきで見て立っていた後、ドッと前のめりに雪の中に顔を突込んで倒れる)
加多 仙太郎!
水木 (小銃を掴んだまま右手から走り出て来る)これでよし、貴公に任せておけば、いつのことになるやらわからぬ。
加多 (怒っている)水木さん、なぜそんな早まったことを! 今日まで相共にあれだけ働いてくれた同志を遇する法でない!
水木 馬鹿を言いたまえ。事は急を要するのだ。当人もこの方がらく。さ、これを谷へ。手を借したまえ。(仙太郎の両足を掴んで雪の上を引きずって左手の崖へ持って行きかける。そのためヒョイと眼を開いた仙太郎、畜生っ! と叫んで両足で水木を蹴倒す)
仙太 (手負いの体をもがきながら、刀を抜いて二人を防ぎつつ狂ったように叫ぶ)畜生っ! ひ、ひ、人をだましやがって! き、貴様達それでも男かっ! それでも士かっ! い、いいや、そ、それが士だ! だましたな! だましたな! 犬畜生っ! い、い、命が惜しいと、だ、だ、誰が言ったんだ! そ、それを、い、い、いまさら、だましやがって! き、貴様達士なんぞ、人間じゃねえ、に、人間じゃねえ!
水木 黙れ! 黙らぬか! 加多っ! (抜刀、斬り下ろす)
加多 (これも抜刀するが、斬り下ろしかねながら)仙太、どうか死んでくれ!
仙太 (刀を振廻すが、手負いのため、相手には届かぬ、喚く)し、し、死んでくれと? 畜生! 死にたくねえと誰が言ったっ! 皆で一緒にと、あれほど言った、うぬ等の舌の根がまだ乾かねえのに! い、い、い、や、こんな、こんな、こんな目にあっては、死に、たくねえ。だましやがったっ! だましたんだっ! 畜生! 助けてくれーっ! 助けてくれーっ! チ、チ、チ(水木は殆ど気が狂ったようになって、メチャメチャに刀を振って、助けてくれ! とわめく仙太郎をズタズタに斬る。しかし、すっかりあがっているので、いくら斬ってもきまらぬ。仙太郎、刀を振廻しつつ、いざりながら狂い廻る)犬畜生! 士なんぞ、士なんぞ、う、うぬ等の都合さえよければ、ほかの者はどうでもいいのだっ! ご、ご、御一新だと! 阿呆っ! うぬ等がいい目を見たいための、うぬ等が出世したいための御一新だっ! だましたっ! だまされた! 犬畜生っ! 犬畜生っ! (それを水木、顔と言わず手足といわず、ズタズタに斬る。仙太郎わめきながら崖縁まで追い詰められ、苦しまぎれに横に払った刀が、水木の腰にザッと入って、水木ワッと言って飛下って倒れる)
水木 加多っ! 加多っ! 何を、何をしている!
加多 よし! (刀を上段に構えて、ツツと崖の方へ)仙太郎、許せ! (言いざま、スッと斬り下ろした刀、仙太郎の肩に入る)
仙太 犬畜生っ! 士の犬畜生っ! アッ (同時に崖を踏みはずして向う側へ落ちる。落ちながら呪いののしる叫び――)
(間)
加多 ……(落ちて行く仙太郎をジッと見下ろして立っていた後、ヨロヨロ歩いて来る)ウーム。(ボンヤリ立っていてから、変に唸るような声を出す。泣いているのである……)水木さん、斬った。
水木 おお!
加多 あれは立派な、男であった。……この身体では拙者も……。ご免、お先へ。(言うなり持っている血刀の穂を右襟首の辺へスッと立て、刀はそのままビューンと投げ出し、チョッとの間、立っていてから、ガクリとして、前のめりに木が倒れるように雪の中にポスリと倒れる。
 呆然として立っている水木。
 山中をめぐつて鳴り出す陣太鼓の音)
(幕)
[#改段]

10 真壁在水田

 明治十七年八月末の晴れた日の午さがり。
 広々とした一面の水田で、早稲はすでに七分通り生長している。花道は村道。村道は本舞台にかかるとすぐ二つに分れて、一方は左袖へ消え、一方は右に曲って、水田の中を斜に断って、右奥へ曲って消えている。奥水田は岩瀬町から柿岡町へかけての低い山脈にくぎられ、右奥遠く高く肩を見せているのは加波山と足尾山である。
 明るいままに静かで、舞台には人影も見えない。しかし正面の水田の中三、四ヵ所で稲が動いてポチャポチャ水の音がするのは、三、四人の人間が泥掻きと草取りをやっているらしい。一番手前の者の菅笠と尻が時々穂の間からチラチラ見える。――そのままで間。
 花道から、小走りに出て来る中年の男二人。キョロキョロ前後を見廻し、青い緊張した顔をして七三で立止る。

男一 そ、そ、そ、そんでもさ、いぐら、じ、じ、自由党の壮士と言うたとて、村の者、斬りはしねえろ、なあ。
男二 いや、役場へやって来た大将株が、そいったと! あんでも自分達のことば警察へいっつけたり、兵糧ば出さなかったり、壮士に仇をする者がいたら、村の者皆殺しにすると! あんでも、昨日上州の方から入り込んで来た二十人から上の壮士は、荷車に三台も四台も爆裂弾ば持っていたそうな!
男一 あーん! すっと、すっと、その爆裂弾、すっと、いま、普門院の本堂に積んであっ訳か! こりゃ大変じゃ!
男二 あんしろ、政府ばでんぐり返そう言うたくらみだてや、この村なんど、どんなことになっか! 役場にゃ自由党おとろしがって誰もおらんし、村長さんの行方もわからん。駐在はおろか、分署にも誰一人おらんそうな! あんでも、村の若いしの中でも、もう自由党のいうなりに加担した者がウンとあるそうじゃ! 村でもおとなしく兵糧出してやって、一刻も早く筑波か足尾か加波山あたりへ行って貰うようにすりゃええに。この辺で戦争にでもなられてみろえ、田も畑もメチャメチャじゃが!
男一 せ、せ、戦争だと! 戦争になっかね?
男二 なるて! 先刻、郵便脚夫から聞いたが、県の方でも何百人という巡羅や刑事ば繰出したそうな!
男一 こ、こ、こりゃいかん! (本舞台へ向って走り出す)
男二 (追いかけて)ど、どこへ行くだい、神田さん?
男一 どこい行くといって、そ、そ、そそ!
男二 自分一人逃げようたって、そいつは無理だぞ! 第一、わしら、村長と助役さん早く捜し出さねえ日にゃ、どもならんがい。アワを食うでねえよ神田さん。
男一 そりだと言うて! そりだと言うて! どうしべえ、わしら? 川股さんよ、どうしべえ?
男二 あにをガタガタ顫えるかね、神田さん?
男一 あんただとて顫えているぞ、川股さん! (出しぬけにかなり離れたところに在る寺で突き出す早鐘が響き出す。ワッといって飛び上る二人)
男二 そりゃっ! (駆け出しかける。それに後からしがみつく男一。男二振りもぎって走りかける)
男一 ひ、一人でおいとく気か、川股さん! いっしょに、いっしょに連れてってくんなてばよ! (すがりつく。一、二度こけそうになったりして二人左手の道へ走って消える――早鐘)
(しゃがんで水田を掻いていた百姓の一人が、上体を起す。稲から胸の上だけを見せた姿はすでに青年になっている孤児の滝三である。黙って右手奥遠くの寺の方を伸び上って見ている。……間)
滝三 ……何だろうか? また、普門院で寄り合いでもあっかね? (水田の中で、フムとそれに応える声がする。滝三あと暫く鐘を聞いていてから、再びしゃがみ込んで、泥掻きをはじめる。水の音。鐘の音)
(佩剣を鷲掴みにして揚幕から飛出してくる巡査、七三でとまって寺の方を伸び上って見た後、再び駆け出して本舞台へ。道の分れたところまで来て、一旦右の方へ五六歩駆け込んでから思い返して引返して今度は左手の道へ駆け出そうとして躊躇し、曲り角に立ったまま、どっちへ行ったものかと考え、ウム! と唸っている。鐘の音が止む。そこへ右手の道からこれも小走りに出て来る角袖の刑事。薬箱こそ負うてはいないけれども、富山あたりの行商人のなりをして、脚絆草鞋がけ)
刑事 おお君は――。
巡査 あ、あなたは本署の、たしか泉さん。――それじゃ――?
刑事 昨日から、此方だ。私は勿論してあるが、君の方からも急報は出してあるだろうね、県へは?
巡査 いや、それがその、村内で斬られたりした事件があったりしまして、――
刑事 (顔の色を変えて)斬られた? 誰だ?
巡査 なに、収入役をやっとる地主のうちの細君ですがね、どうも米かなんかを出せと言われてはねつけたらしいで、そいで――。
刑事 よし! そんなことあよい。とにかく急報せんという法はない。
巡査 は、実は、そいで、いま行ってるとこでえす。
刑事 よし、早く行きたまえ。あ、それからねえ、私と一緒に東京方面の壮士をこの辺へ追い込んで来た本庁の真田という人がいてね、それがどうしたのか今朝から行方不明だ。ことによるとつかまっているかと思う。いや、まさか斬りはすまい。とにかく、それらしい者がいたら注意しといてくれんか。身なりはやっぱり私みたいに、こんな風だ。いいかね? おいおい(と右手への道へ駆け出そうとする巡査の肩を掴んで)そっちへ行く奴があるか! 寺にゃビッシリ奴らが詰めかけている。いま、此方へ二、三人やって来るらしい。
巡査 でありますか? 本官は、本官は……。
刑事 アワを食ってはいかん! 向うは命知らずばかりだ。いや、だから、もうすでに昨日あたり応援が県の方からもここへ着いていなけりゃならん筈だが。とにかく、それまで、奴等にあばれ出されてはいかん! 足尾か加波山へ追い込むことになっているから、山へ追い込めば此方のものだ。
巡査 ばく、ばく、爆裂弾を持っとるというのは本当でありますか?
刑事 馬鹿な! 持っていても高が知れている! しっかりしたまえ! そっちへ行くんだ! (振返って見て)おお、来やあがったようだ。さ! (花道へ向って走り込んで行く。あわてた巡査、佩剣を抱えて道角でグルグル二、三回廻った末、左手への道を走って消える。――急に静かになる。水田の泥掻の水音。……間)
(右手から、前後を見廻しながら出て来る自由党の壮士三人。一人は着流し。一人は絣単衣に袴、一人は詰襟の洋服を着ている。三人ともつとめて平静を装うてはいるが、ひどい昂奮と緊張が明らかに見られる。洋服の男は仕込杖らしいステッキを突き、着流しの男は、抜身のままの脇差しを、ダラリと右手に下げている。無言。進んで来て、水田の中の稲が動いたのにギョッとして立どまる。ジッと水田を見詰めている)
洋服 ……(つとめて押殺した低い声で)そこにいるのは誰だ?
(水田からは何の返事もない。抜刀の男、ズカズカ進んで田に踏み込んで行きそうにする)
袴の男 (動いている菅笠を認めて、指し)百姓だ。
(それで抜刀の男は踏み込むのをやめる。三人、三方を見廻している。――間)
袴 ……(水田へ向って)……おい……(と呼びかけながら着流しの男の抜刀に眼をやり、それをかくせと頤をしゃくる。着流しの男、抜刀を背後にかくす。(水田へ向って)……おい、こら! なぜ返事をしない、聞こえないのか? (稲田の中の者達は、稲の間から三人を覗いて見ておびえでもしたのか立上ろうとはしない。が泥掻きをする手を止めたらしく、稲も動かないし、水音もしなくなる)……おい!
着流 ハハ、恐ろしがっているんだ。
袴 そうか。馬鹿な、元来我輩等はお前達の唯一の味方なんだぞ、お前達になり代って藩閥政府の専横をぶち倒そうというのだ。恐がると言うのは聞こえない話だぞ。ハハ。しかしまあ、それでもよい、話は出来る。少したずねたいことがあるが、正直に答えてくれよ。ほかでもないが、この辺に仙太郎さんという百姓が、住んでいる筈だが、お前達知らんか? (田の中からは返事がない。が、誰か一人が身じろぎをしたらしく稲が一個所だけ少し動く)……どうだ知っては居らんか? ……(返事なし)
着流 この辺一帯で、斬られ、斬られ、または斬られの仙太郎と言って子供でも知っているということだから、家だけでも知らんということはあるまい、どうだ? (水田からは返事なし)
袴 あれは……元治元年、筑波党に参加してえらい働きをしたのだから、あれからザッと二十年、もういい年をした爺さんになっていよう、知っておらんか?
洋服 何でも利根あたりの郷士の娘で、一時筑波辺で女郎をやったこともあるとかいう恐ろしいベッピンの女豪傑を女房にしているそうな、俺あ足利で聞いた。願わくばその女郎あがりの女豪傑の美人も見たいもんだ。ハハハ。残んの色香という奴で、一つ叱られて見たいなあ。
袴 阿呆をいうな! 筑波の残党ならば、いわばわれわれの大先達だ。その細君のことを、貴様失敬な! (水田へ向って)どうだ、知っていたら教えてくれんか?
着流 急ぐのだ、早く何とか言え!
袴 教えてくれても決してお前達に迷惑のかかることではない。少しその老人に頼みたいことがあってな。おい、なぜ返事をしない?
着流 返事をしないと、斬るぞっ! 常毛じょうもう自由党員を何だと思っているか!
洋服 いや、百姓というもんは、どこの百姓でもこれ式ですよ。始めからしまいまで黙っている。自分のシッポに火がついても黙っている。ギリギリのどだん場まで黙っている。百姓を相手にするには、それをわからんきゃいかん。われわれが味方にし相手にするのは、この種の人間だ。これが第一歩だ。中央に坐りこんで机の上の民権論ばかりで日を暮している板垣輩、または星先生の一党の是非ならばいざ知らず、富永先生以下、真に地方の田畑の間から自由民権の萠芽をもり立てようとならば、やり方が少しあせり過ぎはしないか。なぜなら、百姓は実に、これが百姓なんだ。
着流 おいおい、ここは演説会場と違うぜ、演説は止めておけ! (水田へ)おいこら!
袴 (水田の者達はホントに少し腹を立てている)おい! お前達、僕等に敵意でも抱いているのか? 返事だけでもすればよいではないか? 急いでいるのだ! これでもわからんければ……! いや、おい何とか言え。第一その仙太郎老がこの辺に住み百姓をやっているということは、小さい時からその仙太郎老のために育てて貰った。いわば養子の一人だ、目下自由党に加盟して働いている真壁虎雄君から聞いて来たんだから、確かな話だ。
(それを聞くや、えっと驚いたらしい声がして、稲の間に滝三が頭を上げる)
滝三 真壁虎雄? ……自由党に?
着流 真壁を知っているのか? では――。
滝三 いんや、……その……(と躊躇して、少し離れたところで泥掻きをはじめた百姓の方を振返ってモジモジしている)知っちゃいねえ。知っちゃいねえけんど……その、仙太郎を捜してあんた方頼みたいと言うは、何かね?
袴 何かお前知っているらしいな。よし、それでは言おう、頼みたいと言うのは、沢山あるが第一にわれわれが山の方へ入るについて、人数が手薄なのでこの辺の村から、われわれとこうをともにしてくれる元気な青年を加えたい。それと、兵糧のこと、これらの件について、郷党の間に信頼されている立派な口利きが欲しい、それで是非その斬られの仙太郎さんに出馬して貰いたいのだ。
滝三 へえ……。(うしろを振返ってマジマジする)
袴 さ、これだけ言ってしまった、もう知らぬとはいわさんぞ、君! 知らんなどとシラを切れば、今日明日には武装した犬どもが何百となく県の方から押寄せて来ようという差し迫ったいまだ、悠長なことはやっておれん、このところで制裁を加えるぞ、よいな!
滝三 (困りきって)……それだと言って、そんな無法な……知らんものは……。そんな難題ば……お父うよ、お父う。
(呼ばれて口の中で返事をしながら、稲の中に上半身を起す老農夫。笠をかぶり純然たる小作百姓のなりだし、それに実際の年齢よりもひどくふけているので初めそれとは全然わからず、ヤッと後になって昼休みで道にあがった時にそれとわかる程に完全に百姓爺になってしまった仙太郎である)
袴 ではお前が仙太郎さんのことを知っているんだな? どこだ住居は?
仙太 へい、知っております。……ここからじゃ遠いて。小半里こはんみちはありやす。
洋服 どっちだ? いまでも丈夫か?
仙太 そっちへ行って小貝川に行き合うたら、こんだ川に添うてドンドン下って、植木と言う在をたずねたらようがすて。……しかしうちにはいめえて。もうスッカリ百姓でなあ、毎日タンボさ出るほかはボケてしもうて、人とはロクに口もきかねえそうな。
袴 よし、それでは、急いで行くか。
仙太 あんたら、自由党とかでいまの政府を倒すそうなが、……そいで、政府ば倒したら、そんあと、どうなさいまっす? あんたらがこんだ大臣やなんどにおなりけ?
着流 貴様、失敬なことをぬかすと……!
洋服 おいおい、こんな爺を相手に……よせよせ! さ、行こう! (三人花道の方へ行きかける)
仙太 (見送って、独言のように)行っても無駄でしょうて。仙太郎さは、もうはあ百姓だで、そんなことに手は、よう出しますめえ。
(三人はそれでチョイと立どまりかけるが、貴様達に何がわかるといった調子で聞かず、急ぎ足にドンドン揚幕へ。それを立って見送っている仙太郎と滝三――間)
滝三 お父う、……お父う、あんな無茶ばいってええのか? 嘘だってわかると……?
仙太 ああによ。……嘘じゃねえ。さあ、またやろうか。
声 あんだとお? (と少し調子はずれの声を出していままで稲の中にいたもう一人の爺が立上る。これも老人になってしまった段六である)もうはあ、お茶だと?
滝三 また、伯父さのツンボの早耳だ。(段六に向って声を張り上げ手でラッパを拵えて)お茶はまだだい、段六伯父さ。よく空く腹だぞ。芋が来ねえで、はあ、お気の毒みてえだ、伯父さ! ハハハ。
段六 あんだと、滝三め! 芋も芋じゃが、お咲坊が来ねえでは、お前こそお気の毒さまみてえなもんだて! アハハハハ、知っとおるぞ。知っとおるぞ。アハハハ。(仙太郎の方を見て)んでも、仙太公、お前何とか言ったけ?
仙太 (これも手ラッパで)あのなあ、えらく、お日でりだで、川の方の三角田にゃ明日あたり上から少し水ば切り落しとかねえじゃと言っているのよ、段六公。
段六 おおよ。そうしべか。世間が騒々しいとおてんどさままでが調子っぱずれだ。やれ、どっこいしょ。(と再びしゃがんで姿を消す)
仙太 さ、もう一息やろうか。(再び泥掻き)
滝三 あの、お父う、さっきあの連中虎雄のこというてたが、それじゃ、いよいよ……。(と不安そうにしてしきりに話したがるが、仙太も段六もそれを耳に入れず相手にしないので仕方なく、これも稲の間に姿を没して働きはじめる)
(かなり永い間――水の音)
(花道から女房姿のお妙とお咲が出て来る。二人とも着流しだが甲斐々々しい姿。お妙はふかし芋の入ったザルを抱え、お咲は茶椀の包みと大ヤカンを提げている。お妙は年こそかなり取っているが、まだ大変綺麗である。お咲は昔よく泣いた子で、これも年頃で可憐な顔立ち。スタスタと本舞台へ)
お咲 (後を振返りつつ)おっかさん、先程行き合うた人達は、もしかすっと――?
お妙 そうかも知んね。
お咲 んじゃ虎雄さんなんどもあれの仲間になってるかな?
お妙 んかも知れないね。正造は、これからの世の中は金が第一じゃといって横浜へ貿易屋とかの下働きに行ってしまうし、兼八は弁護士たらになるというていま東京で巡羅になっているそうな。虎雄は虎雄であの性分だ。うちに残っているのはお前と滝と源太郎だけ。私はいつまで立っても苦労の肩は抜けやしない。
お咲 ……源太さは畑でしょう?
お妙 そうだべよ。……しかしこんなこと、おとっつあんの前では、言いっこなしだぞえ。おお暑い。
お咲 だから、おっかさんはうちで休んでいて、私一人でいいとあんなにいうたものを。
お妙 ああによ、私一人が休んでいては、すまねえ。ああ、お稲がもうこんなだ! (稲田へ向って)あい、お前さん、お茶だぞう。(おおと返事をする声)
お咲 (声を張上げて)段六の伯父さあん、お茶でがんす! 段六の伯父さん! お茶でがんす! (稲田の中からまず滝三が立上り、お咲を見てニコニコする。つぎに仙太郎、つぎに段六が立ち上る)
仙太 おおご苦労だ。(言いながら手でも洗うのであろう、左手へ田をあがって姿を消す)
段六 (呆けた顔をして滝三とお咲の顔を見くらべて)滝三、咲坊の顔そんねえに見ているとそらそら、よだれが垂れら! アハハハ、だらしがねえと言うたら、こら!
滝三 何よう言うでえ! 泥ぶっかけるぞ!
段六 んでもさ、よだれが垂れてら、のう咲坊!
お咲 伯父さ、そんねえなこというと、芋やんねぞ!
段六 あんだと? アハハ、咲坊だって赤くなっとら。
お妙 段六さん、つまらんこというてねえで、早う手ば洗うて来さっしょ!
段六 へい、へい、(笑いながら左手へ。滝三も同様)
お妙 ここは木蔭がねえで、いつも難儀じゃ。んでもいい加減に少し雲が出て蔭が出来たて。
(お妙とお咲は道端の草場に持って来た物を拡げて仕度をする)
お咲 段六伯父さたら、いつもあれだ、ふんとに。
お妙 (ニコニコしながら)耳は聞こえなくなっても口の方は段々達者になるて。
(男三人は手足を洗って、左手から戻って来る。草場に車座に坐る)
段六 やれどっこいしょ。今日は芋かの? (見て)おほう、どうだこれ! 今年のは出来がええて! どうだこの色は! 源太の腕も馬鹿にはなんねえ。
お咲 あい、お茶。
段六 おほっ、俺が貰ってええか? 滝三よ?
滝三 あほいうな、伯父さ。(もう芋を食っている)
(五人、言葉少なに茶を飲み芋を食う)
仙太 お妙、おかいこはどうだ?
お妙 あい、いまの分ではよかろうて。二番さんがあがるのがあと四日じゃ。お前さん、暑そうだが、肌ぬいだら。
仙太 うむ……。(片肌をぬぐ。散々の疵跡である)
(間――五人静かに、食い飲む)
滝三 お父う、虎雄なあ、さっきの……。もしかすっと、ホントに……。
仙太 うむ……。
段六 (早耳に入れて)あんだとう? 虎雄がどうしたと? 帰って来たのか、虎雄が? あん野郎め! 自由党が聞いて呆れらよ。よけいなヤジ馬のしっぽに乗りやがって百姓はタンボをやってればそれでええのじゃ! 近頃の若えもんの了見てえもんは俺にゃわからねえて! 正造にしても兼八にしても同じだ! のう仙太公!
仙太 うむ。……だが、それもよかろうて。何でも自分の目で見てみたらええのだ。
段六 あんだとう? そうだろうが、のう? どうせが御一新の時に立廻り方がまずくって甘い汁の吸えなかった連中が、甘い汁を吸ってる連中をそねんでいるのだ。うん。
お妙 (段六を黙らせようと)段六の伯父さ。
段六 ほだろうが、嬢さま? 現にだ、あんたの親父さまだ。人間、しただけのことがマットウに返って来るもんならば、生きてござればいま頃は藩知事さまだあ。それが、ロクな墓もねえ有様だ。そでねえか、嬢さま?
妙 (赤くなって)伯父さ、その嬢さまだけは、やめておくれ。
仙太 ……(独言のように)何のことでも、上に立ってワアワア言ってやる人間は当てにゃならねえものよ。多勢の中にゃ慾得離れてやる立派な人も一人や二人はあるかも知れねえが、そんな人でさえも頭ん中の理屈だけでことをやっているもんだから、ドダン場になれば、食うや食わずでやっている下々の人間のことあ忘れてしまうがオチだ。……昔から、下々の百姓町人、貧乏な人間は、うっちゃらかしてあった。御一新のときにも忘れられておった。いまでもそうだ。……百姓町人、下々の貧乏人が自分で考えてしだすことでなけりゃ、貧乏人の役には立つもんでねえて。
段六 (聞こえぬままに得意になって)ほだろうが? のう、仙太公の天狗党?
仙太 (苦笑して)……そいつは禁句だ、段六公。考えて見な、公方様の天下を倒して大臣参議になったのが、その昔は下士や軽輩の士分の者だ。天狗党の人達もそれよ。ただ運が悪いのと早過ぎたのとで殺された。俺も……この疵がうずくたんびに十年前までは、あの人達を怨んだもんだが、いまじゃ武田様、藤田様、田丸様、加多さんはじめをお気の毒だと思うておる。……さて、今度は、そうしてできた新政府を横暴だ倒せなんどと騒いでいるのが、自由民権か何か知らねえが、とんかく、おこぼれば頂戴出来なかった軽輩あがりや物持のせがれ、それに少しばかりお調子もんの貧乏人のせがれが尻馬に乗ってるくらいのことよ。こんだ自分達が出世しちまえば、同じような横暴ば働いてぶっ倒される側になるのだ。もっとも、それも、しねえよりはましだろかい。何かの足しにはなるからな。……どっちせ、ふところ手をして食って行ける人間のすることはそんなものよ。当てにはならねえ。トコトンの一番しめえに、人をぶっ倒しても、こんだ他人からぶっ倒されねえ者と言えば、百姓、人足、職人、穢多、非人なんどのホントの文無しの者だ。しかし、そいつは、まだまだだあ。……虎雄なんども自分の目でしょうのところば見てくるがええて。
お妙 だって、あんた、もし戦争にでもなれば、虎雄なんど、もしかすっと……?
仙太 なあに、それでもええ。男だ、それは覚悟していようて。人間、人に依れば、ホントのことをウヌが目で見ようとすれば、殺されることだってあるものよ。ああに。……さ、馬鹿におしゃべりをやった。また、やろうかい、段六公。
段六 おおよ、今日はお天気具合がええで、仕事がハカが行かあ。アハハハ。(男達三人立上って仕度をする。お妙とお咲は茶の道具を片づけにかかっている。そこへ右手の道から顔色をかえてソソクサと出てくる百姓二人。甲乙ともに野良着のまま)
甲 やあ、仙太郎さ、ここか!
乙 畑かと思うて、どんねえに捜したか知れはしねえ!
滝三 どうしたんだい、小父さんだち?
甲 わし等あ報恩講の総代だってんで、呼出しを受けて普門院さ行って来たばかりだあな。下手あマゴマゴすってえと、いきなりステッキば引っこ抜いてぶち斬ろうというだから!
乙 どうしたもんだろか、仙太郎さ? 私等にゃどうしたらええかわからねえ。そいで相談に来たて。壮士は加勢ばしろというのだ! うん! どうしたもんじゃろか、仙太郎さ?
段六 あはん、自由党の騒ぎか? 自由党、まだ山へは行かんのか、佐平どん?
甲 それだあよ、山へ入るについて、第一に村方一統から、それぞれ米味噌ば差上げろというだよ。第二に若いし連ば山へ一緒によこせというだ。もっとも米味噌については、ポンボッチリだけは金ば払うというだけどな。何しろ相手はあの調子のこわもてでくるしよ。ことわるにことわれず、村の者と一応相談してからというて戻って来ただよ。これ、どうしたらええかねえ。仙太郎さ?
滝三 普門院の方丈さん、どうしてっかね?
甲 ああに、方丈さんは自由党に取りこめられて外にも出られねえのだから、早く何とか村方で承知するように手配ばしてくれと申されるばかりで、どうもはあ、しょうねえて。どうしたもんだろか、仙太郎さ? 折入って相談ぶつがねえ?
乙 何とかいうておくれよ、仙太郎さ、どうしたもんだろか? え、仙太郎さ?
仙太 村の衆に相談して見たのけ?
甲 そりゃ年寄連に話して廻って見たけんどさ、どうというて何とも考えがつかねえ。
仙太 んでは、あんた等あ、どうしようと思うているかね?
乙 そ、それがハッキリしているぐらいなりゃ四方八方、こうしてお前さんば捜して歩きやしねえて! 役場にも村長さはじめ人っ子一人いねえものを! どうしたらええか、仙太さ?
仙太 そいで、村の米味噌出せっかね?
甲 そりゃ、出せるうちもあっし、出せねえうちもあろうが、まず大概出せめえ。出来秋までヤット食いつないで行くうちが十軒の中の九軒までだかんなあ。楽に出せりゃ、ああに、出しもしべえさ。困るのはそこよ。
仙太 んではハッキリしてら、ことわったらええに。困るこたあねえて。ことわりな。
乙 そ、そ、そんねえにアッサリ行けば、こ、こんな苦労しねえ。出さなきゃ何をされるか、わかりゃしねえ。あんでも山のように爆裂弾ば持っているというだから。ひとつ、ようく、村一統のためを思うて考えてくんろて、仙太郎さ!
仙太 んでは、放っとけばええ。
甲 弱ったなあ、どう言えばわかるんかのう。先方では、まずこういうだよ。自分等はもともとお前等貧乏な人民のためを思って立ったのじゃ、第一に近頃益々ひどくなりよった税金のことば考えて見ろ、政府では何だかだと理屈をつけるが、つまりが自分等の権力ば増すために使おうというのじゃ、そいから、いまのような選挙法では下々しもじもの意見はどこにはけ口があるか? 怪しからんのは、徴兵法も、保安条例も、一切合財じゃ、これを貴様達になり代って改正してやろうというんじゃから、そこを考えて見ろ、とこうじゃ。言われて見れば、此方は何が何やらよく理屈はわからんし、とんかく、弱ったて!
仙太 俺にも、ほかに智恵はねえて!
乙 そ、そんなこといわねえで、この通り村一統になり代って頼むからよ、仙太さ!
甲 全くだ。お前に、どうしても出て貰わねえと、どうにもはあ――。仙太郎さあよ!
仙太 よし、じゃ、俺、ここん泥掻きばすましてから、普門院さ行くべ。
甲 ありがてえ! じゃ、ま、そうして――。
仙太 そん代りに、その前に村の衆と相談しねえじゃなるめえから、すぐに皆の家から男ば一人づつ、そうさ、鎮守さんに寄合っていて貰いてえ。ほかにも話してえこともある。
乙 んじゃ、この足でわし等れ歩くべえ。頼んだよ、仙太さ!
仙太 アハハ、ああに、俺の見当じゃ、ここん泥掻きがすまねえうちに、ことあ一人手に済んでるだろうて。自由党もいつまで普門院におれる訳でもあんめえ。貧乏な人民のためだなんど、いうことだけは結構だが、またぞろダシに使う了見だ。わかってら、あにが出来るもんだ。佐平どんも五郎さもよく聞きな。法律がどうのこうの、政府がどうのこうの、早い話が国税や県税や村税から、年貢米一切合財、こうやって現にそいつで四苦八苦している俺達五反百姓が自分のことを考えてる程シンミになって俺達のことを心配してくれる者が、ほかにある筈がねえて。よいか、誰にしたって、わが身程可愛ものはねえのだ!
甲 そらそうじゃ! 全く、そらそうじゃ! 現に村方のオヤさまや役場の人やなんどが、お前等のためだお前等のためだというては耕地整理だの農事改良だのに私等を引廻しなさるが、そいで作物がよく出来たからというて私等の暮しが楽になったためしはねえからのう、それと同じよ。
乙 五、六年前から見ると年貢だけで二ガケ方あがったからのうこの順で行けば十年後にはどうなっだか? 俺達の孫子の代になっと、田畑なんど精出して作れば作るだけ損になるってえときがくるぞ! 全く、ウヌの命が可愛いければ、俺達もはあ、何とかしねえでは、やって行けなくなるてや!
仙太 だろうが? のう、政府が何とかしてくれようと思うているのも馬鹿なりゃ、反対党がよいようにしてくれると考えているのも阿呆だぞ。そら、その筈だが。政府にしても反対党にしても、金持出やオヤさま出の人ばかりだ。しょせん金持や地主さんのためを思うてすることじゃ。自由党にしてからが、せいぜい自分等の役に立つ間だけ俺達をだしに使うて、自分等が世の中に出てしまえば、放り出そうという手だ。俺にゃチャンとわかっていら。あんでも、大きな顔ばして上に立って騒ぐ連中のするこたあ、みんなそれだて。俺のこの身内の斬り疵が、そう言って教えてくれらよ。うん。ウヌらのことを、つれえ、悲しい、苦しいと思うたらば、自分のことは自分の手でやらねえじゃ、人だよりでは、あんにも、ほんとのことあできはしねえぞ! いぐら、こんなしがねえドン百姓でも一人々々じゃタカあ知れているが、十人、二十人、百人、千人と一緒になれば、ああに、やってやれねえことあねえて!
段六 あんの話だよ、仙太公? あにをまた、パクパクパクパクえらそうに、喋っているんだ、仙太公? まあだ、こりねえのか? 詰らぬアゴタば叩いていねえで、さあ、タンボだ! (仙太郎の肩を掴んで田の方へ)
甲 そりゃそうだ! 仙太さ、そうだ! んでもそこんところがなあ、口でいうなあ、あんでもねえがよ。現に村の衆等は、村の平松さま初め大百姓オヤさまだちに頼んで、この秋から年貢を少し引いて貰わにゃ、やりきれねえ、せんめて二升五合の差し米だけでも、よその郡に較べてあんまり高いで、まけて貰おうなんどと話し合っているがのう、どんなことになっかねえ、税金にしたってそうだ、特別税なんどというオッカネエもの、何とか止すか減らすかして貰おうと、現に、先だっての講中の寄合いのときにも話が出たけんど、あんたのいうように十人、二十人、百人力を合わせると言うたとて、それがさ――。
乙 むずかしいて! 口でいうのはやさしいが。
仙太 (段六に)そう引っぱるなて、ああ、じきだ。(甲乙に)初めっから、うまくは行かねえ。農事改良会の方で話を持ち出したら、どでがんすか?
甲 ああん、あれはいけねえて。が、あれはオヤさまだちのもんだ。第一、作人さくにんなんどに口を利かせはしねえ。
仙太 んじゃ、耕地組合は?
乙 そだなあ……。しかしこれも駄目でがしょう。役場のひっかかりの人が音頭とっているだから。年貢のことあともかく、税金の話になったら、ことがこぐらかろうて。
仙太 んじゃ、別に作人さくにん百姓ばかりの寄合いば拵えたらええて。ううん、初めは小字だけで二人でも三人でも構わねえ。段々に拡げて行けばええて。
甲 そだなあ。んじゃ、ここにいるお前さん、私等、段六さ、滝さ、これだけで、おっぱじめっか? しかし、せんめて、報恩講ぐれえの人数があればなあ。
段六 (小耳にはさんで)報恩講に出てくれかあ※(感嘆符疑問符、1-8-78) へん、アハハハ、信心が聞いて呆れらあ、いるかいねえかわからねえ仏さまなんどが、あんになっだい? 百姓はタンボが仏さまだ、タンボ大事にしていりゃいいて、馬鹿な!
お咲 段六伯父さ、よ! (段六の袖を引っぱる)
段六 あにい? 違ってるのか、話が?
仙太 お妙、お前もう戻りな、暑いで、また、身体に障るとよくねえ。
お妙 あい。……お咲、帰るで。これから源次にお茶だて。
仙太 源次郎に、桑の合いすきは明日俺達総がかりでやっからと言うときな。
お妙 あいよ。んじゃ皆さん。(と甲乙に会釈をして、お咲とともに左手へ去る)
仙太 (甲乙に)んでは、報恩講で話ば持ち出したら、どでがんすか?
甲 報恩講ばかね? 名目みょうもくばかえるかね?
仙太 ああにさ、名目は何でもええて。大事なことあ、そいで作人が寄合って、相談ができればええて。
乙 講中をそっちのけにして、物騒な話はできめえ。第一、仙太さ、お講となるとお前さま嫌って出なかったじゃねえかね?
仙太 ああに報恩講は報恩講で、やるだけのことあやって結構でがすて。いぐらお講だというても、じょう年中に念仏や唱妙ばかりでもあんめえ、講の後で茶を飲めば、茶飲み話というのも出るでがしょう。話や相談はそのときで結構じゃ。方丈さんの説教で耳の掃除が出来てっから、話も一倍よく耳に入るかもしれねえて。ハハハ。そうなりゃ、嫌いなんどと、飛んでもねえ、俺も講に入るだよ。アハハ、お経さんでも何でも習うあ、斬られの仙太郎が信心ば始めるとはいい図だあ、アハハハ。
甲 アハハハ、そりゃええ! なあ!
乙 うう、そりゃええ考えかもわからねえ。いや、そいつはええぞ!
甲 やるか※(感嘆符疑問符、1-8-78) やるかね、仙太さ※(感嘆符疑問符、1-8-78)
仙太 やりがしょうて。
(揚幕の奥で人々の罵り騒ぐ声々が近づいて来る)
甲 お! あんだ※(感嘆符疑問符、1-8-78) いけねえ、自由党かの? んじゃ、とんかく、この話は、後でもっとユックリやっとして、いま頼んだ普門院のことと、鎮守さんの寄合いのこと、頼んましたで仙太さ、ええな!
乙 あぶねえ! ここにおって、また、とっつかまるで!
仙太 いいともさ! 早く行きなせ!
(甲と乙アタフタと左手へ走って去る)
段六 (揚幕の奥の声が全然聞こえないままに、そちらを見て立っている仙太郎の腕を掴んで)あんだよ、仙太公? あにをしただい? 滝三、あんだ? 向うに何かあんのか?
滝三 お父う、此方へくるが! こりゃキット……。
仙太 うむ、……手出しはすんなよ……。
(言葉の終らぬうちに、刑事群から追われて、叫び罵りながら走ってくる自由党々員五人。中の二人は仕込杖を抜刀して持っている。)
自一 犬めっ! 逃げることあない! 逃げることあないぞっ! (と言いながら逃げている。後を振返りつつ)
自二 斬るかっ、この辺で※(感嘆符疑問符、1-8-78)
自三 いかん! ここじゃいかん! とにかく、寺へ報告しろ!
自四 藩閥の犬め! 畜生!
自五 富永先生を山へっ! (五人足を踏み鳴らして走って叫びつつ、本舞台にかかり、その中の二人ばかり、道を迂回するのが、まどろこくなって、いきなり稲田の中に一、二歩踏み込む。一行を避けて立っている仙太郎と段六と滝三)
段六 (思わず前へ出て)あっ、いけねえ!
自一 な、なんだ、貴様※(感嘆符疑問符、1-8-78) (その威嚇に驚いた段六尻ごむ。党員等は三人を無視して、今度は五人とも稲田へ踏込みかける)
仙太 待った! お前さん等、田へ踏ん込んではいけねえ!(その声に、二、三人が振向くが、これも無視して、稲の中にバラバラと入りかける)やい、待てといったら待たねえか! (初めて、筑波で賭場を荒した頃の仙太郎の調子がでてくる。五人、チョッと気押されて立ち止る)そりゃ、汗水たらして俺達が育てたお稲だ。踏み込んじゃならねえ!
自二 き、き、貴様何だっ※(感嘆符疑問符、1-8-78)
仙太 ご覧の通り、百姓だ。
自二 百姓はわかっている! その百姓が、どうして、貴様達のためにこうして運動しているわれわれの邪魔をするかっ※(感嘆符疑問符、1-8-78)
仙太 俺達のためだか、お前さん等のためだか、そいつは、そこのお稲に聞いて見ろ! たって田を踏んで行きたきやあ、俺の身体をまず踏んで行け!
自一 貴様何という奴だ※(感嘆符疑問符、1-8-78)
仙太 百姓だ。
自一 だから名前は何というといっているんだ?
仙太 真壁の百姓仙太郎。
自一 なに、仙太……? 仙太郎だと?
自三 じゃ、斬られの仙……。筑波党の――。
仙太 ドス一本、鎌一丁持っているんじゃねえ。行きたいとありゃ、俺を踏んづけてから、行って見ろ。段六公、鍬はおろしな。手出しはしねえ。ただ、タンボは百姓の命だ。どんな名目で田を荒して行こうというんだ!
(いわれて気は立っているし、党員の一人は抜刀を振りかぶりかけるが、他の者がそれを押しとどめる。三人少し鼻白む)
自一 いかん! さ、行こう!
自三 相手になるな、気ちがいだ! (それで五人はコソコソ走り出す。稲田に踏み込むのはよして、路上右手の方へ走り去る。)
段六 阿呆が! (鍬を振る)
(すると再び揚幕から、これを追って走りでてくる角袖が七人。それにつづいて、手甲脚絆で物々しい格好をした大地主の平松の当主と、その従者二人。都合十人。この方は互いに一言もいわずに、本舞台へ殺到する)
平松 (右手を指して)そっちだ! そっちだ!
(その声につれて同勢は一言も発せずにバラバラッと右奥へ向って、稲田の中に飛込んで行こうとする)
仙太 やい、待てっ! (と、段六の持っていた鍬を取って下げていたのを振って、一番手近の……向うずねをカッパらう)
角一 な、な、何を……するかっ!
仙太 なぜ田の中に入るんだ、道があらあ、道を歩け、どめくらめ!
角二 き、き、貴様自由党に味方をするかっ! こら、おい、き、き(懐中から短銃を出して打ちそうにする)
仙太 射つのか? 射つなら射って見ろ! そんな、ブルブルもんで俺に当りゃ、おなぐさみだ! 自由党がお前達のことを犬だと言っていたが、なるほど犬だ。それも狂犬やまいぬだ。
角一 (平松に)此奴、なんだ?
仙太 何でもねえ、この田を作っている百姓だ。へい、これは平松の旦那さま。
平松 き、き、貴様! 詰らん、邪魔ばすっか! 作っているのは貴様かも知れんが、田地はわしのものだぞ! 邪魔ばすっと、田地ば引上ぐっぞ! 小作はやめさせるぞっ!
仙太 旦那、血迷っちゃいけねえ。そいつはご挨拶が違うだろう。俺がお稲を大事にすりゃ、そいだけお前さんも儲かるんだぜ。へへへへ。仙太郎、ありがてえと、礼をいいなすってもいいところだ。
角二 仙太郎? 斬られの……例の?
角三 とにかく、早く行かんと――。
仙太 斬られたこともあるし、射たれたこともある。さあ、行くなら行ってみな。
角一 (他の者に)おい、早く行こう! (十人、田へ踏み込むのをやめて、路上を右手へ向って走り出す)
平松 (それらの後につづきながら振返って)おい仙太、おぼえているがええぞ!
仙太 ご念にゃおよばねえ。しかし旦那、そんな具合で自由党征伐の加勢をすりゃ、何か得のいくことがありますかね? (これに対して平松何か返答しようとするが、他の九人がすでに見えなくなっているのに気づいて、えらい形相をして舌打ちをしたまま、踵を返して右手へ走り込んで行く……間)
段六 あんだい、ありゃ?
仙太 アハハハハ。
滝三 だども……平松の旦那にあんねなこと言うてもええのかあ、お父う?
仙太 ふん。ああに、あれでええさ。アハハハ。(段六の耳に口を持って行って)段六公、平松の旦那ちの地所ぢしょは、どれぐらいあったかなあ?
段六 平松かあ? そうよ、きょうでは、三十町はくだるめえて。この辺一帯、微碌旗本の田地で荒れ放題になっていた奴ば、二足三文で買いしめた上に、その後、金ば貸しちゃ、借金のかた流れで大分手に入れたかんなあ。御一新前から平松の旦那といやあ剛腹で鳴らした金貸しだあ。いまにロクな目にゃ会うめえて。だが、なんだぞう、仙太公、旦那衆にタテえ突いちゃ、此方が損だぞう!
仙太 (笑って)段六公の馬鹿野郎。
段六 あんだとう?
仙太 あべこべだ。黙っていれば損をすっからタテえ突くだ。地主と小作人が仲好くすっことあ未来永劫ありはしねえとよ!
段六 よく聞こえねえ。そいったもんだろかい。アハハハハ、さ、やろうか。
仙太 やろかな。(三人田へ入りかける)
段六 (仙太郎の肩を笑ってこづきながら)仙太公、いまあ、えら、いばったぞう! 久しぶりに、筑波以来の斬られの仙太だべえ。うふん、こら、お妙さに見せたかったてえ!
仙太 (これも笑いながら段六の肩をこづく)あによして! 鍬を握って構えたなあ、誰だっけかよ? 真壁段六公、耳は遠くなっても、腕に年は取らせねえてね!
段六 アハハハハ、何をいうだい、阿呆め! (二人は互いに肩をこづきながら稲田に入り、笑いながら仕事にかかる。)
滝三 お父う、だども、普門院の方が、あんだか騒々しいが、あれで全体――。
仙太 ええて。放っとけ。立っていねえで、黙って仕事だ、仕事だ。(滝三も右奥を気にしいしい田に入る)
段六 滝、お咲坊のことが心配かの?
滝三 あによいうだい、伯父さ! こん野郎!
(三人笑いながらかがみ込んで泥掻き。……間。静かである。右奥遠くで微かに人々の罵り騒ぐ声々。稲の中から立ち上る滝三)
滝三 (右奥遠くを眺めながら)……お父う、何だか変だ。……(誰も返事をしないので)お父う、んじゃ、鎮守さんへ行くのか?
仙太 (声だけ)うむ、そうしべえ。
滝三 普門院へも皆で行ぐのか?
仙太の声 あれは、俺一人でもよかろうて。(水の音)
段六の声 滝、あによ突立っているや? (いわれて滝三もしゃがみ込む。三人の泥掻きの水音。静かだ。――永い間。
段六が手を動かしながら、ヒョイと唄い出す田植唄。ドーマ声。自分では唄の積りなのだが、抑揚があまりないので、トボケて聞える。『はあああ……腰のう、痛さあよう、……五反田のう、長さあああ……』突然右奥遠くで何かが爆発する、えらい響。バーン、バーン、バリバリときこえる)
滝三 おおっ! (思わず立つ。段六も仙太郎も手を動かすのを止めたらしい。やがて二人とも立ち上る)
段六 こら、仙太公! 俺の前に掻いている奴が、いきなりるとは、こん野郎!
仙太 ……うん、アハハ(段六の耳へ口を持って行き)段六公! 今年の芋は、まったくできのええ芋だてことよ!
段六 野郎め! アハハハハ、こら! アハハ、やれどっこいしょ。(再びしゃがみこむ。)
仙太 アハハハ。何をするやら。滝! (これもしゃがむ。段六の唄の続き『……夏のうう、……土用ううのう、……日のう、長がさあああ……』
(滝三も仕方なくしゃがんで働きはじめる。
 永い間。
 静寂。水の音)
(幕)
(一九三三年)





底本:「叢書名著の復興1 恐怖の季節」ぺりかん社
   1966(昭和41)年12月1日第1刷発行
初出:「斬られの仙太」ナウカ社
   1934(昭和9年)4月
※ト書きの字下げの不統一は、底本通りにしました。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2009年9月4日作成
2010年2月4日修正
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●表記について