「東京恋慕帖」自序

正岡容




 おもへば大空襲に先立つ年余、日に/\荒蕪し行く東京都ではあつたが、郷土故の愛情はまた格別で、いまのうちに私の全作品の心臓をなしてゐるこの東京のおもひでをかき付けておかうとおもひ立ちどうやら「東京伝統美」と題し「わが日和下駄」と傍書した三百枚ちかい作品ができ上がつた。しかし当時最早私のごとき戦争非共力者の著書は不急不要の悪本として厳禁されてゐたので到底開版すくもなかつた。さうかうするうち醜く汚れつくした東京も綺麗薩張りと焼けてしまつて、拙文中の一字一句はみな悠久のなつかしい哀しいおもひでとなり果てた。
 戦後私は「東京恋慕帖」と改題改作して、その出版をおもひ付いたが、戦中の反動で今度は煽情書氾濫、機を得なかつた。その間、全くに稿を改めること二回。さらに又今回新版に際しては完膚なく加筆訂正、二、三の取捨をもあへてして漸くこゝに少しは此ならばと云へる一本ができ上がつた。戦後少しく私は文学の上に履きちがへをして迷路に入り、殆んど十冊ちかく不満足の新著を世におくつてしまつた。漸くこの「東京恋慕帖」出版前後から立直れさうである。好江書房主長坂一雄氏の芳思を、特に謝し度い。
 遮莫さまらばれ、重ねて云ふが私の全作品はことごとく旧東京への愛情と云ふか、挽歌と云ふかその以外にはなく、さうしてその最もあらわな集成が、此である。明治御一新以来全国各県の県人会あつて、ひとり東京県人会のみがない。あたかも政治家中に 豪のためと[#「 豪のためと」はママ]労働者のためとに呼びかけるものがあつて、市井庶民たる中産階級のためにと叫ぶ存在がないやうなもの恐らくや永遠にできはしまい。即ち自ら郷土の哀歓を諷ひ、たゝへ、惜んでまざる所以である。

昭和廿三年 八月 十一年目に復活の川開きを過ぐる四日
                  葛飾真間夏桜軒にて
著者





底本:「東京恋慕帖」ちくま学芸文庫、筑摩書房
   2004(平成16)年10月10日第1刷発行
底本の親本:「東京恋慕帖」好江書房
   1948(昭和23)年12月20日
※底本における表題「自序」に、底本名を補い、作品名を「「東京恋慕帖」自序」としました。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2015年11月21日作成
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