余ガ故男爵西周君ト相識リシハ、初メテ蕃書調所教授手伝並タリシ日ニアリ。爾来交情親善、曾テ調所内ノ一宇ヲ借リ君ト同居シ、又同シク下谷ニ住シ、後
和蘭国ニ留学ノ日亦同シク
霊田ニ住シ、霊田大学法学教授法学博士
ヒツスセリング氏ニ就テ欧洲政学ノ要ヲ聞キ、余暇互ニ議論ヲ闘ハシタリ。但君ハ
カント派ノ哲学ヲ喜ビ余ハ
コムト氏ノ実学ヲ好メリ。故ニ円鑿方
、論相
ハサルノ
憾ヲ免レザリキ。今余ガ唯物論ヲ唱フルモ其原ハ即此時ニ在リキ。爾来歳月ヲ経過セシコト茲ニ四十年。而シテ君今亡シ。嗣子紳六郎男、其伝ヲ携ヘ来リテ之ニ序セムコトヲ
需ム。余之ヲ読ミテ其感ニ堪ヘス。即数言ヲ記シテ以テ之ヲ返ス。