南洲手抄言志録

南洲手抄言志録

佐藤一齋・秋月種樹(古香)

山田濟齋訳




一 勿游惰以爲寛裕。勿嚴刻以爲直諒。勿私欲以爲志願
〔譯〕游惰いうだみとめて以て寛裕かんゆうと爲すことなかれ。嚴刻げんこくを認めて以て直諒ちよくりやうと爲すこと勿れ。私欲しよくを認めて以て志願しぐわんと爲すこと勿れ。

二 毀譽得喪、眞是人生之雲霧、使人昏迷。一掃此雲霧、則天青日白。
〔譯〕毀譽きよ得喪とくさうは、しんに是れ人生の雲霧うんむ、人をして昏迷こんめいせしむ。此の雲霧を一さうせば、則ちてんあをしろし。
〔評〕徳川慶喜よしのぶ公は勤王きんわうの臣たり。幕吏ばくりの要する所となりて朝敵てうてきとなる。猶南洲勤王の臣として終りをくせざるごとし。公はつみゆるし位にじよせらる、南洲は永く反賊はんぞくの名をかうむる、悲しいかな。(原漢文、下同)

三 唐虞之治、只是情一字。極而言之、萬物一體、不於情之推
〔譯〕唐虞たうぐは只是れ情の一字なり。極めて之を言へば、萬物一體も情のすゐに外ならず。
〔評〕南洲、官軍を帥ゐて京師を發す。あり別れを惜みて伏水ふしみに至る。兵士めぐつて之をる。南洲輿中より之を招き、其背をつて曰ふ、好在たつしやなれと、金を懷中くわいちゆうより出して之に與へ、かたはら人なき若し。兵士はなはだ其の情をかくさざるに服す。幕府砲臺はうだいを神奈川にきづき、外人の來り觀るを許さず、木戸公役徒えきとに雜り、自らふごになうて之を觀る。茶店の老嫗らうをうあり、公の常人に非ざるを知り、善く之を遇す。公志を得るに及んで、厚く之に報ゆ。皆情のすゐなり。

四 凡作事、須天之心。不人之念
〔譯〕凡そ事をすには、すべからく天につかふるの心あるをえうすべし。人に示すのねんあるを要せず。

五 憤一字、是進學機關。舜何人也、予何人也、方是憤。
〔譯〕ふんの一字、是れ進學しんがく機關きくわんなり。しゆん何人なんぴとぞや、われ何人ぞや、まさに是れふん

六 著眼高、則見理不岐。
〔譯〕がんくること高ければ、則ちを見ることせず。
〔評〕三條公は西三條、東久世諸公と長門に走る、之を七きやう脱走だつさうと謂ふ。幕府之を宰府ざいふざんす。既にして七卿が勤王の士をつのり國家を亂さんと欲するを憂へ、浪華なにはいうするのあり。南洲等つとめて之を拒ぎ、事終にむ。南洲人にかたつて曰ふ、七卿中他日關白くわんぱくに任ぜらるゝ者は、必三條公ならんと、果して然りき。

七 性同而質異。質異、教之所由設也。性同、教之所由立也。
〔譯〕せいは同じうして而てしつことなる。質異るはをしへの由つてまうけらるゝ所なり。性同じきは教の由つて立つ所なり。

八 喪己斯喪人。喪人斯喪物。
〔譯〕おのれうしなへばこゝに人をうしなふ。人を喪へば斯にものを喪ふ。

九 士貴獨立自信矣。依熱附炎之念、不起。
〔譯〕獨立どくりつ自信じしんたふとぶ。ねつえんくのねん、起す可らず。
〔評〕慶應けいおう三年九月、山内容堂ようだう公は寺村左膳さぜん、後藤しやう次郎を以て使となし、書を幕府にていす。曰ふ、中古以くわん政刑せいけい武門に出づ。洋人來航するに及んで、物議ぶつぎ紛々ふん/\、東攻西げきして、内訌ないこう嘗て※(「楫のつくり+戈」、第3水準1-84-66)をさまる時なく、終に外國の輕侮けいぶまねくに至る。此れ政令せいれいに出で、天下耳目のぞくする所を異にするが故なり。今や時勢一ぺんして舊規きうき墨守ぼくしゆす可らず、宜しく政けんを王室に還し、以て萬國竝立へいりつ基礎きそを建つべし。其れ則ち當今の急務きふむにして、而て容堂の至願しぐわんなり。ばく下のけんなる、必之をさつするあらんと。他日幕府の政權をかへせる、其事實に公の呈書ていしよもとづけり。當時幕府ばくふ既におとろへたりと雖、威權ゐけん未だ地にちず。公抗論かうろんしてまず、獨立の見ありと謂ふべし。

一〇 有本然之眞己、有躯殼之假己。須自認得
〔譯〕本然ほんぜん眞己しんこ有り、躯殼くかく假己かこ有り。須らく自らみとめ得んことを要すべし。
〔評〕南洲を病む。英醫偉利斯いりす之をしんして、勞動らうどうすゝむ。南洲是より山野に游獵いうれふせり。人或は病なくして犬をき兎をひ、自ら南洲を學ぶと謂ふ、なり。

一一 雲煙聚於不一レ已。風雨洩於不一レ已。雷霆震於不一レ已。斯可以觀至誠之作用
〔譯〕雲煙うんえんむことを得ざるにあつまる。風雨ふううは已むことを得ざるにる。雷霆らいていは已むことを得ざるにふるふ。こゝに以て至誠しせい作用さようる可し。

一二 動於不已之勢、則動而不括。履於不枉之途、則履而不危。
〔譯〕已むことを得ざるのいきほひうごけば、則ち動いてくわつせず。ぐ可らざるのみちめば、則ち履んであやふからず。
〔評〕官軍江戸をつ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き尾藩びはん宗家そうけたすけんと欲する者ありて、ひそかに聲息せいそくを江戸につうず。公之をうれへ、田中不二麿ふじまろ、丹羽淳太郎等と議して、大義しんほろぼすの令を下す、實に已むことを得ざるのきよに出づ。一藩の方向はうかう以て定れり。

一三 聖人如強健無病人。賢人如攝生愼病人。常人如虚羸多病人
〔譯〕聖人は強健きやうけん病無き人の如し。賢人は攝生せつしやう病をつゝしむ人の如し。常人は虚羸きよるゐ病多き人の如し。

一四 急迫敗事。寧耐成事。
〔譯〕急迫きふはくは事をやぶる。寧耐ねいたいは事をす。
〔評〕大坂城おちいる。徳川慶喜よしのぶ公火船に乘りて江戸に歸り、諸侯を召して罪をつの状を告ぐ。余時に江戸に在り、特に別廳べつちやうし告げて曰ふ。事此に至る、言ふ可きなし。汝將に京に入らんとすとく、請ふ吾が爲めに恭順きようじゆんの意を致せと。余江戸を發して桑名にいたり、柳原前光さきみつ公軍をとくして至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。京師に至るに及んで、松平春嶽しゆんがく公を見て又之を告ぐ。慶喜公江戸城に在り、衆皆之にせまり、死を以て城を守らんことを請ふ。公かず、水戸に赴く、近臣二三十名從ふ。衆奉じて以て主と爲すべきものなく、或はさんじて四方にき、或は上野うへのる。若し公をして耐忍たいにんの力無く、共にいかつて事を擧げしめば、則ち府下悉く焦土せうどと爲らん。假令たとひ都を遷すも、其の盛大をきはむること今日の如きは實に難からん。然らば則ち公常人のしのぶ能はざる所を忍ぶ、其功亦多し。きう藩士日高誠實ひだかせいじつ時に句あり云ふ。
功烈こうれつ尤も多かりしは前内府ぜんないふ至尊しそん直に鶴城かくじやうの中に在り」と。

一五 聖人安死。賢人分死。常人恐死。
〔譯〕聖人は死をやすんず。賢人は死をぶんとす。常人は死をおそる。

一六 賢者臨[#「歹+勿」、33-1]、見理當一レ然、以爲分、恥死、而希死、故神氣不亂。又有遺訓、足以聳一レ聽。而其不聖人亦在於此。聖人平生言動無一非一レ訓。而臨[#「歹+勿」、33-3]、未必爲遺訓。視死生眞如晝夜、無念。
〔譯〕賢者はぼつ[#「歹+勿」、33-4]するにのぞみ、まさに然るべきを見て、以てぶんと爲し、死をおそるゝをぢて、死をやすんずるをこひねがふ、故に神氣しんきみだれず。又遺訓いくんあり、以てちやうそびやかすに足る。而かも其の聖人に及ばざるも亦此に在り。聖人は平生の言動げんどう一として訓に非ざるは無し。而て※[#「歹+勿」、33-6]するにのぞみて、未だ必しも遺訓をつくらず。死生しせいること眞に晝夜ちうやの如し、ねんくる所無し。
〔評〕十年のえき、私學校の彈藥製造所だんやくせいざうじよかすむ。南洲時に兎を大隈おほすみ山中にふ。之を聞いてにはかいろへて曰ふ、しまつたと。爾後じご肥後日向に轉戰して、神色夷然いぜんたり。

一七 堯舜文王、其所遺典謨訓誥、皆可以爲萬世法。何遺命如之。至於成王顧命、曾子善言、賢人分上自當此已。因疑孔子泰山之歌、後人假託爲之。檀弓※(「匚<口」、第4水準2-3-67)信、多此類。欲聖人、而却爲之累
〔譯〕堯舜げうしゆん文王は、其ののこす所の典謨てんぼ訓誥くんかう、皆以て萬世の法と爲す可し。何の遺命いめいか之にかん。せい王の顧命こめいそう子の善言に至つては、賢人のぶんおのづかまさに此の如くなるべきのみ。因つてうたがふ、孔子泰山たいざんの歌、後人假託かたく之をつくれるならん。檀弓だんぐうの信じ※(「匚<口」、第4水準2-3-67)がたきこと此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、かへつて之がるゐを爲せり。

一八 一部歴史、皆傳形迹、而情實或不傳。讀史者、須形迹以討出情實
〔譯〕一歴史れきし、皆形迹けいせきつたへて、情實じやうじつ或は傳らず。史を讀む者は、須らく形迹にいて以て情實をたづね出だすことを要すべし。

一九 博聞強記、聰明横也。精義入神、聰明竪也。
〔譯〕博聞強記はくぶんきやうきは、聰明そうめいよこなり。精義せいぎ神に入るは、聰明そうめいたてなり。

二〇 生物皆畏死。人其靈也、當死之中、揀出不死之理。吾思、我身天物也。死生之權在天、當受之。我之生也、自然而生、生時未嘗知一レ喜矣。則我之死也、應亦自然而死、死時未嘗知一レ悲也。天生之而天死之、一聽于天而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏天之室也。精氣之爲物也、天寓於此室。遊魂之爲變也、天離於此室。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所以爲一レ性者、恒在於死生之外、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之理、何其易簡而明白也。吾人當此理自省焉。
〔譯〕生物は皆死をおそる。人は其れいなり、當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を揀出けんしゆつすべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生のけんは天に在り、當に之を順受じゆんじゆすべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗てよろこぶことを知らず。則ち我の死するやまさに亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之をころす、一に天にまかさんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殼くかくは則ち天をおさむるの室なり。精氣せいきの物と爲るや、天此の室にぐうす。遊魂いうこんへんを爲すや、天此の室をはなる。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而て吾が性の性たる所以は、つねに死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ晝夜は一なり、幽明いうめいは一理なり。始めをたづねてをはりにかへらば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡いかんにして明白なるや。吾人は當に此の理を以て自省じせうすべし。

二一 畏死者生後之情也、有躯殼而後有是情。不死者生前之性也、離躯殼而始見是性。人須得不死之理於畏死之中、庶乎復一レ性焉。
〔譯〕死を畏るゝは生後の情なり、躯殼くかく有つて後にの情あり。死を畏れざるは生前の性なり、躯殼くかくはなれて始て是の性を見る。人はすべからく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得じとくすべし、性にかへるにちかし。
〔評〕幕府勤王の士をとらふ。南洲及び伊地知正治いぢちまさはる海江田武治かいえだたけはる等尤も其の指目しもくする所となる。僧月照げつせう嘗て近衞公の密命みつめいふくみて水戸に至る、幕吏之をもとむること急なり。南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島にはしる。一日南洲、月照の宅をふ。此の夜月色清輝せいきなり。あらかじ酒饌しゆせんそなへ、舟を薩海にうかぶ、南洲及び平野次郎一僕と從ふ。月照船頭に立ち、和歌を朗吟して南洲に示す、南洲首肯しゆかうする所あるものゝ如し、遂に相ようして海にとうず。次郎等水聲起るを聞いて、倉皇さうくわうとして之を救ふ。月照既に死して、南洲はよみがへることを得たり。南洲は終身しゆうしん月照と死せざりしをうらみたりと云ふ。

二二 誘掖而導之、教之常也。警戒而喩之、教之時也。躬行以率之、教之本也。不言而化之、教之神也。抑而揚之、激而進之、教之權而變也。教亦多術矣。
〔譯〕誘掖いうえきして之をみちびくは、教の常なり。警戒けいかいして之をさとすは、教の時なり。に行うて之をきゐるは、教の本なり。言はずして之を化するは、教のしんなり。おさへて之をげ、げきして之をすゝましむるは、教のけんにして而てへんなり。教も亦じゆつ多し。

二三 閑想客感、由志之不一レ立。一志既立、百邪退聽。譬之清泉湧出、旁水不一レ渾入
〔譯〕閑想かんさう客感きやくかんは、志の立たざるに由る。一志既に立てば、百邪退きく。之を清泉せいせん湧出ようしゆつせば、旁水ばうすゐ渾入こんにふすることを得ざるにたとふべし。
〔評〕政府郡縣ぐんけんふくせんと欲す、木戸公と南洲と尤も之を主張す。或ひと南洲を見て之を説く、南洲曰くだくすと。其人又之を説く、南洲曰く、吉之助の一諾、死以て之を守ると、他語たごまじへず。

二四 心爲靈。其條理動於情識、謂之欲。欲有公私、情識之通於條理公。條理之滯於情識私。自辨其通滯者、即便心之靈。
〔譯〕心をれいと爲す。其の條理でうり情識じやうしきうごく、之をよくと謂ふ。欲に公私こうし有り、情識の條理に通ずるを公と爲す。條理の情識にとゞこほるを私と爲す。自ら其のつうたいとをべんずるは、即ち心のれいなり。

二五 人一生所遭、有險阻、有坦夷、有安流、有驚瀾。是氣數自然、竟不免、即易理也。人宜居而安、玩而樂焉。若趨避之、非達者之見
〔譯〕人一生ふ所、險阻けんそ有り、坦夷たんい有り、安流あんりう有り、驚瀾きやうらん有り。是れ氣數きすうの自然にして、つひまぬがるゝ能はず、即ち易理えきりなり。人宜しく居つて安んじ、もてあそんでたのしむべし。若し之を趨避すうひせば、たつ者の見に非ず。
〔評〕或ひと岩倉公幕を佐くとざんす。公薙髮ていはつして岩倉邸に蟄居ちつきよす。大橋愼藏しんざうけい三、玉松みさを、北島秀朝ひでとも等、公の志を知り、深く結納けつなふす。南洲及び大久保公、木戸公、後藤象次郎、坂本龍馬等公を洛東より迎へて、朝政に任ぜしむ。公既に職に在り、しば/\刺客せきかく狙撃そげきする所となり、危難きなんしきりに至る、而かもがう趨避すうひせず。

二六 心之官則思。思字只是工夫字。思則愈精明、愈篤實。自其篤實之行、自其精明之知。知行歸於一思字
〔譯〕心のかんは則ち思ふ。思の字只是れ工夫くふうの字なり。思へば則ち愈精明せいめいなり、愈篤實とくじつなり。其の篤實より之を行と謂ひ、其の精明より之を知と謂ふ。知と行とは一の思の字にす。

二七 處晦者能見顯。據顯者不晦。
〔譯〕くわいる者は能くけんを見る。顯にる者は晦を見ず。

二八 取信於人難也。人不於口、而信於躬。不於躬、而信於心。是以難。
〔譯〕しんを人に取るは難し。人は口を信ぜずしてを信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
〔評〕南洲守庭吏しゆていりと爲る。島津齊彬なりあきら公其の眼光がんくわう烱々けい/\として人をるを見てぼん人に非ずと以爲おもひ、拔擢ばつてきして之を用ふ。公かつて書をつくり、南洲に命じて之を水戸みとれつ公に致さしめ、初めより封緘ふうかんを加へず。烈公の答書たふしよも亦然り。

二九 臨時之信、累功於平日。平日之信、收効於臨時
〔譯〕臨時りんじしんは、こうを平日にかさぬればなり。平日の信は、こうを臨時にをさむべし。
〔評〕南洲官軍の先鋒せんぱうとなり、品川にいたる、勝安房かつあは、大久保一翁、山岡鐵太郎之を見て、慶喜つみつのじやう具陳ぐちんし、討伐たうばつゆるべんことを請ふ。安房素より南洲を知れり、之を説くこと甚だ力む。乃ち令を諸軍に傳へて、攻撃をとゞむ。

三〇 信孚於上下、天下無甚難處事
〔譯〕信上下にす、天下甚だしよし難き事無し。

三一 意之誠否、須夢寐中事上レ之。
〔譯〕誠否せいひは、須らく夢寐むびちゆうの事に於て之をけんすべし。
〔評〕南洲弱冠じやくくわんの時、藤田東湖ふじたとうこえつす、東湖は重瞳子ちやうどうし躯幹くかん魁傑くわいけつにして、黄麻わうま外套ぐわいとう朱室しゆざや長劒ちやうけんして南洲をむかふ。南洲一見して瞿然くぜんたり。乃ち室内に入る、一大白をぞくしてさけすゝめらる。南洲はいんかいせず、ひて之をつくす、たちま酩酊めいていして嘔吐おうどせきけがす。東湖は南洲の朴率ぼくそつにしてかざるところなきを見てはなはだ之をあいす。嘗て曰ふ、他日我が志をぐ者は獨此の少年子のみと。南洲も亦曰ふ、天下しんおそる可き者なし、たゞ畏る可き者は東湖一人のみと。二子の言、夢寐むびかんずる者か。

三二 不妄念是敬。妄念不起是誠。
〔譯〕妄念ばうねんを起さゞるは是れけいなり。妄念起らざるは是れまことなり。

三三 因民義以激之、因民欲以趨之、則民忘其生而致其死。是可以一戰
〔譯〕民のに因つて以て之をげきし、民のよくに因つて以て之をはしらさば、則ち民其の生をわすれて其の死をいたさん。是れ以て一せんす可し。
〔評〕兵數はいづれかおほき、器械きかいは孰れかせいなる、糧食りやうしよくは孰れかめる、この數者を以て之をくらべば、薩長さつちやうの兵は固より幕府に及ばざるなり。然り而して伏見ふしみの一戰、東兵披靡ひびするものは何ぞや。南洲及び木戸公等のさく[#「竹かんむり/束」、41-8]、民のよくに因つて之をはしらしたればなり。是を以て破竹はちくいきほひありたり。

三四 漸必成事、惠必懷人。如歴代姦雄、有其祕、一時亦能遂志。可畏之至。
〔譯〕ぜんは必ず事をし、けいは必ず人をづく。歴代れきだい姦雄かんゆうの如き、其ぬすむ者有り、一時亦能く志をぐ。畏る可きの至りなり。

三五 匿情似愼密。柔媚似恭順。剛愎似自信。故君子惡似而非者
〔譯〕匿情とくじやう愼密しんみつる。柔媚じうび恭順きようじゆんに似る。剛愎がうふく自信じしんに似る。故に君子はなる者をにくむ。

三六 事君不忠非孝也、戰陳無勇非孝也。曾子孝子、其言如此。彼謂忠孝不兩全者、世俗之見也。
〔譯〕君につかへて忠ならざるは孝に非ざるなり、戰陳せんじんゆう無きは孝に非ざるなりと。曾子そうしは孝子なり、其の言かくの如し。彼の忠孝兩全りやうぜんせずと謂ふは、世俗せぞくの見なり。
〔評〕十年のなん、賊の精鋭せいえい熊本城下にあつまる。而て援軍えんぐん未だ達せず。谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。賊勢ぞくせい遂に屈し、其兵を東する能はず。昔者むかし加藤嘉明よしあき言へるあり。曰ふ、しやうはたるは、氣盛なる者之を能くす、而かも眞勇しんゆうに非ざるなり。孤城こじやうえんなきに守り、せん主を衆※(「目+癸」、第4水準2-82-11)そむくにたもつ、律義者りちぎものに非ざれば能はず、故に眞勇は必ず律義者りちぎものに出づと。尾藤孝肇びとうかうてう曰ふ、律義りちぎとはけだちよくにして信あるを謂ふと。余謂ふ、孤城をえんなきに守るは、谷中將の如くば可なりと。嗚呼中將は忠且つ勇なり、而して孝其のうちに在り。

三七 不誣者人情、不欺者天理、人皆知之。蓋知而未知。
〔譯〕ふ可らざる者は人情なり、あざむく可らざる者は天理なり、人皆之を知る。けだし知つて而して未だ知らず。
〔評〕榎本武揚えのもとぶやう等五稜郭りようかくの兵已に敗る。海律全書かいりつぜんしよ二卷を以て我が海軍におくつて云ふ、是れ嘗て荷蘭おらんだに學んでたる所なり、身と倶にほろぶることを惜しむと。武揚の誣ふ可らざるの情天聽てんちやうたつし、其の死を宥し寵用ちようようせらる、天理なり。

三八 知是行之主宰、乾道也。行是知之流行、坤道也。合以成體躯。則知行、是二而一、一而二。
〔譯〕は是れかう主宰しゆさいなり、乾道けんだうなり。行は是れ知の流行りうかうなり、坤道こんだうなり。合して以て體躯たいくを成す。則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。

三九 學貴自得。人徒以目讀有字之書、故局於字、不通透。當心讀無字之書、乃洞而有自得
〔譯〕がく自得じとくたふとぶ。人いたづらに目を以て有字の書を讀む、故に字にきよくし、通透つうとうすることを得ず。まさに心を以て無字の書を讀むべし、乃ちとうして自得するところ有らん。

四〇 孟子以讀書尚友。故讀經籍、即是聽嚴師父兄之訓也。讀史子、亦即與明君賢相英雄豪傑相周旋也。其可明其心以對越之乎。
〔譯〕孟子讀書を以て尚友しやういうと爲す。故に經籍けいせきを讀む、即ち是れ嚴師げんし父兄の訓を聽くなり。史子しゝを讀む、亦即ち明君賢相英雄豪傑と相周旋しうせんするなり。其れ其の心を清明にして以て之に對越たいえつせざる可けんや。

四一 爲學緊要、在心一字。把心以治心、謂之聖學。爲政著眼、在情一字。循情以治情、謂之王道。王道聖學非二。
〔譯〕學を爲すの緊要きんえうは心の一字に在り。心をつて以て心を治む、之を聖學と謂ふ。政を爲すの着眼ちやくがんは情の一字に在り。情にしたがうて以て情を治む、之を王道と謂ふ。王道と聖學と二に非ず。
〔評〕兵をして對抗たいかうし、互に勝敗しようはいあり。兵士或は負傷ふしやう者のじやうを爲す、故に之を診察しんさつす。兵士初め負傷者とならんことを惡む。一日、聖上せいじやう親臨しんりんして負傷者をし、恩言おんげんたまふ、此より兵士負傷者とならんことを願ふ。是に由つて之を觀れば、兵をぎよするも亦情に外ならざるなり。

四二 發憤忘食、志氣如是。樂以忘憂、心體如是。不老之將一レ至、知命樂天如是。聖人與人不同、又與人不異。
〔譯〕いきどほりを發して食をわする、志氣しきかくの如し。たのしんで以てうれひを忘る、心體しんたい是の如し。らうの將に至らんとするを知らず、めいを知り天を樂しむものかくの如し。聖人は人と同じからず、又人とことならず。

四三 講説聖賢、而不之、謂之口頭聖賢、吾聞之一※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)然。論辯道學、而不之、謂之紙上道學、吾聞之再※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)然。
〔譯〕聖賢を講説かうせつして之をにする能はず、之を口頭こうとう聖賢と謂ふ、吾れ之を聞いて一たび※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)てきぜんたり。道學を論辯ろんべんして之をたいする能はず、之を紙上道學と謂ふ、吾れ之を聞いて再び※(「りっしんべん+易」、第3水準1-84-53)てきぜんたり。

四四 學、稽之古訓、問、質之師友、人皆知之。學必學之躬、問必問諸心、其有幾人耶。
〔譯〕がく之を古訓こくんかんがへ、もん之を師友にたゞすは、人皆之を知る。學必ず之を躬に學び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。

四五 以天而得者固。以人而得者脆。
〔譯〕天を以て得たるものはかたし。人を以て得たるものはもろし。

四六 君子自慊、小人自欺。君子自彊、小人自棄。上達下達、落在一自字
〔譯〕君子は自らこゝろよくし、小人は自らあざむく。君子は自らつとめ、小人は自らつ。上たつと下たつとは、一のの字に落在らくざいす。

四七 人皆知身之安否、而不心之安否。宜自問能不闇室否、能不衾影否、能得安穩快樂。時時如是、心便不放。
〔譯〕人は皆身の安否あんぴふことを知つて、而かも心の安否を問ふことを知らず。宜しく自ら能く闇室あんしつあざむかざるやいなや、能く衾影きんえいぢざるや否や、能く安穩あんおん快樂くわいらくを得るや否やと問ふべし。時時かくの如くば心便すなははなたず。
〔評〕某士南洲にめんして仕官しくわんもとむ。南洲曰ふ、汝俸給ほうきふ幾許いくばくを求むるやと。某曰ふ、三十圓ばかりと。南洲乃ち三十圓を與へて曰ふ、汝に一月ひとつきほう金を與へん、汝は宜しく汝の心にむかうて我が才力さいりき如何を問ふべしと。其人た來らず。

四八 無爲而有爲之謂誠。有爲而無爲之謂敬。
〔譯〕爲す無くして爲す有る之をまことと謂ふ。爲す有つて爲す無し之をけいと謂ふ。

四九 寛懷不俗情、和也。立脚不俗情、介也。
〔譯〕寛懷かんくわい俗情ぞくじやうさかはざるは、なり。立脚りつきやく俗情にちざるは、かいなり。

五〇 惻隱之心偏、民或有愛殞身者。羞惡之心偏、民或有經溝涜。辭讓之心偏、民或有奔亡風狂者。是非之心偏、民或有兄弟鬩牆父子相訟者。凡情之偏、雖四端遂陷不善。故學以致中和、歸於無過不及、謂之復性之學
〔譯〕惻隱そくいんの心へんすれば、民或はあいおぼれ身をおとす者有り。羞惡しうをの心偏すれば、民或は溝涜かうとく自經じけいする者有り。辭讓じじやうの心偏すれば、民或は奔亡ほんばう風狂ふうきやうする者有り。是非の心偏すれば、民或は兄弟かきせめぎ父子相うつたふ者有り。凡そ情の偏するや、四たんと雖遂に不善ふぜんおちいる。故に學んで以て中和をいたし、過不及かふきふ無きにす、之を復性ふくせいの學と謂ふ。
〔評〕江藤新平しんぺい、前原一誠いつせい等の如きは、皆維新いしんの功臣として、勤王二なく、官は參議さんぎに至り、位は人臣のえいきはむ。然り而して前後皆亂を爲し誅に伏す、惜しいかな。豈四たんへんありしものか。

五一 此學吾人一生負擔、當斃而後已。道固無窮、堯舜之上善無盡。孔子自學、至七十、毎十年、自覺其有一レ進、孜孜自彊、不老之將一レ至。假使其踰耄至一レ期、則其神明不測、想當何如哉。凡學孔子者、宜孔子之志上レ志。
〔譯〕此の學は吾人一生の負擔ふたんまさたふれて後にむべし。道固より窮り無し。堯舜の上、善盡くること無し。孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其のすゝむ所有るをさとり、孜孜しゝとして自らつとめて、らうの將に至らんとするを知らず。し其をしてばうに至らしめば、則ち其の神明はかられざること、おもふに當に何如たるべきぞや。凡そ孔子を學ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と爲すべし。

五二 自彊不息、天道也、君子所以也。如虞舜孳孳爲善、大禹思日孜孜、成湯苟日新、文王不遑暇、周公坐以待旦、孔子發憤忘上レ食、皆是也。彼徒事靜養瞑坐而已、則與此學脈背馳。
〔譯〕自らつとめてまざるは天道なり、君子のもちゐる所なり。虞舜ぐしゆん孳孳じじとして善を爲し、大の日に孜孜せんことを思ひ、成湯せいたうまことに日に新にせる、文王のいとまあきいとまあらざる、しう公のして以てたんつ、孔子のいきどほりを發して食を忘るゝ如きは、皆是なり。彼のいたづら靜養せいやう瞑坐めいざを事とすのみならば、則ち此の學脈がくみやく背馳はいちす。

五三 自彊不息時候、心地光光明明、有何妄念游思、有何嬰累※(「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2-84-77)
〔譯〕自らつとめてまざる時候じこうは、心地しんち光光明明くわう/\めい/\にして、何の妄念ばうねん游思ゆうし有らん、何の嬰累えいるゐ※(「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2-84-77)けさう有らん。
〔評〕三條公の筑前に在る、或る人其の旅況りよきやう無聊むれうさつして美女を進む、公之をしりぞく。某氏えんひらいて女がくまうく、公ふつ然として去れり。

五四 提一燈、行暗夜。勿暗夜、只頼一燈
〔譯〕一とうひつさげて、暗夜あんやを行く。暗夜をうれふる勿れ、只だ一とうたのめ。
〔評〕伏水ふしみ戰を開き、砲聲はうせい大内おほうちに聞え、愈はげしく愈ちかづく。岩倉公南洲に問うて曰ふ、勝敗しようはい何如と。南洲答へて曰ふ、西郷隆盛在り、憂ふる勿れと。

五五 倫理物理、同一理也。我學倫理之學、宜近取諸身、即是物理。
〔譯〕倫理りんりと物理とは同一理なり。我れ倫理の學を學ぶ、宜しく近くこれを身に取るべし、即ち是れ物理なり。

五六 濁水亦水也。一澄則爲清水。客氣亦氣也。一轉則爲正氣。逐客工夫、只是克己、只是復禮。
〔譯〕濁水だくすゐも亦水なり、一ちようすれば則ち清水せいすゐとなる。客氣きやくきも亦氣なり、一てんすれば則ち正氣せいきとなる。きやくふの工夫は、只是れ己に克つなり、只是れ禮にかへるなり。
〔評〕南洲壯時さうじ角觝かくていを好み、つねに壯士と角す。人之をくるしむ。其守庭吏しゆていりと爲るや、てい中に土豚どとんまうけて、掃除さうぢよこととせず。既にして慨然がいぜんとして天下を以て自らにんじ、せつくつして書を讀み、遂に復古ふくこの大げふを成せり。

五七 理本無形。無形則無名矣。形而後有名。既有名、則理謂之氣不可。故專指本體、則形後亦謂之理。專指運用、則形前亦謂之氣、竝無不可。如浩然之氣、專指運用、其實太極之呼吸、只是一誠。謂之氣原、即是理。
〔譯〕理はかたち無し。形無ければ則ち名無し。形ありて後に名有り。既に名有れば、則ち理之を氣と謂ふも、不可無し。故に專ら本體ほんたいを指せば、則ち形後けいごも亦之を理と謂ふ。專ら運用うんようを指せば、則ち形前も亦之を氣と謂ふ、ならびに不可無し。浩然かうぜんの氣の如きは、專ら運用を指すも、其の實太極たいきよく呼吸こきふにして、只是れ一せいなり。之を氣げんと謂ふ、即ち是れ理なり。

五八 物我一體、即是仁。我執公情以行公事、天下無服。治亂之機、在於公不公。周子曰、公於己者、公於人。伊川又以公理、釋仁字。餘姚亦更博愛公愛。可并攷
〔譯〕物我ぶつがたいは即ち是れ仁なり。我れ公情こうじやうつて以て公事を行ふ、天下服せざる無し。治亂ちらんは公と不公とに在り。しう子曰ふ、おのれに公なる者は人に公なりと。伊川いせん公理こうりを以て仁の字をしやくす。餘姚よえうも亦博愛をあらためて公愛と爲せり。あはかんがふ可し。
〔評〕余嘗て木戸公の言を記せり。曰ふ、會津藩士あひづはんしは、性直にして用ふ可し、長人ちやうじんの及ぶ所に非ざるなりと。夫れくわいちやうてきなり、かも其の言かくの如し。以て公の事をしよすること皆公平こうへいなるを知るべし。

五九 尊徳性、是以道問學、即是尊徳性。先立其大者、則其知也眞。能迪其知、則其功也實。畢竟一條路往來耳。
〔譯〕徳性を尊ぶ、是を以て問學ぶんがくる、即ち是れ徳性を尊ぶなり。先づ其の大なる者を立つれば、則ち其知やしんなり。能く其の知をめば、則ち其功やじつなり。畢竟ひつきやう一條いちでうの往來のみ。

六〇 周子主靜、謂心守本體。※[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、52-8]説自註無欲故靜、程伯氏因此有天理人欲之説。叔子持敬工夫亦在此。朱陸以下雖各有力處、而畢竟不此範圍。不意至明儒、朱陸分黨如敵讐。何以然邪。今之學者、宜平心上レ之。取其得力處可也。
〔譯〕周子しうしせいしゆとす、こゝろ本體ほんたいを守るを謂ふなり。※説づせつ[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、52-12]に、「よく無し故にせい」と自註じちゆうす、程伯氏ていはくしこれに因つて天よくせつ有り。叔子しゆくしけいする工夫くふうも亦こゝに在り。朱陸しゆりく以下各ちからを得る處有りと雖、かも畢竟ひつきやう此の範圍はんいを出でず。おもはざりき明儒みんじゆに至つて、朱陸しゆりくたうを分つこと敵讐てきしうの如くあらんとは。何を以て然るや。今の學ぶ者、宜しく平心を以て之を待つべし。其の力を得る處を取らば可なり。

六一 象山、宇宙内事、皆己分内事、此謂男子擔當之志如一レ此。陳※(「さんずい+晧」の「日」に代えて「白」、第3水準1-87-18)此註射義、極是。
〔譯〕象山しようざんの、宇宙うちうないの事は皆おの分内ぶんないの事は、れ男子擔當たんたうの志かくの如きを謂ふなり。※(「さんずい+晧」の「日」に代えて「白」、第3水準1-87-18)ちんかう此を引いて射義しやぎちゆうす、きはめてなり。
〔評〕南洲かつて東湖に從うて學ぶ。當時たうじ書する所、今猶民間にそんす。曰ふ、「一寸いつすん英心えいしん萬夫ばんぷてきす」と。けだ復古ふくこげふを以て擔當たんたうすることを爲す。維新いしん征東のこう實に此にしんす。末路まつろふたゝしんを成せるは、かなしむべきかな。

六二 講論語、是慈父教子意思。講孟子、是伯兄誨季意思。講大學、如網在一レ綱。講中庸、如雲出一レ岫。
〔譯〕論語ろんごかうず、是れ慈父じふの子を教ふる意思いし孟子まうしを講ず、是れ伯兄のをしふる意思いし大學だいがくを講ず、あみかうに在る如し。中庸ちゆうようを講ず、くもしうを出づる如し。

六三 易是性字註脚。詩是情字註脚。書是心字註脚。
〔譯〕えきは是れせいの字の註脚ちゆうきやくなり。は是れ情の字の註脚なり。しよは是れ心の字の註脚なり。

六四 獨得之見似私、人驚其驟至。平凡之議似公、世安其狃聞。凡聽人言、宜虚懷而邀一レ之。勿安狃聞可也。
〔譯〕獨得どくとくけんわたくしに似る、人其の驟至しうしおどろく。平凡へいぼんは公に似る、世其の狃聞ぢうぶんに安んず。凡そ人の言をくは、宜しく虚懷きよくわいにして之をむかふべし。狃聞ぢうぶん苟安こうあんすることなくんば可なり。

六五 心理是豎工夫、愽覽是横工夫。豎工夫、則深入自得。横工夫、則淺易汎濫。
〔譯〕心理しんりは是れたての工夫なり、愽覽はくらんは是れよこの工夫なり。たての工夫は、則ち深入しんにふ自得じとくせよ。よこの工夫は、則ち淺易せんい汎濫はんらんなれ。

六六 讀經、宜我之心經之心、以經之心我之心。不然徒爾講明訓詁而已、便是終身不曾讀
〔譯〕けいを讀むは、宜しく我れの心を以て經の心を讀み、經の心を以て我の心をしやくすべし。然らずして徒爾とじ訓詁くんこ講明かうめいするのみならば、便すなはち是れ終身かつて讀まざるなり。

六七 引滿中度、發無空箭。人事宜射然
〔譯〕滿まんあたり、發して空箭くうぜん無し。人事宜しくしやの如く然るべし。

六八 前人、謂英氣害一レ事。余則謂、英氣不無、但露圭角不可
〔譯〕前人は、英氣えいきは事をがいすと謂へり。余は則ち謂ふ、英氣は無かる可らず、圭角けいかくあらはすを不可と爲すと。

六九 刀槊之技、懷怯心者衄、頼勇氣者敗。必也泯勇怯於一靜、忘勝負於一動。動之以天、廓然太公、靜之以地、物來順應。如是者勝矣。心學亦不於此
〔譯〕刀槊たうさくきよ心をいだく者はくじけ、勇氣ゆうきたのむ者はやぶる。必や勇怯ゆうきよを一せいほろぼし、勝負しようぶを一どうわすれ、之をうごかすに天を以てして、廓然かくぜん太公たいこうに、之をしづむるに地を以てして、もの來つて順應じゆんおうせん。かくの如き者はたん。心學も亦こゝに外ならず。
〔評〕長兵京師にやぶる。木戸公は岡部氏につてわざはいまぬかるゝことを得たり。のち丹波におもむき、姓名せいめいへ、博徒ばくとまじり、酒客しゆかくまじはり、以て時勢をうかゞへり。南洲は浪華なにはの某樓にぐうす。幕吏搜索さうさくして樓下に至る。南洲乃ちげきを觀るに託して、舟を※(「にんべん+就」、第3水準1-14-40)りてげ去れり。此れ皆勇怯ゆうきよほろぼ勝負しようぶを忘るゝものなり。

七〇 無我則不其身、即是義。無物則不其人、即是勇。
〔譯〕れ無ければ則ち其身をず、即ち是れなり。物無ければ則ち其人を見ず、即ち是れゆうなり。

七一 自反而縮者、無我也。雖千萬人吾往矣、無物也。
〔譯〕自らかへりみてなほきは、われ無きなり。千萬人と雖吾れ往かんは、物無きなり。

七二 三軍不和、難以言一レ戰。百官不和、難以言一レ治。書云、同寅協恭和衷哉。唯一和字、一串治亂
〔譯〕三軍和せずば、以てたゝかひを言ひがたし。百官和せずば、以てを言ひ難し。書に云ふ、いんを同じうしきようあは和衷わちゆうせよやと。唯だ一の和字、治亂ちらん一串いつくわんす。
〔評〕復古ふくこげふ薩長さつちやう合縱がつしように成る。是れより先き、土人坂本龍馬りゆうま、薩長の和せざるをうれへ、薩ていいたり、大久保・西郷諸氏に説き、又長邸にいたり、木戸・大村諸氏に説く。薩人黒田・大山諸氏長に至り、長人木戸・品川諸氏薩にき、而て後成り、維新いしん鴻業こうげふいたせり。

七三 凡事有眞是非、有假是非。假是非、謂通俗之所可否。年少未學、而先了假是非※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)後欲眞是非、亦不入。所謂先入爲主、不如何耳。
〔譯〕凡そ事に眞是非しんぜひ有り、假是非かぜひ有り。假是非とは、通俗つうぞくの可否する所を謂ふ。年わかく未だ學ばずして、先づ假是非をれうし、後に※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)およんで眞是非を得んと欲するも、亦入りやすからず。謂はゆる先入せんにふしゆり、如何ともす可らざるのみ。

七四 果斷、有義來者。有智來者。有勇來者。有義與一レ智而來者、上也。徒勇而已者殆矣。
〔譯〕果斷くわだんは、より來るもの有り。より來るもの有り。ゆうより來るもの有り。義と智とをあはせて來るもの有り、じやうなり。たゞゆうのみなるはあやふし。
〔評〕關八州くわんはつしうは古より武を用ふるの地と稱す。興世おきよ反逆はんぎやくすと雖、猶將門まさかどに説いて之にらしむ。小田原のえきほう公は徳川公に謂うて曰ふ、東方に地あり、江戸えどと曰ふ、以て都府とふを開く可しと。一新いつしんはじめ、大久保公遷都せんとけんじて曰ふ、官軍已につと雖、東賊とうぞく猶未だほろびず、宜しく非常ひじやうだんを以て非常の事を行ふべしと。先見の明と謂ふ可し。

七五 公私在事、又在情。事公而情私者有之。事私而情公者有之。爲政者、宜衡人情事理輕重處、以用其中於上レ民。
〔譯〕公私こうしは事に在り、又情に在り。事公にして情私なるもの之有り。事私にして情公なるもの之有り。政を爲す者は、宜しく人情事理じり輕重けいぢゆうの處を權衡けんかうして、以て其のちゆうを民に用ふべし。
〔評〕南洲城山にる。官軍さくゑて之を守る。山縣やまがた中將書を南洲に寄せて兩軍殺傷さつしやうさん極言きよくげんす。南洲其の書を見て曰ふ、我れ山縣にそむかずと、斷然だんぜん死にけり。中將は南洲のげんて曰ふ、しいかな、天下の一勇將を失へりと、流涕りうていすること之を久しうせり。あゝ公私情盡せり。

七六 愼獨工夫、當身在稠人廣座中一般。應酬工夫、當間居獨處時一般
〔譯〕愼獨しんどく工夫くふうは、まさに身稠人ちうじん廣座くわうざの中に在るが如く一ぱんなるべし。應酬おうしうの工夫は、まさ間居かんきよ獨處どくしよの時の如く一般なるべし。

七七 心要現在。事未來、不邀。事已往、不追。纔追纔邀、便是放心。
〔譯〕心は現在げんざいせんことをえうす。事未だ來らずば、むかふ可らず。事已にかば、ふ可らず。わづかに追ひ纔かに邀へば、便すなはち是れ放心はうしんなり。

七八 物集於其所一レ好、人也。事赴於所一レ期、天也。
〔譯〕もの其の好む所にあつまるは、人なり。ことせざる所におもむくは、天なり。

七九 人貴厚重、不遲重。尚眞率、不輕率
〔譯〕人は、厚重こうちようを貴ぶ、遲重ちちようを貴ばず。眞率しんそつたつとぶ、輕率けいそつを尚ばず。
〔評〕南洲人にせつして、みだりまじへず、人之をはゞかる。然れども其の人を知るに及んでは、則ち心をかたむけて之をたすく。其人に非ざれば則ち終身しゆうしんはず。

八〇 凡生物皆資於養。天生而地養之。人則地之氣精英。吾欲靜坐以養氣、動行以養體、氣體相資、以養此生。所以從地而事一レ天。
〔譯〕凡そ生物は皆やうる。天生じて地之をやしなふ。人は則ち地の氣の精英せいえいなり。吾れ靜坐して以て氣を養ひ、動行どうかうして以て體を養ひ、氣と體と相つて以て此の生を養はんと欲す。地に從うて天に事ふる所以なり。
〔評〕維新のげふは三藩の兵力に由ると雖、抑之を養ふにあり、曰く名義めいぎなり、曰く名分めいぶんなり。或は云ふ、維新のこう大日本史だいにつぽんし及び外史にもとづくと、亦しとせざるなり。

八一 凡爲學之初、必立大人之志、然後書可讀也。不然、徒貪聞見而已、則或恐傲飾一レ非。所謂假寇兵、資盜糧也、可虞。
〔譯〕凡そ學を爲すの初め、必ず大人たらんと欲するの志を立て、然る後書讀む可し。然らずして、いたづらに聞見をむさぼるのみならば、則ち或はがうちやうじ非をかざらんことを恐る。謂はゆるこうに兵をし、たうりやうするなり、おもんぱかる可し。

八二 以眞己假己、天理也。以身我心我、人欲也。
〔譯〕眞己しんこを以て假己かこつ、天理なり。身我しんがを以て心我をがいす、人欲じんよくなり。

八三 無一息間斷、無一刻急忙。即是天地氣象。
〔譯〕一そく間斷かんだん無く、一こく急忙きふばう無し。即ち是れ天地の氣象きしやうなり。
〔評〕木戸公毎旦考妣ちゝはゝの木主を拜す。身煩劇はんげきに居ると雖、少しくもおこたらず。三十年の間一日の如し。

八四 有於無一レ心、工夫是也。無於有一レ心、本體是也。
〔譯〕心無きに心有るは、工夫くふう是なり。心有るに心無きは、本體ほんたい是なり。

八五 不知而知者、道心也。知而不知者、人心也。
〔譯〕知らずして知る者は、道心だうしんなり。知つて知らざる者は、人心じんしんなり。

八六 心靜、方能知白日。眼明、始會青天。此程伯氏之句也。青天白日、常在於我。宜之座右、以爲警戒
〔譯〕心しづかにして、まさに能く白日を知る。眼明かにして、始めて青天を識りすと。此れ程伯氏ていはくしの句なり。青天白日は、常に我に在り。宜しく之を座右ざいうかゝげて、以て警戒けいかいと爲すべし。

八七 靈光充體時、細大事物、無遺落、無遲疑
〔譯〕靈光れいくわうたいつる時、細大さいだいの事物、遺落ゐらく無く、遲疑ちぎ無し。
〔評〕死を決するは、さつの長ずる所なり。公義を説くは、土のぞくなり。維新いしんの初め、一公卿あり、南洲の所に往いて復古ふくこの事を説く。南洲曰ふ、夫れ復古は易事いじに非ず、且つ九重阻絶そぜつし、みだりに藩人を通ずるを得ず、必ずや縉紳しんしん死を致す有らば、則ち事或は成らんと。又後藤象ごとうしやう次郎にいて之を説く。象次郎曰ふ、復古はかたきに非ず、然れども門地もんちはいし、門閥もんばつめ、けんぐることはうなきに非ざれば、則ち不可なりと。二人の本領自らあらはる。

八八 人心之靈、如太陽然。但克伐怨欲、雲霧四塞、此靈烏在。故誠意工夫、莫於掃雲霧白日。凡爲學之要、自此而起基。故曰、誠者物之終始。
〔譯〕人心のれい太陽たいやうの如く然り。但だ克伐こくばつ怨欲えんよく雲霧うんむ四塞しそくせば、此のれいいづくに在る。故に意をまことにする工夫は、雲霧うんむはらうて白日をあふぐより先きなるはし。凡そ學を爲すのえうは、これよりしてもとゐおこす。故に曰ふ、誠は物の終始しゆうしと。

八九 胸次清快、則人事百艱亦不阻。
〔譯〕胸次きようじ清快せいくわいなれば、則ち人事百かんせず。

九〇 人心之靈、主於氣。氣體之充也。凡爲事、以氣爲先導、則擧體無失措。技能工藝、亦皆如此。
〔譯〕人心のれいは、しゆとす。氣はたいに之れつるものなり。凡そ事を爲すに、氣を以て先導せんだうと爲さば、則ち擧體きよたい失措しつそ無し。技能ぎのう工藝こうげいも、亦皆かくの如し。

九一 靈光無障碍、則氣乃流動不餒、四體覺輕。
〔譯〕靈光れいくわう障碍しやうげ無くば、則ち乃ち流動りうどうしてゑず、四體したいかるきをおぼえん。

九二 英氣是天地精英之氣。聖人薀之於内、不肯露諸外。賢者則時時露之。自餘豪傑之士、全然露之。若夫絶無此氣、爲鄙夫小人、碌碌不算者爾。
〔譯〕英氣は是れ天地精英せいえいの氣なり。聖人は之を内にをさめて、あへこれを外にあらはさず。賢者は則ち時時之をあらはす。自餘じよ豪傑の士は、全然之をあらはす。えてこのなき者の若きは、鄙夫ひふ小人と爲す、碌碌ろく/\としてかぞふるに足らざるもののみ。

九三 人須忙裏占間、苦中存樂工夫
〔譯〕人は須らく忙裏ばうりかんめ、苦中くちゆうらくを存ずる工夫をくべし。
〔評〕南洲岩崎谷洞中に居る。砲丸雨の如く、洞口を出づる能はず。詩あり云ふ「百戰無功半歳間、首邱幸得家山。笑儂向死如仙客。盡日洞中棋響間」(編者曰、此詩、長州ノ人杉孫七郎ノ作ナリ、南洲翁ノ作ト稱スルハ誤ル)謂はゆるばう中に間を占むる者なり。然れども亦以て其の戰志無きを知るべし。余句あり、云ふ「可見南洲無戰志。砲丸雨裡間牽犬」と、是れ實録じつろくなり。

九四 凡區處人事、當先慮其結局處、而後下上レ手。無楫之舟勿行、無的之箭勿發。
〔譯〕凡そ人事を區處くしよするには、當さに先づ其の結局けつきよくの處をおもんぱかりて、後に手を下すべし。かぢ無きの舟はなかれ、まと無きのはなつ勿れ。

九五 朝而不食、則晝而饑。少而不學、則壯而惑。饑者猶可忍、惑者不奈何
〔譯〕あさにしてくらはずば、ひるにしてう。わかうして學ばずば、壯にしてまどふ。饑うるは猶しのぶ可し、まどふは奈何ともす可からず。

九六 今日之貧賤不素行、乃他日之富貴、必驕泰。今日之富貴不素行、乃他日之患難、必狼狽。
〔譯〕今日の貧賤ひんせん素行そかうする能はずば、乃ち他日の富貴ふうきに、必ず驕泰けうたいならん。今日の富貴ふうき素行そかうする能はずんば、乃ち他日の患難くわんなんに、必ず狼狽らうばいせん。
〔評〕南洲、顯職けんしよくに居り勳功くんこうふと雖、身極めて質素しつそなり。朝廷たまふ所の賞典しやうてん二千石は、こと/″\く私學校のつ。貧困ひんこんなる者あれば、のうかたぶけて之をすくふ。其の自ら視ること※然かんぜん[#「陷のつくり+欠」、65-6]として、微賤びせんの時の如し。

九七 雅事多是虚、勿之雅而耽上レ之。俗事却是實、勿之俗而忽上レ之。
〔譯〕雅事がじ多くは是れきよなり、之をと謂うて之にふけること勿れ。俗事却て是れ實なり、之を俗と謂うて之をゆるがせにすること勿れ。

九八 歴代帝王、除唐虞外、無眞禪讓。商周已下、秦漢至於今、凡二十二史、皆以武開國、以文治之。因知、武猶質、文則其毛彩、虎豹犬羊之所以分也。今之文士、其可武事乎。
〔譯〕歴代れきだいの帝王、唐虞たうぐのぞく外、眞の禪讓ぜんじやうなし。商周しやうしう已下いか秦漢しんかんより今に至るまで、凡そ二十二史、皆武を以て國を開き、文を以て之を治む。因つて知る、武は猶しつのごとく、文は則ち其の毛彩まうさいにして、虎豹こへう犬羊の分るゝ所以なるを。今の文士、其れ武事を忘る可けんや。

九九 遠方試歩者、往往舍正路、※[#「走にょう+多」、66-3]捷徑、或繆入林※[#「くさかんむり/奔」、66-3]、可嗤也。人事多類此。特記之。
〔譯〕遠方えんぱうに歩をこゝろむる者、往往にして正路せいろすてて、捷徑せうけいはし[#「走にょう+多」、66-5]り、或はあやまつて林※りんまう[#「くさかんむり/奔」、66-5]に入る、わらふ可きなり。人事多く此にるゐす。とくに之をしるす。

一〇〇 智仁勇、人皆謂大徳難一レ企。然凡爲邑宰者、固爲親民之職。其察奸慝、矜孤寡、折強梗、即是三徳實事。宜能就實迹以試之可也。
〔譯〕智仁勇は、人皆大徳たいとくくはだて難しと謂ふ。然れども凡そ邑宰いふさいたる者は、固と親民しんみんしよくたり。其の奸慝かんとくを察し、孤寡こくわあはれみ、強梗きやうかうくじくは、即ち是れ三徳の實事なり。宜しく能く實迹に就いて以て之をこゝろみて可なるべし。

一〇一 身有老少、而心無老少。氣有老少、而理無老少。須能執老少之心、以體老少之理
〔譯〕身に老少らうせう有りて、心に老少無し。氣に老少有りて、理に老少無し。須らく能く老少無きの心をつて、以て老少無きの理をたいすべし。
〔評〕幕府ばくふ南洲にわざはひせんと欲す。藩侯はんこう之をうれへ、南洲を大島おほしまざんす。南洲貶竄へんざんせらるゝこと前後數年なり、而て身益さかんに、氣益さかんに、讀書是より大に進むと云ふ。





底本:「西郷南洲遺訓」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月2日第1刷発行
   1985(昭和60)年2月20日第26刷発行
底本の親本:「南洲手抄言志録」博聞社
   1888(明治21)年5月17日発行
初出:「南洲手抄言志録」博聞社
   1888(明治21)年5月17日発行
※「「褒」の「保」に代えて「丑」」は「デザイン差」と見て「衰」で入力しました。
※底本の末尾に添えられた「書後の辭」で、秋月種樹氏が漢文の評言を附したとある。
入力:田中哲郎
校正:川山隆
2008年7月14日作成
2009年9月1日修正
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