監獄署の裏

永井荷風




われは病いをも死をも見る事を好まず、われよりとおざけよ。
世のあらゆる醜きものを。――『ヘッダ ガブレル』イブセン


 ――けい閣下
 お手紙ありがとう御在ございます。無事帰朝しまして、もう四、五カ月になります。しかし御存ごぞんじの通り、西洋へ行ってもこれとさだまった職業は覚えず、学位の肩書も取れず、取集めたものは芝居とオペラと音楽会コンセール番組プログラムに女芸人の寫真と裸体画はだかえばかり。年はすでに三十歳になりますが、まだいえをなすわけにも行かないので、今だにぐずぐずと父が屋敷の一室に閉居しております。処はいち監獄署かんごくしょの裏手で、この近所では見付みつきのややおおきい門構え、高い樹木がこんもりとしげっていますから、近辺で父の名前をお聞きになれば、すぐにそれと分りましょう。
 私は当分、なんにもせず、此処ここにこうしているより仕様がありますまい。一生涯こうしているのかも知れません。しかし、この境遇は私に取っては別に意外というほどの事ではない。日本に帰ったらどうして暮そうかという問題は、万事を忘れて音楽を聴いている最中さいちゅう、恋人の接吻せっぷんっている最中、若葉のかげからセエヌがわの夕暮を眺めている最中にも、絶えず自分の心に浮んで来た。散々に自分の心をなやました久しい古い問題です。私は白状します。意気地いくじのない私が案外にあれほど久しく、さびしい月日を旅の境遇に送り得たのも、つまりはやみがたい芸術の憧憬あこがれというよりも、苦しいこの問題の解決がつかなかったためです。外国ですと身体からだに故障のない限りは決して飢えるという恐れがありません。料理屋の給仕人でも商店の売児うりこでも、新聞の広告をたよりに名誉を捨鉢すてばちの身の上は、何でも出来ます。「紳士」という偽善の体面を持たぬ方が、第一に世をあざむくという心にやましい事がなく、社会の真相をうかがい、人生の誠の涙に触れる機会もまた多い。しかし一度ひとたび生れた故郷へ帰っては――生れた土地ほど狭苦しい処はない――まさかに其処そこまでは周囲の事情が許さず、自分の身もまたそれほどいさぎよく虚栄心から超越してしまう事が出来ない。私は濃霧の海上に漂う船のように何一つ前途の方針、将来の計画もなしに、低いひらたい板屋根と怪物のように屈曲ひねくれた真黒まっくろな松の木が立っている神戸の港へ着きました。事によれば知人の多い東京へは行かず、この辺へ足をとどめ、身を隠そうかとも思っていた。その矢先混雑する船梯子ふなばしごを上って、底力のある感激の一声――
「兄さん。御無事で。」といって私の前に現れた人がある。大学の制服をつけた私の弟でした。この両三年は殊更ことさらに音信も絶えがちになっていたので、故郷の父親は大層心配して、汽船会社に聞合し、自分の乗込んだ船を知り、弟を迎いに差向さしむけたという次第が分りました。
 私は覚えず顔を隠したいほど恐縮しました。同時に私はもう親の慈愛には飽々あきあきしたような心持もしました。親は何故なぜ不孝なそのを打捨ててしまわないのでしょう。児は何故なにゆえに親に対する感謝の念にめられるのでしょう。無理にも感謝せまいと思うと、何故なぜそれが我ながら苦しく空恐ろしく感じられるのでしょう。ああ、人間が血族の関係ほど重苦しく、不快きわまるものはない。親友にしろ恋人にしろ、妻にしろ、その関係は、如何いかに余儀なくとも、堅くとも、苦しくとも、それは自己が一度ひとたび意識して結んだものです。しかるに親兄弟の関係ばかりは先天的にどんな事をしても断ち得ないものです。断ち得たにしても堪えがたい良心の苦痛が残ります。実に因果です。ファタリテーです。閣下よ。人の家の軒に巣を造るすずめを御覧なさい。雀の子は巣を飛び立つと同時に、この悪運命のかげからすっかり離れてしまいます。その親もまた道徳の縄で子雀の心をつなごうとは思っていないらしい。
 私は一目弟の顔を見ると、同じ血から生れて、自分とく似ているその顔を見ると、何ともいえない残酷な感激にめられました。いわれぬなつかしい感情と共にこの年月としつきの放浪の悲しみと喜びと、すべての活々いきいきした自由な感情は名残もなく消えてしまったような気がしました。身のまわりの空気はたちまち話に聞く中世紀の修道院モナステールの中もかくやとばかり、氷の如くひややかに鏡の如く透明に沈静したように思われました。
 弟はいいます――兄さん、六時の汽車が急行です、切符を買いましょう。
 私は何とも答えませんでした。私は神戸のステーションで、品格のないしかし肉付にくづきのいい若いアメリカの女が二、三人、花売りから花束を買っているのを見ただけです。私はその翌日の朝新橋しんばしに着き人力車じんりきしゃで市ヶ谷監獄署の裏手なる父の邸宅へ送り込まれました。
 そのいえではいささかの酒宴が催されました。父は今年六十。たとえ事情は何であっても、表向おもてむきいえ嫡子ちゃくしという体面をおもんずるためでしょう。私をば東坡書随大小真行皆有※[#「女+武」、U+5A2C、28-13]媚可喜処老※[#「虫+爰」、U+876F、28-13]と書いた私には読めない掛物を掛けたとこの前に坐らせ、向い合っては父と母。私の右には母の実家さとを相続して、教会の牧師になっている二番目の弟、左には、私を出迎でむかえに来た末の弟が制服の金ボタンいかめしく坐りました。父は少し口髯くちひげが白くなったばかりで、あかがねのような顔色はますます輝き、頑丈な身体からだは年と共に若返って行くように見えましたが、母は私の留守に十年二十年も、一時に老込おいこんでしまいました。ちいさしなびた見るかげもないおばあさんになってしまいました。
 私はえて妻や恋人ばかりではない。母親をも永久に若い美しい花やかな人を持っていたいのです。私は老込んだ母の様子を見ると、実際はしを取る気もなくなりました。悲しいとか情ないとかいうよりもっと強い混乱した感情にうたれます。不朽でない人間の運命に対するはげしい反抗をも覚えます。
 閣下よ。私の母は私が西洋に行く前までは実に若い人でした。さほどに懇意でない人は必ず私の母をば姉であろうといた位でした。江戸の生れで大の芝居好き、長唄ながうたが上手でこともよくきました。三十歳を半ば越しても、六本の高調子たかじょうしで「吾妻あずま八景」の――松葉かんざし、うたすじの、道の石ふみ、露ふみわけて、ふくむ矢立やたての、すみイだ河……
という処なぞを楽々歌ったものでした。それでいて、十代の娘時分から、赤いものが大嫌いだったそうで、土用どよう虫干むしぼしの時にも、私は柿色かきいろ三升格子みますごうしや千鳥になみを染めた友禅ゆうぜんほか、何一つ花々しい長襦袢ながじゅばんなぞ見た事はなかった。私は忘れません、母に連れられ、乳母うばに抱かれ、久松座ひさまつざ新富座しんとみざ千歳座ちとせざなぞの桟敷さじきで、鰻飯うなぎめし重詰じゅうづめを物珍しく食べた事、冬の日の置炬燵おきごたつで、母が買集めた彦三ひこさ田之助たのすけ錦絵にしきえを繰り広げ、過ぎ去った時代の芸術談を聞いた事。しかしすべての物を破壊してしまう「時間」ほどむごいものはない。閣下よ。私は母親といつまでもいつまでも、楽しく面白く華美はで一ぱいに暮したいのです。私は母のためならば、如何どんな寒い日にも、竹屋たけやの渡しを渡って、江戸名物の桜餅さくらもちを買って来ましょう。
    *      *      *      *
 私はどうしても、昔から人間の守るべきものと定められたおしえに服する事が出来ません。教は余りにむごく余りにつめたい。私はどうかして、教に服するよりも、「教」と「私」とが暖かに滑かに一致して行くようにならぬものかと、幾度いくたび願い、もだえ、苦しみましたろう。絶望した私は遂にいさぎよく天罰応報と相い争い、相い対峙たいじしようと思うようになってしまいました。私の父は厳格な人です。勤勉な人です。悪を憎む事の激しい人です。父は私が帰朝の翌日静かに将来の方針を質問されました。如何いかにして男子一個の名誉を保ち、国民の義務を全うすべきかという問題です。
 語学の教師になろうか。いや。私は到底心に安んじて、教鞭きょうべんる事は出来ない。フランス語ならば、私よりもフランス人の方が更にくフランス語を知っている。
 新聞記者になろうか。いや、私は事によったら盗賊とうぞくになるかも知れない。しかし不幸にしてまだ私は正義と人道とを商品に取扱うほど悪徳にれていない。私はもし社会が『万朝報よろずちょうほう』や『二六にろく新聞』によって矯正きょうせいされるならば、その矯正された社会は、矯正されざる社会よりも更に暗黒なものとなるのであろうという事を余りに心配している。
 雑誌記者となろうか。いや。私は自ら立って世に叫ぼうとするほど社会の発達人類の幸福のためにの目も眠らず心配しているのではない。私は親子おやこ相啣あいは兄妹けいまい相姦あいかんする獣類の生活をも少しもいたましくまた少しもいとわしく思っていない。
 芸術家となろうか。いや、日本は日本にして西洋ではなかった。これは日本の社会が要求せぬばかりかむしろ迷惑とするものである。国家が脅迫教育を設けて、われわれに開闢かいびゃく以来大和やまと民族が発音した事のない、T、V、D、F、なぞから成る怪異な言語をい、もしこれを口にし得ずんば明治の社会に生存の資格なきまでに至らしめたのは、けだし他日われわれに何々式水雷とか鉄砲とかを発明させようがためであって、決してヴェルレーヌやマラルメの詩なぞを読ませるためではない。いわんや革命の歌マルセイエーズや軍隊解放の歌アンテルナショナルをとなえしめるためではなお更ない。われらにしてもしまことの心の底から、ミューズやヴェヌスの神に身を捧げる覚悟ならば、われらは立琴ハルブいだくに先立っておきてきびしいわれらが祖国を去るにくはない。これ国家のためにもまた芸術のためにも、双方の利益便利であろう。
 あわれやこの世の中に私の余命を支えてくれる職業は一つもない。私はいっちまたにさまよって車でも引こうか。いや、私は余りに責任をおもんじている。客を載せて走る間、私ははたして完全にその職責をつくす事が出来るだろうか。下男となって飯をこうか。無数の米粒の中に、もしや見えざる石のかけが混っていて、主人が胃を破りその生命を危くするような事がありはせまいか。人間もし正確細微の意識を有する限りは、如何いかなるいやしい職業をも自ら進んでし得べきものではない。それには是非とも飢えてこごえて正確な意識の魔酔が必要である。自我の利欲に目のくらむ必要がある。少くとも古来より聖賢の教えた道をないがしろにする必要がある。生活難をうたえる人よ。私は諸君がうらやましい。
 私は父に向って世の中に何にもする事はない。狂人きちがい不具者かたわものと思って、世間らしい望みを嘱してくれぬようにと答えました。
 父もまた新聞屋だの書記だの小使だのと、つまらん職業に我がの名前を出されてはかえって一家の名誉に関する。いえには幸い空間あきまもある食物もある。黙って、おとなしく引込ひっこんでいてくれと話をめられました。
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 私は半年ばかり毎日ぼんやり庭を眺めて日を送っています。
 八月の暑い日の光が広庭一面の青いこけの上にしげった樹木のかげを投げています。真黒まっくろな木の葉の影の間々に、強い日光が風の来る時斑々まばらまばらに揺れ動くのが如何いかにも美しい。せみが鳴く。からすく。しかし世間は炎暑につかれて夜半よなかのようにしんとしています。忽然こつぜん夕立が来ます。空の大半は青く晴れている処から四辺あたりあかるいので、太い雨の糸がはっきり見えます。芭蕉ばしょう芙蓉ふようはぎ野菊のぎく撫子なでしこかえでの枝。雨に打たれる種々いろいろな植物は、それぞれその枝や茎の強弱に従ってあるものは地に伏し或ものはかえって高くり返ります。またその葉の厚さ薄さに従って、あるいは重くあるいは軽くさまざまの音を響かせます。この夕立の大合奏サンフォニーとどろき渡るいかずち大太鼓おおだいこに、強く高まるクレッサンドの調子すさまじく、やがて優しい青蛙あおがえるの笛のモデラトにそのきたる時と同じよう忽然として掻消かきけすようにんでしまいます。すると庭中は空にそびゆる高いこずえから石の間に熊笹くまざさの葉末まで一斉に水晶のたまを連ね、驚くばかりに光沢つやをます青苔の上には雲かと思う木立の影が長くななめに移り行き、日暮ひぐらしの声と共に夕暮が来ます。風鈴ふうりんしきりに動いて座敷の岐阜提灯ぎふぢょうちんがつくと、門外の往来おうらいには花やかな軽い下駄げたの音、女の子の笑う声、書生の詩吟やハーモニカが聞こえ、何処どこか遠い処で花火のようなひびきもします。新内しんないが流して行きます。が次第にふける……
 まくらいて眠ろうとすると、雨戸の外なる庭一面縁の下まで恐しいほどに虫が鳴き立てます。およそ何万匹の昆虫が如何いかなる力に支配され何を感じてかくも一時に声を合せて、私の身のまわりに叫ぶのでしょう。私はふと限りもない空のした雄大なる平原の面に唯だ一人永遠の夜明けを待ちつつ野宿しているような気がして、とざしたまぶたを開いて見ると、今にも落ちて来そうな低い天井と、色もかざりもない壁とふすまとが、机の上の燈火ともしびに照らされて薄暗く狭苦しく私の身体からだを囲っているのです。限られた日本の生活の深味のない事がしみじみ感じられます。突然屋根の上にばらッばらッと破れた琴をくような雨のしずくの落ちる音。樹木に夜風の吹きそよぐ響が聞えます。しかしその響は幽谷に獅子ししえるような底深いものではないので、私は熱帯の平原を流れる大河たいがのほとりに、あしの葉のそよぎを聞くのかと思った事がありました。虫は絶えず鳴いています。よるがあけても昼が来ても鳴き続けるのです。虫ばかりではない。雨も毎日々々降りつづくようになりました。
 何という湿気しっけの多い気候でしょう。障子を閉めきり火鉢ひばちに火を入れて見ても着ている着物までがれるようなので、私は魚介ぎょかいのように皮膚にうろこが生えはしないかと思うほどです。亜米利加アメリカを去る時ロザリンが別れの形見にくれた『フランシスカ伯爵夫人の日記』という、立派な羊の皮の表装は見るかげもなくびてしまいました。巴里パリーの舞踏場でイボンと踊ったうるし塗靴ぬりぐつは化物のように白い毛をふき、ブーロンユの公園の草の上にヘレーネとよこたわった夏外套なつがいとうも無惨な斑点しみを生じた。
 物売りの声裏悲しく、彼方此方あなたこなたに人の雨戸を繰る音が聞えてよるが来ると、ああ日本の夜の暗い事はとても言葉にはいいつくせません。死よりも墓よりも暗く冷く、さびしい。如何なる憤怒絶望のやいばを以てするもつんざきがたく、如何なる怨恨えんこん悪念の焔を以てするも破りがたいやみ墻壁しょうへきとでもいいましょうか。私はたった一つ広い座敷の真中まんなかについている暗いランプのかさの下に楽しい月日に取りやりしたの人たちの手紙を読み返して……読み尽し得ずしてその上に顔を押当てて泣き伏します。庭一面あいも変らぬ虫の声……
 しかし私はやがてこの暗い夜、この悲しい夜の一夜いちやごとに、鳴きしきる虫の叫びの次第に力なく弱って行くのを知りました。私はいつかあわせの上に新しい綿入羽織わたいればおりを着ています。新しい呉服物ごふくもの染糸そめいとにおいが妙に胸悪く鼻につきます。雨はもう降りません。朝夕のひややかさに引換えて、日の照る昼過ぎは恐しいほど暑い。木の葉はにわかに黄ばんで風のないのにはらはらこけの上に落ちるのをば、この夏らしいはげしい日の光に眺めやると、私はいかにも不思議で不思議でならないような心持がします。「このあたり木の葉は散る春の四月」と仏蘭西フランスある詩人が南亜米利加みなみアメリカの気候を歌ったそのような幽愁のあじわい深い心持がします。読みさしの詩集なぞ手にしたまま、午後ひるすぎ庭に出て植込うえこみの間を歩くと、差込さしこむ日の光は梅やかえでなぞのかさなり合った木の葉をば一枚々々照すばかりか、苔蒸こけむす土の上にそれらの影をば模様のように描いています。この影の奥深くに四阿屋あずまやがある。腰をかけると、うしろさえぎるものもない花畠はなばたけなので、広々と澄み渡った青空が一目ひとめ打仰うちあおがれる。西から東へと、この広い大空を白い薄雲が刷毛はけでなすったように流れていましたが、いつまで眺めていても少しも動かない。無数の蜻蛉とんぼが丁度フランスの夏の空に高く飛ぶつばめのように飛交とびちがっている。畠は熊笹くまざさ茂る垣根ぎわまで一面のはげしい日の光に照らされ、屋根よりも高いコスモスが様々の色に咲き乱れている。葉鶏頭はげいとうの紅が燃え立つよう。桔梗ききょう紫苑しおんの紫はなおあざやかなのに、早くも盛りをすごした白萩しらはぎは泣き伏す女の乱れた髪のように四阿屋の敷瓦しきがわらの上に流るる如く倒れている。生き残った虫の鳴音なくねが露深いそのかげに糸よりも細く聞えます。
 ああ忘られた夏の形見。この青空この光。どうしてこれが十月。これが秋だと思えましょう。ひざの上なる詩集の頁は風なき風にひるがえってボードレールの悲しい「秋の歌」、
Ah! Laissez-moi,mon front pos※(アキュートアクセント付きE小文字) sur vos genoux,
Go※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字)ter,en regrettant l'※(アキュートアクセント付きE小文字)t※(アキュートアクセント付きE小文字) blanc et torride,
De l'arri※(グレーブアクセント付きE小文字)re saison le rayon jaune et doux!
「ああ、君が膝にわがひたいを押当てて暑くして白き夏の昔を嘆き、やわらかにしてきいろき晩秋の光をあじわわしめよ。」という末節の文字があきらかに読まれます。
 私はなんに限らず、例えば美しく咲く花を見れば、これ散りしぼむ時の哀れさを思わせるために咲いているのではないかと思う。楽しい恋のい心地は別れたあとの悲しみを味わしめるためとしか思われませぬ。秋の日光は明日あした来る冬の悲しさを思知おもいしれとて、かようにうるわしく輝いているのでしょう。私は妙に心もき立って一分一秒も長く、薄れ行く日の光を見たいと思って、その頃は庭のみならず折々は門を出で家の近くをも散歩に出掛けました。あわれ秋の日。故郷の秋の日は如何いかなる景色を私に紹介しましたろう……
    *      *      *      *
 手紙の初めにも申上げたよう私のうちいち監獄署の裏手で御在ございます。五、六年前私が旅立する時分じぶんにはこの辺はく閑静な田舎でした。下町したまちの姉さんたちは躑躅つつじの花の咲く村と説明されて、初めてああそうですかと合点がてんする位でしたが、今ではすっかり場末の新開町しんかいまちになってしまいました。変りのないのは狭い往来を圧して聳立そびえたつ長い監獄署の土手と、その下の貧しい場末の町の生活とです。
 私の門前には先ず見るも汚らしく雨にらされた獄吏の屋敷の板塀が長くつづいて、それから例の恐しい土手はいつも狭い往来中おうらいじゅう日蔭ひかげにして、なおその上にいたちさえもくぐれぬようないばらの垣が鋭いとげを広げています。土手には一ぱいさわれば手足もれ痛む鬼薊おにあざみが茂っています。
 私は以前二百十日の頃には折々立続くこの獄吏の家の板塀が暴風あらし吹倒ふきたおされる。すると往来には近所の樹木の吹折られた枝が無惨に落ち散っているその翌日の朝、きっと円い竹の皮のかさかむえりに番号をつけた柿色かきいろ筒袖つつそでを着、二人ずつ鎖で腰をつながれた懲役人が、制服佩剣はいけんの獄吏に指揮されつつ吹倒された板塀をば引起ひきおこし修繕しているのを見たものです。夏の盛りの折々にはやはり一隊の囚人が土手の悪草を刈っている事もありました。それをば通行の人々が気味悪そうな目付めつきをしながらしかもまた物珍しそうに立止って見ていました。
 土手はやがて左右から奥深く曲り込んで柱の太い黒い渋塗りの門が見えます。その扉はいつでも重そうに堅く閉されていて、細い烟出けむだしが一本ひょろりと立っている低いかわら屋根と、四、五本のせた杉の木立の望まれるほかには、門内には何一つ外から見えるものはない。聞える声もない。私の目には杉の木がかくも淋しく別れ別れに立っているのは、獄舎の庭では夜陰やいんに無情の樹木までがたがいに悪事の計画たくらみささやきはせぬかと疑われるので、くは別々に遠ざけへだてられているのであろうというように見えてなりません。
 高い土手が尽きると、狭い往来は急に迂曲うきょくした坂になり、片側は私の知らぬにいつか金持らしい紳士の新宅になって石垣が高く築かれていますが、その向いの片側は昔から少しも変りのない貸長屋で、り行く坂道に従って長屋は一軒々々箱を並べたようにかさなっています。うしろは一面監獄署の土手にさえぎられているのでこの長屋には日の光のさした事がない。土台はもう腐ってこけが生え、格子戸こうしどの外に昼は並べた雨戸のすそは虫が食って穴をあけている。いつでもそのうちの二、三軒には、つたない文字で貸家ふだの張られていない事はない。内職の札の下っていない事はない。私は以前よくこの長屋の前を通る時、寒い冬の夕方なぞ、薄暗い小窓の破れ障子に、うちなるランプの後毛おくれげを乱した女の帯なぞ締め直している薄い影をば映し出しているのを見た事があります。蒸暑い夏のには、まばらな窓のすだれを越してこういう人たちの家庭の秘密をすっかり一目ひとめ見透みすかしてしまう事がありました。今でも多分変りはあるまい。私は折々この貸長屋の窓下をば監獄署から流し出す懲役人の使った風呂ふろの水が、何ともいえぬ悪臭と気味悪い湯気を立てながら下水のみぞからあふれ出していた事を記憶している。しかし驚くべきはこの辺に住んでいる女房たちで、寒い日にはそれをばしきりと便利がって、腫物できものだらけの赤児あかごを背負い汚い歯を出して無駄口をききながら物を洗っている。また夏中は遠慮もなく臭い水をば往来へいていたものです。
 さて坂を下りつくすと両側に居並ぶ駄菓子屋荒物屋煙草屋たばこや八百屋やおや薪屋まきやなぞいずれも見すぼらしい小売店こうりみせの間に米屋と醤油屋だけは、柱の太い昔風の家構いえがまえが何となく憎々しく見え、ばくとした反抗心を起させます――といってそれは社会主義なぞいう近代的の感想ではない。家構が古い形だけに、児雷也じらいやとか鼠小僧ねずみこぞうとか旧劇で見る義賊のような空想に過ぎない。この辺に不思議なのは二軒ほども古い石屋の店のある事で、近頃になって目について増え出したのは天麩羅てんぷら仕出屋しだしやと魚屋とである。これは日を追うて建て込んで行く貸屋のために界隈かいわいが開けて来た証拠しょうこであろう。青苔の薄気味わるく生えた板の上、油で濁った半台はんだいの水の中に、さまざまの魚類の死骸しがいや切りそいだその肉片、くしざしにした日干しの貝類を並べて、一つ一つに値段を書いた付木つけぎ剥板そぎいたをばその間にさしてあるが、いずれを見ても、一片ひときれ十銭じっせん以上にのぼっているものは甚だ少い。見渡す処、死んだ魚の眼の色は濁りよどみそのうろこは青白くせてしまい、切身きりみの血の色は光沢つやもなくひえ切っているので、店頭の色彩が不快なばかりか如何いかにも貧弱に見えます。西洋の肉売る店の前を過ぎて見るから恐しい真赤まっか生血なまちしたたりにきもを消した私は、全くその反対、この冷い色のさめた魚肉が多数の国民の血を養う唯一の原料であるのかと思うと、一種いわれぬ悲愁を感せずにはおられません。ましてや夕方近くなると、坂下の曲角まがりかど頬冠ほおかむりをしたおやじ露店ろてんを出して魚の骨とはらわたばかりを並べ、さアさアたいわたが安い、鯛の腸が安い、と皺枯声しわがれごえ怒鳴どなる。そのまわりには、おぶった例の女房共が群集して大声に値段を争う。
 大空は砂で白くなったかわら屋根の上に、秋の末の事ですから、夕陽ゆうひの名残が赤いというよりもむしろ不快な褐色にはげしく燃え立っているので、狭い往来の物の影はその反対によるやみよりもなお強く黒く見えます。勤め先からの帰りと覚しい人通りがにわかにしげくなって、その中にはちょっとした風采みなりの紳士もある。馬に乗った軍人もある。人力車じんりきしゃも通る。しかし両側の人家ではまだともしび一つともさぬので、人通りは真黒まっくろな影の動くばかり、その間をば棒片ぼうちぎれなぞ持って悪戯盛いたずらざかりの子供が目まぐるしく遊びまわっている。私は勤帰つとめがえりの洋服姿がどうかすると路傍みちばた腸売わたうりの前に立止り、竹皮包たけのかわづつみを下げて、坂道をば監獄署の裏通りの方へあがって行くのを見ました。それが何というわけもなく、貧しい日本の家庭の晩餐ばんさんの有様を聯想れんそうせしめます……。
 借家の格子戸こうしどがガタガタいって容易にかない。切張きりばりをした鼠色ねずみいろの障子にはまだランプの火も見えない。上框あがりがまち真暗まっくらだ。洋服の先生はかつて磨いた事もないゴム靴を脱捨ぬぎすてて障子を開けて這入はいると、三畳敷の窓の下で、身体からだのきかない老婆ろうばせきをしている。赤児あかごがギャアギャア泣いている。細君は夜になってから初めて驚き、台所の板のかえるの如くしゃがんで、今しも狼狽あわててランプへ油をついでいる最中さいちゅう。夫の帰った物音に引窓からさす夕闇ゆうやみの光に色のない顔を此方こなたに振向け、油気あぶらけせた庇髪ひさしがみ後毛おくれげをぼうぼうさせ、寒くもないのに水鼻みずばなすすって、ぼんやりした声で、お帰んなさい――。
 すると、夫は返事の代りに、今頃ランプの掃除をするのかと、家事の不始末不経済を攻撃する。老母が夜具の中からい出して何かと横口よこぐちを入れる。夫、妻、いずれの方へ味方をしても同じ事、一場の争論に花が咲く。其処そこななツになる子供が喧嘩けんかをしてどぶへ落ちたとやら、衣服きもの溝泥どぶどろだらけにして泣きわめきながら帰って来る。小言がその方へ移る。やっとの事で薄暗いランプの下に、煮豆に、香物こうのものねぎと魚の骨を煮込んだおさいが並べられ、指の跡のついた飯櫃おはちが出る。一閑張いっかんばりの机を取巻いて家族が取交す晩餐の談話というのは、今日の昼過ぎ何処そこの叔父さんが来てこの春の母が病気の薬代くすりだいをどういったとか、実家さとの父が免職になったとか、それから続いて日常の家計談になる。家族の口はまるで飯を食うのと生活難を方針なく嘆き続けるためにしか出来ていない。貧しくとも、貧しからずとも、つまり同じ事でしょう。こういう人たちには純粋な談話の趣味という事は解釈されないのです。言語はすなわち、相談と不平と繰言くりごとと争論と、これよりほかには全く必要がないのです。
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 秋の光をあじわおうと散歩するわが家の門前、監獄署の裏通りはこんな有様でした。なおこの上にも私の心を痛いほどに引締めるのは、時々坂道の真中まんなかで演ぜられる動物虐待の悲劇です。遠路とおみち痩馬やせうまかした荷車が二輛にりょうも三輛も引続いて或時あるときは米俵或時は材木煉瓦れんがなぞ、重い荷物を坂道の頂きなる監獄署の裏門うちへと運び入れる。ところが意地悪く門前の広場は坂から続いて同じような傾斜をなし、湿った柔い地面に車輪が食込んでしまうので、馬はつかれて到底とても一息には曳込む事が出来ない。それをば無理無体に荒くれた馬子供まごども※(「口+它」、第3水準1-14-88)しったの声激しく落ちた棒片ぼうぎれで容捨もなく打ちたたく、馬は激しく手綱たづなを引立てられ、くつわの痛みに堪えられぬらしく、白い歯をみ、たてがみを逆立て、物凄ものすさまじく眼を血走らせて遂にはがっくり砂利の上に前足を折って倒れてしまう事も度々です。狭い坂道は無論この騒ぎで往来止めとなり、通行人の大概は驚くどころか面白半分口をいて見ています。私は今日まで日本の社会に動物虐待の事件が、単に一部の基督教者キリストきょうしゃの間にとどまって、一日半時はんときとても猶予ゆうよすべからざる国民一般の余儀ない問題にならない、この証拠を目撃して悲しみましょうか喜びましょうか。私は唯だ日本人は将来においても確かにう一度ロシヤを征伐する事の出来る戦乱の民であるという感を深くするだけです。御安心なさい。愛国の諸君よ。黄人こうじんの私をして白人の黄禍論こうかろんを信ぜしめる間は、君らはすべからく妻を※(「口+它」、第3水準1-14-88)しったし子をしいた太白たいはくを挙げてしかして帝国万歳を三呼さんこなさい。われらが叫ぶ、新らしき幽愁の詩人が理想の声を心配するには時代がまだ余りに早過ぎましょう。
 私は次第々々に門の外へ出る事をいとい恐れるようになりました。ああ私はやはり縁側の硝子戸ガラスどから、独りしずかに移り行く秋の日光ひかげを眺めていましょう。
 秋は早や暮れて行きます。かの夏かと思う昼過ぎのはげしい日の光はすっかり衰えて、空はどんよりといつでも曇っています。それは丁度広い画室の磨硝子すりガラスの天井でも見るよう。浮雲の引幕ひきまくから屈折して落ちて来る薄明うすあかるい光線は黄昏たそがれの如くやわらかいので、まばゆく照り輝く日の光では見る事あじわう事の出来ない物の陰影かげと物の色彩いろまでが、かえって鮮明に見透みとおされるように思われます。木の葉は何時いつか知らぬ間に散ってしまって、こずえからりあかるく、細い黒い枝が幾条いくすじとなく空の光の中に高く突立つったっている。うしろの黒い常磐木ときわぎの間からは四阿屋あずまやわら屋根と花畠はなばたけに枯れ死した秋草の黄色きばみ際立きわだって見えます。縁先の置石おきいしのかげには黄金色こがねいろの小菊が星のように咲き出しました。その辺からずっと向うまでなんにも植えてない広い庭の土には一面の青苔が夏よりも光沢つやよく天鵞絨ビロウドの敷物を敷いている。二、三匹の鶺鴒せきれいがその上をば長いとがった尾を振りながら苔の花をついばみつつ歩いている。鼠色ねずみいろしたその羽の色と石の上に買いた盆栽のはぜ紅葉こうようとが如何にあざやかに一面の光沢つやある苔の青さに対照するでしょう。
 風は少しもありません。行く秋の曇った午過ひるすぎは物の輪廓を没して、色彩ばかり浮立つ幻覚に唯だどんよりと静まり返っているのです。しかし折々落ち残った木の葉が、忽然こつぜんとして一度にはらはらと落ちます。思い掛けないこの空気の動揺は、さながら怪人の太い吐息をもらすがよう。すると常磐木のしげり、石の間なる菊のくさむらまで、庭中のありとあらゆる草木そうもくの葉は、何とも言えぬ悲愁の響を伝えますが、ぐとまたもとの静寂に立返って、なめらかな苔の上には再び下り来る鶺鴒の羽の色、菊の花、盆栽の紅葉こうよう。ああ、夢の光、行く秋の薄曇り。
 閣下よ。私は昨日からヴェルレーヌが獄中吟『サッジェス』を読んでおります。
おゝ、神よ、神は愛を以てわれを傷付け給へり。そのきず開きていまだえず。
おゝ、神よ、神は愛を以てわれを傷付け給へり。……
 閣下よ。冬の来ぬうち是非一度、おいで下さい。私は淋しい……。
明治四十一年一二月稿





底本:「雨瀟瀟・雪解 他七篇」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年10月16日第1刷発行
   1991(平成3)年8月5日第6刷発行
底本の親本:「荷風小説 二」岩波書店
   1986(昭和61)年6月9日
初出:「早稲田文学」
   1909(明治42)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:入江幹夫
校正:酒井裕二
2018年5月27日作成
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●表記について

「女+武」、U+5A2C    28-13
「虫+爰」、U+876F    28-13


●図書カード