天保十三
壬寅の年の六月も
半を過ぎた。いつもならば江戸
御府内を
湧立ち返らせる
山王大権現の御祭礼さえ今年は諸事御倹約の
御触によってまるで火の消えたように
淋しく済んでしまうと、それなり世間は
一入ひっそり盛夏の炎暑に静まり返った
或日の暮近くである。『
偐紫田舎源氏』の
版元通油町の
地本問屋鶴屋の
主人喜右衛門は先ほどから
汐留の
河岸通に
行燈を
掛ならべた
唯ある
船宿の二階に
柳下亭種員と名乗った
種彦門下の若い
戯作者と二人ぎり、
互に顔を見合わせたまま
団扇も使わず
幾度となく同じような事のみ
繰返していた。
「種員さん、もうやがて
六ツだろうが先生はどうなされた事だろうの。」
「別に
仔細はなかろうとは思いますがそう申せば大分お帰りがお遅いようだ。事によったらお屋敷で
御酒でも召上ってるのでは
御ざいますまいか。」
「何さまこれァ大きにそうかも知れぬ。先生と
遠山様とは
堺町あたりではその昔随分
御昵懇であったとかいう事だから、その
時分のお話にいろいろ花が咲いているのかも知れませぬ。」
「遠山様という
方は思えば不思議な御出世をなすったものさね。ついこの間までは人のいやがる
遊人とまで身を
持崩していなすったのが
暫くの
中に
御本丸の
御勘定方におなりなさるなんて、これまで
御番衆の
方々からいくらも出世をなすった方はあろうけれど遠山様のような話はありますまい。」
「どうかまア遠山さまの御威光で先生の御身の上に別条のないようにしたいもんさ。万一の事でもあろうものなら、手前なんぞは先生とはちがって虫けら同然の
素町人故、事によったら
遠島かまず軽いところで
欠所は
免れまい。」
「もし鶴屋さん、
縁起でもねえ。そんな薄気味の悪い話はきつい禁句だ。そんな事をいいなさると何だかいても立ってもいられないような気がします。ぼんやりここで気ばかり
揉んでいても始まらぬから私はその
辺までちょっと
一ッ
走り御様子を見て
参りましょう。」
種員は
桟留の
一つ
提を腰に下げて席を立ちかけたが、その時女中に案内されて
梯子段を
上って来たのは、
何処ぞ問屋の旦那衆かとも思われるような品の好い四十あまりの男であった。
越後上布の
帷子の上に重ねた
紗の羽織にまで
草書に崩した年の字をば丸く
宝珠の玉のようにした紋をつけているので言わずと
歌川派の浮世絵師
五渡亭国貞とは知られた。鶴屋はびっくりして、
「これはこれは
亀井戸の師匠。どうして手前共がここにいるのを御存じで御ざりました。」
「実は今日さる処まで暑中見舞に出掛けたところ途中でお店の
若衆に行き
逢い
堀田原の先生が
日蔭町のお屋敷へしかじかとのお話を聞き、
私も早速先生の御返事が聞きたさに急いでやって来ましたのさ。時に先生はまだ遠山様のお屋敷からはお帰りがないと見えますな。」
国貞は歩いて来た暑さに
頻と
団扇を使い初める。立ちかけた種員は再び腰なる
煙草入を取出しながら、「五渡亭先生も御存じで御座いましょう。手前と
相弟子の
彼の
笠亭仙果がお供を致しまして御屋敷へ上っておりますから、私は今の
中一走り御様子を見て参ろうかと思っていた処で御座ります。もう
追付お帰りとは存じますが何となく気がかりでなりませぬ。」
「いかにも
不断から師匠思いのお前さん故さぞ御心配の事だろうと
重々お察し申します。
私なぞは申さば柳亭翁とは一身同体。今日
此頃では五渡亭国貞といえば世間へも少しは顔の売れた浮世絵師。それというも実を申せば『田舎源氏』の絵をかき出してからの事ゆえ、万が一お
咎めの筋でもあるようなら
私は
所詮逃れぬ処だと、とうから覚悟はきめていますが、お
互にどうかまアそんな事にはなりたくないもの。」と国貞は声を沈まして、忘れもせぬ文化三年の春の
頃、その師
歌川豊国が『
絵本太閤記』の挿絵の事よりして
喜多川歌麿と同じく
入牢に及ぼうとした当時の恐しいはなしをし出した。すると鶴屋の
主人もついついその話につり込まれて六、七年前に
大酒で身を
損ねた先代の
親爺から度々聞かされた話だといって、これは
寛政御改革のみぎり
山東庵京伝が
黄表紙御法度の
御触を破ったため五十日の
手鎖、版元
蔦屋は
身代半減という
憂目を見た事なぞ、やがて
談話はそれからそれへと移って遂には
英一蝶が
八丈島へ流された元禄の昔にまで
溯ってしまったが、これは五渡亭国貞が
先頃から英一蝶に私淑してその号まで
香蝶楼と呼んでいたがためであった。折から耳元近く
轟々と響きだす
増上寺の鐘の声。門人種員はいよいよ種彦の様子を見に行こうと立上り大分山の痛んでいるらしい帯の
結目を
後手に引締めながら
簾を
下した二階の
欄干から先ず外を眺めた。日の長い盛りの六月の事とて空はまだ昼間のままに明るく青々と晴渡っていた。いつもならば
向河岸の屋根を越して
森田座の
幟が見えるのであるが、時節がらとて船宿の
桟橋には屋根船空しく
繋がれ芝居茶屋の二階には
三味線の
音も絶えて
彼方なる
御浜御殿の森に群れ騒ぐ
烏の声が耳立つばかりである。夕日は丁度
汐留橋の
半ほどから堀割を越して
中津侯のお長屋の壁一面に
烈しく照り渡っていたが、しかし夕方の涼風は見えざる海の方から、狭い堀割へと渦巻くように差込んで来る
上汐の流れに乗じて、或時は道の砂をも吹上げはせぬかと思うほどつよく欄干の簾を
動し始める。
国貞と鶴屋の
主人は共々に風通しのいいこの欄干の方へとその席を移しかけた時、外を見ていた種員が突然
飛上って、「皆さん、先生がお帰りで御座ります。」
「なに先生がお帰り。」
いう
間もおそし、一同はわれ遅れじと梯子段を
駈け下りて店先まで走り出ると、
差翳す
半開きの
扇子に夕日をよけつつ
静に船宿の店障子へと歩み寄る一人の
侍。これぞ当時流行の
草双紙『田舎源氏』の作者として誰知らぬものなき
柳亭種彦翁であった。
細身造りの大小、羽織
袴の盛装に、意気な
何時もの着流しよりもぐっと
丈の高く見える
痩立の
身体は
危いまでに前の方に
屈まっていた。早や
真白になった
鬢の毛と共に
細面の長い顔には
傷しいまで深い
皺がきざまれていたけれど、しかし日頃の
綺麗好に身じまいを怠らぬ皮膚の色はいかにも
滑かにつやつやして、
生来の美しい目鼻立の
何処やらにはさすがに若い頃の
美貌のほども
窺い知られるのであった。
種彦は
今日しも老体の身に六月
大暑の日中をもいとわず、
予てより
御目通りを願って置いた
芝日蔭町なる
遠山左衛門尉様の御屋敷へと人知れず
罷り越したのである。
仔細というは
外でもない。
去頃より
御老中水野越前守様寛政御改革の御趣意をそのままに天下
奢侈の悪弊を
矯正すべき有難き
思召により
遍く江戸町々へ
御触があってから、
已に
葺屋町堺町の両芝居は
浅草山の
宿の
辺鄙へとお取払いになり、また役者
市川海老蔵は身分不相応の
贅沢を
極めたる
廉によってこの春より御吟味になった。それやこれやの事から世間では誰いうともなく
好色本草双紙類の作者の中でもとりわけ『偐紫田舎源氏』の作者柳亭種彦は
光源氏の昔に
譬えて
畏多くも大御所様大奥の秘事を
漏したにより必ず厳しい
御咎になるであろうとの
噂が
頗る
喧しいのであった。種彦はわが身の上は
勿論もしやそのために罪もない絵師や版元にまで
禍を及ぼしてはと
一方ならず心配して、こうなるからは誰ぞ
公辺の
知人を頼り
内々事情を聞くに
如くはないと
兼て
芝居町なぞでは
殊の
外懇意にした
遠山金四郎という旗本の
放蕩児が、いつか家督をついで
左衛門尉景元と名乗り、今では御本丸へ出仕するような身分になっているのを幸い、是非にもと
縋付いて
極内々に面会を請うた次第であった。
「先生、早速で御座いますが御屋敷の御首尾はいかがで御座りました。」
一同は
一先種彦を二階へ案内するや否や、茶を持運ぶ女中の立去るをおそしと、左右から不安な顔を
差伸ばすのであった。種彦は脇差を傍に扇を使いながら少し身をくつろがせ、
「いや、もうさして御心配なさるにも及ぶまい。遠山殿の仰せには
町方の事とは少々
御役向が違う
故、あの
方の
御一存では
慥とした事は申されぬが、何につけお
上においては
御仁恵が第一。それにとりわけこの
度の御趣意と申すは上下
挙って諸事御倹約を心掛けいという
思召故、それぞれ家業に精を出し
贅沢なことさえ致さずば、さして厳しい
御詮議にも及ぶまいとの
仰せ。それだによってこの際はお互によく気をつけ精々間違のないように慎んでおるがよかろう……。」
「さようで御ざりましたか。それでは別に差当って
御叱を
蒙るような事はなかろうと
仰有るんで御座いますな。いや、先生、その御言葉を聞きまして手前はもう生き返ったような心持になりました。」
版元鶴屋は
襟元の汗をばそっと
手拭で押拭うと、国貞も覚えずほっと大きな
吐息を漏して、
「手前も御同様、やっとこれで
安堵致しました。何事によらず根もない世上の噂というやつほどいまいましいものは御座りません。
初手からこうと知っていればこんなに
痩せるほど心配は致しません。」
「全く亀井戸の師匠の仰有る通りさ。手前なんざアそれがためあれからというものは夜もおちおち
睡眠りません。」と鶴屋の
主人は全く生返ったように元気づき、「先生、それではもうそろそろお船の方へお移りを願いましょうか。お帰りは丁度
夕涼の刻限かと存じまして先ほど
木挽町の
酔月へつまらぬものを命じて置きました。」
「それはそれは。いつもながら鶴屋さんの
御心遣には恐縮千万。」
「お言葉ではかえって痛み入ります。実はまだいろいろと御話を承りたいことが御座ります。丁度今日は亀井戸の師匠もおいでで御座りますし、さしずめ唯今
板木に取りかかっております『田舎源氏』の三十九篇、あれはいかが致したもので御座りましょうか、いずれ船中で御ゆるり御相談致したいと存じております。」
一同は種彦を先に
桟橋につないだ屋根船に乗込んだ。
背中一面に一人は
菊慈童、一人は
般若の面の
刺青をした船頭が
纜を解くと共にとんと
一突桟橋から
舳を突放すと、一同を乗せた屋根船は丁度今が
盛の
上汐に送られ、滑るがように心持よく
三十間堀の堀割をつたわって、夕風の空高く竹問屋の青竹の
聳立っている
竹河岸を左手に眺め
真直な
八丁堀の
川筋をば
永代さして進んで行った。
夏の日は
已に沈んで、空一面の夕焼は堀割の
両岸に立並んだ土蔵の白壁をも一様に薄赤く染めなしていると、その
倒なる家の影は更に美しく満潮の
澄渡った川水の中に漂い動いている。
幾個と知れぬ
町中の橋々には
夕涼の人の
団扇と共に
浴衣一枚の軽い女の
裾が、上汐のために
殊更水面の高くなった橋の下を
潜行く舟の中から見上る時、
一入心憎く川風に
飜っているのである。
一同は
種彦の語った最前の話に百年の憂苦を
一朝にして忘れ得た思い。
酔月から取寄せた料理の
重詰を開き川水に
杯を洗いながら、
頻に絶景々々と叫んでいたが、
肝腎な種彦一人は
大暑の日中を歩みつづけた老体につかれを覚えた
故か、何となく言葉少く、
片肱を
舷に背を
胴の
間の横木に寄せかけたまま、
簾越しに
唯ぼんやり遠い川筋の景色にのみ目を移していた。
しかし船中の一人がふと種彦の様子を怪しんで、
何処ぞ御気分でもと気を
揉むものがあれば、種彦は
忽ちわざとらしいまでに元気よく、杯を見事に
呑干して、「いや、どうも年ばかりは取りたくないものさ。少し
遠路でもいたすと
直ぐにこの通りの始末で御座る。」といつもに変らぬ軽い調子で、「しかしまアわれらお
互の身に取って今日ほど目出たい日はあるまいて。鶴屋さんが折角のお
饗応だ。
種員も
仙果も遠慮なく
頂戴致すがよいぞ。」といいながら、しかしどういう
訳か一同の如く心の底から陶然と
酔を催す様子は更に見えなかった。
種彦は先刻から
遠山左衛門尉が事をばいかほど思うまいと
力めて見てもどうしても思返さずにはいられなかったのである。顧れば十幾年
前芝居町なぞで
能く見た折の金四郎と
今日の左衛門尉とを思い比べると実に不思議な心持になる。遠山は辞を低うしてその
邸に
伺候した種彦をば喜び迎え、昔に変らぬ
剰談ばなしの中にそれとつかず泰平の世は既に過ぎ恐しい黒船は
蝦夷松前あたりを騒がしている折から、世は上下とも積年の余弊に苦しみつかれている様を見ては、われ
人共に
公禄を
食むもの及ばずながらそれぞれ
一廉の忠義を
尽さねばなるまいと、
衷心から
湧起る
武士の赤誠を
仄見せて語ったその態度その
風采。種彦はどういう
機会かわが身の
今日と彼れ遠山の今日とを思比べて、当世の旗本
風情にもまだまだあんな立派な考えを持っているものがあるのか知らと思うと、そもそも我から意識して
戯作者となりすました現在の身の上がいかにも不安にまた何とも知れず気恥しいような気がしてならなくなった。しかしいかほど深い感慨に沈められても種彦は今更それをば
船中のものに向って語り聞かせる
訳には行かぬ。よし話すにしてもこの場合思うように打明けて語り得られるものではない。さされた
酒杯をばさされるままに呑み干しては返し、話掛けられる話を、心もよそに
唯受答えをするばかり。船はいつしか狭い堀割の間から
御船手屋敷の石垣下を
廻ってひろびろとした
佃の
河口へ出た。
一同は既に十分の
酔心地。覚えず声を
揃えてまたもや絶景々々と叫ぶ。夕焼の空は次第に薄らぎ
鉄砲洲の
岸辺に
碇を下した親船の林なす帆柱の上にはちらちらと星が
泛び出した。
佃島では例年の通り
狼烟の
稽古の始まる頃とて、夕涼かたがたそれをば見物に出掛ける屋根船
猪牙舟は秋の
木葉の散る如く
河面に漂っていると、夕風と夕汐のこの刻限を計って
千石積の大船はまた
幾艘となく沖の方から波を
蹴ってこの港口へと進んで来る。その大きな高い白帆のかげに折々眺望を
遮られる
深川の岸辺には、思切って海の方へ
突出して建てた
大新地小新地の楼閣に早くも
燦き
初める
燈火の光と湧起る
絃歌の声。すると
櫛の歯のように
並連ったそれらの
桟橋へと
二梃艪いそがしく
輻湊する屋根船猪牙舟からは風の工合で、どうかすると手に取るように
藤八拳を打つ声が聞えて来る。
国貞は近頃一枚絵にと描いてやった深川の美女が
噂をしはじめると鶴屋の
主人はまた
彼の地を材料にした
為永春水が近作の
売行を評判する。その
間もあらず一同を載せた屋根船は殊更に流れの強い河口の
潮に送られて、
夕靄の
中に
横る
永代橋を
潜るが早いか、
三股は
高尾稲荷の鳥居を
彼方に見捨て、
暁方の雲の帯なくかなかずの
時鳥と、
蜀山人が
吟咏の
めりやすにそぞろ
天明の昔をしのばせる
仮宅の
繁昌も、今は
唯だ
蘆のみ茂る
中洲を過ぎ、気味悪く人を呼ぶ
船饅頭の声を
塒定めぬ
水禽の
鳴音かと怪しみつつ
新大橋をも
後にすると、さて一同の目の前には天下の浮世絵師が幾人よって
幾度丹青を
凝しても到底描き
尽されぬ
両国橋の夜の景色が現われ
出るのであった。
去年に比べると今年は御倹約の
御触が出てから間もないためか、
川一丸とか
吉野丸とかいう
提灯を下げ
連ねた大きな大きな屋形船に美女と美酒とを満載して、吹けよ河風上れよ
簾の
三下りに
呑めや
唄えの豪遊を競うものは
稀であったが、その代り
小舷に
繻子の
空解も締めぬが無理かと簾
下した
低唱浅酌の
小舟はかえっていつにも増して多いように思われた。両国橋の橋間は
勿論料理屋の立並ぶあたり一帯の
河面はさすがの
大河も
込合う舟に
蔽尽され、流るる水は
舷から
玉臂を伸べて杯を洗う美人の酒に
湧いて同じく酒となるかと疑われる。
鶴屋の
主人は「先生。」とよびかけて、「いつ見ましても
御府内の御繁昌は豪勢なもので御座いますな。いかがで御座いましょう。どこぞその辺の桟橋へ着けまして二、三人
綺麗なところを呼寄せ久ぶりで先生の美音を拝聴いたしたいもので御座ります。」
「これはとんでもない。こう年を取っては
色気よりも
喰気と申したいが、この頃ではその喰気さえとんと衰え、いやはや、もうお話にはなりませぬ。折角の
御酒も御覧の通り二、三杯いただくと唯うとうとと眠気を催すばかりさ。さすが
蜀山先生はうまい事を書いていますよ。
先達さる人から『
奴師労之』と申す随筆を借りて見ましたがな……。」と種彦は先ほどから
舷に
肱をつき船のゆれるがままに全く居眠りでもしていたらしく、やや
坐住居を直して、今更のように
四辺の
賑いを
打見遣りながら、どうかすると、
摺交う舟の唄または岸の上なる見世物小屋の騒ぎにも打消されるほどな
静な声で、蜀山人が随筆『奴師労之』の終りに、老病ほど見たくでもなくいまいましきものはなし……酒のみても腹ふくるるのみにて
微醺に至らず物事にうみ退屈し面白からず。
声色の楽みもなくただ寝るをもて楽みとす。奇書も見るにたらず珍事もきくにあきぬ。若き時酒のみてとろとろ眠りし心地と
狎れたる
妓のもとに通いし
楽は世をへだてたるごとくなりきと書いた文章の事をしみじみと語り出して、その終に添えた狂歌一首、「ながらへば
寅卯辰巳やしのばれん、うしとみし年今はこひしき。」それをばあたかも我が身の上を
咏じたもののように
幾度か
繰返して聞かせるのであった。屋根船はその間にいつか両国の
賑を
漕ぎ過ぎて
川面のやや薄暗い
御蔵の
水門外に
差掛っていたのである。燈火の光に代って
蒼々とした夏の夜の空には
半輪の月。
行手の岸には墨絵の如く
にじんだ
首尾の松。国貞は
猪口を手にしたまま、
「
唐崎の松は花よりおぼろにて。」と感に堪えたる如く
呟いた。
「
御府内には随分名高い松の木があるようで御座いますがやはりあの首尾の松に
留めを刺しますかな。」と答えたのは
鶴屋喜右衛門である。
「さよう、
小名木川の五本松は
芭蕉翁が川上とこの川しもや月の友、と吟じられたほどの絶景ゆえ
先ず
兄たりがたく
弟たりがたき
名木でしょう。それから
根岸の
御行の松、
亀井戸の
御腰掛の松、
麻布には一本松、
八景坂にも
鎧掛の松とか申すのがありました。」と国貞は鶴屋の
主人と
差向って
頻に杯を
取交していた時、行き
交う
一艘の屋根船の中から、
「月あかり見ればおぼろの舟の
内、あだな
二上り
爪弾きに忍び
逢うたる首尾の松。」と
心悪いばかり、目前の実景をそのまま中音の美声に謡い過ぎるものがあった。
先ほどから
舳へ出て、やや呑み過ごした
酔心地を
得もいわれぬ川風に吹払わせていた二人の門人
種員と
仙果は覚えず
羨望の
眼を見張って、過ぎ行く舟の
奥床しくも
垂込めた簾の内をば
窺見ようと首を
伸したが、かの屋根船は早くも遠く川下の方へと流れて行ってしまった。しかしいよいよ首尾の松が水の上にと長くその枝を
伸しているあたりまで来ると、
川面の薄暗さを
幸に
彼方にも
此方にも流れのままに
漂してある屋根船の数々、その間をば一同を載せた舟が
小舷に
漣を立てつつ
通抜けて行く時、中にはあわてふためいて障子の
隙間をば
閉切るものさえあった。どの船からという事もなく幽暗なる
半月の光に漂い聞ゆる男女が
私語の声は、折々
向河岸なる
椎の木屋敷の
塀外から
幽かに
夜駕籠の掛声を吹送って来る川風に得もいわれぬ
匂袋の
香を伴わせ、また
途切がちな
爪弾の
小唄は見えざる
河心の
水底深くざぶりと打込む夜網の音に
遮られると、厳重な
御蔵の構内に響き渡る夜廻りの拍子木が夏とはいいながら
夜も早や
初更に近い露の冷さに、何とも知れず人肌恋しき秋の夜の風情を覚えさせるのであった。
余りに
艶しい辺りの情景に、若い門人たちは
自ら誘い出される
淫蕩な空想にもつかれ果てたのか、今は唯
遣瀬なげに腕を組んで
首を垂れてしまった。国貞が鶴屋の
主人を相手に傾ける酒も早や尽きたらしい。
御厩河岸の
渡を越して
彼方に
横わる
大川橋の橋間からは、遠い
水上に散乱する
夜釣の船の
篝火さえ数えられるほどになると、並木の茶屋の
賑と町を歩く
新内の流しが聞えて
駒形堂の白い壁が月の光に
蒼く見え出した。
一同は
禁殺碑の立っている
御堂の裏手から岸に
上った。
国貞は
爰から大川橋へ廻って
亀井戸の
住居まで
駕籠を雇い、また鶴屋は
両国橋まで船を
漕ぎ戻して
通油町の店へ帰る事にした。種彦は遠くもあらぬ
堀田原の住居まで、是非にもお供せねばという門人たちの
深切をも無理に断り、
夜涼の茶屋々々
賑う並木の
大通を
横断って、唯一人薄暗い
町家つづきの小道をば
三島門前の
方へとぼとぼ老体の
歩を運ばせたのである。
種彦は先ほどから是非にも人を遠ざけ唯一人になって深く
己が身の上を考えて見ねばならぬ。この年までいわば何の気もなく暮して来たその長い生涯を回顧して見べき必要に
迫められていたのであった。昔は自分なぞよりはもう一層
性の悪い
無頼漢のようにも思っていた
遠山金四郎が今は公儀の重い
御役を勤め真実世の有様を嘆き憂いているかと思えば、種彦は
床の
間に先祖の
鎧を飾った遠山が書院に対座して話をしている
間から
何時となく苦しいような切ないような気恥しいような何ともいえない心持になったのである。一体どうしてそういう妙な心持になったのであろう。まずその
原因から考えて見なければならない。武士の家に生れたその身は子供の時から耳に
胼胝のできるほどいい聞かされた武士の心得武士の道。しかしそんなものはこの
歳月唯「お
軽勘平」のような狂言
戯作の
筋立にのみ必要なものとしていたのではないか。それが今どうして突然意外にも不思議にも心を騒がし始めたのであろう。思返えせば
二十歳の頃ふと芝居
帰の
或夜野暮な屋敷の大小の重きを覚え、御奉公の束縛なき
下民の気楽を
羨みいつとしもなく身をその
群に投じてここに早くも幾十年。今日しも遠山の屋敷の玄関に音ずれるその日までは夢にさえ見ることを忘れていた武家の
住居――寒気なほどにも質素に悲しきまでも
淋しい
中にいうにいわれぬ
森厳な気を
漲らした玄関先から座敷の有様。またその道すがら横手
遥に
幸橋の
見附を眺めやった
御郭外の偉大なる夕暮の光景が、突然の珍らしさにふと少年時代の良心の
残骸を
呼覚したというより
外はあるまい。
しかし種彦は
今更にどうとも仕様のないこの
煩悶をば
強いても狂歌や
川柳のように茶化してしまおうと思いながら、歩いて行く町のところどころに
床几を出した
麦湯の
姐さんたちの
厭らしい風俗。それに戯れる若者の様子を目撃しては、以前のようにこれも
彼の
式亭三馬が筆のすさみのそのままだと笑ってばかりはいられないような気になるのであった。我が家に近い
桃林寺の裏手では酒買いに行く小坊主の大胆に驚き、
大岡殿の塀外の暗さには
夜鷹に
挑む
仲間の
群に思わずも眼を
外向けつつ、種彦は
漸くその
家の
門にたどりついた。
直様家内のものをも遠ざけ、
書ものをするからとて、二階の
一間に閉じ
籠ったが、見廻せば八畳の座敷狭しと置並べた本箱の中の
書籍は
勿論、
床の飾物から
屏風の絵に至るまで、
凡て
偐紫楼と自ら題したこの
住居のありさまは、自分が生れた質素な
下谷御徒町の
組屋敷に比べてそも何といおうか。身に帯びるそれも
極く軽い
細身の大小より
外には物の役に立つべき武器とては一ツもなく、日頃身に代えてもと秘蔵するのは古今の
淫書、
稗史、小説、過ぎし世の婦女子の
玩具にあらずんば
傾城遊女が手道具の
類ばかり。ああ思えば唯うらうらと晴渡る春の日のような文化文政の泰平に
沈湎して天下の事は更なり、わが髪の白くなるのも打忘れ世にいう
悪所場をわが
家の如く今日は
吉原明日は芝居と身の上知らず遊び歩いていたその頃には、どういう
訳か人の道を忘れた
放蕩惰弱なものの
厭しい身の末が
入相の鐘に散る花かとばかり美しく思われて、われとても
何時か一度は無常の風にさそわれるものならば、今もなお
箕輪心中と世に歌われる
藤枝外記、また
歌比丘尼と
相対死の浮名を流した某家の
侍のように、せめて
刹那の
麗しい夢に身を
果してしまった方がと、
折節に聞く
浄瑠璃の
一節にも
人事ならぬ暗涙を催す事が度々であった。日ごとに
剃る
月代もまだその頃には青々として美しく、すらりとして
丈高く、長い
頤に癖のある
細面の優しさは、時の名優
坂東三津五郎を
生写しと
到る処の茶屋々々にいい
囃されるが何よりも嬉しく、わが名をさえも
三彦と書き、いつかは
老の
寝覚にも忘れがたない思出の夢を
辿って年ごとに書綴りては出す
戯作のかずかず。心なき世上の若者
淫奔なる娘の心を
誘い、なおそれにても飽き足らず、是非にも弟子にと頼まれる勘当の息子たちからは師匠と仰がれ世を毒する
艶しい文章の講釈。遊里戯場の益もない
故実の
詮議。今更にそれを
悔んだとて何としよう。自分を育てた時代の空気は余りに
軟く余りに他愛がなさ過ぎたのだ。近頃日光の
御山が
頻に荒出して、
何処やらの天領では
蛍や
蛙の
合戦に
不吉の
兆が見えたとやら。果せるかな恐ろしい異人の黒船は津々浦々を
脅かすと聞くけれど、ああこの身は今更に何としようもないではないか……。
種彦は書きかけた『田舎源氏』続篇の草稿の上に
片肱をついたまま唯
茫然として天井を仰ぐばかりである。物優しい
跫音が
梯子段に聞えた。そして
葭簀越しにも軽く
匂わせる
仙女香の
薫と共に、髪は
下り
髱の
糸巻くずし、
銀胸の
黄楊の
櫛をさし、
団十郎縞の中に
丁子車を入れた
中形の
浴衣も涼しげに、
小柳の
縞の帯しどけなく
引掛にしめた女の姿、年の頃はまだ
二十ばかりと思われた。
「お
園か。」とやさしく種彦は机の上に肱をついたまま
此方を顧み、「おッつけもう
子刻だろうに
階下ではまだ寝ぬのかえ。」
「はい。ただ今
御新造様ももうお休みになるからと表の戸閉りをなすっていらっしゃいます。」と女は
漆塗の
蓋をした大きな
湯呑と
象牙の
箸を添えた菓子皿とを種彦の身近に
薦めて、
前挿の
簪の
落掛るのをさし直しながら、「お
煙草盆のお火はよろしゅう御ざりますか。」
「いや結構だ。何や
彼やとよく気をつけてくれるから
家のものも大助りだ。お園やお前さんも一ツ
摘みなさい。
廓にいて
贅沢をした
御前方には珍しくもあるまいが、この頃は諸事御倹約の世の中、衣類から
食物まで無益な手数をかけたものは
一切御禁止というきびしいお
触だから、この
都鳥の
落雁も当分は
食納になるかも知れぬ。今の
中遠慮なく食べて置くがよいぞ。」
「はい。ありがとう御座ります。先ほど
階下で御新造様から沢山
頂戴いたしました。時に旦那さま、そう申せばこの頃は何とやら大層世間が騒々しいそうで御座りますが、
此方様に私見たようなものがおりまして
万一の事でもありましたらと、それがもう心配でなりません。」
「何さ、その事ならちっとも気を揉むには当らぬ。お前の事は
初手からいわば私が
酔興でこうして
隠って上げているの故、余計な
気兼をせずと安心していなさるがいい。」と種彦は取上げる銀のべの
長煙管に
烟を吹きつつしみじみとお園の様子を打眺め、「それにもうその
風俗なら誰が見ようと大丈夫だわ。中形の浴衣に
糸巻崩し
昼夜帯の
引掛という様子なり物言いなり
仲町の
妓と思う人はあるかも知れぬが、ついぞこの間まで
廓にいなすった
華魁衆とはどうしてどうして気がつくものか。」
「ほんにそうだと、どんなに嬉しいか知れません。どうか一日も早く
堅気になりたいものと一生懸命に気をつけているのでありますが、どうかいたすとつい口の先へそうざますのありんすのと、思わず里の
訛が出そうになりまして、御新造様とお話をしていましてもそれはそれはもう心配でなりません。」
「大きにそうであろう。まア何にしても当分は世を忍ぶ
身体。すっかり先方の話がまとまるまでは大事の上にも大事を取るに越した事はない。もう
暫くの
辛抱だによって
滅多に外なぞへは出なさらぬがいいぜ。」
「はい。それはもう
能くわかっております。」と辞儀をしながらお園はなお何やら
傍にいて尽きせぬ身の上の話でもしたいような様子であったが、言葉を絶やすと共にそのまま腕を組む種彦の様子に、女は所在なげにその
後姿もしょんぼりと再び静かな
跫音を
梯子段の下に消してしまった。
家中はそれなり
寂として物音を絶やした。今までは折々門外の
小路に聞えた
夜遊の人の
鼻唄、遠くの町を流して行く
新内の
連弾、
枝豆白玉の呼声なぞ、いつ
深けるとも知らぬ町の夜の物音は
忽ち
彼方此方に鳴り出す夜廻りの拍子木に打消される折から、
浅草寺の
巨鐘の声はいかにも
厳かにまたいかにも
穏に寝静まる大江戸の夜の空から空へと響き渡るのであった。すると毎夜
種油の
費を惜しまず、
三筋も四筋も
燈心を投入れた
偐紫楼の
円行燈は、今こそといわぬばかり独りこの
戯作者の
庵をわが物顔に、その光はいよいよ鮮かにその影はいよいよ涼しく、
唐机の上なる
書掛の草稿と多年
主人が
愛翫の文房具とを照し出す。
孟宗の根竹に梅花を彫った
筆筒の中に乱れさす長い
孔雀の尾は
行燈の
火影に
金光燦爛として眼を射るばかり。長崎渡りの
七宝焼の
水入は
焼付の絵模様に遠洋未知の国の不思議を思わせ、
赤銅色絵の
文鎮は
象嵌細工の
繊巧を誇れば、
傍なる
茄子形の
硯石は
紫檀の
蓋の
面に刻んだ主人が自作の狂歌、
名人になれ/\茄子と思へども
とにかく下手は放れざりけり
という
走書の文字までをありありと読ませるのであった。
種彦は
忽ち今までの恐怖と
煩悶に引替えていかなる危険を
冒しても、この
年月精魂を
籠めて書きつづけて来た長い長い物語を、今夜の
中にも一気に完成させてしまわなければならぬような心持になるのであった。思返すまでもなく、それは実に
寛政の末つ
頃、ふと
己れがまだ
西丸の
御小姓を勤めていた頃の若い美しい世界の思出されるまま、その華やかな記憶の夢を物語に作りなして
以来、年ごとに売出す
合巻の絵草紙の数も
重って
天保の今日に至るまで早くも十幾年という月日を
閲した。その
間というものは年ごとに咲く花は年ごとに散って行っても、また年ごとに
鬢の毛の白さは年ごとに刻まれる
額の
皺と共に
増って行っても、この偐紫楼の
深更を照す円行燈のみは十年一日の如くに夜としいえば、必ず今見る通りの優しい
艶しい光をわが机の上に投掛けてくれたのである。種彦は半ば
呑掛けた
湯呑を下に置くと共に
墨摺る暇ももどかし
気に筆を
把ったがやがて
小半時もたたぬ
中に忽ち
長大息を
漏してそのまま筆を投捨ててしまった。そして恐るる如くに机から身を遠ざけ、どっさりと
床の柱に背を投掛け眼をつぶり手を
拱いたかと思うと、またもや未練らしく首を
延して、
此方からしげしげと机の上なる草稿を眺めやるのであった。
突然庭の
彼方に当って風の音とも思われぬ怪しい物音がした。種彦は
慄然としてわが影にさえ恐れを抱く
野犬のように耳を
聳てたが、すると物音はそれなり聞えず二階の夜は以前の通り柔かな円行燈の光ばかり。けれども種彦が再び草稿の上に眼を注ごうとした時今度は何者か
窃に
忍寄るような
跫音が聞えたので、いよいよ顔の色を失うと共に行燈の火を吹消すが早いか、種彦は一刀を手にして二階の丸窓をば音せぬように押開き庭の
方を見下した。半月が斜めに悲し
気に丁度
隣家の屋根の上に
懸っている。晴れた空には早や秋の気が十分に
満渡っているせいか銀河を始め
諸有る星の光は落ちかかる
半輪の月よりもかえって
明く、
石燈籠の火の消残る
小庭のすみずみまで
隈なく照しているように思われた。犬の
吠える声もない。怪し気な人影なぞは更に見当ろうはずもない。手入を怠らぬ庭の樹木と共に
飛石の上に置いた盆栽の植木は涼しい夏の夜の露をばいかにも心地よげに吸っているらしく
穏かなその影をば滑らかな
苔と土の上に
横えていた。軒の
風鈴をさえ定かには鳴らし得ぬ
微風――河に近い下町の人家の屋根を越して唯
緩く大きく流動している夜気のそよぎは、窓から首を
差延す種彦が
鬢の毛を何ともいえぬほど
爽かに軽く吹きなびかせる。種彦はわが身の安危をも一時に忘れ果てたように、
暫は唯
茫然とこの
得もいわれぬ夜の気に打たれていたが、する
中、
忽然わが家の縁先から、こは
如何に、そっと庭の方へと
降立つ幽霊のような白い物の影。
再び刀を
杖に
半身を屋根の方へ突出してよくよく見れば、消えようとして更に
明く
頻と
瞬きする石燈籠の
火影にそれは誰あろう、先ほど湯呑に都鳥の菓子を持添えて来たかのお園ではないか。
仔細あって我家にかくまうそれまでは
新吉原佐野槌屋の抱え
喜蝶と名乗ったその女である。おろおろしつつも庭の
柴折戸に
進寄り音せぬように
掻金をはずすと、
自ら開く扉の間から物腰のやさし気な男が一人
手拭に顔をかくし
這わぬばかりに身をかがめて忍び入った。二人は
少時立ちすくんだまま
互に姿さえ恐るる如く息を
凝して見合っていたが、やにわに双方から倒れかかるように
寄添いざま、ひしと
抱合って、そのまま女は男の胸に、男は女の肩の上に顔を押当て
唯ただ声を
呑んで泣沈んだらしい様子である。
種彦は最初一目見るが早いか、
忍入った
彼の男というはほど遠からぬ
鳥越に立派な店を構えた紙問屋の若旦那で、一時
己れの弟子となった処から
柳絮という俳号をも与えたものである事を知っていた。若旦那柳絮はいつぞや
仲の
町の茶屋に開かれた
河東節のお
浚いから
病付きとなって、三日に上げぬ
廓通いの末はお
極りの
勘当となり、女の仕送りを受けて、
小梅の里の
知人の家にその日を送っている始末。もしやこのまま打捨てて置いたなら心中もしかねまいと、種彦は
知己の多い廓の事とて適当の人を頼んで
身請や何かの事は
追ての相談に、
一先ず女をわが
家に引取り男の方へは親許の勘当ゆりるまで少しの間辛抱して身をつつしむようにといい含めて置いたのである。
然るをやっと半月たつかたたぬに若い二人はもう辛抱がしきれずに、いつ
諜し合したものか
互に時刻を計って
忍逢おうという。誠に
怪しからぬ事だと種彦は心の
中に憤ろうと思いながら、自分にも
幾度か覚えのある若い昔を思い返せば、何も
彼も無理はない事と訳もなく同情してしまわなければならぬ。それと共にいかに恋ゆえとはいいながらかほどまで義理も身も打捨てて構わぬ若い盛りの無分別ほど
羨ましいものはないと思うのであった。ああ、あの無分別の半分ほどもあるならば自分は徳川の世の末がいかになり行こうと、あるいは自分の身がいかに処罰されようと、そんな事には
頓着せず、自分の書きたいと思うところをどしどし心の行くままに書く事ができたであろう。悲しむべきは何につけても勇気の
失せ行く老境である。
通り過ぎる村雲がいつの間にか月を隠してしまった。すると最前から
瞬きしていた
石燈籠の火も心あり
気にはたと消えるを幸い、二人の男女は庭の垣根に身を
摺寄せて互の顔さえ見分けぬほどな
闇の夜をかえって心安しと、
積る思いのありたけを語り
尽そうと
急れば、
一時鳴く
音を
止めた虫さえも今は二人が
睦言を外へは
漏さじと
庇うがように庭一面に鳴きしきる。やがて男は名残惜し気に
幾度か
躊躇いつつも漸くに気を取直し地に落ちた手拭に再び顔をかくして立上ると、女も同じく落ちたる
櫛に
心付ながら乱れた姿を恥らう色もなく
少時寄添い、やがて男が出て行く庭木戸を閉めた
後までもなかなかその場を立ち去りかねた様子であった。
翌日の朝種彦は独り
下座敷なる竹の
濡縁に出て顔を洗い食事を済ました
後さえ何を考えるともなく折々
毛抜で
頤鬚を抜きながら、
昨夜若い男女の忍び
逢ったあたりの
庭面に
茫然眼を移していた。折から、「おや先生もうお
目覚でいらッしゃいますか。」
「大層お早いじゃ御座いませんか。」といいながら
愛雀軒という
扁額を掛けた庭の
柴折戸を遠慮なく明けて入って来たのは
柳下亭種員に
笠亭仙果と呼ぶ
両人の門弟である。全くいつもより朝はまだよほど早かったらしい。二人が押開く柴折戸の
裾に触れて
垣際に茂った
小笹の葉末から
昨夜のままなる露の玉が、
斜にさし込む朝日の光にきらきらと輝きながら
苔の上にこぼれ落ちた。種彦は機嫌よく、
「
朝起は
老人のくせさ。お前たちこそ今日は珍らしく早起をしたもんだな。それとも
昨夜の幕の引っ返しという図かね。」
「てっきり恐縮と申上げたい処ですが近頃はどう致しまして。どこもかしこも火の消えたようでいや早や情ない位で御座います。」
「いずこも同じ秋の夕暮かナ。」と種彦は戯れながらふと
植込に吹入る朝風の
響に、「いや暑い暑いといっている
中もう秋風が吹くと見える。」
「眼にはさやかに見えねどもと古歌にも申す通り、風の音にぞ驚かれぬるで御座います。」といいながら種員は
懐中の
手拭を出して
雪駄ばきの
裾を払い濡縁の上に腰を
下したが、仙果は丁度
己が
佇んだ
飛石の
傍に置いてある松の鉢物に目をつけ、女の髪にでも触るような手付で、盆栽の葉を
撫でながら、
「先生これァいつお求めになりました。
木の太さといい枝ぶりといい実に見事な盆栽で御座いますな。」
「それはこの
中請地村の
長兵衛という
松師に頼まれて、庭木戸の額を書いてやった返礼に
貰ったのだが、売買いにしたらなかなか
吾輩の手に
這入る品ではあるまい。」
「お屋敷方でも
滅多にこんな
名木は見られますまい。」と種員も今は
銜煙管のまま庭の方へ眼を移したが突然思い出したように、「先生。こういう盆栽なんぞはいかがなものでしょう。当節じゃやはり
雛人形や
錦絵なんぞと同じように
表向には出せない品なんで御座いましょうか。」
「
勿論そのはずだろうさ。」と種彦は無造作にいい捨てて銀の
長煙管で軽く
灰吹を
叩いた。
「へーえ。やっぱり
不可ないんで御座いますかね。こうなると手前共にゃどうもお
上の御趣意が分りかねます。」
「なぜさ、無益なものに
贅を
尽すなと申すのではないか。」
「それがで御座りますよ。大きな声では申されませぬが
私共の考えますには無益なものに
手数をかけて楽しんでいられるようなら
此様結構な事はないじゃ御座いませんか。天下太平国土安穏なりゃアこそ楽しんでおられるんで御座います。もしこれが
明暦の大火事や
天明の
飢饉のような凶年ばっかり続いた日にゃ、いくら
贅沢がいたしたくてもまさかに盆栽や歌
俳諧で日を送るわけにも行きますまい。ところが当節の御時勢は
下々の町人
風情でさえちょいと雪でも降って
御覧じろ、すぐに初雪や犬の足跡梅の花位の事は
吟咏みます。それと申すも全く以て治まる
御世のおかげ、このような目出たい事は御座いますまい。」
「なるほどこれァ種員さんのいいなさる通り。恐れながら手前なぞも今度の御趣意についちゃ随分と
腑に落ちない事が御座います。」
盆栽に気を取られていた仙果もいつか縁側に腰をかけ、あたりに聞く人もないと思う安心から種員と一緒になって遠慮なくその思う処を述べようとする。
「下々の手前たちがとやかくと御政事
向の事を
取沙汰致すわけでは御座いませんが、先生、昔から
唐土の世には天下太平の
兆には
綺麗な
鳳凰とかいう鳥が
舞下ると申します。しかし当節のようにこう何も
彼も一概に綺麗なもの手数のかかったもの無益なものは
相ならぬと申してしまった日には、鳳凰なんぞは卵を生む鶏じゃ御座いませんから、いくら出て来たくも出られなかろうじゃ御座いませんか。
外のものはとにかくと致して日本一お江戸の名物と
唐天竺まで名の響いた錦絵まで御差止めになるなぞは、折角天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰の
頸をしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」
「はははは。
幾ほどお前たちが
口惜しく存じても
詮ない事さ。とかく人の目を引くような綺麗なものは何の
彼のと
妬まれ難癖を付けられるものさ。下々の人情も天下の御政事も早い話が皆同じ
訳合と
諦めてしまえばそれで済むこと。あんまり大きな声で
滅多な事をいいなさるな。
口舌元来禍之基。壁にも耳のある世の中だ。まアまア長いものには巻かれているが一番だよ。」
「それァもう
仰有るまでもなく承知いたしております。つまらない
饒舌をして
掛替のない首でも取られた日にゃ
御溜小法師が御座いませんや。こういう時には何か一首
巧い
落首でもやって
内所でそっと笑っているが関の山で御座います。」
「落首といえばそうそう、
昨夜先生がお帰りになってから鶴屋の旦那に聞いた話で御座りますが、あの
和泉町の
一勇斎国芳さんが今度の御政事向の事をばそれとなく「
源の
頼光御寝所の場」に
譬えて
百鬼夜行の図を描き三枚続きにして出したとかいう事で御座ります。」
「いや早や、あの男も持って生れた悪い病がまだ直らぬと見える。国芳も国貞も
倶に故人豊国翁の高弟だが、二人はまるで気性がちがい国芳は
喧嘩の好きな勇みな男いかさまその位の事はしかねまいて。
一寸の虫にも
五分の魂というが当節はその虫をばじっと殺していねばならぬ世の中。ならぬ堪忍するが堪忍とはまず
此処らの事だわ。」
「何に致せいやな恐ろしい世の中になったもので御座います。この分では先生。とても『田舎源氏』の後篇もいつ拝見致される事やら、情ない事で御座いますなア。」
「
私も
最う
追々に取る年だ。世間の取沙汰の
静になるのを待っている
中には大方眼も見えず筆を持つ手も利かなくなろう……。」
淋しい微笑と共に種彦は言葉を絶やした。二人の門弟も今は言出すべき言葉なく、
遣場のない視線をば追々に夏の日のさし込んで来る庭の方へ移したが、すると偶然垣根の外には大方
一月寺あたりから来る
虚無僧であろう、
連管に吹き調べる「
虚空鈴慕」の一曲が一座の憂愁をば一層深くさせるようにいとど物淋しく聞え出すのであった。
夏の
盛の六月もいつか
晦日近くなった。お江戸の町々を呼歩く
蚊帳売の声と
定斎売の
環の
音に、
日盛の暑さは依然として何の変りもなかったが、とにかく暦の表だけではいよいよ秋という時節が来ると、道行く若いものの口々には早くも
吉原の
燈籠の
噂が伝えられ、
町中の家々にも
彼方此方と
軒端の燈籠が目につき出した。
土用の明けるその日を期して、
池上の
本門寺を始め諸処の古寺では宝物の虫干かたがた諸人の拝観を許す処が多い。種彦の家でも同じくその頃に毎年蔵書
什器の
虫払をする。そしてその日の夕刻からは
極く親しい友人や門弟が寄集って
主人柳亭翁が自慢の古書珍本の間に酒を
酌み
妓を
聘して
俳諧または
柳風の運座を催すのが例であった。けれども今年ばかりはわざわざそれらの蔵書什器を取り出して厳しい禁令の世の風に
曝すという事がいかにも空恐ろしく思われた処から、種彦はわが秘蔵の宝をもよし
蠹が喰うならば喰うがままにと打捨てて置く事にした。
実際種彦はもう何をする元気もなくなってしまったのである。
老朽ちて行くその身とは反対に、年と共にかえって若く華やかになり行くその名声をば、さしもに広い大江戸は愚か
三ヶの
津の隅々にまで
喧伝せしめた一代の名著も、あたらこのまま完成の期なく打捨ててしまわなければならぬのかと思うと、
如何にしても
癒しがたい憂憤の情は多年一夜の休みもなく筆を執って来た精魂の疲労を一時に呼起し、あるかぎりの身内の力を根こそぎ奪い去ってしまったような心持をさせるのである。禁令の打撃に
長閑な美しい
戯作の夢を破られなかった
昨日の日と、禁令の打撃に身も心も恐れちぢんだ
今日の日との間には、
劃然として消す事のできない
境界ができた。そして今日という
暗澹たる
此方の境から花やかな昨日という
彼方の境を打眺めて見ると、わが生涯というものは今や全く過去に属して
已に
業にその終局を告げてしまったものとしか思われない。何一ツ将来に対して予期する力のなくなった心のほどのいたましさは
己が書斎の書棚一ぱいに飾ってある幾多の著作さえ、それらは早何となく自分の著作というよりはむしろ既に死んでしまった
或親しい友人――その生涯の出来事を自分は
尽く知り抜いている或親しい友人の遺書であるような心持がする。
種彦は日ごと
教を乞いにと尋ねて来る門弟たちをも次第々々に遠ざけて、唯一人二階の
一間に
閉籠ったまま、昼となく夜となく、老眼鏡の力をたよりにそもそも自分がまだ
柳の
風成なぞと名乗って狂歌
川柳を
口咏んでいた頃の
草双紙から最近の随筆『
用捨箱』なぞに至るまで、
凡て立派な
套入にしてある著作の全部をば一冊々々取出して読み返しつつ、あああの双紙を書いた
時分には何をしていた。ああこの物語を書いた頃には自分はまだ何歳であったかと
徒に
耽る追憶の夢の中に、唯うつらうつらとのみその日その夜を送り過した。
宛ら山吹の花の実もなき色香を誇るに等しい
放蕩の生涯からは空しい
痴情の夢の名残はあっても、今にして初めて知る、老年の
慰藉となるべき子孫のない身一ツの
淋しさ
果敢さ。それを堪え忍ぼうとするには全く益もない過去の追憶に万事を忘却する
外はない……。
七夕の祭はいつか
昨日と過ぎた。
小夜更けてから降り出した
小雨のまた
何時か知ら
止んでしまった
翌朝、空は初めていかにも秋らしくどんよりと
掻曇り、
濡れた小庭の植込からは
爽な涼風が動いて来るのに、種彦は何という訳もなく
瓦焼く
烟も哀れに
橋場今戸の河岸に
立初める秋の風情の尋ねて見たく、
臥床を出るや否やいそいで
朝飯を
準えようと
下座敷へ降りかけた時
出合頭にあわただしく
梯子段を上って来たのは年寄った宿の妻であった。しかも容易ならぬ事件を種彦に伝えたのである。
小雨そぼ降る七夕の
昨夜久しく隠まって置いたかのお園は
何処へか
出奔してしまったものと見え
今朝方寝床は
藻抜の殻となり、残るは唯男女が二通の手紙ばかりという事である。種彦は机の上の眼鏡取るより早く男女の手紙を読み下した。海山にもかへがたき御恩を
仇にいたし
候罪科、来世のほどもおそろしく存じまゐらせ候……とあってお園の方の手紙にはただ
二世も
三世までも契りし
御方のお
身上に思いがけない不幸の起りしため、とてもこの世では添われぬ縁
故、
一先ずわが親里の
知人をたより
其処まで落延びてから心安く未来の
冥加を祈り、共々にあの世へ旅立つという事の次第がこまごまと物哀れに書いてあった。覚えず涙に曇る
眼を
拭い種彦はやがて男の手紙を開くに及んで初めて深い事情を知り得た。先頃から、これも要するにこの
度の
御政事向御改革の影響といわねばならぬ。若旦那の親元なる紙問屋は
江戸中問屋十組の株が突然御廃止になったため、それやこれやの手違いより
俄に
莫大の損失を引起し家倉を人手に渡すも
今日か
明日かという悲運に立至った。親の
家が
潰れてしまえば頼みに思う番頭から
詫びを入れて
身受の金を才覚してもらおうという
望も今は絶えた
訳。さらばといってどうして今更お園をば二度と憂き
川竹の
苦界へ
沈られよう。身受する力も望みもなくなって唯いつまでも大金のかかった女を人の家に
隠匿って置いたなら、わが身のみかは恩義ある師匠にまでいかなる難儀を掛けるも
測られぬ。それ
故事の面倒にならぬ
中わが身一つに罪を背負って死出の旅路を
志し
申候。何とぞ
後の
回向をたのむとあった。
種彦は
菱垣船や十組問屋仲間の
御停止よりさしもに手堅い江戸中の豪家にして
一朝に破産するものの
尠くない事を聞知っていた処から、今更ながら
目の当りこの
度の法令の恐しい上にも恐しい事を思知るばかり。死にに行くという若いもの
供の身の上についてはさしずめ
如何なる処置を取ってよいのやら全く途方に暮れてしまった。
全くどうにも仕様のないこの場合に立至っては今更のめのめと
柳絮が親元の紙問屋へ相談にも行かれず、同時に
廓の方面にもいわばそれとなく自分が
身受の証人にもなったような関係がらうっかりと顔出しも出来ぬ。といってこのまま知らぬ顔に打捨てても置かれまいと種彦は思案に暮れたあまり、ふらりと家を
出で足の向く方へと歩いて行った。歩いて行く
中には何とかよい考えが出るかも知れぬとたよりにならぬ事をたよりにするより仕様がなかった。
さまざまな物売の声と共にその
辺の
子窓からは早や
稽古の
唄三味線が聞え、
新道の
路地口からは
艶かしい女の朝湯に出て行く
町家つづきの
横町は、
物案顔に
俯向いて行く種彦をば
直様広い並木の
大通へと導いた。すると
忽ち
河岸の方から
颯とばかり
真正面に吹きつけて来る川風の涼しさ。種彦はさすがに心の憂苦を忘れ果てるというではないが、思えばこの半月あまりは
一歩も
戸外へ出ず
引籠ってのみいた時に比べると、おのずと胸も開くような心持になり、
少時は何の気苦労もない人のように目に見える空と町との有様をば訳もなく物珍し気に眺めやるのであった。
両側とも
菜飯田楽の
行燈を出した二階
立の料理屋と、
往来を
狭むるほどに
立連った
葭簀張の
掛茶屋、またはさまざまなる
大道店の
日傘の間をば士農工商思い思いの
扮装形容をした人々が
後から後からと引きも切らずに歩いて行く。それはこの年月
幾度と知れず
見馴れた上にも見馴れた街の有様ながら、しかしここに住馴れた江戸ッ児の馬鹿々々しいほど
物好な心には、一日半日の間も置きさえすれば
忽にして十年も見なかった
故郷のように訳もなく無限の興味を感じさせるのである。
早や虫売の荷が見える。花売の
籠の中にはもう秋の七草が咲き乱れている。しかし
其様事には目もくれずお
蔵の役人衆らしいお
侍は
仔細らしい
顔付に若党を供につれ道の
真中を威張って通ると、
摺違いざまに腰を
曲めて
急がし気に行過ぎるのは
札差の店に働く
手代にちがいない。
頭巾を
冠り手に
数珠を持ち
杖つきながら行く
老人は
門跡様へでもお
参りする
有徳な隠居であろう。小猿を背負った猿廻しの
後からは
包を背負った
丁稚小僧が続く。きいた風な若旦那は
俳諧師らしい
十徳姿の老人と連れ立ち、
角隠しに日傘を
翳した
上つ
方の御女中はちょこちょこ走りの
虚無僧下駄に
小褄を取った芸者と
行交えば、
三尺帯に
手拭を肩にした近所の
若衆は
稽古本抱えた娘の姿に振向き、
菅笠に
脚絆掛の田舎者は見返る商家の
金看板に驚嘆の眼を
って行くと、その
建続く屋根の海を越えては二、三羽の
鳶が
頻と
環を
描いて舞っている空高く、
何処からともなく勇ましい
棟上げの
木遣の声が聞えて来るのであった。やや太く低いけれども極めて力のある
音頭取の声と、それにつづいて大勢の中にもとりわけ一人二人思うさま
甲高な若い美しい声の
打交った木遣の
唄は、折からの
穏な秋の日に対して、これぞ
正しく大江戸の動かぬ富を作り上げた町人の
豪奢と弓矢はもう用をなさぬ太平の世の喜びとを、江戸中の町々へ歌い聞かせるような心持がするのである。
種彦は
唯どんよりした初秋の薄曇り、この
勇しい木遣の声に心を取られながらぞろぞろと歩いている町の人々と
相前後して、
駒形から
並木の通りを
雷門の方へと歩いて行く
中、
何時ともなしに我もまた路行く人と同じように、二百余年の泰平に
撫育まれた安楽な逸民であるといわぬばかり、知らず知らずいかにも
長閑な心になってしまうのであった。今更ことごとしく時勢の非なるを憂いたとて何になろう。天下の事は
微禄な我々風情がとやかく思ったとて何の
足にもなろうはずはない。お
上にはそれぞれお歴々の方々がおられるではないか。われわれは唯その御支配の
下に
治る
御世の楽しさを歌にも唄い絵にも写していつ暮れるとも知れぬ長き日を、われ人共に夢の如く送り過すのがせめてもの御奉公ではあるまいか。種彦は丁度
豊後節全盛の昔に流行した
文金風の
遊冶郎を見るように両手を
懐中に肩を落し
何処を風がという
見得で、いつのほどにか名高い
隅田川という
酒問屋の前
辺りまで来たが、すると、
忽ち向うに見える雷門の
新橋と書いた
大提灯の下から、大勢の人がわいわいいって
駈出して来るのみか女の泣声までを聞付けた。ソラ
喧嘩だ
人殺だというが早いか路行く人々は
右方左方へ
逃惑うものもあれば、我遅れじと駈けつけるものもある。その後につづいて町の犬が幾匹ともなく
吠えながら走る。
種彦は依然として両手を
懐中にこの騒ぎも繁華なお江戸ならでは見られぬものといわぬばかり街の
角に立止って眺めていたが、しかし
走交う群集に
遮られて実は何の
事件やら一向に見定める事が出来なかったのである。
「先生。」と突然横合から声をかけたものがある。
「いや。
仙果に
種員か。あの騒ぎは一体どうしたものだ。」
「先生。大変な騒ぎで御座ります。
奥山の
姐さんが
朝腹お客を引込もうとした処を
隠密に
見付りお縄を
頂戴いたしたので御座ります。」
「ふうむさようか。」と種彦もさすが事件の意外なるに驚いた様子。「奥山の
茶見世なぞは昔から
好からぬ処ときまったものではないか。今更
隠売女の一人や二人召捕えた処で仕様もあるまい。」
「先生それではまだ
昨夜からの騒ぎを御存じがないと見えますな。」
「はて、昨夜からの騒ぎというのはそれァ何事だ。お前たちも知っての通り
私は先月
以来外へ出るのは今日が初めて……。」
「実はこれから二人して御機嫌伺いに上ろうと思っていた処で御座ります。今日はもうどこへ参りましてもその話ばかりで持切っております。昨日の晩
花川戸の
寄席で
娘浄瑠璃が
縛られる。それから今朝になって
広小路の
芸者屋で女
髪結が三人まで御用になりました。何でもつい二、三日前御本丸で
御役替がありまして、
大目付の
鳥居様が町奉行におなり遊ばしてから
俄に手厳しい
御詮議が始まったとやら。手前
供の町内などでも
名主や
家主が今朝はもう五ツ頃から御奉行所へお伺いに出るような始末で御座います。」
「なるほど、それは全く容易ならぬ次第だな。」
「先生、まだそればかりでは御座りません。
昨夜ちょっと
櫓下の方へ参りましたら、何でも近い中に
御府内の岡場所は一ツ残らずお取払いになるとかいう騒ぎで、さすがの
辰巳も霜枯れ同様寂れきっておりやした。」
「そうか。世の中は三日見ぬ
間の桜ではない。桜を散らすとんだ
夜嵐……。」
「先生、とにかく境内を一まわり
奥山辺までお供を致そうじゃ
御在ませんか。」
「そうさな。人の難儀を見て置くも気の毒ながらまた何ぞ後の世の
語草になろうも知れぬ。どれぶらぶら参ろうか。」
三人は歩き出した。雷門前の
雑沓はどうやら静まった様子であるが、まだこの
辺をばあちこちと不安な顔付して行交う人たちの口々に、
町木戸の
大番屋で
召捕れた売女の窮命されている有様が尾に
鰭添えていかにも
酷たらしく言伝えられている
最中である。種彦を先に種員と仙果は雷門を
這入って足早に立並ぶ
数珠屋の店先を
通過ぎ
二十軒茶屋の前を歩いて行ったが、いつも
五月蠅ほどに客を呼ぶ女
供はやがて仁王門を這入った
楊子店も同じ事で、いずれも
真蒼な顔をして三人四人と寄合いながら何やらひそひそ話合っていると、土地の顔役らしい男がいかにも事あり気に
彼方此方と歩き廻っていた。しかし何と言ってもさすがは広い観音の境内、
今方そんな騒ぎのあったとも心附かぬ
参詣の
群集は相も変らず本堂の階段を
上り
下りしていると、いつものように、これも念仏堂の横手に陣取った
松井源水、またはかの
風流志道軒の昔より境内の名物となった辻講釈を始めとして、その
辺に同じように
葭簀張の小屋を仕つらえた
乞食芝居や
桶抜け
籠抜などの
軽業師も追々に見物を呼び集めている処であった。
一同はそれらの小屋をも後にして俗に千本桜といわれた桜の立木の間をくぐり抜け、
金竜山境内の裏手へ出るとそぞろ本山開基の昔を思わせるほどの大木が
鬱々として
生茂っている。その
木陰に
土弓場と
水茶屋の
小家は幾軒となく低い
鱗葺の屋根を並べているのである。毎夜
頬冠して
吉原の
河岸通をぞめいて歩くその連中と同じような身なりの男が
相も変らずその辺をぶらりぶらり歩いていたが、さすがに
唯今方世にも恐ろしい騒動のあった
後とて女供は一斉に声を
潜め姿を隠してしまったので、いつもはそれほどに耳立たない裏
田圃の
蛙の
啼く
音と
梢に騒ぐ
蝉の声とが今日に限って全くこの境内をば寺院らしく
幽邃閑雅にさせてしまったように思われた。さながら人なき家の如く堅くも表口の障子を閉めてしまった土弓場の
軒端には折々時ならぬ
病葉の
一片二片と
閃き落ちるのが殊更に
哀深く、
葭簀を立掛けた水茶屋の
床几には
徒に
磨込んだ
真鍮の
茶釜にばかり梢を
漏る初秋の薄日のきらきらと反射するのがいい知れず
物淋しく見えた。何処か見えない木立の間から
頻と笑うが如き
烏の声が聞える。
種彦は何という
訳もなく立止って梢を
振仰いだ。枯枝の折れたのが乾いた木の皮と共に
木葉の間を滑って軽く地上に落ちて来る。大方蝉を
啄もうとして
烏はその
餌を追うて梢から梢にと飛移ったに違いない。仙果は
人気のない水茶屋の
床几に置き捨ててある
煙草盆から勝手に煙草の火をつけようとして、灰ばかりなのにちょッと舌鼓を打ったが、そのまま腰を
下し
懐中から
火打石を
捜出しながら、
「先生一服いかがで御座います。いつもなら、のう種員さん、この辺は
河岸縁の
三日月長屋も同然
滅多に
素通の出来る処じゃないんだが、今日はこうして安閑と煙草が
呑んでいられるたア何だか拍子
抜がして
狐にでもつままれたようだ。」
「
真白なこんこん様は何処の
御穴へもぐり込んだのか不思議に姿をくらましたもんさな。何しろ涼しくって閑静でいい。それにいくら涼んでもお茶代いらずというのだからこれがほんに
有難山の
時鳥さ。」と腰なる
一提を取出して種員は仙果の
煙管から火をかりて一服した。
なるほど涼しい風は絶えず梢の間から
湧き起って軽く人の
袂を動かすのに種彦もいつか門人らと並んで、思掛けない
水茶屋の
床几に腰を下し
草臥た
歩を休ませた。折から梢の蝉の
鳴音をも
一時に
止めるばかり
耳許近く響き出す
弁天山の時の鐘。数うれば早や
正午の九つを告げている。種彦はどこかこの近辺に閑静で手軽な料理茶屋でもあらば久ぶり門人らと共に
中食を
準えたいと言出すと、毎日のぞめき
歩に至極案内知ったる柳下亭
種員心得たりという
見得で、
雪駄の
爪先に煙管をぽんとはたき、
「では先生、早速あの突当りの
菜飯茶屋なぞはいかがで御座いましょう。
山東翁が『
近世奇跡考』に書きました
金竜山奈良茶の昔はいかがか存じませんが、近頃は奥山の奈良茶もなかなかこったものを食わせやす。それに先生御案内でも御座いましょうが、お座敷から向う一面に
裏田圃を見晴す景色はまた格別で御座いますよ。丁度今頃は田圃に
蓮の花が咲いておりましょう。」
一同は早速水茶屋の床几をはなれ、ここにも
生茂る老樹のかげに風流な柴垣を
結廻らした菜飯茶屋の
柴折門をくぐった。なるほど門人種員の話した通り
打水清き
飛石づたい、日を
避ける夕顔棚からは大きな
糸瓜の三つ四つもぶら下っている中庭を隔てて、茶がかった離れの小座敷へと通るや否や明放した
濡縁の障子から一目に見渡した裏田圃の景色。これは全く格別の趣きである。これは即ち
南宗北宗より
土佐住吉四条円山の諸派にも顧みられず
僅に下品極まる町絵師が
版下絵の材料にしかなり得なかった
特種の景色である。狂歌
川柳の俗気を愛する
放蕩背倫の遊民にのみいうべからざる興趣を催させる特種の景色である。即ち左手には
田町あたりに立続く
編笠茶屋と
覚しい低い人家の屋根を限りとし、右手は
遥に
金杉から
谷中飛鳥山の方へとつづく深い木立を境にして、目の届くかぎり浅草の裏田圃は一面に稲葉の海を
漲らしている。その正面に当ってあたかも大きな船の浮ぶがように
吉原の
廓はいずれも用水桶を載せ頂いた
鱗葺の屋根を
聳しているのであった。
薄く曇った初秋の空から落る柔かな
光線は快く
延切った稲の葉の青さをば照輝く夏の日よりもかえって一段濃くさせたように思われた。
彼方此方に浮んだ
蓮田の蓮の花は青田の
天鵞絨に紅白の
刺繍をなし
打戦ぐ稲葉の風につれて
得もいわれぬ香気を送って来る。
鳴子や
案山子の立っている
辺から折々ぱっと小鳥の飛立つごとに、稲葉に
埋れた
畦道から
駕籠を急がす
往来の人の姿が現れて来る。それは田圃の近道をば
田面の風と蓮の花の薫りとに見残した
昨夜の夢を
託しつつ
曲輪からの
帰途を急ぐ人たちであろう。
種彦は眺めあかすこの景色と、久ぶりに取上げる
杯の
味と、
埒もない門弟たちの雑談とに、そぞろ今日の
外出の無益でなかった事を喜んだ。全く気に入った景色、気に入った酒、気に入った雑談。この三拍子が遺憾なく
打揃うという事は人生容易に
遇いがたい偶然の機を
俟たねばならぬ。偶然の好機は
紀文奈良茂の富を以てしてもあながちに買い得るものとは限られぬ。女中が持運ぶ
蜆汁と
夜蒔の
胡瓜の
酸の物
秋茄子のしぎ焼などを
肴にして、種彦はこの
年月東都一流の
戯作者として
凡そ人の
羨む場所には
飽果てるほど
出入した身でありながら、考えて見れば雨や風のさわりなく主客共に
能く一日半夜の
歓会に
逢い得たる事いくばくぞと、さまざまなる物見
遊山の懐旧談に時の移るのをも忘れていたが、折から一同は中庭を隔てた向うの小座敷に先ほどから
頻と手を鳴らしていたお客が遂に亭主らしい男を呼付けて物荒くいい
罵り初めた声を聞付けた。客は
誂えた
酒肴のあまりに遅い事を憤り、亭主はそれをばひたあやまりに
謝罪っていると覚しい。そう心付いて見れば一同の座敷も同じ事、先ほど誂えた
初茸の吸物もまたは
銚子の代りさえ更に持って来ない始末である。別に大勢の客が一度に
立込んで手が足りぬというのでもないらしい。どうした事かと仙果は二、三度続けざまに
烈しく手を鳴らしたが、すると、以前の女中が銚子だけを持って来ながら息使いも
急しく
甚くも
狼狽えた様子で、
「どうも申訳が
御在ません。どうぞ御勘弁を……。」とばかり前髪から滑り落ちる
簪もそのままにひたすら
額を畳へ
摺付けていた。
「こう、
姐さん。どうしたもんだな。そうむやみやたらに
謝罪られても始まらねえ。お
燗はつけずお
肴はなしというのじゃ、どうもこれァお話にならないじゃねえか。」
「唯今帳場からお
詫に出ると申しております。どうぞ御勘弁をなすって下さりませ。」
「それじゃ姐さん、酒も肴も出来ねえといいなさるんだね。」
「出来ない何のと申す
訳では御座いませんが、旦那。実は大変な事になりましたので御座います。今が今とて、
定巡の旦那衆がお出でになりまして、その
方どもでは時節ちがいの
走物を料理に使ってはいないかと
仰有りまして、
洗場から帳場の隅々までお改めになってお帰りになるかと思えば、今度は
入違に
伝法院の
御役僧と
町方の御役人衆とがお
出になり、お茶屋へ奉公する女中たちはこれから
三月中に奉公をやめて親元へ戻らなければ
隠売女とかいう事にいたして、
吉原へ
追遣ってお
女郎にしてしまうからと、それはそれは厳しいお
触で御座います。」
種彦初め一同は一時に酒の酔を
醒ましてしまった。女中はもう涙をほろほろ
滾しながら相手選ばず事情を訴えようとする。
「お
上の旦那衆もあんまりお慈悲がなさすぎるでは御座いませんか。こうして手前
供がお茶屋へ奉公いたしておりますのをどうやら好きこのんで
猥らな事でもいたすように仰有いますが、まアお聞きなすって下さいまし。こうして私がお茶屋奉公でもいたさなければ、
母親や亭主が日干しになってしまうので御座います。亭主は足腰が立ちませんし母親は眼が不自由な因果な身の上で御座ります……。」
先ほど手を鳴らし立てた元気は何処へやら、一同は左右から女中をいい慰め一刻も早くこの場を立去るより仕様がない。わずかにその場の空腹をいやすためもう誂えべき料理とてもない処から一同は
香物に茶漬をかき込み、過分の
祝儀を置いてほうほうの
体で
菜飯茶屋の
門を出たのである。
「種員さん、いよいよ薄気味の
好くねえ世の中になって来たぜ。岡場所は残らずお取払い、お茶屋の姐さんは吉原へ追放、女
髪結に女芸人はお召捕り……こうなって来ちゃどうしてもこの次は役者に
戯作者という
順取だ。」
「こうこう仙果さん。大きな声をしなさんな。その辺に
八丁堀の手先が
徘徊いていねえとも限らねえ……。」
「
鶴亀々々。しかし二本差した先生のお供をしていりゃア
与力でも
同心でも
滅多な事はできやしめえ。」と口にはいったけれど仙果は全く気味悪そうに
四辺を見廻さずにはいられなかった。
それなり種彦を初め一同は
黙然として一語をも発せず、訳もなく物に追わるるように雷門の方へ急いで歩いた。
久しぶりの散歩に思の
外の
疲労をおぼえ、種彦はわが家に帰るが否や風通しのいい二階の窓際に
肱枕してなおさまざまに今日の騒ぎを
噂する門人たちの話を聞いていたが、する
中にいつか知らうとうとと
坐睡んでしまった。
疲れ果てた
戯作者の魂は怪し気なる夢の世界へとさまよい出したのである。
最初に門人らの話声が近くなり遠くなりして、いかにも
懶くまた心地よく耳許に残っていたが、いつか知ら風の消ゆるが如く
潮の
退く如くに聞えなくなってしまうと、戯作者の魂は
忽ちいずこからとも知れず響いて来る
幽な
金棒の音を聞付けた。
今時分不思議な事と怪しむ間もなく、かの金棒の響は
正しく江戸町々の
名主が町奉行所からの
御達を家ごとに触れ歩くものと覚しく、
彼方からも
此方からも
互に
相呼応しつつさながら
嵐の如くに
湧起って来るのである。それと共に突然川水の流るる音が
訳もなく高まり出した。種彦は屋根船の中に揺られながら眠っているような心持もすれば、また高い
青楼の二階の深い
積夜具の中にふうわりと
埋まっているような心地もする。とにかく驚いて顔を上げると、自分の
身体のある処よりも
遥に低く、
雨気を帯びた雲の間をば一輪の
朧月が矢の如くに走っているのを見た。町の木戸が厳重に閉されていて
番太郎の
半鐘が
叩く人もいないのに
独で勝手に鳴響いている。種彦は唯ただ不審の
思をなすばかり。通過ぎる人でもあらば
聞質したいと消えかかる
辻番所の
燈火をたよりに、
頻と
四辺を見廻すけれど、犬の声ばかりして人影とては更にない。何となく胸騒ぎがして何処へという当もなく一生懸命に
駈出し初めると、忽ち目の前に大きな橋が現われた。種彦は足にまかせて瞬時も早く橋を渡り過ぎようとすると、突然
後から両方の
袂をしっかりと押えて引止めるものがある。何者かと思って振返ると、心中でも仕損じた
駈落者とおぼしく、
橋際へ
晒者になっている二人の男女があって、その両手は堅く
縛められている処から一心に種彦の袂をば歯で
啣えていたのであった。あまりの気味悪さに覚えず腰なる一刀を
抜手も見せずに切放すと二つの首は
脆くも空中に舞飛んで
鞠の如くにころころと種彦の足許に
転落ちる。その拍子にふと見れば、こはそも
如何に男は
間違う
方なく若旦那
柳絮、女はわが家に
隠匿ったお
園ではないか。しまった事をした。情ない事をした。許してくれと、種彦は地に
跪ずいて落ちたる二つの首級を
交々に抱上げ
活ける人に物いう如く
詫びていると、
何時の間にやら、お園と思ったその首は幾年か昔
己れが
西丸のお小姓を勤めていた時、不義の密通をした奥女中なにがしの顔となり、また柳絮と思ったその首は幾年の昔
堺町の
楽屋新道辺で
買馴染んだ
男娼となっていた。再び
恟りして二つの首級をハタと投出し唯
茫然としてその場に
佇立んでしまうと、いつの
間に寄集って来たものか、
菰を抱えた
夜鷹の
群が
雲霞の如くに身のまわりを取巻いていて一斉に手を
拍って大声に笑い
罵るのである。しかも種彦の眼には数知れぬ夜鷹の顔がどうやら皆一度はどこかで見覚えのある女のように思われた。恐ろしいやら気味悪いやら、種彦は狂気の如く前後左右に
切退け切払い、やっとの事で橋の向うへと逃げのびたが、もう
呼吸も絶え絶えになるばかり疲れ果て有合う
捨石の上に倒るるように腰を落した。
幸い
四辺は静で、もう
此処までは追掛けて来るものもないらしい。朧月の光が
軟に夜の
流を照している。種彦は初めてほっと吐息を
漏し、息切れのする苦しさに石垣の下なる
杭につかまり身を
這わせるようにして
掌に夜の流を
掬上げようとすると、偶然にも
木の
葉のように漂って来る
一箇の
杯。今の世に
何人の戯れぞ。
紀文が
杯流しの昔も忍ばるる
床しさと思う
間もなく、早や二、三
艘の屋根船が音もなく流れて来て石垣の下なる
乱杭に
繋がれているではないか。閉切った障子の中には更に人の
気勢もないらしいのに唯だ朗かに
河東節「
水調子」の一曲が
奏られている。種彦は先ほどの恐ろしい光景をも全く忘れてしまい今は何という
訳もなく
二十歳の若い姿を
朧夜の
河岸に忍ばせて、ここに尋ね寄る恋人を待構えるような心持になっていた。
果せるかな。
忽然川岸づたいに
駈け来る一人の女がハタとわが足許に
躓いて倒れる。
抱き起しながら
見遣れば金銀の
繍取ある
裲襠を着
横兵庫に結った黒髪をば
鼈甲の
櫛笄に
飾尽した
傾城である。いかなる訳あって夜道を一人
何処へといたわりながら聞く
間もおそし、
後から飛んで来る
追手の二、三人、物をもいわず裲襠を
剥取ってずたずたに引裂き鼈甲の櫛笄や
珊瑚の
簪をば
惜気もなく
粉微塵に
踏砕いた
後、女を川の中へ投込んだなり、いかにも
忙しそうに川岸をどんどん駈けて行く。種彦はあまりの事に
少時はその方を見送ったなり
呆然として
佇立んでいたが、すると今までは人のいる
気勢もなかった屋根船の障子が音もなく
開いて、
「先生。柳亭先生。お久ぶりで御座ります。」と親し気に呼びかける男の声。見れば濃い
眉を青々と
剃り眼の大きい口尻の
凛々しい
面長の美男子が、片手には大きな
螺旋の
煙管を持ち荒い
三升格子の
褞袍を着て屋根船の中に
胡坐をかいていると、その
周囲には御殿女中と町娘と芸者らしい姿した女がいずれ劣らずこの男に魂までも打込んでいるという風にしなだれ掛っていた。種彦驚き、
「これはお珍しい。貴公は
木場の
白猿子では御座らぬか。」
「いかにも
七代目海老蔵に御座います。久しくお目にかかりませぬが先生には相変らず御壮健
恐悦至極に存じます。」
「いや、拙者なぞもこの時節がらいつどのような
御咎を
蒙る事やら
落人同様風の音にも耳を
欹てています。それやこれやでその後はついぞお尋ねもせなんだがこの間はまたとんだ御災難。とうとうお江戸構いとやら聞きましたが思掛けない今時分どうして
此処へはお出でなすった。」
「その不審は
御尤も。実は
今日まで先祖の
菩提所なる
下総の
在所に隠れておりましたが是非にも先生にお目にかかり、折入ってお願い致したい事が御座りまして、
夜中そっと
中川の
御番所をくぐり抜けわざわざ
爰までやって参りました。」
「はて拙者のようなものに折入ってお頼みとは。」
「
外の事でも御座りませぬ。あれなる二
艘の屋根船に
積載せました金銀珠玉の事で御座ります。実は当年四月
木挽町の舞台にて家の狂言「
景清」
牢破りの場を相勤めおりまする節突然御用の身と
相なり、遂に六月二十二日北御番所のお
白洲にて役者海老蔵
事身分を
弁えず
奢侈僣上の
趣不届至極とあって、家財家宝お
取壊の上江戸十里四方御追放
仰付られましたが、いずれはかようの
御咎もあろうかと
木場の
住居お取壊に相ならぬ
中、弟子どもが皆それぞれに押隠しました家の宝、それをば取集め、あれなる船に積載せて参った次第で御座ります。先生へ折入ってお願と
申まするは
何とぞあれなる宝をばいかようにも致し、後の世まで残しお伝え下さるよう御計らいなされては下さるまいか。
諸行無常は浮世のならい
某の身の
老朽ち行くは、さらさら
口惜しいとも存じませぬが、わが国は
勿論唐天竺和蘭陀におきましても、
滅多に二つとは見られぬ珊瑚
玳瑁ぎやまんの
類、または古人が
一世一代の名作といわれた細工物はいかにお上の御趣意とは申ながらむざむざと取壊されるがいかにも無念で相なりませぬ。人の
生命にはまた生れ替る来世とやらも御座いましょうが、金銀珠玉の細工物は一度壊されては
再この世には出て参りませぬ。先生。海老蔵が折入って御願いと申まするは
斯様の次第で御座ります。」
言う言葉と共に海老蔵を載せた屋根船はおのずと岸を離れ、見る見る
狭霧の中に隠れて行く。種彦はまア
暫く暫くと声を上げ、岸の上をば行きつ戻りつ、消え行く舟を呼び戻そうとしていると、
忽ち
生暖かい風がさっと吹き下りて、振乱す幽霊の毛のように打なびく柳の
蔭からまたしても怪し気なる女の姿が
幾人と知れず
彷徨い
出で、何ともいえぬ
物哀な泣声を立て、糸のように
痩せた
裸足のまま
頻と地上に落ちた何物かを拾い上げては限りもなくさめざめと泣き沈むありさま、何事の起ったのかと種彦はふと心付けばわが
佇む地の上は一面に
踏砕かれた水晶
瑪瑙琥珀鶏血孔雀石珊瑚鼈甲ぎやまんびいどろなぞの
破片で
埋め
尽されている。そして一足でも歩もうとすればこれらの打壊された宝玉の破片は身も
戦慄かるるばかり悲惨な
響を発し更に無数の破片となって飛散る。その
度ごとに女の
群はさもさも恨めし気に
此方を眺めては、身も世もあられぬように声を立てて泣くのである。種彦も今は覚えず目がくらんでそのまま水中に
転び落ちてしまった。
彼方に流され
此方へ漂いする
中に、いつか気も心もつかれ果て、遂に
脆くも
瞼を閉じ
水底深く沈んで行った。かと思うとやがて
耳許に
聞馴れた声がして、
頻と自分を呼びながら
身体を
揺動かすものがある。ふッと眼を開けば何事ぞ、
埒もない一場の夢はここに尽きて老いたる妻がおのれを
呼覚しているのであった。
なるほど水の中に沈んだと思ったのも無理はない。秋の
夕陽は
欄干の上にさし込んでいて、吹き通う風の冷さに
蔽うものもなく
転寐した身体中は気味悪いほど
冷切っているのである。種彦は二度も三度もつづけざまにする
嚔と共にどうやら
風邪を引込んだような心持になった。
家ごとに
焚く
盂蘭盆の
送火に
物淋しい風の
立初めてより、道行く人の
下駄の音夜廻りの拍子木犬の
遠吠また
夜蕎麦売の呼声にも
俄に物の哀れの誘われる折から、わけても今年は
御法度厳しき浮世の秋、朝な夕なの肌寒さも
一入深く身に
浸む七月の
半過ぎ。
偐紫楼の
燈火は春よりも夏よりも
徒にその光の澄み渡る
夜もやや
深け
初めて来た頃であった。
主人はいつぞや怪しき
昼寐の夢から引込んだ風邪の
床に
今宵もまだ
枕についたまま、
相も変らずおのが
戯作のあれこれをば
彼方を一、二枚
此方を二、三枚と読返していた折から、突然
愛雀軒と題した
彼の風雅な庭木戸を
叩いたものがある。茶の
間の
長火鉢に
妙振出しを
煎じていた妻何心もなく取次に出て見ると、
堀田原の
町名主を案内にして
仲間に
提灯持たせた中年の
侍、
小普請組組頭よりの使者と名乗って一封の書状を渡して立去る。と
間もなく
横山町辺の提灯をつけた
辻駕籠一梃、飛ぶがように
駈来って
門口に
止るや否や、中から
転出る
商人風の男、「先生は御在宅でいらっしゃいますか。
鶴屋喜右衛門の
手代で御座います。」と声もきれぎれに言うのであった。手代は
主人の寝所に通って何やら密談に
耽った
後門外に待たせた辻駕籠に乗って再び
何処へか飛び去ってしまったが、それからというもの偐紫楼の家の内は
俄に
物気立って、
咳嗽を
交うる
主人の声と共にその妻の
彼方此方と立働くらしい物音が夜の
深け渡るまでも
止まなかった。
丁度その刻限、そんな騒ぎのあろうとは露知らぬが仏、門人の
柳下亭種員は
新吉原の
馴染の
許に泊っていたのである。
竹格子の裏窓を明けると
箕輪田圃から続いて
小塚原の
灯が見える
河岸店の二階に、種員は
昨日の
午過から長き日を短く暮す
床の内、引廻した
屏風のかげに
明六ツならぬ暮の鐘。
敵娼の女が店を張りにと下りて行った
隙を
窺い薄暗い
行燈の
火影に
頻と
矢立の筆を
噛みながら、折々は気味の悪い思出し笑いを
漏しつつ一生懸命に何やら妙な文章を書きつづっていた。種員は
草双紙類
御法度のこの頃いよいよ小遣銭にも窮してしまったため国貞門下の
或絵師と相談して、専ら御殿奉公の
御女中衆が貸本屋の手によってのみ
窃に
購い求めるという秘密の文学の創作を思い立ったのであった。
早や
大引とおぼしく、
夜廻の
金棒の音、降来る夕立のように
五丁町を通過ぎる頃、屏風の
端をそっと片寄せた
敵娼の
華魁、
「
主ァ、まだ起きていなんしたのかい。おや何を書いていなます。
何処ぞのお馴染へ上げる
文でありんしょう。見せておくんなんし。」と
立膝の
長煙管に種員が大事の創作をば無造作に引寄せようとする。種員驚き、
「華魁、文じゃねぇ、悪く気を廻しなさんな。疑るなら今読んで聞かせやしょう。だがの、華魁。あんまり身を入れて聞きなさると、とんだ勤めの邪魔になりやす。」
こんな
口説よろしくあって、種員は思いも掛けぬ馬鹿に
幸福な一夜を過し
翌朝ぼんやり
大門を出たのであった。
土手八丁をぶらりぶらりと
行尽して、
山谷堀の
彼方から吹いて来る
朝寒の川風に
懐手したわが肌の
移香に
酔いながら
山の
宿の方へと曲ったが、すると丁度その辺は去年の十月火災に
罹った
堺町葺屋町の
替地になった処とて、ここに新しい
芝居町は早くも
七分通普請を終えた有様である。
中村座と
市村座の
櫓にはまだ足場がかかっていたけれど、その向側の
操人形座は
結城座薩摩座の二軒ともに早やその木戸口に彩色の絵具さえ生々しい看板と
当八月より興業する旨の
口上を掲げていた。されば表通り軒並の茶屋はいずれも普請を終って今が丁度
移転の
最中と見える
家もあった。
彼方此方に響く
鑿金槌の音につれて新しい材木の
脂の
匂が鋭く人の鼻をつく中をば、引越の荷車は
幾輛となく
三升や
橘や
銀杏の葉などの
紋所をつけた
葛籠を運んで来る。あちこちと
往来する
下廻らしい役者の中にはまだ新しい
御触が出てから
間もない事とて、市中と芝居町との区別を忘れて、後生大事に
冠ったままの
編笠を取らずに歩いているものもあった。それが
見馴れぬ目にはいかにも不思議に思われるのであった。
種員はつい去年の今頃までは
待乳山の
樹の茂りを向うに見て、崩れかかった土塀の中には昼間でも
狐が鳴いているといわれた
小出伊勢守様の
御下屋敷が、
瞬く
中に
女形の
振袖なびく
綺羅音楽の
巷になったのかと思うと、この辺の土地をばよく知っている身には全く狐につままれたよりもなお更不思議な
思がして、用もないのに
小路々々の果までを飽きずに見歩いた後、やがて
浅草随身門外の裏長屋に
呑気な
独世帯を張っている
笠亭仙果の
家へとやって来た。仙果は何処へか
慌忙てて出て行こうとする
出合頭朝帰りの種員を見るや否や、いきなりその胸倉を取って、「
乃公ア今お
前を
捜しに行こうと思っていた処だ。気をたしかにしな。気をたしかにしな。」
「こう仙果さん。どうしたもんだな。お
前こそ気でもちがったんじゃねえか。
痛え痛え。まア放してくんな。
懐中から大事な書きものがおっこちるぜ。」
「気をたしかにしなせえ。腰でも抜かさぬように用心したがいいぞ。
堀田原の師匠がの、今朝おなくなりになったのだ。」
唖然としていう処を知らぬ種員に向って仙果は泣く泣く
一伍一什を語り聞かせた。
柳亭種彦先生は昨夜の晩おそく突然北御町奉行所よりお
調の筋があるにより今朝五ツ
時までに
通油町地本問屋鶴屋喜右衛門同道にて
常磐橋の
御白洲へ
罷出よとの
御達を受けた。それがためか、あらぬか、先生は
今朝方御病中の髪を
結直しておられる時突然
卒中症に襲われ、
散るものに極る秋の柳かな
という辞世の一句も哀れや六十一歳を
一期として
溘然この世を去られた。
種員は
頬冠りにした
手拭のある事さえ打忘れ今は
惜気もなく大事な秘密出版の草稿に流るる涙を押拭った。そして仙果
諸共堀田原をさして
金竜山の境内を飛ぶがごとくに走り行く。
大正元年初冬稿