偏奇館漫録

永井荷風




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 庚申こうしんの年孟夏もうか居を麻布あざぶに移す。ペンキ塗の二階家なり。因って偏奇館へんきかんと名づく。内に障子襖なく代うるに[#「代うるに」は底本では「代ふるに」]扉を以てし窓に雨戸を用いず硝子ガラスを張り床に畳を敷かずとうを置く。朝に簾を捲くに及ばず夜に戸を閉すの煩なし。冬来るも経師屋きょうじやを呼ばず大掃除となるも亦畳屋に用なからん。偏奇館甚独居に便なり。
 門を出で細径を行く事数十歩始めて街路に達す。細径は一度下ってまた登る事渓谷に似たれば貴人の自動車土を捲いて来るのおそれなく番地は近隣一帯皆同じければ訪問記者を惑すによし。偏奇館甚隠棲に適せり。
 偏奇館[#「偏奇館」は底本では「偏寄館」]僅に二十坪、庭亦狭し。然れども家は東南の崖に面勢めんせいし窓外遮るものなく臥して白雲の行くを看る。崖に竹林あり。雨は絃を撫するが如く風は渓流の響をなす。崖下の人家多くは庭ありて花を植ゆ。崖上の高閣は燈火燦然として人影走馬燈に似たり。偏奇館独り窓に倚るも愁思しゅうしすくなし。
 屋後垣を隔てて隣家と接す。隣家の小楼はよく残暑の斜陽を遮るといえども晩霞ばんか暮靄ぼあいの美は猶此を樹頭に眺むべし。門外富家の喬木連って雲の如きあり。日午よく涼風を送り来ってしかも夜は月を隠さず。偏奇館まことに午睡を貪るによし。たまたま放課の童子門前に騒ぐ事あるも空庭は稀に老婢の衣を曝すに過ぎざれば鳥雀ちょうじゃく馴れて軒を去らず。階砌かいせいは掃うに人なければ青苔せいたい雨なきも亦滑かに、虫声更に昼夜をわかつ事なし。偏奇館おもむろに病を養い静かに書を読むによし。怨むらくは唯少婢の珈琲を煮るに巧なるものなきを。

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 余花卉かきを愛する事人に超えたり。病中猶年々草花を種まき日々水をそそぐ事をおこたらざりき。今年草廬そうろを麻布に移すやこの辺の地味花に宜しき事大久保の旧地にまさる事を知る。然れどもまた花を植えずひとり窓に倚り隣家の庭を見てたのしめり。
 呉穀人ごこくじんが訪秋絶句に曰く、豆架瓜棚暑不長。野人籬落占秋光。牽牛花是隣家種。痩竹一茎扶上墻と。わが友唖々子ああしに句あり。「夏菊やかわやから見る人の庭。」われ此れに倣って「涼しさや庭のあかりは隣から。」
 余今年花を養わざるは花に飽きたるにあらず。趙甌北ちょうおうぼくが絶句に、十笏庭斎傍水涯。鳳仙藍菊燦如霞。老知光景奔輪速。不名花草花。といえるを思えば病来草花を愛するの情更に深からずんばあらず。然るに復之を植えざるは何ぞや。虫を除くの労多きを知るが故なり。ただに労多きのみにあらず害虫の形状覚えず人をして慄然りつぜんたらしむるものあるが故なり。鳳仙藍菊ほうせんらんぎくの花燦然として彩霞の如くなるを看んと欲すれば毛虫芋虫のたぐいを手に摘み足に踏まざるべからず。毛虫の毛を逆立て芋虫の角を動し腹をうごめかすさまの恐しきを思えば、庭上ていじょう寧ろ花なきに如かず。花なければ虫も亦無し。
 毛虫芋虫は嫩葉どんようを食むのみに非ず秋風を待って再び繁殖しいよいよ肥大となる。梔子くちなし木犀もくせい枳殻たちからの葉を食うものは毛なくして角あり。その状悪鬼の金甲を戴けるが如し。雁来紅がんらいこうの葉を食むものは紅髯こうぜん※(「參+毛」、第3水準1-86-45)さんさんとして獅子頭の如し。山茶花さざんかを荒すものは軍勢の整列するが如く葉裏に密生し其毛風に従って吹散ふきさんじ人を害す。園丁えんていも亦恐れて近づかず。
 およそ物として虫なきはなし。米穀に俵の虫あり糞尿に蛆あり獅子に身中の虫あり書にあり国に賊あり世に新聞記者あり芸界に楽屋鳶ありお客に油虫あり妓に毛虱あり皆除きがたし。物美なれば其虫いよいよ醜く事利あれば此に伴うの害いよいよ大なり。聖代せいだい武をたっとべば官に苛酷のを出し文を尚べば家に放蕩の児を生ず倶に免れがたし。芸者買の面白さは人を有頂天ならしめ下疳げかんの痛さは丈夫を泣かしむ。女房の有難きや起きては家政を掌り寝ては生慾を整理す。徳用無類と雖も煩さくしつッこくボンヤリして気がきかず能く堪うべきに非ざるなり。児孫は老父を慰め団欒の楽しみをなすと雖障子はいつも穴だらけなり。荘子そうし既に塗抹詩書とまつししょたんをなせり。
 利のある処必ず害あり楽しみの生ずる処悲しみなくんばあらず。予め害を除くの道を知らずんばいかでか真の利を得んや。悲しみに堪うるの力ありて始めてよく楽しむを得べし。景気に浮かされて儲ける事ばかり考えれば忽ちガラを食った相場師の如くなるべし。タダで安いと楽しめば三月目にはどうしたものかと途法に暮れるべし。栄華に安んじて其の治むる道を講ぜざれば事皆東京市の道路の如くならん。余既に病みつとに老ゆ。自ら悲しみに堪うる事能わざるを知って亦深く歓びをもとめず。庭に花なきも厠の窓より隣家に此を眺めてよろこび家に妻なきも丸抱の安玉を買って遂に孤独を嘆ぜず。分を守って安んずるものを賢者となさば余や自ら許して賢なりとすも亦誰をかはばからんや。

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 本年初夏の頃より老眼鏡を用う。書肆春陽堂三年前より余が旧作を改版するに世俗ポイント活字と称する細字を以てす。ポイント活字の振仮名を校正する事甚しく視力を費すが故に余初は辻易者の如く大なる虫眼鏡を用いき。今春流行感冒に罹り臥床に在る事六十余日読書暁に及ぶ事しばしばなり。やがて病癒え再び坐して机に向うに燈火にわかに暗きを覚ゆ。医に問うに病中みだりに書に親しむ時は往々此の事ありすみやかに老眼鏡を用うべし。然らざれば却って眼力を損じ神経衰弱症を起すべしと。即ち銀座の老舗松島屋に赴き老眼鏡をあがない帰り来って試みに机上の一書を開くに、文字はなはだ鮮明なり。すこぶる爽快を覚ゆると共にいよいよ老来の嘆あり。たまたま思出るは家府君かふくん禾原かげん先生の初て老眼鏡を掛けられし頃の事なり。時に一家湘南の別墅べっしょ豆園とうえんにありき。府君松下のとうに倚り頻に眼鏡を拭いつつ詩韻含英しいんがんえいを開閉せらる。余府君の眼鏡を用いられたるを見し事なかりしかば傍より其の故を問う。先君笑ってこは老眼鏡なり。古人の句に細字燈前老不便とは云得て妙ならずやと言われき。回顧すれば余の尋常中学を出でし時にして先君は正に初老の齢に達せられし時なり。余本年四十有二。先君と齢を同じうして初めて老眼鏡を用う亦奇ならずや。然れども其の看るものは雅俗もとより同じからず平生の行に至っては一は謹厳一は賤陋せんろう殆ど比すべきに非ざるなり。

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 一夜いちや涼風りょうふうを銀座に追う。ひとかたす。正にこれ連袵れんじんを成し挙袂きょべい幕を成し渾汗こんかん雨を成すの壮観なり。良家の児女盛装してカッフェーに出入す。其の紅粉は俳優の舞台に出るが如く其帯は遊女の襠裲しかけの如く其羽織は芸者の長襦袢よりもハデなり。夜店の蒔絵九谷と相映じて現代的絢爛の色彩下手な油画の如し。杖に倚って佇立たたづ[#ルビの「たたづ」はママ]む事須臾すゆなり。たちまち見る詰襟白服の一紳士ステッキをズボンのかくしにつるして濶歩す。ステッキの尖歩々ほほ靴のかかとに当り敷石を打ちて響をなす事恰も査公さこう佩剣はいけんの如し。
 洋人遊歩する時多くは杖を携う。或は腕につるして下げ或は腋下にたばさみ或は柄を下にし尖を上にして携うるものあり。皆流行に従って法あるが如し。巴里の街頭は世界各国の風俗を見る処然れども未だステッキを佩剣の如くなすもの非ざるべし。銀座は極東帝国の街衢がいくなり尚武の国風自らステッキに現わる。
 余日本に帰りてより久しく杖を携えず。図書館劇場展覧会等に赴くや下駄と一緒に荒縄で縛られ帰る時復手にすること能わざればなり。此に於てか無用の長物無きに如かざるを思い代うるに蝙蝠傘を以てするやここに年あり。当時東京市中の散策記日和下駄の一書を著し大に蝙蝠傘の杖に優る事を論じき。然るに一たび胃を病んで長く徒歩すること能わず、蝙蝠傘日和下駄漸く用なきに今年更に痔を病みいよいよ歩行に苦しむ。再び傘を杖にするに棒弱く棒の太きを選ぶに甚重し。ここに於てか思わざりき往年里昂リヨンにて購いたるステッキ今復外出の伴侶となるを。追懐の情禁ずべからず。為めに此を記す。

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 余平素新聞を購わず。街頭電車を待つの時電信柱に貼り付けたる夕刊の記事表題を眺めて天下の形勢を知り電車来って此れに乗るや隣席の人の読むものを覗いて事の次第をつまびらかにす。たまたま活動写真弁士試験の一項を目にして以為おもえらく警察の弱い者をいじめる事も亦至れり尽せる哉と。試験の科目に曰くなんじに出るものは爾に反るとは何か。曰く李下に冠を整し瓜田に履を納れずとは何か。曰く寛政の三奇人とは誰ぞ。曰く何。曰く何と。もし審に此等の問に答得るの学力あらば誰か亦活弁とならんや。いにしえに在っても論語読み論語を知らず。況んや当今の教育英学を尊んで漢学を卑しむ。漢文中の故事成語を問わば小学校の教員も決して満点を得ざるべし。小説家も亦落第ならん。余も亦然りとす。
 余講釈を聞いて寛政馬術の三名人を知ると雖も未寛政の三奇人の誰なるやを知らず。思うに高山彦九郎等の事を云うに似たれども橋の上で御辞儀をしたばかりでは別に奇人と云う程でもなし。奇人は狂人に近し勤王の志士を呼んで奇人となすが如きは蓋し官の喜ばざる処なるべし。
 髪結床に組合の試験あり。役者に名題の試験あり。芸者に手見せの試験あり。然れども皆仲間中ですることなり。政は公平ならざるべからず。活弁既に警察の試験を受く芸者俳優落語家講談師浪花節語も宜しく試験すべし。小説家新聞記者も亦此れをなして可なり。
 芸者を試験するに先ず何事をか問うべき。常磐御前の事跡か道鏡の事跡か米八仇吉の事か池田病院の所在も亦問うべし。
 文士を試験するに先ず何事をか問うべき。井の底の蛙飯の上の蠅の何たるかを問え。猿の何たるかを問え馬の何たるかを問え。喪家の狗の何たるかを問え。肱をつかずに字が書けるかを問え。

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 土方工夫の輩酒気を帯び鉄鎚かなづちを携えて喧嘩面で電車に乗込めば乗客車掌倶に恐れて其の為すに任す。ボルシェイークの実行既に電車に於て此を見る。長屋の悪太郎長竿を振って富家の庭に入り蝉を追い花を盗むも人深く此を咎めず。書生避暑地の旅舎に徹宵てっしょう酔歌放吟して襖を破り隣室の客を驚かすも亭主また之を制せず。平等主義は既に随所に行わる何を苦しんでか国禁を犯してビラを撒くや。
 ボーイを呼ぶにおいボーイと言えばボーイ不満の色を現す。ボーイさんと呼ぶに及んで始めて応ず。車夫を車夫と呼べば車夫怒る。宜しく若衆さんと云うべしお供さんと云うべし。恰も巡査を呼ぶにお廻りさんというに似たり。敬語の必要車夫馬丁に及ぶ。階級打破の実夙に挙がれりと云うべし。

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 家に下女下男あり。国に宰相大臣なくんばあらず。米を磨ぎ厠を掃除するは主婦の手ずから為す事能わざる処なり。此に於てか給金を払って下女下男を雇う。兵を置いて外に備え法を設けて内を治むるは人民のよくする処にあらず。此に於てか国民税を出して大臣宰相の俸給に当つ。有司の国に要あるや奴婢の家に於けるに同じきを思わば、人民たるもの官の失政吏の怠慢を見るに須らく寛大なるべし。奴婢は使いにくきものなり不経済なものなり居眠をするものなり気のきかぬものなり摘み食をするものなり。吏は役に立たぬものなり慾の深いものなり賄賂を取りたがるものなり。責むるは野暮なり。いくら取替えても同じ事なり。下女の出代は桂庵の徳にして主人の損なり。内閣の更迭は政治家の付目にして人民の損なるべし。

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雨戸に工合よきはすくな
厠に悪臭なきは少し
掃除屋の日取よく来るは少し
女房に気のきいたのは少し
下女に居眠りせざるは少し
宰相に清廉なるは少し
志士に疎暴ならざるは少し
十五夜に雲なきは稀なり
長寿にして耻少きは稀なり
文士にして字を知るは稀なり
芸者にしてねだらざるは稀なり
新聞記者にして礼節あるは稀なり
役者にして自分を知るは稀なり
請負師にして金歯なきは稀なり
青年にして痳病ならざるは稀なり
赤ン坊のお尻にして紫斑なきは稀なり
女学生にして歯の奇麗なるは稀なり
女郎の長襦袢にシミなきは稀なり
汽車の弁当にして食えるは稀なり
電車にして停電せざるは稀なり
電話交換手にして番号を誤らざるは稀なり
女ボーイにして献立を知れるは稀なり
女店員にして暗算の早きは稀なり
印刷物にして誤植なきは稀なり
石版摺の表紙にしてインキの手につかざるは稀なり

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 警察干渉の手を大本教に加う。此れが為に丹波の邪教いよいよ信者を増すべし。森戸先生罰せられてクロポトキンの名却て世に流布したるを思えば宣伝の法広告の極意は蓋し官権の干渉に如くものはなし。往昔韓愈かんゆ釈教の中華を侵すを慨嘆せしかど遂に能く止むる事能わざりき。幕府切士丹破天連の跡を絶たんとして亦よく断つ事能わざりき。匹夫ひっぷの志もと奪うべからず。千束町は遂に千束町にして蠣殻町には依然として小待合多し。韓愈仏骨を論ずるの表は身命を賭して君王をいさむるもの人気取りの論文にあらず。幕府兵を用いて島原を攻めしは誠意国の禍を除き民をして安からしめんと欲せしが為めなり。御用商人と結托して儲けようと欲せしにはあらず。韓愈の見解或は褊狭へんきょうに走れるや知るべからず幕府の政令苛酷に過ぎたるや亦知るべからず。然れども両者倶に誠意を以てその信ずる処を行わんと欲せしや明かなり。今当路とうろの吏大本教を禁ぜんとするの心よく韓愈の如く松平豆州の如くならば何ぞ其の措置の如何を問わんや。酷なるを以て可とせば寸毫も許す処あるなかれ。事の是非は唯法を行うものの心に在り。

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 経世の学に志すものは詩をにくんで可なり。詩は淫せずんば堂にらず。堂に升らずんば為さざるに如かず。詩は千万人を犠牲にして一人の天才を得て初めて成るものなればなり。
 詩を作るものは酒を好まざるも可なり。良詩は酔中に非ざるも亦為す事を得べし。然れども酒を嗜むものは須らく詩を好まずんばあるべからず。詩を知れば酒ますます味あり詩を善くすれば酒いよいよ尊し。李白りはくの才あって始めて長安の酒家に眠るべし。経世の志士松本楼に酔えば帰りの電車でゲロを吐くのみ。

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 東京市の道路は甚乱雑汚穢おわいなり。此を攻撃する新聞社の門前は更に乱雑塵捨場ごみすてばの如し。門に入り戸を開けば乞食も猶鼻をおおうべし。
 社会の改造は甚急務なり。これを説く雑誌の改造は更に一段の急務なるべし。
 良人おっとの不品行を嘆きてこれを筆にすれば世に婦人雑誌家庭雑誌あり以て帯を買うの銭を得べし。
 細君の嫉妬を種にして小説を書けば世に文芸の雑誌あり更に芸者買の資本もとでを得べし。
 文士とならば社会改造を叫ぶべし。女房とならば亭主の私行をあばくべし。議員とならば大臣に[#「大臣に」は底本では「大臣に、」]喰ってかかるべし。皆名を成すの道なり。
 今の世は事大小となく皆攻撃すべし。そしるは易く褒むるは難し。独り作詩の咏嘆に易く応酬に難きのみならんや。

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 飛行機乗り飛行機より落るや新聞紙必号外を出しこぞって之を悲しむ。死者の眷族けんぞく悲嘆するは当然の事なり。世挙って此を悲しみ此を壮とするに至っては疑なきを得ざるなり。昔馬術の指南番にして馬より落ち禄を剥がれしものあり。じて切腹せしものあり。やり損じて落るが名誉ならば薬を盛りちがえた医者も名誉と云うべく木から落ちた猿も賞すべく弘法筆の誤りは猶更感服すべく字をまちがえる小説家も称揚すべし。役者の舞台でトチッたのも亦称揚すべし。猫に皿の魚をしてやられる女房の間抜も称揚すべし。月夜に釜を抜かれるも亦名誉と云うべし。天下不用意にして遣りそこなうものは悉く賞せずんばあるべからず。聞説きくならく吉原では華魁おいらんの梅毒病院に入るを恥となすと。吉原は人外の土地なり。然るが故に己の不用意より災を招くものを推賞せず。

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 三田出身の操觚者そうこしゃ中松本水上の二子最も喜ぶ可し。余の二子を喜ぶ所以は専らその為人ひととなりに在り。三田社中才子多し文を作るに巧なるものを求めなば何ぞ二子のみを俟つに及ばんや。然り而して所謂当世文壇の月旦に上るものを以て成功の文士となさば二子の如きは寧憐むべきものなり。
 松本泰は三田出身者中の先輩なり。学業をおわって英国に遊ぶ事前後二回還来って既に年あり。およそ当世の人官吏教員新聞記者の輩一度洋行して帰り来れば必ずその見聞を録して出版す。然るに松本君外遊再度に及びて未だ一書を公にせず時々其の詩作を三田文学に掲ぐるのみ頗る悠々自適の態度あり。これを当世の文士売名を以って此れ事となし或は芝居連中見物の世話人となり或は晩餐会茶話会の幹事となりて往復葉書に名を出す事を喜ぶものに比すれば天地雲泥の相違あり。
 水上瀧太郎はその信ずる処を言うに憚らざるの快男児なり。嘗て三田に在るの時評議員会議の一篇を公にして教育家を痛罵し米国より帰り来るや当世の新聞記者を誡め教うる文をつくる。今又三田文学に歌舞伎座井伊大老の死を批評す。意こまかにして筆鋭し。今日わが文壇に批評の見るべきものなし。悪罵にあらずんば阿諛のみ。車夫馬丁の喧嘩に非ざれば宗匠の御世辞に類するもののみ。堂々としておのれの言わんと欲する処を言うものは稀なり。男子は須らく圭角けいかくあるべし。水上子の言う処悉く当を得たるや否やは余の深く問う処に非ず。余は子の意気あるを悦ぶものなり。

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 鰻と梅干とは併せ食うべからず。蕎麦に田螺たにし、心太に生玉子、蟹に胡瓜も食べ合せ悪しきもの、家鴨あひるの玉子ととろろを併せ食えば面色めんしょくたちどころに変じて死すと云う。蛸と黒鯛は血を荒すが故に女子の禁物とするものなり。食は択ぶべきなり。読書見聞も亦択ぶ処なからざるべからず。
 人その身の強弱を顧ずして食うべきもの悉く取って以って食うべしとなさばかならず身をそこなうべし。読書見聞もその修むる道によりて慎むべく避くべきもの多し。漢詩漢文を作らんとするものは日本人の手に成れるものを読むべからず、読めばたちまち和臭の弊に陥るべしとは其の道を修むる人の斉しく言う処なり。仏蘭西の文豪アルフホンズドーデは純粋なる仏蘭西文を書かんと欲して力めて外国文学を窺う事を避けたりとかや。
 余さる頃人に問わるるまま戯に小説作法なるものを草したる時小説家たらんとするものに向いて当世の新聞雑誌に掲げらるる文芸評論のたぐいを目にする事を戒めたり。之を目にすればいつとはなく野卑蕪雑の文辞に馴れ浅陋軽薄の気風に染むに至ればなり。文士の想を養い筆を磨くは当に慈母の児に於けるが如くなるべし。孟母三遷の教は人の知る処なり。優秀なる芸術の制作に従事せんと欲するものは文学雑誌を手にする勿れ。公設展覧会に入る莫れ。益田太郎冠者の喜劇を看るなかれ。
 余松井須磨子を舞台に見たるは余丁町坪内博士邸内の劇場新築披露の折にして前後に唯一回のみ。雲右衛門は唯の一度も聞いた事なく吉田竹子も知らず曽我の家楽天会も亦幸にして見たる事なし。余は日本人の演ずる沙翁さおう劇を観る事を欲せず亦日本語のオペラを聴く事を避けんとするものなり。

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 遊芸の師匠にして長唄手踊何でもござれでやらかすは五もくの御師匠さんとて人の卑しむ処なり。
 むかし浄瑠璃の太夫は三味線を手にせず手にするを恥となしたり。今日猶太夫と三味線とは各自業を別ち門戸を異にするは人の知る処。然るに独俳優に於けるや西洋物時代物世話物何でもやってのけるものを見て看客此を名人となし新しき芸術家となす。俳優も亦衆俗の称賛を得て欣然たるが如し。
 芸妓は愛嬌を売るが商売なり。踊三味線手品声色藤八拳客の望むものは何でもやれる程結構なり。固よりその場の座興なれば芸の雑駁は咎むるもの却って野暮の嗤を招かん。芸者と役者とは同じからず。俳優たるもの何を苦しんで芸妓のひそみに倣わんとするや。江戸ッ児は意気地を尊ぶ。興行師の言う処御無理御尤となすが如きものいかでか助六長兵衛に扮し得べき。

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 店頭に見本を掲げ商品目録を備うる商舗にしてたまたま客の来って求むるものあれば只今それは品切にておあいにく様と答うるもの商売の何たるを問わず珍しからぬ事なり。然らばいつ頃出来るやと問えば店員多くは即答し得ず番頭に聞き主人にただしゴタゴタした揚句どうもよく分りませぬと果はケンモホロロの挨拶さながら電話交換手の御話中で取合わぬによく似たり。
 東京市経営の水道は炎暑きたって水最も入用の時水切れとなり電燈は初更深夜の別なく消える事勝手次第なり。消えても会社はお気の毒さまとも御不自由で済みませんとも何ともいわず終夜一燈いくらと定った料金より消えた時間だけの燈料を差引もせず平気の平左衛門なり。自動車多くはパンクし電車は必ず停電す。飛行機は落るもの電話は掛りにくいものとして人皆これを怪しまず。日本に於ける文明の利器は唯名のみにして実は不便この上なきものなり。
 家に電燈あるも猶ランプ燭台行燈の用意なくんばあらず。水道あるも猶井戸を埋める能わず瓦斯ガスを引くも亦薪を蓄うるの必要あり。和洋二重の生活を以て不経済なりとせば燈火薪水の用意も亦決して経済ならず。
 客待合に遊んで芸者を呼ぶや芸者来らざれば主婦低頭平身して申訳をなす。女郎屋に上って女郎勤をなさざれば、妓夫おばさん来ってたまには揚代を返す事あり。電車は停電するも責任の負うべきものなく電燈は消えても電燈会社平気で銭を取るに比すれば亡八の徒却て恥を知り責任を重んずるの念ありというべし。
 紺屋のあさっては人のよく知る処。汁粉屋に雑煮餅なく鰻屋にどじょうを絶やす事あり。海老の種切れは天麩羅屋の口癖にして鮪のおあいにくさまは鮨屋の挨拶。蓋し河岸の相場と天気都合によるもの亦如何ともすべからずと雖も洋食屋にしてパンをきらし珈琲を断つが如きは用意の到らざるものなり。下駄屋に出来合の中足駄ちゅうあしだ少く靴屋にオバーシュースなきもの珍らしからず。
 不足と品切とは日本の生活の特徴なり。多くは平素の用意到らざるが為めに生ず。ここに於てか滑稽皮肉の興味あり。西洋の文学に狂歌川柳なし。

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 箸にて煮豆をつまむ早業と足駄はいて坂を上る芸当は外国人のまねがたき処。日本刀はすたっても箸と足駄とは猶用あり。国風今に廃れず。
 クロポトキンの主義を宣伝するもの多くは貧乏にして長靴なく雨中足駄はいてビラをまけば此を捕縛せんとする警吏却て洋服に靴をはく。奇観にあらずや。
 足駄はいて傘背負い奉賀帳下げて歩くは大津絵の鬼にして絞の浴衣に足駄はいて来るは猫。浅葱木綿の洋服に足駄はいて通うは職工にして天窓に蝋燭ともし三枚歯の足駄はくは丑の時詣なり。
 足駄はけば泥濘の街路も歎ずるに及ばず電車の内でも足を踏るるおそれなし。
 足駄に高足駄中足駄ありと雖も低足駄と称するものなし。其のこれに当るもの呼んで日和下駄となす。日和下駄は男物の名にして吾妻下駄は女物なり。男の犢鼻褌ふんどし女にあって腰巻と云うの類か。男の越中は婦女のオンマ。物同じくして名を異にするものあに独り下駄のみならんや。つらつら足駄を眺むるに二枚の歯あり三個の眼ありこれ其の赤裸の本体。鼻緒爪皮の衣裳を得て始めてその態をなす。二つ揃って離れざる事鴛鴦おしどりの如しといえども陰陽の性別なく片方ばかしにては用をなさぬ事足袋にひとしきも更に右と左を分たず。
 編笠一つで追出されるは生臭坊主の身の果にして、爪皮剥れて捨てらるるは足駄の身の末。アゴというものかけて入歯も叶わぬ身となればさんだらぼっちや西瓜の皮と共に溝川の夕を流れ流れて行衛ゆくえを知らず。切れた鼻緒の縁もなくなれば三つの目穴どことなく間が抜けて誰やらが鼻下長の面影ありと云いしもおかし。ライオン歯磨の桐箱も今はすずのパイプとなるからに親指の跡へこみし古下駄の化身、そも何となるべき。

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 西洋の女にワキガの臭気あり日本の女に鬢付油びんつけあぶらの臭気あり。初めて西洋に行くものは地下鉄道車内の臭気に往々嘔吐を催す。日本にあっては霖雨の時節閉切った電車の中しばしば鼻を掩う事あり。西洋人の口は玉葱臭く日本人の口は沢庵臭し。善良なる家庭は襁褓おしめくさく不良なる家庭は乾魚ひもの臭し。雲脂ふけくさきは書生部屋にして安煙草のやに臭きは区役所と警察署なり。
 山の手の賤妓は揮発油きはつゆの匂をみなぎらしてお座敷に来り、カッフェーの女給仕は競馬石鹸の匂芬々ふんふんとして新粧を凝し千束町の白首しろくびは更にアルボース石鹸の臭気をいとわず。雪駄直しの皮臭きは昔の事にして今は兵隊の皮帯電車の車掌のカバン臭気共に近づくべからず。
 諺に味噌の味噌臭きは真の味噌にあらず。鞣皮なめしがわも上等のものには臭気なし。されば物にして本来の臭気を脱せざるものは悉く未だ到らざるものとなして可なるが如し。半可通の通がるは近頃の芸人の頻に素人めかしく肩をいからすと同じく倶に鼻持ちのならぬものなり。文章は絢爛を経て平淡に入り始めて誦すべく芸者は薄化粧の年増にとどめを刺すは申すまでもなし。随園ずいえん詩を論じて大巧たいこうぼく濃後のうごたんとを以ってよしとなす。真に金言なり。

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 雑誌記者しばしば来って女子拒婚問題の事を問う。余初め拒婚の字義を解せず、為に婦人雑誌を購読して漸くその意をつまびらかにするを得たり。良家の女相約して男子の花柳病を患うるものに嫁せざる事を名けて拒婚同盟となすという。愚も亦甚しというべし。悪疾あくしつあるものに嫁する事の理にあらざるは論を俟たず。何ぞ花柳病のみに限らんや。わかり切った事に今更らしく理窟をつけ論文を書き演舌えんぜつをなす天下泰平の遊戯冗談もここに至って窮状むしろ憐れまずんばあらず。
 拒婚の字義を按ずるに拒は強請せられて後これを防ぐの意。即ちいやヨおよしなさいヨと云うの意にして初めより擯斥ひんせきして顧みざるの意に非ざるが如し。此れ女子自らその地位を男子の下に置くものに非ずや。大なる屈辱は大なる光栄なり。光明皇后は癩を病むものと共に入浴してその垢をけり。しかも史家の一人として此をわらうものあらず。
 其身に悪疾あるものは大抵これを秘す。女子の婚嫁を請わるるや何によってか能く男子花柳病の有無を知るや。書画骨董は死物なり。然るに真偽の鑑別容易ならず。いわんや生ける人間に於てをや。肺結核癩病の[#「肺結核癩病の」は底本では「肺結核の」]類は血統を正せば僅に捜るの便ありといえども梅毒の有無に至っては鼻あるもあてにはならず。痳病の如何に及びてはこれを知る事更に難からん

     ○

 下女と娼妓と児守の三役を兼ねて猶給金をやらずにすむものこれを嚊左衛門かかあざえもんというとは野蛮なる亭主の暴言にして、御転婆娘に囲者のしだらなきを加えたるもの此を細君というとは当世の新夫人に僻易したる紳士の泣言なり。馬鹿と気ちがいと病人とを七分三分にき合せたるもの此れを女房というとはヒステリーの妻に呆れたる夫の言にして、単に床の間の置きものとなすは敬して愛せざるものの言う処。唯児をつくる機械と見るは愛国者の説たるに似たり。有ればうるさく無ければ不自由とはわけ知った人の嘆息にして茶飲み友達とはあくび取り交す相手の異名ならんか。

     ○

 近年官吏の収賄しゅうわいをなして捕縛せらるるもの数うるにいとまあらず。むしろ国法を改正して収賄を罪せざるに如かざるものの如し。道徳は時代と共に変遷するものなり。国の法令亦改めて可ならずや。往時忠臣は二君に仕うる事を愧ず。今は然らず。駕籠は医者と病人の乗るものなり今は賤妓も自動車に乗る。学生は通学するに必ず電車に乗り小使も弁当を腰に下げずして仕出屋を呼ぶ。然れども人の見て贅沢となすものなし。良家の妻女髪結の家に至り芸者と膝を接して蜜豆を喰うも良人これを放任して怪しまず。頃日某処の高等女学校にて余の小説を朗読して生徒に聞かせたる教員ありしが校長父兄倶に之を知るも咎むるものなかりしという。皆道徳の観念の変化を窺い知らしむるものなり。
 懲罰の主意とする処は改悛にあるや言うを俟たず。こらすも改めず罰するも恐れざるに至っては遂に施すに術なし。飲酒喫烟は悪習なり人これを知るも咎めず。赤垣源蔵あかがきげんぞうは一升徳利に美談を残し大高源吾おおたかげんごは煙草入の筒に風流を伝う。近時収賄事件の頻々として絶るの時なき、人をして時勢の堕落を慨嘆せしむると共に亦法令の時勢と人情とに適せざるの思を抱かしむ。近眼鏡を掛けざるものは書生に非ざるが如く収賄せざるものは遂に官吏に非ざるの思あるに至らんか。恰も痳病をうれいざるものは男児に非ずと云うに等しかるべし。

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 江戸時代の随筆旧記の類を見るに時世の奢侈しゃしに流れ行くを慨嘆せざるものなし。天明の老人は天明の奢侈を嘆きて享保の質素を説き文化文政の古老はその時代の軽浮を憤りて安永天明時代の朴訥を慕えり。明治に残存せる老爺は江戸の勤倹を称し大正の老人は明治時代の現代に優れるを説いて止まず。時代と人とを異にすと雖もその筆法は皆一律なり。後人の回顧して追慕する処の時代はこれ正に先人の更に前代を憶うて甚喜ばざるの時代なりしにあらずや。此を以て之を看れば老夫の感慨全く理に当らず。然りと雖も人老ゆるに及んで身世しんせい漸く落寞らくばくの思いに堪えず壮時を追懐して覚えず昨是今非さくぜこんひの嘆を漏らす。蓋し自然の人情怪しむに足らざるなり。
 駕籠に馴れたるものは人力車を見て快しとなさず人力車に馴れたるものは自動車を痛罵す。人力車にも初めは幌なし況んやゴム透幌すきほろ蚊帳幌かやほろアセチリンの灯に於てをや。ゴム輪は余輩の見聞にして誤らずんば明治四十年頃銀座辺の宿車より初まり一二年にして市外近郊の辻車まで皆これにならえり。車夫の草鞋を廃してゴム底足袋を用うるに至りしはゴム輪に先立つ事数年なりしが如し。凍てたる夜深の巷を乗り行く時なぞゴム底の足袋はパタパタ音して不愉快極まりなくゴム輪は轍の砂利をきしる響せざるが故矢張初めの中は乗り心地よろしからず世の中段々いやなものが流行出したりと思いき。車に紗の幌をかけ初めしは大正改元の頃帝国劇場女優の抱車なぞより流行出せしかと覚ゆ。
 自動車は当代の人皆之に乗る事を以て栄華の極みとなすが如し。然りと雖自動車には尚幾多の改良を施すべき処あり尚完全なるものとは云いがたし。殊に日本の道路及び人情風俗に適せざる処多きをや。余の考案する処は自動車を以て車と茶室とを兼用せしめんとするなり。自動車の大きさ官制の許す限りを以てすれば畳二畳を敷き優に起臥飲食するに足るべき車体を製し得べし。まず腰掛を除き床一面に畳を敷き中央に炬燵を置き窓に簾を掛け芸者と膝を交えて美酒を酌みつつ疾走せんか、その快おそらくは江戸時代の屋根舟にまさるものあらん歟。

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 去歳小説家花袋秋声の両子書肆及び雑誌記者等の為に文壇の功績を称揚せられし事ありき。本年島崎藤村子亦門弟子の為に遂に意をげて誕生五十年の賀宴を張るの已むを得ざるに至れりという。文壇の若輩常に個人の自由を主張し個性の尊重すべきを説く。而して往々報恩感謝等の美名の下に先進者の意志を束縛して顧みず甚だ奇怪なり。文事に覊縻きびなし[#「覊縻なし」は底本では「覇縻なし」]文壇もと悠々自適の天地たるべきなり。然るに猶此の煩累あるを免れず。悲しまざるべけんや。
 曽て漢詩の大家何某先生白玉楼中はくぎょくろうちゅうの人となるや葬礼に際して俄に文学博士の学位を授られたる事あり。此れ其友人門生等先師の墓標に文学博士の四字を記入せん事をこいねがい其の訃を秘してひそに学位授与の運動をなしたるによるものなりといえり。此もとより風聞に過ぎず然れども世間には往々親切ごかし御為ごかしに此の類の挙を敢てし却って死者の名を辱むるもの多し。今日一家の主人病に死するや其の葬礼のよく死者生前の意志又は遺族が意向のままに行わるるもの甚稀にして大抵は友人親戚が厚情の犠牲となりおわるを常とす。余が家翁の世を去られし時にも親戚群り来りて其の筋より叙位叙勲の沙汰あるまで訃を発すべからずとなし虚栄の為に欺瞞の罪を犯す事を顧みざりき。家翁は生前より位階を欲せず失意の生涯を詩に托して清貧に甘んぜられしは其官職を去られし時、半生潦倒簿書叢鏡裏旋驚衰鬢蓬春雨城中傷独夜落花江上奈多風栄枯一夢人情薄毀誉千年世論空笑我罷官貧太速此心今日与誰同の吟作あるによりても明なり。然るに親族の中今日上院の議員となり居れる何某の如きは墓石に位階勲等を記入せんとし又某県の知事を勤めいたる何某の[#「何某の」は底本では「何其の」]如きは某寺の僧より内々頼込まれたる事でもありしと見え家翁の平素より釈氏を好まざりし事を知りながら仏葬せよといいたる事なぞあり。死者を辱むるもの親族より甚しきはなし。余の親族多くは官米を食む。官吏は佞弁ねいべん邪智に富むものにあらざれば立身せず故に余擯斥ひんせきして途上に逢う事あるも顔を外向け言語を交えざる事既に十年を越ゆ。先方でも小説家輩はゴロツキなりとそれ相応に髭をひねっているなるべし。
 親類は法事の外に用なし。子は三界の首枷なり。門弟は月夜の提灯持なり。皆無きに如かず。

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 盗むと返さぬとは其の名を異にすと雖もその実は相同じ。盗むは暴にして拙し。借りて返さぬは卑しくして巧なり。傘風呂敷足駄書物の類は一度人に貸せば再び還っては来ぬものなり。
 金銭は天下の融通なり故に貸借あり、書画骨董は他人の所蔵するものを見れば足る。独り妻女は貸借を許さず鑑賞を禁ず。ここに於てか陋巷に売色の女あり。金銭に貸借の便あるが如く又骨董に鑑賞の興あるが如し。色に飢えて人の妻女を犯すは盗なり其の心暴にして其の為す処拙し。売色の女をだまくらかして安く買って遊ぶものは其の心卑しく其の為す処は巧なり。盗むものは罰せらる。借りた儘にして置く者は罰する事能わず。悪足わるあし間夫まぶの輩は傘風呂敷を借りて返さざるの徒に等し。唯困ったものなり。
 拒絶と忘却とは其の結果甚相似たり。拒絶は明瞭にして忘却は模糊たるのみ。処世の術に巧みなるものは決して拒絶せず[#「拒絶せず」は底本では「超絶せず」]忘れた風を粧うて為さざるなり。寝た振するを狸という。色男の口舌に用いるの術なり。耳遠くして聞えぬふりするものを狸親爺という。金を借りに来られた時隠居の常用する処なり。借りて返さぬもの亦狸の一類なり。人のこれを責むるや奪いたりとは言わず返すのを忘れたりと答う。欺き陥るるは狐なり偽り粧うは狸なり其の為す処幾分の相違あるが如し。むべなる哉富豪は決して人を欺かず唯忘れたふり知らぬ顔してまず所得税を収めざるなり。

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 赤坂霊南坂を登りて行く事二三町。道の右側に見渡すところ二三千坪にも越えたるほどの空地あり。宮内省の御用地という。草青く喬木描くが如し。我が偏奇館この空地を去る事遠からざれば散策の途次必ず過ぎて夏の夕には緑蔭に涼風を迎えて時に詩を読み、冬の夜には月中落葉を踏んで将に臨皐りんこうに帰らんとするの坡公はこうを思う事あり。
 空地は崖に臨み赤坂の人家を隔てて山王氷川両社の森と相対し樹間遥に四谷見附の老松を望み又遠く雲表に富嶽を仰ぐべし。黄葉の時節夕陽の眺望殊によし。晩霞散じて暮烟紫に天地をむるや人家の燈影亦目を慰むるに足る。されば氷川の森の背後にかの殺風景なる三聯隊の兵舎の聳ゆるなくんば東京市内の空地の中風光絶佳の処となすも決して過賞にあらざるべし。余市中の散歩を好む。曽て日和下駄なる一書を著すや市内に散在する空地を探りてその風趣を説きしがここに此の仙境あるを知らず従って言う処なかりき。今甚これを憾みとす。
 我が師柳浪りゅうろう先生移居の癖あり。曽て言えらく小説家は折ある毎に家をうつすべし。家を遷せば近隣目新しく近隣目新しければ従って観察の興を催し述作の資料を得る事すくなからずと。むべなる哉其の傑作「浅瀬の波」は深川砂村の辺に住われし事あるが故に出で来れるもの。「狂言娘」は根津に「黒蜥蜴くろとかげ」は入谷の辺に「骨盗み」は目黒に住われたる事あるが故に出で来れるものなるべし。小説を作る時篇中人物の居住する土地の事情と風景とに対する観察は人物の性格と共に寸毫も忽にすべきものならず。移居の述作に効あるや誠に理ありと言うべし。
 李商隠りしょういんが雑纂に遷移を好んで止まざれば須く貧なるべしと。世の諺にも動けば損と云う。然れども文士元来黄金に縁なし。余麻布に移りて空地と坂崖等「日和下駄」の中に書き漏したる処多きを知り未だ移居のついえくゆるにいとまあらざるなり。

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 活動写真映写の筋立何卒御暇もあらば御考案ありたしと、或人より頼まれたる時余直に答えけるは、貧しき一人の老父富豪の自動車に轢かれて死し、其の忰は或工場の職工なりしが同盟罷工のまきぞいにて身に覚えもなき罪を負い、其筋に検挙せられ、家に残りし老母病みて薬のみかは食うものさえなき有様に、妹娘のお何というもの内職の箱張をやめて芸者に身を売り、母を養う中忽ち梅毒にかかりて両眼を失い、一家餓死するというような話。どうです此れなら見物はおいおいと泣きましょうと云えば依頼者眼を円くして、先生は見掛によらず危険思想を抱く人かなと去って復来らず。

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 義理とふんどしは欠かされぬとは昔の人の言いし事なり。西鶴が浮世草紙の挿絵には銭湯に入るにもふんどしを締めたり。メリヤスの猿股は支那人の犢鼻褌とくびこんに同じきものなれど西洋にては婦人月経中に用ゆるのみにて男子の穿うがつものならずという。洋服着るには股引だけにて六尺もいらず越中もいらず。犢鼻褌ふんどし無用の世となれば義理も大に欠いて然るべし。義理とは何ぞや。歳暮新春の進物はいうに及ばず人の家に冠婚葬祭の事あれば必ず物を贈答することなり。学生クラス会を催せば車夫も新年会忘年会を開く。知友の去る毎に送別会あり還り来る毎に歓迎会あり。其他慰労会といい懇談会といい委員会といい義理の宴会挙げ来れば尽る時なし。芝居の総見物は一名これを義理見ぎりけんという。当世の人犢鼻褌を欠きながら何ぞかくは義理を重んずる事の甚しきや。
 余輩も亦当世の人なり。日常洋服を着るが故に犢鼻褌をしめず。犢鼻褌をしめざるが故に義理をかく事屁とも思わず。往復葉書にて宴会の通知に接すること毎月多きは十数回に及ぶ事あれども決して返事を出さず。返信用の片ひらはこれを猫婆にして経済の一端となせり。また会費の金額は仮に出席したるものとなしてこれを貯金箱に入れ置けば一年に少くとも二三百円を得。余これを以て生活に必要ならざる玩具春本の類を購うの資となす。嗚呼男子六尺をかけば福徳寔に大なるかな。

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 蓬頭垢面ほうとうこうめん襤褸らんるをまといこもを被り椀を手にして犬と共に人家の勝手口を徘徊して残飯を乞うもの近来漸くその跡を絶てり。此れに反して鼻下に髭を蓄え洋服の胸に万年筆をさし、折革包を携え仔細らしく案内を乞うて、或は教育或は衛生等名を公共の事業に托して寄附金を募集するもの年と共にその数を増せり。野良犬は水をかければ尾をまいて逃ぐ。乞食は巡査を呼ぶぞといえば恨めし気に去る。然るに寄附金の募集者に至っては救世軍の大道演舌もよろしく田舎訛の訥弁を振って容易に去らず、時にはユスリ新聞の記者の如く取次の挨拶如何によっては乱暴もしかねまじき気勢を示すものあり。昔虚無僧は人の門に立ちて銭を乞いしと雖も内より一声御無用と云えば静に去りしという。請うもの深く強いざれば断るもの亦礼を以てす。好意を受くるは恥にあらず。歯糞を飛ばして寄附金を強請するに至っては其の名を忠孝に托すと雖も其心は豺狼さいろうひとし。泥棒もコソコソは罪軽く白刃を閃かすものは罪重し。
 余義理と犢鼻褌を欠いて既に平然たり。寄附金の如きは其名目の如何を問わず悉く拒絶して受付けず。寄附金は元来富豪の罪滅しに行うべきもの通常の人は収入を隠匿せず正直に租税を納めていれば国民の義務は済むわけなり。然るに世には税さえ隠して満足には出さぬものあるをや。溝に金を棄てれば猶響あり。奸民狡吏かんみんこうり今や天下に満るの時おいそれと公共事業に寄附金を出すは愚の骨頂なり。

     ○

 客あり来って頻にわが邦家族制度の弊を論ず。余謹聴しつつおもむろにその人を看るに紋付の羽織を着たり。侃々諤々の論未終らざるに余にわかに問うて曰く貴兄の羽織には紋あり見る処抱茗荷だきみょうがに似たり。抱茗荷は鍋島様の御紋なり。紋は即ち往時家族制度の遺風なり。家族制度の弊を論じ個人主義を主張するの人紋所をつくるはいささ牴牾ていごきらいあるに似たり。世には江戸ッ子とやら称してつまらぬ揚足を取り大切な議論をも茶にしてしまうもの多し。事は大小となく用意の周到なるには如かじと。客苦笑して復言はず[#「言はず」はママ]

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 歌舞伎座新富座の如き日本風の劇場近頃斉しく観客の喫烟を禁ず。固より其筋の御達に依るものなるべしと雖もはなはだ訳のわからぬ話なり。土間桟敷に手あぶりを持運び酒を飲み弁当鮓を食い甘栗カキ餅煎餅煎豆の類を終日ボリボリ食う事差支なくんば煙草の如きは更に差支なき筈なり。火の用心を気にすれば奈落の焚火は其危険煙草の比にあらず衛生を云々すれば劇場内食堂の料理は禁じて可なり。
 今日の劇場は建築外観の和洋を論ぜず興行毎に連中見物と称して専花柳界の援助を必須とす。此によって之を観れば今日の劇場は正に待合料理店と選ぶ処なきものなり。然ればよろしく上海の戯園の如く上等桟敷には食卓を据え自由に公然芸者も呼べるようになさば政府も亦意外の遊興税をち得べし。若し之に反して劇場を以て絵画展覧会の如き高尚なる娯楽場となさば彼のデパートメントストワの如き運動場と饑饉の時の焚出し場の如き食堂とは速に之を閉止せしむべきなり。虫喰みたるサラドの葉いかがわしき牛乳入の珈琲は煙草よりも衛生に害あるべく蕎麦鮓汁粉南京豆を貪って満腹の※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびを吐くは所謂「考えさせる劇」を看て大に考えんとするに適せざるものなり。

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 現時の演劇を改良せんと欲すれば芸術を云々するに先立って先ず連中見物を禁じ次に食堂と運動場の売店とを撤去せしむべし。然らば観客の気風たちまち改まり俳優の芸風直に一新せん。
 現時の文壇を刷新せんと欲すれば主義を云々するに先立って速に月刊雑誌を廃せしむべし。雑誌なかりせば優良なる作品厳正なる批評自から世に生れん。
 現時の社会を改造せんと欲すれば道徳政治を云々するに先立ってまず女子身売の風習を改めしむべし。今日の社会もし花柳界なるもの無きに至らば旧弊の風習道徳凡て改まり世態人情亦一変すべし。吉原の公娼新橋の芸妓をさし置きて浅草の白首しろくびを退治するが如きは蓋し本末を誤るの甚だしきものというべし。

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 十一月下旬たまたま数寄屋橋を過ぐ。橋下に砂利川土を積む船七八艘あり。いずれも竹棹を船上より石垣にかけ渡して襁褓敝衣きょうほへいいを曝す。頗る不潔の態をなす。蕪村七部集の中「冬されやきたなき川の夕烏」の一句正に実景なるを思わしむ。忽ち看る一人の船頭悠然ふなべりに立出で橋上の行人を眺めやりつつ前をまくって放尿す。行人欄に倚りて見るものあるも更に恥る色なく指頭に一物を拈って静に雫を払い手鼻をかんで笘の中に入る。傍若無人も茲に至って始めて徹底す。小便無用の貼札は支那に在っては君子自重と書すという。君子は成程衆人の前にて立小便はせぬ筈なり。

     ○

 街頭の柳散尽ちりつくして骨董屋の店先に支那水仙の花開き海鼠なまこは安くぶりさわらに油乗って八百屋の店に蕪大根色白く、牡蠣フライ出来ますの張紙洋食屋の壁に現わる。冬は正に来れるなり。雨降れば泥濘の帝都ますます其の特徴を発揮し自動車の泥よけ乾く間もなく待てども来らず来れども乗れぬ電車を見送って四辻の風に睾丸も縮み上る冬は正に来れり。議会開けて公園の砂利場に巡査と弥次馬の組打面白き時節は近づけり。雪の日付け込んで車掌の怠業する時節は近づけり。薬種屋の店先にマスク並べられて流行感冒の時節は迫れり。夜盗と放火の年の瀬は来れり。市会議員捕縛の噂もさして面白からず。濁江にごりえに生れしからはとてもの事に来年はもう一層輪をかけた驚天動地の怪事件。活動写真にも出来ぬ程のものこそ見たけれ見たけれと。ここに大正九年を送る。

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 御稲荷様は皆正一位大明神なり。御稲荷様にして未だ曽て従二位といい正三位というが如きものあるを聞かざる也。近頃日本国内の専門学校公私の別なく競って大学の称号を得んとし頻にその許可を文部省に迫るという。国内の専門学校皆大学と改まり生徒は角帽金ボタン教師は誰しも博士とならば其名の空聞に帰せん事恰も御稲荷様の正一位に於けるが如くなるべし。御稲荷様に油揚を上げるは正一位なるが為ならず御利益のあるかなきかに基くなり。御稲荷様既に空位によらず実力を以て油揚をせしむ。専門学校の教師等博士の学位を得んと欲するはまだまだよし。老先長き天下の学生にして学校の虚名空聞を欲する事さながら成金の位階を欲し、車掌のかかあ奥様と呼ばれて嬉しがるが如きものあるに至っては慷慨家にあらざるも亦長大息を漏らさざるを得ざるなり。今や世界の大勢は階級制度を破壊し各人平等の権利を得んとすという。然るに血気盛りの学生たるもの猶学校の空位空聞に恋々たる其の心事の陋劣にして其思想の旧套きゅうとう陳腐を脱せざる事真に憫笑すべきなり。世人の呼んで商業大学というも或は商業学校というも何の差別かあらんや。大学生になったからとて俄に女学生やカッフェーの女給仕が惚れる訳でもあるまじ。品行方正学術優等なれば金満家へ養子の口はいくらも御在ましょう。

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 例の往復葉書にて近頃余がもとに届きたる或会合の通知状に某々伯爵も御出席の由につき奮って御来臨被下度云々と記したるものあり。福沢先生は爵位を受けず板垣翁は華族一代論を称えし事さえあるに今の若きものにて猶斯の如き文言を書して宴席に人を誘うものあるかと思えば世の中は年と共におくれて行く様な気もする折から青空に飛行機虻の如くうなり泥濘の巷に普通選挙の声蛙の如く湧き出るを耳にす。さては日本もさして後れては居らぬにや。兎にも角にも頭には西洋の帽子を戴き足には伝来の下駄はく国の人心誠に早やわからぬというこそ知らざるを知らずとする金言のたぐいなるべけれ。

     ○

 人おのれの他に及ばざる事を知って然も学ぶの意なく唯欺いて一時を糊塗せんと欲するや其の為す処のものこれを模倣となす。君子の聖人に及ばざる事を知って此に規る者は模倣に非ざるなり。門生の其師に及ばざる事を知って学ぶ者も亦模倣に非ざるなり。私淑は模倣に非ず憧憬も亦然り。其の意誠より出ず。己の及ばざる事を隠して人を欺かんとするものに非ればなり。
 日本の商品中西洋品の模倣と見るべきもの挙げて数え難し。而して缶詰ビスケット化粧品の類最も甚し。試に銀座の明治屋に赴きてジャムを購わば缶詰の体裁英国CB会社の製品に酷似せるものあるを知るべし。資生堂に入りてオードコロンの[#「オードコロンの」は底本では「オードゴロンの」]類を購わば其の壜其の口金等米国の製品に彷彿たるものあるを見るべし。食卓用の焼塩の如きは英国某会社の三角形なる其の商標を盗用せるものあり。いずれも一見真偽を弁じがたしと雖も購帰りて一度使用し一度口にすれば何人も直に其の和製品たる事を知るなり。英国製のジャムは缶一杯に隙間なく詰め込んであるに反し和製品は詰め方荒くして砂糖のアク強し。ビスケットは形同じけれども歯グキにねばりつきて歯を害し石鹸はその減り方例えば堅炭と土釜の如き差別あり。此等の模倣製品は大抵そのペーパーに外国文字のみを用い国字を印刷せず。化粧品の中には綴方を誤れるものさえあり。余理髪店の鏡台に屡之を瞥見して化け損じたる狐を見るの思いをなせり。
 かくの如き商品の贋造は固より奸商のなす処深く咎むるに足らずと雖これを購うものの心理に至っては軽々に看過すべきに非ざるなり。世人の西洋模造品を購って毫も意に介せざるは本場の舶来品に似て価の廉なるに在る。そもそも又わが現代の社会百般の事挙って悉く西洋の模倣にあらざるは無きが故に区々たる商品の如きは顧るに暇なしと云うに在る歟。模擬は事の大小に関せず男児のいさぎよしとなさざる処古今東西その説を一にす。此に於てか再び言う商品の模造たる其事小なりと雖も亦以て国の恥辱となすに足る。事に大小あるも恥に軽重なし。嗚呼悲歌慷慨の政客何ぞ独り排日問題をのみ口にしてジャムを口にせざるや。模造石鹸を棄ててうぐいすの糞か糠袋ぬかぶくろで顔を洗って出直すも誰か亦遅しと言わん。

     ○

 裸体はだかで大道を走るもの往時に雲助あり現代にマラソン競走者と称するものあり。メリヤスの肌衣を着すと雖両腕を蔽わず猿股一つに辛くも陰部を蔽うのみ。此輩しばしば隊をなして昼夜を問わず市中の車道を疾走す。然れども警官看て之を咎めず行人亦怪しまず路上の野良犬喜んでその後に尾して走る。太腿を出すは電車の中猶之を禁ずるに独りマラソン競走者の街上裸体を許すは何ぞや。マラソン競走は体育の名目を以てするものなれば也。貧困にして纏うに衣なく寒を凌がんとして走るものに非ざるが故なり。曽て浅草奥山深川八幡宮等の境内に雲雀山痩右衛門ひばりやまやせうえもんなぞと称して独相撲を取って銭を乞うものありき。白昼衆人の前にて裸体となるの故を以て官の禁ずる処となれりという。茲に於てか事をなすに当って大義名分の必要なる独り兵を用い政を施すの時のみにあらざるを知る。芸者買は宜しく社会研究の名目を以てすべし。親の脛かじり相寄って茶番狂言を催さんとするや正に最新芸術の研究とか試演とか称すべし。下手な小説を書いて原稿料を貪らんとするや正に人道の為め正義のためと号すべし。富豪をゆする時は社会改革を以て名とすべし。ああ世人の名を喜んでその実は問わざるや若し名目を弄ぶに巧なるものあって名を忠孝と衛生とに借らんか。人をして犬の如く這はしめ[#「這はしめ」はママ]猿の如く舞わしむるも亦難きにあらざるべし。
 近頃顔役仕事師の輩相寄って一大倶楽部を組織し大に剣侠の古風を世に示さんとすという。快なるかな此の挙や。任侠の徒義の為めに身命を軽しとする事羽毛の如く路上富豪の自動車泥土を刎飛すを見れば直に引摺り下して撲り或は電車車掌の無礼なるものあれば事の次第を問わず鉄拳をくらわし女記者の生意気な演舌をするものあれば頬辺ほっぺたをつねって懲し或は芸者の顕官に寵せられて心おごるもの或は芸人俳優者の徒にして奢侈しゃし飽く事なきものあらば随所に事をかまえて其の胆を寒からしめんか吾人傍観者の喜びや実に言うべからざるものあらん。溜飲無暗にさがって天下また胃病患者を断つに至らん。仕事師倶楽部の為す処吾人未之をつまびらかにせず若し徒に名を国粋にかり実は手拭をくばって花会を催すの類に過ぎざらんか吾人は文身の兄貴も亦当世の才子隅には置けぬと感心せんのみ。

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 男女同権は当に理の然らしむる処なり。婦人の議員となり官吏となり兵士たらん事を欲するや悉く許して可なり。許すに臨んでまず体育運動も宜しく男女同様たらしむべし。即白昼女子の衣を剥いで大道にマラソン競走をなさしめんか。満都の男子悉く雀躍してその後に随って走らん。蓋し其の効果の大なる婦人雑誌の言論に優る事万々なるべく示威運動の意義ここに於てか初めて明瞭なるを得べし。火災の時屋に登って女子の腰巻を振り動かすや祝融氏しゅくゆうしも屏息して焔を収むという。知るべし女子の権力の那辺に潜めるかを。
自大正九年至十年





底本:「麻布襍記 ――附・自選荷風百句」中公文庫、中央公論新社
   2018(平成30)年7月25日初版発行
底本の親本:「荷風全集 第十二卷」中央公論社
   1949(昭和24)年7月30日発行
初出:「新小説 第二十五年第十號〜第二十六年第三號」春陽堂
   1920(大正9)年10月1日〜1921(大正10)年3月1日
※「犢鼻褌」に対するルビの「ふんどし」と「とくびこん」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。
※新仮名へ改めるにあたっての誤植を疑った箇所を、「麻布襍記 ――附・自選荷風百句」中公文庫、中央公論新社、2018(平成30)年9月5日再販発行の表記にそって、あらためました。
入力:きりんの手紙
校正:入江幹夫
2021年3月27日作成
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