買出し

永井荷風




 船橋と野田との間を往復している総武鉄道の支線電車は、米や薩摩芋の買出をする人より外にはあまり乗るものがないので、誰言うとなく買出電車と呼ばれている。車は大抵二、三輛つながれているが、窓には一枚の硝子ガラスもなく出入口の戸には古板が打付けてあるばかりなので、朽廃した貨車のようにも見られる。板張の腰掛もあたり前の身なりをしていては腰のかけようもないほどこわれたりよごれたりしている。一日にわずか三、四回。昼のうちしか運転されないので、いつも雑沓する車内の光景は曇った暗い日など、どれが荷物で、どれが人だか見分けのつかないほど暗淡としている。
 この間中あいだじゅう、利根川の汎濫したため埼玉栃木の方面のみならず、東京市川の間さえ二、三日交通が途絶えていたので、線路の修復と共に、この買出電車の雑沓はいつもよりまた一層激しくなっていた或日あるひの朝も十時頃である。列車がもなく船橋の駅へ着こうという二ツ三ツ手前の駅へ来かかるころ、誰が言出したともなく船橋の駅には巡査や刑事が張込んでいて、持ち物を調べるという警告が電光の如く買出し連中の間に伝えられた。
 いずれも今朝方、夜明よあけの一番列車で出て来て、思い思いに知合いの農家をたずね歩き、買出した物を背負って、昼頃には逸早いちはやく東京へ戻り、その日の商いをしようという連中である。どこでもいいから車がとまり次第、次の駅で降りて様子を窺い、無事そうならそのまま乗り直すし、悪そうなら船橋まで歩いて京成電車へ乗って帰るがいいと言うものもある。乗って来た道を逆に柏の方へ戻って上野へ出たらばどうだろうと言うものもある。やがてその中の一人が下におろしたズックの袋を背負い直すのを見ると、乗客の大半は臆病風に襲われた兵卒も同様、男も女も仕度を仕直し、車が駐るのをおそしと先を争って駅のプラットフォームへ降りた。
「どこだと思ったら、此処ここか。」と駅の名を見て地理を知っているものは、すたすた改札口から街道へと出て行くと、案内知らぬ連中はぞろぞろその後へついて行く。
「いつだったか一度来たことがあったようだな。」
「この辺の百姓は人の足元を見やがるんで買いにくい処だ。」
「その時分はお金ばっかりじゃ売ってくれねえから、買出しに来るたんび足袋だの手拭だの持って来てやったもんだ。」
「もう少し行くとたしか中山へ行くバスがある筈だよ。」
 こんな話が重い荷を背負って歩いて行く人達の口から聞かれる。
 十月はじめ、雲一ツなく晴れわたった小春日和。田圃たんぼの稲はもう刈取られて畦道に掛けられ、畠には京菜と大根の葉が毛氈もうせんでも敷いたようにひかっている。百舌もずの鳴きわたる木々の梢は薄く色づき、菊や山茶花さざんかのそろそろ咲き初めた農家の庭には柿が真赤に熟している。歩くには好い時節である。買出電車から降りた人達はおのずと列をなして、田舎道を思い思い目ざす方へと前かがまりに重い物を負いながら歩いて行く。その身なりを見ると言合せたように、男は襤褸ぼろ同然のスェータか国民服に黄色の古帽子、破れた半靴。また草履ぞうりばき。年は大方四十がらみ。女もその年頃のものが多く、汚れた古手拭の頬冠ほおかむり、つぎはぎのモンペに足袋はだしもある。中にはくあんな重いものが背負えると思われるような皺だらけの婆さんも交っていた。
 やがて小半時も歩きつづけている中、行列は次第次第にとぎれて、歩き馴れたものがどんどん先になり、足の弱いものが三人四人と取り残されて行く。その中には早くも路傍の草の上に重荷をおろして休むものも出て来るので、同じような身なりをして同じような荷を背負っていても、しばらくの中に買出電車から降りた人だか、または近処の者だか見分けがつかないようになった。
 道しるべの古びた石の立っているえのきの木蔭。曼珠沙華の真赤に咲いている道のとある曲角に、最前さいぜんから荷をおろして休んでいた一人の婆さんがある。婆さんはあとから来て休みもせずどんどん先へと歩いて行く人達の後姿をぼんやり見送っていたが、すぐには立上ろうともしなかった。
 するとまた後から歩いて来た、それは四十あまりのかみさんが、電車の中での知合らしく、婆さんの顔を見て、
「おや、おばさん、大抵じゃないね。わたしも一休みしようか。」
「もう何時だろうね。」と婆さんはまぶしそうに秋晴の日脚を眺めた。
「追ッつけもうお午でしょう。わるくするとこの塩梅あんばいじゃ、今日はあふれだね。」
「線路づたいに船橋へ行った方がよかったかも知れないね。」
「わたしゃさっぱり道がわからないんだよ。おばさんは知っていなさるのかね。」
「知っているような気もするんだよ。知っていたって、たった一度隣組の人と一緒に来たんだから、どこがどうだか、かいもく分りゃアしない。久しい前のことさ。戦争にゃなっていたが、まだ空襲にゃならなかった時分さ。」
「戦争になってから、もう十年だね。戦争が終ってもこの様子じゃ、行先はどうなるんだろう。買出しも今日みたような目にあうと全く楽じゃないからね。」
「全くさ。お前さんなんぞがそんな事を言ってたら、わたしなんぞこの年になっちゃ、どうしていいか分りゃアしない。」
「おばさん、いくつになんなさる。」
「六十八さ。もう駄目だよ。ついこの間まで六貫や七貫平気で背負しょえたんだがね。年にゃ勝てない。」
「そうですか。えらいね。わたしなんぞ今からこれじゃ先が思いやられます。」
「その時にゃ若いものがどうにかしてくれるよ。息子さんや娘さんが黙っちゃアいないから。」
「それなら有り難いが、今時の伜や娘じゃあてにゃなりません。道端で愚痴をこぼしていても仕様がない。大分休んだから、そろそろ出かけましょうか。」
 かみさんらしい女がズックの袋を背負い直したので、婆さんも萠葱もえぎの大風呂敷に包んだ米の袋を背負い、不案内な田舎道を二人つれ立って歩きはじめた。
「おばさん。東京はどこです。本所ですか。」
「箱崎ですよ。」
「箱崎は焼けなかったそうですね。うございましたね。わたしは錦糸町でしたからね。生命いのちからがら、何一ツ持ち出せなかったんですよ。」
「わたしもそうですよ。佐賀町で奉公していましたから。着のみ着のままですよ。上の橋の側に丸角さんて云う瀬戸物の問屋さんがあります。そのお店のまかないをしていたんですがね。旦那も大旦那もなくなったんですよ。わたし見たような、どうでもいいものが、やけど一ツしないでたすかって、ねえ、お前さん、何一ツ不自由のない旦那方があの始末だからね。人の身の上ほどわからないものはないと、つくづくそう思うんだよ。」
「おや、正午おひるじゃないかね。あのサイレンは。」とおかみさんはさして遠くもないらしいサイレンが異った方角から一度に鳴出すのを聞きつけた。婆さんは一向頓着とんちゃくしない様子で、頬冠の手拭を取って額の汗をふきながら、見れば一あしあしおくれながら歩いている。
「そこいらで仕度したくをしようかね。いくら急いだって歩けるだけしきゃ歩けないからね。」
 おかみさんは道端に茂っている椿の大木の下にこわれた小さな辻堂の立っているのを見て、そのきざはしに背中の物をおろした。あちこちでしきり※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が鳴いている。婆さんもその傍に風呂敷包をおろしたが、何もせず、かみさんが握飯の包を解くのを見ながら黙っている。
「おばさん、どうした。」
「わたしはまだいいよ。」
「そう。それァわるかったね。わたしゃ食いしんぼうだからね。」
「かまわずにおやんなさい。わたしゃ休んでるから。」
 おかみさんは弁当の包を解き大きな握飯を両手に持ち側目わきめもふらず貪り初めたが、婆さんは身を折曲げ蹲踞しゃがんだ膝を両手に抱込んだまま黙っているのに気がつき、
「おばさん、どうかしたのかい。気分でもわりいかい。」
 一向返事をしないので、耳でも遠いのか、それとも話をするのが面倒なのかも知れないと、おかみさんは一ツ残した握飯をせっせと口の中へ入れてしまい、沢庵漬をばりばり、指の先を嘗めて拭きながら、見れば婆さんはのめるように両膝の間に顔を突込み、大きないびきをかいているので、年寄と子供ほど呑気のんきなものはない。処嫌わず高鼾で昼寐をするとでも思ったらしく、
「おばさん。起きなよ。出かけるよ。」と言ったが一向起きる様子もないので、袋を背負い直して、もう一度、「じゃ先へ行きますよ。」
 その時、婆さんの身体が前の方へのめったので、おかみさんは初て様子のおかしいのに心づき、うしろから抱き起すと、婆さんはもう目をつぶって口から泡を吹いている。
「おばさん。どうしたの。どうしたの。しっかりおし。」
 ばアさんの肩へ手をかけてゆすぶりながら耳に口をつけて呼んで見たが、返事はなく、手を放せばたわいなく倒れてしまうらしい。
 あたりを見まわしても、目のとどくかぎり続いているねぎと大根と菠薐草ほうれんそうの畠には、小春の日かげの際限なくきらめき渡っているばかりで人影はなく、農家の屋根も見えない。馬力ばりきが一台来かかったが二人の様子には見向きもせずに行ってしまった。おかみさんはふとこのあいだ、隣に住んでいる年寄が洗湯からかえって来て話をしている中にころりと死んでしまったその場の事を思出した。
「やっぱりお陀仏だ。」
 暫くあたりを見廻していたが、たちまち何か思いついたらしく背負い直したズックの袋をまたもや地におろし、婆さんの包と共に辻堂の縁先まで引摺って行き、買出して来た薩摩芋と婆さんの白米とを手早く入れかえてしまった。その頃薩摩芋は一貫目六、七十円、白米は一升百七、八十円まで騰貴していたのである。
 おかみさんは古手拭の頬冠を結び直し、日向ひなたの一本道を振返りもせずに、すたすた歩み去った。
 道はやがて低くなったかと思うとまた爪先上りになったその行先を、はるかむこうの岡の上に茂った松林の間に没している。その辺から牛の鳴く声がきこえる。おかみさんは息を切らさぬばかり、追われるように無暗むやみと歩きつづけたので、総身から湧き出る汗。いても拭いても額から流れる汗が目に入るので、どうしても一休みしなければならない。今からあんまり無理をすると此方こっちも途中でへたばりはしまいかと思いながら、それでも構わず、時にはわだちの跡につまずきよろめきながらも、向に見える松林を越すまでは死んでも休むまいと思った。おかみさんは振返って自分の来た道が一目に見通される範囲に、その身を置くことが一歩一歩恐しく思われてならなくなったのだ。倒れたら四ツ這いになって這おうとも、ひとまず向に見える松林の彼方かなたまで行ってしまいたくてならない。
 彼処あすこまで行ってしまいさえすれば、松林一ツ越してさえしまえば、何の訳もなく境がちがって、死人の物を横取りして来た場所からは関係なく遠ざかったような気がするだろうと思ったのだ。行き合う人や後から来る人に顔を見られても、彼処あすこまで行ってしまえば何処どこから来たのだか分るまいと云うような気がするのである。
 この心持は間違まちがってはいなかった。やっとの事、肩で息をしながら坂道を登りきって、松林に入り小笹と幹との間から行先を見ると、全く別の処へ来たようにあたりの景色も、木立の様子も、気のせいかすっかり変っている。畠の作物もその種類がちがっている。茅葺の農家のみならず。瓦葺の二階建に硝子戸を引き廻した門構もんがまえの家も交っている。松林の中は日蔭になって吹き通う風の涼しさ。おかみさんはほっと息をついて蹲踞しゃがみかけると、背負った米の重さで後に倒れ、暫くは起きられなかった。
 その時自転車に乗った中年の男が同じ坂道を上って来て、おかみさんの身近に車を駐めて汗を拭き巻烟草に火をつけた。おかみさんはそれとなくその男の様子を見ると、これから買出しに行くものらしく、車の後にはたたんだズックの袋らしいものを縛りつけている。おかみさんは恐る恐る
「旦那、何かお買物ですか。」と話しかけた。
「駄目だよ。こちとらの手にゃおえないよ。」
「売惜しみをしますからね。容易なこッちゃありません。」
「全くさね。それにお米ときたらとても駄目だ。いいなり放題お金の外に何かやらなけれァ出しそうもないよ。」
「わたしもさんざ好きなことを言われたんですよ。それでもやっと少しばかり分けて貰いました。」
「この掛合は男よりも女の方がいいようだね。一升弐百円だって言うじゃないか。うそ見たようだ。」
「東京へ持込めば、旦那、処によるともっと値上りしますよ。御相談次第で、何なら、お譲りしてもいいんですよ。」
「そうか。それァ有りがたい。何升持っている。」
「一斗五升あります。おもりがするんでね、すこし風邪は引いてますし、買っておくんなさるなら、願ったり叶ったりです。」
「じゃ、おかみさん。一升百八十円でどうだ。」
「その相場で買って来たんですから、旦那、五円ずつ儲けさして下さいよ。」
 男はおかみさんの袋を両手に持上げて重みを計り、あたりに一寸ちょっと気を配りながら自転車の後に縛りつけた袋と、棒のついた秤とを取りおろした。
 取引はすぐに済んだ。
 おかみさんは身軽になった懐中に男の支払った札束さつたばをしまい、米を載せて走り去る男の後姿を見送りながら松林を出た。林の中には小鳥がさえずり草むらには虫が鳴いている。
(昭和二十三年一月)





底本:「問はずがたり・吾妻橋 他十六篇」岩波文庫、岩波書店
   2019(令和元)年8月20日第1刷発行
底本の親本:「荷風全集 第二十巻」岩波書店
   1994(平成6)年10月28日第1刷発行
   2010(平成22)年11月25日第2刷発行
初出:「中央公論 第六十五年第一号」中央公論社
   1950(昭和25)年1月1日発行
入力:入江幹夫
校正:noriko saito
2021年12月27日作成
2022年2月11日修正
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