小説の巧拙を論ずるには篇中の人物がよく躍如としているか
人物の躍如としているものは必ず傑作である。人物が躍如としていれば、その作は読後長く読者の心に印象を留める力がある。作者はその人物を空想より得来ったか、
谷崎君の長篇小説「細雪」は未完ではあるが、既に公刊せられた上中の二巻を読んで、わたくしはその人物のさして重要でないものに至るまでその面目は皆活けるが如く躍如としているのに驚かされた。(篇中なにがしと云う下女の如き、或は隣家に住む
「細雪」を見るに、作者がこの一篇をなすに当って多数なる人物の観察と、つづいてその構想とに、かなり長い歳月を必要としたことが推察される。戦争中その上巻の公表よりして今日に至るまでの歳月を数えても既に五年を
細雪の作風は純然としてまた整然として客観的の範囲を厳守している。明治以来わが現代の小説中、その作風のかくの如く整然として客観的なるものは未だ曽て見られなかった。田山花袋一派の作者が一時小説に客観的作風の重んずべきを説いたことがあったが、その作例には
元来客観を主とした長篇小説は布局に変化が少いので、
谷崎君が初めて文壇に現れたのは、明治四十三、四年であった。歳月を閲すること四十余年である。その間に制作せられた諸名篇の中、その客観的手法を用いて目覚ましき成功を示したもの、この「細雪」に
「細雪」の篇中、神戸市水害の状況と、嵐山看花の一日を述べた一節とは、言文一致を以てした描写の文の模範として、永遠に尊ばれべきものであろう。わたくしは鴎外先生の蘭軒伝の他に、その趣を異にした言文一致体の妙文を得たことを喜ばなければならない。
「細雪」は昭和年代の関西における一旧家族の渾然たる歴史である。わたくしは今日まで東京以外の生活については全く知るところがない。篇中人物の行動と感情と、また風土気候に関しても、初めて知るを得たものが少くない。「細雪」閲読の興味は
「細雪」上中の二巻を通読して、わたくしの得た印象を述べると、教養ある関西人の生活の裏面、その感情の根柢には今日もなおゆるやかなる平安朝時代の気味合の
作者の関西における一般の観察は全く驚くべき境にまで到達している。一年二年の観察を以てしては到底能くすべきかぎりではない。小説の巧拙は、その観察と思想との
(昭和廿二年十一月草)