特殊部落の人達の口にする言語は、その付近の普通部落の言語と幾らか違ったところがある。そしてやや遠く離れた所であっても、他の同じ仲間の言語とは似ている場合が多い。例えばサ行の音もしばしばタ行に誤ったり、ダ行の音をしばしばラ行に誤ったりすることは、よく耳に立つところである。浪人をドウニンと云ったり、雑誌をダッシと云ったりなどする。六条村年寄の留書を見ると、
なるほど特殊部落の言語が、付近の普通部落の言語と違うことのあるのは事実である。そしてそれをなるべく普通部落のと同じものに改めて行きたいという希望を自分は持っている。しかし特殊部落民の口にするところが、果してことごとく所謂方言訛音なるもののみであろうか。普通部落民の使っている言葉の方が、果してことごとく正しいものであろうか。それは一つ一つについて研究してみねば、軽々しく判断する訳には参らぬ。ただそれが間違いであろうが、無かろうが、多数について行くのが便宜だという点から、普通語に変えて行きたいと思うのである。
さきに「日本民族と言語」(一巻一号)を説いた時にも述べた通り、言語は決して一定不変のものではない。もし自然のままにまかして、何ら匡正をこれに加えなかったならば、舌のよく廻らぬ子供の
また江戸の様に諸国人の多く入り込む所には、自然と一種の合の子言葉が出来る。自然淘汰優勝劣敗の原則がここにも行われて、適者優者が生存して、ここに江戸言葉というものが出来た。しかし一と口に江戸といううちにも、屋敷方には屋敷言葉、職人仲間には職人言葉、相撲取りには相撲取り言葉、吉原には吉原言葉という風に、余程様子の違った言葉が発達する。今日の如く交通が発達して、ことに普通教育で標準語を教えている世の中にあっても、交際を異にすることによって、同一地方に住んでおりながら、町家の言葉と書生言葉と違っているという様な現象は免れない。
方言訛音の起る原因については、実は右の如き簡単な理由でのみ説明しうべきものではないが、右述べたところは確かにその主なる原因の一つであることは疑いない。すなわち平素交際する社会が違えば、自然と言葉は違って来べきものなのである。
この見地から考えたならば、特殊部落に一種の言葉が行われているという理由は、容易に解釈しえられるのである。彼らは多年の間殆ど普通部落との間に交際がなかった。従って言葉がお互いに違った方向に変化して行ったに不思議はない。そしてやや離れている地方でも、その同じ仲間同志には交通が比較的多かったから、自然似た言葉が行われるというのは当然の結果である。その言葉の中には、或いは普通部落の言葉よりも、かえって多くの古語を伝えているのも少くはなかろう。言葉が違っているが故に、本来種族が違うなどいう事は、一顧に値せぬ空想に過ぎない。よしや本来種族を異にしたものがあって、固有の言葉が一部分方言として保存されているのがあるとしても、大体に於いて言語が交通によって変って行く事を了解したならば、問題は容易に解決さるべきものであらねばならぬ。