特殊部落ということについて

まず部落としての集団的取扱いを廃せよ

喜田貞吉




 余輩がさきに「特殊部落研究号」(本誌二巻一号)を発行して、いわゆる特殊部落なるものの由来沿革を明らかにし、彼らが決してことに疎外排斥せらるべき性質のものにあらざる所以を説明すべく試みた事は、読者諸君の今なお耳目に新たなることと信ずる。当時紙数の制限と、編纂期日の束縛とによって、説いて委曲をくす事能わず、研究またすこぶる不十分で、後の訂正増補を要すること少くなかったにかかわらず、幸いに読者諸君の甚大なる注意を促すことを得て、爾来これに関する感謝・賞賛・希望・鞭韃等の書面や、研究報告の論文記事等の原稿は、積んで編者の机上にうずたかきをなすに至った。これが為に余輩の研究上裨益するところ甚だ多きを致したのは、余輩の深く感謝するところである。ここにおいて余輩は、さらに他の一般特殊民に関する諸研究をもこれに合せて、早晩前者の姉妹篇とも云うべき一つの増大号を発行し、以てこれら篤志家各位の好意に酬いんことを予期して、しばらくこの方面に関する論説記事の掲載をなるべく差控える方針をとっておった。しかるに不幸にして近時余輩の有する余暇と余輩の健康とは、当分かくの如き増大号の頻繁なる発行を見合すべく余儀なくせしむるに至ったが為に、余輩は前々号以来、俗法師の研究を始めとして、再びこれら特殊民に関する雑多の研究報告を、断片的に本誌普通号上に分載発表することとした。これまた既に読者諸君の御注意に上った事と信ずる。願わくは熱心なる同好諸君、余輩のこの挙に賛して、ますます各地における各種特殊民の過去現在の状況に関する有益なる報告を寄せられて、余輩の研究を助成し給わんことを。
 過去における特殊民は、その関係するところすこぶる多方面に渉っている。今日いわゆる特殊部落なる旧エタ及びその類似の諸部族の如きは、過去におけるその多数の特殊民中の一小部分たるに過ぎないのである。しかもその多数の特殊民が、何ら社会の疎外排斥を受けざるのみか、かえって世人の尊敬憧憬の標的となっているものも少からず存在し、もしくはかつて幾分疎外排斥を受けていたのであっても、今日では既にその事実がほとんど忘却せられて、社交上何らの区別を見ることなく、公々然として天下の大道を横行闊歩しているものの甚だ多きにかかわらず、もとそれらと同じ流れを汲んだいわゆる特殊部落なるものが、今に至ってなおひとりその後に取り残されて、この広い世界を狭く渡らねばならぬということの不条理なるは、何人も異議なきことであらねばならぬ。旧時のエタが特に疎外せられたのは、前号所載の「エタと皮多」に論じた如く、彼らが肉を喰い皮を扱うの皮多であったが為である。彼らの肉を喰い皮を扱うの所行が、穢れた業である、神明の忌み給うところである、常人の近づくべからざるものであるという迷信誤解が、彼らが特に他の各種の特殊民に比して、甚だしく疎外排斥せらるるに至った理由のすべてである。しかるに今日においては、何人か肉を喰い皮を扱う事を以て、穢れた所行となすものがあろう。しかもなお彼らが一般社会に容れられないということは、ただ因襲の結果に拠るのみだと言わねばならぬのである。
 しからばいかにしてその因襲を打破すべきか。これは余輩が既に説いた如く、世人をして彼らを区別することの何ら理由なき次第を知らしめ、彼らをしてよく自己の由来を覚知し、反省自重せしむるによることは言うまでもないが、さらにこれにも増して急務とすべきは、まず何々部落という総括的名称の下に、彼らに対して集団的取扱いをなす事を全廃するのにあると信ずる。
 熱心なる読者諸君から余輩に寄せられた多くの意見の中にも、特殊部落とか細民部落とかいう区別を撤廃したいという希望がすこぶる多い。これ実に余輩の全然同感とするところである。さきに日本魂社からも、またこの意味の論文を寄せんことを請求せられた。これ余輩のかねて希望するところであったから、早速筆を執って「特殊部落区別撤廃の要」と題する一小篇を起稿し、その論文はただちに客臘十一月発行の「日本魂」誌上に登載せられた。ところがこれを読まれた本誌読者の或る人は、その文が時節柄極めて必要であるから、それを本誌上に転載して、広く本誌読者の一覧に供することにしたいという希望を寄せられた。これまた実に余輩の欲するところである。すなわち左にその要を摘録して、いささか蛇足を付加したいと思う。

緒言


 私がここに特殊部落というのは、近ごろ内務省あたりで細民部落と云い、往時はエタと呼ばれて甚だしく賤視せられた皮作かわつくりの部族、及びこれに類似のもので、今なお世間からは特殊なるものとして、普通民との間に或る区別を立てられている或る一部の同胞を指すのである。
 私は根本において、政府なり世間なりがこれらの同胞を、特殊部落だとか、細民部落だとか云って、区別するのがよろしくないという意見を有しているものである。しかるにここに本編において、自ら「特殊部落」という名称を用いているのは、すこぶる自家撞着の嫌いがあるが、それは説明上やむをえぬ事として、しばらく御容赦にあずかりたい。そしてこれを説明した結果として、政府からも、世間からも、これを特殊部落だの、細民部落だのとして区別することが、人道上甚だ不条理であるのみならず、社会政策上にも甚だ不利益である所以をさとらしめ、ついにはこれらの語をして、永久に死語たらしめたい希望を有しているのである。

特殊部落を区別することの悪結果


 いわゆる特殊部落は、時に或いは後進部落と言わるるまでに一般社会の進歩から後れている場合が多い。もちろん中には学識名望を有し、欽仰すべき人格を備え、社会の先覚者として尊敬すべき程の人士もないではないが、概して言えば世間一般に比して、すこぶる後れているのが多いのは事実である。彼らはまた時に細民部落と言わるるまでに、貧乏なのが多数である。ここにおいてか衛生状態にしても、日常生活の程度にしても、また風儀なり性格なりの上においても、幾多の改善を要し、救済を要する事項がある。されば政府の当路者を始めとし、民間の篤志者同情者の間において、特殊部落改善、細民部落救済の声が、盛んに繰り返され、また既に着々実施されているのであり、またその実施の為に、既に改善せられ救済せられたものも少からぬ情勢にある。これまことに結構至極の事で、明治大正の昭代の慶事として、欽仰すべき行為だと信ずる。これを人道の上から云っても、社会政策の上から云っても、正にしからねばならぬことである。しかしながらさらに飜ってこれを考えてみると、これを特殊部落なり、細民部落なりとして、改善し救済する事は、はなはだ以てよろしくない。何となれば、世間が彼らに対して甚だしく偏見を有し、これを疎外排斥するについては、必ずしも彼らが不潔で、貧乏で、風儀や性格がよろしくないものが多いというのが、その全部ではないからである。これらの欠点も、もちろん彼らが疎外排斥せられる原因の一つをなしているのではあるが、社会の彼らに対する偏見は、これらよりもさらに深い、さらに大きなものが、外にひそんでいることを忘れてはならぬ。したがってそのさらに深い、さらに大きな原因が除去されずしては、単に衛生状態や、風儀や性格やを改善し、また彼らが相当の貯蓄をして、もはや細民部落というような有難からぬ称号を返上する事が出来たにしても、彼らは依然として改善されたる特殊部落として、永く社会の疎外排斥を全然免れるという事が、出来なかろうと思われるからである。
 大体今の世の中に、特殊部落などというものが存在するということは、一向いわれのないことである。エタ非人の称は明治四年に廃止せられて、従来は公民として扱われておらなかった彼らの仲間も、爾来は押しも押されもせぬ立派な帝国臣民である。国民としてのあらゆる権利義務を付与されているのである。しかしながらこれは単に国法上からのみの事であった。政府は立派にその区別撤廃を命じても、一般社会は事実上これを容認しない。彼らは新平民という別の名称を以て、依然として区別せられた。したがって彼らは、国法上国民としての義務はことごとく普通民と同じく負担しながら、社会においてはほとんど国民として権利の行使を許されない場合が多い。しかも彼らは国法上の区別撤廃とともに、従来有しておった種々の特権や、独占事業は奪われてしまった。従来彼らはその特権と独占事業とによって、世間から擯斥せられながらも、ともかくも安穏に生活していたのであったが、それから後は甚だしく生活上の脅威を免れなくなった。彼らがますます淪落の淵に沈み、いわゆる細民部落をなすに至ったのは、その原因主としてここにあると言わねばならぬ。
 彼らは特殊部落として区別せらるるが為に、自由にその住居を選ぶことすらも困難である。彼らは特殊部落として区別せらるるが為に、営業選択上種々の不便不利益を被っている。彼らは教育を受けるにしても、娯楽を求めるにしても、社会に地位職業を求めるにしても、いつも特殊部落として区別せらるることが累をなして、これが為に彼らの受くる苦痛と不愉快とは、実に夥しいものである。これから生み出す幾多の悲劇は、私がここに列挙するまでもない。彼らは社会の地位を得んが為には、必ずその素性を隠さねばならぬ。そしてその暴露を恐れて、常に戦々兢々たるものがある。これが為に神経衰弱に陥る。暴露したが為に自殺したとか、自暴自棄になったとかいう実例すら、決して少くないのである。世人はよく、部落民が一致団結して社会に反抗するという。事実上彼らの一人が普通民から凌辱をでも受けた場合に、一部落こぞって囂々ごうごうとしてその報復を試みる場合が少くない。しかしながらこれは、彼らが社会の圧迫に対する避け難き手段であらねばならぬ。言わば生存の為の正当防衛である。世人はまたよく、部落民の根性が曲っているという。品性が下劣だという。事実上これを一般普通民と比較したならば、平均したところで或いは、この傾向の認められる事が無いでもなかろう。しかしながらこれは、世間の彼らに対する多年の圧迫が、彼らを駆ってここに至らしめたものであることを忘れてはならぬ。世人はまたよく彼らに貯蓄心がなく、たまに金銭を得ればただちに酒食賭博に浪費し、毫も生活を改善するの意志がないと云って咎める。これまた事実上一般普通民に比較したならば、平均してこの傾向があるのかもしれぬ。しかしながらこれまた世間の圧迫が、彼らをしてこの窮地に陥らしめ、遂には自暴自棄の結果として、稀に得らるるこの低級の快楽に満足せしめ、習い性となって、劣等の生活をもさまで気にせぬようになった事を忘れてはならぬ。彼らは実に社会における継子である。無垢無邪気なる天真爛漫の可憐の児童も、邪見無慈悲なる継母の手に大きくなっては、時にいわゆる継子根性を生ずると同じように、彼らは世間の邪見無慈悲なる継母の毒手にかかって、ついにこの継子根性を養成されたのであらねばならぬ。かくの如くにして、どうして彼らは社会の進歩に並進する事が出来よう、どうして彼らが富裕なる生活を遂げる事が出来よう。彼らが後進部落と言われ、細民部落とも言われるに至るのは、まことにやむをえぬ次第ではないか。ことに彼らは、部落間の固い団結によって、僅かに社会の圧迫に対抗し、その脅威から免れているのであるから、容易にその部落から離れて、任意の地に分散住居する事が出来ぬ事情がある。また特志のものが大勇猛心を起して、他に住居の地を卜し、任意の職業に従事しようとしても、地主がその素性を知った以上、容易にこれに応じない。よしやそれが求め得られたとしても、いつしか隣人の疎外に堪えかねて、遂にもとの古巣に帰って来るのが普通である。かくて彼らは限られたる狭い範囲に、いわゆる貧乏子沢山の諺に漏れずして、盛んに繁殖する子弟を包容するが故に、その住居はますます狭隘となって、いわゆる密集部落を形づくるに至るのである。かくの如くにして彼らの生活は、ますます困難となる。衛生の清潔のというが如き贅沢な問題は、到底望むべからざることで、世間との距離はますます遠くなる。これが為に彼らはますます疎外排斥せられる。果が因を生み、因が果を結び、ついに甚だ気の毒なる状態になってしまったのである。そしてこれ実に、主として彼らが特殊部落として区別せらるるが為に生じた悲劇であらねばならぬ。

特殊部落の人口増殖とその将来


 実際彼らの増殖率の多いのは驚かずにおられぬ。明治四年エタ非人称号廃止の頃の彼らは、その数僅かに三十余万に過ぎなかったのであるが、それが今日では百二三十万にも達すると言われている。過去四十八年間、一般世人が三千三百万から五千七八百万まで、すなわち七割五六分を増す間に、彼らは実に約四倍の多数にも達しているのである。かくの如き増殖率の著しい相違は、徳川時代を通じて行われたもので、これ実に彼らが生活の困難を来し、国法上、また社会上、甚だしい圧迫を受くるに至るの原因を為したものであった。そしてこの現象は維新以後に継続し、将来もまた或る期間は実現せらるべきものである。その結果が果していかに成り行くであろうか。人類は生きんが為には、また自己権力の擁護の為には、往々手段を択ばす猛進せねばならぬ場合がないでもない。これは世界歴史、特に世界現在の風潮が立派にこれを明示しているのである。彼らの人口が少く、社会の圧迫に閉塞している間は、単に人道上の問題だけですむ事ではあるが、彼らがかくの如き勢いを以て、今日の多数を致し、その結果彼らがいかに苦しき淵に沈んでいるかの現象を見て、さらに将来の人口増殖の結果に考え及ぼしたならば、これは単に人道上の問題のみでなく、社会上の大問題として、真面目に考えねばならぬ事であるは言うまでもなかろう。
 百二三十万という人口は、内地人の総数に比して実に約五十分の一にも相当するの多数である。その中にも特にその濃厚なる上方地方にあっては、総人口数の十五六分の一から、二十分の一内外のところさえも少くない。そしてこれらの地方においては、彼らに対する疎外排斥の念は一層甚だしいことを認める。しかもかくまでに多数を占むる我が同胞を待遇するに、いつまでも不条理なる偏見を以てするということは、実にゆるがせにすべからざる、大問題である。世界に向って人種差別撤廃を呼号している我が国民として、依然これを放任するという事は、内に省みて自ら忸怩たるものがなければならぬ筈である。

特殊部落区別撤廃の方法


 明治四年にエタ非人なる称号が廃止せられて以来は、特殊部落なるものはもはや存在してはならぬ筈である。しかるにもかかわらず一般社会に容認されずして、今なおこれを区別しているのは、確かに国家なり、社会なりの罪である。しかしながら多年の因襲は、そう一朝一夕にして除去せらるべきものではない。これに対して私は、何よりも先に特殊部落とは本来何物ぞや、何が故に世間から区別せられるに至ったか、今もなお区別すべき理由ありやとの事項を明らかにして、彼らが本来普通民と民族上区別すべきものではないこと、過去において世間がこれを区別したのは確かに迷信の上に築き上げられた誤解であったこと、そして今日では立派にその迷信誤解は除去されているのであるから、もはや全然これを区別するに及ばぬものであるとの事を了解せしめるを以て最も必要な事と信ずる。世人がよくこれを了解したならば、彼らを疎外するの念は漸次薄らぐべきである。彼らがこれを了解したならば、自重して自ら改善するにも張合いが出来て来る筈である。そして一方では、国家なり有志者なりが、依然特殊部落などの語を以て区別していることをやめて、全然区別のないものにしてしまうのである。かくの如くにして双方間の融和同化は、期して俟つべきものであろうと思う。
 人或いは彼らの現状が、国家なり有志家なりの差別的待遇を余儀なくせしめるという。なるほど多年の疎外圧迫によりて、気の毒にも淪落の底に沈んでいる彼らに対しては、国家なり有志家なりから、これが改善救済の方法を講ぜねばならぬ。ここにおいてか折角エタ非人の称号が廃せられ、少くも名義上何ら区別のない筈の彼らに向っても、やむをえず特殊部落とか細民部落とかの名称を設けて、これを調査しこれを研究するの必要が生じて来る。或る区別の下に改善救済の法を講ずるの必要があるという。これは確かに理由のあることで、私が今本編において、特殊部落として彼らを区別するの不可を呼号しながら、なおかつうるさくもこの語を繰り返しているというのは、説明上実際避け難いところなのである。この理由において我が政府でも、一旦区別的名称を廃しながら、なお別途の区別的名称を考案し、一般社会が初めは新平民と云っていたものを、それがよくないというので特種部落とした。しかし必ずしも、彼らの種族が違うという証拠もなく、いたずらに彼らをして不快の念を生ぜしむるのに省みてか、さらにそれを特殊と文字を取りかえた。が、それでも彼らの嫌がるのは同様なので、内務省あたりではさらに細民部落と呼びかえている。しかしこれはむしろ侮辱的の名称である。そこで何とか差障りのない名に改めたいとて、或いは後進部落とか、密集部落とか、いろいろの名称を工夫する人があるけれども、それがやはり新平民である以上は、何と改めても同一である。たとい紳士部落と呼んでも、貴族部落と呼んでも、結局同一である。彼らが筋の違ったものであるという偏見が除かれない以上は、何と改めても同様である。いかに物質的形式的に改善されても、世間の偏見は依然として存在すべきである。ここにおいてか私は、まずその区別を去ることを急務と信ずる。実際彼らの仲間に細民があるならば、その細民のみを普通民中の細民を見ると同一にみたいのである。実際彼らの仲間に品性の悪いものがあるならば、その品性の悪いもののみを見ること、普通民中の品性の悪いものと同一でありたいのである。したがって国家なり、有志家なりが、彼らに対して改善救済を行うに当っては、全然特殊部落とか、細民部落とかいう区別的の取扱いを廃し、普通民間の落伍者に対する救済改善と同一にして、実行してもらいたいのである。
 実際特殊部落民中には、もはや改善救済の要のないのが甚だ多い。そして普通民間にも、事実上改善救済を要するものが甚だ少からんのである。そこで私は、国家なり有志者なりが、これが改善救済を講ずるに当っては、彼とこれとを全然ひとまとめにして取り扱い、名称上、また実際上、その間何らの区別を設けぬようにありたいと思うのである。かくすれば部落民間にも、初めからこのお世話に与らぬものは、全然その仲間から除外されているものたる事が明らかになる。また現に救済改善の恩典に浴しているものは、一日も早くその仲間から除外されて、普通民と同じく立派な国民として認められようとするの、奮発心を起すという次第にもなるべきである。さらにまた普通民間の落伍者にして、その細民であり、品性が下劣であるが故に、彼らの仲間と同じ程度のものと一所にして、扱われるのを不愉快とする者がもしあるならば、これらも自ら奮発して、その仲間から脱出することに努力すべき筈である。同じく救済を受け、同じく改善を図ってもらうような社会の気の毒なる落伍者間において、特殊部落民と普通民との間に区別をなすということは、これを国法上からみても、人道上から考えても、毛頭理由のないことであるのみならず、その結果において甚だしい不利益を来すべきものである。この理由からして私は、まず彼らに対して好意を有する政府なり民間有志家なりが、率先して一日も早くこの区別的取扱いを廃してもらいたいと思う。しからばその改善救済をなすに当り、いかなる名称を以てこれを呼ぶべきか。私は既に内務省の用いている、細民という名にしたい。これを細民部落というのはいかにもよろしくない。どうで国家なり有志家なりの改善救済のお世話になるものは、細民たるに相違なく、いわゆる細民部落中には、もはやお世話にならぬものが多数にあるのであるから、これを一括して部落とする必要はない。その部落中の細民のみを択んで、普通民中の細民と合して、細民改善、細民救済で十分である。これを部落とすれば、事実細民ならぬものもその仲間に包括せられているから、真の細民が改善して、もはや細民ではなくっても、いつまでもなおその部落民たるの差別的待遇を免れぬが、これを単に細民とすれば、もはや細民でなくなれば、立派にその仲間から脱退することが証明せられて、努力するにも励みがつくというものである。
 かくの如くにして、一方には全然彼らを区別せぬという模範を示すとともに、一方には文書なり講話なりの方法によって、民族上彼らは区別すべきものではない、彼らの堕落の境遇にいるのは、誤解上から起った社会の圧迫の結果であるということを、一般世人なり、部落民なりに了解せしめて、一般世人をしては自ら反省して、彼らに同情するの念慮を高からしめ、部落民をしてはよく自覚して、各自発奮するの機会を捉えしむるようにしたい。かくの如くにして始めて完全なる融和は望みえられるのである。
――(下略)――
 右は単にその要項を摘録したに過ぎないのであるから、全文の必要を認められる方があるならば、願わくは「日本魂」客年十一月号(四巻十一号)について見ていただきたい。
 区別的名称の撤廃は絶対に必要である。しかしながらその撤廃をして有効ならしめるには、彼ら自身において自ら発奮興起し、普通民と社交上において並進しうべきまでに改善するところがあらねばならぬ。否彼らは、従来世人から軽侮せられるの来歴を有していたものであるから、それと相殺すべく普通民以上に向上するの覚悟を有せねばならぬ。しからざれば折角の差別撤去も[#「差別撤去も」は底本では「差別撒去も」]再び無効になってしまうのおそれがないではない。
 明治四年にエタ非人の称を廃した当時の当路者の意見では、後に至って彼らの或る者を、特殊部落だとか細民部落だとかの名称の下に、或る特別の扱いをなすべく予想してはいなかったに相違ない。しかるに彼らは、その原因はともあれかくもあれ、実際上彼らは区別せらるるの余儀なき状態にあったのであるから後の当路者をしてやむをえず或る名称の下に、これが救済改善の途を講ぜねばならぬ次第となってしまった。
 これを李朝朝鮮の実例についてみるに、朝鮮においては世宗王の時に当って、我が旧エタにも比すべき才人禾尺の名を廃して、普通民の称呼なる白丁を以て呼ばしめた。これはあたかも我において、エタ非人の称を廃して、普通民と同じくし、平民に伍せしめたと同一の処置である。しかるに旧来の普通民たる白丁等は、これと同一に呼ばるることを潔しとせず、誰言うとなく彼らを以て、新白丁と号した。これはあたかも我において、旧エタを呼ぶに新平民の称を以てしたと揆を一にするものである。ここにおいてか政府はさらに厳命して、彼らを新白丁と称することを禁じ、どこまでも白丁の名称を強行せしめた。しかしながらこれまた無効であった。普通民たる旧来の白丁等は、彼らと区別すべく自ら白丁たるの旧称を捨てて、もっぱらこれを彼らのみに付与し、遂には白丁とだに云えば、これただちに才人・禾尺のことと解せられ、今ではもと普通民の称であった白丁の名が、賤称として迎えられることになってしまっているのである。この事は京大助教授今西文学士が、「芸文」(大正七年四月号)誌上に詳説せられたところである。内容が改まらねば一旦差別を撤廃しても再び他の差別が起って来る。余輩は当路者なり世人なりに対して、特殊部落とか細民部落とかいう総括的名辞を撤廃するを希望するとともに、彼らに対してもまた一大奮発するところあらんことを希望せざるをえぬ。
 同時にまた、余輩は彼らに対して自ら集団的観念を除くことを勧告する。世間から集団的にこれを遇することの不可なるはもはや云うまでもない事であるが、彼ら自身に集団的観念の深い現状では、いかに世間がこれを廃してもやはりもとの杢阿弥である。彼らは世間の圧迫に反抗すべく結束を固めるの必要があるであろう。したがってその結束を解いでは、一時悲境に陥る場合がないとも云えぬが、彼らが部落の人ではなく、自ら帝国臣民の一員であることをよく自覚して、各自他にその立場を求めるの覚悟が欲しい。愛郷心は我らの常に尊重するところであるが、特にこの場合においては、むしろケチの付いた部落を解散して、社会から消すくらいの覚悟を以て、帝国の一員として働くの決心が必要である。





底本:「賤民とは何か」河出書房新社
   2008(平成20)年3月30日初版発行
初出:「民族と歴史 3-7号」
   1920(大正9)年6月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2013年1月11日作成
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