はじめに生れたのは歓びの霊である、この新しい年をよろこべ!
一月 霊はまだ目がさめぬ
二月 虹を織る
三月 雨のなかに微笑する
四月 白と緑の衣を着る
五月 世界の青春
六月 壮厳
七月 二つの世界にゐる
八月 色彩
九月 美を夢みる
十月 溜息する
十一月 おとろへる
十二月 眠る
ケルトの古い言ひつたへかもしれない、或るふるぼけた本の最後の頁に何のつながりもなくこの暦が載つてゐるのを読んだのである。この暦によると世界は無限にふくざつな色に包まれてゐる。一月二月三月四月の意味はよくわかる。五月が青春であるのは、わが国に比べるとひと月遅いやうに思はれる、もつと北に寄つた国であるからだらう。したがつて、六月のすばらしさも一月おくれかもしれぬ。七月、霊が二つの世界にゐるといふのは、生長するものと衰へ初めるものとの二つの世界のことであらうか? 八月、色彩といふのは空の雲、飛ぶ鳥の羽根や、山々のみどり、木草の花の色、それが一時にまぶしいほど強烈で、ことに北の国は春から夏に一時にめざましい色を現はす。九月、美を夢みるといふのは八月の美しさがまだ続いて、やや静かになつてゆく季節。十月は溜息をする、さびしい風が吹く。十一月、すべての草木が疲れおとろへ、十二月、眠りに入る。この霊といふ字がすこし気どつた言葉のやうで、これを自然といふ字におき代へて読みなほしてみた。その方がはつきりする。二月 虹を織る
三月 雨のなかに微笑する
四月 白と緑の衣を着る
五月 世界の青春
六月 壮厳
七月 二つの世界にゐる
八月 色彩
九月 美を夢みる
十月 溜息する
十一月 おとろへる
十二月 眠る
この季節を色別けしてみると、白、うす黄、青、緑、紅と菫いろ、黄と赤、灰色と黒、こんなものかと思はれる。陰陽五行説といふことをいつぞや教へられた。それは、木火金水に春夏秋冬の四時、青赤白黒の四色を配したのださうである。春が青く、夏が赤く、秋が白く、冬が黒いのである。私にはかういふむづかしい事はよく分らないけれど、染色の方からいふと、普通に原色といふのは紅黄青である。青は黒に通じ、紅は黄をふくみ、紫にも通じる。白は? 白は或る時は黒くもなり、青くもなるやうである。絵の方は少しも知らないから私には何も言へないが、自分の好む道、短歌の中ですこしばかりこの色別けをしてみようと思つた。古歌についてである。現代の歌の色彩はかなり強いものがあるやうだけれど、古歌の色はすべて淡い。そして一つの色でなくいくつもの陰影や感じがふくまれて別の色に見えることもある。織物に玉虫いろといふのがある、それに似てゐる。
「石ばしる垂水 の上のさ蕨のもえいづる春になりにけるかも
「春日野の雪間をわけて生ひ出づる草のはつかに見えし君かも
「水鳥の鴨の羽のいろの春山のおぼつかなくも念ほゆるかも
これはまだ春浅い日ごろ、青といへないほどのうす黄の色、白も青もある。いはゆるケルトの暦の、自然が虹を織るといつた「希望の月」二月のほの温かいものがふくまれてゐる。「春日野の雪間をわけて生ひ出づる草のはつかに見えし君かも
「水鳥の鴨の羽のいろの春山のおぼつかなくも念ほゆるかも
「わが背子が見らむ佐保道 の青柳を手折りてだにも見むよしもがも
「春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも
「春日野 に煙立つ見ゆをとめらし春野の菟芽子 採みて煮らしも
「春の野に董摘まむと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜宿 にける
「春の苑 くれなゐ匂ふ桃の花した照る道にいで立つをとめ
これは青と紅、うす紅、紫である。霞でさへも白くはない、うす紫であらうか、草を焼く煙も純粋に白ではない。すべて柔かい、暖い春の色である。日本には椿と桃より濃い色の春の花はなかつたやうに思はれる。「春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも
「
「春の野に董摘まむと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜
「春の
「ほととぎすそのかみ山の旅にしてほの語らひし空ぞ忘れぬ
「卯の花の咲ける垣根に時ならで我が如ぞ鳴く鶯の声
「朝 咲き夕 は消ぬる鴨頭草 の消 ぬべき恋も吾はするかも
「住吉 の浅沢小野の杜若衣に摺り着けきむ日知らずも
「妹として二人作りし吾が山斎 は木高く繁くなりにけるかも
ほととぎすが鳴いた山の旅では、夏山の青い色ばかりではない、ほのかに話をしてゐた時、空は夕ばえの「卯の花の咲ける垣根に時ならで我が如ぞ鳴く鶯の声
「
「
「妹として二人作りし吾が
「一本のなでしこ植ゑしその心誰に見せむと思ひそめけむ
「秋さらば移しもせむと吾が蒔きし韓藍 の花を誰か採みけむ
「朝霧のたなびく田居に鳴く雁をとどめ得むかも吾が屋戸の萩
「栽 ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや
「暁と夜鴉なけどこの丘の木末の上はいまだ静けし
「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
なでしこは夏から秋につづく。これは濃い紅である。「秋さらば移しもせむと吾が蒔きし
「朝霧のたなびく田居に鳴く雁をとどめ得むかも吾が屋戸の萩
「
「暁と夜鴉なけどこの丘の木末の上はいまだ静けし
「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
「桐の葉も踏み分けがたくなりにけり必らず人と待つとならねど
「木の葉ふりしぐるる雲の立ち迷ふ山の端みれば冬は来にけり
「甚 だも降らぬ雪ゆゑこちたくも天つみ空は曇らひにつつ
「寂しさに耐へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
「鵲のわたせる橋におく霜の白きをみれば夜ぞ更けにける
桐の葉は、あたらしい落葉も古い落葉もすべて枯葉いろ、新しく散つたばかりの時すこしは秋の黄ばんだ色も見えるだらう。作者の心は灰いろである。山の木の葉が散るとき、赤いもみぢ葉も黄いろい葉も交る。つまらない枯葉も交る、しぐれる雲はうす墨のいろ。あまりたくさん降らない雪がまだ空にいつぱい残つてゐる時、空も空気もすべて銀ねずみ色。寂しい冬の山里は何も色がない。西行が一人住むその庵だけが、遠くから見れば、黒くも褐色にも眺められるだらう。夜が更けてお庭の霜がしろい、しかしその白さを包んで夜の黒さがある、作者も読者もその暗い寒さを感じてゐる。(私の手許に古い歌の本が何もないので、殆どめちやに書き並べた)「木の葉ふりしぐるる雲の立ち迷ふ山の端みれば冬は来にけり
「
「寂しさに耐へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
「鵲のわたせる橋におく霜の白きをみれば夜ぞ更けにける
こんな色わけをしてみても、別に面白いこともなく、むしろ物はかない気持さへする、書き並べた歌のせゐもあるだらう。そして、私はよその国の暦の事を殆ど忘れてしまつてゐる。遠い遠い万葉時代の野の花の色でさへも、私にはよその国の見たこともない森の色や、空や水の色よりも親しく思はれる。