洗足池のそばのHの家に泊りに行つて、Hの弟のSにたびたび会つた。Sは、南の方のある島から僅かに生き残つて帰つて来た少数の一人であつた。すつかり体の調子が悪くなつたので伊東温泉に行つたり東京に出て来たりして養生してゐる時で、彼はその時分しきりにおいしい物がたべたいので、魚や肉を買つてはHの家に持つて来て料理を頼んだ。さういふ時にゆき合せて私も御馳走になることがたびたびだつた。
Sはわかい時から外国を廻り歩いた人なのでたいそうギヤラントで、よく私たちに調子を合せて話をしてくれた。中国に相当に長い月日を過して来たからSはよく中国の話をした。その時分上海が非常なインフレになつたので、
その時からもう六七年の月日が経つてゐる。私の大島はまだ十万円には売れない。コーヒーも五十円あるひは百円位で飲むことが出来る。百万円のお金を使はないでも私が無事に眠ることができればこの上もない幸だと思ふ。それに上海でも、インフレのために市じうの人間が死んだといふ噂もまだ聞かない。