「王の玄関」イエーツ戯曲

片山廣子




 この頃何年ぶりかでイエーツの戯曲「王の玄関」をよみ返してみた。芝居としては面白くないかもしれないと思つたが、アイルランド人である作者の心がみんなの人物のうちに映つて、天才も常識者も乞食も軍人も愉快に勝手にせりふを言つてゐる。王宮の入口だけを舞台にして、うごきの少ない芝居であるが、同作者の「鷹の井戸」「カスリン・ニ・フーリハン」がさうであるやうに、一つ一つのせりふのかげにひろがる世界があり、その世界の中に時間も動きも無限にふくまれてゐるやうに思はれる。何にしても、こんなに食べ物の事ばかり言つてゐる戯曲はほかにはないやうに思はれるから、詩人には失礼であるけれど、食べものの事を言ひたがる私の随筆の中にこれを一つはさませて頂く。
 この劇の主人公である詩人シヤナアンは国に並びない詩人で、今までは王宮の会議に軍人や法律家とならんで国事を議する一人であつた。この国初まつて以来、詩人はその権利を与へられてゐたのであるが、このごろ気の強くなつた軍人や法律家たちは、ただ単に詩を書くだけの人間が自分らと並んで国家の会議に列する資格はないとゐばり出したので、王はこの人たちの機嫌を損ふことを恐れて、詩人を会議の席から追つたのである。シヤナアンは詩がおとしめられ詩人全体の特権を取り上げられたのを憤がいして、その日から王宮の玄関に寝て絶食して死を待つのであつた。古代からこの国では人から堪へがたい侮辱をうけた時、また不当の待遇を受けた時は、その人の門に身を横たへて絶食して抗議するといふ習慣があつたのである。
 幕があくと、王宮の玄関の階段に詩人シヤナアンが寝てゐる。その側に、詩人に食べさせようとして種々のたべものを載せた卓がある。腰かけ一つ。入口に垂れたカアテンの前、階段の一ばん上の段に王が立つてシヤナアンの一ばん弟子に話しかけるところで始まる。
 よう来てくれた、お前の師匠の生命を取りとめたいと思つてお前を呼んだのだ。もう長いことはあるまい、かまどの火が揺れて消えるやうに、もうすぐ火が消えさうなのだ、王がさう言ふと、熱病でございますか、と弟子が訊く。否、自分から死を選んだので、彼は死んで抗議する積りらしい、私の玄関さきで死んでくれては、民衆が騒いで私を攻撃するだらう。王はその点を心配するのであつた。王は細かくこの三日間の話をする。弟子は、それで安心しました、古い習慣なんぞ、そのために死ぬほどの値うちはございません、私がすすめて何か食べさせませう。弱りきつてうとうとしてゐるので、王の御親切なお声が聞えなかつたかもしれません。王はいろいろな報酬を約束して退場。この時、王はその愚痴の中に詩人のことを並べて“……… His proud will that would unsettle all, most mischievous, and he himself, a most mischievous man, ……”と言つてゐる、今死なうとしてゐる詩人は最もいたづら好きな人間、いたづらつ子なのである。王の眼には常識以外のものはすべてワイルドなもの、またミスチ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)スなものときめられてゐる。
 弟子は、王が詩人の特権を奪つてしまふのは無理だけれど、そのため死ぬのも馬鹿げてゐる、先生、夢を覚ましてあなたの弟子たちを見て下さい、とシヤナアンを呼び起こす。
 シヤナアンは衰弱しきつてうとうと夢を見てゐた、むかしのアルヴインの都の大きな屋根の家で、英雄フィンやオスガアと一しよにゐる夢で、焼豚のにほひがその辺一ぱいにほつてゐた。夢がとぎれて、こんどは王妃グラニヤが流れのそばで鮭を料理してゐるところだつた。かはいそうに、空腹が焼肉の夢をみさせたのですね、満月の夜に鶴は饑える、自分の影ときらきら光る水を恐れて。あなたはその鶴みたいだと弟子が言ふ。お前の声も顔もよく知つてるやうだけれど、お前はだれだらう、詩人が訊く。師と弟子とは詩と常識をまぜたいろいろの問答をする。師は詩人であり、弟子は常識家であるらしい。
 会議の席に、王の側に坐ること、それはさほどの大事ではありません。そんな些細な事が詩にさはるのでせうか? 弟子が訊く。シヤナアンは少し起き上がつて、ゆめみるやうに前方を見ながら言ふ、燈火祭のときだつた。詩は神のお作りなされた力強いもの、又かよはいものの一つであるとお前が言つた、すこしの侮辱にも死んでしまふかよはいものであるとお前は言つた。
 一ばん弟子は何と返事しようかと他の弟子たちに相談する。最年少の弟子が詩人の足下に跪いて歎く、父の畑に働いてゐた私をお手もとにお呼びになつて、今さらお捨てになるのですか、私はこれから何を愛しませう? 私の耳に音楽を聞かせて下さつたあとで、騒音の中に行かせようとなさるのですか、今からトランペツトもハアプも捨てませう、破れた心で詩は作れません。
 シヤナアンはこの若い弟子に言ふ、お前に約束されたものは、詩人の悲しみではなかつたか? 私はこの階段の上に詩の学校を開く、お前が一ばん若い弟子なのだ。みんなに言ふ、すべての物がほろびて廃墟となる時、詩は歓びの声を上げる。詩はまき散らす手だ、割れる器だ、燔祭の焔にもえる犠牲者の歓喜だ、その歓喜は今この階段の上で笑つてゐる、泣いてゐる、燃えてゐる。
 先生、どうぞ死なないで下さい、若い弟子が泣く。一ばん弟子は弟子たち一同を連れて王の許に詩人の特権をもう一度返して下さるやう頼みに行く。楽器を下に置き一同首垂れてしづかに退場する。
 そのあとへ市長と二人の跛と、詩人の老僕ブライアンと登場。詩人の住む市キン※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ラの市長である。市長は演説のけいこをするやうに諸人に向つて演説する。二人の跛は王の悪口をいふ、そして詩人の前に並べられた食物をたべたがる。老僕は詩人に食を進めると、詩人はぼんやり受けとる。跛はそれを見て、詩人が食べてしまふだらうと惜しがる。猫に蜜をくれたり、犬に木の実をやつたり、お墓の幽霊に青い林檎をくれたところで、それはもつたいない事だと惜しがる。詩人は食物をブライアンの手に返して、お前は旅をして来たのだから、これはお前がたべるがいい、と僕に言ふ。僕も市長も跛もそこでめいめい勝手なことを一度にしやべり出す。一人がいひ止めると、別のものがしやべり出し、騒音が一つのリズムをつくり出す。
 しづかにしてくれ、と侍従長が階段を下りて来て騒ぎを叱る。その吊台を何処かに持つてゆき、みんな退散してくれ。王宮の玄関なるものは、特権階級や歎願者の通る道である、早くこの騒ぎを静めよ、と言ふ。老僕はかごの中に食物をしまひ込み、権力者や高位の連中は軍隊を持たないものの特権なんぞ構ふものか、と答へる。
 侍従長は杖で一同を追ひ払ふ。市長はその杖を避けながら侍従長に幾度もお辞儀をして、詩人は私の言葉をきき入れない、誰の言葉も聞きいれないから、詩人の婚約者をつれて来ませうと退場。侍従長はシヤナアンに、王も貴族も自分もこんなに好意を寄せてゐるのに、無理に物を食はず死んで、民衆を叛かせようとするのですかと愚痴を言ふ。そこへ坊さんが王宮から出て来たので、一言いつて下さいと頼む。坊さんは、自分は勝手気儘な詩人の空想を攻撃した説教を今までにたくさん作つてゐるから、今さら詩人の御機嫌はとれないと断る。侍従長はまた軍人に頼む。軍人は、強情つぱりは死ぬのがよろしいと言ふ。王宮に仕へる若い貴婦人が軍人に頼む、あんなに骨と皮ばかしにやせてるんだから、何か食べさせて上げてよ、と第一の貴婦人がいふ。第二の貴婦人は、琴手たちはもう誰も琴を弾いてくれないでせうから、私たちダンスも出来ません、あの人に何か食べさせて頂戴、と頼む。二人の女たちはかはるがはる右手に軍人の手を取り左手で撫でる。一人が皿をもつて来て軍人に持たせるので、軍人はシヤナアンの前に皿を出す。君は死ぬ気かい? そこに寝ころんで料理のにほひでも嗅ぐがよい。王もじつに手ぬるいことだ、と憎らしさうに言ふ。王の犬よ、王の前に行つて尾を振つてゐろ、詩人がやり返すので軍人は剣を抜く。侍従長はそれを抑へて、詩人に怪我でもさせたら、民衆がどんな騒動を起すか分らないから、我慢してくれと頼む。軍人は、今になつて詩人を甘やかす位なら、会議の席に置いとけばよいのにと、怒りながら剣を納める。侍従長は微笑したりお辞儀をしたりひどく丁寧な言葉で御機嫌をとる。詩人は荒つぽい空想の言葉を投げつけて侍従長やみんなを退散させる。坊さんは、シヤナアンよ、もうお別れする、生きてるあなたの顔もこれが見納めだ、何か最後の願ひは? と顔をよせる。詩人は、あなたのあの気荒い神はこの頃おとなしくなりましたか? あなたが王から俸給を貰ふ前には、神はずゐぶんあなたに苦労をさせたらう? この頃あなたは神を手なづけて、王の食事のあひだにさへづることを教へたかね? 王の手にとまつて物をたべることを教へたかね? 王の位置にあれば、始終疲れる。そんな時、王は慰安をあたへる神が欲しいだらう。坊さんは詩人に掴まれてゐる上着を引きはなして王宮に入る。詩人は鳥がとまつてゐる恰好に片手を出して、その鳥を撫でる振りをして言ふ、小さい神、きれいな羽根の、光る眼の、小さい神よ。
 二人の王女が王宮から現はれて登場、詩人が貴婦人らに何か言つてるあひだ、王女たちは互に手をつなぎ、怖さうに立つてゐる。貴婦人らは、王女たちを投球に誘ふが、かれらは先づ父王の命令どほり詩人に食事をすすめるのである。お父様は、会議の席にあなたを坐らせることは出来ないけれど、ほかの事ならどんな事でも叶へて上げるとおつしやつてよ。お料理とお酒あがつて下さい、一人の王女が杯を出すとシヤナアンは片手にそれを取り、片手に王女の手を持つて暫らく見てゐる。長い柔かい指、白い指先、白い手、すこし白すぎる。王女さま、思ひ出したことがあります。あなたの生れる少し前に、お母様は路ばたに椅子を出して腰かけてをられると、そこへ通りかかつた癩病人に町へゆく道をゆびさして教へてやつたのです。すると癩病人は手を挙げてお母さんの手を祝福しました。その時病気が伝染したのではないですか? どれ、手をお見せなさい。病気がうつつてゐるかもしれない。王女は恐れて身を退らせる。軍人は怒つて剣をぬく。
 シヤナアンは立ち上がり、あなたたちの手はみんな駄目だ、みんなが癩病だ。ここへ持つて来た大皿も[#「大皿も」は底本では「大血も」]小皿も汚れてゐる。酒も汚れてゐる。さう言ひながら杯の酒を撒きちらす。路をゆく癩病人から病気が伝染つたのだ。いま空を歩いてゐるあれがその病人だ。青い空から白い手を出して、みんなを癩病で祝福してゐる。シヤナアンは月を指す、癩病が怖くなつてみんなが逃げてゆく時二人の跛が詩人の前にある皿の料理をねだる。しかし彼等も怖くなつて逃げる。入れちがひに市長が詩人の婚約者フェルムを連れて登場、市長はすぐ退場する。シヤナアン、シヤナアン、とフェルムが呼んでも、詩人はまだ空を見てゐる。シヤナアン、私よ。さう言はれて詩人は初めて彼女を見、その手を取る。
 刈入が済んだら、お迎へに来ると約束したでせう。さあ、すぐ私と一しよに行きませう。うん、一しよに行かう。だが刈入はもう済んだのか、空気には夏の味がしてゐる。フェルムは手を貸して詩人を卓のところまで連れて来て腰かけさせ、パンを酒に浸して食べさせやうとする。大へん疲れていらつしやるから、旅行する前にこれを食べて力をつけて頂戴。シヤナアンはパンを手にとる、躊躇し、彼女にパンを返す。私は食べてはいけないのだ。なぜお前はここへ来たのだ? フェルムが答へる、私をすこしでも愛するのなら、この小さい一きれを食べて下さい。もし愛するのなら、ほかの事は考へないでよい筈です。シヤナアンは彼女の手をかたく握り、お前は子供だ。窓の中から男を見てゐただけのお前が愛を知つてゐるのか? 昨夜一ばん中、星は狂はしく光り、天地は無数の結婚に満ちてゐた。だが、もう私の戦ひは終つた、私は死ぬのだ。フェルムは両手に彼を抱き、私はあなたと離れない。あなたを死なせない、黒い土よりもこの白い腕に寝て下さい。詩人は荒い言葉で突き放すが又両手に彼女を抱いて、森の小鳩よ、私の乱暴な言葉を許してくれ。だが、お前は帰れ、私は死ななければならぬ、と接吻する。この時、王が二人の王女をつれて登場。もう食べたか? とフェルムに訊く。いいえ、詩人の特権をお許し下さるまでは、食べません、とフェルムが答へる。王は階段を下りて詩人に近づいて言ふ、シヤナアンよ、私は自分のプライドを捨てた、お前も捨ててくれ。先日までお前は私の友人だつた。今お前は民家の爐辺から私に反抗の声をあげさせようとしてゐる。お前の望みを許せば、貴族や高官たちが王位に背くだらう。私にどうしろと言ふのか? 王よ、詩人らはあなたに安全の道を約束しましたか? シヤナアンは王自身が進めるパンをフェルムの手を借りて押し退ける。私のパンを受けないか? 頂きません、とシヤナアンが言ふ。今まで私は我慢してゐた、これで終りだ。私は王で、お前は臣下なのだ。貴族たちよ、詩人どもを連れ出せ。
 貴婦人たち、坊さん、軍人、侍従長、高官ら登場、頸に絞首索をむすばれた詩人の弟子たちを引き出す。王はこの弟子たちに、彼が死ぬのは勝手だが、彼が死ねばお前らも死ぬのだ。お前の生命乞ひを彼に頼め、と兄弟子に言ふ。先生、死んで下さい、詩人の権利のために、と兄弟子が言ふ。王は驚いて最年少の弟子に言ふ、お前が頼め、お前はまだ若い。すると、若い弟子が言ふ、先生、死んで下さい、詩人の権利のために。
 シヤナアンは弟子たちを身近に呼ぶ。肉身よりも親しいもの、子よりも近いもの、私のひな鳥よ、と別れを告げて、立つてよろよろ階段を下りる。私もお前らも死んで、どこかの山に捨てられるとき、死人の顔が笑ふのを人が見るだらう、月もみるだらう。
 詩人は倒れてまた少し起き上がる、王よ、王よ、死人の顔が笑ひます。さう言つて詩人が死ぬ。
 死人の顔が笑ふ。古い権利は失はれ、新しい権利即ち死が残つてゐます、若い弟子はさう言つて彼等の絞首索を王の前に出す。みんなを追ひ払へ、彼の死体を持つて、何処へでも行け。王はさう言ひ捨てて王宮に入る。軍人ら弟子たちの前に立つて道をふさぐ。弟子たちは釣台を作りシヤナアンを寝かせる。人の住む家を追はれて、わが先生は山みづと山鳥の孤独を分けに行く、と兄弟子が言ふ、若い弟子がそれに附け加へる、山を寝床に、山を枕に。
 釣台を彼等の肩にになひ数歩進む。フェルムと弟子たち退場。悲しい音楽。





底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:伊藤時也
2010年10月14日作成
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