お嬢さん

片山廣子




 花の里、吉原にその青年は初めて行つたのである。それから十日位すぎて私にその夜のてんまつを聞かしてくれた。彼と私とは年齢の差を越えての友達だつた。青年は古い紳士の家に生れて上品で神経質だつたが、同時に人のおもひもかけない突飛な真似もする人で、その吉原行きも、小説でも書きたい願ひを持つてゐるのだから、世間のうら街道も時々は歩いてみなければと思ひついた結果らしかつた。さてさういふ場所もどうせ行くなら一ばんとびきり上等の店へ行つてみたいと思つて行つたのださうで、たいへん古い立派な店であつたらしい。そこでやり手のをばさんに自分が初めて来た話をすると、彼女は、それではすつかりおまかせ下さい、あなたにちやうどよくつり合ふ人がをります、ここの店で預かり物のやうに大切にしてゐる人を出すやうに申しませうと言つたさうだ。青年の話ではそこの家では湯殿もトイレットもすべて病院のやうに清潔で、強い薬のにほひがしてゐるので、ぼくは遊びに行つたのでなく、入院したやうな気持になりましたと言つてゐた。さてその大切な預かり物みたいな娘といふのが二十位の非常におちついたお嬢さんらしい女性で、三越のウインドウにある物よりもつともつと美しい着物を着てゐた。すこしづつ話をしてゐるうち彼女がぽつんぽつん言つたところでは、東北の或る旧家で父親が事業熱で破産の一歩手前のところまで来てしまつて、彼女は二年間の約束でこの店に来たが、三万円位が父の手にはいつたのださうだ。(その頃の三万円だから、現代の二百万か三百万の値うちであつたらう。)こんなところに彼女が来たことは親類にも土地の人たちにも秘密で、東京の親類へ預けられて勉強してゐることになつてゐて、二年が過ぎたら何も知らん顔で田舎に帰り、無事におよめに行けたら、ゆくつもりだと言つてゐた、さういふ勤めの世界にはいろいろな穴があつて、無事に二年を二年だけで通りすぎることはむづかしい話だと彼は思つたが、彼女は単純にさう信じてゐるらしかつた。彼女は地方の女学校を出たのだが、母の生れた家が四谷の方だつたので、母につれられて東京に来たことはあつたが、母が亡くなつてからは叔父の家にも来ない。故郷では彼女がその叔父の家に来てゐることと思はせてあるのだつた。きれいな人でしたか? と私がきくと、さう、紫の上といつたやうなふんわりしたわかわかしい娘でした。紫の上よりは背が高いかもしれないと彼が言つた。紫の上だつてそんなに小さくはなかつたでせう? と私は言つた。それでも、源氏の君より小さかつたらしいと彼が言つたので、笑つてしまつた。私たちは物語の中の人をむかし生きてゐた人のやうに時々錯覚してしまふのである。
 彼女は彼に、お客さんはこんなところにいらつしやらない方がよろしいですね。それに、もし私に同情して下さるのなら、もういらつしやらないで下さいね。ここにゐるあひだは、人間でなくただ機械みたいにつとめてゐようと思ひます。いく度もお目にかかるとだんだんおなじみの気持になりさうですからと、まるで兄にでも意見するやうに言つたさうである。彼女はよほど強い気持の人か、それでなければごくうぶな心の娘であつたらう。青年はもうあすこには行きたくない、ひどく気がいたむと言つてゐた。そこの空気が彼が考へてゐたのとひどく違つてゐたので、それを誰かに話したく、私に話したのだらうと思ふ。彼の話は全部ほんとうだと思ふけれど、彼がきかされて来た話が全部ほんとうかどうかは分らない。人はだれしも小説を作つて物語りたい気もちを持つものだから。
 とにかく、その紫の上のやうにわかわかしい、そして少しも物怯ぢをしないお嬢さんが無事にふるさとに帰つて行つて、今頃は堅気な世界に落ちついてゐることを念じる。





底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:伊藤時也
2010年10月14日作成
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