「ああしんど」

池田蕉園




 よっぽど古いお話なんで御座ございますよ。私の祖父じじいの子供の時分に居りました、「さん」という猫なんで御座ございます。三毛みけだったんで御座ございますって。
 何でも、あの、その祖父じじいの話に、おばあさんがお嫁に来る時に――祖父じじいのお母さんなんで御座ございましょうねえ――泉州堺せんしゅうさかいから連れて来た猫なんで御座いますって。
 随分ずいぶん永く――家に十八年も居たんで御座ございますよ。大きくなっておりましたそうです。もう、耳なんか、厚ぼったく、五ぐらいになっていたそうで御座ございますよ。もう年をってしまっておりましたから、まるで御隠居様のようになっていたんで御座ございましょうね。
 冬、炬燵こたつの上にまあるくなって、ていたんで御座ございますって。
 そして、のびをしまして、にゅっと高くなって、
「ああしんど」と言ったんだそうで御座ございますよ。
 屹度きっと曾祖母おおばあさんは、炬燵こたつあたって、眼鏡を懸けて、本でも見ていたんで御座ございましょうね。
 で、吃驚びつくり致しまして、この猫は屹度きっと化けると思ったんです。それから、捨てようと思いましたけれども、幾ら捨てても帰って来るんで御座ごぎいますって。でも大人おとなしくて、なんにも悪い事はあるんじゃありませんけれども、私の祖父じじいは、「口を利くから、怖くって怖くって、仕方がなかった。」って言っておりましたよ。
 祖父じじいは私共の知っておりました時分でも、猫は大嫌いなんで御座ございます。私共が所好すきで飼っておりましても、
「猫は化けるからな」と言ってるんで御座ございます。
 で、祖父じじいは、猫をあんまり可愛かあいがっちゃ、けないけないって言っておりましたけれど、そのの猫は化けるまで居た事は御座ございません。





底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
   2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
   1911(明治44)年12月
初出:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
   1911(明治44)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月26日作成
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