プレスの操作に手工業を加味

――豐田常務の苦心談――

豊田喜一郎




 乘用車を製作するに當つて最も苦心を要するのはボデーのプレスの問題である。自動車製造工業は最近政府の製造事業法の制定を見る等漸次政策的には確立を見つゝあるのであるが、技術的にはまだまだ萠芽期を出でない。然るにも拘らず自動車の需要は産業上、國防上相當程度の大量生産を要求してゐるのであるから、ボデーの製作には何うしてもプレスを用ゐねばならぬし、又國産車のコストを低下せしめる爲にも之を必要とするのである。要するに搖籃期の技術を以て國策上の要求を如何にして充足するかといふ點に製作者としては重大な考慮を要さねばならぬのであるがプレスの問題を中心に、右問題の解決に關し、常務豐田喜一郎氏は初夏のさる日左の如き興味ある談話をなした。

 自動車工業を始めるについて、ボデーの製作を如何樣にするかと云ふ事は誰しも逢着する一大難問題である。
 安くて良いボデーを米國程の大量生産ではなくして作り得る樣に研究せねばならぬ、この事は國産車製造に際して第一に考へねばならない點である。又毎年型を變更しなくても外國車との競爭上それ程見劣りがしない樣に設計する必要があること―之は國産自動車工業確立上第二に考究すべき重點である。私が自動車工業を初めるに當り、右二大難關を如何にして解決しやうかといふ點に非常な研究的衝動を覺え、目下此の目的貫徹の爲日夜努力してゐる樣な次第である。
 わが社の方針は經濟車の生産に在るのであるから、資本を幾ら掛けてもよい、コストが何んなに高くなつても構はないといふ譯には行かない。
 又米國が毎年型を變へるのに對抗するにはわれ/\としては或る程度迄は矢張り新型を出して行かねばならぬ。
 一つの型で米國の樣に何十萬臺分も押せるならば型に相當金を掛けても良いが、我國の自動車に對する需要から見て、年にせい/″\二萬か三萬臺分押せば結構なのであるから、型にのみさう/\資本を投ずる譯には行くまい。だからといつて五年も十年も一種類の型に止まれるものではなく、結局二、三年に一度はその變更は必要である。
 斯く考へ來ると一種類の型で五、六萬臺も押せば、もう新型を考慮せねばならず、型代は可成り大きな金額に達することになる。試みにその見積を米國に取らして見たら、一通りの外廻りだけで約五十萬圓、完全に整へると百五十萬圓位はかゝるといふ事が分つたのであるが、こんな状態では經濟車は出來ない。
 それでは外國人技師を雇入れては何うか、勿論外人技師の手を借りれば型は出來るであらう。しかし彼等は所謂アメリカ式の大量生産手段其の儘を輸入するのではないか、さうだとすればアメリカの如く何十萬臺分を一度に押出す處ではよいが、四、五萬臺を作つたら、もう新型に變へねばならぬ樣なわが國の事情にはこの遣り方は適當でない。
 そこで私は一切外國人の手を借りずに、日本人獨特な考へ方に依り日本の現状に適する樣な型を設計し製作しなくてはならぬと決心したが、結局アメリカ式のプレスに依る大量生産設備に日本人でなくては持合せない手先の器用さを利用し併用しやうと考へ附いたのである。
 さて大量生産制に、いはゞ日本人流の手工的方法を加味するには具體的に如何なる方法によつたら良いか。
 例へば外國では一種のものを完成するのに四型も五型も使用する場合があるが、わが社では吾々の手先でプレスと同等の効果を收め得る部分に對してはこの手先の器用性を利用し、これによつて極力型の節約を圖ると同時に、ボデーの安價生産の目的を達せんとしてゐるのである。
 右の如きプランに基き愈々之を實行に移してみると、實に數十人の職工を激勵使用して二ヶ年の日子を要し、この程漸くその大半の目的を達し先づこれなら世間の批評を仰いでも大丈夫といふ確信を得られる成功を收めたのである。
 もとより私は之を以て我事成れりと自ら慢心して居るものではなく爾來益々研究に研究を重ねてゐる次第である。
 大量生産制に手工的の方法の加味は實に我國最初の試みであつて、私としてはわが社現在の方法を以てするも尚且つ米國の年々出現する新型に能く追隨し得るやを危惧してゐるのであつて、今後一層の研究と相俟つてわが社で二三萬臺製造する原價と米國の數十萬臺のコストとを相匹敵せしめ更に之より引下げん事を目標としてゐる次第である。





底本:「豊田喜一郎文書集成」名古屋大学出版会
   1999(平成11)年4月15日初版第1刷発行
初出:「トヨダニュース 第二号」
   1936(昭和11)年6月5日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:sogo
校正:塚本由紀
2015年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード