國産自動車と價格の問題

――自動車製造工業の一大難關――

豊田喜一郎




 如何に良い自動車が出來ても、高價で經濟的に使用出來ぬものでは役にたゝぬ。自動車を使用するか使用しないかは結局値段の問題に落付くわけだ。果して日本ではどれ位の數量を作れば國産車として適當な値段で出來るであらうか。之は誰れもが知りたがる數字であるが、誰れも確答する事は出來ぬ。現在賣れる値段で賣らなくてはならぬ。賣れる値段とはどの位の値であるか。少くとも外國車より安くなければ賣れないであらう愛國心に訴へて賣らうとしても、月に五十臺や百臺は何うにかなるとしても、三百臺や五百臺と多量に賣り捌く事は六敷しい。矢張り値段で競爭しなくてはならなくなる。殊に人の癖として新らしいものを安く買ふ事には一種の快樂を覺えるものであるから、必要以上に安く値段を叩かれる事は今迄吾々が作つた機械の販賣に依て明らかである。政府關係で購入せられる車は或は價値だけに購入して戴けるかも知れないが、それ以外のものは必ず叩ける丈け叩かれるに決つたものである。それを愛國心に訴へると云う事は事實上不可能であらう。故に値段は思ひ切つて安くしなくてはならないであらうし、又そうしなかつたなら毎月何百臺と云ふ車を捌く事は出來ない。如何に販賣技術を以つてしても、又如何に宣傳を巧みにするとしても、一時はそれで何んとか胡魔化す事も出來やうが長續きはしない。段々國産車の値打が分つて來ればそれ相當の値段で買つて貰へるであらうが、それ迄は只で持つて來たら御義理で使つてみてやらうと云ふ程度の考へで、國産車を買はれる方が多いと思ふ。何も國家の爲だと云ふて、先に立つて國産車を使用してみやうと考へられる方は極く少い事と思ふ。矢張り新らしいもの丈けに金をかけて良くしなくてはならぬが値段はうんと安くしなくてはならぬ。國産車を作つて賣らうとすればそれ位の事は當然考へなくてはならぬのであるが果して其の値段で賣つて將來成算がとれるかどうか。此の點は製造者として最も考慮を要する點である。
 幸自工法が出來て或る程度の無謀な値段の競爭は防がれた。然し逆に之が出來た爲に外國車も内地車も以前より高くなる樣では申譯がない。少くとも之が出來た爲めに、國産車が發達し其の爲に需要家も安い自動車が買へる樣にならなくてはならぬ。此の點吾々自動車製造業者には大きな責任がある。然し始めからさう安く出來ないのは當然である。現在國産車として賣れる値段を以つて、經濟的に製造し得る可能性が有るか何うか値段を安くするのは良いが、其れが爲めに材料や製作を惡くして使用に耐へない樣になつたら、結局何にもならぬ。此處に國産自動車の出鼻に於いて非常な困難がある。安くて良いものを製作すれば必ず賣れると云ふ原則には何等變化はないが初めから安くて良いものが出來る筈はない。此の難關を如何にして突破するか。自工法は無理な競爭、殊に外國車の如き基礎も充分固まつた實力のある會社のダンピングを防ぐ意味に於て有効ではあるが、正當なる競爭に於ては矢張り自らの力に頼る外致し方ない。
 私の父が自動車を作らぬかと何度云ふたかわからない。而も其れを躊躇して三年も四年も手を着けなかつたと云ふのは、此の點を考慮したからである。先ず技術的實力の養成と經濟的實力の養成をしてから其の製作に取り掛らねばならぬ。勿論自工法等夢にも考へて居なかつたので、乘用車二百臺の製作に對して、一臺當り何れ位の損失をして何れ位續けて行けば國産車として認められる樣になるか、又その製作に相當した値段で買つて貰える樣になるか、それ迄の辛抱が果して出來るかどうかその辛棒を爲し遂げれば國産車として成立しない理由はないでもない樣に思はれる。他工業が總て外國より安くて而も良いものを作り得る能力のある我が國が、自動車の製造だけは何うしても安くて良いものが作れない理由はないであらうと云ふ考へで過去數年間技術の養成と會社の内容の充實に努力して來た。昭和八年頃やつと技術的基礎も或る程度迄出來た。會社としての經濟状態も惡くない。此の際思ひ切つて自動車製造に當らねば、永久に手を着ける事は出來ぬと考へ、思ひ切つて其の製作に取りかゝつたのが昭和八年九月一日である。凡て事業は手をつけ初めたならば一瀉千里に遂行するのが却つて經濟的である何物も振り返らずに進んでは見たが何分手馴れぬ仕事である。此處に三年間費した事は御恥しい次第である。





底本:「豊田喜一郎文書集成」名古屋大学出版会
   1999(平成11)年4月15日初版第1刷発行
初出:「トヨダニュース 第六号」
   1936(昭和11)年8月25日
入力:sogo
校正:塚本由紀
2015年3月8日作成
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