月産五百臺が我社の根本方針

――豐田常務語る――

豊田喜一郎




 わが社の第一回販賣店協議會は去る四月廿七日午前十時半から刈谷の工場で開催されたが、同日午後の會議の席上常務豐田喜一郎氏は大要左の如き挨拶を爲し當工場の方針を明かにしたことは頗る注目を惹いた。

 私が自動車製作に着手致しました時の當初の意向では、月産二百臺を目標として乘用車を生産することにあつたのでありますが各關係方面の御要望によりトラツク三百臺を右に加へることになり、結局五百臺を製作せねばならぬといふのが現在の方針なのであります。故に今日ではそこを目指して一意技術の改善や設備の擴張を行つてゐる次第であつて、今年中には遲くもこの具體化を完成する決心であります。
 製品の完璧を期するためには常に研究第一をわが社のモツトーとしてゐるのでありますが、例へば自動車の鑄物に電氣爐を使用したのは當工場が最初であつたと思ひます。之を使用して完全な鑄物を造るのに三ヶ年の日子を費しました。又鑄物を設計の寸法通り正確に造るには從來通り手工業的方法によるべきでないと思ひましたので、モールデイング・マシーンを採用致しましたが、これが操作を完全に體得するまでには前者同樣の時日を要したのでありました。
 更にギアー類デイゼルエンジン等についてもそれ/″\學識經驗ある各方面の意見を徴してゐるのであります。近く發表の豫定になつてゐる乘用車に關し、そのモデルを何うするかボデーの色彩を何う定めるか等についても色々苦心して居りますが、この方面についても畫家として又工藝方面にも造詣深い某大家の考案を煩はして居ります。
 ボデーが出來上るまでにはアメリカ邊では設計―型―製作―發表までには實に三ヶ年を要するといふ事でありますが、外國車に追付かうとする爲にはどうしても右の行程を一ヶ年で仕遂げる必要があると思ひまして、種々考究致して居りますが、先づ所期通りの結果をこうすれば達成し得るといふ、大體の成算を最近立てるに至つた次第であります。
 要するに國産大衆車の完成のためには如何なる研究努力をも盡し各方面の意向を徴し以て萬全を期したい考へであります。





底本:「豊田喜一郎文書集成」名古屋大学出版会
   1999(平成11)年4月15日初版第1刷発行
初出:「トヨダニュース 第一号」
   1936(昭和11)年5月10日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:sogo
校正:塚本由紀
2015年3月8日作成
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