準備は出來たトヨタは邁進します

豊田喜一郎




 私は過去四年間を自動車と寢食を共にして、四六時中唯それのみを考へつゞけて來ました。所が此處に發令されました自工法案の實施に當り、弊社が逸早く特許許可會社の指令を受けた事は身に餘る感激事でありますが之と同時に今迄の樣に單に自動車の事を考へるばかりではすまされない重大責任を擔ふに至つたのであります。國家に對する義務として當然一日も早く自動車の大量生産を實現して國民大衆諸君に見えなければならないその責任の重且大もさる事乍ら、難事業とされてゐる自動車工業の克服を想へば寔に是男子一生の大業であり、私にとつては「男子の欣快」とする所であります。
 それに就て少しばかり三年前の準備時代を回顧しつゝ私達工場の内部的觀察を御報告しておき度いと存じます。

材料の問題について


 自動車の製作に當つて何が一番大切であるかと申しますに、云ふまでも無く材料問題であります。材料問題を解決せずして自動車の製造に取掛かる事は土臺を作らずして家を建てる樣なものです。
 日本では製鋼業は相當進歩して居りますが未だ自動車に最も適した材料を專門に作つて呉れる所はありません。義理に少しばかりの材料を造つて呉れても、それを以つて營業化されるまでには相當の犧牲を必要とします。又相當の研究が必要です。そこまで辛抱して便宜を計つて呉れる材料屋は恐らくありますまい。假令あつたとしても吾々の思ふ樣な研究をどこまでも續けて行く事は不可能です。材料の進歩と共にエンヂンも改良されます。エンヂンの進歩と共に材料を改良しなくてはなりません。エンヂンの研究には切つても切れぬ材料の製作は甚だ餘分な仕事の樣でありますが、現在の日本としては何うしても材料の專門的製作を自分でしなくてはならない立場にあります。如何にエンヂンの製作を良くしても、適材を適所に使はなかつたら壽命も短くなり、値段も高くなり、性能も惡くなります。材料の製作が出來なくては自動車の研究も出來ません。之をするには二百萬圓程餘分に掛りますが、現在の日本では、これが自動車の生命であります。併し果して日本人の力丈けで其の材料が出來るものか何うか、本多光太郎先生に聞くのが早道だと思ひましたので、早速仙臺へ行つて先生に尋ねました處「日本の現在の力で充分出來る。」「外國人を雇ふ必要はない。」と云はれたので大いに安心して直ちに製鋼所の設立にかゝりました。次に材質の適否を調べ、安價にして効果的な材料を研究する事は經濟車を作る上に最も大切な事であると同時に、出來た材料が果して目的通りのものであるか否かを充分試驗せずして使用する事は此の上もない危險であります。從つて其の充分な試驗室が要ります。丁度知人の山田博士が工業大學で材料試驗の方面に詳しいので、山田博士にお頼みして試驗場を作つて戴く事にしました。斯くして試驗場と製鋼部と相俟つて材料の研究をしました。茲にも幾多の失敗はありましたが、二年間で先づ實用に供し得るものを製作するまでに至つたのです。

鑄物の研究


 次に鑄物方面でありますがこれは多年研究し充分な自信を持つて居たので自動車位の鑄物は何んとでも解決をつけると云ふ自信を持つて掛りました。
 當社を參觀に來られる方から、時々鑄物は何割合格しますかと云ふ御質問を受けますが鑄物と云ふものは普通九五%位の合格率がなくては營業は成立ちません。
 苟しくも自動車を造らうと云ふものが鑄物の合格率を心配される樣な哀な状態では、自動車の製造を中止した方が良く、こんな鑄物位が出來なければ豐田の恥だと思ひ工場の者を大いに督勵しました。モールヂングマシンを使用して生型でシリンダーをふいて九十%以上に成功する迄には相當の失敗もしましたが、一年餘りで成功したのは多年モールヂングマシンを使用して居た事と、電氣爐を用ひて、紡機の薄物鑄物の六敷いものをやつて居たお蔭でありました。それでもシリンダー五六百個ペケにして鑄つぶしてしまひました。同じ物を千個作ると大概の職工は手が馴れて間違の無い物を作る樣になります。最初の數百個の中には良い物も出來ますが、手が定まる迄は是を捨てる位の覺悟は必要であります。斯くの如くして材料方面の解決は大體つきました。
 こうした材料の撰擇改良を常にやつてゆきますには從つて學理的研究も伴はねばならない筈です。そこで研究所を作り、其處では技術的方面の研究もやりますが、製鋼研究所では材料の物理的並に化學的研究を絶えずやりまして、如何にすればよりよき材料を得るかと深甚の關心を繼續してゐます。その外塗料試驗油脂試驗等の設備もあります。
 愈々自工法案の賽は投げられました。トヨタも亦武裝して自動車工業の世界的戰場に出場したのです。未だ/″\不備な點もありますが、これよりは唯邁進あるのみです。私も渾身の力を捧げて皆樣の御期待に副ひ度いと念じてゐる次第であります。





底本:「豊田喜一郎文書集成」名古屋大学出版会
   1999(平成11)年4月15日初版第1刷発行
初出:「トヨタニュース 第九号」
   1936(昭和11)年11月1日
入力:sogo
校正:塚本由紀
2015年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード