日本に於けるクリップン事件

谷崎潤一郎




 クラフト・エビングによって「マゾヒスト」と名づけられた一種の変態性慾者は、いうまでもなく異性に虐待されることに快感を覚える人々である。従ってそういう男は、――仮りにそれが男であるとして、――女に殺されることを望もうとも、女を殺すことはなさそうに思える。しかしながら、一見奇異ではあるけれども、マゾヒストにして彼の細君または情婦を、殺した実例がないことはない。たとえば英国に於いて一千九百十年の二月一日に、マゾヒストのおっとホーレー・ハーヴィー・クリップンは、彼が渇仰の的であったところの、女優で彼の細君なるコーラを殺した。コーラは舞台名をベル・エルモーアと呼ばれ、すべてのマゾヒストが理想とする、浮気で、わがままで、非常なる贅沢屋で、常に多数の崇拝者を左右に近づけ、女王の如くおっと頤使いしし、彼に奴隷的奉仕を強いる女であった。その犯罪が行われた正確な時刻は今日もなお明かでないが、前記一千九百十年の二月一日午前一時以後、コーラは所在不明になり、誰も彼女を見た者がない。おっとクリップンは人に聞かれると、妻は転地先で病死した旨を答えていた。が、五箇月を経てからスコットランド・ヤードの嗅ぎつける所となり、刑事が彼に説明を求めると、彼は極めて淡白に、「死んだといったのは※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うそなんです。実は一月三十一日の晩に夫婦喧嘩をしましてね、それをキッカケに妻は怒って家出をしちまったんですが、多分亜米利加アメリカへ行ったんだろうと思うんです。亜米利加は妻の生国で、いい男があったらしいから、きっとその男の所へ行ったんでしょう。アレが死んだといい触らしたのは、そうでもいっておかないでは世間体が悪いものですからね」と、直ちによどみなく陳述した。そうして刑事をヒルドロップ・クレセント三十九番地の自宅へ案内し、家じゅうを隈なく捜索するに任せた。これで事件は曖昧の裡に葬られ、彼の嫌疑は一往晴れたにもかかわらず、クリップンは何に慌てたか、翌日急にどこかへ姿をくらましてしまった。それが七月十二日で、同十五日に刑事が再び彼の留守宅を捜索したところ、石炭を貯蔵してある地下室の床の煉瓦の下から、首と手足のない一個の人間の胴であろうと思われる肉塊を発見した。コーラが見えなくなってから、実に五箇月半の後であった。
 私はここにホーレー・ハーヴィー・クリップン事件を叙述するのが目的でない。だからなるべく簡単にしておくが、彼について特筆すべきは、このクリップンこそ、無線電信の利用によって逮捕せられた最初の犯罪者であった。彼は一旦アントワープに逃げ、七月二十日亜米利加へ向って同港を出帆する汽船モントロス号へ、ミスタア・ジョン・ロビンソンなる仮名の下に乗船した。しかるにこのロビンソン氏には彼の息子と称する一人の美少年の同行者があって、それがどうも、男装をした女らしいというところから、遂に船長ケンダル氏の疑いを招き、ケンダル氏より無線電信を以てその筋へ紹介するに至った。かくして同月三十一日、リヴァプールより跡を追いかけた警官のために、船中に於いて彼と男装をした女とは捕縛せられた。ではその女は何者であるかというに、エセル・ル・ネーヴという者で、クリップンが可愛がっていたタイピストであった。即ち彼はだんだん細君に飽きが来ていて、このタイピストを情婦に持っていたのである。
 私は読者諸君に向って、この事に注意を促したい。というのは、マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びはどこまでも肉体的、官能的のものであって、毫末も精神的の要素を含まない。人或はいわん、ではマゾヒストは単に心で軽蔑され、飜弄されただけでは快感を覚えないのか。手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないのかと。それは勿論そうとは限らない。しかしながら、心で軽蔑されるといっても、実のところはそういう関係を仮りにこしらえ、あたかもそれを事実である如く空想して喜ぶのであって、いい換えれば一種の芝居、狂言に過ぎない。何人といえども、真に尊敬に値いする女、心から彼を軽蔑する程の高貴な女なら、全然彼を相手にするはずがないことを知っているだろう。つまりマゾヒストは、実際に女の奴隷になるのでなく、そう見えるのを喜ぶのである。見える以上に、ほんとうに奴隷にされたらば、彼等は迷惑するのである。故に彼等は利己主義者であって、たまたま狂言に深入りをし過ぎ、誤まって死ぬことはあろうけれども、自ら進んで、殉教者の如く女の前に身命を投げ出すことは絶対にない。彼等の享楽する快感は、間接または直接に官能を刺戟する結果で、精神的の何物でもない。彼等は彼等の妻や情婦を、女神の如く崇拝し、暴君の如く仰ぎ見ているようであって、その真相は彼等の特殊なる性慾に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具としているのである。人形であり器具であるからして、飽きの来ることも当然であり、より良き人形、より良き器具に出遇った場合には、その方を使いたくなるでもあろう。芝居や狂言はいつも同じ所作しょさを演じたのでは面白くない。絶えず新奇な筋を仕組み、俳優を変え、目先を変えて、やってみたい気にもなるであろう。マゾヒストが一とたびそういう願望に燃え、何とかして古き相手役、古き人形を遠ざける必要に迫られた時には、マゾヒストであるがために、かえって恐ろしい犯罪に引き込まれがちであり、そうしてまた、普通の人より一層容易にそれを為し遂げ得ることは、読者にも想像が出来るであろう。なぜなら彼は彼の病的な本能の故に、たとえ内心では相手を嫌うようになっても、嫌忌の情を男らしく、堂々と表白することを欲しない。欲しないのみならず、彼の性質としては先天的にそれが出来ない。もうこの女はイヤだと思いながら、女が依然として暴威を振って、彼を叱ったり殴ったりすると、やはりその刹那は、その快感に負かされて誘惑される。彼の弱点を握っている女は、全く油断をし、心を許し、いよいよ傲慢な態度を続ける。男はセッパ詰まる所まで誘惑に引き擦られて行き、そのためになお胸中に憎悪を貯え、だんだんあがきがつかなくなって、結局何か陰険な方法で、相手の女を除き去るよりほかに手段がなくなってしまう。(散々人形をいじくり廻して、使えるだけ使ってから、それをごみ溜めへ捨てるのである。)相手は油断しているのだから、乗ずる隙は幾らでもある。そのことは訳なく実行される。そうして世間は、彼の如く女に柔順であった男に、何等の疑いをも挟まない。現にクリップンがそうであった。あのように細君のわがままをおとなしくこらえた紳士が、恐ろしい罪を犯すはずはないという風に、一時は思われたのであった。
 クリップンは最後まで自白しなかったので、彼がいかなる時と場合に、いかなる手段でコーラを殺したかは、遂に今日に至るまで知られていないが、ただ英国の法廷は、コーラが見えなくなったこと、地下室の床下から一箇の肉塊が現われたこと、クリップンが突然情婦を男装させて逃亡を企てたこと、彼が知り合いの薬種商から、性慾昂進剤として徐々に多量の劇薬を買い求めつつあったこと、及び肉塊の内臓にそれと同じ劇薬が含有されていたことなどから、コーラを毒殺したものとして彼に死刑の判決を与えた。しかしながら当時の科学の程度では、地下室の肉塊がコーラの死屍の一部分であることを学問的に立証することは至難であった。その肉塊はそれほど損傷し、腐爛ふらんしていた。そうして胴体から切り離された首と手足とが、いつ家から運び出され、どこへ遺棄されたかについては、多分犯罪の露顕する前、復活祭の休暇を利用して彼が情婦のエセル・ル・ネーヴとディエップへ旅行した時に、船の甲板から英吉利イギリス海峡へ投じたものであろうという推測以外に、確たる事は分らないでしまった。
 クリップン事件のあらましはざっと上述の如くである。そこで私は、読者諸君に今一つこれと似た事件、――日本に於けるクリップン事件とでもいうべきものを、以下に紹介しようと思う。その事件とはほかでもなく、二三年前に京阪地方の新聞紙を騒がしたところの、兵庫県武庫郡○○村字××に於ける、会社員小栗由次郎なる者の私宅に起ったあの出来事を指すのである。私がそれを再び取り上げて読者の興味に訴える所以は、当時新聞にはいろいろの記事が現われたけれども、いずれもあの事件を正当に観察していなかった、徒らに誇張した形容詞を並べ、その血なまぐさい光景や、「凶暴を極め、惨虐を極め」た「奸佞かんねいなる」犯罪を書き立てたのみで、あの事件が第二のクリップン事件であり、マゾヒストの殺人であるという点に、特別な注意と理解を向けた新聞紙はなかったように、考えられるからである。それに事件が関西でのことであるから、東京の新聞は軽く取り扱っていたので、知らない人も多いに違いない。私はそれを探偵小説的に書くのが目的ではなく、記録に基いて事実を集め、既に知られた材料を私一流の見方によって整理してみる、つまり与えられた事柄の中心を置き換えてみる、そうして出来るだけ簡結に、要約的に諸君の前へならべてみようというのである。
 それは大正十三年の三月二十日午前二時頃のことであった。阪急電車蘆屋川の停車場から五六丁東北にあるBという農家の主人は、隣家の小栗由次郎方と覚しき方角から、番犬のうなるらしい響きと、人の叫ぶような声とを聞いた。あの辺の地理を知らない人のために記しておくが、大阪と神戸とを連絡する電車に二線あって、一線は海岸に沿うて走り、他の一線は六甲山脈の麓を縫うて、高台の方を走っている。阪急電車とは後者をいうので、その沿線はつい最近にこそ急激な発展をしたものの、当時は今の半分も人家がなかった。ことに線路から上の方、――山手の方は、その時分は至って淋しい場所であって、昔から村に居住している百姓以外には、去年の地震で関東を落ち延びた罹災民をあてこみの借家が、やっと二軒建っていたのみであった。この二軒のうち一軒はまだ借り手がなく、他の一軒に、約二箇月程以前から小栗由次郎が住んでいた。前記のB家はそこから四五間東寄りにあって、小栗の住宅に最も近かったのである。が、B家の主人はその夜そういう物音を聞いても、余り怪しみはしなかった。彼は小栗が大きな番犬を飼っていることを知っていたし、近頃毎夜今時分にその犬が「ウー」と牛のように呻るのを、しばしば聞いたことがあった。人の叫び声についても、それが小栗の家からなら不思議はなかった。なぜかというのに、小栗の家では時々奥さんがヒステリーを起して、亭主を打ったり蹴ったりして大乱痴気をやるというので、その噂はもう、越して来てからまたたくうちに村中に知れていたからであった。
 いったいそういう昔ながらの土地へ赤い瓦の文化住宅が建てられて、都会人らしい若い夫婦が移って来れば、それでなくても村民の注意を惹くのは必然であるが、殊にこの夫婦は、彼等の噂の種になるのに甚だ恰好な材料であった。村民たちの見たところでは、夫婦は一匹の犬を飼っている以外には、女中も置かず、二人きりで住んでいた。亭主は大阪の船場にあるBC棉花株式会社の社員だそうで、三十五六の男であった。細君というのは、実際の歳は二十四五かもしれないけれど、ようよう二十前後にしか見えない若さで、この女が真っ先に村民の眼を驚かした。彼女は毎日午頃になると、留守宅に鍵をかけて、太い鎖で犬を曳きながら、散歩に出かける。その時の服装が異様であって、この近所には珍しい断髪の頭に、派手なメリンス友禅の、それも色のめかかった、ひどく古ぼけた振袖を着て、紫のコール天の足袋を穿いた風つきはなかなかの美人であるだけに、どう考えても癲狂院のしろものであった。そして彼女は、犬を連れて一と廻りすると、一旦家へ帰って来て、それから大概、午後二時時分に、今度は恐ろしくハイカラな、キビキビとした洋服を着、鞭のような細いステッキを振りながら、電車でどこかへ出かけて行った。あの奥さんは亭主の留守に家を空けて、毎日どこへ行くのだろうと、久しく問題にされたものだが、間もなく彼女は、大阪の千日前や神戸の新開地へ出演する歌劇女優であることが分った。つまり夫婦は共稼ぎをしているのであった。細君は夜が遅くなるものだから、朝のうちは床の中で眠っているらしく、亭主はいつも、会社へ出勤する時刻、――午前七時頃に、表や裏口へ鍵をかけて出るのが見られた。亭主の帰りは、午後六時頃に会社から真っ直ぐ戻る場合もあり、細君の出ている小屋へ廻って、十一時前後に、仲好く腕を組みながら帰宅する場合もあった。従って、昼間はめったに顔を合わせる暇のない夫婦であるから、家へ帰ると、夜が更けるまで話し合っているのに不思議はないのだが、どういう訳か三日にあげず喧嘩が始まって、夜半の一時二時頃になると、夫婦の激しい掴み合いや格闘の響きが、平和な村の眠りを破った。そればかりでなく、その喧嘩の内幕についても、奇妙なことが発見された。というのは、最初村の人たちは、亭主がやきもち焼きなので、細君をいじめているのであろうと想像していたのに、だんだん様子を探ってみると、怒鳴りつけたり殴ったりするのは細君の方で、亭主はあべこべにひいひい泣きながら、ゆるしを乞うているのであった。さてこそ「あの女はヒステリーだ、何ぼ女優でも変だと思ったが、やっぱり幾らか気がおかしいんだ」というような噂が、ぱっとひろまってしまったのである。
 そういう訳だから、その晩前記のB家の主人は、その犬の声や物音を聞いても、別に気にかけるはずはなく、「またやっているな」と思っただけで、すぐに寝入ってしまったのだが、それから三時間ばかり過ぎた明け方の五時近く、主人が再び眼を覚ますと、隣家の物音は微かながらもまだ続いていた。しかし今度は、犬の吼えるのは聞えないで、多分亭主が例のひいひい悲鳴を挙げているのであろう、「堪忍かにしてくれエ!」とか、「御免よう!」とかいうらしい声が、途切れ途切れに、さも哀れッぽく、力なく響いた。主人はその時、今まで喧嘩が明け方までも続いたことは一度もないので、これは少し変だと思った。そうしてなおよく聞いてみると、どうもいつもの喧嘩ではないような気がした。喧嘩なら細君の罵る声や、ぴしゃりぴしゃりと亭主の横ッ面を張り倒すような音がするのに、それがちっとも聞えて来ない。ただしーんとした静かさの中に、亭主の悲鳴ばかりが聞える。その悲鳴がまた、じっと耳を澄ましていると、「堪忍かにしてくれエ!」というのではなく、「助けてくれエ!」というようである。……
 B家の主人が、後に証人として出廷した時に述べたところは右の如くで、彼はこれ以上この事件には関係がない。彼は第一に小栗由次郎の叫び声を聞いたが、それがハッキリしなかったので、現場へ駆けつけることを躊躇ちゅうちょしていた。するとたまたま、小栗の家の前を通りかかった第二の男が、これは明瞭に「助けてくれエ!」という声を聞いた。以下は主として第二の男の証言に基く事実である。――
 その男は、小栗の家から更に五六丁東北の方の小山から切り出す石を、車に積んで魚崎の海岸へ運ぶ馬方であった。彼はその朝の五時少し過ぎに同家の前へさしかかった時、「助けてくれエ!」という声が二階の窓から聞えたので、思わず立ち止まってその方を見上げた。窓には何の異状もなく、更紗さらさの窓かけが垂れ下っており、締まりのしてあるガラス障子には、朝日が赤くキラキラと反射していた。にもかかわらず、助けを呼ぶ声はしきりに繰り返されるので、彼は直ちに家の中へ踏み込もうとしたけれど、表口にも裏口にも厳重に鍵が懸っていた。よんどころなく、彼は台所のガラス障子を破ってはいり、階段を駈け上って、声のする部屋と思われる方へ走って行った。と、その部屋のふすまが一枚外れて、三尺ばかり開いていたので、覗き込もうとすると、中からいきなり狼のような巨大な犬が「ウー」と呻って飛び着いて来たので、馬方は「あっ」といったまま、仰天して後ろへ退った。とたんに彼は、誰か室内に居る男が、「エス! エス! エス!」と、一生懸命に声を張り上げて、犬を制するのを聞いた。犬はそれきり大人しくなって、敵対行動を止めはしたものの、なおかつ警戒するように、馬方の体に附き纒いながらヒクヒク臭いを嗅いでいた。
 次の瞬間に室内を見廻した馬方は、寝台の上に、一人の男が赤裸にされ、鎖を以て両手と両足を縛られているのを認めた。彼は体じゅうを滅多矢鱈に打たれたものらしく、ところどころにみみず脹れが出来、血が流れていた。疑いもなく助けを求めたのはこの男で、そうしてまた、たった今犬を叱ったのもこの男に違いなかった。が、それよりもなお悲惨なのは、寝台の脚下に仰向けになって倒れている、一人の若い断髪の女の屍骸であった。女は派手な刺繍のあるパジャマを着て、――馬方の言葉に従えば「支那服を着て、」――右の手に革の鞭を持ったまま、むごたらしく頸部をえぐられ、傷口から流れる血の海の中に死んでいた。馬方の混乱した頭には、咄嗟の場合、この物凄い光景がぼんやりと瞳に映ったのみで、これらの事が何を意味するか、とんと解釈がつかなかったが、間もなく彼は、さっきのエスという犬が同じように血を浴びて、その唇から生々しい赤いすじを滴らしているのを発見した。「犬が女を喰い殺したのだ、」――彼にはやっとそれだけが分った。何となれば、エスはその時馬方に対する警戒を解いて、再び屍骸をなぶり始めた。その屍骸には、――始めて彼は気が付いたのだが、――くびばかりでなく、至る所に喰いちぎったような傷痕があった。
 程なく警官と警察医の臨検となり、縛られていた男、即ち小栗由次郎と、証人の馬方とは、一往警察署へ引致されたが、そこで図らずも、小栗の説明でこの不可解なる惨劇の内容がすっかり分った。小栗のいうには、死んだ女は芸名を尾形巴里子という歌劇女優で、自分の内縁の妻である。そしてその晩も、彼はいつものように巴里子に折檻せっかんされていた。巴里子は彼を素裸にさせてから、寝台の上へ臥ることを命じ、しかる後にその手と足とを犬の鎖で緊縛した上、革の鞭をしごいて体じゅうをぴしぴしと殴った。彼は苦痛に堪えられないでひいひいと悲鳴を挙げつつあった。ところが一方、この十日程前に、わざわざ上海から取り寄せたジャアマン・ウォルフドッグ(独逸種ドイツしゅ狼犬)があったが、体量十三四貫もある猛犬であるから、階下の一室へ繋いでおいたのに、それが悲鳴を聞くや否や、主人の危急の場合とみて、突然綱を引きちぎって扉を蹴破り、二階の部屋へ駈け込んで来て巴里子に躍りかかったかと思うと、一撃の下に彼女の喉笛を喰い切ってしまった。
 巴里子が何故に彼を折檻したかについては、小栗は自分が浅ましい変態性慾者、――マゾヒストであることを包まず語った。巴里子は決してヒステリーの女ではなく、むしろ小栗を喜ばすために暴威を振っていたのであった。尚また、何の必要があってそんな猛犬を飼ったかというのに、自分(小栗)は元来犬好きの方ではなかったけれども、巴里子の感化で、今では夫婦とも犬気違いになっていた。犬に対する巴里子の嗜好はなかなか専門的であって、犬というものは、婦人が戸外を散歩する時の欠くべからざる装飾である。犬を連れて歩かない婦人は、美人の資格がないのである。その目的に添うためには、小さな繊弱な犬よりも、大きな頑健な犬の方がいい。なるべく剽悍ひょうかんな、獰猛どうもうな犬であればある程、それに護衛されながら行く婦人の容姿が、ひと際引き立って魅惑的な印象を与える。と、そういうのが巴里子の持論であった。そして彼女は、小栗と同棲するようになってから、早速土佐犬と狼との混血犬を買い込んだが、それがディステンパーでたおれたので、今度はグレート・デンを買った。ところがそのグレート・デンは、毛の色合や体つきが彼女の皮膚や服装と調和しないことに気が付き、最近に至ってそれを神戸の犬屋へ売って、代りに独逸の狼犬を取り寄せることにしたのであった。村の人たちが、彼女が連れて歩いているのをしばしば見たという犬は、即ちグレート・デンのことで、巴里子は狼犬の方が到着する前に、歌劇の一座に加わって半月ばかり九州へ巡業に出かけ、帰って来たのが事件のあった前日の午後であった。そうして実にこの一事こそ、犬好きの彼女が犬に喰い殺されるという惨禍をもたらした原因であった。巴里子も小栗もたびたび猛犬を手がけていた結果、犬を恐れる観念が乏しく、油断していた。それでも小栗は、今度の犬は取り分け性質が荒々しいことを知っていたから、彼女の留守中にそれを自宅へ引き取って以来、毎日毎夜馴らす練習を続けていた。特に彼女の帰宅する日は、万一の事を慮って、階下の一室へ押し込めにしたくらいであった。が、それがかえって悪かったのか、犬は事件の突発するまで彼女に親しむ機会がなく、主人を虐げる悪魔であるとみたのであった。
 警官は念のために小栗の家の間取りを調べた。それは前にもいう如く文化住宅式の借家で、中は二階が日本座敷、階下が西洋間になっていた。当夜惨劇の起った部屋は、八畳敷の畳の上に鉄製の寝台(ダブルベッド)が据えてあり、そこが夫婦の寝室――というよりも、巴里子が夜な夜な彼女の哀れなる奴隷の上に、あらゆる拷問と体刑を科する仕置場であった。犬は階下の西洋間の方に、鎖を以て繋がれていたので、その鎖の一端は、窓の格子に絡ませてあった。しかしながら、狼犬が狂い立った場合に、その鎖を絶ち格子をじ曲げることは困難でないと断定された。いわんやその部屋には鍵をかける設備がなかった。そして扉のハンドルも十分廻してあったかどうか疑わしく、ここらが小栗の油断であった。要するにそこを飛び出した犬は、二階へ上って、訳なく日本間の襖を外した。
 馬方のほかにB家の主人、歌劇団の俳優、神戸の犬屋、その他村の人たちが証人として調べられたが、彼等の陳述は小栗の言葉と一致していた。小栗はせめて、自分の手を以て最愛の女の仇を報じたいという希望を述べた。彼の願いは同情を以て聴き届けられ、彼は警官のピストルを借りて、その場で犬を射殺してしまった。事件はかくの如くにして落着を告げ、その日の夕刊には、「犬に食い殺された女」、「歌劇女優犬に殺さる」、「夫は変態性慾者」等の数段に亙った記事が現われて、この驚くべき夫婦の秘密が明るみへさらし出されたけれども、それもほんの五六日世間の視聴を集めただけで、次第に忘れられたのであった。
 ところで、読者諸君のうちには、その後約五箇月を経た同年八月中頃の二三の新聞に、「人形を入れた不思議な行李こうり」というような記事が隅ッこの方に小さく出ていたのを、読まれた方もあるであろう。その行李は相州鎌倉扇ヶ谷某氏所有地の雑草の中に遺棄されていて、発見されたのは八月十五日の朝であった。届出によって警官が中を改めると、一箇の等身の人形が出て来た。それは針線や木のしんの上に紙や布を巻きつけた、しろうとが作ったつたない人形で、案山子かかしに近いものであったが、顔だけは念入りに出来ており、断髪のかつらかぶっていた。警官はその顔だちと、断髪の頭と、着せられてある派手なパジャマの模様とで、女の人形であることを知った。そうして最初は、多分横須賀の水兵か何かが、船中の慰みに使ったのだろうと見当をつけた。なぜかというのに、その人形にはなまめかしい香水とお白粉の匂いが沁み込ませてあり、行李の蓋を開けたとたんにそれがぷーんと警官の鼻を打ったのであった。けれども一つおかしいことは、人形の頸部に、なんらかの凶器で深く喉笛を抉ったらしい傷痕があった。しかも一度でなく、抉ってはまたその穴を直し直しして、幾度もそれを繰り返したものに違いなかった。警官がそこを更に綿密に調べるに及んで、ほんの刺身の一と切れぐらいな、乾燥した肉の塊が傷痕に附着していた。試験の結果、それは牛肉であることが分った。
 私は読者に、これ以上説明する必要はあるまい。
 ただ何故に小栗由次郎は、その行李を自宅の床下に長く隠しておかなかったか、それをわざわざ運び出して、遺棄したのはなぜであるか、というに、彼はその行李の中の物が人形でなく、巴里子の死体であるかの如き恐怖を感じた。その人形が家にある限り、彼は安眠が出来なかった。第一に彼が考えたのは、それを床下へ置き去りにしたまま、他へ移転する策であった。しかしこれには非常な危険が予想せられた。第二に彼は、それを密かに解体して、部分部分を、徐々に、少しずつ、粉々に砕いてしまうか、或は捨ててしまおうと思った。実際彼はそうしようとして、ある時床下からその荷物を取り出し、行李の蓋を開けたのであったが、彼にはとても、その人形の顔を正視し、それに手を触れる勇気がなかった。彼は何よりもそこから発する香水の匂いを怖れた。それはコティーのパリスであって、死んだ女の体臭といってもいいくらい、彼女に特有な匂いであった。その人形を粉々にするには、もう一度彼女を殺す胆力を要した。しかも今度は自分の手を以て、直接にその事をしなければならない。――彼は慌てて行李の蓋を締めてしまった。
 犯罪が発覚した当時、彼は大阪のカフェエ・ナポリの踊り児と同棲していた。即ち日本のクリップンにもエセル・ル・ネーヴがあったのである。





底本:「谷崎潤一郎マゾヒズム小説集」集英社文庫、集英社
   2010(平成22)年9月25日第1刷
   2013(平成25)年1月26日第3刷
底本の親本:「谷崎潤一郎全集 第十一卷」中央公論社
   1982(昭和57)年3月25日初版発行
初出:「文藝春秋」
   1927(昭和2)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「駆け」と「駈け」の混在は、底本通りです。
入力:hitsuji
校正:きりんの手紙
2022年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


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