逗子物語

橘外男





 逗子に了雲寺りょううんじという天台宗の寺がある。詳しく言えば、逗子とは言ってもここは田浦との中間地点、むしろ田浦の方にくらいしていると言った方がいいのかも知れぬが、東京からの避暑客などは道の遠いのとあまりにも物淋しいのとで、ほとんど顧みる人もいなかった。
 田越川たこえがわに沿うて神武寺を左に眺めつつ三崎街道の埃っぽい道をどこまでもどこまでも伝わって行くと、やがて小一里近く道は二股に分れて、一つはその埃っぽい道を左の方へ単調に続けて行き、一つは石礫いしころの多い山坂道を右の方へと分け入って行く。
 了雲寺というのはこの右の方へ山ふところを分け入ったところにあったが、行くこと更に七、八町、道は再び豁然かつぜんとして開け、やがて左側の大きなけやきの樹陰に色せた旗を立てて一軒の百姓家が往来も稀れな通行人のために草鞋わらじ三文菓子なぞを商っている前へと出る。そのすぐ向うからもう長々とした石段の入り口になって、そこには不許葷酒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさず六朝りくちょう風な字で彫った古いこけむした自然石が倒れ掛かっていた。そして胸をくような長い石段が――こんな名もない田舎寺には勿体ないような長いじめじめとした石段が見上げるような頭上の山の頂につらなっていて、深々と山をおおった昼なお暗い老杉ろうさんがいつ来て見てもザワザワと揺れ立っていた。まるで石清水いわしみずでもそこら中から湧き出そうな幽邃ゆうすいな肌寒い感じであった。
 これが諸君にお話しようとするこの怪奇な物語の起った逗子の了雲寺の全貌であったが、これだけの構えをしている以上もちろん昔は相当に寺格の高い由緒ある寺であったろうが、今は見る陰もなく荒れ果てて一見廃寺としか思われぬ古寺であった。住持もいるのかいないのか、いつ来て見てもこのあたりは森閑として庫裡くりに人影一つ動いたこともない寂然さであった。ただ聞えてくるものとては遥かの相模灘さがみなだから吹き上げてくる強い海風を受けて、物怪もののけでも棲んでいそうなほど鬱蒼うっそうたる全山の高いこずえが絶え間もなく飄々ひょうひょうたけっているばかりであった。月の出た宵などにここを通ると、まるで山全体が真っ黒な怪物ばけもののように見えて、今にも頭の上からおおい被さってくるような気持がすると、私の宿をしていた百姓屋のお内儀かみさんなぞは、話をするだけでも恐ろしそうに首をすくめていた。
 が、それはともかくとして、一体いつ頃から私がこういう世の中から棄て去られたような陰気な山寺の奥なぞに杖をき出したものであろうか。判然はっきりしたことはもう覚えてもいなかったが、ちょうどその時分が結婚後間もなく胸の病を発してきた妻が、鎌倉の病院で亡ったばかりの頃で、私はたった一人で桜山の百姓家の離れ座敷を借りて味気ないその日その日を送り迎えていた頃であったから、幾分厭世えんせい的になっていた私の心には、こういう人気のない幽静な場所が一番気持にピッタリと合っていたのではないかと思われる。別にすることもなくもの憂い日々を送りながら、眼に触れ耳に聞くもの一つ一つに妻の思い出を懐かしんでいた私は、暇さえあればこの山寺の階段をポクポクと一人で足を運んでいたのであった。
 もう考えても仕方のないことをそういつまでも愚痴っぽく歎いているわけでもなかったが、この静かな石段を上って古びた庫裏くりと本堂一帯の裏山を掩った真暗な森に沿いながら、青萱あおかやの茂っている淋しい墓場の一角を分け入って、一面に海の見晴らせる断崖の上に腰を降ろしていると、脚下には新緑に掩われた幾つ何十かの山々の背が波のうねりのような起伏を見せて、その向うには一望はてしもない青海原が渺々びょうびょうたる紺碧こんぺきを拡げていた。そして空も海もただ眼に入る限りは青々とした一色の中に、うかんでいる船もなければ島影一つもなく、眼をさえぎるものとてはただ春蝉のきしきっているこの断崖の上に俯瞰ふかんしたひょろ高い赤松の梢だけであった。
 蝉のき声を耳にしながら凝乎じっと断崖の草の上に寝転んで、海を眺めたり空を眺めたり、また横手の墓場に眼をやりながら死んだ妻のことなぞをとりとめもなく考えていることが、その頃の私には一番に楽しい気持がしていたのであった。そしてその瞬間だけは、宗教心のない私にも死んだ妻が憔悴やつれながらに優しいあの顔をほころばせてさも楽しげに身近く引き添うていてくれるような気がしてならなかった。
 もちろん妻は東京に葬ってあったし、別段こんな淋しい山寺に何の関係もあったわけではなかったから、なぜここへ来ればこんな気持がしていたのか私にもその理由はわからなかった。が、わからぬままに座敷で寝転びながら書物を読んでいる時なぞでも、ふとした拍子にこの断崖を想い出してくるとまるで妻がここから手招きでもしているかのように胸一杯に楽しさがそそり立てられる気持がしてつい道が遠いことも打ち忘れてまたフラフラと出掛けて来るのが常であった。
 さてそうした頃のある日であった。その日も私はふとこの断崖のはずれへ来て、何を考えるともなく、とりとめもない思いに沈みながら、やがて小半日くらいも過してしまった頃であろうか。ふと気がついて見れば陽はもう海の彼方に沈もうとして残光は金色の波をまぶしく海上に漂わせていた。そしてこの断崖の上にうっすらと影ろって物侘しい静かな夕暮れを色づけめていた。また今日も暮れてしまうのかと私がち上り掛けた時、思わずギクリとして聞き耳を立てた。
 どこかで若い女の忍び泣きの声が妙にこもった低い調ととのい調子でこの人気のない山の奥からポソポソと聞えてきたのであった。ハッとして私はあたりを見廻したが、別段その辺に何の姿とても見えはしなかった。一際明るい夕方の光線の中に浮き出て、幾つかの墓の表が青白く輝いているに過ぎないのであった。気の迷いかとまた何気なくはかまの塵を払っている時であった。今度は低いながらも前よりは一層明瞭にまがう方なく女のすすり上げているばかりではなく、むせびながら何か途切れ途切れに掻き口説いているような若い女の含み声が洩れてきたのであった。それに続いておさえ付けるようにブツブツつぶやいているらしい老人の声が判然はっきりと私の耳を打ってきた。
 一瞬、私はすくんだようにそこに突っ立っていた。今も言った通り、そこはこれまでに幾度何遍となく来ていても、ただの一度も人っ子一人に行き逢ったこともない寂寥極まるところであった。しかもその静寂な場所もあろうに、今この晩春の黄昏たそがれ時ほどなく陽もとっぷり暮れ果てようという頃おいに、こんな不思議な咽び泣きや人の言い争う声などが聞えてこようとは夢にも予期できぬことであった。私ば何とも言えぬ異様な気持を感じながら、全身を耳にしつつなるべく音のせぬよう、ゆっくりゆっくりと塵を払っていた。その私の耳に今度は低い子供の声で「爺や! いやだよう! 藤やを叱っては厭だよう!」と幾分かすれを帯びて聞えてきた。掠れてはいても子供の声たることには疑いがなかった。子供も一緒にいるんだなと思った瞬間、今の私の竦んだ気持は消えて、今度は言い知れぬ好奇心がむらむらと湧き起ってきた。
 咽んでいるにせよ、叱られているにせよ、人の話を立ち聴きすることがいいことは決して思えなかったが、場所が場所、時が時だけに私は抑え難い好奇心をたかぶらせながら、声のする方へと、そーっと跫音あしおとをしのばせて行った。そして声はどうやらここから七、八間ばかりも離れた森のすぐ側の、夕陽の中にも一際目立つ大きな墓の陰から洩れているような気持であった。
 そして青萱あおかや蓬々ほうほうと足に絡まる墓場の中を、跫音を忍ばせて近づいて行った私は、つい二、三間先のその辺でも殊に大きな墓の前に三人の男女がたたずんでいるのを見たのであった。
 一人はゴツゴツの木綿じまらしいものを裾短に着た老爺ろうやであった。そして今までこの老人に叱られていたのであろう。涙ぐんでいる女というのは、年の頃二十五、六、一見しかるべき大家の女中かとも思われる髪を島田に結った上品そうな婦人であった。その婦人にすがりついて涙を一杯留めた眼で凝乎じっと老爺の方を凝視みつめているのはまだやっと十二、三の青白い頬をした世にも美しい少年の姿であった。
 老爺と婦人とこの二人の挙措ものごしが、どことなくこの少年に対して慇懃いんぎんを極めているところから推して、この幼い少年が恐らく二人にとっては主人筋にでも当っていたのであろうか。無帽の黒い艶々つやつやとした髪が女の児のように房々と波打っている様子と言い、睫毛まつげの長いパッチリとした涼し気な眼がさかし気に今涙を含みながらみはっている様子と言い、青白い頬、華奢きゃしゃな手足……それはまったく女の子にも見紛みまがうべき美少年であった。ただ強いて難を言えば、もうやがて梅雨が来るというこの蒸し暑い時候に、子供らしくもなく足袋を穿いて、かすりの着物を裾長に着て、帯を胸高に締めている様子が、どこか私に役者の子か病身の子を思わせるような柔弱な感じを与えていた。
 老爺はお墓に向っていかにも懐かし気な様子で何かしきりに呟きながら、せっせと閼伽桶あかおけの水を掛けてはその台石のあたりを浄めていたが、今度はハッキリと私の耳にも聞えたのは、その浄める手を止めて婦人の方に押し出すように呟いた低いしわがれ声であった。
「お痛わしいお痛わしいと言いながら、手前の方が先に泣き出すなんて……阿呆めが! あきけえってものが言えねえ……」
 あとは老人特有の口の中で語尾が消え失せて、私には聞き取れなかった。
「もういいよ! 爺や! そんなに藤やを叱らないで! 僕もう泣かないから……」と少年が、たもとまぶたを抑えている婦人を心配そうに見上げながら、取りし顔にそう言ったのが聞える。なるほど喉でも痛めているのか、弱々しいしかも子供に似げないかすれ切った声であった。
「なあに! 坊さま、じいはちっとも叱ってなんかいましねえ。あんまりお藤がわからねえことをぬかすだで、言って聞かしてやっただけだで……そねいに気を揉まっしゃることはねえだ」
 と老爺はせっせと台石に水を注ぎながら、坊さまと呼ばれた少年の方を振り向いて笑顔をこしらえて見せたのかも知れぬ。顔は墓の陰に隠れている私の方からは見えなかったが、少年の機嫌を取るように高々としかも妙に低く笑ったその声のみが、空虚うつろのように歯の抜けた感じを暮れかかる夕陽の妙に明るい空気の中へ響かせてきた。そして火を点けたのであろう、香煙がゆらゆらと墓の陰から立ち上りはじめた。
「さあできましたぞ! 坊さま! 拝まっしゃれ!」とまた老爺のしわがれた声がした。「今日は時間が遅くなりましたで、この次にはもっと早目に来ますだよな。ようく若奥様にそうおっしゃるがええだ! さあ早う拝まっしゃれ拝まっしゃれ! なんぼか若奥様はなあ! 坊さまを待ち兼ねていらっしゃっただかのう!」
 と独言ひとりごとのように呟きながら腰を延し延し立ち上って、長い眉毛の老いたる眼をしばたたきながら、凝乎じっと幼い主人の後姿を見守っている様子であった。
 しばらくげきとして声はなく、ただかやの風になびく音のみがサヤサヤと私の耳についていたが、途端に嗚咽おえつの音が洩れて、泣きながら眼頭をたもとで抑えながら婦人がまた何か口籠りつつ掻き口説いているのがポソポソと洩れてきた。
 そしてそれにつれて少年の悲しそうにしゃくり上げる声とそれをなだめるらしい老爺の声とが低く低く夢のように私の耳に聞えてくる。
「お泣きなさるなよ! 坊さまはいい子だ! お泣きなさるじゃねえ! 仏に涙をお見せなすったら死んでもおうかびなさることができねえだ! さあもう一度よーく拝んで! おうそうそう! 坊さまはいい子だ! お泣きなさるじゃねえ!」
 そして二人とも拝んでいる幼い子の背後にぬかずいて、凝乎じっと一緒に合掌しているのであろう。一句一句幼い子をせなで揺り上げているようなその老爺の涙をそそる悲しげな声だけは、地の底からでもい上って来るように私の心に滲み、魂に滲み身に滲みわたってきた。立ち上る香煙は鼻をいてきて、私も思わず泣いているこの三人と一緒になって泣き出したいほど眼頭が熱くなってきた。どんな事情があるのかは知らないが、もし一緒に泣いてやってこの三人の悲しみが消えるものならばいくらでも私も代って泣いてやりたいほどに胸が迫ってきた。このいたいけな少年の手を合され質朴な老爺や婦人たちの一本な涙の回向えこう手向たむけられて、これに感動せぬ墓があったであろうか。事情を知らぬ私でさえただこうやって眺めているだけで涙がポロポロと流れてくる。我を忘れた感慨に打たれながら、私はほとんど身じろぎもせずに茫然と突っ立っていた。そしてその間に何分ばかりの静かな時が経ち、何十分ばかりの無我の境を、私は夢のように突っ立っていたのであろうか。
 ハッとして夢中で私は墓の陰を離れると二足三足森の奥深く音せぬように歩を踏み入れた。もはや礼拝も終って、三人は今墓を離れるところであろう。こんな荒れ果てた山の墓所には珍しく立派な扉の締る音がギーと胸をえぐって淋しく響いてきて、重い鍵を掛けているらしくガチャガチャと金属と金属との触れ合う音が耳を打ってくるのであった。そして三人は落葉を踏んで道を埋めた青萱を分けながら、今私のたたずんでいる前五、六歩の細径をまた本堂の方へと戻って行くらしい気色であった。
 夕陽はいよいよ海の向うへその姿を没せんとしていたのであろう。夕映えは赤々とその辺一帯を染めなして、向うの三人からはほの暗い森の木立の陰になって私の姿は見えなかったであろうが、私の方からはまぶしい黄金色の光芒の中に狭霧さぎりのように朦朧もうろうとこの三人の姿は映っているのであった。しかもこの三人の顔色というものは? 私が隠れているのを知ってか知らずにか凝乎じっと私の佇んでいる方角へ瞳を投げながら、この三人が通り過ぎて行った。思わずギョッとして私は全身が氷りついたかと思った。これが生きている人の顔色であったろうか。まるで土であった。途端透き徹るようなろうの色そのものであった。そして三人は今私の前五、六歩のところを通り過ぎてしだいしだいに向うの方へ立ち去って行く。少年はうな垂れがちな婦人に手をかれながら、静かに歩を運んで行った。その後から老爺は前屈みになって閼伽桶あかおけを下げつつついて行く。
 サクサクサクと落葉を踏んでサヤサヤとかやの葉を分け、そして後にはまた一陣の強風がザワザワと全山の梢をひとしきり騒がせて立ち去った後には、三人の跫音あしおとはまったく私の聴覚の外へ消え去ってしまったのであった。私は風がんでもまだ凝乎じっと耳を澄ませて木立の陰に佇んでいた。あとからあとからただ胸の迫ってくるような気持がして、身動きをすることすらが今のこの寂然とした美しい幻影を冒涜ぼうとくするような気持がして、何故ともなく、はばかられたのであった。しかも跫音の消え去った後のこの墓場の寂寥さは、針の落ちた物音さえも聞えてくるかと思われるばかり魂の奥にまでも浸透してくるような侘しさであった。私の身体の重みで踏みしめている湿っぽい落葉がギシギシとり込む音すらが、あたりの静けさを破って、今にもこのくらい森の奥から何者かが、私の首筋でも引っ掴みそうな、そして森の奥には不思議な木や草や梢の繁みに眼を光らせた多くの小鳥たちが、この闖入ちんにゅう者の一挙一動を見守っているかと思われるほどの鬼気迫るばかりの寂莫さを感じてきたのであった。
 たまらなくなって私が小径へ躍り出した時には陽はもうすっかり落ち切っていたのであろう。すでにあたりは靉靆模糊あいたいもことして樹々の繁み、本堂の彼方には夜の闇がひたひたとい寄っているように思われた。そして林立した墓標の上にも闇と森の陰は掩い被さって、いずれも夢のようにほのかに浮び上っていたが、その中でもさっきまであの三人の拝んでいた墓は一際群を抜いて大きく立派にそばだっていた。
 何という人の墓なのか私は込み上げてくる好奇心で二度三度その方へ眼をやって見たが、この静寂境の宵暗よいやみの中へしだいに影を溶け込まそうとしているその墓のところまで覗きに行くことすらが何となく憚られるような恐ろしい気持がして、そのまま逃げるようにして墓場を後にしてしまった。
 やがてとっぷりと暮れ果てた夜空に、星ばかりのまたたいている暗い田舎道をてくてくと、私は物思いに沈みながらまた逗子の灯を眼ざして辿っていたが、いつもは長い単調な道だと思っていたこの街道も、夜のことではあり殊にさっきのよしあり気な三人連れのことで好奇の心を胸一杯に躍らせながら歩いていたせいか、割合に遠いとも思わずに帰って来た。


「まあまあ旦那様、こんなに遅くまで! どちらへおででございました? 東京へでもお出でになったのかしらと思っておりましたよ」
 と遅い夕餉ゆうげの膳を運んで来たお内儀かみさんに、もちろん私はさっきの三人が拝んでいた墓のことを問うてみた。
「厭でございますよ、旦那様! 了雲寺の奥は夜になると狸が出るとか申しまして、みんな怖がって寄り付きもいたしませんが、あんなところにそんな綺麗な若様なんぞがお詣りにいらっしゃるもんじゃございません。おまけにあすこは旦那様! お墓は御座いましてもみんな土地の衆のお墓ばかりでそんな立派な方のお墓なんぞあるところじゃございませんがな」
 と亭主と一緒に一日野良稼ぎに精を出している丈夫そうな日に焼けたお内儀さんは、首をすくめて笑い出した。
 そこへ「お風呂がわきましたからどうぞ!」と亭主ものっそりと顔を出して来たが、お内儀さんから話を聞くと、
「さあ、あすこいらにはそんな立派な方のお墓はねえはずだが……ついぞ聞かねえなあ」
 とお内儀さんと顔を見合せこれもしきりに首をかしげていた。「こうっと……あすこは太兵衛さんや作造さんの家の墓があるところなんだが……そんな綺麗な坊っちゃんでお墓詣りをなさる人ちゅうと東京の方には違えねえんだが……病身らしい方でお藤さんという女中さんを連れて……お爺さんを連れた坊っちゃんちゅうと……一体誰だろうなあ?」
 とこの善良な遅鈍らしい百姓は腕組みをして考えていたが、なかなかおいそれとも思い当らぬらしく、しかし、それでも好奇心は相当に湧いていたのか風呂のことも忘れてしきりに考え込んでしまった。
「別段それほどまでにぜひ知りたいというわけでもないんだから……そんなに考えなくたっていいんだよ。さ、御飯もすんだから風呂へはいろうか!」
 としまいには私の方が面倒臭くなって投げ出すほど、この二人ときたら私以上の熱心さで、ああでもないこうでもないと首をひねっていたが、何としても手に余ったとみえて、
「どうしてもわかりませんですなあ! 旦那様! じゃ、お風呂におはいり下さいまし。よくたぎっておりますから」
 と亭主はやっと諦めて座を立ち掛けたが、その拍子にこの恐ろしく手数を掛けた亭主の智恵がようやく廻ってきたと見えて、
「わかりました! わかりました! やっとわかりましたです!」と膝を叩いて、
「ほれ! 何じゃねえか、お前、日野様のお墓じゃねえか?」
 と鬼の首でも取ったようにお内儀さんの方に眼を輝かせた。
「あ、そうそう、わたしも聞いていた。お前さん日野様の坊っちゃんだよ。それに違いないよ。わたしはとんと気がつかなかった!」
「旦那様、日野様という偉い女の音楽の先生のお墓でございましょう。そんな綺麗な坊っちゃんとおっしゃればちょっと外には思い当りもしませんが、日野様ならば別荘もここから一里ばかり離れたところに建っておりますが」
「日野さん? 日野さんというと?」
 と私も吃驚びっくりした。音楽家で日野さんと言えば日野涼子というかなり有名なピアニストがいた。死んだか生きているのか、私は別段気にも留めてはいなかったが、その人ならば何でも素晴らしい天才で美人だという評判の人であった。
「まさか日野涼子という人ではあるまいね?」
「そ、それでございますよ。なんでも涼子たらおっしゃいましたっけ! そこの坊っちゃんに違いございません。私どもはよくも存じませんが、小さい坊っちゃんを一人お残しになって、もう半年ばかり前にあすこにお墓が建ったとか聞いておりましたから! 偉いお方だそうでございますが、旦那様もお聞きになったことはございませんか?」
「聞いている! 聞いている! 名前だけは聞いて知っている!」
 と私も深くうなずいた。
「ほう!……その日野さんも亡ってしまったのかなあ! お墓があすこにあったとは驚いた!」
 と私も何とは知れず感慨に打たれてそう言った。
 有名なピアニストで日野涼子! と言えば推移の激しい楽壇ではもはやそんな名前になんの頓着もなかったであろうが、おそらく読者のうちにはまだその名を記憶している方もたくさんいられることと思われるが、今から五年ばかり前までは女流ピアニストとして楽壇若手では最も未来を嘱望しょくぼうされていた一人であった。わずか年歯ねんし二十三、四くらいの若さをもって、天才ピアニストとしてその名前は識ると識らざるとを問わず当時の全楽壇賞讃の的となっていたものであった。殊にその天才を唄われると同時に、気品の高い素晴らしい美貌と情事纏綿てんめんたる楽壇においては珍しく操守の堅いその方正な品行とが、かなりにその頃の新聞雑誌を賑わしていたものであったが、どういう家庭的の事情があったものか、今から五年ばかり以前にまだ二十五、六くらいの若さをもって、突然ステージを引退してしまい、爾来じらいその消息はようとしてまったく社会の表面から消え失せていたのであった。
 が、それから五年、今日ゆくりなくも見たあの墓は、才色一代をおおったその日野涼子の奥津城おくつきであり、あの侘しい少年はこの薄命な音楽家の忘れ形見であると知っては、私も世のはかなさに言い知れず打たれずにはいられなかったのであった。一口に人生朝露の如しと言うが、たださえ妻を失ってその感を深くしている現在の私は更に一層感慨無量ならざるを得なかったのであった。
「まだ若い人だったろうに、どうして死んでしまったのだろうねえ? あんな可愛い盛りの子供を残して!」
 と私はさっき見たあの淋しそうな少年の姿を思い浮べながら聞くともなくそう独語ひとりごとしたが、もちろんこういう野良稼ぎをしている人たちでは私の深い感動なぞのわかりようはずもないことであった。
「みんなこれでございますよ、旦那様」とお内儀さんは苦もなく左の胸を抑えて見せた。
「東京のお方はお厭がりになりますから、土地ではそういう方はあまりこの頃いらっしゃらないようなことも言っておりますが、やっぱりこっちへお見えになる方はそういう方ばかりでございますからねえ」
 と眉をしかめて見せた。一つにはその病で最近妻を亡くしている私を慰めるつもりだったのかも知れないが、亭主の方はただもう墓の主がわかったということに充分気をよくしているらしく、
「あすこいらあたりのお墓で土地者とちもんの知らぬのがあるとは思えなかったですが、日野様のお墓ではちょっとわからなかったのも無理はございませんでしたよ」と満足そうににこにこしていた。「すっかり忘れていました。さ、旦那様お風呂におはいり下さいまし。少したぎり過ぎているかも知れませんが」
 もちろん感慨に打たれてみても別段私と日野涼子との間にどういう関係があったと言うのでもなく、私もこれでもう自分の好奇心は充分堪能たんのうしたことであったから、「じゃ一つはいって来ようかな」と思い切りううんと伸びをすると手拭をぶら下げて立ち上ったが、その時以来私が顔を見たこともなければ生前逢ったこともないこの薄命な音楽家の墓は、不思議な陰影を帯びて私の心の中に住むようになってきたのであった。
 その後一日二日経って、私がまた了雲寺へ行った時に、気に掛けて真っ先にこないだの墓と覚しきもののところへ行って見たら、なるほど宿の亭主の言った通り、確かに日野涼子の墳墓に違いなかった。
 樹間このまを洩れてくる折りからの晩春の薄曇りの陽を浴びて、その上にパラパラと木の葉を受けながら、白く侘しそうに石膚を光らせていた表面には、日野家之墓と大きく彫られてその側面には戒名かいみょうの下に正しく俗名日野涼子何年何月歿享年二十九歳と彫られてあるのが透し見られた。そしてその右はじに同じく戒名を彫り付けた下に、俗名日野帳三昭和何年何月何日歿享年二十七歳とちょうど今から五年くらい前に亡った人の名が透かされるのが、おそらくあの少年の父そして涼子の亡った夫の名前であったろう。
 墓はり骨に三つ扇の定紋を扉に打った鉄柵に囲まれて、こんな荒れ果てた山寺の墓地には珍しく大理石の四辺あたりを圧するばかりに堂々たるものであったが、ただ一つどうしても私の胸に合点の行かなかったのは、こないだあの老爺が現にあれほどせっせと掃除をしていたにもかかわらず、今見れば塋域えいいきは荒れ放題に荒れていることであった。
 落ち葉はじめじめと朽ちて厚く散り重なって、白茅ちがや青萱あおがやの足の踏み場もないまでにはびこり放題蓬々ぼうぼうとはびこっていた。しかもこないだあの三人連れは確かに重い鉄扉てっぴの錠前をガチャガチャと懸けていたにもかかわらず、今見ればそれは風雨にさらされてここ何カ月も手を触れたこともないらしく、緑青ろくしょうを吹いて錆ついていた。
 私はしばらく茫然として、狐にたぶらかされたような気持で突っ立っていたが、いくら見廻してもこないだの三人連れが泣いていたのがこの墓であることにはなんの間違いもなかった。
 私はまた鉄扉にもたれて眺めるともなく墓の表に眼を注いでいたが、その夫らしい人の歿した年代なぞを凝乎じっと繰ってみると、私にはあの天才を称えられた一代のピアニストが惜しまれながらも何故突然にステージを去ってしまったかが、おのずから頷かれてくるような気持であった。おそらく夫を失って遺児わすれがたみのあの少年の養育に専念するためであったろうと想像すると、私にはこの清らかな音楽家の心事に心から共鳴感の叫べるような、なんとも言えぬ尊敬の念の湧き起ってくるのを覚えずにはいられなかった。
 そして今までは少しも脳裡になかった日野涼子という一人の音楽家の名前が、私にはこの時ほど懐かしく親しみ深いものに感じられたことはなかったのであった。
 凝乎じっこうべを垂れて私は鉄柵越しにこの不思議な懐かしさを湧かせてくれる、しかも見たことも逢ったこともない薄命な天才の冥福めいふくを祈っていたが、何か墓前に花でも手向たむけて上げようかと考えた。
 が生憎あいにく今になってそんなことに気がついたものだから、私は別段なんの用意とてもして来てはいなかった。あの長い石段を降りてふもとの百姓家まで行けば、何か有合せの花ぐらいはあるかも知れぬと思ったが、別段親兄弟でもない人にそれほどまでに手数をするのも面倒臭かったから、がけぷちに枝を差しのべていた山百合と一緒に、その辺に咲いている野性の花を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしり取って来て、鉄柵を乗り越えて墓前に供えて置いた。そしてやがてまたいつもの通り私は断崖へ来て寝転んだが、花はお粗末であってもこうした縁もゆかりもない人の墓へでもお詣りをしてその人の冥福を祈っておいた後の気持というものは、何ともたとえ難く清々すがすがしい爽やかなものであった。
 凝乎じっと大空を眺めていると亡った妻も微笑ほほえみながら「今日は珍しい方のお墓にお詣りをして来て下すったのね」と今にもそこに現れて来そうなほど晴々しい気持がしていた。
 ともかくその後も、私は気が向くといつもここへ足を向けていたが、そんなことがあってからというものはなんだかこの頃ではここへ来ても寝転ぶ前には一度日野涼子の墓にお詣りをして来ないことには気が済まぬような工合になってきて、それからというもの来さえすれば忘れずに一度ずつはきっとお詣りをすることに決めていた。そしてうっかりして忘れた時にはその辺の野生の花を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしって供えて置いたが、家を出る時から気がついていた時には逗子の花屋で花を求めて来たこともあれば、あるいは家を出る時ふと思いついて、自分がふだん使っている線香なぞを持って来てくゆらせて上げたこともあった。
 そうして私が初めてあの少年や老爺たちに逢った時からかれこれおよそ一カ月くらいも過ぎ去った頃ではなかったかと思われる。私はまたあの少年と偶然に出っくわしてしまった。もうその頃には鬱陶うっとうしい梅雨もようやく明けて、養神亭ようしんてい裏の波打際でも大工の手斧ちょうなの音が入り乱れて小舎に盛んに葦簀よしずが張られている頃であったが、その日もこの前と同じように小半日を過してもう帰りかけようとしていた時であった。
 この前のように陽は海の向うに沈みかけようとして、また墓は白く森の表にうかび上っていた。そしてねぐらに急ぐらしい数羽のからすが夕焼けのした空を飛んで行った後には、森の奥の方で何も知らぬ鳥がキキキヽヽヽヽヽとけたたましくいていた。それも止むと、またあたりは妙に森閑しいんと静まり返って再び山の墓場は木の葉の落ちる音一つ聞えるくらいの侘しい澄んだ黄昏たそがれの色に包まれめたが、ちょうどその時に私は墓場の方にサクサクと落葉を踏んで来る例の跫音あしおとを聞いた。よく夕方ばかり墓詣りに来る人だな、と思ったが、しかも今日はこの前と違って別にお墓の方で物音もしなかったのは私が茫然ぼんやりしていて気づかなかった間に、お詣りも済んでしまったのだろうと別段気にも留めてはいなかった。なまじっか顔を合せるのも面倒臭かったから、私は帰りかけた足を見合せてしばらく凝乎じっとそこにしゃがんでいた。が意外にもそのサクサクという音はちょうどお墓の前あたりで止まると、
「おや! あの方ですわ、坊っちゃま、いつもお墓にお詣りをして下さる方は」
 とついこないだの女中らしい人の声がした。それに続いて、
「坊さま行ってお礼をおっしゃっておいでなせえ。御親切なお方様にようくお礼をおっしゃっておいでなせえまし。さあ爺と一緒にまいりましょう」
 とこれもこないだのあの老爺の低いしわがれた声であった。
 思わず私は寒気がツツウと背筋を伝わった。私のしゃがんでいたところは幾つかの墓の陰になり重なり合った大きな木の陰になって、どんなことをしても到底向うからは見えようはずもないところであった。しかもこの薄暮の中をどうしてあの人たちには私がここに腰を降ろしていることがわかったのであろうか。まことにそれが私には不思議でならなかった。
 がしかし向うで既に気がついているものを、私が知らん顔をしてここにしゃがんでいるのも妙な工合であったから、私も急いで立ち上ろうとしたが、いつの間に近づいて来たのか、もうサヤサヤとかやの葉を分けて跫音あしおとは私のすぐ横手にそびえている大きな椎の木の薄くらがりに聞えてきて、老爺と女中らしい人がそこに丁寧に腰を屈めて、少年はその真ん中にさも懐かし気に眼を輝かせてたたずんでいるのであった。
 夕方だったから判然はっきりとは私にもわかりかねたが、いずれもこないだの着物と寸分違わぬりをしていたように思われる。ただ三人ながら例のこの世の人とも思われぬろうのような顔色だけが再び意気地なくも私を竦然ぞっとさせたが……
「わざわざどうも」と私も急いで立ち上ろうとした。「別段お礼をおっしゃるほどのことではありませんよ。通りすがりに差上げといただけなのですから」
 と何気なく私も笑いながら立ち上りかけたら、どうぞそのままでというふうに女中らしい人は急いで私を制したように思われた。そして、「では坊っちゃま遅くなりますからおいとまいたしましょう……ようくお礼をおっしゃいましな」
 と女中の声がして三人は私の方に丁寧に腰を屈めると、また元来た方へサヤサヤと葉を掻き分けて戻って行くのであった。決してそう長い時間ではなかったが、さりとてまたそうあわただしい挨拶でもなかった。少しも私に怪訝けげんな気持を起させぬだけに、それは極めて自然に普通一通りに行われたものであった。そして先に立った老爺は確かにまた閼伽桶あかおけを下げていたし、女中に手をかれた少年は何度も何度も残り惜し気に私の方を振り返り振り返り夕暮れの中へ消えて行ったのを、私のこの眼は確かに見届けていた。しかも私が急いでその場を離れて木立の間から透し見た時には、たった今までそこにいた人たちの姿は見えなくて、お墓の中をどう近道をして行ったのか跫音あしおとはこの前私が潜んでいたあの森の前あたりをサクサクと踏んでいるらしい気配であった。
 夕暮れだから帰りを急いでいるのだなと深くもその時は気に留めず私も帰りかけたが、何の気なしに――ほんとうにそれは何の気なしにであった――私もまた今三人の立ち去って行った道を通って山を降りて行こうとしたが、そのついでに今三人の拝んで行った日野涼子の墓の前を通りかかったので、いつもの通り何の気なしに私も頭を下げたのであったが、その瞬間異様な感じがして思わず私は小首をかしげずにはいられなかった。確かに墓の廻りから夕暗を通してゆらゆらと線香の煙が立ち上っていたと思ったにもかかわらず、今鉄扉のこちらから二度透かして見ても三度透かして見ても、そこに線香らしい物は少しも供えてないのであった。しかも今日来た時に気がついて私の上げて置いた見窄みすぼらしい野生の花は悄然しょんぼりと淋しく挿さっているほかには、今あの人たちがお詣りに来たにもかかわらずそこに花らしいものの影すらないのであった。
 何とも言えぬ異様な気持に打たれて、私はいきなり鉄柵を乗り越えてつかつかと墓の中へ踏み込んで見た。そして墓に顔をし付けんばかりにして、その辺を眺め見廻したが私の眼に間違いはなかった。しまいには私は燐寸マッチまでってくまなく調べて見たが、それでも花も線香も何にも上ってはいないのであった。しかもそればかりではない。私の眼の迷いでも何でもなく確かにあの老爺は閼伽桶を手にしていたにもかかわらず、今見ればそこには水一滴すらも注いだ形跡はなかった。当惑した気持というか、自分で自分の眼が信じられなくなった気持というか、私はしばらくは帰るのも忘れてそこに茫然と突っ立っていた。
 物怪もののけに襲われた気持というのはこれをいうのか、竦然ぞっとして足がすくんで、ただザワザワと全身の毛穴が粟膚あわはだだってきた。逃げるにも逃げられず進むにも進まれぬ気持というのがこれであったろう。しかも凝乎じっと墓場に立って考えているとしいんと澄んだ頭の中に想い出されてくるのは、この前私が森の中に隠れていた時にもおそらくあの三人は私のいることには気づいていたのであろう。あの、私の隠れている方に凝乎じっと眼を投げて行ったあの顔色……あの蝋のような顔色!
 何と叫んだかを記憶せぬ。私は一時に総毛立って、無我夢中で墓場を飛び出した。そしていったん飛び出したあとはもう夢中であった。どこをどう飛んだのか、ほとんど転ぶような勢いで長い石段を駈け降りた。鬱蒼うっそうとして頭上におおい被さって来そうな真っくらな寺門を振り返るのも恐ろしくて、私はただひた走りに息の続く限り走っていた。
 そして駈けて駈けて夢中で駈け抜けてやっと遠くに逗子の町の灯を見、田浦逗子間を走る汽車の汽笛の音を遥かに聞いた頃、やっと息切れがして私は足を緩めた。ビッショリと汗を掻いたその掻いた汗の中から、また冷たいものがたらたらと脇の下から脾腹ひばらへかけて伝わってきた。そしてこの時ほど私は人家の灯を恋しく思ったことはなかった。


 翌る朝であった。奥歯に物の挟まったような、悪夢にうなされているような、言いようのない寝苦しい気持で私は眼を醒ましたが、ちょうどそこへひとしきり朝の野良仕事を終って早昼食はやひるに戻って来た亭主が、野良着のままで通りかかったが、寝起きの眩しそうな眼をして縁側で日向ぼっこをしている私を見ると、
「お眼醒めでございますか? 旦那様」
 と明け放した木戸から用ありげにはいって来た。そして時も時、思いも寄らぬことを言い出してきたのであった。
「旦那様、まことにつかぬことを伺うようでございますが……」と遠慮しいしい何か恐ろしい物にでも触れるかのようにず怯ずと言い出してきた。「こないだの晩、旦那様は了雲寺のお話をしておいででございましたが、あの時のお話では大変綺麗な坊っちゃんが女中さんやお爺さんたちと一緒に日野様のお墓詣りをしていらっしゃったとかいうようなお話で……」
「…………」私は凝乎じっと亭主の面を凝視みつめた。「僕も今それを考えているところなのだよ。昨日もあすこで逢ってしまったが……」
「え? 旦那様! ほ、ほんとうでございましょうか」とその時の亭主の顔というものはなかった。日に焼けた真っ黒な顔に眼ばかり光らせて、まるで飛び上らんばかりの驚きであった。「旦那様それはほんとうのお話でございましょうか? もしや誰方どなたか外の方のお墓にでもお詣りにいらしていたお方ではございませんでしょうか?」
「逢ったと言っているのに、そんなことを間違えるはずはないじゃないか!……時々あすこへ行ったついでに有り合せの花なんぞを上げていたもんだから、昨夕はそのお礼を言っていたが何か事情のある人たちなんだろう……」
 と私もつかえているものを下すような気持でそう言ったが、あんまり亭主の様子の滑稽なのに思わず微笑んだ。が、その真っ青な顔を見ていると、何か真剣なものが私にまでも迫ってきた。
「やっぱりそうでございましたか!」と亭主は落胆がっかりしたように縁側に腰を降ろして手を膝に重ねたが、その筋張った手がワナワナと今にも震え出さんばかりの様子であった。がやにわに激しく手を振ると、
「いけません、いけません、旦那様! もうあすこへお出でになったらえらいことになります。何か事情がある段ではございません!」と私が吃驚びっくりするくらい無闇やたらに手ばかり振った。「旦那様、その方たちはみんな生きている方たちではございません! 日野様の坊っちゃんとおっしゃるのは去年のちょうど今頃にもうお亡りになっていらっしゃいます。そしてその女中さんとおっしゃるのも、お爺さんとおっしゃるのも、坊っちゃんがお亡りになると間もなく同じくらいに亡って、みんなお墓のあすこにある方ばかりだそうでございます」
「何? 死んでる人?」
「旦那様のお逢いになったとおっしゃる方たちはみんな幽霊でございます!」
莫迦ばかな! 今時そんな莫迦な話が!」
 と私は何気なく腹を抱えようとした。が私にも笑い出せない気持が胸一杯にわだかまっていた。
「きっと旦那様はそうおっしゃいますだろうと思っておりました。でもこれは冗談や嘘話ではございません。旦那様その方たちのお墓もみんな了雲寺にあるそうでございます。私もその話を昨日脇から聞いたばかりでございますが」
 と亭主は真実を色に現してそう言った。
「…………」
 これは可笑おかしいぞ、という気持が私にもしてきた。
「昨日ひょっとそんな話を脇から聞きましたので、旦那様がお帰りになりましたら、昨夜ゆうべのうちにお耳に入れておこうと思ったのでございますが……なにせこんな話でございますから、家内の奴がまことに気味悪がりまして、明日の朝にしてくれと泣くように申しますもので……」
 ようやく私の顔も真剣になってきたのを見ると、亭主は一層気味悪そうに声をひそめひそめ、中腰をして話し出してくるのであった。幽気の迫る気持というのはこれを指すのであろうか。首筋からゾクゾクとうそ寒い感じがして、空はよく晴れ鶏はそこに餌をついばんでいるにもかかわらず、私には声を低めてボツボツと話し出してくる亭主の青い顔までが言いようもなく幽暗なものに見えてくるのであった。
 そこで亭主の話をかいつまんでみれば、亭主はこの前にあの少年たちに逢った私の話を聞いた時には、別段そうした人たちに何の興味を持ったわけでもないのであった。ただあんな了雲寺のような荒れ果てた山寺の中に、日野さんのような東京の方のお墓があるというのが妙に記憶に残っていたそうであったが、そういう気持があったものだから、ふと昨日野良へ出ている時に、以前日野さんの邸のすぐ側に住んでいた隣村の百姓が、通りかかって声を掛けた時にも、偶然それを思い出して、家にいらっしゃる東京のお客様が、あそこのお墓で日野様の坊っちゃんらしい方にお逢いになったそうだ、と話したところが、その百姓は笑いながら、
莫迦ばかなことを! 日野様の坊っちゃんはおめえ、一年も前にここの御病気でお亡りになってしまったじゃねえか」
 と一笑に付して亭主の言うことを取り上げもしなかったという。
 しかし亭主がその坊っちゃんというのは大変綺麗な坊っちゃんだったそうだ、十一、二の頭髪かみのけを長く延ばして二十五、六の女中や大層年を取ったお爺さんを連れておいでになったそうだ、と何の気なしに話し出したところが、相手はたちまち何とも言えぬ暗い表情をして、
於兎吉おときちどん! お前の言うなあ! そりゃ日野様の坊っちゃんのことだあ!」と叫んで「昼日中ひなかから人を呼び止めて莫迦べえぬかしやがって!」
 とまるで亭主がかつぐためにそんな下らぬことを言い出したかのように不機嫌な顔に変って、亭主も言訳をするのにまことに困ったというのであった。
 フムフムと私は腕組みをして聞いていた。
「ですから旦那様! 決して悪いことは申上げません。もうあすこへだけはいらっしゃらぬがよろしゅうございます。もともと土地の者も滅多に行かぬようなあんな淋しいところでございますから、もしまたどんな間違いが起らぬとも限りませんし……いらっしゃらぬが宜しゅうございます。家内なぞも昨日この話を聞きましたら、どうにも薄気味悪がっていまして……困ってしまいますんで」
 と亭主はこうやってその話をしていることすら気味悪そうに言葉を切ったが、幾分は私が、そんな薄気味悪いところへ足繁く通っていることに内心怖れを抱いているようなところも見えた。
 もちろん私はこんな知能程度も低い愚直な百姓なぞの言うことを、決してピンからキリまで真に受けているわけではなかったが、さればとて頭から冷笑しているわけでもなかった。半信半疑というところであったが、余人はいざ知らず私だけには事あの三人に関する限りこういう荒唐無稽こうとうむけいな風説をも一概に一蹴することのできぬある割り切れぬものを感じていた。そして愚直は愚直でも少なくとも、この亭主が嘘や作りごとを言うような人間でないことだけは確実であった。
「その茂十もじゅうさんという人に逢ったら詳しく日野さんの話が聞けるだろうか?」と私は沈吟しながら亭主の顔を見た。「気の毒だけれど僕をその人のところへ連れてってもらえまいか?」
「ええ、ええよろしゅうございますとも。旦那様に逢って戴ければ、私も茂十どんにふざけてそんなことを言ったわけでないこともよくわかってもらえますし……一里半ばかりでございますけれど、なあに裏通りを通って行けばわけはこざいません[#「こざいません」はママ]。宜しかったらいつでもお連れいたします」
 もちろん私は亡霊か亡霊でないかそんなことなぞを聞きたいと思っていたわけでは毛頭もなかった。ただ私の胸にも昨夜以来モヤモヤとわだかまっているこの妙な気持を幾分でもらさなければ、どうしても気がすまなかった。
 田舎人のまことに気も安く、仕度もこのままでいいというのであったから私はそのまますぐ亭主と連れ立った。
 亭主は私を導いてすぐ庭の前に見えている麦畑を横切って、お稲荷様のほこらの脇から杉の木立ちの生い茂っている桜山続きの裏山のけわしい細径を登りはじめたが、なるほどこれが亭主のいわゆる裏道伝いというのであろう。土地の者でなければ到底わかりっこないような道ばかり、東京から幾らも離れていない逗子近所にも、こんな深い山があるかと思われるほどの、陽の目も射さぬような淋しい山の背ばかりを、どこまで行ってもどこまで行ってもうねうねと曲りくねりして辿たどっていた。やがて幾つかの峰を廻ると、眼下に広々とした一面の田圃が開け、木の間隠れのあちらこちらに点々と農家が散在して、中央に小学校らしいもののそびえている村を一眸いちぼうの下に見晴らした。
「あれが茂十どんのいる谷津やつ村でございます。もう幾らもございませんから」
 と亭主は指さしたが、正確に逗子の方から廻って来れば、田浦街道に沿って一時間半ばかりは掛かるということであったが、田舎道に慣れない私にはかなりの疲れを覚えてもう二里や三里くらいは歩いたような気がしていた。私たちはようやく村境らしいところへはいって来たが、やがて亭主は背戸に柿の木をたくさんに植えた日当りのいい村道らしいものに沿うた一軒の藁葺わらぶき屋根の前で立ち止まると、
「これが茂十どんの家でございます。いますかどうか聞いてめえりますからちょっとお待ち下さいまし」
 と小走りに駈け込んで行った。が待つ間ほどなく、
「お尋ねに預りました茂十でございますが」
 と手拭を取り取り私の前に小腰を屈めたのは年の頃五十五、六くらいの、これも嘘なぞは絶対に言えそうもない物堅い一徹らしいやはり野良着の田舎おやじであった。
 ただちょっと二、三承りさえすればいいから、という私を茂十おやじは田舎人の丁重さで無理に奥まった縁側に招じ入れて、渋茶なぞを勧めてくれた。そして亭主と三人梔子くちなしの花なぞの咲いた静かな庭を眺めながら、
「さようでございます。わしも於兎吉おときちどんから聞いて魂消たまげておりますところでございますが」
 と茂十さんはポツリポツリとその重い口から私の聞きたいことを知らせてくれた。
 もちろん茂十さんも別段日野家の人々と親しくしていたわけではないから、あまり内輪の立ち入ったことはわからなかったが、狭い村の中に東京から移って来た人と言えば日野家の人々くらいのものであったから、朝晩に顔を合せてだいたいのことは知っているということであった。
 では第一に、日野さんのその坊っちゃんという人の容貌かおかたち背恰好せいかっこうを話して戴けまいかという私の頼みに応じて、茂十さんの話してくれたのは、私の逢ったあの少年と寸分の違いもない背恰好容貌、長く着物を着こなしたあの弱々しい姿であった。
 次にあの女中のことだが――その名前までは茂十さんは知らなかったが、これも私の逢ったあの婦人に寸分の変りもなかった。最後に老爺、これは茂十さんもしょっちゅう野良仕事の往き帰りに出逢ってよく知っているのであったが、やはり私の聞いたあの口のききよう、身のこなし、年は取ってもあの矍鑠かくしゃくたる容貌に何の変りもなかった。
 詳しいことは存じませんがと言いながらも、狭い村の中のこととて茂十さんの語るところはかなり詳しかったが、それを要約してみるに、今から六年ばかり以前に、日野家はここに家を新築して、若旦那様と呼ばれていた今墓の主となっていられる当主と、若奥様と呼ばれていた日野涼子と坊っちゃんとの三人が、爺やとその爺やの娘だとかいう女中さんを連れて東京から移り住んで来られたのであった。が、あまり村人との交際がなかったので、村人でその当主を見て知っているという者もあまりなく、噂ではごく綺麗なお弱そうな若い旦那様だったということであった。学者でしょっちゅう何か調べ物をしていられたらしいが、やがて一年ばかり経って病気で亡られた時も、日野様のお医者はことごとく鎌倉から来られるので、もちろん村の人なぞにはわかりもしなかったが、何でも胸の病いでそのためにこっちへも引っ越して来られたらしいという噂であった。そしてそれまでは若い奥様も時々東京へいらっしゃって、有名な音楽家だということであったが、旦那様がお亡りになってからはもう少しもそういう方面へはお出ましにならぬらしかった。多分それは坊っちゃんが、爺やのお伴でここからほど近い田浦の停車場から汽車で鎌倉の学校までお通いになっておられたが、やはり大変お身体がお弱かったらしく、坊っちゃんをお育てになるために、旦那様のお亡りの後は表立ったことは一切お止めになって、こちらへお引きこもりになっていられたらしく思われる。
 三年ばかり前からはその坊っちゃんも学校をお止めになって、毎日東京から家庭教師の方が、見えていられたらしいということであった。ともかく旦那様も奥様も坊っちゃんも皆さんお胸の弱い方らしく、いつもひっそりと静かに住んでいられたが、東京や鎌倉から自動車でお友達やお医者がしょっちゅう見えてであった。
 しかしそういう転地療養のようなお暮しであったから、村との交際は少しもなく村ではただお邸の建っていたところが桐沢台きりさわだいという高台だったので、「桐沢台の別荘」と呼んでいただけであったが、村人の知っている若い美しい奥様は少しもそんな名高い音楽家のような高慢振たかぶった様子などは微塵もなく、いつどこでお眼にかかっても、だれにでもそれはお優しい和やかな眼の醒めるようにお綺麗な方であった。そして村の人で桐沢台の別荘へ親しく出はいりしていた人といえば、ただ村の小学校で唱歌の先生をしていた女の人一人だけであったが、「惜しいことにこの先生もこの春横須賀の方の学校へ転任されましたので、ほんとうに生憎あいにくのことでございました」と茂十さんは縁側で煙管きせるをコンコンとはたいた。
 しかし村との交際はなくても、村の評判では何でも奥様のお里が紀州の大金持だとかで、そこから大分のお仕送りがあるらしく随分贅沢ぜいたくなお暮しをしていられて、この村で電話を引いていられたのはこの桐沢台の別荘一軒だけであったし、それに村の寄付金なぞでもお願いにさえ上ればいつでも、快く随分たくさん出して戴いていたということ。
「もっともお邸の中ではかなりお楽しそうに、夜なぞ別荘の下を通りますと美しいピアノの音がして坊っちゃんや奥様の笑い声がしょっちゅう賑やかに聞えていたものでございますが」
 と茂十さんはその頃を思い出すようにじっと眼をつぶった。それが昨年の春、奥様がお亡りになって、了雲寺の墓地へおはいりになってからはパッタリと火の消えたように別荘はお淋しくなったが、そのうちにだれいうとなく坊っちゃんもだいぶお悪いという噂が立って、夕方なぞ時々田浦の町からはこんで来る氷が間に合なくて、あのお爺さんが淋しそうに村の氷屋へ氷を求めに来たということ。そして昨年の八月坊っちゃんが亡られた当時は、紀州のお国もとの方からも多勢お里の方がお見えになっていらっしゃったが、もうその頃には女中さんの病気もだいぶ悪かったらしく、やがて女中さんのひつぎがまるで坊っちゃんの後を追うようにして了雲寺へ搬ばれ、続いてその後あのお爺さんが気がおかしくなってお邸の納屋で首をくくって亡られたとかで、すっかり後始末もつくと、紀州のお里の方はやがてみんなお国の方へ引上げておしまいになった。
 その後桐沢台のお邸のことは村役場の永瀬さんという収入役の方が管理をしているが、村の人たちは怖気おじけづいて今ではもう誰一人桐沢台に近づく者もないということ。
 最近聞いたところではお国許の方と永瀬さんとの間に手紙の往復があって、別荘は取りこわしになって、地所は村へ寄付して下さるということに決まったらしいが、詳しいことは自分にはわからぬから、もしその方のことをお知りになりたかったならば、永瀬さんのところへござれば喜んで話してくれるであろうということ。等々を茂十さんはその重い口の下からポツポツと田舎人らしく話してくれたのであった。


「どうもな、いくら御寄付は戴いても、ああいう御病気の方では村にとっては住んで戴いて有難いのやら迷惑なのやら、とんと痛しかゆしのようなわけでございまして……」と茂十さんは苦笑した。「あのお爺さんなぞは、話に聞けば紀州のお国の方に昔から勤めてまだあの奥様のお小さい時分からお育てしてきた人だそうでして、女中さんとは親子だったそうですが、ずいぶん奥様大事と奉公してこられたそうですから、奥様や坊っちゃんはお亡りになる、自分の娘さんは亡るで、もう世の中に望みも何もなくなって、つい首なんぞくくってしまったのでしょうが、どうもそういうことがあってからは村の者たちも気味悪がってあの近辺へも寄りつかぬような始末でして、さぞ荒れていることと思いますが、なかなか広いお邸でして」
 と茂十さんはまたお茶を入れ替えて、いかにも農家らしくお茶請けに菠薐草ほうれんそうのお浸しなぞを添えてくれた。私にはそういう茂十さんの口占くちうらから、この土地を愛しながら愛する土地の人々にも病ゆえに肩身の狭い思いをして暮していた日野涼子の一家の、生前の侘しい生活が思いやられるような気持であった。
「病気をしていられるお方は、まことにお気の毒とは思うけんど、ああいう恐ろしい病気のお方はやはりどこか一つところに固まっていて戴く方が、村としてもいいんだけんど……そうも行かねいしなあ」
 と茂十さんは亭主を見かえり顧みて苦笑した。これは最近妻をやはりこの病で失っている私にとっては、何となく痛い言葉であった。それを察したのであろう。
「茂十どんは村の衛生組合の方を今やっていられるのでして」
 と亭主がとりなし顔にそう言った。どうもさっきから茂十さんの話はともすれば、村とか公共とかいう立場からの見方が多いように思っていたのは、なるほどこういうわけだったのかと私にもうなずかれた。
「またああいう病気の方に限って、どうも透き徹るような美しいお方が多いもんでして、今から考えてみると、きっとその頃はまだ病気もそう進んでいられなかった頃だろうと思うですが、よく坊っちゃんをお連れになって……了雲寺へでもお墓詣りにいらした帰りでしょう、よくこの先の坂のところで奥様をお見掛けしたものですが、お二人ともまるで絵にでも描いたような美しさでしてな。わしどもにお逢いになると向うからにっこり笑って会釈をなさったですが、こんな村にでも住んでて下さらなけりゃ、わしどもにはとても見てえったってもあんなお美しい方にはお眼にも掛かれなかったわけですが」
 と茂十さんはちょうどそこへ珍しそうに出て来た十歳くらいの色黒々としてはなを垂らした汚らしい子供を眺め眺め、そんなことを言っていた。
 ともかくこれ以上の細かいことは村と交際をしていなかったのだから、茂十さんにもわかっていないらしいのであったが、大体これで私には日野涼子やあの少年のことも呑み込めたような気がした。
 もちろん以上のような話も私にとっては満更興味のなかったことではない、興味があったればこそこうやってじっと耳を傾けてもいたようなわけであったし、それのみならず私にはまだまだ聞いてみたいことが山ほどあった。第一にそんな立派な家庭ともあろうものが、なぜ故郷でも何でもないこんなお墓詣りをするのに不便な逗子あたりの、しかもあんな荒れ果てた了雲寺なぞにお墓を設けているのか、そしてなぜお墓をもっと掃除でもして顧みてやらないのか、それに一体全体あの了雲寺という寺には住持なり墓守りなりがいるのかいないのか、少年たちの墓もあすこにあるというのならば、それは日野家の墓となぜ一緒に葬ってなかったのか、私にはもっともっと根掘り葉掘り聞いてみたい疑問は胸一杯にわだかまっていたのであったが、しかし考えてみればそれはもう昨日までの私の好奇心であって、今の私にはそれどころではないもっともっと重大な聞きたいことが一つあったのであった。それが私が果してこの世に既に生きてはいない人たちに逢ったのかどうかということを決定してくれる今の私にとっては唯一の鍵ともいうべき一番に重大なことなのであったし、またそれを知りたいばっかりに私は今日わざわざここまで出て来たようなものであったが、今私がそのことを言い出そうとした時であった。
 茂十さんは言おうか言うまいかとしばらく躊躇ためらっていたようであったが、とうとうこんなことを言い出してきた。
「まあこんなことを言っていいものだか悪いこんだか……大きな声では言われませんが、村方の噂では別荘のお方たちがああやって死に絶えておしまいなすったのも、一つには何でも紀州にいらっしゃる奥様の親御てえ方が、昔は革鞣かわなめしとかから出世して、一代に偉い金を作んなすった方とかで、随分人にも酷いことをなすったもんだから、そのたたりであの奥様も子供の時分から継母ままははにかかってえらくいじめられたとか苦労なすったとかいっとるですが、どこまでほんとの話かどうかは知れねえですが、どうも人の祟りちゅうものは恐ろしいもんで……」
 と何かそんな話の方へ話題を展開して行きたいらしいふうにみえた。
 調子を合せて行ったらあるいはそんなところから、私の知りたい好奇心が満足させられるのではないかとも考えられたが、しかしともかく今の私はそんな話の種の穿じくりや好奇心なぞを満足させに来たのではない。そんなことよりかもっともっと緊要なことは、私自身に関係のあることを聞きに来ていたのであったから、この辺で話は切り上げてそれの方に触れて行くことにした。
 というのは私はあの少年か、さもなければ女中、さもなければあの老爺でも構わなかったから、ともかくあの三人のうちのだれか一人の写真というものをぜひ何としても一度見ておきたかったのであった。そうすれば私にも果して私の逢った人たちが――私のこの眼で明らかに見、この耳で明らかに聞いたものが、既にこの世にいない人々であったかどうかということは一目瞭然にわかるわけであった。
「ありますとも。女中さんや爺さんの写真と言っては心当りもねえが、あの坊っちゃんの写真だけならばちゃんと逗子の写真屋にありますだ。以前から通りがかりに見てわしはちゃんと知っていましたとも」
 という私にとっては何よりの返事であった。大きな引伸しになって逗子の停車場のすぐ脇の写真館の表の飾窓の中に出ているというのであった。
 私は躍り上らんばかりの喜びを感じた。もちろんあの少年の写真一枚だけで充分なのであった。しかしそれには少年の顔を見知っているというこの茂十さんにぜひ行って見てもらって、茂十さんの指す少年の顔と私の見た少年の顔とがピッタリと符号しているかどうか見定める必要があった。
「さあ造作ねえことですが、ちょっと晩までに片づけておかにゃならんこともあるだで、今が今と言われちゃ困るですが」
 と茂十さんの顔には当惑の色がうかび出たが、お手間も取らせないし、それにこうやって御多用のところをわざわざ御足労をお掛けする以上、失礼だけれども行って下さるだけのことは必ずするからと頼んでみたら、しばらく考えていて、自分でも好奇心に引擦ひきずられたのか、それともお礼の方に眼がくらんだのか、
「ようがす。それじゃ逗子に用もあるで、それを足しかたがた、ちょっくら行って見ることにしましょう」
 とこの衛生に熱心な村の有力者は、実に容易に承知してくれた。
 もちろん円タクなぞという気の利いたもののあろうはずもなかったから、茂十さんの案内してくれたのに従って街道の方へ出て、逗子通いの乗合自動車の停車場へ出ることにしたが、その途中畑を越した遥かな彼方の小高い丘の上に、椿か桜らしい数本の大木の陰にそびえた和洋造りのこの辺には珍しい立派な家を指さすと、
「あれですよ。あれが、日野さんのお邸だったのですが」
 と教えてくれた。
 一家死に絶えて今は住む人もない廃家と聞くからには、なんとなく一抹いちまつの幽気も感ぜられるのであったが、見た眼には別段屋根にペンペン草も生えていず、日当りのいい今にもそこから美しい都の婦人でも喜々として洋傘をさして現れそうな気のする瀟洒しょうしゃとしたものであった。
 やがて砂埃をあげて疾走して来た乗合いの客となって私たちは、長い街道を逗子に向ったが、茂十さんの言う写真屋というのは私が今まで何の気もつかずに通り過していた停車場から田越橋の方へ行く道の神社のすぐ前の家であった。自動車バスはそのすぐ横で止まったが、
「出ています! まだ出ています!」
 と茂十さんは車を降りるなり飾窓の方へ眼をやって叫んだ。そして私たち三人は小走りに駈け寄って、その飾窓の前に顔を集めたが、茂十さんに聞くまでもなく、私にはもう判定はついていた。
 無数に飾ってあるその中央あたりに、大きな四つ切り大で凜々りりしい金釦きんボタンの洋服を着て、無帽のりんと張った瞳、女のように美しい気高い容貌は、二度と私には忘れることのできぬ印象そのままであった。
 再び私は総毛立ったがしかしわざと私は口をつぐんで茂十さんが言葉を切るまで待っていた。
「このお方ですが違いますか?」
 と気味悪げに茂十さんが硝子の上から指したのは、果してその私の総毛立っている写真であった。
 しかし私はわざとすぐには返事もせずに、小首を傾げていた。もうさっきからひそかに心を決めて、私はもはやこれ以上の騒ぎはき起すまいと考えていたのであった。今ここで私がその通り私が見たのはこの少年であったと言い切ったならば、いよいよ私が亡霊に逢ったということは判然はっきりと確定して騒ぎはいっそう大きくなるであろうし、あの不幸な日野涼子の墓は死後までもいっそう人のさらし物になる。そしてここにこうして半分震えている亭主やお内儀かみさんは、いっそう震え上るであろうし、こういうことはすぐに噂を呼びやすいものであったから、私は怖いならば怖い、恐ろしいならば恐ろしいで、自分だけでこの秘密を胸に畳み込んでしまって、もうこの上よしない恐怖に人を陥れることは止めにしようと決心したのであった。
「旦那様違いますでしょうか?」
 と写真を直視しているのにも堪えやらぬように、顔をそむけながら突っ立っていた亭主が、震え声を出して私の口許を凝視みつめていた。
「まったく違った!」
 と私はハッキリ言って退けた。昨夕逢ったばかりのあのさかしげな口許、眼、眉を凝視みつめていると違うどころか! それは私の気持をますます底なしの恐怖に陥れてくる。しかし私はもう一度「違う!」と口にした。「こんな、綺麗な子供じゃない!」
「でも旦那様はたいへん綺麗な坊っちゃんだとおっしゃってでしたが」
 といくらか不満そうにしかし安心した調子で亭主が言った。
「綺麗は綺麗でも、これほど綺麗な子供じゃない! 第一、もっと眼の怖い、顔の円い子供だった。茂十さん、やっぱり私の見たのは日野さんのお墓じゃなかったように思いますが」
「やっぱり違っていましたかね!」
 と茂十さんもどこか安心したように言った。それと同時にこんな下らぬことでわざわざ遠くまで引っ張り出された不服が込み上げてきたのであろう。幾分あざけるような調子で、
「道理でわしも変なことだとは思っていたんだ。今の世の中にそんな幽霊なんていう莫迦ばからしいことがあるもんでねえとは思っていたんだが、どうもあんまり騒ぎの方がれえもので……」
 とまだだれも騒ぎ立ててもいないのに、つぶやくようにそう言った。
 ともかくその顔には争われぬ安堵の色がみなぎっていた。そして安心したとなると今までムッツリしていたくせに妙に口数が多くなってハシャギ出してきたが、私は亭主に耳打ちして幾らかの物を紙に包んでこの不興気な顔をしてたたずんでいる茂十さんに厚く礼を言って別れを告げた後に、亭主と連れだってまた桜山の宿へ帰る途々みちみちも、ただもう恐怖と気味悪さとで悪寒がしてくるような気持であった。
 この世の中に幽霊があるとかないとかそんな理屈なぞは、もう私にとっては何の価値でもなかった。幽霊があろうがなかろうが、もう私のこの恐怖を打ち消すものは何にもない。あの少年たちがやはり生きている人だったという適確な証明のない限り、全身全霊を戦慄わななかせてくるこの気味悪さをもはや私にはどうすることもできないのであった。
「明日にでも、もう一度寺へ行ってよくお墓を調べて御覧になったらいかがでしょうか?」
 と浮かぬ私の様子を感じたものか亭主はそう言い出した。
 とんでもないことであった。知らなかった以前ならばともかくも、もうあの淋しい山寺の墓場なぞ考えただけでも身震いしそうな気持であった。夏外套のえりを立てて、すくめられるだけ首を竦めた私の眼前に、今にもまたサヤサヤと青萱を分ける音が響いて来てあの蝋のような顔色が朦朧とうかび出そうな気持がして、私はいっしょに歩いている亭主にしがみ付きたいような気持がした。
「おや! どうなされました? 旦那様!」とふと振り返った亭主が眉をひそめて立ち止まった。
「どこかお加減でも! たいそう蒼い顔をなすって!」
 蒼い顔をしていたか怖い顔をしていたか、それは自分にはわからなかったが、私はその時心の中でもうこんな淋しい逗子の一人住いを切り上げて、明日中に明るい灯の輝いている東京へ引き揚げてしまおうと決心していた。そしてそれより先に明日のことはともかくもどういうふうにこの亭主に頼んで、今夜一緒の部屋に寝てもらおうかとしきりにそれを苦にしていたのであった。


 亭主に言うのがはばかられたばっかりに、とうとういつもの通り私は一人で自分の部屋に寝たが、その夜ほど私にとって朝の太陽の待ち遠しい気持というものはおそらくなかったことであろう。ただもう朝の訪れが、雨戸の隙間から射し込んで来るのばかりを、一刻千秋の思いで待ち切っていたのであった。ガタンと言っても、肝を冷し、ミシリと言っても縮こまり、初夏の蒸し暑い夜をかぶれるだけ蒲団を被って、縮こまれるだけ縮こまって、私は蒲団の中にふるえていた。
 昨日までのあの墓場の中を逍遥した自分の気持を考えると、とうていそれがこの私自身であるとは、どうしても考えられなかった。まるで別人のような気持がしてくるのであった。今の私にそれだけの勇気なぞはもうとてもありようはずはない。せめて死んだ人たちの冥福を祈るために、起きて線香でも火鉢の中にべておこうと思いながらそれすらも私にはもうでき得なかった。蒲団から手を出した途端にスウッと冷っこいものが襟もとからでも触れてくるような気持がして、サヤサヤと萱の上を渡る淋しい風の音ばかりが絶えず耳についてくるのであった。
 やっと一番鶏の声も聞え、二番鶏の声も聞え、続いて三番鶏の声も聞えて雨戸の隙間から白々とした暁の光が射し込んで来た時には、私はしみじみと太陽と無心の鶏とに感謝を捧げたいような気持であった。
 もちろん夜が明けると同時に、私は朝飯も何もあったものではなかった。後方うしろから追駈けられるようなあわただしさを感じながら、さっそく長い間の逗子の生活を切り上げる仕度に取りかかった。
 幸いなことには私こそ家を畳んで逗子へ移って来ていたが、軍人になっていた長兄の家は中野にあって、そこには可愛いめいおいたちもいれば、また私の落ちつくだけの広い幾つかの座敷もあり、先達せんだって中からたびたび逗子の生活を切り上げて東京へ戻って来るようにとのすすめが来ているのであったから、今突然に引揚げて行ったからとて落ちつく先に困ることもなかったのであった。
 何かお気にさわったのでございましょうか、と心配する亭主夫婦には適当な口実を作りながら、亭主に手伝ってもらって荷造りするものは荷造りし、支払うべきものは支払い、挨拶するものは挨拶して、なるべく夕方にならぬうちにと急いでいたが、相当に長かった逗子の生活は、やはり何やかやといろいろな交渉を持っていていざ引揚げるとなると、やはりそれからそれへと用事が湧いて、とうとうまた長い初夏の日も暮れて夕方近くまで掛かってしまった。
 また夜が来るのかと私はうんざりしたが、暗い田舎を切り上げて、灯の明るい都へ引き揚げることであったから、その時はさして恐ろしいとも思ってもいなかったのであった。そしてようやく私が兄の住んでいる中野の土地を自動車に遥られていたのは、その夜も八時を過ぎていた頃であったろうか。兄はその頃沼袋というちょうど新井の薬師の裏手あたりの所に住んでいたが、その頃はまだこの辺は淋しい畑や森のあちこちにポツリポツリと新築の大きな家が建ちはじめていた時分で、商店なぞというものはほんの数えるくらいしかなく、言わば郊外のお邸町と言った淋しい感じのする所であった。そして私の乗った車が、今薬師裏を抜けて暗いそのお邸町へと差しかかって来た時であった。どうもさっきから時ならぬ時に車をちょくちょく止めて、変な真似をする運転手だと思っていたが、その途端にチョッ! と苛立いらだたしそうに舌打ちをすると、運転手は、また突然に車を停めた。
「どうも変だなあ! お客さんちょっと待って下さい。……妙なことがあるもんだなあ!」
 と車を停めたままハンドルを握りながら、硝子ガラス越しにじっと前方の暗をにらんでいるのであった。
「どうしたんだ!」
 と私も居合腰いあいごしをして声を掛けた。
「どうもそれがお客さん、変なんですよ! さっきから二、三度痩せた子供が車の前をうろついていて……」
 と運転手は申し訳なさそうに眼をまたたきながら気の抜けたような返事をした。「それがこうやって車を停めて見てもだれもいやしないんですが……何度も同じ子供がうろつくなんて眼のせいかなあ!」
 とぼんやりした声を出した。私はそれを聞くと同時にガタガタと震え出しそうな気持がした。自分ながらさっと顔から血が引いてゆくのを感じた。
「やってくれ給え! だれもそんなものはいやしない!」
 私の語気が非難するようにはげしく運転手には響いたのであろう。
「だれもいない! 不思議だなあ! すみません! やりましょう!」
 と呟いた。そして再び車は走り出した。が、ものの五、六間とも進まぬうちに、
「危ない!」
 と甲高い運転手の叫びとともに車はズズウと烈しく地を擦って急カーヴを切りながら、すんでのところで道端の溝の中へ片車輪を突っ込まんばかりにして急停車した。
 車が停まると同時に、運転手は血相変えて飛び降りた。そして大急ぎで屈み込んで車輪の下を覗き込んだり側面へ廻ったりして、
「今そこにだれかいたんだがなあ!」
 とほとんど泣き出さんばかりの声をして茫然と突っ立っていた。暗の中に前灯に照らされたその運転手の顔ももう私には見ていられぬような気持がした。
「歩こう!」と私は叫んだ。「こんなことばかりしていられやせん! 料金は家で払おう! すぐそこだからついて来てくれ給え!」
「すみません、お客さん! こんな莫迦ばかなことはないんですが……」
 と車を置いてついて来ながらも、運転手はまだいぶかしそうに置いて来た車の方を振り返って見たりまたその辺のくらがりを透して見たりしていた。
 が私はもうそんなことには構わずに駈け出さんばかりにして兄の家へ急いだが、しかも不思議はこれに止まらなかった。門灯の下で金を勘定して運転手を返した私が、玄関へ立つともう学校の早い子供たちも寝て、女中たちは勝手元で忙しかったとみえて、
「まあ公一さん! しばらくねえ!」
 と驚いたようにあによめが自分で迎えてくれたが、茶の間へ通った私は、思わず途端に玄関の方へ聞き耳を立てた。
 私がはいった後の戸締りをするために、沓脱くつぬぎに降り立った嫂が、そこでだれかと話をしているらしいのであった。
「まあちっとも気がつかなかった! あなたもさっきからいらしてたの? 公一さんと御一緒に?」
 中膝をしていた私が、突っ立ち上って今玄関の方へ飛び出そうとしたのと、嫂がこちらの方へ急ぎ足に引っ返して来るのと同時であった。
「さあどうぞ! こちらへいらっしゃい!」とあとを振り返りながら「いやね、公一さんたら、妙な真似をして! お連れがあったらあるとおっしゃったらいいじゃありませんか。一人で玄関にうっちゃり放しにしておいて!」
 と隅にある座蒲団に手を掛けて、ほおっておけばそこに二人分のしとねでも設けそうなたたずまいであった。
ねえさん!」と堪りかねて私は夢中で嫂の手から座蒲団をひったくり取った。「何をしているんです! だれがいるんです! だれもいやしないじゃありませんか!」
 私の粗暴あらあらしい語気に吃驚びっくりしたのであろう。一瞬嫂は呆れたように私を見上げて膝を突いたが、
「何を言ってらっしゃる!」
 と笑い出した。が後に続いてだれもはいって来ないのに不審が起きたのであろう。怪訝けげんそうな面持で廊下の方を覗いたり後方を振り返ったりしているのであった。
「お可笑かしいわねえ! 今あたしの後からここまでついていらしたのに」
 と嫂はに落ちぬ顔をしていたが、どうにも不思議に堪えなかったのであろう。つかつかと玄関へ出て行って戸をがらがらと開けてみたり、また戻って来てみたり、不審の晴れやらぬ面持であったがようやく諦めたように部屋の中へはいって来た。
「今もそこまで乗って来た運転手が嫂さんと同じようなことを言っていた。いったいだれがいたというんです? 子供でもうろついてたというんでしょう?」
 私は憎悪一杯の嘲るような声を出した。
「ええそうなの」と嫂は素直に受けて「ちょうどこのくらいの」と手で背恰好を示しながら、「病弱そうな方でしたけれど、綺麗な女のような坊っちゃん!……ほんとに公一さんどなたも連れてはいらっしゃらなかったの?」
 と嫂は私が何か冗談でもしていると思ったらしく、まだ疑ぐりっぽい眼をして私の顔を眺めていた。
 そこへ「帰って来たのか!」とのっそり兄が二階から降りて来たので、嫂もようやく諦めたらしく、
「じゃ、やっぱりわたしの勘違いだったのかしら?」
 とせぬ顔をしながらも勝手元へ立って行ったが、しかし私はもう兄と口をきく気もしなかった。ただら苛らしくて苛ら苛らしくて、胸がムシャクシャして身の置きどころもないようであった。
 こうたび重なってきては、怖いとか気味が悪いとかいう感情よりも、むしろ私には腹立たしさ一杯であった。縁もゆかりもない私に、何の恨みがあって人をこうまでも苦しめるのか、今にもここへ姿が現れたならば、私はその亡霊に思う存分の面罵めんばをして腹一杯呶鳴どなりつけて打って打って打ちえてやらなければ気の静まらぬような気持であった。
 しかし相手は生のある人間ではなく、いつ現れて来るかがわからず、しかも現れたにしても私の眼にはそれが見えずに、ただ周囲の人々に映るだけでは、私に何の捉えどころもない。私は頭を掻き※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしってそこにのたうちながら、
「幽霊出て来い! 待っててやるからさっさと姿を現して来い!」
 と見えぬ亡霊に向って戦いを挑み掛けたいほどの言い知れぬ兇暴な気持に襲われてきたのであった。そしてがっくりと疲れを覚えてあえぐようにじっとちゃぶ台にもたれていた。
「どうした? だいぶ顔色がよくないようだが」
 と兄が言葉を切った。思いなしか私には兄の面もどことなくすぐれぬような、何か陰鬱な空気がここにも満ち充ちているような気がした。
「君子も亡ったのに、あんな淋しいところにいつまでも独りでいて、またお前までもつまらん病気にかかっては困ると思ってな。心配をしていたのだが、人が帰れと言う時にはなかなか戻って来んで思い立つとまたあわただしい帰り方をして来たものだな」
 私は兄の顔を眺めていたが、もう我慢にも、この上兄とこんな下らぬ会話を交えているには堪えられなくなってきた。
「兄さん……話の腰を折ってすまんと思うけれど」と私は躊躇しいしい兄の顔を見守っていたが「つまらんことを言い出す奴と思うか知れんけれど……兄さんだれか僕の側に坐っているような気がしませんか? 小さな子供か何かが坐っているような……」
「…………」
 呆れたように兄は眼をみはった。
「兄さん、僕は決して発狂したわけでも何でもありませんよ。……しかしこういう妙な目にばかり逢っていたら、僕もしまいには発狂する! 僕はそれが恐ろしいのです。兄さん、今にあなたがまた変な顔をする……それが僕には厭なのだ! 兄さんだれかいませんか? 僕の側に、だれかこう小さな子供のようなものが坐っているような気がしませんか? 今はいなくても……今にちょっとでもそれが見えたら僕にすぐそう言って下さい。僕は言ってやることがあるんだ! 僕に何の恨みがあってこういう変な目にばかり逢わせるのだか!」
「…………」
 私にはその時の呆気にとられたとも当惑したともなんともかとも言いようのない錯雑した表情をうかべたまま、とみには口もきけずに私の顔を眺めていた兄のその時の顔を生涯忘れることができぬ。
 兄はてっきり私の気が狂ったか、さもなければ何かよほどの衝動を受けて、一時気持が錯乱したととったのであろう。眼をみはれるだけ瞠って、口もきけずに私の顔を穴のあくほど凝視みつめきっているのであった。
 事情を知らぬ兄にわからないのももっともだと思いつつも、しかも私はもう物事を初めから順序だてて説明するだけの余裕をすっかり失い切っていた。落ちついて初めからの様子を話そう話そうと思いつつも、この烈しい怒りと捉えどころのない憤おろしさ苛立たしさ迷惑さがごっちゃになって、意識しつつ私の理性を滅茶滅茶に混乱させてくるのであった。そして殊に眼前にただ木偶坊でくのぼうのように驚愕きょうがくしている兄の様子が、何とも言えず腹立たしくて、私はまた頭を掻き※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしりたいような気持であった。
「兄さん、これだけ言っても僕の言うことがわかりませんか? 僕の側にだれかいたら、驚く前にすぐ僕に教えて下さいと言ってるんだ。……僕は決して気が違っているのでも何でもないのですよ。しかしこれが続いたら僕は発狂するというのです! 僕はそれが恐ろしいから……自分でわかりながら気が狂ってゆくのが怖いから、それで兄さんに必死にお頼みしているのですよ」
「困った奴だな!」と兄は憐れむように私の顔を見ながら呟いた。が、急に調子を変えると「よしよし! わかった! わかった! わかったからそこでしばらくじっとしておれ! ともかく気を落ちつけてな! お前のしたいことは何でも俺がしてやるからな。ともかく気を静めて……俺が付いている……しばらくここにじっとして!」と兄は立って来て私の背後に急いで座蒲団を二つに折って「さあ、ちょっとここに寝ろ! 今すぐ床を取ってやる!」
 と兄は私の肩を掴んで背後から無理にそこへ寝かそうとするのであった。
「何を莫迦なことを言ってるんです、兄さん! ふざけちゃいけませんよ! 兄さんに僕の言っていることがわからないのですか?」
「いいや、わかってる! わかってるのだ! お前の言ってることはちっとも間違っとりはせん! 間違っとりはせん! ちょっとそうしてろ!」
 と兄は飛び退くようにして部屋を出て行ったが、間もなく嫂と二人で大急ぎではいって来ると、女中に手伝わせて二人で押入れから床を引摺り出すやら、女中の持って来た飛び上るように冷たい濡れ手拭てぬぐいを私の額に載せるやら! 滑稽とも莫迦莫迦しいとも私は苦笑するのも忘れた気持であった。
 しかしこうなってきてはもうこの二人に何を言おうと、言うだけ二人は心配してただ気を揉むばかりであったから、私は万事は明日の朝兄たちの気が静まってからのことと観念して、この莫迦莫迦しい真似をされながらじっと言いなり放題になっていた。しかも小門がちりんちりんと鳴って、女中が表へ走り出て行ったような気がした。
 頭に濡れ手拭を載せているくらいのことなら我慢もなるが、今にこの近所の医者でも来て下らん鎮静剤の注射でも打たれた日には堪ったものではなかったから、私は大急ぎで跳ね起きた。それを兄はまたあわてておさえつけようとするのであった。
「兄さん医者なんぞ呼ばないで下さい! 早くとめて下さい……僕はどこも何ともないと言ってるのに……困ったな、兄さん! 僕が悪かったんだ! 僕の説明があんまり短兵急だったから兄さんにはわからなかったんだ! 初めっから僕はようく兄さんの納得のゆくように説明しますから」
「わかっている、わかっている! わかっているんだからしばらくじっとしとれ!」
「わかっているわかっていると兄さんあなたには何がわかっているんですか?」
「わかっているから大丈夫だ……付いている……付いているよ! お前の側にはちゃんとお前の言ってるような人が付いている!」
莫迦ばか莫迦しい! 何を下らんことを!」とあまりの莫迦莫迦しさに私はムシャクシャしながらも思わず「アハハハハハハハハ」と腹を抱えて笑い出した。
 その笑いが、たださえ心配している兄や嫂には一層不気味に今にも私が発作でも起して暴れ出すようにでも映ったのであろう。二人はまた顔を見合せて心配そうに私を覗き込むのであった。
 まるで精神の錯乱した弟が、逗子から闇雲に飛び込んで来たような騒ぎであった。世間の寝静まった頃にとんだ騒ぎを惹き起されて兄夫婦も迷惑だったであろうが、私も狂人扱いをされてこのくらい迷惑なことはないのであった。何を言ったからとて言えば言うほど兄夫婦の眼には私の姿がとりとめもないものに映るのは必定であったから、往生して私はこの話にもならぬ喜劇の主人公になっていたが、つくづく私はこんな莫迦な思いをして、よしんば話したからとて肉親の兄にさえも理解してもらえぬような不思議な眼に見えぬ姿に翻弄されている自分の身の上を情けないと思わずにはいられなかったのであった。
 しかもこの情けなさのうちからなぜ怖がり抜いて逗子から逃げ出して来たのだろうかと、あんなものを恐ろしがった自分自身のさっきまでの気持を嘲笑したいような気がしてきたのであった。そして明日にでももう一度逗子へ引返して行って、了雲寺へ出掛けて行き、あの少年の出て来るまでたとえ一晩でも二晩でもその墓の前に頑張って私へ掛けてきたこの迷惑をこちらから思う存分に面詰してやらなければ、この憤懣ふんまんの持って行きどころのないような気持がして、私はまじまじと電灯を凝視みつめながら考え込んでいたのであった。
 その私の様子を幾らか気が落ちついてきたとでも思っていたのであろうか。気の毒な兄は腕組みをしながら、そして嫂はその脇に引き添うて薄気味悪げにたたずみながら、私を見守っているのであった。


 その夜であった。
 莫迦莫迦しい騒ぎもひとまず納まって、改めて私のために二階の客間に床が延べられて、ともかくも明日まで様子をみようというような顔をして見当外れな慰めの言葉を掛けながら、兄や嫂が階下へ引揚げて行ってしまった後であった。私はじっと厚い蒲団の中へ身を沈めて、薄暗い天井を眺めながら、まじまじと考えていたが、もうこれでは眠ろうとしても眠れるものではなかった。
 身体はくたくたに疲れて恐怖、憤り、諦めの後の気持はぐったりと緩んで、とろとろと睡けを催してくるようであったが、それでいて頭の芯のどこかが妙に冴え切ってとろとろとしては、またパッと醒め少しとろとろとするとまた眼が醒め、あたりは寂として物音一つ聞えてはこず、ただ遠くから犬の遠吠えが枕に付いてきて、もはや夜もだいぶ更け渡っているらしいのであった。
 そして私が何度目の眠りから醒めた頃であったろうか。じっと眼を閉じている私の眼前にありありと描かれてきたのは、忘れることのできないあの了雲寺の墓場の景色であった。
 淋しい森、あの陰に白い墓の表が侘しく夕暗に浮いてそそり立ち、今その中を落葉を踏んで静かに歩んで来るあの少年の姿であった。
 なるべくそんなことは思い出すまい出すまいと努めても、それはまるで何者かが私を磐石ばんじゃくのような力で圧え付けてじっと眺めさせているかのように、まざまざと天井一杯に明るく眩しく光り輝いて描かれているような気がしていた。そして耳を澄ませば、どこからともなくサヤサヤと風にそよ葉摺はずれの音がかすかに伝わってくるような気持であった。しかもよほど心気が疲れていたのであろう。もう私には恐ろしくもなければいきどおろしくもない。そうした人間の感情なぞというものはすっかりどこかへ消え失せて、ただ白痴のようにうつつのようにじっとその景色を凝視みつめていた。
 そして今しだいしだいに少年の姿が近づいて来る。何とも言えぬ侘しそうな瞳……しかしまた人懐こそうな美しい面立ち……それはこの世の中にありとしも思われぬ美しさ清らかさ気高さそのものに思われた。そして少年の瞳は訴えるように私の面に注がれている。樹々の梢をふるわして風が吹き過ぎて行ったような気がする。どこかで鳥が静かにいているような気もする。少年の唇が、何か物言いたそうに話しかけたそうにしていた。しかも私の凝視みつめている視線の前にじ恐れたように口も開き得ずにいるその姿が言いようもなく私の心を打たずにはおかなかった。私が笑って見せたら少年の唇も美しく微笑んだように思われた。
「ハハハハハハハハ」と思わずその可愛らしさに私は笑い出した。「坊っちゃん何も僕は怒ってなんかいないのだよ。ただ困っているだけなのだよ」
 と私の言った言葉が通じたのであろう。少年は困ったようにそこに伏目立ってうなだれているように見えた。その様子がいっそう可憐に見えた。
「僕には坊っちゃんの気持がやっと分ったような気がする。坊っちゃんは僕を懐かしがっていてくれるんだろう?」
 私の眼には少年のさも嬉しそうにうなずく顔が見えた。そして私も何かは知らず、頷き続けた。少年の眼を眺めていると何かは知らず話しかけたい気持が私にもこみ上げて来ずにはいられないのであった。
「それが今ようやく僕にもわかってきた。僕は知らなかったもんだから怖がってみたり怒ってみたりしてつくづくすまないと思っている。坊っちゃんは僕を堪忍してくれるかい?」
 少年のはずかしそうに微笑んだ顔が見えた。
「それなら僕ももう坊っちゃんを怖がったり怒ったりはしないよ。だけれども」とふと私は逗子の亭主や兄たちのことを思い出してきた。「だけれどももう坊っちゃんは世の中に生きているわけではないのだからね。そう僕のところへ来られては僕が困るのだ!」と私は微笑みかけた。「御覧! 坊っちゃんだってわかっているだろう。僕のいた逗子の百姓だってまた今夜の僕の兄の騒ぎだってみんな僕を気が狂ったような扱いをしている。それが僕には一番困るのだ! 坊っちゃんが来たかったらいくら来てももう僕は怒らないよ。気味悪くも思わないし怒りもしないよ。しないが昼来ては困るなあ!」
 と私は笑い出した。そして笑った私には少年もいっしょに笑い出したのを感じた。その少年の笑いを見ると、
「みんなが僕を狂人きちがい扱いするからね」となおいっそう私は笑い出した。そして私は笑って笑って眼に涙を溜めて笑って近来にない爽やかさを覚えながら、少年がまるで弟のように可愛くて、抱きしめてやりたいような気がしていたのであった。
「だから来たかったら……夜おいで……誰もいない時に……人に見られないように夜おいで! それなら僕はいくらでも坊っちゃんと遊んで上げるよ……」
 といつか私は少年と二人で歩いているような気がした。そして歩きながら少年のさも嬉しそうな眼と見交していた場所があの夕陽の沈みかかっている墓場のような気もすれば、そことは違ったまた外の場所のような気もしてきて、だんだんあたりが白いフワフワしたもやか霧のようなものに包まれてゆく中を、私もまたフワフワと軽い気体のような気持になって歩いているような心地であった。……そしてそのまま幾時間を私はぐっすりとこの頃にない快い眠りを恐れもなく憤りもなく悲しみもなく淋しみもなく夢うつつのような楽しい気持のうちに眠っていたことであろうか。
 ぽっかりと眼を醒ました時には開け放たれた硝子窓の彼方からは美しい夏の朝の陽の光が射し込んで爽やかな風がそよそよとカーテンをもてあそび窓の上のカーネーションのはなびらに戯れて眠り足りた私の頬に心地よく触れていった。
 そして私が寝返りを打ったそこには心配そうな兄や嫂の顔が並んでいた。
「よく眠れたようだな?」と私が眼を醒ましたのを見ると兄が、声を掛けた。「どうだな、気分は?」
「…………」
 何と返事をしていいのかわからなかったから、私は黙っていたが、微笑んだ私の顔を見て安心したように兄が眉を開いた。その兄の顔を眺めながら、私もまた誰に話してもわかってくれないこの事件だけは、生涯私の胸一つにしまっておいてもう決して誰にも話すまいと思っていたのであった。
 そして私を慕ってくれる薄命に死んだ幼い友達のために、今日にでももう一度逗子へ出掛けて行って今度は了雲寺のあの少年の墓の前に改めてしみじみと香華こうげ手向たむけようと思っていた。そう思いながら、安心したように私を見守っている兄の軍人らしい大ざっぱな顔を、私もまた安心したように眺め返していたのであった。





底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
   1994(平成6)年7月29日第1刷
初出:「新青年」
   1937(昭和12)年8月
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2019年9月27日作成
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