蒲団

橘外男




 怨霊おんりょうというものがあるかないかそんな机上の空論などを、いまさら筆者は諸君と論判したいとは少しも思わない。ただここに掲げる一篇の事実をひっさげて、いっさいを諸君の批判の下に委ねんと思うのみである。科学がこの世の中のことすべてを割り切っているかどうか、それも筆者は諸君と議論したいとは少しも願わない。が、一言贅言ぜいげんさしはさませて下さるならば、読者も御承知のとおり浄土宗の総本山巨刹きょさつ増×寺は、今より二十八年前の明治四十二年三月二日の夜半、風もなく火の気もなき黒本尊より突如怪火を発し、徳川三百年の由緒を語る御霊屋おたまやを除き、本堂、庫裡くり、護国堂等壮麗なる七堂伽藍がらんいっさいを灰燼かいじんに帰せしめた。そしてその怪火の原因は放火と言い失火と称され、諸説紛々ふんぷんとして爾来じらい二十八年を過ぐる今日に至るまでなお帰一するところを知らぬ。もし世に怨霊というものがないならば、いったい増×寺は何が故に突如炎上したのであろうか? この事実を諸君はなんと御覧になるか? 世の中のこと万端科学のみをもって闡明せんめいせられ得ると過信しきっている人々に、あえて借問しゃもんしたいと考えている。筆者の周囲に未だ現存している人々への迷惑をおもんぱかって、この物語の発生した場所人物について、あらわに指し示して諸君に明確なる全貌をお伝えすることのできぬのを遺憾とするが、きわめてだいたいの輪郭アウトラインだけを申し上げるならば、この物語を話してくれた当の目撃者である主人公というのは当年五十五歳、いかにも律儀りちぎな田舎の商店の主人公にふさわしく、小倉こくらの前垂れを懸けて角帯を締めた、とうてい嘘や偽りなぞは冗談にも言えそうのない分別盛りの人物であった。そして場所は上洲多野郡の某町。土蔵の二戸前も持って、薄暗い帳場格子には、今なお古風な大福帳なぞのぶら下げてある「越前屋」といえば、この辺きっての大きな古着屋であった。
 では以下私と言うのは、ことごとくこの質実なる古着屋の主人公自らを指すものと御承知願いたい。


 左様でごさいます[#「ごさいます」はママ]、この辺の習慣で、私どもでも春と秋との年二回、東京へ品物の仕入れに出るのでございますが、ちょうどその年も、親父おやじが小僧を連れまして仕入れにまいったのでございますが、雨ばかりよく降りました年で、夏の終り頃から、毎日雨がビショビショと降り続いていたように記憶いたしております。
 もうだいぶ古いことでございますからハッキリともいたしませんが。……そうでございます、なんでも今年は莫迦ばかに冷えが早く来たというんで、私ども、あわせに羽織なぞを引っ掛けて店に坐っておりましたように覚えておりますから、十月の初め頃ではなかったかと思うのでございます。
 親父は馬喰町ばくろちょうの方に宿を取っておりまして毎日、柳原、日陰町界隈かいわいの問屋筋で出物をあさっておりましたのでございますが、そう申してはなんでございますが、親父はなかなか商売の方は明かるうございまして、その時分はちょうどおかげと店も大変繁昌いたしておりましたものですから、なんでもここんところでもう一押しグンとして一儲けせんならんと申して、その秋はことに仕入れの方も踏ん張りますつもりで出掛けてまいったのでございました。
 出先から寄越す手紙にも、彦吉ひこきち安心してくれ、だいぶわりのいい買物が色々できたから、この秋はかなり旨い商売ができるだろうとか、それについてはお前方にもぜひ一つ踏ん張ってもらわねばならんとか、まことに景気のいい手紙を寄越しますものですから、私どももこの秋こそは一つ腕にりをかけて角の万戸屋まんどやさんに負けんように儲けにゃならんと、親父の帰りを楽しみに待っていたようなわけでございました。
 それに私にはまた私だけの内々の楽しみなことがございまして。……と申すのは、そのあくる年の春には、かねて親どもで話のできておりました新町の油新道あぶらしんみちの三河屋の娘と――それが私のただいまの家内なのでございますが――祝言をするはずになっておりましたから、私としては店に坐っておりましても、自然と商売の方に励みの出る年だったのでございます。
 ともかくそうこうするうちに親父は仕入れを済ませて帰ってまいりましたが、親父が帰ってまいりますれば、東京から買い付けてきた品の荷ほどきもしなければなりません。仕切りと合せて正札しょうふだの付け替えもいたさなければなりませず、皺のできておりますところへは霧を吹いて火熨斗ひのしも当てなければなりませんし、三、四日は急に眼の廻るようなせわしさでございました。
 ところでたった一つ親父の仕入れてまいりました品物のうちで、私のに落ちぬ物がございました。それは敷二枚の夜着と掛けが一枚ずつ、都合四枚一組の青海波せいがいは模様の縮緬ちりめん蒲団ふとんなのでございました。よほど立派なお邸からの出物と見えまして、仕立てもごく丁寧に綿もとびきり上等のが使ってあり、ふっくらとまことに結構な品なのでございました。がいくら結構な品でも縮緬の蒲団ときては手に負えません。そう申してはなんですが、まずこの辺の田舎では、いくら上等な蒲団でも銘仙めいせんがせいぜい、郡内ぐんないときては前橋あたりの知事様のお出でになる宿屋か待合ぐらいのものでございましょう。
「おとっつぁん……縮緬じゃないか」
 と私は蒲団の皮をつまみ上げて見せました。
「そうよ! 縮緬よ」
 と親父は眼鏡を掛けて帳合いをしながら、いっこう平気なのでございます。
「冗談じゃないぜお父つぁん! いったい誰がこんな物を使う? なんだってこんな途方もない物を仕入れて来たんですい?」
 と私には親父のはらがわからないもんですから、眼を円くして凝視みつめました。
「ハハハハハハお前がきっとそういうだろうと思ってたのだ! 彦吉、文句を言わずにこれを見ねい! これを!」
 と親父はすこぶる上機嫌で帳場格子の中から、今まで自分の調べていた仕切りを差し示すのでございます。なんと、親父の手で抑えているところには十八円五十銭と書いてあるではございませんか。この素晴らしい縮緬の蒲団が一組たった十八円五十銭! タダみたいな値段でございます。東京からの運賃一円十銭を入れましても十九円六十銭! こしらえる時にはおそらく百四、五十円も、あるいはもっとかかったかもしれません。その新品同様な蒲団がたった十九円六十銭! ではございません。
「お父つぁん! お前ほんとうにその値で買いなすったのかえ?」
「そうともよ! この値で買わずにどの値で買う? ハハハハハ彦吉! 魂消たまげたか! 年は取っても父つぁんの腕金には筋金がへえっていらあ! この秋東京には仕入れに上った仲間内は八百人や千人はあるだろうが、まずこのくれえの掘出し物をしたのはそう言っちゃなんだが父つぁんくれえなものだろう!」
 と親父はいっそう得意気に、鼻をうごめかしているのでございます。
「値じゃないね。どこかに、からくりでもあるんじゃないのかい?」
 とあまりに度はずれなやすさに吃驚びっくりしてしきりに蒲団をいじり廻している私の側へ来て、親父も愉快そうに蒲団を撫でます。買い手がすぐ付く付かぬは別として、まずどう棄値すてねに踏んでもこれなら場所へ出して七十五円から八十円! この辺のあまり上等の品のけぬところでも六十円以下ではとうてい手離せる品ではございません。まず内輪に見積って五十円の儲け、蒲団一組の儲けとしては私ども商売を始めて以来のことでございましょう。
「人様がさんざん着古した垢や汗のついたものばかり二、三十年も弄りまわしていて、たまにこのくらいの儲けのねいことにはな」
 と親父も惚れ惚れと、自分の掘り出してきた品物に見入っておりました。
「六十五円! まず六十五円がいいところだろうな。半年寝かしたとして、その金利を見積って……」
 と親父はしきりに算盤そろばんはじいておりましたが、
「この辺の百姓どもにゃ、ちょっくらちょいとは手が出せめえ。なにも彦吉ちっとも売り急ぐには及ばねえから、六十五円の正札を付けて、通りからいっとう眼につくところへ飾っておきねえ。まあま、この秋にはけねえでも、年が明けて春にでもなりゃ、花曲輪町はなぐるわちょうあたりから買いに来んともかぎるめえ」
 花曲輪町というのはこの町の花柳町いろまちなのでございました。ともかく親父が申しますのには、この蒲団を売ってたのは問屋筋でもなんでもなく、芝の露月町ろげつちょうとかのごくさびれた、見るからに貧しそうな仲間店なかまうちの奥に三十二円として飾ってあったのが眼にはいったので、ためしに二十二円まで値を付けてみたのだそうでございます。ところが、向うでもよほどもてあましていたとみえて一も二もなく応じたので、それならばと本腰を据えて、とうとう十八円なにがしまで値切り落としてしまったのだと、こういうことでございました。それでも向うはまだいい顔をして、いよいよ品物を引取る時には、ほっとしたような様子をしていたところを見れば、値切ればまだ、一、二円のところは落ちたかもしれないが、いくら商売だからといっても物には冥利みょうりというものがあるからのと、親父は私が店の真ん中に一段高く飾り立てた蒲団を眺め眺め、満足そうにそう言いました。そして、
「これだけの品を飾っておけるようになったんだから越前屋も大したものさな」とさも愉快らしく言うのでございました。
 神ならぬ身のその時には、私どもにもまだこの蒲団の恐ろしさというものが少しもわからなかったのでございます。ただ親父が買った東京の同業の店でそう言ったというままに、よほど立派な東京のお邸からでも出たものに違いなかろうが、なんとかして早くいい客が付いてくれればいいがと、そんなことばかりを考えていたものでございます。


 が、それほど勢い込んだ甲斐もなく、その年の秋の商売はまったくいけませんでした。なぜああいけなかったのか、後から考えてみましてもとんとその原因も何もわかりませんでしたが、品物の仕入れがまずくいったのかというと、客は相当に品物に気を惹かれたように欲しそうな顔を見せているところから考えれば、仕入れが失敗しくじったというわけでもございません。
 さっきも言いましたとおり雨ばかりビショビショと降っておりましたから、雨で客の出脚が阻まれたのかとも思えますが、これも表の人通りは別段ふだんに較べて減りもせず、店へも客脚だけはかなりあったのですから、いちがいに雨のせいとばかりも思えなかったのでございます。
 ともかく客の組数は相当にあり、そして来た客は品物をあっちに引っくり返しこっちにおっくり返しては、左見右見とみこうみ、気は惹かれているようなのですが、なかなか商いにはならなかったのでございました。
 二日三日は商売のことですから何とも思いはしませんが、それが十日二十日と続くと、さすがに気になってまいります。農村に金が落ちなかったのかと思ってもみますが、これもその年あたりは春蚕はるごの出来が大変によろしかった年でしたから在方ざいかたは、みんなたんまりとまとまった金を握っていたはずでございますし、またげんに私どもの競争相手の万戸屋まんどやあたりではいつ行ってみても客は押すな押すなの引っ張りだこで、品物を奪い合っているのですから、これも悪いのは私のうちだけだったのでございます。不思議だ不思議だと言い暮らしているうちに、やがて雨はだんだん氷雨に変ってゆき、たまに天気がいい日には、名物の赤城下あかぎおろしのからっ風が吹きまくって、木の葉の落ちる時候になってまいりました。
 もうこの頃では在方のお百姓衆も、冬仕度に買い込むものはすっかり買い整えてしまったとみえて、町を通る在方の衆の姿も、だいぶちらりほらりと影が薄くなってまいりました。
 冬の準備に仕入れたものを春に廻すというわけにもなりませんから、仕方がなく品物は薄い利で仲間内へ廻してさばいてもらって、ともかく春はまた元気をつけて売り出すことにしたのでございましたが、親父なぞはスッカリ気落ちしてしまいまして、
「俺が商売を始めてから、こんなひどい目にあったことはまだただの一度もねえ」
 とこぼし抜いておりました。それも今言いましたとおり、仕入れを誤ったのならばまだ気持の慰めようもございましたが、品物を廻した仲間内では、廻すや否や飛ぶようにけて、
「越前屋さんじゃこんないい品物をたくさん持ちながら、なんだって寝かしてお置きになったんで?」
 なぞと人の気も知らずに、不思議そうに聞かれたりしますと、なんとも言えぬ情けない気持でございました。
 しかもその年は家中になんだか妙な出来事ばかり重なり合いまして、阿母おふくろが仏壇を拝んでいて、お灯明を消そうとして手で煽いだ拍子に火傷やけどをして、そこにあざができましたがそのまた痣がいつまで経っても直りもせずに、日が経つに従ってますます大きくなってはすの花そっくりの妙な恰好になってまいりましたり、何十年にも寝たことのない親父が、下駄を穿く拍子にちょっとつまずいたと思ったら足を挫いておりまして、それを直すのに一月近くも寝込んでしまいましたり、そうかと思えば小僧が仏壇のお花を棄てるのに誤って蝋燭ろうそく立てを小指の先に突き刺して、そこがんで※(「やまいだれ+票」、第3水準1-88-55)ひょうそになってとうとう小指を切って二十日余りも寝ついてしまいましたり、もちろんものの拍子と言えばそれまでのことでございましょうが、妙に厭なことばかり重なり合ってきたのでございました。ちょっとしたことから、あんまり厭な出来事ばかり重なり合うものですから、この次にはまたどういうことが起るのだろうかと、しまいには、まるでもう順番でも待つような気持で怯々びくびくものでございました。
 ともかくそのうちに雪も降りまして、もう町はいよいよ年末の売り出しに掛かっているのでございましたが、この頃気がついたことは、どうも家の中がなんともいえずじめじめとして陰気くさくなってきたことでございました。どこがどういうふうに陰気くさいのか、これも取り上げて別段にこうというところはなかったのでございますが、ただ家の中が妙に薄暗く、だれもの顔が変に抹香くさくなってまいったのでございます。
 番頭や小僧たちと一緒に店に坐っておりましても往来を眺めておりましてひょいと奥を振り返ったりいたしますと、帳場格子の中に頬杖突いて凝乎じっとこちらのほうを眺めております親父の顔なぞが、竦然ぞっとするほど青めた恐ろしい人相に映りましたり、奥の間へ行って仏壇を拝んでいる阿母おふくろがひょいと振り向いた顔が、まるで芝居でいたします渡辺の綱のところへ腕を取り戻しにまいりますあの髪を振り乱した羅生門の鬼女そっくりの凄まじい顔に見えまして、思わず飛び上がったりしたこともございました。しかもそれがあながち私ばかりの眼にそう見えたわけではなく、親父や阿母や番頭どもにまでやはりそういうふうに映っていたとみえまして、時々土蔵の中で用を足して出てくる出逢いがしらなぞに番頭がヒイ! と品物を取り落として、
「若! 脅かさないで下さいよう! ああ吃驚びっくりした!」
 と真っ蒼な顔をしていることもございました。なにもこちらではちっとも脅かす気はないのですが、家の中全体がこう何か眼に見えない墓場のような物怪もののけに包まれているものですから、すること為すことが、ただもう陰気なじめじめとしたものに見えて仕方がなかったのでございます。
 そしてちょうどその頃にあの不思議なことが起ったのでございました。親父はその二、三日ばかり前から、大胡おおごの方へ出掛けて留守でございましたが、その日も朝から篠突しのつくような烈しい雨で、小歇おやみもなく降り続いているなんとなく薄ら暗い胴震いのしそうなほど寒い日だったと覚えております。夕方頃からはもう往来の人もなく、ただ滝のような雨が川をなして道を流れておりました。親父も留守ですし、どうせこんな晩にはお客なんぞの来っこもないだろうから、大戸を降ろして久しぶりに骨休めでもしようと、割合に早くみんなやすんでしまったのでございます。
 番頭や小僧たちはみんな二階に上がって床についてしまいましたし、私はいつも親父や阿母と三人で寝むことになっている奥の仏壇の間で、床へはいって洋灯ランプを引き寄せて講談本なぞを読んでおりました。
 雨はいっそう酷くなってまいりますし、夜もだいぶん更けてこの雨の中を、この刻限に往来なぞ歩いている人は一人もなかろうと思われますのに、ちょうどその時でございました。
 どこにも隙間はないのに、阿母が今寝ようとして上げておいた仏壇のお灯明が、フッとかき消えたかと思うと、この酷い大雨の中をといから落ちる雨垂れの音の合間合間に、トントントンとかすかに店の大戸を叩くものがございました。最初のうちは風の音かと思っておりましたが、またそのうちにかすかな叩く音がいたすのでございます。
「おや! 阿母おっかさん、だれか叩いている!」
「そのようだね」
 と母も凝乎じっと耳を澄ませておりましたが、もう寝んでしまった店の者を起すのも気の毒と思ったものか、そのままつかつかと真っ暗な店先を抜けて、大戸の上の小さなくぐり窓をあける音がすると、やがて表にいるだれかと話しているような按排あんばいでございました。
 私の寝ておりますところからはだいぶ離れておりますし、それにひっきりなしに軒を叩いている雨の音にかき消されて床についている私の耳には聞こえてもきませんでしたが、そのうちに母はまた潜りを降してこちらへ戻ってまいりましたが、ふだんはまことに気丈な阿母おふくろなのですが、この時の顔といったら何ともいえぬ浮かぬ面持をして、戻ってまいりましても凝乎じっと火鉢にもたれて考え込んでいるのでございます。
「だれだい? 阿母おっかさん! だれが来たんだい?」
 と私は聞きましたが、阿母おふくろは急には口もきけずに私の顔を上の空で眺めながら、何かまじまじと考え込んでいるのでございます。
「なんだね、阿母おっかさん、そんな怖い顔をして! だれが来たんだよ」
 となんにも知りませんから私はもう一度促しました。
「不思議なことがあるもんだ。今女の人が来たんだよ」
「女の人が来たって? 何も不思議なことはないじゃないか! 何の用で?」
 と知りませんから私は阿母おふくろの様子を気にも留めてはいませんでした。
「それがお前、おとっつぁんが今夜お帰りになるからって今知らせに寄って下さったんだよ」
「え! お父つぁんが?」
 と私も頭をもたげました。
「お父つぁんが今夜帰って来るというのかい? だってお父つぁんは大胡の友さんの寄合いに行ったんだろう? 明日でなければ帰れないじゃないか?」
「だから阿母おっかさんが今考えているんだよ。お父つぁんが、用事の都合で急に今夜お帰りになることになったから、それで知らせに来て下さったんだとさ!」
「それじゃお父つぁんは帰って来るんだろう。だれが知らせに来てくれたんだい?」
「それがお前、わたしが今まで一度も見たことも聞いたこともない方なんだよ。丸髷まるまげに結って、綺麗きれいなとても綺麗な、わたしはだれか花曲輪はなぐるわの芸妓衆でもあろうかと思ったくらい、なんともいえぬ綺麗な奥さんが……それがお前真っ青な顔をして……」
阿母おっかさんお止しよ! そんな妙な顔をして! なんだってそんな真似をするんだ!」
「いいえ、それがお前!」
 と阿母おふくろは真剣だったのでございます。笑い顔一つしませんでした。
「それがお前! ここから下が」と両手で腰の両脇をくような恰好をしました。「ずっぷりとまるで血のように真っ紅になって……確かに血なんだよ、あれは! ああ思い出してもわたしゃ厭な気持がする」
 と阿母は眼をつぶって、二、三回頭を振りました。
「何をくだらんことを言っている!」私は見ていないことですからいっこう平気で、おおかた親父の知り合いの芸妓衆でも、雨の中を紅い腰巻ゆもじでも出して通りすがりに知らせてくれたのだろうと、たいして心に留めてもいませんでした。
「何かお父つぁんの身に変ったことがなければいいがねえ」
 と阿母は案じ顔にそう言いましたが、一度閉じた仏壇をまた開いて一心に念仏を唱えはじめました。がその途端にドンドンドンと今度は烈しく戸を叩いて、まさかと思った親父がほんとうに帰って来た時には私もまったく竦然ぞっとしました。なんともいえぬ気持で、脇の下から粟立つような気持だったのでございます。
「なんだ! なんだ! ただせえ陰気くせえ陰気くせえと言ってるのに二人して蒼い顔をして! こうヤケに降りやがってはたまったもんじゃねえ」
 と全身ビショ濡れになりながら親父ははいって来ましたが、もちろんだれにも話さず急に思い立って帰って来たことですし、知らせになんぞ人を寄越した覚えもなければ、それに第一そんな歯切れのいい東京弁を使う綺麗な女の人なんぞ、一人だって知り合いはないと言うのでございます。
「阿呆らしい! この土砂降り雨の中にだれが物好きにそんな余計なことをしくさる奴がある! おおかたお前があんまり居眠りばかりしよるもんだから狐でも悪戯いたずらしに寄ったんだろ」
 とろくろく相手にもならずに、濡れているものですからそのまま風呂にどっぷりとつかって、さも気持よさそうに大口いて笑っておりました。
 それでも風呂場の入り口に佇んで腑に落ちぬようにくどくどと並べ立てている母の話を聞いているうちに、だんだん真顔になってきたのでございます。一つには阿母おふくろが人並以上な気丈者で、そんな腰巻ゆもじと血糊のべっとりついたのとを見間違えるような粗忽あわて者ではないことに気がついたのでございましょう。
「そうだな! 血糊がべっとりついていたというのは可怪おかしいな! こんな雨の中でも見えるほどに血が流れ出していたんでは、何かよっぽどの深傷ふかでを受けていたんだろうが……いくら土砂降り雨の中だって、交番のお巡りが立っておらんことはあるまいが、そうすりゃお巡りにはすぐ不審を打たれにゃならねいはずだが」と小首をかしげました。「……それもそうだし第一そんな深傷を受けた女なんぞが、平気な顔をしてヒョコヒョコ俺の帰るのを知らせに来たというのも可怪いじゃねいか」と母と顔を見合せながら、風呂桶の縁に頭をよっかからせて沈吟しておりましたが、
「何やら怪体けったいな話やなあ! こんな晩にはよっぽど火の用心でもしっかりしておかんことには、とんでもねえことが起るかも知れねえぞ!」
 と大声を出してごしごしと身体を洗いはじめました。がいよいよ今度は、今のことが身にみて気にかかり出したのでございましょう。身体を洗う手も間もなく止めて、また、
「そうだなあ!」と考え込みました。
「なるほどおめえの言うとおり、今夜けえろうという気になったのは、ふっと俺がそう考えただけのことでだれにも言った覚えはねいが……どうしてそんなことがわかったもんだろうなあ!」
 と独語ひとりごとのように考え込んだのでございます。
「こいつはなんだか考えれば考えるほど背筋のゾクゾグしてくるような気持だ! おの! 一本かんをしておくれんか! こんな妙な晩には酒でも飲まんことにはやりきれねえ」
 と風呂もそこそこに上がってきてしまいました。
 もちろん私が見たわけではございませんから、これ以上ハッキリしたことは申し上げられませんが、まったく厭な晩でございました。
 その後は別段そのことについては変ったことも起りませんでしたが、阿母おふくろの話ではなんでもよほどの水際立った別嬪べっぴんだったと申すことでございました。こういう商売をいたしておりますといろいろな芸妓衆などしょっちゅう見ておりますから、普通の美しさでは格別驚きもしませんが、今までその年になるまで一度も見たことのないほどの別嬪だったと、後々あとあとまでもよくそう申しておりましたからよほどの美しさだったのでございましょう。


 そういうふうなわけで、たださえ陰気な家の中に、またぞろこういう妙なことが起ったものですから、当分はなんともいえぬ暗い沈んだ空気で、ほとほと気の滅入るような気持でございましたが、とうとうその年の暮の商売もからっきし駄目なのでございます。
 なんで取り立てた理由もないのに、こう商売が寂れてくるのか、みんなもつくづく気を腐らせてしまいましたが、普通の古着類でもさばけないのですから、まして店の真ん中に飾ってある例の蒲団なぞの売れようはずもございません。正札だけはあれから二度ばかり取り替えまして、今では五十円の値印しにしておきましたが、一度どうかした拍子に、万戸屋さんの主人が通りかかって、ふとこの蒲団に眼をつけて、
「ほほう、また大した物をお仕入れでございますな。五十円はんぞくとは安い。もしなんでしたら仲間相場でなくとも札値で結構、手前の方へ譲っていただいてもよろしゅうございますが」
 と言った時には、親父も厭な顔をして聞こえぬふうを装っておりました。
 私には親父の気持はよくわかるのでございますが、これがわきの人から言われましたのなら、五十円が四十五円でも、こんないつ売れるともわからぬ嵩張かさばった物なぞはいてしまいたかったのでございましょうが、今こちらが落ち目になりかかっているところだけに、万戸屋からこれを言われたのでは、ひがみかもしれませんが、意地になっても応じられるわけのものではなかったのでございます。
 が、万戸屋にはもちろん親父のこういう気持なぞわかろうはずもございません。よほど気に入ったものとみえて、
「私の方でも一遍切り出したからにはお世辞やお追従ついしょうで申してるわけではございませんから、いかがです、越前屋さん、もう五円色をつけようじゃありませんか。私はこの品物に惚れたんだ。〆て五十五円! それでひとつ手を打って下さらんか」
 と熱心な頼みでしたが親父にしてみれば、これではなおさらうんとは言われなくなってきたのでございます。
「せっかくのお頼みだがこいつだけはいけねえ! 万戸屋さんいけねえわけがある」と親父は苦り切って蒲団を見上げましたが「店に飾ってはおいたが、こいつだけは売り物にしたくねえんだ! 来春にはせがれに嫁取りもしなけりゃならねえので、その時の間に合せようと思って実はめっけ出してきたんだ。せっかくだが……」
 とキッパリと断ってしまいました。そして、
「売り物じゃねえと言ってるのに、だれがこんなくだらねえものを付けやがったのか!」
 と苦笑しいしい、親父は万戸屋の眼の前で蒲団にぶら下げてあった正札を引きちぎってしまいました。もちろん親父にも別段の魂胆があってそんなことを言ったわけではございません。ただ一時の方便で万戸屋をあしらうために、口から出まかせを言ったにすぎなかったのでございますが、嘘にもせよ、ともかく万戸屋の前でそんな大口を叩いてしまったものですから、ちょっと正札を付けておくというのも工合が悪くなりましたので、その後は蒲団は正札なしで相も変らず店晒たなざらしになったまま、一番人目につきやすい場所に積んでこざいました。
 さて、そうこうしているうちにその年も暮れて春を迎え、一月もまたたく間に経ってしまいましたが、二月になればいよいよ私の祝言を挙げなければなりませんでした。
 前にも言ったとおり家内は同じ郡内の新町というところから嫁に来ることになっていたのでございますが、時節柄万事控え目にしてというわけで、祝言なぞもごく質素じみにほんの内輪だけでやることにいたしました。それでも日がいよいよ迫ってくるにつれて仲人は打合せにまいりますやら、親類どもからも祝ってきますやらで、何やかや、まことに忙しい日を送っておりましたのでございます。
 そんなわけで、まあ当分は家の中もだいぶ明るいような気持でございましたが、さてその祝言の当夜でございました。その頃は裏手のほうに廊下続きで二間ばかりの離れ座敷がございまして――これからお話するような事件のあった後でございますから、ただいまは取りこわしてその跡へ土蔵を建てました――ふだんは雨戸を締めっきりにしてお客様でもないかぎり使う用もなかったのでございますが、この離れの方を当分の間私ども夫婦の住居にすることに決めていたのでございます。
 お開きになりまして、集まっておりました客人や町内の人たちもそれぞれ帰ります。そして私たち夫婦はその自分たちの居間へはいったわけなのでございますが、こういう田舎の住居すまいでその頃はまだこの町には電灯なぞもございませず、枕許に立てた洋灯ランプの光りも、床の間や鴨居天井のあたりまでは届かず、まことに薄暗い陰気な座敷でございました。が、ともかく新しく嫁取りもしましたことでございますし、家中はさすがに賑わっておりますから、私も別段なんとも思わず寝に就いたわけなのでございました。
 その時にどういうわけですか敷いてありましたのが、店にいつも店晒たなざらしになっておりましたあの縮緬ちりめんの蒲団なのでございます。ちゃんと家内の嫁入り道具の中に夜具もまいっておりますし、まさか親父が言いつけたわけでもなかろうにと、ちょっと不思議な気もいたしましたが、なにせ結婚当夜のことでございまして万事万端両親や仲人の采配どおりになって花婿で納まっている時のことでございますから、私も深くは気にも留めず、そのままその蒲団に眠ったわけなのでございます。
 初めての晩でございましたから気は張っていたのでございましょうが、それでもやがてとろとろとして、何時間ぐらい経った頃でございましたろうか。いきなり夢中で家内にしがみつかれて私は吃驚びっくりして眼を醒ましました。急いで跳ね起きて洋灯ランプに火をけましたが、
「どうしたのだ、どうしたのだ?」
 と問いただしましても、家内はただガクガクと震えているだけで、口もきけずに蒲団を引っかぶっているだけなのでございます。ようやく真っ蒼な顔を蒲団の間から覗かせて、まだ震えの止まらぬ声で、
綺麗きれいな……眼の醒めるような綺麗な奥さんが血みどろになって……そ、そこに悄然しょんぼりと……お立ちなすって……真っ蒼な顔をしてわたしの方を見ておいでになって……おおこわやの!」
 と急いでまた蒲団の中へ顔を埋めました。身体中にビッショリ冷汗をかいて、その熱気は私にまでも伝わってくるのでございます。
「夢にうなされたのではないかい? そんな莫迦ばかなものがいるはずがないじゃないか! どこにいたんだ? この辺にかい? この辺にか?」
 と私もあまりいい気持はしませんのですが、初めて顔を合せた家内の手前、弱身を見せるわけにもゆかなかったものですから、起きて床の間のあたり、屏風びょうぶの廻りなぞをくまなく調べてみましたが別段に変ったこともございません。ただそこには薄暗い洋灯ランプに照らされて、家内の脱ぎ棄てた衣裳が衣桁いこうから深いひだを作っているばかりでございました。
「おおかた夢に魘されたのだろう?」
「でもわたし、宵の口からまだ少しも眠ってはいませんでしたもん」
 と家内は恥ずかしそうに顔をあからめました。そしてまだ気味悪そうにっと溜息をいているのでございます。
「それじゃ夢を見たわけでもないが」
 と私は苦笑いいたしました。
「じゃきっとこの衣桁に掛かっている着物でも、灯の工合でお前さんにそう見えたんだよ……きっとそうだよ」
 家内は不服そうに頭を振りましたが、なにせ、宵に初めて顔を合せたばかりのことですから、家内も私もまだ他人行儀で、そう親しく口をきき合っていたわけではありません。万事が遠慮がちな時ですから、恐ろしそうに震えながらも家内もそれ以上はもう言いませんでした。
 血まみれになった美しい奥さんが真っ蒼な顔をして立っていたと言えば、ずっと以前、去年の秋の暮れ、あの土砂降りの雨の晩に大戸を叩いて阿母おふくろと話をしていった女の人というのと寸分も変りのない姿でございます。私もあの晩のことを思い出して、なんともいえぬ、肌寒い気持を感じたのでございますが、その時は私もまだ二十六、七くらいの若い時分でございました。いままで稼業大切に働いて道楽一つした覚えもございませんから、女と共寝をしたのはこれが生れて初めてでございました。派手な長襦袢ながじゅばん一枚で震えている、初めてもらった妻というものがどうにも私の目には可愛く見えて仕方がございません。やがて今の気味悪い話なぞも忘れるともなく頭から消え去ってしまったのでございます。
 やがて母屋の方で時計が四時を打ちましたし、納屋の方から一番鶏の声なぞがいたしまして、もう眠る間もございませんから、その晩はとうとうそれきりまじまじと床の中で夜を明かしてしまいました。そして夜が明ければいくら結婚早々でも、やはり商家のことでございますからまた店の方も手伝わなければなりません。それに家の中も私の気持もなんとなしに賑やかに浮き立っておりましたから、いつかのあの血だらけになった女の人の話を阿母おふくろにもう一度聞いてみようみようと思いながら、つい取りまぎれてそれなりだったのでございます。
 そして前夜からのことはそれきりすっかり忘れ果てていたのでございました。が、ちょうど晩の八時頃ちょっと用事がありまして離れの自分の居間へまいろうとしておりますと、血相変えて部屋を飛び出して来た家内と、廊下でぶつかり合ってしまったのでございます。
「また……あの怖い女の人が! 早く貴方あんた! 早く行って見て!」家内は結い立てのまげも乱して蒼褪めきって歯の根も合わぬくらいに震えているのでございます。途端に前夜のあの出来事がハッと私の胸を衝きました。とりすがる妻を振り切るようにして私は大急ぎで今家内の逃げ出した座敷へ飛び込んで見ました。
 が、そこには明るく洋灯ランプが輝いて、長押なげしの隅々、床の間、相変らずどこに何一つの変ったところもないのでございます。今まで家内はそこで片づけ物をしていたと見えて、押し入れの唐紙が半開きになり、そこから嫁入り道具や髪の物なぞがはみ出しているばかりでございました。
 私は隣りの座敷の唐紙もことごとく開け放して見ました。しかもここにも別段の変ったところはないのでございます。そして第一まだこんな宵の口の、八時や九時頃家のものもみんな起きて往来も賑やかな時刻に、幽霊なぞというそんな莫迦ばかなものの出ようはずもないことでございました。
「何を莫迦なことばかり言ってるんだい? 来てごらん! 何にもいやしないじゃないか! お前さんの気のせいだよ! どこにそんなものがいる! さ、来てごらん!」
 と私はまた廊下へ引き返してきて家内の手をりました。
「だって……あの血だらけな恰好をしてあの蒲団の上に坐っていたんですもん。淋しそうな顔をして……真っ青な顔をして! わたしこおうて、もうどうもならん」
 と家内はまだ今のその顔が眼先にちらついてくるのでしょう。さも恐ろしそうに肩を震わせておりました。
「どこにもそんなものはいやしないと言うのに! お鹿しか、来てごらん! どこにそんなものがいる」
 じれったくなって私は力をこめて家内の手を引きました。がその途端でございます。ギョッとしてすんでのことに私は声を立ててそこを逃げ出すところでございました。血の気もない顔をして私に手を引っ張られながら、まだその場を動こうともしないで私を凝視みつめている家内の顔が、みるみる何ともいえぬ凄まじい形相に変ってきて、その腰から半身以下が真っ紅に染まりながら、私の顔を食い入らんばかりに眺めているのでございます。
 私は竦然ぞっと総毛立ちながら、思わず眼を閉じて二、三度頭を振りました。そして、こわごわ眼を開けて見れば、そこに恐ろしそうに私を振り仰いですくんでいるのは、やっぱり私の可愛い家内のお鹿の顔に相違ございません。
「そんな怖い顔をしないどいて! なぜまた貴方あんたそんな怖い顔をしてわたしの顔ばっかり見ていらっしゃるん?」
 と家内は震えながらも、怪訝けげんそうに私の顔を覗き込みましたが、その拍子に何を私の眼の中に見たものか、
「キャッ!」
 と叫ぶとかれたように私を振りもぎって母屋のほうへ逃げ出しました。そして今の家内の叫びに驚いたのでしょう。茫然ぼんやりと突っ立っている私の耳にも、店の方から番頭や小僧たちのどやどやと駈け出して来る跫音あしおとが聞こえてきたのでございます。


 騒ぎは一時に大きくなりました。そして困ったことには妻はもう私さえも恐ろしがって、私が側へ寄ると慌てて父や番頭の陰へ隠れるようにして飛び退きました。そしてこんな恐ろしい家には一刻もいることができないから、すぐに離縁を貰って家へ帰ると言うのでございます。
「莫迦なことを言いなされ! 昨日祝言がすんだばかりで何の理由があって家へ帰らせられる? 幽霊? 莫迦な! 幽霊が出るから家へ戻って来たと貴女あんたは親許へ戻っていいなさる気か! 阿呆らしい! 家に幽霊が出るもんなら、なにも昨日や今日に来た貴女あんた一人の眼には映らんわ。親子三人番頭も小僧もこうして多勢いるに、今までにそういう人々の眼に映らんというはずがないじゃないか!」
 と親父は頭ごなしに呶鳴どなりつけました。阿母おふくろは阿母で離縁をしてくれなぞととんでもないことを言い出すには、何かそんな莫迦げた理由ではなくて、ほんとうの理由わけがあるに違いない。理由によってはそちらから離縁を望まぬでも、こちらから熨斗のしを付けて親許へ帰して上げるから、仲人を呼ぶまでのことはない、ここでハッキリした理由を言いなさいというようなわけで、彦吉これがここにいるために言いにくいのなら彦吉これにはしばらく店の方へ出てもらいましょう、といきり立つのでございます。お陰で私はしばらく莫迦な顔をして、店番を勤めていたような始末でございました。
 さすがにこう膝詰談判をくいましては、家内もただ恐ろしい怖いだけではすまされなくなってまいりましたのでしょう。泣きながら昨夜ゆうべからの一部始終をありのままにぶちけたものとみえまして、やがて私がまた奥の間へ戻ってまいりました時には、親父と阿母と家内との三人がまことに気まずそうに顔見合せながら坐っているのでございます。
「それほどお前が言うのでは、まんざら根も葉もないことでもないだろうが、困ったことが持ち上がったものだな」
 と親父は腕組みをして苦り切っていました。
「たださえ去年の秋から商売の方も旨く行っていねいのに、またこんな噂でも立った日にはよけい商売の方にも響いてくるし、弱ったもんだ」
「それにしても彦吉これが幽霊というわけでもあるまいに、なにもお前さんが彦吉までを怖がることもないだろうにね」
 と母も厭な顔をしているのでございます。
「……」
 妻はまるで自分が悪いことでもしでかしたかのように、切なげに俯向うつむいておりました。
「ところでそんなことばかり言っていても仕方がないが、さしづめ今夜のところですがね」
 と阿母おふくろが膝を乗り出してまいりました。だれの彼のというよりも、もしそういう自分の逢ったあの女の人そっくりの幽霊が出るものならば、わたしが自分で今夜はひとつ離れへ泊ってみようじゃないかね、と言い出してきたのでございます。
うらみのあるところへ出るというのなら話もわかっているが、なんの怨みつらみもないここの家へなんぞ出てケチをつけるのがわたしにはに落ちない。今夜出て来たらわたしだってもう容赦はないね。向う様どころか! こっちこそ、怨みの百万だら並べ立ててやらなけりゃ腹がえないよ」
 と阿母は煙管きせるを叩いて意気込みました。もちろんその反面には嫁いで来て早々妙なことを言い出してきた家内に対して、もし幽霊でも出なかったぶんにはそのままにはしておかないよという母の勝気な、いつもの気性がありありと眉の間にあふれていたのでございました。
「また婆さんがつまらねいことを買い込みよる。人が怖がることをなにも無理に買って出るには及ばねえがな。ほかに部屋がねえというわけじゃあるめえし、離れが気味悪かったら、なあに戸締めっ放しにして使わずにおけば済むことなんだから」
 と、親父は穏やかな気性ですから笑っておりましたが、母の気丈はよくのみ込んでいましたから、どうせ言い出したからには後へは引かないと思ったのでしょう。
「それもいいだろう。こんな強い婆さんに出て来られたら先様で面食らって引っ込んでしまうだろう。そいじゃまあそうと決まったら、さあもう若いもんは引き取ってやすんだがいい! 寝んだがいい!」
 とその時小僧が呼びに来たのを機会しおに店の方へ立って行ってしまいました。そんなことでまあこの騒ぎにもケリがついたのでございましたが、私と家内とで、店と奥との隣りの三畳の方へ、家内の嫁入りの蒲団をはこび込んでいました時には、阿母はもう昨夜ゆうべまで私たちの使っておりました例の蒲団の上に横になって、
「ああ極楽や! 広々とした座敷の中でこんな結構な蒲団の上にのびのびと寝てられるものを、お前さんたちは粋狂な人たちやな」
 と笑い笑い私たちを眺めて冗談なぞを言っておりました。
 それをまた私も笑いながら、蒲団を搬んでおりましたのですが、さすがに親父の寝ている隣り座敷だという安心があったのかもしれません。あるいは座敷が狭くて床を敷くともう幽霊の出てくる隙間もないほどに、一杯になったのに気持が休まったのでございましょうか。
 家内もまことに心が落ち着いて、初めて楽しそうな笑顔なぞを見せてくれましたのでつい私もうっかりして阿母おふくろの様子も気にかけずに安心して眠ってしまいましたのですが……。
 ハッとして夢うつつのうちに、思わず私は枕に頭をもたげて耳を澄ませました。
 かたわらに家内は、二日間の疲れが出たのか気持よさそうにスヤスヤと軽い寝息を立てて眠っておりましたが、どこか地の底からでも響いてくるような人のうめき声がかすかに耳を打ってくるのでございます。高く低く尾を曳いて、まるで喉首でも締めつけられているような、総毛立つほど厭な魘され声でございました。
 阿母おっかさんだな! と気がついて私がはね起きた時には、隣りで親父も眼を醒ましたらしい気色でございました。
「おとっつぁん、眼が醒めているのかい?」
「魘されているようだな」
 と親父もしわがれ声でございます。
「なんだな大きなことを言って! だから止せばいいのに、から意地はねえじゃねいか! 彦吉! 起してやりねえ!」
「よし起して来てやろう」
 と私が障子に手を掛けた途端、ひときわ高くううむと身の毛のよだつような声を張り上げたと思いましたが、それっきりパッタリと声は途絶えて、離れからはもう何の物音も聞こえてはきませんでした。
「なんだか様子が可怪おかしいぞ!」
 と親父も気に掛かるとみえて起き出したらしい工合です。変に胸騒ぎがして廊下を離れの前まで行って、
阿母おっかさん! 阿母さん!」
 と呼んでみましたが、内部なか洋灯ランプも消えて何の物音もしないのでございます。もう猶予はできませんから障子に手を掛けて一思いにがらっと引き開けようとしましたが、どうしたことか障子が磐石ばんじゃくのような重さで開かないのでございます。
「いけねえ! 変だ!」
 と親父もいつの間にか背後うしろに突っ立っていて、一緒になって開けようと焦ってみましたが、開かばこそ! ふと気づいて隣りの障子に手を掛けましたが、これもまた敷居際につかえて滑らかに開きません。苛ら立ち切ってうんと力をめると一緒に、障子は敷居をはずれて物凄い勢いでドサッ! とおおいかぶさるように縁側へ倒れかかってまいりましたが、一瞥ひとめ見るといきなり私は「阿母さん!」と夢中で取りすがりました。
 外から開かなかったのも道理! 肥った母は寝巻の胸もはだけたまま、よほど苦しんだものとみえて、両手を開けるだけ開いて、障子に向って大の字なりに縋りつきながら、眼を吊るし上げてもう息は絶えていたのでございました。

 せっかくのお望みでございますから、私の存じておりますことだけは申し上げましたが、どうぞ阿母おふくろのところはこの辺で御勘弁下さいまし。
 ともかく母の初七日も済んだ後、親類どもも寄り集まりましていろいろと後々の相談をいたしましたが、結局だれ言うともなく、どうも蒲団に何か怪しい怨霊おんりょうでもいているのではないかということになりました。
 この蒲団を仕入れましてから、商売も左前になったり家中が陰気臭くなっておかしなことばかり続きますし、それに現に亡くなった晩も、阿母おふくろは、あの蒲団を敷いておりましたが、私どもは幸か不幸か、座敷を変えておりましたばっかりに、蒲団も家内の持ってまいりましたのを使いましたからなんのこともなかったのでございますが、どうもこの蒲団に何か怪しいことがあるのではなかろうかということになりまして、初七日の法事も済んだあと、親類どもにも集まってもらいまして、この蒲団をほどいて見たのでございます。
 中の綿もいちいちみほぐして丹念に調べて見ましたが、掛け蒲団にはなんのこともございませんでした。夜着にも別段変ったことはございませんでした。それから敷蒲団――これも一枚の方にはなんの変ったところもございませんが、残る一枚の方、つまり私どもの重ねた下の方に当る分なのですが、これを解いてまいりますと、真ん中頃に二カ所どす黒くコチコチに乾干ひからびた、どうも血らしいものの付いているところがございました。
 さてはとここを取り分け丁寧に解きほぐしてゆきますと、どうでございましょう! カラカラに乾干らびた女の片手の指が五本……よほど鋭利な刃物でバラリと落したものでございましょう、肉なぞはすっかり落ちて、れ撚れになった皮膚が白い骨と爪だけに纏わりついて現れてまいりました。
 それともう一つ、……これはいかにも申し上げにくいのでございますが、御婦人のある場所をえぐり取ったとみえて、これも白くカラカラに乾干らびきった皮膚が、ただ一掴みの毛だけはそのままに綿にくるまって出てまいりました時には、その場におりました者七、八人思わず「っ」と叫んだきり、あまりの不気味さに顔色を変えぬものはございませんでした。
 手の指の方はともかくとして、御婦人でこの場所を抉られましたらもうどんなことをしましても命のあろうはずはございません。なるほど亡くなった阿母おふくろが話し合ったというあの美しい女の人も、家内の見ました怨霊も、腰から下が血まみれになっていたというわけがようく私どもにも合点がまいったのでございます。
 存ぜぬ昔ならばともかくも、もうこういうことを知りました以上一刻でもこんな蒲団を家へ置いとくわけにはなりませんから、すぐ元どおりに縫いつくろって、私どもの菩提寺の舒林寺じょりんじというのへ何はともあれ預かってもらうことにしたのでございました。
 実はその時警察の方へも一応届けたらという話が出ぬでもございませんでしたが、いまさらこんな日数の経ったものを警察へ届けたからとて、亡くなった阿母が戻ってくれるものでもございませんし、それよりも何事も因縁と諦めて、どういう身の上のお方かは存じませんが、こんなむごたらしい殺され方をなすった方の後生をようくお祈りして上げたらということになって、いちおう菩提寺の方へお預けしたようなわけなのでございます。


 その後舒林寺の住持の方からもお話がありまして、こういう怨霊のこもったものはこんな小さな田舎の寺に置くよりも、いっそ総本山の増×寺へお納めして、今の大僧正様は近代での名僧智識と評判の高いお方だから、こういうお方に引導を渡してもらったならば、この非業ひごうな最期を遂げられた御婦人も安心して成仏ができるだろうから、そうなさったらどうだろうかという御相談でございました。もしその気持があるのなら、わしも一緒に行って、ようく大僧正様に頼んで上げてもいいとの親切なお話でしたから、さっそく親父にその話をいたしましたら、阿母おふくろを亡くしましてからめっきり気が弱くなっております親父は、一も二もなく賛成してくれまして、ぜひそうお願いした方がいいと申すのでございます。
 で、親父の代りに私と親類の者と、それから御住持との三人で蒲団とそのほかにお経料として五十円携えて上京いたしまして、増×寺様にわけをお話してようくお願いしてまいりました。増×寺様でも快くお引受け下さいまして、ねんごろ回向えこうをしておくから、もう何にも心配せずに安心してお帰りと仰せて下さいましたので、はじめて私どももほっといたしました。
 ところがどうでございましょう。不思議なことには、去年の秋親父が仕入れから帰ってまいりまして以来、急に店がさびれ出して、さきほども申し上げましたように、まるで物怪もののけに憑かれたように暗くじめじめとしておりました家の中が、増×寺様から帰ってまいりますと一緒に拭ったようにからっと晴れ渡りまして、店へ見える客も、働いております番頭や小僧たち、すすけた天井の隅々までも、気のせいか見違えるように明るく生き生きとしてきたことでございます。まるで雨降りあげくに、青空が顔を覗かせてきたような工合でございました。本来なれば阿母があんな悲業な最期を遂げまして、家の中はいっそう陰気さを増さなければならなかったはずなのでございますが、かえって思いもかけずその反対になってまいりました時には、今まで知らなかったこととは申せ、あの蒲団にからまる怨霊の恐ろしさに、いまさらながらただただ震え上がらずにはいられなかったのでございます。そしてこれもひとえに増×寺の有難い御引導のお陰と、手を合せておりましたのでございますが、しかもそれがどうでございましょう。忘れもせぬ、三月の二日、ちょうど私どもがお納めして安心して帰ってまいりましたその翌る日に新聞を見ますと、あの結構な増×寺が時も時私どもが蒲団をお納めして帰りましたその晩のうちに、原因分らずの怪火を発して見る間に焼け落ちてしまったと出ているではございませんか!
 恐ろしいことだと思いました。因縁でございます。何事ももう因縁でございます。そうとよりほかには、もうなんと申す言葉もないのでございます。
 そう思って私どもはそれ以来、名前もわからず所もわからぬままに、御住持にその御婦人の戒名かいみょうを書いていただいて、阿母の位牌に並べてこうやって朝晩拝んでいるのでございます。御覧下さいまし、仏壇のあの右の方に並べてある白木のお位牌がそれでございます。そうそう、その時念のために親父に書いてもらった所書を見て、その蒲団を買った芝の露月町の小さな古着屋さんとかいうのを訪ねてみましたが、名宛の所にはそういう人は住んでいず、どうしてもわかりませんでした。諦めて帰ろうとしておりましたところが、ようやく煙草を買いにはいった家で、その古着屋さんならば、もう七、八カ月も前にお内儀かみさんとかが発狂して、御亭主は子供とお内儀さんを連れて夜逃げ同様在所の方とかへ引っ込んだということで、しみじみ恐ろしいことだと思いました。
 え? 親父でございますか? もうこれもとっくに亡くなりました。
 阿母おふくろもあんな死に方をしたもんだから、その因縁の絡まる怨霊の主の素性をぜひどうにかして知りたいもんだ、と生前口癖のように申しておりましたが、七年以前にふとした風邪がもとでポックリ亡くなりました。死ぬ以前からめっきり気が弱くなりまして、仏いじりばかりいたしておりましたが、これもやはり因縁なのでございましょう。





底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
   1994(平成6)年7月29日第1刷
初出:「オール読物」
   1937(昭和12)年9月
※表題は底本では、「蒲団ふとん」となっています。
※「っと」と「ほっと」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2020年9月28日作成
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