昨年の八月中頃、ヒューゲッセン大使負傷事件を契機として我が国に対する英帝国の態度が、そろそろ敵意を帯びた奇怪なものに映り出していた頃であったと記憶している。何かの用件である日の夕方、ヴァローダ商会という印度商館へ訪ねて行ったことがある。電車通りに面した事務所には、相変らず所狭いまでに各種の器具機械類が並べられて、三人ばかりの日本商人が注文欲しげな顔で売り込みに控えていた。そして番頭のジョージ・依田という二世の少年や、そのほか私が顔も見知らぬ印度人たちが主人公のカパディア氏の周りに、立ったり腰かけたりして店はいつものように混雑を極めていたが、
「
HALLO!
HALLO!」とその中を分けて、カパディア氏は懐かしそうに私の手を握った。自分の机の側に
椅子を勧めながらそこらにいる印度人たちに、「
MR・タチバナ! K・
三田谷商店の
支配人で
有名な
作家!」と紹介してくれた。
有名な
作家とは驚いたが、外国人の中には得て自分の友達をこういう風に高く祭り上げて、暗に日本における自分の交際を誇示したがる人々がある。どうせ相手は日本語のわからぬ印度人だし私だって生れた時から実話書きになるつもりで世の中へ出て来たわけではないから、たまに一度ぐらいは有名な作家
面もしてみたくなるヨ。ともかくそのまま、高名
雷のごとき顔をして腰を落ち付けたと思ってくれ。どうぞよろしくと小腰を
屈めて名刺をくれる黒チャンたちは、いずれもシャシカント、マヘンダーラ、ワサント、ナナヴァティなぞという印度人特有の妙な名前をした連中ばかりであったが、今何をお書きになっていますかとか、どういう
物語に興味がおありですかなぞと、知らぬが仏ですっかり大作家扱いをして聞くから私も悪い気はせず、
頤を
撫でながら感極まっていた。そのうちにジャヴェリという大変なものを読んだ
代物があらわれて、
「
MR・
谷崎の
春琴抄を英訳で読みました。
主題がそう優れているとは思いませんでしたが、人物の性格は大変面白く感じられました。タニジャーキという作家はどのくらいの地位の人でしょうか?」と聞くから、
「有名でしたが彼はもう過去の人です。今はあまり書きません」と軽くコナシてしまって、今はもっぱら
MR・タチバナの時代であるというような顔をしてくれた。ジャヴェリはもちろん詳しく日本の様子なぞ知っているわけではないから、ほんとかと思ったのであろう。それですっかり
堪能して、もっと
MR・タチバナの文学上の意見を聞かまほしやというような顔をしたが、これらの話の間カパディア氏は不自由な
片語の日本語で日本の商人たちと値段の交渉をしながら、
「しばらく顔を見せなかったが病気でもしていたのか? 一度逢いにこちらから訪ねて行こうかと思っていたところだ」というようなことを言って、今すぐ用事も終るからゆっくりして行って欲しいとお世辞を並べた。が、私はさっきからナナヴァティやシャシカントらの
輩と話はしながらも、眼だけはすこぶる変った人の上に注いでいたのであった。それはジョージ・依田がタイプライターを
叩いているすぐ
後方に掛けて、表通りへ眼をやったり、耳を傾けるともなくこちらの方へ
靨の
泛んだ顔を向けている、年頃十八、九ぐらいの可愛らしい少年の姿であった。この少年だけは珍しく
頭布を巻いて、
凄い光を放った飾りの宝石をそこに着けていた。日本で買ったらおそらく百円以上もするかと思われるくらいの、
贅沢なよく身に合った純白の麻の背広を着て、斜めに筋の走った真紅のネクタイを結んでいた。キリリとした可愛らしいその姿よりも、私はこの少年の容貌の秀麗さに思わず
見惚れてしまったのである。なんという気高そうな愛くるしい少年の顔か。印度人なぞにこれほどの優れた美少年があろうとは、まったく私にとっては生れて初めての驚きであった。絵から抜け出してきた西洋の王子そっくりの顔であった。女にもして見まほしいくらいパッチリと見開いた黒曜石のような瞳、そこには近眼鏡を掛けていた。キリッと通ったアーリヤ人種特有の高い鼻、丸顔で、皮膚の色だけはまったく周囲の黒い人たちとは違っていた。もちろん白人ではない。印度人には違いないのだが、非常に薄く
鳶色を
刷いて、その上へ
仄白く
蒼みを掛けたとでも形容したら言い表わせるのだろうか。
MR・タニジャーキを蹴飛ばしたり、ワサント、マヘンダーラたちを相手にしながらも、
貪るように私は少年の
麗しさに
見惚れ切っていた。眺めれば眺めるほど、ほとほと感に
堪えざるを得なかった。この美しさに較ぶれば、ただ白いばかりで
肌膚の粗い
生毛の生えた西洋の女の皮膚なぞというものは、味も素っ気もない瀬戸物の
破片みたいな気持がした。初めて私には、
真実の美しさというものは白人よりもむしろ磨きの掛かった優生の東洋人に存することを感じたのであった。少年は
微笑んだ顔を時々私の方へ見せているだけで、また窓から往来を眺めているが、卓絶した気品はあたりを払わんばかりであった。
「
MR・カパディア、素晴らしい子供がいますね。誰です、あの子供は!」と私は
唸らんばかりの勢いでカ氏の
肘を突いた。一瞬ハッとしたように当惑の色がカ氏の
面を走ったが、
「私の
兄弟です。今度日本へ来ました」
「
兄弟?」と驚いて、私はカ氏を見たが、粗製の真っ黒な顔で笑っているカ氏の様子ですぐ冗談とわかった。もっとも様子で見せなくてもこの黒く焦げついたカ氏とあの子供とが兄弟であるとは、まず
盲目でもない限り誰も信じるものもないであろう。
「今度印度から来られました、私共の恩人のお子さんです」と、すぐカ氏は真面目な顔に帰って紹介した。そしてよほど
鄭重に取り扱っているのだろう、うやうやしく立ち上ってカ氏の母国語のカッチ語で何かその子供に話し掛けた。やがて子供は
鷹揚に
頷いて、立ち上ると、
「初めてお眼にかかります。
MR・タチバナ!」とにこやかに目礼した。
「お名前は?」と聞いてみたら「シュータン!」と言った。あどけなく唇をややつぼめ加減に発音したのが、なんとも言えず可愛らしく見えた。しかし私にはその発音はサルタンと聞えた。
「サルタン?」
「
NO! シュータン!」ともう一度子供は唇をつぼめた。それでも私が解せぬ風でいると、静かに立ち上って来て側へ席を占めたが、今私がカパディア氏と話をしながら
弄んでいた鉛筆を
執って Sheutan と
綴ってみせた。ひとしきり私との間にいつ日本へ来たかとか、日本は気に入ったかというようなごくありふれた初対面の外国人との会話を交えたが、もちろんこんな質問に対する返事なぞは聞いている私の方でも興味なぞは感じてもいなかった。そんな返事はすべての外国人いずれも判で押したように「
大変美しい」とか、「イエス!
驚くほど!」とかいう紋切り型のものであった。ただ不思議に感じたのは、この少年がさっき立ち上って来る時にも並いる印度人ことごとくが
椅子から立って、
慇懃な
挙動で通路をあけてやったが、部屋が混雑しているからそうするのかと思っていたら今またこうやって私が少年と無遠慮にしゃべっている間印度人たちは、いかにもハラハラしたように私の方を眺めていることであった。どれほど世話になった恩人の子かは知らぬが、下らぬ心配をするものだと、
可笑しく思ったが、初めて見る少年の
頭布に私はすこぶる興味が湧いたからどういう風にそれを巻くのか見せて欲しいと言った。少年は気さくにすぐ頭へ手をやって幾つかの宝石を
鏤めたピンを抜いて、頭布を解きに掛かった。見守っていた印度人たちはまた急いで駆け寄って手を貸そうとしたら、少年から
母国語で注意されて恐縮したように
凝乎と眺めていた。
「同じような形はしていますけれど、これは
頭布とは言いません。
頭布と言って非常に身分の高い人が使うものなのです」と傍からカ氏が口を出した。今も言ったとおり何を小さくなってやがる、この印度人ども! といった気持であったから私はカ氏の言葉など、大して気にも留めていなかった。
頭布が解かれると左から右分けにした房々と
恰好のいい頭髪があらわれて、少年は解いた頭布を私に示してからまた巻きに掛かった。が、巻くのにその手数の掛かることは! ものの五、六分間も掛かったであろうか。さすがに私も心ないことをさせてしまったと、気の毒なくらいであった。実は今まで私は、
頭布なぞというものは、布を巻いた形をしている一種の帽子とばかり思っていたが、恰好を取りながら実際に頭へ巻いてゆく手数の掛かるのには
呆れてしまった。そしてその呆れたのよりも頭布の
綺麗なのにはなお一層呆れてしまい、頭布の綺麗さよりもそこに
鏤められて巻いた上に挿される幾つかの宝石の大粒な美しさには、さらに眼を廻してしまった。机の上に置かれた金脚のついた宝石の一つを
弄りながら、
「これは何という宝石?
金剛石ですか?」
と聞いてみたら、
「ほんの
硝子みたいな詰まらないものです」
と少年はにこにこしながら、
凝乎と私の顔を観察するように見守っていた。やがてその宝石を私から受け取ってから
頭布に挿すのかと思っていたら、黙って手を延ばして私のネクタイへ挿してくれた。少し
草臥れ加減の私の二円五十銭のネクタイは、たとえ
硝子でも
燦然たる光のせいで、たちまち五円ぐらいの値打に
競り上ってしまった。
「どう思う、
MR・カパディア! これで私のネクタイは、英国製の十五円ぐらいの品物に見えるか?」
と聞いてみたら、
「
OH、イエス! イエス! 十五円どころか! 私の国の
太子殿下のように見える」とカ氏は面喰らって、周りの人たちと眼を見合せて笑った。少年は面白そうに片頬に
靨を
泛べながら、何か
母国語で言っていた。涼しい声であった。私のことを言っているに違いないと察したが、おそろしく母音の多いその言葉はもちろん私なぞには一言半句もわかりようはずもなかった。私はただ半面を見せて少年らしく笑い声を立てているその
華奢な横顔を、女のような美しさ――しかもその女も、優れた彫刻家が
一鑿一鑿に丹誠
籠めて琢磨した、名彫刻の美しさだと思いながら眺めていたのであった。大体その日私は用件でも早く済んだら久しぶりで銀座へ出て、映画でも見て飯でも食おうかと思っていたのだったが、この黒い印度の大群を引き具して行くだけの金も勇気も持ち合せてはいないにしても、せめてこの少年だけならば見るからに可愛い子供であったし……。カ氏との用事も思いのほか早く済んでしまったので、何ということなしに私は
吻とした気持を感じて少年の
面に目を移した。
「もう、東京が一人歩きできますか?」と聞いてみたら、少年は困ったように肩をつぼめて、
不可能な様子を示した。それなら帰りにどうせ私はここを通るから、連れて帰ってあげるが一緒に面白い所へ行ってみませんかと私は誘ってみた。周りの印度人たちは妙に不安そうな顔をして、私と少年との問答を打ち見守っていたが、
「どこへ」と、微笑みながら少年が聞いた。
「わずか五十銭ばかりの金で、頭の
憂さをすっかり吹き払って、アルコオルなしで
楽しむことのできる所へ!」
「どこにそんな面白い所があります?」
「当ててごらん!」と私は笑った。
「
映画」
「そう
穿じくらないで、ついて行くのならさあ行こう! その代り私はあとで
美味しいものをあなたにご馳走してあげる」
「
有難う」と少年は上眼遣いにまじまじと考えていたが、「オーライ! 連れてって下さい!」と気さくに立ち上った。がまたもや驚いたことには、私と少年とが外へ出ようとした時には、カ氏も他の印度人たちもぞろぞろと
随いて来て出口に
佇立しながら、右手で胸を抑えた直立不動の姿勢で第一公式の礼をした。
吃驚して一瞬私は
嘲弄されたような気になって眼を
瞠ったが、恩人の子供だといったカ氏の言葉を思い出して、いくら恩人の子供にしたところでこうまで
莫迦莫迦しい時代離れのした取扱いをする必要がなぜあるのだろうかと、この亡国連中の礼儀の
仰山なのにはほとほと腹を抱える思いがした。そしてそう思いながら、今後を追って来た一人に何か言い付けている少年の後ろ姿を眺めていると、こんな美しい子供が住んでいる印度という国について、何の興味をも持っていなかった私自身の心をそこに振り返るような気持がして、
凝乎と
佇んでいたのであった。
今も言ったとおりそれまで私は、印度なぞという国に対しては何の興味もなく別に知りたいという欲望もないのであったが、それがヴァローダ商会に出はいりしてカパディア氏らとたびたび話をしているうちに、知らず識らずに印度の知識を注入されて、この頃では一通りさまざまなことを
弁えてきたのであった。たとえばガムシャラなくせに子供の時分から私は雷が大嫌いで、いい年をした今でも夏になってピカリゴロッ! とくると顔色を変えて座敷中をウロウロして女房に笑われるのであったが、その雷が印度――殊にカパディア氏の国のヴィルプール国の南東境を限るトラウデヤ山脈地方においては、いかに地軸も砕けんばかりに猛烈なものであるか。五月末雨季になりたてにデカン高原地帯を越えて吹いてくる
季節風が、いかに
凄まじい雨を伴ってくるものであるか、そしてその雨が日本なぞでは到底想像も付かぬくらいに土砂降りで、見る間にアスファルトの舗装道路の上一尺も高く川を作り出すということなぞ。あるいは印度においては今なお
種姓の観念が依然としてはなはだしく、印度人は英国の虐政に泣きつつ一方においては自分らの仲間の
賤民階級三千万にどれほどの酷薄な待遇を与えているかということ、印度婦人は
幕組織という社会制度の
桎梏に
煩わされて一切の異性との交際を厳禁せられ、いかにすべての世相に背を向けて家庭内に
蟄居した生活を送っているかということなぞ。しかも一口に印度人と言ってもいかに多種多様の人種を包含して、全然語系を異にする言語が二十幾つも行われているかということ、したがってヴィルプール国においてはアーリヤ語系に属するグジラット語、カッチ語を半々に用いているけれども、わずか山脈を一つ越えた隣国ではもう語源を全然異にしたドラヴィダ語系に属するマラカラム語を用いているために、英語を知らず
印度語を知らぬ無智階級では、同じ印度人でありながらも全然意思を通ずる道もないということなぞ。そしてそうした言語と人種の複雑した
間隙に乗じて、英国政府はいかばかり印度人を強圧し虐遇しているか。
現在
英領印度と称せられている中にもなお国内的にそれぞれ独立した総理大臣を持ち、内務大臣、大蔵大臣らの内閣組織を整えた王国三百七十幾カ国を数え、ヴィルプール国もまたその一つであったが、これらの各国王は、英政府の離間政策によって隣国との
誼みを結ぶことも許されず、
印度総督の派遣する
駐在官副知事代官等は、各王国居城に
豪奢な官邸を構え、
儀仗兵を付して威容を整え、各
国王の内政に
容喙して、貢納金の取立て
峻厳を極めている。すなわち英国政府は全印度人に苛酷の重税を課して生活を極端に低下せしめ、印度人は小刀を除く一切の剣、猟銃、拳銃等の武器の携帯を禁ぜられているほか、もしいささかでも英国官吏を
誹謗する印度民衆があれば直ちにこれを
讒謗律の重刑に処し、印度は殺されもせず生かされもせず牢獄のうちに閉じ
籠められて、ただ原料と製品の消費地として、その富を英本国へ移し植えられることにのみ役立っている。しかも今日印度の津々浦々各町村に英国の密偵が入り込んで、英政府の誹謗をする印度人の探査に努めている数はいかに
夥しいものであるかということ等々、私は別段自分が行きたいとも思わなければ、知りたいともかつて
冀わなかった印度の細かい事情がすっかり飲み込めて、ギラギラするような熱帯の風物下、英国の暴圧
裡に生きる望みを失って酔生夢死の生活を送っている印度大衆の姿が、この頃では眼に見えるように感ぜられていたのであった。もっとも以上のような事柄は智識的に言えば、何も必ずしもカ氏の説明を待つほどのことはなかったかも知れぬ。印度旅行記か地理の本でも開ければいずれも概念的にはすぐわかることばかりであったろうが、それがこうして直接に黒いカ氏の口から聞かされると、そこには何かしらまた本から受ける感じとは違って生き生きと胸を打つものが迫ってくるようで、私の心を見も知らぬ遠い熱帯の国へ
繋ぎ止めていたのであった。ことに私の
魂消たのはヴィルプール国の王宮なぞと言ったところで、どうせ英国人のいわゆる
土侯ぐらいのものであってみれば大したものでもなかろうと高を
括っていたにもかかわらず、カ氏の見せてくれた写真で驚いたことには、その荘厳華麗を極めていることであった。緑
滴る眼も遥かな芝生の
彼方此方には
鬱蒼たる
菩提樹がクッキリした
群青の空を限って、その樹陰を透かして広やかな泉水の彼方には高塔高く雲を突いた五階建ての
燦然たる白大理石の宮殿が糸杉の並木に囲まれて
聳え立っていた。そして左手遠くなだらかな丘の
麓に
殷賑な市街を見下ろした雄大な景色は
莫迦にしていた私の想像を根柢から裏切って、思わず眼を
瞠らしめたのであった。
カ氏は写真のあちらこちらを指して、この辺に
太子殿下の設けられた
蚕業試験場があり、この辺に太子殿下の作られた無料図書館があり、丘の麓にある細菌研究所ではいつぞや私の方から納めた機械の二台が組み立てられて今頃は
調帯がかかって
唸りを立てている頃であろうと教えてくれた。大体がこのカ氏という人は非常に自分の王室を崇敬して二口挙句には「
国王陛下」とか「
太子殿下」だとか
土侯をまるで一国の元首扱いにしているような言葉を使うのであったが、私にはそれがどうも
滑稽で今まではカ氏の口から、
国王陛下、
太子殿下が出てくると、眼の前に坐っている黒い氏の顔から想像して、たちまち
跣足で鉄砲を
担いだエチオピアの兵隊サンを連想せざるを得ないのであった。が、今こうやって雄大な写真を眺めながら
凝乎とカ氏の説明に耳を傾けていると、さすがに私の認識も幾分改まってくるのを覚えた。まんざらハダシに大礼服を着た国王の姿も想像されなくて、やはり相当な威令と威厳とを備えている王室らしく感ぜられてくるのであった。が、それはともかくここに一つ、どうしても私には
頷きかねることがあった。それは氏の話によれば印度のほんとうの美人には、欧州人さえも食指を動かしてこれに
垂涎するものが
尠くないというのであったが、それだけは私には何としても承服できかねた。
なるほど、アーリヤ系の容貌は、鼻筋が通って眉が秀で、骨格は雄大であり、肉体上から観た人種としては、到底日本人なぞ
足許にも寄り付けぬ優れたものだと思っていたが、しかしこの
鍋墨のようなこんな汚い色の中にそんな美人があろうかとは、想像にも付きかねることであった。
カ氏の言い草によればカシミール地方北部、ヴィルプール地方の婦人は色白く世界にも定評のある典型的な美人が多いと言うのであったが、それもカ氏のような黒い印度人の眼から見ればこそ
渇仰に値するかも知れないが、私たちの眼からはやはりふだん見慣れている、日本美人や活動によく出てくる
聖林あたりの
亜米利加美人に優る
代物が黒サンの国に見出されようとは考えられぬことであった。
「これがボンベイの映画女優です。美人とは思えませんか?」と、あまり私がニヤニヤと信じられぬ眼付きをしているので、カ氏は
業を煮やして大きな
黛を
拵えた印度女優のブロマイドを持ち出してきた。なるほど顔立ちが美人でないとは決して言えなかった。夢見るような瞳をしてひどく濃情的な容貌は、もしこれが
聖林あたりの女優だと言っても決して恥ずかしくないだけの
縹緻をしていたが、写真ではもちろん皮膚の色もわからず、それに第一南国的なしちくどい肉感さは見ただけで
腎虚になりそうで私には感心できなかった。
「よろしい! 美人であるかないかは、人々の好き
不好きにもよることですから一概にも言えません。けれど、ともかく印度に来ている欧州人が非常な憧憬を持っていることだけは間違いありません。あいにく今手許にお写真がないのであなたにお見せすることができないのは残念ですが」といかにも残念そうに前置きしてカ氏は話し出すのであった。ヴィルプール王国ナリン
太子殿下の姉君カムレッシ
王女殿下がいかに美しいかという自慢話であった。
「初めて
仏蘭西のボギラール大佐が私の国を訪問された時だったと思います。大佐は
国王陛下に
謁見されましたが、
太子殿下はその折ちょうど旅行で御不在でしたのでカムレッシ
王女殿下がお逢いになりましたが、大佐は口を極めて王女殿下の美を
称えられました。まだこれだけの美しい女性を世界中で見たことがない。何と評すべきか。その美しさを称える言葉を見出すのに苦しむ。造物主が作った人間のうちで最も美しい最も気高い女性と言えば印度のカムレッシ王女であると、大佐は口を極めて賞讃されました。その後英国のマンチェスター・ガーデアン紙の
特派員も王女謁見記を新聞紙上に公にしましたが、カムレッシ王女殿下が欧州人の前で写真をお撮りになるのがお嫌だから写真を読者に示すことができないのは残念であるが、もし王女殿下がひとたび
巴里へ来られロンドンへ来られたならば、おそらく欧州一流の美女たちも王女の持たれる色づける皮膚の美しさ、気高さ、麗貌のこの世ならぬ尊さに顔色を失うであろう。哀愁を
湛えられた沈思の
眸と薄小麦色に蒼白さを交えた深みのある
肌膚の
艶やかさとは、到底自分らの筆をもっては表わすこともできないと書いていました」
私は込み上げてくる笑いを隠すのに骨が折れた。相手が外国人でなかったら「おふざけなさんな」と肩でも
叩いて笑い転げてしまうところであったが、大真面目で話しているカ氏の顔を見るとそれもできなかった。仕方がないから私も真面目な顔を装って調子を合せていた。
誰しも国の自慢を言わぬものはないけれど、ここまで通り越してしまっては、うっかり
相槌も打てぬと
呆れ返ったのであった。モジャモジャと熊のような毛の生えた真っ黒なカ氏の顔を眺めながら、こんな話を聞かされて私たらずとも
真正面に信じ得る人間が幾人あったであろうか? 気品が高いとか眼鼻が整っているとかいうのならばともかくも、欧州一の美女たちも驚倒するような絶世の美人ときては相槌を打っているのさえも
莫迦莫迦しくなって、しまいには私も黙って聞いていた。その口を
噤んでいる私の姿が、また、
逆せ上ったカ氏の眼には、私が共鳴感を表わしているとでも見えたのであろう、私を
瞶めて口を閉じていたが、たちまち悲憤の色を漂わせた。「その美しい王女殿下を、どうです、
MR・タチバナ、
暴戻な英国の官吏は臆面もなく恥ずかしめようとしたのです。
獣とも何とも評しようのない無礼極まる奴らです。彼らの眼には私たちの崇敬する王女殿下のお姿も土人の娘としか映ってはいないのでしょう」と
噛んで吐き出すように言った。「私はその頃王宮内の図書館に働いていたのですが……」
そこでカ氏が私に話してくれたことを要約してみると、王女はその時何かの用事で珍しく
後宮を出て、表御殿のナリン
太子の部屋へお見えになっていられたが、あいにく太子は部屋においでがなかった。ちょうどその時刻ヴィルプール
駐
の英国
駐在官サー・ロバートソン・ジャルディン
卿は、国王に
拝謁して退庁しようとしてたまたま王女の
艶やかなお姿を、開け放した
扉の向うに垣間見た。
王女の美しさに胸を焦がしていた独身の
駐在官は、折悪しくそこに侍女や侍僕の姿の見えないのに安心して、つかつかと部屋の中へはいり込んで行った。そして兼ねての思いを掻き口説いたが、英国主権の悲しさには王女は王宮内に絶大な権力を
奮っているこの厚顔な英国駐在官の無礼な恋を無下に
斥けられることもならず、当惑しつつも柳に風と受け流していられた。が、あまりに人もなげな無礼さと英国宗主権を
嵩にきた駐在官の執拗さに、身をもって
免れようとされた瞬間、誤って手に持った
刺繍用の針が相手の身体に触った。それが駐在官の頬を破って血を流したが、血を見て
嚇と猛り立った駐在官から身を
翻して、王女は王宮の廊下を
後宮の方へ駆け出して来られた……。そこへ太子は階段を上って帰って来られたが、姉上に対する駐在官の無礼を見られると、いきなり手にせられた乗馬用の
革鞭を奮って駐在官
目蒐けて打ち降ろされた。人に見せまじき場面を太子に目撃せられて血迷った駐在官は、逆上して、相手の見境もなく悪鬼のように躍り
蒐ってきた。一度は太子もそこに
薙ぎ倒されたが、二度目に躍り蒐ってきた駐在官はその瞬間太子の引き離された拳銃のために、一発の下に、その場を去らず射殺されてしまったということであった。
「私はその頃ちょうどボンベイ大学を卒業したばかりのころで、太子図書館ノートの整理をしていましたが、この騒ぎを聞いて王宮前の広場へ駆け付けました時には、
駐在官の屍体がちょうど白布に
掩われて
担ぎ出されようとする時でした。太子殿下や王女殿下の御身の上に間違いはなかったかと広場前に
佇んでいましたが、急を聞いて、同じ心の市民は続々と広場に集ってきました。口々にナリン
太子殿下の万歳を唱え始めましたが、やがて太子殿下は露台へ姿をお現しになって私共に向って御会釈をなさいました。右手に
繃帯をしていられましたようですが、ふだんと何の変った御様子もあらせられず穏やかに微笑んでいらっしゃるのを見ました時には私共国民は、感激のあまり、まったく
嬉し涙が
零れ落ちました。そして私たちが安心して帰り掛けていますと、どうでしょう英国の兵隊が――各王国に英国は必ず
屯管区を設けて、英兵と印度兵とを混入して
拵えた
帝国貢進兵というものを駐屯させておきましたが、その駐屯兵を繰り出してきて王宮をぐるっと包囲させたのです。しかも血迷った英国士官は本国の威力を示すためか、いきなり馬上から指揮刀を挙げて、この大群集を
目蒐けて小銃の乱射をさせました。何の
罪咎もない身に
一挺の小刀すらも帯びぬ市民たちは、たちまち血煙立ててそこに数百人の死傷者を生じました。その
阿鼻叫喚の
直中へ、騎馬兵がさらに砂塵を挙げて
吶喊してきました。
馬蹄に掛けて群集を蹴散らさんがためなのです。その時いずれの印度人も
眥を挙げて、いつの日にか英国への
復讐を誓わぬものとてはありませんでした。あらゆる抵抗力を奪われている私たち印度人はただ眼を挙げて、王宮の露台に佇んで
凝乎とこちらを
凝視ていられる太子殿下のお姿を見返り見返り退散しましたが、殿下はその時右手をお挙げになりながら、私たち退散する群集の方を眺めていられました。声を挙げればたちまち英国兵のために暴動として撃たれますから私たちは黙々として涙をこびり付かせたまま帰りましたが、この時ほど私たち全民衆と太子殿下との心が一つになって、英国への
復仇を誓ったことはなかったのです。国を挙げて亡国となってしまった人民の気持だけは到底日本人たるあなたにはおわかりにもなりますまいが、私共印度人は今日では英国の前には両手両足を
縛られた赤子も同然です。血の涙が
零れましても何を一つ酬いることもできぬ身の上です。私たちはただ、王女殿下や太子殿下の安否を気遣って王宮へ駆け付けたに過ぎません。英国へ何の異心を企図していたわけでもないのです。しかもこの無抵抗な私たちさえも、こうして集まって来さえすれば暴動の前提として、理も非もなく英国兵は馬蹄に掛けて
蹂躙ってしまうのです。
「これが人道を叫び紳士を
標榜する英国が、印度で
執る
常套手段です。英国人にとっては印度人の命ほど安いものはありますまい」
「しかし英国の派遣している
駐在官を射殺されては、たとえ太子であっても大問題が起るでしょう? それで太子には何の
咎めも掛からなかったのですか?」と私は聞いてみた。
「もちろん問題になりました。しかしもしナリン太子殿下に何らかの危害を加えれば、今度こそ武器はなくてもヴィルプール全国に大暴動が突発することを英国側でも気付いていたのでしょう。もともと
駐在官のジャルディン卿がよくないのですから、一時は憲兵が来、高等法院長が来て険悪な状態を示しましたが、到頭
有耶無耶のうちにこの事件は葬られてしまいました。
判然したことはわかりませんが、このことのために
国王陛下は、わざわざ
首府まで
印度総督を御訪問になって、ジャルディン卿遺族の弔慰その他に大分の
国帑をお
費いになったというもっぱらの評判でした。お年は若くても私共の太子殿下は、印度各王国中で一番
英邁なお方として従前から隠れもない評判のお方でしたが、私が感じましたのは、そうした非常の際の太子殿下のお姿だったのです。お身の上が危ないと、今日明日にも危ないとその噂とりどりの最中でも、ふだんと少しのお変りもなく王宮内のいろいろな研究所の中でさも楽しそうに所員の研究報告なぞに耳を傾けておいでになるのです。私の勤めておりました太子図書館へも時々御見えになりましたが、穏やかな御様子で私たちまでにも御会釈になって、これがあの
傲慢無礼な英国官吏を
懲して王室の威厳を御保持になった方とも思われないくらい、女にもしたいほどのお優しさでした。そのお姿を眺めました時に、世が世ならばこういう空位を擁するお方としてではなく、かかる英邁剛毅なお方をこそ、我が王国の指導者と
崇めたい気持で、私は胸が一杯だったのです。
嬉しいに付け悲しいに付け、亡国の民の心ほど頼りない淋しいものはないのです」と、カパディア氏はこの長い物語の結末を結んだ。
私も机の上に頬杖を突きながら
凝乎とカ氏の話に聞き惚れていたが、この時だけはさすがに亡国の民族の哀れさが聞いている私の胸にまでも
滲透して、
真正面にカ氏の顔を眺めているにも忍びぬ気がしたのであった。もちろんカ氏も、こんな悲憤
慷慨の話を最初から始めるつもりでもなかったのであろう。初めは下らん印度美人の自慢話なぞからこんなことになってしまったのであったが、さすがに故国への哀愁や思慕やが胸を詰らせたとみえて、しばらくは黒い顔を
俯向けて言葉もなかった。やがて「忘れましょう、忘れましょう、いくら考えてもどうなる話ではないのですから」と迷夢から
醒めたように
頭を振った。「下らぬことを申し上げて、あなたにまで不愉快な思いをお掛けしてしまいました。どこかへ行ってお茶でも飲みましょうか」
「そうしましょう、どこかへ行って気持でも変えて爽やかにしましょう」と私も腰を浮かせたが、その途端であった。「そうそう……」とカパディア氏は重大なことを言い忘れていたといったように、急に面を輝かせた。「つい話の方に夢中になって機会を失していましたが、その今申し上げたナリン太子殿下が、今度日本へおいでになるのですよ。二、三日前私の方へも知らせがまいりました」
「太子が」と私も驚いた。「そんなことがあってお国にもいられなくなってでしょうか?」
「そんなことはありますまい。それは三年前にもう片が付いていることですから」とカパディア氏は苦笑したが、「ただ御来朝になるという知らせが二、三日前に突然はいっているばかりで、どういう目的でおいでになるのか、そういうことは一切わかっていないのです。あるいは欧州へでもおいでになる途中、お立寄りになるのではないかと思っているのですが」カ氏も解しかねる顔をした。「殿下がおいでになりましたら、あなたにも一度お引合せいたしましょうか? 平民的なそれは気持のいいお方ですから」とつけ加えた。「ええどうぞ!」と、私は別段ことさらに逢いたいと思ったわけでもなかったが、「どんな事情でおいでになるにせよ、太子にお逢いになれるということは
嬉しいでしょうね?」と聞いてみた。
「それはもう!」とカ氏も包み切れぬ喜びの色をあらわして、今しがた暗くした顔をにこにこと嬉しそうに
綻ばせた。「こうやって遠いあなたのお国へ来ていて、自分の国の太子をお迎えできるということはまた格別の喜びです。同じ印度でもベンゴール州からは随分たくさん日本へ来ていますが、ヴィルプールからは私も入れて十人ぐらいに過ぎません。そのうち六人の者に知らせがまいりましてからはもう大ハシャギで、寄ると
障るとその話ばかりで持ち切りです」と破顔した。「もし私の留守中にプラタラップさんが見えたらすぐ帰るからお待たせして!」と
女中に言い付けて、「お待たせしました。さあ、出掛けましょう」と私を促した。
なんでも六月末……それはまだこんな戦争なぞ、始まる前のことだったと覚えている。その時の話の太子というのは日本へ来られたのか、それともこんな戦争騒ぎで中止にでもなったのか! あまり、大して念頭にもないことだったのでついうっかりして今日まで忘れ切っていたが、今こんな美しい少年を見ると初めてその時のカ氏の話なぞがそれからそれへと思い出されてくるのであった。
「なるほどこんな素晴らしい少年なぞがいるようでは、その王女も相当に美人かも知れんな」とあの時ムキになって私に王女の美しさを力説したカ氏の顔を
可笑しく思い
泛べながら、私はさっきから少年と肩を並べて
駿河台下のヴァローダ商会から、
小川町の方へと灯のまばゆい電車通りを歩いていたのであった。
さて今少年と連れ立ったその夕方はまことに爽やかな、吹いてくる風が水のように涼しい晩であった。暑い一日も過ぎて美しい月が澄んだ夕空の向うに輝いて、久しぶりで気持の
寛いだせいもあったろうが、一気に自動車を飛ばせるよりも、何かこうゆっくりと良夜を楽しみたいような気持のする晩であった。自動車よりも省線電車を取りたいと思うけれど歩くのはかまわないかと聞いてみたら、「ええ、どうぞ!」という返事であった。
女の靴かと見
紛うばかりの光った
華奢な白靴で、コトコト舗道を踏んで
跟いて来る少年の姿を眺めていると、なぜかそんなことを問わずにはいられないような気がするのであった。
少年はこんな夜の東京の町を歩くのも初めてと見えて、いかにも楽しげに跟いて来る。やがて私たちは
万世橋駅のホームに立ったが、電車に乗ろうとする時に初めて少年の頬にチラと、当惑の色が
泛んだ。
「
一等車か
二等車はついていないでしょうか? まだ
三等車に乗ったことはないのですけれど」
よく日本にいる外人連中には目白押しをして乗る三等車を
厭うて、二等を選ぶ連中があったが同じ当惑をこの小さな印度の少年の頬に見たのであった。
私は苦笑して
贅沢を言うなと無理に三等車へ押し込んでしまったが、車内にはいると同時に今度は私の方がてれてしまった。
頭布に付いている無数の玉が電灯の光に反射して、少年は
硝子の玉だと言っていたが、なかなかもって硝子どころではない輝きを放ち出した。その上、美しい少年の
面は満員の乗客の注目を
惹いて、乗客たちは言い合せたようにジロジロと少年の姿ばかりに視線を送った。私は閉口して、得意になってこういう少年を連れて歩いていると人が思やせんかと電車が有楽町へ着くまでなるべく少年と離れ離れになっていた。停車場を出ると何ということもなく日本劇場へ足を向けたが、表には黒山のような群集が切符の順番を待って、長い列を作っている。それが少年には厭わしそうに見えたので、日比谷劇場に足を向けたが、ここもまた一杯の人で二階へ行っても階下のどの
扉を開けてみても
溢れんばかりの観客であった。せっかくはいってはみたものの当惑して、映写中の
森閑とした休憩室に少年と肩を並べて
靠れていると、突然少年は涼しい眼を挙げてこんなことを言い出した。
「
切符は全部五十銭ばかりなのでしょうか?」
「なぜそんなことを聞く?」
「私はあなたの御好意は感謝しています。まだこうして東京市中をゆっくり散歩したことがありませんから、大変愉快を感じているのです。ですけれどなぜこの劇場は、
切符を一番高いのと中くらいのと安いのと三通りくらいに分けておかないのでしょうか。そうすれば誰でもゆっくりと映画が楽しめると思うのです。全部五十銭というのは
平民的に見えますけれど、かえって不便ではありませんか。その身分に応じて人は楽しむのがいいと思うのですけれど、あなたは何とお考えになるでしょうか」
私は
吃驚してあどけない少年の唇を眺めていた。
「御免なさい! 私はそれに気が付いて、今大変興味を感じたのですけれど、あなたにはこんな話は詰らないでしょうか?」
「かまいません、続けて!」と私は吃驚しながら先を促した。
「ボンベイやカラチなどの都会にはたくさんありますけれど、私の国にはまだ映画館の設けがないのです。それで私は日本へ来るちょっと前に映画館を一つ
拵えよう思い立ちました。映画による
教育と
宣伝の力がどんなに、無智な人々にも大きく働き掛けるかに気が付いたからなのです。
計画を拵えただけで私はこちらへ来てしまいましたから今年の十一月ごろでないとでき上りませんが、初め私はその計画を考えた時、入場料は一切取らない予定を立てたのです。私の周囲の者たちもそれに賛成してくれました。しかし近頃私は、自分の考えが間違っていたことに気が付きました。無料では人々の自尊心を傷つけて、富める階級はそこへ足を向けないことに気が付いたのです。貧しい階級だけは業務を
擲って、毎晩のように見に来るでしょうけれど、毎晩見に来るのもよくなければ、ちっとも見に来ないのも困ります」と少年は綺麗な眼を
微笑ませた。
「私のつもりでは教育の場所を拵えるつもりなのですけれど、見に来る側では娯楽の場所を与えられたつもりになるでしょう。そしてそう思わせることがいいことなのでしょう。ですから、私は境遇に
相応しいだけの、自尊心を傷つけないだけの入場料を区別せよと命じました。一等は四ルピー、二等は二ルピー、三等は半ルピー、四等は無料、しっかりそう決めたわけではありませんけれど、大体そんな風に考えました。そして私は今夜ここへ来てみて、私の考えが間違っていなかったことに気が付きました。私はこのことを早速国へ書き送ってやるつもりなのです」
私は
呆れ返って
凝乎と少年の顔を眺めていた。
「
MR・シュータン! もう一度あなたの年を教えて欲しい!
幾歳と言った?」
「
十九歳……お忘れになりました?」と少年は笑いながら顔を
傾げた。
まったく私は考え込んでしまった。諸君もそれを感じられるであろうが、日比谷劇場は日におそらく数千数百の人々を
呑吐しているに違いない。しかし映画を見るべくあの廊下に
犇めいている日本の少年たちのおそらく幾人が、これだけの考えを
懐きながら廊下をそぞろ歩いていただろうか。恥ずかしいが私も未だかつてこんなことは考えたこともなかった。がそれよりも私の驚いたのは可愛い顔をしているくせに少年の
口吻がなんとなく、一家の見識を備えて、威厳
自ら備わるあるものを
迸らせていることであった。しかも映画館を一つ作ることを私は命じておきました、と少年はまるで
玩具の人形でも拵え上げるように、いとも軽々と口に出している。映画館なぞというものが、こんな十八、九の子供の
小遣いぐらいで易々とでき上ることであったろうか。どんな小さな映画館でも、
尠くとも何万という金がなければできることではないではないか。素晴らしい容貌をしてわかったようなことは言ってるが、どこか少し肝心なところが足りないのではないかしらんと思った。
「あなたの作る映画館は幾らぐらい掛かるのです」
と
莫迦莫迦しいとは思いながら、私も子供になった気で
相槌を打ってみた。
「私の計算では六万五千ルピーの予算です」
断っておくが目下の
為替では一ルピーは邦貨約一円二十四銭を唱えている。六万五千ルピーではざっと八万六百円ばかりの勘定になる。
「誰がそれを作るのです。あなたのお父様が……?」
「いいえ、私が作るのです。そして、姉も少し出してくれるはずになっています。ですからこれができ上ったら劇場の名前には姉の名を
冠せるつもりでいます」
「あなたはそんなお金持なのですか?」
「別段金持ではありませんけれど」と少年は微笑んだ。「でも、それくらいのお金はあるのです」ときた。しかも驚くべし、この八万六百円のお小遣いの少年は平然として、その辺に掲げられてある宝塚の女優の四つ切りブロマイドの額を見上げている。
「では、
MR・シュータン! あなたは、そんな劇場や何かの研究で日本へ来たんですね」
もう惰性で口だけを動かしているようなものであった。負けず
小夜福子の写真を私も
睨み上げる。
「いいえ」と八万六百円は涼しい顔をした。「私は学校へはいりに来ました。
桐生の
大学へ。桐生の大学は紡織と染色では私の国にまで響いています。
独逸のフランクフルトアムマインの大学よりももっと響いています。独逸語を知りませんから、どうせ新しく言葉から習って掛かるのならばと思って日本へ来たのです。私の国は今その技術を、非常に必要としています。私がそれを覚えて帰れば貧しい者たちにもそれだけ生活の分野を拡げてやることができるのです」
と少年は相変らず
葦原邦子の額を仰ぎながら、苦もなく言って
退けた。
「御存知でしょう、さっきあなたと話していた一人の方を――あのあなたに小説の話を伺っていたジャヴェリは私と一緒に桐生の大学へはいるつもりで来たのです。もう一人のシャアの方は高等学校から帝国大学へ入れて、電気工学を修めさせるつもりで連れて来たのです。でも何より先に一年か一年半ぐらいの予定で講義を聞くに差し支えないだけの日本語を覚えなければなりませんが、カパディアの方で一切世話をしてくれることになっています」
少年の話ではその二人の印度青年を連れて今
平河町の万平ホテルに宿を取っているが、近々どこかへ一戸を借りて、家庭教師を迎えて日本語の勉強をして、その上で桐生の
大学なりそれぞれの学校なりへはいる予定だというのであった。桐生の大学といえばもちろん桐生の高等工業を指すのであろうが、こうやって聞いている分には、どこと言って
辻褄の合わんところもないが、それでいて子供の話のようになんとなく
茫洋として捕捉し難いところがある。ともかく諸君に今、
Eccentric という言葉を思い出していただけるであろうか。英和辞書を引っ張ると「中心ヲ
外レタル」とか「偏心的ナル」だとかしち難しい訳が出ているが、平ったく言えばなあに「調子
外レ」ということだ。この時ほど私はこの言葉が、一分一厘の
隙もなくピッタリと当て
嵌まる境涯を感じたことがなかった。別段この少年の頭がエクセントリックだというのではない。むしろケタは幾分外れているにせよ、どこかに天才的な直観の鋭さがあって大した野郎だと驚嘆していたが、世の中は戦争の
慌しい空気に包まれて街頭では千人針や献金函が号外売りの鈴の音と相ともに、戦時気分を高調している真最中だというのに、活動を見にはいっても活動も見ずに
寂然した休憩室でこんな夢みたいな話と取っ組みながら葦原邦子の額を眺めている状態を、まったく私はエクセントリックだと思わずにはいられなかったのだ。自分ながらこの少年に引っ掻き廻されて、たださえ
悧巧でない頭がいよいよもって、
可笑しくなってくるのを感じた。しかも私たちがエクセントリック味を満喫している間も、何か面白い場面でも中では映っているのであろう。
烈しい
喝采が聞えて笑いがどよめいてきた。だが、少年は別段写真を見たいと思うでもないらしく、ただこうやって私と話をしていることに楽しみを見出しているらしい様子であった。おまけに
頭布を付けた少年の異様な姿は、ここでも多分に人眼を
惹くらしく、煙草を吸いに来ている人々や、売店の女売子たちが、いつの間にか私たちを遠巻きにしていた。
もう映画を楽しもうという気持なぞは、すっかり私の念頭から消え失せてしまった。仕方がないからどこか人眼に付かぬところで食事でも済ませて、こんな取り留めもないことばかり言ってる子供は、カパディア氏の
許へ連れ帰ってしまおうと考えていた。が、東京でこういう異様な服装の少年を連れても人眼に付かぬところと言えばまず帝国ホテル以外にはない。
実にウンザリしながらも、誘い出したのが身の不運と
諦めて、私は苦虫を
噛み
潰したような顔をして、アーケード伝いにホテルの
酒場へはいり込んだ。
お互いにエクセントリックを仲よく半々に分け合いながら、今や黙々として語るに言葉もなく私はもっぱら
麦酒ばかりガブガブと飲み、少年はチェリ・ブランデーを所望して炭酸で割りながら、おのおの無念無想の盃を挙げている時であった。どやどやと宴会崩れらしい酔っぱらった一群の外人どもが
礼服のままではいって来た。その中に兼ねて顔見知りの、パーズレイという横浜の米人輸出商がいた。ちらと私の顔を見ると千鳥足をしながら、懐かしがって片手を挙げた。が瞬間、私に向い合っている少年の姿に眼が留まると、
洋盃を手にしたまま電撃を食らったように突っ立った。やがて洋盃を挙げて酔っぱらった仲間の連中とガヤガヤ語り合っているようであったが、思い
做しか、やはりどうもパーズレイの眼だけは
凝乎と少年の上に注がれているように感ぜられた。不思議なことがあるもんだと思っているとやがて酒のお代りと同時に
給仕がはたして、パーズレイの名刺を取り次いできた。心得て起ち上って行くとパーズレイも仲間から抜け出してきたが、カウンターの一隅で顔が落ち合うとまず私のためにパーズレイはハイボールの一杯を注文してくれた。
「どうした、しばらく逢わないな」と言った挙句、人の
肘をついて、端然と掛けている少年の方を目配せしながら、「大変な人と連れ立って来たもんだな、どうして知り合いになったんだ?」と眼を円くして聞くのであった。
「ヴィルプールという国から来たんだ。カシミールの側の」
「ヴィルプール? ヴィルプールの
王子か」
「
王子?」と、今度は私の方が眼を円くした。
「
王子とは何だ! 誰が王子なんだ?」
「おや知らずに飲んでいたのか。
呆れたもんだな」とパーズレイが一層
吃驚した。
「
王子じゃないか! 立派な王子だ! ほんとうに君は知らなかったのか」と疑り深くもう一度私の顔を
覗き込んだが、私の眼付きで嘘でなく私が吃驚しているのを見ると、いきなり耳のはたへ酒臭い口をおっ付けてきた。「ヴィルプールとは知らなかったが、確かにあれは印度で名高い
王子の顔だ。何かの写真で見たことがある。……第一あの
頭布を見たまえ! あの頭布を! 印度人で、あれだけの頭布を冠っているものは、まず王族以外にはないはずだ。おまけに、あの宝石だ!」と私と一緒に振り向いた途端自分の噂をしているとも知らず、少年の眼がこちらへ向いているのを見ると
慌てて、カウンターの上に顔を伏せた。
「間違いない! 確かに
王子だ! 賭けてもいい!」と、
呻くように言った。「見たまえ、大した宝石を着けてるぜ! あの価格だけでも大変なもんだ。あれが印度の王族の特長なんだ」
途端にハッとして、私はさっきから
撫で廻していたネクタイピンを抜いてそこに置いた。
「見てくれ!
硝子か硝子ではないか?」
「ダイヤモンドか!」とパーズレイは鼻眼鏡を出して電気に透したり、酔った
手許危なく
磨って膝の間でもう一度透して見たりしていたが、「ハハア」と意味のわからぬ笑いをニヤリと洩らした。
「
よろしい! 君が
要らないのなら、俺が適当な値段で引き取ってもいい」
「待ってくれ、俺のではないんだ!」と、私は大急ぎでそのダイヤモンドを取り上げた。
「やっぱり
太子だ、間違いなく、太子だ!」と私は夢のように
呟いた。
「俺を紹介してもらえないだろうか?」とパーズレイが
囁いたが、私は夢のような気持で返事をするのも打ち忘れて、高い椅子から滑り降りた。印度人たちの少年に対する
鄭重さやさっきからの食い違っていた問答やが、瞬間旋風のように私の頭の中でぐるぐると
廻って、腑に落ちた。
「お友達?」と少年は再び席へ戻って来た私に微笑み掛けたが、私はもう返事をするどころではなかった。ネクタイピンを手に持ったまま
茫然と突っ立っていた。この人が……、この
可憐な美少年があのカパディア氏からたびたび聞かされていた
英邁なナリン
殿下であろうか? この美しい少年が? 私は混乱し切った頭でもう一度不思議そうに私を見上げている眼前の美少年の顔を、穴のあくほど眺めていた。「どうしました? 何をそんなに考えていらっしゃる?」と少年は微笑み掛けたが、私は
咄嗟の機転で「
MR・シュータン!」と呼び掛けた。「あなたはさっき映画館ができたら、あなたの
姉妹の名前を付けるつもりだと言われましたね? 何とお付けになります?」と、聞いてみた。
「カムレッシ劇場と付けます」と、いう返事であった。やっぱり太子だったのだ! 私は酔いも
醒め果てた気持がした。
「あなたはナリン太子ですね。あなたはナリン太子ですね」と私は
莫迦のように一つ事ばかり繰り返した。そうとは知らず先程より無礼の段々、ますこのとおり
[#「ますこのとおり」はママ]お許し下されエ! と日本の旧劇ならばこの辺で声を張り上げるところであろうが、私にはそういう芝居はできん。
「私はそれに気が付かなかったのです。あなたにお眼に掛かっていてもあなたの
頭布を見ていても、それが私にはわからなかったのです。しかし私はあなたのことは
MR・カパディアから、たびたび聞いていました。カムレッシ王女のことも、そのほかにもいろいろなことを、私はみんな詳しく聞いています」
「でも、私はここでは別段太子ではありませんよ、
MR・シュータンです」と、当惑したように太子は
眉をよせられた。「
MR・タチバナ! 私をどうぞ
MR・シュータンと呼んで下さい。それで結構です。ヴィルプールは日本とは何の関係もありません。英国の属邦の太子は、あなたにとっては単なる
MR・シュータン以上には出ないじゃありませんか! まあ立っておいでにならないで」と太子は手を
執って茫然としている私を掛けさせた。「私もあなたのお噂はカパディアから聞きました。あなたが私の方の仕事に好意を持っていて下さることを知って、感謝していました。また今夜あなたが私の友達となって下さったことをも、
嬉しく思っています」と太子は美しい手を差し伸べられた。その手を私は夢中で
鷲掴みにした。
「私は、もっともっと、できるだけのことをしようと思っています。私はあなたの友達だ。たとえあなたが太子であられようとなかろうと、私はもうあなたの友達です。ともかくもう愉快だ! もっと飲もう! 太子! あなたももう一つお飲みなさい! 私ももう一杯飲む!」と私は王族の親友ができて、
無暗矢鱈に愉快になってきた。幾分さっきエクセントリック時代にガブ飲みした、
麦酒の酔いが発してきたせいもあろう。「そしてカムレッシ王女はお丈夫ですか?」とつい浮かれた余りいい気になって
莫迦なことを聞いてしまった。「姉をお眼にかけましょうか?」と太子は左の内ポケットから、小さな
盒を取り出した。ごく小さな金の盒であったが、これにも何か
宝石が
鏤めてあると見えて、
煌々と輝いていた。「右が
父です」
なるほど、それが太子の父王現
国王であろう。長く
鬚を生やした、やはり
頭布の老王が太子によく似た眼許口許を
覗かせていた。そしてその左側に眼を移した途端、私の脳裡には突然、いつぞやのカパディア氏の言葉が蘇ってきた。たとえ欧州一の美人と言えどもカムレッシ王女殿下の美しさには及ぶものはないであろうとのあの言葉が。その時私は心の中でカ氏の言を笑殺した。しかし今この眼前の
玲瓏玉のごとき太子の
面を見、この
盒の中に微笑んでいるカムレッシ王女の姿に接する時、誰がカ氏の言を疑うことができようぞ! 面長な顔、切長な魅惑そのものの
眸、そして優しく
綻びた口許、
婀娜というか、濃艶滴らんばかりというか! 印度を知ること何ぞ遅かりし! もう誰が何と言っても、印度は私の友達だ。日本の盟邦だと私は心の中で絶叫した!
「太子、もう誰がなんと言っても私はあなたの友達だ! そしてカムレッシ王女にもよろしく言って下さい。私のできる限りのことはする!」ともう一度私は太子の手を握った。
「それをあなたはどうなさる?」と私の酔っぱらいぶりをいささか持て余しながら、太子はさっきから私が返そうとして手に握りしめていたピンを抜き取って、また私のネクタイへ挿してくれた。
「いいのではありませんけれど、お役に立てば結構です」
「いいや、これは返す!
硝子のピンだと私は思っていたのだ! そんな高いものなら、私には
要らん。私はちっとも欲しくない!」と私は
喚き立てた。「
MR・タチバナ。あまり遅くなりますとみんなが心配しますでしょう。よろしかったらそろそろ帰ろうではありませんか」
と太子が立ち上った。「お暇でしたら明日でも私のホテルへいらっしゃいませんか? 何にもありませんけれど御飯でも御一緒にしてお話しすることにいたしましょう」
「行きますとも! 私は忙しいけれども行きますとも!」と大元気で私は喚いた。少年がナリン太子とわかった時分から私の
呂律はだいぶ怪しくなってきていたが、それでもまだまだ私は飲み足りん気がしていた。そしてこの少年がナリン太子ならば、自分にも掴めないが何かもっともっと話したいことが、山ほどあるような気持がしていた。
もちろんその
翌る日は、約束どおり何を
措いてもまず太子を訪ねることにした。こんなことを言ったら人は私を変態性慾だと思うかも知れないが、昨夜太子とタクシーで別れて以来私には太子の美貌が、妙に眼先に散ら付いて忘れかねたのであった。中学時代に私の
棒組に野球に凝って落第ばかりしているニキビ野郎があって、無闇に下級生の「ヨカ
稚児」ばかり追っ駆け廻していた。そのうちにあんまり落第ばかり続けて到頭しまいには自分の稚児サンと同級生になってしまって、数学を稚児サンに教わっていた
莫迦野郎があったが、その時分から汁粉屋の女中の手引で女の味を知っていた私は莫迦莫迦しくて男のくせに男を追っ駆け廻すなんて汚ねえじゃねえかとどうしてもその気になれずに到頭その方の経験だけは解せずじまいであった。
もうそろそろその時分の棒組たちが神妙なオヤジに納まり返って、稚児サン騒ぎなぞ
気にも出さなくなった今に至って私一人は
俄然として稚児サンのよさに
覚醒め、どうやら朝起きても私の眼前には昨日以来の太子の、女にも見まほしき美貌が散ら付いてきてしかたがないのであった。
この気持がいわゆる
男色というのだろうと考えたが、いい年をしてチゴの心境を解した時には事もあろうに、相手は印度人でおまけに一国の太子殿下ときては、なんという我ながら大した心臓野郎かと苦笑せざるを得なかった。が、ともかく別段時間の約束もしておかなかったから、朝飯が済むと早速訪問することにした。
ところが万平ホテルに訪問してみて驚いたことには、実に驚いたことにはであった。男色どころか、稚児サンどころか、というのであった。太子は
MR・シュータンの微行で来ているにもかかわらず、英国大使館方面では
逸早く神経を
尖らしていたものと見えて、日本の新聞には一行半句も現れていないのに、すでに英国大使館の標識を付けた立派なキャデラックがホテルの前に止まって、運転手の野郎は
主待ち顔に
大欠伸をしていた。ひょっとすると、太子を訪ねて来ているのではなかろうかという予感がしたが、
頤紐金釦の
給仕に
刺を通じさせるとはたして私の予感どおり、「唯今大使館のお客が見えているものですから、しばらくお待ちを願います」という切り口上の返事で、冷やかに階下の応接間へ通されてしまった。私の男色なぞはヒェーとばかりに一遍にすっ飛んでしまったが、そんな大使館の
物凄い野郎なぞと張り合う気で来たのではなかったから、私は別段に
一張羅も着用せずふだんのままの膝ッコのできた洋服に、泥靴でペッタンペッタンとやって来たのであったが、ホテルなぞというところはいずれは立派なお客ばかりフン反り返って来るところであろう。私みたいな妙ちきりんなお客に対する給仕の待遇すこぶる
突慳貪を極めてまるでどこかの外交員でも戸惑いして来たかのような扱いであったから、私は内心怒りが
勃発して人なきを見て、応接間の立派な
絨緞で靴の泥を存分に押し
拭ってくれた。そして昨日あれほど友達になったにもかかわらず、もしそういう立派な訪問者との会談なんぞに眼が
眩れて太子までが私をナメて長く待たせるようであったら、かまわねえからこっちから縁を切ってさっさと引き揚げてしまおうかと、今更ながら身分違いの友達を持ったことを後悔したのであった。何かよほどの重要会見でもあったのであろう、会談は相当長引いているとみえて、なかなか私を迎えには来なかった。靴の泥をこすり落とし、手でズボンを
抓み上げて折目も拵え終ったが、それでもまだ迎えに来ず、ええクソ帰ってしまおうか今帰ろうかといらいらしていたが、その私の気持をただ一つ
繋ぎ留めていたものはあの昨夜
MR・シュータンとして、
睦まじく語り合っていた時の太子の美しい印象や、あどけない口のききぶりやであった。それがただ一つ私を引き留めて、
苛立ちながらもどうにも決断を鈍らせていたのであった。
だから、やがて昨日の昼間ヴァローダ商会で私と春琴抄の話をしたハルヴァダン・ジャヴェリという従者の方が急ぎ足に私を迎えに来た時には私はもうすっかりムクれて、どうせ私は大した友達ではないでござんしょうよとばかりに
拗ねて、
頓には口もきいてくれなかった。
「決してこんなにお待たせするわけではなかったのですが、ちょっと面倒な事柄を持って来たものですから
太子殿下も大変お気の毒がっていられるのです。さあ、どうぞ! このままお帰りになりましたら、あとで殿下もどのくらい御失望になるかわかりませんから」と私を谷崎潤一郎以上の文豪と尊敬しているジャヴェリは、極力怒れる私の心を
宥めた。「さあどうぞ! どうぞ」とこの黒チャンに手を
執られんばかりにして私は
楚々と
蓮歩を踏み出したわけなのであったが、東向きの三階四室ばかりはことごとく太子一行のために貸切りとなっているらしく、その一番突端の
扉を今ジャヴェリが開こうとした途端、
擦れ違いに中から出て来たのはそれが今まで話していたという、英国大使館の二等書記官なのであろう、やはり白麻の洋服にヘルメットを右手に抱え、夫人携帯の見上げんばかり丈高い紳士であった。向うも私なぞは眼中にありはしなかったから擦れ違いざまに日本の外交員でも来たかと言わんばっかりの、ジロリと
傲岸な横ざまの
一瞥をくれながら出て行ったが、日本人タチバナ氏の方も別段将来英国大使館と御懇意に願おうとは思わなかったから、反っくり返って絨緞磨きの靴で
闊歩しながら、中へはいって行った。が、一歩中へはいって眼を廻したことには、私は再び繰り返すが
男色もよか稚児サンもあったものかというのであった。実に大変な人と友達になってしまったと今更ながら当惑せざるを得なかった。というのは、それが非公式ながらも英国大使館員を引見されるための王族の服装なのであったろう。畳数にして八畳ばかりの控えの間をぶっ通したその向うの部屋の、一番奥まったところに今
椅子を離れて私の方ににこにこと笑みを送っていられる太子の姿というものは、兼々写真で見ていたとおり眼醒めんばかりの薄黄色の、膝まで垂れる絹の
上衣を
纏うて、膝下で
括った
袴を着けていられた。そして靴を純印度式のモージャディというのを
穿かれ、しかも昨夜の
頭布の正面にはこれも兼ねて写真で見るとおりのコロンギという、鳥の羽を飾った五彩
赫々たる宝石の
鏤められた王家の紋章が輝き、太子の服の
襟から
釦ことごとく、ただ
瓔珞のごとき宝玉で、
燦々として
帳を引いた部屋の中に、私は
綺羅眼も射らんばかりの古代アラビヤンナイトの王子をそこに見たのであった。
光
揺々として玉のごとき王子は、今静かに私の方に歩みを運んで来られるところであった。しかも笑みを
湛えた太子の頬は、相変らず
蒼鳶色に、今それは衣服の黄色を受けて幾分紅を差して震い付かんばかりの美しい
瑪瑙色であった。荘厳というべきか
窈窕というか、
嬋娟というべきか夢幻というか! 亡国と
莫迦にし古代文明国と
嘲り、物の数にも入れていなかった印度という六千年の伝統を持つ国に対して、私はまったくこの時ばかりは名伏し
能わぬ
[#「名伏し能わぬ」はママ]頭の下るのを覚えた。
恍惚と神秘という以外には、用いる言葉も知らなかったのであった。しかも太子は少しも
勿体ぶっていられるのではなかった。
「どうですか、
MR・タチバナ」と椅子の背越しに手を握られたが、「こちらへどうぞ!」と昨日と何の異なるところもない優しい子供らしい声を出されるのであった。
「昨夜はあなたのお陰で、まことに面白く夜を過ごしました。大変愉快でしたが、今朝はご気分は悪くありませんか?」と私に煙草を勧めながら、その愛らしい顔をかしげて微笑まれた。
「私には何の用事もないのですから、どうぞゆっくり遊んで行って下さい。まだすることがありませんので、毎日退屈で困っているのです」その側からもう一人の従者で電気工学を習う目的だという、ラジック・シャアといういつでも怒ったような顔をしている無口な青年も、「荷物がまだ着かないものですから、お読みになる本もありませんし、毎日退屈していられるところです。昨夜は大変面白かったと喜んでいられましたのです」と四角張って言った。
私には太子のまるで女のように、眼の
醒めるようなこの服装がどうも気になって、これが、王宮にいられる時のふだんの服装だとは聞いていても、話をしていてもなんとなく身が硬ばってくるのを覚えたが、太子自身は少しも意に掛けていられるところもなく、さも年来の友達ででもあるかのようにそのたおやかな衣服を
胡蝶のように舞わせて――もちろん太子自身は意識してそうしていられるのではなかったが、私にはまるで胡蝶の舞っているとしか形容の言葉もなかったのであった――私の右隣りに席を占められ、また元へもどりつして私の問いに応じて隔意ない調子でいろいろな雑談へはいってゆかれた。
初めは私の方からヴァローダ商会を通じて印度へ送った機械類について、英国品や
独逸品との性能比較や優劣なぞの話が出たが、これは太子自身には非常に興味を感じていられるらしい話題であったが、私の方が工業や殖産なぞというそんな問題には何の興味も持たず、殊に印度へ送った機械類なぞときてはただ生活の方便にぶら下っている事務の一種ぐらいのつもりであったから、何を送ったかももう忘れてしまっていくら話していてもピントの合おうはずがなかった。私が返答に困って頭ばかり掻いているのを見ると、太子も私の興味がこの方面にないことを察しられたのであろう。転じてなぜ印度のことを小説に書かないかという風なことを質問された。太子は自分が読んだ書物の名などを挙げられたが、いずれも
古典的なものばかりでその方面にも私はあまり興味が持てなかったから、これもあまり話は
弾まなかった。
やがて話題は変ってふと、国民の
精神の問題に移ってきたが、太子は何ともいえぬ淋しそうな色を
泛べて、せめて印度の人々の精神が日本人くらいであったならば、いかに
種姓の
煩いや言語人種の煩いはあろうとも、印度は今ほど無残な英国の圧迫下にてんでんバラバラな苦しみにも陥らなかったであろうという風なことを嘆息するように言われた。
「現在の印度の王族は
阿片で身を持ち崩し、下層民は無学と無智のために身を亡ぼしています。唯今の
小国王、
大国王たちのうちで、完全に阿片から救われているものが、何人あるでしょうか?」と、悲しそうに言われたのであった。総じてこの年少の太子はその立場の関係上からであったろうが、文学や音楽なぞという限定された趣味に
耽ることが許されず、いかにして国力を充実させて英国の
羈絆から祖国を解放するかということに、その関心のすべてが傾け尽されているように思われた。もちろんこういうことを指していわゆる王道学というのであろうとは考えたが、この年少の身で自分一身の趣味に
趨ることも許されず、ひたすら国家国民の隆昌にのみ心を砕いていられる少年太子の身の上が、何とも言えず私には痛ましく感じられたのであった。
「太子のお国に小説がありますか?」という私の問いに対しては、「カッチ語という言葉はまことに非文明な言葉で、話すことはできますけれど文字というものがないのです」と
羞ずかしそうに顔を
赧められた。「ですけれどグジラット語ならば四、五人の作家もあります。印度全部としては、
印度語で書いている作家はおそらく三、四百人もいるでしょうか。しかし言論は極度に圧迫されていますから、印度の作家は低俗な恋愛のみに
奔るか、さもなければ哲学か詩の
瞑想へ逃避する以外には書くことができないのです」とうら淋しそうに眼をしばたたかれた。
ともかく絵のような太子に向い合って、異国のさまざまな話に耳傾けながら静かなホテルの奥まった一室に深々と椅子に
凭れていると、私の気持まで何となく
異国風な雰囲気の中に溶け込んでゆくのを覚えるのであったが、匂いの高い香料を入れた紅茶も、もうさっきからシャアの手で何度か取り換えられた。そしてこうしたところでこうした服装の太子と話しているよりもやっぱり私には、見慣れた欧州風の服装を着けた昨日の
MR・シュータンの姿の方が、親しみがあってどうにも忘れられなかった。ニヤニヤしながら私がそれを切り出すと、太子はすぐ快く承諾された。
「
麦酒を上って愉快そうになすってられるあなたを見ているのは、私にも愉快です。どうせ夕飯を御一緒にしようと思っていたのですから、これから歌舞伎へでも御一緒にまいりましょう。そして今日はシャアも連れて行ってやりましょう」と微笑みながら側に立っている容貌
魁偉なシャアに何か
母国語で言われた。見る見るシャアの頬にも、喜色が湧き上がってきた。「では着換えてきます間、ちょっと御免下さい、シャアがお相手をしていますから」と太子は別室へ退かれたが、太子の姿が
扉の奥へ消えるのを待ちかねたようにしてシャアは私の椅子に身体をのし掛けてほとんど顔を押し
圧けんばかりにして声を
潜ませた。
「大使館方面への思惑もありますので当分太子殿下の御身分はあなた一人のお胸に止めて、どなたにも内密にしておいていただけませんでしょうか? 折り入ってお願いしておきたいのですが……。御存知でしょう? 先程もグレーヴス二等書記官が訪ねてまいりましたことを……」私は
凝乎とシャアの眼を見ながら
頷いた。「お国へまいっておりましても、どこにどういう眼が光っているかわかりません。私たちはなるべくお国に在留している自国人たちにも太子殿下をお逢わせしないようにしているのです。殿下の日本御滞在には、大使館方面であまりいい心証を持っておりませんから――それがよくわかっておりますから、くれぐれもお願いしておきたいのですが」
「…………」私はもう一度頷いた。そして、「
MR・カパディアにも?」と聞いてみた。「NO! NO!」と、シャアは破顔した。「あの人は私たち同様、太子殿下の奨学金で学校を卒業した人です。家を探したり女中を雇ったりすることもみんなあの人に頼んであるくらいですから、あの人に御懸念は決して要りません」そしてシャアは私が頷いたので安心したのであろう、私の側に座を占めて、今までよりは幾分声高に話し始めた。
英国は
烈しい圧迫をもって日本品――殊に印度大衆の必須品たる廉価な日本紡績の印度輸入に強圧を加え、英国産の高い紡績を買わせようと努めている。購買力のない印度民衆にとってはそれは塗炭の苦しみで、ヴィルプール国内の、貧民たちもほとんど着る物もろくろく得られぬ現状であった。それを黙視するに忍びず、二つには貧民たちに対する授産事業として太子はヴィルプール国内三カ所に、従前から小規模の紡績工場を建てていられたが、これをもっと大規模な国内産業にするために、自身率先して日本へ紡績を研究においでになったということを話してくれた。それらには英国
駐在官の大反対があって、英国政庁側は日本留学を喜ばず必死になって英国マンチェスター大学への留学を勧めて
已まなかったのを、太子は押し切ってこちらへおいでになったということ、そして太子はもはや今日では、口先だけの印度の革命や独立などという論議を
蛇蝎のごとく
厭われて、ヴィルプール人には一切そうした政治的陰謀を許容にならず専心国力の充実のみを奨励していられるが、御自身はアジメールの
貴族学校在学時代から常に心の奥深く独立の企図を蔵していられるらしいということ。そのためにゆくゆくは他の王族同様
帝国候補生隊へ進まるべき
父王や英国政庁辺の意向に逆らって、断然ヴィルプール本国へ引き
籠っておしまいになったということ。しかしシャアやジャヴェリらの側近者の考えとしては、そういう危険な政治上の関心から太子がもう少し御自身の愉楽をお取りになることを太子の御健康上専心祈っているから、幸いにこの機会にもし
MR・タチバナが、そういう方面の相手をして下さるならば仕合せこの上もないというようなことを、赤誠
籠めて話し出したのであった。そしてシャア自身心服と忠誠とを
面に表わして、太子のためならばいつなんどきでも死を恐れぬ色をありありと
泛べながら胸を
叩いて見せたのであったが、その途端に
闥を排して太子が現れたために、シャアはたちまち口を
噤んでまたそこに石のように突っ立った。私は印度王家の服を着けた太子の美しさを先程口を極めて説いたが、さて今また薄鼠色の軽そうなセルの上下、そしてそれに
相応わしい灰色の深いヘルメットを持ち、婦人でも用いそうな
瀟洒な鼠色のスエード革の靴を
穿かれた小柄な太子の姿というものは、これもまた何とも言えぬ愛らしさのそれであった。
「お待たせしました。まいりましょう! シャアお前もおいで!」と先に立たれたこの少年太子の後から私たちも
昇降機を降りたが、そこで一瞬まことに異様な光景を、私は目撃したのであった。ちょうど私たちが帳場横の広い開け放した応接室の前を通りかかった時であった、入口近くに座を占めたジャヴェリは
豪奢な装いを凝らしたうら若い西洋婦人と何か
頻りに問答をしていたようであったが、ちらと眼を挙げた途端、この貴婦人は思わず
衝撃に打たれたように、ジャヴェリを棄てて棒立に立ち上がった。そして何か一声二声叫びながら太子の方へ駆け寄ろうとしたのであった。ジャヴェリは茫然と突っ立っていたようであったが、ハッと思う間もなく巨大なシャアが太子の前に立ち
塞がって、小山の揺るぎ出したような体格でジリジリと婦人をまた元の、応接室の中へ圧迫して行くように思われた。
ちょうどその時自動車が横付けになって、太子は
眉一つ動かされずそのまま
踏み板へ足をかけられ、私も続いて乗ってしまったから後がどうなったかは知る由もなかったが、やがて助手台にノッソリとはいって来たシャアは、相変らず石のように押し黙っていた。太子もまた平然として何事をも言われなかったから私一人
不躾に口を出すわけにもならず、そのまま脳裏を
掠めた一瞬の出来事として私もやがて心の中でこの記憶を葬り去ってしまったが、しばらくの間は今見た貴婦人の豪奢な装いとあまりにも平然たる太子の姿とを思い較べて、私は奇異の感に打たれざるを得なかったのであった。もちろんこの清純な年少太子と、あの貴婦人との間に忌まわしい暗い影が結ばれていようとは想像されず、さりとて政治的な何らかの行動とも考えられず、私はしばらくは走る自動車の中でも
怪訝の念に捉えられていたのであった。
さて太子はおそらく一カ月余りもホテルに滞在していられたであろうか。私は太子に勧められるままその後も暇をみてはしょっちゅうホテルへ足を向けていたが、太子の望みはこんな落ち着かぬホテルの生活なぞを一日も早く切り上げて、専心日本語の勉強にかかられたいらしいのであったが、何分にも望んでいられる家というのがそこらに転がっているような格安の家とは異なって、ちょっと普通の人間には手が出せぬくらいの大規模なものであっただけに、なかなか希望するような家も見付からなくて困っていられた。家の方は主にカ氏とシャアとジャヴェリとで手分けして探しているらしいのであったが、恰好な家も見付からぬ間にいつか残暑も次第に過ぎて都門にようやく秋冷の気が漂う頃となってきた。その頃に困難を極めていた借家探しの方もやっと
埒があいたらしく、まず希望どおりの家が赤坂の
霊南坂付近に見付かったという話を聞いたのであった。ちょど
[#「ちょど」はママ]またその頃に太子一行の荷物や自動車も次便船で来、また王宮から太子専用の
料理人やそのほか二、三人の下働きの従僕たちも日本へ着いたばかりの時分で、
駿河台のヴァローダ商会はこれらの荷物や従僕たちで毎日ごった返す騒ぎを演じていた頃だったと覚えている。久しぶりに喜色満面で店へ訪ねてきたカ氏の話によれば、その借家というのは親日富豪として聞えた有名な某米人が
贅を凝らして建てた和洋折衷の邸宅で、間数も二十幾つかあり広大な庭園も付き、太子も非常に気に入られた御様子だったということであった。取りあえず一年間の契約を結ぶこととして、家賃は三百八十円――年にですか月にですかとすんでのことで私は聞くところであったが、ナアニどっちにしたところで大した金額ではない。実に些細なもんじゃ! わずかに三百八十円だ。敷金は六カ月、その親日富豪の没後は三池信託の手で管理されているが、信託の方では家の賃貸契約書が全部日本文で作製されているから誰か相当な日本人を一人形式上保証人として連れて来てくれないかと言っているが、御面倒でも一つ保証人になってもらえないだろうかという頼みであった。もちろん太子の方との関係は私個人的のことであったし、またヴァローダ商会に対する取引上の関係からしても店がそういう労を
執るというところへまではまだいっていなかったから、私は自分個人で保証人になることに決めてカ氏をして親舟に乗ったような気持で帰らせたのであったが、久しぶりで重荷を下ろしたようにハシャイでいるカ氏の様子を見ると私も
他人事ならず
吻とした。
もっとも個人的としてであろうが店の名を
騙ってであろうが、どっちへ転んだって大体大した野郎でもない私のような人間が、事もあろうに月々三百八十円ずつの保証人になろうというのは大した
了簡で、世間でそれほどまでに買ってくれるかどうかは考えてみてもわかりそうなものであったが、そこがわからなかったというのがソノ少しく私の眼の
眩んでいたところで、ジャヴェリなぞにホラを吹いている間に自分でもホラがいくらかはほんとみたいな気がしてきて、大分文藝春秋へも書いたから世間でも少しは橘先生ぐらいに尊敬していてくれるかも知れんと思ったのがこの大失敗の原因なのであった。橘先生どころか! ニャンとも情けねえ話なのであったが、すなわちいよいよそれから二、三日経って引き移る準備万端整って契約書を交換する時には、太子も暇だったから遊びかたがた一緒に同行され、私はもちろん肝心の保証人になって
印判を
捺すつもりであったから先祖伝来の途方もない大きなハンコを一個首からぶら下げ、それにシャアにジャヴェリにカパディア氏! これらの大一座を引き具して勇気
凜々颯爽として乗り込んだのであったが、クソ! 名前が聞えたも出世しているもあったものか! というのであった。おまけにそうと知ったらコッソリ行けばよかったものを、なまじっか大一座で行ったばっかりに私は余計赤っ恥をかいてしまって、もうもう忘れても二度と再び文士
面なんぞするものでないと大
懲りに懲りてしまったのであった。しかもやっつけられたのはただに私ばかりではない。
遥々万斛の好意をもって来朝された印度の太子さえも日本一流の大会社にかかっては――一流も一流日本においては三池か三矢かと並び称されるくらいのこの一流大会社の社員たちにかかっては、ほとんど人間らしい扱いも受けられなかったのであった。そこでこれからその描写を少し。ここは丸の内の仲通り、名にし負う三池信託株式会社の宏壮を極めた応接室。そしてどうした風の吹き廻しか、こないだカ氏から聞いたところとは大分話の工合が違ってきている様子であった。「それがあなた方はそう言われますが今まで印度の方では随分手を焼いていますから、残念ながら私共ではいきなり御信用も致しかねるのです。こないだはうっかりああも申し上げましたが、フガフガまだお貸しするとハッキリ決めたわけでもありませんし、まあ日本人で保証をなさる方にもよりますが、会社も今までかなり印度の方には
懲りていますから」フガフガという
挨拶であった。いずれは海外の勤務からでも帰って来たのであろう、軽薄そうな三十二、三の社員が言うのであった。もちろん
流暢な英語であった。
立派な英語はわかったが、一体フガフガというのは何だと諸君は思われるかも知れないが、それはこの野郎があんまり毛唐の真似をして日本人のくせに無理に作って
亜米利加人のような鼻にかかった本場ものの英語を出そうとしているので、どうにもそれが私の耳には鼻欠けのフガフガに聞えて仕方がないのであった。野郎のつもりは躍進日本の一流会社の社員たちは印度の有色人種なぞを物の数にも入れていないぞ! というところを示したつもりなのであろうが、私はこのフガフガに笑いが込み上げてきて抑えるのに骨が折れた。もちろん太子はこの直接の衝に当っていられるのではなかった。椅子に
凭って黙って社員の顔を眺めていられるだけであったが、社員が
昂然として得意そうに英語を
喋れば喋るほど、私は年少な太子の前に同じ日本人として顔も上げ得ぬ肩身の狭さを感じたのであった。
「
支配人に逢わせていただけませんか?」と
堪りかねたようにシャアが言った。
「ですから唯今も申し上げたとおりフガフガ
支配人は多忙でお眼にかかっていられないというのです」とにべもなくこのフガは突っ
撥ねた。「それで日本人の方で保証人になろうと
仰有るのはどの方です? あなたですか?」と今度は日本語で私に顔を向けてきた。
「そうです」と私が椅子を進めた。
「失礼ですが、お名前は?」
私もモゾクソと名刺を出したが、あいにく私の名刺には住所が入れてなかった。商売用の名刺以外には私は住所を入れなかった。これがあながち橘先生ならば住所なんぞなくたってわかるだろうという心臓のせいばかりではなく、年中引っ越しのたんびに名刺ばかり無駄にしているのでこの頃では新案特許のつもりで初めから住所を刷り込まなかった。
「これには御住所も何もありませんな」
「住所は杉並区……ようござんす書きましょう」
「書いて下さい!」
私はシャアの差し出した万年筆で入れ始めた。住所も刷ってないような怪し気な奴めが! と言わんばっかりの顔をしてフガ
奴はジロジロと人の
手許を眺めていた。
「立ち入ったことを伺うようですが、どうしてあなたはこの方たちを御存知なのでしょうか?」
「友達です!」
「そうするとあなたは以前印度にでもいらしたとか」
「印度へ行ったことはありませんが、貿易の商売に関係しているものですから、それでここにいるカパディア氏と知り合っています。その紹介で私は友達になりました」
「失礼ですが、お店の名は?」
「それは必要ないと思いますが。私の店が保証するのではありませんから。それにこの頃はあまり店へも行きませんから」
「と
仰有ると何かほかにご商売でも?」
「少し書き物をしています。その方で保証人になります」個人的にであるぞ個人的にであるぞ! とここで私がソノ少し反ったと思ってくれ。
「著述業というわけですな?」
「ハア」というわけで。
「承知しました。少しお待ち下さい。プリズウェイタミニュット」と
此奴は
吐した。上役には逢わせられないが、自分の一存でも決定の付かぬ情けねえ野郎であった。やがて現れた。
「どうも御関係になっていらっしやるお店の名を伺っておかぬとまずいのですが。まだ御著述の方は何ですなムニャムニャムニャ!」
と此奴は濁した。「そこでお店の方は何というお名前でしょうか」仕方がねえから、
「
三田谷商会と申します」と私は情けなかった。
「三田谷商会さんの御住所は?」どこそこと私が答える。
「少しお待ち下さい」
「
支配人に逢わせてもらえませんか」と、どうも相棒も文豪ではないらしいと心細く思ったのであろう。もう一度シャアが繰り返した。何を同じことを二度も
吐す! と言わんばっかりに横
睨みにしながら社員氏は
扉の外へ消えた。
が今度現れた時は万事終れりと言わんばかりの落ち着きをもって悠々迫らずはいって来た。
「お待たせしました。橘さんはその三田谷商会さんの御主人ではありませんな!」と興信録でも調べたのであろう。誰も主人でござると言ってないのにまずもって私に鋭い
一睨をくれた。
「それで御返事としては少しこちらとして不満足に感じるところもありますので、もう四、五日ばかり待っていただいて、何分の御返事をしたいと思うのですが……」
「しかし今日来れば契約は交換ができるから日本の人を一人連れて来いというお話だったのですが」とカ氏はいきまいた。
「こちらで満足のできない状態ではなんとお約束してもどうも
已むを得ませんでしょう」とこの
小面の憎いのが
嘯いた。
「私共の方でもいろいろ調査をしてみませんければ」
「あなたのお約束を信じて私たちはもう荷造りも済ませて引き移るばかりになっているのです。ハッキリ
諾か
否かを言ってもらいたいのです。私たちが印度人だから貸すことができないと
仰有るのですか?」とシャアが詰め寄った。
「誤解をなさっては困ります。あなたがたに不満があるくらいなら初めていらした時から私共の方ではもうハッキリとお断り申し上げるはずですフガフガ」
「と仰有るととても妙に響きますが」と私が今度は堪らなくなってきた。
「借りる印度の人たちの方には問題はない、日本人の保証人に不満があるという意味ですか?」と私が食ってかかった。しかももうこうなってきては私の意地が許さなかった。私はこの生意気千万な
外国帰りの
流暢英語へ臆面もなく昔寝床の中で独学した英語で聞いてくれた。見よ見よ! であった。今や
老獪英帝国はあらん限りの陰険なる策謀を弄して我が国にあらわなる
敵愾を示しつつある。そして日本全国民の対英憤激はその極に登り詰めている。国民はかかる際こそ心を一つにして、あらゆる同情と
交驩をもって、同じ有色民族たる印度の人々へは温かき友情を示すべきではないか、というのがタチバナ文豪の精神なのだったから、もうこうなったら文法も
破格も発音もクソもあったものではない。私は太子や私の印度の友人たちに私の義憤と同情を伝え私に対する侮辱に
酬いるためにはこの野郎と英語で渡り合う必要を感じたのであった。似たもの夫婦という言葉もあるくらいだから、私の女房も亭主はこの頃やっと芽を吹いて店の月給のほかに書いたものがいくらか売れ出して、ヒョッとしたらいくらかあるいは先生の方にもなりかかって眼を細くしていたかも知れないが、いけねえ、女房まだだ、まだだ! まだ先生にはなっていなかったとこの瞬間私は心の中で絶叫した。
「四、五日間待つことはできないのです。理由がなくて四、五日間は待てないのです。この方たちは日本の学校へはいられるために、英国に留学すべき圧迫を受けながら日本へ来た人たちばかりです。日本人にはまだ一人も知り合いがありません。私は今お調べになったという三田谷商会の番頭です。番頭が個人で関係する問題に一々店の名前を持ち出す必要はないから友達として来たとさっきから繰り返して申し上げているのです。私は今の場合この人たちに便宜を与えなければならぬものを日本人としていろいろ感じるから来たのです。日本人としてあなたが感じられるだけのものを私も感じるから来たのです。名前は聞えていなくても実際の収入をそれだけ私が取っていれば一向差し支えないではありませんか。それでも私には保証人が務まりませんか」とそれだけのことを日本人フガ氏に向って英語でやって
退けてくれた。さすがに粗製な寝床英語では骨が折れてタチバナ君は大汗を掻いたと史に伝えられる。
なんてなわけのことを日本語で書いてくると、いくらそうでございませんと私が言っても感じがすこぶる滑らかになってどうも私がフガを堂々と
慴伏[#ルビの「しゅうふく」はママ]せしめたような恰好にも見えてくるが、事実はまったく大違いの話であった。おまけに私のムシャぶり付いた相手がフガ英語の達人ときているから今や大苦しみで、私はポタポタと汗を垂らすやら額を
拭くやら大車輪の奮闘であった。以下ことごとく日本人同士英語での珍問答と心得べし。そこで問答の続き。
「お話はよくわかりましたが……フガフガどうもそういう理屈を
仰有っても」とフガは私の
Made・
in寝床英語に
僻易したのかそれとも一文の得にもならん話にウンザリしたか、ニヤリと苦笑を
洩らした。その無感激のニヤリが私を
嚇とさせた。
「理屈ではちっともありません。私の言うことがわかりませんか、保証人に不満があるのなら無理に私を保証人にさせて下さいとは頼んでいないのです。しかし私だけの関係で私はどうしてもこの人たちを助けなければなりませんから、あなたの方の御満足のゆく保証人を探して上げようと思っているのです。あなたの方の会社のためではありません。この人たちのためです。今日中にでも私はそれをしますから、それですから急に四、五日間の調査を要するようになった原因は、私のためかこの印度の人たちのためかそれをハッキリと仰有っていただきたいというのです」
「つまり私共の方ではこの方たちは相当な階級の印度の方々と思いますからこの人たちはですなフガフガ英国の総領事館へでも行って、
然るべき日本人の保証人を世話してもらわれたらどうかと思うのです。」
「絶対に不可能です。この人たちは英国人の前に
乞食同然に頭は下げたくないのです。説明することはさし
障りありますが、印度ではもっと高い地位にある。それなら第一なぜあなたは日本人を一人連れて来いと仰有ったのです!」
「つまり私共の方ではですな、あなたをお疑いするわけではないけれども一応保証人たるべき方の身元を調査してからでないと困るというのです」
「私がマヤカシものだと言われるのですか」
マヤカシものという言葉の定義がわかりませんから困りますがと、
此奴もマヤカシものだけは日本語で入れた。「つまり砕いていえば私共ではもう少し社会的地位のある日本人の方を保証人に欲しいと思うのですフガフガ」と野郎もムカムカしたと見えて到頭一発食らわした。
「わかりました。社会的地位のある人を探してこの人たちを助けてやります」
「たとえば電車通りに店舗を持ってフガ商売をしているとか何とかですな」
「わかりました。電車通りを探します」てなわけで私はもっと
咆哮してくれようと思ったが、しかしこれ以上咆哮して私の溜飲が下った途端、お気の毒ですが、家の方はお貸しできませんときたら万事休すと思ったから、この辺でひとまず煮えくり返る腹の虫を抑え付けてくれた。「シャア!」と太子が初めて声をかけられた。何の興奮もない相変らずの落ち着き払った声であった。そして、カッチ語でシャアに何か口早に言いつけられた。
「私共の方では一年の契約をするためにあなたの方の規定のとおり六カ月の敷金を入れてお約束をいたしました」と、シャアが取り次いだ。
「しかし唯今改めて主人の申しますには、一年の契約は元どおりにして一年分全部の敷金をお入れいたします。そして家賃は毎月前払いでお払いいたします。そうすれば保証人というものの必要はなくなりましょうから、改めて立会人として私共の方で一番信頼のできます友人のタチバナ氏にやはりお願いしたいと申しております」
途端に私は熱いものがグッと胸に込み上げてきた。日本人である私は日本人に感動させられないで印度の人に感動させられた。この日本人の社員が
軽蔑し切っている印度人に感動させられた。そして同じ日本人が私を侮辱し切っている真っ最中に印度人が私の立場を立派に救ってくれた。人目がなかったら私は太子の手を
鷲掴みにして押しいただきたいような気持がした。
「それでどうでしょうか?」とシャアが続けた。
「それでもまだ御相談が整わぬようでしたらこれ以上
強いてお願いもしたくありませんから、また脇の方を探すと申しております」
「それは御随意ですがフガフガ会社としてはたとえ敷金を全額入れていただいても保証人はやはり
要ります」とフガは今や片意地になって私を忌避し出した。「一年経って契約が切れてももし立ち退かれないような
紛擾の起った場合にフガ、やはりどなたか一人保証の責めを取って下さる日本人がいないと困るからです」と相も変らず無感激に言った。「しかし御相談が変ったようですから、ちょっとお待ち下さい、
支配人が何と申しますか! フガフガ」
「そんな三百
代言みたいなことをするために必要な保証人なら私みたいな人間にだって立派に務まるじゃありませんか」と堪りかねて私は大声を出した。
「しかしもう御相談になる必要はありません! 私が今言ったような方法でもう一度ほかの日本人の保証人を立てるようにします。それで念のために伺っておきたいのですが、一体どういう人が社会的地位があるというのでしょうか? たとえば六大都市の市長なぞというものは社会的地位がありましょうか」
「六大都市の市長と言いますと?」フガのバカは
嘲弄されているとも知らずに真っ向から伺いを立ててきた。「たとえば東京市長とか大阪市長とかいうようなものですか?」
「東京大阪の市長は知りませんが、たとえば横浜の市長なら保証人としての資格はありましょうか?」
「結構ですな! フガ横浜の市長ならばもちろん結構ですな。フガ」
日本全国の市長サンはよろこばれよ! 市長職には社会的地位ありと三池信託会社において言明せり。
「ではそうします。しかしこれは私の陰での尽力であなたの方の会社とはもうこれで私は何の関係もないのですから、さっき上げた私の名刺は返してくれたまえ!」
クレタマエと到頭私もやったりけり。
「ちょっとお待ち下さい!」そして私は名刺を引ったくり取って否も応もなく外へ飛び出した。太子も一同の印度人たちもゾロゾロと席を立ってきた。一同を引き具して私は
颯爽と
扉の外へ出た。エチオピヤを従えしムッソリーニのごとしと私は思ったが、さてここに困ったことにはフガは結構ですなとアッサリ言ったが、私は騎虎の勢い十年ばかり以前に横浜の市長を務めたことのある私の大家の
薬罐頭のところにこれから大変な談判をしに行かなければならなくなってきた。なるほど社会的地位のない人間なんてものは誠意ばかり
溢れていてもクソの役にも立たんものだと、今更身に染みて私は我が身を嘆じたが、今更もうそんなことを考えたって始まるものではない。
「
MR・タチバナ」と玄関へ出るといきなり太子が私の手を
執られた。
「あなたの御好意はほんとうに
嬉しく思いますが、私はこの上、あなたに御迷惑はかけたくないと思いますから、これから
外務省へ行こうと思います。
亜細亜局に多少知った人もありますから、外務省の手で何とか
斡旋してもらおうと思いますが……」
「駄目です」と私は気が立っていたから言下に
一喝した。「もうこの
諍いはあなた方の諍いではありません。私とあの会社との諍いです。私は重大な侮辱を受けた。もうここまできてはあなた方がよろしいと
仰有っても行くところまで行かなくては私の気持が納まらないのです。あなた方は私を引っ張り出しました。今度は私があなた方を引っ張り出す。それでどうしても私の力で駄目でしたらその後のことは外務省へ行こうとどこへ行こうと随意にして下さい。それはもう私の知った範囲ではないから、ともかく今だけは何も言わずに私のするとおりに
跟いて来てみて下さい」と私は委細かまわずそこへ来た自動車を呼び留めた。
心の中では何か考えていられたのであろうが、口に出してはもう太子は何にも言われなかった。私が委細かまわず自動車に飛び乗ったのを見ると黙ってあとから車に乗って来られた。そして二台の自動車は半狂乱の私を乗せて私の家のある郊外の方へ向ってひた走り出したのであったが、横浜の市長などを務めた社会的地位が私の大家だなぞと聞かれようなら、読者諸君は私がどんな宏大な邸宅に住んでいるかと眼を廻されるかも知れんが、ヨケイナ心配はせんでおいとくれ、市長の貸家だとて必ずしも、小さな家がないとは限らんのだから。その一つに私は
塒を定めて時々家賃を二月
隔きに払ったりしてこの老市長を面食らわせているのであったが、市長を務めたからなんてそう驚くには当りません。市長になる前にはどこかの県知事も務めたそうであったが、見るからに詰らん
好々爺で年がら年中朝顔と菊の栽培でばかり苦労していた。つい私の家から一町ばかり先に家だけはなるほど宏壮な邸を構えていたが、時々「どうじゃな! これはよくできたと思うんじゃが一つ飾ってみといて下さらんか! 飽きればまた取り換えて上げるじゃで!」と秘蔵娘でも貸してくれるように汚ねえ
野良着でヒョコヒョコと植木鉢を
提げて裏口からはいって来る。こっちは大迷惑な話で眺めたくもねえ植木鉢を後生大事に縁側に飾って枯らすわけにもゆかなければうっかり腕白どもにへし折らせるわけにもならず、まことに厄介千万なことどもであった。女房なぞは今ではすっかり
術を心得込んで家賃を負けさせようとの
魂胆物凄く、年中菊の話ばかり持ち出して「大家の
小父さん」なぞと甘ったれていたが、この
小父貴が昔市長なんぞを務めたのが運の尽きとなって、今や半狂乱の私に遮二無二見当を付けられてまさに風前の
灯火となっているのであった。ちょうど私たちが飛び込んで行った時には風前の灯火は珍しくも書斎で何か調べ物でもしていたとみえて、頃は元禄十四年
師走半ばの十四日に宝井
其角が着ていたような妙ちきりんな
十徳みたいなものを引っ掛けて私にネラわれているとも知らず、
「おうおう! 橘さんか、さあさあお上がりィ」
と機嫌よく老夫人ともども現れてきたが、そこへ自動車をドヤドヤと降り立った横浜の開港場のような風景にはさすがに眼を廻してしまった。もちろん老市長もこの人たちの噂は一度も聞いていたこともなくまた、この人たちにしても老市長の話を私から聞かされたこともなかったからそこに何の引っかかりも因縁もないのであったが、私はせめてこういう地位に立っていた「女房の小父さん」だけは時局を解して印度の人たちには同情を寄せてくれるであろうと信じていたのであったが、案にたがわず初めはそこに見慣れぬ顔を見廻しながら
怪訝そうに耳を傾けていた老市長はやがて私の頼みが終ると至極無造作に、
「一年分の敷金を置いて一年家を借りるのに保証人も何も要らんじゃろが! 三池三矢なぞというところは金があるんじゃから何もそういう余計な手数を掛けさせいでもよかりそうなもんじゃが! 面倒なもんじゃのう」と浮世の
五月蠅さには飽き飽きした顔をした。
「おう、よかろとも!
儂でよかったらお役に立てさせてもらおう。そんなことで皆さんの御便宜が得られるならお易い御用じゃ!」と言下に応じてくれた。菊の鉢に
肥料をやるよりはまだ造作ない返事であった。今日はこれから出掛けて行ってももう会社は退けているじゃろから、明日一緒に行って上げようということになった。
「ああいけん! いけん! 文士なんてものは橘さん駄目じゃよ」と老市長は
薬罐頭を振り立てた。
「家主なんてものは気の小さいもんでな、文士じゃ新聞記者じゃ弁護士じゃと聞いたら一遍でお断りじゃよ。なぜあんたは自分の勤めの名刺を出しなさらん。
儂には物を書くことなぞ永い間隠しとったくせに!」とこの菊専門の市長は
呵々と大笑したが、私が訳し終ると太子をはじめ三人は改めて感謝の瞳を昔
知事や
市長だったらしくもないこの妙な
装りをした大入道の老人に注いでいたが、なるほど印度あたりで大威張りをしている英国あたりの見識張った
知事や
市長を見慣れている眼には定めてこの十徳姿は奇異なものに映るだろうとは思ったが、もう少しぐらいは一同で驚いて尊敬してくれてもよさそうなものにと、知事市長級の友人である私の眼にはいささか物足りなく感ぜられたのであった。
ともかく老市長は何か調べ物でもしていたらしい様子なので、私たちはもう一度感謝の意を表してそこを辞すことにしたが、私は
忙しい仕事を持っていたし、それにここから私の家まではもう眼と鼻の先であったから別れて帰ろうとしたが、いずれも私を引き留めて離さなかった。いつも怒ったようにムッツリとしているシャアまでが眼を
瞋らさんばかりに私を引き留めた。今日だけはどんな用があっても万障放棄してぜひ付き合ってもらいたいというのであった。
大体今日のフガとの合戦たるやこれを概観するに私の面目がまる
潰れになったのやら、隠居市長の助力によってまる上ったのやら私自身にも混沌茫漠として
掴みどころがないのであったが、掴みどころがないのにタカリ付くのもどんなものかと私は
躊躇していたが、多少誇張的に言えばこの人々は深き感激と感動のために言うべき言葉もなかったというような状態なのであったから、そこへ流して来た自動車を呼び留めて先頭の車に私と太子とシャアとが乗ると初めて気付いたように、今やこの人たちの降るような握手と感謝とが面食らうほど私の上に浴びせられてきた。
「私はこの感謝と感激とをなんとしてもお伝えすることができないのです。私は今日初めて日本人のほんとうの温かい気持に触れたような気がします。あなたの気持も嬉しい。あの
老いたる市長の親切も忘れられない。まるで自分のことのように、あなた方は私共の
太子殿下のために尽して下さいました。
MR・タチバナ、私もあなたの友達です。御覧なさい! あの連中もあのとおりに喜び切っています」
とシャアは
魁偉な容貌を落涙せんばかりに歪めて、とある
曲り角へ来た時に後方から続いて来るカ氏やジャヴェリらの乗っている車を指し示した。その窓からはジャヴェリが、私の方に手を振って見せていた。昨日までとはまた打って変った親しみのある態度であった。「今日までは殿下があなたと御交際になりました。しかし今日は私とカパディアとジャヴェリとが私たちの得た日本人の友人と殿下とを御招待します。さあどこでも言って下さい。あなたのお好きな所へこの車を着けさせます」と満面に笑みを含んでシャアが言った。黙って太子がにこやかに
靨を
泛べられた。
「シャアはまことに不思議な性格の人間です。何にも信ぜず人の言葉は何事も聞き入れません。しかし自分の信じたことは必ず成し遂げてしまいます。まるで鉄で
拵えたような人間です。こういう人と友達になることは非常に難しい」
シャアは黙ってただにこにこしながら聞いていた。窓から眺める街路にはもう薄っすらと
夕の
靄がかかって暮れかかる秋の模糊たる町々の景色は、
慌しい中にも妙に一抹の
侘しさを私の胸に
滲み入らせていたが、私のした小さな好意にさえもこんなに有頂天になって喜び切っているこの印度の人々の心根を思うと、なんとなくこの淋しい
入相の景色には一脈似たものがあるように観ぜられて、それがなんとも言えず哀れに見えてならなかったのであった。
その厄介を極めた契約書騒ぎも済んで引越しも滞りなく終って七、八日。いよいよ秋も
闌になってすいすいと
赤蜻蛉の飛び交う爽やかな陽射しとなってきたが、その日も私は昼から店を切り上げて二人の子供にせがまれて金魚の冬
籠りの池を掘るべく親子で泥んこやをやっている真っ最中であった。
急に表に騒がしく人声がする様子であったが、やがてドヤドヤとはいって来たのはヴァローダ商会のカ氏を先頭にシャア、ジャヴェリたちの一行であった。泥だらけになって喜んでいた子供たちは
一瞥見ると物も言わずにコソコソと
這い上ってしまった。生れて初めて見る黒い顔に
吃驚して、女房の腰にしがみ付いているのであったが、何かよほどの事件でも起っていると見えていずれも血の気のない顔をして三人とも眼を血走らせ切っていた。そして落ち着かぬ様子で座に着いてもしばらくは言葉
尠に眼ばかり光らせているのであったが、事情を知らぬ私はウンザリしてまた何か三池信託あたりと
紛擾でも持ち上ったのか、さもなければこの人たち同士の間で
諍いでも始まったのではなかろうかと怪しんでいた。それほどまでにいずれもワナワナと手を
顫わせて抑え切れぬ心の激動を包んでいるらしい様子であった。
「
MR・タチバナ、困ったことが持ち上りました! 太子殿下が英国大使館に監禁されておいでになるのです」と途方に暮れたようにシャアが口を開いた。
「監禁と言ってはなんですけれど、大使館に滞在を強要されておいでになるのです」とシャアほど気性の
烈しくないジャヴェリが人の聞えを
憚るように脇から言葉を添えた。
「英国大使館が到頭
爪牙を現してきたのです。英国は太子殿下の日本御滞在を少しも喜んではいなかったのです。到頭
常套の
姦手段を用いて殿下を抑留してしまったのです」とシャアは
憤懣に
堪えやらぬように一気に
捲くし立てた。たださえふだんからブッキラボーで怒ったような口のきき方をするシャアのこの激越した言葉では、私には発音さえもハッキリとは聞き取れなかった。おまけにこう
藪から棒では何のために太子が抑留されていられるのか、どうにも私には意味の捕捉も付きようのないことであった。半出来の金魚池の方を眺めながら当惑し切っている私の表情を感じたのであろう。シャアを
宥めるようにしてカ氏が初めからの
顛末を私にも飲み込めるように説明してくれるのであったが、その話によればちょうど今日から四日ばかり以前――もう新居に家具もすっかり整頓してカ氏の世話で女子大学の教授をしているKという日本語の女教師も通い始めてくるし、万事の状態がこのまま滑らかな落ち着いた生活へはいってゆけるだろうと安心し切っていた頃おいであった。ちょうどその日シャアは買物があって横浜へ出かけ留守中であったが、いつか私がホテルで逢ったあの大使館のグレーヴス二等書記官がまた訪ねて来たのであった。そして人を遠ざけて二時間ばかりも太子と密談を重ねていたが、やがて
暇を告げて書記官が出て来た時には太子も部屋着を外出の仕度に改めていられた。ひどく顔色が
蒼褪めてよほど何事かを思い悩んでいられる風であったが、別段何にも
仰言せられずただ言葉
尠に書記官と一緒に大使のところへ行って来るが一時間ばかりもしたら用談が済むからその時分に車を迎えに寄越すようにと言い残されたまま、グレーヴス書記官と同列で出て行ってしまわれた。言い付けられたとおりに、一時間ばかりも経ってジャヴェリが迎えに行くと、すでに本館の事務は
退けた後と見えて広い構内はひっそりして木立ちを透してあちらこちらの官舎からピアノの音や人々の談笑の声が
洩れているのみであったが、大使官邸では太子はすでにお帰りになってしまったという返事であった。そんな
莫迦な話はない、太子殿下は自分に迎えに来るように命ぜられたと頑張ると、いずれにせよこちらにはもういられないし大使閣下も帝国ホテルの
仏蘭西大使の
晩餐会へ出席されてお留守中であるから、それならグレーヴス書記官官舎の方へ廻ってみてくれということであった。そちらへ廻ってみると、グレーヴス書記官は参事官官舎にいられるから電話で聞き合せて上げるという返事であったが、やがて太子はやはり二、三十分ばかり前にお帰りになったという書記官の言葉を取り次いでくれた。そういう
可笑しなことのあるはずもないがと思ったが、あるいは用談でも早く片付いて、久しぶりで御散歩かたがた徒歩で帰られたのかも知れぬと考えたからまた車を飛ばして急いで邸へ引き揚げてきてみたが、もちろん太子の帰っていられようはずもないことであった。ちょうど横浜へ行っていたシャアがそこへ戻って来たが気の短いシャアは、ろくろくジャヴェリの説明も聞かずに、自分が今度は車を飛ばせて大使館へ迎えに行ってみた。が、これもやはり、本館で聞いても参事官官舎で聞いても何の要領も得ず太子はお帰りになったの一点張りで突っ
撥ねられてしまった。しかしあまりシャアが頑張っていたためかようやく当のグレーヴス書記官が姿を現したが、まるで打って変った木で鼻を
括ったような挨拶であった。太子は御都合で当分こちらで御起居になるから心配せずに帰れというブッキラボーな返答であった。
「それならお泊りになる仕度もしなければならぬから、一遍殿下に逢わせていただきたい」と頼み込むと、「仕度なぞはこちらにもあるし、太子は大使館の賓客としてお泊りになるのだから余計な心配なぞはせずに家へ帰って待ってろ!」と書記官はさも
五月蠅そうに
傲然として言い放った。
「いずれにせよ一度殿下にお眼にかからぬ限りそういう御返事だけでは家へ引き取れない」と押し返すと、「それなら勝手にそこで何時間でも待っていたらよかろう」という棄て
台詞で書記官はそのまま奥へ姿を消してしまった。が破れんばかりに戸を
叩いて、玄関に腰を降ろしているシャアの前に再度書記官が姿を現した時には怒気満々の
態で「
この狂人!」といきなり
呶鳴り付けてきた。「
貴様はここをどこだと心得てそんな真似をしているのだ! 大使館構内でいつまでも妙な真似を続けていると貴様のためにならないぞ!」と足蹴にせんばかりの態度であった。
「場所が大使館構内でさえなければあんな書記官の一人や二人くらい叩きなぐってでも
埒口はあけてしまうのですが、残念ながら英国人に
蛆虫同然の私たち印度人の分際ではどうすることもできなかったのです」とシャアは
黒鉄のような腕を
撫しながら無念そうに身を震わせた。そしてそれから三日間つい昨日まで、シャアとジャヴェリとは今に太子がお戻りになるか今に大使館から知らせが来ようかと首を長くして待っていたのであったが、ついに今日まで何の音
沙汰もないのであった。もちろん大使館が何故に太子を抑留しているかは、シャアにもジャヴェリにも大体の察しは付いていた。それは、太子に別段危害を加えようというのではなく、ただ印度出発から
執拗に英国側が強制して
已まなかった太子の日本留学の決心をあくまでも
翻させようとして手を換え品を替えて
口説いているに違いなかろうとは推察されたのであったが、太子のあの気性で
手酷く
撥ね付けて、もしこれ以上の圧迫でも太子の身に加わるようなことがあってはと、二人ともそれをひどく案じ切っているのであった。そしてつい昨晩のことであった。珍しくキャゼリン・ジャルディン嬢が訪ねて来てくれた。
「キャゼリン・ジャルディン? キャゼリン・ジャルディンとはどなたです?」どこかで一度耳にしたことのある名前だとは思ったが、どうも私には思い出せなかった。
「いつかお逢いになったそうですが、ホテルで! あの婦人です、ついこの夏印度から来ましたばっかりの……」とカ氏はこれで私にも思い出せたと考えたのであろう、そのまま話を進めていった。思いも掛けぬ太子の抑留にはキャゼリン嬢も
吃驚したが、自分も力を合せてすぐ大使館の方へ折衝して太子の身分を英国人であるキャゼリン嬢が引き受けるような方法にでもして、この際太子の希望の日本留学を許してもらえるよう協力させてもらいたいという熱心な頼みであった。
「どうしても私には飲み込めん!」と私はつくづく当惑した。「一体そのキャゼリン何とかいう人は何なのです? 太子とどういう関係のある御婦人なのですか?」
「おやッ!」とカ氏が吃驚した。
「
Heavens! あなたは
MISS・キャゼリンを御存知なかったのですか?」と私よりもカ氏の方がもっと吃驚した。
「
Tut!
Tut!
Tut!」と続けざまに舌打ちしながら、「あなたは御承知とばかり思っていたものですから!」もう一度大きく苦笑して何のことやらちんぷんかんぷん私には飲み込めぬその婦人のことを改めて説明してくれたのであったが、カ氏から聞くと同時に吃驚して思わず私も眼を
瞠らざるを得なかった。すなわち読者諸君はこの物語の初めの方に
遡って、これも私が万平ホテルに初めてナリン太子を訪問した時に何か太子と深い交渉のあるらしい美装の一貴婦人に
怪訝な思いを
懐いたことを記憶しておいでであろうか。
MISS・キャゼリンはすなわちその時にジャヴェリと応接間で話をしていたあの美装の貴婦人なのであった。しかもどこかで私が聞いたことのある名前だと思ったのも道理! このキャゼリン・ジャルディン嬢こそが、三年以前当時十六歳の少年であったナリン太子のために王宮内で射殺せられたヴィルプール
駐
の無礼な英国の駐在武官サー・ロバートソン・ジャルディン
卿のたった一人の妹なのであった。しかも兄妹揃っていかなる悪因縁ぞ! 太子は
厭い抜いていられるにもかかわらず、このキャゼリン・ジャルディン嬢の胸からは兄を成敗した美貌な年少太子の
俤が
夢寐にも消え去らず、今夏、
遥々太子の後を慕ってボンベイから日本へ来朝したばかりの身の上だということなのであった。私が万平ホテルで逢った時がMISS・キャゼリンが日本へ来て初めての太子訪問の時。なるほどそれであの時太子は
眉一つも動かされず平然としていられたのだなと今更ながら私にも合点がいったのであったが、現実は巧まずして時に小説よりも奇なりという言葉は古くから日本にもあり、また西洋にもあった。しかしさすがに想像を絶したこの奇なる事実に直面しては私もあいた口が
塞がらなかったのであった。そして嬢は今帝国ホテルに宿をとっているという。
「初めてです! 初めて今伺ったお話です」
まだ私にはこれが実在事実の話であろうとはどうしても受け取れず、名高い西洋の小説の中でも
彷徨しているような気持がして夢のように
呟いたのであった。「……それにしてもそういう因縁の婦人がなぜそれほどに太子のことを思い詰めていられるのでしょう? 自分と
仇同然な立場に置かれている身の上ではありませんか?」と私は夏の頃のあの一場面を思い浮べながら口へ出してみた。
「それが
恋は盲目というのではありませんか!」とカ氏は白い歯を見せたが、その表情はたちまち
譬え難い厳粛なものに変った。
「まったく今では
MISS・キャゼリンの心は殿下のことで一杯なのでしょう。
温和しい人ですから口には出しませんが、おそらく四六時中殿下のことのみを考えているのでしょう」とカ氏も暗然たる面持をした。
「まったく
業なのです。本来ならばあなたの
仰有るとおり太子殿下はジャルディン卿を御成敗になりましたのですから、殿下を憎まなければならない立場にある婦人なのですが、その殿下にあれほど盲目になり切っているのも
業なれば、また殿下にしてもそういう女性に付き
纏われていられるというのも、ことごとく
業という言葉以外では説明の方法がないのです」とカ氏はつくづく嘆息するように言った。「亡くなった
駐在官とは違ってキャゼリン嬢は決して
肚の悪い婦人ではありません。もし殿下にさえその気がおありになるのならば、かえってMISS・キャゼリンとでも御結婚になることが対英関係上にも殿下御一身上にも好都合ではないかと思われるのですが、肝心の殿下が、身震いするほど厭い抜いておられるのですからてんで問題にはならないのです。すべてが
業というよりほかありません」
由ないことに私が好奇心を起してほじくり立てていたばっかりに話はそれからそれへと岐路に飛んで、さっきからシャアやジャヴェリは手持
無沙汰そうに床の間の置物なぞに眼を移していたが、ともかくそのMISS・キャゼリンも一骨折らせて欲しい、と頼んでいることであったし、またキャゼリンの関係ならばおそらく大使館でも
情なく拒むようなこともあるまいとは思われるが、ただ一つここに問題なのは、もし万一そういうことがわかったならば、キャゼリン嬢を厭い抜いていられる殿下があとでどのくらい不快にお思いになるかわからないということであった。そうかと言って、ほかに今の場合助力のできる人もなかったし、ついてははなはだ御面倒なお願いとは思うけれど明日にでも一度大使館へ行って太子殿下を訪ねて下さって、いかにしたらばいいかあなたの口から殿下の内意を伺ってみていただけないであろうかというのが、この人たちの私に対する頼みなのであった。印度人なぞは
蛆虫同然にしか心得ていない大使館では我々が束になって騒ぎ立てても何らの
痛痒も感じないであろうが、日本人のあなたが訪ねて行かれたならばまさかに、事実を
隠蔽してお逢わせしないということもなかろうからという付け加えての言葉であった。そしてもしその上聞いていただけるならば、太子殿下に何か御不自由な物はないかシャアやジャヴェリは何をなして殿下の御帰館を待つべきや等をもついでに伺って来ていただけるならば、これに越した喜びはないという依頼なのであった。大体以上のような事柄が思案にあまったこの人々をして私のところへ頼みに来させたわけなのであったが、
「もしその場合殿下御自身のお気持でキャゼリン嬢とでも
仰言せられたようでしたら、私共の方では即刻
MISS・キャゼリンに働いてもらうことにするつもりですから! 御面倒でしょうが、そういう取り計いにしていただけないでしょうか?」
とカ氏は、それが
印度教の礼儀なのであろう、日本の合掌のような形を
執った――と言えば体裁はいいがイヤじゃありませんか、私は仏様みたいに拝まれたわけなんだ。それにつれてシャアやジャヴェリも
頭を下げた。もちろんこんなに拝まれなくてもこれくらいの用件は私にとっては借家の保証人になるよりもまだいと
容易いことであったから、私は一議に及ばず引き受けたのであったが、しかしここに私の当惑したのは用件そのものはいと容易いことであったが、私が枢密顧問官とか外務省情報部次長なぞという肩書でも持っている日本人だったならいざ知らず、こんな肩書も社会的地位もない――また三池信託が出るようであったが、私も実際あれには
懲りたからネ――人間なぞがノコノコ出掛けて行ってはたして尊大
倨傲な大使館の英人連中が私を太子に逢わせてくれるだろうかという懸念であった。逢わせてくれなくてもそれが私の
面子にどれほど影響するという問題ではなかったが、こうやって心配し切っている人々を眺めていると、なんぼ吹けば飛ぶような私でもそうそう二度も三度も頼まれ甲斐のないことばかりしでかしてくるのは、つくづく
厭だったからネ。引き受けたからにはせめて引き受け甲斐のあるようなことも一度くらいはでかしたいと思ったのであった。
しかも考えようによってはすでに大使館は何事かを企図して印度人たちの騒ぎも眼中に入れずに彼らの太子を抑留している以上、私なぞがヒョコヒョコと訪ねて行くことは役に立たないばかりでなくかえって、逆に、物事を悪化させてこれ以上の
紛擾を
惹き起すことになりはせぬかとさえ危ぶまれる。国際間の動きなぞというものは微妙な摩擦一つで思いもよらぬ方角へすっ飛んでしまうことがよくあるということは私も兼々聞いていたから、橘外男氏事件で日英戦争
勃発せり! なんてことになってくるとやり切れんからネ。今度こそは三池信託へ行くのとは違ってよほど慎重にしないと飛んだことになるぞと私は思ったのであった。快く易々と引き受けておきながら考え込んでしまった私の姿は彼らの眼にはよっぽど不思議なものに映ったのであろう。
「それからのことは、私たちの方でどんな方法でも
執って御迷惑は決して掛けませんからただ行って、太子殿下に逢って下さるだけのことを引き受けて下さるでしょうか?」と不安そうに今度はシャアが聞いた。
「
MR・タチバナ、あなたのお国に対しては、私たちは表面上は英国の臣民なのです。どんなに苦しみましてもこんなことが日本の
外務省へ頼める筋合のものでもありませんければ、また持ち込んだからとて、日本の外務省が英国の内政上の問題にまで乗り出すようなそんな
手数をしないことは火を見るよりも
瞭らかなことなのです。それよりも私たちはやはり私たちの友人であるあなたに試みをやってみていただいて、もし幸いに殿下の内意を聞いて下さることができましたらこれ以上の仕合せはありませんし、よし不幸にしてできなかったにしても決してあなたの御好意を私たちは忘れません。お逢い下さることができなかったらその時は改めてまた私たちは第二の方法を考えて
聯合の記者なり
合同の記者なりにこの真相をぶち
撒けて助けてもらおうか、とも考えているのです、いかがでしょうか? ぜひそういう意味で御助力願えませんでしょうか」その瞬間私の
肚は決まってしまったのであった。智恵も学問も富も充分に持ちながら、ただ亡国の民となっている悲しさに自分たちの熱愛している主人を奪われながらもなす
術を知らぬこの哀れな印度の友達たちの暗い心が、またぞろ私の気持を馬車馬みたいに駆り立ててしまったのであった。そしてもう一つは私を信頼していてくれるあの少年太子がさぞ味気ない日々を送っていられるであろうと思うことが私の心を手負いの
猪のように、またぞろ身のほど知らずに飛び立たせる決心をさせてしまったのであった。やがて
暇を告げた印度人たちの姿が垣根の向うに消えると、
襖の陰に隠れていた子供たちは安心したように抜き足をして座敷の中へはいって来て、重なり合ってそっと私の膝に腰を下ろしたが、二人の
腕白の頭を
撫でながら
凝乎と考え込んでいると、ふだんはついぞ頭に
泛んだこともない立派な国体のこの日本に生を受けた私の子供たちの幸福さがこの時ぐらいしみじみと有難く胸に味わわれてきたことはなかったのであった。
が、私の家から引き揚げた後でまた何かの事情から相談が変ってきたのであろう。その
翌る朝まだ床にいるうちに私の所へはカ氏署名の速達が配達された。文意は至極簡単で、唯今貴宅から辞去後再度キャゼリン嬢が来訪再び一同で協議をしたが結局、この際は後で
叱られるまでも一度抑留から殿下をお迎えして今後いかになすべきやを議したいと思うから、ともかくキャゼリン嬢の提案を容れて一応同嬢に大使館当局に逢ってもらうこととしたから、はなはだお手数を掛けて申し訳ないと思うけれどこちらから何分のお知らせをするまで昨日お願いした件を一時保留にしておいてもらえまいかという手紙であった。そしてその後に明日早速キャゼリン嬢は大使館へ出向いてくれるはずになっているから、明晩殿下の御動静判明次第早速またお知らせするつもりであると付記してあった。せっかく起きたらすぐ出かけようと意気込んでいた矢先であったから、何のこった! 散々人を騒がせておいてと張合い抜けがした。しかしもちろん私なぞがヒョコヒョコと出掛けて行って門番に軽くコナされて帰って来るよりも、同国人でありかつはジャルディン卿の妹であるキャゼリン嬢の行く方がどのくらい効果的だかわからないのであったから、もちろん私に異議なぞのあろうはずもないことであったが、頼まれてみると尻込みしていたくせに、こうやって断り状が来てもう行かなくてもいいということになると何となく、自分が廃物視された気持がして妙に奥歯に物の
挟まったような心地であった。その妙な気持で一日、私は机の前に坐り込んでいたが夕方近くなって、もう今頃はそのキャゼリンという婦人が戻って来て、太子の動静がわかった頃だろうと思うと、何とも言えず気になって書き物をしていても落ち着かなかった。やがて夜になればまたカ氏から何か知らせてくることとは思ったが、到頭それまで待つ気がしなかったから、夕飯を済ませるとともかく散歩かたがた様子を見に行くことにした。地上あらゆる物がすべて青白く絵のように見える月のいい晩であった。戦争に緊張はしながらもさすがに月の光を浴びて街路には爽やかな秋の夜を楽しむ散歩の人影が一杯であった。その人混みを分けながら自動車を飛ばせていると、私はまるで印度の
社稷を双肩にでも担ったような緊迫した
慌しさを感じて、亡国の悲しみや哀れさなりやが今更のようにハッキリと胸に迫ってくるのを感じた。
そしてわざと暗い所を
択って
縺れ合ってゆく柔弱な
輩を見るといきなり横づっぽうの一つも張り飛ばしてやりたいほど
癇がたって、
「恋愛なんぞに
耽っているべき場合ではないぞ! 祖国を亡国にしたくないためにはまず何をなすべきかを考うべき場合だぞ! クソ! クソ! クソ!」と浴びせかけてくれたいほどの義憤に似た感情の湧き上るのを覚えた。
やがて自動車がそれと覚しき
槐樹の植込みの茂った前庭付きの立派な洋館の前へ止ると、私は家を見上げ見下ろし、今更のごとく
佇まざるを得なかった。これはいかに私が力み返っても無資産の私風情の保証では三池信託が貸したがらぬのも無理はないことであった。
さすがに家賃は月に三百八十円、年にしてもそれにチョッピリ毛の生えたくらいしか納めていない私のお邸とは大分の開きであった。低い鉄柵の門があって、そのすぐ右手にはおそらく今度の騒ぎが起ったために中止しているのであろう、屋根だけ
葺いた
車庫が怪物のような口をあけて中には立派なイスパノスイザが灰色の胴体に月光を浴びていた。その左手に砂利を敷いた道が三つ四つの花壇を
廻って芝生の上を宏壮な玄関へと導いていた。こんなどえらい邸宅の保証人になろうと踏ん反り返った橘という野郎も随分身のほど知らずの大
莫迦野郎であったが、この富や身分の相違にもかかわらずたくさん有力な日本人もあろうに、
択りにも択ってこんな貧乏な人間を友達にして、大小となく相談をかけている印度の太子やそれに
随き従っている周囲の人々の心を考えると、私には温かい友情というものに
饑えているこの人々の心が眼に見えるようであった。
「タレ? タレ? タレデシュカ?」と、私の自動車の音で飛び出して来たのであろう。さっきから玄関には二、三人の人影が黒くかたまってウロ覚えの日本語で私の近付いてゆくのに声を掛けていたが、「橘です」と答えると、「
Hallo Hallo!
Drop in!」といきなりバラバラと先を争って砂利の上へ飛び出して来た。
「いいところへ来て下さった! 今あなたへ電報を打とうと思っていたところです!」とシャアが、真っ先に、私の手を握った。「さあ! どうぞはいって下さい。キャゼリン嬢もさっきから来ていられます」とカ氏も言った。
「太子はお帰りになりましたか?」
「NO!」と一斉にいずれも頭を振った。「お話ししたいことが山ほどあるのです。さあどうぞどうぞ!」と私の手を
執らんばかりにして、一同の連れ込んだのはすぐ右手の広い応接室であった。天井からシャンデリアが
煌々と輝いているほかにそこには幾つかの大きな美しいスタンドに灯がはいって、
贅沢な長椅子や
座蒲団や
卓子なぞがいかにも王子の応接間らしい
豪奢な飾り付けを見せていたが、主のない部屋の中は寒々とした一抹の
空虚をどことなく漂わせているように感じられた。そして正面壁間に見覚えのある
父王や姉君のカムレッシ王女の大きな油絵が懸かってその下には同国人であろう、よく顔を見る二人ばかりの印度人が腰を下ろしていた。肝心のキャゼリン嬢の姿の見えないことがちよっと物足りない感じであったが、ともかく招ぜられるままに、私は今まで連中が、額を集めて協議していたであろう一座の中へ早速加わることにした。
「実は御足労でも明日の朝、いらしていただこうと思って今あなたのお宅へ電報を打とうとしていたところなのでした。ほんとうにいいところへ来て下さいました」とジャヴェリが口を開いた。そしてそれを待ちかねたようにカ氏もシャアも一度に語り出したのは大体次のような経過であった。「今日早速、キャゼリン嬢が行ってくれて、英国の大使や参事官、例のグレーヴス二等書記官たちとも種々相談してくれたのであったが、結論として大使館側の言い分では
印度総督からの
通牒によって、大使館では到底ナリン殿下の日本滞在を許容するわけにはゆきかねる。紡織や染色を研究されるだけの留学に必ずしも日本でなければならぬという理由はこれを認めるのに大使館当局も苦しむ。
印度総督からの通牒にも特にその点を強調してきている。かたがた留学地としては大使館当局としても英国臣民たる太子の御自省に待って第一に英本国をお勧めしたいけれども、これは太子御自身にいろいろ御都合もおありのことと思われるから、こちらから重ねてお勧めすることは御遠慮申し上げる。よって第二の候補地としては
仏蘭西もしくば米国、この二カ国中において、適宜の地に至急選定替えを願いたい。もし右二カ国を御承諾下さらず、あくまでも日本滞在を固執なさるならば、大使館当局としては、
已むを得ず旅券の返上をお願いするという意味のことを今日まで御相談していたが、太子は頑として翻意なさらなかった。もし、日本留学を許可しないならば自分は残余の国へは留学する必要を認めないからこのままヴィルプールへ帰国するとの御主張であったから、已むなく大使館では
印度総督及びヴィルプール
国王や同国首相らの意見を徴する間、便宜上大使官邸に御滞在を願ったのであって、召使いの印度人たちは太子を抑留したとしきりに騒いでいるそうであるけれども、決してそんな強制的な意味なぞのあるべきものではない。立派に太子御自身も御承諾の下に、大使官邸の賓客として御滞在になっていたことは、やがて、太子御自身の口からも判明するであろう」
と
吐したそうです。そして事実またキャゼリン嬢が見たところでも大使館では太子殿下に、充分な礼儀を尽して現にキャゼリン嬢がお部屋へ伺った時にも太子殿下は向うむきに御書見になっていられて、口は一言もお
利きにならなかったそうですけれど、部屋の工合でも調度でも確かに貴賓に対する礼儀であったということです。「しかしそんな外交手段なぞをいくら
弄したとて抑留しているという事実には何の変りもないではありませんか!」とシャアは無念そうに身
悶えした。それを制してカ氏が何か口を挾もうとしたが、ちょうどその時絹
摺れの音がしてコツコツと当のキャゼリン嬢がはいって来たので、私たちの話は一応ここで中絶の形になった。
褪紅色の上品な
訪問着を着けて
綺麗な優しそうな眼は幾分疲れを帯びた風情に
恍惚と見開いていたが、こないだホテルで逢ったとおり、まず感じは一口に言って
豪奢というのが一番当て
嵌っているように思われた。私という不意の新しい
来客があったためにどこかでしばらく遠慮していたらしい
気色であった。もちろん面と向ったのはこれが初めてであったから、カ氏の紹介で私たちは初対面の
挨拶を交換し合ったが、
「お名前はこの方たちからもしょっちゅう伺っておりました。太子殿下にいろいろお世話下さいますそうで、この方たちも大変お力にしております」
とにこやかに会釈した。そしてそこに腰を下ろしながら、「さあ! どうぞお話をお続けなさって!」と私の方に
微笑みを送りながらカ氏やシャアを促しながら自分は伸ばした脚の甲を重ねて、
凝乎と話に耳を傾けようとする姿勢を執った。美しくても年は二十二、三か四、五、一体の様子がちょうど太子の姉かなんぞのような趣を見せていた。そしてここの印度人たちに対してはさすがに英国貴族としての
誇りなり威儀なりを持して接しているようではあったが、それも別段にわざとらしいところもなく初対面ながら私に対する態度なぞは、
肚の中はいかにもあれ、すこぶる
淑やかに礼儀正しく、高い教養もあり洗練された社交的の典雅さをも示して、噂に聞いていた兄の
駐在官の風貌なぞとはまるで別人種のような好もしい印象を与えたのであったが、今の私の気持には正直なところこのキャゼリン嬢なぞにこまかい注意の眼を向けている
暇はない。さっきからの話の方に気を奪われていたのであった。カ氏の話が続けられた。
そこで今日キャゼリン嬢が大使館へ行った。大使館当局で言うのには、もしこれがせめてもう二、三日も以前であったならば、将来キャゼリン嬢との結婚もしくば同棲の約束を太子自身の口から誓約されるならば、大使館は喜んでキャゼリン嬢引受けの下に太子の日本滞在をお許ししたであろう。しかし、時日が二、三日遅すぎた。すでに一切の交渉がニューデリイの印度総督との間にすっかり結了してしまった現在であるし、のみならず本日の朝に至って太子御自身もついに
亜米利加留学の意志を表示せられた。もはや事態は一切確定してしまった後であるからせっかくの御依頼であるけれども、いかんとも取り計らい難くて残念である……。
「これが今日の午後にキャゼリン嬢の
齎して下さった知らせなのですが、そこにはいろいろなまた私たちにはわからぬ事情があったのでしょうが、ともかくも今申し上げましたように、殿下は本日朝亜米利加留学に御同意を与えられたそうなのです。そこで私共としても、早速その運びにしなければなりませんが、実は大使館からの知らせで、殿下は至急あなたに一度お逢いになりたい希望を
洩らしておいでになるそうです。いかがでしょうか? 大使館へ行って逢っていただけませんでしょうか?」とカ氏が言葉を切った。
「もちろん喜んで!」と私は
頷いたが「今から?」と聞いてみた。
「NO! NO!」と口を揃えてカ氏もシャアもジャヴェリも頭を振った。「もう今からでは、時間も遅いですし、太子殿下もお
寝みになっていられるでしょうから明日で結構です」
「殿下の御仕度を伺いに明日私も大使館へ行くことになっていますから、あなたの御都合のよろしい時間をそう
仰有っていただいて御一緒にまいることにしましょう」とシャアが誘った。もちろんそれにも異存はなかったからともかく明日の朝九時半キッパリに、一緒に行くことを約束したのであった。私たちの間の相談が
纒まったとみたのであろう。
「さあ私ももう帰らなければなりませんが、車を言って下さいませんか」と気が付いたように、キャゼリン嬢がジャヴェリを顧みた。そして「せっかくあなたもお骨折り下さいましたのにまことに残念でございました」と私に
淑やかな笑顔を向けた。
「私もどうかして、この方たちの望みを叶え、太子殿下の御希望も叶えて上げたいと思いましたが、今お聞きのようなわけで事がすっかり行き違いになって残念でございました」
「では太子殿下が
亜米利加へいらっしゃるのでしたら、あなたもやはり亜米利加へおいでになりますか?」と
不躾だとは思ったが私が聞いてみたら別に否みもせずに、「ええ」とキャゼリン嬢は
羞ずかしそうに微笑んだ。その態度が別段悪びれもせずあくまでも自分の恋に忠実ならんとする様子がありありと
面に
溢れているだけ私は、何ともいえぬ気の毒な気持がした。カ氏はこの恋を
業だと評したが、いつ自分に好意を持ってくれるともわからぬ兄を殺した異国の王子の後を慕って淋しい女の身で流浪の旅をどこまでも重ねてゆこうとしているこの婦人の恋を、私もまったく
業だと感ぜずにはいられなかった。そしてあまりの気の毒さで、どんな事情があるのかは知らないが、これだけの優雅な典麗な美婦人の純真な恋になぜ太子は
面を背けていられるのであろうかとつくづくそれを淋しく感ぜずにはいられなかったのであった。
やがて車が来て、「またお眼にかかります」とキャゼリン嬢の立ち去った後で、私もまた明朝を約して、
暇を告げたが樹木の多い
霊南坂付近の家々はもうすっかり深い眠りに就いてしまったと見えて、ただ遥かの高台の首相官邸や書記官長邸と覚しきあたりから
煌々と木立ち越しに電灯の光が
洩れているばかりであった。そのひっそりとした夜の静けさを破って、
溜池か虎の門方面にまた戦勝の号外屋でも走っているのであろうか、
曲りを
軋っている電車の響きの間々から遠く躍るような鈴の音が聞えていた。タクシイを拾うつもりでその鈴の音を聞きながら月ばかり白々と冴えている人っ子一人通らぬ
永田町の坂を登っていると私の頭からは、太子の
俤も今別れた
数奇なキャゼリン嬢の姿もみんな消え失せて、この戦争の陰に着々として来るべき日の備えをしている英国の
猜疑と暗躍とがしみじみと考えられてきた。我が国民が戦勝に気をよくして眠っているこの深夜、表面は何食わぬ顔をして
万籟声なき最中なるに、おそらくは電信機の火花を散らして世界にめぐらした秘密触手を動かしているであろう英国大使館の姿が思わず
慄然と想像されてきたのであった。
いよいよその翌日、私がシャアと車を英国大使館へ乗り付けた時には、すでに太子は床を離れていられたのであろう。そして太子が大使館の強圧を容れて、留学地を日本から米国へ変更されたことが大使館当局をして意を安んじて私に太子との面会を事なく許させてくれたのであろうか。別段、話に聞いていたような不愉快な印象を与えられることもなくかえってすこぶる
慇懃に、大使館本館の応接間に招じ入れられた。権謀外交の本家本元であり、
奸黠老獪外交の本家本元ではありながらも、さすがに本館奥まったこの応接間近くは
森閑として
咳の音一つ聞えず、表を通る廊下の
跫音や、よく日本の役所に見るような人の往来の
慌しげな気配なぞは少しも動いてはいなかった。入り口から引き続いて長い廊下一面に敷き詰めた
絨緞にも、どっしりとした
樫の椅子
卓子やあるいは、重く垂れた
帷、そこから見えるよく手入れのゆき届いた美しい庭の芝生や木立ち等、そのどこにも、大英老帝国の
燻んだ渋さなり落ち着きなりが漂っているように思われた。が、しかし、その落ち着きには似ず、思い
做しかこの部屋の中だけはそこらじゅうに声を潜めた眼が光って周囲から
覗かれているよう気持
[#「覗かれているよう気持」はママ]がした。
そしてそう感じたことは必ずしも私だけの気のせいではなかったとみえて、
「
森閑しているようですけれどどこに耳が付いていないにも限りません。用心しましょう」とシャアが私の耳許で
囁いた。その途端に、コトリコトリと廊下に、跫音がして、
闥が静かに開かれた。たちまちシャアは椅子を離れて突っ立ち上ってそこに姿勢を正した。太子が入って来られたのであった。立ち上った私の前につかつかと進んで来られたが相変らず落ち着き払った、しかも満面に懐かしそうな微笑を
湛えて、
「よく逢いに来て下さいました
MR・タチバナ」と穏やかに手をさし延べられた。「一度お眼にかかりたいと思っていました」と傍らに直立しているシャアに眼を移されると何か優しくカッチ語で言葉をかけてそのまま正面の椅子を引き寄せられたが、鬼をもひしがんばかりのシャアはその瞬間今にも両眼涙を
溢らさんばかりに硬ばって身を震わせながら突っ立っていた。久しぶりに主人の無事な姿を見た喜びか、あるいは今母国語でかけられた言葉がそれほどまでの感激を彼に
齎せたものか、この忠義一途な若者は
頓には口も
利けぬくらいに硬ばり切っているのであった。
「何からお話し申し上げていいかわかりませんが」と太子は静かに机の上に両手を組んで私の顔を打ち見守られた。大使館に起居していられるせいであろう、薄茶色の背広に、
酢漿草模様のネクタイを着けて、美しい頬には穏やかな片笑みを湛えていられたが、気の迷いか口辺、
眉のあたりに幾分苦悩の跡を残しているように思われた。
「詳しいことはお話しすることも許されませんが、定めしシャアやカパディアあたりからお聞き下すったことと思います。思い掛けぬいろいろな事情が起りまして、私の意志どおりに振舞うこともできなくなりました。已むなく今度
亜米利加の方へ留学地を変えることになりましたが、あなたにはいろいろ深いお世話になりまして、お互いの友情がもっともっと親密になることを祈っていたのですが……」と太子は言葉を切って
凝乎と私の顔を
瞶めていられた。「一度
発つ前に心からお礼を申し上げたいと思っていましたところへ、昨日
MISS・キャゼリンが来られたと聞きましたので、もしこの願いが聞き届けられるならと大使館の方へ通じておいたのですが、幸いにも私の希望が達せられてこんな
嬉しいことはありません」と太子はポツリポツリと言葉を切りながらまたここで声が途絶えた。胸中に去来する
劇しい感情のために思うように言葉も続かぬ様子であった。私も太子の胸中を察して
凝乎と声を呑んで太子の
面を打ち見守っていた。
「しかし
MR・タチバナ」とややあってまた太子が続けられた。
「長く交際しても何の思い出も残さぬ人もあれば、相逢う期間は短くても胸にいつまでも残って忘れ得ぬ思い出になる人もあります。私はたとえお国を去りましても――もう再びお国へまいることもできなかろうと思いますが、あなたと御一緒に映画へまいったことも、また御一緒に帝国ホテルで食事をしたりあなたが愉快に酔って下さった記憶をも忘れることはできないと思いますが、あなたも私のことを覚えていて下さいましょうか?」
「もちろんです。太子殿下」と思わず私の口からも初めて殿下という言葉が出てきたのであった。「私こそいつまでもその記憶を忘れることはできません、が、しかし殿下!」私は勢い込んだ。「私には事情はよくもわかりませんが、昨晩カパディア氏から聞くところによれば、もし
MISS・キャゼリンが引き受けさえすれば、そしてあなたさえ米国留学を御変更になってもっと日本にいたいと仰せになれば、大使館は条件付きで許可すると言っているそうではありませんか。たとえMISS・キャゼリンはお嫌いでも一時の手段としてでもここをなんとか切り抜けてもう少し御滞在になるわけにはゆきませんか?」と無駄とは知りつつも私は力を
籠めて太子の顔を打ち見守った。
「誰がそう申しました?」
「
MR・カパディアがそう言いました。MISS・キャゼリンから聞いたと言って!」
「大使館がそういう意向だというのですか」
「そうです」と私は
頷いた。
「いいえ違います。あなたは何にも御存知ないのです」と太子は静かに、しかし
諦め切ったように淋しい微笑を
湛えて頭を振られた。「
MISS・キャゼリンはそう考えているでしょう……それは大使館があの人にそう思わせているからです。しかしもう私個人の意志ではどうすることもできないところまできているのです。私の乗る船も明後日のイキトス号と決まっているのです」と太子は
愁わしげに
瞬かれた。
「あなたの
仰有るように、あの人が引き受けるとか、引き受けぬとかいうくらいで変更されるそんな性質の問題でもなければ……また私があの人が好きとか嫌いとか」と太子は面を染められた。「そういう性質の問題でもないのです。私は一度も自分から
亜米利加へ行くと言った覚えはありません。しかし、私の国の総理大臣と
父王と印度政庁とここの大使館とこの四者間でそう決定してしまったことですから、もう私自身には何とすることもできないのです」
「それなら殿下は……」
初めてこの瞬間に私には大使館の
執っている処置の全貌が
朧げに飲み込めたような気がして、今更ながらに、変幻極まりない陰険な英国の印度政策のすべてをグザと見せ付けられたような気持がしたのであった。
「もう言っても何にもならぬことですから、そんな話には触れないことにしましょう」と太子は卓上に投げていた私の手の上に静かに両手を重ねられた。「私はもう何事も諦めています。ただあなたにお願いしたいことは、あなたがいつまでも私と私の国との友情を覚えていて下さることだけ……それを私は……」
「決して忘れはしません。私の命のある限り私は覚えているでしょう!」と太子の不思議な涙が私にまでも息詰まらせるような感情を
齎せて、私は夢中で太子の手を握り返した。そして大急ぎで付け加えた。「しかし
亜米利加へおいでになれば私に手紙を下さることも御自由でしょうし……亜米利加へは行かずとも、いつか一度は私もきっと印度へは――印度のお国へはまいるつもりです。お互いにその時にはまた殿下逢えるではありませんか!」
しかし不思議なことに太子は私の言葉には何とも返事はされなかった。ただ満足そうに心から嬉しそうに幾分
憔悴の見える頬に
靨を
泛めていられるばかりであった。そして黙ってチョッキの
隠しから小さな金時計を出して眺められていた。
「私が小さい時に、
父王から貰いました。それ以来、私のずっと大切にしていましたものです」と言って私の
掌にそれを握らせた。そして握らせた上からまた両手を重ねられた。「ほんの五、六分間という約束で私はあなたとの面会を許されています。お名残りは尽きませんけれども、これでお別れをいたしましょう」と彫像のように突っ立っているシャアを見上げて二言三言また何か言葉をかけられた。見る見るシャアの頬には
迸るような喜色が
泛んで、泣かんばかりに引き締めた表情で頭を下げた。
「ではよく来て下さいました。
MR・タチバナ、あなたもお身体をお大切になさって!」
「殿下! 私はお
発ちになる前にもう一度船までお見送りいたします」
「私は……日本の国を思い出す時にはきっとあなたのことを思い出します」と太子はもう一度あと戻りして私の手をしっかりと握られた。そしてそのままつかつかと足速に扉の方に近付いて私の方も振り向かれずにそのまま
闥を排してしまわれた。
「…………」
呆気に取られた私が、急いで扉を排した時に、
一瞥でなぜ太子がああも急いでいられたかが飲み込めた気持がした。書記官なのか訳官であるのか、顔は見えぬからわからなかったが、二名の大男の英人が、私に背を見せて、今奥の方に立ち去って行かれる太子の後ろに
随き従っているのであった。英国大使館では、おそらく身分の高い
太子殿下に敬意を表して、警固に付けておいたと弁解するであろう。しかし大使館当局がなんと
詭弁を弄そうともこの瞬間私の目撃したものは、英国大使館はナリン太子を待遇するに
鄭重なる「
囚人」の礼をもってしていたことを私はこの眼でハッキリと意識したのであった。
そして私が淋しい気持で自動車に乗っている時、怒りっぽいしかし無邪気なムッツリとした、しかし子供のように単純で率直なシャアは、「
MR・タチバナお喜び下さい! お喜び下さい! 今
太子殿下が仰せになりました。お伴は私一人と決まったのです。私がお側に随いていますれば御安心下さい! どこでどんなことが起ろうとも太子殿下のお身体に指一本でも触れさせるものではありません!」と車上に躍り上らんばかりにして、喜悦を満面に現しているのであった。
「そしてジャヴェリは?」と私が聞くともなく上の空で聞いてみたら、
「日本にいましても仕方がありませんからもう帰国しますでしょう」と怒ったように答えた。
越えて二日、私は太子のことのみを考えて哀愁と思慕とで胸の閉されるような思いを続けた二日の後、太子の乗船イキトス号が横浜を
解纜する日には何を
措いても見送りに
埠頭へ出かけて行った。出航まで余すところわずかに二日間では何をしようにももう間に合わなかったから、せめて太子の旅情を慰めるためにもと文楽座の人形使いを
象った博多人形を一個と、これも
亜米利加へ着かれた後の記念にと思って七宝のカフス
釦を太子とシャアとに一対ずつ財布の底をはたいて用意した。そしてそれを船中で手渡ししようと思って舷側を駆け上ったのであったが、驚くべしこの英国船中の警戒は厳重を極めてB
甲板太子の
船室の前には例の私の見た大使館員なのであったろう、英人二名が張り番をして絶対に見送り人を近付かせなかった。しかも太子の
船室のみかは! その船室への通路にさえも菱形に一本マークを着けた船の
士官が両側の入り口に一人ずつ頑張って何としても近寄ることを許さなかった。埠頭にはすでに黒山のようなイキトス号見送り人の喚声が湧き起って
眼球の
碧い船員たちは
忙しく出帆の準備に立ち働いている。そして見送り人の退船の
銅鑼の音はさっきから引っ切りなしに触れ廻されている。太子やシャアに贈物を抱えて来ているのは一人私ばかりではなかった。私たちは気が気ではなかった。しかも
士官は何としても通そうとはしてくれぬ。眺める通路の中ほど太子の
船室と覚しきあたりには、見るから憎々しい
赭ら顔の
大兵な英人二人がこちらを眺めながら平服の腕を組んで
傲然と語り合っている。カ氏やジャヴェリたち印度人一行の
激昂はその極に達したのであった。
「我々の太子殿下は
囚人ではない!」
「英人は何故かくも印度王族の自由を束縛するのか!」
「
新聞記者に訴える。英国大使館のこの暴状を我々は新聞記者に訴える。
船長に通じてくれ!」印度人たちは口々に呼ばわって殺到した。が、
士官はただ冷やかな笑みを口許に
泛めているのみで、いっかな通じようともせぬ。見送り人は続々と下船して
銅鑼はいよいよ身近く鳴り響いてきた。ついに
事務長らしい
制服の上級士官が現れて、その取り
做しで船の
給仕が私たちの携えてきた贈物一切を両腕に抱えて、ひとまず船長室まで
搬んで行った。後で太子に御通ししておくという
挨拶で、私や印度人たちの一行はここで声を限りに
万歳を絶叫した。それは船室の奥深く閉じ
籠っていられる太子やシャアの耳にまで達したかどうか? しかし私たちは天にも響けと四
度五度帽子を振って躍り上って
万歳を絶叫した。私も印度人ではなかったが、この瞬間だけは「万歳」という特定語を持たぬこの印度の友達と心を一にして声の限りに「ナリン
殿下」を絶叫したのであった。
宥められ、すかされながら私たちが船を降りると同時に、たった一つ残っていた
板梯子も引き下ろされた。海面に
谺して汽笛が物憂げに鳴り響き、今や雨のごとくに降りしきるテープとハンカチの波の向うに、この時突然太子とシャアとの姿がボート
甲板いささか
船首寄りのこっちに現れたのであった。シャアは黙って太子に従い、太子もまた黙然と
佇立して私たちの方に
訣別の眼を向けていられる。海を圧する歓呼と万歳声裡に
船橋塔の
彼方、
檣に高く
英国旗を
靡かせたイキトス号はいよいよ巨体を揺すぶって埠頭を離れ始めたが、太子はただ彫像のごとくにこちらを
瞶めて立っていられるのみであった。しかも私はこの時この瞬間の印度の友達たちの太子に対する訣別ほど、世にも悲壮厳粛を極めた光景を未だかつて経験したことはなかったのであった。見よ! あれほど激昂し
犇めき合ったその怒りも失せて、もはや誰一人手を振るものもなければ
万歳を絶叫するものもない。カパディア氏もジャヴェリもシュカーリャと呼ぶ太子の料理人も、シュカーリャと一緒に印度から来た従僕たちもそしてそのほか二、三のヴィルプール人たちは、ただ粛然と
襟を正してその黒い頬に止め度もなく涙をふり落としながら、涙の眼を挙げて自分らの太子の淋しい船出の姿を
凝乎と彼方に見上げているのみであった。テープは切れて花のように乱れ飛ぶ中に、耳を
聾せんばかり
怒濤のような喚声の中に、この一団ばかりはただ止め度もなく涙を
溢らせて突っ立っているのであった。そして船尾に白浪が湧いて、太子やシャアの姿は小さく小さくやがて人影はただ一つの船影と溶け去って、二万一千
噸イキトス号は波の向うに煙を吐いて行くのであった。
そしてついに現実の上にもこの物語の上にも
終りを告げる日がやってきた。よもやと考えていた我らの
杞憂はついに事実となって、わずかそれから十日の後船はいよいよ米国領海に近付かんとして、
布哇出航二日の後、太子並びにシャア逝去の悲報は突如として
齎されたのであった。カパディア氏からの急報で私がヴァローダ商会へ駆け付けた時には、在京ヴィルプール人はことごとくヴァローダ商会の二階広間に集まっていた。すでにキャゼリン嬢は太子の後を
逐って次の便船ベルゲンランド号をもって
桑港へ旅立ち、印度から来た
料理人、従僕らも一足先に帰国して、残るはわずかに邸の後片付けを終ってひとまず国へ引き揚げる
手筈になっていたジャヴェリとカパディア氏とあと三人ばかりの印度人のみであったが、これが今在京ヴィルプール国人のすべてであった。
正面壁上に黒リボンを
掩うて生けるがごとき故殿下の愛らしき印度王族姿の肖像を掲げ、その肖像の右肩に小さな花輪を
懸けて、今しもそこに
悄然と涙を呑んで
黙祷していたらしい一団は私が
闥をはいると同時に涙の筋をひいた顔を挙げて目礼したが、その中から
慌しく立ち上ったカ氏とジャヴェリとが同時に右左から私の手を握りしめた。ワナワナと身を震わせて涙が込み上げて絞るような悲痛な声であった。
「
MR・タチバナ! 私共の太子殿下は……太子殿下は……お果てになりました。もう万事おしまいです! さあどうぞ! 殿下のために
冥福を祈って上げて下さい。あなたは殿下の一番のお友達でした」
そして血走った
眼物
凄く右と左から黙々として私に大使館からの公文電報を突き付けた。
「……これが、我々に信じ得られるとお思いでしょうか? 疑いもなく××です。殿下もシャアも! 見て下さい! 我々を
瞞着するために大使館が寄越したこの電報を!」
声を
顫わせてカ氏とジャヴェリとの悲憤の手に握りしめられていたクシャクシャの電報三葉は左のごとくに読まれた。
ナリン太子殿下横浜御出航以来御不例予テ船医ニ於テ流行性脳脊髄膜炎ト診断船中ニ於テ御加療中ノ処病勢御険悪発熱三十九度五分囈言アラセラレ、嘔吐数回嗜眠状態ニアラセラルル旨イキトス号船長ヨリノ無電ニ接ス。大使館ニ於テハ取敢エズ更ニ詳報方船長ニ向ケ打電同時ニ別掲容態表並ニ乗組船医二名ノ手ヲ以テ最善ヲ尽ス可キ旨同船長ヨリノ回答ニ接シタリ。桑港着直チニ皇后エリザベス病院御入院ノ件在ワシントン英国大使館ヨリ桑港英国総領事ニ電命ノ趣、唯今通知ニ接ス。右大使閣下ノ命ニ依リ通牒[#ルビの「つウちょう」はママ]ス。
一通は、
ナリン殿下容態御佳良ナラズ。最善ノ施設ヲ以テ船上御手当中遂ニ本日午後七時二十七分、西経百三十三度四分北緯三十二度六分桑港ヲ隔タル海上八百三哩ノ洋上ニ於テ薨去遊バサル。御遺骸ハ船長室ニ安置シ、イキトス号桑港着ト同時ニ、パナマ経由、ボンベイ行メンダリアス号ニ移シ御帰国ノ予定。
目下イキトス号ハ半旗ヲ掲ゲテ航行中ナル旨九時二十分無電ニ接セリ。太子ハ深厚ナル哀悼ノ意ヲ直チニ在ヴィルプール王宮並ニ政庁ニ送達、尚御遺骸移送其ノ他ニ際シテハ万遺漏ナカランガ為メ在米英国大使館ハ在桑港総領事ニ電命ノ旨唯今通知ニ接ス。
そして残る最後の一通は、
ナリン殿下薨去ノ趣前掲通牒ノ如クナレドモ、御遺骸移送ニ際シテハ特ニ慎重ナル可キ旨、イキトス号船長ヨリノ無電ニ接ス。尚為念、従者ラジック・シャアナルモノハ殿下御看護ニ際シ感染本日午後一時三十分死去水葬ノ趣唯今イキトス号船長ヨリノ無電ニ接ス。
「これがあなたにはお信じになれますか! 英政府の
常套手段です。ことごとく既定の計画だったのです!
卑怯な! なんという卑怯至極なやり方でしょう!」とジャヴェリとカ氏はハラハラと落涙した。「船中で……英国船の船中で船医に命令すればいかなる真似でもできます。シャアが感染するほど激烈な脳脊髄膜炎ならば、なぜ同行の大使館員二人には
染らないのでしょう! これでは殿下は死んでも死に切れません! いいや殿下は我慢なさっても我々印度人にはもう我慢がならないのです」
途端に並いる印度人一同の間から
歔欷の声が
洩れた。そしてその時誰かが、
「
MR・タチバナどうぞこちらへ」と私の席を作ってくれた。その席に立ってそして黒リボンに飾られた壁上の太子を見上ぐれば、それは生ける日のごとく眼は美しく、唇は微笑んで「
MR・タチバナ、あなたは私を覚えていて下さるか?」とあの英国大使館で別れる時に微笑まれた
在りし日の
俤そのままであった。聡明なる太子はすでにもはやあの時自己の運命の
帰趨は充分に悟っていられたのではなかったろうか? 見上げている私の眼にも熱い熱いものがたぎり立ってきた。
「殿下、私も私の命ある限り決してあなたを忘れはいたしません」と私は心のうちで繰り返しつつ、いつまでも肖像を見上げて突っ立っていたのであった。
……忘れもせぬ、それは昨年の十月二十九日陰険
奸黠な英帝国の対支策謀の事実が次から次へと暴露してちょうどこの日赤坂三会堂における第三回の排英大会に我が日本国民の血潮が沸騰し切っていたその当日のことであった。