前に村井弦斎のわた抜きあゆの愚を述べたが、あゆは名が立派だけにずいぶんいかがわしいものを食わせるところがある。そうしたインチキあゆのことを、少し述べよう。
東京ではむかし生きたあゆは食えなかった。生きたあゆどころか、はらわたを抜き取ったあゆしか食えなかったので、解釈によっては、昔の東京人はインチキあゆばかり食っていたのだといえないこともない。
そこへいくと、京都は地形的に恵まれているので、昔から料理屋という料理屋は、家ごとにあゆを生かしておいて食わせる習慣があった。料理屋ばかりでなく、魚屋が一般市民に売り歩く場合にも生きたあゆを売っていたくらいだ。
わたしたちの子供の時分によく嵯峨桂川あたりからあゆを
そんなわけで、わたしはあゆを汽車で京都から運ぶ際に
しかし、いずれにしても、あゆをそういう工夫によって長く生かしておくわけにはゆかない。本当の生簀でもあゆを入れておくと、どうしても二割ぐらいは落ちるものが出てくる。これとても食えないことはないが、味がまずい。単にまずいばかりでなく、第一塩焼きにしても
半可通といえば、東京にはもっとひどい話があった。なんでも大正八、九年の好況時代のことだ。日本橋手前のある横丁に、大あゆで売り出した
あまりの評判だからついにある日、わたしも出かけてみた。行ってみると、そのあゆなるものが、まるでさばみたいな途方もない大きな
料理人の野本君は才人でもあり、太っ腹の男でもあったから、時に応じた考えから、大あゆばかりをたくさん取り寄せ、それを葛原冷凍に預けて、出しては食わせ、出しては食わせていた。それにあゆの本当を知らぬひとびとが、彼の政略にまんまと引っかかった。しかし、この店も料理人の野本君が出てからは、なんだかすっかりだめになってしまった。
だが、こんなインチキが、必ずしも過去の語り草ばかりではなく、現在築地あたりでこの手をやっているところがないではない。
ある日河岸へ行ってみると、あゆのついた弁当が十五銭でできるという話をしている者があった。腐っても鯛という
ところが、底には底があるもので、河岸あたりであゆが売れ残ると、これを冷蔵庫へストックしておく。それがいつとはなしに何千何百とたまってくる。そうなると、その処分に困ってくる。腐ってもあゆだとすましてはいられない。そこで捨てるよりはましだというわけで、これを抜け売りに出す。こんな次第でその際には五厘のあゆ、三厘のあゆというのができる。まさか三厘や五厘でもあるまいが、二銭か三銭で相場が立ったらしい。
もちろん、わたなどないにきまっているが、ともかくあゆ入り弁当が十五銭ででき上がったのである。さすが東京は広いと舌を巻かざるを得なかった次第である。