デンマークのビール

北大路魯山人




 小島政二郎君
 ロンドンに向かう途中、カナダのグース・ベイ飛行場にて、天候回復を待つこと十二時間。
 われわれ乗客のために、朝食に出たべーコンはうまかった。アメリカ、イギリス、フランス各国で口にしたべーコンのうち最上の味でした。
 五月四日午前一時ロンドン着。三日間滞在。
 イギリスの耐乏生活は日本のそれとは比較になりません。豊かな、羨望したいくらいのものです。なるほど、イギリス人は、見たところも実感も質素ですが、それはイギリス人にとってそうなので、日本人の目から見れば、羨ましいくらいの生活です。ハイド・パークの近所にあるデパートの商品などを例にとってみても、立派なものばかりです。
 ロンドン子の歩き方の早いこと。活動性に満ちあふれています。
 今までイギリスは食べ物のまずい国とされていましたが、聞くと見るとでは大違い。さすが古い国柄だけあって、アメリカなどとは比較にならないくらい格式があり、なにかにつけて行き届いていて、味も優れています。
 ロンドンに着いたら、なにはおいてもビーフステーキを試食するのを楽しみにしていましたが、残念なことに、ここではまだ肉が配給制度なので思うにまかせず、まだこの念願はかなえられずにいます。僕がロンドンを去ってから間もなく、統制が解除されたそうで、もう一ぺんロンドンへ引き返そうかと考えています。
 ビール好きの僕、相変わらず毎日ビールを飲んでいますが、日本を離れていちばんうまかったのは、ニューヨークのロシア料理店で出された「チュボルク」というデンマークのビールでした。このビールはコクがあって、日本のどのビールよりもうまいのはもちろん、アメリカ、イギリス、ドイツ、チェコスロバキア、フランスのビールよりもうまい。アメリカのシュリッツというビールも、日本のキリンよりうまい。
 アメリカに来ている日本のビールは、かん詰のアメリカビール程度にまずい。ここにおいて、ビールもまた新鮮を尊ぶことを知りました。アメリカで飲んだドイツビールは、評判ほど、うまくありませんでした。
 これは、長い道中、船に揺られ、汽車に揺られて来るせいで、この長い間に大事なものが抜けてしまうのではないかと思います。「ビールは大びんより小壜の方がうまい」と始終いっていましたが、こちらに来て、いよいよ僕のこの考え方が正しいことを確認しました。日本を一歩踏み出すと、どこの国でも全部小壜ばかりです。日本も一日も早く小壜主義にならなければ嘘だと思います。
 五月七日パリ着。フランスのビールはとりわけまずい。これはフランスに良水がないせいでしょう。チェコスロバキアのビールは、ちょいと中将湯ちゅうじょうとうのようなにおいと味とを持っています。ドイツのビールは、ここでも評判ほどうまくありません。この程度のものなら、なにもわざわざビールのためにドイツへ行くまでもないと目下、思案最中です。
 次便はいよいよフランス料理について。





底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
   2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
   1993(平成5)年発行
初出:「芸術新潮」
   1954(昭和29)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2010年1月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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