美味いさかな、それはなんと言っても、少数の例外は別として関西魚である。さかなによっては、紀州、四国、九州ももちろん瀬戸内海に同列するものである。伊勢湾あたりから漸時西方に向かい、瀬戸内海に入るに及んでは、誰しもなるほどと合点せざるを得ないまでに、段違いの美味さをもつことは、
東京築地の魚河岸における朝の
元来、洗いづくりは、生きた魚でなくては駄目なものである。ところが京の魚市場はもちろん大阪の市場にも、東京のそれのような生簀の設備がない。あっても不完全である。従って洗いづくりに事を欠き、洗いと言っては東京の独壇場の観がないではない。だが、東京とてもあの黒だいを紙のごとく薄く洗ったものなど、てんで問題にならないものもあって、一概に誇れたわけのものでもないが、二、三百匁くらいのすずきの洗い、同じくこちの洗いなどは、充分自慢に価する。また、三、四百匁のまだいの洗いも相当のものであるが、星がれい・すずき・こちには及ばない。特殊のものに、あかえい・なまず・たこなど、ややグロなものがあるが、まずは下手珍味の類に加うべきである。こいとふなでは格段にふなが美味く、伊勢えびと車えびでは車えびが調子高く、うなぎ・どじょうの洗いを酢味噌で食う手もあるが、夕顔棚の下ででもなければうつらない。
最後に極め付この上なしを紹介する。それは百匁くらいのいわなの洗い、成熟期七月ごろの鮎の洗いなど。都会では容易ではないが、場所を得れば、敢えて難事ではなかろう。いわなの洗いは、どうしても渓谷深く身をもって臨む以外に法のないものである。私は黒部渓谷、九谷の奥、金沢のごりやなどでしばしば試みているが、星がれいに匹敵して、しかも格別という態の風味をもっていて、絶賛に価する。
今ひとつ格別のものに、北陸ではたらばがにの洗い、東京ではしゃこの洗いがある。これも珍重するに足るのみならず、簡易美食の王者と言えるであろう。裏日本の各所になまずがいる。これも星がれいに匹敵するような美味さをもっている。
(昭和十三年)