茶碗蒸しのことは、みなさんよくご存じのことでしょう。ところが、これにもいろいろとコツがある。東京のは概して卵が多く、かたまりが強すぎて面白くない。一体に茶碗蒸しの卵のかたまったのは上等とは思えない。これをもって茶碗蒸しを語るものではない。それよりも関西の、ことに京都などの安物の茶碗蒸しのほうが、よい料理屋で卵を多く使って吟味したのより、料理になっている。この安い茶碗蒸しが美味いと言うのは、卵を経済的に使っているからである。
私がある時京都で、ある人の宴会に招かれたことがあった。確か祇園だったと思う。その時、ふとしたはずみで、茶碗蒸しを食ってみたくなったので、かたわらにいた芸妓に言いつけた。すると、その芸妓が女中に頼むのに、
「卵をこうしてや、うすいのはいやエ」
と申すのであった。これは気の張った客であるから、いわゆる、京都風に卵をケチにしてはいけないというわけである。
ところが、そういう特別の注文で拵えたのは美味くなかった。つまり、卵がこてこてにかたくかたまっていたからだ。卵は薄めにして、茶碗を手に持つと、ユラユラと卵が体ごとゆする程度につくるのがよい。そうすると、スルスルして口当りがよく、しかも、卵臭くなくてよいのである。
京都風の茶碗蒸しが、ちょうどこれにあたる。元来、京都人というのは、昔からケチなので評判だが、そういう京都のケチンボウから割り出された料理で、なかなか捨て難い。
安い茶碗蒸しがひとつの証拠である。私は最初、あるひがみから安物の茶碗蒸しなどは、よいものとは思っていなかったが、色々味わってみると、存外そのほうが上等だった。茶碗蒸しのコツはそこにあるのである。それがまた料理のコツなのである。すなわち、卵一個を二合から二合半までのだしで割って、薄くするとともに、それを蒸しすぎないことである。要するに、卵は薄いものがいいという認識を、茶碗蒸しの上にはっきり持つがよい。私も最初はこの認識が足らなかった。なお、つけたしに申し上げると、中身はかも・うなぎ・銀杏・百合根・しんじょ・木くらげなどがよい。
(昭和九年)