習書要訣

――美の認識について――

北大路魯山人




 普通習書と申しますと、ご承知の通り筆をもって習うことが主なんでございますが、実は筆をもって習うということもさることながら、書を分ろう、書というものはどういう「質」のものであるかということが分りたい、分らなくてはならない、そういう「書性」とでもいうことをお互いに分っていこうということが主でありまして、書く方が第二なんであります。私の考えでは、結局、分らなければ書いたって仕方がない。分らないで書いているということは、盲目的に筆を振っていることであるから、その結果が良いのか、はっきり自分も分りはしないというようなことに陥りやしないかというのであります。
 それで、私が今までに経験しましたところによりますと、これから申しますようなことは、どうも我々の先輩がいっておいてくれなかったことで、それからまた書物にも余り書いてないように存ずるのでございます。書の上手下手は、いろいろな形容詞をもって、ことに中国では巧みな形容詞を使って説明してありますが、いずれも抽象的でありまして、我々を心の底から動かすというわけには行かない。それで、我々が知る範囲の人たちをもって私が経験しましたところによりますと、訳が分らずに書を恐がるとか、書けないことを無闇に恥ずかしがるというようなことでございます。これは畢竟ひっきょうするに、書というものがどういうものであるか、という点をよく把握しておらないために、恥ずかしい、恐いという感じがするのであると思うのであります。
 例えば一国の大臣というような人たちになりますと、いずれもが何事にも一見識を有し、物事に恐れない人が多いようでありますが、それでも一度字を書いていただくというようなことになりますと、俺は字は全く閉口だ、書を書かされてはかなわないといって固辞される。あるいはぽっと顔を赤くされるというようなことも見受けるのでありますが、それはどういうことであるか、書が下手だって恥になることはないはずである。下手というのは一体なんのことか、下手だって別に恥ずかしいことではないじゃないか、生まれつき鼻が高い人もあるが低い人もある。低いからといって別に恥ずかしいことはないではないか。それは生まれつきだから仕方がない。鼻の高低は必ずしも人相の高下を左右するものではない、というような訳で、別に書が下手だからといっても、それは習う縁がなかったから習わなかったまでで仕方のない話である。また、書道を理解する機縁がなかったので、理解するに至らなかったから仕方がないのであります。また、習っておるけれども普通にいうところの上手になれないこともある。上手ということは一体どういうことだかはっきり分らずに、ただ下手だから恥ずかしい、書けないから恐い、従って無意味に頭を掻くというようなことになるのでありますが、この点をよく呑み込んで分っていないと、それこそ恥ずかしいことになって、常に不愉快だと思うのであります。

中国の書


 書のことになりますと、書に関係のある方が百人集まるとして、九十九人までが、どうも中国の書は上手だというようであります。また、習書した経験ある方に限って、なおさら、中国の書をそう感ずるのであります。書は断然中国に限るというようなことを、これまた、多くの人が皆独り決めする習慣がありますが、私の見るところではそうではない。中国の書は例えば容貌風采のよい人間のようなもので、その人間は果してどれ位偉い人か偉くないかは別として、畢竟、容貌風采がよくてでたちがよいと、とかく買いかぶる。そういうようなふうが中国の書なるものにあるのであります。中国の書は大体において形がよろしゅうございます。そうして、あるタイプを努めて習って仕上げておるのであります。
 例えば、三角とか四角とか円とかきまった形が如何いかにも整っている。それは練習の結果なのであります。形が整って、容貌風采がよくなると、人間の場合でも、一見買い被るように、その書もまた買い被り易いのであります。形が整っておって、それがよいということになるのでありましたら、手腕的練習さえすれば、特に不器用な人でない限りは書けるに決まっています。例えば床屋の小僧などが三年もすると、どんな頭の刈り方でも覚えてしまう。あるいは大工の小僧でも三年経つと板が相当に削れる。それと同じに字だって、三年もすれば一通り体裁よく書けるのは当り前のことであります。そんな訳で形が整うばかりが尊いのでありますならば、それは本当にやさしいことだと私は思うのです。ところが、ただ形ばかり風采容貌ばかりが整ったって、必ず人がみな賞讃してくれぬように、書風書体ばかりが体裁よくできたからといって、別に誇るに足らぬと思います。また、そういうことは古くからいわれておりまして、風貌の一見して醜い人でも、人間として、非常に尊ばれている人が昔から沢山たくさんありますのは、みなさん、すでにご承知だろうと思います。

書家の書


 形ばかりのことで申しますならば、書家の書というものは一番上位に置かれなくてはならないことになるのであります。ところが、日本で申しましても、ここ百年とか二百年ぐらいの間におきまして、あるいは明治になりましてからでも、相当形のよい字を書いて世に現われた人がございますが、それは必ずしも、その人の歿後いつまでも尊敬されてはおらないのであります。そういう点に考え及びますと、形ばかりがよくたってなんにもならないのであります。そんな書体の可否ぐらいのことは手先でやれることだし、ちょっとした器用さでできることでありますから、形ばかりを云々うんぬんしてみたところで仕方がないのであります。

専門家の習書


 書家の書の習い方のように形にばかり、体裁にばかり重きを置く書の習い方というものは、これは余り重んじなくてもよい。そうしてまた、あるタイプを、その形通りに、是非ともやろうという書き方は誤ったことで、ただ素人眼に体裁がよいといったところで、それがどうなるのだということになります。それで今ではありませんが、近い過去にある書家がありまして、その書家に門人がたくさんおったのでありますが、その門人は五十人が五十人、百人が百人とも、みな同じように師の書風そのままに書いた。ある書家の門人は、その先生と全く同じ字体を書く、また、ある別の書家の門人も、その先生の書体そのままを書く。ところで、それがどうなるかというと、別に書いたというだけの話で、なんの価値もない。識者の考えます場合、ただ、形がまとまった努力に対して、誠にご苦労様であったというより他に仕方がないだけなのであります。それで、これらの点について、如何に処するかを、これから一々研究したいと思うのであります。

愛書家の習書


 軍隊の教練のように、兵卒が百人が百人、お一二いちにというわけで、足を揃えて歩むがごとき習い方をする書家の書道は、個々について見ますとき、誠に不見識で、是非とも百人が百人違った結果の字を書かなければならぬと思います。自分の本当の了簡りょうけんで、自分の嗜好で、自分の見識で習いますときに、たとえ先生が一人であっても、習う者が百人おりましたら、百人とも違った字ができるはずであります。それを、先生が一つの手本として書いたのを渡す。あるいは印刷したのを渡しまして、みなに教えるというようなことは、全く先生のご都合であって、そういう教え方は全くまちがっているし、それを習うということも、非常に不見識だと思うのであります。
 そこで、昔からたくさん良書、能書が残っておりますから、その中でもっとも自分に適するもの、自分の個性に一番よく合うもの、自分の性分として、こういう字が好きだとか、こういう字が嫌いだとかいうようなわがままをえていたしまして、自分の好き気儘きままな習い方をするのがよいと思います。習いますについては、気儘な手本の選択をするのがよいと思う。それでも、まるきり問題にならないような字を問題にいたしましては、これはもとより誤りでありますが、古来やかましくいわれておりますところの書には、そんなにまちがった例はないようでございますから、ぎこちない角張った字が好きな人は、その種の良い字を習えばよろしい。
 例えば、顔魯公がんろこうの楷書のようなものも、一見ぎこちないようでありますが、非常に自由な書き方で、かえって明代あたりの祝允明しゅくいんめいの草書などよりも自由に楽に書いてある。全く祝枝山しざん(允明)の草書よりも顔魯公の楷書の方が、ずっと自由に書けているというようなこともありますから、そういう字を習われるのも宜しい。また欧陽詢おうようじゅんのようなスタイルのよい貴公子ぶりの楷書を習われるのもよいと思います。どちらが別に悪いということではなく、皆相応なものでありますから、そういうふうに考えられて習われたらよかろうと思うのであります。

愛書家の心得


 書も習うということになりますと、とかく他所よそ行きの姿になりやすい、いわゆる気張って書く。なんのために気張るのかというと、そこまでは考えないで、なんだか知らぬで気張って書こうという了簡が起こるのであります。これが手紙やなにかを書きますと、そう考える余裕やひまがないので、すらすらと大概の人は書きます。結果から見ると、大抵の人は手紙なら生きた字を書くが、あらたまったものを書くときには、うんと技量が低下して字が死ぬ。いわゆる匠気しょうきというものが出て来る。別に金を取る匠人でなくても匠気というものが生じるのです。つまり、虚栄とか虚飾とかいうものが自然と生じて来る。そういう場合は体裁よくは書けますが、その体裁がよいというのがかえって悪い結果を招いておるのであります。
 手紙を書いたときの方が実に上手で、今度、体裁張って如何いかにも格好よく書いたときは、かえってそれが悪い死作になっておるのであります。そういたしますと、体裁のよい字というのは、これは別に必ずしもよいのじゃないということになるのであります。要するに、それは書道趣味者の眼を喜ばせるだけであって、自分が心に顧みたときには、なんだか心苦しさがあって、良心にとがめるものが残る。また識者から見たときには、誤ってつまらない点に力を入れて気張っておるものだ、というように思われるのであります。それこそ骨折り損でつまらないのであります。
 そこで形をよくして、内容を尊く、よくするということになりますと、申し分ないのであります。では一体どうしたらよいかといいますと、それには書の概念知識というものを根本的に進め、他方手腕の猛練習をやるよりほかに仕方がありません。練習が足りませんと、筆が自由に運びませんから、勢い不自由な造り字になってしまう。従って思うように練達的な線が引けない。それについても、初めから計画して線を引いたり、点を打ったりして書くということは、根本的にまちがいだと思います。
 初歩的未熟だから、習書の心掛けで計画して書くということは仕方がありませんが、最初から一点一画を計画するため不自然になり、自由に筆が運ばない。そのために、不自然な線を書き、不自然な点を打つことはまま見る実例であります。改まると手紙を書いたときのように自由な線にならない。改まっては、無意識に気張る。つまらなく見当ちがいな方面に力瘤ちからこぶを入れるために、不自然な線ができて、識者から認められないというような結果を招く実例は、習書家に見る常態であります。

技術の練習


 技術的には、なんとしても練習をさかんに致すことであります。技巧の練達は、昔から申しております技神に入るということになるのでありまして、はからずも自分の予想以上の実力が練習の結果として生ずるのであります。自分の思いも寄らない結果が起こって来るのであります。ところが、これを簡単に申してみますと、技神に入るということは、誰しもいっておって、それでお互いが分っておるつもりでありますが、この技神に入るということは、一体どんなことかという点を、余り詳しく解かれておらぬようでありますが、これはとりもなおさず、精神的なことだと思うのであります。なるべく精神的に腕を働かすこと、理智的性能ばかりではない。この頃の言葉で申しますなら芸術的である。芸術というのは、理性のみの産物ではない。これは主として精神的なものであって、その人の個性とか、俗にいう魂とかいうものが、その作品の中に織り込まれて精神的なものになって来る。技術があるところまで練達しますと、技巧がおのずから精神的になって来る。従って図らずも思いがけない結果をあらわして来る。そこで初めてその書が自分の身についたとか板についたということがいえるだろうと思うのであります。
 かように猛練習をやりまして、盛んに書く結果、能書が生まれて来るのであります。しかし、誰でも普通に猛練習をやっておったら、ある程度に入神するかと申しますと、ただ、これは習っておっただけではいかぬと思います。
 名前を表わして相済あいすまんと思いますが、明治年代の書家中林梧竹なかばやしごちくという人は、毎日朝起きると五百字いつも手習いをするとかいう話を私は聞いておりました。ところがその結果はどうかと申しますと、今日から見ますと、一向感心した書ではないのであります。それでも今日名書家とかいわれている人々に比しては、狙いも調子もよし、筆の運びも秀れておりますが、もしそれを副島そえじま伯爵の書と較べてみますと、副島伯は書家風の書を学んでおりながら、しかも、書家風には学んでいないところの自己流でもあるかの如き自由さがありまして、ちょうど梧竹翁は副島伯の書の贋物のように、また副島伯が名優であるといたしましたら、梧竹翁はその声色こわいろづかいのようなものでありまして、声色づかいではいくらそれが上手でも結局は声色づかいで、永久に名優ではないのでありますから、全く価値がないのであります。しかし、今日においては、まだ一方に梧竹信者がおるようでありますが、これとても、段々と消えてなくなるものだと私は信じております。
 では書道を根本的に理解して段々手習いしていけば、お前のいうように書が上手になるかというふうに詰問されると甚だ困るのでありますが、これにはまた生まれつきというのがありまして、俗にいう瓜のつるには茄子はならぬと申しますように、瓜は瓜にちゃんと生まれついておるのですから、いまさら瓜に茄子がなるはずがないのであります。しかし、それは少しも恥ずかしいことではない。自分は自分だけの天分を守って、自分に安んじて可なるものだろうと思うのであります。

習書の根本


 要するに人物が出来ておらなければならぬ。人物が出来るというのはどういうことかと申しますと、人物の出来る修養をしなければいかぬということでありまして、今度は手習いでなく人物をつくる方が根本問題であって、これが一番書道の上にも肝要なことであります。書を習うということ、即人物をつくるということになるのであります。
 しかし、なるほどと分ったからといって、すぐに人物を向上さすという訳には行かぬ。如何いかに習書上練達の人物が字を書いた所で、その人物(人間的価値)だけしかの字の価値はない。ところが人物が立派であれば、別に字を習わなくても相当能書的な字が書けるものです。例えば、東郷元帥の如き、その書は書家から見て決して上手な書ではない。習われた書でもない。実にがむしゃらな字だと思いますが、それでも東郷元帥の見識で、下手上手ということでなしに、俺が書いたら良い字だというような調子で、あの人の個性そのままが出ておって、かえって愉快に生きているのであります。これはやはり人物が相当に出来ているから、ああいう釘折れのような字でも、ちゃんと見られるのであります。
 要するに人物の値打ちだけしか字は書けるものではないのです。書けるというと語弊がありますが、字というものは人物価値以上に光らないものです。入神の技も、結局、人物以上には、決して光彩を放たぬものであると思います。ゆえにこのことを常に心掛けて置きまして、人物をつくる心掛けと手習いと両方致しましたならば、なんとか向上して行くものであろうと私は考えております。
 それで、「形」、いわゆる書で申せば書体に捉われないこと、書体を余り有難がらないこと、最後に手習い致します心掛けとしては、手本通りを望まないこと、その通り似せて書こうとのみ考えないことが肝要であります。

習書と手本


 例えば、ここに大雅たいがの書があります。これを習おうと思います場合に、どこからどこまでこの通りに書こうとしないでよろしい。ごらんの通り「花柳自」という字は続いておりますが、習います場合には、やはり、あの通りに続けなくては習ったことにならぬと思って、丁寧に続けて書くことを習うというような習字法が普通に行なわれておりますが、そういうことはどうでもよいことと思います。要はただ気持の点で、あそこを続けてみて気持が好い、あの続けたところに仮りによいところがあるとすれば、自分で書く場合に実際より太くなっても細くなっても、そういうことはどうでもよい。太くなるか細くなるか、続けるか続けないか、こういうことは初めから分らないとしてよい。書いて見なければどうなるか分らない。この大雅の書もはじめから、こういう点を決めて書いている訳ではないと思います。

金になる書と楽しむ書


 明治になりましてからの書家には、往々そういうことを決めて書いているのが随分あります。これは幼稚な人から見れば、某の書は何十回書いてもちっとも違わないと感心しておりますが、それは感心することでなくして、むしろ笑ってよいことだと思うのであります。何十回、何百回同じ字を書いても少しも違わない字が書けるということは、造り癖が出来ている証拠で本当によいのではない。かといって、いたずらに違えようとする計画でなく、自由な気持と練習の結果、おのずから百字が百字違って来るようにならなければならぬと思うのであります。そこで形に引っ掛かり、こうでなければならぬということになると、その心持は、すでに他所よそ行きの作意ある心持となって、人に見せるための字になっている。自分でたしなみに字を書くにあらずして、人に見せるという見栄を切る不純な了簡があるために形に引っ掛かって来る。それが看板書きだとか、あるいはペンキ書きのように体裁のよい字を書いて飯にしようというような人は、夫々それぞれ条件に註文があるのでありますから、勢い金になるとか、報酬を貰える書を書かなければならぬという立場上、仕方がないと思うのでありますが、そうでなく自分だけの嗜みで、また楽しみで書というものがなんとなく好きなために、上手な良い字を書いてみたいというふうに字に習うものならば、必ずしも形や体裁に引っ掛かる必要がない。それは自分だけが得心して行けばよいので、そういう考え方が本格的の意味において立派な字を生んでおるように思うのであります。結局、自分の字というものが生まれて来ないとおもしろくない。
 相当な人物になると、たいてい誰それの字という一種の見識ある字が生まれて来るようでございます。

手習いよりも鑑賞


 とにかく自分の習った他人の書は、やがて自分に帰ってくるといったところまで行かなくちゃならないと思います。それでなければ意義がない。兵隊のように百人が百人とも同じに歩いているのでは、書の場合としては仕方がない。そこに至るには、どうしても良い書を余計に見ることで、眼で見て習う。
 まず、手に習う前に眼でよく注視する。しかし、ただ眼だけで見ておったのでは腕の上には仕方がない話ですが、第一はこれを子細に検討してよく注視して見ることだと思います。この眼で見て習うということは、小さな形などに捉われないことになりまして、いろいろな良書を多数に見るようになり、容易に一つのものに引っ掛からないで済むようになり、そこにおのずから自分の好みというものが段々とはっきりしてきて、本当に自分の書が書けるようになるのであります。
 手本を一つのものと限って、それを堅く守って習っても、あえて差支えありとはいいませんが、また十種類の良書をそこに置いて、あちらなり、こちらなりをかじり習っておるのもよいと思います。段々そのうちに初めはよいと思っていた良書が、一番最初の好みから見て、二、三番目の書がよい、三番目のより五番目の書がよいということが会得されて来まして、かように沢山のものを見て習う習い方は、非常によい方法だろうと思います。つまり、立派な先生と沢山につきあう事であります。
 とにかく、なんとしても自由に書く、習うということがモットーでなければならぬと思います。
 西園寺公のような書でありますと、例えば明代の書を好まれるかも分りませんし、また温順おとなしい当り前の書き方ですから、特にどうということはありませんが、その人の見識がそれでよいならば、それでよかろうと思います。大雅の書のような自由な書き方も一々実は拠り所がありまして、隙あるが如くして、五分の隙もない書き方でありますが、しかも非常に自由な書き方で、内容がまた非常に美しいのであります。今ここに掲げてある大雅の書を見て思い出しましたが、「花柳自無私」という文句の中で、この終りの「私」という字が仲々読みがたいので困りますが、字画の意義を悟るという点からもなかなか自由に書いてある。結局草書はどうかこうかして読めればよいということになっておるようでありますから、字の崩し方はどうでもよい。全くどうでもよいとはいいますものの、字の崩し方というものは、遠い昔から研究しつくされておって、今ではどんな崩し方を発明してみたところが、往昔においてちゃんと研究してありますから、現今では崩し方の創意創作ということは全く許されないのであります。しかし、わざわざ故意にするということはいけませんが、時の調子で、理屈に合わなくても、字画に合わなくても、そういうことには、なんら頓着しなくてもよいと思うのであります。

能書は優美でなくてはならぬ


 ここにまた書を習いました結果の望みごととして、真の能書を期待いたしますのには、是非、一つ頭に入れてかからねばならぬことは、書が優美でなければならぬということであります。優美でなくては、良書の価値がないということであります。
 これは従来余り書道会などの人々にはいわれておりませんが、従ってそういう審美眼を進めねばならぬとか、美術、工芸、書画骨董、建築、織物、陶器、漆芸、造園とか、そういうすべての美がわかるようにならなければいかぬという教育をしている書家を残念ながら知りませんが、ともかく、能書には美がなければならぬと思います。先刻申し上げたように、東郷さんの書などは、見識はなるほどございますが、やはり武人でありますためか、また、その人の性格がしからしめますためか、美が欠けております。この美が欠けておるということは、書としてまことに惜しいことであります。
 むかしからのこっております立派な能書には必ず美が備わっておるのでありまして、美のない書というものは決して上位には置かれない。名を成している書は必ず優美さがあるのであります。その点、中国人の書よりも日本人の書の方が、実に優美なものを多量に含有しております。それで日本人の書は非常にうるわしく、親しみがあるので、結局、日本人にとって、日本の書が一番相応ふさわしいものということになります。

能書と俗書


 日本における書道史上、有名な坊さんにしても、京都の大徳寺の坊さんは、ご承知の清巌せいがんにしても、江月こうげつにしましても、また春屋しゅんおくにしましても、非常にみな優美であります。また、近頃やかましくいわれております良寛りょうかんの書にいたしましても実に美しいのであります。ところが、黄檗おうばくの方の坊さんはと見ますと、これは隠元いんげんにしましても、木庵もくあんにしましても、いずれも優美さの点では劣ります。一種俗悪なものが黄檗の坊さんにありまして、比較しますと、一見してこれは俗書であると思われます。片方、大徳寺の方が優雅な書であるとすれば、黄檗の方は俗書といい切ってもよいと思う。なかには特色のある人もありますが、大徳寺の方の書と較べてみましたら、問題にならぬ俗書であると思われます。
 中国人は概して年代が新しくなるにつれ、俗書が多くなってまいります。日本人にしましても、大体はそうでありますが、それでも儒者中で物徂徠ぶつそらい(荻生徂徠)の如きは、やはり優美性が十分あります。山陽さんようの書にいたしましても、物徂徠のような具合には行きませんが、それでもあれだけの画の描ける人でもありますし、とにかく美を解した人でありますので、その書も一応は見られるのであります。が、徂徠のように底力もありませんし、自由そうに見えても、本当はそう自由でもありません。これはまあ文化、文政頃のことで、芸術の頽廃期にあった徳川末期のことですから止むを得ぬと思いますけれども、山陽というもの、それはたいして問題にすることもなかろうと存じます。また竹田ちくでんにいたしましても、やはり、あの時代の人の作として非常に賞玩されたのは、一に優美性、風流性が豊饒であったがためでありまして、竹田の画も、書もやかましくいわれたのは無理もないことだと思います。
 明治になりましてからでも、副島伯の書が問題になりますのは、やはり、優美が沢山含有されておりますためです。あの字を見ていて、段々見上げる字になりますのは、人物として立派な上に、優美性が具わっているせいであります。先程お話しました中林梧竹になりますと、遺憾ながら優美の具わりが不十分で、美術価値が低いのであります。それから、貫名海屋ぬきなかいおくというような人が相当やかましくいわれた時代もありますが、これは竹田にはもとより及ばず、山陽にも固より及ばずというような程度の低いものでありまして、その画も南画の描法を脱し得ぬほどのものであり、たいして有難いものではありません。書なども筆法的に行届き過ぎて、腕の人としては全く立派な技術家でしたが、結果的には重箱の隅をほじくるように女性的でありまして、どうでもよいことに行届き過ぎます。もう少しぼんやりした自由な抜穴があってもよかったのではないかと思います。これはまあ私の観た批判でありまして、好むところまた各々別でもよろしゅうございますが、比較上批判的に申しますと、ああいうふうなゆとりのない、ガチガチに行届いた字は、習う方にもよろしくないし、その結果はおもしろくないと思います。

能書の時代


 かようなことを申してまいりますと、結局、書は少なくとも日本人の書でも現代から三百年位前の人の書がよろしい。それからもっとさかのぼって五百年位前になればなおよろしい。もっと溯って、弘法大師時代になれば、殊によろしいということになって、古いほどいいということになると思います。
 それで自分がこんな字を習うのは自分の柄ではないということであれば、致し方ありませんが、調子の高い良書について習うにかずと知る上は、初めからその方に近寄って行った方がよいと思います。
 しかし、各々分際ぶんざいがありまして、まるきり柄にもない字を初めからやったところで、とても追いつかないこともありますから、自分に本当に出来るものからやり始めようという考え方でやられるとよいと思います。棒ほど願って針ほど叶う、というたとえもありますから、なるべく古く逆行して、調子の高きに就くが賢明だと思います。

自分を語る


 しかし、私自身がこういっておりますと、字が書けそうに思われるかも分りませんが、私はいっておるだけであって、字は一向に書けないのであります。一体、世の中のことが分ったら、分ったように出来るかと申しますと、それはなかなか出来ぬのであります。分るということと、出来るということは全然別でありまして、分った如くに、すべてのことが出来れば、世の中というものは簡単でありますが、そうは問屋がおろしませぬ。従って書も分ったら、すぐにも書が書けるだろうと思っても、左様にはまいりませんのであります。
 しかし、とにかく分るということが一番必要であります。何のことか分らないで、盲目的に筆先ばかりで書いておったのでは仕様がない。それではどうにもならないというようなことを考えつくしました結果、なんとかして段々に書というものを解体し、分らして行きたいと僭越ながら考えました次第でございます。
 まず書道というものは、大体そういうようなものだと思っていただきたいと思います。
(昭和十年)





底本:「魯山人書論」中公文庫、中央公論新社
   1996(平成8)年9月18日初版発行
   2007(平成19)年9月25日3刷発行
底本の親本:「魯山人書論」五月書房
   1980(昭和55)年5月
入力:門田裕志
校正:木下聡
2020年5月27日作成
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