書道と茶道

北大路魯山人




 今日は茶の方の話を少し申し上げたいと思うのですが……、なぜ茶の話を申しますかといえば、それはいうまでもなく茶人の書がうまいからだということに帰するのであります。みなさんご承知の通り、ご家庭でもみなさんがお習いでしょうし、また世間で茶道とか、茶人だとかいうことを屡々しばしばいうことですが、私が遺憾に思うのは、なんか変なことがある場合に、あれは茶人だからね、というようなことをいう。それを私は遺憾に思う。あれは元来茶ということが分っていていわれるのか、それとも世間でみないっているから雷同していうのか、その辺を遺憾に思っている。そこで、それならその人が訳もなくそういっているのには、その人にそういわせるような因果な原因があると思うのです。現在、眼の当り見る所では、茶人というものが茶道を学ばずに、点茶技術のみに浸ったから、それでそう誤認されるのだと私は思うのです。茶道ということは、点茶というのとは根本的に違いまして、点茶は茶道の中の一部分である。それで茶道というものが、もし一つの立派な建築であると致しますならば、点茶はその中のなにかの一つです。木を削るとか、地盤を固めるとかいうような、茶道を知る上における契機になる力を持っているものだと思うのであります。それがいつの間にか茶道という高尚な趣味的学問は、現代人の頭ではもうえられなくなって、ひたすら茶道というものを冒涜して、そうして茶をてる点茶の事ばかりやかましくいうのであります。私の見ている茶道というのは、茶礼式というような言葉なんかを取ってしまいまして、茶人という非常な趣味家で、その趣味というのが、主として美的趣味であります。それでおよそ美的趣味に関する事ならば、なんでも、もう至れり尽せりというふうにまで至ったのが茶道という学校だと思うのであります。それに携わっている人というのは、えらいのがうんとおりまして、茶道に携わった人というものは、宜い加減の薄っぺらな人じゃない、実に一世を支配しているような力のある立派な人がみなやっている。その事実を見ただけでも、茶道というものを軽々に見ちゃいかぬと思うのです。
 昔の茶人というのは、例えば、ここに庭があるとします。と、ここがよいとか、悪いとか、どうすればよいということをちゃんと知っている。庭のことといえば、樹木が太過ぎるとか、この石がよいとか、悪いとか、大き過ぎるとか、小さ過ぎるとか、調和がどうだとか、庭園なども、非常に頭がよく働いて実に審美的のものを造る、そういう力を持っている。いうまでもなく、関西の方に行きますと、みなさんご承知の立派な庭園が沢山あります。例えば、桂離宮を遠州えんしゅうこしらえたとか、それから聚楽園も遠州が拵えた、二条城の内に武家好みの石をいっぱい立てて、形変りの庭を遠州が拵えた。その他、遠州以外の人の造った庭というのが沢山ありますが、おそらく茶道に関係のなかったものはない。また茶道に関係している者でなければ、庭なんというものは出来るものではない。それから家を建てるに当りましても木が分る。木が分るからといって、この頃のある種の人のように、高い木材ばかり使うのではない。ただ、木が良いというのは、売って値が高いという木ではない。いわゆる適材を知っておって、良い木を選ぶことができる。実に妥当な調和の取れた家を建てることが茶人にはできる。それゆえ、寸法などが非常に喧しいことになります。その寸法を今の人間から見ますと、生活状態が違います所から、天井が低いとか、屋根が低いとか、なんとか彼とかいって非難もしますが、それは批評する方の立場が違い、学問が違うものですから、いろいろいわれますが、その方の道に入って学問すると、それがおそらく誰しも感心することばかりだということが分って来る。茶人は第一書画なども非常によく分り、昔の弘法大師の墨蹟の残したのも、伝教大師の墨蹟を残したのも、その他あらゆる良い墨蹟を残し、また、なんであっても良いものを鑑賞して行く者は茶人なんです。それでその範囲が非常に広いのです。書でいえば、どんな形式の書でも良い、良い物を良いと見る力を持っている。絵でも良い絵を見る力を持っている。良いということが徹底的で、容易に他の力に惑わされない。織物のことを知っている、紙のことを知っている。それはただいたずらに立派であってもいけない。調和を一番に生かして行くものでなければならぬ。その取合わせがうまい。それから掛物の寸法が非常に喧ましい。寸法によって中の書画の取合わせ、あるいは床の間とぴったり落着かないというようなことがあって、掛物の寸法が非常に喧しい。また掛物の中で軸一つをつけるにしても、象牙をつけたらよいか、木地の軸をつけたらよいか、なかなか簡単にいかない。それが全く調和して行かなければならぬという所に、容易ならぬ学問が出来ておるようであります。それから木工品にもいろいろありますが、棚のようなものにしましても、ずいぶん名品が残っておりますが、木工品についても茶人は非常に詳しい。それから竹工品も茶に使います。竹の茶杓などに、何千円も出しておる理由が普通には分らないが、あれが分って来ると、成程、と思われる立派な芸術品であると分ります。ここにおいて、何千円、何万円出すのは仕方がない。それを使わないと、他のものでは承知しない。調和しない。茶杓は茶がすくえたらよいというだけじゃないと分って、そこでなにもかも詮議して来る。茶杓を並べて、これが千円、これが三千円と、昔の者はよく知っておるね、といわれるくらいにうまく物の詮議が行届いております。それら竹の材料なんということを考えますと、実に馬鹿馬鹿しいことでありますが、竹であるばかりでなく、立派な芸術的生命を持っているのです。原料のことを申しましたが、今日は二十万、三十万というような茶碗がありますが、原料はただの土なんです。原料なんかはどうでもよい。それは出来上がった結果が芸術になっているから高いのです。そこになると茶人は、そういうものをよく審美的に窮めておるから、ものの良し悪しが分る。漆にしましても、茶色を塗った盆もあり、赤を塗ったのもある。その他、漆に関することなども、なんでも非常によく分っている。漆でも年数を経て来ると錆びて来る。普通の意味では傷物じゃないかという訳で悪いが、それからよい美を発見して来る。陶磁器でも中国の陶磁器、ペルシャの陶磁器、朝鮮の陶磁器、日本の陶磁器、なんでもよいものをよいものとしておるのが茶人であります。
 それから物を入れる箱にしましても、重いものを入れるのには厚い箱を作っている。また桐でよいものは桐で作っている。それから樅でよいものは樅でやっている。それが少しも無理がないのであります。それに使う紐がまた調和しておって、成程よい紐で、少しなれて来ますと、これはよい箱だねとか、よい紐だねというようなことがよく分ります。最初良い書画があると、それをどうして表具しようかというので布の吟味をする。また紙の吟味をする。今度は軸のことになる。今度は寸法のことになる。今度はそのまま抛って置く訳にはいかぬから箱の事になる。箱の寸法、厚みを決める、紐は皮にしようとか、またよった紐にしようというようなことを研究するのでありますが、それがやはり自然を根本問題にしました審美眼から出て来る所の美的趣味と申しますか、それくらいに茶人というものは美的趣味が発達している。美的趣味を喧しくいいます時には、どうしても茶道の学問をしなくては分らないということになります。他にそのような美的情操を育ててくれる学校はどこにもない。どんな本を見ても、茶道以外に、そんなことを教えてくれる書物はないということになります。従ってこれに携わった人というものは、豊臣秀吉にしても、千利休でも、遠州でも、不昧ふまい侯にしても、皆茶道の先生です。教師だといっておるのです。一つの学校があるとすれば……書のことでも、絵のことでも、庭のことでも、建築のことでも、なんでもかんでも分るという、それらの人々はどんな字を書いたかということは、是非とも問題にしなくちゃならぬと思うのであります。
 茶人の書というものは、今までおそらく書道会などで問題になったことはないと思います。私は聞いたことはないのであります。なんだこれは茶人の書だね、というように軽侮の眼を以て見損われておることがあるかも知れぬけれども、茶人の書というものが能書として書道会で話題になったことはないと思います。けれども、この書道会の人が一体どれ位美的趣味があるかというと、おそらくは漢詩を作るとか、簡単に素人もちょっと書けるというようなやさしい事を目標にした、いわば幼稚な程度で出来る絵を賞玩するという程度に止っているふうがあります。
 絵でも、書でも、よいということの根本には変りはない。書でもよいということには、少しも根本真理には変りはないのでありますが、多くの書家は柄に偏する傾向がありまして、書家風に申せば、やはり、唐人風の書がよい。それから纏りのよい書がよい。綺麗に並んでいる書がよいという事になりまして、後は細いとか、太いとかいう事でありますが、柄に動いておるばかりだと私は思います。それで柄ばかりが尚くない事は、今までも屡々しばしば申し上げましたが、茶人の書というものはそこへ行きますと、なかなか柄に引っ掛からないのであります。むしろ引っ掛かるといえば、無造作に書こうということに引っ掛かっておるだろうと思います。うまく書こうという事に茶人は引っ掛かっていない。やはり、自分の心の染む字を書こうと茶人はしている。人の賞讃を博そうがために手習いをしておらぬ。やはり、自分の心の済むということだけで茶人は得心している。美的趣味が至っているから、そこまで悟れるのだと私は思うのです。つまり、まあ俗欲がなくなって来る。その筆法で利休なんかでもしっかりした字を書いております。秀吉の書も実に立派で、線がやわらかく相当肉太く、こなれておって、騒がしいというような点が少しもない。実にくそ落着きに落着いて、色っぽいというような書でもないが、書が瑞々しいところがあり、秀吉の書は非常に天真です。やはり、桃山芸術を生んだ人だけに潤いがあります。それから遠州は書家風の書を習った人で、例えば隷書れいしょなんかは四角い一種の、あの当時に流行りました石川丈山いしかわじょうざんの隷書なんかとよく似た隷書でありまして、判に彫ったような形をした隷書でありますが、それがまたすばらしく日本趣味的に働いている。ついで光悦こうえつがおりますが、光悦は中で一番書家臭く、グループの中では一番有名でありながら、私どもが見ては一番書家臭いと思っております。結局、彼は趣味を商売にした人であったからだろうと思うのです。あの当時、近衛公と、光悦と、松花堂しょうかどうとがおりましたが、近衛公が今は誰が一番書がうまいだろうかといわれると、それは私だというようなことを光悦がいったというように伝えられておりますが、もちろんそれは洒落だろうと思います。三人の中では近衛公が断然うまいのであります。松花堂が断然低いのであります。松花堂の墨色などは、ちょっと特色がありまして、非常に形式の上によく見える傾向がある。それで一方において今でも松花堂は喧しく尊重されておりますが、光悦よりも遥かにまた技巧的になるのです。しかしながら、やはり、茶人のグループでありまして、今日からいえば尚いものには違いない。そこでまあ光琳こうりん、遠州などの技巧家の中では一番飛び離れてうまいのでありますが、この中に宗和という人がおります。これもまたなかなかうまいようであります。この宗和は仁清にんせいを引き立てた人だという事であります。仁清に往々宗和の箱書があります。この字を宗和が書いたということは証明しておりませんが、そういう所が茶人だと思います。ろくでもない字を書いて置いて、長々と自分の名前を書いたり、巻頭に題したりするのもありますが、ただ、誰が書いたか折角うまく書いてあるが、人が分らないように放って置くなんということは、やはり、えらいと思うのです。大体において茶人は箱書なんぞに自分で名前を書いたものなど余りない。遠州なども決して書いておりませぬ。なぜ書かないかというと、調和を知っているからです。箱にのんこうの茶碗を書いておりますが、のんこうはその箱書を誰が書いたといっては、うるさいというようなことまで至っておるのだろうと思います。またのんこうの茶碗のどこを捜しても、のんこうの「の」の字も書いてありませぬ。けれども今見る者が見ると分ります。そういう風に茶人は本当の見識があると思います。それらの人が書いた字というものは、今日見ますと、それはとても中国人なんか及びもつくものじゃない。現在の中国はそういうグループもありませぬし、そういう学問もありませぬし、そういう生活をしている人もありませぬ。至って粗雑に見受けられますが、日本人はそこへ行きますと神経がよく行届きまして、まあ最終のものまで検討し、審美生活が習慣に達する所まで達しなければ止まないといえるような研究が進められておると思います。

 それで大体から申しますと、茶人達はどんな字を書いたかといいますと、特殊の技術家は別ですけれども、普通にいえば、いずれも下手なんです。それをうかうか本当の下手だと思ったら、見る方が下手だと思います。それ程の趣味家、それほどのえらい絵を描く人が下手な字を書くものではない。つまり、自分では下手とも上手とも思わないで安心しておるのだろうと思います。この反対に茶人以外では、うまそうにまずい字を書いて安心しておるのがある。そこで茶人の書というものは、茶人の生活から判断いたしまして、決して書を等閑に付すようなことはしない。事実等閑にしておらないのであります。立派な墨蹟はこれをよいとして、みな尚んでおるのですから、決して等閑に付しておらない。茶人の書いた字を一見すると、さも、まずそうに見えるから、こんなものはなんでもないというようなことがあったら、観者の心得違いだと思います。油断なく茶人の書に対しては、充分注目してよいと思います。
 今日でも茶道に携わっておる人には、ここに書きました益田氏、根津氏、野村氏等がおり、亡くなりました団氏がおるというように有名な茶人がおりますが、茶をやっておる人は、やはり、字がうまいのであります。うまいというのは、まずそうにうまい。井上侯の書でも、おそらくは井上侯の字は政治家連の中では一番まずい字だろうと思います。まずいということは普通の意味におきましてです。ところが実は非常にうまいのです。茶人だけに威張らない。力まないのです。山県公の書にしましても、武張った所がある。伊藤侯も腕に任して達者によくこなされておりますけれども、達者過ぎる欠点がある。芸術研究がないからである。井上侯になりますと、書画骨董の好者として堂に入った人でありますから武張ることがない。威張ることがない。心の謹しみがありますから静かです。その代り落着いておって、素人が見てもうまそうに見えない。ところが毎日これを掛けて見ておりますと、山県公と、伊藤侯と、井上侯の三幅を掛けて置きまして、結局、井上侯の書が一番よくなると思います。物静かで、ことさらなにも迫って来るものがないから、ショックが少しもない。自然のままに下手として恥ずかしがらないというような悟りがあると思います。そういうような点が書道の見所だと私は思っております。
 この竹花入れは遠州が自分で切ったものです。切るまでには、随分捜したでしょうが、無論自分が花入れに作って、銘を自分で書いた、朝霜という字がありますが、まだ肉筆を見るごとく明瞭に見えております。品のよい字が書いてある。少しも気張っていない。気張って書くということは、誰にしても充分慎まなければならぬと思います。
 根津さんに光琳の菖蒲がありますが、ああいう屏風を一双拝見しますとなかなかの力作であります。一番しまいに法橋光琳という字が書いてありますが、あれだけのものですから、なんとか勿体もったいつけて落款らっかんしそうなんですが、それが手紙を書くようにすらすら書いてあります。それというのも人間が出来ておるからと思います。遠州なんかの掛物を見ましても、絵なんか我々が手紙を書くよりまだ無造作に書いてある。少しも気にしていない。それがために結果が好いということになります。自由である、楽である、自身そのままであるという事が見えておりまして、非常に見やすい、そのほか誰でも、おそらく相当人間が出来ておるものは、決して技巧の末を気にしておらない。自らの書を書く技量が具わっております。従って無理がない。自分は自分そのまま、自分の姿を出すということを少しも恥ずかしがらない。それが少し怪しい人になりますと、どうしても書の全幅を技巧で飾ることになる。実質以上になんかうまく見せるようなふうの癖が誰にでもついておる。絵でも、字でもそれは少しも異ならないのであります。
 絵なんぞも、ここに南画展の中の方がおられますが、この間ご招待を蒙りまして、上野の南画展に行って見ますと、まあいろいろ程度がありますが、大体において絵がまずい人は字がまずいに決っている。字がまずければ絵がまずい。絵だけうまいというようなことは絶対にない。字はうまいが絵がまずいというようなことも決してない。どっちも一つの点と一つの線の力から成り立つものでありますから、変わるはずがない。
 この頃の絵画展覧会を見ると、悪口をいうようですが、大概字がまずい。それではよい絵も書けないでしょう。それから印を捺したりしているが、印の捺し方が悪い。また捺してあるのが、悪捺であったり、なんのために印を捺したのかと、一遍聞いて見たい気のするような印が無意味に捺してあります。
 結局、字は形の上にうまくなろうということを、一遍きれいさっぱりと捨てて貰えぬかと思うのです。一遍形の上にうまく書くというやつを捨ててしまわないと、新規まき直しにならない。相変らず書家のような、ある形を石に噛りついてもある形にするとか、この通りの点を打ちたいとかいうことは、実に無意味だと思います。虚飾だと思います。それには茶人の書を見るということが一番よいと思います。茶人の書は、もとより純日本趣味であります。また足利以降は、どんな趣味でも、茶道に支配されておらないものはありませぬ。茶道以上の趣味学問がないからだと思うのであります。それでもその中、文化、文政の頃になりまして、山陽さんようとか、木米もくべいとか、竹田ちくでんとか、ああいう連中が少し中国趣味に動きましたが、それとても、結局、木米のごときは、余程日本趣味になりました。彼らも茶をやっておれば無論立派な書画であったと思うのであります。その時分には不昧ふまい侯なんかがおりましたが、世間一般には茶道が衰えておる時でありますから、多くはやはり中国趣味に動いて、どこまでも中国を主として行きましたが、結果においては木米、竹田のごときものが、余程純日本風になっております。といっても、やはり中国臭い、どうしても日本の床の間に掛けますと、中国臭いのでありまして、調和がむずかしい。
 字は下手くそでも、その下手を下手として呑気に書くというものは、実に不純のない立派なものだと思います。それがある形ばかりを書こうと思って行きますと、習字の上に一種の野心があって、その結果が俗書になる。結局、うまい形を書いてもなんにもならない。骨折り損だということになる。茶人の書は一概に申しますと、下手くそのように見える。けれども段々見極めて行きますと、人間的の書だ、手の書じゃない、人の書だということが分って来ると思います。下手な字でも、少し有名な人の書を決意して見ていただこうと思って、今日は茶の話をいたしましたが、充分うまく申上げられませんで、大変お聞き苦しかったと思います。
(昭和十一年)





底本:「魯山人書論」中公文庫、中央公論新社
   1996(平成8)年9月18日初版発行
   2007(平成19)年9月25日3刷発行
底本の親本:「魯山人書論」五月書房
   1980(昭和55)年5月
入力:門田裕志
校正:木下聡
2020年9月28日作成
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