これは旨い字か、拙い字か、おとなか、子どもか、手の字か、心の字か、はた人格の
ほかでもない、これこそ、われらの誇る日本人の見識をもって生まれ出でたる茶道茶儀、この道の悟りに因って、世に表われた書である。旨い字か、
人格の善悪上下は、大部分が生まれつきであり、天の成しあずかるところであるが、善智を心がける教養も決して軽く見ることはできない。
世に能書はたくさんあっても、善書は稀にしか見当らない。能書はややもすると、技術を得意とする悪弊に陥り、由来価値を認めがたき、書家の書に成りたがるものである。善書は質が善を備えておるから、どう間違っても善書は善書であって、低劣の醜悪とはなんら関係がない。
今は茶道の中、点茶の形式が辛うじてその面影を残しておるが、肝腎かなめの善知識を得るところの根源とも申すべきまごころが、ほとんど跡を絶ってしまった。真剣が影を薄くしたこの書は、必ずしも、茶家一流格の墨蹟ではないが、今の世に、せめてこれくらいの字ができる人格者が茶道界に現われると、茶儀に対する誤解もなくなり、国粋というようなことも鮮明になり、殊に審美上のことなどは、如何に有益に進展するかを思わずにはいられない。
とにかく、茶道に入ると、入ること深ければ深いに随い、ものの見方が精密になる。従って、表面のみに陶酔するような
今を距る二百二年前、享保十五年六月二十五日、五十三歳で永眠している。この墨蹟を按ずるに、おそらく晩年の作であると思われる。
(昭和六年)