南浦紹明(大応国師)は、宋の
虚堂の
法嗣で
大燈国師のお師匠さん、建長寺の
蘭渓道隆の門に参じたことがあり、宋から帰って後に筑前の崇福寺におること三十年、関西を風靡した。延慶元年
臘月、七十四を以て
示寂。
南浦の法統は女子の開悟を期するを以て特色としており、悟りに徹するには女も知らねばというわけで、その点、徹底しているともいえる。
一休、
沢庵などは、その出色で、一見エロ僧みたいだが、禅もここまで行かねば話せんと悦ぶ人は随喜する。南浦も、この派の傑僧だから、これで世事にもなかなか通じて
角におけないところがある。その書は入宋しながらやわらかい和風を特色とし、大燈と好対照をなしている。「独歩」の二字よく彼の面目を表わし、その語、また大丈夫の所信として肝に銘ずる。
(昭和二十七年)