古来貴重視せらるる陶磁器は東洋に於て特に発達を遂げ西邦に及ぼす所ありたるは言ふまでも無い。而して早く支那に於て発明する処ありたるも論無き処であるが、清朝に下つては其作品に芸術的生命を有するものの影を没するに至つた。明以前に遡るに及んで其作品に芸術的生命を有するもの太だ尠からざるを見る次第である。朝鮮に於ては高麗である。我が日本に於ても瀬戸の藤四郎、九谷の才次郎等の時代に於ては芸術として取扱ふに足る作品を生じて余りあるのであるが、以後に於ては屈指の名匠を除く以外大体見るべきものは鮮少である。現代陶磁器に至つては歎息すべき状態にあつて芸術的生命あるものの絶無であることを叫ばざるを得ない。纔かに二、三の有志により芸術的理解を以て研究の続けられつつある事実を見るも、表るる処の作品は未完成であり純正芸術の心境に触るる処無き有様であつて、吾人をして感歎せしむるに足るものは生れて居ない。其余は事務的作品の産出を数ふるのみであつて些々たる工芸美の発揚に余念なきを見るのみである。由来陶磁器製作は識見高き人物自らが其の製作に没頭し泥土を取扱ひたる例は頗る僅少であつて、概してつまらない人間の製作為す所となつて居るのである。故に偶々光悦の如き木米の如き識見を以て之に臨む者あるに於ては其作品は直ちに天下の至宝となつて重きを成す事実を存するのである。有識の徒
(昭和二年 原文のまま)