薄口醤油

北大路魯山人




 今日は簡単に薄口醤油の話をしてみたいと思う。なぜなら、よい料理を作ろうとするには、醤油は重大問題だからだ。
 東京人は、主として濃口こいくち醤油をもって調理するが、これは深く考えて欲しいものだ。関西の料理は薄口醤油を用いているが、関東に昔から伝わる江戸料理は薄口醤油のあることさえ知らないようで、関西龍野たつのの薄口醤油などほとんど利用されていない。東京人の口福のためにまことに惜しいことだ。まったくここが大事なところなのである。
 近年東京にもだんだん関西料理が侵入し、江戸前料理が次第に衰えて来た原因の一つに、調味料としての薄口醤油を用いなかったことがあげられよう。ひと口にいうと、薄口醤油はものの持ち味を殺さない特徴がある。東京の醤油だと、ものの持ち味を殺してしまう危険がある。もう一つは、視覚的にも薄口醤油は白いので、美しく、煮たものが黒くならない。東京の醤油は黒いので、ものによっては見た目の美しさが失われる。味覚の優れた料理人は必ず薄口醤油を用いる。
 以上の理由で、気の利いた料理にすることは、必ず薄口醤油を用いなければならない。薄口醤油は濃口醤油よりずっと価が安く、味がうまい。薄口醤油がないのなら止むを得ないが、求めればあるのだから、その点を充分注目して、薄口醤油に対する認識を改めねばなるまい。
 普通吸物を作る時に、東京料理は薄口醤油を知らないために塩を用いる。それも一概に悪いとはいわないが、塩からい、味のないものになってしまう。それも一種の味には違いないが、薄口に越したことはない。ものを煮るにも濃口では味があくどく重くるしくて、サラッと気の利いた高尚なものにはなりにくい。今後、料理をやるにはぜひ薄口醤油をご利用なさるようお勧めする。
 薄口醤油は、やかましくいうと、うんと白いものもあるし、水の中に一滴濃口をたらしたようなビールくらいの色のもあるし、それよりもちょっと濃いのもある。それがいちばん味がよい。東京ではどこでもというふうに薄口醤油は手にはいらないが、築地本願寺前の食品市場へ行くと、大蔵・京橋という特別食品を売っている店がある。まだほかにもあるだろうが、そこへ行けばたいがいある。くれぐれもいっておくが、東京の醤油より安くて塩分があるから、結局半値でできる経済的な利点がある。実際、濃口よりも味もよく、効果もあるのだから、ぜひ利用されるように念を入れて申し上げる次第だ。まったくこの醤油が手に入らないと、料理に手を下せないというほど効能のあるものだ。わたしなど、うまい料理をしようと思っても、これがないと、絶対に料理にならない。
 ところが、意外なことには、京、大阪に東京の醤油が入りこんでいる。これは料理に自覚がないために起こるあやまちであって、このことは日本中の料理をメチャメチャにしている。かてて加えて、近頃は化学調味料というものが流行して、味を混乱させている。単純な化学調味料の味で、ものそれぞれの持ち味を殺してしまうことはまったく愚かなことというべきだ。よいものがよく見えないで、悪いものがよく見えるのは単に料理だけにかぎらない。この傾向は今日の日本のあらゆる面にはびこっている。そしてこの事実は、日本の価値を低下させている。料理するひとは、料理に対する深い自覚と反省がなければならない。
(昭和八年)





底本:「魯山人著作集 第三巻」五月書房
   1980(昭和55)年12月30日
初出:「星岡 34号」星岡窯研究所
   1933(昭和8)9月
入力:江村秀之
校正:栗田美恵子
2019年11月24日作成
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