三太郎の日記 第三

阿部次郎




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Inzwischen treibe ich noch auf ungewissen Meeren; der Zufall schmeichelt mir, der glattz※(ダイエレシス付きU小文字)ngige; vorw※(ダイエレシス付きA小文字)rts und r※(ダイエレシス付きU小文字)ckw※(ダイエレシス付きA小文字)rts schaue ich-, noch schaue ich kein Ende.



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一 自ら疑ふ




 A 出來るだけ自分の心の中の生活の底を見せること――これより外に俺には書くことがなかつた。併し俺の割つて見せる生活の底を誰が見るのだ、どんな奴が見るのだ。
 B 僕は久しい間その疑惑の言葉を待受けてゐた。一體君がものを云ふ態度には頭隱して尻隱さずと云ふ趣がある。君は處女のやうな羞恥を以つて自分の生活の肌を見せることを恐れながら、而も普通以上の大膽を以つて自分の尻をまくつて見せてゐるのだ。尻をまくつて見せながら赤面してゐるのだ。君の自己告白の態度には、妙に極りが惡さうな、拘泥したところがあるから、平氣で云つてのければ特別の注意をひかずにすむところでも、君のやうな物の云ひやうをすると却つて他人の好奇心を煽るやうなことになるのだ。君の逡巡と内氣とは、却つて君の見せるを敢てしないところにまで、此處に注目せよとアンダーラインを引くと云ふ結果を持ち來してゐる。この間の矛盾は、君の表現の内容が深入りすればするほど、益※(二の字点、1-2-22)著しくなつて來てゐるやうだ。
 A 君の觀察オブザベーシヨンは全く當つてゐる。それだから僕は物を書くたびに苦痛を感ずるのだ。人目は兎に角、自分が苦しいから、僕は一日も早く今日の態度を脱却したい。併しそれを脱却する爲に僕は Dialectic の方向をどちらに進めればいゝのだ。自分の生活の肌を全然裹んで了へばいゝのか。それとも何事も隱さずに裸かになつて世間の前に立つ方がいゝのか。
 自分に最も興味のある問題は、自分の最も他人に見せることを恥とする生活の肌である。或部分を見せて或部分を隱さうとすれば、徹底を求める表現の要求が承知しない。表現の要求を十分に滿足させようとすれば、群集の前に隱れようとする處女の羞恥が顏を赧くする。僕は一體どうすればいゝのだ。
 B The chariest maid is prodigal enough, if she unmask her beauty to the moon. 眞珠を豚に與へるのは愚かなことだ。
 A いや、考へて見るとやつぱりさうぢやなかつた。生活の肌は肉體の肌と違つて、他人に見せるを恥とすべきことではない。僕の Dialectic の行く先は「頭隱しの尻隱し」として徹底することではなしに、「頭隱さず尻隱さず」として徹底することでなければならない。逡巡も疑惑も要するに通り過ぎる雲だ。僕は自分の生活の肌をすつかりむき出しにして、天と人と、敵と味方との前に玲瓏として突立つてゐられるやうになりたい。
 B 君のやうに自分の生活を愛惜する人が、衆愚の前に自分の生活を投げ出さうとするのは可笑しいぢやないか。
 A 僕が自分の生活を愛惜するのは、生活を愛惜するので體裁を愛惜するのではない。僕は自分の生活を愛惜するから、これを安つぽい實驗の道具にしたり、浮々と他人の煽動に乘つたり、下らない挑戰に應じたり、行き掛りのためにずる/\と引張り出されたりすることは、出來るだけしないつもりでゐる。併し僕の生活した限りを盡してこれを表現しても僕の生活の内容は少しも損はれない。尤も僕の表現されたる生活は色々な野次馬の玩具にされるだらう。僕が自分の生活の底を割つて見せれば見せるほど、浮氣で、醉興で、本當の意味で他人の生活を尊重することを知らぬ人たちは、喜んでこれを噂の種にするだらう。併し彼等が如何に僕の表現されたる生活を玩具にしたところで、僕の生活の内容は依然として昔のままである。僕は野次馬に對していやな氣はするが彼等を恐れはしない。「暴露」を恐れるのは體裁を愛惜する人のことで、生活を愛惜する人のことではない。
 B 君の考へ方は例によつて抽象的にすぎる。君は此際に君自身の過敏な自意識をも勘定に入れて考へる必要がある。世間の評判は屹度過度に意識的な君自身の心に反射して來て、君の生活内容其物を不純の色に染めるやうになるに違ひない。それだから、本當に自分の生活を愛惜するものも、亦容易にその生活の祕密を他人の前に暴露すべきではないのだ。
 A それは君の云ふ通りだ。本來過敏な僕の自意識が、自己表現の努力と世評に對する反應とのために、更にどれほど過敏にされて來たか、測り知れないほどなことは、僕自身も十分之を認めてゐる。表現の結果に對する十分の覺悟なしに、うか/\と自分の奧底をさらけ出してしまふことは、馬鹿でもあり間拔けでもあるに違ひない。併しそれは覺悟の足りない當人が惡いので、生活の表現そのものが惡いのではない。玩弄物にするのは世間のことだ。世間の玩弄に堪へて内生の純潔を保つて行くのは自分のことだ。この試煉を踏みこらへて行くことによつて僕等の生活は更に根柢を固め、輪廓を大きくして行く。
 自分の生活の肌を見せる覺悟を固めるためには或程度までの性格の強さがなければならない。自己表現の社會的結果を踏みこらへて、更にこれを將來に於ける發展の原動力とするためにも、亦或程度までの性格の強さがなければならない。僕にその強さがあるかないか、それは君の判斷に任せよう。
 B よし。君にその強さがあることを許すとしよう。併し自分の生活の肌を見せたり、自分の缺點を暴露したりすることが、自他にとつて何の利益になるのだ。トルストイでさへその傳記々者ビルコフに與へた手紙の中で、自己稱讚と Cynical Frankness とに陷らずに自分の生涯を記録することは恐ろしく困難だと云つたぢやないか。君は君自身の告白にもこの二つのものが混入して、知らず識らずの間に君自身の品性を墮落させたり、君の文章を讀む者に惡質の感化を及ぼしたりしてゐないことを保證することが出來るか。
 A 悲しいけれども、僕はそれを保證することが出來ない。ルソー流の露出の快感は僕にとつて本來縁遠い誘惑であるけれども、自分を傑れたものにして見せようとする衝動と、Melancholia の患者に似た自己非難の快感とは決して僕の知らないところではない。此際僕の安んじて云ひ得ることは、唯これ等の衝動を根本動力にして書くのではないと云ふことと、これ等の衝動の侵入を防ぐために出來る丈嚴重な見張りをしてゐると云ふことだけだ。僕は僕の純粹な動機から來る美しいものが、不純な動機から來る混入物の醜さを償ふに足ることを希望するばかりだ。
 一體自分の心掛けから云へば、僕は唯自分の弱點を見せるために、面白半分に自分の弱點を暴露してゐるのではない。僕は時として自分の弱點を――他人に見せるためではなしに自分一人の心底から――嘲弄せずにはゐられないやうな心持になる。さうしてこの嘲弄によつて、この弱點以上に立つ何等か積極的なものの生きて動くことを感ずる。だから僕はこの自己嘲弄の心持を表現するのだ。僕は又時として自分の短所を征服して一歩を新しい段階に進めたことを感ずる。だから僕はこの新しい段階に立つてたつた今通り拔けて來た自己征服の歴史を囘顧するのだ。僕の缺點や短所は、缺點や短所そのものとしては表現に價ひせぬ些事だが、この缺點に甘んずるを得ぬ憧憬や、この短所を否定する意志や、此等の缺點と短所とを征服した歴史は、表現に價ひする積極的價値を持つてゐるに違ひない。尤も自分の體得した價値を他人に見せるために、若しくは宣傳するために書くといふのは、僕の現在の實際には遠い心持だが、兎に角僕は自分の衷にいゝものゝ身動きを感じた時にのみ書くことが出來る。さうして自分の衷にいゝものゝ身動きを感じた時には、何等かの形でこれを記録せずにはゐられない。世間との關係に就いて云へば、自分を高めたもの、清めたものが他人に害をなす理由がない、と云ふのが自分の書いたものを江湖に放つときの自分の信仰だ。
 併しこの信仰は時々動搖する。或時は高めらるゝを要する低きもの、清めらるゝを要する汚れたるものゝ存在を語るに聲の慄へることを覺える。或時は淨めの火の灼熱が足りないために不純の動機を燒き盡すことが出來ないことを恐れて、顏を覆ひたいやうな心持になる。僕はまだまだ自分の書いたものを他人にすゝめるだけの勇氣がない。僕は自分の書いたものを自分の面前で讀まれると顏を赧くする。而も僕は又足の弱い子を遠い旅に送つた親のやうに、世間を巡り行く我が子の朝夕を案じてはゐるのだ。忍男の子を持つた母親のやうに、恥ぢらひながらも自分の書いたものを愛してはゐるのだ。自分の書いたものを厚遇して呉れる人々の好意を心窃かに喜んではゐるのだ。
 B 君は文章を書く時に、讀者の顏を明瞭に思ひ浮べたことがあるか。
 A 思ひ浮べようとしたことはあるが、はつきり思ひ浮べることは出來なかつた。樣々なもや/\したものが僕の面前に立はだかつて、僕を羞かませたり躊躇させたりすることはあつても、底を叩けば僕は唯僕自身を相手にして自分の文章を書いてゐるのだ。さうして自分自身に通ればそれで滿足してゐるのだ。僕が割合に大膽に無邪氣に自分の生活の底を割つて見せることが出來るのは、一つはかう云ふ製作の心理に基いてゐるのだらう。若しはつきり讀者の顏を思ひ浮べることが出來たら、僕は今よりもつと臆病に小膽になつてゐたかも知れない。僕は結局讀者の顏をはつきり思ひ浮べることが出來ないことを仕合せに思ふ。
 B 自分の子の苦痛を見まいとする母親のやうに――?併し君がいくら眼を瞑つても事實は事實だ。君の書いたものは昔から多くの「思想」が遭遇したと同樣の運命に逢つてゐるのだ。君の敵と味方とが君の「子」を取卷いてわい/\騷いでゐる。君の愛兒は肯緊を外れた攻撃と内容の充實を缺いた同感との眞中に立つて寂しく微笑んでゐる。さうして巷の雜閙の中にゐながら孤獨を感じてゐる。
 A 君の云ふことは幾分か當つてゐる。感情の興奮した刹那には、僕自身も幾度君のやうに考へて來たことだらう。併し僕はもう君のやうな高慢な、誇張した考へ方はしたくない。孤獨は恐らくはあらゆる人間の運命だ。孤獨なのは決して僕一人ばかりではない。僕は嚴かな、愼ましい心持でこの運命を忍受するばかりだ。多くの偉大な先輩が忍受して來たものに比べれば、僕の孤獨などは實に物の數でもない。僕は自分と讀者との關係に就いては、寧ろ自分の多幸を感謝しなければならないと思ふ。
 固より凡ての自己告白者に於けるが如く、僕の周圍にも亦一切の中から三面記事を讀まうとする野次馬がゐるには相違ない。僕は時として笑を含んだ好奇の眼が自分の顏を覗いてゐることを感じて堪らない心持になる。僕は此等の野次馬の前に自分の肉體的な顏をさへ晒すに堪へない。併しこれは凡て他人の注目を惹く地位に立つ者の必ず拂はなければならぬ税金である。而も僕の拂つてゐる此方面の税金は小説などを書く人に比べれば、どれほど廉いかわからない位であらうと思ふ。此種の野次馬は唯簡單に無視すればいゝのだ。野次馬の顏は自己告白の勇氣を挫くに足るものではない。
 B 併し同感者の名に於いて集つて來る野次馬はそれほど簡單に無視する譯には行くまい。彼等は君の書いたものによつてひき出された心持を自分自身の育て上げた心持と混同して、君が勞苦して到達した段階に譯もなく攀ぢ登つて來る。さうして君と同じ言葉を用ゐ、君と同じ結論を振※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して、世界の前に君の戲畫を描いて見せる。君は「流行」となる。さうして「流行」の如くに間もなく超越される。君は君に同感すると稱する人の顏に、君の思想がちつとも實にならずに瘤のやうに附着してゐることを發見して、くすぐつたいやうな氣がした事はなかつたか。君の思想が讀者の胸に種を卸さずに、唯危く接穗されてゐるに過ぎない事を見て果敢さを感じた事はなかつたか。
 A そんな經驗も亦ないとは云へない。併し自分の思想は他人が容易に同感し得ないほど特異なものだと考へるのは僕の高慢にすぎないだらう。僕は決して他人の同感を拒む資格を自分に許さない。僕は唯その同感が根本的なことを希望するばかりである。さうして多くの誠實な眞面目な讀者を持つてゐる點でも、僕は特別に幸福でないとは云へないやうだ。僕は僕の思想をその根本的な態度と問題とに於いて受取つて、これをその人自身の發展の參考としてゐる幾多の人があることを信じてゐる。現在僕が不安を感じてゐるのは寧ろ此方面から來る過度の尊敬と信頼とだ。僕は固より自分自身に就いて相應の自信がないものではない。併し僕の中には又尊敬と信頼とに價せぬ極めて多くの缺陷がある。さうして僕はこれを熟知しこれに苦しんでゐる。從つて僕は身分不相應の尊敬を平氣で受けてゐることが出來ない。僕は元來不足を感ずることばかりを知つて、感謝することを知らない男であつた。併し近來自分の缺陷の意識が明瞭になるにつれて、幾多のことを運命の過分な恩寵と感ずるやうになつて來た。さうして僕が最も「過分」と感じて恐縮してゐることの一つは自分の書いたものによつて受ける他人の尊敬である。僕は一つの告白を書く度に他人の非難と輕蔑とを豫期して身の縮むことを覺えた。僕は一つの文章を書く毎に、他人の輕蔑に堪へる覺悟を固めてかゝつた。併し事實は豫期に反して、自分は多くの友人から思ひがけない宥恕と尊敬とを受取ることゝなつた。僕は本當にこれを不思議に思ふ。僕はどうしてもこれを自分のメリツトと考へることが出來ない。だから僕は身分不相應の尊敬に逢ふ毎に、自ら省みて慚愧の念を深くする。君は尊敬される者の寂しさを感じたことがあるか。尊敬される者の寂しさを感ずる者は、時として極めて誠實な人によつて表示される尊敬の中にも運命の皮肉を讀む。併し自分の尊敬すべからざる所以は自分で他人に説明し得る事柄ではないから、僕はその人の好意に對する感謝と運命に對する畏怖とを以つて、誠實な人の尊敬を忍受してゐる。自分のメリツトではなしに「知られざる者」の意志として。尊敬されなくなる日を當然の歸結として豫期しながら。その人の事實に當らざる尊敬が僕の缺點に對する愛に變る日を心の中に待ち望みながら。
 思ふに過分なる尊敬は僕のやうな者に對して準備された新しい十字架だ。遜れる心なしに人はこの十字架に堪へることが出來ない。
 B と云つても他人の尊敬を自分のメリツトとして要求する氣さへなければ、その寂しさは温かい氣安い寂しさであらう。併し君を待つてゐるものは他に大なる損失がある。君は君の内生の底を割つて見せたゝめに、君の先輩と長者との憤怒と不信用とを購つたことはなかつたか。君はそのために餘程社會上物質上の損をしはしなかつたか。
 A 僕は殆んど野育ちだから、元來先輩と長者との恩惠を知らずに來た。從つて僕の書くものゝために、彼等の恩惠をとりあげられた經驗は一つもない。尤も大人しくしてゐれば受けることが出來る筈の恩惠を受け損つたと云ふやうなことは或はあるかも知れないけれども。併し僕は默つてゐてもゐなくても要するに僕が書いて來た通りの人間に相違ないのだから、默つてゐたゝめに、先輩の信用を受けたにしても、それは信用の詐欺にすぎない。僕は自分のありのまゝをさらけ出してそれでも信用してくれるのでなければ信用して貰はなくてもいゝ。詐欺によつて先輩の信用を偸むことは僕の屑しとせざるところだ。天下の前に全人格を露出して生きる氣安さは君も知つてゐる筈だ。僕は先輩の恩惠に代へてこの氣安さをとつたことを悔いない。
 B 併し君はやらないことをやつたやうに書いたり、なかつたことをあつたやうに書いたりした處が少くないだらう。其爲に君は自己非難の快感をより多く味つたかも知れないが、常識的道徳の前では實際以上の惡人と見られるやうになつてゐるに違ひない。
 A それは僕が外面的歴史的眞實を書かうとせずに内面的眞實を書かうとしたからだ。僕の書いたことは假令行爲となつて露れないまでも、悉く僕の心と頭とで經驗したことばかりだ。換言すれば僕の實際ばかりだ。僕の人格は僕の書いた一言一句の責任からも脱れることが出來ない。而も僕の人格には書き現はされたものゝ外に更に審議せらるべき幾多の缺點があるのだ。僕は僕の心の最も暗い一面をば到底書くに堪へなかつた。さうして僕の日常生活の世界は僕の文章の世界に比べて、遙かに散漫な、弛んだ、調子の低い世界である。從つて内面的道徳の立場から云へば、僕は、書いたものゝ世界に於いて、實際の自分よりも遙かに善人になつてゐるに違ひない。僕は決して書いたものによつて自分を審かれることを恐れない。
 僕は自分の穢さと低さとを反省する毎に正しき人の怒りが自分の頭上に爆發することを當然と思はないことはなかつた。僕は先輩の不信用よりも常に正しき人の怒りを恐れて來た。而も猶自分の中に鬱積するものを排除するために、自分の正しきを求める意志を生かすために、自分の生活の底を割つて見せずにはゐられなかつた。自分は多少纒つた告白を書く度毎に、これで愛想がつきるならつかして貰ひたいと云ふ心持で書いて來た。僕は恐れながらも猶待ち望む心を以つて、一切に捨てられ一切に背かるゝ日を豫期して來た。僕はこれ等のものを書く度毎に、自分の孤立を賭して來た。さうして心竊かにその孤立を望んで來た。孤立は僕の人格の罪の當然に償ひするところである。さうして僕はこの責罰によつて本當の自分の本心に立返ることが出來るのだ――僕はかう思ひながら、復活の日を待ち望むやうに孤立の日を待ち望んで來た。凡ての人から罵られ謗らるる日を待ち望んで來た。僕は世間の人があまりに寛容なために今不當に愛せられ、尊敬せられながらも、心の底には猶來るべき日の豫期を捨てることが出來ない。
 僕はまだ/\損をすることが少すぎる。僕はもつともつと損をする人間になりたい。僕はまだ/\自分の生活の底を見せるに臆病にすぎる。僕はもつともつと自分の生活を露出する勇氣を養はなければならない。疑惑も逡巡も要するに通り過ぎる雲だ。僕は一切の衣を脱いで裸かになりたい。さうして首をのべて運命と世間との審判を待ちたい。生きるために。復活するために。人となるために。
(四、六、九)
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二 散歩の途上





 ニイチエがトルストイを惡く云つたり、トルストイがニイチエを惡く云つたりすることは、俺がニイチエとトルストイと兩方の弟子であることを妨げない。ニイチエとトルストイとの間に彼等自身が考えたほどのギヤツプがあつたか、彼等自身が考へたほどの本質的矛盾が存在してゐたか、既にこのことからが疑問であるが、併し假に彼等の背反が或程度まで彼等自身の誤解に基いてゐたにしても、彼等自身の積極的方面がこの間に輝いてゐるがために、此誤解は彼等にとつてフエータルな缺點とはならない。唯この誤解を踏襲することが彼等の研究者にとつてフエータルとなるだけである。若し又彼等が相互に反撥するのはその間に深い本質的の矛盾があるためにしても、俺が彼と此との弟子であるには何の妨げともならない。俺の人格は俺の人格で、彼等の人格ではないからである。
 凡ての優れたる人は自分の師である。如何に多くの人の影響を受けても、綜合の核が自分である限り、自分の思想は遂に自分自身の思想である。


「菩薩涅槃を修むる時身と心とに苦あり。されど思へらく、我若しこの苦を忍ばずば衆生をして煩惱の河を渡らしむること能はざらむと。故に菩薩は默して一切の苦を忍ぶ」(佛傳涅槃篇)
 この句は忘れ難い中にも忘れ難い句である。この簡潔な一句の中に、自分は激勵と慰藉と、及び難き高みから射して來る靜かに清らかな光との錯綜を見る。「菩薩は默して一切の苦を忍ぶ。」自分がこの境地に到達し得るのは何の時だ。


 愛には愛の對象と同一になつてゐる愛と同一になることを求めてゐる愛との二つの區別がある。自分は假に之を融合愛(Verschmelzungsliebe)と憧憬愛(Sehnsuchtsliebe)と名づける。友人の話によればキエルケゴールは反復愛と囘顧愛(Wiederholungsliebe und Erinnerungsliebe)の二つを區別してゐるさうだ。自分は愛する者と愛する者との關係から之を見、キエルケゴールは最初の愛の瞬間に對する關係から之を見てゐると云ふ差別はあるけれども、その意味は隨分似通つてゐるやうに思ふ。
 ポロス(豐足)とペニヤ(貧窮)との間に産れたるプラトンのエロスは現象の世界に在つてその到達し難き觀念の世界を抱かむとする永久の憧憬愛である。憧憬の愛もその奧底に何等かの融合がなければならないとは云ふものの、その中には常に十全なる融合を缺くの意識がある故に、憧憬の愛は何時も寂しい、何時も苦しい。今自分は憧憬の愛に疲れてゐる。
 自分は靜かな心を以つて自然に對する時――若しくは美的關係に於いて立つ限り人間に對する時と雖も――彼と此との間に融合愛が成立する刹那があることを知つてゐる。併し人と人とが倫理的關係に於いて立つ限り、融合愛の成立は實にむづかしい。自分は時としてセンチメンタルな心を以つて希望する――假令積極的に徹底せる融合の意識はなくとも、せめてこの噛むが如き非融合の意識なしに靜かに他人との愛に眠りたいと。


 佛典を讀んで、「苦治」すると云ふ言葉に出逢つた。自分は苦治を喜び苦治に疲れてゐる。併し自分は矢張堅忍してこの病を苦治しなければならない。


 途で乞食のやうな風體なりをしてゐる人に出逢つた。羊羹色もところ斑らになつた古ソフトを被つてゐた。色のうすはげた淺黄の大風呂敷で何かを背負つてゐた。肉の引しまつた、しかし、肉が柔かに骨をかくしてゐる蝋色の顏には、針のやうな鬚が茂生してゐた。帽子を眉深にかぶつたその逞しい眉の下には二つの眼が男らしく光つてゐた。自分はこの人をじつと見ながら一種の沈痛な滿足を感じた。
 自分が感じたこの滿足の根柢には、自分がこの人の生命に貫徹し分關する經驗が横たはつてゐなければならない。併しこの滿足は恐らくは自分だけが持つてゐるもので、この人が感じてゐるものではあるまい。この人は恐らく自分の貧苦に就いて、身に覆ひかゝつてゐる何かの屈托に就いて思ひ沈んでゐるのであらう。この人の生命に分關することによつて生じた自分の經驗が、この人の持つてゐない滿足を伴つて來るのは何のためだ。
 思ふにそれは、俺はこの人を「ベトラハテン」てゐるのに、この人は自分自身を「觀」てゐないからである。俺は心を結束してこの人の生命を貫徹する「働きテーテイヒカイト」をやつてゐるのに、この人はそれをやつてゐないからである。一つの生命は自分自身の中から動き出してゐる。その生命は動くにつれて喜び若しくは悲しみを感じてゐる。もう一つの生命は自ら動くにつれて喜び又は悲しんでゐる他の生命を追つて動いてゐる。それはつれて動いてゐるが故に、「ベトラハテン」てゐるが故に、換言すれば動きながら正念ルーエを失はぬが故に、喜ぶものを追うても悲しむものを追うても常に底の方に獨特の喜びを感じてゐる。
觀るベトラハテン」とは自分は靜止してゐて他の動いてゐるのに對立することではない。對立するものと共に自ら動くことでなければならない。寧ろ對立するものに即して自ら動くことでなければならない。併し「觀る」とは對立するものと全然同樣の意味に於いて顛倒し惑亂する意味でもない。顛倒すると共に「觀る」ことは消失する。「觀る」者は正念ルーエを以つて顛倒し惑亂し、呼吸の逼迫を經驗しなければならない。正念を失はずに一切を觀ずるを得るものにとつては、一切の顛倒も惑亂も罪惡も災禍も凡て宇宙の生命のあらはれとして悉く美しく見えるに違ひない。自分は固よりこの境地を知らない。自分は或物に就いては宇宙の生命のあらはれを觀得するを得ざるが故にそのものを醜しと見る。自分は或物に對しては對象と共に顛倒し惑亂し了するが故に、世界は實に悲しく苦しいものと見える。併し正智の眼を開いて法爾自然の相を觀ずる悟者にとつて、法界の一切が清淨の光を帶びて見えることは、自分が悲しめる人を見て沈痛の滿足を感ずる經驗より類推して首肯することが出來るのである。
 しかし、觀ずるの喜びは觀ずるもの一個の幸福にとゞまる。觀ずるものは人生の起伏する波濤のなかに顛倒し、惑亂し、慟哭し、絶叫する無數の衆生を見てこれに同情しながらも、猶ほ彼れは涙に濡れた微笑を以つてよしと云ふのである。彼は自身の怒り、嘆き、迷ひ、苦しみに對してさへそのうちに或る物の光を認めてこれ等凡てよしと云ふのである。(自分の此處に云ふのは凡てがよくなると云ふ合目的觀テレオロギーの信仰を云ふのではない。凡て此の儘にてよしと云ふ美的世界觀に就いて云ふのである。前者の見方から云へば世界は猶勞苦に充ちたる努力によつて改造ウムビルデンされなければならない。後者の見方から云へば問題は唯眼を開くと開かざるとの一點に懸るのである。眼を開いた者にとつては一切がこのまゝで正しいのである。)しかし觀ずる者によつてよしと稱せられたる衆生の煩惱はよしと觀ぜらるゝことによつてそれ自身には何の光をも受けることが出來ない。彼等は正智の眼を以つて法界を觀ずることを得ざるが故に、何時までも苦惱のうちに在つて何の慰藉もなく顛倒し惑亂し慟哭し絶叫してゐるのである。悟者の悟はそのまゝでは衆生の迷蒙を如何ともなし難いのである。悟者は幸福でも、世界は――嚴密に云へば正智の眼を開かざる衆生は――依然として闇黒のうちに轉々してゐるのである。
 此の時にあたつて悟者には自分の悟りを恥づる心が湧かないだらうか。衆生の苦に對して自分の幸福を私と感ずる意識が動かないだらうか。自分の悟を齎らして山を下らうとする愛を――倫理的の愛を――感じないだらうか。この愛の徹底せざる限り自分の世界も再び新しい意味に於いて闇黒だとは思はれて來ないだらうか。自分は乞食のやうな風體をしてゐる人を見て一種の沈痛な滿足を感じた。而もこの滿足は自分一個の滿足で、この人を幸福にする力はちつともないのだと思つてすまないやうな氣がした。さうして自分のこの小さい經驗を根據にして悟者の心を推想するのである。
 固より自分の此處に云ふ悟者は一切の悟者を指して云ふのではない。藝術の方面から入つた一種の悟者を指して云ふのである。この方面から入つた悟者には自己の幸福と他人の救濟とが最も分裂し易く、最も矛盾に陷り易いことを思ふのである。さうして美的の悟者も遂には一種の倫理的活動に轉移して行かなければならないことを信ずるのである。


 幸福な、輝いた世界のみを取扱つてゐる藝術家のことは暫く云はない。人生の悲慘と暗黒と、此等のものゝ間に響くシンフオニーとを取扱つてゐる藝術家は、その取扱ふ世界の眞生命に徹底するために、先づその正念ルーエを失ふに瀕するまでに闇黒の世界に同化しなければならない。寧ろ一旦その正念を失つてしまふまでに、自ら慟哭し絶叫しなければならない。併しこの素朴ストツフの世界に彷徨し勞苦してゐる間、慟哭し絶叫するものと共に渾沌の間に昏迷してゐる間、彼の衷には彼の藝術が生れて來ない。彼はこの世界にさし込んで來る光か、この世界の底を流れてゐる流れかを探り當てるに從つて漸くその正念ルーエを囘復して來る。さうして彼の藝術の世界の形成ゲシタルツングと結晶とが始つて來る。彼の世界に一つの節奏が響き始めて來る。彼が素材の世界に貫徹するの深さはこの節奏の中に融かされて始めて特別の「美しさ」を生じて來るのである。彼の慟哭と絶叫とは始めて洪鐘のやうに響き渡るのである。
 地獄を見ないものは地獄が描けない。地獄を忘れたものも地獄が描けない。地獄にゐるものも亦地獄が描けない。地獄を通つて來て而も現在鮮かに地獄を「觀」てゐるものにして始めて地獄は描けるのである。
 正念ルーエとは冷かな超越ユーバーレーゲンハイトではない。
(四年秋)
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三 去年の日記から





 晝寢から醒めて寂しい、空しい、落付かない心持になる。去年の暮から始まつた「一年間」の問題が一生の問題となり、讀書と修業(ぎやう法)とのデイレンマや、一切の仕事の空しさに對する感じなどに溺れて、中々讀書や仕事に手がつくところまでは漕ぎつけ難い。
 夜、風ひどく吹く。廣小路に出て買物をして、歸つて一人で少し酒を飮む。涙ぐまるゝ心持。
(一月)


 生きるとは何ぞ。
 平凡非凡併せて空となる。
 前の生活が後の生活の基礎とならず、突發し霧消する生活の寂しさ。芝居を見、酒を飮み、遊宴歡語し、旅行をする。――凡てそれ/″\の記憶を殘すのみで、過ぎてしまへば跡かたもない。酒醒めたる後、興奮のすぎ去りし後に殘るものは唯疲勞とデプレツシヨンとのみ。連續なき生活の果敢さ。
 嗚呼、南無無量壽佛。南無無量光佛。


 何のために書を讀むか。
 知らないのが口惜しいから讀む。
 商賣だから讀む。
 現在の樂しみを求めるために讀む。
 自分の生活の基礎を拵へるつもりで讀む。
 讀んで行きながら、書中の問題又は書中の世界に同化するは何の用ぞと思ふ。或部分は自分自身の問題に心奪はれながら上の空で讀む。或部分は書中の問題に同化せむと努力するために自分の問題を殺してゐることを意識しながら苦しみ讀む。自分の問題と書中の問題とピタリと呼吸が逢ふことを感じながら、先を樂しんで讀むことは頗る稀である。況して全篇を通じて呼吸の一致を感じ通すことなどは殆んどない。
 かくて自分は中々本が讀めないのである。


 午前Xがその情人を連れて遊びに來る。輕い戲れるやうな好意を感じながら二人の巫山戲るのを見てゐる。
 LとQから年始状の答禮が來ない。これが先生や長者ならば何とも思はないが、彼等が金持なる故に癪に觸るのである。自分が彼等に年始状を出したのは、彼等が金持だからでななくて、友達らしい親しみを見せたのを殊勝だと思つたからだ。自分は鐚一文だつて彼等の世話にならうなどとは思つてゐない。それを彼等の門前に蝟集して利益のこぼれに預からむとする書生並に取扱つてゐやがるのは何と云ふ不心得だ。もうこれから挨拶をしてやるものか。自分は憤慨と反抗との炎を燃やした。さうしてその炎の奧にはこの小さい拘泥を卑しむ哲學者の心が笑つてゐる。
 併し悲觀するには及ばない。道は確かだ。唯雲が通りすぎるのだ。


 夜Zと云ふ人が尋ねて來た。始めは五月蠅いと云ふ心持で話をきいてゐたが、後にはこの眞面目な、忙しい中に勉強を心がけてゐる、本を買ひたくとも金の餘裕のない、知識の乏しい、誠實な人に對する尊敬と同情とが起きて來て、しみ/″\した心持になつた。さうして優しい心持で親切に話をした。――自分は此處に「此人の方が自分などよりはえらいのである」と書かうとしてハツと思つた。かういふ言葉はちつとも自分に損の行かない、寧ろ自分を寛容な人と思はせる利益のある、他人に喜ばれ易い言葉である。それだけこの言葉は輕々しく發すべき言葉ではない。自分がZと云ふ人の眞面目なのに感心して、自分が恥かしく思つたことは確かである。併し本當は自分は此人が一體に自分より偉いと思つてゐるのではないのである。今自分は自分が書かうとした言葉に、自分自身の優越を裏から肯定しようとする心持の影があることを認める。こんな言葉は本當に滅多に使ふものではない。


 攫へたるもの指の間より逃ぐ。
 Exaltation よりさめたる後の Depression のわびしさを如何にせむ。
 戀、酒、事業、好景、歡會――これ等のものすべて皆空し。


 能成の飜譯でニイチエの「此人を見よ」を讀む。
 ニイチエとは自己に對する評價が丸で反對の立場にありながら、その思想が思ひがけぬところで一致するところがある。自分が獨りで考へてゐたところを、ニイチエが全く同じ言葉で云つてゐるところもある。自分はニイチエ反對者でないと共に、純粹のニイチエ主義者でもないと思ふ。ニイチエの主張には同感なところが多く、ニイチエの批評には反對なところが多い。ニイチエのメタフイジイクには科學的ポジテイ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ズムがあることを思ふ。これが彼の哲學を誤謬又は時代遲れにする原因になりはしないかとも思ふ。色々の混雜した感じと、多少の濁つた落付かぬ心持と、全體を包む興奮とを經驗する。ニイチエに對する批評的研究の興味が新たに刺戟される。


 K子を抱きて晝寢す。眠りながら三度四度續けて片頬に笑む。
 力んで赤くなる顏。乳房をさがしてあせる口。笑より顰め面に變る表情のうつり目。利口に見えたり、小ましやくれて見えたり、巫山戲て見えたり、いたづらに見えたり、佛のやうに見えたりする人相の變化。
 十時縁側より庭に下り立つ。月夜、霜夜、白く、遠く、一つにうす靄かゝれり。靜かなる幸福の心。


 夜九時過、さつき買つて來た伏見の豆人形を机の上に行列させて樂しんでゐたが、遂にこれを床の間の長押の上に行列させることを思ひついた。二十五燭の電氣が青味がかつた光で隈なく照してゐる中を、小さい人達が小さい影を投げて長押の上に列んでゐる。其數凡そ六十。じつと見てゐると不思議な生物のやうに見えて來る。並べ了つたのは十一時半過。隣のT夫人が外から呼ぶので戸をあけて見たら月が墓地に冴えてゐた。
 女中が二階に上つて來て蒲團に行火を入れてくれる。

10


 三月二日。谷中の家の戸を締めて學校へ行き、歸りがけに僅かな金を持つて三越と松屋とに雛人形を買ひに行く。三越はもう賣切れてゐた。偶※(二の字点、1-2-22)あるものは高くて手におへない。三越に緋毛氈を、松屋に五人囃と貝雛とを買ひ、貧しく乏しい心を抱いて衢に出ると、雨がハラハラと降つて來た。萬世橋から電車で柏木へ行き、貰つたのや買つて置いたのや今日買つて來たのなどを並べて見ると、見すぼらしくごた/\しながらも流石に賑かに見える。夕暮妻が桃の花を買ひに行つたあとでK子が大あばれをして僕を困らせる。夜十時過ぬるい湯に入つて寢た。何となく納らぬ心持である。
 夜中、雨が降つて雷が鳴る。併しK子は何も知らず安らかに眠つてゐる。

11


 天氣よし。K可哀し。午後近郊を散歩するに、春の風冷かな中に温みを帶びて、日の光が柔かに野の上に流れてゐた。其處此處に娘や子供が摘草をしてゐるものが多い。此世の美しさと此世に生きることの幸福とを感じて、靜かに、柔かに、感謝の祈りを捧げたい心持になつた。小川の縁に萠え出した草を藉いて、おぼろに暮れ迫る向ふの丘の雜木林や森かげの三重塔をじつと見てゐるうちに、久しい間唯求めるばかりで感ずることが出來なかつた神の近接ネーエを感じ得たやうな氣がして來た。Kを得てから、若い女を見るに Appetit の眼を以つてせずに、同胞に對する慈愛の眼を以つてする視野の開けて來たのも嬉しいことの一つである。Kを得てからKの母に對する色情と憎惡と共に和げられたるも亦嬉しいことの一つである。Kを得てから彼女の母の顏が著しく平和に、輝いて、幸福に見えて來たことも亦嬉しいことの一つである。Kに感謝しなければならぬ事が、どんなに多いことだらう。
 五時柏木を出て、夕暮池の端のゑびす屋で米澤と伊豫のあねさまと、首ふりの虎とを買ひ之を本箱の上に飾る。おつとりと素直な姉さまの顏は又余の幸福感を助けた。この心を傳へるためにW夫婦に葉書を書く。

12


 甘い心持の肌を感ずる。それで學校の歸途丸善にセガンチニを買つて、電車の中でも歸つてからも貪り見た。愛と涙と敬虔と、孤獨と寂寥と山と湖との心に充てるその材料の世界に云ひ難い親しみを感ずる。折から來合せたEと二人でしみ/″\と見る。
 夜十時半、客が歸つてから又セガンチニを見る。今度は一人なので本當に涙が出て來た。さうしてセガンチニの愛を以つて我子K子のことを思ふ。

13


 夕暮頭が疲れたので屋根の上の物干臺に上る。靜かに、ほがらかに、氣高く暮れて行く湘南の海と山と眼の前に在り。外界を支配してゐる平和清明の感じと、疲れ鈍りたる自分の状態と。自分は此處に我と自然との背反を感ずる。主觀的状態の動搖を離れたる對象ゲーゲンスタンドの權利を感ずる。我と世界との追分の心もとなさを感ずる。
 自分の心は疲れ鈍りたるが故にこの美しい世界に同化することが出來ない。而もこの世界は疲れ鈍つた自分の心にも猶その本來の美しさを以つて押し迫つて來ることをやめない。自分は今この疲れた頭をかかへて、悄然として、靜かに、ほがらかに、氣高い海と山との夕暮に對立してゐる。
 躍り込め。根を張れ。一つに生き、一つに燃え上れ。併し自分はそのために、何處までもこの弱い、疲れ易い主觀を錬りぬかなければならない。主觀の動搖を離れても大なる價値の世界がある。併しこの世界は魂あるものゝ主觀を離れて實現のプラツツを持つてゐないのである。
(五月、鵠沼)

14


 ××××と云ふ田舍の雜誌から創刊の挨拶と原稿の請求状とを受取つた。往復葉書にせずに開封書状にしたのは、叮嚀にしようとのこゝろであらう。要求に應じていい加減な原稿を送つてやらないのは無論のことである。俺は從來往復葉書の質問を受取る度に、返事をせぬのは見知らぬ人に壹錢五厘の借金をしてゐるやうで心持が惡いから、その葉書を送り返す意味だけでも返事を出さずにはゐられなかつた。今度は返事を出さずともそんな氣がせずにすむから、返事は出してやるまいと思つた。併し思ひかへして、往復葉書にせずに書状にしたのは、田舍の人の氣の利かない禮儀である。それをいいことにして挨拶を出さずにすますのは餘りに思ひやりのない仕方だと思つた。それで斷りの返事を書くことにきめた。
 ――これが俺の近來のやり方である。俺のやり方の純と不純と、到つたところと到らぬところとがこの小さいことの中に現はれてゐる。こんなことにも一寸したこだはりを感ずるのは、自分の程度ではどうにも仕方がない。
 小さいことに波を立てる心よ。しづまれ、しづまれ。人に知らるな。

15


 フト鏡の傍を通つて自分の顏を見た。自分の顏を見てK子が俺に似てゐると云ふ話を思ひ出した。それから一體に女の子は男親に似て、男の子は女親に似るといふ話を思出した。
 男を女に生れ替らして見たり、女を男に生れ替らして見たりして、個性の動き方が男女によつてどんなに違ひ、どんなに一致するかを見るのは興味のある Experiment であらう。俺を女にしたり、Tを男にしたりしたらどんなものが出來るかしら。God, the scientist や God, the novelist があつたら、これも消閑の一つにはしてゐるかも知れない。

16


 草と木と人とが俺の内にあるならば神も俺の内にあらう。草と木と人とが俺の外にあるならば神も俺の外にあらう。神は固より草や木とは異つた存在である。從つて神が俺の内又は外にあるありやうは、草や木と等しくないことは云ふまでもない。併し少くとも凡ての存在が客觀的であるとおなじ意味で客觀的であるに違いない。

17


 俺はわかりのいい男ださうだ。或はさうかも知れない。併し俺の現在の立場から眼の屆かぬ境に對しては頑固にわかりの惡い男でもあるに違ひない。
 此處に俺の人生を踏みしめる足がある。此處に俺の眞正の進歩の素質がある。

18


「お前のやり方はかうだ――お前は字を書きながら、一筆書いては俺はまづいなあと云つたり、俺もなか/\有望だよと云つたりする。まづいのも、有望なのもみんな本當でも、兎に角一々さう云はれては五月蠅くてたまらない。」

19


「彼は亡くなつた人の遺影に對して見えも飾りもない悲哀を感じた。暫くの後、彼はこの悲哀の表情が遺族の心に反映して彼等の顏に感謝と滿足との感情が浮んでゐることを讀んだ。さうして彼は對手に反映したこの心持を意識しながら更に悲哀の表情を持續した。彼は自分の態度に悲哀の Pose が交つて來たことを意識して苦々しいと思つた。
 彼の人格を統御する善良なる意志がなかつたら、彼は僞善者となり籠絡家となる可き多くの素質を持つてゐるに違ひない。」

20


『三十前に何か一仕事した者でなければ、一生碌な事が出來ないものださうだ。君は三十前に何か一仕事してゐるかい』
『いゝや』
『それぢや君は一生碌なことが出來ない仲間だね』
『僕は三十前に、一仕事を仕上げはしなかつたけれども、三十前から大きい仕事を始めて今も猶その仕事を進行させてゐる。若し君の云ふ意味は三十前に何か大きい事をして見せなければ駄目だと云ふのなら僕はその前例を屹度破つて見せる。僕の今書いてゐるものは皆僕の大作のエチウドだ。僕は一生に一つ仕事をすればいいのだ。僕は Goetz や Iphigenie を書かずとも、一生のうちに一度僕の Faust を書いて見せる』
『それにしちやあ、君は餘りエチウドを惜まなすぎるよ。ゲーテはフアウスト斷片を賣物にして成上りはしなかつたからね』
『フアウスト斷片を公けにしてゐてもゐなくても、フアウストそのものの價値には變りがあるまい』
『世間の奴は飽きつぽいから、もうフアウスト斷片で鼻についてしまつて、本物のフアウストが出來上る頃には、見向きもしないやうになつてゐるだらうよ』
『どうせそんな浮氣な奴は、僕よりずつと先に駄目になつて、僕のフアウストが出來上る頃には、發言權を失つてゐるに極つてゐる。その時には更に新しいジエネレーシヨンが生れてゐて、フレツシユな心で僕のフアウストを讀んで呉れるだらう』
『お生憎樣だね。その新しいジエネレーシヨンは、もう君のフアウストよりもずつと進んでゐて、お爺さんの一人よがりを笑ひ飛ばすに違ひないねえ』
『その時には僕は永遠の後に生きるのだ、ゲーテのフアウストがロマンテイクよりも長生をしてゐるとおなじやうに』

21


『君は僕を侮辱したね。君は所謂「愛するがために」僕を侮辱したのか』
『いやさうぢやない。僕は君を憎むが故に侮辱したのだ。だから僕は君と逢ふと、少しテレて、窮屈で、息苦しいやうな心持がする。こんな心持がするのは、君を愛してゐないための刑罰だ。併し僕が君を侮辱したのは、社會と眞理とを愛するためだつた。社會と眞理とを愛する者は、君のやうな詐欺と瞞着との生活を憎まずにゐられないのだ。だから僕は君を侮辱したことを惡いと思はないばかりか、却つて廣く人間のためにいい事をしたと云う自覚を持つてゐる。だから僕は君と相對する時こそ妙な蟠りを感ずるけれども、世間の前ではちつとも自分のした事を恥かしいとは思はない。尤も若し僕が君その人に對しても、愛するが故の憎しみを感ずるのだつたら、僕は君と差向ひになつても、世間の前を闊歩すると同じやうに君の前を闊歩することが出來るだらう。固よりさうなるのは一番よい事で、さうなるやうに修業しないのは嘘に相違ないが、假令それ程の立派な事が出來ないにしても、君のする事に無頓着であるよりも、君を惡んで君を侮辱した方がいい事だと信じてゐる。君のやうな不眞面目な、上面の胡魔化しで瞞着して行く男から、何時までも國政を議してゐて貰ふやうでは、全く日本も心細いからね。』
(三太郎と代議士)

22


 下らない事から力を拔く――一大事にウンと力を入れるために。
 無用の爭ひを避ける――命がけの喧嘩をする力を蓄へるために。
 上滑りをして通る――中心の問題に注意の焦點を集中するために。
 力の足りないものは力の經濟を考へなければならない。俺の力はいくら愛惜して使つても、猶必要に應ずるにさへ足りない。
 下らない事にも全力を注いでゐるやうな顏をしたがるな。何氣ない顏をしてゐる事が出來なくなるまでは何時までも何氣ないやうな顏をしてゐよ。
 世間はうるさい。外來の刺戟は餘りに猥雜である。凡ての遭遇エルフアールングは内から抑揚ベトースングをつけなければならない。
 凡ての刺戟を其儘に受け入れて全力を刹那々々に用ゐ盡すを得る者は非常な強者である。若しくは無神經な馬鹿である。俺は強者でもない。馬鹿でもない。
 凡ての避け得べからざる事の中に邁進して汝自身の生命をその中より發見し來れ。凡ての避け得べき事に就いて、進む可きと逃ぐ可きとの判別を明かにせよ。
四年抄録)
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四 日常些事





 昨日何か考へたことがあつて、晝飯を食ひながらこれを日記に書かうと思つてゐた。しかし、茶碗を洗つて、椎茸をきつて、鍋に入れて、火にかけて、机の前に來てすわるまでの間に、何の事だつたかすつかり忘れてしまつた。新聞の帶封をきつて紙撚を拵へたり、御茶を飮んだりしながら考へ出さうと努めたけれども、遂に思ひ出せなかつた。今度は色々の手がゝりを見つけて、それからたぐり出さうとしたけれども、それも駄目であつた。忘れてしまはれる位のことならいゝぢやないかと思つても、手繰りかけた心の絲を中途で見失ふのがいやな心持であつた。俺はモナリザの笑を顏に浮べながら――西川が俺の笑ひ方をモナリザの笑ひ方だと云つた、さうして俺は幾分の得意と幾分の悲哀とを以つてこの言葉を肯定するのである――「三百おとした氣持たあ、よく云つたものだなあ」などと囁いて巫山戲ながら、午後の仕事にとりかゝつた。
 その夜の九時にクロイツア・ソナータの譯が全部完成した。俺は雨戸を締めて、床をとつて、もぐり込めばいゝやうにして置いて外に出た。十日餘りの月が小さく空に懸つて、砂路に松の梢の斑な影をおとしてゐる。俺はステツキで砂を叩きながら、行く行く自然の美しさを思つた。さうしたら、自然に晝飯の時に考へたことが思ひ出されて來た。それはその前の日に讀んだトルストイの「リユセルン」の最後の一節に關したことであつた。俺は又この思想の絲をとりあげて考へながら、砂山の嶺傳ひに小松原の外れまで行つた。さうして歸つたら寢る前にこれを書いて置かうと思つてゐた。しかし十時過家に歸る頃にはあまり靜かな心持になつてゐたので、再びこれを興奮させて安眠が出來ないやうにするのは惜しいと思つた。それで、あんな心持は書きとめて置くほどのことでもないと思ひながら床に入つた。しかし、なぜだか俺は寢つかれなかつた。戸外の月夜を内から思ひやりながら、俺は久しく床の中で眼を覺してゐた。さうして寧ろこの前置に興味を感じながら、今朝になつてその事を書きつけるのである――
 トルストイは富裕なる英吉利人の刻薄を憤つて、彼等によつて何の酬ひられるところもなかつた樂人のために色々のことをした。さうして最後に湖畔の月光の中に獨歩しながら、一切が神の中に調和を保つてゐることを思つて、自分の一向きな憤激の心を嗤ふやうな心持になつた。(鴎外先生著、水沫集、瑞西館參照)
 しかし、神とならずして、如何なる人が神の眼から見た世界の大調和を底から悟り知ることが出來よう。この思想は豫感であつて、real になつた物の見方ではないから、往々にして眞正なる葛藤を胡魔化すための口實となる。併し吾人が眞實に吾人の現在獲得してゐる立場から世界と人生とを見る時、どうしてあの樣な英人の刻薄を憤らざるを得よう。吾人を眞正に生かすものは、彼の氣分に基く事後の調和觀にあらずして、此の苦々しい憤激の情である。人の生活が「離れ」た立場から「即く」立場に進むに從つて、益※(二の字点、1-2-22)後の方の見方が重きをなして來るであらう。トルストイの一生も亦この方向をとつて進行して來たものと見ることが出來るのである。
 現在眞正に獲得した立場から一切を地道に見て行きたい。而も更に高い立場の可能を忘れぬやうにしたい。憤激のうしろに反省がある。確信のうしろに懷疑がある。この反省と懷疑とは、未だ知られざる高みから差して來る光である。現在の憤激と確信とに一種のフレツキシビリテイを與へる靱體である。


 凡ての立場にはそれ/″\に限られたる視野がある。立場が推移すれば視野も亦推移する。併し究竟の立場に到達せざる限り、凡ての人には未だ視るを許されぬものがある筈である。その視野に入り來る一切のものゝ外に、未だ見るを得ざるものに對する敬虔なる豫感がある筈である。
 或種の人は自己の視野に入り來る一切の事物を鮮明に的確に見る。さうして未だ見えざるものを未だ見えずとして、謙り、嘆き、仰ぎ見る。之に反して或種の人は渾沌として自己の視野に入り來るものをさへ見ることが出來ない。而もその視野を限る地平線を越えて遙かに遠き事物を透視する不思議な能力を持つてゐる。寧ろ最も自己に遠いものを最も自己に近いもの――現在直下に自己の中にあるものと盲信する幸福なる妄想を持つてゐる。
 如何に「抽象」的なる思辨に耽る者と雖も、彼の生活が眞正にこれによつて支配されてゐる限り、彼の思想は最もいゝ意味に於いて具體的である。如何に「具體」的研究を主張する者と雖も、彼が眞正に具體の世界に生きることをしない限り、彼の具體思想は最も惡い意味に於いて抽象的である。或種の人は最も具體的に概念と形式とを取扱つた。或種の人は最も抽象的に事實と内容とを取扱つた。
 自分の視野に入り來る事物を鮮明に的確に見る力を持つてゐる人を「わかりのいゝ」人と云ふならば、彼は自分の視線の到達し得ざる事物に就いては頑固に「わかりの惡い」人でなければならない。併し別に此の世には何でもかでもすつかりわかる人がある。自分の立脚地と全然無關係に、視野以内のことも視野以外のことも、何でもかでもわかる――若しくはわかるつもりでゐる人がある。後の意味に於いて「わかりのいゝ」人となることは實に恐ろしいことである。世に「無縁の衆生」と云ふものがあるならば、彼こそは正しく「無縁の衆生」の代表的なものである。
 或人は登山者として今人生の中腹を登つて行く。或人は死骸のやうに、人形のやうに、若しくは絞首臺上の首のやうに、人生の絶頂に立つて、登山者の遲さを見下しながら齒をむいて笑つてゐる。立つてゐるところの高さを比較すれば登山者は決して山上の死骸の敵ではない。差別は、唯前者は眞正に征服することによつて、中腹に攀ぢ登り、後者は運び上げられることによつて山上に晒されてゐるところにあるのみである。或人は中腹に在つても生きることを冀ひ、或人は死骸となつても高き處に居らむことを冀ふ。
 人類の到達し得たる最高の立場に易々と身を置いて人生を瞰下してゐる人達の顏に、自分は時として絞首臺上に晒されたる生首の相を見る。彼等の言葉は晒されたる首から來るものゝやうに響が足りない。自分は高い處から落ちて來る彼等の空つぽな聲を耳にしながら、若し自分が彼等と等しい高みに攀ぢ登る日が來たら、自分は決して彼等のやうに生き、彼等のやうに物を云ひはしないだらうと思ふ。彼等の聲は其處に生きてゐる者の聲ではない、其處に死んでゐる者の聲である。


 夜、仕事が手につかないので古い手紙を整理する。昔親しかつた人で、心持の離れてしまつた人の多いことを今更に想ひかへした。昔の親しみを思ふと今離れてゐる人でも懷かしい。色々の人に世話になつた。世話になつた人に離れてゐる。すまないと思ふ。俺は薄情だと思ふ。知らず識らずの間に俺は多少の人を踏臺にして此處まで來てゐるのだと思ふ。
 昔の方が今よりももつと本當に人に親しんでゐた。自分の中に立籠る寂しさ冷たさ固さが少かつた。今俺は愛を思ふ。さうして愛し得ざる寂しさに導かれて神に行かうとしてゐる。昔の俺は自分の享樂を思つた。さうしてその實もつと人を愛してゐた。
 俺の友情にはセンターに這入つた人と這入らぬ人とがある。長く知合つてゐていつまでも這入らぬ人もゐる。後から來て直に這入つてしまふ人もゐる。概して云へば俺の心は肌合の濃かな、温かな、柔かな心に向つて開いて來た。俺の生涯にとつて忘れ難き人々の數よ――M、H、F、I、A、N、S、Y、U、K、W、E――父母兄弟の名は云ふまでもない。Tの名も亦云ふまでもない。或人とは喧嘩をして別れた。或人をば俺の方から避けた。或人とは知らぬ間に冷くなつてゐた。或人とは互に思ひながらも遠かつた。或人とは最も近づいて而も最も越え難い心の溝渠を感じてゐる。
 僅か三十年餘の生涯も、魂と魂との遭逢離合を思へば、遠い、ほのかな心持がする。


 内面的とは行爲に現はれないと云ふことではない。内部より發生すると云ふことである。外面的とは行爲に現はれたと云ふことではない。外部から附加されると云ふことである。全的であるには先づ内面的でなければならない。内面的とは全的でないと云ふことではない、頭だけに限ると云ふことではない。外面に發露することを禁止すると云ふことではない。


 人を怒らせることによつて、その人を精神的に征服することがある。對手がブツ/\云ひながらも、自分の云つてやつたことが次第にその魂に沁みてその言動に現はれて來るのを見てゐるのはいゝ心持である。對手を咎めようとするのではない。自分の行爲の空しくなかつたことを自ら喜ぶのみである。
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五 懊惱




 今日又讀者からの手紙を受取つた。「主よ汝の愛するもの病めり」の一書によりて正に救はれたと云ふのである。
 Xは俺の本を讀んで基督教に對する疑惑から救はれ、新しい方面から基督を見ることが出來るやうになつたと云つて來た。俺の書いたものを讀むと、熱と力と光とが無限に湧くと云つて來た。俺がそれに當らないと云つても彼女はそれを信じない。幾囘か議論を往復しても、この點に於いて二人は一致することが出來ない。二人の立場が異つてゐるから、一致することが出來ないのは固より當然である。併し自分の書くものに他人を照す力があるといふのが不思議でならない。
 俺は今最も惡い状態にゐる。俺の生活は今最も弛んでだらけてゐる。併しこの時期が過雲のやうに通つてしまつても、自分は救はれてゐると云ふ意識が俺にやつて來ないことは疑ふ餘地がない。俺のだらけてゐる精力が張つて來れば、俺は現在の苦痛によつて生命の緊張することを感ずるであらう。更に一歩を進めなければならぬ要求を感ずるであらう。併し力を持ち、光を持ち、救ひを得たといふやうな意識は何時になつて與へられるかわからない。俺に感ぜられるものは、痛切に感ぜられるものは、唯内面の缺乏のみである。弛んでも張つても、俺は兎に角闇にゐる意識を離れることが出來ない。然るに人は俺によつて「力」を得、「光」を得、「熱」を得たと云ふ。何の意味ぞ、何の意味ぞ。俺にはわからない。
 若しくは現在俺の中にあるものを所有するのみでも、猶人は新たに得たる歡喜を經驗するを得るのか。俺が常に缺乏の意識に苦しめられてゐるのは、飽くことなき貪慾の深さによるので、俺は實際俺の後から來る者に光と力とを與へることが出來るほど進んでゐるのか。俺はX等の言葉の誠實を疑ふことが出來ない。彼等の言葉の誠實を信ずれば、俺は兎に角彼等には歡喜を與へる力を持つてゐると思はなければならない。併しその力は猶俺に自信を與へない、歡喜を與へない、不斷の充實と緊張とを與へない。俺は却つて彼等の方が自分よりも遙かに緊張し、充實し、純粹に感謝し、歡喜してゐることを信じてゐる。俺は自分の力を喜ぶよりも、彼等の前に自分の不純と弛緩とを恥づる意識で一杯になつてゐる。假令俺の中に彼等を照す力があるとしても、俺はその故を以つて自分を彼等の上に置く氣にはとてもなれない。俺は唯忸怩として自分の前に跪く者の前に跪くばかりである。
 若しくは俺は救濟の「器」に過ぎないのであるか。俺は救濟の器と云ふ言葉をこんな意味で經驗しようとは夢にも思はなかつた。俺には宗教的の意味に於いて力の自覺がない。自ら救はれてゐるといふ自信がない。從つて人を救ひ得ると云ふ自信がない。然るに人は自分から力を受け、自分に導かれて救ひを得たといふ。彼等の自分から受ける力を俺は知らない。彼等の自分から得る救ひを俺は知らない。俺は何時までも何時までも力と救ひとを唯求めてゐる。それだから俺は俺によつて力を得救ひを得た人を羨む。尊敬する。さうして自分はいつまでも悄然として頭を垂れてゐる。救濟の器といふ言葉がこんな皮肉な意味をも持つことが出來ようとは、思ひもよらぬことであつた。
 彌勒菩薩は一切の衆生を救つて了ふまで自ら涅槃に入らないと誓つたとかきく。併し俺は誓つたのではなくて取殘されるのである。俺を一つの通路として俺の先に行つた烏を羨ましがつてゐるのである。此の如き憫む可き先覺や指導者が嘗てあつたであらうか、これからあるであらうか、一體あり得るであらうか。
 若しくは俺はこれまで嘘ばかり云つて來たので、今その罰を受けるのであるか。神はこの嘘吐を道具としてその聖業をなし給ふのであるか。
 俺は嘘吐か、嘘吐が俺の本體か。
 否、俺の文章は闇にゐるといふ意識によつて緊張してゐるのみである。俺の文章は光を求める心によつて緊張してゐるのみである。俺の世界にはパースペクテイヴが開けてゐるのみで、俺は決して俺の求めてゐるものを現在獲得してゐるとは宣言しなかつた。恐らく俺は嘘吐ぢやあるまい。俺は嘘吐ぢやないやうに思ふ。
 然らばこの骨に徹する皮肉は何の意味ぞ。
 若しくは神この道によつて余を何處かに導かむとするか。
 自分は又なんにもわからなくなつた。
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六 “Ivan's Nightmare”
          (メフイストの言葉)





『此處に一人の馬鹿がゐる。
 御前は他人の運命に干渉することを愼むと云ふ意味に於いては、極めて神經質な Altruist である。お前は決して他人を損ふに堪へない。併し唯それだけの話である。お前は積極的に他人を愛したこともなければ、他人に善をなしたこともない。お前の「善」は唯凡ての他人に向つて、「君は君として生きたまへ、僕は關係しないから」と云ふに過ぎない。
 さうしてそれはお前が他人から干渉されることを極端に嫌ふ性癖を論理的に徹底させたに過ぎないだらう。お前は他人から少しでも自分に觸られると直にその手をおしのけて、「僕のことは僕に任せ給へ、僕も君のことには干渉しないから」と云ふのである。
 その癖お前は寂しいと云つてゐるね。融合の愛を求めると云つてゐるね。併し愛する者が大勢手を繋いで來て、お前の周圍をぐるりと取卷いたら、お前はどぎまぎしやしないかい。お前は本當は一人で寂しくしてゐたいんぢやないのかい。』


『お前の生活には何と云つてもまだ内容が足りない。文明史的の意味に於いても、現實的の意味に於いても。
 現實的の生活は空しいだらう。併しお前はまだ碌にその生活を味つてゐないから、一方にはそれに對する未練があるし、一方にはそれを厭ふ心持が濃厚でない。それだから善にしろ惡にしろそれから來る刺戟を生々と受取ることが出來ないのだ。Experiment の態度でもいゝから、もつと戀愛と歡樂と迷ひとを獵つて見ろ。必然的に其處に墜ちて行くのなら一番いゝが、聰明で冷靜に過ぎるお前には中々そんな時期が來さうにもない。構ふものか、Experiment の心持でやつゝけろ。さうして誘惑を探しに出かけて行け。
 お前は Kultur を消化してゐない。のみならずそれに接觸してさへゐない。そんなに無學ぢやてんで御話にならないぢやないか。生意氣を云はずに、もつと落付いて知識を獵つて見ろ。
 お前には凡ての經驗に直接にぶつゝかつてゐる餘裕がないから、頭だけで見通し過ぎてゐる。素質と境遇とが共同してお前を「先が見え過ぎる者」にしてゐる。眞正に征服せずに先ばかり急がしてゐる。お前は貧弱な經驗を統一しようとしすぎる。お前は十分の幅なしにひよろ/\と背だけが延びてゐる。何と云つてもお前の「宗教的」は怪しい。こち/\に固まつてしまはない前に火にかけて見ろ。「懷疑」と「利己」と「享樂」との力を呼び醒して「神」に反抗して見ろ。征服して統一する前に、征服されるものを澤山喚び起して見ろ。構ふものか、Experiment の積りで、自分の意志で、自分のたくらみを承知しながら、自分の生涯に一つの時期を劃して見る積りで、墮落してみろ。
 本を讀むこと、身慄ひの出るやうな恍惚をさがしに行くこと、さうしながら自分の考へをおしつめて行くこと、考への本當に熟した時に熟果の墜ちるやうに文章をポトリ/\とおとして行くこと――何と云ふ樂しい生活の夢だらう。
 勿論、お前がさうしてゐる間にも多くの人は苦しんでゐるだらう。飢ゑてゐるだらう。併しお前は當分それに眼をつぶつてお前の樂しみを――お前の成熟を――求めて行かなくちやならない。さうしてお前がいくらお前の「實驗」に夢中になつたつて、實際今日以上に彼等の運命に冷淡になり得やうがない。お前は他人の未來の不幸を豫想して自分の享樂を控へる意味では今より「方正」でなくなるかも知れないが、現在貧しき者惱める者に對しては、もつと親切で慈悲深くなるだらう。
 お前は罪と過失とによつて、もつと本當に他人を愛することを學んで來なければいけない。』


『お前は憐みのために他人の弱點に媚びることをせぬ點に於いては、相應に性格の強さを持つてゐる。お前は友人の誤謬を認め、敵の眞實を承認する點に於いても相應の公正を持つてゐる。お前は泣いて訴へる女に向つて、此點は貴女がいけないと思ふと云ふことが出來る。お前は過失を遂げようとする友人に對して、僕は君に贊成しないと云ふことが出來る。併しそれはその友人を愛する爲にその非を諫めるのか。自分の Konsequenz を愛するために情にほだされた態度をとることを恥づるのか。
 一つにはこれは正しくないと思ふ。二つにはこれはこの人のためにならないと思ふ。三つには今この非に贊成すれば俺の思想と行動とが一貫を缺くと思ふ。世間の手前申譯が立たないとさへ思ふ。お前の心の中にこの三つが悉く働いてゐることは事實だが、孰れが最も先に來るか、孰れが最も重きをなしてゐるか。此處に來ると頗る疑問になる。
 Yはお前を主義の人だと云つたね。全くお前は相應に主義の人でもある。併しそれは眞理を愛するためか、他人を愛するためか、自己を愛するためか。
 眼先の見える奴は、自愛のためにも亦主義の人となり得るのだ。』


『お前がZに親切にするのは、まさか彼女が金持だからではあるまい。併し彼女が女だからでないかどうかは頗る疑はしい。
 お前は顏を赧くするね。俺はお前がこの告白に堪へないことを知つてゐる。默つてゐろ、默つてゐろ。お前にそれだけの力がつくまでは。
 唯お前は彼女の尊敬を自分の Merit として受ける資格がないことを承知してゐればいゝ。
 お前がそれほどの不純な心を持つてゐることを承知してゐればいゝ。』


『お前は昨夜どんな夢を見た。
 お前は夢の中で、頭をおかつぱにした、五つばかりの、唇が赤ん坊のやうに白く柔かな、土人形のやうな戀人をその前の男から誘惑したらう。お前は……………。さうしてお前はその夢の半ばで飯と火とを持つて來てくれた女中に起されたらう。
 お前は女中のために戸をあけてやつて、直に床の中に藻繰り込んで、又その夢を追うた。この夢とこの夢を見る自分の人格とを呪ふ心持は、直にはお前の心に湧いて來なかつた。お前はこの醜い女たらしの夢から脱却する日の一日も早く來らむことを祈る心持にもならなかつた。お前は半ば見殘した樂しい繪でも思ひかへす樣にさつきの夢を思ひかへした。感覺の興味と殘酷の喜び(あゝこの蕩兒のみが知る殘酷の喜び!)を以つてお前は夢の中の畫面を思ひかへした。さうしてそれを貪り味つてから、漸くこれが神を求める者の心持か、これがドン・ホアンを否定するものゝ心持かと思つたのだつた。此處に至つてお前には始めて自ら恥ぢる心持が起つて來たのだつた。お前は「惡」そのものを憎まずに、惡を憎まぬ無恥を恥ぢることを知つてゐるのみだ。お前のハートにはまだ Conversion がちつとも行はれてゐない。お前の「恥」は表面的だ。お前の思想は實に根柢が淺い。
 お前は嘗て厭ひしものを喜び、嘗て喜びしものを厭ふハートの轉換を經驗してゐない。お前は依然として嘗て喜びしものを喜び、嘗て喜びしものに溺れてゐる。お前は唯、この鬱陶しく、蒸暑く、酷たらしく、悲しく、落付かぬものが自分の究竟の境地でないことを感じてゐるだけだ。お前のやうに蕩兒の興味に生きてゐながら「神を求める者」も凄じい。お前を嘘吐きだと云ふ者も、お前の思想は生活を遊離してゐるといふ者も、お前を僞善者だと云ふ者も凡て正しいのだ。お前の「誠實」も、お前の思想に於ける「生活の根」も、唯その時々の Stimmung を欺かないと云ふ點に於いて意味を持つてゐるだけで、まだ人格的生活には徹してゐない。
 お前は暫く物を云ふな。暫く默つてゐてその蕩兒の仕末をどうにかつけてしまへ。それでなければお前の考へることは、凡て究竟の意味で出鱈目に過ぎない。況してお前のやうな中ぶらりんな馬鹿野郎が書くことが何になるのだ。』
(四、春から夏へかけて)
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七 病床の傍にて





 今持つてゐるこれんばかしのものがまだ持たぬものの多きに比べれば何になる。救ひを求めてゐる者が未だ救はれないと云ふ意識を前にして、自分の進んで來た路を自慢にする餘裕が何處にあらう。
 ないものが欲しい。ないのが苦しい。少し持つてゐるものなんか糞喰へ。


 お前は跪いたことがあるか。神の前に跪いたことがあるか。お前のあらゆる探求に際して、知られざる者の前に跪いたことがあるか。Fr※(ダイエレシス付きO小文字)mmigkeit を知らざる者よ。


 病人が苦しみ悶えてゐる。併しそれから數尺を隔てた椅子の上には、自分たちが腰をかけて何の苦痛をも感じてゐない。自分は平氣で病人を扇いでやつてゐる。如何に病人の苦痛に同情して手に汗を握つたところで、自分の肉體は病人の苦痛の億分の一をも感ずることが出來ないのである。自分は此五尺の躯の中に閉ぢ込められ、他と絶縁してコンセントレートされてゐる生命の不思議を感ずる。同時に病者と等しく苦痛を感ずることの出來ぬ個體と個體との隔たりに就いて一種の果敢さと寂しさとを感ずる。
 苦しんでゐる人を唯見てゐなければならぬ苦しみを何としよう。


自然の世界に於ける偶然を通じて、神の意志行はるゝこと能はざるか。
自然の法則を自然の儘に行はれしめて、これを神の啓示とすること能はざるか。
根の緩みたる瓦は落つ――これ自然の法則なり。
落ちたる瓦はその下にあるものを打つ――これ自然の法則なり。
行かむと欲する者は行く――これ心理の法則なり。
或日或時行かむと欲する者が行く時、根のゆるみたる瓦が落ちてその人を打つとき、この自然の法則と心理の法則との契合の偶然。
これを通じて神の啓示作用し得ざるか。
神の意志、神のテレオロギー、作用し得ざるか。
凡ての偶然を一つの意志に統合し得る時、
恰も他人の人格を認めざるを得ざるほど必然に、
神の姿吾等の前に現前するに非ざるか。


一々の經驗に就いて何者かの意志の啓示を感ず。
推論して「神の意志でなければならぬ」といふ。
Sollen, M※(ダイエレシス付きU小文字)ssen が先に立ちて、「神」の姿明かならざるを如何せむ。
「神の意志なり」
此の如き絶對的認識に達するを得るは孰れの日ぞ。
嗚呼、「かくあり」、「かくあらず」
余は汝の單純なる確信を羨望す。
願くは舊約の世の如く眼のあたりにエホバを見奉らむことを。


惡を露はすは僞りて善なるよりよし。
惡を嘆くは惡を露はすよりよし。
惡を憎むは惡を嘆くよりよし。
惡と戰ふは惡を憎むよりよし。
善をなすは惡と戰ふよりよし。
善き人となるは善をなすよりよし。
善き人となれ。
凡てのことこの泉より流れ出でむ。


アルコールをとる。
神と人との姿が生々として來る。
今俺は葡萄酒の酒杯をあげて神と女とを思つてゐる。

健康のために藥を飮むやうに、
生命の流れを盛にするために酒を飮むのは何故いけないのだ。

酒によつて生命を拵へることは出來ない。
酒によつて生命の障礙を拭ふことは出來る。
今酒杯の中に神と女とが踊らうとする。


 或る病人の云つた言葉の數々。
 眠られない時に病人は云ふ――「Wさん(自分の教へた生徒)のやうな人を澤山袋に入れて、その中に自分も頭をつゝ込んで寢たら眠られさうな氣がする。」又云ふ――「お前たちも一緒に眠つておくれ、さうすると私も眠られるから」Tは涙聲で、「ええ、ええ、私たちも一生懸命に眠りますから、貴女も何卒よく眠つて頂戴」と答へる。
 或時病人は云ふ――「眷族は大勢だが自分は一人だ。それが不思議で不思議でならないのです。」
 又看護婦に云ふ……「貴女は誰のために働くのですか。云つて御覽なさい。私のためですつて。それが不思議でならないのですよ。」
 愛に於いて祈りを共にする者の慰藉と疑惑と――自分は病人が半ば囈言のやうに云つた此等の言葉を長く忘れることが出來ない。
(四年の暮)
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八 二つの途





 一己の私事から出發することを許して戴きたい。
 一昨年の夏、早稻田文學社から「實社會に對する我等の態度」と云ふ往復葉書の質問を受取つた時、自分は
「私の今、力を集注しなければならないところは、どうしても自分自身の事ですから、大體の態度としては、成る可く實社會との深入した葛藤を逃げなければならないと思つてゐます。併しそれは私の力が足りないからで、凡ての人がさうなくてはならないからではありません。私の力がもつと充ち張つて溢れて來たら、私は十分に腰をすゑて實社會に突掛つて行きたいと思つてゐます。」
と云ふ返事を書いた。然るにC君は翌月の雜誌「反響」にその批評を書いて、
「自分の力がもつと充ち張つてから、實社會へ突掛つて行かうと云ふのは、自分といふものと實社會といふものとを切離して考へ――さう云ふ考へ方も場合によつて必要であるが――てばかりゐるのである。實社會が自分と云ふものゝ輪廓であり、自分が實社會といふものゝ焦點であるといふ大切な意識を缺いてゐる、自分をよりよくすることによつてのみ、社會をより善くすることが出來、社會をよりよくすることによつてのみ自分をより善くすることが出來ると云ふ大切な信念をつかんでゐないのである。」(當時の「反響」を座右に持合せないから「新日本」に出た反復を引用する。)
と云つた。自分はこの批評が不服だつた。併し自分から云へば此の如く自明なる友人の誤謬を社會の前に指摘することを好まなかつた。故に自分は私信を以つてC君に自分の不服を述べ、不明なる點の説明を求めた。併し不幸にして自分はC君から何等の返答をも得ることが出來なかつた。さうして段々C君の書くものゝ中に横目で自分を睨んでゐるやうな物の云ひ振りを認めることが多くなつて來た(尤もこれは自分の僻目であるかも知れない。)故に自分はC君が自分との間に正面から事理を明かにする意志がないものと認めて、それ以來C君の言論を無視することに決心して來た。然るにC君が昨秋、新日本の大正聖代號(?)に於いて、又前に引用したやうな言葉を反復してゐるのを見て、自分は自分の態度に對する此の如き執拗なる誤解の前に默止してゐられないことを感ずるやうになつた。併し身邊の事情はこの誤解を正してゐる餘裕を自分に與へて呉れなかつた。故に自分は鬱積する感情を抱いて今日まで沈默して來た。今自分がこの小論を書くのは、固よりC君と論爭することを主なる目的とするのではない。併し冐頭先づC君の誤謬を正すことを以つて始めずにはゐられないことを感ずる。


 一、自分が彼の返事に於いて「自分自身の事」と云つたのは、自己の物質的利益と享樂とを意味するものではないことは斷るまでもない。「自分自身の事」とは自己の中に規範(道、理想、信仰)を發見することゝ、この規範を發見又は實現するに堪へるまでに自己を精錬することゝを意味する。
 又自分が彼の返書に於いて「實社會に突掛つて行く」と云つたその「實社會」とは、個人の多數(Mehrheit der Individuen)を意味するのではなくて、一種の合成體(Gesammtheit)を意味してゐることも亦煩く斷るまでもない。自分は實社會の名によつて父母兄弟妻子朋友隣人等凡そ他人との關係を意味させはしなかつた。政治によりて統治され、法律によりて支配され、教育によつて訓練せらるゝ一種の團體、具體的に云へば國家、地方自治體、その他職業又は階級等によりて組織せらるゝ Gesammtheiten を意味させたに過ぎなかつた。固より自分は父母や兄弟や朋友隣人などの間に在つても、暫く彼等に――この言葉に含まれてゐる敵對的の意味を除いて――「突掛つて行く」ことを避けて、靜かに、自分自身の胸の中で、彼等に對する自分自身の感情や思想を反省したり整理したり――これも亦自分自身のことの重要なる一内容である――しなければならない時期があることを知つてゐる。時々此の如き時期を挾むことによつて、自分と彼等との間が始めて本當に深くなり鞏くなることを知つてゐる。自分は或人の或時期に於いては妻子朋友その他一切の愛するものと離れる意味の遁世も決して無意味でないことを信じてゐる。併し自分に提出された問題はその事ではなかつた。故に自分は唯「實社會」に對する態度だけを答へた。
 自分は上述の意味に於ける「自分自身の事」と「實社會の事」とを、自分現在努力焦點を求めると云ふ特殊な問題に於いて對立させたのである。此の如き對立は、固より事實上社會が自己に影響し、自己の活動が社會に波及するといふ社會學的考察を否定するものではない。又此の如き準備によつて充實し來れる自己の活動が將來實社會と切實なる交渉を開始せずにゐられないこと、自己實現の最後の段階が萬物の救濟に到らざれば完成しないこと――此等の倫理的觀念をも否定するものではない。自分は此の如き將來に關する十分の豫想を以つてあの返事を書いた。これが何故に「自分といふものと實社會といふものとを切り離してばかりゐるのである」か。ばかりと云つたりのみと云つたりする意味深い言葉を此の如く誇張のために用ゐるのは通俗演説家の詐術として意味があるに過ぎない。苟も責任ある思想家の用うべき言葉では決してないのである。既にC君自身も「さう云ふ考へ方も場合によつて必要である」と云つた。此の場合こそ正にさう云ふ考へ方の必要な場合ではないのか。C君の所謂必要であるとは一體如何なる場合を云ふのか。此處にこそ眞正にC君と自分とを分つべき問題がある筈である。然るにC君はこの「場合」に對して何等自家の意見を提出することなしに、唯自分と社會とを切り離して考へてばかりゐると自分を誣ひた。自分は此の如き漠然たる批評に對して感謝すべき所以を知らない。
 二、自分は現在に於ける自分の努力の焦點を何處に置く可きかを考へた。何事に現在の意識を集注して、何事を將來に期すべきかを考へた。此の如き問題のとり方(Fragesetzung)に對して「實社會が自分といふものゝ輪廓であり、自分が實社會と云ふものゝ焦點であると云ふ」謂ふ所の「大切な意識」が何の解答を與ふるものぞ。此の如き平面的敍述はC君の提唱を待つまでもなく社會學の腐儒が既に云ひ古したところである。意志の焦點を求むるの問題に此の如き平面的敍述を以つて答へる者は、飢ゑて飯を食はむとする者に向つて、飯は米で焚いたのだと教へるに等しい。而もC君は米を食ふよりも飯にしようなどゝ云ふのは、飯は米で焚くと云ふ大切な意識を缺いてゐるのだとさへ誣ひようとするのである。飢ゑて食はむとする者にとつては、生米と飯とは Entweder-oder となる。意志の焦點を求める者にとつては、父と母と、妻と子と、黒子の一寸上と一寸下とも亦 Entweder-oder となる。況んや自己と社會とをや。意志の焦點を求める問題に於いて自己と社會とを混一せむとする者は、輪廓は焦點でなく、焦點は輪廓でないといふ大切な意識を取逃してゐるものである。問題の中心を捉み損つて、惡い意味の抽象的思辨中に彷徨してゐるものである。
 三、C君特愛の信條、「自分をより善くすることによつてのみ、社會をより善くすることが出來、社會をより善くすることによつてのみ自分をより善くすることが出來る」と云ふ言葉も亦――その中に敬重すべき眞理を含んでゐるにも拘らず――急卒にして曖昧なる概括である。
 第一にこの絶句的命題――前後兩聯から成立してゐて、各聯はのみによつて接合されたる二句から成立してゐるから――を常識的に解釋するために、假にC君特愛ののみを除いて考へる。「自分をより善くすることによつて社會をより善くすることが出來る。」これには異議がない。「社會をより善くすることによつて自分をより善くすることが出來る。」これにも亦異議がない。確かに社會をよりよくすることゝ自分をよりよくすることゝは交互的である。次に前聯ののみを復活して考へる。「自分をよりよくすることによつてのみ社會をよりよくすることが出來る。」これにも亦異議がないやうだ。C君はこの前聯によつて、自己及び周圍の者に就いて、自分の事を棚に上げた社會改良家的淺薄を叱正せむとするのであらう。更に後聯ののみを復活して見る。「社會をよりよくすることによつてのみ自分をより善くすることが出來る。」これも亦一理はあるやうだ。C君はこれによつて周圍の獨善主義者を叱咤されたものであらう。併し此處までのみを復活して來てこの絶句的命題の全體を囘顧するとその意味は直ちに無窮のいたちごつこを始める。「自分をよりよくすることによつてのみ社會をよりよくすることが出來る。」故に社會をよりよくせむとする者は先づ自分をよりよくしなければならない。然し「社會をよりよくすることによつてのみ自分をよりよくすることが出來る。」故に自分をよりよくせむとする者は先づ社會をよりよくしなければならない。而も社會をよりよくするには先づ自己をよりよくし、自己をよりよくするには先づ社會をよりよくせざるべからざるを如何せむ。意志は、努力は、この無窮に循環する輪の何處から手をつけていゝかわからない。最初に社會をよりよくしようとせむか、それは自己をよりよくすることを基礎としてゐないから無意味である。最初に自己をよりよくしようとせむか、それは社會をよりよくすることを基礎としてゐないから無意味である。社會と自己とを同時に同樣によりよくしようとせむか。意志は、努力は焦點を求める。現在の意識を一つの點に集注して、或他の事を將來に期することを求める。然るに此處には動機の前後を決すべき何等の根據も與へられてゐない。若しくは社會でも自分でも手當り次第のところから出發すべしとせむか。自分は(稿者は)先づ自己をよりよくすることから出發しようとした。さうして「自分をより善くすることによつてのみ、社會をより善くすることが出來、社會をより善くすることによつてのみ自分をより善くすることが出來ると云ふ大切な信條をつかんでゐないのである」とされた。さうすれば自分の問題となつて來次第手當り次第に始めることも亦許されてゐないことは明白である。然らば自分は現在の努力の焦點を何處に求むべきであるか、一體にC君は、この信條によつて努力の焦點を求めむとする意志に、如何なる出發點を與へむとするか。恐らくは何の出發點をも與へることが出來まい。この絶句的信條は前聯と後聯との間に於ける重力の關係を明示せざるが故に、さうして各聯の上下二句を誇張を交へたるのみによつて緊密に限定し過ぎたるが故に最も周匝なるが如くにして最もフラ/\したものとなつてしまつた。
 假に重心を少しく自己の方に移すとする。社會をよりよくせむとする者は先づ自己をよりよくしなければならないが、併し自己をよりよくせむとする心の底にも猶社會をより善くせむとする願ひが(意志の焦點ではないが一つの願望として)含まれてゐなければならないと云ふ意味だとする。上求菩提の努力の中にも下化衆生の大願を忘れてはならない。獨善主義や主我的な享樂主義は排斥さるべきである――自分はC君がその信條に於いて、一つはこの事を云ひたかつたのだと云ふことを疑はない。さうしてそれは確かに敬重すべき眞理である。併し自分は何時この眞理を否定したか。何時この眞理に矛盾することを云つたか。從つてC君はこの眞理を根據として自分の言葉を非難すべき權利を何處から持つて來たか。C君と自分との相違は唯、C君が漠然と並列させて置く上求菩提下化衆生の二句に就いて、自分は現在の努力の焦點として先づ上求菩提を採り、下化衆生の活動を將來に期したところに在るに過ぎない。或ひは此の如くにして焦點と輪廓とを區別したのは自分の誤謬であるか。若しこれが自分の誤謬であるならば――それならば、意志の焦點を求める時、人は上求菩提か下化衆生か孰れか一つを表にして孰れか一つを裏にすることなしに、兩者を同時に同樣に追及することが出來るか。下化衆生の「十分腰を据ゑた」活動を將來に期して先づ上求菩提の險難な途を行かうとする者は主我的享樂者か。それならば、論者は、或人の或時期に於いて上求菩提の願ひと下化衆生の願ひとが意志の焦點として矛盾する悲しみを考へたことがないのか。暫く下化衆生の逸る心を抑へて強ひて上求菩提の途に歸り行く者の修業苦を經驗したことがないのか。抑へ、退き、待つ者の心と、抑へ、退き、待つことを正しとする決定心とを經驗したことがないのか。上求菩提下化衆生は二つの句である。少しくこの二句の内容に滲透して考へたことのある者は、此等の間にも時として嚴肅なる矛盾と相鬩とあることを知つてゐる。固より人は何時までも此處に留つてゐる必要はない。或者は既にこの關門を踏破して遠くに行つてゐる。併し苟もこの段階を通過した者は、必ず這般の消息を解して此の如き對立の意義を認めなければならない筈である。これを認めることが出來ない者は、未だ上求菩提の一句の内容にさへ眞正に滲透することを得ざる者の言葉いぢりか。若しくは徒らに異を樹つることを快しとする一種の野次馬か。
 更に重心を社會に移すとする。上求菩提下化衆生と云ふが如き對句は甚だまだるつこい。衆生を化することを外にして菩提に到るの途はないのである。衆生を救ふ事によつてのみ自己を救ふことが出來るのである。自分はC君があの信條の中で一つは(若しくは主として)この事を云ひたかつたのだと信じてゐる。これは大なる斷定である。さうしてこの斷定は、事が究竟の救ひに關する限り、恐る可き眞理を含んでゐるに違ひない。自分などはまだまだこの内容に近づくことが出來る程の境地に到達してゐないながらに、猶これを讚嘆するに於いては人後に落ちないことを期してゐるものである。併し究竟の救ひが其處にあるからと云つて、未だ究竟の救ひと云ふやうな段階に到達せざるものが、暫く自己の精錬と淨化とに專心せむとするのが何故に惡いのであるか。釋尊が道を求めて山に入つたのは誤謬であるか。基督が荒野の試みに逢つたのは無意義であるか。雪山の修道や荒野の試みや、彼等の大なる救世の活動にとつて必須なる準備ではなかつたのか。自分は謙遜なる心を以つて自分が未だ「救ひ」の道の麓に彷徨つてゐる者なることを承認する。さうして釋尊の求道に似た意味に於いて――大小の比較をするのではない、意味の類似を主張するのである――自己の救ひを求め、基督の自己鍛錬に似た意味に於いて――大小の比較をするのではない。意味の類似を主張するのである――自己の鍛錬に專心しようとするのである。これをさへ「社會をよりよくする事によつてのみ自分をよりよくする事が出來るといふ大切な信念をつかんでゐないのである」と非難する者は衆生濟度の「十分に腰を据ゑた」活動をするにはどれ程の準備と蓄積とが要るかを理解しないものか。「救ひ」の道に於ける自己の現在の位置を正直に反省することを敢てせざる大言壯語の徒か。「衆生」を救ふの道は唯「人」(Der Mensch)を救ふの道のみである。「人」を救ふの道を實證するものは唯「自己」を救ふの道のみである。さうしてあらゆる善業は――あらゆる社會をよりよくする活動は――それが内面的に把握されない限り、「自己」を救ふの道と關りなきこと、猶路傍の木石に等しい。此等の大切な信念を捉んでゐる者は、決して退いて自ら養ふの意義を見誤らない筈である。
 併し自分がこの論文を書く主要なる目的は、C君の誤りを匡すことのみではなかつた。社會(前に云つた意味の實社會も、父母兄弟妻子朋友隣人等他人との關係も併せてこれを含ませる)と自己との關係に就いて、自分の現在考へてゐる事を云ひたいのであつた。それをするために、自分は今C君を離れて自分の考へを正面から敍述しなければならない。


 社會は自分を培ふの土壤である。自分を圍繞するの雰圍氣である。社會は自分の環境中最も有力なる要素である。自分は山に遁れても完全に社會を脱却することが出來ない。海に浮んでも徹底的に社會を超脱することが出來ない。人は社會に對して、或ひは屈服し或ひは妥協し或ひは感謝し或ひは反抗する。孰れにしても人は社會の影響を脱れることが出來ない。
 社會は自己實現のプラツツである。人は自己の中に溢れる或物を感ずる時、社會に働きかけずにはゐられない。自己以外の物に對して愛を感ずる時、社會の中に動き出さずにはゐられない。自己の中に理想の成熟することを感ずる時、これを社會に與へずにはゐられない。自己の周圍に戰慄すべき罪惡を見、自己の中に戰ひに堪へる力あることを感ずる時、これと戰はずにはゐられない。孰れにしても自己の實現は社會に働きかけるにあらざれば完成しない。
 人は社會と離れてものを考へることが出來ないか。人は天上の星と地上の花とを考へることが出來る。如何にこれ等のものを考へるか。その考へ方には常に社會の影響があるであらう。併し人が天上の星を考へ、地上の花を考へる時、社會を考へてゐるのではない。
 人は凡そ物を離れて自己を考へることが出來ないか。離れて考へることは或ひは出來ないかも知れない。併し他人の事を考へることゝ、他人と自己との關係を考へることゝ、他人との關係に表れたる自己の力を考へることゝ――この三つは混同すべきではない。人は世界を縁として自己を考へることが出來る。さうして世界を縁として自己を考へることは直接に世界そのものを考へることゝは意味を異にする。この意味に於いて世界を考へずに自己を考へることが出來ないと云ふのは誤謬である。況んや社會をや。世界と社會と自己との間には固より緊密なる連鎖がある。併しそれにも拘らず自己の問題は世界や社會の問題に對して特殊にして獨立せる問題となり得るのである。此時意識の焦點に立つものは唯自己のみである。さうして世界と社會との問題が自らその中に含まれて來るのである。
 實行の問題に於いて、社會と自己とを對立させて考へるのは無意味であるか。人は固よりどんなにしても社會を脱れることが出來ない。併し人の努力は社會の全面に擴がらむとする方向と、自己の一點に凝集せむとする方向と、二つの方向をとることが出來る。さうして二つの努力とも或程度までは有效である。故にこの意味に於いて自己と社會とを對立させて考へるのは、決して無意味なことではない。
 如何にして自己の準據すべき「道」を發見せむか、如何にして自己の内面に一つの世界を建設せむか、如何にして「道」の實現に堪へるまでに自己を鍛錬せむか――此等の問題に對して決定的の意義を有する者は唯自己だけである、純粹に自己だけである。固より社會と環境とは色々の意味に於いてこの努力と交渉する。自己は先づ社會と世界とから豐富なる材料を吸收しなければならない。これを整理しこれを裁斷する方針に就いても、先覺の教に待つところがなければならない。彼を驅りてこの問題に向はしめた動機の中には世界苦の痛切なる印象と衆生濟度の大願とがある。私が發見すべき「道」の少くとも一つの重要なる内容は汝の隣人を愛せよといふことでなければならない。とは云へ材料は材料であつて解決ではない。先覺の教は唯參考であつて、その徹底せる識得は獨り自證によるのみである。衆生濟度の大願はその儘で救濟の道を與へるものではない。隣人を愛せよとは愛の對象又は内容が隣人だと云ふ意味であつて、愛せよといふ道そのものは決して隣人から自己に、器から器に水を移すやうにして與へられることが出來ない。凡てこれ等の事を決定するものは唯自己の一心である。この點に於いて、自己は社會と世界とを超越して、天地の間に寥然として唯獨り存在する。この方面に於いても自己に對する社會の權威を承認する者は、靈の獨立と意志の自律と云ふ大切な自覺をとりおとしたものである。
 自己をよくせむとする者は努力の焦點を自己の内面に置かなければならない。經驗の蓄積と内化と、人格の精練と強化と、此等のことを外にして徹底的に自己を善くするの道は何處にもないのである。社會をよくする事は、身邊の空氣をよくすると略※(二の字点、1-2-22)相似た意味に於いて人格の健康を増進する。他人をよくせむとする努力は、肉體の運動と略※(二の字点、1-2-22)相似た意味に於いて精神の成長に裨益する。併し自己と社會とは焦點と輪廓との關係あるが故に、自己をよくするには先づ社會をよくしなければならないなどと云ふ者の愚は、他人に藥を飮ませて自分の病ひをなほさうとする者の愚に等しい。人格の健康の點に於いても、肉體の健康に於けると等しく、自己は自己であつて他人は他人である。
 要するに、自己と社會との關係を主として見る時、自分は三種の生活を見る。第一は社會の子としての生活。第二は求道者としての生活。第三は廣義に於ける傳道者としての生活。第一の生活に於いて、社會と自己との關係は、最も同一と呼ばるゝ關係に近い。第二の生活に於いては、自己はその本質に於いて超社會的である。第三の生活に於いては、社會と自己とは相求め相反撥する。それは男と女との如く、對立として最も緊密なる交渉を保持する。此等三種の生活は固より相錯綜し相交互する。併し生活樣式の焦點に着目する時、人はこの三種の生活の差別を見誤ることが出來ない。


 求道者としての生活にとつて社會の子としての生活は無意義なるか。否、心を虚くして社會の與へるものを受けることは彼の内界を豐富にする。他人との接觸は彼に思ひもかけぬ内省と思索と鍛錬との機會を與へる。久しく社會と遠ざかることによつて、彼の材料は貧寒となり、彼の内界は稀薄となる。
 求道者としての生活にとつて傳道者としての生活は無意義なるか。否、苟も持てる者はこれを與へることによつて初めて實證される。金を持てる者は金を與へ、食を持てる者は食を與へることによつて、彼は己れ自らの靈に何者かの與へられることを覺える。少しの眞理を持つ者はその少しの眞理を他人に傳へることによつて自らよりよくなる。此の如くにして傳道の生活は又その求道の生活に反映し來つてこれを強めるのである。
 併し社會の子としての生活によつて提供されたる材料を把握し内化して、これを内界の建設に資するの生活は、社會の子としての生活ではなくて求道者としての生活である。自ら持てるものを與へるの努力によつて新たに開けて來た局面に思索と省察とを集中して更に新たなる眞理の獲得に向つて準備するは、傳道者としての生活にあらずして求道者としての生活である。
 人の生涯には、社會の與ふる材料の餘りに豐富にして複雜なるが爲に、之に對する自己の統覺が餘りに混亂し餘りに表面に蔓延してゐることを感ずる時期がある。自己の中にあるものが要するに他人を救ふに足らざることを悟つて、痛切に力の缺乏を感ずる時期がある。此時彼は新しい印象を求めるよりも寧ろ新しい原理を求めずにはゐられない。此時彼はその接觸する人と物とを小さく限りて、此等の對象によりて提供される經驗に、惑溺して思ひを潛めずにはゐられない。時として彼は過去の經驗を記憶の中に携へて山林に退き、靜思と内省と苦行との中に日を送らなければならぬことさへある。これ比較的純粹なる求道者の生活形式である。
 併し此の如くにして彼が修業三昧に耽る間にも、世界はその罪惡と慘苦とを以つて流轉を續けて行く。處女は汚されつゝある。貧しき者は飢に泣きつゝある。賤しき者は虐げられつゝある。此の如き事實に面して彼の心には自ら疑惑が湧いて來ない譯に行かない。自分の修業三昧は悲慘なる者を忘れたる私ではないのか。自分は一切を捨てて彼等の救濟に走らなければならないのではないのか。併し彼は痛憤に湧きかへりながらも否々と叫び出す。自分の使命は根本的の救ひを齎すことである。自己の中に根本的救濟の道を發見すること――これが自分に負はせられたる最大最切の義務である。自分は未だこの救ひの道を體認するに至らない。故に自分には未だ眞正の意味に於いて彼等を救ふ力がない。暫く余の修業三昧を許せ。自分は自分一個のみの救ひを求めてゐるのではない。自分は汝等のために汝等を救ふの途を求めても亦ゐるのである。此の如くにして彼は重い心を抱きながら、一層の強さを以つて――衆生の苦をも負ふが故に一層の強さを以つて――求道の生活に歸つて行く。さうして彼の財嚢の許す限りに於いて、彼の身邊に起る限りに於いて、彼の時間の許す限りに於いて、これやあれや偶然彼の途を横ぎる慘苦に援助の手を藉すことによつて、僅かにその苦しい心を慰める。さうして唇を噛んで、この慘苦と罪惡とのに斧を加へ得る日の來るのを待ちに待つてゐる。
 釋尊は老病死苦を見て心の痛みに堪へなかつた。
併し彼はそのために醫者ともならず、政治家ともならず、又國庫を開いて救※[#「衄のへん+卩」、U+5379、287-2]の事に專心することもせずに、衆生と人間とを痛む心を抱いて山に入つた。彼は世界苦の根が醫術と社會改良とを以つて除却するには餘りに深いことを認めてゐたからである。救濟は先づ自證の途によつて獲得されなければならぬことを知つてゐたからである。
 併し自分は茲に至つて自ら嘲る者の聲に耳を傾けずにはゐられない。汝が今讀書や研究の生活を送つてゐられるのは、衆生苦に對する汝の感覺が鈍麻してゐるからではないのか。汝は果して世界の慘苦を救はむがために驅け出さうとする心を抑へ抑へしながら、張り詰めた心を以つて修業の生活を送つてゐるのか。一體に汝の修業に張詰めた心があるのか。自分はこの詰問に對して、自分にも衆生苦に對する相應の感覺はあると答へることが出來るかも知れない。自分は決して修業の努力を弛緩せる儘に放置して自ら甘んずるものではないと答へることが出來るかも知れない。併し此の如き微弱なる答辯は畢竟何するものぞ。自分の衆生苦に對する感覺は確かに鈍麻してゐるに違ひない。自分の修業慾は確かに弛緩してゐるに違ひない。若しさうでないとすれば、どうして自分のやうな呑氣な生活を送つてゐられるものぞ。自分は理想を負ふ者の謙遜を以つてこの詰問の前に首を垂れる。求道の生活を送る者にとつて最も戒むべきは洵に懶惰と利己との混入することである。自分は更に衆生苦に對する感覺を鋭敏にして、修業の慾望を掻き立てなければならない。併し、然らば今直ちに傳道の生活に赴けと云はれゝば、否々、如何に衆生苦を負ふも、今は雪山に入れる釋尊の心に習つて、忍んで自ら養はなければならないと自分は答へよう。
 固より自ら養ふの途には限りがない。さうして持てるものを與へるのも亦自ら養ふ所以の一つである。人は何處に求道中心の生活と傳道中心の生活との區別を劃すべきか。それが自己の完成する日に非ざるは云ふまでもない。自己完成の日を待たば永劫に輪※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)するも遂に傳道の生活に入ることを得ざるは云ふを須ゐざるところである。然らばその時期は何の時ぞ。内面生活のカーヴが急峻なる角度を描いて※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)轉する事を眞實に感知する時。


 求道の生活と傳道の生活との關係問題と、道そのものは何ぞの問題と――この二つは固より同一の問題ではない。道そのものは何ぞ。道そのものゝ内容と社會との關係如何。
 道そのものゝの内容として、自分は(基督の教へに從つて)少くとも二つの事を考へることが出來る――神を愛する事と、隣人を愛することゝ。
 或人は曰ふ、凡ての人皆他人の幸福を圖れば、畢竟その幸福を享受する者は誰ぞ。それは凡ての人である。幸福を圖つて貰ふ者は、自ら他人の幸福を圖りながらも、亦その隣人によつて自分の幸福を圖つて貰ふことによつて幸福を感ずる。さうして他人の幸福を圖る者の最大の幸福は、自分が他人を幸福にすることそのものである。自己の私慾を捨てゝ他人の幸福に奉仕することそのものである。この間の關係を評して不合理と云ふものゝ愚は、猶億萬年の後に實現せらるべき超人の理想のために現在を犧牲にするは不合理だと云ふものゝ愚に等しい。超人の理想は永遠に實現し盡されることが出來ないかも知れない。併しこの理想は現在の刻々に働いて、現在を犧牲にすることによつて現在を活かしてゐる。他人を幸福にするとは、自己を幸福にしないことで、永遠の理想を抱くとは現在の生活を空虚にすることだと考へるのは、生活經驗に乏しい論理家の空論である。苟も愛したことのある者は、苟も理想を抱いたことのある者は、直ちに此の如き論理的遊戲の空しさを看破するであらう。
 隣人に奉仕することは決して論者の云ふが如き空語ではない。併し神の愛と隣人の愛とは常に全然相覆ふてゐるか。神を愛する道は隣人を愛する道の外には存在しないか。若しくは隣人を愛することを忘却した刹那にも猶神を愛する道はあるか。
 人には花に對する時、凝然として花に對する時、花の中に高きもの、美しきもの、換言すれば神の俤を見る。さうして神性の具現に對して云ひ難き愛を感ずる。併し人は此の如き觀照の中に沒入する時、社會と他人と他人の愛とを忘れる。彼がそのために(對照として人の醜さを想起し來らざる限り)社會を憎むのでないことは云ふまでもない。彼の心が間もなく世界と人間との愛に擴がり行くべきことも亦云ふまでもない。さうして彼が藝術家ならば、彼は恐らくこれを描いて、自分の觀照の幸福を他人にも傳へようとするであらう。併し兎に角に彼の幸福――さうして彼の他人に傳へむとする幸福は――觀照の幸福にある。直接に隣人に働きかけることから來る幸福ではない。若し人が此の如き觀照の生活を繼續するとすれば、彼はその間直接に隣人に働きかける生活から遠ざからなければならない。彼は此の如くにして學術や藝術と云ふが如き Kultur の世界に貢獻する。さうして長く觀照の生活に預る隣人を幸福にする。併しこれも亦隣人に奉仕する生活といふことを得るか。人は自己の中に觀照の幸福を蓄積して隣人をその饗宴に招待するの權利を有するか。
 若しくは常に持てる者の一切を盡して直接に身邊の者に頒つ事のみ眞正に隣人に奉仕するの生活であるか。餓虎が食を欲すれば身を餓虎に與へ、「人汝の右の頬を批たば亦ほかの頬をも轉じてこれに向け、汝の裏衣をとらむとする者には外服をも亦とらせ、人汝に一里の公役を強ひなば之とともに二里行く」生活のみが眞正に神に協ふの生活であるか。人は他人をよりよくする事――と云ふよりも寧ろ全然自己を捨てゝ他人の欲望に奉仕すること――によつてのみ眞正に自ら富ますことが出來るのか。學者や藝術家はこの信念を捉まざるが故に救はるゝことが少いのか。一切を忘れて他人の難に赴く時、豁然として神はその人の前に現前するのか。
 自分は此處に至れば最早何事をも斷定する力がない。自分は唯自己の生活によつて此間の問題に斷案を下した人の前に跪かむことを思ふばかりである。
(五年三月十九日正午)
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九 藝術のための藝術と人生のための藝術





 自分がこの覺え書を書くのは主張するためではなくて整理するためである。新しき眞理を發見するためではなくて、古き眞理を一層明瞭に把握するためである。


 藝術の製作並びに鑑賞は云ふまでもなく人間の一つの活動である。故にそれは一個人の内部生活に於いて、又個人の集團なる社會に於いて、他の諸※(二の字点、1-2-22)の活動や目的や理想と交渉するところなきを得ない。此等諸※(二の字点、1-2-22)の活動や理想の中に在つて、藝術の製作並びに鑑賞は如何なる位置を占め、如何なる價値を有し、如何なる使命を持つか――藝術は此の如き著眼點から評價されることを拒むことが出來ない。さうして他の凡ての活動と等しく、藝術も亦人生全體の意義と理想とに參加し、窮極理想の實現に貢獻する程度に從つてその價値を獲得する。この意味に於いて凡ての藝術が人生のための藝術でなければならないことは、繰返して云ふまでもないことである。若し藝術のための藝術と云ふ主張が、此の如き著眼點から藝術を評價する權利を拒むことを意味するならば、それは主張ではなくて片意地と我儘とである。思想ではなくて思想の放棄である。藝術の意義に對する解釋ではなくて、單にがむしやらなる獨斷である。故にこの意味に於ける藝術のための藝術と人生のための藝術との對立は、最初から考察に價しない。それが苟も一つの主張として意義あるものであるためには、藝術のための藝術とは他との比較を拒む獨斷ではなくて、他の諸※(二の字点、1-2-22)の價値と比較せる後にも猶藝術の價値の優越又は至上なることを主張するものでなければならない。


 逆に人生のための藝術と云ふ主張が、人生に於ける他の目的の方便として、單に功利的價値のみを藝術に許すことを意味するならば、それは唯商賣人と檢閲官と道學先生との信條であり得るのみである。凡そ方便とはその目的の實現さるゝとき、存在の理由を喪失するものでなければならぬ。然らば藝術とは理想的人生に於いて全然存在の理由を持つてゐないものであるか。我等がこの缺陷多き現實の生活に於いて眞正に「生き」たることの喜びを經驗し得る刹那は唯藝術以外の領域に於いてのみ許さるゝか。藝術家がその精神の全體を凝集して一つの世界を心裡に創造するとき、過去の閲歴を囘顧してその全體としての意義を把握するとき、心の表皮を掠めて去れる人生と自然との印象を追跡してこれを自己の内面に味會するとき、若しくは鑑賞家が雜念を刈除することによつて一つの世界に嵌まるの喜びを經驗するとき、一つの世界に沒入して其處に全精神を以つて沈潛して生きるとき、又藝術の鑑賞から出發して深き生命感情の心裡に横溢することを感ずるとき――その時我等は唯方便としてのみ意義ある生活をしてゐるのであるか。天成の俗人にあらざる限り何人もさうは思はないであらう。藝術は他の目的に對する方便ではなくてそれ自身に於いて一つの目的である。多くの目的の間に在つて獨自の地歩を占むる一つの目的である。若し藝術のための藝術とは、藝術の此の如き獨自なる價値を主張する意味ならば其處には固より多くの異論あることを許さない。故にこの意味に於いて人生のための藝術と藝術のための藝術とを對立せしむることも、亦甚だ急要な問題ではない。我等は唯明瞭なる自覺を以つて、藝術を唯方便としてのみ評價せむとする俗人を防禦すればそれで足りるのである。


 此の如く、藝術のための藝術とは、藝術と他の價値との比較を拒む意味でもなく、又他の諸※(二の字点、1-2-22)の活動と並べてその獨立せる價値を主張するだけの意味でもないとすれば、その眞正の意味は何處に在るか。この主張の底を流るゝ根本精神は何ものであるか。
 自分は、人間の他のあらゆる眞摯なる主張に於けると等しく、此處にも亦よりよき生活に對する憧憬の心を見る。現實の生活は色彩に乏しく變化に乏しく、充實を缺き徹底を缺き、平凡で膚淺で散漫で多苦で煩しい。故にこの生活を超脱してよりよく生きむがために、彼等は藝術の世界に走らむとするのである。藝術の世界に走つて、其處に色彩と變化とに富み、充實し徹底し集注した生活をしようとするのである。此處に彼等のよりよく生きんとする意志の特異なる規定がある。彼等は生の解脱を宗教に求めず、他人に對する奉仕に求めず、現實世界に於ける活動に求めず、偏に生の表現の活動に求める。現實の生に於いて與へられないところを、何等かの途によつて生の表現の中に獲得しようとする。さればこそ「藝術は人生より尊い」のである。「人間は何物でもなくて、製作はあらゆる物」なのである。藝術のための藝術の主張の中には、他の活動と並べて藝術の獨立を主張するやうな理智の要素よりは、更に偏つた――同時に更に人間生活の深處に觸れた呻吟の心がある。それは藝術獨立の主張ではなくて藝術の優越若しくは至上の主張である。


 藝術のための藝術の主張が如何によりよき生活に對する憧憬の心に基いてゐるかは、これと、藝術を現實の模倣、人生の再現と稱する主張との關係を一瞥すれば、更に明かとなるであらう。現實の模倣や人生の再現を能事とする藝術は、其處に人生をよりよくする意志が働いてゐない意味に於いて、人生のための藝術ではない。さうして表現を唯一の目的とする意味に於いてそれは確かに一種の藝術のための藝術である。故に一見すれば藝術至上主義と現實模倣主義は藝術のための藝術として相提携するのが當然のやうにも思はれる。然るにこの兩者は末流に至つて時に相合流するのみで、その本流に於いては――外見上時として相提携してゐるやうに見えながらも――寧ろ決然たる對立を成してゐるのは何故であるか。それは藝術至上主義が人生の Potenzierung(増盛)を――從つて現實以上の生を求めてゐるに反して、現實模倣主義は前者にとつては厭ふ可き現實生活そのまゝの再現を求めてゐるからである。前者は人生の苦を増盛することによつて人生の無味を脱れ(例之をフローベールの「サランボー」)「人生をより善く且つより惡くする」ことによつて人生の平淺を脱れむとするに反して、後者は無味にして平淺なる人生を如實に再現することによつて所謂「人生の眞」を表現せむとするからである。後者に屬する或者は、我等が日常生活に於いて韻文を以つて對話せざるの故を以つて、劇中人物の對話を韻文にするの不自然を攻撃する。併し藝術至上主義者は寧ろ日常生活に於いても韻文を以つて對話することによつて、「人生を藝術の模倣たらしめむ」とするのである。此の如き二つの主張がその本質上相一致することを得ざるは固より當然である。
 現實模倣主義の背景には現實に信頼する樂天主義がなければならぬ。之に反して藝術至上主義の背景は現實に信頼するを得ざる厭世主義である。從つて前者にとつては藝術に於いて人生を増盛する必要がなく、後者にとつては藝術の中に人生を増盛することなしには生きてゐられない。故に前者に比すれば後者は寧ろより多く「人生のための藝術」である。我等は此の如くにして、茲に藝術のための藝術と人生のための藝術との不思議なる合致を發見する。併し少しく熟慮すればそれは何の不思議でもない。藝術至上主義は要するに他の諸※(二の字点、1-2-22)の活動を輕視して、藝術を至上の人生とするものだからである。


 藝術は現實の鏡ではない――少くとも現實の鏡ばかりではない。それは哲學や宗教と等しく、より善き人生を創造するための一つの機關である。人間が自己の現在を超越して更によき現實に進まむとする努力の一つの表現である。故にそれは現實を如實に映出すること――記憶と同樣の意味に於いて現在の状態を寫眞に撮つて置くことのみを以つて滿足することが出來ない。より善く生きむとする意志を缺くとき、彼は表現の努力を支持するに足る内面的緊張をさへも保つことが出來ないであらう。
 固より藝術が現實超脱の努力に參加するには樣々の途がある。これは或ひは“La nouvelle Heroise”の著者ルソーの如く、自己の憧憬に姿を與へて、現實の生に於いて發展せしむるに由なかつた内奧の本質を藝術の世界に於いて生かすことであるかも知れない(Vgl. W. Dilthey: Das Erlebnis und die Dichtung. S. 217ff.)。或ひは“Leiden des jungen Werthers”の著者ゲーテの如く、夢魔の如く襲ひ來る過去の追憶を脱却して、「大懺悔をした跡のやうに自由に樂しい心持になつて、新しい生活を享ける權利」を囘復することであるかも知れない。或ひは又“Salambo”の著者フローベールの如く、人生の苦艱を増盛することによつて平淺と無味とから脱却することであるかも知れない。或ひは又「手」の彫刻者ロダンのやうに、對象の精髓を掴んで其處に萬物の底に流るゝ「心」を發見することであるかも知れない。孰れにしても藝術は現實の人生の奴隷ではなくて、現實以上の人生を我等に示唆するものである。我等を更に生き甲斐のある人生に導くものである。この意味に於いて、「藝術」を「人生」の上に置く思想は當然の理由を持つてゐると云はなければならぬ。藝術至上主義に對して如何なる態度をとるにしても、我等は先づこの事實を承認して置く必要がある。


 併し我等が藝術を「人生」以上に置くと云ひ、藝術は「現實」の鏡ではないと云ふとき、その「人生」又は「現實」とは何を意味するか。それは與へられたる人生である。現在の自己に對立する現在の現實である。併し人生には單に與へられたる人生に對して、實現せらる可き人生がある。現實には目前に與へられたる現象に對して、現象の底に潛む本質、現在を導き行く可き理想がある。此の如き本質的理想的現實に對して藝術至上主義は如何なる態度をとるか、藝術のための藝術の主張は、一般により善き生活を求むる憧憬の中に在つて、此處にその特異なる點を持つてゐるのである。
 藝術は人間の一つの活動として、それは人生の一部分である。併しそれは又人生の表現として人生そのものに對立する。我等が藝術を人生の上に置くことを許したのは、それがより善き人生の――理想的本質的人生の表現であるからであつた。併しそれはより善き人生の表現であるが故に、より善き人生そのものよりも猶優越してゐるか。凡そ表現はあらゆる意味に於ける現實以上であるか。我等はより善き人生を藝術のうちに表現することによつて、より善き人生を最も完全に實現したものといふことが出來るか。
 藝術のための藝術を主張する者と雖も、恐らくはそれはさうだとは云はないであらう。併しより善き人生を現實の世界に實現することは、人生を知らざる青年の夢想であつて、現實の眞相を知れる者は人生に此の如き無邪氣なる信頼を懸けることが出來ない。世界は惡に充ちてゐる、人生は苦痛の谷である、故に我等はせめて藝術の世界に於いてより善き生活に生きようとするのである――藝術至上論者は恐らくはかう答へるであらう。藝術はこの世に存在するものゝ中最もよきものである。世界の惡と人生の苦と雖も、藝術の中に表現さるゝことによつて我等に深刻なる歡喜を與へる。藝術を除いて何處に此の如く一切を歡喜に變じ得るものがあるか――彼等の云はんと欲するところは恐らくかうである。故に其處には人生に對する深き懷疑がある。現實に對する底知れぬ絶望がある。藝術至上主義をこの根本情調に於いて理解するとき、自分は彼等の心境に對して一種の深き同情を感ぜざるを得ない。


 併し此の如き態度の正否は暫く論外に置くにしても、此の如く現實との應酬を厭離して、表現的活動のみに生活の中心點を置くことは、少くとも可能であるか。藝術のみに生きむとする努力は恰かも夢にのみ生きむとする努力のやうなものである。我等は、夢ならぬ世界に身を置いて夢にのみ生きることが出來るためには、不斷に夢を防禦する警戒を緩めることが出來ない。現實の襲撃の不時に來らむことを思ふ虞れは我等の夢そのものをさへ不安にする。さうして現實の中に生きて夢といふ果敢ないものを護るの努力は要するに烈風の前に裸火を護らうとするにも似た果敢ない努力である。我等は現實を離れて藝術のみの中に孤立しようとする人達の生涯にこの類の果敢なさを認めずにはゐられない。
 さうして夢にのみ生きむとする努力の支持し難きは單にこれのみではない。現實との交渉を厭ふことによつて夢はそれ自らの食養を失ふ。現實の生活は夢の根である。夢の命である。この根より離るゝとき夢そのものも次第に凋落する。その色彩は褪せ、その内容は貧弱となる。我等は、よき夢を樂しまむがためにはよき現實に生きなければならない。
 藝術は固より夢ではない。それは人間の意欲を根柢とせる凝集せる精神の活動である。併し現實と藝術との關係を云へば、それは現實の生活と夢との關係と酷似してゐる。我等が現實の世界に於いて喜悲し翹望し追求し努力するあらゆる體驗は、藝術の世界に表現せらる可き内容を供給する。現實の中に立つて眞劔に經驗する感情――衣食の煩ひ、愛慾の悲しさ、他人のためにする努力、自己反省の苦しみ等――が次第に缺乏し行くとき、我等の藝術も亦次第に貧弱となる。凡そよき藝術の條件は二重である――よき生活とよき表現と。表現の努力のみを生活の中心とするとき、我等のその他の生活は空虚となる。鏡を磨くことにのみ專心するとき、鏡に映すべき姿は萎縮して了ふ。我等は固より藝術至上主義の藝術家の或者が、その藝術家的本能に導かれて、巧みにこの陷穽から脱れてゐることを知つてゐる。併し藝術のための藝術を徹底的に遂行するとき、彼等は遂にこのデイレンマに陷らずにはゐられないであらう。
 此處に人生のための藝術を主張することの正當なる根據がある。現實の中により善き生活を開拓することは假令如何に困難であらうとも、我等は現實の自己と現實の人生とを根本的に改造することを外にして、徹底的によりよく生きる方法を持つてゐない。藝術も亦よりよき生活の表現として――よりよき生活の一要素としてその最後の存在理由を獲得する。故にそれは人生の諸※(二の字点、1-2-22)の活動から孤立することを求めずに、人生の諸※(二の字点、1-2-22)の活動と共同してよりよき人生の實現に參加しなければならない。かくすることによつて藝術そのものも始めて眞正に豐富なる内容を獲得する。人生全體の理想を求めて精進するあらゆる眞摯なる努力と、この努力に伴ふあらゆる複雜なる感情とは始めて藝術の内容となる。さうして藝術のための藝術さへ、そのよりよき生活に對する憧憬の根本精神によつて、此の如き人生のための藝術の一分子となることが出來るのである。


 最後に藝術至上主義は現實に對する絶望の外に――寧ろその特殊なる場合として、民衆と社會とに對する絶望を伴つてゐる。人間の諸活動の中に於ける藝術の孤立の外に、人間社會に於ける藝術家の孤立を伴つてゐる。民衆は優秀なる藝術を理解する力がない。藝術は選ばれたる少數者のために存在するものである。故に我等は藝術の製作に際して民衆と社會とを顧慮してゐてはいけない――自分は此の如き主張の中にも猶相當の理由あることを認める。我等が藝術の製作に際して顧慮することを要するものは固より社會でも民衆でもなくて、直接に内面から押し迫つて來る表現の要求である。さうして社會の大多數が優秀なる藝術を理解し得ないのも亦事實であらう。併し我等は此の如くにして製作されたる藝術と、此の如く無鑑識なる社會との距離をこの儘に放置してよいであらうか。民衆を導いてこの優秀なる藝術を理解せしめるやうにす可きか、若しくはトルストイのやうに寧ろ民衆の中に健全なる本能の存在を認めて、我等の藝術の偏局と頽廢とを放棄す可きか、孰れにしても兩者の間にある非常なる罅隙を放置して、己れのみ優秀なる、若しくは優秀と稱する藝術の享樂に耽るは利己主義ではないであらうか。我等はこの事をも亦考へなければならぬ。自分は今自らこの事に就いて何事をも云ふ資格のないものであることを感じてゐる。故に自分は唯茲に眞摯にして偉大なる一つの靈魂の苦悶を引用してこの覺え書の筆を擱くことにしようと思ふ。それはトルストイの日記の一節である――
「夜通し私は睡らなかつた。絶え間もなく心臟が痛む……父よ、救ひたまへ!昨日私は八十になるアキムを、外へ出るにも外套一枚上衣一枚持たないヤレミーチユフの家内を、それから、夫に凍死されて裸麥の刈手もなく、嬰兒を餓死せしめようとしてゐるマーリヤを見た。……然るに吾々はベートーヴ※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ンの解剖をしてゐるのである。私は、神が私をこの生活から釋放してくれることを祈つた。今も再び祈る。さうして苦痛のために叫ぶ。私は混亂した、憂悶した、自分ではどうすることも出來ない。私は自分を、自分の生活を憎む。」
(五、一二)
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十 不一致の要求





 トルストイの「藝術とは何ぞや」を讀んで、此人の思索の態度と特質とに就いて多少會得するところがあるやうに思ふ。
 トルストイは藝術の定義を下して次のやうに云つた――
「一應感じたる感情を自己の中に喚起して、これを自己の中に喚起したる後、運動や線や色彩や音響や、言語によつて表出される形象などによつて、他人も亦同樣の感情を感ずるやうにこの感情を再現すること――此處に藝術の活動が成立する。藝術とは、一人の人が意識的に、或外面的の記號によつて、自己の感じたる感情を他人に傳達することに於て――又他人がこの感情に感染してこれを追感することに於て成立する一つの人間的活動である。」
 この定義は極めて周密にして要領を得たる定義である。假令一二の些末なる點に於いて猶訂正すべきところあるにもせよ(自分は藝術論をするつもりでないから、此處にはその問題に觸れない)、大體に於いて如何なる專門家も異存あることを得ないほど公正にして穩健なる定義である。併しトルストイはこの定義を立するために如何なる破邪を行はなければならなかつたか。彼は獨佛英伊等の美學者四十餘人の美の定義を列擧して悉くこれを排斥しなければならなかつた。悉く此等の學者の説を排斥して、而る後に自分の説を立てなければならなかつた。しかし彼の説は此等の學者の説とそれほどまでに遠隔してゐるか。彼は此等の學者の説の眞精神を捕捉することを得るまでにこれを研究したか。彼は彼等の學説の眞精神を捕捉せむと欲する意志さへも十分に持つてゐたか。彼は此等の學者の説を破壞し――否破壞ではない唯一束にして抛擲しただけである――抛擲しなければあの穩健な藝術の定義に到達することが出來なかつたか。餘人は兎に角として、佛蘭西のギイヨオとの類似の如きは寧ろ自ら強ひて見ないやうに努めた嫌ひさへないか。自分は此等の點にトルストイの主張と思索との態度の極めて特異なるものあることを認めざるを得ない。トルストイは自ら極めて正しいことを云ふ人である。又極めて鋭敏に他人の不正を發見し得る人である。然し彼の後の方の特質は、時として他人を不正なる者にせむとする意志によつて歪めらるゝことはないか。他人の中に正しきものを發見せむとする努力が、往々にして自己を他人と異れるものにせむとする欲求によつて裏切られることはないか。愛と正義との要求がその熾烈なる我執によつて覆ひ去らるゝところはないか。
 トルストイは、現代の宗教的意識の要求は人と人との内面的一致であると云つた。さうして彼はその藝術論に於いて、この理想に反する故を以つて多くの優れたる藝術品を排斥した。然し彼自身の藝術論は如何。彼がその中に、熱烈に民衆との一致を求めてゐることは云ふまでもない。とは云へ彼は又宗教的意識の要求に從つて、學者との一致をも求めたと云ふことが出來るか。學者の中にも正しきものを求めて、遂にこれを求め得なかつたところから彼の憤怒は始つてゐるか。彼は學者との間に出來るだけの一致を求めて、到底一致し得ざるところから之と手を別つたか。寧ろ彼の心に求めてゐたものは最初から學者との不一致ではなかつたか。この不一致の要求の故に、彼は彼等の學説の眞精神に透徹する能力を失ひ、彼の味方をも猶その敵と誤認するに至つたのではなかつたか。
 トルストイの藝術論の中には、我等の考へなければならぬ多くの問題がある。さうして其處には本當に我等の學ばなければならぬ思想も亦固より少くない。併しトルストイの藝術觀から正當に學ぶ可きものを學ぶためには、先づ不一致の要求と云ふ外衣を剥ぎ去つてその眞髓を見なければならぬ。さうしてトルストイの他の著作を讀むに當つても、亦恐らくは同樣の用意が必要である。


 我等は時として、餘りに深く一つの事を感ずるために、却つて評價のバランスを誤ることがある。多くの偉人が往々凡庸人にさへ極めて明白な誤謬に陷ることがあるのは、此處にその一つの理由を持つてゐるのである。從つて評價の不均衡は必ずしも感受性の鈍さを證明するものではないと同時に、極めて均衡を得た評價と雖も、常に感受性の鋭さを證明することは出來ない。ローマン・ローランはトルストイの音樂の評價に就いて、明瞭にこのことを證據立てた。
 トルストイが、その感受性の激しさのために、却つて評價の轉倒に導かれたことは、他の場合にも亦少なくないやうに思ふ。如何なる場合にも誤謬は固より誤謬である。併し自分は自分の感受性の鈍さに對する羞恥と、トルストイの激しさに對する尊敬とを感ずることなしに、これを難詰する氣にはなれない。自分はこの點に於いて何處までもトルストイを尊敬する。その誤謬をさへも尊敬する。
 併し彼には別に、その感受性の鈍さの故に、貫穿の力の乏しさの故に、誤謬に陷つた點はないであらうか。自分は彼の哲學的思辨に於いて、特に他の哲學者に對する彼の批評に於いて、屡※(二の字点、1-2-22)この疑ひに逢着する。我等がトルストイから學ぶ可きは恐らくはこの方面ではないであらう。この點に於いても、眞正にこの人の長所を學ぶために、我等はこの人から獨立した地歩を占めて置かなければならない。


 思想界の偉人と偉人との間に相互の理解を缺くこと多きは、人生の痛ましき事實の一つである。此の如き現象は如何にして生ずるか。其處には固より多くの理由がなければならない。彼等の世界が餘りに明瞭に構成されてゐるために、他との異同があまりに明白に感ぜられることも一つの理由であらう。その感受性が一方に異常に發展する間に、他方面に對する感受性が不知不識萎縮してしまつてゐるやうなことも亦ないとは限るまい。併し自分は時として、彼等の間に、トルストイの藝術論に於けるが如き不一致の要求――更に甚しきは理解せざらむとする意志を發見することを悲しむ。自分は人間の我執の根の深さを此處に發見して、一種の悲愴なる感情を覺えざるを得ない。
 併し彼等はこの我執の外に、彼等自身の中に猶極めて多くのよきものを持つてゐた。さうして彼等のこの我執にさへ――この不一致の要求にさへ、彼等を人生の深處に導く力があつた。故にこれは固より彼等にとつて致命的の缺點ではない。我等は彼等がこの我執の外に持つ――若しくはこの我執によつて到達する長所の故に、深く彼等を尊重する。併しこれは彼等に許すべきことであつて、彼等に學ぶ可きことではない。又學び得可きことでもない。我等は偉人の研究に當つては、特にこの不一致の要求を模倣することを愼まなければならない。
 我等は時として、この不一致の要求の外に何物をも所持せざる――さうしてこの不一致の要求から何物をも産出することを知らざる、一種不思議なる動物を發見する。彼等の不一致の要求は自己を信ずることの篤さから來たのではなくて、他人の美を成すことを好まざる狹量から來てゐるが故に、其處には矜持すること高き者に特有なる品位がない。力の溢れてゐる者に特有なる一種無邪氣なる寛容がない。傲語と群集本能と、嘲罵と嫉妬と、僞惡と卑劣とが手を繋いで輪舞してゐるところに彼等の不思議なる特質がある。我等は偉人の不一致の要求を學ぶことによつて、この淤泥の中に轉落することを戒めなければならない。
 如何なる偉人に在つても不一致を求むる意志は罪惡である。多くの優れたる人はその一生の慘苦によつてこの罪の贖ひをしなければならなかつた。さうして彼等の思想はこの贖罪によつてその深さを増した。而も猶彼等と聖者とを隔てるものがこの傲慢の罪に在るのではないと、誰が保證することが出來るか。


 自分は恐らくは Synthesist である。
 自分の世界にも固より幾つかの Entweder-Oder がある。併し自分は人生の中に「あれかこれか」を發見するに特に鋭敏なる感覺を持つてゐるか。自分はこれを發見する事に對する一種の要求、一種の歡喜とも名づく可きものを持つてゐるか。恐らくはさうではあるまい。自分の「あれかこれか」はやむを得ずして逢着する突當りの壁である。自分は寧ろ Sowohl-als auch を喜ぶ性情を持つてゐるらしい。さうして多くのものを並び行はれさせながら、その中に生きて行く能力をも亦相應に持つてゐるらしい。これは自分の天性である、從つて又自分の長所である。自分はこの長所を自信して他人の Entweder-Oder を模倣することを戒めなければならない。
 多くのものを雜然と竝列して徒らに取材の豐富なるはフオルケルトの Sowohl-als auch である。併し自分の「あれもこれも」は恐らくはフオルケルトのそれではない。一切の存在の中にその存在の理由を――その固有の價値を認めて悉くこれを生かすこと、個々のものを眞正に認識することによつて普遍に到達すること、凡てのものと共に生きて而も自ら徹底して生きること――自分は自ら修養することによつて Sowohl-als auch のこの途を進んで行くことが出來ることを信じてゐる。さうしてこの途を進むことによつてトルストイの理解するを得なかつた若干の事物を理解し得るやうになることを信じてゐる。
 自分はトルストイに學ばなければならぬ極めて多くのものを持つてゐる。併し自分は根柢に於いて彼と我との間に天稟の相違あることを忘れてはならない。さうしてその相違はあらゆる意味に於いて自分の稟性がトルストイに劣つてゐることを意味するのではない。自分は虚僞の謙遜を離れて敢て正直にこのことを云ふ。自分は大トルストイに對するときと雖も、猶自ら恃むところを保持しなければならぬ。
 トルストイの藝術論の中には、Sowohl-als auch を許すものを強ひて Entweder-Oder にしてしまつたところがないとは云はれない。トルストイの愛の缺乏のためにその眞意義が理解されなかつた若干の――恐らくは多くの藝術や思想がないとも亦云はれない。不一致の要求を根據とする「あれかこれか」は、「あれかこれか」の下級なるものである。又愛の缺乏がこの感受性の鋭敏な人をさへ誤謬に導いたことを思へば、我等は更らに一層戒むるところがなければならない。トルストイの誤謬を楯として、自己の誤謬に對する寛容を要求するは無恥なる者のみよくするところである。自分はトルストイの藝術論の中に多くの警告を讀まなければならなかつた。
 併し彼の藝術論は凡て作爲された「あれかこれか」から成立してゐるか。その中には如何にも身動きを許さぬ眞正の「あれかこれか」は存在しないか。誰か此の如き獨斷を下す權利を持つてゐよう。彼の藝術論の中には、眞正の「あれかこれか」がある。我等の思想と生活との不徹底を嘲る眞正の「あれかこれか」がある。自分の見るところに從へば、それは第一には本能か文化か、この意味に於ける民衆か貴族かである。彼は誤まれる文化の惱み、醉生する貴族の惱みをもつて、その救ひを民衆の健全なる本能に求めた。彼はデカダンスの嫌惡と、そのデカダンス嫌惡の精神とに於て、不思議にニイチエと共通の點を持つてゐる。彼が民衆の藝術感を尚ぶは、それが單に多數に共通であるためではなくて、寧ろ人間の清醇なる本性に基く藝術感であるからである。彼の藝術上の民衆主義を解して單純なる多數決主義とするものは淺い。彼の民衆主義の眞精神は、他の場合に於けるが如く、此處でも亦民衆崇拜である。更に透明なる言語を用ゐれば寧ろ自然と本能との崇拜である。
 さうして第二の「あれかこれか」は、自己の享樂か民衆に對する義務かである。これは彼の一生を貫く悲痛なる懸案であつた。理論では解決して實行では解決するを得なかつた――而も死に至るまでその解決を求めてやまなかつた懸案であつた。さうしてそれは此處でも亦その藝術論を貫く主動機となつてゐるのである。我等はこの主動機に同感することなしに、彼れの藝術論の眞精神に觸れることは出來ない。我等がトルストイの如くこの問題を痛切に感ずることを得ない故を以つて、トルストイのあの熾烈なる民衆に對する義務感は誤謬であると云へようか。云ふを敢へてする者は自ら知らざる無恥の輩である。自分はこの點に於いては自分の鈍感を恥づる外に一言もないことを覺える。
 この二つの「あれかこれか」を除けば、他は寧ろ枝葉に近いものである。藝術の目的は美か感情の傳達か、よき藝術は農婦の唄かベートーヴ※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ンか、此の如きは恐らくは不一致の要求から生れた人爲の二筋道である。我等はこの Entweder-Oder を Sowohl-als auch にかへることを憚る可きではない。
(五、一二)
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十一 身邊雜事





 他人の長所を認めて、これを尊重し、劬り、助成することは、雜り氣のない朗かな歡びである。併し不幸にして我等が眼を開いて他に對するとき、我等の瞳にその影を落すものは他人の長所や美點ばかりではない。その弱點や短所も亦否應なしにその黒影を印象する場合がある。その時この餘儀ない印象を如何に取扱ふ可きか。この問題が自分にとつては一苦勞である。
 その缺點が甚しく重大な、致命的なものでない限り、これをむきになつて憤慨したり、これを自分に加へられたる傷害として不愉快がつたりする心持からは、自分は可なり遠ざかつてゐる。この弱點を捕へてそれを玩具にして、調戲つたりくすぐつたりする惡戲氣も、近頃は隨分少くなつて來た。自分は對手の弱點を自分一人の腹で呑込んで、默つて之を看過して了ふか、若しくは好意ある微笑を以つて、對手がその弱點を始末して行く自然の經過を見護つてゐるかすることが出來るやうに思ふ。さうして必要に應じて適度の忠告と暗示とを與へて行くことが出來るやうに思ふ。對手の長所を重んじてこれを助成して行くことに中心の態度を置く限り、多少の缺點を寛容することは、そんな困難なことではない。
 併し自分は自分の友人に、彼は俺の缺點を呑み込んで知らん顏をしてゐるといふ印象を與へることを恐れる。自分は無意識の間に、自分が對手の缺點を脅す態度をとつてゐることを恐れる。その人に十分の信頼を寄せてゐる場合でない限り、他人から呑込まれてゐると思ふことは、決して心持のいゝものではない。自分は他人から十分に信頼される資格を自分に許すことが出來ないから、自分が對手の缺點を看過して默つてゐることが、却つて對手に不安の念を與へることを恐れるのである。若しN先生のやうに、對手の弱點に對する不同意を即座に即刻に發表して、而も少しも相互の親愛を傷つけずに行くことが出來たら、自分はどんなにせい/\することであらう。併し現在のところ自分にはそれが出來ない。自分は對手の缺點を感じながら、或時が來るまではこれを自分の腹の中に藏つて置く。さうして或特別に靜かな時を擇んで、出來るだけ和かな言葉を以つて對手に忠告する。現在の自分にはこれ以上のことは徳が足りなくて企て及ばないのである。凡そ云へないことがあると云ふことは、人と人との間に在つて決して喜ばしいことではない。然るに自分には時として對手に云へない心持がある。若しこの沈默が善良な意志から出てゐることを信じ得なかつたら自分は嘸氣詰りな人に見えることであらう。唯自分の善良な意志を信ずることが出來る人のみ自分の友達となり得るのである。
 さうして更に惡いことは、自分の輕々に看過したつもりでゐる缺點が、その實自分の心の底に引掛つて、對手に對する輕蔑若しくは怒りを構成してゐる場合があることである。自分は時として、意識的にその人の長所を見ながら――若しくは見ようと努めながら、無意識の間にその人を輕蔑してゐることを發見する。この矛盾を發見することは自分にとつて特に苦い經驗である。
 この間Xが來てYの書いたものの話をしたとき――Yの書いたものの不合理を指摘してこれを笑つたとき、自分はどうにかしてYを辯護しようとした。一見明かに不合理なYの言葉をどうにかして助かるやうに解釋してやらうとした。併し惡いことには、Xの話をきいたとき自分も高々と笑つたさうだ。而も猶惡いことには、自分は自分が高々と笑つたことにまるで氣が付かずにゐた。自分は言葉でYを辯護して、心でYを笑つたに相違ないのである。氣取らうとして益※(二の字点、1-2-22)桁を踏み外すYの態度を笑つたに相違ないのである。
 固よりYを辯護した自分の言葉が虚僞の言葉でないことは、誰よりも自分自身が最もよくこれを知つてゐる。併しそれは如何にも底の淺い言葉である。輕蔑と肩を並べた好意、痛罵にも劣れる好意を、Yが喜び得ないのは固より當然である。自分はこのやうな好意がYと自分との間に好意として通用し得ないことを熟知してゐる。自分はそれが好意として通用し得る日が來るまで、沈默して之をしまつて置かなければならない。さうして努めて彼を痛罵する方の一面にエンフアシスを置かなければならない。痛罵の段階を經なければ、自分の彼に對する好意は何時までも生きて來ないであらう。


 妻は自分の我儘を洩す唯一の拔け路である。不機嫌なとき、殘酷なことがしたくなるとき、自分は何時もその對手を妻に求める。そのために我等の間に一種の氣安さがあることは事實である。併し妻の身となつては隨分堪へ難いことに違ひない。而も近來の自分には、これを償ふに足る愛があるかどうかさへ頗る疑はしいのである。
 このやうな我儘な氣安さの對象とせずに、假令他人に對するときのやうな遠慮を以つてするのでも、寧ろ一種の抑制と思遣りとを以つて之を取扱つた方が正當ではないであらうか。寂寥や焦躁や不機嫌や――凡て内面に喰入る孤獨を男らしく自分一人で堪へ凌いで、せめて妻を劬り慰めるだけの隔りを保つて行くのが道ではないであらうか。
(六、一、一)
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十二 善と惡
          (ある年少の友のために)





 凡ての人には善心と惡心とがある、世界には純惡の人が存在しないと等しく純善の人も亦存在しない――これは改めて云ふまでもない凡常な眞理である。我等は固よりこの自然主義的眞理に就いて多くの抗議すべきものを持つてゐない。併しこの一つの眞理は、我等の善惡に關する考察の全局に對してどれほどの意義を持つてゐるか。我等は我等の實際生活の上に、この一つの眞理からどれだけの結論を導いて來ることが出來るか。自分は、この點に就いて明瞭な意識を缺いてゐるために、この自明の眞理によつて却つて恐る可き誤謬に導かれた多くの人を見た。故に自分は此等の人々のために、この一つの眞理から正當に導き得べき結論と、正當に導き得可からざる結論とを區別せむとする欲望を感ぜずにはゐられない。
 正當に導き得可からざる結論から初めれば、第一に我等はこの一つの眞理を根據として、善惡無差別を主張することは出來ない。一人の人格の中に善もあり惡もあるといふ言葉は、既に善惡の差別を豫想するものである。善惡の差別を豫想せずに、人性に於ける善惡の混淆を云々するは無意味である。故に凡ての人に善心と惡心とがあると云ふ一つの事實は、惡を去り善に就かねばならぬと云ふ良心の負荷を輕減する理由とはならない。寧ろ人性は善惡の混淆なるが故に、惡を去り善に就く義務は一層痛切を加へるのである。
 第二に我等はこの一つの眞理を根據として、善人惡人無差別を主張することも亦出來ない。人性が善惡の混淆であると云ふ事實は、云ふまでもなくその間に、より善いものとより惡いものとの差別があることを否定するものでもなく、又人がより善くなりより惡くなることが出來ると云ふ事實を否定するものでもない。人には、その素質上既に善人と惡人との比較的差別がある。而も後の條件を考慮の中に入れるとき、我等は更に善に向ふ心と惡に向ふ心と、その方向の上に截然たる對立を認めずにはゐられない。假令二人の人がその素質に於いて同等であり、その善惡混淆の度に於いて等量であると假定しても、その志すところの相違によつて、全然反對の方向をとることも亦あり得るのである。故に我等はその意志の所在により、その努力の方向により、その人格生活の焦點によつて、善人と惡人との間に隨分本質的な境界を劃することも亦出來る筈である。茲に二人の人があつて、共に同樣の罪過を犯し、共に同樣の過誤を重ねることがあるとしても、之を恥づると恥ぢざると、その過を改めむとするとその非を遂げむとすると、この兩樣の態度の差別によつて人格の善惡を判ずることは決して不可能のことではない。故に我等は凡ての人に善心と惡心とがあるといふ事實を根據として、善人と惡人との差別を破壞することも亦出來ない。カント以來云ひ古されたやうに、善人とは善き意志である。善き意志によつてその素質の惡を淨煉し、善に向ふ努力によつて善に協ふ本質を獲得したものである。之に反して惡人とは惡き意志である。その無恥なる惡の主張によつて素質の惡を更に倍加し行く者である。茲に同一の空間を相前後して經過する二つの矢があつても、その方向が相反對するとき、その Destiny も亦全然相反せずにはゐられない。善人と惡人との差別は此の如きものである。
 此の如く、善惡の差別を廢し、善人惡人の區別を棄て、善の主張を無意義にし、惡に甘んずることを教へることが、善惡混淆の人生觀から正當に導き得べき結論でないとすれば、この一つの眞理が我等の實際生活の上に、正當に與へ得べき結論は何であるか。それは第一に、自己の善を輕信することの警戒である。惡は我等の素質の奧に深くその根を卸して容易に刈除することが出來ない。善良な動機から出た善良な行爲さへ微細にこれを解剖すれば惡き動機とからみ合つてゐる。善き人となることは如何に難きか。根柢から淨めらるゝことは如何に稀有であるか。我等は深くこの事を意識して自らいゝ氣になることを戒めなければならない。
 第二にそれは他人に對する寛容を教へる。世に純善の人がないとすれば、我等は輕々しく他人に絶對善を要求す可きではない。さうして世に純惡の人がないとすれば、我等は凶惡無慚の徒の中にも猶本性の善を認めてこれを助成することを努めなければならぬ。我等は我等自身が決して純善の人でないことを記憶して、他人に善を責めるにも猶身の程を忘れぬやうにしなければならない。我等が凡ての人に善心と惡心とがあるといふ事實から、最初にひき出さなければならぬものは、「汝等のうち罪なきもの先づその女を打て」と云ふ基督の戒めである。
 要するに我等がこの一つの眞理から導き出すことが出來るものは、自己の善を輕信しないと云ふ意味に於いても、他人の罪過を無慈悲に責めないと云ふ意味に於いても、共に最も直接にパリサイの徒に當るものである。然るに無恥なるパリサイの徒は彼等とは正反對の位置に立つこの一つの眞理を、僭越にも却つて自己防禦の用に供する。彼等は――この眞理によつて自己反省と他人に對する寛容とを學ぶことを知らざる彼等は、唯自己の不善を責めらるるとき、その不善を辯護するために、世には純善の人がないといふことを持つて來るのである。併しこの樣な自己辯護が彼の人格に就いて如何なる證明を與へることになるか、落付いてその意味を省思すれば、彼等と雖も赤面することを禁じ得ないであらう。他人の不善を口實にして自己の不善に甘んじてゐることが出來るほど求善の心弱きか、他人に對して提出する要求を以つて自己を律せむとすることを解せざるほど輕薄であるか、世間の前に不當に自己を正しく見せむとする虚榮心に躯られて、眞實の前に屑く頭を垂れることが出來ないほどに浮誇であるか――三つのうちの孰れかでなければ、この恥づ可き自己辯護を公言することが出來る筈がない。
 汝は他を責めること嚴酷に過ぎるといふ非難に對する正當の自己辯護は、自分は嚴酷に他人を非難する資格があるほどに正しいといふことでなければならぬ。さうして汝は不善であるといふ非難に對する正當の自己辯護は、否余は不善ではないといふ主張ばかりである。世に純善の人がないことを理由として自己の不善を辯護するは、要するに逃げながら吠える犬のさもしさに過ぎない。殊に他を難ずるとき余はこれを敢てして恥づるところなき正義の士であると揚言したものが、逆に自己の不善を責めらるゝとき世に純善の人がないことを以つて遁辭とする如きは、實にさもしさの最も近づく可からざるものである。
 重ねて年少の諸友に告ぐ――「汝等パリサイ人の麺麭種を愼め。」


 僞善とは何ぞ。
 自己の惡を隱蔽する者は僞善者であるか。自己の惡を隱蔽することによつて、自分を眞價以上によき者に見せむ欲する者は固より僞善者である。自分を眞價以上によき者に見せかけることによつて何等かの利得を身に收めむと欲する者は固より僞善者である。この意味に於いて政治家と教育者との間に如何に僞善者が多いことであらう。併し我等は此の如き僞善以外に、別に意味を異にする惡の隱蔽があることを忘れてはならない。この意味に於ける惡の隱蔽者は、自分の中に到底告白するに堪へぬ惡心があることを自覺してゐる。この惡心の極めて恥づ可きことを底から感じてゐる。さうして現在の生活の自然を破ることなしに之を社會の前に暴露するだけの性情の強さが與へられてゐないことを感知してゐる。故に彼はその惡を恥づるこゝろから、不自然なる開放を憚るこゝろから、自分を眞價以上に見せむとする慾望なしに、自分を眞價以上に見せかけることによつて何等かの利得を身に收めむとする打算なしに、本能的の羞恥を以つてその惡を隱蔽するのである。我等は此のやうな惡の隱蔽をも猶僞善と呼ばなければならないであらうか。固より惡意を以つてすれば、假令消極的にもせよ其處に外觀と實質との矛盾がある限り、これを僞善と呼ぶことも出來るであらう。併し此處にはその善を誇張して見せびらかさうとする意志なきが故に、又此處には惡を恥づる善心がその隱蔽の根據となつてゐるが故に、自分は――一つは自分自身のために――もつと優しい名稱を以つてこの弱點を呼んでやりたい。彼がこの弱點を脱却する途は唯三つあるのみである。第一の途は心の底に潛む惡心を根絶することである。第二の途はその惡心を懺悔し盡すことが出來るほどに玲瓏透徹の人格となることである。併しこの二つの途は修錬によつて自然に到達することが出來ることであつて、決心によつて即下に實踐することが出來る途ではない。故に剩されたる第三の途は、この惡心を家常茶飯事として開放するほど無恥になることのみである。Cynical Frankness の途のみである。併しこの途をとることによつて、彼は一つの弱點を脱却するために、より惡き罪過に陷らなければならない。この新しき罪過に陷らぬ限り、彼はこの弱點から即下に脱却する途を持つてゐない。從つて、惡意ある者の稱呼に從へば――僞善は現在の彼が履む可き正しき途である。彼は依然として、惡を恥づる心を以つて告白するに堪へない惡心を自分一人の胸に抱き締めて行かなければならない。善心の醇熟に先だつ安價なる告白を愼んで、隱忍して自分の人格の淨化を努めなければならない。さうしてその間、惡意ある者の侮辱を堪へて行かなければならない。
 第二に、理想と現實との間に矛盾を持つてゐるものは僞善者であるか。現在即下に實現することの出來ぬ理想を抱く者は僞善者であるか。その理想が未だ自然的素質を征服し盡すに至らず、その求める善が時として之と矛盾する慾望によつて裏切られることがある限り、その人は常に僞善者であるか。若しこれをも猶僞善と呼ぶならば、人は僞善者である限りに於いてのみ人格の進歩があり、その人が僞善者でなくなるとき、その進歩は全然停止すると云はなければならないであらう。理想はその人の自然的素質と矛盾するが故に情熱を帶び、現實は理想と矛盾するが故に刻々に高められる。理想と現實と矛盾するは、繰返すまでもなく當然至極のことである。唯實現の情熱を伴はぬ善の空想を理想と稱して掲げ出すとき、理想と稱して掲げ出しながら之を實現せむとする情熱を心に貯へざるとき、又理想として要求するところを直ちに自己の實現であるかのやうに見せかけるとき、その生活には始めて虚僞を生ずる。併し實現し得ざる善を求めることと、持つてゐないものを持つてゐると見せかけることとは意味を異にするのである。シヨーペンハワーは死を恐れても、彼の意志否定の理想は虚僞にはならない。トルストイが妻と子とを持つてゐても、彼の絶對的貞潔の理想を僞りと呼ぶことは出來ない。シヨーペンハワーが余には死を恐るゝ心なしと提言するとき、トルストイがその妻と子とを社會の前に隱さうとするとき、彼等は始めて僞善者となるのである。
 第三に、空想のなかに多くの善を夢想しながら、これを現實の世界に移すことに失敗するとき、心の中に多くの美しき意圖を描きながら、これを實行し貫く性格の根強さを缺くとき、その人は僞善者であるか。此處には空想と――理想ではない――現實との間の矛盾がある。從つて彼がその空想を言葉に現はすとき、彼の言葉と實行との間にも亦矛盾があるに違ひない。彼の空想は彼の現實より美しく、彼の言葉は彼の實行より美しきとき、我等は彼を僞善者と呼ぶに何の躊躇をも要しないやうに思ふであらう。併し現實の世界に移すことに失敗するとき、空想の善は常に虚僞であるか。これを實行し貫く性格の根強さを缺くとき、意圖の美は常に詐りであるか。或場合にはさうであらう。併し凡ての場合にさうであるといふのは早計なる概括である。現實の生活の中に圓熟せる者に非ざる限り、誠實に善を思ひ、誠實に善き意圖を抱き乍ら、猶その實現に於いて失敗することは極めて少くない。我等がこの場合に於いて概括的に云ひ得ることは、唯その善が薄弱なことである。固より薄弱は如何なる場合にも恥辱である。併し薄弱な善も、不善又は無善よりは遙かに優つてゐるであらう。空想の善や美しき意圖が幾度かその實行に於いて躓きながら、これによつて我等の性格の次第に大きく堅く練られて行くことは、凡ての人の知つてゐるところである。故に我等は空想の善や意圖のみの美しさを恥づるよりも、寧ろこれを乘切つてその先に行かなければならない。唯誠實に空想せざる善を美しき言葉に飾るとき、又心に醜き意圖を抱きながら、美しき意圖あるが如く人に見せかけるとき、我等は始めて僞善者となるのである。
 僞善とは詐欺の意志若しくは衝動によつて成立する一種の特別なる惡徳である。僞善の特に憎むべきはその矛盾が詐欺によつて成立してゐるからである。
 年少の諸友に告げよう――僞善とは極めてシヨツキングな言葉である。我等は此言葉を以つて屡※(二の字点、1-2-22)自ら怯え、又人を脅す。併し我等は詐欺の意志に基く眞正の僞善と、一見之に類似しながら而も我等の忍んで通過しなければならぬ自然の諸段階とを混同してはならない。この混同は我等の生活の勇氣を挫き、又他人に對する我等の態度を不正にする。我等が開放するに堪へざる惡心の蠢きを心に感ずるとき、我等が理想として求める善を實現する力を缺くとき、又我等が空想の中に極めて美しく人類に對する愛を描きながら、現實の關係に於いては父母兄弟をさへ完全に愛することが出來ないとき――そのとき我等は深く屈辱を感ずるであらう。併しその屈辱は如何に深くとも、それは僞善ではない。直下に即刻に深く之を憎んで、惡疫の如く之を遠ざけなければならぬものは詐欺の僞善である。併し自然の發達のみが癒し得る若干の弱點は、忍んでその癒える日を待つてゐなければならぬ。あらゆる意味に於いて生活の矛盾を脱却することは、決して容易なことではないのである。


 自己の惡を隱蔽して正しい者のやうな顏をするとき、自己の善を誇張して正善の人らしく歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)るとき、自己の中に最も多くその非難に價する惡徳を包藏しながら神の如き無恥を以つて他人と社會との惡徳を憤慨の種とするとき――さうしてその外觀と本質との矛盾が明瞭に我等の眼に暴露されるとき、その時我等は此等の徒を呼んで僞善者と呼ぶ。併し我等の僞善者といふ概念は、その外觀が一應我等を欺くに足るだけの尤もらしさを具へてゐる場合に特に剴切に通用する。その外觀と本質との矛盾が餘りに明々白々なるとき、我等は最初にその滑稽と出鱈目との印象に支配されて、僞善者とさへ思つてゐる餘裕がないのである。同一の隱蔽、同一の誇張、同一の無恥、同一の詐欺が、僞善として憎まれずに滑稽として笑はれるに過ぎないのは、馬鹿の一徳である。併し之は唯彼の詐欺が彼の愚によつて覆はれてゐることを證明するのみで、少しも彼をより善くする所以ではないのである。
(六、二、一六)
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十三 夏目先生のこと




 先生が亡くなられたとき、自分は、現代と後世との人々に先生の事業の一端を説明するに足るやうな、少し纒まつた論文を書いて、これを先生の靈前に捧げたいと思つてゐた。先生に對する自分の負荷はこの一つの論文で果すことにして、その他の斷片的なことは成る可く書かないやうにしようと思つてゐた。併しその後先生に關する色々の世評を見聞するにつれて、ちよい/\先生のために辯じて置きたいと思ふことが出て來た。自分は固より、今でも樣々の細々したことに就いて彼此云ひたいとは思はない。併し二三の重大な事に就いて、自分が自分なりの解釋を下してゐることを、早く世間の人に聞いて貰ひたい氣がする。それで云つて置きたいことの一つを今此處に公表する氣になつたのである。

 自分の此處で考へようとするのは「早く注射をして呉れ、死ぬと困るから」と云はれた先生の言葉である。世間ではこの一語によつて、先生が臨終に當つて大變精神的に苦悶されたやうに解釋してゐるらしいが、それは事實に相違してゐる。最後の日の晝、もう臨終に間がないからといふので一同先生の枕頭に集つたときには、先生は本當に靜かにしてゐれらた。精神的の苦悶は固より、肉體的の苦痛さへ殆んど意識を亂してゐないやうに見えた。臨終の靜かなことは悲しみの中にも猶自分達の心を喜ばせた。自分達は嚴肅な敬虔な心持で先生の大往生を見守つてゐた。併しさうしてゐるうちに先生は少し身動きをされた。醫師はこれに力を得たらしく、もう一つやつて見ることがあるからと云つて、一同を病室から退かせた。あとで聞けばあの時食鹽注射をすると死際に激しい苦痛が來ることはわかつてゐたのださうである。主治醫眞鍋氏は先生の靜かな臨終を亂すに忍びないからと云つて、最初はこの食鹽注射に反對したのださうである。併し萬一を僥倖するために最後の食鹽注射は行はれた。さうして先生は少し持なほされた。素人の悲しさに自分達の心には何だか囘復の見込があるやうな氣が起つて來た。自分などはこのほつとした心持に欺かれて、今の間にと云つて一寸自宅に歸つたため、遂に先生の臨終に逢ふことが出來なかつた位である。こんなにして問題の苦悶は自分の居ない時に起り、問題の言葉は自分のゐない時に吐かれたのであるから、自分は直接の觀察によつてその時の有樣を語ることは出來ない。併しその時居合せた人達の言葉に徴するに先生の最後の苦しみは主として食鹽注射によつて自然の死を妨げられた肉體の苦しみであつたらしい。若し精神的の苦悶があつたにしても、その徴候は唯問題となつた一言によつて認め得るのみであつたらしい。故に自分はあの一言の意味を解釋するに先だつて、先づあの一言が如何にして發せられたかの事情を語つて置きたかつた。讀者にして若し上に述べた私の敍述を信ずるならば、假令この言葉の意味を如何に解釋するにせよ、それが先生の臨終に非常な精神的苦悶があつたことの證明にはならないことを領會されるであらう。(この事に就いては、眞鍋氏がその中病床日誌を公にして醫學上の説明を與へられるやうに聞いた。それが出たら先生の臨終の模樣は自分のやうな素人の敍述によるよりも、一層明かになるであらう。)
 然らば先生はあの「死ぬと困るから」といふ言葉を、どんな心持で、どんな意味で云はれたか。先生の亡くなられた今日、何人も斷定的にその意味の解釋を下すことが出來ないのは勿論である。我等は唯前後の事情と、一般の人性とに照してその可能な意味を忖度するばかりである。それが當つてゐるかゐないか、それは唯自分達が死んで行つて先生に逢つたときに、先生から聽くことが出來るばかりである。
 自分の考へるところによれば、先生のあの言葉は、三樣の意味に解釋することが出來る。第一は過去の記憶の斷片が、死にかけてゐる先生の意識の中に再生して、あの言葉となつたと解釋することである。この解釋に從へば、あの言葉は老耄病者の獨語と同樣な、その時の人格とは極めて縁の薄い言葉となるであらう。老耄病者に在つては意識の全體を統御する人格の働きが既にその力を失つてゐる。人格の統御と意志の選擇とを脱れた過去の記憶は、その時の人格要求とは大なる聯關なしに、晦迷なる意識の中に閃き又閃く。かくて過去に經驗した極めて些末な慾望、過去の或る瞬間に微かに意識を掠めて過ぎた僅かばかりの思想も、猶彼等の獨語の内容となることが出來るのである。さうして一度假死して漸く蘇つた先生の意識を老病者のそれに比較するは必ずしも失當とは云はれない。かう解釋すればあの言葉は、先生の人格とは殆んど關係のない、生理的心理的部分現象となつてしまふであらう。此間先生の舊居であの言葉の意味の解釋を話し合つたとき、生理學的に、若しくは生理的心理學的に説明しようとする人達は、この解釋に傾いてゐるやうであつた。
 併し第一説のやうにあの言葉と先生の人格とを切り離して了ふには、「早く注射をしてくれ、死ぬと困るから」といふ言葉は、あまりに意義の明白な、さうしてあまりにその時の事情に適合し過ぎた言葉である。我等の窮理慾は、これをもつと先生の人格と聯關させて説明しなければ滿足が出來ない。第二の解釋は先生の奧に潛んでゐる盲目的な「生きむとする意志」(Wille zum Leben)がこの言葉を吐かせたと見る見方である。將に不可知の淵に投ぜむとするときに本能的に人の意志に閃く生への囘顧執着――この執着によつてあの言葉が生れたと見るのは、極めて自然な見方と云はなければならない。さうして世間の人達も最もこの解釋を喜んでゐるやうに見えた。唯自分が茲に力説して置きたいのは、この解釋に從つても、あの言葉が先生の思想と人格とを累するには足らぬといふことである。先生の死なれる一年程前、自分が先生にお目にかゝつたときには、先生は死は生に勝ると云つてゐられた。その後になつて先生は、もつと積極的の意味で生死を一にすることを説いてゐられたやうに聽いた。或人は先生の此等の思想と、先生の死前の言葉とが矛盾すると云つて先生を責めようとする。併し彼等は、如何なる人の場合に於いても、思想は――特に理想の形に於ける思想は――その自然的素質と矛盾するものであることを知らないのである。自然的素質との矛盾は思想の眞實を害するものでないことを知らないのである。思想とは自然的素質を規正し精錬し淨化するもの――從つてその本質上自然的素質と矛盾した一面を持つ可き筈のものである。思想は自然的素質の精錬が完成するところから始まるのではなくて、自然的素質を精錬するために生れて來るのである。然るに生きむとする意志は食色の本能と等しき――寧ろ更に根本的な人間の本能である。この本能が存在する故を以て生死を一にする思想――若しくは理想を抱く者を責めるのは、性慾を根絶し悉さぬ故を以つて、貞潔の理想を抱く者を責めると同樣の無理難題である。このやうな無理を要求するよりは、寧ろ人に向つて何故に汝は神でないかと責める方がよからう。先生が神でなかつたことが――臨終に當つて生きむとする意志の動きがあつたことが、何で先生の人格と思想とを累するに足らう。
 さうして其處には別に、最もよく前後の事情と照應する第三の解釋があり得る。それは先生が生きてゐて爲たかつた仕事があると見ることである。少くともその仕事をしてしまふまで生きて居たかつたと見ることである。その仕事の慾望が半ば無意識にあの言葉を吐かせたと見ることである。然らばその仕事とは何であるか。最も直接に云へばそれは先生が百八十八囘まで書きかけた「明暗」である。先生が最初に血を吐かれた日の夜、あれほど鮮かな空想を以つてあれほど書き進んだ「明暗」は、屹度寢てゐても先生の眼に憑いて先生を魘すだらうと、自分はWと話し合つた。碁に熱中する者には碁盤が眼に付いて離れないと聞くが、同樣に先生には「明暗」が眼に憑いて離れなかつたであらう。さうしてこの眼に憑いて離れないものを完成してしまひたい願ひが、昏々として睡る間にも(而も先生は昏睡されたのではなかつたから)猶繼續してゐることは、極めて自然に想像し得ることである。而も「明暗」を外にしても、先生には猶生きてゐて爲たい仕事があり得た。それは最近になつて先生の悟入し得たと聽く眞理を傳へ殘して置くことである。先生は則天去私の眞理によつて多くの者の迷ひを覺してやりたいと云つてゐられたさうだ。小説家は五十以上にならなければ駄目だと云つてゐられたさうだ。則天去私の立脚地に立つ新しい文學論を大學で講じてもいゝと云つてゐられたさうだ。さうして見れば最後に近い先生の腦中には色々の仕事と、色々の仕事の計畫とがあつた筈である。かう云ふやうな「仕事」を持つてゐる人が、「死ぬと困る」と思ふのは何の不思議があらう。自分は寧ろ世の基督教徒と稱せらるゝ人が、先生のこの一言を捕へて、最後の煩悶憫む可しといふやうなことを口にするのを不思議に思ふ。彼等の師イエスは、「吾父よ若しかなはゞ此杯を我より離ちたまへ」とゲツセマネに祈つた人である。さうして馬可傳によれば、彼は十字架の上に在つて「わが神わが神何ぞ我を棄てたまふや」とさへ叫んだと傳へられてゐる。基督のこの最後の「煩悶」は何のためであつたか。それは彼がまだ爲可き仕事を持つてゐたためではなかつたか。自分は眞正の基督教徒は、先生の最後の言葉を尊崇はしても憫むことは出來ない筈であると思ふ。(かう云つたら先生は苦笑しながら、そんなに大袈裟なことにして呉れちや困るよと云はれるかも知れない。併し此の比較は唯仕事のために死を惜む心持の一點にあるのだから、先生からも宥して頂きたいと思ふ)。併し先生は固よりイエスではないから、我等は唯先生の唇から、「死ぬと困るから」と云ふ家常茶飯の言葉を聽いただけであつた。我等は先生から「此杯を我より離ちたまへ」といふ言葉と「聖旨に任せ給へ」と云ふ言葉との間に行はれる情熱の摩擦を聽くことが出來なかつた。若しかしたら先生は、死んでから、面倒な事をせずに濟んだのは有難いねと云つて微笑されたかも知れないと思ふ。兎に角先生は我等の間に一つの問題になる言葉を殘して、最も先生らしく死んで行かれた。さうして自分はこの言葉をどんな意味に解釋しても、それは先生の徳を累す可き性質のものでなかつたことを信じてゐる。
(六、二、一六)
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十四 一つの解釋





 哲學的教養を受けたものがトルストイを讀むときに、最初に受けるシヨツクの一つは、恐らくは、トルストイの考へ方の多數決主義である。彼が藝術家の信條を受納するを得ぬ一つの理由は、「一人の人によつて表白されるあらゆる意見に對して、直ちにこれと對角線的反對をなす他のものが現はれるから」(「我が懺悔」第二章)であつた。彼が人生問題の解決を目的とする諸種の學術に對する不信の一つは、「一つの思想家と他の思想家との間に、甚しきは同一の思想家に於いてさへ、不斷の矛盾がある」からであつた(「同上」第五章)。さうして彼は又、勞働者や農民が受用し得ず理解し得ざる故を以つて、殆んどあらゆる近代の藝術を擯斥した(「藝術とは何ぞや」、特に第八章、第十章等)。一見すればトルストイの採用せる眞理の標準は、これをあらゆる人の前に提出するときあらゆる人が直ちにこれを眞理と認むるに躊躇せぬことであり、トルストイの是認する價値ある藝術は、鑑賞者の側に如何なる準備も態度の轉換もなく、凡ての人がこれを受用しこれを理解し得るものでなければならないやうに見える。一つの思想、一つの學説、一つの藝術の價値は、アングロ・サクソン人種や、兒耳曼人種や拉典人種や、スラヴ人種等の高架索人種のみならず、亞細亞や阿弗利加に於けるあらゆる人種の前に――自分は自分勝手に此等の人種を列擧するのではない。トルストイの擧げた名前を繰返すのである――これを提供して投票させるとき、それが如何に多數の票數を得るかによつて決定されるやうに見える。併し若し「一人の人によつて表白される意見に對して、これと對角線的反對をなす他の説が現はれる」故を以つて、直ちにこの二つの説とも同樣に信じ難いものとならなければならないならば――又、「一つの思想家と他の思想家との間に、甚しきは同一の思想家に於いてさへ、不斷の矛盾がある。」故を以つて、凡ての學説が信ず可からざるものとなるならば、他の多くの思想家と矛盾するところ極めて多き(少くともトルストイ自身はさう考へてゐたに違ひない)、又その生涯に於いて幾多の變遷を經たる、トルストイの思想と人生觀との如きは、最も信じ難きものとならなければならないであらう。さうして藝術に於いても、阿弗利加人やホツテントツト人にも直ちに通じ得べき藝術を求めるとき、これを求めてその條件に適はざるものを除外し行くとき最後に殘るものは極めて貧弱な低級な藝術のみとなるに違ひない。眞理の標準を此の如きものと思惟し、藝術の價値を此の如き標準を以つて測るは、一見明瞭を極めたる誤謬と云はなければならない。トルストイは實際此の如き標準を以つて思想の價値を測つてゐるであらうか。此の如き標準を以つて藝術を評價してゐるであらうか。


 誤謬の存在は客觀的眞理の存在を破壞する理由とはならない。一人の小學生が計算を過つた故を以つて――この一つの事實も猶凡ての判斷の現實的一致といふものを破壞する理由とはなり得るのである――數學上の原理が成立し得ないならば、一人の片意地なる者が馬を指して鹿と云ひ張る故を以つて、馬が馬であるといふ事實が破壞されるならば、世界にはあらゆる意味に於いて眞理と云ふものが存在し得なくなるであらう。凡ての人の現實的不一致が眞理の存在を傷つくるに足らねばこそ、我等は誤謬の積層をおしわけおしわけして眞理に對する努力を續けることも出來るのである。凡ての人が反對するも余一人のみが眞理を把握してゐる場合も亦存在し得る。ガリレオが地動説を主張したとき多くの人は彼の説を無稽として彼を迫害した。併しその迫害者の子孫も今日に於いては地動説を認めないものはないであらう。それは事實人性との本質に、凡ての人が地動説に一致すべき必然性が含まれてゐるからである。この意味に於いて凡ての眞理は萬人に共通なるもの――普遍的妥當性を持つてゐるものでなければならない。併し普遍的妥當性とは凡ての現實的判斷の統計によつて發見せらる可き性質のものではない。現實的判斷に於いては、九百九十九人が誤つてゐて、唯一人だけが普遍的妥當性を持つてゐる場合も亦存在し得る。時代に先んじたる偉人の場合は凡てこれである。多くの説が矛盾するとき、凡ての説が誤つてゐることも固より一つの可能なる場合である。併し其處には唯一つが正しくて他の凡てが間違つてゐる場合もあり、凡ての説が一つの眞理の徐々として完全に近づき行く認識の、諸※(二の字点、1-2-22)の段階として歴史的に繋がつてゐる場合もある。トルストイの考へ方は、一見すれば、後の二つの可能性を無視する一面的な考へ方であるやうに見える。
 或人は一つのことを善なりと云ひ、他の人は同じ一つの事を惡なりと云ふ。この矛盾は要するに善惡は迷妄であると云ふ結論に導き得るか。否、善惡は我等の本質の法則に合すると合せざるとによつて分れる。假令我等が我等の片意地を以つて、若しくは誤れる誠實を以つて、意識的には善であると主張するときと雖も、これを實行することによつて我等の本質が内面的に否定されるといふ事實があるならば、その行爲は客觀的の意味に於いて惡である。子供は南天の實が毒であることを知らない、若しくは片意地を以つて毒でないと主張する。併し彼の意識と主張との如何に關らず、之を食へば彼の肉體は傷害されるであらう。母親は南天を毒であると主張する。子供はこれを毒でないと主張する。兩者の間には一致がない。この一致せざる意見を以つて相爭ふとき、母親もその子と共に、「瘋癲病院」中のものであるか。南天を毒でないと主張するものがある故を以つて、南天が毒であると云ふ事實は破壞されるか。


 此の如きは凡て繰返して云ふまでもない凡常の事實である。トルストイは果して此の如き凡常の事實を知らなかつたか。一見すればさう云ふより仕方がないやうに見える。併し自分はさうは思はない。自分の考へに從へば、トルストイは自分の認めたる一つの眞理を押し通すために、これと矛盾する、若しくは矛盾すると思惟せる諸説をすべて折伏したかつたのである。さうして無意識若しくは半意識的に、自分自身の上に最も痛切に歸つて來るやうな不利益な武器を用ゐたのである。現代の思想家中、トルストイほど自分一人の握つてゐる普遍的妥當性を主張した人が――主張することを喜んだ人が、他に幾人を數ふ可きであらう。
 自分は茲に繰返して人口に膾炙せるトルストイの手紙の一節を引用する――「我等は相互に求め合ひて行く可きではない。我等は凡て神を求めなければならないのである。……貴君は云ふ、一緒にする方が容易であると――一緒にするとは、何を?勞働すること、刈入れをすることに於いては、然り。併し神に近づくことは――それは唯孤獨に於いてすることが出來るのみである。私は世界を一つの巨大なる殿堂と見る。其處には光が天上から、丁度その眞中に落つるのである。一致するためには、我等はみんな光の方へ行かなければならない。その時我等の凡ては、あらゆる方向から集つて來て、我等が搜し求めなかつた人達の群れの間に自分を發見するであらう。其處に悦びがあるのである。」――さうして神に於いて、神に於いてのみ凡てが一つになることを知つてゐた人が、本當に價値の標準を統計的多數決に置くが如きは決してあり得ざるところである。
 彼は又その「藝術とは何ぞや」に於いて云ふ、「最高にして最善なる感覺の理解に對する障礙は、これも亦福音書に云はれてゐるやうに、決して發達や教養の缺乏にあるのではなくて、反對に、誤れる發達と誤れる教養とにあるのである」(第十章)と――果然、彼の嫌惡せるは多數の趣味と一致せぬ藝術ではなくて(固より多數に對する義務と云ふ點に就いて、「多數」は再び重要な問題となつて來るが、)その實偏局せる、人類の健全なる本能の頽廢せる藝術であつたのである。彼は彼の是認せる――多數決によらずして直ちに彼の心臟を以つて是認せる――藝術を民衆の間に見、飜りて所謂貴族的文學の間にその顛倒と墮落とを見た。同時にこの貴族的文學が傲然として最高最良の藝術を以つて自ら居る僭上を見た。故に彼はこの僭上を罰するに「多數」と一致せざることを以つてするのである。
 トルストイが多數と一致せざる故を以つて擯斥する一切のものは、豫め彼自身の燃ゆるが如き心臟によつて端的に擯斥されたものである。さうして彼はこの擯斥を裝ふに「多數との不一致」を以つてするのである。若し彼自身の心臟の是認するものが「多數」と矛盾するならば、恐らくは彼は更に敢然として「多數」を排斥したであらう。
 自分はトルストイの多數決主義を此の如くに解する。多數のための奉仕と多數なるが故の是認と――この二つを嚴密に區別することは、他の凡ての場合に於けると等しく、トルストイの眞意を汲むためにも亦必要である。
(六、五、二五)
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十五 思想上の民族主義





 余は日本人である。
 余は日本人の血を受けて生れ、日本の歴史によつてはぐくまれ、日本の社會の中に生息してゐる。故に自ら好むと好まざるとを問はず、日本人であることは余の運命である。自己の素質に内省の眼を向けるとき、余は如何に多くの日本的なるものを自己の中に發見することであらう。自然の風物や四季の推移に「もののあはれ」を見る感じ易き心に於いて、余の中には平安朝文學の血が濃かに流れ動いてゐる。朦ろにして包むが如きもの、ほのかにして温かなるもの、外表の強さを缺きながら自己の中に歸る力の靜けさを保つものに對する特殊なる傾向を持つてゐる點に於いて、余の趣味は弄齋の旋律や古土佐の巧藝の傳統の繼承者である。さうして夢殿の祕佛や三月堂の諸佛や法隆寺金堂の壁畫や法華寺の彌陀三尊圖等に云ひ難き親愛と畏敬とを感ずる點に於いても、余は特に日本的なる素質――少くとも特に東洋的なる素質を持つてゐるに違ひない。更に古事記や萬葉集に現はれたる上代人の生活に特殊なる愛情を感ずるが如きも、恐らくは日本人ならぬ者の能くするところではないであらう。余の中に日本的なるよきものの生きてゐることを感ずるとき、余は余が日本人であることを喜びとする。さうして我等の祖先と共通なる局限を余自身の中にも發見するとき、余は余が日本人であることに就いて一種の悲哀を感ずる。併し如何にこれを喜ぶもこれを悲しむも、又如何なる意志の力を以つて日本人的素質を脱却せむと努力するも、余は遂に日本人ならぬものとなることは出來ない。余が日本人ならぬものとなり得ないのは、余が余ならぬ者となり得ないと同樣である。
 併しかく云ふは、余は「日本人」と云ふ普通名詞であると云ふ意味ではない。一面から云へば、日本人の平均的性質以外、余には余自身の個性がある。從つて余が余として生きるとき、余の中には、過去の日本歴史に於いては嘗て實現せられざりし新生面を發展せしむ可き可能性が與へられてゐるかも知れないのである。又一面から云へば、余の中には民族的特質を超越して世界に於けるあらゆる他の民族と共通なる――釋迦や基督や孔子や、ソフオクレスやセネカやダンテや、シエーキスピーヤや、ルソーやゲーテ等と共通なる、「人」としての生活の一面がある。余は民族史に規定せらるゝと共に世界史に規定せられ、民族史によつて教育せらるゝと共に世界史によつて教育せらるゝ「世界人」である。我等は「日本人」であると云ふ事實によつて、余は又同時に「余」自身であり「世界人」であると云ふ事實を――これが事實であることは、曇らされざる眼を以つて自己と自己の内容とを反省したことがある者の何人も拒み得ないところである――この事實を閑却してはならない。


 余は日本を愛する。
 余が日本を愛するのは、凡ての人を愛するのが、余の義務であるからばかりではない。余は余の自然的素質の故に、血族的親近の故に、世界の中でも特に日本を愛せずにはゐられないのである。余は日本の文物に對するとき、故郷に歸れる者の親しさと悲しさと心安さとを感ぜざるを得ない。我等が萬葉を讀み芭蕉を讀むとき、法隆寺や藥師寺を訪ふとき、古土佐や光悦や宗達や光琳の繪畫を見るとき、又弄齋や富本や端唄を聽くとき、最後に日本の衣服を着て日本の疊の上に安座するとき、如何に我等自身のエレメントにゐることを感ずるであらう。更に我等は將來に渉つても、此等の文物を保護し發展せしめむとする、特殊なる負荷と憧憬との感情を抱き、特殊なる強さを以つて日本の文化に貢獻せむとする欲望を感ぜずにはゐられないのである。單に外面的政治的關係に於いてこれを見るも、日本が外國と戰ふとき、我等は反射的本能を以つて日本の勝利を切望し、日本人が外國に於いて虐待せらるる事實を聞くとき、同樣の本能的感情を以つて、日本人の世界的地位の低きを憤慨する。若し外國の軍隊が我國に侵入して、我等の老幼を虐殺し、我等の姉妹を姦淫するならば、余は如何に自ら抑制するも、到底銃を執つて立たずにはゐられないであらう。余が日本を愛するは、動物のその子を愛護するが如き自然的衝動に基いてゐるのである。
 併し何故にこの自然的衝動に從ふことは正當であるか。あらゆる場合にこの自然的衝動に從つてのみ行動するのは、要するに民族の利己主義と呼ばる可きものではないのか。凡ての個人が他人の權利を認容し、他人を愛す可き義務を負ふが如く、凡ての民族も亦他の民族を愛し、他の民族の權利を認容す可き義務を負うてゐるのではないか。我等に正當防禦の權利があると同時に、如何なる意味に於いても他を侵害せざるの義務も亦我等に負はされてゐるのではないか。自己の中に起る不正なる意志と戰ふが如く、民族の不正なる意志と戰ふことも亦我等の人類と民族とに對して負ふ義務ではないのか――凡てこれ等の「ある可きこと」に關する問題は、單に民族を愛する自然的衝動が存在すると云ふ事實によつては何の答へられるところもない。
 又自家の文化を愛す可きが、自家の文物に愛着する自然的衝動によつて直ちに與へられてゐると云うことも亦出來ない。我等が成心を捨てて外國の文物を研究するとき、我等は其處に、我等の缺陷を補足するが故に特に我等にとつて切要なるもの、我等に親しからざるが故に特に我等を高むる力あるもの、我等の文物よりも更に深く「人」の本質に肉薄して、我等の文化の將來に於ける發展を指導し得るが如きものの多くに逢着する。此の如き場合に於いては、寧ろ我等の自然的衝動に逆つて外國の文化を研究すること、外國の文物に對する愛情を開拓することが、却つて眞正に我等の文化を愛する途ではないか。過去の文物に愛着する心安さに甘んずるとき、我等は却つて將來に於ける文化の發展を害することはあり得ないか。一切の眞正なる進歩に於て見るが如く、過去を嫌惡することが、却つて現在と將來とを愛する心の發現であるやうな場合は存在し得ないか――凡て此の如き自國を愛するのに關する問題も、自家の文物に執着するといふ自然的事實によつては、何の答へられるところがないのである。


 余は日本に對して義務を負うてゐる。一つには余は世界のあらゆる存在に對して義務を負ふが故に。二つには余は日本人として日本と特殊の關係に立つが故に。自己の享樂を追ふために同胞に對する義務を閑却するならば、自己の利害と安否とを唯一の關心事として民族の利害と休戚とに冷淡であるならば、それが正しき途であるとき自己の一身を犧牲にして民族の欲求に奉仕する覺悟を缺くならば、余は好んで生活内容を一個體のことに局限する憫む可き利己主義者に過ぎない。一個體としての自己と、一個體としての他人を對立せしむる生活の局小に堪へざるとき、自己の生活の普遍化に對する憧憬が心の中に育ち行くとき、余は必然に自己の屬する民族に奉仕せむとするの慾望を感ぜずにゐられないであらう。固より純粹なる心を以つて民族に奉仕することは、あらゆる無私なる奉仕と共に、あらゆる利己主義の征服と共に困難なる仕事である。併し生活の普遍化が個體的自己の義務である限り、この困難なる戰ひを戰つて普遍なるものに奉仕することは常に我等の義務でなければならない。さうして民族が我等の奉仕を要求する普遍的なるものの一つであることは疑ひを容れぬところである。
 併しかく云ふは、民族が具體的なる唯一の最後の普遍であると云ふ意味ではない。我等の屬する民族の外にも他の民族があり、個々の民族の上には此等の民族の相互關係によつて成立する一つの「人類」が存在することは、曇らされざる眼を以つて事實を見る限り、何人も拒み得ざるところである。民族に對する奉仕の義務は、如何なる意味に於いても人類に對する奉仕の義務を妨げることが出來ない。固より我等は多くの場合、自己の屬する民族に對する奉仕を通じて始めて人類に對する奉仕を具體的にする。併しこの事實を承認することは、民族の不正なる意志に奉仕することによつて人類に對する奉仕の義務を傷害する權利を認容することではない。個人的利害の外に正邪があるやうに、民族的利害の外にも猶正邪があることを否認する理由とも亦なることを得ない。奉仕の對象を民族に局限するとき普遍に對する我等の憧憬は決して滿足することを得ないであらう。普遍に對する憧憬を眞正に自己の内面に體驗する者が、民族に對する奉仕に於いてその究竟の對象を發見し得ることは、余の信ずる能はざるところである。


 民族主義とは、凡ての個人はその屬する民族の血液と歴史とによつて規定されるものであるといふ一つの事實の承認を要求するものならば、其處には固より何の異論もあることを得ない。又民族主義とは、すべての個人はその民族を偏愛する自然的衝動を持つてゐるといふ一つの事實の承認を求めるものならば、其處にも亦何等の異議がないであらう。併し此等の事實の承認は我等の生活に對して果して如何なる規範を與へるか――この問題は凡て此の如き事實の承認の彼方に横たはる問題である。民族心理學的乃至民族史的考察の權利を認容することと、思想上の――更に嚴密に云へば規範としての民族主義の主張を是認することとは決して同一ではない。思想上の民族主義を認容せざる故を以つて、民族心理學的乃至民族史的考察の權利と必要とをも亦認容せざる者と誤想するの愚なるは固より云ふまでもないことである。
 さうして民族主義の主張が單に我等に一つの規範を與へむとするものであるならば我等は又色々の意味に於いて思想上の民族主義を認容することが出來る。自分は既に、民族に對する奉仕を一つの義務として承認する點に於いて、民族主義に是認を與へて來た。その他それは政治上教育上に於ける合目的の問題(Zweckm※(ダイエレシス付きA小文字)ssigkeitsfrage)に於いて――換言すれば我等の政治的教育的理想を實現する方法の問題に於いて、極めて重大なる意義を持つてゐることをも亦認容しなければならない。民族の特長を尊重すること、最も民族に適合する途に從つてこれを教育すること、民族の傳統を生かすことは、固より民族教育にとつて重要なる着眼點である。民族の歴史中より復活せしめ得べきものを外國より移植せむとするは無用である。民族の特質を抑制して之を「人類」の平均數に歸せしめむとするは、個々の個性を強制してこれを民族的性格の概念に適合せしめむとすると同樣に有害である。民族の教育は固よりその民族に自然なる途に從つて行はれなければならない。この意味に於いて、我等の政治と教育とは猶甚しく民族の特質に關する洞察を缺いてゐるといふことが出來るであらう。既にこの意味に於いても日本の根本的研究は必要である。自分はこの限りに於いて民族主義の贊成者である。


 而も我等が日本を知ることを要するは、單に我等の統治し教育せむと欲する對象が日本人であるからばかりではない。我等自身の自然的素質を知り、我等自身の自然的素質を育てむがためにも亦我等の屬する民族を知る必要がある。この意味に於いて、日本を知ることが我等の自覺並びに教養の重要なる一部分をなすことは拒むことが出來ない。余とは本來何者であるか、余は如何なる特質を持つてゐるか、余は如何なる方向に余の才能を發展せしむるを得策とすべきか。此の如き自然的素質の問題に答へるためには、余の中を流るゝ民族の血、余を生みたる民族の歴史を――無意識の間に余の自然的基礎をなせる諸※(二の字点、1-2-22)の條件を、改めて意識的に把握し、改めて内面的に體驗して見ることも亦重要なる手段となるであらう。固より自己の本質を知らざるも余は遂に余なるが如く、特殊なる民族的教養と民族的自覺となきも、余は到底日本人である。併し「汝自身を知る」ことが我等の精神的發展にとつて必要なるが如く――寧ろ必要なるが故に――余の屬する民族を知ることも亦、余自身を知ることの一部分として、極めて重要なる事件たるを失はない。この意味に於いて、民族的自覺並びに教養は、我等の意識的努力を命ずる一つの規範であることが出來る。それは我等が自己を發見し自己を教養する努力の一部分として、その存在の理由を持つてゐるものである。
 併し自己を發見する努力が民族的自覺を以つて終結し、自己を教養する努力が民族的教養によつて完成すると思惟するは大なる誤謬である。余の屬する民族は何物であるか。我等がこの問題を研究する材料は、過去の史實に限られ、我等がこの問題に對する解答は、精緻と粗雜との差別はあつても、要するに不完全にして歴史家自身の性癖に依從するところ多き部分的概括に過ぎない。多くの場合に於いて、我等は自己の性癖を史實の上に投影してこれを民族的特質と稱するに過ぎないのである。故に我等は此の如き覺束なき民族的特質の認識を以つて、自己の本質に對する自覺の代りに置くことが出來ない。余とは何物であるかの問に答へるものは、畢竟余自身の内面的知覺――種々の疑問を征服することによつて益※(二の字点、1-2-22)鞏固に練り鍛へられて行く内面的知覺でなければならない。民族的特質の認識は單にこの内面的自覺を試錬し訂正し確むるために用ゐらる可き一つの參考以上のものであり得ないのである。眞正に余とは何ものぞやの問題に心を潛めたることある者は、何人もこの間の消息を知つてゐるであらう。
 又假に過去の史實の中に實現せられたる民族的特質が、何等かの方法によつて完全に認識せられ得ると假定するも、これを根據として將來に於ける無限の可能性を測定し盡すことは到底人力の及ぶところではない。故に過去に實現せられたる民族性の認識を以つて直接なる内面的知覺に代へむとするとき、我等は自己の内容に不自然なる限定を置いて、自己の中に存在する無限の可能性に對する信仰を失ふ。歴史家の想像する民族性と一致するもせざるも、余が余自身の内部に確認するを得る一切の能力は余自身のものである。この能力に信頼することによつて、民族的特質に新たなる發相を與ふ可き運命が、余の一身に懸つてゐることがあり得ないと、誰が保證することが出來るか。歴史に對する意識的顧慮は多くの場合に於いて我等の自由なる活動を萎縮せしめる。固より自己の内面的衝動に信頼することを知る者も、民族的教養によつて自己の内容を豐富にすることを求めるであらう。併し彼は民族的傳統を顧慮することによつて自己の内容に限定を附することを屑しとしない。さうして民族的特質の中にある可能性を歩々に實現し行く者は、彼の屑々たる民族主義者流の間にあるよりも、恐らくは民族的傳統に對する反逆者の間にある。
 故に民族的自覺の要求は、歴史家によつて構成せられたる民族性との一致を強制するもの、嘗て實現せられたるものの形骸を規矩として新なる可能性の開展を拒む者であつてはならない。我等は過去の形骸を破壞すること、嘗て實現せられたる民族的特質を嫌忌すること、破壞と嫌忌とを通じて眞正に過去を生かし民族精神を生かし民族に對する愛を生かすことの權利を保留しなければならない。過去に實現されたる一切の事物を賞讚することを以て日本を愛する所以なりとする俗見の捕虜となることを愼まなければならない。人は能く外國模倣を排斥して民族的自覺を奬説する。併し其處には模倣ならぬ外國研究も亦存在し得ると共に、所謂民族的自覺も亦時として個人に對する模倣の要求となることが出來る。個性の自由なる實現に對する他律的規範として民族的特質との一致が要求さるるとき民族主義とは畢竟過去の史實を模倣する要求である。而も民族的特質として掲げ出さるゝものが、その實人間として淺薄なる歴史家の僞善者的俗人的人格の投影であるとき、此の意味に於ける民族主義の主張は僞善者の曲りくねりたる自己主張に過ぎないであらう。我等は如何なる意味に於いても此の如き僞善者を模倣す可き義務を負ふことが出來ない。
 さうして自己の教養として見るも、民族的教養は我等にとつて唯一の教養ではない。凡そ我等にとつて教養を求むる努力の根本的衝動なるものは普遍的内容を獲得せむとする憧憬である。個體的存在の局限を脱して全體の生命に參加せむとする欲求である。故に我等は民族と云ふ半普遍的なるものの生命に參加することによつてこの渇望を充すことは出來ない。我等の目標とする教養の理想が畢竟神的宇宙的生命と同化するところにあることは、自己の中に教養に對する内面的衝動を感じたことがあるほどの者の何人も疑ふことを得ざるところである。從つて我等が教養を求むるは「日本人」と云ふ特殊の資格に於いてするのではなくて、「人」と云ふ普遍的の資格に於いてするのである。日本人としての教養は「人」としての教養の一片に過ぎない。民族的教養が唯一の教養であり得ないことは、教養の本質より見て自明の道理である。故に我等が教養の材料を求むるとき、その材料の價値を定むる標準は、それが我等の祖先によつて作られたものであるかないかの點にあるのではなくて、それが神的宇宙的生命に滲透することの深さに依從するのである。この意味に於いて我等は我等の教養を釋迦に――自分は此處に自明のことを繰返して置く必要を感ずる。釋迦は日本人ではない、釋迦は蒙古人種でも亦ない――基督に、ダンテに、ゲーテに、ルソーに、カントに求むることに就いて何の躊躇を感ずる義務をも持つてゐない。唯其處に同樣の深さが實現されてゐるとき、他の民族に就くよりも同じ民族の祖先に就くことが自然なだけである。固より自己の祖先の中に、自然なる教養の模範を持つてゐる民族は幸福である。さうして歴史家と教育家との懶惰と迂愚とによつて、我等が我等の祖先の中に恐らくは多くの教養の材料を持つてゐながら、これを現在に生かしきることが出來ないのは我等の悲哀である。併し此等の凡てのことは、我等が我等の教養を唯その祖先の中にのみ求めなければならぬといふ一般的原理を承認する所以ではないのである。若しホツテントツトの紳士がその人間的教養の材料を求めるために余の意見を徴するならば、余は彼の祖先の遺業を措いて、先づ釋迦や基督の教に彼を導くであらう。
 さうして我等が意識して民族的特性を殺戮せざる限り、我等が如何に普遍的内容を追求するも、又この追及の努力を助くるものとして釋迦や基督の宗教と、プラトーやカントの哲學と、ダンテやゲーテの文學とを研究するも、我等は民族的特性の喪失を憂ふる必要を見ない。民族性は我等の自然的規定である。故にそれは必然的に普遍的内容を追求する我等の努力の方向を規定し、從つて我等の發見する普遍的内容に民族性の特色を刻印する。この意味に於いて日本人には日本人の哲學があり日本人の宗教があるのは當然である。併しそれは我等の追求の對象が日本的東洋的妥當性にあるためではなくて、我等の普遍的妥當性に對する追求が必然に民族的素質によつて規定されるからである。我等が意識的に日本的哲學と日本的宗教とを求むるとき――換言すれば我等が我等の哲學と宗教とに日本的妥當性を與へることを目的とするとき、我等の哲學と宗教とは不自然に作爲されたる、根本動機の純眞を缺ける半哲學半宗教となるに止るであらう。民族的特性は生かされたものではなくて附加されたものに過ぎなくなるであらう。今日の如く世界の思想界に於いて淺薄なる民族主義が勢力を得むとする時代にあつては、特にこの間の關係を見失はぬやうにする必要がある。普遍的妥當性に對する純眞なる憧憬を缺くとき、あらゆる教養は、あらゆる學術はその根柢を喪失する。此の如き教養は民族と民族との間の憎惡を増進する「戰爭」の道具となるに過ぎないであらう。
 個性の特色を拂拭することによつて、統計的に集合寫眞的に獲得せられたる抽象的普遍は、固より普遍の最も安價なるものである。併し普遍的内容に對する憧憬によつて生きるにあらざれば、個性は眞正に自己の特色を發揮することが出來ない。


 或ひは云ふであらう。民族的自覺とは過去に實現せられたる民族的特質に適合することではなくて、過去と現在と未來とを通じて生きてゐる民族的精神に同化することである、民族的理想服從し、民族的理想實現の目的に奉仕することであると。
 併し過去に實現せられたる民族的特質の外に、我等は何處に民族的精神を發見すべきであるか。それは民族的教養によつて余自身の内面に生かされたる余自身の精神の外に何處にも存在の地を持つてゐない。余が民族的精神に同化することを要するは、それが民族の精神だからではなくて、それが余自身の本質だからである。寧ろ余自身の本質に合致する以外に、余は民族の精神に同化すべき義務を負ふことが出來ない。
 又民族の理想が余にとつても亦理想となるは、それが余の本質の理想と一致するからである。余は唯余自身の本質に服從することを要するに止る。余は單に民族の理想なるが故に、余の本質ならぬものに服從すべき道徳的義務を持つてゐるのではない。
 最後に余は人類に奉仕することを要するが故に、亦民族にも奉仕しなければならない。併し余は如何なる途によつて民族に奉仕するを得るか。唯余自身の體得せる「道」を民族の間に生かすことによつて。世界には、民族の異同と、歴史の相違によつて局限せられざる一つの「道」が存在する。この「道」は自我と宇宙との本質である。この「道」は歴史によつて徐々に實現されるものであるが、歴史によつて規定される性質のものではない。衞生の道に從ふ肉體が強健であり、これに從はざる肉體が病弱なるが如く、この「道」に從ふ民族は繁榮し、この「道」に從はざる民族は衰滅する。我等が民族に對して奉仕する唯一の途は、唯民族の意志をしてこの道に從はしめるところにのみある。その他の意味に於いて民族の欲望に奉仕するは、目前の愛に溺るゝ母と等しく、却つてその奉仕の對象を傷害する所以である。故に我等が民族に奉仕する途は必然に又苦諫の途、力爭の途でなければならない。我等は民族的理想が「道」に協はぬものであるとき、この理想に抗爭することによつて始めて民族に對する奉仕を全くする。我等が民族的理想實現の目的に奉仕することを要するは、それが民族の理想だからではなくて、民族の理想が「道」に協つてゐるからでなければならない。自己の本質によつて是認せられざるものに奉仕するは奴隷の奉仕である。
 凡そ自己の生活を普遍化せむとする憧憬には三つの方面がある。一つは普遍的内容の獲得である。換言すれば普遍的教養である。二つは意志の對象の普遍である。換言すれば普遍的なるものに對する奉仕である。さうして第三は意志の根據の普遍である。換言すれば人間的本質に基く意志決定、意志の内面的自由、意志の自律である。さうして民族主義が一つの規範を與へるに滿足せずに、唯一の道徳原理たるの地位を要求するとき、それはあらゆる意味に於いて半途なる道徳原理である。半個人的、半利己的、半普遍的なる道徳原理である。我等の普遍的要求が此の如き道徳原理によつて充さるゝことを得ざるは固より當然の數である。


 最後に自分は一つの注意を附記してこの覺え書を閉づる。余の此處に云ふ民族主義とは國家主義と同義ではない。民族を統一するものは血液と歴史とである。國家を統一するものは主權と其意志としての法律である。國家主義と民族主義との相違は政治上の主張として兩者を對照すれば最も明瞭になるであらう。現在の世界に於ける國境の區分は、強大なる民族の征服慾や政治的經濟的野心や、その他種々の理由によつて自然の境界を紊されてゐる。國家と國家とを區分する理由は、決して血族や歴史の一致ばかりではない。故に政治上に於ける民族主義は寧ろ帝國主義的國家主義に反抗して、世界主義人道主義の主張と握手するものである。それは猶一國内に於ける個人の自由の主張の如く、世界に於ける民族の釋放を主張するのである。凡ての民族をしてその血族上その歴史上の自然に從つて彼等の國家を組織せしめよ。凡ての民族を強國の壓制と征服慾とより釋放せよ。如何なる民族をも、強國が自ら肥るための犧牲、強大なる民族の貪婪なる欲望に奉仕するための奴隷となすことなかれ。政治上の民族主義は當然此の如き主張を以つて世界の政治的區劃を變革することを要求するものでなければならない。故に印度人や波蘭人や匈牙利人やスラヴ人種の或者に適用さるゝとき、民族主義の主張は、現在の主權にとつては危險なる反國家主義である。ヰルソンの民族主義とカイザー・ヰルヘルムの汎獨乙主義とは孰れが正當であるか、印度人は大英帝國に對して如何なる義務を負はざる可からざるか――此の如き政治上の問題は我等が此處に考察の自由を持つてゐる問題ではない。余が批評せむとしたるは主權によつて統一されたる國家主義ではなくて、血族と歴史とによつて統一されたる民族主義である。
(六、五)
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十六 奉仕と服從





 奉仕とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬもののために盡すことである。服從とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬものの意志に從ふことである。奉仕も服從も、共に「己れ」の否定を意味する點に於いて共通なるものを持つてゐるが故に、我等は往々この兩者を混同して、あらゆる場合にその對象の意志に服從することを以つて、その對象に奉仕する所以の途であると思惟する。併し我等が奉仕に於いて否定する「己れ」と服從に於いて否定する「己れ」とは、唯一つの場合を除いては――「道」に對する奉仕と、「道」に對する服從との場合を除いては――全然その意味を異にするものである。さうして奉仕の場合に「己れ」の代りに立てられるものと、服從の場合に「己れ」の代りに立てられるものとも亦決して同一であるといふことが出來ない。故に我等が眞正に或る對象を愛してこれに奉仕せむと欲するとき、その對象の現實的意志に服從するよりは、寧ろこれを「諫」めてその意志の矯正を要請しなければならぬ場合も、亦決して少しとしないのである。これは古來――我等の祖先によつても――明瞭に認められて來た陳套の眞理である。併し今日の時勢は、痛切に、この眞理を再び明瞭に把握しなほすことの必要を思はせる。故に、余の理解せる限りに於いて、この明白なる眞理に幾分の根據を與へることは、この一篇の目的とするところである。併しこの問題は人生の至高なる問題の一つである。この問題に對する考察を進めて行くとき、余は屡※(二の字点、1-2-22)自己の現在の體驗を超えて、豫感と憧憬との境に想を馳せ、未だ自ら十分に體得せざるところを以つて、自他を責めなければならぬ場合に遭遇するであらう。この問題を考察するに當つて、余は特に、自ら主張することの畢竟自ら責める所以であることを感ぜざるを得ない。


 我等は何故に「己れ」ならぬものに奉仕せざる可からざるか。この世には限りなき享樂の對象がある。自然も美しく、女も美しく、酒も亦美しい。然るに我等は何故に此等のものの甘美なる享樂を捨てて――時には一切の享樂を可能にする自己の肉體の生命を犧牲にしてさへ、「己れ」ならぬものに奉仕せざる可からざるか。
 答へて曰く、我等の本質を眞正に生かすために。若し奉仕とは我等の本質を眞正に生かすものでないならば――若し奉仕とはあらゆる意味に於いて我等の自我を殺すものに過ぎないならば、我等は固より何物に對しても奉仕の義務を負ふことが出來ない。この意味に於ける奉仕は、唯外から強制することを得るのみである。この場合に於いて我等の感ずる奉仕の義務は、唯屠らるゝものの餘儀なき諦め、首絞らるゝ者が自己の悲痛を紛らすための自欺に過ぎない。我等は唯屠らるゝ牛の如く、悲鳴を擧げつゝ奉仕する外に途はないであらう。併し我等の此處に考察せむとするところは、此の如き強制的奉仕ではないのである。我等が心から感ずる奉仕の義務、我等が悦びを以つて遂行する奉仕の行爲――此等一切の内面的奉仕は、唯それが我等の自我の本質を生かすときに於いてのみ始めて可能である。「己れ」を捨てることが却つて自我の本質を肯定する所以であるといふ信念の上に立たざる限り、――若しくは奉仕することによつて自我の本質が肯定さるゝ悦びを不知不識自己の内面に感ぜざる限り、如何なる道徳の教へも、我等に奉仕の義務を是認させることが出來ない。
 然らば何故に「己れ」を捨てることが、自我の本質を生かす所以であるか。自我の本質を生かすために、何故に我等は「己れ」を捨てることを必要とするか。この命題を證明するためには、余は唯、恐らくは凡ての人の心の中にある「普遍を求むる憧憬」の衝動に訴へる外、他に道がないことを感ぜざるを得ない。茲にこの衝動をその本質の中に持つてゐない人があると假定すれば、その人にとつては、奉仕と云ふやうなことは、道徳的の意味に於いては、全然問題となり得ないであらう。彼は唯永久に、悲鳴をあげつゝ、瞞着と遁避との途に思ひ惑ひつゝ、強ひられたる奉仕を――人間の社會に生息する限り、彼はどの道その結果に於いて奉仕に當る行爲をしなければならない――遂行するより仕方がないであらう。若し又その本質の中に普遍に對する憧憬を持ちながら、未だこれを意識してゐない人があるならば、その人を自分と共通の地盤に持つて來るために、余は先づ彼の隱されたる本質の要求に訴へなければならぬ。奉仕に對する考察は、唯この衝動を承認する人々の間に於いてのみ、これを進めることが出來るのである。
 「己れ」とは何であるか。それは「他」に對立するもの、他と局限し合ふもの、他より奪ふことによつて自ら肥り、他の肥ることに於いて自らの痩せることを發見する「個體的存在」である。他と區別するところに自己の存在の根據を求め、他を排斥することによつて始めて自己の主張を全くするが如き、我等の生活の最も暑苦しき一面である。一言にして盡せば、「己れ」とは局限である、摩擦である、相鬩である。「己れ」を根據として生きる限り、我等はこの廣い宇宙の間に於いて、小さい桶の中に入れられたる芋の子の如く押し合ひへし合ひしつゝ――互ひに己れの臂を張つて常に他人に對する一撃を準備しつゝ、局限せられたる生活を續けて行かなければならない。「己れ」の享樂は他の缺乏を條件とするものである。「他」の享樂は「己れ」から奪はれたるもの、「己れ」の羨望を誘ふものとして、常に我等の苦痛の種である。かくて、自他共に「己れ」のみに生きて行く限り、我等は相互の享樂をさへ、苦く濁れるものとせずにゐられないのである。
 此の如き芋の子の如き生活、此の如き多くの「個我」の生活――この蒸暑く狹苦しき生活の厭離は、我等の眼を必然に、更に廣きもの、更に高きもの、更に普遍なるものに向はしめる。我等の自我の内容は果して此の如き「己れ」のみに限られてゐるか。我等の本質には、他と局限し合ふ事を必須とせざるもの、自己の獲得する所は自と他と共に所有するが如きもの、他の所有を悦ぶことによつて自己も亦その所有に與かるが如きもの――約言すれば個體的局限を超えたる超個體的の自我が含まれてゐないか。若し此の如き超個體的自我を發見して、これを局小なる「己れ」の代りに置くことが出來るならば、我等の生活は、その時始めて、廣く爽かに涼しく胖かなるものとなる事が出來るであらう。普遍に對する憧憬は、「己れ」に生きる生活の眞相を洞見させるほどの者が、恐らくは必ず感ぜざるを得ざる内面的衝動である。
 さうしてこの内面的衝動に驅られて、「己れ」の陋屋を脱れ出でるとき、我等は我等の前途に、我等の憧憬を空に終らしめざるものの光――個我を脱却したる自他融合の境地の光――を認めることが出來るに違ひない。我等は既にこの現實の生に於いても、純粹なる觀照と愛との經驗に際して、我等が「己れ」を忘れて他人の幸福と不幸と歡喜と憂愁との中に生きることが出來るものであることを知り得た。さうして此の如き生活の廣さと胖けさとから來る云ひ知れぬ悦びを味ふことが出來た。若し我等が常にこの状態を持續して行くことが出來れば、「己れ」の狹苦しさを脱却することは決して空想に止らないであらう。茲に於いて、普遍に對する憧憬は我等の實際的努力を導く力となる。他の個我の蠶食を外にして、我等の生活には新たなる標的が與へられる。
 固よりこの新たなる生活に於いても戰ひは依然として繼續するであらう。寧ろそれは一層にがく一層苦しくなるであらう。併しその戰ひは今や「他」との戰ひではなくて「己れ」との戰ひである。國家と國家との戰爭や、人と人との殺戮を條件とする戰ひではなくて、普遍を求むるこゝろと個我に踏み止らむとする欲情との戰ひである。故にその戰ひは内心によつて是認されたる戰ひ、正義の信念によつて裏付けられたる戰ひ、究竟の勝利の確信を伴ふ戰ひである。己れを生かすために他を殺さむとする戰ひではなくて、「人」を生かすために「己れ」を殺さむとする戰ひである。我等の超個體的自我はこの戰ひを經過することによつて始めて徐々として實現されるであらう。それは一面に於いては、歩々に「己れ」を捨てることである。さうして他の一面に於いては、次第に普遍的自我の光を増し行くことである。個我の局小に對する厭離を出發點としてこの新しき途を踏み始めたる者は、誰でも自我の本質を生かすことが同時に己れを捨てることを意味する宇宙と人生との組織を、やむを得ざるものとして承認するであらう。宇宙と人生とが此の如き宇宙と人生とである限り、「己れ」を捨てることは常に自我の本質を生かすことであり、自我の本質を生かすためには、常に、「己れ」を捨てることが必要である。奉仕と云ふ言葉を最も廣き意味に解釋するとき、自他の孰れに於けるを問はず、普遍的自我を生かすために「己れ」を捨てることは、悉く奉仕と名づけることが出來よう。
 故に奉仕に於いて我等の捨てるところは、個體的自我の執着であつて自我そのものではない。我等が「己れ」の代りに立するところは、自我の本質であつて非我ではない。自我を捨てて非我を立することを奉仕と解するは非常なる誤解である。


 奉仕に於いて否定す可きものと肯定す可きものとの對立を此の如くに解釋するとき、奉仕の對象が何ものである可きかに就いて、我等は一層明瞭なる觀念を持つことが出來るであらう。
 常識の解釋するが如く、我等の奉仕すべきは、國家や君主や父母や上官や、凡て社會的地位に於いて我等の上に立つものに限られてゐるか。固より此等の長上も亦我等が心を盡して奉仕しなければならぬところである。彼等の擔當する特殊なる負荷の重さを思へば、我等は特に柔かなる心を以つて彼等の勞を慰藉しなければならない。さうして我等の彼等に負ふところ多き一面より見れば、我等は又特殊なる奉仕を彼等に致さなければならぬとも云ひ得るであらう。併し奉仕の對象を唯彼等のみに限りて、彼等以外の者に對する奉仕を閑却するとき、我等は不知不識上に立つ者に對する阿諛、權力を有する者に對する屈從、恩惠と報償との打算的交換の動機を交へるものと云はなければならない。その中に「普遍的自我」の萠芽を有する點に於いては、あらゆる人格的存在の間に差別がない。故に我等は單に長上に奉仕するのみならず、弟にも子にも婢僕にも、乞食にも盜賊にも同じく奉仕して、彼等の普遍的自我の實現を援けなければならない。而もこの實現の途に多くの障礙を有する點から見れば、弱者は強者より、卑しき者は貴き者より、惡人は善人より、我等の奉仕を要すること益※(二の字点、1-2-22)切なるものがあるのである。
 然らば我等の奉仕の對象は、凡そ我等自身ならぬもの、換言すれば一般に他人若しくは社會であるか。我等は固より上は君主より下は盜賊に至るまで一般に他人と社會とに奉仕しなければならない。さうして凡そ我等自身ならぬものに奉仕するは、常に「己れ」の脱却を條件とするが故に、普通の常識が一般に他人のためにする行爲を高しとするは一應無理ならぬことと云はなければならない。縱令我等の奉仕が他人の利害に向けらるゝ場合と雖も、他人の利害に奉仕することは他人の利害に生きることを條件とするが故に、我等自身の「己れ」は既に征服されてゐるのである。併し我等が「己れ」を捨てることによつて奉仕するを得るところは、決して我等自身ならぬものに限られてゐるのではない。我等は又「己れ」を捨てて我等自身の中にある普遍的自我に――我等の人格に奉仕することも亦出來る。さうして我等以外のものに對する奉仕は、凡て我等自身の人格を通じてのみ可能なるが故に、我等自身に對する奉仕はあらゆる奉仕の基礎をなしてゐるといふことも亦出來るであらう。自己に對する奉仕――換言すれば自己の内面に「道」を把握する努力を閑却するとき、我等の奉仕は外面的事功の一面にのみ馳せて、確乎たる内面的基礎を缺くこととなるに違ひない。
 然らば我等の奉仕するを要するところは、畢竟するところ、自他の差別なく一般に人間であるか。「人間」の概念の如何によつては、余も又この思想に贊成することを躊躇しないであらう。併し「人間」といふ言葉を外延的普遍の意味にとるとき、その中に包括する個我の總計の意味にとるとき、我等は直ちに恐ろしき迷路に陷らなければならない。此の意味に於いて理解されたる「人間」は相互の間に無限の矛盾を包括するものである。彼等の欲情、彼等の現實的意志、彼等の利害は、常に錯綜し矛盾し分裂して、殆んど適歸するところを知り難き有樣である。曇らされざる眼を以つて世界の現状を見るとき、其處には國家の利害と矛盾する君主の利害もある、君主の利害と矛盾する大臣の利害もある、又國民の休戚と矛盾する政黨の利害もある。此等の個我に悉く一票を與へて――若しくはその代表する範圍の廣狹に從つてその投票權に差別を附して――我等の奉仕することを要する「人間」の本質を決定せむとするも、我等は到底何の成果にも達することが出來ないであらう。我等の奉仕の對象は一でなければならない。一を以つて貫かれたる多でなければならない。凡そ我等は何處に人間の一を求む可きであるか。我等の奉仕することを要するは人間の如何なる點にあるか。
 我等の奉仕す可きは如何なる人間の欲情でも福利でもない。欲情と福利とは我等の「己れ」に屬する。欲情の滿足と福利の所有とは、單にそれのみによつて我等の本質を生かすことが出來ない。此等のものが「己れ」を強めるの用をなすに過ぎないとき、此等のものの所有が如何に國家と民族と個人とを滅亡に導いたか、小兒の偏愛とその品性の崩壞と、國家の富強とその内面的墮落とが如何に屡※(二の字点、1-2-22)手を繋いで行くか、此等の事實は凡ての人の熟知してゐるところである。我等は、眞正に他人や社會に奉仕せむがためには、彼等の普遍的自我を喚び醒まして、これを彼等の中に生かさなければならない。我等の奉仕することを要するは「人間」の普遍的本質である。普遍的本質は「人類」の一である。「一貫の道」である。又「神」である。我等の奉仕の最後の對象は、畢竟「道」若しくは「神」に歸する。さうして凡ての個體的存在に對する奉仕は、唯この唯一なるものを彼等の中に生かすところにのみ成立するのである。


 上來の所説に於いて容易に看取し得可きが如く、自分は本論に於いて三種の自我を豫想してゐる。第一は他と差別することを本義とする個體的存在としての自我である。換言すれば「己れ」である。第二は此の如き個體的自我と結合し、此の如き「己れ」に繋縛されながら、而もこの繋縛を脱して自ら實現せむとする普遍的自我である。若しくは普遍的自我を包藏する個體的自我、個體的自我に繋縛せられたる普遍的自我である。我等が現實の世界に於いて遭逢する一切の有情――余や他人や、君主や父母や、妻子や兄弟や、盜賊や婢僕等の所謂個人より、國家や社會の團體に至るまで、此等のものは凡て此種の自我である。自分は今假に此種の自我を呼んで現實的自我と名づける。我等が「自己」と呼び「他人」と呼ぶものはこの現實的自我内に於ける對立である。さうして第三に、此の如き「己れ」に繋縛せられざる普遍的自我そのものを考へるとき、我等は茲に「神」若しくは「道」の觀念に到達する。
 我等がこの三種の自我の觀念を立するとき、其處には多くの困難な問題が蝟集して來る。個體的自我と普遍的自我とは如何に相互に關係するか。現實的自我はそのまゝに普遍的自我であるか、現實的自我は多くの段階を經て普遍的自我とならなければならないのであるか。普遍的自我は我等の追求の標的たる理想に止るか、若しくは我等と世界との根柢グルンドをなす實在であるか。それは自力を以つてのみ證悟すべき自性に止るか、若しくは念々に我等を救濟せむとする活動的意志であり、攝理であり、恩寵であり慈悲であるか――即身佛か即身佛か。此土即寂光土か厭離穢土欣求淨土か。見性か念佛か。此等種々の問題は我等の考察を限りなき高處に導き去らむとする。併し自分は、現在の場合、此等の問題に對して輕率な斷定を下す必要を認めない。自分は唯此處に一つの事を斷定し、一つの事を約束することを要するのみである。即ち第一に佛性は――普遍的自我は、少くとも現實的自我の證悟するを要するものとして、それは我等の實現することを要する理想である。我等は少くとも即身是佛の眞理を把握することによつて、佛とならなければならない。第二に自分は普遍的自我そのものを單に理想と見るのみならず世界根柢と見、單に自性と見るのみならず救濟の意志と見むことを欲する。併し現在の關係に於いては、自分は主として、これを現實的自我の實現することを要する理想の一面に限りて見ることを約束する。要するに現實的自我は二重の構成を持つてゐる。それは「己れ」にして同時に普遍的自我である。それは「己れ」を征服することによつて益※(二の字点、1-2-22)普遍的自我を實現せんとする内面的衝動を――從つて道徳的義務を負ふ存在である。さうして此の如き衝動に標的を與へ、少くともその限りに於いて我等の道徳的生活の Causa finalis(究竟因)となるものは普遍的自我そのものである。
 此の如くに三種の自我を考へるとき、我等の――「自己」といふ現實的自我の奉仕は、普遍的自我に對する時と、「他」といふ現實的自我に對する時と、自らその趣を異にせざるを得ない。普遍的自我は絶對的に在ることを要するものである。それは無條件の Sollen(當爲)であり斷言的命令である。故に我等は唯普遍的自我に隨順することによつてのみ――その要求に從ひ若しくはその意志を充たすことによつてのみこれに奉仕することが出來る。「神」若しくは「道」に奉仕するとは、心を盡し身を碎いて「神」若しくは「道」に服從する外に、別に何等の途があることが出來ない。併し「他の」現實的自我は――父母も長上も、君主も、國家も、凡て「己れ」の繋縛を脱却し得ざるもの、普遍的自我を實現し盡さざるもの、從つて普遍的自我を實現する事を理想とするものである。故に我等が此現實的自我に奉仕する途は、唯彼等を助けて普遍的自我實現の道を精進せしめる所にのみ成立するのである。從つて我等が他の現實的自我に奉仕する道は自ら二途に別れる。一つは彼等の中にある普遍的自我に服從し、若しくはこれを助成することである。二つは彼等の「己れ」を克伏して彼等の迷蒙を披拂することである。第二のものは普遍的自我に對する奉仕に於いてはある可からずして、現實的自我に對する奉仕に於いては必ず(少くとも原理上)あらざる可からざるものである。第二のものを覺悟せざるとき、我等は対象に狎襞し阿諛し屈從するに止る。君主や國民や民族等と雖も、それが現實的自我である限り、常に「己れ」に繋縛せらるゝもの、常に「己れ」を征服することを要するものであることは、曇らざる眼を以つて事實を見る者の、何人も拒むことを得ざるところである。故に我等は常に上の如き二つの視點を保持しつゝ、此等の現實的自我に奉仕しなければならない。茲に於いて我等は奉仕と服從との分岐點に逢着するのである。


 奉仕とは自我の本質の肯定である。我等は我等の自我が擴充して對象を自己の中に包攝するとき、我等の自我が「己れ」の陋屋を出でて對象の上に轉移するとき、始めて心からその對象に奉仕することが出來る。約言すれば、奉仕の内面的根據は常に對象に對する我等の「愛」でなければならない。愛とは他から奪ふことではなくて、自己を他に與へることである。而も他の中に自己を失ふことではなくて、自己の中に他を包攝することである。それは自己を失ふことなくして自己を他に與へ、他から奪ふことなくしてこれを自己の中に吸收する。主客融合の境地、若しくは主客融合の境地に對する憧憬である。此の如き境地若しくは此の如き境地に對する憧憬を根據とせざるとき、奉仕とは畢竟内面的基礎を缺ける外部的強制に過ぎなくなるであらう。
 固より我等が現實的自我である限り――我等の普遍的自我が「己れ」の繋縛を脱却し得ない限り、愛と雖も亦、「己れ」に對する普遍的自我の戰ひ及び征服――その限りに於いて内面的強制でなければならない。我等は逡巡として我等の「己れ」と別れ、遲々として普遍的自我の要求に從ふ。此間にあつて、愛は嚴※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)なる我等の義務であり、當爲であり、理想であり――その限りに於いて我等に對する内面的強制であり、斷言的命令である。若し余は未だ對象に對して完全なる融合の愛を感ぜざるが故に、余はその對象に對する奉仕の義務を感じないといふならば、我等は永久に奉仕の生活に入ることが出來ないであらう。奉仕の義務は我等が彼を愛せよといふ普遍的自我の命令を聽く時に於いて既に始まつてゐるのである。さうして聖フランシスの所謂「余の力の及ぶ限り――余の力の及ぶ以上に」彼を愛せむと欲する意志は歩々に我等を導いて主客融合の境地に深入りさせるのである。思ふに愛の内面的強制に堪へないものは、凡そ奉仕に堪へないものでなければならない。
 併し要するに奉仕とは愛を――融合の愛若しくは憧憬の愛を、内面的根據とするものである。故に愛を――愛の強制を感ぜぬものに對する奉仕は不可能でもあり且つ望ましい事でもない。さうして我等の感ずる愛は――愛の強制は、我等の置かれたる位置によつて異り、我等の中にある普遍的自我の成長の程度によつて異り、我等が現に自己及び世界に對して負ふ使命によつて異る。故に我等は凡ての人に向つて、同一の對象に對する同一の奉仕を要求することは出來ない。或人は、或場合に、甲といふ對象に奉仕しなければならない。而も他の或る人は、他の場合に、甲と云ふ對象に奉仕してはならない場合も――甲ならぬ乙に奉仕しなければならない場合も亦存在し得るのである。
 佛本生傳に從へば、釋迦は、その前生に於いて雪山童子であつたとき、半偈を聽かむがために身を投げ、薩※(「土へん+垂」、第3水準1-15-51)王子であつたとき、餓虎にその身を供養したといふ。併し彼は苦行六年、林中に「羸痩して氣力あることなき」とき、「身に力を求めんが爲の故に」※(「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1-94-76)食を求めて自己の肉體に供養することを憚らなかつた。彼の肉體には將に涅槃を證せむとする使命が宿つてゐたからである。我等は道を求め道に奉仕せむがために、不惜身命でなければならない。同時に自己の中に道の證を求むる者は、亦極度にその身命を愛惜しなければならないのである。


 或ひは云ふであらう。奉仕とは對象に對する詮議を外にして、凡そ自己に要求さるゝものを、隨處に、無條件に、即下に充すことである。自己の使命を忘れ、對象の意志の善惡をも忘れ、唯對象の意志を充さざるを得ざるが故に充すことである。釋迦前生の餓虎供養、山上の垂訓の所謂「人汝の右の頬を批たば亦他の頬をも轉じて之を向けよ」といふが如きは、皆この意味に外ならないと。
 固より「己れ」を捨てることはそれ自身に於いて朗かな喜びである。故に個體的自我に對する征服の殆んど完成せる人にとつては、輕く、執着なく、身を餓虎に與へ、若しくは左の頬をもその敵に差出すことは恐らくは、一種の名状し難き喜びであるであらう。併しそれが唯身體を餓虎に噛ましめることの喜び、左の頬に感ずる痛さの故の喜び――此の如き犧牲の快感の享樂に過ぎないならば、それは婆羅門若しくは中世の修道士にのみ相應しい一種の感情耽溺であつて、釋迦にも基督にも相應しいことではない。若し身を餓虎に供養したために、虎は一層狂暴になり、左の頬をも差出したために、その敵が一層猛惡となるならば――自己犧牲の結果が、對象を一層惡くし、世界を一層惡くするならばどうであらう。又此の如くにして身を猛獸若しくは惡人に供養したために、自己の神と人とに對して負へる使命が滅び亡せるならばどうであらう。この場合にも猶身を餓虎に供養し、右の頬を打つものに左の頬をも差出すものは、「無我」の快感を味はむがために神と道とを私するものである。餓虎供養若しくは左の頬の譬喩の理由をなすものは、恐らくは此の如き「無※(「罘」の「不」に代えて「圭」、第4水準2-84-77)礙の享樂」以外になければならない。
 自分の考へるところに從へば、此等の譬喩は一面に於いて、惡に抵抗するは惡を更に惡にする所以であり、惡に抵抗せざるは惡を善に赴かしめる所以であるとする信念――從つて餓虎供養は餓虎をより善くする所以であり、左の頬を批たしむるは惡人を幾分の善に赴かしめる所以であるとする信念を豫想するものである。善なるが故に助成することと共に惡なるが故にあらがはざることも、亦善に對する奉仕であるとする信念を豫想するものである。さうして一面には又、隨處に自己を犧牲にして、「三千大千世界にわが身命を捨置かざるところなき」ことが、即ち「神」と「道」とをあかしする所以であり、かくあかしするところに自己の使命があると信ずる信念を豫想するものでなければならない。この二つの信念を有するが故に、聖者は身を餓虎に供養し、右の頬を批たるゝ時左の頬をも亦これに向けることが出來るのである。
 併し凡ての現實的自我には夫々に自己の程度に應じたる「境」がある。その「境」を超ゆるとき、自己以上の境を模倣することも亦惡である。重ねて思ふ、若し釋迦が成道に垂んとして、先づ身を健かにせむがために、かくて「一切衆生を成熟せむがための故に」牧牛女人もくごによにんから乳糜の供養を受けたとき、若し忽然として餓虎があらはれて彼を喰はむとしたならば、彼はその時にも猶その身をこれに與へたであらうか。


 聖者が餓虎に逢ひて敢て抗はず、その血肉を彼が喰ふに任するとき、又正しき者が兇暴なる者に右の頬を批たれて更に左の頬をも差出すとき、彼等は猛獸に服從し、兇暴なる者に服從したのであるか、若し己れを捨てて對象の意志を成さしむる點よりのみ見れば、これも亦服從の一種でなければならないやうに見える。併し聖者が餓虎にその身を供養するとき、彼は己れを捨てて餓虎の意志を自己の中に生かすのではない。又正しき者が左の頬を差出すとき、彼は凶暴なる者の人格を自己の中に立して自己の人格をそのために捨てたのではない。故に彼等は餓虎若しくは惡者の意志に身を任せながら、その自我は超然として餓虎又は惡者の意志に染着せらるゝところがない。この場合に於いて彼等が「己れ」の代りに立するものは、神の意志若しくは道の要求である。彼等は餓虎又は惡者の意志を成さしめながら、自らは神若しくは道に服從してゐるのである。我等は、自己の意志を捨てて對象の意志を自己の中に立するとき、對象の意志を奉じてこれを自己の意志に代へるとき、始めてこれを名づけて服從といふ。故に餓虎供養や、左の頬をも差出すこと等は、この意味に於いて餓虎若しくは惡者に對する服從と云ふことが出來ない。自分は茲に、此の如く單純に「對者の意志を成さしむること」を服從の概念から除外する。
 自分は又權力に對する服從を現在の問題から除外する。權力に對する服從は、ある場合には、餓虎にその身を與へること、右の頬を批つ者に左の頬をも差出すことと同樣の意味に於いて、我等の忍從である、自己犧牲である、神又は道に對する服從である。この場合に我等は權力に服從するのではなくて、神又は道に服從するのである。さうして又他の場合に於いては、自己の道徳的意志を獨立に保持しながら、權力關係に立てる限りの自己を、權力關係に立てる限りの長上の意志に服從させるのが權力に對する服從の眞髓となる。權力關係によつて秩序を與へられたる社會の一員である限り、我等はその社會を脱出せずには權力の命令を拒む權利を持つてゐないからである。併しこれは權力者の道徳的意志に自己の道徳的意志を服從させることとは全然別問題である。故に我等は又この意味の服從をも現在の問題から除外しなければならない。
 又自己の意志が他の要求と全然一致してゐるとき、自己の意志が他の要求に逢つて一歩を進めることなしに、他の要求なきときと雖も全然同樣の方向に進行するが如きときに於いても――此の如く特殊の意味に於ける自他の意志の一致を條件とするときに於いても、我等はこれを特に服從と呼ぶことを避けたい。この場合に於いては、外來の要求は、我等の意志決定に對して何等の特殊なる意義を持つてゐない。故にそれは平俗の意味に於ける一致若しくは協同であつて、服從といふ言葉は強きに失すると云はなければならない。我等の此處に云ふ服從とは、自己の意志を排し、若しくは自己の意志に先んじ、若しくは自己の意志の空しきに當つて、他の意志が我等を率ゐ、我等を支配することを意味するものである。
 自分は前に、服從とは「己れ」を捨てて「己れ」ならぬものの意志に從ふことであると云つた。併し上來獲得せる洞察によつて、更に嚴密に、而も一般に通ずるやうに、これを云ひなほせば、それは「自己」を――余と云ふ現實的自我の意志を捨てて、余ならぬものの――普遍的自我若しくは他の現實的自我の意志を自己の意志とすることである。故に我等が服從に於いて捨てるところのものは、單に我等の「己れ」ばかりではなくて、又我等の普遍的自我である場合も存在し得る。さうして我等が自己の意志の代りに立するところも亦單に普遍的自我に止らずして他の「己れ」――若しくは他の「己れ」を迂※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)し來れる自己の「己れ」であることも亦あり得るのである。


 奉仕は自我の擴充を根據とするに反して、服從は自我の無力を――自我無力の事實若しくは自覺を根據とする。換言すれば、奉仕の根據のなるに對して、服從の根據は謙遜である――眞實若しくは虚僞の謙遜である。
 茲に服從の最も正當な場合を考察しよう。宗教的の欲求を心に持して自己の現實を反省するとき、我等の智慧は淺く、我等の意志は迷ひ易く、我等の内面的知覺は欺かれ易い。我等は煩惱具足の凡夫として、思へば思ふほど自ら信頼し難きことを感ずる。然るに、此處に人あつて、その人の指導に從ふとき、我等の生活の歩みが一歩々々に照さるゝことを覺え、自ら知らざりし本質の要求が喚び醒され且つ充されて行くことを感ずるとする。若しくは我等の衷に普遍的自我に對する――攝取不捨の意志として活動する普遍的自我に對する信があつて、その意志が刻々に自己の途を導いてゐることを感ずるとする。その時我等が弱小なる自己の意志を否定して、その「師」若しくはその「神」に服從するは當然である。我等は個體的存在の弱小を脱して、普遍的存在の中に歸るを得むがためにそれをするのである。自我の意志の確立せざるとき、自己の判斷の定め難きとき、自己の内面的知覺の恃み難きを感ずるとき、我等は未知を求むる憧憬と、未知の前に跪く敬虔と、本質を觸知する本能とを以つて、自己より優れたるものに服從する。
 但しこの場合に於いて服從を正當にするものは、それが自我の本質を生かすものであるからである。我等の本能は、自ら認識すること能はず、自ら把握すること能はざるも、猶冥々の間に自己を生かすものを觸知する。さうしてこれに從ふことによつて眞正に自らの生きることを感ずる。故に彼は自ら知らざるものに服從することが出來るのである。我等の中に自己を生かすものを觸知す可き本能を缺くとき、所謂「師」若しくは「神」に對する服從は危險である。我等は此の如き服從によつて滅亡の途に陷ることも亦あり得るのである。我等は此の如き信を名づけて迷信と云ふ。迷信の對象は「師」でもなく「神」でもなくて「魔」と名づけらる可きものである。我等は正當に服從す可きものに服從するためにも、常に我等の内面的知覺を磨くことを心掛けなければならない。さうしてその服從によつて※(二の字点、1-2-22)内面的知覺を明かにして行かなければならない。


 重ねて問ふ、我等が神若しくは師に服從することの正しき所以は何處にあるか。それは我等が自己の本質に從ふことをやめて、自己以外のものに聽いたところにあるのではない。不明瞭なる把握の代りに確なる本能の觸知を置いたところに、らざるものを信じたところに、かくて本質的生活に一歩を深く進めたところに、其處にその正しさはあるのである。我等は神若しくは師の意志の中に、自ら知らざりし自己の本質の要求を聽く。神若しくは師とは、我等の知に先だつて、我等を我等の本質の深みに導くものである。從つて我等は我等ならぬものを自己の中に立するのではなくて、この服從によつて一層我等自身を生かすのである。この意味に於いて、我等はに律せられるのではなくて、自ら律するのである。この服從は自律的服從なるが故に正當である。
 然るに其處には自己の本質を殺す他律的服從も亦存在し得る。第一に我等の内容の貧弱なるとき、我等の中に知見のみならず又正しき本能をも缺くとき、我等が茫漠として自ら空虚なるとき、我等の中に闖入して我等の内面を支配するものは、凡そ有力なるものであつて必ずしも正しいものではない。「神」と共に「魔」も亦、我等の空虚に乘じて我等の中に來り住む。さうして、我等が自己の内面的知覺に――知見若しくは本能に照して自ら生きずして、單に「他」をして自己を支配させるに過ぎないならば、神に對する服從と雖も猶我等を殺すものである。此の如き服從によつては、我等は自ら生きずに、自ら死ぬのである。
 然らば何故に神に對する服從も猶我等を殺すものであり得るか。我等が外なる神を迎ふるに内なる神を以つてせざるが故に。外なる神に導かれて内なる神が自ら伸びむとすることなきが故に。自己の任務を外なる神に讓つて、内なる神は惰眠を貪るが故に。自證によつて若しくは信仰によつて、自己の内面的知覺を磨くことは、要するに我等を普遍に導く唯一の途である。内面生活の途には馬も車もない。我等は唯自己の足を以つて――他に導かれ若しくは導かれずに――この途を歩くことが出來るばかりである。さうして我等に歩くことを忘れさせるものは、如何に美しきものと雖も、畢竟我等を欺くものである。この意味に於いて神も亦時として我等を欺く。否、神は我等を欺くのではないが、我等は神によつて自ら欺かれる。神に對する他律的服從は、我等の懶惰の故に、却つて神に往く道を塞ぐものとなるのである。此の如き神は、我等にとつて、神ではなくて寧ろ「善魔」である。それは我等を生かすものではなくて唯我等に憑くものに過ぎない。
 固より善魔に――父母や長上も時としては我等にとつて善魔である――服從するとき、我等の行爲は自己の内面的知覺に從ふときよりも過失が少いかも知れない。我等の人生の途は一層滑かに、我等の行手には一層外面的幸福の光が裕かに輝くかも知れない。併し我等の本質はこの途によつて成長することが出來ない。多くの過失、多くの失敗、多くの蹉躓は、此の如き平滑、此の如き幸福よりも遙かに我等の本質の成長を助ける。凡ての人は眞正の人となるためには自己の心から生きなければならない。自己の責任を他に轉嫁して、他に服從することによつて過失の少い途を行かうとするものは、何時まで經つても生命の途に縁のない者である。
 併し他律的服從の厭ふ可きは、自ら怠らむがために服從する場合のみに限られてゐるのではない。我等は又「己れ」を成さむがために、普遍的自我の聲を瞞着せむがために、先づ他人の「己れ」を成さしむる場合がある。茲に自分の上に立つ或人があつて或る命令を我等に下すとする。我等は自己の内面に、この命令を非認する或る聲の囁きを感ずる。併し我等はこの命令に對する服從を拒むことによつて、彼の恩惠を失ひ、責罰を受け、損失を蒙る。故にこの囁きを闇から闇に葬つて、顏を拭つて内心の否認する命令に服從する。恐らくは、彼は單に他の「己れ」を成さしむることによつて自己の利得を得むとするのみならず、又自らその内心の聲を聽くことを恐れてゐるのである。服從の美名の下に自らも普遍的自我を追求する勞苦を脱れむとするのである。故に此の如き服從は、自己の中にある「普遍的自我」を捨てて、他人の「己れ」を自己の中に立するのである。他人の「己れ」に乘じて更に自己の「己れ」を遂げむとするのである。
 かくて他律的服從は盲目なる者の偸安か、奸譎なる者の阿諛便佞か――阿諛便佞を通じたる利己かである。故にそれは自己を汚し、他を汚し、重ねて道を汚す。それは普遍的自我の成長を妨げ、「己れ」の増長を助くるが故に自己を汚すのである。それは「他」の過ちを利用し、かくて彼の反省の眼を昏すが故に他を汚すのである。さうしてそれは自他の中に道の實現を妨げるが故に道を汚すのである。此の如き服從は實にあらゆる意味に於いて奉仕の正反對である。
 我等が道を把握すること能はざるとき、我等は心を盡して自己の中に道を把握することを努めなければならない。さうして幾分なりとも之を把握し得たるとき、これを自己の中に生かし、これを他人の中に生かすことは、我等の絶對の義務である。此二つの意味に於いて我等はあくまでも自己に――普遍的自我を實現すべき自己に、又これを實現し得たる限りの自己に――固執しなければならない。この意味に於いて自己に固執するもののみ始めて自らのである。この意味の自己を抛棄するは唯奴隷のみのよくするところである。さうして他律的服從は正しく此の如き奴隷のことである。之に反して奉仕は唯自ら主たる者のみのよくするところである。奉仕とは自ら主たる人格の甘んじて萬物の僕となることである。さうして自ら僕となることは、主のことであつて奴隷のことではない。自分はこの意味に於いてしもべと奴隷とを區別する。我等は常に道の僕とならなければならない。併し同時に如何なる者の奴隷となつてもならない。
 人は又この意味に於いて自己に固執することを個人主義と名づける。若し個人主義と云ふ言葉をこの意味に解するならば、あらゆる道を求むる者の立脚地は當然に個人主義でなければならない。個人主義に立脚する者のみ、普遍を追求する心境に參し、普遍を追求する努力に參し、歩々に自己の中に普遍を實現する生活に堪へるであらう。この意味に於ける個人主義の精神は、自ら反みて正しからば、千萬人と雖も我行かむと云ふこゝろである。(「倫理學の根本問題」參照)

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 最後に自分は二つの注意を附加して置くことの必要を感ずる。第一に個人主義とは自分のしたくないことをしないことではない、自己の爲すべからずと信ずることをしないことである。したくないことをしないのは「己れ」を恣にすることであつて、自己の中にある道を固執することではない。
 第二に個人主義とは他に反抗すること、他人に逆ふことを意味するのではない。他人に逆ふことを喜ぶものは、「己れ」を成さむとする者である。道を傷つけるものである。此の如き反抗慾、此の如き爲我慾が如何に人と人との間の和ぎを妨げ、道の實現を礙げてゐるか、精細に世相を觀察するとき、我等は實にその甚しきに驚かざるを得ないであらう。固より我等は如何なる場合にも道ならざる意志に服從してはならない。併し我等は服從を拒むときと雖も、柔かなる心を以つて、對象に對する愛を以つて、對象に奉仕せむとする誠を以つて、この服從を拒まなければならない。荒立てる心を以つて世界に對せざることを――出來るならば如何なる場合にも對象の意志を成さしめむとする愛を以つて世界に對することを――「順」と名づけるならば、「順」も亦我等にとつて豐かなる考察の材料でなければならない。
(六、六―八)
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十七 某大學の卒業生と別るゝ辭




 諸君と教場で逢ふのも今日が愈※(二の字点、1-2-22)最後である。諸君の前には間もなく新しい生涯が開けるであらう。さうしてその新しい生涯は諸君に色々の喜びと悲しみと、驚きと失望とを持つて來るであらう。この新生涯の第一歩は諸君の一生にとつて極めて大切な一時期である。この時期に踏み迷ふことは、人の生涯にとつて隨分損害の多い事件でなければならない。自分はこの時期の通り過ぎ方に就いて、自ら多少の悔を持つてゐる者である。故に自分は自分の僅かなる經驗と智慧とを諸君に分けて、諸君に別るゝに當つての餞としたい。若しそれが多少なりとも諸君の參考になるならば自分の本懷である。
 第一に自分は、凡ての人に勸めるにその生活の中心を拵へることを以つてしたい。その中心を中心として、日々の生活を調整することを以つてしたい。若しその中心を發見することが容易でないならば、自分は、生活の中心を求めることを以つて、それまでの生活の中心とすることを勸めたいと思ふ。
 諸君が學校にゐる間は、學校の課程が外部的ながら諸君の生活に一種の中心を與へてゐる。諸君は諸君の生活を調整すべき具體的な秩序を手近に持つてゐる。從つて假令學校を詰らないもの下らないものと見る人々と雖も、猶これによつて自分の生活に一種の具體的内容を與へられてゐることは爭ふことが出來ないであらう。併し諸君が學校を卒業して授業時間や課題や練習や試驗の束縛を脱るゝとき、諸君は又一方に何となく日々の生活に具體的内容を缺いて、退屈と空虚とを覺えることを禁じ得ないであらう。學校に代つて諸君の生活の中心となるものが、直ちには諸君の手に落ちて來ないであらう。多くの人は、學校を卒業すると共に、何かしなければならぬ義務を、他人から負はされるか、若しくは自らの感情の中に負ふを常とする。併し今日の社會は我等の卒業を待受けてゐて、直ちに我等に適當なる活動の地を與へるやうな社會ではない。さうして自ら活動の地を造り出さうとするにも、我等は自己の内面に確かさの自信を缺き、我等の働きかける可き社會に對する適當の知識を缺いてゐるが故に、内外兩樣の意味に於いて、何處から手をつけていゝかがわからなくなる。かくて焦躁と空虚と、この二つの相反せるが如くにして相近似せる感情は、手を携へて我等の生活に迫つて來る。さうして我等は焦れば焦るほど、益※(二の字点、1-2-22)生活の中心を失へる感じに捉はれなければならない。自分は學校を卒業すると直ちにこの病ひに捕はれて、學校卒業後の二三年は、まるで何事も手につかなかつた。さうしてこの状態を脱却するまでには、自分としては堪へ難いほどの忍耐と攝生とを積まなければならなかつた。故に自分は諸君の卒業を送るに當つても、特にこの點に關する注意を請はなければならない。凡そ人生は短く、人生は長い。爲す可きことを持つてゐる者には六七十年の歳月は須臾にして流れ去るであらう。併し何事にも倦める心にとつては、五十年の壽命も長い退屈な旅と思はれるに違ひないのである。さうしてこの短い生涯を空過しないためにも、この長い一生を退屈せずに暮すためにも、我等には生活の中心が必要である。自分は中心を缺いた生活の中にある充實と幸福とを考へることが出來ない。
 固よりこの中心は強ひて拵へられたものではなくて、自分の中から發見したものでなければならない。學生に對する學校の課程、成年に對する職業の義務の如きものは、唯我等の内心の寂寞を胡麻化すための一時的手段となるのみで、我等の一生を貫く中心となることは決して出來ないであらう。さればと云つて眞正に内面的の意味に於いて、自己の生活の中心を發見することは却々容易なことではないに違ひない。茲に於て我等の問題は更に一歩を進めて、如何にして生活の中心を發見すべきかと云ふことに移る。この問題に對する解答も亦固より容易ではないが、自分にはその具體的方法として一つの考案がある。これは自分が大學在學時代から考へてゐたことで、而も未だ實行し得ないところであるから、これを自分の體得せるものとして語ることは憚らなければならないが、若し諸君がこれを實行するならば、屹度良好な結果が擧るに違ひないと信ずるから、自分のことは棚にあげて遠慮せずにこれを語りたいと思ふ。
 と云つてもそれは何も珍らしいことではない。最も自分に適しさうな人を選んで、その人の内面的發展を精細に跡付け、その通つた道を自分も内面的に通つて見ることである。約言すれば自らその「師」を擇んで、自己の鍛錬をその師に托することである。師の奴隷とならずに、而も師に信頼して、常に「師」に照して自己を發見する途を進むことである。我等の時代はあまりに師弟の關係の薄い時代である。我等の間には、十分の責任を帶びて他人の靈魂の教育を引受ける心持も、尊信と親愛とを傾けて、自己の靈魂の訓練を長上に托する心持も――此等の崇高な、深入りした心と心との交渉が餘りに少い。自分は自分たちの受けて來た纒まりのない教育と、徒らに漠然として廣い知識と思ふ毎に、古人の受けた鍛錬と訓育とを羨しいと思ふ。自分はこの春、信濃の飯山に行つて、白隱和尚修業の地なる正受庵を訪うた。庵は高社の山を望み千曲川を望む小丘の上にあつて、杉の老樹の生い繁つた幽※(「二点しんにょう+(穴かんむり/豬のへん)」、第4水準2-90-1)な境にある。初め白隱が惠端和尚をこの庵に訪うたとき、惠端は白隱を崖から蹴落したさうだ。白隱はそれにも懲りずに惠端に師事したさうだ。さうして或日白隱が一つの悟りを得てその座禪の座から(彼は戸外の石上に坐して工夫を積んだといふことである)歸つて來る時に、惠端は縁の端に出て遠くから手招ぎをしながら白隱を歡迎したさうだ。自分はその話をきいて白隱と惠端との間が羨しくてならなかつた。自分にも、自分を崖から蹴落して呉れる師匠、縁側から自分を手招ぎして呉れる師匠がゐたら、どんなに幸福なことであらう。師弟の關係を以つて奴隷と暴君との関係と見る者は淺薄である。師弟とは與へられるだけを與へ、受けられるだけを受けむとする、二個の獨立せる、而も相互に深く信頼せる靈魂の關係である。弟子をその個性の儘に一人の「人」とするところに師の師たる所以があり、その稟性に從つて一個の獨立せる人格となるところに弟子の最も多くその師に負ふ所以がある。「道」の傳統は何等かの意味に於ける師弟の關係を經て、始めて内面的に生きるのである。(法然と親鸞との關係を參考せよ)
 併し今日に於いて師弟の關係が崩れたのは、人と人との精神的信頼が内面的に崩れたからである。他人の靈魂の鍛錬を引受けるほど自分を信ずる力と、自己の一切を傾倒して他人に信頼する力とが薄弱になつてゐるからである。故に我等はこの根柢の缺陷を別にして、人爲的に、樂々と、師弟の關係を昔に引戻すことは出來ない。我等の師となるに足るものは、疑ひ深き我等の心を征服して我等の尊信を餘儀なくするほど偉大なものでなければならない。從つて我等の師を求むる心が、おのづから身邊の人を離れて古人に向ひ、直接の關係を離れて書籍に向はむとするは洵にやむを得ないのである。故に極めて幸福なる少數の人を除けば、我等が「師」を持つとは一人の人の生涯の著作を通じて、その人の内面的經驗に參することである。その内面的經驗を參照し、通過することによつて、自己の出發點を固めることである。我等はこの順序を經ることによつて、恐らくは確乎たる自己の出發點を獲得することが出來るであらう。さうしてこの出發點を固めることは、精神的の意味に於いて生活の中心を發見することに當るのである。
 固より師に就くとは、自分の生活内容をその師の供給に仰ぐと云ふことではない。我等が愛し憎しみ努め怒る心は我等が我等自身の中に豫め持つてゐなければならぬところである。此等の愛憎や喜悲は我等の生活を刻々に新たなる境涯に漂はしめ、往々にして我等の生涯を困惑と雍塞と彷徨と昏迷との境に導く。この窮境を拓きこの關門を透過する努力に於いて我等は始めて「師」の忠言を必要とするに至るのである。我等が師に就いて學ぶ可きところは、問題の解き方である。途の切り拓き方である。生活内容を流れ行かしむ可き方向である。若し我等自身の中に豫め生活内容を有することなく、一定の傾向を有することなく、解決を要する問題を有することがないならば、師に就くことは全然無意味でなければならない。故に生活の中心を求めるために古人の著作を研究するといふとき、我等の研究の意味は、讀書にあるのではなくて、我等の内面的知覺を開拓してこれを正しき方向に導いて行くところにあることは繰返すまでもないことである。書を讀むとは自ら生きることを停止することを意味するならば、又他人の著作を研究することは自ら省ることを中斷することを意味するならば、我等は固より如何なる場合にも、書を讀むことを、他人の思想を研究することを、生活の中心とすべきではない。茲に讀書と云ひ研究と云ひ、師に就くと云ふは、自ら生き、自ら省るための一つの途を意味するものであることは、明瞭に記憶して置く必要がある。我等が師に就いて學ぶことを要する第一義諦は、行住坐臥に師の言葉を讀誦することではなくて、何よりも先づ、師と同一の勇氣を以つて人生に衝當ることでなければならない。自己の直接經驗を基礎として人生の疑ひに觸れ、人生の疑ひを解くを求めることでなければならない。
 自分は前に最も自分に適しさうな人を選んでこれを師とす可きことを云つた。併し此處に「最も自分に適する」と云ふのは、現在の自分が最も愛好するもの、現在の自分が最も親しみ易きもの――換言すれば現在の自分の程度を以つても容易に接近し得可きものといふ意味ではないのである。此の如き「師」は唯我等を甘やかすもの、現在に於ける我等の偏局せる發展を更に一面的に偏局せしむるものに過ぎないであらう。現在の自分は自分の本質の一切ではない。我等の本質の中には無限の可能性がある。他日、我等の本質の中から、現在の自分には思ひも寄らぬ花が咲き出でる日がないことを、誰が保證することが出來よう。我等の「師」は我等の本質の中から此等の數多き可能性をひき出す力があるものでなければならない。我等を鞭撻して常により高き段階を望ましめる力を持つてゐるものでなければならない。約言すれば我等を叱り、我等をひき上げ、我等を打碎き、我等を改造するに足るほど、複雜で偉大なものでなければならない。この意味に於いて我等に「無理」を強ひる力のないものは、我等の師と仰ぐに價ひせぬものである。固より我等が師を選ぶは一層の冐險である。我等は固より彼を知悉して後に彼を師と仰ぐのではなくて、一種の豫感に導かれて未知の師に牽引されるのである。併しこの際我等の冐險を導くものは、我等の憧憬を充す可きものを嗅ぎ分ける本能であつて、現在の自分に最も親しみ易きものを擇り出す本能であつてはならない。多くの女性は、最も多く自分を甘やかすものを求める本能を以つて、最も多く自分の尊敬を要求するものを求める本能に代へるが故に、彼等は幾度か無價値なる男の欺くところとなる。同樣に自分の情熱を甘やかすものを求める衝動に從つてその師を擇ぶものも、亦遂にその師に欺かれるであらう。假に某々情話の作者をその師とする者があるとすれば、彼はこの選擇の過ちによつて生涯の迷路に陷るに相違ないのである。
 茲に於いて、我等の問題はおのづから「自然」と「不自然」との問題に落ちる。我等にとつて「自然」なものとは何であるか。我等にとつて「不自然」なものとは何であるか。
 自分はこの問題に答へるに Dialektik の觀念を持つて來たいと思ふ。自分は從來デイヤレクテイツシユの考へ方をするといふ廉を以つて度々某々の非難を受けた。併し自分は今も猶依然としてこの誤謬(?)に固執する。さうしてこの誤謬を諸君にも感染させたいと思ふ。デイヤレクテイクとは何であるか。それは一つのもの(These)がこれと矛盾するもの(Antithese)を放出することによつて世界を豐富にすることである。この二つのものの相互作用によつて新たなる立脚地(Synthese)に到達することである。さうしてこの「ジユンテーゼ」の中にあつて「テーゼ」も「アンテイテーゼ」も共に破壞され、高められ、保存(Aufheben)されることである。故にそれは單に認識の法則なるに止らずして又本質發展の法則である。寧ろそれは本質發展の法則なるが故に又認識の法則なのである。さうしてこれを本質發展の法則として見れば、それは矛盾の征服を通じて常に新たなる立脚地に進むこと――かくて無限の生々發展を續け行くことである。又これを認識の法則として見れば、矛盾するものの雙方にそれ/″\に存在の理由を認めて、この二つのものが更に高き立脚地に於いて調和の地を持つことを信ずる點に於いて、それは普通の形式論理を超越する。凡そデイヤレクテイクは、我等の思惟を實在そのものと共に流動させることであつて、狹隘なる論理の方丈中に實在を幽閉せむとすることではないのである――少くとも自分はデヤレクテイクを此の如くに理解する。故に自分は宇宙と思想とのデイヤレクテイクに參する事の淺きを恥づるのみであつて、デイヤレクテイツシユの考へ方をする事を恥辱と感ずることが出來ない。
 今、デイヤレクテイクの思想を現在の場合に應用するに、我等は自然と不自然との對立を一樣に解釋することが出來るであらう。一面から云へば、現在の自己と矛盾せざるもの、現在あるがまゝの自己を自由に流露させるもの――換言すればテーゼの立脚地に安んじて前進の努力によつて衝動せられざる生活は「自然」である。さうしてこれに反するものは「不自然」である。この意味に於いて「自然」に生きるとき、我等の生活には無理がなく、安易で、洒脱で、如何にも垢拔けのしたものと見えるであらう。同時に我等の生活は現在の立脚地に停滯して、新たなる立脚地から新たなる立脚地に前進するデイヤレクテイクの働きは鈍麻するであらう。併し自己の本質の中に活溌なるデイヤレクテイクを持つてゐるものは此の如き「自然」の境界に安住することが出來ない。現在に對する不滿、新たなるものに對する憧憬――從つて常住に襲ひ來る一種の「無理」、現在以上のものに對する不斷の「努力」が彼の生活の中心に立たずにはゐられないのである。此處に於いて我等は「自然」と「不自然」との新たなる對立に到達する。この場合に於いて自然なるものは、現在の自己に適合するものではなくて、自己の本質に適合するものである。現在の中にある矛盾と不安とに押し出されて永久に前進の努力を續ける生活こそ自然であつて、テーゼに甘んじてアンテイテーゼを通過しジユンテーゼに到達する努力を缺く生活は不自然である。現在に對して「無理」を加へる生活こそ自然であつて、現在の享樂のみに生きる生活は不自然である。我等が我等の本質を實現せむとするとき、我等の求む可きは後の意味に於ける「哲學的自然」であつて、前の意味に於ける「自然的自然」ではないのである。破壞は苦しく、努力は苦しく、緊張も亦苦しい。併し此等の苦しみを通してのみ眞正に生きることが出來るとすれば、この苦しみこそ人生の最も深き幸福、我等の生活の最も深き自然でなければならない。我等を強ひるもの、我等を叱咤するもの、我等を鞭撻するものの聲に耳を塞いで、唯現在にとつて自然なる生活のみに生きむとするは、懶惰なる怯者のことに過ぎない。さうして本質のデイヤレクテイクに從つて生きむとする勇氣は、單に「師」を撰ぶときにのみ必要な條件には止らないのである。
 自分は諸君と別れるに當つて此等の言葉を餞にする。職業のことや、成功のことや、世間の注意を喚起する方法や、世間に認めらるゝ祕訣等に關しては、自分は何事をも云はうとは思はない。自分の諸君に希望するところは、世間的成功を收めることではなくて、人らしい人となることである。自分も亦人らしい人となることを心願として、これからも諸君と手を携へてデイヤレクテイクの途を進んで行きたいと思ふ。
(六、七)





底本:「合本 三太郎の日記」角川書店
   1950(昭和25)年3月15日初版発行
   1966(昭和41)年10月30日50刷
入力:Nana ohbe
校正:山川
2012年2月9日作成
2012年3月25日修正
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●表記について

「衄のへん+卩」、U+5379    287-2


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