槐多の詩集がとう/\出る。
――彼れにむけられた僚友らの強い愛のしるしだ。
それは死者を吊ふのでも、世に亡友を記念するのでもなく、
あの彈力ある
私は山崎省三君の手元に蒐められた一と重ねの遺稿を見て、其豐富な量に驚いた。
一と綴をとつて披くと短い詩の處で、それが忽ち私を魅了した。
自由で

槐多の歌へるは、冷靜な認識ではない、溌剌無垢な直覺であり、自由富饒な空想である。
すべてそれは、止み難き攝受のため息く吐息であつた。
稀に見る藝術上の鋭敏な味覺と、それにふさはしい貪臠な胃袋を有つた彼れは、廿三の晩年に、はやくもあらゆるものを味ひつくした觀がある。
そして秩序に脅かされねばならぬ、人生の或重くるしい時期を目の前にして、怖るゝが如く又親しむが如くに、死の方へ慌しく驅け込んでしまつたのであつた。
槐多よ、君の言葉が今多くの人に讀まれやうとして居る。「畜生! やりきれないなあ」と、顏一つぱいに笑ひ給へ。(九年六月六日)
山本 鼎